美術館・博物館・デパートでの展覧会を訪ね歩き、近代建築を見て周り、歌舞伎・映画・物語に溺れる日々の『遊びに行った日を記す』場所です。 **自宅でログイン出来ないので、現在「遊行七恵、道を尋ねて何かに出会う」で感想を挙げています。

京を描く 洛中洛外図の時代 1

京都文化博物館で「京を描く 洛中洛外図の時代」の前期・後期を見た。
<京>は<みやこ>である。
先に「奈良の都」という呼び名はあっても後に「江戸の都」とは言わない。
ただ、仙台の「杜の都」はいい呼び名だ。

これまで数多の洛中洛外図、花下遊楽図、祇園祭礼図などを見てきた。
実物を最初に見たのは、91年、今は亡き萬野美術館でのことだった。
そして洛中洛外図を中核にした展覧会も93年の「洛中洛外のプリマドンナ」展(兵庫県立歴史博物館)を嚆矢に、多くの機会にも恵まれて堪能してきた。
また、図録の他にも、手元には同年購入した狩野博幸編著「近世風俗画」全五巻がある。
もしかすると日本で一番多く所蔵しているらしき、佐倉の国立歴史民俗博物館にも出かけて、喜んで図録購入などをしている。

が、この二十余年、多くの洛中洛外図を見たと書いたが、今回の京文博でまだまだ未熟者だと思い知らされた。
見たことのない洛中洛外図がいくつもあり、中には描かれた(選ばれた)名所にびっくりもした。
これだから、展覧会に行く楽しみは捨てられない、と言える。
近年の洛中洛外図をメインにした展覧会では特に凄い内容だった、と声を大にして言いたい。
東博での「京都 洛中洛外図と障壁画の美」展共々、決して忘れられない素晴らしい展示だった。

ということで、それぞれの洛中洛外図に対して、自分勝手な感想を挙げてゆこうと思う。

そしてこちらは企画の意図。
「京都の地理や景観、そしてそこで営まれる人々の生活は、平安時代から絵画として描かれてきました。その蓄積の上に作り出されたのが、京都の全景を一双の屏風に描いた洛中洛外図屏風です。十六世紀初頭の戦国時代に現れたこの洛中洛外図屏風は、現実の都市である京都を題材として、時の権力者の事績や、今と変わらぬ名所の数々、そして町衆の生活のあり様などを細かに描き、美術品としても、歴史資料としても、見る者に尽きぬ興味と喜びを与えてくれます。
洛中洛外図屏風は江戸時代に入ってからも制作され続け、都市の変化に応じて展開していきます。これだけ長い間、詳細な景観が描き続けられた都市は世界にも類がなく、この意味で、洛中洛外図はまさに比類なき都市の肖像なのです。
本展では、現存最古の洛中洛外図である歴博甲本をはじめ、室町時代から明治時代におよぶ「京都の肖像」をご紹介します。作品を通して、それぞれの時代の京都に思いを馳せ、時間旅行をお楽しみいただけたら幸いです。」


第一章 中世の京都像

原在明 年中行事絵巻模本 陽明文庫 江戸時代後期 ※原本:平安時代後期  白描に淡彩という感じの絵巻物。人々の烏帽子が花びらのよう。芸人の周りに集まる人々、貴女の乗った馬を曳く者たち、獅子舞、神輿を担ぐもの、などなど。

 
拾芥抄 西京・東京図 陽明文庫 桃山時代  西京は西小条から西九条、西京極から朱雀大路。
東京は朱雀から京極、九条から一条。
碁盤の地図ですな。ただし民家の記載なし、公共施設なし(当たり前か)、寺院名などかかれている。

月次祭礼図屏風模本 東京国立博物館 江戸時代 ※原本:室町時代  祇園祭の様子が面白い。鷺舞がもう殆ど冗談のようだし、なに山かわからんが虎と豹の寄り集まったのがあって、雲で隠れてるけど、毛皮やなくてナマモノぽいのが面白い。
柳がやたら巨大なのも面白い。

東山泉涌律寺図(古伽藍図) 泉涌寺 鎌倉時代後期~南北朝時代  実は泉涌寺には一度しか行ってないので、この伽藍図みてもどこに楊貴妃観音が設置されているのか予想もつかない。名前も昔は「律」入りだったのか。

北野宮曼荼羅図 北野天満宮 室町時代  中空に浮かぶファイブスター。奥の本殿には巨大な菅公が鎮座ましましている。梅が咲き乱れている境内。椿も咲いている。門外には桜も松も。門内には紅梅、門外には白梅。馬は見えるが牛はいないね。

清水寺参詣曼荼羅図 室町時代後期  使われてたからか折り目がきついな。日月あり。人々は四頭身。中央に舞台が描かれ、既に楽しい観光状況。桜も満開。どの人もにこにこ賑やか。店屋もぞろぞろ並ぶ。水灰色の雲が妙に面白い。
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六道珍皇寺参詣曼荼羅図 六道珍皇寺 室町時代後期~桃山時代  これは名古屋でみたのが最初だったか。
もう本当に境内がテーマパークしている。門外には大壷に飲み物が入ったのが一杯いくらで販売され、行き交う人々も様々。
門内から時計回りに、白い六地蔵、十王像、舞う人々かな?、三時の方向には賽の河原のジオラマ、人形の見世物。本殿ではなにか柄杓で掬うている。これはあれかな、なんか火を消してるのか。宗教行事なのか防火訓練なのかはわからない。
ところで真っ赤っ赤な地獄の役人たちの中で一人だけ平安の文官みたいなのがいるのは、参議の小野タカムラさん。
ここの井戸から地獄へ出勤していた人。生きながら地獄へ往来というのもスゴいが、二つの勤務先でそれぞれ大活躍というのがやっぱり凄いわな。

洛外名所図屏風 太田記念美術館 室町時代後期  はっきりした絵。これは太田のだったか。太田では見ていない。
右1の上には稲荷山。山伏等の姿がある。鳥居の並びはない。紅葉がいい。
建物の壁面の白さは漆喰。三十三間堂の柱と白壁の数を数えるのも楽しい。27か。33間ではないのかな。ていうか、そこまで考えなくていいか。
清水、大きく。石段はパキンパキンと音がしそう。舞台は大にぎわい。
その裏のお寺の舞台では宴会中。犬も走ってる。おお「むまとめ」看板もある。
働く牛が四条のすぐそばに。四条大橋の袂に鳥居。五条の店並の一軒、土間で斑猫が寝ている。

左は鞍馬から始まる。こちらも清水同様桜が大満開。むしろこっちの方が華やかか。たいへん大きな鞍馬寺。門の金剛力士像も赤くて強そう。
その下方には八幡、石清水八幡かな。道が曲がってるのは今の1号線か、京阪電車の線路か。変わらないわけですな。
しかし幡枝だとパネルにある。そうなのか。鴨池があるね。円通寺はどこかな。そこから比叡山をみて伝教大師が「わが立つそまは」と詠うたそうです。
パネル通りここは幡枝八幡ということです。
近くに小野小町のお墓とか並んでる。これについては壁面パネルにコラムがあって、たいへん興味深いことが書いてあった。市原野の篠坂墓所。
3では貴船の山の上とケーブルがつながっていて、籠がスルスルときた。あれだ、岩手の巌美渓の「いつくし団子」、あんな感じ。
5は二尊院がある。大井川もよく流れ(この字で書いてある)、筏師も働く。6に金閣寺があり人々が三階までみっしり入り込んでるのにびっくり!!
これは面白い洛中洛外図でしたわー。

東山名所図屏風 国立歴史民俗博物館 室町時代後期~桃山時代  黒ずんでるのが惜しい。白部分は剥落が激しい。1の下部に三十三間堂、その斜め左に清水寺というパターン。時代が時代なのでもちろん耳塚とか方広寺とかない。
清水は平安から室町まで大ブームだったんだっけ。寺社も時代により流行があるからなあ。
五条も四条もにぎわっている。

祇園社大政所図屏風 室町時代後期  祇園さんの境内、魔界になってませんか。失敬。午頭天王と八王子と仏たちでした。
釜の神事かな、あれは。ゴォゴォしてる。鳥居の外には店が並び、やせ犬がゆく。そして御神輿や長刀鉾がゆく。

紀広成 祇園社大政所図屏風 長刀鉾保存会 天保三年(1832)※原本:室町時代頃 何百年も経つとすっきりな境内。室町のを手本にしててもやっぱり幕末。
 
元信印 京洛月次風俗図扇面流屏風 光円寺 室町時代後期 扇面:二十四面  この扇面屏風、意味不明なくらいかっこいい。地には二種の千鳥が群だって飛び、波間に菖蒲の葉が剣のように伸び続けている。その上にずらりと扇面。
千鳥たちも→ ←と群の向きがある。いい屏風。

狩野元信 釈迦堂縁起絵巻 清凉寺 永正十二年(1515)頃 やはり巧い絵。群衆の中には女の芸能者もいる。舞楽の人たちの到着。乞食や病人などが門前にいる。門内にも。物売りも多い。
ほかのシーンはわからない。

北野経王堂・諏訪神事図扇面 室町時代後期  机に向かって写経中。騎射中。そんなシーン。

長くなりすぎるから一旦ここまで。
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「花をめでる」「花と鳥の万華鏡」そして

思いがけず早足で花の季節が訪れては去ってゆく。
花を中心にしたいくつかの展覧会の感想を挙げる。

大和文華館「花を愛でる」展に行った。
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なじみの作品が大勢で出迎えてくれ、春の喜びを味わう、という風情である。
梅、桜、牡丹、秋草、これらをモチーフにした作品を集め、さらに「花を飾る」という章で締める。
いい具合の展覧会だった。

なお2012年には「花の美術」展があり、そのときの感想はこちら

・梅を愛でる
灞橋尋梅図 朝鮮中期 孟浩然がロバに乗って梅を探しに行くところ。従者が一人いるが寒そうである。
こうして梅を探しに遠方へ行く酔狂さを風流というのだ。

四君子図 山本梅逸 1839 ここで梅逸を見るとは思わなかった。ただ遠目にも、もしや梅逸では、と思いながら近づくとやはり梅逸で、いい絵は梅のように良い香りでありかを示すものだと感心した。

螺鈿花鳥文筆筒 明 これは埋め込み式の螺鈿だった。白く光る梅に鶯。とても綺麗。

螺鈿蒔絵梅文合子 光琳・乾山 羊遊斎模造 これも好きな一つ。

色絵梅文大壺 伊万里 知る梅文大壺で一番大柄でかつ可愛らしいもの。
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・桜を愛でる
寝覚物語絵巻 金銀砂子の綺麗な絵巻。桜を描いた平安時代の絵巻の中でも特にこれが綺麗。
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蒔絵草花文提箪笥 桃山 蓋は紅葉、桜に梅に鶯、牡丹に蝶。桜に雉の取り合わせはここにはない。鶴に松はあるけれど。

枝垂櫻の棗が二つ並ぶのもいい感じ。一閑貼と蒔絵のと。

・牡丹を愛でる
花鳥図 山口宗李 1715 琉球の絵師。この絵は至って静かなもので、文鳥もたくさんいるのに全体の白さで抑制されていて、たいへん静かな世界を開いている。

花鳥図 松村景文 右幅は薄紅牡丹と白牡丹が咲き、雀らがかくれんぼしている。
左幅は芙蓉に小さな鳥。やさしいいい絵。

鎌倉彫七宝繋地牡丹文手箱 室町 蓋前面に大きく牡丹。鎌倉彫はやはり牡丹ですね。

白掻落牡丹文水注 磁州窯 凄い掻落とし。削りが鮮やか。

赤絵牡丹文小壺 磁州窯 これはカラフルで可愛くて好き。カラーペンで模写したくなる。

五彩花鳥文小皿 景徳鎮窯 …牡丹に小鳥がいるのはともかく、よくよく見たら小さい虫が小鳥に狙われている。てか、もう一部喰われてますがな!

・秋草を愛でる
季節が進みました。
蒔絵秋草文盆 高台寺蒔絵 これはサントリーに兄弟があるそうな。蝶が飛んでいる。
わたしはあまり高台寺蒔絵が好きではないが、それでもこれはいい。

色絵菊花文八角瓶 柿右衛門 ああ、いかにも。そぉっと大事にしていたい。

・花を飾る
最後に池坊の花伝書などや田能村竹田、鉄斎の絵が出てきた。
四季のある東アジア、特に日本では本当にそれぞれの花の季を愛してきたのを感じる。

和やかな心持で、三春の滝桜の子孫の繚乱を待とう。
次の展覧会は「風俗画と物語絵」4/3から。

以下は今春の花。
 

 



山種美術館で「花と鳥の万華鏡 ―春草・御舟の花、栖鳳・松篁の鳥」を愉しんだ。
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春の愉楽は花と共にあるのを感じる。そして心持は鳥または蝶でいるのもいい。

竹垣紅白梅椿図 17 世紀 紙本金地・彩色 和やかな心持になる。白梅と椿の取り合わせの良さ。

鈴木其一 四季花鳥図 紙本金地・彩色 晴々と明るい金地に鮮やかな花々が咲く。
仲良しそうなトコヨノナガナキドリ一家がいるのはニガテなので見ないとして、本当に花々の輝きを感じる屏風。

岸 連山 花鳥図 19 世紀 紙本・彩色 鶴に松の屏風。今はもうこうした絵は誰も描かないので、却って面白くもある。ちょっとばかり岡山の鶴を思い出す。

荒木十畝 四季花鳥 1917  絹本・彩色 いつみても好きな四季の美。春・夏・秋・冬それぞれの歓びを感じる。
十畝はここと野間記念館でしか見ることがない画家だが、どの作品も木花といきものの優しいコラボレーションが楽しめる。

小茂田青樹 春雨 1917絹本・彩色  しっとりと濡れている。その風情たるやもう…情緒纏綿というものです。

小茂田青樹 梅鳩 1925絹本・彩色  幻想的な一枚。

速水御舟 桃花 1923  紙本金地・彩色 桃の花の可憐さがその花の色や枝に現れている。しかし花は弱くはない。

速水御舟 翠苔緑芝 1928  紙本金地・彩色 出た、黒猫のにゃあとした見返りに、とぼけた兎たち。
季節は今より少し進んで初夏。綺麗にカットされた緑芝。躑躅、枇杷、紫陽花の豊かな色彩。いきいきしたどうぶつたち。明るい生命力を感じる。

上村松篁 白孔雀 1973紙本・彩色  黄色のハイビスカスの下にふわふわした感触の白い翼が広がる。
もう本当に松篁さんは大好きで、関東でも松篁さんの絵が愛されているのが嬉しい。

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第 2 章 花の世界

田能村直入 百花 1869 絹本・彩色 本当に華やか。ボタニカル・アートとはまた違うのはやはり情緒があるから。

菱田春草 月四題のうち 「春」 1909-10 絹本・墨画淡彩 春草の「春」を描いた作品のうち、これが最もいいと思う。柔らかな美がそこにある。

川﨑小虎 秋瓷 1961 紙本・彩色 白い瓶に秋の山野草。決して派手ではないが心惹かれる植物。小虎の心の優しさがにじむような絵。

上村松篁 花菖蒲 1977 紙本・彩色 靄がかっているような中に咲く。白と紫の花。

第 3 章 鳥の世界

竹内栖鳳 みゝづく 1933 絹本・彩色  耳が立っていてきょとんとしていて、とても可愛らしい。真ん丸い目に毛羽立ち。可愛いなあ。

竹内栖鳳 憩える車 1938 絹本・彩色 水車の車輪の上に五位鷺。下方には山吹が盛り。うっとりとした午後の時間。

横山大観 叭呵鳥 1927 紙本・彩色  犬枇杷に止る目つきの悪いこいつ。なんだかもう声をかけてやりたくなるくらいの可愛さがある。

速水御舟 百舌巣 1925 紙本・彩色 ああ、大好き。とはいえ最初に見たとき「えらく目つきの鋭い雀の子らやな」と思ったのでした。百舌鳥でした。早贄を拵えるくらいですから嘴はこんな雛のころから鋭い。にこげほわほわ。

小山 硬 海鵜 1980 紙本・彩色  人物画よりずっと好み。生命力を感じさせてくれる海鵜たち。

牧 進 明り障子 2004 紙本・彩色  障子をあけたときの風景。雀たちの可愛らしさ。竹林と水仙と。幸せな早朝。夜明け前かもしれない。

気持ちのよい展覧会。4/12まで。

最後に東博でみた花たち。
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桜の下での舞楽。美少年たち。
その美しさを味わう人々。
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法華経の美もまた花。
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美しい花はここにもある。
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絵画とはまた違うやきものの花の美。
漆芸の花鳥もいい。

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獅子のいるところには牡丹が咲くという。
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好い心持で花を愛でた。


見つめて、シェイクスピア!

滋賀県立近代美術館で「見つめて、シェイクスピア!」展を見た。
これは練馬区美術館からの巡回で、こちらで見ようと待っていた。
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シェイクスピア作品を描いた絵画や挿絵などは無限にある。なにしろ四百年前から今に至るまで人気が続いている。西洋だけでなく東洋でも必ず毎年何かしら上演され続けている。
わたしはせいぜい「リチャード三世」くらいしか見ていないが、それでも「オセロー」「ハムレット」「ロミオとジュリエット」の話の概要くらいは知っている。
映画でなら「ロミオとジュリエット」「テンペスト」は見ていた。

二十年ほど前「描かれたシェイクスピア」展を近鉄奈良店で見ている。
あれはとても良い展覧会で、本は今も大事にしている。
今回の展覧会にはそこで見た作品も出ている。
ほかに先年三鷹美術センターで妖精を扱った「フェアリー・テイル」展が開催され、うつのみや妖精ミュージアムから出てきた作品を見た。
今回はそのうつのみや妖精ミュージアムの作品も出ていたので、懐かしい気持ちが湧いている。

シェイクスピアの16枚の肖像画が並ぶ。これは早大の演劇博物館所蔵で、現地で見たような気もする。
同時代にシェイクスピアを名乗る他の作家がいたとかいないとかそんな話があったな、とかそんなことを思いながら見て歩く。

・四大悲劇 ハムレット、オセロー、リア王、マクベス
特に人気が高いので作品もとても多い。

ベンジャミン・ウエスト ハムレット 点刻彫版法 発狂したオフィーリアが王の前につれてこられる。凄い目つきになっている。その狂気の有様を見て、その場の人々の様々な反応が描かれている。うつむく王妃、目を背けるもの、身を引きたそうな王、一人だけ冷たい目で全体を見るのはハムレット。オフィーリアをつれてきて皆の様子を見ている。

こういうのがほんと、殴ったろかコイツは、と思うところ。わたしはそもそもハムレット本人が嫌いなので、可哀想ともなんとも思えぬどころか、殴り倒してやりたいキャラの上位に常に入っている。

ドラクロワのハムレットのリトグラフが並ぶ。
1834-1843年の作品。
わたしはこのうちの何点かを20年ほど前に雑誌の付録で見知った。
話はともかく、場面場面がとても好きだ。

黒髪でショートカットのハムレットは正面から斜めくらいの顔はいいが、横顔がイマイチ。
辛気くさいのは本人の性格として仕方ないにしても、やることなすこと全てに苛立つ。
16点が並んでいた。
ドラマチックで緊迫感あふれる画面が続く。
わたしが好きなのはオフィーリアの死。河に半ば沈みつつ植物が絡む姿。
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そして最後のハムレットの死。みんながみんなカタストロフィーを迎え、あちこち死体まみれとなる情景。
ハムレットが親友ホレイショーに抱かれながら死ぬのにフジョシ心が刺激されるのであった。

ジョン・オースティン 1922「ハムレットデンマークの王子」 本の装丁がいい。この時代ではあるがアールヌーヴォー風の絵で、ハムレットの剣の柄がニケのような羽根を持つ三人の裸婦で構成されていた。魅力的な剣。

多くの人がシェイクスピアの翻訳に携わっているが、わが偏愛の塚本邦雄も1972年にハムレットの本を出していた。
どのような詞での脚本だったのだろう。とても気になる。
塚本の詞の魔術に溺れる身としては気にかかって仕方ない。
絵はアントン・レームデン。ウィーン幻想派の画家。段々の地層をピンク色で描いた表紙だった。

次はオセローである。

ジョザイア・ボイデル オセロー 眠るデスデモーナ 1803 点刻彫版法 もうすっかり疑いに囚われてしまったオセローが妻の寝室で苦悩する。顔を手で覆うムーア人オセロー。剣を手にしている。デズデモーナの白、オセローの黒の対比。

シェイクスピアの作品の中でもオセローは気の毒だと思っている。妻を疑うオセローの根には自分がムーア人である、ということがある。
イアゴーはキャラとしてはとても面白い。
わたしは悪役がいいのが好きなので、イアゴー、リチャード三世、マクベス夫妻はファンなのである。

テオドール・シャセリオー オセロー 1844初版 1900刊 エッチング、ドライポイントなど 16点の連作。
半分ずつ展示換えをしていた。

冷え冷えとした憎悪がひしめく中、最初はデズデモーナとの恋を貫くために堂々としたオセローがいたが、話が進むにつれ、その長身で立派な体格がかえって惨めに思えるほど、だめになってゆくオセロー。
とうとう殺害を実行する。
枕落としで妻を窒息死させるオセロー。デズデモーナの長い髪がだらりと垂れている。
やがて全てのカタストロフィー。二人の女の死とオセローの死、そして悪人たちの逮捕。

ドイツロマン派らしいドラマティックさがいい。
それにしてもムーア人のオセローの気の毒さ。
妻を疑うのも男としての特性のためよりも、そこに人種問題が絡んでいるので、よけいに激しくなっている。

オラーフ・グルブランソン オセロー 1918 リトグラフ かっこいい一枚。オセローが顎を上げ目を閉じる顔のアップ。かっこいい。

リア王へ。
これを翻訳した黒沢明の映画もあった。
どうもリア王も好きではない。

チャールズ・リケッツ リア王 舞台装置原画 1909 5点の水彩画がある。王室、伯爵邸、原野、小屋の場、崖の場。なにやらストーンサークル風な背景画である。
石の家に藁葺きの邸宅なのである。

フェリックス・メゼック リア王 1918 エッチング 山本容子の作品を思い出した。ちょっといびつな人物造形である。

最後にマクベス。
マクベスは小学生の時に知り、かっこいいなと思ったが、途中で夫人がだめになるあたりでがっかりした。
「悪で始めたことは悪で踏み固めねばなりません」なかなか難しいものです。

ヘンリー・フューズリ マクベス 荒野 1798 点刻彫版法 肉体に鱗をつけたような薄目の甲冑を身につけたマクベスと中空に浮かぶ魔女たち。
いかにもフューズリらしい大げさな目つきをしている。

ドラクロワ 魔女たちに相談するマクベス 1825 リトグラフ 武将という風情が強いスタイル。

トーマス=テオドア・ハイネ マクベス 1918 エッチング マクベス夫人がまるで赤塚不二夫えがくお巡りさんのように両目がつながった顔で描かれていた。不眠でふらふらしているところ。

リケッツ マクベスの悲劇 1923 夫に身を乗せかけてささやく女。かっこいい。緑色の幾何学的な文様のドレスをまとっている。


・喜劇 
夏の夜の夢から。
わたしはこの話は「ガラスの仮面」で知ったのだった。

フューズリ 夏の夜の夢 1803 点刻彫版法 目覚めたティターニア。周りには小さな妖精などがいっぱい。オベロンがとても良い身体。

リチャード・ドイル ティターニアとボトム 1845 インク これは前から好きな絵。ティターニアが少女ぽいのがいかにも世紀末な感じ。コナン・ドイルの父だったかな、この画家は。

ジョン・シモンズ パックや妖精たちに囲まれたハーミア 1861 水彩 チラシ。この絵は前述の「描かれたシェイクスピア」で知った。今はうつのみやにあるのか。
小さな妖精たちも一人一人綺麗な目鼻立ちをしている。
細部まで丁寧に描かれている。

シモンズ 憩うティターニア 1872 水彩 楕円形の中にバラを中心とした花の中で眠る。綺麗な絵。

ジョゼフ・ノエル・ペイトン オーベロンと人魚 1883 油彩 頭に蝶の羽がついた妖精王。人魚は凶悪顔の海豚に乗っていた。王の横にいるパックは悪魔顔で笑っている。海は月光で道がついていた。

ジョン・アンスター・フィッツジェラルド マッシュルームに座るパック 水彩 ビリケン風なパック。

アーサー・ラッカムの本が出てきた。
いつみても本当に綺麗。ラッカムの絵は1981年に新書館から出た画集の宣伝で初めて見て、それからずっとファン。どこかでラッカムの展覧会があれば嬉しいのだが、いまだにない。

ヒース・ロビンソンの装丁本もある。平板な構成だが、アールヌーヴォーとモダニズムとが同居していた。ちょっと面白い絵だと思う。

あとウィンザーの陽気な女房たち、ヴェニスの商人などもあった。

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・様々なシェイクスピア

テンペストから始まった。
わたしは映画「プロスペローの本」でジョン・ギールグッドのプロスペロー、ピーター・ガブリエルのキャリバンをみている。
あと蜷川の演出した舞台もみたが、これがたいへん不満な出来で、それが原因で舞台をみにゆくのをやめるようになった曰く付きの演目なのだった。
 
フューズリのキャリバンは妙にえろい。

チャールズ・アルタモンド・ドイル 五尋の海の下 水彩 海底であの魅力的な歌をピアノで演奏する人魚。ライブ風な即興演奏ぽい。魚たちが聴客。
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シャガールの墨絵のような連作50点が並ぶのは壮観な眺めだった。シャガールは「ダフニスとクロエ」もよかったが、こちらもいい。

ウィリアム・クレインの挿絵本もある。
モノクロで繊細な作品と、カラーの美麗な作品とがある。

ほかにロミオとジュリエット、リチャード三世などがある。
リチャード三世に殺される幼い王子二人の特集をすればいいのになあ。

エリック・ギルの木口木版による挿絵がいい。
ベッドから出る裸婦を引き留めようとする相手が女なのか男なのかわからない。それがなかなか魅力的。

リケッツ シェイクスピアのヒロインたち 1926 たぶんマクベス夫人だと思う女がいる。ジャポニスムの影響を受けた文様のドレスを身につけている。それが宝相華文様で金色、白地にいくつかばんばんとついている。

リケッツは以前の展覧会で非常に魅力的なマクベス夫人を描いていた。
ここでもこうして見ることができて本当に嬉しい。

私がマクベスを知ったのは大和和紀「KILLA」だった。
そこで主人公キラはマクベス夫人を演じ、リチャード三世を演じた。ピカレスクロマンのこの物語で、キラが最初に栄光を掴むのは悪人の役なのだった。
そしてキラは演劇界での成功を足がかりに実業界に入り込み、ついには軍需産業の社長の地位を得る。
破滅が常に寄り添う中での栄光。
やはりそこにはマクベス夫人、リチャード三世の影がある。


第二部として現代作家たちによるシェイクスピアのイメージによる装丁本が百冊近く並ぶ。
中にはエドモン・デュラックの挿絵を使った本もある。
世界各国の凄い本の展示だった。

4/5まで。 

天野山金剛寺の名宝/雛まつりと人形

京都国立博物館の特別展観を見にいった。
「天野山金剛寺の名宝」「雛まつりと人形」を主軸に、室町時代の絵巻を目的に出向いた。
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河内長野の金剛寺という古刹から来ているのが、今では一階の仏像の間に鎮座ましますこのお二方である。

大日如来坐像
不動明王坐像 行快作
先般の平成知新館の鎮護の要職を締められたかと思いきや、仮住まいだったのだ。

金剛寺はなんでも改修工事をされていて、その間に京博の保存修理所で修理をされて、ここに鎮座ということだった。
つまりお寺が治ると仏さまも眷属も屏風も古文書も何もかもみんなサヨナラなのだった。
それを知ったのが京都へ出てから、というか、この日は朝から大山崎山荘―島本町立歴史文化館―龍谷ミュージアムで、本来ここから高島屋経由で兵庫県美に行くはずがツイッターで「天野山金剛寺の名宝」の期限を知り、急遽龍谷ミュージアムからバス1本で出向いたのだった。
208系統ね。
ほんまに急でしたが、この後予定が全て変わったものの、行ってよかったと思う。

大黒天立像 黒くて逞しい大黒天である。足元は今にも走り出しそう。そして手にした小槌はこれはもう宝物がバンバン飛び出すと言うよりも、これで一撃食らわせば脳漿飛び出すのは疑いなし、という代物。
むしろ鉞に似ている。
七福神が闘う絵も熱田神宮で見たけど、ホント、闘神・大黒天という感じ。

獅子(大日如来像台座付属)6躯 こいつらがまぁ可愛いのなんの。大きさは小ぶりで鍍金で、顔つきもみんな違う。阿吽阿吽と色々いるけど、元は8揃いで2匹はどこかへ。グループ卒業なのか誘拐なのかは知らない。
先の巨大な大日如来さんのお台のところにいやるわけです。
太眉に大きな鼻の穴の奴や胡散臭そうに睨む奴やおどけた表情の奴等々。
可愛くて可愛くて。これに対抗できるのは大倉集古館に住まう忠太の狛犬ちゃんたちですな。
彼らの丸い頭の可愛さはキュートすぎる。
 
金剛界三十七尊のうち(大日如来像光背付属)8躯 要するに平等院の飛天さんを思い出していただきたい。似たサイズで中空に舞い浮かぶ尊き眷属たち。
にこにこ笑うのもいた。筒帽子をかぶるひとも。

剣 附 黒漆金銅三鈷柄宝剣拵 持ち手の柄が三鈷杵てすごいな、もぉ殆ど伝奇系アニメぽい。

日月山水図屏風 6曲1双 これが見たくて飛んできたのね。ああ、なんだか日本の昔話。
いいなあ。のんびりといい気持ちになるね。
緑の山、激しい流れ。山からの滝水が川へ。松も杉もイキイキ。
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五秘密曼荼羅図 1幀 なんかもぉ仲良しさんというかなんというか、肩の辺りから二人が顔を出している。昔のファミリードラマ、あんな感じ。

紺紙金字法華経 巻第八 1巻 ああ、綺麗なお経。
遊仙窟残巻 1帖 …あ、これあれか、あれやなあ。駒田信二あたりが翻訳してくれたら面白かったろうに。お寺で人気の読み物だったのね。

やっぱりあの大日・不動の並びは迫力があったなあ。
ずぅぅぅぅぅんって感じで堪えるわ。もうこの並びは見られなくなるのか…今月末までなのか。
残念というか淋しいというか。
しかしこんな気持ちになるのもここでこの並びを見たからこそ。
ありがとう、とお礼を言いたい。
重量感あふれる、存在感の重い仏さまたちでした。


さて他の展示物を拝みましょう。

釈迦堂縁起 6巻のうち巻3 清凉寺  これは絵巻だけど、仏像自体は近年しばしば奈良博でよくお見かけする。ものすごく繊細なドレープのドレスのようなのをまとってはるお釈迦様ですな。1515年の製作。
前回みた展覧会で特によかったのは2009年の「聖地寧波 日本仏教の源流」展。
感想はこちら

物語でも最初は異国生まれの木像だということだが、いつのまにやらどういう経緯でか謎なまま渡海して本朝へおいでになったとやら。
鳩摩羅什の父に当たる鳩摩羅焔が天竺から震旦へ盗んでお運びしようとする。ここでは王からの迫害を避けるためという説明がある。
昼日中は山中を釈迦像を背負って鳩摩羅焔が歩き、夜になると逆に釈迦像が彼を背負ったとか。
元々の話は今昔物語にあるみたい。
参考までにこちら


桑実寺縁起 2巻のうち下巻 桑実寺 
「BIOMBO」展で見たときの感想
「土佐光茂 阿閉皇女の物語。病床に伏せている。阿閉皇女といえば文武天皇の母で、後に中継ぎの皇位にもついている。土佐派らしい綺麗な色調だった。」

「琵琶湖をめぐる近江路の神と仏 名宝展」での感想。
「阿閉姫の病。定恵和尚が薬師如来の出現を予言する。
光が射し込んで姫が治るまでが上巻。
湖中から薬師如来が、帝釈天の化身たる太白水牛に乗って出現する。その背後には雲に乗る八童子。岸辺には白馬が待っている。そちらは梵天の化身。岩駒なる白馬は雲に乗り、薬師如来をお運びする。八童子もむろんついている。
この下巻には元明天皇がお訪ねしたり、日光・月光に守られ霊験を顕す薬師如来の姿がある。岩駒が空をゆくと、田や里が眼下に広がる。
この桑実寺の落慶法要は定恵が導師となり、白鳳六年11月8日に行われる。
その様子を瑠璃石から眺める薬師如来と岩駒。」

白牛も黒馬も働き者でかっこいい。
薬師如来たちが乗り継いでやってくる、というのがそもそもいい感じ。

地獄極楽図 2曲1双 金戒光明寺 娑婆と極楽の間には、♪深くて暗い川がある 誰も渡れぬ川なれどエンヤコラ今夜も 舟を出すRow and Row Row and Row 振り返るな Row Row というくらいの流れがあり、とても「黒の舟歌」どころではなかった。
ところで案外地獄へもそうはたやすく行けそうにないのだった。
川か海かはさておいて、その流れには牛も龍もいる。極楽の陸の柵の内には蓮池。

五色糸 1包 金戒光明寺 ああ、まだ色が残っているな。未使用の糸です。

瀟湘八景図 相阿弥筆 4幅 大仙院 元は襖絵で、その引手跡が丸い影になっていて、月が上っているように見える。

賀茂競馬図屏風 6曲1双 これが見たくてね。久しぶり。もぉほんと、不埒な奴らばかりの図。ゲイも多い。変な着物の兄ちゃんもいた。
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花下遊楽図屏風 6曲1双 凄い人物造形。これね、柳櫻をこき交ぜて、なんだが、そんな風景より人なのだよ。出てくる人みんな割と大ぶりに描かれているが、全員がスゴイほつれ毛のみだれ髪なのだよ。
美術ライターの佐藤晃子さんとこのことについてツイッターで話し合ったけど、本当に一番すごいほつれ毛屏風だということで意見一致しましたわ。

春秋禽狗遊楽図屏風 6曲1隻 京都国立博物館 鳥や犬の闘魂を見せるみたいな大会でしたわ。

風流踊・水掛祝図屏風 6曲1双 十念寺 傘がスゴイ。みんなで揃えて拵えるわけだが、今のコスプレーヤーの人らと多分キモチ的には一緒なんでしょうなあ。

染織の方は子供の着物の特集だった。
ちゃんと背守りの糸などがついている。
小城鍋島侯より拝領したとか、孝明天皇の娘の着物とか色々。
明治のはじめ頃には薄暗い地に柄の入るのが流行ったとかそんなことを知る。

やきものはまた秋とは違うのが出ていた。
後漢の緑釉の犬。東博にも天理にもいるが、ここのはちょっと面長の犬。
わんっっと吠えてる。

明器の鴨池(プール)もにぎやか。
鋭い目つきの仕女像は前漢。

三彩神王像、邪鬼を踏むのは四天王と変わらないが、こっちの邪鬼は根性をみせて、神王に噛みついてますがな。

唐の婦女像のふっくらさ、いいなあ。珍しいことに狆をだっこしている。

粉彩松鹿瓶がいい。渡河する鹿とか丁寧な柄。

特集の雛人形などを見る。
衣裳人形のバリエーションが楽しい。
お迎え人形。大阪でこの言葉を聞くと「天神祭の」と思ってしまうがそうではなくて、女駕籠でお迎えに来たお女中さんでした。わんこ二匹付き。

着物を着替えて鏡の前でポーズを取る女の姿、それを人形にしたものもある。すごいなあ。
これは吉川観方の旧蔵品。

子供の手鞠にまといつく猫の人形もある。

木目込人形の踊り、楽しそう。

そして年代ごとのお雛様がいい。
やはりお人形はいいなあ。

御殿造りも立派なのが出ていた。
面白いのは、立派な御殿やけれど、ちゃんと関西らしく台所もあるところ。
見慣れてるから当たり前やと思っていたが、これは関西オンリーらしいと知ってから、ますます好きになった。

やっぱり東洋の古美術は楽しい。
いいココロモチで見て歩けてよかった。
京博、次は4月から狩野派の大きな展覧会が始まる。
そちらもとても楽しみ。

生誕110年 海老原喜之助 エスプリと情熱

横須賀美術館で「生誕110年 海老原喜之助 エスプリと情熱」展を観た。
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エビハラ・ブルーの美しさ、その魅力は深い。
ジョット、川瀬巴水と並ぶ世界三大ブルーの創造者だと思う。

わたしはどうしても1930年代のその時代に愛情がわくけれど、帰国してからの戦後作品を数多く見ていることに気付く。
先鋭的な作品だと思った。というよりも戦前の海老原・ブルーの抒情性を真っ向から否定しないと戦後は生きてゆけなかったのか、となにかしら傷ましいような思いがわいたことも事実だ。
実際のところ画家本人がその変容のことをどう思っていたのかは知らない。


海老原喜之助がまだ地元にいた頃の作品を見るが、どうも色が暗い。
「表現主義の影響」というが、萬鉄五郎そっくりな雰囲気もある。

さてそんな彼が1924年パリにつきました。
大人気のフジタのところへ弟子入り。藤田からパリでの処世術を学んだという。
これはとても大切なことだと思う。
もしかすると絵を学ぶとかそんなことより重要なことかもしれない。
都会で生きぬいて自分の芸術を問うのなら、やはり処世術をここできちんとした先達から学べたのは、本当に良かった。
それがうまくゆかなくて異国の地で疲れ果て、傷心のまま帰国するならまだしも、時には自殺する人もないわけでもないのだから。

妻になったアリスとその周辺を描く。
ボーイッシュな姿、赤毛の姉妹が眠るもの、ピンクの肌を見せて眠るものなどなど。
アリスとの間に男児二人を設けたが、のちに離婚し、子らは海老原が親権を取って日本へ伴う。
アリスはこの後どうなったのだろうか。

カンヌ 美しい青。イメージ (12)

状況的に面白い絵が二枚。
漂流 1929 板に乗る母子三人。白馬らの目が優しい。
なぜ漂流しているのかはわからないまま。

樵夫と熊 熊が来たぞ!!それ登れ登れ!!!
しかしヤバいよな、この状況はーーーっ
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雪と馬の時代とでもいうか、それらを描いていた時代の作品を観る。
スケート 真っ白な平原に青の世界がひろがる。胸がすくようだ。

雪山と樵 大きな山と近景に仔犬などを配する。日本画の山元春挙の山岳図のタイプとよく似ている。

雪中行軍 ロングで捉える。青と白の美。八甲田山を思い出すわ…

雪渓 ブリューゲル風な情景。うねるような雪山、柴をまとめて担ぐ人々。裸の木立、働く馬たち…
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群烏 これはもうシュールな絵で、妙に静か。青空に黒色の無数の鳥たちが浮かぶ情景。

ポアソニエール 最初に見たのは97年の「洲之内徹 『きまぐれ美術館』」展でだった。深くそして鮮やかな青に惹かれた。
そして同じ『きまぐれ美術館』に住まう長谷川りんじろうの「猫」タローは次回の横須賀美術館での展覧会に出演するのだった。
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曲馬 チラシ。この青の世界の中に後年のエッセンスもまた含まれている。

この時代の青の美しさを堪能する。青と白、そして雲。

西瓜売り 緑の縞なし西瓜をさくりと切る。露店のパラソルと買い物客の洋傘と。青と白。いずれも顔が見えない。

ここから戦争になり、海老原の作品は出てこない。
次には熊本居住時代の1950年代へと移る。

友よさらば これは神奈川近美で見た。馬もまた家族であり、友人であったが、死んでしまって、みんな悲しんでいる。

船を造る人 船の木枠の隙間から青空が広がるのが見える。
そして人は木屑のような色となっても働き続けるのだった。
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人吉時代は宗教的なテーマの作品が多い。理由は知らないが、絵から様々な想像をする。

この絵を一晩で描いたというのは驚異だ。
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色が濃くなり、もうエビハラ・ブルーはどこにも見当たらない。

群馬出動 てっきり群馬県かと・・・不思議な絵。
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逗子へ移り住む。
古墳装飾のような色彩の作品が多くなっている。絵陶器もある。
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雨の日 △の笠に簑を付けた人が行く。バウル・クレーのテルテル坊主顔の絵を思い出す。
あれとは魂の双子かもしれない。

海老原は最後にパリへ戻る。
その頃の絵はもう私にはわからない。

そして彼の膨大なスケッチなどを見ながら途方に暮れる。
だが、彼がかかわった雑誌の展示は興味深かった。
「セルパン」「日本談義」など。

1939年の「コドモノクニ」はよかった。
草野心平の詩「虫の楽隊」に海老原の絵。
軍用犬のコンテストなどなど。
確かな腕が絵本でもいかんなく発揮されていた。

最後にもう一度パリ時代の絵を見る。
やはりエビハラ・ブルーは胸がすくようだった。
その時代はとても短かったというのに、いつまでも心に残っている。

展覧会は4/5まで。

動物絵画の250年 前期 2

昨日の続き。
珍しい作品を探し出す学芸員さんたちの<ハンター力>に感服仕るでござるの巻。

大岡春卜 画史会要  カエルの相撲。虹は点描。なんとなく微笑ましいが絵の背景がわからない。

歌川国芳 かゑるづくし ギャラリー紅屋  カエル劇場。団七、五郎と朝比奈、仁木、忠臣蔵。「がま手本」の忠臣蔵の連作があるが、こちらはまあ「俄芝居」くらいかな。

歌川国芳 絵鏡台合かゝ身(みみずく・獅子・般若面) ギャラリー紅屋
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ムリカラ感があるが、楽しいのは楽しい。

上田公長 蟹子復讐之図 大阪市立美術館  これはもうほんと、面白い図。真面目に描くから余計笑える。レクチャーで聞いたところによると、これはサルカニ+桃太郎説話も加わった話らしい。義侠心だけで猿退治はせんわけか。
それで栗をスカウトしてるところ。ハサミが可愛い。何もない空間(つまり人の指とか入る隙間)に目鼻が浮かぶのがシュールだなあ。
坂道をえっちら上ってくる臼がいる。
そうねえ、義侠心だけではなあ。それで黍団子のご褒美とか報奨金とか色々。
復讐心を共有せず、ビジネスライクで行こう。

酒井梅斎 孫悟空図 摘水軒 シャボン玉する悟空。その一つ一つに彼の分身のシルエットが映る。うまい図。

忍頂寺静村 坂田金時立身図  これは去年の展覧会にも出たし、ほかでも見ているがちょっとどの展覧会だったか思い出せない。
みんな和やか。故郷に錦を飾る金ちゃん。

歌川芳郷 王子狐火図  むー とした闇の中、稲わらがある。赤い火が灯る、狐火か…

歌川国芳 流行猫の戯 梅が枝無間の真似 ギャラリー紅屋  梅が枝の役の猫、当時人気の女形の顔を当てられている。梅が枝の無間の話は落語にもあったかな。けっこう好き。
ひらひらと開きが落ちてくる・・・小判やのうてアジの開きね。

岸駒 枇杷に蜻蛉図  リアルな絵。枇杷がおいしそう。

沖一峨・九皐 水辺鷺図  南蘋風、ピンクの花とタンポポと。

土方稲嶺 糸瓜に猫図 鳥取県立博物館  べろーんと伸びたヘチマを見返る不穏な顔つきの猫。朝顔も咲いている。

関蓑洲 象図屏風 大阪市立美術館  文久二年、アメリカから来たそうな。三歳の雌でその四年後には大坂にも来た。リアルなゾウ。それで更紗を使った装飾がいい。
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衣笠守昌 牛馬図屏風 福岡市博物館  妙に怪しい牛馬。レクチャーに出た。
これを見て思い出したのは和歌山の熊野古道の可哀想な牛馬童子、それから奈良の今井町の牛馬つなぎの高さの違いなどなど。

尾形洞眠 竜門登鯉図 福岡市博物館  まっすぐ上る!!!このまっすぐさにドキドキしたな。

鍬形蕙斎 鳥獣略画式 前期・後期(頁替え) 狐かわいい、ミミズクもいい、虎に猫。
紙粘土で拵えたい。缶バッヂもいいな。
・・・ということを思っていたら、スタンプになり、今回のワークショップにご出演。
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森狙仙 鹿図 摘水軒 墨の濃淡でもあもあと描いている。いいなあ、こういうのも。

葛飾北斎 日の出と双兎  白と茶の兎。これで思い出したが、日の出が初日の出とするならば、このウサギは江戸の雑煮の具になるなあ。肉食禁止とはいえ兎OK、猪OKでした。

稲葉弘通 鶴図  臼杵藩の藩主の絵。紅梅の下、鶴が「反省!」のポーズとってる。

中林竹洞 雪柳双鷺図  ああ、白灰の美。今回の展覧会で色彩の美を感じたのはこれが初めて。白と灰色の美。

長沢蘆雪 岩上猿図  ぼーっとしているな。こういう猿を見ると、箕面の滝の前でボーっとしていた猿を滝に蹴落としたおっさんの話を思いだす。
猿がキーッと声を上げながらザブン!わるいおっさんは「今のは誰某!」と同行の友人の名を挙げながら走って逃げたそうな。こらこら。猿の仕返しから逃げようとする悪人の話。

春になると馬も機嫌よく野に出る。
中林竹渓 春郊放馬図 摘水軒  仲良しな二頭。この人の絵も頴川美術館で見覚えたのだ。
渡辺小華 春苑遊馬図   アバラの見える四頭が桜、柳の下に集う。仔馬もいる。

大原呑舟 月に泥亀図  ははははは。やっぱりすっぽんは食べておいしかったいう記憶が先ですな。

長沢蘆雪 烏・雀図  左幅の雀たちが可愛い。だいたい芦雪の雀は可愛いのが多い。
前に江戸博で見た「ファインバーグ・コレクション」の群雀なんてもぉ本当に萌死にそうになった。
さて右の烏は薔薇と奇岩の上にいる。この時代は烏もそんなに嫌われてはいなかったようで、多くの絵にその姿がある。

長沢蘆雪 老子図 敦賀市立博物館  この老子は立派な風貌の老人で、ちっとも変なところもなく、まぁおかしみもないが、その意味では「ああ、老子ですか」という感じしかない。これはどうなんだろう。やはり芦雪には何かしら妙な期待をしているのかもしれない。

与謝蕪村 鯉図  墨絵の肥えた鯉。丁度釣ったところ。これは食用。

冷泉為恭 五位鷺図 敦賀市立博物館  説話から。見つめ合う鷺と人。意が通じるところ。

仙厓義梵 南泉斬猫図 福岡市美術館(石村コレクション) 出ました、いらんことしいの南泉。そんなことしなや。いつもイラッと来る。

岸勝 猿の坐禅図 摘水軒  これが今回一番不思議な絵だと思う。岸派はそんな諧謔を帯びたものは描かないから真面目なんだろうか。大真面目にこういう冗談を描くのか、それとも何かの見立てなのか。
まぁしかし可愛いわな。イメージ (5)

歌川国芳 源氏雲浮世画合 柏木 ギャラリー紅屋  二重の見立て絵。「艶姿女舞衣」の三勝が箒を持ちながら幼い娘を見遣る。その子は小さい手で三味線を弾く。ネコはごはん欲しがる。どちらにしろせつない話を二つ入れ込んだ絵。

仙厓義梵 猫の恋図 九州大学文学部(中山森彦コレクション) めちゃめちゃな顔つき。
もぉほんまに猫には困らされてます。飼い主やからこそ文句も言うよ。
こんな顔でふぎゃーとか鳴いてたら「うるさい、だまれ、やかましい」の三連言うぜ。
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仏涅槃図  おお、猫もいた。猿が蓮の花を持っている。ネコはなかなか涅槃には参加しないのだ。もしかすると、悲しくて涙ぽたぽたするうちに、ついつい寝てしまうからかもしれない。

上田公長 芭蕉涅槃図  葉っぱのやのうて松尾芭蕉さん(数え51)の最期。この臨終を描いた小説が芥川の「枯野抄」。
ここにはシカ、サル、馬、カエル、カタツムリら芭蕉に詠んでもろたいきものたちが集まっている。
傍らの木には笠と荷とが掛かっている。
もうも本当におしまい。

歌川国芳 子供遊八行のうち 仁 ギャラリー紅屋  雀の放生。飛びかかりたそうな猫を抑えるのも放生放生。幼女が猫を宥めるように撫でる。ネコ、無念そう。

猿の狙仙の本領発揮。
蜂猿図 敦賀市立博物館  5猿が寄り集まっている。狙仙の猿の集合というと色々思い浮かぶが、これは本当に初見。
李花三猿図  これは以前にも見ている。何で見たかはわからない。木に登る奴ら。
猿図  考え事にふける猿。賛は宣長。うむ、賢そう。
猿の三番叟図  芸人な猿。イメージ (6)

森狙仙 獅子図  妙な獅子。落ちまいぞ!と頑張るのはいいが、鬼のようなヒトのような目つきの獅子。うーん…

森一鳳 熊図 松井文庫  これはもうほんっとに可愛い!!くんくんと地面をかぐクマの子。雪の中、冬眠もしないでお外におる。青い目が可愛い横顔。
「もぉかるいっぽう」の一鳳、こんな可愛いクマを描いてたのか。本当に愛らしい。

長沢蘆雪 狗子蓮華図  目がパチッとしたキュートなわんこ。茶と白のわんこら。可愛いなあ。師匠のわんこも弟子のわんこも本当に可愛い。

円山応挙 麦穂子犬図  茶と白のわんこらが麦を引っ張る。楽しそう。
こういうかわいいのが最後に並ぶから、本当にここの展覧会は気が抜けない。
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長沢蘆雪 狗子図 摘水軒  7匹のわんこ。みんなそれぞれ楽しそう。月下でごきげんさん。
かわいいなあ。レクチャーでは「かわいい、はタイトルにはつかないと言いつつ<かわいい>を重きに置いた」と話されてたが、本当に大納得。
そう、こういうことなのでした。

最後に不思議な絵が現れた。
土方稲嶺 狗子図 鳥取県立博物館 孔雀の羽で遊ぶわんこたち。…なんなんやー

まあ今年も本当に楽しい「春の江戸絵画まつり」でした。
後期もとても楽しみ。

動物絵画の250年 前期 1

さて毎春のお楽しみ、府中市美術館の春の江戸絵画まつり、今年は「動物絵画の250年」展です。
毎年毎年本当に感心してます。
言うたら珍品を探し出してきて、それが観客の心を掴むわけですから、これはもぉちょっとやそっとの苦労ではない。
所蔵先を見てても個人所蔵は別として、「よくも持ってたな」なところが多く、そこで見るよりここで見ることで、初めて光が当たると思う。
一旦光った絵画は自信を持つのかして、また近いうちに世に出たりもする。
そのあたりが大変面白い。

絵を見て回る前にスライドレクチャーも受けた方がいい。
この企画展の意図がよくわかる気がする。
今回のチラシ、虎のエヘンな顔つきが可愛い。
(後期展示のため、あえてここには挙げない)
これを見ててっきり「かわいい動物絵画」だとばかり思い込んでしまった。
しかしレクチャーを聞いて、わたしの勘違いもそのようにミスリードされたせいだと知る。
「かわいい」はつかない、と言いつつも「かわいい」に重きを置いた展示だという。
なるほどなるほど。
あとは「虎にご注目を」というわけで、いつも以上に虎に目を向けることにして、出発。


橘保国 鯉図 左から右上へ上る。鱗みしみし、藻の中を行く。これはレクチャーに取り上げられていた。

岡田閑林 群鷺図 これはわざと彩色をずらしているのか。しかし鷺の動きがかっこいい。

国芳 大漁鯨のにぎわい ギャラリー紅屋 これは実際に大井のあたりに入り込んで弱ってた鯨がいたそうで、みんながそれを見学している図。
もうほんと、見学客だらけ。女客もわいわい。
これはあれかな、この鯨、解体されたのかな。気になるなあ。

森徹山 檜にリス図 熊本県立美術館 おおおっリスまみれの檜!!!13匹いたな。
「葡萄に栗鼠」はよく見るがこんなにリスまみれの檜を見たのは初めて。すごいわー忘れられそうにない。

森狙仙 手長猿の図 摘水軒記念文化振興財団(府中市美術館寄託)…以下略して「摘水軒」と表示する
 「猿の狙仙」の猿はニホンザルだと思っていたが、これは中国の丸顔のアイアイ。顔が黒。
なんでも文政6年に道頓堀の見世物にオランダ渡りのこの猿が出演したそうな。
狙仙は大坂住まいなので機嫌よく見に行ったことだろう。

谷文晁 駱駝図 摘水軒 チラシには後記とあるが展示されていた。築地塀のような毛並みでした。谷文晁はラクダの現物を見たことがあるのだろうか。
見たとしたらやはり見世物小屋とか貢物とかかな。

曽我二直庵 柳枝鷹・岩上鷹図 敦賀市立博物館  白っぽい鷹たち。岩の上にいる奴は足場もよくないが、ピシっとポーズを決めている。

森狙仙・中井藍江・森徹山 蝙蝠鹿松図(福禄寿図) 上にうっすらと蝙蝠(藍江)がいて、それょ見上げる鹿(狙仙)、足元には松など(徹山)

上記二点はレクチャーに登場した。

岡本豊彦 郭子儀・牡丹に子犬・万年青に鸚哥図  中・右・左の順のタイトル。カラフルな鳥や目元を隠す子と唐子と、花を取る白犬に茶斑。明るい絵。
 
宋紫石 鯉図  これは面白いことに左は水中の鯉、右は跳ね上がる様子を捉えたもの。

黒田綾山 琴高仙人図  ご存じ鯉に乗る仙人。この鯉の鱗がくくくくくとフフフフに対位的に連続していた。緑色多めの鯉。巻物もつ琴高さん。

与謝蕪村 孤鶴図  鶴の外郭線をモールス信号にしている・―― ―― みたいな感じの線。

狩野永良 島台図  鶴亀・松竹梅・翁と媼のめでたい揃え。面白いのは松の上の方に鶴の巣が作られていて、雛が鳴いてるのだった。

狩野洞雲 唐松白鹿図 福岡市美術館(太田コレクション) 幹で背をこすり付けてやろかい、みたいなツラツキの鹿。にやり。

円山応挙 寿老人・鶴図  左右は鶴で中に寿老人と、すりよる鹿と。白鹿だけど蹄は黒い。背中にも一筋黒が走る。丁度見たばかりの小田富弥の丹下左膳の着流しを思い出した。

島田元旦 玉兎図 景福寺(鳥取市) 南蘋風な三匹のウサギ。妙にうねった木の上には満月。滝まであって、どこか不穏な感じもする山の中、月から追い出された?白兎たちが集まっている。
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さて虎が集まった場所へ。
右都御史印 二十四孝図のうち 楊香  例のトラに乗る娘。オヤジは逃げてる。この虎はにゃーとでも言いそうなタイプ。扇面図。

雲谷等益 竜虎図屏風 周南市美術博物館  瓢箪面のトラ。背中がとても大きい。枇杷の実のような目玉。龍の方は前歯がにょきっ。なかなかファンキーな二者。

不詳 四睡図  細竹。虎もぐうぐう。ちびっこ二人は顔を埋めて寝ている。この虎はべろまで出していて可愛い。そして寒山か拾得かどちらかが豊干の膝にもたれているのがこれまた可愛い。いい絵です。

伊年印 四睡図  これまたのほほん…平和でいいねえ。

英一蝶 四睡図  虎が伸びをする。じいさんは「こらーっ」ちびらは起きたところ。やっぱりどこか不埒な感じのする絵。

石川淳「おとしばなし」の中に国姓爺合戦のパロディがあり、そこでは虎も仲間に加わって何か商売しようとしていた。それが和唐内らがまた戦争で一旗揚げてとか言い出したので、錦祥女とトラは呆れて、男たちを置いてけ堀にして見世物芸でもして稼いでいこうということになる。
「四睡図」を見ていると、あの虎もこの虎も同じ仲間に思えるのだった。

対のように見える虎が並んでいた。
諸葛監 虎図  こちらは座ってにゃーな虎。白眉に赤口。
片山楊谷 虎図  山中、崖を駆け下りる。妙に可愛いぞ。

百川子興 双虎図  えーと…ビミョーな虎。目は怖い。伸ばした喉がカッコいい。

円山応挙 猛虎図 摘水軒 出た!色白の賢そうな虎。水際におる。好きな一枚。

ここから三幅対ぽい虎が並ぶ。
吉村孝敬 虎図  うずくまり、ぐにぃと笑うよう。しっぽはくりん。岩のところにいて、小さい牙が見えるのもまるで八重歯のようで可愛い。

長沢蘆雪 猛虎図  ガラの悪そうな虎。後ろ脚の崩れとか色々。

土方稲嶺 虎図  ぐいっと鎌首をもたげたかのような虎。

原在明 水呑虎図  べろ出した虎。背中がハート形の上部分ぽい。水にも映る。

虎はここまで。イゃー、よかったわー。

司馬江漢 ライオン図 摘水軒  なにやら凶悪そうなカップルですな。
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一旦ここまで。

「江戸ッ娘 Kawaiiの系譜」、東博の「国芳」など。

三月に都内で見た浮世絵をまとめたい。
・太田記念美術館「江戸ッ娘 Kawaiiの系譜」
・東博の浮世絵展示
・東京富士美術館の浮世絵大特集。
これら三つの展覧会から前の二つをまとめた。
後のは別項。

まずは「江戸ッ娘 Kawaiiの系譜」。
19世紀になったあたりの幕末浮世絵が中心である。
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現実の江戸ッ娘たちは、普段は振袖を着ることはなく、それは芝居の中だけ、と「守貞謾稿」にあるそうで、そりゃそうだと納得する。
友禅のいい着物なんて不断にザクザク着ることはあまりないからこそ、今日まで伝わっていたりするのだ。
とはいえ可愛い振袖は富裕層の証拠である。

江戸時代はかなりエコロジー意識が活きていて、古着屋は大繁盛していた。
「振袖火事」も元々たどれば着物の転売の因果譚から始まる。
そう言えば白木屋お熊の着ていたのは黄八丈だが、あれもとても贅沢なのだ。

浮世絵も芝居も夢を売るものなので(いい夢だろうが悪夢だろうが)、現実とはちょっと乖離していて、かっこよく描かれている。

肉筆画では酸漿を持つ娘の絵が二枚出ていた。
国久と英泉。何十年かの時差があるのでファッションは違うのだが、どちらも酸漿で遊ぶのは変わらないようだった。

国貞 江戸名所百人美女 この連作が本当に百人分あったかどうかは知らない。
今回ここに出ているのは霞が関、赤坂氷川、三囲、東本願寺、人形町、駿河台、芝愛宕、湯島天神、猿若町。
それぞれの地域性とを重ねた美女たちが描かれている。
ビラビラ簪の大名家の美女、琴を弾く奥女中、着流しとデートする娘、角隠しして鳩や鷺といる娘、前髪にリボンをした娘、化粧品を見る娘などなど。

英泉も素人娘を描いている。雪の中を往く娘は島田髷の可愛い無邪気そうな娘だった。

髪を気にするはあどけない娘の癖 タイトル通り髪を気にする少女がいるが、それは姉様人形の髪を気にする幼い少女だった。

玄人の女や人妻の絵が多いのがこうした可愛い少女を描くと、却って本当に機嫌のよい可愛い娘になるな、と思った。

尤も素人娘でも「こいつは」と思うのもいる。
ひいきをたのしみにみる手 女髪結いに元結をぎゅーっ。勝気な顔の娘。やや斜めに描かれたのが綺麗。

納涼の図 三枚続きで和やかな図。夏の夜、露台を出して若いママさんや娘たちがいる。そしてぷくぷくした幼児たちが実に楽しそうに蛍を取ろうとしたり花火をしたり。ママさんたちはヤンママかな、あんまり子らを気にすることなく楽しくおしゃべり。坊やたちも夢中で香炉に花火を差し込んだり。

チラシの右上の前髪を結んで手の中で小さく折鶴をするのも英泉えがく少女だが、こちらは「おてんばそう 深川洲崎弁財天」とタイトルがついている。
笹紅を付けてびらびらをさして、おてんばそうと言われながらも折鶴も織って。可愛い江戸ッ娘でした。

他にはさまざまな化粧品とのタイアップ絵もあったりする。
江戸時代の女の化粧の資料的価値にもなる絵が多い。

国貞と英泉の娘たちが妍を競う、いい展覧会だった。
3/26まで。


次はもう展示替えになったが東博の国芳特集から。
水滸伝の好漢や荷宝蔵壁のむだ書などが出ていた。

団扇絵。小粋なお姐さん方の様子などを描いている
名酒揃・剣菱 KIMG0833.jpg
江戸時代はそれこそ灘の剣菱が日本一の酒と言うことで、剣菱にルビ振って清酒と読ませてもいいくらいだったそうな。
お酒と食べ物のセットをちらり。

スイカがおいしそう。KIMG0834.jpg
婀娜なお姐さんがスイカを美味しそうに。

こちらき金魚の戯画。KIMG0835.jpg
なんでもネタになるなあ。

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蝙蝠ですな。構図から行くと何かの芝居らしいな。髪結新三かな。

肉筆だ唐の力強さ。九紋龍史進図扇面
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こちらは近景で弁慶が三井寺の鐘を引っ張るのをぽかんと見ている主従。
遠景の二人KIMG0843.jpg
御曹司と「ヤレ鬼三太、われとなれとはかく身をやつし」の鬼三太。

最後に義士銘々伝 男前だけピックアップしちゃいましたよ・・・
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力弥。

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千崎弥五郎は「四谷怪談」でもおなじみの人。

やっぱり国芳はかっこいいのが多い。先の「Kawaii江戸ッ娘」には呼ばれてなかったけど、それよりかれはこっちだわな。
その点ではなんとなく本宮ひろ志ぽいなと常々思っている。

やっぱり浮世絵は楽しい、と改めて実感する三つの展覧会でした。

東京富士美術館で見た浮世絵

東京富士美術館が所蔵の浮世絵を前後期にわけて大々的に展示した。
わたしは前期は行けなかったが、後期は大いに楽しめた。
おまけにありがたいことに撮影可能なので、好きなものだけを集中的にパチパチした。

五代目松本幸四郎の赤堀水右衛門、二代目岩井估三郎の芸者おまつ  歌川豊国 文政6年(1823) 大判錦絵二枚続  9月 中村座「御注文高麗屋縞」
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「亀山鉾」の世界の書き換えかと思う。
やっぱり芝居はこういう実悪がどんどんヤラカシてくれるのが面白くて仕方ない。

鼻高幸四郎はいい役者でその風貌から実悪を演じたが、人柄は練れていて温厚だったとか。
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話はとぶが、先般刊行された一ノ関圭「鼻紙写楽」にもこの幸四郎は出演していて、それがなんとも嬉しかった。

以後、全て拡大できますのでクリックしてください。

二代目岩井估三郎の芸者おまつ


中村歌六の額の小さん、七代目市川団十郎の高崎甚内  歌川国貞(三代豊国) 文政12年(1829) 大判錦絵二枚続 1月河原崎座「江南魁曽我」


 
小さんは手ぬぐいをかぶり、蓆を持つ風俗から夜鷹と思われるが、この話そのものを知らないのでどんな状況なのだろう。芝居絵の楽しみは<知る場面>と<知らない場面>があることで色んなワクワクが生まれるところかと思う。

二代目中村芝翫の奴梶平後に汐沢丹三、五代目瀬川菊之丞の梶平女房月小夜、三桝源之助の雷鶴之助  歌川国貞(三代豊国) 文政12年(1829) 大判錦絵三枚続 1月中村座「紅葉鹿封文曽我」

中の絵の女の着物の裾が素敵な構図になっている。

9 二代目岩井估三郎のかさね、三代目坂東三津五郎の伊達の与右衛門、片岡市蔵の羽生の金五郎 歌川国貞(三代豊
国) 天保1年(1830) 大判錦絵三枚続 3月市村座「金盛陸奥山」

累の書き換えか。殺し合いをする二人の男を見守る女。どろどろ系は楽しいなあ。

本朝武者鏡 白縫姫 歌川国芳 安政2年(1855) 大判錦絵
実際にはこんな場面はないが気持ちはわかる
丑三つ参りの最中の事件の様子、ということで。
白縫姫は夫の復讐のために凄い拷問をしてのけるのです。
数年前の国立での上演でみたとき玉三郎さんが優雅なる冷酷美を発揮されてましたな。

ここからは上方絵。
これだけ上方の芝居絵をたくさんお持ちやとはびっくりした。

四代目嵐小六のいてふのまへ、坂東重太郎の桂之助と二代目沢村長四郎の茶坊ちん才  戯画堂芦ゆき 文政6年(1823) 大判錦絵二枚続 1月中「けいせい品評林」

もっちゃりしてみえるだろうが、そこがまたいいわけです。

三代目中村歌右衛門の自来也 柳斎重春 天保3年(1832) 大判錦絵 8月角「棚自来也談」
ずんずんずん。
後に続くのはばばちい手下たち。

2 二代目嵐橘三郎の女房かさね、二代目沢村国太郎のお竹 戯画堂芦ゆき 文政11年(1828) 大判錦絵二枚続 8月角「粧水絹川堤」

累ものは人気があるね。わたしも大好き。
二人の女の不穏な状況に、さらに天候の悪さが拍車をかけて、惨劇必至。
これとはまた違うものの、松浦だるま「累」もすごく好きだな。

二代目沢村国太郎の遠城治左衛門女房おきわ、三代目中村歌右衛門の児雷丸 丸丈斎国広、寿好堂よし国 文政6年(1823) 大判錦絵二枚続 9月角「敵討崇禅寺馬場」

今でも阪急京都線にその名を残す崇禅寺。
この仇討は成就せず、返り討ちに遭うのだよ。
それも村人たちが敵を支援して、村上兄弟の眼に塩粒を掛けたとかなんとか。

わたしはこの三代目歌右衛門がとても好きで、彼の芝居絵を見るのがほんと、楽しい。
この人は江戸にでも出て、とうとう役者としては最高の「兼ネル役者」の称号を得たくらいです。
ライバルは永木の三津五郎こと三代目三津五郎。
いい時代だよな、もしこの頃に生きてたら絶対見に行ってたよ。

今の眼からはかっこいいな。

浅尾額十郎のしつかノ前、二代目沢村国太郎の狐忠信  寿好堂よし国 文政8年(1825) 大判錦絵二枚続 8月中「義経千本桜」
「さてはそなたは」
忠信が狐だということが露見した時。今でも人気の演目。

三代目中村松江のかづきのお杣、二代目中村芝翫の仁木三郎国定  西光亭芝国、寿好堂よし国 文政9年(1826) 大判錦絵二枚続 7月中「木下蔭狭間合戦」
女の手にガンドウ
照らし出された男。

三代目中村歌右衛門の地蔵ノ五平次、二代目沢村国太郎の女房小女郎  柳斎重春、丸丈斎国広 文政12年(1829) 大判錦絵二枚続 1月角「花雪歌清水」

比較的この芝居を描いた絵が多く出ていた。

三代目中村歌右衛門の梅の由兵衛、五代目市川団蔵のでっち長吉  柳斎重春 文政10年(1827) 大判錦絵二枚続 3月中「隅田春妓女容性」


二人の駆け引きがかっこいいですがな。
 

五代目市川団蔵の牛若丸、三代目中村歌右衛門の武蔵坊弁慶  柳斎重春 文政11年(1828) 大判錦絵二枚続 3月中「鬼一法眼三略巻」

大きな月と薙刀の刃がギラリ。

5 三代目中村歌右衛門の宇治常悦、二代目嵐璃寛の金井谷五郎  柳斎重春、丸丈斎国広 文政12年(1829) 大判錦絵二枚続 5月京四条北側「碁太平記白石噺」
三日月の夜、林のお社の前で殺しあう二人。シチュ萌ですなー。かっこいい。


三代目中村歌衛門の毛谷村六助  柳斎重春 天保1年(1830) 大判錦絵 8月中「彦山権現誓助剣」
六助がお園の甥をだっこ。
正味この絵を遠目に見たとき「乳貰い」を描くとはある意味スゴイな、と感心したのだった。
そうでなく毛谷村の六助の話でしたわ。

二代目嵐璃寛のあこぎの平治、三代目中村歌右衛門の平瓦ノ次郎蔵  柳斎重春 天保1年(1830) 大判錦絵二枚続 8月中「勢州阿漕浦」

そう言えば一度もこの芝居を見たことがない。

二代目嵐富三郎のうすゆき姫、二代目沢村国太郎の女房小女郎と中村鶴十郎のふけんの権兵衛、三代目中村歌衛門の地蔵の五平次、三代目中村松江の娘おみつ、嵐舎丸のみろくの他人と浅尾額十郎の園部伊織
春曙斎北頂 文政12年(1829) 大判錦絵五枚続 1月角「花雪歌清水」

ドラマティックなシーン。
大切なお軸の一巻。

二代目尾上多見蔵のの舟頭小平治 画遊軒春勢 文政期(1818-30) 大判錦絵
決めてる!
この多見蔵の息子だったかな、この次だったかな、すごいウケたエピソードがあるのだが。

二代目市川白猿の団七九郎兵衛  春梅斎北英 文政12年(1829) 大判錦絵 5月中「夏祭浪花鑑」
釈放されて小ざっぱりとしたところ
床屋さんですっきり。それから住吉の場。

三代目中村歌右衛門の地蔵ノ五平次、二代目沢村国太郎の女房小女郎  春梅斎北英 文政12年(1829) 大判錦絵二枚続 1月角「花雪歌清水」


二代目嵐璃寛の唐橋作十郎、浅尾内匠の大道寺学太郎  春梅斎北英 天保2年(1831) 大判錦絵二枚続 9月角「忠孝誉二街」

二人が闘うのは多分合邦の閻魔堂のところですな。
大概大坂が舞台だとここで敵討ちがあったりナンダカンダ。
元々この天王寺の閻魔堂は頭痛にてきめんに効くとか言うて幼子なんかもよくお参りしたとか。
今もあるようですが、わたしは行ってません。
ただ、通天閣から見たことがある。

三代目中村歌右衛門の礒ノ藤弥太、三代目中村松江のしづかのまへ 春梅斎北英 文政11年(1828) 大判錦絵二枚続 10月中「御所桜堀川夜討」

三味線で戦う静御前。

三代目中村歌右衛門の奴蘭平  春梅斎北英 天保1年(1830) 大判錦絵 6月宮島「倭仮名在原景図」

この芝居は先般亡くなった三津五郎丈が本当に良かったなあ。
「蘭平物狂」ね。刃物の光を見るとアタマがおかしくなるという詐病、そして見顕し。

ほかにも広重の五十三次が出ていて、それも改めて楽しんだ。
わたしはもともと子供の頃に最初に見た浮世絵がこの五十三次だったので、北斎よりは広重の方が絵師としては好きだというのがある。
北斎のぶっ飛びすぎのギャグより、広重のコメディが楽しいというところもある。
尤もオバケ絵はやっぱり北斎がよいが。
今回はその場面に現れる人々についての解説が大変よかった。
たとえば「沼津 黄昏図」などは天狗の大面を背負った男ばかりに目が行っていたが、そこにいる二人の女が比丘尼だというのはスルーしていた。
また「二川 猿ケ馬場」では名物の柏餅屋へ向かう三人の女が瞽女だというのはこれまた気づいていなかった。三味線を背負って歩いているので何らかの門付芸人だというのは分かっていたが、瞽女さんだとは思っていなかったのだ。杖を突いているのは旅のためかとばかり。
「草津 名物立場」は今も名代の姥が餅、「大津 走井茶店」もなにやらよさそう。

鑑賞もこうした細かいところをきちんと踏まえていないといけない。
いい勉強にもなった。

あとよかったのはこの2点。
教訓親の目鑑 憎振  喜多川歌麿 享和2年(1802)頃 大判錦絵  女が按摩さんに揉ませている。これは客なのか按摩の妻なのかは不明。
ナマナマしさがある。そして何が教訓かというと「イヤな女になるなよ」というのがそれらしい。
「怪談蚊喰鳥」などを思い出す。

新吉原桜之景色  歌川豊国 文政期(1818-30) 大判錦絵五枚続  大きな台に御馳走がずらり。犬もいる。賑やかで忙しそう。
鈴木あつむ「花魁ねえさん」で、料理上手な散茶女郎がそのおかげで今の見世にいられるという話があった。これは豪遊する図だが、普通に遊ぶ分ではそんな大仰なのではないのが食べたいよなあ。

3/29まで。

墨美 頴川美術館の水墨画

頴川美術館に水墨画を見に行った。
ここは小さな美術館だが、そこが魅力でもある。
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昔は水墨画がたいへん苦手だった。
特に山水画などはもぉ侘しい侘しい。
洛中洛外図の賑やかさが好きなものが、あんまり可愛くもない高士がだーれもいなさそうな山の中をトボトボ行く姿を見たら「日暮れて、道遠し」あの鬱屈と絶望と諦念が押し寄せて来ますがな。
だから二十代のわたしは水墨画を弾いた。
しかしそれから歳月がすぎると、水墨画の佳さをちょっと感じるようになってきた。
それはやはりこの頴川美術館と正木美術館のおかげなのは確か。
どうも水墨画の良さを堪能するには、わたしの場合だと本格的に見るようになってから数えて20年の歳月が必要だったようだ。

寒山図 可翁 南北朝 左手を挙げて何かを指さす。顔はにやりと人を食った笑いを浮かべてゐる。
拾得はどこかに行ってしまったが、絵ではもしかすると「見てみぃ」「どらどら」だったのかもしれない。

白衣観音図 赤脚子 室町 補陀落の山中にいる。それで山の上の滝の根源のようなところの岩に倚っている。
ちょっと物思いにふけっている。いつまでもこんなことしてていいのかしら、ということを考えているのかもしれない。

蓮図 式部 室町 全体に薄墨の濃淡で描く。伸びた敗荷の茎に止る小禽。小さくて可愛くハシカソウ。葉の下にやや大きめのまだまだ開いている蓮がある。やや濃いめの墨一色で描かれた蓮は華やかではないが、強さがある。

元は六曲一双屏風だったのが軸になり、そのうちの二点がここに並ぶ。
長谷川等雪、ちょっと狩野派風なところと長谷川派風なのが同居する画家。
豊干図 いかにも長谷川派ぽい濃い眉の下の白目が大きい粒眼の虎ちゃんに、狩野派なツラツキの爺さんが座る図。
寒山拾得図 二人が松の下に立つ。岩の下は流れが速い。そしてこの二人はどう見ても水練の手つきで合掌している。
親指を上にして拳をきゅっとした手つき。
どう考えてもこの二人は泳ぎ方の話し合いと稽古をしていたのだ。

薔薇に山鳥図 長谷川等雪 山鳥の長いピンピンした羽が何本もいい位置に。その鳥が首を延ばして薔薇の木を見る。薔薇の木に薔薇の花咲く。何の不思議もなし。

雁と鴨が並ぶ。
雁に枯れ蓮図 谷文晁 これは着水しようとする雁と、へたっている蓮の葉などの図。薄墨がいい。
鴨図 宗達 玄澄賛 こちらは飛び立つ鴨。鴨大好きな宗達。
来るのと行くのが並ぶのも楽しい。

叭叭鳥 乾山 円形の中にムッとした顔で止まっている。誰が描いても叭叭鳥は不機嫌そうで、誰が台詞つけてもイワトビペンギンはワルモノ風。

月夜山水図 芦雪 この月影の松の木はいつみてもいい。ほかの月夜の松も全てこれから始まっている。
松は没骨法で描かれている。

重山雲樹図 中林竹洞 シゲヤマ・ウンキではない。縦長の画面に山が重なり重なり・・・所々に民家もあるが、なにやら妙な迫力がおしてきて、小さい民家もなにも吹っ飛んでしまう。なお、これは米芾に倣うということをサインにも記した通り、その<米法技法>独特の迫力のせいかもしれない。

古松喜鵲図 山本梅逸 墨絵に明るい淡彩の木花に鳥というパターンの多い梅逸。
二羽のカササギが嬉しそうに呼びかけあう。そばには糸のようなものが垂れる松の古木と木の根元には白い小さい方のクチナシと橙朱色の野萱草。いいなあ、墨絵でもカラフルな感じがする梅逸。

猪図 応挙 皆川淇園賛 ささっと描いた線が活きている。ブヒッといいそうな猪が可愛い。

梅に月図 芦雪 これまたスピード感のある絵。枝は付け立かな。さっさっさっと描いたような絵。

花火線香図 岡本豊彦 薄暗長い絵は軸のためだとしても、なんとなくうらぶれたような感覚がある。
香炉に線香のような・線香花火のような、のを立てて火をつけたら金の光がぱちぱち。
「ああ、昔の線香花火って立てても楽しんだのか」と思ったが、もしかするとあれは<花火>を線香にした絵だったのか。
やたら薄暗いのはお盆仕様?
線香を 香炉に活けし 夏の宵 遊行
なんてね。

仁阿弥道八の寿老人の置物や長次郎の赤樂に奥田頴川の赤絵片口などやきものもよかった。

3/29まで

前田昌良 小さな動く彫刻の世界

横須賀美術館で前田昌良という作家の仕事をみた。
「小さな動く彫刻の世界」という副題がついている。
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このチラシを見ると、手製のおもちゃが静かに揺れているらしく、それが不思議に心地よく、いい感じだと思った。

わたしはこの人のことを知らず、小川洋子の本の装幀をされている、というのもこの時に知った。
昔の小説は喜んで何度でも飽きずに読むくせに、現存する小説家には殆ど関心がないので、こんなことがままある。

会場ではゆっくりゆらーりゆらーりと動くおもちゃが並んでいた。
最初は息子さんらのために拵えたそうだ。
こうした手仕事ができる人をわたしは尊敬する。
彫刻家の舟越桂も自分の子供たちに木のおうちや家族を拵え、与えた。
おやつやおもちゃを手製で拵えて子供にあげる。すごく素敵だ。
わたしは子供がいないからそんな楽しみを持たない。
ただ、甥っ子や従妹の子供たちがいるので、幼い彼らに自分の拵えた物語をお話しするばかりだ。
そしてそれは半分以上、自分の喜びになっている。

前田昌良も最初は子供のためにおもちゃをこしらえていたが、今では自分の楽しみのためにおもちゃを(小さな動く彫刻を)拵えるようになったそうだ。
わかる気がする。
子供らがその楽しみを忘れてしまっても拵えた手も目も頭もそれを忘れることはなく、歳月がたつうちに今度は自分の楽しみのために拵えるようになるのだ。

展示作品でひとつボタンを押してもいいのがある。
飛行機である。自分で動く。リモコンではなく遠心力を利用したもので、ゆっくりゆーっくり円周を飛び続け、やがて地について動きを止める。
これが非常に面白かった。
時間があればまた飛行機が飛ぶのを見ていたいと思った。

造られたおもちゃたちは作家の遊び心を形にしたものだった。
不思議な迷路のような町のマケット、自動玉乗りなどなど…
それらを集めた本もある。
ぜんまいで動くのか何が動力なのかわからないものもある。
シンプルな構造なのにとても豊かなのだ。
そしてそのおもちゃたちに囲まれた空間に身を置くと、とても心が休まる。

壁面展示は針金を加工したものが並んでいた。
猫の顔もあればぐるぐる巻きもある。とても楽しそうに見えた。
先端に小さな☆がついたものは夜になると、もしかすればどこかへ飛んでゆくのかもしれない。
それをこうして針金の先の、眼に見えないトリモチが押さえるのかもしれない。

ゾウさんが動く。ゾウさんが揺らぐ。
どこかへ行くわけでもなく、しかし動く。
走る馬もそう。どこかへ駆ける姿を見せたまま動かないこともある。

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不思議な幸福感に包まれて展示室を出た。
また機会があれば彼の作品に接したいと思っている。
4/19まで。
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追悼 松谷みよ子、金子國義、桂米朝、今江祥智

時折、わるい当たり年というのがあって、例えば1987年は「文学者受難の年」で多くの文学者が亡くなり、1989年は「昭和」を代表する人々が亡くなっていった。
今年はまだ四半期の1という辺りなのに、もう実に多くの方々が鬼籍に入られた。
歌舞伎役者の坂東三津五郎丈への追悼文は既に挙げているが、今月に入ってから続々と訃報が新聞やネットに上がり、ただただ呆然としている。

児童文学者の松谷みよ子さん。
画家の金子國義さん。
落語家の桂米朝さん。
そして今日になって児童文学者の今江祥智さんの訃報が入った。
もう本当にショックで声も出ない。

以下、一ファンの追悼文である。

☆松谷みよ子さんの作品は読者を選ばず、読者自身が松谷みよ子さんの作品だと知らぬままその作品に触れている、ということがとても多い。
「ちいさなモモちゃん」シリーズ、「まちんと」「龍の子太郎」などの創作もの、日本各地に伝わる伝説の蒐集、現代の民話などの採集…
本当によい作品が多く、赤ちゃんからご年配までみんなそうと知らぬままファンになっていた。
わたしなどもごくごく幼いころからそうと知らず松谷みよ子さんの作品を読んでいた。
「まんが日本昔ばなし」などで見てきた作品も原作が松谷さんだというのが少なくない。
わたしが民俗学に興味を持つようになった最初のきっかけは、間違いなく松谷さんの「日本の伝説」などの本からだった。
再話という形を採りつつも独特のリズムでわかりやすく平明な文章で物語を紡ぐ。
読者はなんらヒッカカリを持たず、その世界にすいすいと入ってゆく。
わたしの手元にはモモちゃん」だけでなく「日本の伝説」があり、後者は特に大人になってからしばしば読み返している。
これはもう本当に面白く、日本各地に伝わる伝説のあり方、物語の伝播、また他に類を見ないような物語の様子などを思うだけでも興味が湧き出してくる。

松谷みよ子さんの仕事は人間を見ていた。
だから面白かった。
二度ばかり展覧会にいったが、どちらもたいへんよかった。
まだ黒姫辺りで機嫌よく近辺の子供らの話を聞き、コツコツと物を書いておられるような気がしてならない。
「死の国からのバトン」ではないが、松谷みよ子さんから贈られたバトンは決して手放してはならない。
戦争反対、平和を守る。そのことを松谷みよ子さんは作品を通じて呼びかけ続けていた。
松谷みよ子さんの仕事は決して消えることのない光だと思っている。
ご冥福をお祈りいたします。


☆金子國義さんのファンでいる、ということは一種の誇りだった。
彼の作品は徹底的に<ファンを選ぶ>。
ニガテだと言う人は決して彼の世界に足を踏み入れない。
美意識のありよう、それに触れる度に打ち震えるばかりだった。
最初に見た作品は富士見ロマン文庫の表紙絵だった。
中学生だったわたしは黙って息をのみながらページをめくった。
一枚めくるたびに皮膚の内側が騒ぐ気がした。
そして本を伏せては表紙絵の少女たちの視線に恥じた。
名前をはっきりと知ったのは辻村ジュサブローの年譜からだった。
わたしは四谷シモンよりも先に辻村ジュサブローを知り、そこに溺れていた。

二十歳を超えた頃にようやく澁澤龍彦を読むようになった。
読み始めた途端、澁澤が亡くなり、手遅れのファンになってしまったことを自責した。
だがその頃から金子國義の魅力に深く溺れるようになっていた。
1990年にキリンプラザで金子の展覧会が開催された。
これはわたしの中では「世界観の変容」がおこる事件であり、今も決して忘れない。
美しい悪夢をもらった気がする。
この時には図録はなく数点の作品を集めたパンフレットがあり、序文は高橋睦郎だった。
既に高橋ファンだったわたしはそれだけでも大いに喜んだが、これ以降はもうあからさまな金子ファンになり、ひたすらその世界に没頭した。
あるとき阪急17番街で展覧会があり、ご本人のサイン会が開催された。
もうサイン会の受け付けは終了していたのでそれはあきらめたが、わたしは2Mばかりの近距離から金子國義をじっ とみつめることが出来た。
当時、既にseventyになったころかと思うが、たいへんな美貌の方だと思い、ドキドキした。
お写真や動画で見る以上に実物はお美しい。
この場にいた誰彼よりもずっと綺麗な方だった。
わたしは頬が紅潮するのを止めえず、いつまでもその美貌を見ていたいと思った。

先月、ブンカムラのギャラリーで展覧会があった。
ついたときはもうパーティでわいわいと人出も多くなり、わたしは少し離れたところからその様子を眺めた。
また次の機会に、と思いながらみていた。
しかし次の機会は来なかった。
後悔はないが、ただ、悲しい。
自分が思っていた以上にこたえた。それはやはり自分で認識していた以上に、多くの憧れを懐いていたからだった。
さようなら、とはやはり言えない。
ただそれでもご冥福をお祈りする、という言葉は言わなければならない。
美しい悪夢をもらったことをいつまでも忘れない。
ありがとうございました。
ご冥福をお祈りいたします。


☆桂米朝さんの存在の大きさは、亡くなった後からいよいよはっきりとしてくる。
とにかくわたしが生まれる前から米朝さんは立派な噺家だった。
古い、丁寧な大阪弁でしゃべり、自在の境地を醒めた意識の中で歩いておられた。
「上方落語壊滅」という時代を知らない。
「上方歌舞伎壊滅」の時代は少しばかり知っている。
上方文化が危機に瀕していた頃、唯一落語だけが元気だったように思う。
その中心に米朝さんはいた。

米朝師匠のしゃべり口は真似しやすいものだった。
間の取り方というものもここから学んだように思う。
ただ、わたしは芸風としては米朝師匠より、六代目松鶴、それから早く死んだ枝雀。
彼らの方が好きで好きで、いつ思い出しても笑い出してしまうほどだった。
それにやはり故人の林家小染、桂春朝、この四人のほうが好みなのだった。
とはいえ米朝落語の真髄は外連味のないそのしゃべり口で、これはほんまに巧いもんやと常にある種の尊敬心をもって聴いていた。
先ごろ隠退された文楽大夫・竹本住大夫さんか桂米朝か、このお二人辺りが真っ当な大阪弁を大事に伝えてくれていた。

長らく「味の招待席」という小さい番組をされてたが、あれも本当に良いもので、現物の料理が出んでもどんなお味でどんなふうにいただくのかもよぉわかったの、やっぱり米朝さんの話芸の力やと思う。
その場にないもんをあるようにしてまえる力、それが米朝さんの話芸のあらたかさだった。
もうこんな立派な上方の話芸のできる人は出てこないと思う。
そして思うことが一つ。
やっぱり「情」やな、ということである。
米朝さんの話芸には「情」があった。その「情」で聴いた者は笑うたり泣いたりしたのだ。
米朝さんがおらんようになったらもぉ「情」も大分減るような気がしている。
ただただご冥福をお祈りいたします。


☆今江祥智さんの児童文学はたいへん厳しく、そしてユーモラスな世界を描いていた。。
名作「ぼんぼん」「兄貴」、これらは非常に厳しくつらい内容だった。
戦時下の大阪で、当時世界に6台しかなかったプラネタリウムを愛する兄弟がいて、空襲で大阪がやられてまう、というのが予測される中、兄貴の持つ900枚ものクラシックレコードをどうするか悩む。
とうとう決心して、900枚の内から選び抜いた盤を風呂敷に包んで背中に背たろうて、空襲を逃げ惑う。
しかしその背中で貴重なレコードはバリバリに砕けてしまう。
たまらん話だった。
こういう話を書かれる方と言うのはさぞや、と思ったら、その一方でユーモアあふれる作品が多い。

翻訳絵本「ぼちぼちいこか」などはカバの独り言を描いているのだが、全編大阪弁に翻訳されてるので、いよいよこのカバの心情が巧いこと伝わってくる。
何とうまい言葉の遣い手だろうか。
前述の米朝さんとはまた違うあり方で、大阪弁の良さを堪能させてくれた。

中一の時、国語の教科書が三省堂だった。最初に出てきたのが今江さんの龍の話。
これがまた今思い出しても面白い話で、中学に上がった最初にこの話と遭遇できたのは本当に良かったと思っている。
今江さんの同志というかライバルと言うか仲間に上野瞭がいて、灰谷健次郎がいた。
この二人もやはり関西の言葉を身に染ませた児童文学者だった。
みんなそれぞれ凄いとしか言いようのない作品がある。
そしてこの三人が健在だった頃がいちばん児童文学が面白い時代だった気もする。
もう三人ともいなくなってしまった。
さみしい、非常に淋しい。
ただ、今江さんはあの世で上野、灰谷さんらとまた再会して、きげんよく飲んで語り合ってるように思う。
ファンとしてはそれを想うしかない。
ご冥福をお祈りします。


小さくまとめさせてもらったが、本当にこの方々のファンでいてよかったと改めて思っている。
しかしそれだけにもうおいでやない、新作がない、というのがやはり淋しいのだった。
だが、同時代に生きて、それぞれ楽しませていただいたことには無限の感謝の念を持っていて、それをお伝えしたいと思っている。
皆さん、ありがとうございました。

大仏次郎、雑誌『苦楽』を発刊す

清方記念館と大仏次郎記念館とで昨秋から戦後すぐの雑誌「苦楽」についての展覧会が開催されていた。
清方記念館は昨年末、大仏次郎記念館は3/8までだった。
清方記念館の感想はこちら

大仏次郎は戦前のプラトン社から発刊されていた「苦楽」のタイトルをもらいうけ、上質な大人の文芸誌としての「苦楽」を発刊した。
表紙は清方が9割つとめ、新作発表だけでなく、名作の再話(絵物語)なども高名な画家たちが担当した。
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プラトン社はクラブ化粧品の中山太陽堂の出版社で、関東大震災の頃に関西発の魅力的な文芸誌として世に出た。
大仏次郎もここで「猟奇館瓦解記」を書いている。
その第一回目掲載誌の表紙は岡田三郎助。それからしてもとてもレベルの高い雑誌だったことがわかる。

さて大仏のこしらえた「苦楽」は途方もなくカッコいい雑誌だった。
創刊号は絵物語に「坊ちゃん」で絵は中川一政。どんなのだったろう。イメージとしては青成瓢吉が浮かぶのだが。
里見弴『貧者の一燈』などが掲載されているがわたしとしては花柳章太郎『田之助の話」がとても気になる。これは三世田之助のことだろうか、それとも…

ところでこの雑誌は海岸版もあり、それがまた丁寧豪華な造本なので、おカネがかかるかかる。口絵に最晩年の松園さんの絵までつけている。
描きおろしという豪勢さである。

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結局雑誌は三年ほどしかもたなかったが、大仏の志は果たされたといってもいい。敗戦国で占領国という日本にあって、気を吐いたのだ。それも元々は出版人でも実業家でもない、小説家である彼が。
このことをしても「苦楽」が世に出た甲斐があったというものだ。

名作絵物語の原画をみる。
清方「金色夜叉」がある。お宮が溺死するシーン。オフェリアなお宮。
清方はこのシーンが好きだったか、他でもこの場を描いている。

小穴隆一「多情仏心」里見弴の傑作。中華屋で会食中、聯を見て「多情仏心」に主人公の名を振るところ。
元の新聞連載時は雪岱の挿絵で唯一のコンテ描き。
小穴隆一はたしか芥川の親友だったと思うが、私はこの人の絵は今回初めて見た。これまで一度も見たことがなかった。

有島生馬の「蝙蝠のごとく」は自作小説であり、それを何十年後かにこうして自画をつけたようだ。
この物語にはとても惹かれたが、実はいまだに生馬版「蝙蝠のごとく」は未読。
ただ、弟の里見弴が書いた「BVD」はかなり好き。
今調べたら「近代デジタルライブラリー」に本そのまま映してるのが出てた。

これは読むのが結構しんどいんだよなあ。
でもやっぱり読みたいので少しずつ読んでいこう。

「苦楽」には山名のモダンな表紙もある。
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1946年だが、1920年代のおしゃれさが復活しているような感じがある。

好ましい展覧会だった。

華宵名作挿絵「南蛮小僧」「ナイル薔薇曲」など

弥生美術館の高畠華宵の展示コーナー、今期は「名作挿絵」展だった。
美少年たちの競演である。
十年ほど前、彼らの妖艶さにときめきすぎて飛行機に乗り損ねたことがあったが、それを悔いないほど、幻惑され、溺れたのだった。
だいたい凛々しくもあやうい美少年の絵が好きなので、歌にある「華宵好みの君も行く」というのは銀座ではなく、江戸のどこかだったりすると嬉しい。

4年ほど前にも華宵の美少年たちを見た感想を挙げている。
こちら


炎の渦巻  
・泳ぐ美少年の首に矢が!!
・ようやく水から上がったが幸い怪我はなかったようだ。美少年の滑らかにして鍛えられた肌の美しさ。
・帆柱に縛り付けられる少年!嵐の中での不穏な情景。
ああ、華宵の美少年たちの運命にときめく。


前掲の記事でも挙げたが、「ナイル薔薇曲」の挿絵が89年に発見され、それを池袋三越に見に行き、後に弥生美術館で全点展示されたときの嬉しさ、忘れられない。
今回もドキドキするばかり。
・女装少年(趣味ではなく、敵から身を守るため女装する王子)が悪者に捕まり、民衆の前で、縛られて処刑されそうになる。
・病に伏す少年を介護する少年。
・大蛇に巻き付かれながらも決死の覚悟で戦う少年。
もぉ、もぉ、本当にどきどきする!!!すてき…

「芸南幽鬼洞」もある。下帯姿の少年の必死な様子にこちらもハラハラ。
あああ、本当に…

そして「南蛮小僧」が出ている。
わたしを飛行機に乗り損ねさせた、あのときめきの連作もの。
「死中の活」「錦屋事件」…
ドキドキするとかときめくとかばかりしか言えないが、興奮しすぎて苦しいくらい。
本当に好きで仕方ない。

華宵の絵は全てクリックしてください。
「死中の活」
・過酷な強制労働を強いられる南蛮小僧たち。
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なにこのスタイルは、といつも本当にドキドキしすぎて妄想で空へ飛び出しそうになるな。

・海賊たちから逃れえる南蛮小僧。
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この立ち姿の美麗さに…

・復讐の罠に囚われる南蛮小僧。
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不必要なまでに緊縛してますな、きゃーっ

「錦屋事件」
・殺人を犯した現場へやってくる南蛮小僧。こちらの少年も後に手下になる。
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口元の艶やかさにどきどきする。

・同居する少年と次の手をどう打つか寝間で話し合う。
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もぉ本当、華宵先生ってフジョシ心を鷲掴み…

ドキドキしましたわー。ああ、いいものを見せてもらい、とても嬉しかったです。3/29まで。




小杉放菴 東洋への愛

出光美術館で「小杉放菴」展を愉しんだ。
今年は没後50年という節目の年になるそうだ。
副題が「<東洋>への愛」というのもとても納得できる。
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出光美術館で小杉放菴の展覧会を見るのは2009年以来。
そのときは「小杉放菴と横山大観 ひびきあう心」展だった。
その時の感想はこちら

今回も前回も好意は変わらない。
それどころかますます好きになっている。
そして前回思っていたことが、今はいよいよ深くなった。

なお洋画家時代は「未醒」、日本画家になった当初は「放庵」、それから「放菴」になったが、展覧会の表記は全て「放菴」なのでわたしもそれに倣う。
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〈第1章〉蛮民と呼ばれて 日光―田端時代
バンカラな明治の青年。希望をもって前向きに生きているのがいい。


放菴は最初についた師匠の五百城文哉と仲良しだったが、日光の田舎に引っ込んでるのが嫌になって飛び出したり、戻ってきてまた師匠の元に出入りしたりという、アクティブな青年だった。

師匠と一緒に日光東照宮を描いた作品が少なくない。
20世紀初頭の日光東照宮。師弟共にリアルな描写の水彩画。
弟子のは正確なデッサンに彩色しているので、むしろ古写真によくある手彩色のあれにも見えるくらい。
師匠がこれまたリアルな神官たちの来る様子を描くので、やはり一種の日光風俗図にも見える。観光絵葉書にも近い、ある種の親しさ。

丁度今、府中市美術館の常設にもこの師弟の日光の絵が出ていて、やはり正確な描写の風景画なので、丸ノ内から府中が近づいた気がした。

さて放菴は友人関係も悪くない人で、牛久沼の小川芋銭とは生涯の交友を持った。
その芋銭のいるところを描いたのが大正12年の「牛久沼」。対岸に芋銭夫妻がいて、少し先の丘に民家も見える。明治35年からしばしば牛久沼に通っていたそうな。
ところでこれは、関東大震災の前なのか後なのか。なにしろ牛久沼の季節の移り変わりを知らないので。

漫画15題 一コママンガ。マンガというてもコミックではなく漫然たる画くらいの意味かな。しかしそこに小さなギャグが含まれてるので、やっぱり一コママンガと思う方が近いのではないかな。
鉄拐、起き上がる女、雷神、鉄砲を持つ男、侍、蛍狩りの女、琵琶と縦笛、風流人、猪八戒立像(足元にタンポポ)・・・
猪八戒の絵は同時代の中村不折も描いているが、明治時代の「西遊記」の人気ぶりとかキャラの愛され度などはどんなものだったのだろう。ちょっと知りたい。
三冊ばかり「漫画天地」とかいう本も刊行している。

婦人立像 1911 妻・春の姿らしい。白木蓮の下に絣を着る女。帯は白花の柄。白足袋もいい。少し唇が開く。
明治の婦人の息遣いが伝わってくるような洋画。

放菴画册 明治の頃の放菴のノート。滝とか(華厳の滝か?)、ツアーの人々とか。
何でも見てやろう、何でも描いてやろうという勉強熱心さがいい。

自画像 1930 49歳、やっぱりコワモテ。
「蛮民」ヅラは変わらないけど、ただし心根は優しく、もう数年後にはいいオジイチャンになるのだった。


第二章 西洋画による洗礼 文展入賞 パリ時代

さて外遊しました。して向こうの歴史の重みにヤラレました。がちょーん、という感じだったのかと思います。

水郷 1911 これはむろん未醒時代の作品なんだが、最初に見たときこの絵の作者が(後の)金太郎の絵の人だとは思わなかったなあ。
どこか信仰を持つ人風にも見えた。それはやはり日本の洋画から始まったのではなく、西洋絵画への憧れから始まったからだと思いもする。

スペイングラナダ娘 1913 黄色に黒の細いシマシマ。赤のスカート。こういう取り合わせがたぶん向こうの国ぽいのだろう。石に座る娘。はっきりした顔立ち。

アルハンブラの丘 1913 百年ほど前の情景。宮殿の内から見る眺め。ギター抱える男、風景を見つめる男・・・
ああ、いいなあ…

そしてこの頃から道が見えてくる。

飲馬 1914 右手に水を飲む黒馬、左に男児が体操座り。岩間にて。野草も咲いている。壁画風。そして描き割り風にもみえる。

神詣 1915 潮来の景色を水彩画で。小舟から下りてきた姉さんかぶりの8人の婆さんたち。拝む対象があり、そこへ。柳が揺れている。

潮来といえば竹内栖鳳も潮来の風景に惹かれていた。
わたしにはあまりよくわからないが、いい風が吹いているのかもしれない。

初夏山雨 斜めに大きく雨がふる。かっこいい。白と黒。山となびく木々。


第三章 洋画家としての頂点 東京大学大講堂大壁画
前の展覧会の感想でも書いたが、安田講堂に入らせてもらったとき、この壁画を見せてもらった。いいものでした。

湧泉 1925 言葉の意味は「入学」。にっこりした女の人が井戸のそばに座る。瓶がある。アザミも咲いていい天気。

羅摩物語 1928 ラーマーヤナのある場面を描く。とらわれの王妃が猿の王ハヌマンから、夫の救出を待てと囁かれるシーン。嬉しそうな王妃。傍らの侍女は皿に蓮を入れたものを持つ。
この年は戊辰。サインにあるのを見て、その60年前に戊辰戦争があったのだと改めて思い出したり。
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炎帝神農採薬図 1924 この絵は大阪市大医学部付属病院にあるそうな。一言でいえば「枇杷とる爺さんと葉っぱを摘む坊や」の図。山羊もいる、葡萄も実る。ちょっとインド風にも見える。体温も高そうな様子。
サインには「甲子」の年とある。そうだ、この年に甲子園が出来たのだ。


第四章 大雅との出会い 深まりゆく東洋画憧憬の心 
洋から和へ回帰する人々は少なくない。

池大雅、浦上玉堂らの作品が現れる。
異国でこうした作品に出会うことで日本回帰の想いが進む。

洞庭秋月 縹渺なる光景。東洋画は静謐さと奥行きの深さを感じさせられるものが多い。

大雅堂瀟湘八景扇面小皿 これは板谷波山のところで焼かれた器やということです。
ほかにも染付のお皿も焼いてもろている。


第五章 麻紙の誕生と絵画の革新 <東洋回帰>と見られて
変転することもとても大事だと思う。

ブルターニュ風景 1913 ゴーギャンぽい雰囲気である。牛の乳しぼりをする。

ブルターニュの村の八月 1914 働く人々を描いているのだが全員がまるで彫像のようである。これをみて山岸凉子「眠れる森の…」を思い出した。ホラーマンガに現れる彫像はひたすら怖いなあ。

黄初平 1915 仙人の中でも好きな一人。金箔ぽい背景に石を打つとあらあら羊が、という構図。スパニッシュな大地。明るい初平くん。

或る日の空想 1916 青い海、白い地、黒い牛…どんな空想をしていたのだろう。
ちょっとシュールな感じがなくもないが。

帰院 1926 院内をゆく三人組。プールの縁を歩く三人の僧。緑の濃い中での情景。
静かな竹の様子も良かった。どういう理由かはわからないがたいへん好きな作品。

第六章 神話や古典に遊ぶ
ここからが本当に好きだ。

荘子 1941 石にもたれる。これは前にも見ている。蝶々のことを思うのか鯤のことを思うのかは知らない。

白雲幽石図 1933 なんだか凄いな。一人座るその巨石。ほかに何もないのがすごい。異様な迫力があるのは絵の力にプラスして麻紙のにじみのおかげかもしれない。
これは石だから動かないのだが、富樫義博「幽遊白書」に出てくる移動要塞を思い出したな。軀と飛影の会話するシーンとかね。

さんたくろす 1931 大好きな絵。雪山をよちよち歩くサンタさん。下方に民家が見える。トナカイもいなくて一人で、大きな荷物を肩にかけ(大黒様が来かかると、ではないよ)やってくる。
三徳老師という言葉が出て来るなあ。

酔李白 1928 桃の下で機嫌よく酔っ払い。いい絵だなあ。気持ちのいい絵。

天のうづめの命 今回も前回もチラシを飾りました。ブギの女王シズ子さんですな。これが出光興産のお船の守り神なわけですなあ。
明るくていいよ。

太宰帥大伴旅人卿讃酒像 1947 これまたご機嫌な酔っ払い。螺鈿の台に盃。
倅の家持はこの人くらいの酔っ払いではなかったようなので放菴の絵にはならない。

金太郎・花咲爺 これは金太郎が孫、爺さんが自分という見立て。いいなあ。
こういう心根が大好きだ。絵もいいが、そこに活きる気持ちがとても素敵だ。
岩に座りにこにこする金ちゃんとウサギさん。可愛いなあ。
爺さんは青磁の瓶から灰をまく。


第七章 十牛図の変容
放菴が描く、そのこと自体が十牛図の意味するものを表現しているようにも思う。
青年未醒から放庵そして放菴へと至る道。洋画から東洋画への道のり。
そのことを思うと、放菴の描く牛と人とは全てが十牛図のようにも見える。

帰牧 1927 牛の上でねそべるターバンを巻いた子供。ザクロを持っている。
中央アジアの子供なのかもしれないし、そうではないのかもしれない。
しかしこの子どもと牛との親和性はすばらしい。

金太郎遊行 1942 ごきげん金ちゃん。アケビがいい色。クマさんに乗ってにこにこ。ウサギさんもいる。この絵は住友家の玄関に飾られるために描かれたという。
住友家は宅地に大邸宅を建てていたのでどこの屋敷のかが知りたいところだ。

金時遊行 これも大好き。本当に可愛い。鉞もってにこにこ。わたしが「遊行」を名乗るのは遊行上人由来ではなく、石川淳「六道遊行」とこの「金時遊行」からなのだった。

出関老子 1919 壁画を目指したのかどうかは知らないが、この絵も実際より大きなイメージがある。中国と言うよりもう天竺あたりに出かけてしまったようにも見える。
「孔子暗黒伝」では老子は天竺へ向かったという話で、それがわたしのアタマに活きているからかもしれない。

帰耕 1924 「さぁべこよ、帰るだか」というニュアンスも含みつつ、決して日本と言うわけではない。やはりこのあたりが日本ではなく東洋画なのだという感じがある。

田夫酔帰 1928 これはもう牛の方が賢そう。そういえば酪農家でもある荒川弘の「百姓貴族」にあったが牛は大変賢い動物らしい。
おっちゃんが「あっ」となったとき、牛は優しく振り返り「帰ろうか」と促す。


第八章 画冊愛好 佐三との出会い
昔の実業家は総じて偉い人が多い。そう思うのは美術館に来たときだ。

総じてのどかな風景画が出ている。
塗り重ねはしてもこてこてではない。
奥の細道を描いたものが微笑ましかった。
原作の冒頭を思うと「漂泊の思いやまず」とか「三里に灸をすえて」と飛び立つ心を抑えかねているのが伝わるが、ここではのほほんとした旅なのである。
芭蕉の旅も、出る寸前の苛立ちにも似たものにぞわぞわするのだが、最後の「旅に病んで夢は枯野をかけめぐる」に来ると、「ああ、円環が閉じたな」と思うのだった。


第九章 安らぎの芸術 花鳥・動物画
麻紙の独特の手触りがここではとても活きているように思う。

山夜友あり ミミズクの大きな目。椿と白梅。これはコノハズクらしい。鋭い眼ですな。

萩 墨絵に近い。萩の下にはウサギさん。黒毛のウサギ。月下にぼうっといる。なにかしら平和な心持になる。いいなあ。

山中秋意 1935 秋色の実と八潮紅葉。ヤマドリの毛の質感が伝わる。

胡馬 葦毛のやや肥えた馬。うつむいている。海を渡ってきた馬か。

例によって長々と書いてしまったが、観ていて心愉しくなる画家の仕事、それを堪能させてもらい嬉しい。
小杉放菴と菅楯彦とはその意味ではとても似ているようにも思う。
わたしは研究員でもなんでもないただの一観客だから好きなことしか書かないし、あんまりまともなことも書いていないが、やっぱり好きなものを見ると喜んで感想を書いてしまう。
放菴はこんなわたしをヨシヨシと堪忍してくれるように思っている。
3/29まで。

神さま 仏さま 祈りの美術

昨日で終わったが逸翁美術館の「神さま 仏さま 祈りの美術」は良い作品の並ぶ展覧会だった。
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・キリスト教美術
生神女マリヤ 17世紀 ロシアのイコンである。今回初めて知ったのだがロシアの正教会では「マリア」ではなく「マリヤ」となるそうだ。
イエス・キリストがイイスス・ハリストスになるのは知っていたが、マリヤの方は知らなかった。
なお「生神女」は「しょうしんじょ」である。
イコンにはいくつかの決まりがあり、これは「カザン型イコン」だった。
16世紀に幼女により発見されたイコンの様式により名付けられたもので、手を描かないマリアは胸部・正面向きイエスは腰部まで、背景には金箔。
この絵は下の聖母子を鎧うような銀色の飾りがあり、表面上にひっかき線描の装飾が施されていた。

生神女マリヤ 19-20世紀 こちらもロシアのイコン。「エレサウ型イコン」である。
母子の頬寄せ、まったりした雰囲気がある。

聖母子像 イコン こちらは「ホデゲトリア型の聖母」である。臙脂色のショールをまとうのは当時のシリアの処女の民俗。
幼子が左、聖母が右で共に左を見ている。

これまでイコンの展覧会を何度か見ていたし、ハリストス教会も何度か訪ねたが、本当に知らないままだった。
知ることが出来てよかった。

聖母子とヨハネ 18世紀 イギリス 左からヨハネ。聖母は幼子を抱きながらもヨハネ坊やをもみつめる。ヨハネ坊やはいかにも男児らしい可愛さがある。
ちょっと斎藤工にも似ている。

祈り図(マリア) 右向きの娘の横顔である。肩までの髪が露わになっている。既に聖母の印として星の冠が現れている。☆は彼女のアトリビュートである。
「ヨハネ黙示録」の一節からの設定だという。
「女を見た。太陽を着て、月を踏み、12の星をかぶる」
ここからのこと。
坂田靖子「バジル氏の優雅な生活」に路上の画家がその女の絵を描き続けている話があった。だからか、わたしの中でのこの女のイメージは坂田靖子の絵で固定されている。

最後の晩餐 マールテン・ド・フォス 16世紀 フランドル 全員の頭上に光の輪が現れている。ユダの頭上にも。そのユダの背中には赤い財布が大きく張り付いている。ちょっと笑ってしまう。
そしてイエスの膝にもたれるのは「主に愛された弟子」を自称するヨハネである。真っ青になって主にもたれている。
いまや「聖☆おにいさん」のイメージが強すぎて、ヨハネちゃんが甘えてる、という感じがあるが、深刻な状況の絵なのだった。
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聖体容器が二つばかりあった。中にはウエハース状のパン。聖体拝領は映像で見ているが、実際には知らないので、一度そぉっといただきたいものだと思うが、異教徒には許されないのだろうか…

キリストの鞭打ち 18世紀 拷問柱に縛られて髪を掴まれて、という状況。
この絵の額飾りがモノスゴイ豪華で、これは教会に飾られている物ではなかったのかも、と思うくらいの派手さなのだった。

木彫聖者受難群像 19世紀 パッション。ゴルゴダへの道。後ろから蹴り上げる憎そい兵隊。19世紀の像なのだがロマネスク風な趣があり、それが興味深い。

油彩十字架キリスト像 18世紀 足元に髑髏。血も垂れている。でも妙に気合の入っているイエスの顔が見える。


・神道美術
大神宮御祓図 松村景文 あの紙を三角に折るあれである。これをシンプルに描く。

菅原道真像 土佐行光 南北朝―室町 眼をかっ と見開いている。怒ってはるのです。

渡唐天神像画賛 近衛信尹 1609年 いつもの一筆書き風天神様に珍しく賛も入っている。薄墨で豪胆な文字。

楠木正成像 高久靄厓 大楠公の坐像を描く、という構図である。「南木明神尊像」と書かれている。

熊野本地絵巻 室町 わたしの特に好きな熊野の本地である。
母上が殺され、赤子の王子がその身の上にいるところへ、どうぶつたちがぞろぞろ集まってくる。唐獅子、白象、イノシシ、シカ、トラに豹、山羊、鼠など。
虎と豹は夫婦と言う設定らしく、特に王子を可愛がり、背に乗せて歩く。
王子は健やかに育つが時に泣いたりもする。猿がそれを見守る。柏の葉っぱのケープを身に着けるスキンヘッドの王子。
なかなか丁寧な絵だった。

奈良絵本 松浦明神絵巻 江戸 藤原広嗣の乱を取り上げている。吉備真備、玄昉らの専横を憎んだ広嗣が乱を起こして制圧されるが、死後は雷神になったか玄昉を襲う。みんなあわてるシーンが出ていた。

春日権現験記絵巻 模本22巻 1805年 下帯一つになった楽人・狛行光を連れて地獄めぐりに出る春日明神。

王子権現縁起絵巻 18世紀 田楽大盛況の図。


・仏教美術
虚空蔵菩薩像 室町 知恵の仏様だけに目の前に立つと賢くなるような気もちらっとする。

不動明王二童子図 鎌倉 青不動。瑟瑟台にて憤怒像。おかっぱのセイタカ・コンガラの二人組の目つきが面白い。横眼と完全に上向きと。

十二天図の内 梵天像 伝・宅間澄賀 南北朝 チラシの。綺麗な三面梵天の立像。
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同上 焔摩天像 こちらも綺麗。シリーズ全てを観たいがどうだろう。

弁財天像 芝法眼琳賢(宅間派) 室町 8本の手がそれぞれ優美。頭上には宇賀神。足元には黒大黒も控えている。

高野大師行状絵巻 巻1 鎌倉 誓願捨身 岩からダイビングすると天人が救いに来たシーンが出ていた。
これは白鶴所蔵のとは別物らしい。

中将姫図 岡田為恭 もう最後である。尼僧姿の姫のもとへ仏たちの来迎。

聖徳太子孝養像 室町 賢い美少年である。木像もあり、こちらも凛々しい。

金銅観音並立像 隋代 蓮の花弁が光背のようになったのが二枚続き。小さくて綺麗な仏たち。

木造彩色花鬘 一対 桃山 綺麗な花飾りの輪。やや褪色しているが、碧・朱・金・水色の連続。

不動利益縁起絵巻残欠 南北朝 「泣き不動」説話である。三井寺の証空が師の御坊に替り自分に病を、と祈って身代わりになったらこれまた苦しい。そこで不動図におすがりすると、不動明王がよっしゃ代わりに地獄へ行ったろ、とお出かけしてくれはる。が、驚いたのは閻魔王で、早々におかえりを願うという話。
証空が不動図におすがりしているシーン。隣室にはしんどそうな御坊がいる。

過去現在因果経 紀州勝利寺本 鎌倉 8人の人がそれぞれ蓮の花など持って行列。いや行進、か。一人だけ官吏のようなのがいて、その従者は香炉もち。

奥州藤原氏の中尊寺からの紺紙金銀字のお経が二種出ていた。たいへん綺麗。
清衡の一切経。

大涅槃経 獅子吼菩薩品 巻32 唐代 敦煌出土 こういうデショウを知るとそれだけでときめくね。

いいものをたくさん見た。
さて「神様仏様」ときたらわたしなどはやっぱり「バース様」と続けてしまうが、今年の阪神タイガースはどうなるのだろう…

次回は「逸翁の茶懐石」と記念館では「小林一三と野球」である。
こちらもとても楽しみ。

東京・横浜・京都の女学生ライフ 三つの「女学生」展覧会から

偶然にも三カ所で同時期に女学校と女学生の展覧会が開催されている。
・竹久夢二と乙女のハイカラらいふ 女学生・職業婦人・淑女たちの憧れ 弥生美術館
・ガールズ ビー アンビシャス 横浜山手のミッションスクール 横浜開港資料館
・京都の高等女学校と女学生 京都市学校歴史博物館
戦前の乙女らいふに関心があるわたしとしては三カ所とも決して見過ごせない展覧会だった。

まず弥生から。
こちらは主に東京の女学生たち。
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夢二の明治40年の「女学世界」コマ絵が可愛い。
20世紀初頭の女学生の風俗がこうした絵に活写される。
ここでは12の女学校の紹介があった。
制服などである。
学習院、お茶の水、跡見、虎ノ門、女子学院、青山。美学、女医、女子大、俳優学校、音楽などなど…
当たり前だが学校によりスタイルは随分違う。

夢二の描いた女学生たち
「少女の友」昭和2年3月号 果物かごを持ち、真知子巻のようなショールの巻き方をする少女の口絵がいい。
「少女画報」大正4年6月号 睡蓮の表紙が綺麗。

少女たちが何に感動し、どんな時に喜ぶか・悲しむかを鳥瞰する。
少女たちの好んだ便箋、ショートカットの横顔、ちょっとした雑貨。
いずれもどこかに愛らしさが漂う。

虹児の「睡蓮と少女」の口絵も出ていた。
女学生ではないが、夢二の「カリガリ博士」の挿絵が出ていたのも嬉しい。
3/29まで。

次は横浜。
ミッションスクールの紹介がある。
共立、捜真、フェリス、横浜英和、横浜紅蘭の5校である。
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今でも外人墓地がある横浜だからミッションスクール発祥の地と言うだけにこうして五つもあるのか。
大阪の川口の居留地からの物語はここでは取り上げない。

それぞれの学校が持つお宝の展示である。
学校写真、当時の女学生たちの写真、日記帳など。
制服の着方についての注意書きもある。
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「少女世界」の付録「少女出世すごろく」は清方の原画である。
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上りが嫁入り支度、というところが所詮は…という感じもするが、悪くない図である。

ミッションスクールだけに賛美歌を歌うこともあったようでそんな資料もある。
地震のあとの様子もある。
現行のそれと違い17音階のトニック・ソルファ法の授業もあったようだ。

変な制服もある。やはり帽子にセーラースタイルが可愛い。
この展覧会はかつて女学生だった方々も多く来られていて、昔話をされているのだが、それ自体が立派な資料となるので、色々と細かく聴かせてもらった。
4/19まで。

京都の場合「女紅場」という名称で女学校がスタートしている。
府立第一、精華高等女学校、明徳高等女学校などなど。
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集合写真が多く並び、運動会、遠足などの学校行事写真が目を引いた。
ここでもセーラー服がある。
ちなみにこちらの展覧会によると、日本初のセーラー服の制服は平安女学校からだという。
お澄ましした写真がそれを物語る。
こちらもやはり写真はお見合い用などに転用されている。

資料として昭和初期のものが多く出ていて、それらがいずれも魅力的だった。
都市生活が充実してきて、女子教育にもゆとりが出てきた証拠だといってもいいのではないだろうか。
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ダンスする写真などは楽しそうに見える。
プールで泳ぐこともあり、中にはオリンピック参加者も後には現れる。
充実した女学生ライフ。

やがて戦争の影が濃くなり、慰問袋や勤労動員などの資料が出てくる。
しかしそれでも女学校に通う少女たちは懸命に生きている。
3/29まで。

三都それぞれの特徴が面白くもあった。
今度はここに大阪の女学生らいふも加わってほしい。

よみがえるバロックの画家 グエルチーノ

国立西洋美術館に「よみがえるバロックの画家 グエルチーノ」展を観に行った。
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バロック絵画に詳しくはないので、学びと鑑賞に力を入れることにして、開館早々に入っていった。

16世紀末の宗教改革の余波がバロック絵画を作ったようである。
新教vs旧教。
偶像崇拝を否定する新教に対し、対抗宗教改革という形で「わかりやすい、リアルな」方向へ向かった旧教。
ドラマチックな画が多いのはそうした理由があるのだった。

グエルチーノはかつてゲーテやスタンダールから賞賛を受けていたが、時代の変化で忘れ去られてしまった。しかし20世紀半ばから再評価の動きが出たそうである。
そしてサイトにこんな紹介分がある。
「出品作品の多くはチェント市立絵画館からお借りします。実はチェントは2012年5月に地震に襲われ、大きな被害を受けました。絵画館はいまもって閉館したままで、復旧のめども立っていません。本展は震災復興事業でもあり、収益の一部は絵画館の復興に充てられます。」
日本の文化財も大変な目に遭ったがイタリアもそうなのだ。
出来る限り多くの人々がこの展覧会を見に行けば、と思った。

I 名声を求めて
グエルチーノと先人たち。

ルドヴィコ・カラッチ 《聖家族と聖フランチェスコ、寄進者たち》1591 年
チェント市立絵画館  赤い衣のヨハネがいる。左側には聖フランチェスコとこの絵の依頼人とその親族。幼子は動く。二人の天使が話し合っている。
絵の依頼人も聖人たちと一緒に描いてもらって満足だろう。親族もむろん。
こういうところに時代性を感じる。

スカルセッリーノ(本名イッポリト・スカルセッラ)《聖カタリナの神秘の結婚》
チェント、クリスティーナ&ジャンニ・ファーヴァ・コレクション  ちびイエスに指輪をはめてもらう聖カタリナ。彼女はイエスとの神秘の結婚を夢見る。それで俗世の婚姻を拒絶し、それがために殉教することになるのだが、理想の結婚では嬉しそうである。聖カタリナと赤服に青布のマリア。二人はにこにこしている。闇の中にヨセフがいる。

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さてここからはグエルチーノ
《祈る聖カルロ・ボッロメーオと二人の天使》1613-14 年 チェント、サン・ビアージョ聖堂  赤いケープを身にまとう聖カルロ・ボッロメーロ。上空にはちび天使たち。一方二人の美青年天使は背後で話し合い中。立派な足首。

《ゲッセマネの園のキリスト》1613-14 年 ボローニャ、ウニクレディト銀行  下弦の月、ユダたちが来るのが遠くに見える。近景では天使の足が数本に見える。これは経年のせいらしい。

《聖カルロ・ボッロメーオの奇跡》1613-14 年頃 レナッツォ、サン・セバスティアーノ聖堂  赤いぐるぐる巻きのミノムシのような男。赤子は目を開けている。光が奇跡を起こす。それに気づいているのは幼女で、叔母の袖を引く。またその様子を見ているのはキジ柄の白足猫だけ。
奇跡というものは難しいものです。

《聖カルロ・ボッロメーオのいる聖カタリナの神秘の結婚》1614-15 年頃
チェント貯蓄銀行  左に指輪を持つ幼子、右に王女の様子の聖カタリナ。足元には彼女のアトリビュートの車輪がある。

《聖母子と雀》1615-16 年頃 ボローニャ国立絵画館 サー・デニス・マーン遺贈  本当は鶸らしいが、ここでは同じ小禽でも雀。雀にしたことで聖母子から普遍的な母子像にもなる。ママの指に止る雀さんを見る坊や。雀は糸でつながれている。

II 才能の開花

《聖三位一体》1616-17 年頃 ボローニャ、ウニクレディト銀行  左にイエス。ピンクの上に青を塗ったので光っている布。中央に白鳩。右に地球儀を持つピンクの神。その足が踏むのは顔だけ天使!!ううむ、邪鬼か…ちがう。

《幼児キリストを崇める聖母と悔悛の聖ペテロ、聖カルロ・ボッロメーオ、天使と寄進者》1618 年 チェント市立絵画館  この地では聖カルロ・ボッロメーオが特に人気なのだとこのあたりで気づく。上空の聖母子、左のペテロ、右のカルロたち、そしてこの様子をガイドの天使たちが「ほらほら」と言うていそう。

《トラパニの聖アルベルトにスカプラリオ(略肩衣)を与えるカルミネの聖母》
1618 年 チェント市立絵画館  この略肩衣というのは臨終の時にかけてもらうと地獄の業火から逃れられるらしい。
火鼠のチョッキとか、アスベストのベストとかそういうのではなくて、振り分け荷物の小さい版みたいなのを肩に乗せている。そして左に煉獄が。

《キリストから鍵を受け取る聖ペテロ》1618 年 チェント市立絵画館  大きな絵。パンケーキのような冠を持つ天使が控えている。イエスに指示される椅子。天国の鍵、どちらもブラシのようにも見える。上空には可愛い天使。
この絵にゲーテやスタンダールの言葉をかぶせるのは巧い。
ところで個人的には「聖☆おにいさん」のイメージが強いので、イエスとペテロがちゃんと鍵を持っている絵を見てドキッとしている。
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《マルシュアスの皮をはぐアポロ》1618 年 フィレンツェ、パラティーナ美術館  サチュロスのマルシュアスとの音楽対決を制して、アポロが望んだのは生きながらマルシュアスの皮を剥ぐこと、か。
えぐいね。転がる男は木に手首をつながれ、絶望的な顔をみせる。その木の上にはバイオリンが。そしてアポロは肌は白くてハンサムだけど「さぁ!」と無残な微笑を浮かべていて、この様子をのぞき見る二人の羊飼いを震え上がらせている。
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《聖イレネに介抱される聖セバスティアヌス》1619 年 ボローニャ国立絵画館  矢で射られても死ななかった聖セバスティアヌス。手当してもらう様子。
旧教の対抗宗教改革の時代に生まれた絵。こうした構図がよく流行ったらしい。
聖セバスティアヌスは結局は撲殺されるのだった。
ちなみにイレネの手にはスポンジとしての海綿。

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《巫女》1619 年 ボローニャ国立絵画館 サー・デニス・マーン遺贈  聖イレネと同じポーズ。

《巫女》1620 年 チェント貯蓄銀行財団  ぐいぐいくる女。凄い肩幅と胸。

《聖フランチェスコの法悦》1620 年頃 チェント、クリスティーナ&ジャンニ・ファーヴァ・コレクション  バイオリン弾く天使の光を腕で遮る。背後にはイオニア柱。もう聖痕がはっきり…

グイド・レーニ《聖フランチェスコの法悦》1606-07 年 ボローニャ国立絵画館 サー・デニス・マーン遺贈  ライバル・レーノの仕事を見てみる。髑髏がある。
構図や表情も違うので、比較しても全く別物に思える。

《アポロとマルシュアス》1619-20 年頃 モデナ、エミリア・ロマーニャ人民銀行  白と黒。美しい若者と醜いオヤジと。この二人の近づき方にドキドキ。妙にヤラシイ感じがある。そしてアポロの無邪気な顔の下には悪意が集まっているかのように見えた。

III 芸術の都ローマとの出会い

《聖母被昇天》1622 年頃 チェント、サンティッシモ・ロザリオ聖堂  チラシの頭上に星の冠がついてる女の人。ぷりぷりした天使たちも可愛い。大きな大気を感じる。迫力がある。
そういえばイタリアでは聖母被昇天のお祭りをにぎやかに行うらしい。
山本鈴美香「七つの黄金郷」にそんなエピソードが描かれていた。

《聖マタイと天使》1621-22 年 ローマ、カピトリーノ絵画館  完成した福音書を開く天使と筆者マタイの「なんですか、あんた」な顔つきがいい。美青年と爺さん。文中を指す天使。福音。エヴァ…

《放蕩息子の帰還》1627-28 年頃 ローマ、ボルゲーゼ美術館  これは5年前に「ボルゲーゼ美術館展」で見たね。その時の感想はこちら
そう、兄の割り切れない思い。カインもこの長男も気の毒なのよ。

《聖母のもとに現れる復活したキリスト》1628-30 年 チェント市立絵画館  なかなか立派な体のイエス。傷に触ろうとする聖母。気持ちはわかるがそんなことをすれば痛くなるに違いない。
この絵にゲーテは「イタリア紀行」で頌をよせている。
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IV 後期① 聖と俗のはざまの女性像 グエルチーノとグイド・レーニ

グエルチーノの女たちは皆バストアップで目が上を向いている。
《クレオパトラ》1639 年 フェラーラ国立絵画館(個人より寄託)  蛇に噛んでもらうところ。パールのピアスがきれい。絶望的な表情。

《ルクレティア》1638 年頃 ロンドン、個人蔵(サー・デニス・マーン義捐基金管理) 自殺直前。やはり目は上を向いている。

グイド・レーニ 《ルクレティア》1636-38 年頃 国立西洋美術館  刺した後でも胸に血はなく、シーツも白く胸も白く、肉付きよろしい婦人。

《スザンナと老人たち》1649-50 年 パルマ国立美術館  えろじじいたちをその場で殴ってやればいいのだ。
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《サモスの巫女》1651 年 ボローニャ貯蓄銀行財団  色の取り合わせがはっきりしている。緑のターバン、青のマント、赤衣の女。
このころは巫女さんを描くのが流行っていたそうな。

グイド・レーニ 《巫女》 1635-36 年頃 ボローニャ国立絵画館 サー・デニス・マーン遺贈  生成りのターバン。ぽってりしていて、舞妓によさそうなタイプ。可愛い。

対の作ではないかというが、確かにそんな感じがする。
《狩人ディアナ》1658 年 ローマ、ソルジェンテ・グループ財団
《エンデュミオン》1657-58 年 ボローニャ、マリチェッタ・パルラトーレ・コレクション
左から青年をじぃっ と見つめる。それを見る猟犬。そして眠る美青年。

V 後期② 宗教画と理想の追求

《聖フランチェスコ》1634 年 ローマ、ベヌッチ画廊  頭巾をかぶる。外にいる。髑髏が見える。肩の糸のほつれが清貧を示している。

《洗礼者聖ヨハネ》1644 年 ボローニャ国立絵画館  ハンサム。この絵速攻で描かれたそうだ。技術力の高さを示すエピソードがある。

《説教する洗礼者聖ヨハネ》1650 年 チェント市立絵画館  大きな絵。赤布と毛皮だけを身にまとう。手を挙げたポーズ。イエスに似ている。

《ゴリアテの首を持つダヴィデ》1650 年頃 国立西洋美術館  この絵でこの作家を知ったわけだが、とてもドラマティックでいい絵が多かった。
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《隠修士聖パウルス》1652-55 年 ボローニャ国立絵画館  烏がパンを運んでくれるそうだ。山の中で隠れ住む。

《悔悛するマグダラのマリア》1652-55 年 ボローニャ国立絵画館  山の中で赤い布をまとうだけの素肌。やはり綺麗な女だと思う。

見ごたえのある、いい展覧会だった。
久しぶりに肉の圧力を生々しく感じられた。
5/31まで。

小田富弥 生誕120年 時代小説の挿絵画家 2

昨日の続き。
小田富弥は無類の引っ越し好きで、北斎ほどではないがそれでも38回も引っ越している。
かれは北野恒富の弟子で島成園の弟弟子になる。

昭和十年代の美人版画がある。
これらはやはり恒富の弟子で成園の弟分だという感じがある。大阪の美人画は東京や京都とはまた違う艶めかしさと同時に健全な明るさとがある。
髪の生え際の描写の濃さ、これがいい。

少し飛んで昭和35年の美人画カレンダー原画。なかなか綺麗で楽しい。
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白梅に太夫、夜梅に平安時代、蛍に室町美人、七夕に願う美人、紅葉にお女中などなど。
戦後のカラー美人画は、戦前のよりも綺麗だと思った。

物語絵いくつか。曾我兄弟、平手造酒、丸橋忠弥、虎の巻。いずれもとてもかっこいい。

昭和19年、小田富弥は長男が絵を習っていた奥村土牛とその妹を自宅に引き取り、同居した。
戦時下の同居である。
そのときまだ土牛は日本画家としては有名ではなかったものの、その様子を見ていて、小田富弥は挿絵がイヤになってしまったそうだ。

これは非常にもったいないことだ。
挿絵画家は日本画家・洋画家に比べて作品が後世に残らず身分も下に見られているが、それでも記憶に残る名作をものすのは同じなのである。
悲しい状況だが、これで小田はとうとう戦後になるや挿絵から距離を置き始めたのだった。残念である。

僚友・岩田専太郎は生涯を挿絵画家として働き続け、亡くなるまで現役だった。仕事の残る中で亡くなってしまったくらい現役だったのだ。
だが、誰しもが岩田専太郎ではないのも事実である。

京都へ移住する小田富弥。95歳でなくなるが、元気である。
晩年は日本画を描いている。
「辰巳や よいとこ 素足で歩く 羽織ゃお江戸のほこりもの」
粋で鯔背で蓮葉な辰巳芸者をかっこよく描く。

5女スミエのためにカッパを描いている。その夫と共に釣りに行く。
みずみずしい夫婦だな…。

犬5匹と猿のゴローと暮らす日常である。
昭和45年にはスミエの長男のために桃太郎を描いている。
張子の犬にまたがる桃太郎は隈取をしている。

小田富弥が自分の描きたい女について語っている。
これは吉祥寺の図録にも掲載されている。
一癖ある女が描きたい、と小田富弥は言う。
玄冶店のお富、妲己のお百、紀伊国屋ばりの女(四世沢村源之助のことである)などなど。
紀伊国屋は「田圃の太夫」と呼ばれた悪婆が得意の女形で、人気が高かった。

ここで深水の描きたい女の話が出ている。妖婦型は描きやすいが、複雑な性格の女は描きにくい。
菊池幽芳「白蓮紅蓮」のヒロインなどは描きにくいとか。
おとなしいが利発で活発でモダンで…???

小田富弥と同時代の大衆時代小説の絵が出てきた。
白井喬二 富士に立つ影 河野通勢  これも妙な面白みのある話で、なるほど通勢の絵もいい。
かれは長与善郎「項羽と劉邦」のが素晴らしくよいが、こちらもいい。

吉川英治 鳴門秘帖 岩田専太郎  丁度お十夜孫兵衛の秘密が暴露されるところ。
これはもう全編艶麗な挿絵で、アールヌーヴォーの味わいのあるたまらない作品。
この挿絵全部の掲載された上下本を神戸で手に入れたときの嬉しさは、今も忘れない。

柴田錬三郎 眠狂四郎 鴨下晁湖  以前に弥生美術館で回顧展があったとき、たまたまコミックバンチで眠狂四郎の連載があり、さらに市川雷蔵、田村正和、片岡孝夫(当時)の写真も出ていた。もぉ本当に素敵。あの後、GACKTも青のコンタクトレンズを入れて眠狂四郎を演じたが、かっこよかったな…
小説が面白く、挿絵がかっこいいから読者が熱中し、映画化したら雷蔵さんがあまりに綺麗で、いよいよ大ヒットしたのだ。そして半世紀以上経った今でも人気がある。
ここでは活きた雛にふんした男女の話が出ていた。闊達な姫と気の毒な男雛。

ところで丹下左膳は志村立美も描いている。
「こけ猿の壺」の表紙などはもう本当にカッコいい。口で風呂敷包みを噛み咥えた左膳の姿。妙な色気にドキドキする。

だいたいわたしは男性の前歯にときめくので、こんな絵を観たら本当にゾクゾクしてくる。市川雷蔵が好きになったのも、「忍びの者」の五右衛門が実家が燃えてるのを見て「あっ」と叫んだその前歯にドキッとしたのが、愛の始まりでしたわ。

再び小田富弥。
侍ニッポン これは楽譜も出ていた。西条八十の詞。わたしはこの歌が大好き。
♪人を斬るのが侍ならば 恋の未練がなぜ斬れぬ 伸びた月代淋しく撫でて
新納鶴千代 苦笑い
♪昨日勤王明日は佐幕 …どうせおいらは裏切り者よ…
今度4/29と5/7にフィルムセンターで「侍ニッポン」が上映されるが、到底見に行けそうにないのだった、む、無念…

「丹下左膳」の林不忘(本名・長谷川海太郎)は別名をいくつも使って書き倒していたが、あまりに働きすぎて若いのに急死してしまった。35歳。可哀想だし勿体ないことである。
彼の次弟が猫のタローを描いた画家の潾二郎、三弟濬はロシア文学者、末弟四郎は小説家という長谷川兄弟の長男だった。

その跡をついで丹下左膳を書いたのは川口松太郎だそうだ。
わたしは松太郎は「鶴八鶴次郎」くらいしか読んでいないが、文壇や芝居関係でなかなかの大立者だったというのは知っている。

真山青果 荒川の佐吉  これは随分前に片岡孝夫(当時)が主演したのを見ている。色々あって盲目の養い子を懸命に育てるやくざの話で、可哀想だった。
今も時々舞台に出る人気作だが、挿絵も切ない。

佐々木味津三 天保水月双紙  家斉ご乱行の話らしい。これはもう墨絵の世界。


小田富弥の弟子たちの絵があった。
中一弥がいる。
中は百歳を超えて現役の画家である。
代表作は池波正太郎の「鬼平犯科帳」「剣客商売」「仕掛人梅安」などなど。
そして子息の逢坂剛の挿絵も担当している。
最新作の池波正太郎ムックの表紙絵もある。

週刊 池波正太郎の世界2 剣と人生の達人・秋山小兵衛の誕生 剣客商売 (朝日ビジュアルシリーズ)週刊 池波正太郎の世界2 剣と人生の達人・秋山小兵衛の誕生 剣客商売 (朝日ビジュアルシリーズ)
(2009)
池波正太郎

商品

中先生、いつまでもがんばって描き続けてください。

弟子の中一弥の挿絵、姉弟子の成園の口絵、師匠の北野恒富の絵、みんな全く違う世界を構築している。
それはとてもいいことだと思う。それぞれがきちんと自分の世界を持っているのだから。

今回こうして小田富弥が再び世に出たことは誠に喜ばしい。

怪剣士丹下左膳あらわる 剣戟と妖艶美の画家・小田富弥の世界怪剣士丹下左膳あらわる 剣戟と妖艶美の画家・小田富弥の世界
(2014/12/24)
不明



なお、展覧会では小田富弥を顕彰するのに熱意を懸けた「資延勲」さんについても紹介があるので、ぜひご一読を。
3/29まで。

小田富弥 生誕120年 時代小説の挿絵画家 1

弥生美術館で「小田富弥」展を見た。
小田富弥といえば「丹下左膳」である。
他の作品も多いが、まずこれ。
わたしが最初に小田富弥を知ったのも「丹下左膳」からだった。
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小田富弥の展覧会はこれまで吉祥寺武蔵野美術館で一度開催されたきりだったそうだ。
わたしは当時新聞で見て「行きたい・・・!」と思いつつも行けなかった。
たしか95年だったか。それから数年後に初めて吉祥寺に行ったとき、幸いにも図録が残っていたので喜んで買った。
それが今も手元にあって、今回の展覧会の良い予習になった。

弥生美術館では小田富弥だけの展覧会は初めてではあるが、これまでにもたびたび紹介はしていた。岩田専太郎の時や志村立美のときにも。
だからわたしは「神州纐纈城」の挿絵が小田富弥だと知ったのだった。
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93年のひな祭りの日に天牛書店で入手した戦前戦後の挿絵画集2巻本の大衆小説集のほうに小田富弥の絵も紹介されていたが、それで岩田専太郎にも似ているなと思った。
そしてその以前に手に入れていた挿絵全集の一部コピーで「神州纐纈城」の挿絵を知ったのだが、当時のわたしではそれが小田富弥だとはわからず、これでいよいよ岩田専太郎だと思い込んでしまった。
尤もこれには理由がある。同時代の二人はやはり妖艶凄絶な絵を描いていて、中でも岩田はどんな絵でも描くので、ある意味間違っても仕方ない状況だった。
なにしろ岩田の代筆を小田富弥が為したくらいだからなあ。

初期の頃からの作品を見てゆく。
その「神州纐纈城」である。
わが国有数どころか世界有数の幻想怪奇恐怖小説だと言っていい。
わたしなどは本の背表紙を見ただけで、旧い言い方をするなら「瘧が起こったように総身慄いて」状態になる。
タイトルは違うが池上遼一がこの小説に魅せられ若い頃に作画しているが、それがもう本当におぞましい美に満ちていて、やはり恐怖に駆られ、再読できないでいる。
石川賢もこれをコミック化しているが、開く根性がわたしにはない。
ここにあるのは6シーン。いずれもゾワゾワする黒と白の絵である。
・ざんばら髪で血まみれで縛られる男  血を絞られ纐纈の元にされるのだろうか、それとも秘密を知ったことで拷問を受けているのだろうか・・・
・細面美人と築山あるいは湖と山  こんな夜にこの美女は何処へ向かうのか。
・蝋燭に蝙蝠  火に惹かれるのは虫もコウモリも変わりはないが、この物語の挿絵だということで十二分に恐ろしい。
・角隠しに派手な打掛の貴女  見ていても全く明るい心持にならない。何がなし不吉な予兆というものがその全身に漂う。
・黒マントに全身を包み、髑髏の面をかぶり、錫杖を持つ  これが恐怖の化身たる、あの纐纈城の城主なのである。
・闇にまぎれ、屋根に潜む曲者  この絵をわたしはこのように手に入れていて、それで長らく岩田専太郎かと思い込んでしまったのだ。
この1シーンだけで十分に異様な魅力に満ちている。

岩田専太郎の若い頃の「鳴門秘帖」「真珠郎」の挿絵の妖艶さ、それに通じるものが確かにこの「神州纐纈城」にはあるのだ。
そしてそれはポーの小説の挿絵を描いたハリー・クラーク、「サロメ」の頃のビアズリーに共通する、闇の世紀末芸術の範疇に含まれるものだった。


大正から昭和初期の小田富弥の仕事を追う。
敵対日月双紙 三上於莵吉 「双生児の復讐」の翻案ものだというが、大体三上の小説はドキドキするものが多いので、この挿絵を見るだけでも静かに興奮する。
「雪之丞変化」は岩田で、こちらは青空文庫に入っているから読みやすいが、他はなかなか読めないのが残念。

紅蓮地獄 今東光  刀を抜いて女に迫るシーン。戦前は今東光もこういう小説を書いていたのだなあ。わたしは戦後の「悪名」「春泥尼抄」「お吟さま」ばかりだ。
やはり大衆小説にはドキドキする挿絵が絶対的に必要だ。
この小説のためのカラー口絵なども出ていた。
着物を脱ぎかける女。折鶴。それだけで物語への期待が膨らんでくる。

照る日くもる日 大仏次郎  おお、出た。これを最初に知ったのは松田修の著作からだった。
「刺青・性・死」か「華文字の死想」かのどちらからかと思う。
松田修の偏愛するシーンの描写、松田修の目を通した「照る日くもる日」。
わたしは大仏次郎の意図しないところの読者なのだと思う。
大仏次郎は健全な精神を持つ作家で、自身が意図しない妖艶さを好まないところがあった。
だから「鞍馬天狗」の最初の挿絵を描いた伊藤彦造の妖艶にして死の匂いのたちこめる美麗な挿絵を拒んだ。
しかし当時の読者も後世のわたしのようなものも、実はその部分にこそ惹かれるのだった。
ここでも小田富弥の黒と白の艶めかしさに深くときめいている。

大衆文学小説全集が出て、そのための挿絵も描いている。
そこでは「修羅八荒」の口絵もあった。連載時の伊藤彦造の挿絵と口絵が有名である。
大正末の妖艶な世界。

ここからは昭和初期の作品。
井の底の人魚 菊池幽芳  水中から胸も露わな女が現れる。井戸へ降りるその当時のリアルタイムの青年。
布を巻きつけて踊る裸婦、彼女に電飾を当てる男。
物語を知らずとも、これら二枚の挿絵を見るだけで興味が高まるものだ。
菊池幽芳はほかにも清方の挿絵「百合子」に惹かれるのだが、そちらも読んでいない。
いや、そもそも現代では菊池幽芳を読むことは不可能に近いのかもしれない。

白虎隊秘話 佐々木味津三  ○に二の紋(松島屋の片岡家の紋と同じ)をつけた血まみれの着流し男と、女。 佐々木と言えば「むっつり右門」「旗本退屈男」が浮かぶが、こうした短編は読んだことがないので読みたい。

謎の人形師 佐々木味津三  二枚あり。
・女を殺そうとする男 
・転がる人形の首
江戸時代は文楽だけでなく様々な人形の用途があった。どんな状況の事かが気になる。

悪霊 土師清二 これがまた不思議な図。
・モガとちょんまげと。
・鏡の前の島田娘
・斬られる男
なんで江戸時代のとアールデコなモガが同居する絵があるのか。
そういえばタイムスリップものっていったい日本ではいつから書かれるようになったのだろう。

魔像 林不忘  これは今も青空文庫で読めるし、何年か前には「喧嘩屋右近」として杉良太郎・萬田久子主演でドラマ化されてもいる。
発表当時から昭和の半ばまでたいへん人気が高かった。何度も映画化もされている。
絵は挿絵とカラー口絵とが数枚。
・手の甲に「ご意見無用 いのち不忘」と刺青を入れた婀娜な女(通称「知らずのお絃」)
・カラー口絵 神保造酒、月下の決死の殺陣。
・月下に巻き起こる大殺陣、若衆と男と道端の奴ら(喬之助と右近と敵か)
・殺気渦巻く船上の大乱闘(総髪が袴で敵を海へ蹴り落とす、女はぐったり)

カラー口絵と挿絵とを見比べると、どうも挿絵の方が動きがいい。カラーものは時間が止まっている。

仇討兄弟鑑 菊池寛 昭和6年 ストーリー展開がわかるようになっていた。
マジメな兄甲吾と袂を分かったエエ加減な弟進吾の方がうっかりと仇を討ってしまう。
それにより弟は真面目な兄の目的を奪うことになってしまう。
非常にまずい。しかもそれはもう国許にも知られてしまう。
兄は不甲斐ないわが身を責めて父祖の墓前で切腹。弟の悔恨は果てしがない。
兄の許婚を拒む弟。
モノクロの美にうたれる。

小田富弥は宝塚に住んでいた。
関東大震災で関西に逃げてきた作家や画家は少なくない。
住まいの並びがいい。
川口松太郎・小田富弥・土師清二。
三人とも大阪朝日新聞とプラトン社(中山太陽堂の出版部門)と関係が深い。
そのことから小田富弥の道も明るくなってきた。


講談社の昭和6年の「キング」付録の「明治大正昭和大絵巻」が出ていた。
これは野間記念館で見ている。そのうちの小田富弥の分を見る。
・明治34年の星亨刺殺事件
・明治36年の藤村操ま投身自殺  紅葉を背景に華厳の滝へジャンプ!
・三陸大海嘯
・岩倉派遣などなど。

再び挿絵。
心中火取虫 子母澤寛  三日月の下、青ざめた男が縛った女を膝上に乗せる。
これは映画にもなって坂東好太郎が主演している。

夏姿二枚続絵(矢田五右衛門の巻)小島政二郎 ストーリー展開がわかる。
・芸者おたきを口説くが女は身性を恥じて応じない。
・川開きの夜、芦の生えるあたりで小舟を止めて、そこで別な芸者月弥から父母の仇討ちを頼まれる。
・月弥の口説きは拒むが、仇討ちの件は承諾する。
・月弥の手引きで橋を渡る仇を討つ。しかしその男こそ、おたきの父だったのだ。
・おたきに金を渡して去る。見るからに元禄風な着物の女

大石瀬左衛門 菊池寛 女武道で美人でしかし慎み深いおたまが剣の試合に負けてがっくりしている。
祈る。そしてついには大石に会うために走る。
雨中石段を登るざんばら男。そのほつれ毛にときめく。

・弥太郎笠 下母沢寛 昭和6年 これは昭和10年の名作挿画全集にも。
その全集には雪岱、秀峰、清方、岩田なども。
そしてこの「弥太郎笠」は昭和30年には映画化され、主演の御大・片岡千恵蔵、高千穂ひづると小田の三人の写真がある。

渡世人のイメージを決定づける小田富弥。
この分野は長谷川伸と下母沢寛が開拓した。
そこから追従するものも現れ、股旅のスタイルが成立した。
わたしなども二人の戯曲や小説を原本にしたものを映像や舞台でみて、渡世人のイメージが焼き付けられたのだった。なお笹沢佐保「木枯らし紋次郎」をドラマ化したのを真っ先に思い出すわたしだが、ちなみにあの挿絵は岩田専太郎。こちらは昭和の真ん中の話。

「むっつり右門」の装丁も担当している。女形が三味線を弾いている。
カラーは当時の色彩設計の問題もあることながら、どうも小田富弥はモノクロの方がよいようにも思う。

いよいよ丹下左膳。
黒襟白紋着流しは小田富弥の創案。これでイメージが固定した。
だから大河内伝次郎の映画でも同じスタイル。
わたしは大河内の無声映画の時代のも早稲田あたりで見ているが、怖かったなあ。

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丹下左膳は元々は脇キャラだったが、挿絵の良さとあいまって大人気となり、とうとう主役になってしまった。
こういうことはよくあることで、たとえばマンガで言えば青池保子「エロイカより愛をこめて」でエーベルバッハ少佐は最初脇役だったが後には彼の方が主役になってしまっているし、福本伸行の「アカギ」もまた最初は「天」のキャラの一人だったが、途中から存在感がどんどん大きくなり、ついに最後はアカギの死に至る物語を丁寧に描くという結末になり、さらにはそのアカギの若い頃を描く「アカギ」を現在も延々と連載中なのだ。
少佐、アカギの先達が丹下左膳なのだった。

さてその人気作も回が進むにつれ、ついうっかりが出てしまう。隻腕隻眼の左膳がうーん、と伸びをした絵を描いてしまい、500通もの批判が殺到したそうな。ヒーーーッ
「そのうち腕が三本になり三つ目にもなるだろう」という意味の手紙があったりする。

とはいえ作者の林不忘もヤラカシテしまっていて、今度はそれをネタにもしている。

丹下左膳はめちゃくちゃな男ですな。DVはするわ三人の女はみんな×になるわメチャメチャになるわ・・・
殺し・殺されの絵の良さ。吹雪の中を駆ける左膳のかっこよさ。
金華沖の最後、船板をはがし、それに寝ころんで波間に去ってゆく。

映画の資料が出ていた。
昭和3年の伊藤大輔の映画。大河内伝次郎である。
いつ見ても怖い顔をしている。
妖刀を得るために起こる様々な出来事。
根津権現裏の小野塚鉄斎、女房弥生といった人々。

昭和8年にはついにトーキーになり、例の「シェイは丹下、名はシャジェン」という大河内の名乗りが出るわけだった。
どちらにしろ昭和3年でも8年でもわたしには怖い顔のイメージしかなく、うちの母のように29年の大河内の肥えた顔のイメージがある人とはちょっと話が合わない。
そして丹下左膳も監督によりどんどんなめらかな人間になっていって、それはそれで面白くないとも思うのだった。

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講談社の絵本の仕事を見る。
大石義雄 すなわち忠臣蔵。原画の色の綺麗さ。現在とは違う配色。個人の特性ではなく時代の特徴なのかもしれない。
この本の巻末には千葉省三・文章の「神崎弥五郎の堪忍」箱根で悪い馬子にいじめられる神崎の苦難話が載っていた。
日本人は堪忍と爆発とが大好きな民族だった。
今はすぐにきれきれ。

長くなりすぎたし、まだ続きがあるのでここで一旦終わる。

ふしぎの国へようこそ―西洋古地図のなかの日本―

堺市博物館で面白い展覧会を見た。
「ふしぎの国へようこそ―西洋古地図のなかの日本―」
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サイトによると「ヨーロッパの人々にとって、東の彼方にある日本は、不思議の国でした。ベニス生まれで13・14世紀に活躍した冒険家マルコポーロは、黄金の国ジパングとして日本をヨーロッパに紹介し、その富のすばらしさは、多くの人々の心を捉えました。
 当館は、東西交流の結果誕生した多くの西洋地図を所蔵しています。その中でも最も堺らしさをヨーロッパ人が表現した作品を中心に総数30点を展示し、西洋が東洋を、そして西洋が堺をどのように見ていたかを考えます。
 はじめて堺が登場する地図として著名なテイセラ/オルテリウスの1595年製の「日本島図」や1669年にオランダで出版された『モンタヌス日本誌』の「堺市図」について当館学芸員の最新の研究成果をご紹介します。
 また、当時の日本の人々が、当時の西洋・世界をどのように見ていたのかを知ることができる資料を展示いたします。」
というのが展示の狙いらしい。

実際のところ、現代でさえも他国は本当に日本が理解できているかは不明だし、日本も他国を理解しているかどうかは定かではない。

さてそこで「ジパング 黄金の国」ですね。
古代は別として、航海術が発達した中世ではなまじ出かけられそうな先に日本が設定されたため、誰も行ってもいないのに妄想逞しく、いい噂ばかりが立つばかり。伝達ゲームが必ず変な方向へ向かうのと同様に、欧州から見た日本は却ってわけのわからないワンダーランドになってしまった。
それを広めたのがこの「モンタヌス日本誌」なのは間違いなさそうである。

テイセラ/オルテリウスの1595年製の「日本島図」はモンタヌスのそれより100年近く前のだけど、こちらはまだ「地図」だからそんなに変なこともない。地図は世界の中の日本を描くから名所図ではないわけです。
モンタヌスのは名所図。地図ではなく、うわさに聞いたあちこちを妄想逞しく、「ここはどこやねん」とツッコミどころ満載の怪しい場所に仕立て上げたのだった。

「モンタヌス日本誌」は当時の西洋での大ベストセラー・大ロングセラーだったとか。
1669年にアムステルダムで刊行され5版を重ね、翌年にはドイツ語・英語版も出版され、1680年にはフランスでも2版を重ねたそうな。
出版者はヤコブ・メウロス、銅版画家はヨハネス・フィングボーンズ。フェルメールと大体同時代の人。

思えば、限られた情報しか与えられない中で夢を膨らませればこうなる、という見本のようなものがここに並んでいるのだった。

モンタヌス日本誌 1669年 オランダの初版本で手彩色が施されている。
羊皮の背表紙。素敵だ。456ページ。6枚ほどが並んでいた。
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一目見て「ふーん、昔の堺はこうだったのか」とはさすがに言わない。
「ここ、どこやねん」というのが本当の第一声。
やたら怪しい場所である。

内裏図 拝む人々は何を拝んでいるのだろう。大体この内裏というのもどういった意味で捉えられているのか。
とはいうものの、わたしなども実はモンタヌスの妄想と似たり寄ったりなのだ。
当時の内裏など知らないので、もしかするとこんな状況かも知れない、とふと思いもするのだ。

方広寺大仏図 真ん中にどーんとナゾの女神像。賑やかな堂内には獅子、猿、牛の像がある。天井はゴシック風。そしてそれぞれの像を拝む人々。
あの半裸婦女神像、どことなく怖いのだが。

誰も同意できない喩になるかもしれないが(多分、知ってる人がいないからという意味で)、これを見ていると、どおくまん「暴力大将」の河内矯正院にあった母神像を思い出す。母神像というても優しい像などではなく、非常に恐ろしい像なのである。
それを母と見做し魂の根源とする凶悪無慙な化け物のような男がいて、彼の恐るべき美意識が無惨極まりない破壊をもたらすのだった。

また香山滋の秘境小説シリーズの一篇「怪異馬霊教」も決してこれらと遠い位置にあるものではないようにも思われる。

大坂図 海上に浮かぶ小さなお城などなど。しかしこれも多少納得できるので、それが逆におかしくもある。つまり大阪は今でこそ埋め立ててつながった土地になっているが、地名に「島」が多いことからもわかるように、また「浪花八百八橋」とも言われたように、場所によっては小間切れ状態だったのだ。
かつて「東洋のベニス」とも言われたことを思い合わせると微妙に納得もゆく。
聖徳太子の拵えた「仏教最初」の四天王寺、その西門は極楽浄土に向いていると言うが、そこも水辺だったのだ。

全く似ていないならよいが、少しだけどこか少しだけ似通っているからよけいに変なのだ。

大坂城図 物凄いお堀である。もう出版された頃には外堀も内堀も埋立済みなので、こんな状態だったら徳川なんかに負けない気がする。がんばれ真田丸。

長崎図 出島が描かれているのだが、この出島、海ではなく空に浮かんでいる。どう見てもそうなのだ。天空の城ラピュタどころの騒ぎではない。怪しい、怪しすぎる。
一番ここが外国に開かれているので聞き取りも出来たろうが(資料持ち出しはそりゃ無理でしょうが)、何故かおかしい場所になっている。

ここからは別な人々の怪しいニッポンを見る。

都・堺・長崎図 シャトラン フランスの地図製作者シャトランの銅版画だが、モンタヌスの影響を受けていて、やはり不思議な風景を描く。ここではミヤコではなくメアコなのもご愛嬌。

日本図 ボルドーネ 1528年 モンタヌスよりだいぶ前の人の地図。ジャガイモ型のような日本本土図。四国に似た列島。

新世界図 ミュンスター 1550年 これはもう怪しすぎ。笑うに笑えないくらい。ルネサンスの三大発明に確か羅針盤とか活版とかあったような気がするけど、これはもうルネサンスもへったくれもないのでした。

中国図 ルドヴィコ・ジョルジォ 1584年 ほんまに怪しすぎる。いくら中国でもそれはないで、というくらいの怪しさである。

日本図 テイセラ/オルテリウス 1595年 こちらは行基式日本地図なのでなんとなく正しい。琵琶湖の位置が変だがまぁ大体は。蝦夷はないが。
ここは地名がなかなかはっきりしていた。
Xima志摩、Hicchu備中、Tamba丹波、Awa阿波とAva安房。
Hizu伊豆、Cay甲斐などなど。
なおべランの1752年の地図も行基式地図をもとにしていて、こちらは琵琶湖が割と正しい。
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日本六十余州之図 レランド 1715年 家紋入り。伊賀、大和、河内、尾張などと書かれている。鎖国してはいても情報は出ているわけだからね。
そうそう、六十余州というと弁天小僧の芝居の中で日本駄右衛門が名乗りを上げるときに「六十余州に隠れもねえ賊徒の」と言うてます。

バタヴィア城郭都市および市街図 1681年 銅版手彩色図 たいへんきっちりと描かれている。こういうのを見ると非常にそそられる。舟もリアル。

ある時代のある都市に出かけたくて仕方なくなることがある。
たとえば17世紀バタヴィア、20世紀初頭の浦塩(ウラジオストックである)、同時代のパリ、1920年代のベルリン、上海、東京、大大阪、パリ。
イメージから生まれる憧れがそんな思いを育てるのだった。

アムステルダム都市図 パーカー 1720年 いかにも港湾都市。世界中から船が来る。世界中へ出てゆく船。

球形世界図 プランシウス 1594年 これは綺麗。象に乗る女、働くゾウの群れ、ワニに乗る女、飛ぶ孔雀、可愛いゾウさんなどが描かれている。
燻製作りの人々、アルマジロに乗る住民、サイに乗るのもいたな。
左上に欧州、右上にアジア、右下にアフリカ、左下にペルアナという謎の表記。Pervana …ペルー人くらいの意味になるみたいね。

ゴア都市図 リンスホーテン 1595年 ポ領のインドの都市。インドは大方大英帝国が押さえてたが、ポルトガルもいくつか植民地にしていたのか。

異国人物図 35か国の国の男女図と簡単な紹介が書かれている。
イスパニア…国皆邪宗国也。四季有国也トイフ。イタリア…都ヲ羅馬トニヤ言フ。ゼルマニア…寒国ニテ大国也。人物オランダニ相類ス。
オランダ…大寒国ニテ日本九州程ノ山国也。国ヲ七道二分ケ七人ノ国主一家ニシテ不争是ヲ名付ケテ エンパイアと号ス。
ほかにもボロニア、イングリアなど。

日本図・世界図屏風 これは日本人の手による地名書き。韃靼、大明、天竺、さまるちゃん(サマルカンドか?)、アフリカあたりまで。

摂津国名所港津図屏風 右には四天王寺、堺、尼崎など。これは江戸時代の日本のもの。

最後に吉田初三郎の堺の鳥瞰図。
この企画展とは別物だけど、堺市博物館所蔵で常設にある。
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堺市博物館はいろんな地図を持っている。
楽しく見て歩いて、不思議な国を散歩した気分になった。
3/15まで。

三原順復活祭 三月 アンジー特集と初期作品

三原順復活祭、三月の特集を見た。
今月はアンジーを中心に初期作品の原画展示などである。

アンジーの顔を改めてじっ とみつめる。
とても綺麗な顔をしている。
子供のころから可愛い顔をしていたが、少し大きくなったときの顔は本当に綺麗である。
そしてわたしは唐突に気づく。
今に至るまでわたしの中で「綺麗な顔」の基準モデルは、アンジーの顔だということを。

アンジーの服装の趣味はとても派手で、リアルタイムの頃いつも「・・・こういう服もあるんだなあ」と感心していた。
読者にそう思わせるだけに丁寧な描き込みがなされていたが、服だけでなくやはり三原順の作品のすべては、細密で丁寧でリアルな描写で構築されている。
初期作品の原画を見ていると後年のリアリズムとはまた違うものの、やはり丁寧な(というより執拗なという方が正しいのかもしれない)描き込みがなされている。
たとえば、フリル一つにしてもその跳ね方の大小により質感の違いを実感させる。子供のフリル、大人のフリル、布質の違いも明らかにする。

原画を紹介する。
「陽気なオバケ」なつかしい・・・見開きの、オバケとの関わりがいかに楽しいことかを綴るシーンが出ていた。
わたしもここを読みながら、次々に喜びが湧き出してくるのを感じていた。
あれから何十年も経ったが、このシーンのように喜びを連打してくる描写にはなかなかお目にかからない。

76年夏の増刊号「オロロンふたりワルのり」 幼いカップルがフラメンコを踊っている。これは赤座ひではる「チリリンふたり乗り」のパロディで三原順唯一の日本ものらしい。
わたしは知らなかった。赤座ひではるは「はみだしっ娘」を描いたようで、こういう交換パロディは昔は割によく見かけた。
赤座ひではるは「マッチ箱のようなお城」がギャグマンガで、こちらの「チリリン」はまじめな中学生のおつきあいで、確か最後は横浜と東京に分かれてしまうのだが、電車賃の計算などをして、会える限りは会いたい、と言っていた。
そう、とてもまじめな少年(とはいえ他の少女に誘惑されてもいたが)とまじめな少女の恋物語なので、「オロロンふたりワルのり」というのは巧いパロディだと思うのだ。

絵本がある。チャールズ・キーピング「まどのむこう」。
自分の見ているものが実際の中身・状況とは別物だった、という物語をここから引き出していたようだ。
幸せそうに見えた行動が実は悲しむ様子だったということ。
それに気づいて傷つく心。アンジーはそうして自責する。

「ルーとソロモン」にレコードがあるとは知らなかった。A面が「愛のソネット」B面が゛お前の瞳は海だ」歌っているのは・・・え??「ミス花子」ですか!
びっくりした!!!あのミス花子ですか。そっちに驚いたわ・・・


「祈りの鐘が響くとも」冒頭のカラーページ。赤と茶色の2色だったのか。
この話を小学生だったわたしは理解できず、再読していてもわからないままだった。
しかし先般再読すると、本当には理解はせずとも納得できていることに気付いた。
その意味では三原順の初期短編は今こそ読み返すべきなのだと思う。
あの頃は引用された原本を読む、ということすら思いつかない子供だったのだ。
読んだのは「夜と霧」くらいだった。

「山の上に吹く風は」カラー原画がある。アンジーの水色の髪、木の洞にいるかのような状態の中でも水色。淋しい色だった。
その号の雑誌背表紙はピンク色に彩られた髪のアンジーが描かれている。

「赤い風船」がある。これは当時も気づいていたが元は「幸せの黄色いリボン」、日本映画では「幸せの黄色いハンカチ」あの仲間なのだった。
読んだ当時、不条理さというものがまかり通ることに憤ったものだった。
あの感動的な再会シーンが展示されていた。
疎外された同士の魂の復活、という見方をしてもいい。

「ラストショー」の空中ブランコで失敗して落ちてゆくシーンが展示されていた。
現実の速度は速いがティムの中ではゆっくりと時間が過ぎる。印象的なシーン。
この作品は次の展開がよく、そしてラストがほろ苦いものだった。
もうこうした作品はどこからも生まれない。
初めて読んだ時も思ったことだが、視覚的にも、また物語の展開でも、とても映像的な作品だと思う。

アンジーのイラストがある。どこかの女の子をデートに誘ったが失敗したらしい。
ベンチに座るアンジーが薄紫色のお姫様のようなスタイルなのも目を惹くが、その隣にはスイカを刳り抜いてジャック・オ・ランタンのようにした中にアライグマが入っているのが面白い。これでどうやらあの女の子は怒って去っていったらしい。アライグマの大きな目が可愛い。

「君の好きな帰り道」懐かしい表紙絵。ある種のせつなさが常に蘇ってくる。

「音楽教室」の表紙絵。アンジーのたいへん綺麗な顔がある。ヴァイオリンを弾くアンジー。これは今思い出しても笑えるというか笑うに笑えないというか、そう、音痴の者には冷や汗な話だった。オチがとてもいい。
珍しくグレアムとサーニンの二人組になったのも面白かった。
アンジーが機嫌よく歌うシーンでの三人の表情がとてもいい。
その当時から今に至るまで、この時サーニンが歌った歌が何だったのか気になりながらも調べていない。間違いなく実在の歌なのだろうが、わたしはその意味では三原順の音楽世界から遠く離れている。

「ロングアゴー」が現れた。
単行本表紙絵の、少年ジャックとロナルドのアップである。ロナルドの背景は抹茶色のグラデーション、ジャックの背景はヴァ―ミリオンレッドのグラデーション。
原画だからこそわかる色調の静かな変化。

予告カットもある。
あの巻き毛の同級生の少年がチラッと片目を向けている。こういうところにもその人間の個性が表れている。
本や人形やキノコが可愛い。

ロナルドのカットがある。大人になったロナルドが背景に溶け込んでいて、少年ロナルドが立つのだが、顔の見えない人々の間にいる。ワイン色のスーツの人が隣にいて、これは綺麗な色だと思った。
少年ロナルドはなかなか愛らしいのである。

解説を読んで大きくうなずくことがあった。
連載というてもずーーーっと連載し続ける作品ではなく、一つのエピソードが終わるとしばらくの間休眠する。その間のドキドキはもう口では言えないくらいである。
つまり常に「大丈夫かな」と心配させられ続けたのである。
だからここにあるように「『もうなにも』から『クリスマスローズ咲く頃』まで4~5か月あり」ハラハラ・・・…・・・させられましたなあ。
わたしは二月のグレアム特集の時にも記したように、はみだしっ子との本格的な付き合いは「そして門の鍵」の後編からだった。だから「山の上に吹く風は」の衝撃は非常に大きく、彼らが出現する「奴らが消えた夜」「裏切者」の頃の日々の辛さというものは、本当に大きかった。
小学生の身でこんなに心配させられるのは今から思ってもやはりただ事ではない。
つらい、つらい、つらい日々だった。
だから「もうなにも」でもしかしてこれで終わってしまうのか、と異常に心配になったし、またわたしなどは「バイバイ行進曲」でもハラハラしていたくらいなのだ。

とはいえ「つれて行って」の途中から「ああ、終わりつつあるのか」とはっきりとわかり始めていて、どんな終わり方をしたとしても受け入れるしかない、と覚悟を決めさせられていたようにも思う。
決めさせられた、というのはやはり作品の行間からにじむ作者の意図、それを読み取っていたからだということだ。
読者が嫌だと思っても決して覆ることのない強い意志、それを感じていた。
そして外的圧力や厭世観からの終了ではなく、三原順「はみだしっ子」はやはりこれ以上の先はなく、ここまでだと定められているのだ、と思った。


「もうなにも」予告カット アンジーの半顔。背景は焦げ茶でアンジーの緑の目が綺麗。

「山の上に吹く風は」の雑誌掲載時の台詞のついた原画がある。シドニーがアンジーと会えたシーンである。
へたりこむアンジーの台詞は「つれて行って」だった。
これは雑誌掲載時のもので単行本では「あんたの好きにしなよ」に変わっている。
このことは今まで気づいていなかった。
「あんたの好きにしなよ」は覚えていても「つれて行って」は覚えていない。
歳月の長さもさることながら、読んだ当時まだ十歳だったことが、このことを意識させなかったのかもしれない。
とはいえ、単行本収録された話の中での対話が雑誌掲載時と違うのをいくつか見覚えているから、ここはやはり軽くスルーしてしまったのか。
尤もこの「山の上に吹く風は」は全編通じて非常につらい作品で、最も読み返したくない話でもある。

しかし、と今のわたしは考える。
今ならまた読み返せるかもしれない、と。
あの頃のつらさを35年後の今ならもしかすると。
今なら?今なら他人事のように感じられるからとでもいうのか、今ならたかがフィクションだとでもいうのか。
わたしは自問し自責する。
再読することで、あの重い事件を軽く読んでしまうことが怖くてならないのだった。


LPジャケットがある。83年のもの。ああ、覚えている。買わなかったが。
わたしはどの作品でも、基本的に原作至上主義なのでイメージアルバムもニガテなのだ。
それどころか解説文を読むこともいやなときがある。
きちんと原作を読んでいるのかどうか疑わしい人がたまにいるので、信頼できる解説文を書く人のしか読まないのだ。
少し後にこのジャケットの原画が出てくる。

ジャックとロナルドがいる。
ロナルドの見る夢。青いオバケたち。シルクハットのワニが軽く帽子を持ち上げて挨拶し、ブタがラッパを吹いたり太鼓を叩いたり、ネズミが社交ダンスをしたり。

「ロングアゴー」が描かれたことで「SONS」も生まれたのではないか、と発表当時のわたしは考えていた。
そしてそれは今も変わらない。

前述の「山の上で吹く風は」の中の台詞改変「つれて行って」から「あんたの好きにしなよ」について、ラストエピソードのタイトルを「つれて行って」にするための伏線があったからではないかという解説があった。
なるほど、と思った。

「つれて行って」のクライマックスシーンの一つ、アンジーがグレアムにあの銃を向けて「おまえが帰らないならオレがおまえを殺してやる こいつで!」「なにをバカな」グレアムがはっ となって答える。
このページが出ていて息をのんだ。
グレアムの両目が描かれているシーンでもある。
今回初めて知ったが、このページ、本来最終回にする予定だったそうだ。
そしてこのときのアンジーの表情、その原画の修正のありようにゾクゾクした。
三原順、渾身の描写だったのだ。

初期短編「遙かなる祈り」の両親の離婚を知った少年の表情、あれも三原順は五時間かけて描いたという。

改めて三原順の画力の高さ、そして描写することの誠実さに感銘を受けた。

アンジーがピアノ曲をリクエストするシーンがある。
"You are my Sunshine"である。
わたしはこの時にこの歌を知り、後にエレクトーンで弾けるようになったが、せつなさが胸に広がっていつもつらくなる。失恋の歌である。戻らない歌なのである。
どんなに大事に想っていても届かないのだ。


付録の紙バッグ。モグラたたきで三人がサーニンにヤラレるあれ、前回の時に自分の持っているのを画像にあげたが、あれは80年8号の付録だったか。
そのあたりの年月はもう思い出せない。

77年19号の「奴らが消えた夜」予告カット、とあるが「裏切者」ではとも思うのがある。
左にサーニンとエルバージェ、右にアンジーの横顔。アンジーの髪はもう長くなり始めている。
そしてこの右部分のアンジーの横顔が雑誌掲載時、カットされていたそうだ。

77年別冊アンジー特集号 扉原画 裏町でたばこを吸うアンジー。ややオレンジ色の上着は襟までボタンが連続する。深緑のズボンとあわせている。靴は焦げ茶にキャメルのツートンカラー。手前にいるアンジーの方が暗く、奥の方が明るい。そちらは水色の煉瓦。

76年の「夢をごらん」ラスト近くの印象深いシーンが出ていた。サーニンが雀を見つけてみんなに指し示す。雀は赤い実をくわえている。それを見てアンジーがごくごく素直に「あはっ可愛い」と思う。そして「可愛い」と思った・思えた自分に衝撃を受け、泣き出す。
読んだ当時も現在こうして原画を見ても胸に深く来る。
せつない、ただただせつない。

わたしはこのシーンが今でもせつなく、これ以来小鳥と赤い実といえば童謡の「赤い鳥小鳥 なぜなぜ赤い 赤い実を食べた」を歌いながらも心の中ではこのシーンが思い浮かぶ、という状況が続いている。

レコードジャケットの原画をみる。
左奥ではジャックがたばこを持ちながらパムをみる。ジャックは深緑のスーツ。大理石の壁。照明灯りはツイン。
パムは深紅色のイブニングドレスでシルクハットのマックスと踊っている。この夫婦の間にはイスがあり、そこにはロナルドが座っている。
まんなかでは左にフーちゃんがフルーツを添えた飲み物の盆を持って立つ。段々フリルのドレスで黄土色。靴は黒で足首はっきりみえる。ジレも黒。
そのフーちゃんの足下というか床に座るグレアムはリコーダーを演奏中。それを口を開けて聴くのはクークー。その隣のイスにはサーニンがくつろいで座ってブドウを食べようとしている。
右端にはアンジーがヴァイオリンを弾いている。ベレーには鳥の羽がついている。
和やかな情景である。

そういえばアンジ―のことで一つ。
いつの号の花とゆめでか、彼らの情報特集があったとき、アンジ―の足の麻痺を交通事故だと記したのがあり、それは嘘だ、かれは小児まひで、それも自分でリハビリして今日に至っているのだぞ、と子供心に憤慨したことがある。
が、同時に交通事故だと書くほうが編集部は楽なのか、とも疑った。
そして次号で、やはりそのことに対しての抗議が大きく、訂正した記事が掲載されていたことを覚えている。
あれはどうしてだったのだろう・・・
やはりわたしの勘ぐった通りのことなのか。

77年別冊秋号の付録はアンジーのポスター。背景は青色で飾り棚に三原順の肖像画、本やペンや人形など。
アンジーは群青色のフリルシャツにピンクのベストとハイウエストのズボン。

78年別冊夏号「ラストショー」原画 馬に飛び乗るティム。

78年「クリスマスローズ咲く頃」グレーに白の交差線が飛び交う背景、雪のようなイメージ。グレアムは緑の上着にオレンジのへちま襟、セーターは茶色で首は富士山型。鳥打ち帽に焦げ茶のズボン。

79年2号カレンダー アンジーが明るい黄緑色の中にいる。帽子も同色でたばこをくわえるアンジーはこちらを見ている。
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79年15号ラブリーカード 青い花の中、ロングで描かれた白スーツのアンジーが給仕する。


閉館2分前に出た。
「もう終わりです」などという声を聴きたくなかったからだ。図書室の閉室という問題ではなく、「はみだしっ子」はもう終わりです、と言われたような気がするかもしれない、と思ったのである。
わたしは逃げた。

誰もいない明大の敷地内でわたしは叫び出しそうになった。四人の名を叫びたかった。
こんなにも深く愛していることをわたしは今更ながらに自覚する。せつない、せつない、せつない。
わたしはしかし叫び出すことはなかった。
ただただ早くお茶の水に向かう。
わたしはもうここで東京から帰るのだった。

来月はサーニンの特集になる。

画像はわたしの持つコレクションから。

高野山 祈りの美

高島屋で「高野山 祈りの美」展が巡回している。
なんばで見た後、日本橋でも見た。
とてもよかった。
そのことを書きたい。

最初に守屋多々志の襖絵が現れる。
わたしは守屋ファンなのでこのことだけでもたいへん嬉しく思った。

桜、山吹、白椿。左から花の塊がある。桜は満開である。もう散り始めてもいる。
中の山吹は八重で少しばかりの散りもある。そして右の白椿は豊かに咲いて、花首を落とすこともない。しかしながら桜、山吹よりもずっとこの白椿の方が頽廃的なものが漂っている。
白い花びらの影、それが黒ではなく灰色であることが、不摂生さを感じさせる美を生み出している。
その足元には少しばかりの桜草。

次の襖絵には柳、山桜が描かれていた。これをみて守屋の描いた芭蕉翁の俳句「梅柳さぞ若衆かな女かな」、そして「聴花(式子内親王)」を想った。
小さく小鳥も飛んでいる。

次は淡彩による群像画などが現れる。
長安、春明門 大唐帝国の街の様子を描く。右から続々と門内へ入場する群。とぼけたような・すましたような顔つきのラクダたち、監督官のような馬はキリリ、黒山羊の群れもあり、見物の群集の中にも犬を連れていたり回教徒がいたり、むろん商人も僧侶もいる。
長安の城内の建物には鴟尾(シビ)があり、それらはいずれも薄い金彩が施されている。
店舗も賑やかで販売業も飲食店もある。地には犬、屋根には猫、空には鳥の群れなどもある。どこまでも瓦は続き、長安の繁栄は続く。

浪速津解纜 飛鳥から天平半ばまでは浪速津が一番の港だったのだ。
多くの人々が船出を見送る。人々は明るい。赤子も漁師も犬も。丸い唐風の団扇を持つ人もある。ヒレ振る人も。一方で合掌する人もある。
商人の中には唐渡りのポットを持つものもいて、時代の様相がのぞきもする。庶民の女たち、貴女たち。貴女たちは唐風の花鈿化粧をする者もいる。

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高野早創 金目の白犬黒犬、山一望。これは弘法大師と狩場明神との出会いのエピソードに関した物語である。
白犬と黒犬は丸顔で耳がピンと立ち、尻尾はくるんと巻いている。賢そうで俊敏そうな犬たち。耳の肉厚具合もいい。かれらは狩場明神の猟犬である。
狩場明神と弘法大師との出会いについては先般の「山の神仏 吉野・熊野・高野」展と「高野山の名宝」展などで見た。
前者の感想はこちら
後者の感想はこちら
さらに「高野山 1200年至宝」展の感想はこちら
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ここでは犬たちだけがいて、人の姿はない。清浄な山の空気がそこにある。
見渡す限りの山、山、山。

守屋多々志の清冽な世界にときめいた。

次に平櫛田中の不動立像を見る。
スマートな造形で静かな顔だちである。非公開の彫刻。山の外へ出るのは大変珍しいとか。
小さな牙がみえる。彩色は施されていなかった。

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高山辰雄の巨大な屏風作品があった。
99年に奉納された大きな屏風である。
投華密教に入る 空海が留学先の中国で密教奥義を授かるシーンが描かれている。
祈る僧侶たち、苦悩するその顔。中央に大日如来が突如として出現した。ゴツゴツした輪郭の面長の僧侶ら、赤茶の背景に薄もえぎの装束のものが一人いた。彼は髪を剃らぬままである。そして空海の姿がある。
力強い屏風。本来はもっと多くの枚数とシーンが描かれるはずだったが、惜しいことにその前に高山は他界した。

この一連の僧侶らの姿を見ていると山種美術館に所蔵されている。「坐す人」を思い出す。
わたしは初めて山種に行ったとき、あの絵に非常な衝撃を受けた。茅場町時代の山種で極度にストイックな「坐す人」がいた、その衝撃。
いまだに意識から去ることはない。


中島千波の桜の間の障壁画が今回展示のメインだった。
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わたしは守屋多々志と高山辰雄で満足していたけれど、この巨大な三方の障壁画も見ることが出来たのは喜ばしいことだと思った。 
濃い金地に月に小桜、やや薄い金地に枝垂桜、広がる古木の銀の桜、いずれも土坡は明るい緑。桜に囲まれた空間に佇む快さ。

中島の散華五組がある。実物はしらないがこの原画はやや大きめ。
桜、散り椿、おもだか、青芥子、名の知らない花。明るい花々である。

壁面には写真も飾られている。高野山のあちこちに咲く植物たち。ガクアジサイ、石楠花、西洋アジサイなど。
参道、苔、面長の地蔵など。

高野山の四季の映像もいい。音楽が綺麗。
よい作りである。

少し古いものを見る。
狩野常信 寿老人と鶴の三幅対。左右に鶴、中の軸に寿老人と彼に懐く白鹿。

一休禅師の一行書、徳川慶喜の一行書など。どちらも雄渾な書。
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高松宮から奉納された漆芸品がある。
梨子地金銀御紋散御広蓋、文箱、唐草散の料紙箱など。

明治から大正の工芸品を観る。
文鎮 鍍金しているところへ緑青が吹いていた。
文様は松に鶴だから松喰い鶴だろう。
筆架 三匹の亀が遊ぶ形のもの。
鴛鴦文鍑 可愛い。 

久爾宮の遺愛品もある。
菩提子念珠 これは赤茶の木の実と水晶とのつなぎ。
津田長一の作。

水晶玉木彫台御棚飾 ものすごく細かい。白檀の扇子の丁寧な彫刻を思い出した。

絵をみる。
岸竹堂 東山全景図 ロングで捉えた東山一帯。近景には桜の並木らしきもの。東山三十六峰を背景に平安神宮の青竜殿。山はやや白いが比叡山だろうか。

写真を見る。
雪で白くなった道を傘を差して行くオレンジ色の袈裟の僧侶たち、滝、紅葉、別な雪道をゆく僧侶の手には書類封筒、雪で朱色を隠す根本中堂。
水に浸かり必死で耐える修行僧たち。一人は拍子木を持つ、ほかの20人が叫ぶように水に耐える。
イメージ (22)

写真は全て垂井俊憲。


新聞連載の原画を観る。
昭和九年の大阪朝日新聞で直木三十五原作「小説 弘法大師」が連載されたが、途中37回で直木が没し、論説委員の永井(釈)瓢斎が後を継いだ。挿絵は木村武山。
#1空海・弘法大師の肖像
#2破れた廊下の板やススキの庭
#3大仏前、開扉中。首から下が見える。
#4貴人乗馬、おつきは二人。
#5眠る女の夢に現れる雲に乗る仏と、光る赤ん坊。
回数なしで、大日如来の仏画を描く、長めの黒髪の佐伯真魚ちゃん。
#8少し大きくなった真魚が幹に仏を彫る。そばには石塔がある。

武山の挿絵を見るのはこれが初めて。そもそも武山に挿絵の仕事があったとは思いもしなかった。
たいへん優美であり、やはり彼の仕事に挿絵があったことは嬉しい。

武山 孔雀図襖絵 静かな孔雀図。これは非公開。左の上にはアゲハとオオゴマダラとが飛ぶ。
不思議にシュールな風景。
イメージ (33)

武山 大日如来像 紺地に金。上に二人の飛天、仏は半眼をあけている。蓮弁が散る。

武山 寒牡丹図 雪中に薄紅の花が咲く。笹とセキレイも仲間。


鉄斎の絵ややきものがある。
撥雲尋道図 濃い色の木の固まりにやられた。
南山宝刹図 自賛つき。昭和2年。


高屋肖哲 大師像 昭和三年。戊辰。そうか、辰年だ。あれからもう60年目の話か。幕末の戊辰戦争から。

高屋肖哲 白衣観音 月をバックにほっそり美人が立つ。手には大きな蓮。緑の眉に裾には霊芝のようなビラビラ柄。

薬師寺の吉祥天女の模写もある。

河口楽土 老梅図 南画らしい、なかなか迫力のある絵。

いいものを見せてもらいありがたく思った。

三月の東京ハイカイ録 3

ハイカイ最終日。
ホテルのバスで東京駅まで出て、いつものお気に入りロッカーに荷物を預けて、八王子駅へ。

知らなんだが、まあ乗り駅によるが、都営新宿線から京王八王子に行く予定を東京駅から八王子駅にしたら、当然運賃は上がるわね、しかし東京駅から新宿まで中央線にのり、そこから京王線で京王八王子に出るのが安かったのだ。
20分ばかりかかるが。

今度いっぺんそうしたろ、と思いましたよ。なんしか京王からはなかなか都営に行かない電車ばかり乗るのでなあ。

さて八王子駅までグッタリして駅からバスで東京富士美術館に。
浮世絵が目的だけど、定番ばかりならまあエエかなあと思ってたら、ラインアップ見たら滅多に見ない上方浮世絵がヨウケありますやん。しかも国芳も色々。
更に太田に行ったとき富士美術館のを見てきた人が受け付けさんにその感想を話してはる。
これがまたソソルソソル。
というわけでやって来ました東京富士美術館。

写真撮影可能な私立美術館。ありがとうございます。

機嫌よく見て回り、小雨の中、次は府中市美術館へ。

昨日から始まった「動物絵画の250年」前期。
相変わらす春の江戸絵画祭りは健在です♪
トラコーナー、わんこコーナー、四睡図コーナー、楽しい。さらにさらに勝手にタイトル付けという板橋区美術館の得意技をまねて、「リスのなる木」と「くんくん熊の子」この二点が特に良かったわ~
それから国芳の蛙の芝居絵。楽しすぎますがな。
また次回も期待。半券で半額やったかな。

図録は重いが購入しそこねると再販ないのだよ。

府中から神保町は遠い。
新幹線の時間に間に合わなんだらたいへん。ついにスマホで時間変更したが、手間取るのなんの。
やっとなんとかして一時間遅らせる。

三原順復活祭三月はアンジー特集。
自分の中で、綺麗な顔の基準がアンジーだとはっきりと自覚した。
いつまでも生き続けるはみだしっ子。
涙がにじんできた。
三原順がもういないのを改めて思いだし、叫びだしそうになった。


新幹線に乗り、美味しい駅弁を食べて、今月はこれでおしまい。

三月の東京ハイカイ録 2

金曜のハイカイ。

当初考えていたルートを逆行することにして、とりあえず上野に。
西洋美術館でグエルチーノ展みる。これが良かった。
バロックは見て見てわかって!な意図があるからちょっとした解説があればなんとなく理解出来るし大仰だから高揚感がある。後世の異教徒のわたしもドキドキするわけさ。

東博に。みちのくの仏像展再訪し、新しい発見があった。
前回同様、宝冠にゾウさんのいる吉祥天が両手を前に出して「まあまあ、ね、ね」と言うてはるようにしか見えず、ついついその前で最近の面白くないことを心の中で訴えた。
すると吉祥天が「まあまあ、ね、ね、そんなことに腹を立てないの、あなたの時間が勿体無いし、楽しむ気持ちが萎えたら残念でしょう、あんなのはあんなまま、無関係でいなくちゃ」などと応えてくれた気がした。
無論これは自分の中での対話だから本当にはそうは言わないかもしれない。しかし、宥められてゆく気がしたのは確かだ。
憤りは今まで全て抱えたままきたが、こうして宥められると、気持ちが楽になる。これまで全て自己完結してきたが、こういうこともあると知った。
やはり神仏は偉いものだ。
たとえ自己投影した答だとしても、これまで出したことのない答が来たのだから。

常設では前回も見た蘭亭序がいい。蕪村らのほのぼの系に和む。あとは国芳がカッコいい。

都美の新印象派展、あべのハルカスの巡回だが、全く違う。デパートと公立美術館の違いか、関西と関東の違いか。
しかし作品を楽しむにはよいかも。

東西の違いを実感したのは更に次の三井のデミタスコスモス展、これが先行の細見美術館とは全く違う展覧会だったね!
細見はコレクター夫妻の紹介やそれに伴うコレクション、というのが意識に残るが、三井は作品本位。コレクターの影は薄いな。ただ作品を楽しむのは三井。物語として楽しむのは細見。
この違いやな。

汐留ミュージアムでパスキンを見たが、イヤなものを見たな。日本の戯画はいいが欧州の戯画は品が悪すぎるがな。日本もそりゃあれかしらんがな。

最後に出光美術館で小杉放菴展、これが良かった。すごく気持ちが安寧な方向へ。
東洋の佳さへ画家が向かうのと同様に観客のわたしもそちらへ向かう。

三菱は諦め。東洋の快さでしめていたい。
金曜はここまで。


土曜日。朝も早くから横須賀美術館に向かう。黒人のオジサンとアイコンタクト。知らない人となごやかな挨拶。

海老原喜之助、前田昌良、朝井閑右衛門、谷内六郎らを堪能したな~たいへん良かった!わたしは海老原はやはりブルーカラーの頃が好きだ。

さてランチです。
今回は尾崎さんに教わった走水神社前の味美食堂に。美術館から徒歩数分。小さい食堂でアットホームで、美味しそうな海の幸が。
わたしはアジフライ定食とアジのお造り。くーっ美味しいですがな!アジがメチャメチャやらかいの♪
幸せですわ。隣の奥さんがタコも美味しいのよと言うてはりますわ。
ああ、また来よう!






店を出た途端、バスが走り去るのが見えましたわ。
わたし、意固地でしてな。
予定のバスはこのつぎのやが、23分も待てず、歩けるだけ歩いたれと。
風雨にヤラレ、道なき道を行き、やっと人の道に出たら横須賀の水源地やん。
明治のレンガもあります。





そうそう、走水神社は遠拝しました。わたしの好きなヤマトタケルノミコト、弟橘姫のお二柱が祭神。

ようやく路面店などが出てきた。何やら堺か宮崎かのようなフェニックス道路。
前から来るお兄さんに馬堀海岸駅の場所を尋ねたら、僕も歩いて来ましたとのことで、彼は今から観音崎に向かうところ。お互いにエールを送りあい。
ほんまによく歩き、やっとついた。バスより4分遅かったが、抜かされはしなかった。道が違うからね。
しかし危ない道を歩いたから、次はやめよう。

横浜に戻ってからはみなとみらい線の一日券で動く。
まずは元町・中華街から。
久しぶりに大仏次郎記念館。雑誌「苦楽」関係のが見たくてね。
よかったわ。
ここは梅のレリーフの壁面、梅の硝子かべなどや、椿の絵付けやきものを装飾に使用。

日本大通。ユーラシアで東海大学所蔵のエジプトロジー関連展示を見る。
知らなかったが、アブシンベル宮殿の移転の方法、フランス式は没、イタリア式はアメリカが止めて、スエーデン式になったとか。

さて慌て開港資料館に。女学生特集。ちょっとハナにつくが、面白かった。

馬車道の歴史博物館。
「陸に上がった海軍」たまらんなあ、この展覧会。
戦争は無駄遣いやなあ。
やだやだ。

近くのサモワールでくつろぐ。スコーン。紅茶をポット出するので、三杯めは濃すぎますなw


丁度な時間になり、日本大通の奥の大桟橋に。
タイミングよく在華坊さんらがステージに上がり、トークショー。なかなかw
さすが噺家やなというのがいくつか。歩き方とかね。

最後にそごうの円空と木喰。ダッシュで見たが、面白かった。今まで思ったことのないことを考えたなあ~

今日はここまで。

三月の東京ハイカイ録 1

三寒四温とはよく言うたもので、今日から三日間はやたらと寒い東京。
昨夜着いたときにはそない寒くもなかったが、それから三日寒いから、昨日は温い四日目だったのかもしれない。

さて今朝はまず五島美術館から。
いつものように細かい感想は後日。

中国陶磁器。所蔵品だから以前から馴染みのものが並ぶわけだが、それがまたいい。好きなものには再会出来るし、これまで大して関心が向かなかったものにも新しい目を向けもする。
こういうことがあるからこそ、所蔵品の展示をナイガシロにしたらアカンのです。
ああ、ええもんを見た。ありがとう。


次は浮世絵太田記念美術館で可愛い江戸の娘らを見る。幕末の可愛くておしゃれな娘たち。
英泉の少女の表情が特にいいのが多かったな。少女の価値を知りつくす傲慢な口許や、なんか楽しいことをしようという顔つきなどなど。
面白くて長居してもたわい。

恵比寿に。山種美術館では花鳥画を楽しむ。やっぱり松篁さんの作品は遠目からでもわかるわ。和やかな明るさがあるからかなあ。
御舟のにやり猫(笑うてへん)、くつろぎウサギの屏風もあり、豊かな牡丹や百花繚乱なのをたくさん見て、ご機嫌になりましたわ。
ああ、春を一足先に味わいました。

次は目黒。
権之助坂を降りて目黒区美術館に。
具体とか抽象はさっぱりわからんし、絵の具を盛り上げてるのを見たら、勿体無いなとおもったり。
藤田の手紙はいい。しかし翻訳がダメダメでしたなあ。あれはわざとかな。
紳士猫の絵もいい。
抽象絵画はいやだが、銅板画になるとたちまち魅力的な作品になる(!)のは何故なのだろうなあ。
秋岡芳夫、浜口陽三、駒井哲郎、長谷川潔、彼らの作品にときめく。


まっすぐ坂を登り、まっすぐ歩いて庭園美術館。
アールデコの館にはやはりそれにふさわしい作品が求められる。
古典主義の絵画は当時古くさいと思われたかもしらんが、今から見たら、却ってシュールな面白さに満ちてますな。やきもの、工芸品、絵画、何を見ても1920~30年代の魅力にあふれていた。
ポアレのイブニングドレス、クリスタルガラスの時計、セーブル窯の瓶。
素敵な世界だった。


銀座ノエビアギャラリーへ。茂田井武の展示を見る。前期と大して入れ換えがないものの、やはり見に来て良かった♪

牛乳売りの娘、キスリングのキキにも似た少女だった。若き茂田井のパリでのときめきは、藤田や堀内誠一のそれにも通じる。

最後は高島屋で高野山 祈りの美。
難波で見たが、やはり良かった。
チラシも入手したし、新聞広告も。

こっちは難波のポスターやが中身は一緒。

守屋多々志の襖絵が最高。山吹もわんこも桜も椿も。
また細かく書きます。

明日は明日でまたあっちこっちでっち。

薮内正幸 絵本原画展

2月末で終了したが、吹田市のメイシアターの展示室でどうぶつを描く画家・薮内正幸の展覧会に行った。
1週間ほどの期間だったが、わたしが行った最終日、ギャラリートークもあったためか、大変な人出だったそうだ。
イメージ (17)
名前は知らずとも、絵を見れば「あ!」となる人もとても多いと思う。
わたしは小学生の時この本から薮内を知った。

冒険者たち―ガンバと15ひきの仲間 (岩波少年文庫 (044))冒険者たち―ガンバと15ひきの仲間 (岩波少年文庫 (044))
(2000/06/16)
斎藤 惇夫


そう、ネズミの「ガンバの冒険」の原作。
これは岩波少年文庫版だが、わたしが持っているのは講談社文庫版。
人生で一番最初に買った文庫本だった。
基本的に原作至上主義だが、出崎統監督作品は原作以上の名作ばかりだと思っている。
しかしこの「冒険者たち」はアニメの後に読んだ原作だが、これはこれで素晴らしいと小さい頃から思っている。
原作の魅力の一つが薮内の挿絵の力なのは間違いない。
リアリズムな画風なのに妙に親しみがある。


ガンバとカワウソの冒険 (岩波少年文庫)ガンバとカワウソの冒険 (岩波少年文庫)
(2000/09/18)
斎藤 惇夫


こちらの続編もそう。
最初の挿絵はガンバが寝そべるところへ仲間が来るもの。
ちょっとした仕草になごむ。

薮内は大阪出身で、大阪市立工芸高校を出たあと東京にでた。

かなり初期の頃から絵の巧さが目立った。
小学校で描いたどうぶつ絵、観察眼の確かさ。すばらしい。
そして高1で自分で生態図鑑を拵えている。
鳥の嘴一つでも違いを丁寧に描きわける。


どうぶつのおやこ (福音館の幼児絵本)どうぶつのおやこ (福音館の幼児絵本)
(1966/11/01)
薮内 正幸




どうぶつのおかあさん (福音館の幼児絵本)どうぶつのおかあさん (福音館の幼児絵本)
(1981/10/20)
小森 厚



サントリーの仕事も良かった。
このシリーズは知らないが、かっこいい。
鳥類の絵をこんなに見たのは久しぶり。


鳥の観察図鑑―どこでなにをたべているのかな (絵本図鑑シリーズ)鳥の観察図鑑―どこでなにをたべているのかな (絵本図鑑シリーズ)
(1998/02)
国松 俊英




にわやこうえんにくるとり (福音館のかがくのほん―日本の野鳥 1)にわやこうえんにくるとり (福音館のかがくのほん―日本の野鳥 1)
(1973/10/01)
藪内 正幸



キツネがジャンプしてこちらに襲いかかってきそうな絵にシビレた。
かっこよいなんてもんではないわ。

イイズナというテンかイタチのような奴がいきなり鳥を襲うのも迫力があった。

いくらでも見る。
見飽きない。

今、薮内は別な宇宙にいる。もう新作は望めないが、いくらでも彼の作品に会うことはできる。
ここにあげた本は手に取りやすいものばかり。

息子さんらが美術館を運営している。山梨県。
関西からは遠いが、いつか行きたいと思っている。

正木孝之コレクション 特別展示「水墨画と漆芸」

正木美術館で水墨画と漆芸展をみた。
今回の展覧会は「正木孝之コレクション 特別展示」の第三部に当たり、全てに通いスタンプを集めたものには可愛いご褒美が出るのだった。
幸いにして、いただいたのですよ、わたし(自慢)。

ガラスの中の壁面に水墨画、床面に工芸品が並ぶ。

布袋図と根来手付湯注、布袋図と根来角切折敷、寒山拾得図と根来春日盆。
こんな風な取り合わせである。
おばさん二人組な寒山と拾得。にまにま布袋。使い込まれた根来塗り。

水牛図 以天宗清自画賛 室町時代 薄墨で松下にいる牛を描く。早雲寺開山の作品。
禅宗での牛。その存在の意味を思いながら観る。
とぼけた顔つきの牛…田口トモロオに似ているな。

根来鉢 果物などを持ったらしい。妙喜庵で使用されていたことが高台に記されている。

猿図 以天宗清自画賛 可愛いおさるさん。上を見る丸顔の猿。「月捉」ではなく単に月を観ているだけにもみえるし、やはり可愛さが先に立つ。

根来猫足付盥 手洗い具。立派な足で、こんな大きな猫足だと本体の猫のボディは7kgはありそうな、と勝手な妄想が湧いてくる。

寒山拾得図 蒲保 一体化した顔。ピカソの後期の絵と同じ前からと横からの視点を共有する。
二人は一人、という感覚がある。或る意味、これはとてもこの二人の本質を突いた作品のようにも思われた。

根来手力盆 これは先の「春日」盆が春日大社所蔵なのと同じで「手力雄」神社の什器。

この後も根来が並ぶ。大鉢や杓子などなど。
中で目を惹いたのは指樽。
なんと朱漆が非常にきれいに残っている。

根来は黒漆の上に朱漆をかけたものが使い込まれてゆく内に朱が剥落し、下の黒漆が露出したのが面白いと喜ばれている。
ある種のインスタレーション、また別な地点では退廃的でもあるような<美>を愛でるわけだが、これは作りたてのサラのような存在で、まあいうたら珍品になってしまった。
傷の美がないものの味気なさ、というものを初めて感じた。しかしそのことを面白くない、というのは言えないのだ。

食籠 密陀絵で蓋に唐草などが描かれ、再度には松喰鶴を思わせるものが。蒔絵も施されていた。

十稜螺鈿入酒盤 明代 内は朱塗り。縁には透かし。蓮、唐草などが所々に。綺麗。

松竹梅蒔絵香盆 観世水のような川に笹。室町時代の作だが、観世水は観世太夫の紋だから、当時最先端の文様なのだった。

扇面流八橋図蒔絵箪笥 この展示の中では珍しく江戸時代のもの。蓋の内側に扇面。抽斗には千鳥。それが三本。手元にほしいような小さな箪笥。

橋桜松蒔絵硯筥 なかなか大きめ。この橋なのだが、お菓子の固い方の八橋、あれそっくりなのが板橋として並んでいるかのよう。
生八橋もいいが、あの肉桂の強い・カリカリした固い八橋もとても美味しい。

秋萩蒔絵手筥 光悦 葦手で「秋」「萩」「の」などが見える。いかにも光悦のところの作品。萩の葉がいっぱい。いい感じ。

溌墨山水図が三点並ぶ。
溌墨とは「輪郭ではなく、注いだ墨をはくことで対象を描きだす手法」だと説明があった。

拙宗 この絵を手に入れた正木は研究者として「雪舟の若い頃の作品に違いない」と確信したとか。実際この絵が雪舟のだと確定された時には正木は没していたが、眼力の確かさを証明する作品。
山の姿は力強い筆致でやや大ざっぱに描き、建物や人物は小筆できりりと描く。
イメージ (16)
今回、この絵をモチーフにしたファイルなどをコンプリート賞としていただいたのでした。

周徳 夏珪様式で描かれている。水が勢いよくどっどっと岩から川へ。
空にはずっと遠くに雁の群れ。

周徳 こちらは(若芬)玉澗様式で描かれている。薄墨で煙るような、湿気の多い空間。小舟が小さくみえる。

室町時代の山水画を見ると、たまに「果心居士の話」を思い出す。

山水図 雲渓永恰 うっすら…遠くにシルエットのように浮かぶ。
李朝絵画の影響を受けているそうだ。

蓮図 雲渓永恰 白い花。院体画のような絵。白い葉もいい。

花鳥図屏風 右1の下に鷺2羽、葦の間にいる。上にはうっすらと山と木々が見える。雁たちが来襲する右3、右4下には丹頂鶴。右5の丹頂鶴は毛づくろい。水の流れは山の奥から。なんとなくほのぼのしている。

3/8まで。

初源への視線 樂家五代宗入と三代道入、四代一入、九代了入、十五代吉左衛門

既に終了したが、見ごたえのあった展覧会について少々挙げたい。
イメージ (35)
樂家五代宗入と三代道入、四代一入、九代了入、十五代吉左衛門、彼らを中心とした展示である。
そして「月」と彼らの作風などを絡めた解説を、当代がつけている。

イメージ (36)

長次郎 黒樂 銘・万代 ところどころ茶色い色が見える。それがまるで自然石のようで、面白い景色だと思った。

当代の言葉がある。
三代道入への頌である。
「道入標月 Moon Donyu’s Signalling Moon」
闇の彼方に沈殿する長次郎…
当代の言葉が胸に残る。

長次郎以来の樂に新たな地平を開いたノンコウ。
ノンコウに影響を与えた本阿弥光悦。
17歳の道入少年が58歳の光悦の膝下で修業をする。

道入 黒樂 銘・青山 加賀七種の一。白抜きが胴にあるが、ひよこまんじゅうが見返る姿のようで可愛くてならない。
(例によって好きなことしか書けないので、当代吉左衛門さんのかっこいい言葉に対し、申し訳ない)

一入 黒樂 銘・木下 明るい黒。チカチカキラキラ。初代に向かう前の、父の後追い時代のか。花火の残り尾のような白が見えた。

一入 黒樂 銘・残雪 見込みを包むような花が開いている。そんな風に思えた。外は黒く厚く、釉端に白い蛇蝎釉の流れが三つ。ムラムラと・・・口べりが薄くて綺麗。胴の白むら。まるでかさぶたのようにも見えるが、それがいい。

一入 赤樂筒茶碗 銘・青苔 全体は柿色で見込みに灰色の何かがある。

一入 黒樂 銘・嘉辰 黒地に朱がにじみ出している。底へ向かう厚み。

一入 赤樂筒茶碗 利休形茶碗。聚楽土に透明釉をかけている。聚楽土か・・・どんどん初源へ向かっている。

三代・四代の父子から少し時代が流れる。

了入探月Moon Ryonyu’s Searcing Moon
初代から二百年。
へらで削る、ということをする。

了入 黒樂 銘・巌 ざっくりしている。

了入 白樂筒茶碗 60歳の作。現代の60歳ではなく、江戸中期の60歳、還暦の人の作とは思えぬモダンさに満ちている。ヘラの削りの力強さ。いい、とてもいい。

了入 赤樂 古稀の作。更に十年後、至った境地はもう本当に自在。斜めにへらが入り続ける。上から見下ろせば茶碗は薔薇の形を見せていた。

ここで当代の作が現れる。
1994年 黒樂 銘・浣花渓 中をのぞくと白に朱が散る景色が見えた。ぽつんぽつん・・・

2004年 焼貫黒樂 モダン!はっ となった。とてもかっこいい。

時代を戻り、五代・宗入。
宗入慕月 Longing Moon 長次郎へ帰る。

宗入 赤樂みみづく香炉 珍しく香炉。みみづくというより狸。可愛い。

樂家では飴釉は茶碗以外に使うという決まりがあるそうで、これは金沢の大樋焼に伝わった。

宗入 一閑人赤樂箸置 井筒のぞきの暇そうなおっちゃん。△帽をかぶっている。

宗入 菊置上蛤香合 派手で可愛い。

宗入 黒樂 銘・比良暮雪 所々に釉の柄が牡丹雪にも見える。

宗入は雁金屋の出で樂家に養子入した。
元禄の頃に長次郎に帰る作風というのは、スゴいことだと思う。繚乱の元禄に質実剛健の昔へ・・・


いい展覧会だった。

お水取り

また今年もどきどきしながら東大寺のお水取りに出かけた。
1250年以上続く宗教行事だということはわかってはいるが、
「春を呼ぶ お水取り」
この言葉が染みついていて、ワクワクが止まらない。

本降りの中、奈良国立博物館で「お水取り」の展示を見、それから東大寺ミュージアムを横目に大仏殿への道を往き、手向山八幡宮から斜めに二月堂へ向かう。
6時前から歩き出したが何しろ雨がひどいので足元がいつも以上にわるい。

それでも傘を差しながらてくてくてくてく・・・
二月堂につきました。


雨というのはわたしにとっては幸いで、柵の中に入れたのですよ。そこから見上げる二月堂。
時折中での足音が聞こえてくる。

やがて七時になり境内の照明が落とされ、ごぉぉぉぉぉん・・・・・という鐘の音が。
回廊をゆっくりと上がるお松明。
一本目、上がりました。

駆けてゆくお松明!

火の粉が散る!

舞い散る火の粉、罪を祓う!

あああああ、杉の焼け焦げるいい匂いがする・・・

そして残影だけが目に残る。

お松明の終わった二月堂

しかし内部ではまだまだ行法が続いている。
練行衆の御無事を願い、下界へ帰る。

なお奈良国立博物館の特別展示「お水取り」については、大体毎年ほぼ同じものが登場するのだが、年に一度の再会は嬉しいもので、いい心持でこの奇瑞の発端を描いた絵巻や、使われていてる仏具などを拝んだ。
こちらは去年の感想

イメージ (15)
円内にはそれぞれ東大寺の名所がピックアップされている。上のは閼伽井か。

白黒の鵜が飛び出すあのシーンも出ている。
きれいな彩色で室町時代から大事にされている絵巻。

今回初めて見たのは江戸時代の「お水取り絵巻」。お松明があがる様子を描いているが、回廊をゆくお松明にあわせてきれいな若衆が何人もついているのが(もしかすると異時同時図??)楽しい。

過去帳を見る。やはり「青衣の女人」を探す。それから重源が続く。「造東大寺大勧進大和尚南無阿弥陀佛」だったか。

青衣の女人をモティーフにした舞踊劇「達陀」を思う。
先頃なくなった坂東三津五郎が堂童子として綺麗な踊りを見せて去ってゆく姿が思い浮かぶ。
ああ、悲しい・・・

荘厳さに満ちた声明が流れている。作りものの再現だとはいえ、その場にいさせてもらえたような気になる。
ありがたいことだ。

杉本健吉の「修二会画帖」が今年も出ている。
とても好きな画帖。墨絵。物語絵としても楽しめる。

こちらを見てから二月堂へ向かったのだった。
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