美術館・博物館・デパートでの展覧会を訪ね歩き、近代建築を見て周り、歌舞伎・映画・物語に溺れる日々の『遊びに行った日を記す』場所です。 **自宅でログイン出来ないので、現在「遊行七恵、道を尋ねて何かに出会う」で感想を挙げています。

艶めくやきもの 清朝の単色釉磁器 / 工芸 かたちと文様


「既に展示終了した」というのが最近のマイ・ブームでもないのだが、どうにもこうにも遅筆で、追いつけないことが多い。
しかし忘れたくないしスルーもしたくないし、ということで時間切れのあとにもちょっとずつだけでも書き残しておきたい。

☆艶めくやきもの 清朝の単色釉磁器 三菱一号館 ~9/23
☆工芸 かたちと文様 大阪市立美術館 ~10/13

とりあえずこの二つをまとめる。

☆艶めくやきもの 清朝の単色釉磁器 三菱一号館
すべて清朝の景徳鎮官窯から生まれたもの。
静嘉堂文庫所蔵品。

紅釉小缸  内側は何と水色である。外側は貫入が綺麗。金飾りが上下に。

火焔紅管耳方瓶「大清乾隆年製」 窯変がたいへん魅力的。

ただ並べるだけでなく、ある種の設えにより、いよいよ美麗になるものがある。
烟脂紅釉粉彩花果文碗 見込みに蓮や黄色い花が描かれている。
黄釉碗「大清康熙年製」 小ぶりで綺麗な黄色の碗。
緑釉碗「大清乾隆年製」 明るい緑がいい。
この三点はセットとしてコーディネートされ、それでいよいよ魅力的に見えた。

藍釉暗花龍文盤「大清康熙年製」 藍というより茄子色でつややか。外側にほとんど消えるように隠れるように、かすかに龍が刻まれている。見事な作品。

紅釉盤「大清雍正年製」 やや薄く、褪色も少し見受けられるが、それがまたよい。廃れはじめた魅力というものがそこにある。

毎回10点ずつ展示するようで、現在は1/12まで「宋磁の美」展が開催中。

☆工芸 かたちと文様 大阪市立美術館

大阪市立美術館は自館購入品もいいのがあるが、それ以上にかつての市民からの寄贈品が素晴らしい。
この価値の高さを知らんものが首長で居続ける事態を、早く終わらせなくてはならない。

中国青銅器から清朝の豆彩、盛期の鍋島までが並ぶ。

何と言うてもやはり饕餮文がついたものはそれだけで愛しい。
関西は明治初期から戦前まで中国の文物を愛する人が多く、そのために多くの名品が関西に集まっている。
近年には関西のミュージアムがリレー形式で二年がかりで中国の文物を特別展示してくれた。
それだけにここにある青銅器は何もかもがいい。
しーんとした中で見て回ると、それこそ「鬼哭啾啾」たる趣があり、ちょっとコワイわ。

根来塗をみる。
これは関東のヒトには人気なのだが、旧い関西人のわたしでは「ああ、寺の什器やな」という感慨ばかりが胸に広がり、過去に出向いた法事が次々と思い浮かぶのだった。

織部、志野といった桃山から江戸初期に生まれた器もいいけれど、やっぱりわたしは磁器が好きなのでもっと後世のがいい。
明・清の五彩や豆彩、鍋島の染付や色鍋島等々見るべきもの・好きなものが集まったところへゆくと、自然と機嫌もよくなる。

染付椿樹図縁皿、青磁染付紫陽花図皿、色絵桜樹図皿…
鍋島の名品を見ると欲しくて欲しくて、ガラスに映る自分の顔が欲望に煌めいているのに気付いて、笑ってしまう。

リストはこちらのpdf

今はコレクション展「近世絵画 1750-1850」が開催中で、応挙のわんこや蔀関月の淀川図まで出る。
特別展の「うた・ものがたりのデザイン 日本工芸にみる「優雅」の伝統」共々大いに楽しまなくては。

こういう展示はもっと宣伝してほしいね。
とはいえ、最近は大阪市立美術館のHPもかなり変わったようで、展示作品のリストが挙がるくらいだから嬉しいわ。
現地に行ってもリストないんで、ここは先に出力してくだされ。
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チューリヒ美術館展 印象派からシュルレアリスムまで

同じく国立新美術館で開催中の「チューリヒ美術館展」の感想。
「印象派からシュルレアリスムまで」
こちらは画家や派ごとに分けられている。

チラシがモノスゴイので、とりあえず分割。
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1 セガンティーニ 
淫蕩な女たちへの懲罰 青く白い闇の中で、中空に女たちがいる。逃げられない状況である。
近年、損保でセガンティーニ展が開催され、アルプスの日差しを感じさせる温かな作品が多く出ていたが、わたしはセガンティーニのこちらの系統の作品の方が好きだ。

虚栄(ヴァニタス) アルプスの緑の中、岩陰の水飲み場に裸身を映す女。そこには悪の化身としてのドラゴンの姿もある。ツツジらしき花も咲いていて、春の喜びを女は身の内に潜めている。

2 モネ
ノルマンディーの藁ぶき屋根の家 ピンクの濃い屋根、池に映る。
陽のあたる積藁 大きくピンク。影は色んな色彩の集合体。

睡蓮の池、夕暮れ こちらも色の集合体。なにしろ6mの大きさ。

ロダン 殉教の女 「悪の華」からのもの。妙にうっとりした顔に見える。

ドガ 競馬 まだレース前でぽくぽく行く。

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3 ポスト印象派

ゴッホ 立葵 暗くて濃い立葵。光琳のそれとは完全に別種に見える。

ゴッホ サント=マリーの白い小屋  鮮やかな白!青も綺麗。目を見開かないと入りきらない色彩だった。

ゴーギャン 花と偶像のある静物画 こわーーーちぎれたアジサイみたいな花がまた・・・

ルソー X氏の肖像(ピエール・ロティ) なにやら猫もへん。セーターみたいな。それとあの四本煙突は・・・
疑問がわいてもルソーの絵には答えはない。

4 ホドラー
今ちょうど西洋美術館で開催中なので、わたしにとってはいい前哨戦になった。

真実、第二ヴァージョン ああ、モダンダンスのようだ。かっこいい。くっきりとあの線も見えている。
ボレロをも思い出すね。
こういう構図というのも当時としては新しかったのでは。
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遠方からの歌 これもいいなあ。青のドレス。ノイエ・タンツ風ですな。1917年、20世紀初頭の肉体への意識の変革が絵になっている。
額や顎に緑の線が入る。西洋では人体に緑の影を入れると死体になるというが、この時代の絵には多いな。ドンゲンとか。

ケ・デュ・モンブランからみたサレーヴ山 ・・・鴨川の鷺が並ぶ、あの感じに似ている。中州に石かコンクリの歩道あるのもまた・・・

日没のレマン湖 福田平八郎の水面が広がったようで、自分が実際にレマン湖に行ったとき「中之島に似ているな」と思ったことがはっきりと蘇るよ。

西洋美術館の展覧会が楽しみですがな♪

5 ナビ派

ボナール 庭に憩う家族 懐かしく暖かな空間。森のような庭。女の方が多いね。

ヴァロットン 訪問 これまた色の多い。群青のイスに赤イスに緑の壁に紫のドレスの女と、男。

ヴァロットン アルプス高地、氷河、冠雪の峰々 氷河が古代のものらしく、きれいなサファイア色だった。

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6 ムンク

冬の夜 暗いよー、うねる木がこわいよー、これは西洋の葬列につきものの糸杉の林なのか。

エレン・ヴァールブルクの肖像 白ドレスの女、キッと見据えている。

7 表現主義

キルヒナー 小川の流れる森の風景 紫の木、青い木、シダ風の植物。

バルラハ 難民 回顧展以来久しぶり。ぐいっとしている。

マックス・ベックマン スヘフェニンゲンの海岸の散歩 左手前に車のアップがあり、スズラン灯の並びが。
打ち寄せる波を見つめる。

8 ココシュカ

どうも五点ともピンとこなかった。イラストぽい絵の方がいいな、ココシュカは。

9 フォーヴィズムとキュビズム

マティス マルゴ 娘さん。塗り分けられた顔。ちょっと歪んでいる。マティスは次男も描いているが、次男の方が面白かった。

ヴラマンク シャトゥーの船遊び 白いヨット、青い海、そして赤と。イキイキしている。

ピカソ 大きな裸婦 ジャクリーヌを描いたそうだが、薄青緑なので、メロンアイスの固まりのように見える。
なんだか妙にすごい。

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10 クレー 

操り人形 配色が日本の民芸の好むような、郷土玩具カラー。

狩人の木のもとで ううむ、古代人の夢と願望が20世紀に復活したかのような・・・

11 抽象絵画

イッテン 出会い アンモナイトの絡み合いとか、鞆の重なりとか、そんな感じ。
こういうのはやはりイッテンの仕事が三次元のものだからか。

モンドリアン 赤、青、黄色のあるコンポジション どうもKINGの事務用品にしかみえん。

12 シャガール
個別にどうこういうよりこの全体としての祝祭空間がいい。
たとえ「戦争」や「聖家族」であろうとも。

13 シュルレアリスム

キリコ 塔 ビルで窓の配置により、笑うているように見えるものがあるが、これがまさにそれ。

ミロ 体操する少女 同時代の日本のモダニズムな作品と共通するものがある。

マグリット 9月16日 大木の中に三日月が見えるあれ。
絵がリアルだからこそ成り立つシュルレアリスム。

14 ジャコメッティ
この細長さは本当にすごい。

広場を横切る男 なんか妙におしゃれ。なんだろう。

絵が一枚あった。
矢内原伊作の肖像 絵も細く描かれている。愛情のにじむ絵。二人の愛情の物語。

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面白かった。作品がいいのはむろんのことだが、作家・派ごとにまとめたのがよかったと思う。

オルセー美術館展 印象派の誕生 描くことの自由

既に終了したが、国立新美術館のオルセー美術館展の感想を挙げる。
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日本は白樺派以来の印象派好き民族だが、「近頃の若い衆」はそうでもないらしいと聞いたが、やはり来る人は来るようで、なんだかんだとにぎわっていた。
実際のオルセー美術館で見たもの、日本各地のオルセー美術館展で見たもの、図録で見たもの、初めて見るもの色々取り混ぜて、楽しく眺めた。

それでいつもけったいな方向に話を持っていきやすいのだが、今回はもう終了したものだから、余計に変な方向へ飛んで行ったりすることが多くなる予定なので、まぁしゃーないと思ってやってください。

1章 マネ、新しい絵画

笛を吹く少年 今回のメインキャラクターという役処を負わされている、いわく「世界一有名な少年」。
わたしはついつい「笛吹小僧」と呼んで、その昔の丹羽の菊丸の「笛吹童子」と区別している。
よくよく見れば指の動きのリアルなこと。そうだったのかと今更に感心する。
ところでこの少年は一体何の曲を吹いてるのだ。
鼓笛隊のマーチとかそういうものなのか。
「悪魔が来りて笛を吹く」ではフルートの曲が実は犯人を示唆しているわけで、それも演奏する姿を見れば犯人が誰かが一目瞭然、と言う設定だった。
さすがにこの少年の指遣いだけでは何の曲かもわかりませんわな。

読書 白いドレスを着たシュザンヌ夫人。白いレースカーテンがきれい。傍らの息子はやたらとふけている。

ピアノを弾くマネ夫人 立派な腕だ。それで思い出すのが中村紘子さん。やはり鍛え上げられた腕でした。最初に演奏会に行った時、あの筋肉を見てびっくりしたからねえ。そこまでの腕ではないと、一流にはなれないのだ。

ウナギとヒメジ ヒメジはタイぽいな。実はヒメジという魚を知ったのは「テルマエ・ロマエ」からだった。美味しいらしい。日本にはない魚やと思う。
西洋でウナギいうたら、ダンツィヒが舞台の「ブリキの太鼓」で晩御飯にしてたのを思い出す。

シャクヤクと剪定ばさみ 白、ピンク、赤。ハサミはなかなか強そうだ。
毎回無関係なこと書くが、和風総本家によると、日本製の剪定ばさみは今や海外にも大人気らしい。
それと今日、何故か大和文華館の庭にシャクヤクのつぼみが。季節ずれてるよね。

フレデリック・バジール バジールのアトリエ、ラ・コンダミンヌ通り 皆の絵がある絵。昔、オルセーで見たとき、嬉しくなった作品。要するに身内ウケみたいな感じだが、それはそれで楽しいのだ。

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2章 レアリスムの諸相

ミレー 晩鐘 祈ってはるよ。ミレーはややニガテ。

カイユボット 床に鉋をかける人々 これは神戸に来たとき、主役だった。
立てて鉋をかけるように見える。かなり削れてる。
そういえば新神戸の竹中大工道具館で世界中の大工道具を見たり、実際に鉋をかけるワークショップありますな♪

ファルギエール 闘技者たち  レスリング。パンツ一枚。足元にマフラーが落ちてるのはタオル替りか、と思ったり。


3章 歴史画 

ドガ バビロンを建築するセミラミス 遠景。向こうに建物の影。川を見る女たち。
わたしがバベルの塔を知ったのは、ボッシュの絵からでも旧約聖書からでもなく、やっぱり「バビル二世」からでしたな。
作中、宇宙人バビルは古代の地球に不時着し、母国に連絡取ろうと巨大な電波塔を建築したが、地球人の知識不足から失敗。バビルは土着する、という話だった。旧約だと「こんな砂漠の何にもないところなんかイヤ!」と新妻に言われた王様の涙ぐましいプレゼントということだが、まぁ為政者の上には神がいるわけで、「生意気な」とばかりに破壊されたわけです。
これはまだ建築中なのだよ。

レオン・ジェローム エルサレム 岩がゴツゴツ。嵐の中の月は細い。イエス、入場。

エルネスト・メッソニエ フランス遠征、1814年 ナポレオンご一行様。先頭にいる。帽子かぶって胃押さえて。

アンリ・ポール・モット ベリュスの婚約者 古代バビロンの神ベリュスの生け贄に選ばれた乙女が、その神像の前に全裸で金のクッションに座らされている。見張りには二頭の屈強の獅子。彼女を連れてきた神官や女官は後を見ずに立ち去る。
基本、神の嫁は生け贄だが、この場合は見張りの獅子が喰う可能性があるか。
美内すずえ「みどりの炎」は砂嵐から町を守る防砂林の木が生きていて、少女を木の根元に生き埋めにしようとするのだが、それを思い出したな。


4章 裸体

ブグロー ダンテとウェルギリウス 開幕した頃、サッカーのワールドカップの最中で、可愛いネイマールが腰をヤられたり、噛みつきスアレスとかいうのが現れたりと、この絵のような行動が現実に行われていたのでした。
地獄巡りのツアー、仏教で言えば修羅道のようなところで、裸体男性二人が噛みついたり蹴り挙げたりと、たまらなくセンジュアルな行為をやらかしてくれてるのを、ダンテらが眺める図。

カバネル ヴィーナスの誕生 この絵は近年比較的多く来日する。わたしも好き。明るい空色、白い膚、半開きの目、ちびクピドたちに取り巻かれ。
ふと思たが、弁天さんも坊やを侍らせてるなあ。あっちは16少年だが。

クールベ 裸婦と犬 ナマナマしい腹肉。犬はポメラニアンか?森の中で。ちょっと芸術的な昔のヌード写真ぽいな。

ルノワール 横たわる半裸の女(ラ・ローズ) あの彼女かな。ローズ色の布と白布とが入り乱れている。ふくよかでいいなあ。

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5章 印象派の風景 田園にて/水辺にて
「書を捨てて町へ出よう」ならぬ「アトリエを捨てて自然へ出よう」な感じ。

モネ かささぎ 雪の中。様々な白がある。光のあたる部分の白、溶けかかりの雪の白、重い白などなど。そこに一羽のカササギ。日差しを待っているのかもしれない。

セザンヌ 首吊りの家、オーヴェール=シュル=オワーズ 道がするどく上がっている。坂。そこに家がある。右手は緑が濃い。なんとなく変な構造の場所。
この家に悪い噂があってそんな呼ばれ方をしているのかどうかは不明。
横溝正史「病院坂の首縊りの家」とは無関係(のはず…)。

ルノワール イギリス種のナシの木 もあぁとしている。旧い映画の1シーンのようだ。
そうなると息子のジャンの世界に近いかもしれない。物語の始まりを勝手に想像する。

セザンヌ 草上の昼食 小さい絵。向こうに教会が見える。

モネ アルジャントゥイユのレガッタ 4隻のボート。前々から思っているが、あのアルジャントゥイユの岩、日本にあれば「象が岬」とか名付けられそうやな。

セザンヌ マンシーの橋 濃い緑が斜めに濃く塗られている。深い緑。気持ちいい…

6章 静物

フィリップ・ルソー シャルダンとそのモデル 昔の画家シャルダンへの頌。リアルな絵。桃に猿も。

ラトゥール 花瓶の菊 やっぱりね、西洋人の描く菊は「クリサンテーム」だという感じがする。静かなクリサンテームの集まり。そしてどこか不穏なのである。

モンティセリ 白い水指のある静物  テーブルクロスがゴブラン織りぽいな。色の多い画面。ゴブラン織りで思い出したが、団塊の世代の人々の話の中に必ず出現するのが「テレビ様のカーテン」なのだった。あれはゴブラン織りが定番だったそうだ。

7章 肖像

ティソ ミラモン侯爵夫妻と子供たち 庭をバックに寛いだ雰囲気の家族。黒犬も一緒。
ティソは上流階級の人々のこうした肖像画がいい。
88年にティソ展が大丸梅田で開催されたが、それ以来一度も大きな展覧会はないなあ。

カロリュス=デュラン 手袋の婦人 黒ドレス、頭に白バラを飾る立姿。手袋を取る。足元にも一つ。1869年らしさのあるスタイル。

カバネル ケラー伯爵夫人 鼻筋の細すぎる美人。サファイアの指輪にリボン。

ポール・ボードリー シャルル・ガルニエ 楳図かずおかと思いましたわ…
この画家は歴史画の方が好きだな。

エリー・ドローネ ジョルジュ・ビゼー夫人  被り物から綺麗な黒レース。しかしどこか悲劇的な雰囲気がある。「アルルの女」のビゼーの夫人。

ルノワール ダラス夫人 顔に黒の水玉のレース。肉付きの良いひと。

モネ 死の床のカミーユ ああ、もう目を閉じている。去りゆく魂は止められない。
白を基体に色彩が載せられている。

8章 近代生活

モネ 草上の昼食 すごいな。なんだかすごい。
ピクニックには桃と葡萄もある。
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モンティセリ 白い水指のある静物  テーブルクロスがゴブラン織りぽいな。色の多い画面。ゴブラン織りで思い出したが、団塊の世代の人々の話の中に必ず出現するのが「テレビ様のカーテン」なのだった。あれはゴブラン織りが定番だったそうだ。

7章 肖像

ティソ ミラモン侯爵夫妻と子供たち 庭をバックに寛いだ雰囲気の家族。黒犬も一緒。
ティソは上流階級の人々のこうした肖像画がいい。
88年にティソ展が大丸梅田で開催されたが、それ以来一度も大きな展覧会はないなあ。

カロリュス=デュラン 手袋の婦人 黒ドレス、頭に白バラを飾る立姿。手袋を取る。足元にも一つ。1869年らしさのあるスタイル。

カバネル ケラー伯爵夫人 鼻筋の細すぎる美人。サファイアの指輪にリボン。

ポール・ボードリー シャルル・ガルニエ 楳図かずおかと思いましたわ…
この画家は歴史画の方が好きだな。

エリー・ドローネ ジョルジュ・ビゼー夫人  被り物から綺麗な黒レース。しかしどこか悲劇的な雰囲気がある。「アルルの女」のビゼーの夫人。

ルノワール ダラス夫人 顔に黒の水玉のレース。肉付きの良いひと。

モネ 死の床のカミーユ ああ、もう目を閉じている。去りゆく魂は止められない。
白を基体に色彩が載せられている。

8章 近代生活

モネ 草上の昼食 すごいな。なんだかすごい。
ピクニックには桃と葡萄もある。

ドガ バレエの舞台稽古 白い衣装の娘たち。セピアをバックに。なんだか怖いような。ちょっとエノキダケの集団にも見える。

モリゾ ゆりかご これはいつ観てもいい絵。赤ん坊のジュリーの眠るゆりかごを見つめる母ベルト。

モネ アパルトマンの一隅 これはオルセーで見たときモネと思わず、他の室内をよく描く画家の作品だと思っていたもの。観葉植物、カーテン、奥には坊やが一人立ち尽くす。青い部屋の中。かっこいい。

ラトゥール テーブルの片隅 左端のおっちゃんがヴェルレーヌらしい。隣の頬杖少年がランボー。可愛い。右端の髯が男前。テーブルには「みかん」がある。
ランボーとヴェルレーヌと言えばディカプリオ主演でアグニシュカ・ホランド「太陽と月に背いて」が思い浮かぶなあ。それと「みかん」。オレンジやなく温州ミカンやなあ、これ。
トリュフォーのアントワーヌ・ドワネルくんのシリーズ第二作目「二十歳の恋」にも出ていましたわね。フランスにも日本のぽいミカンがあることにびっくりしたものでした。
(翻訳がまた「ミカンをどうぞ」だったのだ)

ドガ 証券取引所の人々の肖像 「ねぇねぇ!」なおっさんが多いなあ。シルクハットの人々。ああ、昔はこの喧騒に憧れていたのだがなあ。

モネ サン=ラザール駅 電車がキターーー!三角の屋根が明るいなあ。

9章 円熟期のマネ

マルグリート・ド・コンフラン メキシコのフリーダ・カーロに似てるねえ。眉も髯も。鏡に映る顔でした。

婦人と団扇 これも人気の一作。寝そべりながら優雅にこちらを見る婦人。しかしよくよく見れば彼女の目はどこを見ているのかわからない。団扇には藤娘の絵があった。もう一つには潮吹き鯨の絵。国貞、国芳、広重あたりだと思う。

ジョルジュ・クレマンソー キューピーアタマで腕組み中。クレマンソーの香合コレクションを西宮大谷で随分前に見たが、彼もジャポニズムにときめく人だったのだと今にして納得している。

アスパラガス これは絵もいいがそれ以上に逸話がおしゃれでいい。
前にアスパラの束の絵を800fで売ったら、買主から1000fがきた。
そこでこの一本のアスパラを描いて「抜けてた一本」として贈ったとか。
いい話やなあ。

ロシュフォールの逃亡 ナポレオン三世の時に政治亡命を余儀なくされたジャーナリスト。舟をこいで逃げている。
これぞ「おのれナポレオン」図ですわなw

いい展覧会だったが、いかんせん出かけるのが遅すぎたな。反省。
しかし終了した後でもこうして書き残しておくのはやはりよいことだと思う。
またいつか現地へ行きたい…

第66回正倉院展

正倉院展、開幕しました♪
毎秋の奈良の一大イベントというてよろしいでしょう。
「春を呼ぶ」お水取り、秋の正倉院展。
この二つを知らん人はないかもしれない。
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1985年か、初めて正倉院展に行ったけれど、あれからずっと秋の楽しみ。
どこへ行くのも出遅れがちなわたしだけど、正倉院展はかなり早めに行くことにしている。
今回は二日目にお出かけ。(夜間開館に)
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以下、気ままに見て思ったことを。
(こういう時に自分が本当にシロートでよかったと思うね。学術的な専門家ではないから好き勝手なことがほざける。常に素人であり、知ろう人でいられる)

今回は鳥毛立女が四面(東京に二面)お出ましというのが一番の話題で、そして桑木阮咸(円い琵琶)が主役なわけだが、一方で武器がかなり目立って出ている。
これについてはサイトにこんな一文がある。
「宝物の献納目録を代表する『国家珍宝帳(こっかちんぽうちょう)』には多数の武器・武具が記されております。それらの大半は藤原仲麻呂(ふじわらのなかまろ)(恵美押勝[えみのおしかつ])の乱(天平宝字8年[764])に際して出蔵され、ほとんどが宝庫には戻りませんでしたが、これらの武器・武具を彷彿(ほうふつ)させる、中倉伝来の品々がまとまって出陳されるのも話題の一つです。豪壮な黄金荘大刀(おうごんそうのたち)や類例のない武器である手鉾(てぼこ)、漆葛胡禄(うるしかずらのころく)とこれに附属する箭(や)など、天平の「武」の部分にもご注目下さい。」とのこと。
仲麻呂は武智麻呂の二男。このあたりの人間関係とか、乱がおこるあたりの事情とか、かなり面白いのだけど、ここでは挙げません。
品名などや資料はリストに沿います。

倉番号 名称 よみがな 略称 員数 初出陳 前回出陳年 ○は初出。
リストに沿うてます。
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最初に舞楽関連。
南倉1 伎楽面 崑崙 ぎがくめん こんろん 伎楽の面 1面 1989年  
耳は長くとがっていて、何かの動物のよう。ブサカワで元気良さそう。いかにも何かしでかしそうでいい。
基本的に「崑崙」ときくと山脈でなしに「崑崙奴」の奇譚を思い出すのですよ、わたしは。
(山田正紀「崑崙遊撃隊」は名作でしたが)

南倉124 崑崙布衫 こんろんのぬののさん 楽舞用の下着 1領 1961年
南倉124 崑崙襪 こんろんのしとうず 楽舞用のくつした 1隻 1961年
南倉124 崑崙裹 こんろんのつつみ 楽舞装束用の風呂敷 1張 1961年
752年4月9日のあの日に使用。そう、大仏開眼の日のパフォーマンス。
靴下は臙脂に近い赤。褪色したのかこのままなのかは不明。蘇芳色だったかも?
あら、このシャツと靴下とそれらを包む風呂敷、53年ぶりの展示なのか!
どんな防虫剤なんだろう…

南倉1 伎楽面 酔胡従 ぎがくめん すいこじゅう 伎楽の面 1面 ○
こちらのはすごいソーセージ鼻。禅知内供もびっくりのタレ鼻ですがな。
筆描きの髪はぱらぱらで、テンクル・スタイル。睫毛長いね、寝顔。

南倉1 伎楽面 酔胡従 ぎがくめん すいこじゅう 伎楽の面 1面 ○
こちらは目をカッとあけている。歯並び強そう。

南倉119 破陣楽接腰 はじんらくのせつよう 楽舞用の脚覆い 2隻 2002年
南倉119 破陣楽大刀 はじんらくのたち 楽舞用の大刀 1口 2002年
破陣楽とは敵陣突破をイメージしたテーマ曲のこと。唐草文様も綺麗な布。

南倉125 桑木阮咸 くわのきのげんかん 弦楽器 1面 2002年
はい、覚えてますよ。悍撥柄は高士の囲碁風景。岡目八目。松に藤の垂れ下がりのもとで。これこそ「爛柯」の楽しみ図。尤も絵は爛れていてよくわからず、赤外線で捉えた画像を見て納得。
この円い琵琶を大昔に実際に演奏したのが録音されていて、その音声が流れている。
12年前もそうだった気がするが、未確認。

南倉125 深緑絁阮咸袋 ふかみどりあしぎぬのげんかんのふくろ 弦楽器の袋 1口 2002年
この袋ね。いい色なのですよ。

さて聖武天皇が実際に身に着けらしたものや、ほかそれぞれ。
南倉66 衲御礼履 のうのごらいり 儀式用の靴 1両 1999年(2009年・東博)
南倉66 赤漆履箱 せきしつのくつばこ 靴の箱 1口 1999年
可愛い綺麗な赤い革靴。靴ではなく履あるいは沓というべきか。ビーズがいい感じについている。可愛らしい。
ビーズは世界中で古代からとても愛され大事にされている。
様々なビーズの用途やその意義についてはちょっと前に開催された「世界のビーズ展」で詳しく見せてもらった。
その感想はこちら


壁面にずらりと居並ぶ天平美人。
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北倉44 鳥毛立女屛風 第2・4・5・6扇 とりげりつじょのびょうぶ 鳥毛貼りの屛風 4扇 1999年
1.と3.とは現在東博の「日本国宝展」にお出まし。
そしてその前では大行列。わたしは後ろからのぞいたわ…
1と3とが東京行きなのはどういう意味で選ばれたかは知らないけど、六人の天平美人の中で、もしかすると会議があったのかもしれない。
王昭君的な選ばれ方をしたのか、鏡花の「山海評判記」の、遠野から東京へ出てきたオシラ様のようなお元気でお茶目で、パリにも「参ろうよ」と答える性質のひとが選ばれたのか。そんなことを妄想するのが楽しい。
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北倉156 人勝残欠雑張 附 残片 じんしょうざんけつざっちょう ざんぺん 新年の挨拶状 1張 1998年(2009年・東博)
これが可愛くて可愛くて。アップリケなのか刺繍なのか、坊やとわんこらしきものが楽しそうに野にいる図。こういうのを見るのは本当に楽しい。ちょっと芹沢銈介ぽくもある。
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ところで2009年の東博に出陳した、とある宝物…
たぶん「皇室の名宝」2期のことをさしていると思うけれど、その時の資料を見てもどうも違うもののような気がして仕方がない。

中倉34 檜金銀絵経筒 ひのききんぎんえのきょうづつ 巻物の容れ物 1合 1999年
花柄で鳥が飛んでいたり。刳り抜きで造られている。花や鳥は形が同じだからハンコかもしれない。木の形がいかにもその時代。

北倉48 紫檀木画挾軾 したんもくがのきょうしょく ひじつき 1基 2001年
北倉48 挾軾褥 きょうしょくのじょく ひじつきの覆い 1張 2001年
聖武天皇の肘つき。ただし江戸時代の脇息とはまた形というか使い方が違う。
こちらは前に置いて、そこに凭れかかるようなのを前提に作られている。
これだと頬杖がつけるのですよ。長いね。
それで覆いの方はクッションで、白綾・白毛氈という構造。

北倉24 白石鎮子(午・未) はくせきのちんす(うま・ひつじ) 大理石のレリーフ 1箇 1978年
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これは「鎮子」オモシやなく、実は台座側面だという説もあるそうだが、干支の隣同士の動物の絡み合いだという絵柄から考えると、やはりそちらの方が正しいように思われる。
馬と羊の大胆な絡み合いは、ブレンバスターのようでしたわ。
全然関係ないが、つげ義春「必殺するめ固め」を何故か思い出した。

北倉49 御床 ごしょう 寝台 1基 1989年
中倉202 御床畳 残欠 ごしょうのたたみ ざんけつ 寝台用の畳 1括 1999年
南倉150 白橡地亀甲錦褥 残欠 しろつるばみじきっこうにしきのじょく ざんけつ 寝台の敷物 1張 1999年
要するにベッドと畳性のマットと敷布です。ベッドは89年に見た時と今と、全く同じ感慨を懐いた。
「…これだけ空いて作ると風通しがいいから湿気はないよな」
うむ、それです。
マットは蓆を束ねた感じ。

次からは武具。仲麻呂は女帝の寵愛で「恵美押勝」と名乗るようになり傲慢になり、やがて凋落の時が来て…乱による一番の被害者は仲麻呂の娘だが、そのことには沈黙。
勝つ方も負ける方も戦争は加害者と被害者しか生み出さない。

中倉1 梓弓 あずさゆみ 丸木の長弓 1張 2000年
本当に梓かどうかは不明らしい。漆塗り。梓弓と言えば巫女さんの口寄せに使われるイメージがあるが、これはそんな小さいものではなく、大きな弓。毎年信濃から献上されていたとか。

中倉2 槻弓 つきゆみ 丸木の長弓 1張 (1976年・東博)
ケヤキ系の木。多くの武具は帰らなかった。これは東大寺に所蔵されてたもので出自が違うそうな。

中倉3 鞆 とも 弓用の保護具 1口 1992年
ぐるりと巻いたもの。手首の保護のためで一種のグラブとでも言うべきか。
この日、正倉院展の前に奈良県美で「大古事記」展を見たが、そこで鞆の形を用いた展示品を見たところだった。だからとても納得している。

中倉4 漆葛胡禄 附 箭 うるしかずらのころく や 矢入れ 1具 ○
蔓を編んで赤漆を塗る。強くなる。1300年保てる。漆は強い。

中倉10 手鉾 てぼこ 鉾 1口 1957年(1997年・東博)
実はこういうのを見るとやっぱり石川淳「狂風記」を思い出す。マゴの持つ骨探し用のシャベルが霊界に入ったことで鉾となり、マゴ自身も押歯親王に変化して地底で戦い続ける。
ラストの文がまたかっこいいのだ。
「ときに、マゴ矛を揚げれば、その指すほうに日差しにわかに暗く…」

中倉8 銅漆作大刀 どううるしづくりのたち 黒漆塗の大刀 1口 1990年(1997年・東博)
ピカーーーッ

中倉9 無荘刀 むそうとう 大刀の刀身 1口 1957年(1997年・東博)
鞘や柄をなくした刀身だけのものをこういうそうな。今出来のような輝き。

中倉8 黄金荘大刀 おうごんそうのたち 金飾りの大刀 1口 1984年(1997年・東博)
直太刀。柄はこれは鮫皮か。鞘には密陀絵。

儀礼用の武器と実戦用のとを見たが、まぁあんまり武器には関心がないねえ。

綺麗で和やかなものを見る。
南倉70 鳥獣花背円鏡 ちょうじゅうかはいのえんきょう 海獣葡萄鏡 1面 1987年
南倉70 漆皮箱 しっぴばこ 鏡の箱 1合 1987年
二重円環になっていて、内側には狻猊たち、外円には馬、鳥、ブドウ、リスらしきものが。
それを入れる箱も出ている。

南倉70 鳥獣花背方鏡 ちょうじゅうかはいのほうきょう 海獣葡萄鏡 1面 2004年
南倉70 漆皮箱 しっぴばこ 鏡の箱 1合 2004年
こちらは矩形。配合された金属の成分から唐のものだと言われている。流通が生きていた時代、かっこいいなあ。
六頭の狻猊、外枠には小鳥と葡萄と。

文書や地図類。ここらは読む時間がない。
本気で取り組めば面白いのだろうが。

また綺麗なものを見る。箱類。
中倉138 金銀平脱皮箱 きんぎんへいだつのかわばこ 献物箱 1合 1998年
綺麗!中央に鳳がいてバッッと翼を広げている。ほぼ真正面でやや斜め。植物がそれを中心に配置されているが、みんな金に耀く。銀は酸化して黒くなったが、それもまたいい。

中倉147 檳榔木画箱 びんろうもくがのはこ 献物箱 1合 2000年
檳榔とは台湾や東南アジアにあるヤシの木の仲間。それをベースに紫檀、桑、柘植で菱形のモザイクを拵えて外装に。丁寧な仕事。
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中倉143 密陀彩絵箱 附 金銅鏁子 みつださいえのはこ こんどうのさす 献物箱 1合 1999年
派手な拵えのもの。

南倉174 漆四合香箱 残欠 うるしよんごうのこうばこ ざんけつ 四つ組みの箱 1口 1997年
八稜形の一辺で△の底辺がうにうにしている。これは可愛い。
合わせると優雅な形になるが、バラだと可愛い。

南倉150 暈繝錦几褥 うんげんにしきのきじょく 献物用の台の覆い 1張 1986年
褸になったが綺麗。組み合わせがいい。

中倉177 金銀絵長花形几 きんぎんえのちょうはながたき 献物用の台 1基 2003年
面白い形の机で脚も六本あるが獅子足?猫足ではないが、楽しい。
70年代ヒーローの跳ねに跳ねた髪型、あれに似ている。
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南倉53 銅三鈷 どうのさんこ 銅製の仏具 1口 1997年
空海の将来以前の古密教の法具。どうもヨーロッパの雰囲気がある。

南倉157 雑玉幡 残欠 ざつぎょくのばん ざんけつ 玉繋ぎの編みものの残欠 1面 1994年
これがとても綺麗なビーズの編み物で、多くの色が使われている。華籠に使われたそうな。
2600個のビーズ。緑と茶系とが巧い取り合わせでとても綺麗。

中倉46 吹絵紙 ふきえがみ 吹絵を施した紙 2張 2003年
幼稚園や小学校の時によく拵えた、紙の上に切紙とか置いて、上から水彩絵の具を茶こしなどで吹き付けたら、隠されてたところが白抜きで形が現れる、あれですがな。
それがさすが正倉院の宝物だけに優美なのですよ。
色もそれぞれ違うし。蝶や花や霊芝や鳥など…

中倉69 白瑠璃瓶 はくるりのへい ガラスの水さし 1口 1998年
ガラスが黄緑色になっている。イランのらしい。形がいい。アルカリ石灰ガラス。

最後はやはりお経です。
聖語蔵3-108 摂大乗論釈論 巻第8 しょうだいじょうろんしゃくろん 光明皇后御願経 1巻 ○
例の「五月一日経」の一巻。いい字やなあ。わたしは唐様の中くらいの字がとても好き。
そして最後のところに「昭和九年十月修理」の一文が書き加えられているのにぎょっとした。いいのか?…いいのだろうなあ…昭和九年も既に八十年前か。

聖語蔵4-30 浄飯王般涅槃経 じょうぼんのうはつねはんぎょう 奈良朝写経 1巻 1987年
ガラス越しに目に入った文字が「顛狂人 佛見 瓔珞」…内容は知らんが、びっくりした。
やはりなにかしら妙な縁があるのかもしれない。というより、辻占的な何かがあるのかも。
ところで浄飯王はお釈迦様、ゴータマ・シッダールタの父上なのだが、今のわたしの脳裏には「聖☆おにいさん」のブッダの父上の姿がぱぁっと浮かんでくるのでした。
父上が美味しいお米、いいお米というお名前だから、立川市のアパート住まいのブッダとイエスはいつもいいお米を食べている、という設定だったな。

長々と(横道にそれながら)書いたが、やはり素晴らしかった。
地下回廊では第一回目の時から昭和63年までだったか、ポスターが展示されている。
これがまた素晴らしい。
本も500円で出ているらしい。
11/12まで。また来年までさらばです。

宗像大社国宝展 神の島・沖ノ島と大社の神宝

出光美術館の「宗像大社国宝展 神の島・沖ノ島と大社の神宝」展は、出光美術館、いや、出光興産全体の熱意と誠意とによって構成された展覧会だと思う。
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宗像大社と沖ノ島についてはここでは詳しく書けない。
わたしのようなものがくどくど書くより、専門知識のある方の説明の方がずっといい。

なにしろわたしが沖ノ島を知ったのは安彦良和「ナムジ」のラストからなのだ。あの初版が90年頃か、それまでは知らないままだった。
その次に星野之宣「宗像教授」シリーズで、「宗像」教授の三人の姪が宗像三女神の見立てだということも「ナムジ」その続編「神武」からわかるようになったのだから、宗像大社と「海の正倉院」たる沖ノ島に関しては、安彦良和の著作を通らずには、決して私の中では語れないのだった。

だから目の前にある国宝すべてが、安彦作品とリンクしてしまう。そして個人的な喜びが体を突き抜けるのだ。

さて話を戻すと、わたしが今回感動したのは国宝をみたからというだけではない。
前述の理由でときめきがある、ということも大いに働くが、今回初めて知ったある事実に感動したことを言い添えたい。
それも詳しくは図録にあるからご一読を勧めるが、宗像大社は古代から現代まで、ずっと今のように守られてきたわけではなく、近代からある時期まで長く荒廃していたのを、同郷の出光佐三の熱意により、今日のように復興したそうである。しかも出光はそこに名を刻もうという大社側からの申し出を「畏れ多い」と断ったそうである。
昔の実業家には偉人が多いが、この話をきいてわたしは深く打たれた。
わたしは行ったことがない地方だが、うちの母は何十年前かに行ったと言い、そのとき大社の大きく立派な鳥居をみたそうで、今回の感想を書くに当たって様子を聞くと、「遠くからでもわかる立派な鳥居と大社」ということだった。
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位置関係がわかるね。

すばらしい。
人間、こうしたことでやはり感動する。
情と言うものはとても大切だ。

プロローグ 宗像三女神と宗像大社
日本書紀 神代巻  古事記は好きだが日本書紀はあまり読んでいないが、それでもここにあるとわくわくする。

宗像三女神画賛 仙厓  この人にしては美人のおねえさんたち。 ひとごとながら嬉しい。

宗像三社縁起 3巻 貝原益軒  いい字。「土御門院」とか「他邦」と書いて「アダシクニ」とルビふるのもいい。「あたしくににたとふへき」のあたしくに。

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遺跡からの出土品を見る。

鳥文縁方格規矩鏡 @@@@@@L L な文様の連続。

様々な玉を見る。
硬玉、碧玉、水晶、雲母片岩、勾玉、棗玉、臼玉。
ずらりと古墳時代のアクセサリーが並ぶ。
古代の人々がどのようにこれらを尊く思っていたかを考える。その喜びにもふるえる。

碧玉や管玉のネックレスも素敵だ。瑪瑙や真珠、ガラス、ドキドキする。
ガラスには黄色や青や青緑や朱もある。薄紫、緑の玉も。
子持ち勾玉は妙にオカリナにもナマコにも似て、親しみを感じもする。

貝から拵えた飾りものもあるが、その貝はアワビだった。
アワビは当時から食べてよし・使い勝手よし、な貝だったのだろうか。

今回「三輪玉」というものを初めて見た。
形が大和の三輪山に似せてある。不透明の白がいい。
三輪山は那智の滝と同様に自然そのものを神として祀る。

金製指輪  これが本当に綺麗で、きらきら。ほしいわー。花のイメージがある。新羅で作られたもの。
そういえば新羅には「花郎」ファランという青年団があったことを思い出す。
。.:*:・'°☆

綺麗なものはほかにも。
カットグラスの破片がある。そして岡山オリエント美術館(ここもいい美術館)から借りだした壊れていない形のものが並ぶことで、この破片はいよいよきらめく。

鉄矛が10本、朽ちているが磨いたらどうなるだろう、と期待してしまう。
鉄鋌というのが何かはよくわからないけど、こちらはなんでも貴重な遺品らしい。なにに使うてたのか。

何に使うかわからないものが大切に伝世されているのがロマンだと思う。
素敵…

馬具もいろいろ。
中の文様が倶利文のようなもの、メルヘンチックなもの、玉虫の羽を挟んできらきらしたものなどなど。

少し時代が下がり、飛鳥時代から奈良時代、そして平安時代に。
何に使うたかしれぬヒトガタもある。
8世紀に流行ったという滑石製品もある。
人形、馬形、舟形、円板…

三彩も現れる。
小壷が可愛い。いくつか並ぶが小さくて本当に可愛らしい。

それから金銅製竜頭が一対あった。
これはこの展覧会の後の東博「日本国宝展」にもお出まし。
二度も見に行った展覧会なのにずっと書けないままここにきて、国宝展で思わぬ再会をして、すごーく申し訳ないキモチになっておりましたのよ…

宗像大社の遺跡のありようなどは、佐倉市の国立歴史民俗博物館に再現がなされているので、あれをみていたから理解が進んで良かったと思う。

次にお伊勢さんの宝物がきていた。
昭和四年から28年までの間に新しく作られた品々。
この国がいかに神様を大切にしてきたかを改めて知る。。

それから古文書。
このあたりも大変興味深い。
大社の縁起はスサノオとスセリ姫の話から。
それに強石将軍、住吉明神の名もある。

比叡山からもらった灯りについて書かれたものがある。
「不断香油灯明所送 数百歳之星霜也」
比叡山の根本中堂から移した灯明を決して絶やさない、という内容。
仏教と神道の歩み寄りがある。

石灰岩から切った狛犬さんもある。がしっがしっと削っていて、可愛いしかっこいい。

センガイ和尚の仏画もある。

近世の福岡藩が宗像大社を大事にしていた証拠のような、三十六歌仙図もあった。
なかなかリアルな表情の人物画である。
業平はハンサム、小町は美人、それになぜか斎宮女御が顔を出している。尤も麿眉から下を覆っているが。

いい展覧会だったが、どうしてか書けなかった。
しかし書かないまま置いておけない内容だった。
時間は過ぎてしまったが、こうして感想を書けたことはうれしい。

現在の出光美術館は「仁清と乾山と京の工芸」。
とても楽しみにしている。

京博「京へのいざない」第二期

京博「京へのいざない」第二期に出かけた。
それが夕方ギリギリで、「鳥獣戯画」には並びたいわナンダカンダと忙しかったなあ。
でも忙しいからこそ、「好きな物だけを見る」という贅沢をかなえられるわけです。

全期間展示だけど改めて、陶磁器の好きなものを。前回想わなかったものも含めて。

銹絵水仙文茶碗 野々村仁清作 1口 天寧寺  ああ、シャッシャッシャッと線が走って、その先に花の形がある。白磁に薄い絵が。

乾山の色絵氷裂文角皿  前回も楽しく眺めた。
mir604.jpg img842.jpg

交趾釉兕觥形香炉 伝奥田頴川作 1合 両足院  今回初めて気づいたが、ヘッド部分には二羽の猛禽がいて、下の段にはおとなしそうな小鳥たち。
そうか、違うのだね。

色絵梅文菱繋手鉢   これはひし形を二つくっつけて、重ね合わさるところをつくり、三つの池を拵えたわけです。
左右は大きく中は小さい。中はお作りのお醤油でも入れられそうな。
いずれも梅が咲きこぼれているのがいい。

焼締亀香合 初代清水六兵衛作   これだけガシガシに焼いたーると、「亀は万年」を信じたくなるよな。

染付名花十友図三段重箱 青木木米作  シック。薄墨の絵のような。

・桃山 秀吉とその周辺

豊臣秀吉像 玄圃霊三等賛  あら壮年かな、髭も真っ黒い。

吉野花見図屏風  細見美術館の。これは人物たちもきちんと描かれていて、それぞれ個性がある。馬具のクッションに虎皮や豹皮が使われている。吉野のお堂の前の山門もよく、ラストの滝がかっこいい。

ポルトガル国印度副王信書 1通 妙法院  これは先般「京都非公開寺院」の特別公開で出ていたものやな。

鳥獣文様陣羽織 豊臣秀吉所用   動物闘争文。がぶっっっ二組の闘争。孔雀もいたね、二種それぞれが知らん顔。

豊臣棄丸坐像   賢そう。手には元は何か掴むものがあったのかね。

・仏画 密教信仰の名品 

十二天像のうち水天・羅刹天   これは先年展覧会でお目にかかりましたな。水天は円満具足。朱唇も綺麗。
羅刹天は軍装で手前二人の脇侍は向かって右が僧形。

十二天像のうち帝釈天  これも載せてる白いゾウさんがいいのよ。かまぼこ上がりの眼でにっと笑って。

閻魔天像  東寺伝来品。白牛に乗る姿。

孔雀明王像   正面から大美人。

烏枢沙摩明王像  炎と蓮の台とが同じ色になっている。蛇まみれ。この明王だけ、というのは観たことがない。

宝楼閣曼荼羅図  中にも外にも多くの人々。

星曼荼羅図 1幅 久米田寺  これは前から好きなもの。西洋占星術とは違うが、東洋の星座もよく似た構成なのが面白い。

・中世絵画 美を尽くす―着色花鳥画― 

四季花鳥図屏風 雪舟筆  丹頂鶴と紅椿。他は特に色彩を持たない。上の方には叭叭鳥。そのみぎ6の下部にはピンクがかった白蓮が大きな花を隠そうとするかのように、慎ましく咲いていた。
左はちょっと元気そうである。太湖石、オシドリがにやりと笑ったり、と不思議な情景である。
短いくちばしで大きな目を見開いている小鳥が可愛い。

四季花鳥図屏風 芸愛筆  竹に白梅と雀。一羽と三羽に分かれる。鷺もいる。餌をついばもうと川に立つ鷺。
ヒヨドリもいる。百合も咲いている。左は川近くにいるウズラに始まる。オシドリに山茶花。

山茶小禽図 瑞溪周鳳賛  ふっくら鳥が見上げる。前は暗い部屋にかけられていたなあ。

梅樹小禽図 遮莫筆  ひっくり返って腹を見せる小鳥もいる。室町時代の作だとあるが、明のものにも見えるくらい、かの地の絵画を学んでいるようだった。
ここらあたりの知識が不足しているので、もっと学ばないといけない。

花鳥図 祥啓筆  これは左幅らしい。後の仲間はわからない。黄色い小鳥と薄黄色の花と。

花鳥図 喚舟筆  二羽の文鳥が白梅にとまる。小さい絵ではあるが、時間と空間が充実している。

牡丹・芙蓉図座屏 宗誉筆  文琳型の絵が二枚。白牡丹にはミツバチ、薄ピンクの芙蓉には葉と同じ色のウマオイ。

花鳥図襖(聚光院方丈障壁画) 狩野永徳  力強い墨絵で、梅は大木、鶴はギャーーッ
心は落ち着かないですよ。

枯木猿猴図 長谷川等伯 龍泉庵  右は木に母子猿。左は掴まった絵だから腕を伸ばす猿。どちらも丸顔の中国のお猿さん、というより「アイアイ」。

飲中八仙図屏風 海北友松  まあリアルというかなんというか、面白い。
右端では少年二人が酒壺が空になって「うーん」「どうする?」と困り中。おっさんらは「ほら」「あー、あかん」と酔っ払い中。ちょっと鼻の大きい可愛い少年が「もぉ一杯いきましょか」と勧めると、「いや、もぉええわ」と断るおっさん。そして一番左ではおっさんが少年に「あんな、ワシな」とひそひそ話。少年は「あー、はいはい」と心得ておる。
ナマナマしいなあww

山水図襖 雲谷等顔 黄梅院  小さなジャンクが二艘行く。船着き場には二階建てで日本風な民家が並ぶが、奥の窓はかまぼこ型。そこらに中華風な味わいを見せる。

・中国絵画 明清絵画と京都
桃李園金谷園図 仇英  けっこう大きな絵。前にも見ているがこの優美さが好きだ。
桃か李かの白い花。それを見ながら庭で小さな宴。立ち働く少年たち。微笑む女たち。
また、牡丹の囲いを前にして孔雀が散歩する。花は白が咲き誇り紅が慎ましく開く。
カーテンも幔幕も屋根覆いもみな同じ柄。巨大珊瑚の鉢植えもいい。
巨大珊瑚なあ…日本の領海侵犯してまで取りに来るなよな~~

観音図帖 陳賢筆 隠元隆琦題 1帖 萬福寺 一種のファッション雑誌のような雰囲気。
「観世音菩薩さんの優雅な一日を追う」みたいな感じの、ちょっと上品な婦人雑誌のグラビア部分。
わたしはこういうのを見るのも好き。

花隖夕陽図 惲寿平  シーンとしている。花の絵の巧い人だが風景は本当に沈んだしーんとした良さがある。

梅花図冊 李方膺  墨梅図。他のも見たい。

平沙秋思図巻 張崟  かまぼこ屋根のついた小舟が一艘浮いた川面。座す人も櫓を操る人も顔なしで、ぽつんとしている。遠くには雁。平沙落雁を眺める二人。むかしはこうした絵に関心がなかったが、今は「なんとなく」いいものだと感じるようになった。
この「なんとなく」というのが実に曲者で、これを論理的に説明しろとか言う人とは、つきあえないなとも思う。観客の特権。

・絵巻 宮廷貴族の信仰と美

粉河寺縁起絵巻  ありがたい気持ちから旅に出る家族。旅装が、描かれた時代の風俗を映す。仏の加護があったことを知り、人々は随喜し、出家する。
これは考えれば中世では「家」を大事にするのに「出家」、しかも一家総出で出家なのだからえらいことですわな。代表者としての出家ではなく、我も我もの出家になれば、社会制度がおかしくなってくる。生産者がいなくなるわけだし…色々考えてしまったよ。

法然上人絵伝 巻9  後ろアタマが可愛い法然上人。「法然天窓」という言葉もある。(泉鏡花「高野聖」より)
子供の頃は可愛い少年だったが剃髪したら特異な形のアタマだと判明する。
ぽくぽく木魚。賑やかな様子も続き、けっこう面白い絵巻。

法華経巻第五  女二人がいる室内。けっこう楽しく遊んでいる。真面目な法華経の書を彩る絵は優美な風俗画なのだ。

融通念仏勧進状 1巻 禅林寺  巻物の最後の見返しのところに仏と眷属の来迎図。
「来ましたよー」な雰囲気がいい。

平家物語絵巻(御産段)  室町時代の絵巻。徳子出産を待ちわびる人々。緊迫感がありあり。右から左へ推移すると時間も流れ、ついには赤ちゃん(後の安徳天皇)誕生。可愛く描かれていた。

・書跡 料紙装飾 

紺紙銀字華厳経巻第三十三残巻〈二月堂焼経〉 ああ、焼けたことで生まれた美。プラチナ経。綺麗、つくづく美麗。それがもう廃ることもない。

石山切も並ぶ。根津での並びで感じたコンポジション風な景色から遠く離れて、やはり日本の伝統美に見えた。ふしぎやなあ。

・染織 神と仏の染織 

插頭花 熊野速玉大社古神宝のうち  絹で拵えられた造り花。可愛いし綺麗で尊さも感じる。いいなあ。
日本では古代から髪に花(植物全般というべきか)を挿した。その情景を想う。
ヤマトタケルも国偲び歌の中で「命のまたけむ人は たたみこも 平群の山の 熊白檮(くまかし)が葉を 髻華(うず)に挿せ その子」と歌っていた。
容は違えど、斉しく髪に花を挿す。

紅帖紙 熊野速玉大社古神宝のうち  「たとう」。綺麗な色調だった。

・漆工 桃山時代の華 高台寺蒔絵

実はこの時代の蒔絵全般が日本の漆芸の中で最もニガテ。高台寺蒔絵も南蛮蒔絵ももう本当にニガテ。理由はわからないが、どちらも本気でニガテ。
平安から鎌倉、江戸の半ばから近代までのものに好きなものが集中しているから、意匠がニガテなのだろうと思う。

枝垂桜蒔絵硯箱  これは大胆な意匠というか、近代的というか、どんっと中央に枝垂桜が一本だけ立ち続けている。かっこいい。雰囲気的には藤井達吉ぽい。

いいココロモチでふらふらと第二期の「京へのいざない」を逍遥した。
11/16まで。
この後はどのような形で展示してゆくのだろう。
そのことにもとても興味が惹かれる。

元禄を駆け抜けた雁金屋の従兄弟ども  樂家五代宗入と尾形乾山

樂美術館の秋季展覧会はタイトルがなにやらワイルドだった。
「秋期特別展 宗入生誕350年 元禄を駆け抜けた雁金屋の従兄弟ども
樂家五代宗入と尾形乾山」
ちょっとカッコイイな、とトキメイタのは確かだ。
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ここの人間関係はけっこう入り組んでいるのであえて書かない。
要するに雁金屋兄弟の従兄弟にあたる宗入が二歳で樂家に入り、長じて後に娘と婚姻して五代目を継いだ、という話です。
今回は本当に宗入と乾山だけの展示なので、今回は宗入を青・乾山を緑で分けて書くことにする。

樂 宗入
黒樂茶碗 亀毛 表千家七代如心斎書付 樂美術館蔵  ゴワゴワ。口がやや内側に入り込む。内側はきらきら。まるで星の井戸のようだ。のぞくと昼でも星が見える。

黒樂茶碗 梅衣 表千家八代啐啄斎書付 樂美術館蔵  こちらもゴワゴワ。涸れ井戸のよう。

赤樂平茶碗 海原 表千家九代了々斎直書・十一代碌々斎書付 表千家蔵  盥の中の海。オレンジ色に近い赤樂。エナメルがガラスのようにきらきら。水面の光のようだ。見込みの@が大渦のようなのも「海原」の由来になったろう。

赤樂筒茶碗  福寿草 表千家六代覚々斎書付・九代了々斎極書 鴻池家伝来  様々な色が出て来ている。黄土色にも見える。それはまるで古生代からの地層のようだった。

黒樂平茶碗  北海 表千家七代如心斎書付・十四代而妙斎書付 北村美術館蔵  平板さだけでなく、内にめり込む盛り上がりが口べりにある。これでイクラ飯とか入れたら本当においしそうである。


次は乾山である。
ここでこの企画を立てたココロというものをサイトから挙げておく。
読んで納得し、面白い時代だと思った。
「元禄という華やかな時代を背景に、乾山が銹絵・色絵に彩られた装飾豊かな焼物で一世風靡してゆき、かたや樂家に養子に入った宗入は、長次郎茶碗に思いを寄せ、利休侘茶の世界へと踏み込んでゆきます。
華麗な乾山陶と侘びた宗入茶碗。このあまりにも対照的な作風の展開に至った雁金屋の息子どもが、それぞれにアイデンティティー豊かな個性的作風を残し、元禄という時代を駆け抜けてゆきます。
本展では宗入と乾山、二人の作品の対峙を通して、その中に流れる元禄という時代の精神、そこに標したそれぞれの表現の有り様と生き様を浮かび上がらせます。」

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尾形 乾山
色絵槍梅図茶碗 鴻池家伝来   可愛い。横広の茶碗の外には、白・黒・緑・茶、四色の木と梅がポンポンと咲いている。遠目には織部の柄を思わせるほどの抽象的な模様だが、近くで見ると可愛い梅木、いや梅林である。

銹絵染付シリーズが並ぶ。漢詩がついている。ちょっとだけそれも載せる。
銹絵染付山水図茶碗  ざざっと屋根や木々などを描く。「八月太平」
銹絵染付梅図茶碗  「秌兎毫」。梅で秌(秋)なのか?力強い書。梅はもあ~  
銹絵染付柳図茶碗 逸翁美術館  さらさらと柳。
銹絵染付松図茶碗   「静日 雨凄々」うむ、何やらかっこいい。
銹絵緑釉松図茶碗  樂美術館  内側全般にべったりと緑が。外はややザラザラと素な。
銹絵染付松図茶碗 北村美術館  天狗の羽団扇のような松。「霜雪」

元々は鳴滝時代は漢詩や禅などをモチーフにしたシブいのを拵えていたが、二条丁子屋町時代には工房としてデザイン優先の可愛いのを拵えるようになって、ブランドになったからなあ。わたしは無論その一般受けするのが大好きよ。

色絵菊図向付 五島美術館  三枚出ていたがけっこう個別に色の濃淡や線の違いとか大きいな。こういうのも手描きの楽しさやわな。
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色絵牡丹図向付 逸翁美術館  白い花の方が大きく、向かい合う赤の花はやや小ぶり。これも手描きの面白さのあふれるシリーズ。

可愛い香合がまとまっている。 
銹絵槍梅香合 北村美術館  大好きな一点。北村のチケットもこれを選んでいる。
銹絵鶴文宝珠香合  10羽の鶴がぐるりと円陣を組んで嘴を中心点に向けて揃えている。
色絵紅葉文香合  前から好きな一点。ほんに可愛い。

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黒樂ふくら雀香合  河豚のようで可愛い。小さな目に鰭のような羽。宗入の雀。

布袋香炉 表千家十三代即中斎書付 樂美術館  にっこりしながら手に軍扇を持つ。本当にいい感じのにこにこ。気持ち悪さのないにこにこ。


色絵若松椿文枡鉢 MOA美術館  「紹弁好」とあるがその人が誰かはわからないとか。
ただしこれは特別な誂えもの。
いい感じの四角い大き目のやきもので、大胆に白椿を大きく内外に描き、つつましく若松を配する。

銹絵独楽園記図大鉢  司馬温公の「独楽園記」から。釣りをするのんびりなおじさんの図。司馬温公といえば子供の頃の甕割小僧の話しか思い浮かばない。賢い子どもは爪を隠すオジサンになったのだ。

色絵吉野山図透彫反鉢 MOA美術館  これも本当に人気の鉢。見込みには綺麗な緑色が広がるが、水を(池を)表現している。緑の呉須とあるが、そうなのか。

銹絵染付白彩梅花散文蓋物 MOA美術館  三色の梅がシルエットのように浮かぶ。まるでほろほろと口の中で溶けるお菓子のような梅たち。

銹絵染付笹文蓋物 三井記念美術館蔵  三井で見る度「こんにちは」と言う。


香炉釉舟向付 表千家蔵  縁にのみやや藍がかった線のような釉がかかる。
シンプルな表現だが十分に「舟」だとわかる。

緑釉甲皿 樂美術館蔵  形が可愛い。角を木瓜型のようにする。縁には金。そして二段構造なので、まるで深いお風呂の中で座れる縁という形に見える。

赤樂菊皿 樂美術館蔵  皿と小鉢と。まっすぐな花びらを表現する。赤もそんなに濃くはなくサーモンピンクのよう。

緑釉鶴文丸皿  鶴とオモダカの水辺。孔雀風なのとダチョウ風なのと。

鉄線之絵緑釉皿 樂美術館蔵  鉄線は二種あり、金地のものと白花に外線は金のものと。
可愛い。

木瓜形牡丹文皿 樂美術館蔵  形は可愛く、縁のところに牡丹が華麗に描かれる。

飴釉立鼓花入  飴色に光る。下の方が大きいが上の▽も小さくはない。

飴釉大名水指 藤村庸軒好 樂美術館蔵  これは可愛い。耳つきというよりなにやら髪型のようだ。いいねえ。


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銹絵染付絵替筒向付 尾形乾山書付 湯木美術館  これは特に好きなもので、銹絵だというても地味ではなく、元気で愛らしい文様のもの。基本的に鳥や植物の柄。内外に小さい白帆の舟がたくさんあるのも可愛らしい。
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銹絵染付蕨春草図筒向付  これも少しずつ絵が替わっている。ツクシにワラビにスミレにスギナ…
  
銹絵染付春草文蓋物茶碗  欲しいのよねえ、これは昔から。
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銹絵寿老人図角皿 酒井抱一書付 MOA美術館  オッチャン向けですわな。

銹絵絵替長角皿  10の内。詩文と絵と。

色絵和歌十躰短冊皿 尾形乾山書付 湯木美術館  これもおなじみ。

色絵定家詠十二か月和歌花鳥図角皿 MOA美術館  出ました!櫻に雉、藤に雀、秋草に鶴。いいシリーズだから、これは琳派者はみんなよく題材に使ってた。わたしも大好き。


それにしても同時代とは思えないベクトルの違いだけど、それぞれいい味わいのものを生み出し続けていたのだと、改めて好きになる。
12/7まで。



茶の湯の名碗

関西にいると佳いやきものを見る機会に多く恵まれる。
きょうは茶道資料館で「茶の湯の名碗」前期、樂美術館で「樂家五代宗入と尾形乾山 元禄を駆け抜けた雁金屋の従兄弟ども」、京博「京へのいざない」展などで、素晴らしいやきものをみた。

まず茶道資料館から。
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黒樂茶碗 銘 木下 道入  ノンコウの代表作だと案内があるが、確かに作行きは長次郎に忠実に沿うている。しかしその口縁の薄さは確かにノンコウらしくていい。
ただ、これがノンコウの代表作だと言われても黙って微笑むばかりである。
装飾性はないが、幕釉たっぷりかけてのきらきらしているところがいい。

珠光青磁茶碗 銘 若楓  今まで珠光はあまり関心がなかったが、この茶碗にはひどく惹かれた。
薄オリーブの茶碗、底は鏡または花芯であり、四片の花びら(即ち円弧内に蛇行する線が刻まれている)がそこに咲くように見えた。きれいだった、とても。

祥瑞丸形茶碗「五良大甫呉祥瑞造」銘  ここの「呉祥瑞」という人名が「祥瑞」の由来かもしれないらしい。
木蓮がぐるりと胴をめぐる。青く綺麗な木蓮。枝と大きな花びらがいい。その裏面には鹿、猿、小鳥がいるそうだ。

井戸茶碗 宗及井戸  これは綺麗。カイラギは溶けかかっていて、釉たっぷりで暗い枇杷色が魅力的。
蜂須賀家ー馬越家ー川端康成。

小井戸茶碗 銘 朝顔  内側に目跡が五つ。梅鉢を飾るかのように見えた。枇杷色が優しい。雲州蔵帳記載。

粉引茶碗 銘 塞翁  大きな茶碗で、口縁は薄い。元は片口だったのを塞いだ。こういうのを「酢次」というとか。
銘は、このやきものの変遷を思うとなるほど巧い名付けだと感心する。
MIHO MUSEAM。

刷毛目茶碗 銘 水鳥  開いた作り。その中に水鳥がいる。これは雨漏りのシミがその形になったもの。可愛い。
住友家ー今日庵。

大徳寺五器茶碗 銘 開山  これは朝鮮通信使が残したものだとかで、実用品として見れば、高盛り飯にぴったり。

紅葉呉器茶碗  高台はバチ状に開き、紅葉色と白色の変わりが綺麗。広岡家ー住友家。
平瀬家、鴻池家の所蔵と並んで「浪花の三名物」の一だったそうだ。

錐高台茶碗 張木  粘土色。四カ所に小さい突起というか、きゅっきゅっと出ているのがいい。口縁の一方か二方をゆがめて突き出しにするのを「張木」というそうだ。
仙台伊達家ー鹿島清兵衛ー馬越。
鹿島清兵衛はあの芸者のぽん太を落籍した鹿島清兵衛だろうか。

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割高台茶碗  これは枇杷色なのだが、割高台はふつう、青みがかったものばかりらしい。
見込みにはシャッと傷が走る。窯キズというそうだが、スカーフェースのようでちょっとかっこいい。

堅手茶碗 銘 有来  桃山から江戸初期に京都三条にいた唐物屋の有来の名が由来。淡い雨漏りが可愛い。ぽつぽつぽつ。

熊川茶碗  見込みの○は熊川(こもかわ)茶碗特有の鏡という○。くっきり。朽葉色で少し淡青色も出ている。内側には馬蹄型の釉抜けがある。

柿の蔕茶碗 銘 麗亀  さすが柿の蔕というだけにザリザリと堅そう。

斗々屋茶碗 江戸ととや  青暗い色を「江戸紫」と見立てて、それで「江戸ととや」。内側のシミがまるで銀砂子のように綺麗だった。遠州ー不昧所蔵。中興名物。

彫三島茶碗  正直まったく彫三島に興味がないし、家で鍋買うときも三島だけはやめよう、と声を大にしてきたが、この三島は別。もしかすると、この三島に出会ったことで、大きなパラダイムシフトが起こるかもしれない。
見込みに印花文が集まっている。14個の花。まるで夜空に一挙に花火が揚がったような景色!! 花火にこにこ。
素晴らしかった。

織部黒茶碗 銘 悪太郎  織部黒の説明がある。焼成途中に取り出して急速冷却する。それで黒になるそうだ。
これらは筒型か沓型のみ。
白抜きの鉄絵のは「黒織部」。二つは違うものなのです。

赤織部沓茶碗  見込みに二本の線に蛇行する線という柄。外には梅。

赤樂茶碗 銘 白鷺 長次郎  ざりざり。長次郎は黒ではなく赤から始めたそうだ。
これはかなり早い時期のものだという。
やや縦長で内にこもりそうでもある。イメージ (48)

彫絵唐津茶碗  XXXXXと大きなXマークが連続している。まるで湯がいて白くなったマグロを更に焼いたマグロステーキのようだ。

薩摩茶碗  きっちり黒褐色と灰黒色のツートンカラー。形もさることながらこのシンプルさがすごく現代風。

赤樂茶碗 加賀光悦  朱色の山水画のような景色。これは銀座役人の中村内蔵助ー冬木家ー不昧。今は相国寺蔵。萬野コレクションだったものだろうか。
中村内蔵助は大和文華館に光琳による肖像画がある。

色絵鱗波文茶碗 仁清  北村美術館蔵だが、そこで見るよりもよそで見ることの方が圧倒的に多い。
緑の波がとても綺麗。金彩がいい。
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やはりいいお茶碗をたくさん見ると、キモチが明るくなる。
後期は11/11から12/7。良いものがまた集まるらしい。

東博の常設でみたもの。

こないだのアジアフェスティバルは前庭でアニメ「時をかける少女」の上映もあったから若い人たちが随分たくさんいて、開館時間も22時までのびて、たいそう楽しかったわ。
千葉に行ってたからほんの1時間弱しかいられなかったが、それでも好きなものを見て好きな写真を撮らせてもろて、いい気持ちです。
お礼の気持ちを込めてここにあげたいということですわ。

小さくて愛でてみたくなるもの。IMGP3205.jpg
解説によるとこの4つの茶入は「水滴、油滴、手瓶、弦附」の四種一組ものらしい。
可愛いわ。

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黙ってドンと押し寄せてみました。

面白い布地。IMGP3208_20141025235511e31.jpg

浮世絵に行こう。
蝶々。綺麗ね。IMGP3209.jpg

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食べるのやのうて、染付の鉢にいる金魚を掬うておるのです。国芳のおねえさん。

虚無僧の人形!!IMGP3211.jpg
うーむ、虚無僧も謎の人に見えてカッコいいしなあ。

光悦&宗達の仕事を見よう。
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薄っていいよねえ。

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綺麗な手蹟に綺麗な下絵。

大和文華館で抱一展をみてたら、この絵の写しが出ていた。
本歌は徐崇嗣。東博本のは宋汝志の絵。抱一は本歌を見たのかも。
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可愛いふくら雀たち。

綺麗な螺鈿の机を見た。
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うっとりするなあ。
足の部分はこちら。
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細部まで手を抜かない。それはいいことだ。
ああ、綺麗な螺鈿でした…

毎月、いいのをありがとうございます。

青梅市立美術館開館30周年記念 「花の色 風の音」

青梅市立美術館が開館30周年を迎え、館蔵日本画名品選を開いている。
タイトルは「花の色 風の音」。

近代日本画の優品をこのように集めているのはまことに魅力的で、遠いのを承知で出かけた。大阪の人間で絵を見るために青梅に行くのは自分くらいかと思いつつ。


第1章 四季の彩り 花鳥画の美

梅 田中 案山子 1966  梅香漂うような画面。太い幹に白梅と薄紅梅。
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椿 吉岡 堅二 1946  ピンクの椿だが、切込みの入った石鹸カーヴィングのようにも見える。そこに元気そうなよく肥えた雀がいる。
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雉 梶田 半古 明治末期  桜の花びらが舞う。スミレやワラビも咲いた春の丘。キジは中空から地を見る。

花菖蒲 小林 柯白  あっさりと。つぼみに黄色いトンボも。この画家の作品ははなかなか見る機会がないので、ここで観れて良かった。

薔薇 小茂田 青樹 大正初期  木の薔薇。棘が多い。そこへアゲハが来る。上には小さな二羽の蝶、それぞれ藍と朱。
しぃんとした情景。どこか南蘋派風だとも思う。
そしてこの絵もまた秘めていればよいのに「描いてしまった絵」だとも思うのだ。
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花石榴 新井 勝利 昭和初期  柿色と白色の花。つぼみも愛しい。サザンカにも似ている。さわやかな姿。

柳雀 竹内 栖鳳 昭和初期  柳の幹のこれ以上伸びそうにないところに止まる二羽の雀。なにやらさえずり、楽しそうである。とまる木のそこはタラシコミでか、螺鈿のように輝いていた。
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初夏 黒田 古郷  青楓、青鳩。水樋の水を飲む。初夏の長閑なひととき。

瓢箪の花 安田 靫彦 1940  薄緑の美。白い瓢の花。黄色いつぼみの愛らしさ。白と緑の美。
近藤ようこ「瓢かわいや」を思い出す。
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牽牛花 高橋 周桑 昭和初期  薄闇残る朝。うすいピンクと青の朝顔が大きく咲いている。タイトルは古語ではあるが、絵そのものは写実に近い。

菊花 広島 晃甫 1916  黄色に朱が入り混じる菊。赤とんぼが花から花へ。

秋霖 小茂田 青樹 明治末期  はっ となる絵。新しい。縦長にザザザッと茶色い線が入り、そこに小さな葉っぱたちが。

雁 奥村 土牛 1930  三羽いる。わりと騒いでいる。枯れた葦のもと。
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春蘭 小山 大月 昭和初期  緑の花びらに灰色の葉。ごくシンプル。文人画の春蘭を思い出す。

水仙花 広島 晃甫 昭和初期  右上へ向かって顔を上げる水仙たち。根元には枯葉が少々。鉛筆線が残るような感じの絵。

第2章 幽玄なる世界 水墨画に見る臥遊の精神

山水図 川合 玉堂 明治中期  山水画というタイトルだがこれは「後赤壁図」だと思う。
侍童の漕ぐ小舟で楽しむ高士達。その舟は屋根の部分が扇状で完全に伸ばせはまっすぐな屋根にもなる。三人は楽しそうにグラスを傾けていた。
左隻では上陸し散策する三人。少年は舟をもやいでいる。
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山水図 山岡 米華 1912  シーンとしている。音のないその場所。

水村 黒田 古郷 1936  南画風な水墨画。

秋渓帰樵図 飛田 周山 1936  木橋を渡る樵。水が彡彡彡。柴を振り分けて担ぐ樵。
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第3章 愛すべき日常と人々の営み

宵 眞野 暁亭 明治時代  「植半」の文字入り屋形船。楽しそうな男女。筏に乗る人が屋形船に寄ってくる。一杯もらう。町人の楽しそうな様子。

夕涼み 山内 神斧 大正初期  川床の楽しそうな様子。畳一枚を台にしてそこが一席分。
客の中には侍と僧と振袖少年の組もある。元禄頃だろうか。
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花火 田代 古崖 大正初期 三幅対  花火を楽しむ小舟の人々。女客が多い。瓜売りが近づいてくる。ああ、瓜もスイカも夏の愉しみ。花火はぱーんっと散って☆☆☆を散らしもする。
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高山朝市之図 宮本十久一 1971  にぎわいがにじむ絵の中に消えてゆくようだ。描かれたリアルタイムの時代の様子。

月島 小茂田 青樹 1915  きりっきりっと民家と電信柱と道を元気良く描いている。

雪国の人 菊地 良爾 昭和30 年代  傘に雪が積もる。藁でくるんだカツオを下げて歩く二人の女。こんな時代があったのだ。

花うり 山田 敬中 1921  妙ににやりと笑う口元が気になるが、様々な種類の花がそこにある、ということに惹かれる。
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第4章 麗しの女性

舟上観芙蓉 筆谷 等観  唐美人がズボン姿で小舟を操って白い蓮を楽しむ。ああ、素敵・・・
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虞美人 寺崎 広業  芭蕉や太湖石に白い花をしつらえた庭園で琵琶を弾く虞美人。製作年は不明だというが、大正期の美人画のような気がする。ウサギさんのような髪のくくりが可愛い。

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処女と白鳥 夏目 利政 1919  インド美人。細密画から抜け出してきたようだ。白蓮がよく似合う。

婦女之図(ものおもひ) 上村 松園 明治30 年代  廊下に立ってどこかを見るでもない女。前栽の白い花が愛らしい。読んでいたのは草双紙だろうか。
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美人 池田 蕉園 1913  小舟にもたれる。着物は白椿柄か、葉は鹿の子。文字も見える。細めの帯で、近世美人画のような趣がある。
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こんなにも名品を持つ青梅市立美術館。
遠くても行く価値の高いコレクションだと思う。
本当に出かけてよかった・・・

横トリで<忘却>出来なかったもの

横浜トリエンナーレに行った。
現代アートが本気でニガテだが、それでも面白いものは面白い。

今回のタイトルは「華氏451の芸術:世界の中心には忘却の海がある」
どういう意味かは知らないので、サイトを見る。
知らない人はこちらへ。
知らないわたしはコンセプトの紹介を読んで「なるほど」と言ったが、それで納得できているとは限らない。

横浜美術館にゆく。新港ビアはムリ。
入り口前の錆び錆びの可愛いコンテナは気に入った。
ただ、作者とわたし(シロートの観客)との意識の落差はあるだろうと思う。

自分の観たいものだけを見た。
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佐藤春夫の詩集。こういうのにやっぱり反応する。

ひどく可愛いものをみた。
松井智惠の「一枚さん」シリーズ。IMGP3188.jpg

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IMGP3183_20141024005351376.jpg 知ることが出来て嬉しい展示だった。



大目的はイェイツ「鷹の井戸」の写真や衣装。
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紹介はこちら。IMGP3197_20141024011741b6c.jpg
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知的な横顔。IMGP3196.jpg

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この「鷹の井戸」は伊藤道郎の紹介記事で見たとき、背筋に電流が通ったような気がした。
あれは「アサヒグラフ」での連載だったか。
もともとこの時代のモダンダンスには非常に関心があるので、今回こうして目の当たりに出来てうれしい。

2011年には早稲田で伊藤家の展覧会もあった。
そのときの感想はこちら
タイトルは「表象とかたち 伊藤熹朔と昭和の舞台美術」
もう一つの展覧会と併せて紹介している。


それから坂上チユキの青く美しい世界を知ることが出来たのも喜ばしいことだった。
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ラピスラズリやトルコ石も使われている。彼女の神話世界を旅したい。
この曲線はどこへ向かうのだろう。IMGP3202.jpg

コーネルの箱もあった。不意に現れたので、一瞬今の若手のヒトのものなのかと思った。
そうか、やはりコーネルは時代を越えて宇宙を閉じ込めている。

奈良原一高の「王国」シリーズからトラピスト男子修道院の「沈黙の園」、女子刑務所の「壁の中」が並ぶ。
ここでわたしは「世界の中心には忘却の海がある」というタイトルを思い出す。
世間からは時折思い出されはしても、常には忘却されている存在。
それが日本の修道院の修道士たちと、女子受刑者なのだ。

内省的な方向へ進むべきか、客観視するだけにとどめるか。
そのようなことを考える。
これもまた「忘却」できない作品群ではないか。

存在としては忘却されているにもかかわらず、このように他者の視点で写真という枠内に封じ込められた存在・風景は、想像以上に重いものになり、見たものに忘却を許さなくなる。
その矛盾についても考えるが答えは出ず、ただただ眺めるばかりとなった。


同じ写真でもピエール・モリニエの強烈なエロティシズムを放つ作品は、やはりちょっと子供には見せたくない。
<ドキドキする特権>を大人は守り、子供にはその愉しみは許さないようにしていたい。

思った以上に楽しめた。
しかし実際に作者の意図をわたしがきちんと受け止め、理解しているかは定かではない。
わたしの偏りすぎた視界の中では、理解できないもの・興味のないものは見えてこないのだ。

11/3まで。

菱田春草 展

東近美の「菱田春草」展に行った。
春草は夭折したが、残された作品は死後百年を経ても輝きを失わない。
盟友の横山大観は長命を保ち、全生涯を「日本国第一の画家」として過ごしたが、春草も長命を保てば日本画の歴史を変えていたかもしれない。

しかしそうはいっても、春草の絵にはある種の侘しさもしくは諦念にも思える何かがあり、長生した大観や彼より年下だがやはり長命を保った前田青邨や鏑木清方にはないものが、春草にはある。
それがどういったものかは言葉では表現できないが、春草の作品に時折それが現れているように思う。
そしてそれは画風は違うが、同じく早世した速水御舟、小茂田青樹にも共通して見いだせる何かなのだった。

病死、事故死、自死など様々な死に方がある。
生まれる法則は少ないが、死のありさまは百を超える。
死ぬ気もないのに死んだ画家もいるが、皆どういうわけかある種の共通点が作品に浮かび上がる。
それは「そんな絵を描くから」と見るものを衝く、どう見ても早死にするものにしか描けない絵を<描いてしまう>ことなのだった。

春草の若い頃(彼の晩年は早いので、常に若い頃、と言っても本当は間違いではない)の絵にはむろんそんなものは見えない。
美の儚さ、生の不確かさを描いた作品であっても、そこには作者の死を予感させるものはない。

三年ほど前、彼の郷里の長野県の、二つの美術館で「没後百年展」が開催された。
善光寺のところの長野県信濃美術館と飯田市博物館とである。
前者の感想はこちら

春草の大きな展覧会はこれくらいしか見たことがない。
それ以前には小規模ながら明治神宮宝物室で上質な展覧会が開催されたくらいではないか。
その時の感想はこちら

この二つの展覧会をはじめ、他の展覧会でも春草の絵を見る機会は意外に多い。
関西でもたとえば上村松園さんが春草を尊敬していたこともあって、折々に奈良の松伯美術館に春草の絵があらわれる。
ひとつ面白いことに、美人画(春草の描く女人はむしろ<佳人>と称されるべきか)の場合、春草その人の心配をする必要がないくらい、描かれた人の人生は悲しくとも、妙に元気さを感じもする。
そういう意味で、春草の美人画はこちらも安心して楽しめる。

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若いころから早い晩年までの作品が並ぶ。
春草が「秋江」だった頃の作品。
そして五浦への流謫生活。
中央へ復帰して、更に新しい画境を目指した、心の遍歴時代とも言うべき時代の作品。
こうして眺めると、完全な満足というものは、春草にはまだなかったようにも思う。

特に好きな作品ばかりを挙げてゆく。

梵天羅刹天像[模本] 1895  だが、既に菱田春草の絵になっている。

四季山水 1896  白い女郎花のような花が咲いていた。睡蓮の円満さの欠けた葉っぱが浮かぶ池。深秋の様子がいい。

拈華微笑 1897  台の獅子のレリーフがとてもいい。そこにばかり目が向くくらい。

これまでしばしばブログ上で挙げているように、朦朧体のどこが当時の人々の悪評を買ったのかがわからない。
つまり朦朧体が世に出て百年以上過ぎたので、その時の衝撃というものがこちらに伝わらないのだ。
これはプレスリーやビートルズの出現で「音楽の認識が変わった!」という当時の人々の気持ちが理解できないのと同じなのである。
わたしが音楽を聴きだす頃には、既にもう彼らの音楽は「あった」ので、その革新性がわからないのだ。
そういう意味での「朦朧体の悪評がわからない」のである。

寒林 1898  白灰色の林の中、しぃんとした空間のほぼ中央に白い猿たちがいる。これは長野では重要な作品として大事にされていた。
この侘しさに魅了される。しかしそれを声高にはしたくない。そんな作品である。
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武蔵野 1898  雀か百舌鳥らしき鳥がいる。そういえば御舟にも雀にしては目つきと嘴が鋭いなと思う雛の絵があったが、あれはモズだった。
これはどちらなのだろう。

菊慈童 1900  可愛いね。画像はトリミングしたもので、実際はとても巨大な空間にぽつんと一人たたずむ姿を描いている。背景のもあもあとした空気感、これが当時の人々には受け入れがたかったのだろうか。
わたしの中でこの菊慈童は、数多の内でも特に愛らしい子だと思っている。
以前にブログで菊慈童の特集を組んだときにも出演してもらっている。

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菊と梅の美しいふたり。

羅浮仙 1901  こちらも随分前から好きな佳人で、やはり「梅の佳人」ばかり集めた記事に出てもらっている。

蘇李訣別 1901  蘇武と李陵。あくまでも漢に忠誠を捧ぐがために辺境でヤギ飼い、かたや恭順することで高官に。
この二人の生き方の違いはそれぞれ理屈もあり、正当性もある。
そしてそれを弁護した司馬遷にもとんでもない禍がふりかかるのだが。

暮色 1901  この絵などは京近美で観る度に深い寂しさと諦念と、そしてどこか静かな明るさを感じる。

紫陽花 1902 img890.jpg
この絵は7年ほど前の足立美術館所蔵品展で初めて見たものだが、その時も今も全く同じ感想を抱いた。
「…こんな絵を描いてたら早死にするよ…」
冒頭に挙げたように、夭折を約束されたものだけが描きうる世界だった。
嘆息するしかなかった。

鹿 1903  可愛いバンビである。水を見る。撫で回したくなる鹿。

五月1906  大倉集古館に行ってこの絵があることを確認すると嬉しくなる。

先日TVでみたが、春草の絵には独自の色彩感覚があるようで、西洋絵具も使用している。それを感じとるのもたいせつなのだった。

いよいよ落葉をみる。
春草の到達点はここで、もう終わってしまうが、しかしその時間がもう少し長ければ、また新たな表現を、と思わずにはいられない。

様々な『落葉』が並ぶ中を逍遥する。実際には人が多くてそんなことは元からできないのだが、イメージである。

ふと気づけば地面に落ちている落葉のうち、まだ色の綺麗なものがあった。
そして外線をしっかり取った落葉がいくつかあるではないか。
まるで「トムとジェリー」で背景のはずの石がいきなりぐらりと動き、トムなりジェリーなりを襲う、そんなあれを思い出した。
ここでは雀たちがその被害者になるようだった。

雀に烏 1910  みんなびしっと枝にとまり私語厳禁、という雰囲気の雀たち。
まるで戒厳令のようである。その一方、丸い目をした烏はきょとんとしている。
妙に可愛い。

白に頭に斑がついた猫が現れる。やがて可愛い黒猫たちがぞろぞろ。
これだけでも見に来た甲斐があったというものだ。
可愛くて可愛くてドキドキした。
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ここで全然関係ないが丁度今家には黒猫3兄弟と白で頭にぼっちり黒のついた猫がいることから、かれらに春草の絵の猫たちのポーズを強要してみたところ、全員がまったくいうことを聞かないというヒゲキが起こった。
ご参考までに。 
白ぼっちは逃げ出してしまった。

春秋 鳩の色が綺麗なグラデーションを見せる。徽宗の鳩の絵を参考にしたのだろうか。その鳩の居る枝の葉がアールヌーヴォーを思い起こさせた。

もう少し時間があれば、と思う反面、時間がなかったからこんなにも純度の高い作品が生まれたようにも思える。

11/3まで。本当にいいものを見せてもらった…

ピエール・シャローとガラスの家

夏から汐留ミュージアムで開催されていた「ピエール・シャローとガラスの家」展を、閉幕寸前に見た。
つまり、現在はもう次の「デ・キリコ」展の準備に忙しい汐留ミュージアムなのである。

副題に「ポンピドゥー・センター・コレクションが魅せるアール・デコ時代の革新」とあるように、彼の活躍期はアール・デコ全盛のはずなのに、ちっともアール・デコな感じはないのである。
モダンムーヴメントの方に傾いている、と思う。
しかしアール・デコもまたモダンでシャープで、日本風に言えばハイカラだったことを思えば、それもおかしくはない。

例によって簡単に感想を記したい。
そう、終わったからと言ってスルーは出来ない展覧会なのだった。
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最初はシャローは家具職人だったそうで、各種の家具の設計図面現物の写真、その「立体資料」などが出ていた。
この「立体資料」というのがよく考えればわからない。
現物そのものではなく同型のものだと判断すべきなのか、それとも世界に一つの手造り品ではなく工業製品なので、全にして個、個にして全という存在なのか。
まぁそのあたりのことは考えず、ただただ目の前にある資料を眺めよう。

1920年肘掛椅子がある。写真で見る限りとても今風である。この時代に生まれたものが今のスタンダードになったのか、それとも真ん中の時代をすっ飛ばすほどの未来性があったのかはわからない。

シャローはデュフィとも友人だったそうだ。
かれは当時の前衛アーティストと交流があった。

修道女と名付けられたフロアスタンドがある。柄はまっすぐ黒く細く伸びて上の照明部分を支えている。その照明部分が面白いのだ。
二等辺三角形または不等辺三角形のアラバスタ―を材にしたプレートを四枚不規則に(しかしシャローにはある法則があるのだろう)重ねつつずらして並べていた。
レバノンのさる民家がアラバスタ―を窓ガラスに転用している、ということを聞いたことがあるが、たしかにこの素材は光を柔らかく通してくれる。いいアイデアの商品である。

そしてこのフロアスタンドのデザインを転用した壺もある。
1923年にこれらが生まれている。やはりかっこいい。

翌年にピカソの描いた「シャルロット菓子のある静物画」もそこにあった。キュビズム絵画だが、遠目から見た石山切に見えなくもない。

シャローの1923年はアラバスタ―年というべきかもしれない。
テーブルランプを始め、照明器具のために庇型、L字型などに切り出したアラバスタ―のプレートがたくさんあった。
わたしなどは実用一点張りだが、イメージとしての「素敵な内装」には、このアラバスタ―の存在が嬉しい。

シャローが開発した、と言っていいのか「扇状」のテーブルがある。
その設計図と写真と現物とがある。
現在なら「ビフォー、アフター」で出てくると「なんということでしょう」と褒められるような、収納可能な扇状テーブルである。
これは上から段状に現れる。しかし現物を見ながら、実際にはどれほどのものが置けるのか、と考えた。つまり実用性については甚だ疑問的なのである。
巨大な扇ではなく、開ききったところでも20cmあるかどうか。
そこに何が置けるかというと珈琲くらいで、ケーキ皿は置けないのである。
他の扇もそうで、中には鉛筆くらいしか置けそうにない部位もある。

ただ、非常に魅力的な作品だった。商品としての魅力がある。
買いたくなり、買って、後で「どう使うかな」と考えなくてはならない作品なのである。

机の機能ということを考える。純然たる机としてなら、この扇は袖ということになり、機能よりも装飾ということになる。抽斗も作れない。作ろうとする場所にはこの扇状の収納庫があるからだ。
モノイレのないテーブル。モノオキであるテーブル。
可動域はそんなに大きくはない。開いても今度は重量を考えなくてはならない。
ずっと扇を出していたとする。そこの収納庫は抽斗とは言わないが、置き場所にも代用できる。しかしながら、まっすぐにしていたいならこの袖扇は不要になる。
しかし使いたいというか、開いていたい。
悩ましい存在なのだった。


1925年のアール・デコ博のフランスの出品作のためにシャローは働いた。
「フランス大使の館」と「コロニアルスタイルの住まいの食堂、インドシナ・パヴィリオン」とである。
この頃はインドシナも仏印時代だったか。基本的に植民地というものは何故か高温多湿な地域に多い。日本にもコロニアルスタイルの洋館が残っているが、やはりそれは高温多湿の日本で、乾燥地帯の西洋人が日々を凌ぎやすくするために選んだスタイルなのだった。

アール・デコの時代、女性たちの社会進出が華やかに描かれた。
新しい時代の女性、という呼称は何も日本だけのものではなく、文明社会においてほぼ同時多発的に始まったとみるべきだった。

女性たちのための化粧台や食堂などのデザインがある。
合理的な化粧台があった。全体はマホガニー製で、中央部分に楓材のパカッと開く部分があって、内部に化粧品が収納できるようになっていた。
こういうのはいいな。わたしも好き。使い勝手がよさそうである。

観るだけなら装飾の華やかなものが好きだが、現実に使うものとしては、機能性をとことんまで追求したものが欲しい。

とはいえシャローの1927年の「木と金属」シリーズはシンプルすぎて、到底作業台以外の何者にも見えない。可動式なのはいいが、ちょっとこれは楽しくない。生活に潤いがなくなる。

シャローは家具から建物の設計に移行していたが、ここにあるサロンや子供部屋の透視図などを見ているとモダンすぎてシンプルすぎて、何にもなさ過ぎて、ちょっとさみしいというか…物であふれさせたくなる。
こういう反動的な気持ちを起こさせるくらいのシンプルさなのである。

アパルトマンの模型がある。全部白いのは色塗をしないからではないらしい。これを見ていると、1970年代半ばの「リカちゃんの白い家具シリーズ」を思い出す。わたしもそのシリーズの家具をいくつか持っている。

金属への嗜好が深いのか、椅子がすごい。
すごいとしか言いようがない。

扇形構造の折りたたみ椅子。これはイギリスで特許を取っている。
見ると有馬や城崎などで土産にある、ビロビロリンと鳴くおもちゃの箪笥を思い出した。
実際にあの椅子に座るのは難しい、というか座ると腿裏が痛くなりそうな放物線を描いている。
椅子はやはり座って安楽さを感じるものでないといけない。
これはデザイン優先で実際に使えるのかどうか。
それとも日本人には無理でも西洋人にはいい椅子なのだろうか。
折り曲げた膝に当たる部分の厚み、これは痛いと思うが…
斜めに跳ね上がりそうな椅子が多かった。

最後にガラスの家の特集があった。映像も大小それぞれガラスの家の資料を映す。
医師の邸宅である。中庭などからの視点も興味深い。
しかしガラスとは言うても強化ガラスであり、安易に壊れたり中が透けたりするものではない。
また観念的な「ガラスの家」ではなく、現実のガラスの家というものを今回初めて見ることになったが、ちょっとどうかなあとも思った。

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夜も光をたくわえ、内側から光を放つ。庭がうつりこみ、玄関側も表情を変える。
グリッド窓はまるで細胞質の集合体のようで、神経がその隙間を走っているかのようだ。
ガラスのファサード。照明により夜は外側から見れば、中の人も家具も影絵のように見える。
人は動き、家具は動かず、物語を演ずる。
ここは非日常空間であるべきではないのか。
そんなことを想いながら見ていた。

ガラスブロックの現物が来ていた。
23x23くらいのサイズで厚みはわからない。
半透明にも見えた。

この家のための様々なインテリアも設計していた。
果物掛けのついたフルーツ皿が面白い。バナナ・。フックということだろうか。
ブドウ、サクランボを吊るし、下の鏡に映すという発想が面白い。

かまぼこ型の家の模型があった。
このカタチは日本では歌舞伎でうらぶれた人の住まうかまぼこ小屋ということになるが、アメリカでは米軍の避難施設なのだそうだ。クォンセットという。かまぼこ型プレハブを家に転用したのだ。
こういうところも面白かった。

深く考えさせてくれる展覧会だった。

名画を切り、名器を継ぐ

根津美術館「名画を切り、名器を継ぐ」展は、今後の自分の古美術に対する立場・意識・視線を変えさせる契機となる展覧会のような気がする。

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善財は道を尋ねて文殊に会った。
華厳経の善財童子は文殊菩薩から多くの善知識に会い、自身の修行をせよと導かれる。
彼は最初から賢い子供だったわけではなく、その道の達人たちに出会い見聞が広がることで賢くなっていった。
わたしは自分もまた善財童子のように様々な善知識に会うて(多くの美を観て)、修業している気でいた。

古代から日本には聖徳太子の勧めた「和を以て貴しとなす」という意識が生きている。
よい解釈をすれば、みんな仲良く思いやりをもち、争わずにいようということだが、これはわるく解釈すればナァナァ主義で行こう、ということである。

お宝が一人の手の内にあるとする。
それはみんなが欲しいものでもある。独り占めをするな、こっちにもよこせ。
やがて持ち主が手元不如意になり、それを手放さざるを得なくなる。
売り立てという手段がとられる。
アリのようにそこにたかる人々にはカネがある。
カネはあるのに越したことはないが、ありすぎるカネは持ち主を傲慢にさせる。
飛びぬけてカネモチな連中が寄り集まると、必然的にここで「和を以て貴し」精神が発揮され、みんなで分けようということになる。
食べ物や着る物を分け合うのはいいことだが、ここで分けられるのは一個の完成した美術品である。
必然的に人数分の分割という手だてが採られることになり、尊い美術品はバラバラにされ、ついには巡り合うことはおろか、どこにいったのかさえ分からなくなることになってしまう。

この分割というのは近代だけのことではないのだが、近代が特にひどい。
政治システムが大きく変換した明治維新、経済が大きく動いた大正から昭和前期、そして世界大戦で完全なる敗戦国となった時、この三つの時期に大分割または割譲が行われたのである。

今回の展覧会の趣旨がサイトに挙げられている。
非常に胸に刺さる一文である。
「今日私たちが目にしている古美術品は、長い年月を人から人へと受け継がれてきました。その間、経年変化や、所有した人あるいは時代の好みにより、切断されて新たに表装された絵巻や古筆、破損して補修された茶道具など、制作時と形を変えたものが少なくありません。それらは、私たちが今日当たり前のように享受している鑑賞スタイルや作品のあり方、美しさの感じ方にひとかたならぬ影響を与えています。
本展は、将軍や茶人をはじめとする所有者たちによる改変が、どれほどの深い愛情と驚くほどの創造力をもって行なわれたかを、国宝4件、重要文化財35件を含む約100件の名品によって知る機会といたします。

いい解釈をすればこのようになるが、わたしは今回ほど、その<先人>たちの<愛情>とか<創造力>とかいうものに、異議を唱えたくなったことはない。
傲慢さと、ある種のグロテスクささえ感じてもいる。

とりあえず、見て回っての感想である。
あくまでもこれはわたし個人の感想なので、異議を唱えられても知ったことではない。
その意味では後世のわたしが<先人>たちの行いを論うことになるのも、向こうからは「知ったことか」になる。


石山切が壁にずらりと並んでいた。
ここへ来る前に五島美術館でも見ているから、この日だけで6点の石山切を見たことになる。
一枚だけで見たときは「王朝継紙」の美を感じ、賞翫したいとさえ思った代物だが、こうして壁に仲良く並ぶ姿を見ると、シュールな情景を見ている気になって仕方ない。コンポジションだとも思える。
非常に面白く思った。
意識の転換というものを実感したのである。

チラシにはこのように非常に興味深いことが載っていた。
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瀟湘八景図 漁村夕照 牧谿  灰色の波が優しく打ち寄せる。

廬山図 玉澗筆 自賛  これを2/3にカットしたのは武人茶人として名高い佐久間将監…てあのネコおやじの佐久間か。

夕陽山水図 馬麟筆 理宗賛  父皇帝から14歳の公主へ。なんと書いたかはわからないが、ちょっとばかりほのぼのとする。

倣高克恭山水図巻 雪舟等楊筆  右に小さく二人が対峙する姿がある。カットモンタージュぽいような。

古写経手鑑「染紙帖」 奈良~南北朝時代  そもそも「染紙」とはお経のことらしい。
光明皇后、中将姫、菅公、白河院、後鳥羽・・・・・・

崔子玉座右銘 断簡 空海筆  これをもらった探幽が見返しに高野山や和歌の浦の絵を描いたそうな。

手鑑などのように世に散逸しそうなものを集めて一つにする、というのは名画カットとは違うように思う。とはいえ、それも元から剥がすという行為が入れば別だが。

どうも名画カット、名器割継というものには「剥がす」「毟る」「壊す」「無理矢理」という言葉が思い浮かんで離れない。

ただ、前述のように名画カットでカネモチみんなでシェアする、というのはそこに巨額の利益が生まれ、世に送った側が「これでなんとかなる」という状況を得るのは確かなのだ。
石山切がこんな風にコンポジションみたいな情景だったとは、ちょっとした衝撃だったが、これをカットして販売したおかげで学校が作れたのだ。
子女教育を施すためのやむかたなしの所業なのである。
そのことは理解しなくてはならない。

鳥獣戯画断簡  今京博で全巻展示中だけど、これは断簡。ええとどういうことかな、とかはもう考えない。
秋草の咲く頃、猿の母子がゆく。子をおんぶしながら。カエルの父は子を肩車。物売りもいて、平安な日常がそこにある。

地獄草紙断簡 火象地獄  ゴーーーーーッ ゾウさんから炎。

病草紙断簡  これはヨレヨレになっていたのをさらにカットして小奇麗に仕立て直したそうな。あばら家で何かしているようだが詳しくはわたしにはわからない。

平治物語絵巻 六波羅合戦巻断簡  カッティングがね…全体像を想うとやはり絵巻そのものが可哀想。好きなところでトリミング、というのはやはり絵巻著者と後世のものに対しても失礼だと思う。
先年、静嘉堂文庫で他の巻を見たが、断簡というものはやはりよくない。

そして今回佐竹本から小大君と小野小町と、まさかの斎宮女御が来ている。三美人隣り合わせのかち合わせ。何年ぶりかな、斎宮女御みるの。小野小町もいつ見たか思い出せない。
このときの断簡の裏事情やどんな方法だったか、誰に何が当たったか、ということについては本も出ている。

三十六歌仙絵巻の流転―幻の秘宝と財界の巨人たち (日経ビジネス人文庫)三十六歌仙絵巻の流転―幻の秘宝と財界の巨人たち (日経ビジネス人文庫)
(2001/06)
高嶋 光雪、井上 隆史 他



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駿牛図断簡  東博本と文化庁の二頭の和牛黒毛牛がいる。文化庁の方がやや大柄で立派、東博のは見返り牛でちょっと細い。こちらの中回しは車輪柄。
断簡にすると、再会した時は牛の品評会になってしまう。

十二か月花鳥図 尾形乾山  2月、9月、11月の三幅が出ていた。
それぞれの月の花と鳥とを合わせていて乾山ではやきものでそれは見ていたが、軸物はあまり知らない。定家のを始祖としてそれを絵にしたりやきものにしたり、抱一まで続く。
櫻に雉、芒に鶉、白花木と千鳥たち。優しいいい絵。

裂手鑑「古織紋鑑」地  芝山純子のその青緑の綺麗さにときめく。徳川美術館所蔵。
MOA所蔵のそれは元は不昧公のもの。こちらもいい。

唐銅三具  明代の青銅器を寄せ集めて1セットにした。
こういう集め方はわるくないと思う。そこにコレクターの美意識が輝き、見る側も不快感など受けず、気持ちよく眺めることも多い。

無地真形釜 蘆屋 鎌倉時代  可愛い尾垂である。そうだ、壊れたものを継ぐ、のはこの釜でなら「素敵な再生」になる。鋳掛の仕事。

夕顔文尾垂釜 蘆屋 室町時代  これまたうい奴よのう。元々は真形だったとか。

要するに日本の尊い意識の一つ<もったいない>精神が生きるものはそんなに罪深さを感じないのだが、わざわざ破損させて、そこに継ぐ、という行為が気持ち悪いのだ。

やきものを見る。
「名器を継ぐ」。継がれるほど壊れていたものを再生ならまだしも、わざわざ割るのはやはり気持ちよくない。

小学何年か忘れたが、教科書で読んだ話である。
中央アジアあたりの伝説で、あるやきもの名人の老人のもとへ王様から大事な碗が割れたのを修復せよと命が出る。その白い茶碗(たぶん白磁か)は到底継げそうにない。
苦悩する老人。やがてついに元通りの白い碗が王様のもとへ帰る。
王様は大喜びし、やきもの名人をねぎらうが、老人は口数少なく御前を下がり、それきりやきものをやめて引きこもる。
名人のその技術を習得したいと大勢の弟子入り志願の若者が訪れるが悉く退けられる。
彼らは老人の悪口を言う。中に以前からの弟子が(もしかすると娘婿かもしれない)いて、彼はなんとか名人の仕事の秘密を知ろうと苦心する。
ある日、ついに若者は名人のアトリエに入り込み、そこである秘密を発見する。
王から渡された、割れた茶碗がそこにそのままあったのだ。
つまり到底割れた茶碗を元のままに復活させることなどできないので、それとそっくりな碗を焼き上げようと、名人は精魂傾けていたのだ。
ついにそれは成ったが、しかしそのことは誰にも言えることではない。
素晴らしい名碗を拵える技能が身にあることも人には言えない。
本物以上の本物を拵えたが、それは王を騙したことにもなるのだ。
それで誰にも真相を語らず、自身の仕事を絶ってまでもその秘密を、技能を封印したのである。

わたしの意識の中に今も生き続ける物語を紹介した。

そしてもう一つ、わたしが感銘を受けた物語が「木守」に関わる物語なのだ。
利休が弟子たちに好きなものを選べと出した茶碗の中で取り残された一碗。
それを木守り柿に見立てる利休。高松の松平家に長く伝えられたが、関東大震災で完全に砕けてしまった。
だが、のちに元の碗への愛情から、破片をとりこんで再現したそうだ。

その木守が出ていた。
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ジャイアントコーンの胚芽部分のようにも見えるが、愛情が感じられる「再生」である。

志野茶碗 銘 もも  「百」のももだろうか。荒川豊蔵が寄せ集めて拵えたもの。だからこれは桃山時代と昭和11年の共作だという感じがある。

白磁壺  朝鮮王朝時代  巨大な白壺である。志賀直哉と縁のあった壺だが、東洋陶磁美術館から盗まれた際、万死に値する盗人のために粉々、文字通り粉砕されてしまったのである。
それを警察の鑑定かな、その特殊技術をもって、綿密に繊細に粘り強く取り組んで、このように完全な形で蘇らせてくれたのだった。

青磁貼花牡丹唐草文瓶  秀吉が修理させたという伝承がある瓶。綺麗な頸が折れたのを惜しく思い、補修する。
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上記のような継ぎものにはそこに確かな愛情を感じるのだが、次にあげる作品が非常に惨たらしい、酸鼻と言うべきものを感じさせられた逸話を持つ。

信楽壺 銘 破全  高橋箒庵に完全だが面白みに欠けると言われて、砕いたところ失敗して粉々にしてしまった。翌日それを見た茶人仲間、就中、鈍翁が絶賛した…
こんな逸話を持つ壺である。
カネモチ茶人の頽廃というより、これは無礼傲慢の極みの行為である。愚劣な話だ。酸鼻と言うべき行動である。よくもそんなことが出来たものだ。
元からの作品への尊敬の念も何もない。金に飽かして何ということをするのだ。
そしてここには綺麗な金継ぎがされたものがあるが、この<風情>を喜ぶ連中は、きっと継ぎ接ぎだらけのフランケンシュタインをグロテスクだと眉をひそめるのだろう。

この逸話でもう本当にわたしは腹が立ってしまった。
こんな連中の美意識に踊らされて、連中の<拵えた>古美術を有難がっていたことにも腹が立っている。

過失や経年劣化で割れたり破損したものを修復する、そこに美が生じるのは喜ばしいことだが、わざわざ完全だったものを砕いて異形のものにする。
吐きそうになった。

司馬遼太郎「割って、城を」という短編がある。
そこにもこんな話があった。
老人は完全な茶碗をわざと割砕き。歪ませて継ぐ。そこに生まれるものを愛でる。
その孫はその行為を許せない。ただしこの孫はゲイであり、司馬さんはそこにあるこの青年の<ゆがみ>こそが、老人のゆがみを好む精神を許せぬものなのだ、と描いていた。
わたしもこの青年に賛成している。

憤りのあまり興奮してしまった。
最後の最後で非常に気分が悪くなったので、再度見て回ることはせず、他の部屋へ行く。

伊勢絵と源氏絵が出ていた。
伊勢物語絵 板谷広長  庭にウサギも遊び、斑犬も廊下にいたりする。菊もよく咲いている。どの段というより風情を楽しみたい。

土佐派と住吉派の源氏絵が並び、いずれもよかった。
土佐光元のは柏木が猫を抱っこしているし、光起は近代的でさえある。
そして住吉具慶のはリアルさがあった。

秋の茶道具を見る。
螺鈿虫文香合 明―清  バッタが蓋に!可愛いね。縁は七宝繋。

州浜型平鉢 備前焼  見込みに牡丹餅8個が浮かぶが、むしろタン塩のようで、非常においしそうだった。


ちょっと考えさせられる展覧会だった。
少なくとも今後はますます鈍翁に対し批判的な目を向けることが多くなると思う。その周辺にもまた。
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11/3まで。

鏑木清方と江戸の風情

千葉市美術館で「鏑木清方と江戸の風情」展が開催されていた。もう終了した。これも行くのが出遅れた展覧会だった。簡素に感想をあげる。

基本的にほぼ毎回、鎌倉の清方記念美術館に出かけている。子供の頃から清方の作品もかなり見てきている。
挿絵もたいがい見知っている。
・・・という前提がアタマの中にあったがため、初見の作品を見て軽くパニクったりした。
しかしそれは嬉しい焦りだった。
新しい喜びがそこにあるからだ。
今回は実際のところ鎌倉のコレクションがたくさん集められているので、馴染み深い絵が多い。
知らない絵と馴染みの絵と。
素敵な選択で集められた展覧会だった。

表紙がやはり千葉市美術館だけに巧い。
虫の音を聞く女、それを見るような春信の女たち。
時間を超えて、何か通じるものがあるように見える。
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明治28年くらいから清方の<活動>が始まり、当時の作品が少しばかり出ている。
まだまだ線も硬いが表情に後年に通じるものが見いだせる。

寺子屋画帖 明治33年 これは以前から鎌倉で見かけていたが、明治のものとは思いもしなかった。
芝居好きだけに巧いとらえ方をしており、1シーンごとに物語が動いて行くのが見えた。

明治33年からの「新小説」のための口絵の仕事が並ぶ。
中には盟友・鏡花の小説の口絵もある。
またこの雑誌は中澤弘光もよく表紙絵を担当していた。

「文藝倶楽部」の仕事も多く出ている。
大方はリッケンコレクションと言うところから出ている。
好きな絵もいろいろあるので、やはり版画はいいものだと思う。

鏡花だけでなく、菊池幽芳らの小説のための仕事も多く、ここでは「お夏文代」の口絵などが出ていた。

ところでこの雑誌の仕事、多忙すぎた。
清方は忙殺され疲弊し、とうとう電車に乗れない人になってしまった。敗戦直後のある日までその神経の動きは続くことになった。

そしていよいよ本画を描く人へ転身する。


ためさるる日 現物を見る前に画集などでみて、そのころから大好きな一枚。
大正半ばころの清方作品は特に好きだ。この艶めかしさにはときめく。
長崎の花魁たちの禁教あらため。
女たちのとろけるような目がたまらない。
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築地明石町下絵 思えば本画を実際に見たのか・画集の記憶なのかが判別できない。
なまじ形・ありようを知るだけにわからないのだ。

花見幕 武家の娘が幕を押し上げて姿をふと見せるところ。色調の美しさがいい。
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春雪 こちらは武家の奥方。羽織を畳んでいる姿。表情にゆとりがある。
この絵を昭和21年に描きあげたところに清方の心のしなやかな強靱さを感じる。

今様浅妻舟 琴柱の文様の着物を着ている。白拍子スタイルではない。そこが今様なのかもしれない。というてもいつの「今様」だかはわからないが。
あだな女。

夏の日盛り 金魚玉を持つ女。あっさりといい絵。

清方は昭和47年に96歳でなくなったが、戦後の「苦楽」誌の表紙絵や口絵まではまだ線も崩れてはいないが、さすがに昭和30年代頃からは下絵なども線がよれている。

朧駕籠 明治40年 この名前は幽霊の乗る駕籠を示している。ぼうっと立つ女の足下は隠れている。
シャクナゲも咲いていて、季節はそのころ。目が離れている顔。これは45年後の「夏ざしき」の女によく似ている。
近松の心中もののおかめ与兵衛のおかめ。女だけ死んで、生き残って坊主にされた男に会いに来たところ。
秋元松代「近松心中物語」では梅川忠兵衛の悲劇に対し、こちらのカップルは喜劇として描かれる。
しかし喜劇の方が時として重いものである。

西鶴 五人女のおまん 明治も末になると清方の絵もだいぶ艶めかしくなってくる。そもそもこの話も官能的な話で、ゲイの源五兵衛をその気にさせるためにおまんが男装して、という状況なのである。
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川端龍子が会場芸術を標榜して巨大な絵を拵えたのと真逆に、清方は「卓上芸術」を標榜して、手元で楽しめる芸術に邁進した。

註文帖 鏡花の小説から13シーンを選んで絵画化したもの。ここに出ているのは昭和2年版。
こちらの画像は同時期に鎌倉で展示された昭和10年版。
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武家の娘がご維新で没落し、何もかもを玄関先で売り立てているところ。後にこの娘は遊女になり、悪縁をつないだ男と心中して自分だけが死ぬ。
男の縁者とその遊女の抱え主の家の娘とが後世に逢うたことで祟りが<発動>し、ついに遊女の執念が勝つ。

端正な清方の画面の端々に、怪異が密かに流れている。
この物語を絵画化したのはこの清方と漫画家わたなべまさこの二人だが、おそらくこの二人以外には不可能かと思われる。
現代では、わたなべまさこほどの流麗な絵と彼女の醸し出す怪異性がなくば、この作品は描けないのだった。

清方は鏡花の没後に遺族代表として宮中に参内するほどだったが、タブローを描くようになってからは装丁や口絵も手がけなくなった。
小村雪岱が鏡花のために多くの仕事をしている。
清方は雪岱の仕事と人柄とをかっていて、自身の随筆集「銀砂子」などの装丁も頼んでいる。
その三人のみごとなコラボが鏡花最後の「薄紅梅」である。清方の口絵に雪岱の装丁。
素晴らしい美本である。

清方は酒を飲まないので毎月の九九九会にはたまにしか参加しなかったが、会員との関係もよかった。
鏡花の死後、後を追うように雪岱、岡田三郎助、水上滝太郎らがなくなり、少し間をおいて久保田万太郎もなくなり、会とは関係ないがつきあいのある谷崎も昭和40年には逝ってしまった。
昔なじみは妻と弟子たち、派は違うが同じ画家仲間がいたが、それも段々にあの世にいってしまう。
最愛の妻お照に先立たれたとき寝込んでしまい、唯一里見弴にだけは会ったという。
弴がそのときのことを随筆に残している。
長生きというのもせつないものなのだと思った。

夭折の樋口一葉の小説を愛したのも有名だった。
「たけくらべ」の絵を少年の頃の肉筆同人誌にも描いているし、「一葉の墓」も若いうちに描いている。
そして昭和9年には「にごりえ」を15場面描いている。
これは時折鎌倉にも出るのでなじみが深い。

手元でいくらでも楽しめる卓上芸術のすばらしさに酔う。

娘道成寺 同年昭和3年の、一枚ものの手ぬぐいを噛むところを描いたものもよいが、こちらは15面もの。12枚で白拍子花子の着物を次々に変えて行く姿を描いている。
ほかの絵師でこのような試みをした人は見たことがない。
この演目の本質をよく捉えているように思った。

前述のように電車恐怖症というかスピード恐怖症になった清方は遠出ができなかった。しかし車で移動は出来たので、かねてより憧れていた金沢文庫に別業をもつことになった。
夏生まれで夏好きな清方は夏の暮らしを金沢で送り、機嫌よく絵日記をつけ続けた。
完全なプライベート日記ではなく、公開を予め予測しての絵日記である。

大正年間の楽しい暮らしを活写する中で特に感じがいいのは、子供たちの様子を描いたもの。
カラフルな雨合羽を着たところや、朝顔の世話をするところなどである。
水着も着ている。なかなか二人のお嬢さんは元気もので楽しそうなのがよくわかる。

ほかにも祭りの様子、ダンス、それから次女泰子のけが。階段から落ちてけがをする泰子。回復したときのガッツポーズが可愛い。

こうした絵日記には本画には出ない出せない良さがある。
結局こうしたところに卓上芸術への深い傾きがある。

この展覧会の面白さは清方一人の作品ではなく、かれに影響を与えたとおぼしき他の作家の作品をも並べていることだった。

芳幾 東京日日新聞第一号  これは明治の世相をあくどくきわどく描いた絵入り新聞である。千葉市美術館にはこのシリーズはライバル社のも含めて大量にあった。
2008年には「芳年・芳幾の錦絵新聞」展をここでみている。そのときの感想はこちら

ここでは悪僧が貞婦を殺す情景が一面にどーん。新聞のロゴを持つ二人の天使たちも眉を寄せて悲しい顔で見下ろしている。

釈迦八相倭文庫 絵は三世豊国。人気の読み物で、清方も鏡花もよく読んでいたようだ。
釈迦の生涯をスペクタクルに和風に描いている。
悉達太子が城を出てゆくところ。馬をひく車匿童子もいる。泣く姫の姿がある。

偽紫田舎源氏 これは明治のもので絵は芳幾。面白いのは人間関係の相関図が伏見人形風に描かれているところ。

「文藝倶楽部」の様々な絵師による口絵も並ぶ。
水野年方 外科室  これは鏡花の初期の小説から。玉三郎により映画化されてもいる。
富岡永洗 保険娘  家が火災に遭ったら、と心配する娘。
梶田半古 菊のかをり  女学生が菊の香りを味わう。指輪が可愛い。
梶田半古 羅浮仙  ちょっと西洋風な仙女。赤い衣をまとう。

思えば梶田半古は「魔風恋風」で颯爽と女学生を描いていたのだった。
明治の風俗にも詳しく、その時代のリアルさを示している。

他にも鳥居清長、勝川春章、鈴木春信らの美人画や摺り物などが数多く出ていた。
やはり清方は江戸と明治初期の東京とを愛した人だということをしみじみ想った。
いい作品のそろう展覧会だった。

最後に清方が「自分は明治の東京人だ」として描いた「朝夕安居」を挙げる。
展覧会は「江戸の風情」だが、これは明治の東京下町に活きる空気をそう名付けているのだと思う。
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五島美術館 秋の優品展『絵画・書跡と陶芸』

既に終了したものばかり毎日挙げているが、やはりスルーしたくないし、何より忘れたくない。

五島美術館の所蔵品で構成された秋の優品展「絵画・書跡と陶芸」展はいい展覧会だった。
コレクションは五島慶太が集めたものが大半で、彼は書跡に随分魅了されたようで、大東急記念文庫はその結晶なのだった。

紫式部日記絵巻 五島本第一・二・三段  つい先ごろ藤田美術館で中宮彰子が親王を出産し、お祝いで皆が浮かれている情景を見たばかり。
その感想はこちら

ここでは同年(1008)10/17から後の日記が続く。
1. 10/17 昇進の礼を中宮彰子に啓上しよう藤原斉信と藤原実成が紫式部のもとへ。
来た二人の応対をするのが式部、座敷の奥に宮の内侍。
2. 11/1 王子生誕50日目。祝いの様子。赤子はすやすやと眠る。朽木模様(!)の几帳が見える。
3. 同日夕 宴会。男女いちゃついたりその他モロモロ楽しそうな公卿たちの様子。

社会システムは違うけれど、人間、することは千年経とうが同じか。

色紙帖(新古今和歌集) 光悦&宗達  わりと模様が大きい。書も太字。14点あり。

鹿下絵和歌巻断簡 光悦&宗達 「秋のゆふべを心にそ」のところ。シカップルが仲良く佇む。

紅葉流水図(竜田川図)  これもここの人気の一点。盆山みたいな山を縁取る竜田川。

蝶・菊図 乾山 1740  中が蝶で左右が菊。黄色・白・赤。赤・紫・白。蝶はクロアゲハとモンシロチョウ。乾山78歳の作。
円満な絵。心が騒ぐことはないが、和やかではある。

雪松図 乾山 1743 「紫翠深省81歳画」サイン入り。苔の上にも雪氷。

四季花鳥図屏風 乾山 1743  兄の絵を基にしたのではないか、と解説プレートにある。
鷺と花菖蒲に始まり、餌を探す鷺、アザミ、河骨などもみえ、アクティブに動き回る右隻の鷺たち。飛んでくる鷺たちを見て、地にいる鷺たちは「おーっ来たか」な顔つきで迎え入れる。三羽で飛んできた鷺たちも「来たよー」といわんばかりの顔つき。
みんなけっこう仲良しさんである。
そして左の冬は五匹の鷺が一塊になってモフモフ状態にある。鷺団子。
わりと幸せそうな屏風だった。

十二段草子 室町時代  浄瑠璃姫たちが花見をするのを竹塀ごしに垣間見る御曹司義経。
銀の月のようなものが見える。しかしプロミネンスが渦巻いているから太陽なのか?

十二段草子貼込屏風 江戸時代  およそ百年後の作品。22シーンが貼り付けられている。紅梅に柳櫻、合奏、白犬、赤い衾にくるまる姫と、その枕元に座る御曹司。そのあたりだけでも5枚ばかりある。

大江山絵巻  既に鬼御殿に入り込んでいる。剽軽な山伏として巨大な童子の前で機嫌よく踊っている。他の鬼たちも段々と酔いつぶれだしている。
鬼の首は桶入りと台車に載せられたものと。

しゅてん童子  こちらは伊吹山系。三冊ある。宴席で童子は髪の長いたいへんな美男として描かれている。大きな二重。
そして頼光たちの凱旋。姫たちも馬に乗る。生捕りの鬼たちは籐丸籠に納められているが、しゅてん童子は首だけになり、梨狩りなどでもらう緑の手提げ籠、あれに似たものの中に納められていた。その顔は西岸良平が描く「鎌倉ものがたり」に現れる鬼たちのようだった。

くまのゝ本地  この物語は非常に好きなもので、またとても怪奇な味わいがある。
帝の後宮にいる美女たちのうち、唯一人「五衰殿の女御」だけが帝に侍り、身ごもる。
後宮の女たちからの憎悪を一身に浴び、帝の不在中に山中へ連行されて、首を切り落とされる。切られる直前に生まれた王子が首のない、死んだ母に取りすがりお乳を飲む。
絵は丁度そこを描いている。真っ白な女御の膚と元気そうな赤子と。そして冷厳な首切り執行人たちと。かれらは女御の首桶を持って、山中を後にする。
物語はこの後に山中の獣たちに守られて育った王子が父に会いに行き、復活した母と父と共々人々を置いて天竺を離れ、熊野へ至るのだ。

絵は物語絵だけにとどまらず、仕様書のようなものも出ていた。
車絵様、舞楽図などである。

さて「切」などを見る。
反古懐紙 定家  遠目からでも定家はわかる。学生時代非常に苦労させられたから忘れられない。
中に何が書いてあろうと、ついつい「このやろー」な気分になるぜ。

石山切(伊勢集) 綺麗な継ぎ…(実はこれを見た直後に行った根津美術館で、ずらずらずらりと石山切が並ぶのを見て、単体で見たときに感じた「綺麗さ」が飛び、たくさん並ぶと抽象絵画に見えることを、今回初めて気づいたのだった)

熊野懐紙 後鳥羽天皇  この人は雄渾な字だと常々思っている。四天王寺宝物館にある懐紙には自身の掌印を朱で押していたな。大きな手だった。

和歌懐紙 浄弁 七夕の歌のようだが、中回しが「福」マークのゾウさんたちの行進で、そっちに気を取られた。しかもそのゾウさんたち、みんなカメラ目線なのであった。

渡唐天神 近衛信尹 1610  薄い墨での自由な文字。菅公を描くのは彼の得意技だが、この目の下にじとーっと皺とか感情がにじんでいるな。政治的タイミングの良くない頃。

他に一休、夢窓などの書がある。
そして夏目漱石「門」の生原稿が出ていた。
近年再発見された分も含めて、この大東急文庫には全巻の生原稿があるのだった。

やきものを見る。
黄瀬戸立鼓花生 銘 ひろい子  口べりが広いところからの。

志野茶碗 銘 梅が香  薄い梅色。愛らしい。不昧公所持。

鼠志野茶碗 銘 峯紅葉  @@@というか、四角く一筆書きした薔薇のマークのようにも見える。

他にも桃山時代のものが多く出ていたが、このあたりはまぁちょっとばかり趣味から離れるのでさらりと見た。

乾山色絵菊文向付  形も変則的で中身にいっぱい菊の絵の皿。これも人気者で、色々な場所で見かけるが、わたしももらえるならほしいものですw

三彩六角皿 源内焼  縁に三色のやや薄い色が。岩オコシのような色合い。ちょっと美味しそうである。

このように楽しく見て回ったのだから、即感想を挙げれる速度が欲しいのだが、どうも難しいのだった。

中澤弘光展

既に終了した展覧会の感想を挙げてゆく。
行った日がほぼ終わりの日だったのでこんなことになる。

中澤弘光展が横浜そごうで開催された。
先に三重県立美術館で開催され、その後に横浜に巡回。
いい展覧会だが、関西には来ないらしい。無念。
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もう随分前に東京古書会館で中澤の装幀や口絵ばかりを集めた展覧会が開催された。
その頃すでに中澤のファンだったので喜んだものだ。
その時の感想はこちら

習作(女の顔) (1898~99年) 油彩・キャンヴァス  肩をはだけ胸の上部までをあらわにしている。肌は青白く、頬は赤い。

非水像 1901(明治34)年 油彩・キャンヴァス 東京国立近代美術館 友人の杉浦非水。パイプをくわえている。

風景(ウィツマン模写) 1902(明治35)年 油彩・キャンヴァス 東京藝術大学大学美術館  水をくんだ天稟を担いで歩く女の帰途のその姿。

夏 1907(明治40)年 油彩・キャンヴァス 東京国立近代美術館  近美に行く度にこのパラソル美人に会えるとうれしくなる。

おもいで 1909(明治42)年 油彩・キャンヴァス  東京国立近代美術館 光明皇后の事跡からの幻想的な画。258x128の縦長の大きな絵。佇む女人のその肩より上に観世音菩薩が出現する。皇后の幻視した仏の姿をわれわれもまた、拝む。

舞妓 明治末期 油彩・キャンヴァス  舞妓が少女だということを改めて想う。不健康そうな小さい娘。

まひる 1910(明治43)年 油彩・キャンヴァス 東京国立近代美術館  チラシ。光を感じる。点と面の塗り方で光が現れる。外光。その光のありがたさ・新しさを感じる。

母の像 1911(明治44)年 油彩・キャンヴァス 三重県立美術館  小作りで美人。紫の着物には桔梗紋。口紅は下唇に少し。珊瑚の玉簪を差す。若い頃の母のようにも見える。

海苔とる娘 1913(大正2)年 油彩・キャンヴァス 宮崎県立美術館  清水港での。つまり三保の松原の天女伝説と絡めている。天女が舞い降りてきて、小舟の少女をそっと支える。この娘もなかなかの美少女。まるで天で罪を受けて下界に落とされ、海苔とり娘として働くのを、同朋たちが支えている、という感じ。

海苔をとる娘下図 1913(大正2)年頃 鉛筆、水彩・紙  こちらの下図ではその情景がロングで捉えられていた。小鳥もいた。

海水茶屋 1915(大正4)年 油彩・キャンヴァス 宮崎県立美術館  今でいう「海の家」ですね。くつろぐ半裸の女。背後に今から泳ぎに行くらしい三人の坊やがいる。女は胸もさらしたままで茶を飲み、誰かと話しているらしい。

花吹雪 1917(大正6)年 油彩・キャンヴァス 宮崎県立美術館  裸婦が櫻の舞い散る中、バストアップで豊かに描かれている。その時代の洋画という感じが強い。

かきつばた 1918(大正7)年 油彩・キャンヴァス 東京国立近代美術館  赤紫の花々が咲く中に、はだしで佇む。薄い羅をまとい、カキツバタと同じ色の上衣を羽織っている。胸も見えたままで。

光明(エスキース) 1919(大正8)年頃 油彩・板  赤い仏を拝む女たち。天平の人々。一人だけが立ち、あとはしゃがんでいる。あなたふと なもあみだほとけ。

カフェの女 1920(大正9)年 油彩・キャンヴァス 宮崎県立美術館  これもよく見る絵で、宮崎にあったのか。
ワインを今抜きますからねえ、という声が聞こえてきそう。ランタンが素敵。

しげ子の顔 大正期? 油彩・キャンヴァス  とても少女には見えない。暗緑色。当時の日本人にしてはバタ臭い顔立ちで、不思議な眼をしている。

女の顔 1923(大正12)年 油彩・キャンヴァス  フォーブ風というか、萬鉄五郎風というか。

休息 1924(大正13)年 油彩・キャンヴァス  庭にチェック柄の敷物を敷いて、四人の女がごろーとくつろいでいる。みんな裸婦である。岩躑躅か石楠花も咲いている。シートの端には鏡台もあり、壺には花も活けられている。パラソルもそのまま。

おどりの前(下絵) 1925(大正14)年 油彩・板  ぞろーっと舞妓、芸妓たちがいる。こういうのに匹敵する西洋の集団はドガのバレリーナたちかと思う。

花下月影 1926(大正15)年 油彩・キャンヴァス  東京国立近代美術館 西行の「願わくば花の下にて」をモチーフにしている。ただしここでは全てが女人であらわされる。青衣の女人が地に横たわりこちらを見ている。その身の上に花を散らす女たち三人。薄物を身に着けた三人と背後の湖水。これは瀬戸内海らしい。ここまでの文では古代のようだが、そうではなく洋髪と長髪の女がいることから、当時のリアルな風俗でもある。ただ、気持ちが古代から中世のようなのである。

鵜の森 1940(昭和15)年 油彩・キャンヴァス 東京都現代美術館  うわーっかれた細い木々に鵜鵜鵜鵜鵜… あ、白鷲もいるか。巣もあるし、すごい鵜の森。

女の顔(文子スケッチ) 1942(昭和17)年 油彩・板 洋髪の着物美人。しっかりした感じ。茶色いリボンがいい。

蓮露 1949(昭和24)年 油彩・キャンヴァス  僧正遍照の古今集「はちす葉のにごりにしまぬ心もてなにかは露を玉とあざむく」から。やや太めの裸婦が睡蓮池に立つ。ちょっと若さもない。しかしそこにいる存在感の確かさ、豊かさがいい。

鶴の踊り 1953(昭和28)年 油彩・キャンヴァス  至峰堂画廊  どこか不思議に静かな絵。鶴が来た村で、女たちが喜んで舞うのだが、なぜかしーんとしている。

誘惑 1954(昭和29)年 油彩・キャンヴァス 奈良県立美術館  坪内逍遥「役行者」から。一言主の母である魔女が美女となり、若き小角を誘惑する。手には花を持ち、胸をアピールする。「役行者」らしい跪坐図で、頭上には孔雀明王、足元には邪鬼たちと前鬼、後鬼も。鬼たちはみんな何やら楽しそうである。

(大和)当麻寺中將姫伝説 大正時代? 絹本彩色  背後に塔が立つ。山も木も枯れている。白布がすっぽりと彼女を包み、その顔だけが露わになっている。唇が朱い。かすかに口を開けているのか、妙な表情を見せている。どこか妖しい。
みほとけ信仰のためというより、みほとけのもとで自分を律さなくてはならないが、未練が多いような顔つきである。

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同時代の他の画家たちの絵も少しある。
山羊 油彩・板  山羊と言えば辻永。

逍遥(エスキース)1901(明治34)年 油彩・板  これは三郎助のもの。林の中を白衣の女がゆく。

フォンタネージ将来モデル人形 (制作年不詳)  楳図かずおのマンガに出てくるような…「ねがい」のモクメ。せつない可哀想な人形モクメ。あれに似ている。

ここからは装幀や口絵やスケッチなど。以前に見ているものも色々あるし、中澤の才能の広さを一番感じる場でもある。

乱れ髪歌がるた 1901(明治34)年 墨、水彩・紙  中澤が与謝野晶子「みだれ髪」に熱狂して、夢中で造ったというカルタ。明治はまたカルタのブームの時代だった。
「巳の初春」などは以前から「日本のアールヌーヴォー」というくくりの中で見ている。

『恋衣』下図 1905(明治38)年 鉛筆・紙  晶子のための装幀や口絵の仕事を喜々とする中澤。明治の若者の情熱って魅力的やなあ。

『中学世界』8巻7号付録絵はがき原画 1905(明治38)年 鉛筆、水彩・紙  絵葉書大ブームのころ。

鶯(『中学世界』10巻2号口絵原画) 1907(明治40)年 鉛筆、水彩・紙  鶯を手にした娘が指を口にそえる。梅林の中、アールヌーヴォーというよりユーゲンシュティール、いやセゼッシォン風にも見える。
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おすぎおたま(『光風』4年1号口絵原画) 1908(明治41)年 水彩・紙  伊勢の間の山(あいのやま)にいた代々の女芸人・おすぎ・おたまの二人。中里介山「大菩薩峠」にもおすぎかおたまかのどちらかが出てきて、茣蓙の上で「間の山節」を切々と歌うシーンがある。

「新小説」の表紙も多く手掛けている。
嶋原、錦帯橋などなど。白木屋呉服店ポスター図案もある。
中澤の仕事は日本画家の清方にも好感をもたれていた。
清方と中沢の仕事の質は似ている、とも思う。
中澤は与謝野晶子、清方は一葉と鏡花。共に本画もいいが、装幀・挿絵・口絵の仕事に素晴らしいものを残し、長命で、最後までよく働いている。そして人に恵まれた。

中澤の大好きな仕事の一つ、「明星」関連をいくつも見る。
与謝野夫妻短歌双幅 1918(大正7)年 
与謝野晶子著書  紺地金字の「黒髪」「まい姫」など手の込んだ本がいくつもある。

他にも「藻塩草」の造本全体に栞まで、森田草平「扇」の表紙絵の寺の戸、巌谷小波「おとぎ」の「忠義猫」などはこれは「長靴を履いた猫」だろう。エリマキトカゲのようなカラーをつけた猫が描かれている。
他にも「おとぎ」の「二人半助」は青年二人の後姿。これはハンスだろう。その翻案の名前。半助とくるかw
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菊池幽芳「月魄」藤乃の巻 かっこいい。「不如帰」も「ナナ」も「復活」も中澤が表紙絵だったのか。(各出版社にもよるだろうが)

中澤は舞妓の美に魅せられた一人である。舞妓を描いた作品も多い。岡田三郎助との縁もそうした辺りからだったようだ。
確かに日本画・洋画かかわりなく、舞妓の美に魅せられた画家は多い。
ここでも作品は多く出ていた。

一方、中澤は随分若い頃から旅をし続け、いいスケッチや紀行絵を残している。
南房総おせんころがし  切り立った感じがうまく出ている。「椿の乙女」「佐渡情話」「比良八荒」などと類似の話がある地なのかな。

行きやすかった中国や朝鮮も旅している。
妓生を描いた「歌姫」もいい。二人の白いチマチョゴリを着た女たちと黒山羊と。
前述の三郎助の「逍遥」エスキースを本画にしたようなのもあった。「帰途」と題されていた。白い衣を頭から担ぎ、しずしずとゆく女たち。

モデルを連れて描きに行った修善寺での温泉の絵もいい。
京都の絵もよいのが多い。戦前戦後も出かけて、いいのを描いている。
舞妓舞妓舞妓…

『畿内見物』というのも拵えていて、『京都之巻』『大阪之巻』などがある。
粟田青蓮院(『畿内見物 京都之巻』)1895(明治28)年 水彩・紙  楠の根の張ったあの横を往きすぎる人々を描く。
人形浄瑠璃楽座(『畿内見物 大阪之巻』) 1912(明治45)年 水彩・紙  義経、静、知盛、佐倉宗吾女房などの人形が集まる図。

本当にさまざまなところへ出かけているのだ。
越後柏崎牛舎、木曾寢覚、長野善光寺本堂、木曾福島町などなど。
明治の若者は多くの旅をした…。

ヨーロッパツアーにも出た。もうそんなに若い頃ではなく、画壇で安定した地位を得た時代である。1922-1923、48歳での旅である。
ベアタ・ヴェルジネ・ディ・ミラコリ聖堂  鉛筆、水彩・紙
パリ風景  鉛筆・紙
船室 水彩・紙
これらのスケッチからも旅の楽しさが伝わってくる。

90歳の時にはもう長くその場で写生は出来ないので、娘さんが撮影したのを後日アトリエで絵にする、という作業を続けていた。
貴船の床 1964(昭和39)年 油彩・キャンヴァス 宮崎県立美術館  ああ、絵にそそられる。

『屋根と窓』掲載スケッチ 大正期~1943(昭和18)年 鉛筆、水彩・紙  長年描き続けたもので、これは可愛らしく描いたもので、ガーゴイルなどもあった。こういうイラストも出来るのだ。

仏都寧楽下絵 1955(昭和30)年頃 パステル・紙  数点がある。丘にいる女たち、舞う舞う天女たち。

東洋未来双六  明治40年の雑誌の付録  女弁護士とか新婚旅行は気球に乗って、とかこの時代では成しえなかった事物が描かれている。面白い。

中澤弘光蒐集品  多くの地へ旅するだけに様々なものを集めていた。特に本人は可愛いものが好きだと言う人で、集まったものも可愛くて、それらが目を惹いたか、岡田三郎助が出した「外邦工芸集成」昭和2年刊行 にいくつものコレクションが登場している。
キューピッドなど色々。
ついでに言うとそこには織田信大氏への感謝の言葉があって、織田さんは現代の信成くんの時代まで脈々と続いているのだなあ、と明るい気持ちになった。

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その自分のコレクションを背景にした作品もあった。一種の静物画として見てもいいのでは、と解説にあったが、なるほど人物も静かで、それも悪くはない。

能面、朝鮮の小さい机、清の陶板、インドの17世紀の細密画、涅槃図らしきもの、天使と可愛い悪魔と…

いい展覧会だった。見終えた今も思い出すのが楽しい。
もっと早くに見に行けたらよかったな…

十月の東京ハイカイ録 その3

さて三日目。台風が来るようで傘と雨具を支度して出かける。今回は板橋区立美術館を諦める。どんな悪天になるかしれんので、遠いところへ行くのは避けるのが賢明。

乃木坂へ。
まずオルセー美術館展。これは安心して見れる展覧会。
これまで日本に来ているものも多く、飛びぬけて突飛なものも目玉もないが、楽しく見て歩ける。ヒトサマには「笛吹小僧みてくる」と言うている。
久しぶりにオルセーに行きたくなった。時計裏のレストランでキッシュを食べるか。

ここでキッシュならぬ和風なお弁当を地下でいただく。
テーブルを探す母子を誘う。それで彼らが帰るまでテーブルの番人をし、帰って来た時にテーブル開城。勝海舟のさらば江戸城、くらいな気分。大石内蔵助ではないよー。

次にチューリッヒ。こちらは作家別に分けた構成で、これはこれで面白い。
明確な差異があるので、オルセーとはまじりあわない。
わたしとしては最初にセガンティーニの幻想的な絵が現れたのがいい。
ホドラーもいい。ホドラーは来月くらいになるのかな、今月はガマンガマン。

竹橋へ。雨もパラパラか。
菱田春草展。落葉と猫が大量ということで、それが楽しみ。
3年前の「没後百年 菱田春草展」の感想はこちら

可愛い黒猫ちゃんたち。雀も烏もいい。
落葉では外線くっきりのものとそうでないのがあり、くっきりものは「トムとジェリー」でトムやジェリーを攻撃する石などと同じように、他と違って動きを見せるらしい。
ここでの被害者はたぶん、雀。

常設ももちろんよろしい。
挿絵も出るようになり、非常に嬉しい。
加藤まさを 『少女画報』1922年

須藤重『少女倶楽部』1931年

写真も素敵。
中山岩太 [ポートレイト(小森敏)] 1927 

さて日本画。
狩野芳崖センセ、劇画デビュー!
渡辺みちお「白竜」にこんなキャラいたよな。締められる方もギャグですかね。

今村紫紅 笛 
公達の儚げな感じがいい。

春草ばかりが黒猫描きではないぞ。
お仲間の観山 唐茄子畑 そこにいた黒狸猫。

夢二の黒猫も可愛いが、我が家の黒猫3兄弟も可愛いのですよ、みなさん。

観山 稚児文殊  その下の獅子たちが可愛い。みんなでおしゃべり。対手も聞いている。


青邨 石棺 1962

この絵を初めて見たのは姫路文学館。それ以来龍子「夢」と並び、死者の絵双璧。いつみても素晴らしい。

観山 大原御幸(おおはらごこう)1908 リスもいれば猿もいる。そんな山の中に暮らす建礼門院を訪ねるかつての舅・後白河院。「日本一の大天狗」もここでの語らいにより慚愧したとはいうものの…
 

東山魁夷 映象(えいしょう) 1962

この絵は先年のここでの魁夷展で初めて見たもの。あのときの感動は今も胸に残っている。
もう6年も前だったか。

赤瀬川原平さんのマンガがある。ちょっとつげ義春「ねじ式」的なシュールさがあるなあ。


坂上チユキさんの作品。
これこそ横トリに行かなかったら知らないままだった。
本当にこういう出会いの機会を得られてよかったわ。

ここで終了。一瞬飯田橋へ出て紀の善さんで抹茶ババロアか粟ぜんざいか何かをいただこうかと思ったが、ちょっと風雨も出て来たのであきらめて帰る。

ホテルに引きこもり、だらだらゴロゴロし、全く珍しいことに早寝をした。
台風ニュースを知るためにつけっぱなし。
この日はここまで。


東京は台風一過。火曜で連休明け。
わたしの今回の大目的がある。

まず池袋へ向かう。
東京芸術劇場にミュージアムが開設するらしい。
そのプレ企画。「横山光輝 生誕80年記念」展。


馬好きの横山先生もいる。

原画ではなく複製原画。今でいう「原画’」原画ダッシュというやつか。
しかしそれで満足よ。好きな作品もたくさん出ていてよかった。
18日までなので、これも終了後にしか感想を挙げられそうにないな。

そこから上野へ。
都美。ウフィッツィ美術館展。
わたしが現地へ行ったのはミレニアムの年だからもう14年前か。早いなあ。
フィレンツェは2日しかいられなかったが、ここに1週間くらいいたかった。
ああ、素晴らしいね。
ヨハネ坊やが可愛いのが多くて楽しい。

てくてく歩く。そう、東博の「日本国宝」展内覧会。
気合が入りますわー。
どっちを向いても国宝、どこまで行っても国宝。
す・ご・い。
中にはよくまあここへ持ってきたな、と呆れるやら感心するやらのものもあり、また宗像大社の国宝に「うっっごめんなさい」になったり、正倉院の鳥毛立女お二人に会えて喜んだり。
すごいね。

しかし一方で、ここまで毎回毎回凄い展覧会を開催し続けなくてはならない東博、その責任の重さとかしんどさを考えてしまった。面白うてやがて哀しき、とでも言う感じかな。

最後に近藤ようこさんと落ちあい、お茶をご一緒する。
お互い同じことをしてしまい、笑う。楽しかったです。

いい東京ハイカイでした。

十月の東京ハイカイ録 その2

二日目の話。
到着日と初日とは23時前のホテル入りなので到底片付けが出来ず、掃除を断ったが、これがやはり気楽でいい。
とはいえ定宿で、掃除担当のヒトとも口をきくのでそうそう断れないのは当然の話。
この日は多少体裁を整えておきます。

台風が暴れ始め、南の方ではたいへんらしい。
まだ東京は何もなく晴天。
例によって個々の感想は別項に。

五島美術館にゆくのにどうしてか乗り駅を間違える。
改札手前で気づく。なんでこんなミスをするのか。
まあまだ時間があるので地上に上がり、普段通らない道を通る。
浮いた浮いたと浜町河岸に、というあたりをふらふら。

五島美術館では所蔵品の中から奈良絵本や絵巻などを書と共に並べていた。
これが非常に良かった。
特に奈良絵本で伊吹山系の「しゅてん童子」、「大江山絵巻」、「十二段草紙」、「熊野の本地」を観れたのは嬉しい。
いずれも好きな物語だが、「熊野の本地」の煌びやかな無惨さは奈良絵本までで終わり、浮世絵には描かれなかった。芝居にもならなかった。そのあたりがまた考える余地があって興味深い。

二子玉川駅内の渋谷ソバでサンマの天ぷらの乗っかったうどんを食べる。
わたしは大阪人なので本来は昆布とかつおのダシで薄い色のうどんが好きだが、こうした種物のときはお江戸風でもよろしい。

根津美術館へ。「名画を切り、名器を継ぐ」展を見る。
当然だが名品ぞろい。だが、この「切る」「継ぐ」というのはその作品が生まれた当初からの約束ではなく、途中で、少数の、ある意図を持った連中により破損され(傷つけられ)、手を加えられての「第二の誕生」の姿なのである。
それについてのエピソードが紹介されているが、改めて非常に不快なものを感じる。
割れてしまったものは仕方ない。
今回ここにある「木守」茶碗などは関東大震災で粉砕したのを惜しんで、その一片を加えて再生したものだから、すこやかな愛情がある。
ところが「これは完璧すぎて面白味がないから」ということでわざと割って、しかも力が加わりすぎて木端になったのを継いだ、というものには頽廃どころか、グロテスクさと傲慢さの極みを感じた。
何も自然なままのものが素晴らしい、とは言わない。経年劣化でさえも美になるのが古美術の世界だ。しかしそこにある意図というものがおぞましいのだ。
大茶人と言われる先人の成したことを、それが全て正しいと果たして言えるのか。
これからは古美術に対して、厳しい目を向けながら眺めなくてはならない。


太田記念美術館へ。こちらでは初めて本格的な国貞の展覧会が開催されている。
思えば国貞は静嘉堂文庫、礫川美術館くらいでしか特集されていないのではないか。
後輩でライバルの国芳のここ20年の大人気ぶりに比べ、国貞はかなり割を食っている。
わたしなどは国芳大好き!だが、最初に好きになったのは広重と国貞なのである。
そこから浮世絵を見ることを始めたので、今回の展示は大変うれしい。
ただ、なにしろ国貞は「三世豊国」になって後も大量に描きまくって、作品の質云々と言われもした。玉石混交ではなく、ほぼ全部いいのだが、マンネリも、という絵師なのだった。
この前期は総体的によかったが、「これ」という目玉がなかったように思う。
その分後期が楽しみだが、さてどうなることか。
わたしとしては団扇絵の枝豆をかじる女がよかったな。
あとはやはり芝居絵に物語絵。


出光美術館再訪。「宗像大社」の国宝を見るのだが、ヒーーーッである。
つまり「再訪」なのである。にも関わらず、どうしてか感想が書けない。
なんで書けないのか、いいものをたくさん見て、しかもエピソードに感動しているのに。
そうして展示期間が過ぎてから書くだろうということを、予感している……

最終日が違いのでお客さんでごった返し。
わたしの好きな狛犬さんと指輪と勾玉をみて、それだけでも満足。

次は汐留ミュージアム。
ピエール・シャローとガラスの家。これまた予想以上に面白かった。そして予想通り、わたしは展示期間内に感想を書けず、終了後に書くらしい。
扇形に広がるテーブル。純然たるテーブルという存在を考える
袖になる扇テーブルは果たしてどこまで役立つのか。
ガラスの家も実際に使ってみてのデメリットは?…などなど。

ここで三鷹芸術センターがまさかの午後6時閉館だと知る。仕方ないな。
ほんでそのまま銀座に出て教文館へ向かう。

藤城清治さんの展覧会。新作も旧作もいい感じに展示されていて、撮影自由。ありがとうございます。その感想は既に挙げている。
やっぱり空也の最中を描いたものが最高。20141012203253579.jpg


この日はここで終わり、銀座のはしっこのてんやで天丼とうどんを食べて帰る。

十月の東京ハイカイ録 その1

十月になり喜んでころこんで東京まで来たはいいが、えらく巨大な台風がわたしの後追いをするかのように迫ってきた。
今回は14日までの予定なのだが、14日に帰れないかもしれない、とは一応会社に言うてる。
宿も定宿なのでどうにかなりそう。
……という状況での東京潜伏でした。

さて10/9の夜に都内入り。翌朝早くから「休日お出かけパス」で青梅へGO!
東京から遠いなあ。80分くらいやったかな。
また展覧会の細かい感想は後日。

要するに青梅市立美術館所蔵の日本画を見たのですけど、その佳品揃いにほくほく。
あきらめなくてよかったよかった、と思う展覧会。
さらに小島善太郎の洋画を見て、やっぱり独立美術協会関連はいいなーとにこにこ。
中にりんごの絵があるが、これが籠からはみでそうな豊満さで(肥満なりんごというべきか)、なにやらどきどきした。
ヒトのことは言えないが、本当にニクニクした林檎であった。

青梅から100分ほどで横浜に。しかし横浜トリエンナーレにゆくのにJR使うのなら新宿から湘南線やなく八王子経由にしたほうが合理的だったかと思い至る。まあ横浜から桜木町も近いけどね。
久しぶりにラーメンを食べる。
わたしはうどんばかりのひとなんだけど、たまにはと食べたが、よくよく見れば道頓堀の神座らーめんですがな。
ここは白菜がすごく大量で、麺にたどり着けないのを、92年以来に食べて思い出した。
二度目の神座でした。

横浜美術館。正直現代アートはニガテなわたしだが、今回は面白く眺めた。
尤も作者が本当に意図するところを見ていない可能性が高いのだが。
思想性とか入るとさっぱりわからない。

極端なことをいえば、教養を求められるとある程度は対応できるが、哲学的なことを求められればこちらのアタマはそれに対応できない。
それが(古美術鑑賞)と(現代アート)との対応の違いかと思う。
尤も古美術も誕生した当時は現代アートなのだが、経年ということが作者にも予想できない、思いがけない変化をもたらすもので、後世のものたちの随意により、存在・ありようが当初と完全に変わることもままある。
(このことについては後に根津美術館で見たものに関連する)

今回の横トリは森村泰昌さんのプロデュースということで、タイトルはトリュフォーも映画化したレイ・ブラッドベリ「華氏451」から。
前述したように、作者の意図したところとは違う見方をしてしまうかもしれないが、それでもわたしのような現代アート音痴でもかなり楽しめた。

美術館前の広場にさびた装飾柵を組み合わせたトレーラーがある。小さい子は「馬車みたい」という。わたしもそう思う。装飾柵が可愛いから錆びててもそう思うもんですわ。

巨大なゴミ箱みたいなのがある。こういうのがキライなのよ。
知らん顔して過ぎる。

坂上チユキさんという人の連作が非常に綺麗。ラピスラズリとターコイズなどとその色調を合わせたものが使われている。
絵というより文様。パチパチ撮らせてもらった。
物語がそこにあるようだが、そちらはあまりよくわからなかった。
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それから古いものだが、戦時中の詩歌などを集めたコーナーにも惹かれた。
佐藤春夫たちの作品である。

イェイツの「鷹の井戸」がある。
これが実は一番の大目的なのだ。伊藤道郎の演じた写真や衣装などもそこにある。
たいへんときめく。
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そごうでは三重県美術館からの巡回の中沢弘光展が開催中。会期は終了したが、こちらについても思うことを後日詳しく書くつもり。非常にいい内容だった。
なお、以前東京古書会館で見た中沢弘光の装幀や口絵の仕事などの感想はこちら

横浜から千葉へ向かう。鏑木清方展。
子供の頃からの清方好きなので大概のものは見知ってゐると思っていたが、いやいや、まだまだ。
清方の世界は深い。また、彼に影響を与えた作品も多く集められていた。
これも展示終了後に感想を挙げてしまうことになろうが、それでもいいと思っている。

基本的に私の感想はまず第一に自分のための覚書なのだ。
内覧会などや告知のための宣伝の記事は早くに挙げるが、それはあくまでも他者向けであり、自分向けのものは多少遅れることもある。

常設では若い頃の深澤幸雄の銅版画をみた。
わたしは彼の作品は1980年代以降現代にいたるまでの成熟時代の方が好きだ。
あと椿貞夫などもあり、こちらも興味深く眺める。

本当ならここで終わりだが、この日は東博がアジア・フェスを開催していて、22時閉館。
本館前ではアニメ「時をかける少女」上映。東博にヒロインのおばさんがお勤めという設定なので、今後はここが「時かけ」の聖地になるのだなあ。
そういえばこの原作者・筒井康隆の父上は大阪市立自然史博物館の初代館長筒井嘉隆だった

千葉から上野はやはり遠いので21:10に東博入りして本館のアジアの陶磁器の特別展示、浮世絵、最後に東洋館で中国書画を見る。
いくつか写真を撮ったが、常に変なキャプションしかつけられないわたくし。

やいと(お灸)すえられたらしい。20141012215512618.jpg

「俺たちの勲章」ラスト…20141012215533004.jpg
優作と雅俊の別れのシーンを思い出すぜ。

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永寿堂の店先におるわんこたち。

雛雀図 伝宋汝志20141012215804898.jpg
ふくら雀たち。

この日はこれで終わり。

藤城清治卒寿記念展

銀座の教文館は藤城清治さんの新作を発表する場でもある。
1924年生まれの藤城さんは変わらずお元気で、毎日製作にうちこんでおられるそうだ。
今回も喜んで作品展を見に行った。

ケロヨンである。
わたしが生まれた頃くらいのアイドル。長く茶の間の人気者で、グッズもたくさんある。わが家にもコップがあった。
そのケロヨンの新作。

けっこう眠たそう。

ケロヨンと友達のモグちゃんのハグ。

なんで泣くかは知らないけど、泣いたときもケロヨンがいる。いいなあ。

大人向け「西遊記」の挿絵もある。
孫悟空の虎退治

妖しい女も現れる。

二人孫悟空


邱永漢の小説に藤城さんの挿絵。
今、確かこの作品は糸井重里の「ほぼ日刊イトイ新聞」で見ることが出来るのではなかったかな。

藤城さんは銀座が大好きだ。
銀座の名店を作品にしている。

ミキモトですわね♪


東京 銀座 資生堂 この名乗り自体が名コピーのようだ。

次が素晴らしい。

空也の最中。しかも元ネタの空也上人のように六文字を吐き出している。いいアイデアやなあ。

物語を描いたものも出ていた。新旧共にいい作品ばかり。

「赤い靴」カーレンはもう自らの意思では踊りをやめられない。

日本神話を描く。

天岩戸が開いた瞬間。


黄泉から戻り、蓮池で禊をするイザナギ。

順は逆だが、共に闇が払われた瞬間を描いた名品。

こちらは聖人伝。

聖フランチェスコが父に、自ら着ていた衣服を返すシーン。

「風の又三郎」

幻想的な美しさに満ちている。

まだ若い頃、藤城さんはこのようにたくさんの猫と暮らしていたそうだ。こたつ猫たち。


軍艦島の風景


藤城さん、いつまでもお元気で楽しい作品をお願いします。
 

思い出の阪神パーク

旧甲子園ホテルに行ったので資料を色々探すと、2003年に閉園した阪神パークの写真が出てきた。
悲しかったなあ、あの当時。
既にその頃はもうかつての栄光も消えていて、住宅展示場になるかどうかの頃だったか。
幼少時のわたしは宝塚ファミリーランドと阪神パークに行くのが大好きだったので、本当に悲しかった。
しかし11年経った今、あのとき撮った写真をネット公開することで、阪神パークの思い出を、自分の心の中にあるだけでない形で残したいと思った。

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フラミンゴもいたし、ウィンウィン動くどうぶつライドも並んでお出迎え。

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ゾウさん。たしか後に千葉へ行ったとか。幸せに暮らしてくれてたら…

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乗り物や演芸場。さびれている。

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案外好みにジェットコースターは楽しかった。

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メリーゴーランドと飛行塔。

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レオポン一家在りし日の姿と剥製の家族集合。このあと各地に分散されたとか。
ママの愛情たっぷり。

可愛いレオポン兄弟。イメージ (37)

宣伝ポスターイメージ (36)

案内。にぎやかだったのです。
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寂しさが蘇ったけれど、やはり挙げておいてよかった。

正木孝之コレクション 第一部「請来絵画と古陶」

正木美術館の「正木孝之コレクション 特別展」第一部「請来絵画と古陶」を見に行った。

正木美術館の歴史についても紹介コーナーがあり、今回初めて知ったことも少なくない。
本来は中之島で美術館を開設したかったこと、近代日本画コレクションからスタートして、途中で東洋美術に目覚めたことなどである。
また多くの優品を集めてただ鑑賞・鍾愛するだけでなく、研究も熱心に行った。
その成果とも言うべきノートも展示されており、真面目で丁寧な仕事ぶりが見えた。

果蓏秋虫図 伝銭選 明 この作品との出会いが正木を東洋の古美術へ向かわせたそうだ。から・しゅうちゅう・ず。らは草冠に瓜二つ並び。
瓜のところにキリギリスなどの秋の虫がいてる図。快い静けさがある。

閩王参雪峰図 伝因陀羅/楚石梵琦賛 元 こんにちはー来ましたよ、おお、ようお越し。な図。

五祖弘忍図 清拙正澄賛 鎌倉時代 なんか貧乏くさいな、と思ったら逸話もそうで、しかもちょっと気持ち悪い。達磨大師から数えて五代目のヒトか。
奇瑞というよりきしょいな、ずいぶんもという感じ。

六祖慧能図(重要文化財) 無学祖元賛 鎌倉時代  この絵の人が正木美術館の顔役の一人。今風なバンダナで髪まとめてるのは僧ではなく行者ということで。
そう言えば唐の時代が舞台の西遊記でも悟空は「孫行者」とも呼ばれていたが、あれは髪型のため。宋末の「水滸伝」でも武松が行者武松なのもやっぱりそう。

白地黒掻落牡丹唐草文壺 宋 以前から好きな壺。牡丹が可愛らしく浮き出ている。

藍彩獅子と人物 唐 獅子または虎、あるいは豹などと人が一緒にいる像は世界各国で見受けられる。
泉屋博古館の青銅器、イランの置物(今は行方不明)などなど。そしてこの三つの共通する特徴は「獅子(あるいは虎)に噛まれる・噛まれそうな人物」という構図なのだった。
この獅子の像も人の背後に藍色の獅子が立ち上がって口を開けているから、こわいこわい。

緑釉白地刻花蝶鳥文枕 金 顔を上げる緑色の鳩のような鳥が可愛い。くいっと顔を90度くらいで上げている。

墨梅図 王冕 元 前に墨梅図ばかりの展覧会が開催されたときもこの梅が鮮やかな姿を見せていた。

二枚の達磨大師図が並ぶ。元のものと鎌倉の蘭渓道隆のものと。どちらも面壁中。
今回解説を読んでびっくりした。達磨って毒殺されてたのか。それで芦葉乗りの話とかあるのか。しかも尸解したとかどうの。
あんまり達磨に関心がないので知らなかったよ。
89年の映画「達磨は何故東へ行ったのか」を思い出す。

雨意図 方従義自画賛/天章澄 賛 元 絵も面白いが解説がまた興味深い。さすが正木。いつも正木は味わい深い解説がある。

十王図 陸信忠 元 ところどころ剥落しているが、罪人たちのナマナマしい様子がいい。
子供がいるのは情状酌量ではなく、逆に被害証言をするために来ているのだった。
子ども、普段は賽の河原で石積んでるけど。

今回もたいへん面白く眺めた。
次回も期待わくわくである。

大名たちの茶道具コレクション 遠州と不昧の蔵帳から

湯木美術館の秋季展は「大名たちの茶道具コレクション 遠州と不昧の蔵帳から」である。
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その前期に出向いた。
東京では畠山記念館が同じく「大名茶人 松平不昧の数奇」展を開催している。
不昧公は大名茶人として随一の存在である。
出雲の大名だから後に「雲州蔵帳」と呼ばれるcollection noteを遺しており、近代以後の大茶人たちもこの先人の足跡を追い続けた。
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湯木美術館の吉兆湯木貞一は近代の大茶人たちの後の世代になるが、その審美眼の確かさは、今日の後進たる我々にとって、偉大な手本なのである。
小さな美術館ではあるが、一度たりとも不足のあったためしがないのは、やはりそのゆるぎない美意識が生きているからだろう。

こちらは去年の根津美術館のチラシ。イメージ (26)

瀬戸肩衝茶入 銘「飛鳥川」 遠州蔵帳所載、若州酒井家伝来  1637年正月16日の午前に行われた、大徳寺の江月宗玩を招いた茶会が初登場の茶入れである。
挽家の蓋に「飛鳥川」と遠州の金粉の文字で銘が書かれている。
遠州はこの茶入れが好きだったらしく60回も使っている。
古今和歌集から取った銘だという。この年は島原の乱も起こっているが、一方でこうした文化的な時代でもある。
この茶入は全ての「飛鳥川」の本歌だという。
5つの仕覆がついている。いずれも魅力的。字面を見るだけでもときめく。
濃萌黄地梅鱗文金襴、五色筋文宝尽緞子、吉野間道。
花色石畳輪違文緞子 石畳の中に花柄。中には梟の顔に見えるものもあり、可愛い。
丹地雷地文宝尽銀襴 白黄色地にピカリと光るもの。

小堀遠州作 茶杓 銘柏樹子 遠州蔵帳所載 井上世外・益田鈍翁所持  二本の樋が走り、銹竹に蟻腰。剣先で強く矯められている。ぐいっっ。漆をふいているが、感じにくい。

唐銅合子建水 遠州蔵帳所載 藤田家伝来、鈍翁所持 明代  可愛い形で口べりの下に◎ ◎ ◎…と続いている。これは当初は茶褐色だが、経年により黒褐色になるそうだ。
これはなんとなく坊さんの托鉢の鉢にしたくなる。

膳所耳付茶入 銘「五月雨」 不昧所持  公は膳所焼が案外好きだったようで、ほかにも所蔵していたとか。簡単にメモを取ってるのだが、そのときこの造形が何かに似ていると思った。…太陽の塔がラジオ体操しているような形なのだった。

瀬戸唐津茶碗 銘「郭公」 雲州蔵帳所載  すごい継ぎにすごい貫入。ううむ、触るのが怖そう。

茶杓 銘「ヤハラ道恰」利休作 雲州蔵帳所載  こういう形の茶杓は始まりは全て利休の拵えたもので、横から見たらカクッと櫂先が強い角度を見せている。
わたしはもっと緩やかなのが好きだな…

丹波耳付茶入 銘「生野」小堀遠州所持・雲州蔵帳所載  この茶入、これもどこかで見たような形…ローソンのマークのミルク缶、あれか。牧場にあったあれ。町のホットステーション型の茶入。

乙御前釜 遠州所持、孤蓬庵・赤星家伝来  芦屋釜でふっくら。姥口ではないよ。

絵高麗梅鉢文茶碗 高松家・小西家伝来 明代  五島美術館に同類があるとか。これは前から色が可愛いなあと気に入っていた。上から見たら◎。色が梅砂糖ぽくていい。梅鉢は七曜。絵高麗の梅鉢の陰の手、陽の手というのを学ぶ。

本阿弥空中作 信楽芋頭水指 雲州蔵帳所載  リアルな里芋…

菊蒔絵大棗 原羊遊斎作  1817年に不昧公が配るように拵えたものの一つ。大好き。そしてその一件については出光美術館に所蔵されている下絵帳に縷々と綴っているそうだ。

南蛮ハンネラ建水 不昧所持、雲州松平家伝来 東南アジア  鎖国前にぎりぎり手に入ったのかな。ざりざり。

書状「井筒の文」 不昧  当時の大茶人としてその時代のトップに立っていたから、他の大名たちから茶室の拵え方などの指導を頼まれていたようで、親切丁寧懇切な指導をしている。
石の大小、その8位などなど。先生の赤ペンが買えるのを待つは大名たち、何可愛いね。

青磁獅子蓋井戸香炉 雲州蔵帳所載  獅子がわんこのように見えるのが早いからか。

長次郎作 黒茶碗 銘「五月雨」 若州酒井家伝来 

他にもいいのが多々あったの

一入作 黒茶碗 銘曙 毛利家伝来   これは父ノンコウとはまるで違ってむしろ長次郎沿咲くり。

ああ、いいものを見た。気持ちだけでもお大名♪

村野藤吾 やわらかな建築とインテリア

大阪歴博で開催中の「村野藤吾 やわらかな建築とインテリア」展に行った。
村野は宝塚市に住まい、大阪市阿倍野区のオフィスへ通った。
今年は没後30年ということだが、最晩年まで現役の建築家で、亡くなってから完成した作品もある。
大阪を拠点にしたのは師匠の渡邊節がこちらで活躍したからというのもあろうが、面白かったからではないか、と思ったりもした。
彼が出発した時点では四角い箱のモダンムーヴメントが一大潮流だったが、そちらには寄らず、可愛い装飾もいい具合に配して、オシャレな建物をたくさん拵えた。

師匠のもとで働いた仕事の内、最も素晴らしいものは大阪の綿業会館だと言える。
素敵なタイルはいかにも渡邊節だが、階段が完全に村野である。
ダイビルも素晴らしいが、結局新築され、ファサードが生き延びたが、あれは村野というよりやはり渡邊の装飾性が愛されたからだった。

これまで様々な階段を見てきたが、村野ほど階段に愛着を持ち、個性を打ち出した建築家はほかにいないのではないか。
村野の階段はうねりを見せている。
外観がシャープでリズミカルな様相を呈していても、内部の階段はうねっている。
まるで人体のようだと思うことがある。
階段は腸であり、外観は皮膚や筋肉の上を覆う服飾。腸がなくては困る。しかもこの腸はけっこう快適な腸なのだった。

村野はその長い仕事歴の中で、実に多くの作品を生み出したが、決して独善的な作りはしていないと思う。きちんと使う人のことを考えて作っている。
何を当たり前のことを言うか、と思われる向きもあろうが、建築家の中には往々にして独善的な考えから使う人の利便性を一切考慮していない人もいる。
特に現代建築では、わざと使いづらさを提供しているのかとしか思えない建造物も多い。
村野はそうしたところのたいへん少ない作家だった。

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村野の資料は京都工芸繊維大学資料館に多く所蔵されている。設計図面などもよく展示されていて、そこから村野を知る学生もいるようだ。
村野の作品は失われつつあるとはいえ、現役続行中のものがたいへん多い。
それが故に却って村野を知らない・村野作品であることを気づかない、そんな人が多い。

例えば梅田の換気塔。チラシにも挙げられているが、これが村野作品だと知る人がどれほどいるだろう。1964年の作品だが、50年前、これが立った時のことを知る人・村野研究者はともかく、大方はそんなこと、考えもしない。
わたしも今回の展示で初めて「えっあれわざわざ村野が設計してたの」と思ったものだ。
あまりに当たり前の風景・なくなるはずのないものとして、目に入っても気にならない存在に化していたのだ。それは個性の消失ではなく、村野が梅田という都市文化を完全に掌握していたことの証明になるのではないか。
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村野のそごうは解体され、ほんの一部だけがサロンなどに移築されている。それは村野のデザイン性の高さがそうさせるのだ。
先般新しくオープンしたあべのハルカスは、全くそんな顔を見せないが、以前の近鉄百貨店の頃に外壁を飾る鉄製唐草文様、あれは随分とあべの橋を渡る人々に愛されていた。
白く塗られた唐草文様は軽快で愛らしい。

この展示には村野の設計したインテリアも並んでいる。
心斎橋にあった喫茶プランタンで使われていた椅子などがそうだ。
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プランタンは一度も入ったことがない。店頭販売のパンは大好きだったが。
それだけにこうした椅子の並びを見るとなにかしらノスタルジックなキモチになる。

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村野作品の在りし日の姿を写したものも多く、今も世にあればと嘆きがわいてくる。
そごう、大阪歌舞伎座、新ダイビル…

一方、今も現役で愛され活用されているのが、志摩観光ホテル、日生劇場など。
村野の拵えた志摩観光ホテルの客室の照明などもここにある。

いくらでも現れる村野作品。それらを見ていると、自分が施主になって村野に発注をかけるのだが、さてどんなのにするか、過去の事例を見てから考えるか、と言う気分になってくる。
ああ、楽しい。

以前に汐留で見たときの村野展では「あるぜんちな丸」などのCG映像もあったが、今回はない。
ノスタルジックなキモチはあの時よりは薄い。

いい展覧会だった。
そして願わくば、村野建設の消滅がとまりますように・・・
このことを思いながら会場を出た。
10/13まで。

報道写真とデザインの父 名取洋之助展

本日までだがなんばの高島屋で名取洋之助の展覧会が開催されていた。
近年、日比谷図書文化館で展覧会が開催され、名取の多くの仕事をみた。
感想はこちら

わたしが名取を知ったのは森田信吾「栄光なき天才たち」シリーズからだった。もう20年以上前の連載である。
あのシリーズでわたしは多くの人を知った。
川島雄三、フーディーニ、島田清次郎、名だけは知っていた浮谷東次郎、そしてこの名取洋之助。
マンガでは慶応を出てドイツへ行こうというあたりから、軍の委託を受けて中国へ出て、そこで日本軍のひどさを知り、啓蒙しようとアジチラシを撒くあたりで終わり。
その後の活躍はさらりと説明があるだけだった。

日本を代表する写真家の何人もが名取の手元から羽ばたいた。名取は厳しい目で後進を育て上げる天才だったと言ってもいい。

展示は名取がプロのカメラマンとしてアメリカ「LIFE」誌の日本人初契約写真家になった頃の作品から始まる。
まだ二十代初期の名取の凄まじいばかりの早熟さ。
クレバーでスマートな名取のかっこよさはその作品からも見受けられる。

展示は旅を続けた名取の言葉と共にある。
いい言葉が多い。
これは旅をするもの(=カメラマン)独特の感性からくるものだろうか。
ロバート・キャパ、一ノ瀬泰三、沢田教一といった戦場カメラマンだけでなく、ルポルタージュフォトを手がけた名取の言葉もまた、ひどく魅力的だ。

ドイツから帰国後、日本工房を立ち上げ、今日からみてもめちゃくちゃカッコいいグラフ誌「NIPPON」を出す名取。
創刊号からずらずらと並んでいた。
山名文夫らが担当しているとはいえ、アートディレクターである名取によって山名自身の言によれば「名取さんの作品」となっているそうだ。
少し先には山名のクレパス画による舞妓図の表紙があった。にっこりした舞妓の愛らしさがいい。

グラフ誌「NIPPON」はモンタージュを多用した構成で、たいへんおしゃれだった。
これを24歳から名取は手がけているのだ。
カメラマン、デザイナーたちの尻を叩きまくりながら。

追記:「NIPPON」がずらずらと並ぶ中、何号だったか表紙が黒地に金の線で小村雪岱の二人の女を使ったものがあった。表紙は山名文夫が担当だったから、資生堂つながりでか、それとも別な理由なのかは知らないが、カッコよかった。
…ということをツイッターでつぶやいたら、近藤ようこさんから
「 17号ですね、雪岱。構成は河野鷹思。かっこいい表紙です。」とリプが来た。
なるほどあれは山名ではなく河野だったのか。
わからないことがこうしてつながるのがネットのいいところ。

1936年のベルリン・オリンピックを取材した写真を見る。
メインスタジアムの盛況ぶりをパノラマ写真のようにして、五枚組で構成したもの。広々としている。
前畑さんの写真もある。

それから朝鮮風景がある。
総督府前に佇む二人の娘さんがいるが、そこでは朝鮮美術展が開催中なのだが、墨痕淋漓たる日本語看板があった。

アジア風景とヨーロッパ風景、そしてアメリカ風景。
モノクロの中に閉じ込められたその景色は、そこを始まりとして世界が広がっているのを感じずにはいられない。
枠があるからこその広がり。
日本人特有の湿り気は、名取にはない。

軍からの委託を受けて対外宣伝誌を拵えただけでなく、「上海」「広東」といった雑誌も現地観光のような顔をして出している。びっくりしたのはタイで刊行されたグラフ誌。
みんな共通するのはとてもモダンだということ。

戦後の仕事をみる。
岩波書店と「週刊サンニュース」の編集長として、ここでも若手を鍛え上げている。
その表紙を見ると井伏鱒二「貸間あり」の連載を見つけたりした。後に川島雄三と藤本義一により映像化された作品である。個人的にちょっとうれしい。

名取は長く仲良しで、日本でも一緒にいて、そして終戦後に円満な離婚をした仕事仲間メッキ―さんと「名取書店」という出版社を運営していた。カネ勘定が一切出来ない大浪費家の名取だから、この経営もどんなだったろうか。
宮武外骨の本もここから出ているものがあった。

戦後の名取は、戦前には全く考えられなかった写真集を出している。
ルポルタージュフォトの担い手である名取はピクトリアリスムのきれいな写真、芸術的な写真は拒絶していた。
しかし久しぶりに訪れた中国・麦積山、ヨーロッパのロマネスク建築などに魅了されて写したものは、すべてまろやかな芸術写真だった。
わたしは特にその「麦積山」「ロマネスク」の2に惹かれた。
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最初ルネサンスに惹かれていた名取だったが、再訪したときにはルネサンスよりも朴訥なロマネスクにに惹かれ、そちらを熱心に撮ったという。
技能の高いプロフェッショナルが目的を持って、熱情と愛情をこめて撮影すると、本当にこんなにもまろやかな作品になるのだ。
もともと芸術写真に惹かれるわたしはただ酔うばかりだった。

1962年、名取は再婚して得た娘・美和さんをドイツ留学にやったが、彼女がホームシックにかかっていることを知ると、自分も渡欧し、彼女を連れて欧州旅行をした。
しかしその時名取の体は病に蝕まれていたそうで、11月にはとうとう亡くなってしまった。

名取は最後の最後まで自分の考えを貫き通した人だったのだ。

会場の最後には名取の弟子たち・名取の友人たちの肉声を録音したものが流れていた。
これは日比谷でも聞いていたが改めて聞くと、そこに鮮やかに名取洋之助といいう稀有な男の姿が浮かび上がってくる。
やっぱりとてもカッコいい、と思った。

展覧会はここで終わりなのかほかに巡回するのかは知らない。
心に長く残る内容だった。





切り抜きをひらう。

切り抜きをひらう。ひらうは関西弁で「拾う」の意味。
昔は真面目にちょきちょき切ってスクラップブックに貼ったりしてましたが、昨今はもうアカン。
切って貼っては昔の仕事、今はクラウド上に挙げてまいましょか。

というわけで、以下自分が切ったものを挙げていきます。
今後もある程度たまったり頭が動かんときはこういう仕事をします。
ついでにいうとこのシリーズはニッチもんということでよろしくです。
カテゴリ「集めただけ」で統一。

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小磯の幻の絵が発見された記事。
韓国中央博物館には幻の日本絵画コレクションが収蔵されている。
十年ほど前に芸大美術館と京近美で開催されたのはその日本画篇。
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この切り抜きも何年前のかはもうわからない。現在はまた死蔵されてると思う。

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茂田井武の図録の宣伝。

茂田井武美術館 記憶ノカケラ茂田井武美術館 記憶ノカケラ
(2008/09/30)
茂田井 武


これですな。
本も「買いたい」思うてる間に買わないとアカンもんです。

幸野楳嶺「楳嶺花鳥画譜 山茶花 蒼鷺」より、とあるが所蔵先が切れてるので不明。
国立公文書館?どこでしょうなあ。
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泉屋博古館のハンコを押してみました。
ほしい人は買うのですよ。鹿ケ谷の本館と六本木の分館で販売。
これは自分なりのお礼心による宣伝。
いつもいつもいい展覧会を安価で見せてくださりありがとう。
その気持ち。
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やっぱりフクロウと、トラにかまれる人のがいいなー。

学習院大史料館でみた「絵ハガキで読み解く大正時代」の本が刊行されてるが、その一部。
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こちらは到底行けそうにないチラシ2種。
大仏次郎の愛した猫たちイメージ (7)
佐多芳郎の挿絵。

大宮での人形展。
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このゾウさんが見たいわ。イメージ (10)

圓朝全集のことについて。
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挿絵は芳年。イメージ (5)

山口蓬春の絵をいくつか。
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版画が素敵な寺社境内図
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その中身について。イメージ (12)

新聞の切り抜きとかチラシの切り抜きとか、好きなものをここにおいて、また楽しもうと思っている。

よみがえる明治の幻燈 四天王寺幻燈會

四天王寺さんといえば「大日本仏法最初」の四天王寺である。
宗派関係なしに拝みに来る人も多く、機嫌よく境内でくつろぐ人も多い。
大昔にはここの西門から極楽を目指す人もいたし、「夕陽丘」という地名だけに夕日が素晴らしく、その夕日を見て「日想観」を凝らす人もいた。
(お彼岸の話だけでなく、夕日を拝む人も実際に多かった)
ここで養うてもらう人も少なくなかった。
山椒太夫から逃れた厨子王は足萎えになり、ここで暮らしたところを梅津院に拾われたのだし、まぁなんなとあるわけです。

色んなイベントも開催されている。そもそも四天王寺を拵えた聖徳太子と、数百年後輩の弘法大師の二人をここでは敬っていて、毎月21日22日にはそれぞれの市が立つ。
なんだかんだとコンサートもあったり、11月には「四天王寺ワッソ」もある。
数年前のお彼岸の最中には覗きからくりの実演もあり、巨大な月の下で地獄極楽を眺めもした。

今回は「幻燈」である。
チラシにある通り「よみがえる明治の幻影」ということで、明治時代のを中心にした種板を使っての「幻燈會」が開催された。
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わたしは以前から幻燈に関心があったのでいそいそと出かけた。ツイッターで告知もした。
ところが広い境内で開催場所を把握していなかったのでかなり手間取り、親切なご夫婦に連れて行ってもらった。ここへ入る前にも親切な人が声をかけてくれたので、やっぱり四天王寺界隈には善き心根の人がいてはるもんや、と思いながら本坊へ入った。

本坊庭園は普段の公開で入ったが素晴らしい空間で、和の粋をいく建物だと思う。夜には閉じられているが今回のイベントで開けられていた。
天王寺からほど近いこの場所で巨大な寺域を保つだけに、シーンとしていて、ちょっと怖い。いい建物だと思いながら中の「安養殿」に入っていった。

お客さんはなかなか多く盛況だった。
大阪では以前から若手噺家の人がこの仕事を請け負っていて、時折イベントを開催している。
今回はムサ美と大芸大で教えておられる松本夏樹先生による映写と語りである。

お寺の中なのでお坊さんが監視員でもある。制約がいくつかあるが、それを守ろうとするキモチ自体が、この四天王寺の徳と言うものなのかもしれなかった。

19世紀初頭の上方で、この幻灯機をもって江戸へ下った人がいる。
両国あたりか浅草奥山かは知らぬが、大勢のファンを喜ばせたとか。
えどでは「写し絵」と呼ばれ、随分な高人気となった。
これは上方では「錦影絵」と呼ばれた。それぞれの住人のセンスの違いがよくわかり面白い。

幻灯機も明治になり西洋式のが輸入された。
子供らの教育・啓蒙にこの幻灯機を使って、「見て学ぼう」を始めようとしたが、予算が足りなくなってしまったそうだ。
イメージ的には授業にタブレット端末を一人一台渡そうとして予算不足であきらめました的な感じである。

幻燈師も困り、そこで西洋式のを担いで巡業をはじめ、各地でわいわいと人気を得たそうである。

さて松本先生が幻灯機を使って、軽妙でナマナマしい大阪弁で種板に描かれた絵を話し始めた。
とても笑える。そして前述のように噺家が今その仕事を余技ながら身に着けていったのもわかる気がした。
とにかく面白いのである。

チラシ「よみがえる明治の」の真横のアタマの大きいおじさんが主役の話が映し出された。語りの再現は不可能なので、わたしの言葉で話を綴る。

暗い夜道でこの旦さん、提灯の灯りを失うてしまい、えらいこっちゃわい、と暗い中でなんとかしようとしたら、なんか変にぐにゅっとしたもんを踏んでもた。
さぁ気持ち悪いけど、見えんもん、旦さん、逃げなはった。
なんとか家まで戻ったはええが、あぁ気持ち悪いなと旦さんも嫌な気分ですがな。まあそやけど、そうは思いつつも早よ寝てまえと布団にもぐりこんだ。
それが、夢に「お前に踏み殺されてもぉたカエルじゃー」言うて大蝦蟇が現れて、のしのし乗るんよ。旦さん、うなされる。
とうとう店の者みんな起こして「さぁ今からあの蝦蟇探しに行け」言うて聞かへん。しゃあなしに旦さんの行ったとこ探したら、……あったがな、つぶれた茄子がぐにゃーとなって。
旦さん、蝦蟇やのうて茄子を踏んだだけやったのでした。
みんなそんなんで起こされてえらい迷惑でした。

ここで「シマイ」の字が現れて、特に盛り上がりもなくおわるが、なんとはなしに面白かった。

あと、チラシのけったいな人物画は小林清親のポンチ絵「百面相」からのもの。
教訓絵もおおいが、それが風刺もので、しかも判じ絵。

女に鉋掛けされた男は「女に身を削る」、女の車夫がひく口の絵の車に乗る男は「女の口車に乗る」、そういう判じ絵ばかり。
一番笑えたのは、お座敷でヨキか斧かを振り上げて、同席のもの二人のアタマを唐竹割して、血まみれにさせてる絵。
とんだ猟奇やないかと思ったら「宴会の勘定は頭割り」…
そやけど、こんなんでアタマかち割られたら日には、おカネも払われへんがな。
笑うたな~

チラシ左の「先生」の字の下は「四ツ橋」の風景。
「涼しさに四ツ橋を四つ渡りけり」のあの心斎橋の横のちょっと西にいったところのあの四ツ橋。電信柱がようさん並んでます。路面電車もある。信濃橋のあたりに停留所もあったというし。

幻燈の最後には万華鏡みたいな綺麗な映像を見せることになってたそうで、今回もきらーんと綺麗なのを見せてくれはりました。
花輪車と聞こえたが、本当の名はわたしにはちょっとわからない。

終了後質疑時間があったんで、わたしも松本先生にお尋ねした。
今回の種板は一枚一枚バラのものである。
それは鴻池家旧蔵の各地の名所写真や動物たちの写ったものと同じだったが、随分前に国立演芸場で、わたしは「小幡小平次」の連続ものというか一枚ものの種板を見ていた。
その違いについて質問すると、それは「仕掛け種板」だということだった。
怪談などをするときはそれを使うほうがより効果的になるそうな。

そこからお話が結城座に移り、数代前の結城孫三郎が人形やなく幻燈師として、両国の川開きの日に旦那衆の舟の障子を使うて幻燈を見せた。芸者衆はきゃーきゃー黄色い悲鳴を上げて旦那衆の首っ玉にかじりつく。旦那衆はへらへら。
さて秋になりました。ある日ぜんぜん知らん男がお礼やいうて訪ねてきたわけです。なんですかときくと、「おかげさんで儲けさせてもらいましたのでそのお礼です」というわけです。
みんなが花火や幻燈に夢中になって、ぼんやりしてる好きに懐中のものをすっすっと盗っていったいったスリの親方のお礼なのでした。

ああ、最後まで笑わせてもらえた。
面白かったなあ。ありがとうございます、松本先生。

今後も幻燈を見る機会があればでかけます。
そして四天王さんでなんぞ楽しいイベントがあればやっぱりでかけます。
おおきにさんでした。

京へのいざない 第一期 絵画

「京へのいざない」肖像画や絵画についての感想。
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・肖像

チラシ右から「伝平重盛像」左が「伝源頼朝像」共に神護寺。
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わたし、頼朝像の本物を見たのは学生の頃の「昭和天皇在位60年記念 日本国宝展」で、でした。教科書に載ったあるのは切手サイズなんで、こんなに大きい図とは知らず、びっくりしたもんです。
あれから幾星霜。神護寺にある肖像画がみんな後白河法皇とカンケーのある男性ばかりだった、という五味文彦さんの説を知ってから、いよいよ楽しくなりましたなw
(院政期社会の研究)
それで重盛はぽわんとしていて、この人は「燈籠大臣」とも呼ばれて人柄温厚篤実で親父の果断さはなかったというが、平和な時代ならよい宰相になれたでしょうな、という顔つきをしていた。この人も後白河に振り回された一人ですがな。

鳥羽天皇像 1幅  満願寺  上記の二人より2世代前になるのか。思えばこの人もその前の白河法皇も院政というものを推し進めていって、かなり時代を面白くさせたのだけど、肖像画はずんべらぼんな顔つきで、何をしたのかよくわからんようにも見える。

・仏画 
浄土教信仰の名品、2期は密教。

釈迦金棺出現図  1幅  京都国立博物館 この十年の大きな展覧会に、知る限り二度出ていた。
奈良博「美麗 院政期の絵画」と京博「美のかけはし」と。
どちらもいい展覧会だったな。そしてその二つでこの絵の感想はかなり書いていたっけ。
イメージ (13)-9
ほとんど孔雀の羽か宝塚のトップスターが最後に登場する、のようなスタイルの一時的復活釈迦像。

阿弥陀二十五菩薩来迎図(早来迎) 知恩院  これも独特のリズムがあるが、それはやっぱり大人数の楽隊連れての生演奏のおかげかもしれない。
荘厳な音楽が流れてきて、それであの世につれてってもらえると思ってたら明るいサンバで、しかもダンシングチームでもあるという。
かなり元気に生き返れそうな気がする。イメージ (13)


・中世絵画
幽玄の美―山水画の世界― タイトルがかっこいい。

瓢鮎図 如拙筆 大岳周崇等賛 1幅 退蔵院  これは昔から何かしらわびしさを感じてたな。ごく小さいうちにこの絵を見知っていて、そこにあるはずの滑稽味を読み取ることはなく、不可思議な重さ・空虚な広がりを感じていた。そして小さい私はそれが嫌だった。
今から思えば、幼い私は正確な意味を見出していたのかもしれない。
イメージ (12)

子どもで「幽玄の美」や水墨画の良さを味わえるようなのは怖いと思う。
避けたいと思う子供でよかったと思っている。
そして、それだからこそ、今の私がその世界を楽しめるのだとも思っている。

天橋立図 雪舟筆  前述の理由で水墨画はニガテだったが、ある程度の歳になり、多くの絵を見るうちに、水墨画の良さと言うものをしみじみ味わえるようになった。
この天橋立も幼いころに見ていたら「やー、寂しい、いややな」になっていたろうが、今では「この静けさがよろしい」と思うのだ。
山のところどころに霧か靄のようなものが発生しているのは、丹後地方らしさを感じるし、この松原の黒さに安らぎを感じもする。
実際に自分もここを歩いたが、あの何もなさが、松しかない空間が、たまらなくよかった。
これは天橋立だけやなく虹ノ松原でもそう。松原・松並木にはそうした心地よさがある。
雪舟が実際にここへ来たかどうかは知らんが、とても実感がある。

・近世絵画
京のにぎわい、ということで名所図に遊楽図。いちばん楽しいね。

洛外名所遊楽図屏風 狩野永徳筆 4曲1双
釈迦堂春景図屏風 狩野松栄筆 2曲1隻
息子と父のお仕事。息子のは近年発見確認された作品だったかな。
その時の感想はこちら
もう7年前か。

この二つの絵について、美術ライター佐藤晃子さんが息子の画力の高さとパパのそこまでたどり着けない差とをツイッターで書かれてたが、まさにその通り。
ただ、やはりこういう絵を描き続けると、やっぱり過労死するんやなあと思った。
それは速水御舟もそうかもしれない。こちらは病死ではないけれど、「ああ、早死にするな」と感じる作品が少なくない。
永徳にはそんなのを感じなかったが、この量産と気苦労を思えば…

四条河原遊楽図屏風 2曲1隻  ええココロモチで絵を見ていると、自分もその中に入り込めそうに思う。それが名所図の力だ。

舞踊図屏風 6曲1隻 京都市  サントリーとニューオータニにも同種の舞踏図があり、なかなかいい感じだが、これもそのお仲間。
京都歴史資料館で見ている。着物もそれぞれみんな違うもので扇も違う。こうした細やかさが楽しい。

祇園祭礼図屏風 6曲1双  チラシやたよりの表紙にも。
イメージ (19)

イメージ (17)

実に楽しい。雲は金型雲。人物はやや丸顔。建物は線が相当まっすぐにきちんと描かれている。
音声が聴こえてきそう。うるさくても楽しい。
観るうちにこんな人を発見。イメージ (16)
松の上に座っているのか?
中国の「鳥巣禅師」もどきですかな♪
近所の蝶々の暖簾もいいなあ。わたしもほしい。

阿国歌舞伎図屏風 6曲1隻  徳川、大和文華館、京博。いろんな阿国がいるが、この阿国も好き。京博のスターの一人。表情がけっこう近代的。

・中国絵画
宋元絵画と京都 

岳陽楼図 夏永筆 1幅  これを見ると必ず水滸伝の浪裏白跳の張順を思うのだが、本当はここではないにしても、イメージが残ってしまっている。
色んな楼がある中でもこれは今も残るもの。

雪中行旅図  旅は大変なのです…

柘榴栗鼠図 松田筆 1幅  リス、可愛いなあ。勢いよく走るリス。
ショウデンの絵。マツダではない。以前もここで見たか。

牡丹図 2幅 高桐院  こうした作品を見ると、福田平八郎の若い頃の院体宋元画に影響を受けて描いた絵を想いもするのだった。
イメージ (15)

ああ、二期もすごいラインナップで、しかも「鳥獣戯画」展も始まる。
今からとても怖い…
どちらもがんばって観るぞー

京へのいざない 第一期  彫像と工芸

いよいよ京博の「平成知新館」がオープンして、「京へのいざない」というタイトルで、凄い展示を見せてくれている。
何が物凄いかというと、このラインナップ。国宝・重文が素知らぬ顔でばんばん並んでおるのです。
日本の国宝の1/3は関西にあるというのは知ってたけど、こんなに凄いのが目白押しで出てくると、本当にクラクラする。
やっぱり関西に生まれ育ってよかった。
そう痛感するのがこんなときですかな、東洋の古美術好きにとっては。
わたくしもドキドキしながら第一期の展示品を拝見に行きましたがな。

まず、なんというてもアプローチがよろしい。
わたしは前の建物はたいへんニガテだったが、ここは明るくていい感じ。
ロッカーはなかなかよろしい。お手洗いはもっと数があればいいのに、と思いつつも仕方ないかとも。

見る順序というのは上の階かららしいけど、先達のおススメにより一階から見て回る。
オープンすぐに行かれた方は膨大なリストを頼んだら貰えたけど、今はない。
「リストは出したことない」という嘘をつかれたが、それは展示品の素晴らしさに傷をつけるものではない。
受付への不信感はこの先も続くけど、相手にしなければいい。
まぁそれは措いておいて、作品を見てゆきましょう。
なお、リストがなくてメモを取り損ねた(リストをもらえると思っていたので)、だからわたしが見た彫刻はどこの所蔵のかわからない。
京博のサイトには書かれているが該当するのがそれかどうかの自信がない。
知ってるものはそのまま記す。

金剛力士立像 2躯 愛宕念仏寺  ああ、彼らの守護でこの建物は成り立つのかも、と思わせられた。


手前から
大日如来坐像 1躯 金剛寺
不動明王坐像 1躯 金剛寺
十一面観音立像 1躯 西念寺
観音菩薩跪坐像 1躯 地蔵院
だったと思う。

物凄い迫力というより「圧力」を感じた。
金色の仏たちの圧倒的な存在感。建物の中に納められているけれど、そのエネルギーは堂内をぐるぐる回っているよう。
前に立った時、居たたまれなくなるほどだった。


金剛寺は河内の金剛寺だが、河内長野はやはり古刹の多いところだと改めて実感。

ずらずら並ぶ仏たち。
観客に向かっているのでみんな横並び。
しかしもしここで縦に並べて行列を組んでもらうと…すごいな、仏の行列。
瓔珞の音もさらさら、気配はしずしず、ついてゆけば彼岸の彼方へ。
そんな妄想がいくらでも生まれてくる。

宝誌和尚立像 1躯 西往寺  京博の仏像の中でも特に個性的な和尚さん。顔の中から別な顔が現れる。ただしそれは仏の顔だから、本質は仏だったという有難さなのだが。まぁこれも怪異な感じがある。

善導大師立像 1躯 知恩院  あら、あの唐の。そうそうこの人は大変な能筆で、説経節「おぐり」の中でも善導大師の能筆を言うシーンがあった。
絵ではよく見かけたが像は初めてかも。見てても認識していなかった可能性もあるな。
…絵の方が綺麗な顔をしてはりました。

源実朝坐像 1躯 大通寺  お気の毒な人だというイメージが常にある。公暁に銀杏のところで暗殺されたとか言うだけでなく、生きてる時もたいへんだったからだ。
宋へ渡れそうな大船拵えたのに、それが陰謀で壊れてたり、なんかしようにも母親の実家が邪魔するし…歌集の編者としてくらいしか自由がなかったのかもしれない。

次は絵巻。
室は全てオープンで密室ではなく、明るい隔たりと繋がりがある。こういうのはいいね。

一遍聖絵 巻9 おお、ダンスダンスダンス!の一遍さん、と思いきや建物がメインの展示でした。ええ建物。 

法然上人絵伝 巻3巻 知恩院  出家する前か。これは京博の法然上人展で見たなあ。

餓鬼草紙 1巻 京都国立博物館  やーっぱりこわいですな。

・古筆と手鑑
近年「和様の書」展を始め、古筆の素晴らしい展覧会を各地で見た。
何を書いているのかはわからなくとも、ある種のリズムを愉しめばいい。
そう思ってからは楽しく眺めている。

古今和歌集巻第五断簡〈寸松庵色紙〉
古今和歌集巻第十八断簡〈高野切第三種〉
このあたりがいいな♪
二期は<料紙装飾>を見るのがメイン。

・染織<小袖の美─みやこのモード>
元々京博の所蔵する小袖の素晴らしさにはシビレている。
今回もいいのを見た。大好きなのは寛文小袖だが、それ以外にもいいものは多い。
今月末からは大阪市立美術館でも小袖などのいいのが出てくる。

濃茶地菊に棕櫚文様帷子  これがやはりベスト。大胆な文様で、着てみたくて仕方ない。かっこいいなあ。
この帷子は京博ほまれの一品で、しばしば京博の案内状などにも顔見せしている。
ええのぉ。

紅地束熨斗文様振袖  熨斗そのものも10点以上。綺麗なもんです。

・金工
「神秘の仏具」と副題がついている。2期は刀関係。

金銀鍍透彫華篭 2枚 神照寺
金銅羯磨 4口 護浄院
このあたりが好きかな。

前述のようにオープンな空間なので、ふと「あれが見たい」「これだけ見たい」と言うこともできる。
芝居の幕間でうろうろする「廊下とんび」、あれと同じような状況で、気分は明るい。

・漆工 古神宝と仏の荘厳 
ここへ入った瞬間、どこか別な場所によく似てるなと思った。
根津美術館の古代中国の青銅器を設置した一室に、構造がよく似ているのだった。

牡丹蒔絵厨子 1基 報恩寺  本当に細かくてすごい作り。中も外もよく出来ている。フィギュアのような仏…妙に面白い。

野辺雀蒔絵手箱 1合 金剛寺  これもやはり河内の金剛寺の。可愛いなあ。
松喰鶴蒔絵御衣箱 旧阿須賀神社古神宝 1合 京都国立博物館  鶴の繊細さがいい。咥える植物が花から松に変わったことで、本当の意味で和様になった図柄。

上の階へ向かう。エレベーター一基と階段が両端についているが、先般、竹中大工道具館の一枚板の階段を味わった身としては、この階段は当然ながら物足りない。
吹き抜け空間の仏たちを眺めるのもたまらなく面白い。

三階はやきものと考古類。

・陶磁 
京焼が惜しみなく並んでいた。

色絵釘隠 伝野々村仁清作 21個のうち 京都国立博物館  わたしが釘隠しに愛着を持つようになったのは、ここのと細見所蔵のを見てから。
存分にめでる。溺愛しますわーーー

乾山の色絵氷裂文角皿もあった。カラフルでモダンなお皿。
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交趾釉兕觥形香炉 伝奥田頴川作 1合 両足院  これも好きなんですよ。

そして、わたしが頴川で最愛のものがこちら。
赤絵十二支四神鏡文皿 奥田頴川作 1枚 大統院  このお皿は例の京の非公開寺院公開のチラシで初めて見て、実物を見て感動したなあ。
次に思いがけず樂美術館でもみた。嬉しかったわ。
そして東博の「栄西と建仁寺」展でも見て、たいへん喜んだのでした。

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白泥鬼面涼炉 青木木米  これは出光でも見たなあ。楽しい記憶がよみがえるわ。

ほかにも保全、道八、九兵衛などなど、素晴らしい陶工たちの作品を見て、大いに満足しましたなー。

・考古 金銀銅の考古遺宝 
これは配置が巧いと思った。動線はよくないかもしれないが、一つ一つガラスボックスの中にお宝が収められていて、ここには何が?と期待させてくれる。
京都文化博物館、資生堂、五島、承天閣などで見かけるシステム。

金銅藤原道長経筒 この京博で「藤原道長 千年前の夢」展でみたのが始まりで、以後しばしばお見かけしますな。
近いところで4月に大阪市美の「山の神仏」展でも見ている。

鏡、銅矛、瓦などさらに古い時代のものもたくさん出ていた。
以前の展示を思うと、本当に見やすくなったというか、フレンドリーな感じがする。

とりあえず1階と3階の「工芸」関連はここまで。 
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