美術館・博物館・デパートでの展覧会を訪ね歩き、近代建築を見て周り、歌舞伎・映画・物語に溺れる日々の『遊びに行った日を記す』場所です。 

バンクス 花譜集

今日は「旅」と密接な関係にある展覧会を二つばかり挙げる。
ブンカムラで開催中の「バンクス 花譜集」と石神井公園ふるさと文化館の「富士講」である。
まずバンクスから。
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バンクスとは18世紀にキャプテン・クックの太平洋航海に同行し、主にオセアニアなどの植物を採集し、それらを図版にした功績を持つ人である。
彼は画家ではなく独学で植物学を学び、王立協会の会長を42年間も務めたという人だった。
プロデューサーとしての花譜集刊行、これは本当に素晴らしいことだった。

ブンカムラでは近年この画集の内から数点ずつを展示替えしながら紹介していた。
わたしは博物学に詳しいわけではないが、それを見ながら「18世紀は洋の東西を問わずこうした成果を上げる人が出たりするものだ」と思ったものだ。
大英帝国のバンクス、日本では、本草学の木村蒹葭堂。
どちらも今の世にその功績が残り、燦然と輝いている。
尤も蒹葭堂は植物だけでなく鉱物なども広く詳しく、博物学全般の人だったが。

バンクスの乗った船はエンデヴァー号である。
その復元品もあるようで、写真パネルがあった。
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船の内部の紹介もある。高級船員から一番下のものまでの寝場所や食堂なども描かれている。
ハンモックで寝る部署もある。
海洋国家として輝いていた大英帝国。
キャプテン・クックの探検航海でもたらされた他民族の様々な資料。
以前にいくつか見ているが、今も記憶に残るのはやはりオセアニアの民族資料だった。

大阪の国立民族学博物館から多くの資料が来ていた。
嬉しい。ここで<かれら>に会えるとは。
船の櫂や現地のお守りなどもある。どう使ったのかわたしには想像もつかないものもある。
これらの資料は主に20世紀に日本が採集したものだが、キャプテン・クックのエンデヴァー号はそのリアルタイムの時代に得ていたのだ。

サイトにエンデヴァー号の航海目的などのことがこう紹介されている。
「1768年8月26日、ジェームズ・クック(1728-79)を艦長とするエンデヴァー号は、タヒチ島での金星の太陽面通過の観測のため、イギリスのプリマス港から太平洋へ出帆した。約3年にも渡る、波乱に満ちたキャプテン・クック第一回太平洋探検航海の始まりである。
エンデヴァー号の約90名からなる船員の中には、水平、海兵隊員、船大工、鍛冶屋、医師、料理番のほか、動植物などの自然科学的調査を目的とした科学班数名が含まれていた。」

そうか、タヒチ島で金星の太陽面通過の観測が目的の第一義だったのか。
わたしはそこのところにも感銘を受けた。

ふと見るとちゃんと天球図もある。星座表、それから観測装置などなど。
ああ、いにしえのアストロラーベよ・・・

ニコラス・レイン「携帯用地球儀」1776年 これはカプセルの内に天球を、外に地球と言う入れ子細工ぽい構造で、更に天球の外には闇を持ってきてるのがとてもかっこよかった。

それにしても昔の天球図の賑やかさ。宇宙は密集地帯なのだなあ。
・・・と勝手な納得をする。

展覧会の目的は「タヒチ島を中心としたソサエティ・アイランズ、ニュージーランド、オーストラリア、ジャワの4つの滞在地に分けてご紹介することで、クックたちの太平洋における探検航海を追体験していただく試みである。」とあるだけに、展示を見て歩くうちに、自分自身も(植物を通してだが)、旅をしている心持になっていった。

絵はシドニー・パーキンソンによる。彼の原画を銅版画にした。
みんな若かったから情熱も体力もあふれかえっていたようだ。
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ポリネシアの植物は艶やかなものが多かった。
色は白くとも濃厚な美しさに満ちている。
絵自体には感情は込められていない。そうでなければ花譜にはならない。
植物画には科学的根拠に基づいた正確さが求められる。

わたしは主に近代日本画や宋元画の花の絵に惹かれるが、こちらはまず第一に情緒がある。
泰西名画の花の絵とは一線を画している。
東洋の花の絵の優美さにときめく。
このボタニカルアートには同時代の泰西名画に見られる、ある種の鬱屈や淫蕩さはない。
東洋画の纏綿たる情緒もない。
リアルに描かれた植物。しかしそこにも深い魅力がある。

一枚一枚を丁寧に眺め、解説文を読む。解説文はこれは翻訳語なのだろうか、そんな言い回しで書かれている。
植物どうしの関連性もこの解説から学ぶ。
恒久的に覚えていられるかどうかは別として、色々と納得する。それらをメモに残す。
しかしあまりに大量のメモになり、ここで挙げることが出来ない。
書いている最中も指が痙攣しそうになった。

タヒチでは歓迎されたとある。思えば異国からのまれびとを喜ぶ風があるのは、なにも日本だけではないのだ。
外からのものたちを喜び受け入れることで、いよいよ豊饒となることもある。

貝の装飾文化を見る。小さな貝たち。内側へ入り込む形のもの。人のどこかのカタチにも似ているもの。
それらをみっしり集めた装身具。
これは魔除けでもある。力の誇示でもある。
少し前に文化服装学院のミュージアムで多くのものを見た。

ニュージーランドではあの勇敢なマオリ族が敵意を見せたため上陸しにくかったそうだ。
しかし彼らは武力制圧しようとはせず、小競り合いしつつもなんとか植物採集などを行い、マオリ族の彫刻の魅力をほめたたえてもいる。

20年ほど前のアサヒグラフでキャプテン・クックが見た最も美しい男性の刺青の絵が思い出される。
わたしは刺青は幕末の浮世絵のものが最高だと思うのだが、こちらもまた綺麗だった。
刺青の美についてはここで語りだすと切りがないのでやめる。

ここではシダ類が特に魅力的だと思った。
わたしが特別シダが好きだからというのもある。
シダ、シダ、シダ。
厳密な考証のもとで描かれたボタニカル・アートだとわかっていても、喜びに震える。

わたしは20年ほど前にNZに行ったが、あの豊かな自然には一時的に視力がよくなるほどだった。様々な果実も食べたが、果実がこんなにも豊かで、草食動物があんなにもふくよかなのは、やはり植物が豊かな証拠なのだと思った。
すばらしい景色を思い出しながらニュージーランドの植物画を見る。


オーストラリアではアボリジニの人々がどうしてか歓迎してくれたようだった。
そんなオーストラリアを植民地にして罪人の流刑地にするか、大英帝国。
ここの植物相・動物相がきわめて特異だということを、諸星大二郎の作品から知った。
中学の頃の話。それで随分憧れが募った。
あの頃のどきどきした気持ちが蘇ってくる。

ブラシのような植物など、いつかみたことがあるようなものもあり、嬉しくなる。
ガーデニングに取り組んでいる人には教科書にもなりうるとも思う。
結局ここでの植物採集がいちばん大きかったようだ。

ブーメラン、棍棒、楯。いずれもとても魅力的だった。
みんぱくの所蔵品だけでなく、南山大学人類学博物館、リトルワールドなどからも来ている。
あとの二つは行ってないので、とてもそそられた。


ジャワが最後の特集になる。
熱帯の植物の魅力も深かった。

モンタヌスの「バタヴィア図」もある。やっぱりちょっと妙なのだが、そもそもバタヴィアを知らないので「そうか、こんなだったのか」と誤った納得をもつ。

バティック、ジャワ更紗・・・ほしいなあ。
ベルトも銀などが使われていてとても綺麗。

わたしはジャワ島もインドネシアも知らないが、シンガポールには行った。
澳門にも台湾にも行った。そこで多くの熱帯植物を見た。
沖縄の東南植物楽園でもそうだが、南洋の国の植物の魅力は、それに捉まってしまった人でないと、分かり合えないと思う。
共有できる喜び、それがここにある。

一方、ジャワはやはり熱帯なので英国人たちには苦しかった。
バタヴィアも衛生状況がわるく、マラリアでころころ亡くなっていったそうな。
画家の若きパーキンソンもジャワからアフリカの喜望峰へ向かう途中に病没。多くの人が亡くなったのだ。そう、乗組員の1/3もがジャワからアフリカへ巡り北へ向かう途中で亡くなってしまったのだ。

それでも2年以上の航海を終えて祖国へ帰ると大歓迎。王立植物園などでもさぞや、と想像する。英国人の好奇心の豊かさ、それがこの傑作を生みだしたのだということだ。

夜間開館日、二時間以上かけてじっくり眺めた。
相客は三人だけの淋しさだが、三人が三人とも非常に丁寧に作品を眺め続けていた。
3/1まで。
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富士山 江戸・東京と練馬の富士

お江戸に富士山出現!というのを知ったのは、何を読んだ時だったか。
とりあえず江戸時代に富士山ブームがキタというのは知っている。
以前に本郷の文京ふるさと歴史館で、その界隈の富士塚やミニ富士の跡地などの地図を見ている。
日本人は元から富士山が好きだが、やっぱりお江戸の人らの富士山好きというのは、ちょっと尋常ではない。
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石神井公園の石神井公園ふるさと文化館で「富士山」展が開かれている。
「江戸・東京と練馬の富士」という副題の通り、あちこちの富士山の資料が集まっていた。

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明治初年の戯画な浮世絵では、世が変わり富士山登山のメンバーが変わっていって、価値の上がるもの・値段の上がるもの、価値の下がるもの・値段の下がるものらがそれぞれ登山したり滑落したりしていた。

富士講と言うものもあちこちに作られている。
富士講は大山講とは仲が悪かったようで、大木戸で対立する浮世絵もある。

北斎の「富嶽三十六景」もやっばりあれはお江戸の人の発想だと思う。
常に見えていたからこそ、日常の中に富士山を取り込めるのだ。
これが京阪ではそうはいかない。
やっぱり奈良の昔の「竹取物語」のラストのように、煙を挙げる不尽の山に妙薬を放り込むくらいになるのだ。

富士と言えば大正になってからも小説の舞台となっている。
世にも恐ろしい国枝史郎「神州纐纈城」をはじめ白井喬二「富士に立つ影」もあるし、高垣眸「快傑黒頭巾」では富士山を見て黒頭巾が「いつみてもいいお山だ」と感嘆の声を挙げる。
また戦後文学では武田泰淳「富士」がある。裾野の精神病院を舞台にした、ある種のオペラ的な作品である。

さて、江戸人にとって毎日見ている富士山だが、やはり親しみだけでない尊ぶ心根もあり、それを描いた絵もよく売れたし、昔男が富士山を見返った姿を描いた絵を喜ぶ人々も多かった。
流浪する西行法師の富士見西行も人気の主題だった。

広重「江戸百」の中でも富士はどーんっと描かれている。駿河町の景色に富士山が君臨している。越後屋よりずっとずっと立派なのだ。
ほかにもいくつも広重の富士がある。

富士講の人々が富士詣をする際には、御師のところに泊まる。
その御師の資料が面白かった。彼らの世話を受け、先達をも世話してもらい、土産物の手配もしてもらう。
御師と言うものはたいへんだと思うが、にぎやかで結構なものだとも思えた。

浅間神社の所蔵品などから知ったが、「食行身禄」という即身成仏になった人の話が大変興味深かった。凄いなあ。その信仰心でいよいよ人々が集まる。

富士山の溶岩のあとのものを見た。
火山弾ね。これを見て初めて宮沢賢治の「気のいい火山弾」のことがわかった。
それから溶岩が流れたときの樹木によって作られた空洞など。これは諸星大二郎で知った現象。
ああ、面白いなあ。

絵ハガキもよかった。
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昔の観光絵葉書には妙な面白味があって大好き。

他にも富士詣を思い立つオバケたちのツアーの本とか色々。

なかなかいい展覧会だった。ここの展覧会でハズレはない。3/15まで。

奈良原一高 王国

東京国立近代美術館で奈良原一高の展覧会が開催されている。
「王国」展である。
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1958年に発表された「王国」は「沈黙の園」と「壁の中」で構成されている。
北海道のトラピスト修道院と、和歌山の女子刑務所とを捉えた写真集である。

作品はすべてモノクロームで表現されている。
カラーがなかったからではなく、この作品群はモノクロームでなければ成り立たない。
色を拒絶した世界がそこに広がっていた。
色だけではなかった。
「王国」には色彩も音声もなかった。

音のない世界である。
「沈黙の園」というタイトルにより、それを強制されたわけではない。
ただ、一切の音が遮断されている。
写真も絵も状況により、音楽がその作品の内側からこぼれだすことがままある。
歌わなくとも、作品の声が聞こえてくるものも少なくはない。
しかし、この「王国」には話し声も歌声もなかった。
人間が活きるうえで止めることのできない心音ですら、沈黙を強いられているかのようである。
では死んだ写真かと言われれば、そうではないと答えるしかない。

生きてはいる。しかし活きているかどうかは定かではない。
そう答えるのも実のところは正しくないのかもしれない。

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最初に現れたのは「王国」だった。修道院である。
閉ざされた空間は信仰心のもとに、沈黙と清貧と労働だけで成り立つ。
他に何かを持ち込んではならない。何かとは感情をも指す。
所有せざることを選択した人々。

指が瞼をふさぐ。
これは眠気を止めるためのものでも涙を止めるためでもなく、ある意味を持つ仕草である。
修道士たちだけが理解するサインなのだと知らされる。
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すべての事象には意味がある。
ただ、かれらの感情まではわたしも読み取れない。
わたしは外部の者だからだ。

閉ざされた世界、隔絶された世界の一部が奈良原によって切り取られ、世に送られた。
もう60年ほど前の話である。

修道院にも世俗のものがある。
それは些細なもので、ただ欧州のそれとは違い、いかにも日本的な形をした小物が、写し取られていた。
わたしはそれを見たとき、ようやく息を吐いた。
言葉を飲み込み、沈黙して作品を見るうちに、いつしか息をのむばかりだったのだ。
一瞬の緊迫感のゆるみ。
わたしはそれをよすがに王国の中を、沈黙の園を徘徊した。
いつしか自分の歩みが音をなくすのを感じながら。


修道院と監獄と学校は似ている、という言葉を聞いたのはいつのことだったか。
堅固な建造物、閉ざされた空間、外部との隔絶。
確かにそれは観念上のことではなく、実際にとてもよく似ている。
修道院には修道士または修道女、監獄には囚人、学校には学生。
いずれも彼らのいる空間の外に出れば、その存在の意味は自ずと変化する。

閉ざされた空間は時により楽園にもなる。
パラダイスの語源はペルシャ語の「閉ざされた庭園」だという。
感情を抑えながら沈黙を守り、秩序の中で生きてゆく場所が「閉ざされた庭園」なのかどうかはわからない。
ただ、そこにはある種の共通点がある。
他者を拒絶する、そのことである。

奈良原の視線は疎外感によって形作られていた。
彼は言う。
「当時の僕はそのような自分の内部にある不安と空しさとをこの「王国」の場を見つめることによって超えようとしていた」
それがこの作品を生み出した動機であったとして、実際に彼は乗り越えることが出来たのか。

この作品は発表当時大きな反響を起こし、高い評価を得たという。
奈良原はその年の大きな賞をうけ、以後立派な写真家になり、この「王国」を二度にわたって写真集として刊行している。
今回の図録をも写真集刊行とみなすなら、三度にわたる刊行をしたことになる。
奈良原の感じた疎外感はもう別な形のものに変化しているだろう。

和歌山女子刑務所内部を写した「壁の中」をみる。

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何を見ているかしれない眼である。
ふとわたしは戦前の神戸のカメラマン安井仲治の作品「流氓ユダヤ」シリーズを思い出した。
ユダヤ人が窓のそばに佇む姿を捉えた一枚、あの作品に漂う不安感。
それが酷く似ているようにも思えたのだ。

罪を犯すことで法律の網にとらわれ、自由を失くす。
秩序だった生活。看守を「先生」と呼び、何もかも規制されて暮らす。
自らの意思でここへ来る者はいない。

「沈黙の園」にいる者たちは自らの意思により、信仰心のもとでその生活に入った。
しかしこの「壁の中」はその逆である。
だが、なんと似ているのだろうか。

作家・立原正秋は刑務所の中に入ることをいくつかの作品で描いた。
「冬の旅」は少年刑務所を描き、「恋人たち」「はましぎ」の連作では刑務所と娑婆とを行ったり来たりする人間を描きもした。
後者で少年院、刑務所を「聖堂」と表現し、そこで少年時代を過ごした男に震えるような郷愁を与えた。
男は聖堂にいた時間を尊いものとみなし、厳しい信仰生活に等しいものを感じていたのである。
ただ、その聖堂にいる時間が長くなればなるほど、世俗へ帰還することが難しくなる、ということも男は語り、今はもう聖堂に帰る資格を失ったとも思っているのである。

ここに映し出された囚人たちがそのようなことを考えているかと言えば、決してないとも思う。
だが、「壁の中」を観るうちにどうしようもなくこの立原の物語が思い浮かんでくるのだった。


ようやく「王国」の外へ出た。
出たが安堵するより先に、そこで小さな違和感を感じた。
それが゛何かはわからない。

作品を観ている間、観る側も心の深いところでの沈黙を強いられ、そのために一層世界が閉ざされてゆく錯覚を覚えた。
外からの眼で彼の作品を見るのではなく、自分もまたその中にいるような感覚が生まれ、ある種の苦しさを覚えた。
しかしそれは決して嫌なものではなかった。

それか、とわたしはようやく納得する。
わたしはまだ「王国」にとらわれているのだ。
だから「外界」に出たことに意識がなじんでくれないのだ。
「沈黙の園」にも「壁の中」にも戻りたくはないのに、見終えた今となって、ひどく惹かれるものを感じる。
まるで郷愁のような何かがある。
しかしそこへ帰ることは出来ないし、したくないとも思う。
わたしに出来ることはこの場を去り、違う世界へ入り込むことだった。
ある種の悲哀を感じながら、わたしはそうした。

展覧会は3/1で終わる。

天才陶工 仁阿弥道八 その2

特にここからが好きなものが多い。

四、仁阿弥の鉢 懐石の華

個別に見たときは差異に気付かなかったものが、ここでずらりと並ぶと、まさに百花繚乱、全く違う個性が華やかに艶やかに花開いていた。

まず雲錦手。桜と楓が美しい文様を見せる器。
色絵桜楓文鉢 MOA美術館 やや平たく、桜の幹が大きい。
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色絵桜楓文鉢 個人蔵 木瓜型。深めで「乾山」サイン入り。
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色絵桜楓文四方鉢 逸翁美術館 やはり一番親しい鉢。
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色絵桜楓文鉢 サントリー美術館 大きいね!透かし入り。地は薄紅。
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真上から見ると…イメージ (84)

色絵桜楓文鉢 ボストン美術館 やや□いな。

5つの桜楓文の鉢はどれもこれも違い、これらを見ているだけで一足早いお花見気分になった。灰色地のものが多く、サントリーのだけ薄紅地。
日本に四季があってよかった、「日本に京都があってよかった」ということだ。

先のは春と秋の美。
次は冬の美。
銹絵雪竹文手鉢 湯木美術館 貫入の雪。  
銹絵雪竹文手鉢 逸翁美術館 モコモコの雪。
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銹絵雪竹文手鉢 個人蔵 なんと枇杷色地に雪。初見。
銹絵雪竹文手鉢 個人蔵 詩が書いてある。雪はおとなしめ。

並んでいるのを見て初めて知ったことが多く、軽くショックを受けている。
こうして並ぶと全く違うではないか。凄いなあ。
湯木と逸翁とは常からよく行く美術館で、正直この二つの差異など全く気付かなかった。
今も個別に見ると同じものに見えるのだが、しかしこうして共に展示されると、その個性の違いがありありと出ている。

春の美を追う。
色絵桜透文深鉢 尾形乾山 MOA美術館  ああ、やはり良いなあ。本歌として眺める。

いよいよ仁阿弥の色絵桜透文深鉢。
色絵桜透文深鉢 湯木美術館 外にも土坡の緑が描かれている。
色絵桜透文深鉢 個人蔵 こちらは濃い目の緑。
色絵桜透文深鉢 東京国立博物館 ややかすれた緑。

本歌と写し、それぞれが際立った個性を見せているなあ。
こうして一堂に会した姿を見れるのは、本当に尊い機会です。

色絵大根文鉢 逸翁美術館 葉は黒に金の脈。これはとてもモダン。
色絵大根文鉢 湯木美術館 湯木さんでは吉兆のお料理を盛り付けた写真パネルの展示もあり、それがとても美味しそうで美味しそうで・・・ああ(よだれ・・・)。

染付松文鉢 個人蔵 呉須手。松葉がしゃっしゃっしゃっとしている。

色絵紫陽花文手鉢 個人蔵 濃い目の青の花。粒は小さ目。綺麗。

色絵紫陽花文鉢 個人蔵 「不香」の花の粒。やや小さい。

逸翁で時折見かけるものが並ぶ。
絵高麗鉢、刷毛目鉢、銹絵桐葉形皿(桃山窯)

ボストン美術館所蔵のもの。
刷毛目鉢、銹絵桐葉形鉢、銹絵染付瓜形鉢、銹絵染付菊文皿

銹絵桐葉形皿 桃山窯 逸翁美術館 茶色いだけでなく、部分で色を変え、破れを拵え、蝶々まで。いいなあ。
逸翁は道八が好きだったようで、色々な作品をここで見せてもらってきた。
集めたくなるキモチはよくわかるようにも思う。

銹絵染付瓜形鉢 ボストン美術館 モースの旧蔵品。モースも可愛さに惹かれたのだろうな。

銹絵絵替蓋茶碗 十客 仁阿弥道八作 松村景文画 湯木美術館 薄い柑橘系肌色の地にさらさらとシンプルな草花。

字面をおいかけるだけでも観たときの嬉しい気持ちが蘇るなあ。
ちょっとちびっこ特集。
祥瑞写盃 野﨑家塩業歴史館 小さくて可愛い。外に竹、内には「この木なんの木」の木。
三島写盃 野﨑家塩業歴史館 これも小さいがしっかり。
色絵四君子絵盃 弘化2年(1845) 豊橋市美術博物館(司コレクション)縁は金。
赤絵盧仝茶歌文磁盃 豊橋市美術博物館(司コレクション)馬上杯ですな。
七種盃 天保9年(1838) 珠光・絵高麗・刷毛目・青磁・三島・色絵。
実は仁清ぽいのがなくなったとか。
それぞれ趣向を凝らしていて、本当に愛らしい。
手元で賞玩したいと思うね。


五、彫塑的作品 置物・手焙・炉蓋
これがまた可愛いし、楽しい。
階段を降りたところのあの空間で<かれら>は待ち受けていた。

色絵寿星立像 野﨑家塩業歴史館 チラシの真ん中の寿老人、あれがどーーーんっと。実はかなり大きくてびっくりした。
野崎家を見物したときの写真を、いつかここで挙げたいと思う。

色絵人麻呂坐像 桃山窯 個人蔵 にこにこ人麻呂。

色絵竹隠和尚坐像 天保2年(1831) 大中院 うう、リアルよのう。チラシにいるが、座っているけど三頭身くらいかな。

色絵宇須女置物 高津古文化会館 ふふふ、芸が細かいな、道八。そう、ちょっと、ね…

色絵猿置物 個人蔵 エテコ。こいつも可愛いが、これまた芸の細かいことで。

色絵兎置物 ボストン美術館 可愛かった。横顔美人のウサギさん。
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ビゲローコレクション。ビゲローといえば「三井寺」展のときの三度笠に道中姿の股旅なビゲローのコスプレ写真を思い出す。

飴釉狸炉蓋 野村美術館 色合いが妙においしそう。狸汁にしたくなるね…

飴釉双兎炉蓋 正伝永源院 リアルタイプの二匹。彫刻にも見えるくらい。

黄釉寿星大香炉 天保14年(1843) 東京国立博物館(寄贈)こわいよー

黄交趾柚子手焙 正伝永源院 でかいぞ、柚子―――っ

黒楽銀彩猫手焙 遠山記念館 このにゃんこが昨春の「猫ねこネコ」展のまぁ主役の一人でしたな。可愛かったわ~~~
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白釉山羊手焙 正伝永源院 優しい感じの山羊で、それこそ撫でたくなった。


六、御庭焼の指導者として
讃岐で大活躍。

色絵紫陽花文四方鉢 讃窯 19世紀 東京国立博物館 これは以前から好きなやきもので、四国のやきものの良さと言うものをこの作品から知ったのだった。

褐釉人面貼付文徳利 讃窯 19世紀 東京国立博物館(寄贈) 先日この本歌のドイツのとの比較についてもちょっと書いたけど、作り手としては面白かったのかな。

塩釉髭徳利 ドイツ・フレッヒェン 17世紀前半 京都国立博物館 こちらは本歌。

色絵結文香合 讃窯 19世紀 個人蔵 これを本歌取りしたというか、やっぱり造形的には人気作だったというか、道八にもこれと同じようなのがある。
逸翁に所蔵。今回は出てなかったな。

染付龍文双耳瓶 讃窯 19世紀 東京国立博物館(寄贈) 安南風。

色絵桜楓文鉢 仁阿弥道八 讃窯 京都国立博物館 はい、これもあの雲錦手です。しかも大きいの。
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白泥遊環瓶掛 仁阿弥道八 讃窯 東京国立博物館(寄贈) 妙に懐かしいと思ったら、「Drスランプ」に出てきたニコチャン大玉に似てるんだ…

交趾鴨香合 仁阿弥道八 偕楽園焼 滴翠美術館 この手の小さいどうぶつは仁清か道八に尽きるね。写しが写し以上になる。

染付松霊芝図高杯 仁阿弥道八作 野呂介石画 偕楽園焼 文政10年(1827) 東京国立博物館 呉須手。いい組み合わせやなあ。

花橘写茶碗 一方堂焼 19世紀 滴翠美術館 見込みのキラキラしたものが目を打つ。綺麗やわ。

銹絵月雁文茶碗 一方堂焼 19世紀 京都国立博物館 まっすぐに降り立ってくる。これはかっこいい。


七、新しい時代へ
三代目だけでなく、現代の九代目の女性の方の作品も。
正直、九代目さんのセンスにときめいた。綺麗です、とても。

父子のリアルな籠のようなのがある。
銹釉籠形手鉢 仁阿弥道八 逸翁美術館
銹釉籠形手鉢 三代高橋道八 江戸〜明治時代 正伝永源院

色絵桜楓文鉢 仁阿弥道八 個人蔵 木瓜形。

色絵菊文手鉢 三代高橋道八 讃窯 江戸〜明治時代 東京国立博物館(寄贈) 光琳菊が丸く丸く可愛く咲いている。

鬼面耳付一文字凉炉 仁阿弥道八 桃山窯 入間市博物館 ブサカワでええのう。

飴釉鬼面瓶掛 三代高橋道八 江戸〜明治時代 野﨑家塩業歴史館 顎がなかなかよろしい。

色絵狸炉蓋 仁阿弥道八 東京藝術大学大学美術館 こっちは白目むいてるよ。手を袖の中に入れて、あら、しっぽまで出てるわ。

獅子炉蓋 三代高橋道八 江戸〜明治時代 正伝永源院 これが蓋というのはびっくりするわ。

紅魚蓋物 三代高橋道八 江戸〜明治時代 野﨑家塩業歴史館 金目鯛!!!

色絵天狗於多福盃 三代高橋道八 江戸〜明治時代 豊橋市美術博物館(司コレクション) 可杯。そうこけるやつ。表が天狗、裏はおたふく。

よくここまで細かく、と思う絵付け。小さくて可愛いのが二つ。
染付春秋山水図盃 二個 三代高橋道八 安政6年(1859) 豊橋市美術博物館(司コレクション)
染付赤壁図盃 三代高橋道八 安政6年(1859) 豊橋市美術博物館(司コレクション)

染付波兎文盃 三代高橋道八 江戸〜明治時代 豊橋市美術博物館(司コレクション) 真正面向きのウサギさん。

染付色絵紅葉文鉢 三代高橋道八 江戸〜明治時代 東京藝術大学大学美術館 豆彩な位の絵付け。

黒釉飛七宝茶碗 九代高橋道八(2014) 個人蔵 かっこいいのなんの。むしろ漆器に見えたくらい。

色絵丸々透蓋置 九代高橋道八(2014) 個人蔵 紫のみ。仁清を遠祖として見てもいいかな。

色絵金彩桐唐草食籠 九代高橋道八(2014) 個人 綺麗。金が特に。白ではなく黒地で見たいと思った。

九代目道八は直子さん。今度は彼女の個展を見てみたいと思った。
本当にいいもの・好きなものをたくさん見れて幸いでした。
3/1まで。

天才陶工 仁阿弥道八 その1

幕末の京焼の名手・仁阿弥道八の展覧会がサントリー美術館で開催されている。
作品が多く残る関西での開催ではなく、東京のサントリー美術館で開催されることに大きな意義を感じる。
道八は代を重ねた名だが、特に好まれているのは二代目道八こと仁阿弥道八である。
にんなみ・どうはち、と読む。
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彼はオリジナル作品も良いが、写しの天才とも知られている。
特に乾山の写しに素晴らしいものが多い。
写しはパクリではない。原本のその精神と意義とを継いで、後世の者が尊敬をこめて拵えるものが写しだと言っていいと思う。
だから完全なそっくりさんではない。そっくりさんをこしらえ、それを原本だと言えば、それは贋作になる。

展示室に入った途端、狸和尚のお出迎えである。
色絵狸炉蓋 仁阿弥道八 東京国立博物館 茶色の袈裟も似合っていて可愛い。
文福茶釜ではなく、歳の行き過ぎた和尚さんのために代わってお経を読んだり説教したり勧進に出そうな狸和尚さん。

ここから楽しい旅が始まる。

一、仁阿弥の父、初代高橋道八

最初に樂焼が二点。
月文黒茶碗 初代高橋道八  筒形で表面はザリザリ。胴に月が出ている。これが下からの照明に照らされて美しい反映をみせ、ムーンライトクッキーのようになった。
とてもおいしそうである。

赤茶碗 初代高橋道八 京都国立博物館(伊東陶山氏寄贈)こちらも筒型。樂も面白い。

銹絵染付唐子文茶碗 初代高橋道八  銹絵染付唐子文茶碗 初代高橋道八  可愛い唐子たち。唐子というより昭和の子どもみたい。オカッパの子もいるし。15人のちびっこたち。上には雷文、下には波に宝尽くし。

南蛮芋頭水指 初代高橋道八 正伝永源院 壺型グラフを思わせる外線。

銹絵芋頭水指 初代高橋道八作 松村景文画 京都府立総合資料館(京都文化博物館管理) 白と茶色でさらりと。柳の葉がいい。

色絵木蓮図凉炉 初代高橋道八 入間市博物館 煎茶のための焜炉。上から見ると六花。木瓜にも似ている。胴に木蓮の絵。下の口は笑っている。

染付山水図仕切皿 青木木米 文化6年(1809) 7分割の仕切り。呉須手で、「西湖七勝」をイメージしているとか。これは普茶料理用のお皿。
ああ、食べに行きたいな。白雲庵、阪口楼、梵・・・

朱泥急須 岡田久太 江戸時代 東京国立博物館(横河民輔氏寄贈) 可愛い!ポット型。つまり「後手」という形ね。柳とコウモリを刻む。持ち手は木。
ええですなあ。幕末、上方では煎茶ブームが起こったのですよ。
ところで急須への愛が沸き立った(!)のは、やっぱり出光美術館での急須の展覧会「三代 山田常山 人間国宝 その陶芸と心」展からですな。
感想はこちら。ほんまに可愛いわ。

赤絵金彩鯉文皿 五客 仁阿弥道八鍳 尾形周平画 三代高橋道八補鍳  鯉の滝登り、登竜門ですな。おじさんの絵を甥が焼いたわけです。

二、仁阿弥の茶道具と「写し」の技量

黒樂四方茶碗 銘 山里 樂道入 江戸時代 サントリー美術館  遠くからでもピカーッ そうです、愛するノンコウ。
内ら側はチカチカ、釉薬をわざと外したらしい外側。
ああ、ええもんですなあ。

冨岳文黒茶碗 仁阿弥道八 野﨑家塩業歴史館 やや筒。幕釉がやや厚い。口縁がまた厚い。

金筋隠印茶碗 野々村仁清 野村美術館  これも一目でわかる。いかにもな作り。

色絵筋文入子茶碗 一双 仁阿弥道八 逸翁美術館  うまいなあ。七宝とか独楽のような柄。それにしてもモダンやな。

青磁象嵌霊芝宝珠文碗 朝鮮時代 17世紀 京都国立博物館(吉田吉之助氏寄贈) 濃い灰色に朱が入っている。薄く白の霊芝。

青磁象嵌菊花文菱水指 仁阿弥道八 高津古文化会館  むしろ13世紀の高麗風。

青磁象嵌菊花文水指 仁阿弥道八   ↑の伸び版。下はカブラ型。花。茶色、上は青で菱形。

青磁象嵌雲鶴文燭台 仁阿弥道八 建仁寺  巨大。くびれがなんだかな。

青磁象嵌菊花文獅子耳三足香炉 仁阿弥道八 建仁寺  獅子。それが子犬ぽくて可愛い。はりついてます。

白釉貼花雲鶴文瓶 仁阿弥道八 大中院 小さい□□がいっぱい。チョコレートぽい。アルフォードのようにも見える。

染付大蓋物 仁阿弥道八  大きい。摘みは桃か?タコかと思った。コウモリが耳。

御本立鶴文水指 朝鮮時代 17世紀 正伝永源院  手本の代表作。

御本立鶴文茶碗 仁阿弥道八 正伝永源院  ↑その写し。うまい。トリミングした感じ。

色絵碗 仁阿弥道八 ボストン美術館  白地に藍と黄色の線。それらがいずれもサイズ違いなのが面白いところ。

絵高麗草花文鉢 明時代 16世紀 野村美術館  優しい梅色。あっさり文。

絵高麗茶碗 仁阿弥道八 滴翠美術館  かきおとし。

珠光青磁茶碗 仁阿弥道八 野﨑家塩業歴史館  きれいな色。釉溜まりがいい。

祥瑞碗 仁阿弥道八  ねじりではない。やや歪みがいい。

灰釉印花桐紋茶碗 仁阿弥道八 桃山窯 両足院  引退後に拵えたもの。両足院と昵懇なのは引退後も変わらず。武井武雄が描きそうな花柄。

斗々屋茶碗 仁阿弥道八  チョコ色。薄くていい感じ。

銹絵暦文茶碗 仁阿弥道八 天保12年(1841) 湯木美術館 宝珠がゆるキャラみたいで可愛い。口縁の水色タイル。伊東忠太の怪獣系のが出たような雰囲気。
それにしても湯木美術館で何度も見ているのに、こんな風に思ったのは今回が初めて。

銹絵暦文茶碗 仁阿弥道八 嘉永2年(1849) 正伝永源院 やや低い。火炎宝珠。こっちのも同じゆるキャラな感じ。
 
利休七種写茶碗 仁阿弥道八  赤4黒3。利休ー左入ー道八。先人も後輩もいい腕だ。
赤は貫入が、黒は☆がキラキラ。

蝶文黒茶碗 仁阿弥道八 滴翠美術館  蝶を薄く描く。地へ向かう蝶。翅脈がはっきり。裏にも蝶々。いいなあ。

鶴亀文黒茶碗 仁阿弥道八 東京国立博物館  外には口を開ける鶴、中には亀がジャンプ!!ウィットに富んだ絵柄。

銹絵竹鶯文茶碗 仁阿弥道八作 岡本豊彦画 滴翠美術館  可愛いなあ。卵地にさらりと竹にウグイス。

銹絵双鶴文茶碗 仁阿弥道八  黒い鶴たち。見込みにピンク。きれいな茶碗。

色絵都鳥香合 仁阿弥道八 東京国立博物館  隅田川の土で作ったそうだ。芝居のような雰囲気。

銹絵鶴香合 仁阿弥道八 野﨑家塩業歴史館  一刀彫風な鶴。ペリカンぽくもある。

銹絵雀香合 仁阿弥道八 ボストン美術館  こちらも一刀彫風。

楽焼雀香合 仁阿弥道八 東京国立博物館  ふくら雀。可愛い。可愛すぎ!!きょとんとしている。しっぽが大きくて可愛い。

赤楽猿香合 仁阿弥道八  うい奴よのー。

色絵於福香合 仁阿弥道八 東京国立博物館  これは以前にクレマンソーコレクションで見たものと同じような気がする。もう随分前の展覧会。

色絵七福神香合 仁阿弥道八 滴翠美術館  弁天さんが可愛い。毘沙門天の目がこわー。顔は素焼きのまま。

黒釉金彩瓦形香合 仁阿弥道八 京都府立総合資料館(京都文化博物館管理) ぎらららららっな金の、重みのある香合。正直な話、こんなもので頭をうっかりやられたら………

南蛮芋頭水指 仁阿弥道八 京都国立博物館( 寄贈) 肩辺りに釉流れ。これどこかで見たことが・・・ああ、「SW」の帝国軍の戦闘機に似てるのか。

祥瑞水指 仁阿弥道八  つまみは竹。(淡竹を食べるわけではない)明のを写したのかな。

流釉水指 仁阿弥道八  色合いが仁清ぽいな。やはり気持ち的には写しなのか。

色絵花卉図手焙 仁阿弥道八作 谷文晁一門画  両足院 撫子は谷文晁。あとは梅に薮柑子の絵も。いいなあ。

色絵群蝶図手焙 仁阿弥道八作 谷文晁一門画  リアルな蝶の絵がそのまま焼き付けられている。豆彩ではないけれど。縁を木枠できちんと固定していて、本当に使うため用のでした。

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三、仁阿弥の煎茶道具
上方では煎茶が人気でした。

色絵龍文急須 仁阿弥道八 文政8年(1825) ボストン美術館 ファンキーな顔で可愛いね、龍。

色絵龍鳳凰文急須 仁阿弥道八・左平合作 東京国立博物館 左平とは青木木米。木米が煎茶仲間の中心にいたのは確か。
出光美術館にも木米の煎茶関係のやきもののいいのがあり、また出てきたら嬉しいな。

可愛い急須が並ぶ。
朱泥急須、それから入間市博物館所蔵の急須がずらり。
南蛮手急須、紫泥独楽急須、色絵盧仝茶歌文急須、黄交趾鯉桜文急須、白高麗荒磯文急須。
これだけいいのが並ぶのを見ると、やっぱり入間市博物館に行かないとあかんなあ。
三代高橋道八の焼締急須もあった。

入間からはほかに白泥湯沸と白泥三峰凉炉が来ていた。
幕末の京焼の煎茶道具がこの入間にある、というのはたいへん面白い。
深谷市の澁澤一族には幕末頃に、京からお公家さんがやってきて、蹴鞠の教授をしたそうな。本家の当主が呼んだのだが、これを分家の青年・栄一は苦々しく見ていたそうだ。
そのあたりのことを本家筋の末孫たる澁澤龍彦が「玩物草紙」に書いていた。

これだけを根拠にするわけではないが、幕末の京焼のいいのが埼玉にあるのは、もしかすると田舎わたらいで稼ぎに来たお公家さんらがショーバイしたのかもしれない。
彼らが直接の販売者でなくとも営業した、という意味で。

染付払子文茗碗 五客 仁阿弥道八作 塩川文麟画 田辺玄々賛 京都国立博物館(寄贈) 面白い文様。

長くなりすぎるのでここで一旦終わる。

東近美で2月にみた近代日本洋画と日本画

東京国立近代美術館に今月出ていた絵の内、好きな絵をちょっと集めてみる。

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南薫造 六月の日
この絵を見ると必ず大関松三郎の詩を思い出す。「水」ね。
彼の詩の紹介はこちらのサイトに。

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北脇昇  暁相
しまった、タイトルを忘れた。建物がもぉほとんど怪獣。それも殷代の饕餮君の仲間みたい。
「ふっふっふっ」「はっはっはっ」「はーっはっはっはっ」…なんて笑い声が聞こえてきそう。
☆教えていただきました。ありがとうございます♪

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藤田嗣治 闘争  ねこたち。はっきり書くけど、作者の意図とか評論家の考えなんかしらんが、やっぱり猫がこんなにたくさんいる絵は嬉しいのだった。たとえ大ゲンカ中であっても。


次は日本画。
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中村大三郎 三井寺  謡曲から取材したもの。伏せ目がちの女人の佇まいに惹かれる。
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小林古径 極楽井  これは以前の近美での古径展にも出ていたが、娘たちの着物に注目を。
キリシタンですなあ。


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北野恒富 戯れ  舞妓さんが新緑の下でカメラいぢり。
可愛いなあ。
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伊東深水 雪の宵  深水は雪・傘をさす女・二人の女といったモチーフが大好きで、これもその範疇のもの。
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師匠とはまた違う日本の婦人の美。


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寺島紫明 三人  紫明は同門の深水や秀峰とは違う、中年婦人の美を描くことが巧い。
若くない女の色香を上品に描く。そこがたまらなく魅力的。
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森田恒友 関西ところどころ  大正時代の関西。しっとりしていて、いいね。

坂東三津五郎 追悼

十代目坂東三津五郎が亡くなった。
59歳だった。
彼は1月23日が誕生日なので、59歳になって一カ月も経たないまま亡くなった。

わたしは彼の前名の坂東八十助の頃にファンになり、一時ちょっと離れたが、やはりどうしようもなくファンであることを自覚し、また見始めようとしていた。
それは丁度あの東京の歌舞伎座が新しくなる頃の話だったか。
もう、決してそれはかなわなくなった。

市井に住まう一ファンの、十代目坂東三津五郎への追悼をここに挙げる。

昭和の末頃、孝玉ブームがあった。それから猿之助のスーパー歌舞伎が来て、当時の若い観客が「歌舞伎って面白そう」と目を開かれた。
わたしもそうだった。わたしが子供の頃は歌舞伎も文楽も著しく没落していて、今の名優たちは殆どが兼業でTVなどで働いていた。
それが段々と明るい兆しが見え始め、二つの大きなムーブメントが来た後、満を持して中村勘九郎を牽引車に、当時の若手花形役者たちが暴れ出した。

わたしは中座と南座で芝居を見た。東京へ見に行くようになったのは昭和が終わってからだった。せまい中座で中村勘九郎(当時)が素晴らしい存在感を見せていた。
そのとき、ひときわイイ男の坂東八十助(当時)がいて、わたしのような素人にもドキドキするような素敵な踊りを見せてくれた。

勘九郎からは大阪人が愛する愛嬌があふれたおしていたが、八十助からはそこまでの愛嬌は出ていない。しかし決して大阪人の嫌う「ええかっこしぃ」なところはなく、さわやかで明るく、そしてどこか楽しい雰囲気が出ていた。
決して江戸だけのスマートさではない。
これはやはり祖父の八世三津五郎が京都で暮らしていたからかもしれない、と当時も今も思っている。
彼の従姉妹の女優・池上季実子にも同じような佳さが滲んでいる。
関西の人間はそういうものをかぎわけるものだ。
そしてその点に対し、温かな目を向け、理性よりも<情>の部分でファンになる。

勘九郎は母方の祖父・六代目菊五郎を崇拝していた。
「まだ足らぬ踊り踊りてあの世まで」という辞世の句を残した天才役者である。
芝居では初代吉右衛門と組んだのが素晴らしいと今の世にまで伝わるが、踊りに関しては七世三津五郎とのコンビが絶品だった、と聞いている。

これは昔の歌舞伎評論の本や、劇場で出会った多くのご老人たちから教わったことだった。
また八世三津五郎は「役者というより学者」と言われた人だが、この人が父の七世の言動をよく覚えていて、更に意味を理解し、それを多くの著書にも書いているので、後世のわたしなどにも様々な話が伝わっている。

その七世三津五郎は実子に恵まれず、八世三津五郎を養子に貰って鍛え上げた。八世も娘たちには恵まれたが跡取りの男児がなく、長女の婿を九世に見込んだ。その娘婿が初めて男児を守田家にもたらした。
存命していた七世三津五郎は大喜びし、自分の名の寿作の一文字をとり、ひ孫に「寿」の名を与えた。
その辺の逸話は八世の著作や他の人々の書物にも詳しいが、七十七年ぶりの男児誕生というのは、梨園の名家にとってはまことに喜ばしいことだったろう。きっと想像を絶するほどだろう。

そういえば名前と言えば、いつ見たのか思い出せないが、勘九郎と八十助の二人が何かの番組で機嫌よくしゃべっていたが、そのとき勘九郎が八十助に呼びかけたのが「シャッチャ」だった。
これはいかにもお江戸の人らしい気の短い呼び方で、「ヒサシちゃん」が「シサシチャン」になり、それがもっと短くなって「シャッチャ」になったのだろう。
見ていてまことに微笑ましかった。


八十助の曽祖父・勘九郎の祖父の代の踊りコンビの素晴らしさ、それを今の世の自分たちが再現しよう(あるいは乗り越えよう)とし、二人は本当に息の合う、よいコンビぶりを見せてくれた。

正直なことを書くと、わたしはあまり日本舞踊に関心がない。というてもクラシックバレエもニガテで、踊りでときめくのはモダンダンスから現代のコンテンポラリーくらいなのだ。
しかしそれでもわたしはこの二人の踊りは見た。見て、惹かれた。
特に狂言を基にした舞踊劇は面白かったし、あまり出ない演目の踊りなども珍しく眺めた。

中座で見たうち、八十助の踊りで非常に心に残っているのは「棒しばり」と「流星」である。
「流星」は1993年の七月の中座の昼の部で、流星の八十助がとてもかっこよかった。
あのやや大きめの綺麗な口元を見せて宙を飛び、さっ と去ってゆく。
本当にかっこよかった。
無論坂東流の家元になるべき人なので、当時から当然よかったが、こんな素人の踊り嫌いのわたしの胸に20年以上も残っているのだから、やはりめちゃめちゃ良かったのだと思う。

そうそう、その月の昼の部は「団子売」も出ていて、これに二人は共演していたのだ。
明るく笑って追い出されたことも忘れない。

90年代は毎月あちこちで歌舞伎を見ていたなあ。データを見るだけであの頃のドキドキ感が蘇ってくる。

ああ、そういえば92年の中座では「夏祭」が出て、あのとき勘九郎が團七、徳兵衛が八十助で、たいへんな評判をとっていたなあ。
本場であれだけ大うけし、観客皆が大喜びしたのを見て、勘九郎は「夏祭」の手ごたえを感じたと思う。
89年に歌舞伎座で公演した後、浪花の中座で成功し、以後の「夏祭」の人気の高さは知らぬものとてないほどだ。

この公演では「身替座禅」で八十助は奥方を演じ、孝夫さんの右京をキツーくお仕置きしようとしていた。上品な孝夫さんがとろーんとしなだれかかった時の悔しそうな奥方の顔。
面白かったなあ。

95年の11月の歌舞伎座で「蘭平物狂」がかかった。巳之助坊やの初舞台である。
本当の父子が父子役で共演する芝居で、わたしは舞台の上の人々の眼差しが見えるような席に座っていた。
八十助は刃物を見たら物狂いになる(詐病である)蘭平をさわやかに演じていた。
あの口元はやはり、機嫌よく笑うのにとてもいいなといつでも思う。
やがて敵方で正体を現す蘭平。彼は一子繁蔵(巳之助坊や)を探して夜の庭を秘かに動く。
「繁蔵、どこにおる・・・父はここぞ」
元よりさわやかな声が夜の庭に低く響く。
父、と書いたが発音は「てて」である。
芝居のフィクションの部分と現実のあわいがなくなるのを感じる一瞬だった。
深い情を感じたのである。

その月は北条秀司の「建礼門院」にも平知盛役で出ていて、妹徳子(雀右衛門)と親しく話すさわやかな兄を演じていた。

歌舞伎以外の舞台にも出ることが少なくなかった。
「山ほととぎす ほしいまま」の夫役がよかったという。わたしは見ていない。
だが想像する。

蜷川幸雄の「近松心中物語」にも出ていた。徳兵衛である。お初は樋口加奈子。
歌舞伎や文楽ですっかりよく知られるようになったお初徳兵衛。
蜷川演出の徳兵衛といえば平幹二郎が思い浮かぶ。
あの役をするのか、とわたしは心配になった。
平幹二郎の芸の力の大きさが迫ってくる。現代のすべての演劇人の中で最も素晴らしい芝居ができる人。
歌舞伎役者として精進しているが、八十助にはどうだろう…
どうしてもそんな不要なことを考えてしまう。

芝居が始まった。
徳兵衛がお初に言う「お前は遊女やない、わしの女房や」…
この場に来たとき、はっ となった。
徳兵衛がまだ青年だということを、わたしは初めて<知った>。
そう、八十助はそのような演技をしていた。
はきはきしたセリフ回しと力強い頷き。
これは青年の悲劇なのだという目でお初徳兵衛の芝居を見たのは初めてだった。

平幹二郎はこのセリフの時、緩急を使い分けていた。
そのときわたしはギリシャ悲劇を想っていた。
演者により、こんなにも大きく異なる芝居になるとは。
たいへんに興味深い現象を目の当たりにしたのだった。

歌舞伎以外ではTV出演に面白いものがあった。
これは三津五郎襲名後だったかどうかはっきりしないが、久世光彦の盆と正月のどちらかに放映される昭和のドラマ、それに出ていた。
小林薫と田中裕子の父娘、その娘と恋愛関係にある青年役である。
赤紙が来たのでもう戦場へ行かねばならない。そんな時に田中裕子と結婚する。
おんなを抱きしめて泣く顔と指に深い味わいがあった。

コメディータッチの二時間物にも出ていた。角野卓造と共演した湯の町コンサルタントだったか、あれは二話くらい放映されたと思う。
本人のお城好きが前面に出た機嫌のいいドラマで、別にサスペンスとかそこらは正直どうでもよかったが、いい温泉に浸かって、大好きなお城を見て、わいわいと進む話なので、ファンとしてはいい気散じになったのでは、と微笑ましく見ていた。

「ワーズワースの庭で」「ワーズワースの冒険」といった上質な番組の司会もしていた。
この番組は93年ころから数年間続いたが、大阪人のわたしの眼にはとても新鮮だった。
つまり、関西ではありえないタイプの番組だったからだ。
確か金曜か土曜の23時ころに放映されていたと思うが、素敵な番組だった。
八十助のさわやかさが、あの素敵な歯並びが今も眼に残る。

コマーシャルにも出ていた。
最初に見たのは「加美乃素」で、あの黒々とした髪を見ていると、なるほどなあと思いもした。
それから「ネスカフェ」の違いの分かる男。ダバダ~のBGMの流れる中で豊かにコーヒーを楽しみ、最後に確か梅王丸か何かの扮装で現れる。
カッコよかった。

このコマーシャルはいつの芝居でか、左団次によって劇中でパロられて、客席は大いにウケた。やはりこうしたクスグリは楽しい。八十助はそのとき照れて笑っていた。
あれが勘九郎なら更に一歩踏み込んだ返しをするところだが、そうしないところに八十助の個性があった。

お城の話、勘九郎との15歳の珍道中の話、ファンにとっては宝物のような話もいっぱい知ることがあった。それで一層ファンになったのだ。

1997年に大阪松竹座で「狐狸狐狸ばなし」があった。
勘九郎が元は上方の女形役者崩れのねちねちした男、八十助は破戒坊主で、勘九郎の女房の福助とデキているが、これまた別に女にのぼせているわけではなく、三人の虚々実々の駆け引きが面白い芝居だった。
このとき、福助に惚れられてちょっと煩わしいと思っていたのが一人になると、「ああ、俺はなんていい男だろう!」と言い放つのだが、その姿・声の良さ、本当にほれぼれした。
あれは松竹座の新築開場記念だった。
ほんと、カッコよかったなあ。

1993年の6月に新橋演舞場で上演されて以来長らくかかっていないのが、谷崎の原作による「お艶殺し」。
これも八十助と福助と言う息の合ったカップルの芝居だった。
最後は悲惨な殺しに発展するのだが、真面目な男が転落してゆく軌跡を八十助は見事に演じていた。悲哀が胸に迫るがそれゆえにこそ、魅力的なのだった。

大体この二人が悪縁の男女を演ずると、もうそれだけでわくわくした。
江戸の市井の片隅の男女だけでなく、時には身分の高い異国の人の役もしているが、そこでも悪縁・暗い結末を演じ、その鬱屈した美しさに惹かれた。

「楊貴妃」は97年12月に国立劇場で見た。
福助の楊貴妃が宦官だと知らずに八十助の高力士に惹かれ、そうと知った後の絶望と、更にそれゆえの誘惑と、それによる復讐をうける無惨な話だった。
ここでも八十助と福助の悪縁の男女の魅力に撃たれた。

語ることは無限にある。
しかしもうおくことにする。
最後に、目前に迫る東大寺の修二会、「春を呼ぶ」お水取りの縁起を描いた舞踊劇「達陀」についても書いておきたい。

2002年の南座の顔見世興行だった。
襲名して三津五郎となった彼は冒頭に現れる堂童子を演じた。
演じた、というのは正確ではない。
堂童子として現れた三津五郎は非常に美しい踊りをみせた。
あのとき、きらきらしたものが舞台から飛んできた。それは三津五郎の踊りから立ち上る香気のかけらだったのだ。
今もあの美しい姿は忘れられない。
ああ、また見たかった…

さようなら三津五郎。
巳之助さんや一門を見守っていてください。
本当にいい男だった…

東京駅 100年の記憶 /東京駅開業とその時代

東京ステーションギャラリーで「東京駅 100年の記憶」展に二度ばかり出かけた。
かなりの時間を費やして見学したが、それでもまだ足りない。
なお新橋の展示も合わせて挙げる。いよいよドキドキが止まらなくなる。

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何を熱心に見たかと言えば、東京駅にまつわる記憶、東京駅がどのように愛されてきたかを知らしめる資料、歴史的事件の中での東京駅、などである。
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こちらは鉄道博物館のチラシ。骨組みがとてもきれい。
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最初に1916年に描かれた後藤慶二「辰野金吾博士 作品集成絵図」が目を惹いた。
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これは1916年時点の辰野金吾が手掛けた建物を寄せ集めた風景画で、こういう試みは非常に面白い。
山口晃の都市の絵を思い出しもした。あちらは可愛く楽しく面白い都市図だが、これは辰野オマージュ画。
なお、この絵についてはとらさんのブログに非常にありがたい解説があるので、こちらをご覧ください。

東京駅の様子。
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左翼部分イメージ (61)

映像もよかった。記録映像というものは意図せぬ面白味を見るものにもたらしてくれる。

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新橋のチラシ。

展覧会は2014年の年末から始まっているので、今年はもう101年目になっている。
その2014年に作られた東京駅模型が可愛い。いいジオラマ。
1914年と1964年の丸の内。
そしてこのジオラマは毎時30分になると点灯するのだ。

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図面色々あるうちに、わが愛する伊東忠太の「建物高さ比べ」がちらりと。
忠太は辰野のお弟子で、第二世代の建築家。
コンドル先生のお弟子たちの内、いちばん成り上がったのが辰野。
辰野に睨まれると東京にいられなくなる、というイヤなシステムを作り上げたのは、やっぱりよくない。
まぁその分東京以外では辰野式ではない見事な近代建築も多数生み出され、思ったよりも多く残ってはいるが。

関東大震災後の焼け残り風景写真がある。
丸の内の一帯では東京駅、郵船、などがある。
その翌年の星製薬(星新一の父上の創業)屋上からの風景写真がある。
駅と東京インキなど。
どちらにしろ帝都灰燼ニ帰スがよくまあ20年以内に復興したものだぜ。
(次は戦災でぼろぼろ)

佐藤翠陽の「もはや戦後ではない」以降の年の写真がいくつか。
和田倉門、丸の内から駅、八重洲から丸の内など。
1954-1956年。この時代にはもう希望が満ちている。

建築の古写真数々。
コンドルの三菱二号館、曾禰達蔵の東京海上、日本郵船ビルヂング、横河民輔の日本工業倶楽部(ああ、ステンドグラス・・・)、桜井小太郎の丸ノ内ビルヂング、渡邊節の日本興業銀行、吉田鉄郎の東京中央郵便局(これについては先般、郵政博物館で展覧会があった。感想はこちら
戦後の前川國男の東京海上ビルディング、村野藤吾の日本興業銀行本店・・・
村野の興業銀行は初めて見たとき、その構造が非常に不安定なように見えて、この銀行大丈夫かいなと思ったら、バブルがはじけた後あれなので、やっぱりこの建物はなあ、と思ったものである・・・

昭和女子大の田村研究室の皆さんが拵えた東京駅体が大変面白かった。構造の模型。
これは台に乗って上から見ることも出来るが、監視員さんに「あなたは背が高いから、よけい面白いでしょう」と言われた。他の人の視点は分からないので返事のしいようがないが、確かに良く見えたな。

新聞を見る。いずれも讀賣新聞である。今回の展覧会の協賛が読売新聞なので資料はこちらの新聞に限られる。

1910.5.26朝刊 それまでの新橋停車場跡をどうするか、という記事である。「大園誘地にし、ホテルも」とある。実際に出来たかどうかは別な話。

「♪汽笛一声新橋を」のあの新橋駅の移動。
この二年前に里見弴、志賀直哉、木下利玄の三人が新橋から関西方面へ旅立っていて、その様子を当初「寺の瓦」、後に1941年「若き日の旅」でまとめているが、同時代の明治の青年の旅立ちの様子がよくわかって面白い。
なお、こちら東京紅團さんのサイトに「寺の瓦」の旅のありさまが紹介されている。

なお最後に、展示されてる新聞の記事の内、全然東京駅と関係ないが妙に面白い記事を集めたものを挙げる。

1914年オープン当時の東京駅内の貴賓室や二階の廊下などの古写真がある。
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これは旧新橋停車場 鉄道歴史展示室の「東京駅開業とその時代」展にも出ていた。
どちらも見ることが出来たので、とても嬉しい。
さすがに昔の皇族用の貴賓室などは素晴らしい。歴史的価値観の高い資料写真。

絵葉書もある。明治に私製絵葉書作成が解禁になってから魅力的なものがたくさん世に出たが、ここにもその流れのものがある。
東京駅ホテルの入り口、一等待合室、即位記念の奉祝門などなど。

1914.12.21朝刊 東京駅の第一日目。見出しは「丸の内に響く初汽笛」そう、昔はピーッと汽笛が鳴ったのだ。

わたしの大好きな雑誌付録の双六がいくつもある。
1924年「日本少年」新年号付録「少年帝都復興双六」林唯一 
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林の健全で愛らしい絵双六が楽しくていい。未来の姿を描いているが、中には実現しているものもある。
屋上野球場、自動まんじゅう(オートメ化)、高架鉄道、高空消防、太陽熱の利用、移動病院(キャピタルの乗り物)・・・

1925年「キング」新年号付録「新東京名所巡り競争双六」浅野薫 上野はライオンに蓮、本郷辺りに一校と「キング」編集部、両国の被服廠(納骨堂)、女子大、目黒不動の競馬、薩摩原の四十七士墓(泉岳寺のことなのか)、などなど。

1930年「少女画報」新年号付録「世界漫遊絵合」 世界中を納めているが今日的にはまずい表現も多いものの、可愛い。蒙古、ラサ、ビルマなどの地にそれぞれの景物。
上海でインド人巡査というのは村上もとか「龍 RON」でも描かれている。
ハリウッドではチャップリンなどなど。

この時代に出たモダンな自刻自摺の木版画や本の装幀なども並ぶ。
稲垣知雄、 江南史朗、川上澄生、平塚運一、恩地孝四郎、諏訪兼紀らの木版画がどれも素敵。
中でも諏訪のには車寄せに集まるクラシックカーがとても魅力的。
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土谷傳の石版画は新橋にも。
駅前の賑やかな様子を描くが、空にはツェッペリン号らしきものも見える。
こちらは新橋で見たもの
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小出楢重が装幀を担当した本もある。
窪鴻一・三室葉介「猟奇の都」1930年 ああ、小出の短い晩年の仕事。表紙が東京、裏表紙がパリ。そこで腕時計の手首が伸びる東京、肘と腿の延びるパリの夜。
モダンな良さがある。

山川秀峰 東京駅と美人 1942 ポスター。いい感じ。やはり清方の弟子筋はこうした商業作品も魅力的。
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洋画では松本竣介の戦時中の作品がよかった。
いずれも「東京駅」が主役である。
線描のよさが目に残る。
駅の裏を描いた暗い絵もあった。
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安井曽太郎の「八重洲口風景」は1955年以前というが、未完の作のようだが、妙に可愛い。

吉田初三郎の「鉄道旅行案内」本もある。かっこいいな。

紙資料だけではない。
東京駅の復原工事の際に作られたり、創建時に作られた装飾品がある。

干支の動物をモチーフにした白いレリーフ。耳をかく犬、走るイノシシ。乾(戌・亥)。
どちらもいい感じ。
これで思い出すのが中之島の中央公会堂。あそこにも動物たちのレリーフがある。
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階段の手すりがある。レトロで綺麗な階段。場所により違う表現が見事だ。ここには現物が一種だが古写真がある。
錆び付いているがとても魅力的。

写真を見る。中に警視庁カメラマンの石川光陽の東京駅が目を惹く。
ライカが必要だと警視庁に買わせ、存分によいのを撮っている。
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市電と共に東京駅。かっこいい。
この人の写真展は以前に新橋停車場で見ている。
226事件の現場写真まである、という人なのである。
だから空襲を受けた東京駅の写真まである。
当時は防諜とかなんとかやかましかったのだが、この人は別。

敗戦後から高度成長期、そして現代へ。
東京駅のその時々の姿。
新聞記事で東京駅の存続か否かという論争がどのような形だったかもわかる。

1964.10.1朝刊 新幹線開業。希望に満ちた朝ですなあ。

ここで新橋での展示にとぶ。
東京駅開業の頃。
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在りし日の新橋駅。イメージ (67)

モガの持つ化粧具袋がいい。布包みだが、これは今の化粧ポーチになる。
モガたちもどんどん旅行に出かけた時代。

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林唯一 大正時代の駅改札 駅には別れと出会いがある。さらりと悲哀に似たものがそこにある。

ここで一番おもしろかった展示は発掘された(古代ではなく近代遺品の発掘である)駅弁の土瓶と、その地の駅弁の紙包み、駅やその周辺名所の写真などを双六仕立てにしたもの。
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下関から始まる双六。大阪は今も現役の水了軒、土瓶は特許も取った、下向きの口を持つ。
岡山の寿司、京都は萩乃屋、大津は駅舎がドイツ風で素敵。

三州吉良は鮎寿司、豊原はうなぎごはん、国府津は鯛飯、大磯がサンドイッチで、これは山北(神奈川の端の山の中の駅らしい)と共に二件のみ。
大府は駅前の料理旅館、ここには人力車もある。
沼津は鯛飯、駅から富士山がみえる。

岡崎は鍵屋の弁当にゼブラソース・ライオンソース・ホームカレーの宣伝付き。
大磯のサンドイッチにはハムライスの素・チキンライスの素の宣伝つき。
もちろん横浜は崎陽軒のシウマイ。

ああ面白かった。
そして大磯のサンドイッチで思い出すのが九代目団十郎。
大磯に別荘を持つ九代目は盟友の子・六代目菊五郎とその弟の坂東彦三郎をつれて展望車で向かうのだが、そのときには必ずハムサンドを食べていたらしい。
わたしのアタマの中では、芳年の「毛剃」の九代目が展望車でちびっこ二人と共にくつろいでいる姿が浮かんでいるのだった。

こちらは新橋に設置されていたスタンプイメージ (73)

最後に東京ステーションギャラリーで展示されていた新聞の三面記事で、興味深いものをいくつかピックアップする。

・1910.5.26 この前夜にハレー彗星観測。
・1914.12.21 銀座三枝(サエグサ)の宣伝、「泥棒季節到来」、七世幸四郎の長男金太郎、帝劇で初舞台。(後の海老蔵=11世団十郎、今の海老蔵の祖父で天下の美男)
・1929.12.16 サロメチールの宣伝。
・1945.10.5 杉村楚人冠の訃報、GHQによる「股旅もの禁止令」演劇界に猛省促す。
・1977.3.18 地下鉄11号線(現在の半蔵門線かと思う)の工事が住民反対により難航している。国立劇場は「しらぬひ譚」、名画座もいいのがたくさんかかっている。
・1952.10.15 日本シリーズ南海x巨人四戦目結果。

あと大臣襲撃などの歴史的事件などもあり、また外国人記者から日本は暗殺事件が多いと書かれてたりもする。
それから十勝監獄で男囚たちの三角関係による斧での殺人事件と犯人の自殺などなど、人権がやかましくなかった時代らしい、実名報道なども多かった。
王子五人殺しの裁判の模様などもあるが、明治の世でも今の39条と同じようなものがあることを知った。
ほかに広瀬中佐像の除幕式など。
(なお、前述の十勝監獄の記事は文章そのものがたいへん面白いので、新字・新かなにしつつも記事全編を写してしまった)

東京駅100年の記憶、これからは未来への100年が始まるのだった。
3/1まで。

茂田井武 記憶の頁 

銀座ノエビアギャラリーで「茂田井武 記憶の頁」展が開催されている。
前期は2/20まで、後期は2/22から3/27.
前期の感想を挙げる。

フランス留学中の作品を集めた「ton paris」と絵雑誌「キンダーブック」からチョイスされた原画などが展示されている。
茂田井武の展示はこれまでちひろ美術館などで開催されているが、この銀座ノエビアでの展示はちょっと意外な感じもする。
しかし「ton paris」のオシャレさは銀座にふさわしいようにも思うし、優しい童画は場所を選ばず魅力的なのだった。

わたしは先に童画から見た。
かそうぎょうれつ どうぶつたちがそれぞれ好きなコスプレをして歩く。
先頭はライオンの郵便屋さん、そこから始まり練り歩く群。
ゾウのお医者さん、白クマ夫婦の仲人、ロバの看護婦さん、クマの少年剣士、カバの船長さん、イノシシの魚屋さん、トラやヤギもウサギもいた。
みんなまじめな顔で歩く。晴れ晴れと明るい日の下で。

1957年のご挨拶がある。
しんねんおめでとう いろんな人やどうぶつたちがおめでとうと挨拶を交わす様子が描かれている。
虎と豹の挨拶、目が可愛い。猫同士も丁寧にごあいさつ。

同年の童話の挿絵がある。原作は関敬吾。
おひさまともぐらとかえる 空にいっぱいの太陽があったので、モグラにはうっとうしくてならない。そこで弓矢でお日様を打ち落とすことを決めて、ひそかに支度をする。そのことを知ったカエルはひそかにお日様に計画のことを告げる。
モグラたちは「ヘゴ」で弓つくり。撃ち落とそうとしたら逆襲された。
そしてモグラは地中に住まうことになり、カエルは冬の一日、ポカポカ陽気の日を与えられることになった。
太陽が複数個、空にあったというのは野尻抱影の「太陽」に書かれた台湾の昔話にもある。
うーん、モグラもモグラだけど太陽もどうなんやろ…

鳥寄せじいさん 笛を吹いて鳥たちを呼び寄せるおじいさんをみる子供たち。
この絵はわりとすきで、実際よく出てくるようにも思う。

こんやはよみや 宵宮のにぎわいを描く。可愛いなあ、しみじみ。とても楽しそうでわくわくする気持ちが伝わる。

絵本の仕事でどうぶつの寝場所を描いたものがある。
きりん ストーブぽかぽか。二頭が寄り添って眠る。
くま 穴の中でスヤスヤ。これを見ると茂田井の童話絵本「くまのこ」が読みたくて仕方なくなる。
母親から引き離された双子のくまのこが町の動物園で「母さんに会いたいな」と思いながら暮らす姿。
これはとても欲しいのだがコピーですら手に入らないし、前の展覧会の時に問い合わせたら、学芸員からかなりいじわるな言われ方をしたので、よけいにこの物語への愛情が増している。「会いたいのに会えない」のはくまのこも、わたしもそうなのだった。

ホフマンのくるみ割り人形 雪の日にクララの家に来るドロッセルマイヤーオジサンの姿。街灯の下には黒犬。寒そう。建物は皆深緑色。
道路も緑、それが絵を暗くしないでいる。
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土の日 かえる、へび、椿、水仙、チューリップ… いきいきしててもどこかのんびりなのが楽しい。

武井武雄と組んだ「ちっくとちゃっく」の物語もいいね。きんちゃんと、腕白ロボットちっくと、茶猫のちゃっく。学校についてゆく。

ねむい町 これは面白い童話だった。発想そのものがね。Kちゃんがその「ねむい町」に来ると、Kちゃんまでもが眠くなる。死んだような町。エコロジー童話ですなあ。

ステンドグラス これは本当に好きな一枚。画像はわたしの持ってる分なのだが、惜しいことにここで切れているのだ。
色んな絵柄の入ったステンドグラスを見る男の子と女の子。
何かしら物語性を感じる。
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月へ行きたい 4コマ漫画の連作物。実はSFものなのだよ。

次からはパリ。パリの絵を綴ったものはすべて大川美術館に所蔵されていた。
街と人のスケッチ。エスプリが利いている。
1930年代のパリ。21歳の茂田井武の彷徨。
河出から出ている茂田井の画集などでも、パリ時代の絵日記のようなものが挙げられているが、妙な孤独と賑わいと楽しみと寂しさとを感じた。

絵にはいずれも簡素な、文章にもならない単語の羅列に近いものやつぶやきのようなものがフランス語などで記されている。
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郵便小鼓の仕切り所 黒い家 愛想のいい娘 病弱の母
などのような言葉が看板などに書かれていたりする作品群。

いつも歩道を見ている仔犬 女の人と仔犬 「会ふは別れのはぢまり」
椅子に座る人 老人と猫 日本人倶楽部のサロン。
どれを見てもどこかオシャレだった。

後期も楽しみにしている。

写楽と豊国 役者絵と美人画の流れ その2

続き。
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・肉筆画
歌川国宗 美艶仙女香の店先 絹本軸装 90.0×29.0 文政期(1818~29) 新内語りの男、店の女。外には犬二匹。この化粧品は英泉も宣伝絵を描いている。

歌川国久 ほととぎすを見る遊女 絹本軸装 84.8×32.9 享和~文政期(1801~18) 琴を弾く遊女。垂髪で三日月に杜鵑が飛ぶ構図は、江戸というよりもっと前の時代風。

歌川国久 雪の大川端を急ぐ芸者 絹本軸装 94.5×39.4 享和~文政期(1801~18) グレー色がいい。鼻緒は竹青色。襟の白さがいい。

歌川豊国 おいらんと禿 絹本軸装 77.8×27.3 寛政中後期(1793~1800) 禿の吹輪は紫の小花群。可愛いな。

歌川豊広 団扇を持つ女 紙本軸装 87.7×27.0 享和期(1801~04) 風鈴から蜘蛛が下りてきた。来べき宵、ですかな。

歌川広重 岡場所の女 紙本軸装 102.5×29.7 天保中期(1834~38) 楊枝を咥えた立姿。鼈甲の櫛を差している。

歌川国貞 辰巳芸者  絹本軸装 68.5×28.5 文政後期(1823~29)  素足なのは芸者の誉れだとか。「羽織芸者」とも呼ばれる深川の芸妓さん。かっこいい。

・美人画
歌川豊国 錦絵大判 文化中後期(1810~17)連作「今やう娘七小町」が続く。
ファッションリーダーぽい感じの娘たち。笹紅も使う。
今やう娘七小町・かよひ小まち 手に灯りあり。 
今やう娘七小町・関寺小まち 鐘を見る。 
今やう娘七小町・草紙洗小まち 耳盥。歯磨き。 
今やう娘七小町・あうむ小まち 白い鳥がいる。
今やう娘七小町・そとは小まち 柴に座り一休み。傍らに蝶が飛び菊も咲く。
今やう娘七小町・清水小まち 桜を投げ入れた手桶を持つお嬢さん。
今やう娘七小町・雨こひ小まち 傘さして文を読む。
娘七態でしたね。

歌川豊国 両国花火之図 錦絵大判六枚組 天保中期(1834~38) これは面白くてね。橋の上下の人々、それぞれの楽しみ方。船は歌川丸。
花火がカッコいいのが上段、舟の行き交いが面白いのが下段。
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歌川豊国 初時鳥の図 錦絵大判 寛政~文化期(1789~1818) 起きて、うーんと伸びたところでホトトギス。江戸人の夏の始まりですかね。
 
歌川国丸 夜鷹 錦絵大判 文政期(1818~29) 雪夜に傘さして行く夜鷹。その足元には犬がついてくる。夜鷹は蓆を持って歩くものではあるが、冬は蓆だけでは寒すぎて客も取れないのかもしれない。

歌川国直 夏 錦絵大判 文政期(1818~29) 盥で洗髪するママにくっついて笑う子供。ほのぼの。

歌川国直 冬 錦絵大判 文政期(1818~29) ぬくそうな黒頭巾の女が傘さして雪の渡し場へ。舟に乗ろうとするそんな姿も絵になるのだ。

歌川国安 風流娘手遊 錦絵大判 文政期(1818~29) 金魚鉢を持った娘が顎とのどとで団扇を押さえる。ちょっとした仕草が可愛い。

歌川国丸 蚊帳の図 錦絵大判三枚続 文政期(1818~29) 三人の女それぞれが蚊帳の内外でいろいろ。斑猫が蚊帳の裾で一人格闘しているのも可愛い。
猫ってなんでああして蚊帳でもカーテンでも壁紙でも戦いの相手にするのだろう。

歌川国貞 切子燈炉・紅毛鳥・ぎやまん船ガラス細工 錦絵大判三枚続 文政2年(1819)頃  一枚一人ずつ。切子燈籠は細工がとても細かくてジャラジャラと綺麗。紅毛鳥は三羽・三色それぞれ。ぎやまん船は東インド会社のマーク付き!そうか、そうなんだと思う。それにしてもどこからの情報だったのだろう。国貞は何を見てそれを絵に入れたのか。長崎からだろうか。

歌川国貞 神無月はつ雪のそうか 錦絵大判三枚続 文化14年(1817)頃  この三枚続きは好きで、見かけると喜ぶが、中身は決して明るいものではない。
雪のしんしん降る夜の夜中、二八そばに群がるのは〈そうか〉即ち〈惣嫁=夜鷹>のこと。傘をさすのもいるが、ほんと、たいへん。折角のぬくぬくのそばも雪が入って冷たくなるよ。
雪の夜はストリートガールも大変。
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ところで惣嫁と言うのは上方の言葉ではあるが、こうして江戸でも使われている。<竈=かまど>を<へっつい>というのは浪花言葉だが、江戸でも流通していた。
近松や西鶴の著書で広がったのだろうか。
なお芝居でも文楽の「太平記忠臣講釈」に赤穂義士の嫁のおりえが惣嫁として七条河原で袖を引くのだが、これは忠臣蔵の書き換えというか義士外伝くらいの立ち位置で歌舞伎でも上演されているから、やはりそんな関係で流通したのだろうか。
色々調べたらもっと面白いこともわかるだろうが、今はこうして疑問に思うだけ。

歌川国芳 八町づゝみ夜のけい 錦絵大判三枚続 弘化期(1844~48) これも粋な絵で、三人のいなせな女たち背後には、シルエットの人の群れ。
こういう作品がやっぱり国芳の美人画の面白さ。

歌川広重 東海道川尽・大井川の図 錦絵大判三枚続 弘化4~嘉永5年(1847~52) 蓮台でゆく女たち。大名の行列も大差なし。

歌川広重 東海道川つくし・はこね谷川之図・温泉湯亭の図 錦絵大判三枚続 弘化4~嘉永5年(1847~52) あああ、気持ちよさそう。欄干にもたれて風に吹かれて。温泉の心地よさを涼風に流して。対岸にも宿が見える。
もしこの時代に箱根駅伝が開催されてたら、この女たち三人も「がんばれー」と声援しに行ってたろうな。

二代歌川豊国 風流東姿十二支・午(歯みがき) 錦絵大判 文政末期(1827~29) これまた蓮葉な女で、千鳥柄の着物をだらっと着て、楊枝を咥えてカルメン中。

二代歌川豊国 風流東姿十二支・申(洗い髪)錦絵大判 文政末期(1827~29) 梳る女をコマ絵の猿が見ているところ。

・役者絵
三代歌川豊国 三世尾上菊五郎の那迦犀那尊者 錦絵大判 元治元年(1864) この絵を見るたびいつも思い出すのが、大正の浅草オペラ「釈迦」。
前者は羅漢でフルカラーの大首絵、後者はわたしが見たのはモノクロ写真のバストアップだが、白塗りの妙な人。
どちらも変な扮装している。

三代歌川豊国 坂東しうかの橋本屋抱白糸 錦絵大判 文久3年(1863) あんまりいい見世の妓ではない。女形ではあるが、しうかはいなせでべらぼうにカッコよかったというだけに、こういう絵を見るとゾクゾクするね。
ほつれ毛がいい。
彼は八世団十郎と仲良しさんで、団十郎が自害したとき、「俺なら嫌いな奴を五、六人道連れにしてやる!」のたもーたそうな。

歌川芳虎 三世大谷友右衛門の安達元右衛門 錦絵大判 文久3年(1863) 国芳の破門された門人で、明治になってからはおもちゃ絵で名を成したが、こうして芝居絵もあった。
「敵討天下茶屋聚」の元右衛門。「まだある、まだある」。

歌川国芳 夏祭書替 初代坂東しうかの団七おかぢ、関三十郎の義平次ばゞア 錦絵大判 嘉永5年(1852)5月 今も人気の「夏祭浪花鑑」の書き換えで女団七。しかもお江戸版なので背後は山王祭かな、山車が出ているが人形が見える。
雨の中で、おかぢが悪人の姑を殺そうとしているところ。二人とも血まみれ。 
わたしはこの芝居が歌舞伎でも文楽でも大好きで、一時かかる度にどこにでも見に行ったな。この長町裏の場で一番陰惨だったのは金丸座での芝居だったと思う。見てて気合が入る入る。今もこうしてええ絵を見て嬉しい。
 
落合芳幾 英名二十八衆句・鳥井又助 錦絵大判 慶応3年(1867) 水中で、殺した男の生首を咥えて泳ぐ。元結を噛む。生首は静かな顔になっている。
そういえばこうして浮世絵ゆ講談本の挿絵などではよく鳥井又助ものは見かけるが、舞台では見たこともないな。

大蘇芳年 英名二十八衆句・団七九郎兵衛 錦絵大判 慶応2年(1866) そう、長町裏での殺し場。泥まみれの二人。団七の刺青は閻魔王になっていた。

大蘇芳年 英名二十八衆句・直助権兵衛 錦絵大判 慶応2年(1866) 直助が憎い恋敵の顔の皮をはぎ取るシーン。後にわかるが、この殺人は間違いで、彼は大事な旧主を殺してしまうわ・そうと知らずに妹を、と無残な罪を重ねてしまう。しかし元からが殺しも厭わぬ男だから、ここでも面の皮をはぎ取るのも平気も平気。
さていよいよ最後は芳年の晩年の名作。
雪月花之内月 市川三升の毛剃九右衛門 錦絵大判三枚続 明治23年(1890)  海賊の毛剃が今も残る「型」をぐーっとして見せたところ。
いいツラツキだからかっこいい。

ああ、いいもの・珍しいものをたくさん見た。
とても面白い浮世絵展だった。
長々と書きたくなる、いい内容でした。
3/15まで。

ちなみにこちらは小学生むけのリーフレット。
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いい展覧会をありがとう。

追加 2016.7.3に神戸ファッション美術館でも開催。
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写楽と豊国 役者絵と美人画の流れ その1

三鷹市美術ギャラリーで「写楽と豊国」展を観た。
副題は「役者絵と美人画の流れ」である。
正体不明の写楽はこれまで大きな展覧会が何度も開催されているが、はっきりと誰それと名の知れていて・弟子の血脈も現代まで続いていた豊国の方は、浮世絵好きな人しか知らない存在になっている。

わたしなどは正直なところ、豊国やその弟子の国貞・国芳から浮世絵に入ったので、そちらは好きだが、いまだに写楽の本当の良さと言うものがわからない。
これは多分わたしが現代的な眼で浮世絵を観ずに、往時の客と同じような眼で芝居を観、絵を見ているからかと思う。
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今回の展覧会は中右瑛さんの監修だという。
見終えた今となっては納得することが多い。
なにしろ初見がかなりあるし、いつもなら出てこないような作品が多く出ていたからだ。
やはりそういう点で中右さんの眼が入った展覧会は面白い。
長くなりすぎたので二つに分ける。

追加:伊丹市美術館で開催されたチラシ。
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Ⅰ 写楽・豊国とその周辺の絵師たち
・写楽周辺の絵師

勝川春好 五世市川団十郎の暫 錦絵細判 天明6年(1786)11月  まずはおなじみのこの一枚。そこから始まるのはいいね。

鳥居清長 瀬川雄次郎の早の勘平 錦絵細判 安永6年(1777)8月  鉄砲を持ち、簑笠の猟師姿の勘平。この後に定九郎と猪とを間違えて射殺。この人違い殺人が後々の彼の無駄死にを呼ぶ。
立居姿のかっこよさにシビレる。

勝川春艶 沢村宗十郎の梅由兵衛、嵐龍蔵の源兵衛 団扇絵 寛政6年(1794)5月  刀を振りかぶる由兵衛とべたりとしながらそれに対しようとする源兵衛。二人の足の細さが綺麗。

流光斎如圭 芳澤巴紅の桜丸女房八重 錦絵細判 寛政6年(1794)4月  大坂の絵師らしい。八重は裾に花模様の着物で、手に釣瓶桶を持つ。これは多分「賀の祝」で白太夫のために兄嫁らとごはんをこしらえるために水を汲みに出るところを描いている。口笛でも吹きそうな楽しそうな顔つきである。
この後の悲劇など全く見えない。

十返舎一九 三世市川八百蔵の八幡太郎 錦絵細判 寛政6年(1794)11月  わたしは一九といえば「膝栗毛」などの戯作者だと思っているのだが、彼はなかなかの才人で絵も巧い。この絵を描いた頃は蔦屋の居候で、写楽の全身像時代のに似た絵を描いていた。
あんまり強くもなさそうな八幡太郎である。

叢豊丸 三世坂田半五郎と三世大谷鬼次 錦絵細判二枚続 寛政3年(1791)3月  何の芝居かはわからないし、もしかすると今では失われたものかもしれないし、または絵師の「こんなのが見たい」願望の絵かもしれない。
闇の中、ドスを抜くところ。提灯は足元で壊れている。現代ではなく江戸時代である。夜道は本当に森閑とした闇なのである。

歌川豊国 役者舞台之姿絵 きの国や錦絵大判 寛政6~7年(1794~95)頃  これは三世宗十郎の大岸蔵人(忠臣蔵の書き換え狂言なので、役としては大星由良之助にあたる)。全身姿。ふと見返るような様子で手には扇子。かっこいい。
この役者で大星の顔のアップは有名な絵。あちらは寛政8年(1796)4月刊行。
この大顔の絵には意味があり、騒ぐ蜂に何かしら悪い予兆を感じ取る、という表情なのだった。

歌川国政 二世中村野塩の桜丸 錦絵大判 寛政8年(1796)7月  三つ子で唯一若衆ぽい出で立ちの桜丸。髪も大量で結い上げた髷の大きさにも驚く。
女房には八重がいるものの、色々と妄想を懐かせてくれる絵ですな♪
  
・写楽の役者絵
東洲斎写楽 中山富三郎の宮城野 錦絵大判 寛政6年(1794)5月  「ぐにゃ富」と呼ばれた変わった顔立ちの女形。人気者だったようで豊国も描いている。ちょっとばかり獅童にも似ている気がする。

なお写楽の役者絵などの画像はこちらにどうぞ。
かなりたくさん並んでいます。
http://island.geocities.jp/hisui_watanabe/art/artgallery/ukiyoe2/sharaku/sharaku.html

・お江戸の人気力士たち
東洲斎写楽 錦絵大判 寛政6年(1794)11月ばかり。
大童山土俵入り 陣幕、玉垣、九紋龍、勢見山、和田ヶ原
大童山土俵入り 大童山文五郎
大童山土俵入り 谷風、雷電、花頂山、
いずれも当時人気の力士たち。
谷風と雷電は師弟関係で、わたしなどは川原正敏「修羅の刻」の雷電編をついつい喜んで思い出してしまう。

相撲絵は人気が高く、ここではそんなにデフォルメも激しくなさそうで、どちらかと言えばびっくりするような作品ではない。
むしろいい感じの絵にみえるので、ある意味<写楽の面白味>に欠けるのかもしれない。

勝川春章 東・小野川、西・谷風 対戦の図 錦絵大判二枚続 天明2年(1782)  久留米藩お抱えの小野川と仙台藩お抱えの谷風。小野川はまだ前髪。西の溜りが凄い顔つきの面々で埋まる。

勝川春英 小の川と楠 錦絵大判 天明~寛政期(1781~1800)  もう月代がみえる小野川。この力士が谷風の63連勝を止めたそうな。

無款 谷風顕彰肖像画 掛物絵、軸 寛政7年(1795)頃  インフルエンザで亡くなった稀代の名力士・谷風追悼文。絵は弓を持ち上げて回し続ける姿。宮城野で8/8に生まれたとあり、六尺三寸だからやはり大男。46歳でなくなった。惜しまれている。
前述「修羅の刻」の雷電編では親方の谷風の死により、雷電があと数年相撲界を持ちこたえさせ、やがて・・・という設定だったなあ。

栄松斎長喜 大童山と谷風人形をもつ山姥柱絵 寛政6年(1794)  子供力士の手には鉞、当時の風俗の山姥の手には谷風の人形。見立てですな。

歌川国安 大空武左衛門 錦絵大判縦二枚続 文化10年(1827)頃  七尺!!!この絵は前にも見ているが現代でも七尺は大きすぎるので、巨人病かな。

・ミスお江戸
喜多川歌麿 富本豊雛 錦絵大判 寛政4~5年(1792~93)  綺麗な絣を着て。紋は撫子という。
富本流の女師匠ですな。

喜多川歌麿 西ノ方関・浅草難波屋きた、東ノ方関・両国高しまひさ 錦絵間判 寛政前期(1789~94)  名高い美人二人の腕相撲姿。

喜多川歌麿 山姥と金太郎 錦絵大判 寛政末~享和初年  凄艶な山姥とお乳を吸う金太郎。わたしはこの絵はとても好きだな。色もいい。

喜多川歌麿 あわびとり 錦絵大判三枚続 寛政後期(1794~1800)  何人もの海女が岩でくつろぐ。中には子にお乳をやるのもいる。髪を絞るのもいる。みんなにこにこ。

以下三点は紅嫌い。
喜多川歌麿 女織蚕手業草 錦絵大判三枚続 寛政12年(1800)頃  ヤマガがひらひら舞う。糸はよく取れているようで。
改めて蚕と繭と蛾とのことを思う。

歌川豊国 大井川渡の図 錦絵大判三枚続 寛政後期(1794~1800) 客は全て女客。蓮台を担ぐのは毛むくじゃらのおっちゃんら。肩車は色白のイケメン。これはもぉ一目で何を言わんとするかがよくわかるというww

歌川豊国 富士山遠望姫行列 錦絵大判五枚続 寛政末期(1797~1800) 大名行列を全て女で描く。それだけにわいわいとやかましそう。傘持ち一人だけが若いイケメンなのもいい。

歌川豊国 弓遊び図 錦絵大判三枚続 寛政期(1789~1800)  女たちのお座敷遊び。的は花頭窓の奥。一人武家の若衆がいる。
若い女ばかりの団体に一人だけ若いイケメンを配すると、いよいよ女たちは小奇麗になるのだった。

歌川豊広・豊国  両画十二候 六月(四条河原納涼の図)三枚続 享和元年(1801) けっこう波がちゃぷちゃぷしてる。 食器に目がいった。焼鯛を入れたのは薄茶色に発色する青磁の鉢。彼らの弟子の時代になるとはっきりした染付が主流になる。
こうした所を見るのも楽しい。

鳥文斎栄之 若那初衣裳・丁子や錦戸 錦絵大判 寛政7年(1795)頃  鏡を見て目を細める美人。満足な様子。

鳥居清長 二美人 柱絵 天明初年(1781~84)  棚の上に梅紋の塗り分け梅盆や盥や火鉢など。その下で煙草を飲む立ち美人と座す美人。

玉川舟調  うちわ美人 錦絵大判 寛政~享和期(1789~1804)  ウサギが笹を見る柄の団扇。この人、スゴイ豊かな髪。
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Ⅱ 豊国の系譜 文化期以降―幕末まで

・役者絵

続き物というよりセット物というか。仁木弾正と荒獅子男之助の書き換えの芝居絵がある。
歌川豊国 錦絵大判 文化10年(1813)1月
五世松本幸四郎の剣沢だん正左衛門  実悪の鼻高幸四郎がニンニンと忍を組むが、目玉を白く塗ってたりVの字型の前髪がおかしい。
七世市川団十郎の三浦荒男之助  なかなか力強い。

歌川豊国 三重襷賭曙 おちよ半兵衛 錦絵大判二枚続 文化10年(1813)7月 近松の「心中宵庚申」の夫婦心中もの。もう今から死出の旅路に出るところらしく、男の着物は六文字が書かれ、袈裟なども付けている。
これは文楽とそれから芸術祭参加ドラマとで見たが、「舎利になっても戻ってくるな!」のせつない台詞がつらい話だった。

歌川豊国 文月恨鮫鞘 おつま八郎兵衛 錦絵大判二枚続 文化10年(1813)7月  これも上方では昔は特に有名な芝居で、戦前のある大夫などは「古今に、わしほど八郎兵衛の気持ちのわかるもんはおらん」と妙な自慢をしていた。
文盲の嫁はんが真意を隠して亭主を裏切り、それを知らん亭主が嫁はんを切り殺す、という殺伐とした芝居で、数年前に文楽でかかった。
これも化政期では江戸でも上演されていたのか。江戸前でやると「お祭り佐七」ぽくならないかな。
右の部屋におつまがいて、左側にはチョボがいる。庭にほっかむりで殺意に満ちた八郎兵衛。舞台をイメージした絵。

なんだかんだ言うても、やっぱり芝居絵は幕末のが最高だと思う。
実際の芝居では殺し場と濡れ場があってなんぼだし、芝居絵でもやっぱり殺し場がベスト。

歌川豊国 魂祭お七の追善 錦絵大判縦二枚続 文化6年(1809)7月  縦の続きの上には欄間に蓮の茎を持つお七、下にはお小姓吉三郎。欄間にお七はこの後の黙阿弥の「三人吉三」の終幕近くにその場がある。お嬢吉三は八百屋お七の見立てだからとても納得。

歌川豊国 五大力艶湊 錦絵大判四枚続 文化12年(1815)3月  「五大力」の書き換えもの。殺し場。右には女伊達の奴の小万(板彦)、殺意に満ちた源五兵衛(三津五郎)、狙われている芸者の小万(松江)、逃げ出そうとする三五郎(市蔵)らがいる。
雨の中、駕籠から出る四人。奴の小万が止めようにも、もう源五兵衛は刀を振りかぶっている。二人の小万の手にはそれぞれ書状が掴まれているが・・・

見立て絵が続く。ファンサービスもの。
歌川豊国 五枚続でここには四点。錦絵大判 文化期(1804~17)
諸商人 五枚続 曙山虫うり 二世田之助の綺麗で鯔背な姿。
諸商人 五枚続 秀桂団扇 三世三津五郎な粋な姿。
諸商人 五枚続 杜若地紙 目千両の可愛い顔。
諸商人 五枚続 三升水 ねじり鉢巻きの鯔背さ。
あとは植木売りの松助の絵があるそうだが、この連作は完全に初見。

歌川豊国 岩井半四郎の助六 団扇絵 文化13年(1816)3月 可愛い女形の助六。倒錯した楽しみがある。あやめ文をつけている。杜若(かきつばた=とじゃく、彼の俳号)だからなあ。

実際に目千両の半四郎が助六をしたかどうかはしらんが、してないとすると、やはりこれはファンサービスの最たるもの。
やっぱりね、ある種の倒錯の歓びがないと歌舞伎は楽しめない。
今風に書けば「男の娘の男装」かな、この助六は。二重の倒錯がある。
しかもこれでたとえば絡む相手がいたとして、それを演ずるのが兄弟か親か子なら、もぉ三重の倒錯で、愉しみが滴り落ちてくる。

歌川豊久 松本幸四郎の亦五郎、市川団十郎の志津摩 団扇絵 文化8年(1811)5月  鍵屋の決闘の書き換え。鼻高幸四郎と切り結ぶ図。いいねえ。

歌川国貞 三浦あら男之介、剣沢だん正左衛門 錦絵大判二枚続 文化10年(1813)頃  七世團十郎と鼻高幸四郎と。闇の中、ネズミを踏みにじってますな。

歌川国貞 菅原伝授手習鑑 錦絵大判四枚組 文化8年(1811)7月  車引。時平は初代松緑、梅王丸は源之助、松王丸は歌右衛門、桜丸は松助。

歌川国貞 もと様参かしく文月 松本幸四郎、市川団十郎、岩井半四郎 錦絵大判三枚続 文化11年(1814)7月  小舟を出している。漕ぐのは鼻高で、目千両の帯を取る。そして波間から舟に這い上がろうとする木場の親方。舟には鍋の支度も怠りなく、黒い丸いスイカがある。切ったスイカも見えていて、赤々とおいしそう。スイカと瓜のある小舟。

歌川国貞 伊賀越乗掛合羽 錦絵大判縦三枚続 文化11年(1814)8月 芝居の1シーンを表現しているが、建物の構造を縦で描くことでなるほどと思わせる。
上に敵の沢井(市蔵)がいて、中にその似顔絵を眺める荒木(三津五郎)、竹塀の向こうに巡礼姿の女房お谷(松江)。なかなかドラマティックなシーンである。
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こちらは取材したものではなく、やはりファンサービスのフィクション連作かと。
歌川国貞 錦絵大判 文化8~9年(1811~12)楽屋錦絵二編 十枚之内 
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松本幸四郎 煙管を持って仁木弾正の出待ちか。ぐーっとしたところがいい。狂言作者らと。
岩井半四郎 清玄ものの出待ち。しかし桜姫ではなく水茶屋おかじの役。
沢村田之助 天神祭をここでは2/25に行うので、暖簾は車引、地口行灯の拵えを眺める。
市川団十郎 お正月の様子。木場の親方。
瀬川路考 赤毛の舎熊の手入れ。牡丹をつける。髪をひとまとめにして、うーんと伸びる。
尾上紋三郎 三階さんの打ち合わせ中。退屈そうなのが二人いる。今月は出番なし。
沢村宗十郎 鬘打ちの人が来ている。三世の絵姿の前でご飯中。
中村歌右衛門 庚申さんの日。三世歌右衛門はとても好きな役者。(絵しか知らんが)
坂東三津五郎 永木の三津五郎は踊りの天才で、倅に稽古をつけてるところ。
尾上松助 後の三世菊五郎で殺陣を考案中。自信に満ち満ちている面構え。 

ここまでが1.

芳年と国周 「風俗三十二相」と「見立昼夜二十四時之内」

浮世絵太田記念美術館の今月の展示は「芳年と国周 風俗三十二相 見立昼夜二十四時之内」連作の紹介と、彼らの先師、同時代の絵師、弟子筋の絵が並んでいる。
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肉筆画は四本。
飾る床の畳がとても青青としていた。
それだけでも好感度が高まる。

国芳 桜下身繕いの芸者 帯を直すところを描く。

梅堂小国政 地獄太夫図 打掛に閻魔。墨を多用した絵。払子を持つ。そして萌黄地に金の花びらの柄の帯。

国周 閻魔大王と浄ハリ鏡 綺麗な太夫が鏡に映り、にやける閻魔大王と、それを見る鬼の獄卒たち。リアクションがいかにもww

以下、芳年の「風俗三十二相」シリーズが続く。明治21年の連作。
これはいろんな時代のいろんな身分の女たちのいろんなポーズを描くもの。
特に有名なのは「うるささう 寛政年間 処女之風俗」。
にゃんこにまといつき楽しそうなお嬢さんと、迷惑そうな猫の図。

いたさう 寛政年間 女郎の風俗 男の名を刺青する女郎。これで次に間夫が出来たら古い名を焼き消したりするのだ。

あつたかさう 寛政年間 町家後家の風俗 こたつによる後家さんは読書中。こたつの上で猫が丸くなる。

けむさう 享和年間 内室之風俗 蚊遣を炊いておお煙たい、という図でこれまた人気作。

みたさう 天保年間 御小姓之風俗 大奥に仕える娘。七歳から十七歳くらいまでの間、大奥に就職して色々と学ぶ。ピンクが綺麗。
「鏡獅子」の弥生が「お小姓」なのはこれです。

むまさう 嘉永年間 女郎之風俗 染付皿に天ぷら。エビ天食べますの図。(むまさう=うまそう)
これを見て思い出すのが鈴木あつむ「おいらん姐さん」にあるエピソード。
仕出し屋の料理は見栄えは綺麗だが美味しくないし量もたいしてない。
主人公らのいる楼の下っ端女郎で料理のうまいのが、懸命においしいのを拵え、それが評判になるという話。
あれはなかなかよかったなあ。

かいたさう 嘉永年間 おかみさんの風俗 盆栽がほしいんだけど、という図。染付で雷文の連続文の鉢の木と、「人黄金」の鉢を見ている。

遊歩がしたさう 明治年間 妻君の風俗 パラソルに洋装で花飾りの帽子。花菖蒲がきれいに咲いている。

にくらしさう 安政年間 名古屋娘之風俗 派手やなー。髪がすげー。百年ほど前も名古屋嬢は独特のセンスだったのだなあ。タイトルが面白いよ。

はづかしさう 明治年間 むすめの風俗 黄八丈を着る。
江戸だけでなく明治でも黄八丈が娘の着物なんだなあ。

次は国周「見立昼夜」。
これは24時間なにをしているかの図で、コマ絵はその時間の地口(洒落)などを描いている。

午前一時 大名時計が背後にある。女官たちが夜の見回り中。

午前三時 夜泣きする子供をシーシーさせる。そしてコマ絵では一つ目小僧のオバケがベロを出している。「泣くとオバケが参じます」とある。参じます、で三時。

午後十二時 新内語り。豆絞り。コマ絵はショウギで正午の地口か。

午後三時 娘が洋傘でお散歩。コマ絵は「気も三時、気散じ」ですな。

ほかの絵師の絵を見る。

国貞 当世美人合 おいらん 梅を大きく象った簪。着物は梅にトンボ。大首絵。

国芳 山海愛度図会 よい日を拝みたい 出雲はち密 御殿女中が暦をめくっている。はち密てのがわからない。

水野年方 三十六佳撰 宝暦頃婦人 茶酌女 ふっと見上げる。表情がだいぶ近代的になりつつある。

年方 三井好 都のにしき これは虫干し図。

楊斎延一 源平雪月花 かむろと共に小舟に乗り鼓をうつ遊女。室津である。向こうからは大船がくる。その船には清盛のような風体の男がいる。

池田蕉園 やへかすみ 襠なしの行燈袴をはいたり、靴やリボンやパラソルの女学生たち。「榊原百合子」の気持ちで描いたのかも、と想像する。

伊東深水 現代美人集の内 社頭の雪 長羽織で傘をさしてゆく。松も何もかも白い。

山川秀峰 雪もよひ 大首絵。白い顔に切れ長の眼。たいへん官能的。

歌川芳虎 当世十二時之内 丑の刻 花魁と吹輪のカムロ。働く吉原の時間。

色々と面白かった。2/25まで。

宮田亮平 海へ

同じくLIXILギャラリーで見たもの。
金工によるイルカの彫刻群。

海にいるような気になった。
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いるかだいるかだいるかだいるかだ・・・
「子午線の祀り」のようなセリフを言ってしまうね。
イルカの群れが楽しい。

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ああ、無機的な存在なのに、生命を感じる。

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可愛い、とても。

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影もまた海豚。

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とても心地よく感じた。
イルカと共に海をゆくような気になった。

2/21まで。

タイルが伝える物語 図像の謎解き

LIXILギャラリーで諸国の絵タイルを見た。

入るとすぐに聖書のイサクとイシュメイルの話がある。「ハガルの追放」
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旧約聖書の面白さを教えてもらうのにもいい。

オランダの子ども遊び。どことなくシュールである。
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籠にアモールをつめたのを持ち歩く。
アモールがどことなく諸星大二郎の描く不気味な胎児に見えて仕方ない。
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銅版画が復権した時代。リアルな感じで風景画のタイル。かっこいい。
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イソップ物語、「真夏の夜の夢」、「ベニスの商人」など。ヴィクトリア朝時代らしさのある絵。ミントン社製。
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中国では「塼」である。
こちらは二十四孝を描いたもの。玄室壁面を飾っていた。
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虎に乗る楊香。
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巨大みかんの下の陸積。

とても可愛く見える。

こちらは染付山水画。桃源郷らしい。赤絵の八仙もあった。
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バーナード・リーチの焼いたタイルもある。
なんと中国の古代の蚩尤である。びっくりした。
漢代の武氏祠画像石をモチーフにしたらしい。踊るような蚩尤。キメラなのだった。
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妙に可愛いな。

イスラームへ。
色も豊かで恋物語や英雄譚を描く。

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ホスローとシーリーン。
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美女シーリーンの水浴を除くホスロー。口に指を当てている。鼻血止めでもない。
二重まぶたの美女シーリーン。
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ときめきのホスロー。
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こちらは美青年らを侍らせる野宴図。
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イケメンを愛でる。
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ちょっとある漫画家の絵を思い出した。
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ゾウが生命の木を抱く。
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「王書」の中の英雄ロスタムの母と祖母。カイサリーエ(帝王出産)の始まり。
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「ユースフとズライハ」。美男の奴隷ズライハを誘惑するユースフと、埃及で彼を婦人らに見せびらかすシーン。
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失神する女たちもいる。群像が凹凸表現なのもいい。

厚さ7cmのドイツのタイルはストーブタイル。中はくりぬき。KIMG0719.jpg

ファム・ファタールを描いたタイルもある。
エマ・ハミルトンがミランダにふんしたもの。
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いいものをたくさん見れたなあ。
2/21まで。

三原順復活祭 二月 グレアム特集

三原順復活祭。
彼女がいなくなってからもう20年が過ぎていた。
空虚さをこの20年感じたことがなかった。
それは彼女がいなくても平気だということではなく、新作がなくても別にかまわない、といったことではない。
わたしは繰り返し三原順の作品を読み続けていて、時間が止まっていたのだ。

わたしの全ての時間が止まっているわけではない。
この20年の間に他に好きなことも多く出来、他の楽しみもたくさんある。
しかしわたしの中には三原順の居場所があり、その時間が流れることがなくなったというだけなのだ。
時の停まった世界はユートピアになる。
わたしはいつでも三原順の世界に溺れることが出来る。

わたしは「はみだしっ子」を愛し、愛しすぎて、現在は再読できない状況になった。
つらいからだ。
しかしそれではわたしの中から「はみだしっ子」の面影が薄れたかというと、その逆で、近年いよいよ存在感が大きくなり続けている。
これはわたしが大人になったからだと思う。

「はみだしっ子」の作品の流れを思うと、一つの大きな山場は「山の上に吹く風は」だった。
そこから「奴らが消えた夜」「裏切者」に続き、ついには「つれて行って」のラストシーンへと至る。
「山の上に吹く風は」以前の作品は、当時小学生だったわたしにでも<実感>として感じられる作品が多かった。
しかしどんどん難解な言葉が増え続けてきて、それを考え続けることでこちらの理解力も弥増していきはしたが、一方で「何故こんなにも難解なことを作中に」という思いも湧いていたのは確かだった。

そしてその当時難解だった様々な事柄がようやく今になってわかってきた。
随分遅い話である。
わたしはいつの間にか彼女がいなくなった歳を越えていた。
それでようやく彼女が「はみだしっ子」の後半に込めたメッセージを読み解けるようになってきたのだ。

米沢嘉博記念図書館で開催されている「三原順復活祭」の第一期分は「グレアムと「はみだしっ子」特集」である。
5月まで四期に分けての展示で、来月はアンジー、再来月はサーニン、そして最後はマックスを中心にして、初期作品群・「ムーンライティング」「SUNS」・後期作品群の展示がなされるようだ。
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先に三原順の作品を今も読み続けていることを記したが、「はみだしっ子」の再読をしていないことをも挙げた。ただ、自分の脳裏には常に四人組がいることは明らかにしたい。
わたしはこの二十年、「はみだしっ子」以降の作品群をずっと読み続けていて、そのことについてはその展示の時にこの場に挙げたい。
今回は「はみだしっ子」の話を書く。
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初めてこの図書館に来たので場所がわからない。地図を見ると錦華公園を通り過ぎてちょっと北上するようである。
誰にもあわない道を往く。そのときわたしはあの四人組が旅をしていた頃の漂流感覚を思い出していた。
ようやく小さな建物を見つけたが14時からだったので、その場を離れて白山通りへ。
歩きながら彼らが歩いていた状況を思った。
四人は寒いとき・暑いとき・天気の良くないとき・宿を持たないとき、公共の施設にいた。
お金はグレアムのおじさんからの振り込みだった。
わたしは彼らのようには暮らせない。
しかし彼らがクレーマー夫妻の養子になって<家>を得たとき、彼らのために安堵すると同時に、枷が掛けられたように感じたのも事実だった。

時間を過ぎてから出向くと、もう観客でいっぱいだった。観客はほぼ同世代の女性たちである。
米沢さんの蔵書の懐かしい雑誌やコミケ風景の写真があるが、そちらには関心を向けなかった。
今日は「三原順復活祭」のためにここにいる。

ガラスのグリッドの中のボックスに原画などが展示されている。
わたしは「はみだしっ子」連載中に書かれた「In a Box,In a Bottle」を思った。
あれとこれとは全く状況は違うが、あの作品の救いのなさも常に胸底に沈んでいる。

最初に目に入ったのは1977年2号の「花とゆめ」だった。
「そして門の鍵」第一話が掲載されていた号である。
表紙はマックスが自分の絵が描かれた凧を揚げを挙げてるのに対し、三人がそれぞれ銃やナイフや弓矢で狙うという図で、これも忘れられない一枚だった。
同時掲載でタイトルが上がっているもので思い出すのは以下の三作。
忠津陽子「結婚の条件」第二話(ジャスミン・プライスがいよいよ旅立つ話か)、
美内すずえ「ガラスの仮面」(マヤちゃんが「たけくらべ」美登利に挑戦する話)、
和田慎二「スゲバン刑事」(「無法の街」の始まりくらい)
赤座ひではる「チリリン二人のり」…懐かしすぎる・・・
泣いてしまいそうになる。

わたしはこの次の号、即ち3号から最終回まで「花とゆめ」の読者であり購買者だったのだ。
今でもいくつもの作品が蘇ってくる。
3号には水野英子「ローヌジュレエの庭」の後編も掲載されていた。
マヤちゃんが「あたしは美登利さんにはなれない」と泣き、麻宮サキが事件の真実に近づきつつあった、あの号。

「動物園のオリの中」のカラーページが出ている。二色刷りか、朱色と茶色のカラーが見える。開始数ページ目の一枚。レディ・ローズが酔っぱらって四人まとめて面倒を見ると言い放っていたのを思い出す一連のページである。
何年も読んでいなくともすぐに蘇る。

「だから旗ふるの」の原画を見る。アンジー一人と三人の絵。
初期のエピソードの中でもわたしは特にこの話に感銘を受けていた。
「そして門の鍵」ともつながる物語で、アンジーの考えもグレアムの考えも当時から理解でき、納得できたからでもある。
このラストのアンジーの旗を振るシーンを見たときの感銘の深さは、今もどこかに活きている。

「つれて行って」のカラー原画を見る。11時に店に入るグレアム。いい配色。黄茶のダブルの上着に薄い紺色のズボン、明るいめのネクタイ。
そのページの最後一つ手前のコマは薄黄色と黒だけで描かれている。

番外編もある。
「ぼくは友達」これはサーニンが主役の話だが、解説にあるとおり確かにわたしも「気に障ると書いて気障と読む」のを知ったクチだ。
ここにはないが、この話は「♪夏も近づく八十八夜、サーニンいきなり衣替え (中略) ガキと女がたむろするなんとここは洋服屋」という替え歌で始まるのだ。
何十年経とうとも忘れない、楽しい替え歌だ。

四人それぞれの服選びのシーン。これも面白かった。
このときではないが、三原順の雑誌でのインタビューで、ご本人は服装に関しては「着れたらいい」と答えているのが印象的だった。

解説で三原順のトーンワークの上手さについての言及があり、改めてそのことに気づいた。
ここに挙げられているのは「つれて行って」の予告だった。グレアムの髪に貼られたトーン。グラデーションがとても綺麗だった。

原画は続く。
「もっとたきぎを」の納屋のシーン。グレアムが「分別」を捨ててきたところ。これは読んだ当時「巧い言い回しだな」と感心し、大人になればこんな言い回しが出来るようになりたいと思った。

実際、三原順の台詞回しはとても洒落ている。
いくつも胸に残る台詞が多いし、その発想に憧れている。

「山の上に吹く風は」の原画はアンジーが袋叩きにされて転がっているところ。酔っぱらいとの会話。

番外編「G グレアム」のピアノ演奏シーン原画。よく見れば上から・・・と点描のようなものが。

グレアムのピアノの話だけでなく、三原順の作品にとって音楽がとても重要な存在だということがここにも紹介されていた。
作品を読みだした当時まだ小学生の半ばだったわたしは意味も分からなかったが、今から思えばとても思い当たることが多い。

多くのレコードや三原順自身が選択した曲を入れたテープなどが展示されてもいた。
ザ・キャッツ「ひとりぼっちの野原/つれて行って」がある。ここからもそのことがわかる。
「クロイツェル・ソナタ」もある。これはグレアムが弾いていた。


現在日本で行われている裁判員裁判、これは「陪審員制度」である。
このシステムを知ったのはやはり「つれて行って」からだった。
昔の映画「十二人の怒れる男」がその陪審員の協議の話だということは知っていたが、話に聞くだけで映画そのものは見ていない。
だからこの「つれて行って」で初めて目の当たりにしたのだった。

この裁判の展開は今から思えば非常にためになるもので、どのような手段で無罪を得ようとするかの駆け引きといったものを教わり、イヤな奴にはイヤな奴が付くものだと思った。
描かれた手段は現実にはわたしは使えないけれど、覚えておくべきことのようにも思っている。

最後の番外編「オクトパスガーデン」がある。
これが本編の次に出て来てくれて、なんとなくほっとしたと同時に、もう本当に終わりなのだと思いもした。
途中からの番外編はギャグも洒落てる反面、突き放されてる感じがあった。
「こういう話なんですよ」と言われたとき、なんとなく納得しつつも落ち込んだのは確かだった。
ただ、現在のわたしが再読すればどう思うかはわからない。
アタマの中ではかなり後半の話をきちんと理解し、更に納得もしているから、却って読める気がしないでもない。
とはいえ、読むことでわたしは自分が彼らに懐いていた一種の友情、それを損なうかもしれない。それが怖くて読めないでいる。

カラー原稿を見る。
「そして門の鍵」の表紙である。グレアムのアップにシドニーがいるあの絵。
わたしはこの表紙絵が掲載された号から最終話まで一度も買いもらすことなく「花とゆめ」を買い続けてきたのだ。

次に「奴らが消えた夜」のグレアムとマックスの再会シーンのページが出ていた。
マックスは半ば意識がはっきりしていない状態でグレアムに再会し、本音をはっきりと口にする。
それを聞いた時のグレアムの幸せな笑顔。
わたしはグレアムのファンなので、非常に嬉しかった。かれがあんなにも幸せそうな顔を見せることはあまりないからだ。

あの当時、あのシーンだけで何十回となく繰り返して眺めた。
30数年後の今もやはり胸が熱くなる。

「バイバイ行進曲」の絵がある。グレアムが一人たたずむ。ブラウスを着て首に黒い細リボンのグレアム。リボンが風になびく。

グレアムファンとしてはあの父親は毒親なのだとしか思えなかったが、あの連載中に義理の叔母に当たるひとに「はみだしっ子」のキャラで誰が好きかと尋ねたところ、「このピアニストの人」とグレアムパパを指した。理由が「芸術家としてとても自分に厳しくて、そのために全てを削ぎ落しているから」という意味のことを口にした。
そのとき「大人の見方というものは違うものだな」と思い、「バイバイ行進曲」をグレアムパパや伯父さん側から読んだこともある。

そのグレアムパパの演奏シーンが描かれている。実際当時読んだ時も「かっこいい」と思ったシーンの連続である。
人間性に問題があっても一個の芸術家としては見事な人だということを、改めて感じる。

「ブルーカラー」のカラー原画。グレアムのアップ。その向こうにマックスと事件の始まりの犬がいる。
思えばこの話はいやな話だった。
連載中いつも思っていたことがある。法律というものはそれをいかに巧く利用するか、それに長けた奴だけが舌を出して敗者を嘲笑する事が出来るのだ、と。
ああ、いややなあ。
このとき、イギリスの法律に準拠していたと注意書きがあったのを覚えている。

「つれて行って」のカラー原画。サーニンがエルバージェに乗り横に白い中で三人が佇む。
四人のうち、はっきりと将来への希望を持っているのはサーニンだけなのだ。

「はみだしっ子」は「別冊花とゆめ」で番外編を掲載したりちょっとした企画が立てられたりしていた。
わたしは全部ではないが買っていた。
だからそこで連載していたわたなべまさこ「百塔」などをリアルタイムに読んでいたのだ。

この絵は短編集「ラストショー」の表紙に使われているのだが、わたしは長いことこの絵に<だまされて>いた。
つまり階段の踊り場の大壁に掛けられた海の絵、潜水艦浮上の絵、あれをてっきり窓からの眺めだと思いこんでいたのだ。
今こうして原画を目の当たりにすると、壁に掛けられた絵だということがわかる。一種のだまし絵のような絵だが、これが窓の外の眺めだと思ったのは、当時の四人がまだ旅の途上にいたからだと思う。
これは1978年別冊夏号掲載。
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四人が筏に乗る絵があった。アンジーが傘を差しているもの。この絵もとても好きだ。
というより、そもそも「はみだしっ子」で好きではないものが殆どないのだ。
ただ、つらい・苦しいシーンだけはそぉっと見ていたが。

当時のグッズなどが大きなトランクの中に納められていた。これはずっと仕事場にあったものだそうだ。
わたしがもっているものもあった。
本当に懐かしい。

紙袋。正面からとサイドから。ちゃんとオチがついている。
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展示を見ながらメモを取っていると、そばにいた人もメモを取りだした。
ただ眺めるのではなくこうしてメモを取れば、いよいよ感情は深くなる。
狭い展示室には三原順を愛し、三原順の作品で自分の人生の始まりをみた人々で満ちていた。
みな言葉もなく原画やグッズや三原順の愛した音楽の資料などをみつめている。
出しかけた言葉を飲み込み、それを反芻し、形にすることなく胸底に沈める。
感情はいよよ熟成される。
愛情には深いせつなさが含まれている。
もうなにも言葉を形にする必要はなかった。

来月はアンジーを中心に、初期短編を特集するそうだ。
今度も必ず出かける。

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付録と単行本はすべてわたしの所蔵品から。

近藤ようこさん、大賞おめでとうございます。

この度、文化庁メディア芸術祭のマンガ部門の大賞に近藤ようこさんの「五色の舟」が選ばれた。
ファンとしてとても嬉しい。

2/15まで国立新美術館で受賞作品の展示があった。
様々な分野の作品展示である。
アニメーション部門では「クレヨンしんちゃん」の映画の紹介もあった。
わたしが行った日は2/14で、多くのお客さんでにぎわい、入場制限がされていた。
少しばかりの時間を待って、会場に入る。

近藤ようこさんの「五色の舟」の感想については以前にこのブログでもあげている。
こちら
一年近くたち、新たな喜びを得られたことを感謝している。


五色の舟五色の舟
(2014/04/23)
近藤 ようこ



八話の内四話の原画が出ていた。
原稿には付箋が貼られ、指示や思い付きらしき言葉の断片が記されていたり、修正の白などが見えたりもする。
わたしはそれらを興味深く眺めた。
「昭助サコツ」
こうした付箋の言葉一つにでもときめくことが出来るのはファンの特権だと言える。

わたしは大勢の人の頭越しに原画を眺めた。
いくつか気づいたこともあり、とても楽しく眺めた。

いい作品がこのように高い評価を得る。
とても真っ当なことだと思う。

作品は既に再読を重ねている。
しかしながらこのように原画をみてしまうと、否応なくドキドキしてくる。
そう、続きが読みたくなるのだ。
台詞やちょっとしたコマなども覚えているというのに、それでもドキドキが止まらない。
ああ、いい作品に出会えてよかった…!!
改めてそのことを実感する。

近藤ようこさん、本当におめでとうございます。

二月二度目のハイカイ録

二月二度目の東京ハイカイ録でございます。
例によって個々の展覧会感想はまた別項後日。

木曜の夜に新幹線に乗ったわけだが、知らなんだがえらい雨が降ってたそうな。
雨は京都を越えても降ってたが、その先は止んでて東京についても雨はない。
八重洲中央口では階段が綺麗な照明に照らし出されていた。

さて初日、メトロ一日券が600円になったので、喜んで買いました。
前から一日券は使い倒す人だけど、この値段はいよいよわたしを東奔西走させようというタクラミだと気づく。←なんでやねん。

弥生美術館に出向きました。開館と同時の10時に入り、出たら13時という長さ。これはやはり今回の小田富弥、華宵の「南蛮小僧」などの魅力がわたくしを捉えて離さなかったのでございますわね。
挿絵のモノクロ美にときめくなあ…

クラクラしつつ次に明大の米沢記念図書館へ。
これが千代田線の新御茶ノ水から行ったのはいいが、明大のリバティタワーは受験シーズンは閉鎖で、図書館への辺りはランチがまるでないので困る困る。
ようやく見つけたら平日は14時開室なのでその間に店を探して歩く歩く。
そしたらようやく白山通りに出れて、ああええ建物!をみつけてそちらに渡り、某店でランチ。場所は三崎町だったな。



この建物が何か知らんのでツイッターで出したら早速教えてくれる人があり助かる。
今はワタミが入ってるけど、ええ建物ですな。

研数学館。
 



ランチはまた別な店に行こうと思いつつ、そこからみえる神田教会にも大いに惹かれる。




 

そこでツイッターでもらった忠告をありがたいと思いつつ捨てて、路地に入ってゆく。
今回はある程度の自信があったのでこともなくたどりつく。

三原順復活祭。
もう亡くなって20年なのか。
わたしの人生の始まりに、この人の影響を受けたことは大きい。
決してそれはいやなものではない。
1977年から今もいつもファンであり続ける。新作はなくても、当人がこの世にいずとも。
同じ気持ちを共有する人々が大勢いて、皆黙って、しかしある種のせつない苦しさを抑えつけたまま、当時の原画やグッズをみつめていた。
また来月も行く。

山の上ホテルを少し眺める。
 
思えばこの界隈にはヴォーリズの手がけた建造物が少なからずあったのだ。
わたしはあんまりこの辺りを知らないので、今度は詳しい人とさまよいたい。

明治神宮へ出る。
月岡芳年と豊原国周の幕末から明治の浮世絵を愉しんだが、これが予想以上にいいラインナップで、相当な時間をかけてしまった。
結局これで平日のみ19日まで開室の龍村美術の所蔵品特別公開に行き損ねることになった。
残念は残念だけどしかし太田の浮世絵をこうして楽しんだ以上は仕方ないことだ。

京橋に出てLIXILギャラリーの展示をみる。
今回は撮影可能。諸国の絵タイルですがな。これが素晴らしい。中国の塼は二十四孝のだったり陶磁器のは八仙だったり。
イスラームタイルがたいへんよかった。これはやはり見れて良かったわ。

そこから竹橋へ。
近美で高松次郎と奈良原一高の写真などをみる。
このことについても色々書きたいが、高松次郎の作品についてはわたしはやはり自分のアタマが彼に対してなんら反応できないことに気づく。
よくツイッターで「これほどわかりやすい解説をする必要はない」というようなことが書いてあったが、ここまで書いてもらいながら理解できないわたしなんぞはどうしたらよいのか。本当に困った。

初日はここまで。

二日目。
再びの明治神宮。ただし今度は明治神宮の宝物館へ。
明治天皇・昭憲皇后の遺愛の品々や装束などをみる。
栄花物語の美麗な本もあり、さらに桑製の象嵌の箪笥に目を瞠る。
これは欲しいわ。螺鈿ではなく色々と象嵌するのだが、小川破笠を思い出させてくれる。

副都心線で要町に。一本で行けるのはスゴいな♪
光文社のミステリー資料館に行く。
中井英夫展をみる。
この感想は昨日あげた。
ときめきが胸の外に飛び出していった。

そこから石神井公園に出た。
ふるさと文化館に行き、先にエン座のうどんと出たばかりのフキノトウの天ぷらをいただく。

フキノトウの天ぷらをここでよばれるのが好きだ。


富士講の展示が面白かった。

さて新宿中村屋にきました。
いい絵を見る。中村屋サロン。同時代の白樺派とはまた異なる動きを見せていて面白い。
白樺派はロダンを紹介したけど、彼らは友達同士の和気藹々を大事にしたが、サロンは作らなかった。
中村屋のサロンの住人・荻原碌山の世話焼きぶりに非常に好感を抱く。
知らなかったなあ。「いいをぢさん」というか、いいにいさんやなあ。
夭折が気の毒だけど、人間としてとてもいいじゃないか。
うむ、素敵だ。

三時になる。まさかのもしかの空き時間が出来て、久しぶりにお茶することを思いつく。
そこで神楽坂の紀の善に行く。
抹茶ババロア
いつもおいしいなあ。

国立新美術館へ。
文化庁メディア芸術祭。これが入場制限してたわ。
わたしは近藤ようこさんの「五色の舟」の原画展示目当てだけど、ほかのもいいのが多かった。
「アオイホノオ」、今更だけど笑うのを止めるのが苦しかったな。

国立新からサントリーへの道、悲しいことに街路樹の紫陽花がすべて撤去されていた。がーーーーん。

サントリーでは仁阿弥道八。今回初めて同じ「雪笹」でも逸翁のと湯木のとでは雪の降り具合が違うのを知る。
これはこういう展覧会なればこその気づきやな。
ありがたいことです。
猫、狸、ウサギ、山羊などがとてつもなく可愛らしかったな。

二日目終わり。

三日目の日曜日。
三鷹に出た。「写楽と豊国」展があまりに面白くて、じっくり楽しんでたらあっという間の12時ではないか。
三鷹のコーラルビル内の鳥料理屋でランチしてから吉祥寺へ。
花の絵がよかったなあ。

銀座に出現するわたし。
ノエビアギャラリーで茂田井武の展覧会を見る。ほのぼのといいものを見た。
前記ということ。来月またみます。

そのまま歩いて新橋停車場へ。これが東京駅展関連の展示であまりに面白くて、とうとう汐留のパスキンはパスしてもた。
そして最後に東京ステーションギャラリー。
この二つの展覧会はまた変な資料も含めて長々と書くわ。

ここで終わり。
お土産とかあったかくなるあなご弁当など買うて改札へ向かうと、新横浜--小田原の沿線火災で新幹線遅れてた。
今回はグリーン車なの。あのふわふわ感を捨てたくなくて待つことにした。
50分遅れでGO!!
快適に過ごせました。

というわけでここまで。次はもう三月。

中井英夫展をみる。

ミステリー資料館で中井英夫の展覧会をみた。
今回は筆記も禁止なので、記憶に頼るしかない。

彼の文学についてはその気になれば知らぬ人も読むことは出来る。
彼の作品から立ち上る香気には深い毒がある。この毒を吸い込めばもう終わりだ。日常に帰れなくなる。
いや、何をもって日常というのか。その事からして疑いが湧き出してくる。

中井英夫の父祖の系譜が紹介されている。
父は世界的な植物分類学者で、かつてはジャワの植物園の園長も勤め、その死の際にはわが国の国立科学博物館で植物葬が行われたそうである。
植物葬。
その言葉からわたしは見知らぬ人が棺から溢れる様々な花に埋もれる姿を想う。
菊ばかりで埋められる多くの人と違い、まさにあらゆる植物による葬儀、植物たちが彼らの理解者を囲む美しい涅槃図。
まさに百花繚乱だったことだろう。
中井英夫の父、その人の最期をそんな風に妄想してしまうのは、やはり中井英夫その人の魅力にわたしが縛られているからだろう。

祖父は科学者でこちらも興味深い逸話を持つ人だった。その中に新渡戸稲造、高橋是清らの名が挙がることに、遠き明治への憧れが募る。

父方だけが中井英夫の魅力の元ではない。
明治のクリスチャンで女子大学を出た、文芸好きな女性。それが中井英夫の母なのだ。
その母からは文芸の素養を受け継ぎ、それは3歳の時からの日記付けなどで養われたようだ。
中井英夫の仕事は母から与えられた素養が花開いたように思われる。


中井英夫は大正末近くに生まれたため、学徒動員の憂き目に遭い、市ヶ谷の参謀本部に勤務した。
彼の怒りは日記に精述される。後年それは作品という形になって世に出た。
ふとわたしは大西巨人「神聖喜劇」を思い、有馬頼義原作の映画「兵隊やくざ」を思った。

敗戦の八月、若き中井英夫は腸チフスの為に昏睡し、目覚めた時には戦後に連れて行かれていた。
このことが若き中井英夫にどのような感慨をもたらしたかは知らない。
彼は東大に復学した。


「虚無への供物」
この作品の生まれるきっかけはある推理小説の落丁だったことは有名な話だ。
読めない本の結末を中井英夫は様々に想像し、その中でまさかこれはないだろうと思ったものが完本には書かれていた。
そのトリックのお粗末さに中井英夫は激怒し、反発し、間を置かずに中井英夫は自身の脳裡から完璧な密室殺人を導きだした。

わたしは今(導きだした)と書いたが、もしかしたらそうではなく、あんな落丁とその完本に記されたトリックがダメでなければ中井英夫が衝き動かされなかった、わけではないのではないか。

中井英夫は一気に「虚無への供物」の構想を立てたと言うが、もしや彼の脳内で
はかなり以前から曖昧な形ではあるがヒトゴロシの夢が花開いていたのではないか。
それを塞き止めていたものが取れるキッカケに過ぎない、そんな気がしている。

ただ、「虚無への供物」そのものが完全な形で世に現れ、世に棲むようになるまでにはある程度時間がかかったのだが。

中井英夫が集めた資料のうち、特に目を引いたのは、昭和30年のある無惨な失火事故の新聞記事だった。
カトリック系の養老院が全焼した事件である。
炎上する教会建築、燃え上がりながらまだ形を残す十字架、そのモノクロ写真の異様な美しさに、六十年後の今、わたしは息を飲んでいる。


三一書房から出た最初の中井英夫の撰集には多くの人の推薦文がつくが、素顔のままの澁澤龍彦の写真もあり、公式の印刷物にも素顔で語ることもあるのかと新鮮な味わいがあった。

その澁澤との機嫌のよい写真がある。
中井英夫の流薔園の縁先で二人が仲良く何かを食べている図。黒眼鏡の澁澤の端正な美貌がいい。

わたしは澁澤龍彦を読むより先に中井英夫を読んでいた。丁度中学と高校入学の間の時間、何にも属さない時期に中井英夫を知ったのだ。高校入学は決まっていたが、わたしは受験に失敗し、いたたまれない日々を息を殺して生きていた。
行く先墓場、途中に焼き場
そんな気持ちの頃に、本のタイトルと装丁に惹かれ、手に取ったのが「幻想博物館」だったのだ。
建石修志の絵を知ったのもこの時からだった。
それからはもう中井英夫の信徒になった。
世評高い「虚無への供物」より連作短篇に深く惹かれ、中でも「薔薇の獄 もしくは鳥の匂いのする少年」は今もわたしの中では闇の中の黒曜石のように酷く煌めいている。

展示に戻る。
中井英夫の写真が飾られているのを見ると、白髪が増した頃のその風貌の良さにくらくらする。
このパネルなどは俳優の天本英世を思わせる。
天本も東大だった。知性が風貌を高くする。

中井英夫の作品が不揃いな形で並ぶ。建石修志の装丁が煌めいている。
綺麗すぎてその光に当てられ、わたしは黒目を細くする。まるで日の下の猫のように。
しかしその光は闇の中からのものなのだが。

中井英夫の為の作品以外で見た建石の絵で見事なのは、久世光彦のための仕事だと思う。それからギャリコの「七つの人形の恋物語」。ペヨトル工房の出す雑誌のための絵もいい。
もっと見たいと思いながら自分の怠惰と、もう中井英夫も久世光彦もいないのだと思い知らされるのが切なくて、なかなか見る機会を持たないままだった。


中井英夫の長い仕事の中で編集者としての功績を挙げだすと、この展示の筋から外れるのでやめるが、彼により世に出た人々との写真があった。
寺山修司、塚本邦雄、前登志夫らである。
中でも寺山修司との交流の深さについては、世田谷文学館での展示でも見ているが、心温まるものがある。
個人的には塚本ファンのわたしはこの点、中井英夫にお礼を言いたいところだ。
前登志夫は実はわたしの大学の時の先生で、折口信夫の話でよく盛り上がった。
そんな懐かしい記憶がある。


写真の中にひときわ目立つ中井英夫の幸せそうな顔をみつけた。
中井英夫は「aタン」或いはAと自称し、その傍らの人をBと呼んだが、二人の幸せそうに寄り添う写真があった。
この写真はAの死去の際にはA共々旅立つものだったそうだ。
 
Aがそれほど愛したBはAを残して先に岸辺を渡り、Aはその衝撃から立ち直ることが出来ないまま長い時間を過ごした。

わたしはその話を知って、日本書紀にある小竹祝と天野祝の合葬の話を思った。
小竹祝が死に、残された天野祝は嘆き悲しみ、とうとう後を追う。人々は二人を合葬するが、それが「阿豆那比の罪」だとされ、墓を暴かれ、別々に埋葬し直される。
それを指図したのは神功皇后だった。
祟りはなかったという。逆に暗くなっていた空が戻り、明るい日になったという。
二人の悲しみは誰も知らない。

最後に中井英夫の作品が今も手に入ることを知った。
よいことだと思う。
やはりマンガ家でも小説家でも本がなくなるのは悲しい。

2/28まで。


有馬玩具博物館を楽しむ 2

次はオートマタ。
からくりですね。
わたしがオートマタをオートマタだと認識しながら見たのは、オルゴール人形からだった。
そしてオートマタに引きつけられたのは藤田和日郎「からくりサーカス」からだったな。

アヌビスさん活躍中。KIMG0610_201502102359183b2.jpg
なんでエジプトのアヌビスなのかはよくわからないが、他にもあったからシリーズものかもしれない。

そしてどういう縁なのか「サンダーバード」のパーカーがいた!
かっこいいね。KIMG0611.jpg
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漕いでます。KIMG0612.jpg

こちらは神戸人形。
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動くんですよ、これ。
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人魚もKIMG0616.jpg

メリーゴーラウンドでも。KIMG0617.jpg

こんなポスターもある。
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さていよいよ鉄道模型。
ドイツの駅と町とをイメージしたもので、なるほどノイシュバンシュタイン城もあるしバーデンバーデンぽくもあるし。
完全なる再現ではなく、夢のドイツということですね。
出発進行!!
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これは走るのを真横から。KIMG0630.jpg
結構早いのです。

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さていよいよ夜になりました。
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朝になる。
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いい列車の旅をしましたなー。

最後は懐かしのおもちゃたち。

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ロボットの中になにやら赤犬が。KIMG0649.jpg

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ちーば君の先輩ですかな。可愛い。

ヴェーダー卿もおられます。KIMG0651.jpg

アトム。KIMG0652.jpg

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ああ面白かった。
また有馬に来たらぜひとも来よう。

有馬玩具博物館を楽しむ 1

有馬温泉には二つの楽しい博物館がある。
玩具博物館と切手文化博物館。
一泊二日の間にどちらも見学した。

玩具博物館といえば同じ兵庫県の香呂に「日本郷土玩具博物館があるが、あちらはその名の通り「日本郷土玩具」の博物館が中心で、海外のものはクリスマスのおもちゃなどが少々。
こちらの有馬の玩具博物館は思い海外のものと現代作家のものとが中心だった。

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蝋燭の火によるぬくもりで動き出す。天使たちがいる最上階を始め、各フロアにいる人形たちがせわしなく動き出す。

背景のモニターは他のおもちゃがどんなふうに動くか実演した様子を映し出す。
隣にいるのは小さめのくるみ割り人形。
このフロアーはドイツの伝統的なおもちゃで占められている。

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様々な動物たちの薄い木の人形が棒の先についている。
彼らの右端にバウムクーヘンのようなものがあるが、あれが彼らの「母体」なのだった。
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ライフェンドレーン。
凄い技術で制作されててびっくりした。

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これも最初のと同じでキャンドルの熱で回るのです。

心が温かくなるなあ。
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こっちはケムリ人形というもので、煙が出るとか。
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そしてくるみ割り人形。
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やはりドイツは木の国であり、実用性を大事にする国民性があると実感する。

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楽しそうな様子がいいなあ。

こちらも凄い。現物はすべてミニチュア。
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ほのぼのと灯りを楽しむ。
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ちょっと遊ぶ。KIMG0606_20150210235842102.jpg

ドールハウスもある。シンプルなもの。とても精巧なのもいいがこれはこれで可愛い。
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次のフロアはスイス。
ドイツの木のおもちゃが伝統に則ったものなのに対し、こちらは20世紀の知育教育から生まれたもの、という感じ。
様々な形の木の集合体、パズル、それらで思いがけない形を作る。
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実演を見せてもらったが、もぉただただ感心するばかり。すごいわ。
スイスの取り組みって素晴らしいなあ。

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続く。

千總460年の歴史

今日までだったが、京都文化博物館で、千總さんの展覧会があった。
千總さんは今ではここからほん近い烏丸御池にギャラリーを開設されて、折々に所蔵品を無料でみせてくれてはるのだが、こうした形での展覧会は、やっぱり素晴らしかった。
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展覧会のタイトルは「千總460年の歴史」である。
そう、千總さんは長うお商売を続けておられるのだった。

千總さんは奈良の春日大社の若宮おん祭のために千切台を拵えてはる。
その台やその様子を描いたものなどが展示されている。
おん祭の展覧会も毎年奈良国立博物館で続けられていて、今回は千切台など「威儀物の特集を組まれていた。
その時の感想はこちら


この文化博物館で千總さんの展覧会と言うと2005年の6月7月の「京の優雅」展を思い出す。
あれからもう十年も経っていたのか。
前記もよいが後期もよく、後期は特に祇園祭の宵宵山あたりに見に行ったので夜間開館されていて、機嫌よく見て帰った記憶がある。
あの当時の展覧会の感想もこのブログ上で挙げているが、今も大したことは書けてないが、更に十年も前のは文もひどいので、ここには紹介しない。

今回の展示は「京都老舗の文化史」という副題がついている。
古文書などが多く展示されていて、歴史的価値観の高いものを見る、と言う内容にもなっていた。

春日大社のための千切花を拵える。
拵えるだけでなく、それを絵にも残す。
幕末には菊池容齊がそれを絵にしている。白梅、山桜など三種の植物。
明治になっての絵もあり、そこには橘、水仙、白梅などが描かれている。

チラシは大正頃のを描いている。
薄紅梅、白梅、菊、橘の取り合わせである。
たいへん良いものだった。

資料で面白いのはまずここの西村氏系図である。
これは寛保三年に写したもので、それを読んでみると近江甲賀の西村の住人だったそうで、ご先祖は藤原淡海公だとある。その末裔であることを誇る書き出しである。
丁度それを見ていると、その説明文のところどころに朱線がひいてあるのを気にされた奥さん方がいたので、勝手な解釈を奥さん方に話す。
たぶん間違ってはいないと思うが、それを興がられたか、数人の奥さんが頷いて納得されていた。

蹴鞠の時に用いる装束などの御免状もある。いちいちやかましい決まりではあるけれど、こういうのを許可する存在があるのがいかにも京都らしい。

江戸時代の文様の意匠ノートとでもいうものを観る。
山鳩が可愛く描かれたものがあり、そこの説明が「山鳩色トモ云フ 山雀唐草」とあるのも楽しい。今の日本語からは消えてしまった色で染まる美しさ。

また、蜀紅錦をきちんと細密に描いたノートもある。
あんなもの、私では無理だ。

資料の中からお東さんの関連がいろいろと現れる。
道服や袈裟の採寸図などである。
文様はそれぞれお東さんの持つ複数の文様の内から。
中にとても興味深く思ったものがある。
東本願寺の蟹牡丹と八葉藤。どちらもとても魅力的だった。
特に蟹牡丹は陰陽、つまり反転ものも同時に見せるようになっていて、それがとてもよいのだった。

色も心を砕いて染めている。友禅の美ですなあ。
黄朽ち葉色というのも巧い名付けだと思った。今の用語では表現しきれない色なのである。

明治になり外国人向けという仕事も増えたようで、ドイツの皇族のお客さんを迎えたときには記念撮影までしてはる。
こういうのもええなあ。

三条通りの住宅地図もあった。皆さん名前が写されている。
木島櫻谷の父の木島も町内のひとで、やはり三条通と言うものは昔々から良いところ。

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絵を見る。
刺繍絵などは海外の博覧会で高い評価を得ていたというが、よくわかる。
わたしの祖母は女学生のころに刺繍絵を作り、それを長く居間に掲げていた。
女学生のでもなかなか優美なものだったから、プロの手によるものはもう本当に素晴らしいに違いない。

そんなことを思いながら見てみると、ドイツロマン派もかくやというようなものがあった。
夕陽に帆掛舟図と鹿に薄図である。
凄い技術力を感じる。
額縁に三日月を描く辺りはオシャレな感じもして、描表装の感覚かとも思った。

先般、三井記念美術館で「雪月花」展が開催されたが、そこに出ていた沈南蘋の花鳥動物図の模写がここにあった。
岸竹堂、今尾景年、望月玉泉らがそれを担当している。
わたしは三井で本歌を見て、ここでそのカヴァーものをみているのだった。
蒲公英を横目で見る猫や、瓜を食むリスなどの絵が出ていた。
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岸竹堂 大津唐崎図屏風 この右の大津に惹かれた。雪の大津を描いている。
今の時期に合うものだった。
そして画面からはみ出さんばかりの唐先の松。
ああ素晴らしい。

応挙の保津川図屏風ももちろんよい。
十年前は特に感銘を受けた。あれは祇園祭の熱気を覚ましてくれる涼やかさに惹かれたのかもしれない。

友禅裂の下絵なども今から思えば素晴らしい作家たちが担当していた。
その中に作家名はないのだが、田舎源氏をモチーフにしたのかと思うものもあった。こういうものを見るのは本当に楽しい。

帛紗の図案でも面白いものがあった。
花車に杜若の水盤があるのだが、のどが渇いた狆が水を飲む。顔がはっきりと映っているのが面白い。

岸竹堂の猛虎図屏風は千總ギャラリーでも見ているが、トラのにおいがこちらにまで伝わってくるようなリアルさがある。一対三のトラたち。

雪佳の元禄舞図屏風もある。ああ、楽しそう。身分も性差も関係なく楽しく踊る人々。

伊豆倉人形でテニスや綱引き、三番叟をする絵もあり、見飽きない。

ああ、いいものをありがとう。

数時間後には千總ギャラリーへ向かった。
こちらは絵ばかりである。

刺繍の水辺の群禽図はこぶハクチョウやカモたちがいる。
これは今尾の下絵。

技量の高さはめざましく、いくつもの作品が宮内省お買い上げとなり、今や三の丸尚蔵館の所蔵品となっていた。

孔雀の絵も素晴らしい。身を低くした虎の絵もいい。舞妓もいい。
ビロード友禅と言うモノスゴイものを拵えたその技術力の高さにもただただ
感心するばかり。

こちらも今日までだった。
しかしこれからも千總ギャラリーはよい企画展をつづけるから、また折を見て名品がたくさん展示されることだろう。

たいへん興味深い展覧会だった。

細川宏子 幕末維新期を生きたお姫さま

過日、熊本県立美術館で見たものを挙げる。

「細川宏子 幕末維新期を生きたお姫さま」
熊本城の一隅の美術館でよいものを見た。
以下、美術館のサイトから。
「細川家第14代当主である護久に嫁した、鍋島家のお姫さま「宏子」についてご紹介します。宏子は、佐賀藩第10代藩主である鍋島直正の娘として、嘉永4年(1851)に誕生。当時の佐賀藩は西洋の進んだ科学技術を積極的に取り入れ、反射炉を設置するなど、国内有数の技術水準を有していました。そのため、熊本藩からも視察にでかけ、その技術を学んでいます。そのような中、護久と宏子の婚姻は慶応3年(1867)に話がまとまり、翌明治元年に婚礼の儀がとり行われました。その後、宏子は護久との間に三男五女をもうけています。
 本展では、婚礼に係ることを記録した古文書や、宏子ゆかりの調度品・衣裳になどを展示します。また、宏子が娘の悦子と描いた《猪図》や、《築地反射炉絵図》・《佐賀藩三重津海軍所絵図》といった佐賀藩の活躍を描いた絵画作品なども特別展示します。幕末維新期を生きたお姫さま「宏子」について、細川家と鍋島家の両側面からとらえてみます。」

十年前、たばこと塩の博物館で梨本宮に嫁した鍋島伊都子さん(イタリア生まれによる命名)の生涯を追う展覧会を見ている。
「梨本宮家と渋谷 ある皇族妃が見た明治・大正・昭和」
彼女の父・直大は今回のヒロイン・宏子さんの兄弟なので、おばに当たるわけだ。
(つまり宏子さんは司馬遼太郎「肥前の妖怪」の鍋島閑叟の娘なのである)

先の展覧会では大名華族の中でも鍋島家は群を抜いて裕福だったと紹介されていた。
展覧会の詳しい感想はここには挙げていないので自分の記憶を掘り起こすしかないのだが、色々と思い出されてくることどもを交えて感想を挙げてゆきたい。

旧幕時代の甲冑などが展示されている。
栗色革包紫糸威二枚胴具足 4代光尚所用 江戸時代前期
萌黄糸威二枚胴具足 9代治年所用 江戸時代中期
桐鳳凰文蒔絵鞍 元禄12年(1699)
いずれも永青文庫所蔵で熊本県立美術館寄託品。

近年の永青文庫の展覧会の充実ぶり、さらに羽田空港での所蔵品の展示など、文化事業に邁進されているのには、とても驚いている。
これはやはりご当主が当代有数の文化人だからか、明治の大パトロン護立氏以来の心意気の表れなのかはわからないが、とてもありがたいことである。

領内名勝図巻というものがある。衛藤良行 江戸時代後期
「芦北郡田浦佐敷湯浦手永之内」「芦北郡水俣久木野手永之内」
熊本は水の良い土地だというからやはり名勝が多いのかもと思う。

近代日本画の名品も多く所蔵している。今回は「落葉」をみた。
落葉 菱田春草 明治42年(1909) ああ、先般の東近美にたくさんの落葉が出ていたな。
今回の展示、黒猫さんは後期なので出ていない。
東近美の展覧会の概要は「前半は物語の丸顔美人たち、後半は落葉の林とたくさんの猫モデル」だった。
いい展覧会だったなあ。

さてお輿入れして細川の人となってからの様々なお道具を見る。
違鷹羽紋松椿蒔絵両掛弁当 細川斉護室 益姫所用 江戸時代後期
桜折枝蒔絵鬢台 江戸時代末期~明治時代
桜折枝蒔絵渡金箱、渡金 江戸時代末期~明治時代
桜折枝蒔絵手拭掛 江戸時代末期~明治時代
いかにも大名家らしい高度の技術で拵えられた品々。
紋を見るのも楽しい。

雛道具もいい。令嬢の等もある。
合貝
御所人形もいくつか。金時、汐汲など。細川敏子所用 大正3年(1914)頃
雛段飾り 細川敏子所用 大正3年(1914)頃

細川家の紋の入った調度品もある。
九曜紋唐草蒔絵雛調度 細川敏子所用 明治時代(19世紀)
梨地桜唐草蒔絵雛調度 細川敏子所用 明治時代~大正時代

家族仲もよかったようで、手紙もたくさん残されていた。
現代語訳もされているので読みやすいが、家族思いのよい父上の下で姉妹たちも楽しく交流しているのが読み取れる。

鍋島閑叟はとても進取の気風に富んだ人で、息子に種痘をさせたというのがまず凄い。
この時代に他に先駆けての行動で、そのあとに緒方洪庵らの仕事が始まっている。

写真やその事跡を描いた絵が並ぶ。

潮干狩りをしたり、その土産を贈ったり、礼状を出したりしているが、いずれも親しい内容。海苔がおいしかったようで、そのあたりの書き方が微笑ましい。

宏子さんの紋が杏葉紋だったので、その文様のお道具が色々。
杏葉紋梅唐草蒔絵、そのシリーズ。
挟箱、油単、重箱、飯器、木皿など。

着物も立派なものが並ぶ。
白地松竹梅文様打掛
浅葱地御所解文様小袖
黒地梅花古木文様掛下帯
緋羅紗杏葉紋付火事羽織・胸当
緋羅紗杏葉紋付烏帽子形火事頭巾
最後の二つは大名の姫君や奥方など身分の高い女人のかぶるもので、これだと咄嗟の場合でも粗略に扱われることはないわけです。
なお、わたしは細川の奥方の火事装束と聴いて思い出すのは講談などでおなじみの「細川の火達磨」。
近年では「染模様恩愛御書」として染五郎と愛之助が素敵な芝居を見せてくれるが、そのクライマックスの火事の場で、細川家の奥方らがこのスタイルで登場する。
なお芝居の感想はこちら。
松竹座の分
このときわたしは「烏帽子をまるで鴟尾のようにかぶった御台所らがいる。」と書いていた。
日生劇場の分。

明治初年の細川宏子さんの写真が綺麗。
そして家族写真がたくさん。
細川護立四兄弟(パネル展示) 丸木利陽撮影 明治23年頃(1890) 細川家所蔵
まだまだ小さい子ども。

この護立氏がパトロンとなって学習院仲間の「白樺」を盛り上げたのだ。
彼には文芸など創作の才能は仲間に比べて小さいものだったかもしれないが、他の誰もしなかった・出来なかったことをした。
芸術家を庇護し、その才能を伸ばせる地を用意したのだ。
とても立派なことだ。それも学習院の学生の頃からはじめ、晩年に至るまで変わらず、とうとう孫の当代の時代までそのコレクションは大きく広がっている。

宏子さんは自身も絵筆をとり、なかなか本格的な大和絵を描いている。
猪図 細川宏子筆 明治~大正時代 亥年だったそうで、ブヒブヒ言いそうな猪を萩などと共に描く。森徹山にもやや通じるような筆致だと思った。

応神天皇降誕図 細川宏子筆 明治時代 神功皇后が石を懐いてその誕生を遅らせたという。
大抵神功皇后・赤ちゃん(応神天皇)・老臣の武内宿禰の三人の構図。

仁徳天皇高き屋図 細川宏子筆 明治時代 竈の煙が見えんので租税を三年間停止。いいなあ。この点は素晴らしい仁徳天皇。

なかなか行けない美術館でこうした良いものを見れて嬉しい。
しかも非常に安価。ありがたいことです。
3/22まで。

物語絵 <ことば>と<かたち>

出光美術館の「物語絵」展は、わたしの好きな世界をカタチにしてくれた展覧会だと言っていい。
基本的に文芸的な主題の絵画や工芸品がとても好きで、それだから抽象表現や前衛作品に関心が湧かないということもある。
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第1章 物語絵の想像力―〈ことば〉の不確かさ

扇面法華経冊子断簡  下絵はカラフルで、その上の法華経とは全く無縁なシーンを生き生きとえがく。四天王寺にある分を見たとき「冊子」だということを強く実感したなあ。こちらは「扇面」。
少年と少女が向かい合って楽しそうな様子。

雪月花図 冷泉為恭  王朝風の雪月花。対幅でどちらもロングでとらえる。

第2章 性愛と恋―源氏絵を中心に

源氏物語図屏風断簡・葵、少女 伝・俵屋宗達  碁盤の上に立たせてチョキチョキするのは当時の習わしなのだけど、初めてこのことを知ったとき(文ではなく絵で見たのが最初)、異様なときめきを感じたな。つまりなにやらえっちくささというものを・・・

源氏物語図屏風 岩佐勝友  丁寧に一話1シーンずつを描く源氏物語屏風。
朧月夜との出逢いを描いた「花の宴」が非常に色っぽかった。解説でもこのシーンを重視して解説があった。
なるほど確かにこれは特に取り上げてくれて嬉しい。

二つばかり並ぶが、ロングで捉えたものとアップのものとがあり、面白く眺めた。

源氏物語図屏風  吹き抜け屋台の場面が多くて、リカちゃんハウスがたくさんはめ込まれているかのようにも見えた。
これは楽しい。
思えば一人の貴公子の生涯を軸に、当時のいろんな風俗や遊興をも描いた物語なのだから、苦悩とともに楽しみが多く描かれているわけですわな。

源氏物語図屏風  シーンは少ないがその分濃密と言うかぎゅっぎゅっと詰まっている。人物も大振りに描かれ密着して場が描かれる。ここまで空間が狭いと、遠くへ行くことは出来ない。だからそのシーンシーンが濃い。

わたしはあんまり源氏物語のいい読者ではないのだが、源氏絵を見るのは伊勢絵同様とても好きだ。
多くの絵師たちがかなりの力を入れて描いたものばかりなので、それを見るだけでも楽しい。

小柴垣草紙絵巻  これは絵そのものがきれいだと思う。それも人物ではなく背景の植物など。

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第3章 失恋と隠遁―ここではない場所へ

伊勢物語 武蔵野図色紙 俵屋宗達  あんまり切迫感がないよな。宗達ら琳派の人々の特性か。

伊勢物語 富士山図屏風 俵屋宗雪  雄大な富士。それを見る人々をみる、わたしたち。

伊勢物語 住吉の浜図屏風(和漢故事人物図屏風のうち) 絵 伝・狩野山楽 詞 伝・松花堂昭乗  絵の上手さと字の上手さとを味わう。ただ、構図自体は特にそそられない。

平家物語 小督図屏風(和漢故事人物図屏風のうち)狩野尚信  薄墨と淡彩で描かれた世界。余白の美。静けさの中に実は琴の響きがある。物語る絵。

西行物語絵巻 絵 俵屋宗達 詞 烏丸光広  北面の武士として働く佐藤くん。誉れの人。坊さんなってからは、心ない武家に船から追い出されてたな。
落語の「佃」やないが、これで船が転覆してたら…

しかし思えば西行も苅萱道心も発心して出家遁世するのは、当時にあっては完全なる個人主義の実施だよなあ。


第4 章 出世と名声―成功と失敗をめぐって

宇治拾遺物語絵巻 絵 住吉具慶 詞・伝 烏丸光雄、花山院定誠、七条隆豊  家の屋根まで剥いで燃やして稽古するか、ばかものめ。そこまでせな一流になれんわけですかねえ。

第5章 荒ぶる心―軍記物語と仇討ち

平家物語 一の谷・屋島・壇ノ浦合戦図屏風  平家物語はもう本当に好きだから、原文が蘇ってくるね。忘れている分も絵を見るうちに「ソヤソヤ」と思い出される。
そしてこの戦場の様子、誰がどこで何をしているかを熱心にチェックしてしまうね。
多少の異時同時図でもあり、現在進行の状況もあり、完了したシーンもある。

鹿も四つ足、馬も四つ足。降りてきた人馬を見て顔を見合わせる鹿たち。
義経八艘飛び!
入水する女達の髪が熊手でひっかけられて引き上げられようとする。
「波の下にも都」と二位の尼に抱かれる安徳天皇。
泳いで助かろうとする宗盛父子。
能登守や新中納言の姿を見つけられなかったのが無念。

平家物語 一の谷合戦図屏風  細かい描写を熱心に見て行くと、文章が蘇ってくる。こんなシーンがあるはず、と思って探すと、出てくる出てくる。わくわくする。

曽我物語図屏風  裾野で大がかりな猟をするのは軍事訓練でもあるわけだし親睦をかねるのもあるだろうし、だけど猟の獲物である鹿やイノシシやウサギや狐は結局のところどうなるの。
食べてるのかなあ。
それが気になって気になって。
曾我兄弟は見えないところで懸命に敵討ちしてました。

木曽物語絵巻 住吉如慶  さすがに綺麗な絵に綺麗な文字。
物語の流れがよくわかる。そして細部も丁寧で、見事な物語絵。

第6章 祈りのちから―神仏をもとめて

蟻通・貨狄造船図屏風 伝・岩佐又兵衛  船の飾りを鋭意制作中。凶悪そうな鷲?とかガラの悪そうな竜とか。こういう飾りが船のバランスを崩す、というのがわかるのは17世紀以降だったかな。
これらの魁偉さにギョッ。

伊勢物語 禊図屏風 伝・尾形光琳 出来もせんことを。まぁそれをどこまで本気かしらんがわざわざやるあたりが平安貴族だな、と。
見ながらそう思うわけですよ。
 
一遍上人絵伝断簡  女の着物の柄などがなかなかすてき。どこのシーンかなどと思いながら絵を見るのは楽しいものです。

ところどころに配置されたやきものや工芸品がまたみごと。
こういう展示はなかなか他ではないと思う。
一つのテーマの中で絵画と工芸を共に展示する、というのはよくあることだけど、そうではなく、出光美術館のやきものの立ち位置というのか、それがとても重要だということを感じさせてくれるし、また、ここに配置される、ということで「和む」効果が現れもする。
そんな風に思っている。

青磁染付秋草文皿 鍋島藩窯  綺麗でほんと、ほしくなる。

絵唐津葦文大皿  たぶん今使えて人気が出るのはこれだな。

金銅蓮唐草文透彫経箱 室町時代  ものすごく熱心にこれを観る人がいた。その姿を見て嬉しくなったりもする。

色絵梅花鷽文富士形皿  これはほかでも見ているが本当に可愛らしいし、日本人の富士山好きな心をよく掴んでいると思う。梅に鶯が富士山型の白いお皿の中にいる、という構造。
物語に最初に現れる富士山はやはり竹取物語かと思うのだが、それ以後は曽我兄弟の仇討が富士の裾野が舞台、近代では白井喬二「富士に立つ影」、国枝史郎「神州纐纈城」、現代では武田泰淳「富士」がある・・・

ああ、いつもながら佳いものをみせてもらい、満足。
ありがとう、出光美術館。

雪景色の系譜

今日で終わってしまったが、西宮大谷記念美術館の「雪景色の系譜」は心に残る展覧会だった。
副題は「その表現の歩み 近世から近代まで」ということで、江戸時代の絵画を中心にした展示がひろがっていた。
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第一章 山水画にみる雪

伝・雪舟 秋冬山水図屏風 秋冬だから左隻で春夏は行方不明。李唐風な絵画と説明がある。
中国の絵画を手本にした水墨画の場合、春夏よりも秋冬の絵の方が魅力的だと思う。

雁が飛んで行く。渡り鳥なのでどこかへ行くのだ。
不意に英語で雁一羽ならグース、複数つまり群ならギースとなるのを思い出した。
野生の雁はワイルド・ギース。そしてこの言葉は「傭兵」を意味する。

蘇州などにみるような石橋をわたる人々。雪山ではロバ。川の流れがある。山中の民家の前では大きな△笠をかぶる人が見えた。

雪村 山水図屏風 説明によると変な切り方なので元はもっと大きな絵だったかもしれないし、そもそも屏風ですらない可能性もあるようだ。
それを読んでから横目で絵を見ると、いきなり白帆がみえる。全体をみると四曲一隻という形だということに気づいた。ああ、やはりトリミングされてるのかも??
薄い舟がみえる。墨の濃淡で表現される山水。

「州信」印 瀟湘八景図扇面 この印は永徳の使用印だという。
扇面の中央に飛び行く雁たち。その左右に名所が振り分けられていた。

ここまでが奈良県立美術館の所蔵品。

探幽 山水図 対幅。1638年から1662年までの間の絵だというが、同時期なのかそうでないのか、そこらにも関心がわく。
左右に向かい合うような配置に平屋の民家と3階建ての建物とがある。右の平屋には高士と侍童がいる窓があるが、これはまたボクの勉強に口出しするパパの図にも見える。机にはジャポニカ学習帳が開かれているようにも見えた。
なお、水面は淡い水色。

山雪 雪中図 これは好みの図。縦長の上部に三つの山があり、それからすぅっと下って、柳が伸びて、そこに蓑笠の人がいる。中間になにもないのがよろしい。
東博に押絵貼り八曲一隻のがあり、そこに似た構図のものがあるとか。

中国絵画で「雪」にまつわる故事を描いたものといえば「雪中訪戴図」「風雪三顧図」がある。
どちらの作品も出ていた。
チラシの橋本関雪のは後者。

中山高陽 雪中訪戴図 江戸初の文人画家。舟で来たよの図。しかしここまで苦労してやってきたのに会う直前に「その気がなくなった」てすごい話やな。

池大雅 寒山行旅図 空は薄空色。伊勢の銘菓・安永餅を立てたような形の山が左右にそびえている。その麓には雪の積もる橋を渡る人がいる。

木村蒹葭堂 雪景山水図 氷の岩!!凄い氷の連続岩。滝がある。松にお堂。氷の岩山がなにやら凄い。
おもしろい絵だった。

岡田米山人 雪中山水図 縦長な富士にまとわる霊気のような雲。白抜きの白影の中に木や石がある。変な霊気がすごく気になる。
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中林竹洞 雪中山水図 竹洞にこの手の画題は少ないそうだが(そういわれたら春の絵がすぐに思い浮かぶが、雪景色は知らんなあ)これも不思議な形の凍り付き。

日根対山 雪景山水図 荒々しい。どうも呉昌碩ぽいような味わいもある。

横井金谷 雪景山水図 吹雪。二本の松の前に二軒の家があるが、そこにどうも大正時代の電柱めいたものがあった。本当の正体はわからないが面白い。

伊藤若冲 山村積雪図 左側に巨大なふくらみのある岩がのさばり、その上に松がある。下に大きな家がある。日本昔ばなしに出てきそうな家が、この岩が落ちてみんな埋め殺されそうな。

松村景文 山水図 モコモコの雪屋根の民家。円山派という感じ。四条派ではないねえ。
余白の美を味わう。小舟の漁も。山も見える。

田中日華 雪中楼閣山水図 不思議な楼閣。屋根の集まり方が変わっている。銀鉛写真のような風情がある。

三点の風雪三顧図がある。
宋紫石 来たけど不在だった。
呉春 雪はなく晩秋のちょっと紅葉がかった林。賢そうな人々。
鈴木鵞湖 グレーの地に点々と白粒の雪。玄関前で応対中。リアルな色合いの三人。のぞく孔明。
この画家は石井柏亭・鶴三の祖父。

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第二章 花鳥画にみる雪

建部凌岱 雪中南天図 二羽のハハ鳥がもめながら降りてくるところ。

応挙 雪中南天四十雀図 来た来た!南天は二種の色を見せつつ雪に埋もれる。赤みがかった葉と黒が緑と。
木の根本に二羽の四十雀。

呉春 雪中烏図 とぼけた顔の烏が可愛い。タレ目でアーモンド型。のんびりしたように見える。

山口素絢 四季花鳥扇面帖 可愛い小鳥の絵が二枚。
一はこのふっくら小鳥。
一はツタと黄花と小鳥。
素絢は女の絵も可愛いが、小鳥も可愛い。
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原在中 雪中松鷹図 ぐっと我慢。

鶴洲 雪中松鶴図 変な顔つきの鶴で「オホ」とか言いそう。馬場のぼるだねw

山本梅逸 雪中鴨図 毛並みがリアル。

抱一 柳に鴛鴦図 二羽が飛んだ!!柳の下です。腹が白い鳥たち。

景文 雪中鴛鴦図 気ままそうな雄を見る雌。珍しいような構図。

原在明 雪月花図 対幅。右は月に桜の明るい夜桜。足下にスミレ。左は赤い旭日に雪山の松。

抱一 雪松図 緑のモコモコに雪かむる。

銭必東 雪竹図 グレー地に竹が。その竹の雪がざざざと載る。

鶴亭 白梅図 そりあがる幹枝。雪がかかる。白梅はクリクリと描かれている。このそり上がり方、つよそう・・・

司馬江漢 雪中芭蕉図 雪がかかる葉。最後の竹笹はオバケの横の姿に似ている。
糸魚川に出るオバケの何とかというのに似ている。

第三章 四季絵その他に見る雪

白隠 富士図 変な富士山に戯れ歌つき。

司馬江漢 雪灯籠図 ぽよんと一つ真っ白な灯籠が立つ。俳画風な面白味がある。

森川許六 雪の暮図 黒い鳥が飛ぶ。下に枝折り戸。一句詠みたくなるのは確か。

吉村孝敬 十二ヶ月花鳥図屏風 奈良県立美術館の名品。以前から好き。特にいいのは桜の丘を登ってくるキジ。
ホトトギスは卯の花の上空を疾駆する。ススキにウズラと菊に鶴。
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月岡雪鼎 十二ヶ月図 公家周辺の月次。案外アウトドアなのは菊を切ったり紅葉を見たりするからか。
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第四章 近代日本画の雪

幸野楳嶺 寒夜案山子図 こわいね。三日月の下、尾羽打ち枯らした浪人風な案山子が一人。どこか陰惨な雰囲気がある。さびれたオバケ。

岸竹堂 四季之月図・冬 満月の下、烏の飛翔。その遙か下にはうねる枯れ木。
明治の作品。

菱田春草 雪の山 朦朧体以降の作品。写真のようなリアルさがある。山の陰で雪の深さを思う。

山元春挙 雪松図 応挙のそれとはまた違う金地にのびのびした枝があり、更に幹の皮がリアル。

春挙 雪渓遊鹿図  雄大な雪山のどこに鹿がいるかと探せば、左端を走る一群。それが鹿でした。

村上華岳 雪中兎図  8羽が楽しそうに飛んだりうずくまったり。大変かわいい。中には森康二のウサギみたいなのもいる。可愛い、本当に可愛い。

関雪 諸葛孔明  「風雪三顧図」ですな。左から右へと言う珍しい動き。
三人の表情が生々しくて面白い。

静かな中にも楽しさあふれる展覧会だった

二月あたまの東博でみたもの

みちのくの仏像展を見たあと、常設を楽しんだ。

室町時代の「綱絵巻」が出ていた。けっこう物語絵として面白い。
1.鬼と会いました。
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2.鬼切丸かな?いやいや、それはないない。とにかく刀もらいました。
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3.食事中(メニューはヒト)の黒鬼に会いました。
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4.こんな被衣かぶっただけでは本当は女装とは言えんわね。
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5.黒雲と闘うぞ!
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6.わんわん! 犬が可愛い。
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7.物忌みのところへオバなりウバなりが来るのはもう、ね…
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8.「待て、待て、待たんかい!」タックルかけても鬼のボディコントロールは優れていて、倒せません。
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9.首は掻き切りました。
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つくづく綱は鬼と深い縁があるなあ。
尤もお仲間の金時(公時)なぞは元が異界の人(山の子)だしなあ。

ああ、なかなか面白い絵巻だった。こういうのがあるから東博の常設は楽しいのよね。

月梅図 柴庵 室町時代 二月らしいですなあ。
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蘭亭曲水図屏風も並んでいた。
松村景文に蕪村や東東洋のもあるから楽しい競演となりましたな。
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王羲之がいるのはなかなか立派な建物ですね。
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ちゃんとガチョウもおる。
こちらは働く坊やたち。
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詩を作るのがメインと言うより、作らず飲んだくれるのが楽しみみたいな連中ですな。
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この表情がいいね。
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松がいい感じ。俳画のような良さがある。
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江戸時代のファストフードの様子絵もある。
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三味線のサイドに綺麗な「梅に鶯」ほんまはメジロ、というのが入る。
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江戸百からも梅の良さを。
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美音 島崎柳塢  明治のある日、お座敷で邦楽を楽しむ人々の様子。
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男性はもう完全にちょんまげはいなくて、女性は和装だけど少しずつ洋風の装飾品などが使われつつある。
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令嬢はおリボンをつけている。女学生らしい。
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畳の上に敷かれているのは絨毯。
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明治ですなあ。

洋画ではこちらを見た。

早春 川村清雄  小鳥が白梅や白椿の枝の間にいる様子を横書きにしてるものの一部を挙げる。
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川村らの時代はやっぱり「油絵」はあんまり受け入れられにくくて、洋風欄間みたいな感じでなら家屋に、というのも多かったよう。
川村が教えた桜井やその仲間の伊藤快彦などの作品に横長が多いのは、ほぼその理由。


杉本健吉 KIMG0552.jpg
奈良博のむかしの佇まいをとらえたもの。きれいな仏像がいる。
杉本はここで写生に励んだ。
元興寺サロンで仲間と活発に話し合ったり遊んだりしながら。

さて、これに呼応するわけでもないが、昔の博物館内の写真をプリントしたものもあった。
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かっこいい。

最後に梅原の裸婦
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やっぱりこの配色がいい。形より色がとてもいい。

常設だけでこんなにも大きく楽しめた。ありがとう、東博。

千家歴代と樂歴代の茶道具 /没後400年 古田織部

二つの優れた茶道具、またやきものの展覧会を見た。
1/19で終了した「古田織部」展と、3/29までの湯木美術館の「千家歴代と樂歴代の茶道具」展である。

先に湯木美術館の感想から。
副題は「利休のデザインと展開」である。
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正直なところ、わたしなどは利休の厳しさに引いてしまうので、彼が愛した長次郎の器などもあまり好まない。
質実剛健というのは素晴らしいのだろうけれど、わたしにはいささかつらい。
やはりちょっと明るく華やかなものが好きだ。

千家歴代の好みというものも時代の違いなどが出ていて、わたしなども好きなものがいくつもある。
堅苦しい気持ちにならず、眺めていきたい。
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瓢花入 利休 かなり時が経ち、漆が飴色になってシック。

真手桶 関宗長 この手の手桶は利休がサイズから何からすべて決めたそうな。
宗長は宗旦好みのものを、よく拵えたとか。つまり世代前の利休好を復活させてるわけやなあ。
無論、宗旦が何もかもじいさん好みのを愛したわけやないでしょうが。

阿弥陀堂釡 与次郎 これこそ利休デザイン。わざとのザリザリ感がすごいな。利休が全て自分の美意識のままにデザインし、決定。
本当の意味でのファッション。
これ以前は栃木の天明釜や福岡の芦屋釜が主流だったけれど、傍流になってしまった。

秀吉が利休に激しい感情を寄せるのはわかる気がするな。
利休が死を受け入れるのもまた。

黒筒茶碗 銘・キリギリス 長次郎 どうみても黒糖のやうですな、美味しさう。

赤茶碗 銘・三井寺 ノンコウ 薄くて大きく張る。継ぎを朱漆で。いいねえ。
この名の由来は弁慶が三井寺の鐘を投げ落とした故事から。割れ鐘を継ぐ。

いい感じの袱紗かな、を敷いて展示している。
それでいよいよ器が映える。

黒平茶碗 一入 馬盥型で朱釉の黒、という感じ。高台には@渦巻き入り。写真で展示されてる。可愛いなあ。

赤筒茶碗 銘・福寿草 宗入 三井家、鴻池家という名だたる名家が所蔵したお茶碗。
雁金屋兄弟の従兄弟さんの茶碗。変わった色が出ていて、枯葉のようだと思った。

彫三島とその写しがあった。白雪の小西家が所蔵していたのだが、本物はやや色が薄く、写しは濃い目で7つの目跡がある。

黒筒茶碗 銘・シャカカシラ 覚々斎宗左 ピカッと光る黒がいい。

赤茶碗 槌之絵 左入200の内 あのシリーズものの1つ。これは大黒さんの持つような槌が描かれている。白で描かれた絵。

信楽鬼桶水指 武野紹鴎・清水道閑所持 室町時代のザラザラないかにも信楽でござる。

黒大棗 山科宗甫在判 宗旦の弟。「鯛屋」と称していたとかで、青貝細工を商売していた人。鯛で青貝か。なにやら通じる海の底・・・違う。シンプルな大棗。

黒茶碗 銘・大こく 一燈宗室 うう・・・ぶぁっと提灯袖のような・・・

茶杓 銘・ゆつり葉 仙叟宗室 替筒もある。茶杓自体はぬめるような光を感じるもの。宗旦の倅で裏千家創始者。当初医学生で玄室と名乗ったそう。師匠の死後に茶人になったとか。
こうした由来を聞くと、前の裏千家家元さんが玄室と名乗るのも、当代が宗室というのも納得がゆく。
わたしは玄室の由来を知らず、玄=黒、冬、ということから晩年をいうのではないかと思っていた。あるいは中国の故事からくる「玄室」かと。

縦の一行書が並ぶが初春らしいめでたい字が多い。

筋筒向付5客の内 長入 間道が素敵。赤・緑・白を筋線で隔てて細い縞にする。本体も細くて小さい。内側は全て緑一色。

赤猪口 10客の内 左入 この左入はセット物がいいの多いと思う。いい鮭色。

梅蓋物 長入 可愛いのう。愛でたいわ。けっこう大きい。わたし、この形のガラスの鉢もってますわ。とはいえ、こちらは蓋付き。蕊は緑。その先の・・は窪みで表現。蓋は★ですな。

織部花筏文向付 了入 白でやや薄緑がかった地にやや濃いめの緑で筏文っ。形も可愛い。

ツボツボ 10客の内 了入 ツボツボは可愛いよね。特に器体に何も柄などもないけど。

赤片口 旦入 窯変がけっこうはっきりしている。

椰子形菓子器 慶入 1862年制作。ああ、幕末だなあ。中は金色。椰子の実の形にこしらえたもの。
全然関係ないが、同時代が舞台の中里介山「大菩薩峠」のラストが確か「椰子林」の章だったな・・・

茶室の設えがあるが、そこに掛けられた釜は「大霰尾垂」らしいが、完全に炉の中に入ってるので、可愛い尾垂の部分が見えまへんがな~残念。

2/15までこの展示。その後は展示換え。

次に松屋銀座でみた織部展について少々。
これはモーニングで連載中の「へうげもの」とのコラボ企画もあったのだが、わたしは読んでないのでこのあたりはパス。
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松井文庫、大阪城、靖国の遊就館、田中丸コレクションなどからの出品が多い。

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大阪城にある禽獣闘争文綴織陣羽織がきていた。
あれは複製品(1957)らしいけどよく出来ている。
これをみるとペルシャ絨毯にもある動物闘争文の伝播ということを考える。
と、思っていたらやはり元々はそこからきていた。
わたしが思ったのは白鶴美術館所蔵の絨毯。
孔雀もいた。ハーグ市伝来品。

甲冑師の明珍さんの拵えた南蛮帽子型兜がある。ちょっと可愛い。
冒険家の人がかぶるようなあのツバのある帽子。

どうみてもイカな兜もある。富士山だと謳うているが果たして。

福岡の上野焼割山椒向付があった。赤と灰色の二種。

釜もいくつか。天明、芦屋などなど。可愛い尾垂ちゃんも見受けられる。愛いやつよのう。

上田宗箇ゆかりの瓜型尾垂の釜はつまみが松ぼっくり。これも可愛い。

松井文庫、大阪城、靖国の遊就館、田中丸コレクションなどからの出品が多い。

高蒔絵の皿などもある。

秀吉の頃の大坂図屏風がある。関大が所蔵するもの。発見されたとき話題になっていた。
これは複製品。

南蛮屏風 愛知・西蓮寺 右の四扇に孔雀がいて、外人びっくり。犬も歩き、鹿もいる。

京都市考古資料館から、せともの町で出土した割れているやきものがたくさん出ていた。織部やいろいろ。
久しぶりに行こうか、今出川大宮だったかな。

三日月形(むしろ半月型)の皿があった。弥七田織部というものらしい。織部の最終段階だとか。
蔓草文が可愛い。

古田織部は近衛信尹ともつきあいがあったとかで、当時の文化人サークルというものが見えてくる。

利休、織部の師弟が好んだ世界を楽しんだ。

RIMPA 岡田美術館所蔵 琳派名品展

土曜に箱根の岡田美術館に行き、日曜に日本橋三越で岡田美術館の所蔵する琳派作品を見た。
三越の方はリストがあったから細かいことが書けるが、箱根の方はリストがない上にあまりに作品が多すぎて、テキトーなことしか書けないが、それでも書いてみたい。
ということで、2/2まで日本橋三越で開催されていた岡田美術館の琳派作品の感想。
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蕨図団扇 光琳 チラシにも出ているがこれが会場で最初にお出迎えしてくれました。
きらきら綺麗な金地に蕨が伸びる伸びる。可愛い。

浮舟図屏風 長谷川派 六曲一隻のど真ん中を斜めに大きく舟が浮かぶ。そこには無論、匂宮と浮舟。左端には白い着物の船頭もいるが、二人は二人きりでしかない。波は茶色地に墨で描かれる。大胆な構図。
わたしはこれを見て乾山のだったか、住吉明神が船頭に化けたあの絵を思い出したよ。
あれも大胆な構図だったなあ。かっこいい。

柳橋水車図屏風 たぶん長谷川派ではないかな。波が上記の浮舟のに似てる。六曲一双の全体を締めるのが柳。右と左のとは種類が違うらしい。楊と柳かな。わたしはよくわからないけど。その楊柳はいわば西洋の舞台の幕のようで、その間に情景がある。
きちんと設計された橋。釘も板もしっかりしている。蛇籠もあるが、空に特に何もみえず、やはり橋が主役らしい。いい橋だと思いながら見ていた。

誰が袖図屏風 右は女物、左は男物。華やかな女物の着物だけでなく足袋も干してある。双六はやりっぱなし。小さい台に煙管などもある。
左は最初に、丈の長い鳥籠があり、中にはひばりがいる。論語や「大魁四書」なる本もある。印籠もつられて、左端には今度は鶯の鳥籠がある。衣桁には薄物もある。
ところで今調べたらその「大魁四書」は寛永二年に刊行された本らしい。中身についても少し紹介があったが、まぁそばに論語もあるしで、武士のたしなみ・教養と考えるのがいいかも。

源氏物語図屏風(澪標・宇治川図) 伊年印 右は住吉の太鼓橋が見えて、その袂にご主人を待つ人々。揃いの紺色の着物の6童たちとが可愛い。
左は橋の上の様子。牛車がゆく。引く赤斑の牛は大きな目を背後の車に向けて、赤いベロをべーっと出している。
「いい気なもんだネ」くらい思ってそうな牛の顔つきがいい。

扇面図屏風 伊年印 歌仙絵と植物などで構成されている。中でもわたしは山吹のと白菊満開のがいい。

明石図(源氏物語図屏風断簡)宗達 騎馬姿の光君。

宗達&光悦の色紙や巻がいくつか。いずれも金銀が綺麗で、そこに肥痩のあるよい文字が載る。いいリズムだ。
萌黄地の「ほととぎす」は「こぬ人」の字がとてもいい。
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白鷺図 宗達 うっすらした絵。やや下方を見る鷺。

烏図 宗達 これが可愛い。立つ烏が上を向いてちょっと声を挙げているようで、ファンキーな面白味がある。可愛いのう。
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烏も江戸から明治くらいまでは絵のええ題材になり、大正から昭和戦前までは童謡にもなったんだが、平成の今はただの憎まれ者に成り下がってもたなあ…

夕顔・楓図 夕顔の白い花が大きく描かれている。緑の葉が白さを強調。こちらには和歌が記されている。一方、赤やオレンジで彩られた楓図には漢詩が記されている。
乾山の楓はいつも「もみじまんじゅう」に似ていておいしそうだなと思っている。

雪松群禽図屏風 光琳 ファンキーな雁たち。いろんな種類が集まっていた。構図やなんだかんだ見所が多いのだが、とりあえず雁達が可愛い、ということで話をまとめるか。

菊図屏風 光琳 この屏風は岡田美術館の案内状とか割引券に使われている。
現物はなかなか大きな白菊で、背景の金に負けない華やかさがある。胡粉で盛り上がる菊。
観客も盛り上がる。
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光琳、乾山の雁金屋兄弟は「かわいい」絵が多いと思う。
そこが当時も好かれたし、今も人気のあるところかもしれない。

椿若松蒔絵螺鈿硯箱 伝・光琳 可愛い椿、酸化した花に蒔絵と蒔絵の椿、こちらの芯は螺鈿。
全体がふんわりと半円にふくらみ、とてもいい。

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蜻蛉蒔絵螺鈿合子 光琳蒔絵 これがまたとてもいい感じで欲しい欲しい。トンボの羽が綺麗。こういうの本当にいいなあ。わたしは蝶々と蝉と蜻蛉は大好きなの。
金と青。蒔絵と螺鈿。赤く光る部位もあった。

八橋流水蒔絵螺鈿乱箱 永田友治 真ん中にどんっと分厚い、これは鉛かな、なのが橋としてありも金地に杜若が咲くという構図の箱。

夏草図硯箱 山本光一 素の木地にカラフルな花々がからみつく。百合、タンポポ、撫子、紫陽花などが全体を覆い尽くす。綺麗わ。

檜に啄木鳥・紅梅に鴛鴦図 抱一 啄木鳥の下に烏瓜も赤い姿を見せる。そして雪と紅梅の美。南天も少々。ああ、素敵だな。

白梅図 抱一 付立で枝を表現。サインには「両華道人抱一」かっこいいなあ。

桜図 抱一 これが素晴らしい。桜の花が見えないほどの薄さで描かれている。白い薄さ。雲母か。儚さを象徴しているのか。茶色い葉もいい。すごいな、やはり。

芙蓉秋草図屏風 抱一 真ん中に集まる秋草。寄せ植え感ハンパない。これは柳生慎吾さんの寄せ植えを江戸時代に描いたものかとw

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月に秋草図屏風 抱一 白地に銀月。黒芒が伸びる。笑う桔梗。大胆な美しさがある。紺の朝顔、緑の葉。様式美に打たれる。

風神図 抱一 はい、琳派ですから とか言いそう。走る風神。

銹絵白梅図角皿 光琳画・乾山作 兄弟コラボ。かっこいい。裏には「家兄が拵えたよ、マジです」みたいなことが書いてある。
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色絵卯花杜鵑図香合 乾山 形そのものが風景を示す。鋭く飛ぶ杜鵑、全景のパズルの一部のようにもみえる。全景は即ち天地自然。

色絵菊文透彫反鉢 乾山 例の縁周りに植物を連続で描いて、その隙間を透かすあれ。
これはその菊バージョン。可愛いなあ。色はやや薄い。

色絵立葵図香合 乾山 これもまた一部切り取りのような形、これは立葵だが、椿は東博にある。あのシリーズの一つというてもいいか。白地に青緑の綺麗な花。

色絵絵替角皿 乾山 真四角。裏に和歌。表に十二か月図。白梅が可愛く、栗もイガごと可愛い。栗の寝床。

色絵春草図角皿 乾山 やや大きめ。ワラビにスミレなど。乾山の蕨はいつも可愛い。

色絵春草文茶碗 乾山 透き通るような白磁の内外にスギナ、蕨、菫、ツクシ・・・今風な感じがする。素敵。

富士図屏風 鈴木守一 これはまた新鮮な絵。群青に鮮烈な白の富士山。かっこいい。裾野の木々はモコモコしていてこれも新鮮な感じがある。幕末から明治の絵だというが、昭和初期のにも現代のにも見える。

木蓮小禽図 其一 この絵に惹かれた。暗い紫が綺麗。目白が上を向いている。とてもいい。この前日に御舟の木蓮図を岡田美術館で見たばかり。
ああ、綺麗。どきどきした。

名月に秋草図 其一 三幅対。左は朝顔、白萩、芒。中は満月。右は女郎花、桔梗など。
優雅な気持ちになる。

燕子花図屏風 神坂雪佳 中くらいの屏風。金地に花とその下の水蔭のみ。花は二色の青に分かれている。しっとりした情景。

風神雷神図 前田青邨 明るい風神雷神。薄い金泥で描かれている元気者二人。ファンキーでいいな。

桃李交枝 速水御舟 薄緑がかった白い花と、青い小さな実のついた枝とが交差する。静かな空間。緊迫感はなく、優しさが活きる。

荒磯 まつ本一洋 魚が飛び出るのではなく、海を渡る鵜を中空から捉える。岩に松も生える。

初月屏風 加山又造 三日月にうねる線の美。ススキなどもあり、カラフル。1967年、又造さんはこの頃から琳派に進んだのだ。

たいへんな人出で見るのに苦労したが、しかしいいものを見てとても気持ちよかった。

岡田美術館「大観・春草・御舟と日本美術院の画家たち」

さて箱根の岡田美術館へ行った。
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ここへは昨年の6月以来。今回は御舟の「木蓮」が久しぶりの公開というのが目玉。
えび新聞さんと二人で行ったのだが、ほぼ独占状態での鑑賞となった。
ただ、残念なことにここはリストがないので、手書きするしかない。しかし現実には書くことはほぼ無理で、長い名前などを挙げることができない。適当な品名で挙げてゆく。

・古代中国青銅器とやきもの

漢代の美人像がある。やや大きめで髪は後ろにひとまとめか。

唐初の小振りな一座の人形もある。二人が半円の中で踊り、あとはみんな何かしら楽器の演奏をしている。
こうした集団の人形のやきもの、大好き。

駱駝の三彩一対。立派な駱駝。唐のやきものは大きなものから小さなものまで、見るべきものがとても多い。

明器がいろいろあり、そのあたりも楽しい。

殷末の饕餮文のついた青銅器を見る。これがまた犠首が可愛い。いいねえ。

・中国歴代のやきもの
明代のものから清朝のものまで。

元の釉薬の濃いもの、明の赤絵などが並ぶ中、案外ないのが青花。
そして粉彩や豆彩のよいものをたんと見た。
清朝のこうした綺麗なものは元々好きだが、ここの所蔵のは魅力的で、ほしいものばかりだった。

黄色の単色に潜む竜や五彩の竜たち。
たいへん楽しく眺めた。

・日本のやきもの

面白いものがあった。
五線星形の手書き文様がたくさん入ったもの。可愛い。
五線星形は陰陽師のあれですね。
そして星というものは一旦多くの日本の人々の意識から飛んで、明治になってから陸軍が☆型を自分らのマークにするまで忘れられていたのでした。
江戸時代の星の形容は○にⅢとかそんなの。
戦前の人や戦前の人から星の書き方を教わった人は皆さん一筆書きの「☆」なのでしたw

乾山、仁清らの京焼のよいのが並ぶ。
香合でも仁清の鳥や孔雀などがある。

楽焼は見なかったように思う。

・絵画

狩野派の屏風や四条円山派などのいいのも並んでいたが、名前が合致しないのが残念。

春画コーナーでは北斎と英泉とあと誰だったか、三人の作品が出ていたが、いずれも肉筆で、やはりよいのは英泉だった。
これは石川淳も書いていたが、英泉の絵がいちばん春画の目的に沿うのだった。
とても納得している。

・近代日本画。
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御舟 木蓮(春園麗華) 水墨画だということを全く考えなかった。白と黒で表現されているのに、無限の色彩を感じていたのだ。異常なまでに美しい木蓮だった。
色の濃淡で花の質感までが指先に伝わってくるかのようだ。
どきどきした。

其一の木蓮にも衝かれたが、この木蓮にも撃たれた。
岡田美術館の二大木蓮画を続けて味わうことができ、本当に幸運だと思う。

玉堂 湖畔積雪 勝手に琵琶湖だと見なしている。遠くに白い山は比良山系かとか、浮かぶ白帆の数も数えたり、いい心持ちで眺めた。

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古径 白花小禽 泰山木の豊かに白い花と薄墨色や薄緑の葉。そして瑠璃色の小鳥。古径らしい絵。綺麗なものを見た。

御舟 紅葉 死の前年の作。キツツキが紅葉の木にとまる。
この絵には死の影は見えない。
しかし先ほどの「木蓮」やいくつかの絵からはあからさまに死の影を見いだすことがある。
あまりに美しすぎるものを描くと、やはり死の匂いがまといつくのかもしれない。
御舟の作品を見ているとそんなことをよく思う。

観山 月下渡河 淡い月影の下で鹿達が河をゆく。たしかこんな絵を埼玉近美でも見ている。

春草 海月 夜の静かな海。どこまでも静かな波。

青邨 真鶴之浜 色が綺麗に三分割されたところに舟がニ隻。柴をたくさん積んだのを船出する。

青樹 粟に蜻蛉 たわわの粟の薄黄色。蜻蛉の複眼の緑、透き通る羽。いい絵。
これを見ながらえびさんと神楽坂の紀の善の粟ぜんざいの話になり、盛り上がる盛り上がる。

ほかに遊亀さんの綺麗なやきものに花の取り合わせの絵もあり、かなり満足した。

そうそう、大観の富士山は大正末に引幕として使われたらしい。だからあんなにも長々しいのだった。

最後に仏像もみた。
本当にすごい数の展示品で、しかもレベルがたいへん高い。
できるならリストを作ってくれることを強く望む。
また機会があれば行こうと思うが、そのあたりのことをぜひともよろしく。

なお近代日本画特集は「大観・春草・御舟と日本美術院の画家たち」展というタイトルで3/31まで。

みちのくの仏像

東博で「みちのくの仏像」を見た。
わたしは関西の住人なので関西の古い仏像は観ているし、関東の神仏像も案外観ている。
しかし「みちのくの仏像」はよくよく考えれば殆ど知らなかった。
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随分前に松島の瑞巌寺に行ったが、そのときも鬱蒼とした杉並木や寺の佇まいなどに はっ と胸を衝かれるものを感じたが、仏像に一向に記憶がない。
そもそも近年になり仏像を「鑑賞する」ことを始めたので、拝むことはしても「眺めた」記憶がないのである。
その意味で、とても興味を持って会場へ向かった。

平成館ではなく、本館の特別5室での展覧である。
ここでの特別展は不思議に心ざわめくものが多い。
平成館での特別展は最初から「特別展だ」と思いながら向かうのだが、本館での特別展はふと気づけば異界に送り込まれているような心持にされるのである。

「みちのくの仏像」展のためにやってきた仏たちは以下の地域におられる。
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そして驚いたことに皆さん木像だった。
これはわたしにとっては衝撃的だったと言える。
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聖観音菩薩立像 平安時代・11世紀 岩手・天台寺  冠はドングリ型で、両肩からストール、裳裾に至るまで鑿跡が横に厳しく入るのだが、これはもうシマシマだと言っていい。ファッションである。
「鑿めは神を暗示かも」と解説にあるが、埃及の神々のシマシマを思わせてくれる。

如来立像 平安時代・11世紀 岩手・天台寺  茫洋としたお顔で、シンプルな表現。両手は失われている。
ちょっと粘土で拵えたような風情もある。

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並んでいるのは同じお寺のお仲間である。
千手観音菩薩立像 平安時代・10世紀 山形・吉祥院  やや口元が上がっている。顔が大変大きい。

菩薩立像(伝薬師如来) 平安時代・11世紀 山形・吉祥院  首を挿げ替えたのか?唯一、お顔が小さい。

菩薩立像(伝阿弥陀如来) 平安時代・11世紀 山形・吉祥院  やはり大顔。顔の造作が下方に集中。

こちらのお寺は元は天台宗で、ある時から曹洞宗に変わったそうだ。
薬師如来坐像 平安時代・9世紀 宮城・双林寺  額に水晶の白毫、頭には瑪瑙だろうか。ケヤキの仏。

二天立像(持国天・増長天) 平安時代・9世紀 宮城・双林寺  こちらもケヤキ。持国天の鼻の鋭さ。増長天の虫食いが激しいのにも驚く。
踏まれる邪鬼たちは手足を断ち切られたようにも見えた。

薬師如来坐像および両脇侍立像 平安時代・9世紀 福島・勝常寺  なんでも東北初の国宝だったそうだ。三体とも金がよく残っている。薬師如来はどうもヅラをかぶっているかのようにも見えた。素足は裾の中。これは都風らしい。冷え症だとか色々考えたのは寒い日に見たからか。
日光菩薩、とても可愛い。月光菩薩は奈良の天部のようにも見える。

薬師如来坐像 平安時代・貞観4年(862) 岩手・黒石寺  あの大地震の七年前の完成。光背の仏たちもはっきりしている。

日光菩薩立像・月光菩薩立像 平安時代・12世紀 岩手・黒石寺  日光菩薩は細身をくねらせて立つ姿がかっこいい。ジョジョ立ち風にも見えた。綺麗。
月光菩薩はむしろ静かなたたずまいを見せる。
二人とも光輪が光る。

聖観音菩薩立像 平安時代・10世紀 秋田・小沼神社  額の大きな石に目がいった。そしてその頭の中に可愛い顔が。だが、「こぶ」とは思いもしなかった。そぉか、あれは髪とかそんなのではなくこぶなのか。こぶの中に「雪ん子」がいる、というのはもしや間引きされた子への追悼なのかもしれない、とちらりと考えた。
東北の親たちのせつなさを救い、子らをあの世で可愛がる仏さんなのかもしれない。

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伝吉祥天立像 平安時代・9世紀 岩手・成島毘沙門堂  両手が「まぁまぁまぁ」と相手をなだめるようだった。「ね、怒らないの、ね」と言われている気がする。
面白いのは宝冠が二匹のゾウさんだということ。わたしはゾウさんが好きなので嬉しい。なんとなく幼稚園の園長先生のような気がした。
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訶梨帝母坐像 平安時代・12世紀 岩手・毛越寺  やや小ぶりである。
幼子を抱っこしている。髪は優しく垂れてもいる。足元には葉っぱがある。柏のような葉っぱ。神農さんの肩掛けに使われているような柏。
毛越寺、行ったなあ。また行きたい。

女神坐像 鎌倉時代・12~13世紀 青森・恵光院  垂髪をかぶり物で隠す。リアルな感じの女神。黙って じっ とこちらをみつめる。
口元が優しい。唇がとてもいい。綺麗な唇。

イメージ (58) クリックしてください。

十二神将立像(丑神・寅神・卯神・酉神) 鎌倉時代・13世紀 山形・本山慈恩寺  四体それぞれかっこいい。慶派かもしれないそうだが、それでか動きがイキイキしているかのようだ。
丑は赤ら顔。衣の緑青が綺麗。耳朶が立派。独鈷を持つ。
寅がまた最高にいい。この動きを瞬時に捉えたような造形。素晴らしい。表情もいい。辻村寿三郎の人形のような躍動感を感じた。手にはミツマタ。ガラスの眼が活きている。
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クリックしてください。
卯はマッチョで裸にじかに鎧を付けているところが「七人の侍」の三船敏郎のようだった。当然素足のまま。いい筋肉。
酉は両鬢が激しい。歯を見せている。
みんなかっこよかったなあ。

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十一面観音菩薩立像 鎌倉時代・14世紀 宮城・給分浜観音堂  たいへん巨大。3m近くもあるそうだ。手には蓮の入る瓶。十一面の仏たちもしっかりしたお顔ばかり。その顔達から見下ろされているのを感じる。

最後に円空仏が現れた。
そうだ、ここで数年前に飛騨の円空仏の展覧会を見ている。
ちょうど2年前の今頃の話。あれもいい展覧会だった。
その時の感想はこちら

地蔵菩薩立像 円空作 江戸時代・17世紀 青森・西福寺  飾りなし。前組の手には宝珠がある。なんと奥行き15cmだと。後ろを覗くと確かにすごい薄かった。

釈迦如来立像 円空作 江戸時代・17世紀 青森・常楽寺  首が埋もれている。でも優しいお顔で、作家の田辺聖子さんに似ていた。アタマはパイナップルのようである。

十一面観音菩薩立像 円空作 江戸時代・17世紀 秋田・龍泉寺  杉で出来ている。怒りの顔もある。はっきりしていていい。

今も人々の信仰を集めているみちのくの仏像たち。
一日も早い復興を共に願うてます。

4/5まで。

2月最初のハイカイ録

1月末から2月アタマにかけてのハイカイです。
展覧会の感想はいずれも後日。

箱根に向かうのに新横浜駅から小田原駅に行く関西人がおる。
時間の無駄を排除したらそうなるのだよ。

ご一緒するえび新聞のえびさんから小田原駅東口の提灯の下にいますとメールが入り、早速アタマに
♪えーさえっさえさほいさっさ、おサルの駕篭屋だホイサッサ、小田原提灯ぶらさげて~
と流れたのは当然としても、まさかあんな巨大提灯とは思いもよらず、せいぜい東大寺の南大門のしぃんとした提灯くらいかと思いきや、目に入っても認識出来ないほどの巨大さでしたがな!
松下幸之助が寄贈した浅草寺の大提灯くらいやったかな。びっくりしたわ!

さて我々は我々による我々のための計画通り、バスに乗り箱根の山中に向かうのだった。
車窓から見える小田原の町並みの面白さ、これは時間かけて小田原捜査をせなあかんな。
えびさんに訊いたら小田原は戦災を受けなかったらしい。それともあんなに楽しい建物がたくさんあるのだ。惹かれるわ~
しかし今日は小涌園そばの岡田美術館に行くのが最大の目的ですがな。
初志貫徹。

バスは箱根駅伝のルートを行く。函嶺洞門は土木遺産として長く活きてほしい。
蛇骨野とかいうバス停にドキッとしたり、神社前、ホテル前という固有名詞抜きのバス停にヲヲッとなったり。
雪は片寄せられてたが、やばそう。

つきました、岡田美術館。
セキュリティの厳しさはいいが、頼むから展示リスト作るかサイトに上げるかしてほしいわ。
書き留められん。莫大すぎる。

お昼は開花亭なるお食事処でキノコうどん。美味しかったわ。
建物は昭和初期のもので、ガラスが綺麗なひずみを見せていた。

素浄瑠璃も開催されてた。びっくり。聴いてたいが時間がないなあ。

今回の目玉は御舟の木蓮。
こういう絵を見ると、やはり御舟は早死にするわと思うのです。

それにしてもえびさんとわたくしだけで大方の展示室を独占しましたな。
二人ともテンションあがってあがってwww
ここで言えない・書けないようなことが延々と…
わははははは

バスでホテル前、つまり富士屋ホテル前で下車。
去年6月に行ったのに、見てなかったところ色々発見!これは帰宅後に検証しなあかん。どうも工事してた気がするわ。

それから箱根名物の寄木細工の箱を購入。嬉しいわ。


真昼の月が巨大な山の端の上にある。
時間が伸びてきているなあ。

箱根登山鉄道に乗る。
宮の下から箱根湯本まで。
木調の電車でスイッチバックもあり、楽しいわ。
座席シートのクッションが寄木細工柄と言うのはご愛嬌。

乗り継いで小田原。お城も見えます。

歌舞伎十八番「外郎売」のあのういろう屋さんに行く。
「拙者親方は」ですな。薬だけやなくお菓子の外郎もあるそうで、しかし奥の和風カフェにたどり着くまでに調剤するこーなーとかあるんで、やっぱり外郎は薬ですなと。
えびさんのお抹茶と生菓子
わたしのクリーム餡蜜

どちらもおいしうございました。

他に小田原かまぼこの籠清にいき、ちょっとばかり購入する。今夜のわたしのおつまみ。
えびさんのご実家は魚屋さんで、籠清のかまぼこを扱うてはるそうです。

さて楽しい時間も終わり。小田急の急行に乗り一路都内を目指しますわ。
えびさんとは途中でお別れ。また遊びましょう。今度は小田原オンリーにしましょう。

…電車混んでるのはええが、車窓をみると真っ暗。非常に不安になる。
わたしは「何もない」ところが怖いので、鬱屈する。
町田を超えてからはまあなんとかなったが、あかんわー。

下北沢で乗り換え、渋谷へ。
ブンカムラについたがもう19時半でギャラリーを見るのはちょっと、な時間。
あきらめてミュージアムだけにした。
これがまた独占状態で、21時までの閉館だが、4人いたかどうか。
ただしわたし含めて全員がかなり真面目に真剣に真摯に植物の絵を見てましたわ。

軽くおでん食べてから定宿に。夜食に例の練り物など。おいしかった。

2/1になりましたが、世界はどんどんわるい方向へ向かっている。
嫌なニュースをみる。日本も外国もまずいな…

東博へ。「みちのくのほとけ」展。これが予想をはるかに上回る良さで目が見開かれたな。
うーん、すばらしい。また見に行きます。
常設もじっくり。これらはまた写真ともどもで。

有楽町へ。もう東京會舘はないんよねえ・・・昨日まで。
惜しいな。

出光美術館で「物語絵」を堪能してから両国へ向かう。
門天ホールでKOHAKUのコンサート。たまにはわたしも癒されたい・・・
現代音楽が詩を歌にする。
朗読と歌唱と演奏のアンサンブル。
興味深いことをいくつも感じ取り、色々と物思う。

三越に岡田美術館の琳派作品を見る。
これが本当に素晴らしい。
ここでは其一の木蓮を見る。
岡田美術館の二つの木蓮。
ときめくねえ。

徒歩で東京へ。ステーションギャラリーにつくと、丁度毎時30分にしかしない模型のライトアップに遭遇。
らっきー。


この東京駅100年の記憶展はまた行くけど、おそらく2時間はいるね。
確信してます。

ここでタイムアップ。新幹線に乗る。
そして一泊だから珍しくタクシーやなしに阪急に乗りついで帰宅。自転車ですわー。
帰宅したら猫たち大歓迎。いきるいきる。
まぁ個人的には平和でした。

次は2/13から。
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