美術館・博物館・デパートでの展覧会を訪ね歩き、近代建築を見て周り、歌舞伎・映画・物語に溺れる日々の『遊びに行った日を記す』場所です。 

三原順復活祭 マックス特集

既に終了したが、6月14日まで会期延長になった三原順復活祭の掉尾を飾ったのがマックス特集だった。
わたしは連載当時から今に至るまで、ちょっとばかりマックスに対し、イライラするところがある。

マックスが目立つ表紙などが集まっていた。
マックスの凧揚げをつぶそうと狙う三人の絵はよく見かけた。
「そして門の鍵」二回目が掲載されている'78年8号がある。わたしはこのときから「花とゆめ」の読者になったのだ。

他の連載作品のタイトルを見るのも楽しい。
和田慎二「ピグマリオン」が連載二回目、デビュー前の谷地恵美子の受賞作「ココアはもうダメ」が掲載されている、神坂智子「パンと懐剣」、赤座ひではる「チリリン二人のり」がある。むろん「ガラスの仮面」もある。
懐かしいのが戸田のりえ「ぴとぴとぴっとん」。主人公の少女がつつましくて可愛くてね。
そのBFが芹沢光治良「人間の運命」に夢中になって近眼になった、というのが懐かしいエピソードでした。

様々なカラー絵をみる。
ブランコを蹴るサーニン、心配するグレアムなどなど。

別冊夏号の「ついに嫌われたMの大冒険」、懐かしい。このときはわたなべまさこ「百塔」が連載中。

カラー口絵を見る。
マックスがジオラマを造っているのだが、あとの三人が小さくなってその中にいる。造物主マックスと言ったところですな。

「レッツ・ダンス・オン」 青地にグレアムの後姿と三人。これは小さな臨界点に来てしまっていた四人がある種の<方法>で、それをなんとか乗り切る。
話の流れなどはやはり70年代という時代背景なくしては成立しない感じがある。

マックスはメルヘンチックな状況の中にいる絵が多いと思う。
温泉?に入るマックスに狼が石鹸をわたし、今にも頭に手を懸けようとしてたり、花を持って走ってたり、おでこを隠すようになった頃のマックスに兎さんが薔薇を渡そうとしてたりする。
それはマックスが<可愛い>という設定だからなのか。

わたしはやはりマックスがあんまり可愛くはない。
もっとしっかりしてほしい。
いや、彼は彼なりにしっかりしている。
ただグレアム・アンジ―・サーニンといるときのマックスを見ていると、依存度が高いなと思うのである。

「奴らが消えた夜」で一人になったマックスの行動を見ている間、何とか一刻も早くみんなと合流してほしい、と心の底から願い続けていた。
もう本当につらかった。
マックスが好きではないくせに、決して四人には離れてほしくないのだ。

だが、冷静になってマックスの行動を追いかけると、彼は単独で動くとき、もしくは仲間三人と離れているとき(たとえほんの数時間であっても)、意外なくらいにきちんとなんでもやれることに気付く。
道を間違えたことがあっても、それでもマックスはどうにかなる。
色々考えると、マックスもサーニンも連載終了時から30数年後の今日まで、生き延びていられるタイプなのだ。
心配なのはむしろグレアムとアンジ―の方なのだった。

他の作品が現れた。
82年「Die Energie」 電力会社はつぶれない、というセリフの頁が出ていた。
2011年以後にこの作品が再びクローズアップされたが、世に出た当時、わたしは社会性のない高校生で、意味が分からなかった。
それが2011年以降に読み返すと、理解でき、同時に寒気がした。
この作品はやはり今後も読まれ続けるべきだと思っている。

「X Day」 ダドリーが犬に例えて話をするところ、冬の緑と犬と、リクエストと。

「夕暮れの旅」 セルフ・マーダー・シリーズの1。これらの作品群をリアルタイムに読んでいたが、むしろ大人になってからの方が面白さをしっかりと味わえているように思う。

「あなたのための子守歌」予告カット。短編の面白さを改めてたたえたい。
「はみだしっ子」への愛が深すぎて再読できない状態になっていた時代(まだ今もなのだが)、「Sons」「ムーン・ライティング」のシリーズは別として、短編集「夢の中悪夢の中」はほぼ数か月に一度は再読し続けている。
あれは何もかもが面白い短編ばかりで構成されていて、非常に上質な作品集だと思う。


再びマックス。
「山の上に吹く風は」カラーがある。
グラデーションが美しい。マックスは少しずつ違っている。

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カット色々。
イースターエッグをお手玉するマックス、「窓のとおく」78.7号、2巻扉絵(いい表紙だったなあ)、「ボクもともだち」、カラーの海辺のスイカ割り、モノクロの浮き輪を持って歩くところなどなど。

「奴らが消えた夜」77.21号 カフェでフーちゃんたちからマックスの写真を見せられるアンジ―のシーンが出ていた。
わたしはこの頃「ハムレット」を読んではいたが、まだパロディ精神と言うのが本当には理解できていず、アンジ―の「獄門寺へ行け、オフィーリア」がきちんとわからなかった。

ここで三原順の遺品がある。「ムーミン谷のふしぎな旅」の洋書などである。
これまでの遺品を見続けていると、読んできた本よりも聞いていた音楽の方に、わたしは多くの共感を抱いていることに気付かされた。
三原順の作中に挙げられた本を探してよむことはよくしていたが、音楽は偶然にしても好きな曲が多かった。
今度映画化されるフランクル「夜と霧」も「はみだしっ子」にあったから、小学生のくせに読んでしまったのだ。

91年「ベンジャミンを追って」の4コマが紹介されている。占い師の正体明らかになるところである。騙されていたことを知った四人の表情の変化と暴力への移行が非常に巧く描かれている。
これは小説では表現できない。

「彼女に翼を」のにんまり笑う彼女。扉絵原画。非常に巧い構成。
「帽子物語」木の実のことに初めて気づいた。
この二つは特に好きな短編。

「夢の中悪夢の中」からは3ページ分。食事を作るところ、病院、ラストの子供への苛立ちと。
この作品は状況は違うのに自分のことだと思ったものだ。
再読するたびつらくなる。つらくなるが再読せずにはいられない。
彼女に安寧をあげたい、といつも思っている。

「ハッシャバイ」の表紙原画。羊たちの中に混ざるマックス。
79年のカレンダーも懐かしい。
チューブを出して絵を描く、キャンバスもないままに。

今回初めて刊行された「私のアベルへ」がある。
買って、読んで、初めてここで紹介されたシーンを理解する。

カラー「長い夜」、「奴ら」のカットなどなど。
前髪を垂らしたマックスの笑顔、窓に座る姿。
「階段の向こうには」 エイダにナイフを投げつけようとするアンジー。

いくら見ても見飽きることはない。

レッド・ツェッペリン「天国への階段」の三原順による訳詩があった。
この歌は20世紀最大の歌の一つだとわたしは思っている。
三原順の訳詩に言葉にならない激しい想いが湧きあがってくる。

「ビリーの森ジョディの樹」がある。非常にせつない。雨を描くシーンの巧さを知る。
海のシーン、コンポを聴くシーンなどなど、心に安寧が訪れようとする逸話が紹介されている。

「ブルーカラー」79.14号 マックスが嬉しそうにパムに抱き着き「ママ」と呼ぶシーン。これはもう当時も今も感想は変わらない。マックスがちょっと可哀想で、パムの気持ちもよくわかる。
だからこの後のアンジーとグレアムの言葉が誓いになるのが、当時も今もほっとする。

「山の上」77.7号 ニャオのことを想い、ジョイの死を思う。洞窟にいる四人。
わたしは雪山が好きではなく、スキーもスノボもニガテだが、たまに思うのが、「山の上に吹く風は」と無縁でいれば、もしかすると自分はもう少し雪山を好きになれたかもしれない、と言うことだった。

カラー絵を見る。
79年2月のカレンダーは羊たちに逆襲されて、セーターつくりにいそしむ四人。働け働け。これも絵ハガキになっている。

82年カレンダー サーニンがクークーに小鳥を渡すところ。左にマックスの大きな顔とイチゴと青い鳥さんが描かれている。

マックスが風邪ひき猫に薬を飲ませようとして困っているところ。これもハガキになっている。

79.8号「クリスマスローズ咲くころ」のあの四人スーツ姿の一枚。それぞれみんなかっこいい。とても綺麗な色だったことをしる。

「めざせモスクワ 金メダル」頑張る四人。サーニンはサッカーボールをけり、グレアムはバレー、アンジーは棒高跳び、マックスは走る。グレアムペンギンもいる。
しかしこの80年のモスクワ五輪はなあ…

他にもさまざまなカットなどがあり、観ていると三原順がいないことが本当のことだとは思えなくなってくる。
今も読み続けているからかもしれないが、後期の短編ものや「Sons」などはケータイやモバイルは使われないが、20年以上前の物語だとは到底思えない。

今回、「はみだしっ子」と「ラストピース」の文庫本を買いそろえた。
自分が持つ単行本は再読できそうにないので新しい気持ちで、と集めたが、まだ「はみだしっ子」の文庫本は開いていない。
もうそろそろ2か月になるというのに。

こうして展覧会の感想を書き終えた今、なんとか読まねばと思っている。
大人になったわたしが今度は四人を守ってみたいという気持ちがある。
原画をみることでだいぶ心も開けてきたのを感じている。
ありがとう、と言いたい。
三原順と、そしてこの展覧会を開催してくれた皆さんと、さらにすべてのファンの人たちにも。
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2015.6月に見た展覧会

20150604 「真田太平記」挿絵 風間完 台東区中央図書館
20150604 百貨店の時代 昭和初期の上野松坂屋 台東区中央図書館
20150604 樋口一葉が見た街並み~明治の東京風景~ 樋口一葉記念館
20150604 谷根千“寄り道”文学散歩 森鴎外記念館
20150604 開館リニューアル記念 たばこと塩の博物館
20150604 前島密 その生涯と業績 郵政博物館
20150605 速水御舟とその周辺―大正期日本画の俊英たち 世田谷美術館
20150605 渡辺豊重と平野甲賀/獅子文六「大番」挿絵 宮本三郎 世田谷美術館
20150605 近代日本画 五島美術館
20150605 江戸の悪 浮世絵太田記念美術館
20150605 マスク 東京都庭園美術館
20150605 ユトリロとヴァラドン 母と子の物語 損保ジャパン
20150606 ほっこり美術館 横須賀美術館
20150606 谷内六郎「田舎の子ども、都会の子ども」 横須賀美術館
20150606 日向薬師 金沢文庫
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20150606 異国の面影 — 横濱外国人居留地1895 — 横浜開港資料館
20150606 船ヲ解剖スル~谷井建三原画の世界 日本郵船歴史博物館
20150606 中世東国の茶  武家の都鎌倉における茶の文化 神奈川県立歴史博物館
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20150606 那波多目 功一展 清雅なる画境 横浜そごう
20150607 橘小夢 弥生美術館
20150607 夢二 詩と絵のおくりもの/ 弥生美術館
20150607 ヘレン・シャルフベック 魂のまなざし 藝大美術館
20150607 三井の文化と歴史 日本屈指の経営史料が語る三井の350年 三井記念美術館
20150607 東洋の美 出光美術館
20150611 神港ビルヂング 建築探訪
20150613 組むたのしみ 藤田美術館
20150613 ウェスティンコレクション 肉筆浮世絵 美の饗宴 大阪市立美術館
20150613 山水-中国書画 大阪市立美術館
20150613 経典 大阪市立美術館
20150613 遊楽と美人/四季を愛でる 大阪市立美術館
20150613 昔も今もこんぴらさん ハルカス
20150614 朝鮮のやきもの 高麗美術館
20150614 三輪晁勢 色彩の歓喜/挿絵「田之助紅」 堂本印象美術館
20150614 錦絵に見る茶の湯 後期 茶道資料館
20150614 市田ひろみコレクション民族衣装 /ほとけの衣装 龍谷ミュージアム
20150620 水にまつわる美術 大和文華館
20150620 江戸時代の書画とやきもの 寧楽美術館
20150620 杉浦非水と「日本一ノ画噺」 国際児童文学館
20150621 京都市考古資料館と本野精吾 建築探訪
20150621 静かなる美と物語 中信美術館
20150621 日本画開拓の時代 明治を生きた今日の画家 京都市学校歴史博物館
20150627 アドルフに告ぐ 手塚治虫記念館
20150627 正延正俊 西宮大谷美術館
20150627 今竹七郎 西宮大谷美術館
20150627 谷崎をめぐる五人の女 谷崎記念館
20150627 芦屋クロニクル 芦屋市立美術博物館
20150628 小さな茶道具の豊かなデザイン 湯木美術館

戦後70年に考える「アドルフに告ぐ ぼくは戦争の語り部になりたい」

手塚治虫記念館で今日まで 戦後70年に考える「アドルフに告ぐ ぼくは戦争の語り部になりたい」展が開催されている。
「アドルフに告ぐ」は手塚の晩年(!)の一大傑作であるのみならず、戦争の本質と人間とは何かを考えさせられる作品である。
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展覧会の紹介は以下の通り。
「アドルフに告ぐ」の連載は、1983年から始まりました。当時手塚は55歳。同じインタビューの中で「僕にとっては(戦争は)歴史じゃなく現実だった。戦争の語り部が年々減っていくので僕なりに漫画で伝えて、ケリをつけたかったんですよ。」とも語っています。
これまでも戦争に関するマンガを幾つか描いてきた手塚ですが、編集長から今回は「徹底的にシリアスな大河ドラマを」という求めに応じて、戦争を善悪ではなく体験者にしか描けない形而上的(※)なものと捉えて描き始めました。自らが語り部として戦争体験を描く――そこにかけた思いは相当強かったはずです。
宝塚で多感な時期を過ごした手塚ですが、戦争も宝塚で体験しました。自ら死の恐怖を目の当たりにした体験は、その後の作品世界の礎となりました。
今年は終戦から70年になります。今回の企画展は、終戦を迎えた8月15日が自らのマンガの原点だと語る手塚治虫の作品「アドルフに告ぐ」を通して、何を伝えたかったのかを探ります。また、戦争を描いた作品も幾つか紹介します。これらの作品から“語り部”として伝えたかった手塚の思いを受け取って下さい。」


わたしは「三つ目がとおる」「ブラックジャック」「シュマリ」「MW」からリアルタイムに読んでいた。
だが「アドルフに告ぐ」は週刊文春に連載されていたため、当時のわたしは読むことがなく、完結後に知った。
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ガラスケースにあるのは各国で刊行された本である。
文芸春秋社はマンガの出版をそれまでしたことがなく、どのようにしてよいか迷ったが、ハードカバーで刊行した。
その際には手塚の要望により横山明が表紙を担当している。
重厚な人物画が迫力ある筆致で描かれている。
わたしが所蔵するのはその次に刊行された普及版である。

作家本人でない人の、それもリアリスティックで重厚な絵が入ることで、いよいよ効果が高まることも少なくない。
大友克洋「気分はもう戦争」の表紙は高荷義之で、あの素晴らしさは忘れがたい。
この「アドルフに告ぐ」もその効果が活きた。
とはいえ諸外国語翻訳された本はそれぞれの事情や嗜好もあり、多様な表情を見せていた。
こうしたところからも作品の面白さをうかがい知ることが出来る。

手塚治虫の生原稿とピックアップされたコマの拡大ものなどが適宜展示され、観るものの理解をいよいよ深めてくれる。
手塚の言葉もこのように。
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わたしが行ったとき、まだ大学生のカップルがいて、彼氏の方は「アドルフに告ぐ」を途中までしか読んでいなかったようで、パレスチナの話が出て来た時、そのことに衝撃を受けていた。「凄い話だ!」と何度も何度も言うので彼女に叱られていたが、気持ちはよくわかる。

第二次大戦で戦争が終わったわけではなく、それからの70年、常に戦争がどこかで続いている。紛争、内乱、といった呼び方があろうと、所詮は戦争であることに変わりはない。
戦争が起こることで人は死に、大事な何かが壊され、未来への遺産が失われる。

手塚治虫は昭和三年の生まれの人で、自意識がはっきりしている年頃に戦争を体験させられた。
彼の作品には第二次大戦をモチーフにしたものが少なくない。
はるか未来、別な宇宙での戦いも手塚はよく描いていた。
それらは第二部に集められていた。

手塚治虫本人による「アドルフに告ぐ」執筆の<動機>が書かれた文章が挙げられていた。
「前略 なかでも全体主義が思想や言論を弾圧して、国家権力による暴力が正義としてまかり通っていたことを強調しました。」(「ぼくのマンガ人生」より)
日本人の特性の一つ「みんなやっている」のに乗り遅れてはいけない、非同調は許されない、という意識が国家権力の暴力を容認し甘受させてしまったのだ。
戦後70年、今ほどこの言葉をヒシヒシと感じる時代はほかにないのではないか。

作品は確かに徹頭徹尾シリアスな状況が描かれる。
だが、このようなシーンもある。
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こんなワグナー、いややなあw
展示に紹介されてはいないが、ところどころにほっと出来るシーンがあるので、この重い物語がスムーズに読み進める。

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じっくりと<読む>形で展示が続く。

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間近で見れることでホワイトの修正なども確認できる。

そういえば、外国語版の本の中、どこの国のかは忘れたが、日本語がすべてアルファベットに置き換えられているのだが、その文字が手塚自身の手書き文字によく似ているのがご愛嬌だった。

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物語終盤のモノローグ。
読む側にも深く問いかけてくる。
しかし何らかの答えは出せないままである。

何度読み返しても非常に読み応えのある、<面白い>作品である。
冒頭とラストシーンが同じ場だというのもいい。

現在、この物語は舞台化されて上演中だという。
今を戦前にさせないためにもこの物語は長く伝えなくてはならないと思っている。


第二部は手塚作品での戦争を集めていた。
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わたしは手塚自身の経験を描いた「紙の砦」を忘れることはできない。

場内の様子
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多くの人が「アドルフに告ぐ」を通じて、戦争で何が失われるか・何が壊れるか・何をもたらされるかを考えるようになれば、と思った。

なでしこ、蓮、船乗り込み

6/28はとても忙しい日だった。

午前5時から女子サッカー、なでしこvsオーストラリア戦があり、わたしはなんとか6時に起きて後半戦から応援した。
朝っぱらからほんと、ジリジリした。
終盤になってようやく岩渕さんのゴールで先制し、それを守り、勝利しましたな。
朝から喜んで叫んでおりましたよ。

そして気持ちいいのをそのままに、自転車に乗って近所の府立公園内の蓮の池を見に行った。
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思ったよりも咲いていた。
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蓮には近づけないが、睡蓮は親しく花を開く。
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睡蓮の池と蓮とはすみわけ。

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黒い蜻蛉も見かけた。
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いいものを見て気持ち良くなった後は挑戦する。
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滑り台ですがな~~

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ああ、眼が回るぜ…
横のタコさんの滑り台は古くからあったなあ。

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もう一つの池に行くと…
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民家集落に向かうがまだ開館せず。8時過ぎやもんなあ。
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またいつか行こう。

と、午前中多忙なのでした。



午後からは七月大歌舞伎の船乗り込み!
今回初めての見物。
高麗橋で待機し、後に平野橋へ。
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仁左衛門丈と目があい、わたし、逆上してドキドキしたよーーーーーっ
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本町橋まで歩いたわ。
もぉほんとくらくらした。

東横堀のそばの元の住友邸。外側綺麗にしたね。
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大阪商業創造館のビル。
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「フィッツカラルド」みたいなものですか


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綺麗なガクアジサイと朝顔。KIMG1730.jpg

ああ、素晴らしい一日でした。

奈良聖公会教会

丁度「ブラタモリ」に出てきたので、古いアルバムを引っ張り出して挙げることにする。
17年前の写真なので、撮影日が出ている。そう、普通のカメラで撮りました。

屋根。宮大工さんの建てた教会なので和の屋根に十字架。
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興福寺の寺域なので望めます。

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お庭に聖母子像。

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和の空間です。

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欄間とか。建具がいい。

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教会内部へ。

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他にもあるのだけど幼稚園も併設なのでやめます。
商店街を通る度、ちらっと見上げて去ってゆくのも楽しいよ。


なお、こちらはご近所さん。
上は何か忘れたが、下は南都銀行本館。
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羊の紋章イメージ (15)

表の様子イメージ (16)

メダイヨンの文様。
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洋館はアカンと言うたのは明治時代の奈良。日本初の景観論争。
いまはそんなこともないだろうけれど。

奈良はいいなあ。

日本画開拓の時代 明治を生きた 京の画家

京都市学校歴史博物館の「日本画開拓の時代 明治を生きた 京の画家」 展を見た。
うっかりしていて前期を行き損ね、後期しか見れなかった。惜しいことをした。
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なにしろ平安奠都1200年である。何が出てくるかというと、もう本当に百花繚乱。
こんなの初めて見ました、という作品も少なくはない。
都が移った後、廃都にはさせないぞと強い意志を持って様々な事業を起こしただけに、明治初期のアートシーンは面白いものが多い。

幸野楳嶺 女官図  旧幕時代とはまた異なるのがわかる。髪に飾るものが薔薇だったり、日の丸の旗に洋風の幕などに新時代を感じる。
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久保田米僊 因掲陀尊者図  なんだかもう暑苦しいのだけど、彩色が濃いのは袈裟くらいだけというのがこれまた面白い。サンダル脱いでくつろいでるな。
とはいえ羅漢の人はやっぱり暑苦しいのだよなあ。

久保田米僊 漢江渡頭春光・青石関門秋色  ↑同じ人が描いたと思えぬあっさりさ。
秋色と言いつつ、秋らしさは薄い。春霞の川。

久保田米僊  挿絵 明治時代の街の景観くらべ 江戸と明治の比較絵。繁華街、街道、乗り物等々。
こういうのが楽しい。
それにしても画風が違いすぎて面白い。

巨勢小石 印度寺院図  名前を見てまだこの派は続いていたのだと初めて知った。
そしてこの絵を見てびっくりした。実際にインドにはいってないからこれがインドの仏教寺院かどうかは知らないが、神戸の花隈にある「異国寺」の一部を思い出したのは確か。
壁面は幾面かの襞があり、そこに小さな菩薩像が延々と並ぶ。
なんだか凄い建物を見たように思う。更にすごいのはこの建物の前に鎮座する狛犬。
この狛犬は一体だけで、しかも建物に向かって坐っているのだ。
巻毛の狛犬さんが建物に向かって一頭だけで座る。なんだか凄いなあ…

望月玉泉 池畔驟雨図  長岡天満宮のところの池。鷺が二羽いる。
こんなの見たらやね、錦水亭に行って、贅沢にタケノコ食べたいやおまへんか。

森寛斎 龍虎図 ロンパリな目の虎とドヤ顔の龍。

山田文厚 八坂神社図 鳥居がある。山の上の一本の木も見える。そしてガス灯をつけた店がある。
いもぼうではない。しかしこんな雰囲気を見たら一も二もなく食べに行きたくなる。

野村文挙 永源寺図 秋。しかし今と違い、そないに混んでません。この時代の永源寺に行けたら、紅葉を楽しく眺めれるのだなあ。

田能村直入 嵐山春景 こちらもそう。混んでない嵐山。とはいえこれも理想図なのかもしれない。

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原在泉 月下狸図 これがとても可愛い。ぽてっと肥えててそれが野っ原に座りながら月を見上げ、「ほなそろそろ腹鼓なと打とか」と独り言言いそう。可愛いわ。

河田小龍 琵琶湖疎水図誌 おお、第一トンネルの扉かな、いいなあ。
この河田はジョン万次郎の取り調べをし、仲良くなり、著書もある人。そして晩年にこの琵琶湖疎水工事に立ち会ったのだ。だからこれはその当時のリアルなスケッチを元にした作品なのですね。

田村宗立 琵琶湖疎水工事図巻 こちらはまたリアルなスケッチもので、働く人々もいっぱい。
田村はこうしたリアルな風景とかドキュメントなどの作品がとてもいいと思う。

岸竹堂 夕顔猫之図(下絵) 世間でいう鉢割れ、わが家で言うゾロ顔の猫がえらそうに枝先へ降りてくるところ。
なかなかコワモテである。

伊藤快彦 「油絵師」として欄間飾りになる洋画を制作している。
「百合と果物」「桜」などはそう。
ここには出ていないが伊藤の仲間の初代尼崎市長の桜井忠剛なども欄間にと長方形の油絵をたくさん制作していた。
伊藤の作品が仏光寺にあるのを思えば、寺の欄間に使われていたのかもしれない。

鈴木松年 猿回し図 蒙古帽をかぶる猿回しの後ろ姿と、その先にいてちょっと困った顔の猿。

岸竹堂 豪猪図 くつろいで毛つくろい。足のあたりを噛む噛む。

幸野楳嶺 筍掘図 後ろ姿。鍬を担いでいる。籠には四本ばかりの筍。ああ、おいしそうーーー

明治28年の「京華要誌」これがすばらしい。印刷物なんだが、本当に楽しい。きれいだし。
京都の様々な名所の他に番外として名古屋なども入っていたりする。
大勢の画家の協力のもと、素晴らしい作品になっている。
ひとつひとつ挙げられないが、ほんとうによかった。
複写かな、階段に展示されている。

明治初頭の日本画の面白さを堪能した。

松園と華麗なる女性画家たち

既に終了したが、記録と記憶をぜひとも残したい展覧会を見た。
山種美術館「松園と華麗なる女性画家たち」展。
随分前に見て何故こんな時期にしか挙げられないのか、反省するばかりである。

松園さんは今年が生誕140年にあたる。
松園さんの作品は山種美術館のものが並べられ、ご近所の実践女子学園香雪記念資料館からは明治の女性画家の作品が来ていた。
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松園さんも時代により画風が少しずつ違っている。それを想いながら眺め、やはり松園さんはいいなと改めて実感する。

野口小蘋の作品がたくさん出ていた。
これが実践女子学園香雪記念資料館のお宝の一つなのだった。
丁度同時期に埼玉近代美術館でも見ている。
他に見たのは関西大学コレクションなどなどで。
彼女は皇室との関係が深く、昭和3年の昭和のご大典の折には、御所のための悠基主基地方屏風の作画を担当した。竹内栖鳳がこのように記している。
「今尾景年翁が豊楽殿の千歳の松を、野口小蘋が悠基地方を描いた」

旧幕時代から大正初期までの最晩年の作品が並んでいた。
いずれも温和な色調の山水画などで、このうちの「箱根真景図」は三年前にここで見た。宮内庁からの発注で竹田宮の旧蔵品。
文久三年の「上巳雛祭図」がよかった。三段雛で衛士三人に二人の官女、そしてお内裏様は不在でお雛様のみの図。
この前年、和宮の降嫁があった。そのこととこの絵との関連を少しばかり考える。

今回は本当に女性画家が多く、男性画家は7人で一枚ずつ。
「帝室技芸員に任命された男性画家たち」として山種にある名品が並ぶが、珍しく黒田清輝の洋画も出ていた。
湘南の海水浴 1908 思えば海水浴の始まりも明治以降。場所も開発され始めたのはこの頃か。

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実践女子学園香雪記念資料館の名品を見る。
南画をよくした女性画家二人の作品がある。
奥原晴湖と河邉青蘭。豪快な晴湖と楽しそうな青蘭と。
どちらもいい作品が多い。
ただ、わたしとしてはもっと俗なのが好きなので、あまり近づくことはない。

伊藤小坡 鶴ケ岡の静 烏帽子なしで松に藤の絡むのを背後に静が立つ。

小坡 花下遊宴之図 幔幕の向こうからも現れる楽しそうな女たち。女だけの宴。

池田蕉園 春流 なかなかこの人の絵を見る機会もないので嬉しい。小舟に乗る娘のもとへ花びらがはらはらと。
「少女の友」にも随筆を書いていたようだ。

九条武子 紅葉狩 大正三大美人だったか、大谷光瑞の妹で、歌人としても名高い。絵は松園さんの弟子筋。駕籠の女はちょっともっちゃりしている。ご本人の方が美人。

島成園 夕涼 手すりにもたれる暑そうな芸妓。彼女の絵は時々大阪で見ることがあるが、関東ではまずないので、たいへん珍しく思った。もっと知られて欲しい画家。

木谷千種 夢の通路 この人は大阪で画塾を営み、大阪の婦人たちを多く指導した。
池田で展覧会があったが、本来ならもっともっと顕彰されてしかるべき人。
絵は近松の「大経師」のおさんを描く。元禄の女。眉を落とした女の美しさ。そのちょっとした仕草を捉える。

千種 鶯 夫の蓬吟の賛「かつらぎの鶯…」からか。

生田花朝 遣唐使 師匠の菅楯彦の画風を継いでいると感じるのは、こうした歴史画や風俗画を見たとき。
船がゆく。船内での食事はなかなか贅沢そうなごちそう。楽しそうでいいなあ。

簡単に挙げたが、今あまり展覧会のない画家たちの作品を見ると本当に嬉しくなる。
いいものを見せてもらってありがとうございました。

ヘレン・シャルフベック 魂のまなざし

フィンランドを代表するヘレン・シャルフベックという画家を、展覧会で初めて知った。
何も知らなさすぎたわたしだが、遅すぎることはなかった。
展覧会で彼女の作品を目の当たりにし、静かな感銘をうけ、もう忘れることはなくなったからである。
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東京藝大美術館で開催中の彼女の回顧展には大勢のお客さんが訪れていた。
ここの美術館は動線にちょっとニガテなものを感じるので、良いものを見ても気分がそがれるのではないか、と思った。
だが、決してそんなことはなかった。
むしろ彼女の絵の変遷の軌跡を追うにはこの動線がよかったようにも思えた。

ヘレンの人となり、人生などが紹介されている。
3歳で事故により片方の足が不自由になるが、絵の才能を見出され、パリ留学を果たす。
本国へ帰還後は素描学校で教鞭をとるがやがて退き、ヘルシンキ近郊の町で母の介護を続けながら自身のスタイルを展開し、そして…

作品を見る。
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静物 1877 オストロボスニア美術館  髑髏の半分がある。口元まで。「死んだ自然」か。それとも「メメント・モリ」なのか、それとも宗教画の流れからのものなのか。

雪の中の負傷兵 1880  フィンランド国立アテネウム美術館  薄目を開けて長く伸びている。銃剣もそのまま。クールベ「射抜かれた鹿」のようだ。非情なものがある。
この絵で奨学金も出てパリへ行けたのだ。

鉢を持つ少女(ブルターニュの少女) 1881 ヘルシンキ美術館   
妹に食事を与える少年 1881フィンランド国立アテネウム美術館
どちらも貧しい子供を描いているが、それでもどこか悲惨さだけでない、何かしら温かなものがある。

炭焼き職人 1882 ヘルシンキ美術館  白樺林の中で一休み。籠には水が。髯男。
緯度が高い地域の白樺林には、どこかせつなさがある。
アンジェイ・ワイダ「白樺の林」は森林監視員の物語だが、あの林のイメージがここにもある。
スイスのホドラーの樵が切っていたのは何の木だったか。
日本の炭焼きは深い山の中にいたが、ここは平地でも…

洗濯干し 1883 フィンランド国立アテネウム美術館寄託  緑の野の上にシーツを広げている…絵としてはいい色合いなのだが、どうしても「汚れるで」と思ってしまう。

少女の頭部 1886  フィンランド国立アテネウム美術館  美少女だと思う。オカッパの少女がこげ茶の首の詰まったセーターか何かを着た半身像。賢そうな目元口元。
ヘレン・シャルフベックの初期を代表する美人だと思う。

なにもヘレン・シャルフベックが美人画を描く人であるという区分はない。そもそも西洋画では明確な「美人画家」という分野に属する人がいない。
だが、それでも画家の描く人物画に深く打たれるのは事実だ。
その意味ではこの少女はヘレン・シャルフベックの前半生を代表する美人画だと言える。

母と子 1886 フィンランド国立アテネウム美術館  朝の光が入る室内で、シミーズ姿の幼児の肩をしっかりと掴み、じっとみつめる母親。
優しい空気が活きている。

シュヴェリーン公ヴィルヘルムの死 1886 トゥルク美術館  小屋にあわてて遺体を担ぎこんで、急ごしらえの藁ベッドに横たえる。数人の将兵がいる。奥の空間にはここの住人らしき女が何やらもそもそと動いている。
これを見たとき、泉屋博古館の所蔵するジャン=ポール・ローランス「マルソー将軍の遺体の前のオーストリアの参謀たち」を思い出した。

快復期 1888 フィンランド国立アテネウム美術館  この絵こそがフィンランドの「国宝」に当たる作品らしい。セント・アイヴスの幼女。
実生活では丁度彼女自身の失恋の立ち直り時期に描かれたものらしい。
そう知ると、上村松園さんの「焔」が脳裏に浮かぶのだが、こちらは幼女に仮託された姿。
字は展覧会の表記に合わせた。

セント・アイヴスから来た少女(赤毛の人) 1890  ヘルシンキ美術館  にっこり笑う。バラ色の頬。髪はやや茶色がかっている。

堅信式の前 1891 フィンランド国立アテネウム美術館  真面目な娘さんである。きちんと白い服に身を包み、聖書を読んでいる。緑の中で。
堅信礼がいかに大事かは実際のところは分かっていないのだが、重要な行事なのである。
同じ北欧のアンデルセン「赤い靴」でも少女カーレンは教会には白い服に黒い靴で行くべきなのに赤い靴を履いて出かけ、その赤い靴に魅入られて、とうとう神からの強い罰を受ける。
描かれた少女は真面目に白服を着て黒靴を履いて教会へ出かけるだろう。

フィンランドには泰西名画の名品がなかったそうだ。
それでヘレンは古画のうちでも名品と謳われる作品を、フィンランドの人々のために模写した。それらが数点か並ぶ。
彼女自身の勉強にもなり、国益にもなり、まことに結構なことだと思う。
また、たいへんうまいと思った。

中でも特によかったのはこちら。
王女マルガリータ・テレサの肖像(ベラスケスによる) 1894フィンランド国立アテネウム美術館  ああ、森村泰昌もこの姫君に扮していたなあ。

鎧を着た少年 1894 メリタ芸術財団  こちらはバーン=ジョーンズの作品を見て衝撃を受け、そこで二次創作的に、イタリアの少年にラファエル前派風な甲冑を着せたのだった。
ちょっとドキドキしたよ。

断片 1904 ユレンベリ美術館  「シャヴァンヌの影響」確かに感じる。神秘的な風情がいい。目を閉じた少女の横顔。剥落したフレスコ画のようだ。

お針子(働く女性) 1905 フィンランド国立アテネウム美術館  こちらは「ホイッスラーの『母の肖像』をお手本」にしたものだそうだ。

見かけた人々をモデルにする。

サーカスの少女 1916 フィンランド国立アテネウム美術館  ローランサン風な色彩と構成。ただやたらと唇が赤く大きいのが目を引く。

カリフォルニアから来た少女 I 1919 フィンランド国立アテネウム美術館  かっこよく卵型の輪郭に目鼻がのるが、眼を閉じている。

ロマの女 1919 フィンランド国立アテネウム美術館  親切にしてくれていたロイターへの失恋、そのときに描かれたそうだ。
泣く女。本人の代わりに泣いているのか。

ソンヤ・グレボウ 1897 トゥルク美術館  テーブルに肘をつき顎を載せて…なんとなく楽しそう。

黒い背景の自画像 1915 フィンランド国立アテネウム美術館  初期の頃の画風とは大きく変化している。
そしてこの黒を背景にした肖像画のかっこよさは大きい。頬の少しばかりのバラ色、非常に綺麗な口紅の色、眼鼻のシンプルさ。
たいへん魅力的。
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このあともたいへんかっこいい女性像が続く。
ナンナ 1919 トゥルク美術館
ドーラ(ドーラ・エストランデル)1922
アップル・ガール 1928ディドリクセン美術館
ダーク・レディー 1929 ユレンベリ美術館
みんなそれぞれ本当にカッコいい。時代も丁度1920年代。全世界で同時にカッコいい女性たちが出現している。
そして極めつけがこちら。
諸島から来た女性 1929フィンランド国立アテネウム美術館  薄いピンクとグレーと背後の黒という配色はローランサン張りだが、この顔つき、本当にカッコいい。この時代のベストだな。
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晩年になってから画商らのすすめもあり、若い頃の作品に基づいた新作を生み出すようになる。セルフ・カヴァー。何も丸侭の写しではなく、旧作の再解釈という新しい試みなのだった。

慈悲の聖母(エル・グレコによる) 1941  フィンランド国立アテネウム美術館  その当時の美少女三人組になっている。カッコいい。

自画像が並ぶ。
このあたりはもう彼女も老境に入っている。
抽象表現が自画像にもつかわれ、リアリズムから離れだしたことで却って、人間の老いというものがはっきりと表現されているように思う。

だが、せつない。
カタチが判然としない顔、色彩も現実から乖離する。
そんな抽象表現であるにもかかわらず、老いは老いとしてはっきりと伝わる。
しかも穏やかな老いの表現ではなく、無声映画時代の「ノスフェラトゥ」や、安彦良和が古代社会を舞台にして描く作中に現れるモノノケ、それに通じるある種のおぞましさが見える。
そしてそれがせつない。

最後に現れた作品を観る。
黒いりんごのある静物 1944 ディドリクセン美術館  傷んだリンゴなのである。他の果物はおそらくイキイキししているのに。
この冷徹な目におびえた。

この展覧会で、抽象表現というものがリアルな表現の後にこそ現れた、進化した表現だと言うことを感じた。
彼女の前半生の作品よりも、後半生の抽象表現の進んだ作品の方に、多く惹かれた。
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いい展覧会だった。いつかまた彼女の世界を訪ねたい。
7/26まで。

日本の妖美 橘小夢

弥生美術館で橘小夢展が開かれるのは1993年以来のことだった。
22年前、既に会員になっていたわたしは作品を前に言葉を失くし、あの妖艶にして絢爛な世界をただただみつめるばかりだった。
あの世界観に魅入られてしまったのだ。
その後も当時の衝撃を長く心の底に残して、多様な美を味わうために彷徨い続けた。
そして22年後の今、小夢の肉筆画を中心とした回顧展を見に行き、この長い歳月の間、彼以上に妖艶で、ある種のうすら寒さを感じさせる絵を描く作家を他に知らないことを知った。
ポーの挿絵画家として名高いハリー・クラーク、何を描いても官能的な美を露わにする石原豪人、彼らとはまた異なる不可解な魅力を放つ小夢の世界。
悪夢と言ってもいい。その悪夢に今度も溺れたのだ。

それから決して忘れてはならぬ展覧会がある。
丁度2年前、弥生美術館で「魔性の女」展が開催された。
小夢の絵がかなりのウェイトを占めた展覧会である。
そのときもわたしは会期末までなんの感想も書けないままだった。
今回もその悪例に倣ってしまった。
書きたいのに書けない。これはやはり小夢の蠱惑的な美に絡み取られ、外界へ出られなくなっていたせいだと思う。
会期末になり、ようやくわたしはこの絢爛たる悪夢の世界からなんとか離れ、少しばかり外の風に吹かれることが出来たのかもしれない。

なお2年前の「魔性の女」の感想はこちら
長くなりすぎたので二つに分けた。
その一とその二である。小夢作品だけを集めたのがその一。

今回はその2013年の感想を上書きするのは止めて、その時に見なかった作品についてあれこれ感想を挙げたいと思う。
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玉藻の前 五点の連作があった。
前回の「魔性の女」展のチラシの絵の他のものもある。
くつろぐ狐。秋野の中で狐面を傾ける女。春、屏風の前で耳盥に浮かぶ顔と覗く胸元。
秋、殺生石と芒と女と。
唐天竺と暴れた金毛九尾の妖狐もとうとう日本で石に封じ込められてしまった…
最後の秋の景色は、女に化身したのが石に封じられているとはいえ、在りし日の姿が現れたと解釈してもよさそう。その女がせつなく石を見遣る姿がいい。

吉祥天にとりすがる男を描く。僧の喉に金色の斑紋がいくつか浮かぶ。これは経年劣化の紙魚なのか、男の法悦の標なのかはわからない。
吉祥天の唇に浮かぶ微笑みも、慈愛なのか、ある種の傲慢さからくるものなのか。
いくらでも解釈が成り立つ、謎めいた妖艶さがある。

蝶々夫人の極彩色の連作がある。藤の下での爛漫な娘、つつじも咲いて明るいある日。
鈴木が赤ん坊を抱っこしている。蝶々夫人も鈴木も綺麗な色の着物を身に着けていた。
だが、破滅が間もなくやってくる…

モノクロの闇と極彩色の地獄と。小夢の作品は恐ろしいものが多い、とても…
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苅萱道心の本妻と愛妾の本音が現れた絵が二枚並ぶ。
わたしが持つ絵葉書とは違うもの。
太い蛇の戦いと細い蛇のもつれあいと。
少しの違いで随分と印象が変わる。

この苅萱道心の物語ほど不条理なものはない。五大説経のうちでもいちばん救いのない話ではなかろうか。しかもいつの時代にもこの物語は起こりうるような内容なのだ。
わたしはいつもこの物語に憤りつつ、涙をこぼしてしまうのだ。

破戒僧の絵がある。彼に何があったかはわからない。どのような女との情交により身の破滅が来たのかも知らない。しかしもう彼は宗門の外に追いやられてしまった。二度と戻れない。

アモールと人魚の間に何かしら関係が持たれることになるとは、この絵を見るまでは思いもしなかった。「海の幻想」というタイトルがついている。
夜の海での邂逅。

旅姿 野道で女がべったりと座る。笠を放り出して。お夏にも深雪にも見える。どちらなのかもわからない。だが、許されない旅に出ていることは確かだと思う。

今回、初めて見たのが「梅若丸」の連作。
比叡山で自分の住まうのとは別な僧坊の僧兵たちに襲われ、山中をさまよった後に大津へ出る梅若丸。(人買いと出会う)
辛い旅路の中で。(海辺を行く二人)
ここまでがペン画でここからはカラー。
川も丘も越える。病に倒れ、伏せる素肌。(梅若の死)
狂女となった母の出現。隅田川。そして月下に柳、嘆きの母。
2008年に梅若丸の展覧会を見たが、そこでは梅若丸よりもその前日譚である母の花子の物語に惹かれた。
母も子も悲惨な旅の果ての死を遂げる。その哀しみをこそ日本人は愛したのだ。

極彩色の原画をみる。
大友若菜姫出現。蜘蛛の背に立ち、巻物を開く。黄金の吹輪をつけている。 

艶笑 灯下に微笑む女。手が透けている。人ではない女。「蛇性の婬」の真名児ではないか、と解説にある。なるほどわたしもそう思う。
さまざまな「男に執着する女たち」のうち、この「真名児」と、瞿佑の「牡丹燈記」の「淑芳」の二人がいちばん怖い…
男に復讐するために執着する女も怖いが、それはこの二人よりはまだ共感できる。
真名児は嫣然と微笑みながら自分から逃れようとした男をなじる。怒るのではなく、なじるのである。そして許す。許すからこちらへいらっしゃい、と男に有無を言わせず引き寄せようとするのである。
この絵の女はもう正体がばれた後のようだが、それでもこうして微笑み、豊雄を引き寄せようとするのだ。

オウスノミコト いまだ「ヤマトタケル」の名を得る前の、熊襲兄弟を襲撃する直前の様子。やや鼻が長すぎるが綺麗な顔をしている。女装したまま兄弟を殺そうと支度している。
熊襲は裕福で、リンゴも置かれていた。

草薙の剣  こちらもヤマトタケルの説話である。焼津で絶体絶命のところ。横顔が綺麗。

そして今回のチラシとなった花魁。艶麗な花魁の色香に立ちくらみしそうになる。

水妖 これは人魚の絵。大正から昭和初期には、可憐なアンデルセン「人魚姫」よりも、むしろファム・ファタールとしての人魚の方が多かったろう。

山の神 これは小夢の地元秋田で実際に信仰されている絵。なんでも祭のために描かれた作品だという。切株に立ち、斧を持つ女神である。
他の絵とはまた全く雰囲気が違う。
ある種の堅苦しさがある。木彫彩色の人形を見るかのような趣がある。
これをみて思い出すのが牧島如鳩の大漁祈願の「魚籃観音像」。謎の女神の凄まじい迫力が忘れられない。
絵柄は全く違うのだが、他に比類なき絵師、という意味ではこの二人は共通する。

夢枕 源氏香の文様入り枕に凭れる婦人。「幻」を手元に持つ。元禄頃の婦人か。

小夢のお孫さんは橘明さんとおっしゃる人形作家である。
ツイッターでフォローしてくださり、そこから作品を画面を通じて見知るようになった。
画像だけしか見なかったものがそこにある。ガラス越しにとはいえ、本物を目の当たりに出来たのだ。
妖艶な少女の人形だった。

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巷説に名高い「吉田御殿」をモティーフにしたものがあった。
足元に衰弱死、あるいは殺された若い男たちの死骸が転がっている。

「女学世界」でもコマ絵の仕事などをしている。
美女がにんまり、蝙蝠、街灯に蝶々などなど。

岡本綺堂の挿絵や装幀もしていたのか、「鳥辺山心中」「半七捕物帳」もある。
吉井勇「髑髏尼」なども。納得する。

圓朝の「牡丹燈篭」の連作があった。
裸の男が蛇に巻きつかれている、蚊帳の外から来る女、女の懇願に苦しむ男、とうとう自らの手でお札を外す男…
男が自ら破滅を選び、女と共に地獄へ落ちようとするのは小夢のオリジナル。

醒めた意識を保ちながら地獄へ落ちてゆく女や男を描く小夢の力業。

矢田挿雲「江戸から東京へ」の挿絵が並ぶが、これは一話完結の連載読み物で、様々なシーンを絵にしているのだが、中には依頼されたわけではなく自主的に自分の楽しみのために描いた作品もあった。
置いてけ堀、薄雲太夫、お吉とコン四郎、永代橋の落下、百人斬り、花井お梅…
いずれも妖艶なものばかり。

物語絵も少なくない。
高野聖、押絵と旅する男、鏡地獄などなど。
白と黒の凄まじく華麗な鬩ぎあいがそこにある。

日本画の構想図として、完全作の小さいものが並ぶ。
紫式部が妄語を多く描いた罪、ガラシャ昇天、老人な清玄と可憐な白菊、地獄太夫などなど。

殺生関白行状記、斬られ牡丹、矢田の「田之助」ものの挿絵もある。
「田之助」の挿絵は他の作品よりもあっさりしているが、それだけに物語の凄艶さを逆に引き立てている。
芸者千代吉の苦悩を中心とした表現が続く。

他に謎の挿絵もたくさん集まっていた。物語がどんなものかわからぬにしろ、小夢の蠱惑的な世界が広がり、眼を離せなくなった。

役者絵もある。もしほ(後の17代中村勘三郎)、水之江滝子などである。名取春仙にも共通する色香がある。
日本画は多少清方を思わせるところもある。「時代の絵」だというべきかもしれない。
湯沢では日本画は頒布もされて、それで今も絵が多く残っているそう。

同時代の挿絵画家の紹介があるが、小夢の画風に合わせたチョイスだと思った。
河野通勢「項羽と劉邦」、水島爾保布「人魚の嘆き」、小村雪岱「おせん」、岩田専太郎「蛇姫様」。
艶めかしい、魅力的な作品が集められていた。

小夢の作品にはシャープなものはない。しかしそれは悪いことではない。
それが彼の個性なのだから。
前時代の闇。そんなものが絵にはある。そしてそこに強く惹かれるのだ。
水島爾保布、雪岱ともまた異なる妖艶さはそこに根差している。

深い陶酔が続く鑑賞となった。舐めるように凝視し、味わい続けた。
6/28まで。

那波多目功一 清雅なる画境

那波多目功一の展覧会が横浜そごうで開催された。
6/21で終了したが、確実な写生に基づきつつも、幻想的な美しさを追求した数々の作品に溺れた。
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随分以前から那波多目功一の名を知っていたし、作品も時折見ていたが、これだけの数をいちどきに見るのは初めてだった。
彼が松尾敏男の弟子だということは知っていたが、お父さんも日本画家だとは今回初めて知った。
展示のところどころに那波多目さんの言葉が入り、それがたいへん興味深い内容ばかりだった。現在81歳の那波多目さんはまだまだ現役作家であり、功成り名遂げた今も新しい地平を目指しておられる。

ところで先に那波多目さんの道のりが非常に興味深いものなのだが、それをわたしが書いたりすると、それだけでいっぱいになってしまうので、こちらをご覧ください。
画家本人の言葉があります。

長らく企業家としても活躍してこられ、職業画家になるつもりもなかったのが、大きな賞を得て、師事した松尾敏男の強い押しもあり、とうとうプロになった…
凄い道のりだと思う。好きでなったわけではない、というのが本当にびっくり。

絵を楽しむ。
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松山 16歳で入賞したときの作品。山中の濃い緑を写し取る。
父を連れて人目のない山に入り、「次あれ、次これ、次あれ」と父に指示し、好きなように描いた作品。
気に入らないところは大胆にも雑巾で洗って上塗りしたとか。
話を知らずとも、一目見たところ、大きな気持ちになる絵だと思う。

秋影 これは17歳の入賞作。「松山」と同じ場所での写生から。秋色の池。

お父さん、息子により辱を雪がれたのは嬉しかろうが、複雑だったでしょうなあ。
しかも本人は実は日本画より洋画に興味があったとか…。

凸版印刷に就職し、技術を得て21歳で退職して、高校を出たばかりの弟と会社を設立した。
ただ、父から「絵を描くと生活にゆとりが、心が豊かになるよ」と勧められたので続けはしたという。
やがて松尾敏男に支持することになり、その言を容れて毎年出品は続けたそうだ。
40歳の時に仕事多忙で、布団に寝もったまま描いた絵があるが、これがまた洋画風で。
1973年という時代も実感させられる。

鹿の絵がある。「寂光」というタイトルが何の意図でつけられたかはわからない。
これは画家の言葉によると「意図せず剥落した」ものらしい。それが結局魅力になった。計算されつくした変化もいいが、こうした意図せぬ変化による喜びも楽しい。

昭和40-50年代の作品は時代性も関与してか、グロテスクなところを見せるものが少なくなかった。
よいのはやはり昭和の末頃からだと思う。
その頃には師匠の松尾敏男さんから「やさしい絵を」描くことを助言されている。
松尾さんの絵はいずれも優しい中に凛としたものがある。わたしは松尾さんの絵を使ったカレンダーが大好きで、今も残している。
こちらは松尾さんの牡丹。イメージ (74)

やがて絵の題材に白牡丹が選ばれるようになる。
それが深い観察による写実に近い描写で、故に幻想的な風をまとう作品となっていった。

廃園 1983 島根県の牡丹の名所・大根島に行ったものの好ましい花がない。
それでふと足を向けた廃園に牡丹が咲くのを見出し、それを描く画家。
生と死とが絡み合うのを感じさせる感性がある。

あるのも当然だった。
駅で自殺者を目の当たりにしている。
とても怖い話だ…

やがて大賞を取ったことで本腰を入れざるを得なくなる。
会社は奥さんががんばると言い、松尾さんからも「逃げられませんよ」と言われる。
そこで1986年あたりから完全に画家として立つ。
お父さんは1989年に没。息子が素晴らしい資質を開花させたのを目の当たりに出来て、やはりよかったと思う。

月輪 1990  この作品から日本美術院同人になる。暈のかかる月。女の顔のようだ。不思議な艶めかしさ、冷たい官能と言うものを感じる。

寂 1995  囲いの奥に咲く白牡丹。これは亡くなったお母さんへの追悼を込めたそうだ。六義園の中で見つけた垣根の向こう。

富貴譜 1999  廃園の白牡丹、蝶が集まる。どこか朦朧としている。深い魅力がある。この絵は芸術院賞を受賞したそうだ。納得の一枚。

そして2000年以降の作品が何もかも素晴らしい。
爛熟した牡丹が観る者を圧倒する。

待春 2009 薄いグレー色の春の空、白牡丹があふれる。中には宙を飛ぶ生首のような牡丹も見える。
ぽーんぽーんと押されてもいる。

惜春 2007 ああ、どこか西洋の静物画にも通じるものがある。静物画とは「死んだ自然」なのだ。生の歓びより死を思う。白花狂い。溺れることのないはずの画家の心に潜む何か。

爛漫 2012 角館での桜をモチーフにしたとか。枝垂桜の美しさ。門は六義園にある歌舞伎門(冠木門をこのように表現している)をモデルにしているそうだ。

白い花の美しさが酷いほどだ。どこかに薄闇が広がっている。
白牡丹への酷愛がないとは、決して言えないだろう。
凄いものを見たと思う。

まだ81歳。まだまだ描いてゆくに違いない。いつか再びこの世界に入り込みたいと思っている。

水にまつわる美術

大和文華館の「水にまつわる美術」展は時季に合ういい展覧会だと思う。

【神聖な水】

龍文佩玉 漢代  なかなか綺麗な作りのベルトのバックル。バックルと書くとガッカリだが、玉を加工した名品。
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緑釉博山炉 後漢  頂点に後方へ羽を開く鳥がついている。

白磁蟠龍博山炉 隋  案外と大きく、龍の造形もぬめぬめしている。膝に手を掛ける龍なんて初めて見た。一匹ならず複数の龍の絡みつき。
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飛天十二支八稜鏡 唐代  花形の中に方形がある。方形の枠内に十二支、花びらと方形の間に飛天が舞う。優雅な意匠。

龍文軒平瓦断片 統一新羅  ガオーーーーッな龍。

波濤船舶八稜鏡 高麗  昔の船団が波に乗る。なんだかロマンがある。高麗のものなのだが、ソ連アニメーションを思い出させてくれる。

蒔絵蓬莱文鏡巣 室町時代  ふっくらふくらんでいる。そこに鶴亀。めでたいなあ。
鏡を入れること自体にはこのふくらみが必要なのかどうかはわからない。

楊柳観音図 高麗  これも好きな絵。右下にいる善財坊やの髷は裾から頭頂部へかけて5つに分けて括られている。緋色と緑の使い方なども個性的。
暑いのかして、観音も実は上着の薄物を着ずに直接アクセサリーをつけている。
龍に座り、そばには蓮も浮く水の上。

白衣観音 愚溪右慧 日本・南北朝後期  これ、今まで一枚ものだと思っていたのだが、じつはこれが中で左右にそれぞれ樵と漁師がおったそうな。
岩にぽつんと座る白衣観音ではなく、左右に漁礁問答をやらかしてくれる二人がおったということで、この絵の意味合いも変わってくるように思う。
調停者になるか、超越者になるかはわからないが。

呂洞賓図 雪村 室町時代 いつみてもなんとなく微笑ましい。吠える親父にヨユーの龍の顔。
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竹生島祭礼図 江戸時代zen972.jpg
涼しそうだとかんじたのはやはり水のお力ですかな。
この絵を見て、竹生島に行ってみたいと思った。

【水の恵み】

緑釉家鴨池舎 後漢  もうほんと、明器なんだけど、リアルな上に可愛い。
家鴨どもが好き勝手にのさばってる。そして鯉もいるが水がないらしくて這いずってる。しかしよく肥えてるのだ。イキイキしているなあ。
なんでも柵の所に獅子、猿、鹿などが鋸歯文の下に刻まれているようだが、よくわからなかった。

白釉褐緑彩蓮池水禽文水注 長沙窯 唐後期  薄い黄色で面取り成形の水注の注ぎ口。胴には花が。枠で仕切られて造られた花びら。とても可愛い。

法花菖蒲文鉢 明中期  色は綺麗なトルコブルーでそこに花が咲いている。新鮮な感じで愛らしい。白菖蒲と慈姑という取り合わせがよくわからないのだが。

五彩網目魚文碗 明末  網目の中に魚や波文様が入っている。しゃれてるね。

青花魚藻文輪花盃 小さくて可愛いお猪口みたいなもんですね。

螺鈿水禽文輪花盆 明代  蝶々といろんな水鳥たち。静かな空間。

赤色硝子双魚文蓮葉形皿 清時代  不透明なガラスにレリーフのように。

銅製銀象嵌柳水禽文浄瓶 高麗  これも前々から好きなもので、黒い中に浮かび上がる柳と水禽というのがいい。
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青磁象嵌水禽文細口瓶 高麗  鶴首。鷺が泳ぐ。白い花の表現がとても綺麗。

鎌倉彫水鳥文香合 江戸時代 解説でいう「中国でいう堆朱。剔紅ではない」を実感する。えぐったのではなく、つみかさねたものなのだ。
うずくまりの見返り。可愛いなあ。

織部沢瀉文硯 桃山時代  これも好き。可愛いね。
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東山第一楼勝会図画帖 1799  今回は南岳の亀や、玉鳳の菜の花に蝶の頁が出ていた。楽しそうでいいよ。大好き。

魚藻図 富岡鉄斎 大正  力強っっ筆勢ただならぬ、ですわ。
「牧谿の画法」で描いたというようなことが文中にあるが、ほんまに力強い。
それにしても鉄斎も関雪も儒学者系の奴らは、絵は余技で本業ではない云々とか言うのが、ホンマに鬱陶しいな。
ええ絵を描いてもそういうところに反発感じる。一種のテレとかレトリックなのかもしれんが、いちいちぐたぐだ言うなよ。
やっぱりここで劉邦に倣うべきかなw

【四季の中で】
秋塘図 伝趙令穣 北宋  秋の侘しさがよく出ていていい。もう初冬に近いような。
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螺鈿金銀平脱山水文硯屏 明代  小さな家があり、コンチハと挨拶する人もいる。山の中に隠遁していても孤独ではないのだ。
綺麗な工芸品だった。

青花山水文碗 朝鮮  「一食一飯」という決まりがあったそうな。一宿一飯ではないよ。蓋はお皿にもなる。乾山にもそんなのがあったな。

冠岳夕嵐図 鄭敾 朝鮮  ソウル八景の一。シーンとしている。海が見えた。

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【水をめぐる物語】
源氏物語浮舟帖 鎌倉時代  墨絵で雪の日を描く。

伊勢物語下絵梵字経 鎌倉時代  盥に映る自分をつくづく眺める女。悲哀が胸に広がる。それを背後から見る男。和歌の応酬があっても所詮はそこまで、か。

伊勢物語図屏風 江戸時代  八橋・布引図  かきつばたが白い花だったのは剥落か。
布引は美男兄弟の会話あり。

銅製双雀籬菊文方鏡 日本・南北朝時代  ほぼ正方形で○゛○゛な感じの菊がずらりと並ぶ。

彩漆絵扇面流水文盆 江戸時代  ベタッとしている。

彩漆絵波兎文盆 江戸時代  「竹生島」ですね。月海上に、あれ。
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蒔絵猪牙舟文重箱 江戸時代  大きな重箱、三段重ね。柴舟と若松を乗せた舟とがゆく。漕ぐ人の顔は銀鉛。よく出来ている。

孔子観欹器 雪村 室町時代  魯の桓公の廟のまえで水入りの器を水平に保たせる装置をみて、孔子ご一行様が色々と話し合う所。
魯の桓公はお気の毒な死を遂げている。ここらあたりの話は陳舜臣「小説十八史略」が面白かった。
なお、この絵については素晴らしい論考がある。pdfだが。


ほかにも良いものがたくさんあり、涼しさを感じるものが多かった。
6/28まで。

錦絵に見る茶の湯 後期

茶道資料館で開催していた「錦絵に見る茶の湯」展の後期が終わった。
今年になってから明治の浮世絵のよいのをたくさん見せてもらったが、とりあえず前半までの掉尾として、この展覧会の後期展がある。
前期の感想はこちら

初夏茶製之図 周延 1879 明治らしく赤が多用されている。働く女たちを眺める官女たち。この時代から「高貴の婦人」たちが蚕の糸取をみたり茶製をみたり、と日本の産業の現場を見学するようになり、それらが絵画化されるようになった。

旧幕時代までは茶の湯は男の楽しみだった。それが明治になってから子女の嗜みになる。
旧幕時代に茶の湯を学んでいたのは大奥の婦女と高位の遊女らだった。

新吉原角町 中万字屋楼上浜村座敷の場 国周 1866 幕末の作。茶の湯をする遊女を描く。茶杓をぬぐう所。高位の遊女は様々な教養を身につけねばならない。
背筋をぴんとした太夫の佇まいが美しい。

周延の人気連作「千代田の大奥」1895年 から二点が出ていた。
「茶の湯」と「茶の湯廻り花」と。
高位の武家の婦女と太夫とは同じ教養を得ている。

世泰平豊双六 国周 1879以降 高貴な人々の双六もの。中で笑ったのは上がりの前の「手踊り」。女たちがみんな揃いの着物を着て踊っているが、その着物の柄がどう見てもアメリカ国旗で☆までついている。ははははは。
どうしても着物でアメリカ国旗とかみると、米倉斉加年の絵本などを思い出すねえ。

女礼式之図 安達吟行 1887 今年になってからこの安達吟行を知り、すっかりファンになった。この人の絵をちょっとアップで見てみよう。

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着物がとても綺麗な彩色と文様を見せている。
この先も明治の浮世絵を見る機会が増えてゆきそうだから、こうして安達吟行の他の作品にも遭えると思う。

「女礼式」という言葉は明治の流行というか新語・造語らしい。
三代目国貞、周延らもそのタイトルを使っている。
もしくは「貴婦人礼式」などと。

先に挙げた絵のうち、束髪で紫陽花柄の着物を着る人は安達のではなく、周延の絵。
やはり「女礼式」茶の湯。1901年。すっかり茶の湯は女たちの楽しい場になっている。
客は三人と稚児輪の幼女が一人。午前中の茶の湯だそうだ。

美人遊梅園の図 周延 1891 座敷で茶の湯。そう言えば昔の茶店はどんな茶を出していたのか、よく知らないな。麦湯・桜湯はともかく、渋茶とかほうじ茶とか…なんだろう。
実はわたし、体質的に緑茶も抹茶も珈琲も合わないので、なるべく飲まないようにしているのですよ…淋しいけれど。

小堀遠州流茶事席入りの図 上 三代目国輝 1891 雪の日で、路地を平べったい路地笠でで防ぎながら小走りする女客二人。

婦人風俗尽 煎茶会 月耕 1892 おお、煎茶会も女たちの手に落ちたか(!)。
旧幕時代に山本梅逸、中林竹洞、青木木米らが京で煎茶大好きユニットを作っていたが、女たちも機嫌よく煎茶を楽しむ。いいねえ。

三十六佳撰茶の湯 宝永頃婦人 年方 1893 秋。後ろに張り出す髱(たぼ)が大きい。路地笠を取り、茶室へ。
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当世風俗通 茶の湯 宮川春汀 1899 この絵師は新時代の風俗を描くだけでなく、一種の啓蒙運動もしていた。茶の湯そのものを楽しむ図

小学女礼式図解 安達吟行 1882 これも茶の湯。明治30年代後半まで活躍していた
らしき安達吟行。ちょっと調べたらプーシキン美術館がヒットした…

教育倭女礼式画帖 完 1898 これは14シーンある。会席に始まり、簾取ったり花を活けたりということも終えてのシーン。

婦女教育礼儀双六 梅堂小国政 1898 短冊、琴、茶の湯、雛飾り、客アシライなどなど。
色んなことを教えるものですなあ。

宇治茶摘絵巻 海北友泉 江戸中期 小さめの人物らがよく描けている。懸命に立ち働く人々の姿。

茶の湯絵巻幷詞書 幕末 こちらは完全に男の茶の湯。雨の日の様子、待合、ユキツバキも綺麗、半東の少年がよく働く図。

今後も明治の浮世絵の展覧会が隆盛になることを願っている。

大阪市立美術館のコレクション展

大阪市立美術館のコレクション展を観た。
その日のメインはウェストンcollectionの肉筆浮世絵だが、二階のコレクション展もとんでもなく名品揃いの、いい内容だった。
もっとこういうのを宣伝すればいいのに、どうしてか大阪市も大阪府もわがとこの所蔵品の素晴らしさを隠そうとする。
勿体ない。
山水画、経典、遊楽と美人、四季を愛でる、という4つの項目があった。

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・山水 中国絵画

燕文貴(生卒年不詳) 江山楼観図 1巻 北宋時代  阿部コレクション  楼閣と漁の網の仕掛けがあった。この仕掛けはご飯の虫除けカバーのような形をしている。以前に諏訪の美術館でもこの網を描いたものを見たが、洋の東西・時代を問わずにこの漁法は生き続けているらしい。

胡舜臣(?-1119-31-?)蔡京(1047-1126) 送郝玄明使秦書画合璧 1巻 北宋時代・宣和4年(1122)阿部コレクション  送別の歌である。小さく旅人が描かれていた。

董其昌(1555-1636) 盤谷序書画合璧 1巻 明時代 阿部コレクション  もあぁとした雰囲気の中で。
郭忠恕(?-977)[款] 明皇避暑宮図 1幅 元時代 阿部コレクション  楊貴妃を知る以前の頃かな、玄宗。ところどころに官人が見えるがロングなので細かくはわからない。非常に巨大な宮。
はっっわたしの位置はもしやスナイパーの位置ではないかしら。
伝 馬和之(生卒年不詳) 瀑辺遊鹿図(名賢宝絵冊のうち) 1面 南宋時代 阿部コレクション  右手に巨大な滝。左の丘には鹿ップル。とても気持ちよさそう。マイナスイオン直撃だものなあ。

作者不詳 牧牛図(名賢宝絵冊のうち) 1面 南宋時代 阿部コレクション  十牛図とはまた違うものの、何かしら意図はあるのかもしれない。
牛飼いの坊やは木にもたれて昼寝中。牛の親子がくつろぐ。牛のお母さんは優しそうで、仔牛をなめている。子も嬉しそう。いいなあ、いい絵。和むわ。

・経典
中阿鋡経 巻第二十九 天平宝字3年(759) 京都・知恩院  大きめの字で立派。

瑜伽師地論 巻第七十三 奈良時代・8世紀 奈良・薬師寺  しっかりした文字。

華厳経断簡 奈良時代・8世紀  紫紙金字で華やか。

華厳経断簡(二月堂焼経) 奈良時代・8世紀 田万コレクション  ああ、綺麗。こげも少ない。

菩薩地持論 巻第五 延暦16年(797) 京都・知恩院  実にいい字を書くなあ。

法華経 巻第五 平安時代・12世紀 滋賀・天神社  とても綺麗!さすが法華経。

神護寺経経帙 平安時代・12世紀 田万コレクション  ビーズが使われた簾。綺麗。

遊楽と美人
17世紀のばかり。
まずは美人揃え。

立美人図 「俊信」(署名) 1幅  「兵庫」髷。袖がいい。
立美人図 1幅 田万コレクション  こちらも兵庫で褄をとる。
立美人図 1幅 江戸時代・17世紀 ウンゲルンコレクション  寛文美人が舞う様子。
伝江口君像 1幅 大阪・寂光寺  垂髪で遊楽美人の趣が濃い。

春秋遊楽図屏風 6曲1双  ここは昔風なサウナがあった。
男ばかりの客でどの部屋もうずまり、世話を焼くのにカムロのようなのがいる。
左の屏風は秋から冬。
立派な飾りのついた船に乗り、楽しそうに漕いでいた。陸では牛の角突き合いを楽しむ若者もいる。
女の姿はほとんど見受けられない。湯女もいない。僧兵がうじゃじゃけているのは稚児なのかカムロなのかもわからない。盲相撲もしている。 

邸内遊楽図屏風 狩野派  6曲1隻  相応寺屏風型。内でも外でも二階でも遊楽の種は尽きない。蹴鞠もするし蒸し風呂にも入る。

邸内遊楽図屏風 6曲1双  屋敷に上がるとカルタをしていたり、座頭も読んでいたり、布袋さんみたいなのもいたり、引き入れた川で網を引いたりもする。
左は座敷内で輪舞。わいわいがやがや。

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扇屋軒先図 1幅 田万コレクション  これは前から好きなもので絵自体の色合いもよくて好きだ。

扇屋店先図屏風 2曲1隻  同じように和やか。これを見ると思いだすのが溝口健二「西鶴一代女」で女が扇屋の女房になり、立ち働くところ。お春の唯一の平和な生活の時間。

・四季を愛でる

秋草図襖 長谷川派 8面 桃山時代 永観堂禅林寺  白い花が多いな。剥落しているのか?

桜花図屏風 雲谷等恕(1641?-1722) 6曲1双 江戸時代・17-18世紀  くっきりと胡粉で盛り上げ。キジ。土筆、白蒲公英、菫などが咲く。

西行物語絵巻断簡 2幅 江戸時代・17世紀  1は秋の無人の野、1は春の景色。

徒然草絵巻 土佐光起 1巻 江戸時代・17世紀  宴会の様子と雪玉を造るところと夏の様子。

源氏物語画帖 土佐派 1帖(2帖のうち) 江戸時代・17世紀  やはり綺麗。「野分」らしく、庭で遊ぶ娘ら。

山家杜鵑図 伝土佐光正 1幅 室町時代・16世紀 田万コレクション おお、飛んでいる。杜鵑一声か。

佐野渡・秋野図屏風 「等胤」(印) 6曲1双 江戸時代・17世紀  もろに小舟を連続して並べた上に板橋。それをサイドから。武蔵野の鹿。

源氏物語図屏風 土佐光孚(1780-1852) 6曲1双 江戸時代・19世紀  「夕顔」と「朝顔」と。かなり大きな夕顔の家でしたな。埋もれそう。

既に終了したが、とてもよかった。
来月は俑と中国・朝鮮の螺鈿が楽しみ。

静かなる美と物語を画く

中信美術館で所蔵品「静かなる美と物語を画く」展を見る。
京都の近現代日本画を押してくれる公益財団法人中信美術奨励基金が主催している。
この美術館は無料で、いつも本当にありがたく思っている。
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チラシは麻田辮自「静物」。遠くからみたとき、ヨダレが湧いた。
きれいな洋皿に載る白桃に二種の葡萄に何かオレンジのもの。桃が本当においしそう。
絵がいいとかどうとか思い浮かばず、ただただ好意あるいはヨダレばかりが浮かぶばかりだった。

三輪晁勢 薔薇 先週堂本印象美術館で回顧展を見たばかりなので、親しみが湧く。
色とりどりの薔薇が青緑の瓶に活けられている。背景の白と黒が効いている。

川島睦郎 卓上静物(かに) ポピーとレモンと空き瓶がいくつか。そして大皿に松葉蟹が二枚。
こういうのもやっぱり絵がどうのとか言えなくて、「ああ、カニ食べたいがなーーー」になるのだった。
何しろこのカニ、タグでもついてそうな立派なカニなのだった。

津田周平 花(パンジー) コテコテの背景とあっさりのパンジー。緑のグラスに活けられている。
日本画なのか洋画なのかわからない。

小川立夫 アネモネ オランダかドイツあたりの古い染付にいっぱいの花が。

大野藤三郎 柘榴 この画家は金島桂華の弟子筋で今は消息不明だそうだ。
白い四方瓶の胴には牡丹の陽刻がある。そこに実のはじける寸前の柘榴が活けられている。背景は生姜色。

芝田耕 画室静日 落ち着いた赤壁紙の部屋。欧州からきたらしきイスとキャビネットと、その上にはランプや砂時計など。壁にはボッティチェリが描いたような受胎告知。
どこかシュールな雰囲気があるのは静謐さとリアルさがあるからかもしれない。

松岡政信 百合 ガラス瓶に活けられた白百合をやや上から捉える。瓶のおかれた場と花の先端の赤が全体を引き締めている。

堂本元次 香る花々 福々しいような壷に薔薇や百合が活けられている。この壷自体にも花柄が入り、それが置かれている床または布自体も薄紫地のきれいな花柄なのだった。

加藤東一 磯の香 藍黒地に真っ赤な伊勢エビとサザエ二つ。これまたヨダレが湧きだしてきそうな。

青木大乗 鯛 これまた美味しそうな立派な鯛。糸巻きや扇子などの絵柄の入った染付皿にでーんっと大鯛。
なんかもうこの顔つきもいい。何で食べようかと考えているけど、まぁほんまに立派な鯛。

小倉遊亀 ひねりと梅 金潜紙に薄紅梅の枝と瓢型の九谷焼の瓶。びっしりと埋められた明るく細やかな文様もいい。

大山忠作 三宝柑 黄土色の中に三つの三宝柑が並ぶ。これが何かしら神像を見ているような気になった。
なんだろう、何か非常に厳かなような。
黄土色を背景に適度な距離を置きながらミカンがあるわけだが、その静けさが非常に深い何かを感じさせてくれた。
忘れられない一枚になった。

秋野不矩 みかん 縦に皿を置いたようなところに三つばかりみかん。まだ緑が浮いているようなミカン。
この人は柿もこんな感じで描いているので、いつかそんなフルーツシリーズを見てみたいものだと思っている。

またここで純粋に美味しそうなのが二点。
猪原大華 マスカット
濱田観 桃
ああもぉどちらも本当に美味しそう。
絵はやはり何かしら見るものに欲望を抱かせるか心を清めるかの力を持たねばならない。

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田村孝之介 ボタン 派手な布地の上にマヨルカ瓶があり、そこに二輪の大きな白薄紅の牡丹が活けられている。ぼんぼん、と二つの豊かな華があるのがとてもいい。

朝比奈文雄 ばら 児島善三郎のようだと思ったが、小イト源太郎の弟子。
いろんな薔薇がある中、特に黄色の薔薇がよかった。

高野三三男 泰山木 この絵を見て時間が止まった。15年以上前かと思うが、どういうわけでか頴川美術館(古美術専門!)でこの人の同題の絵を見ている。同工異曲。
大きな花びらはあくまでも白く、背景のエンジ色の艶めかしさが身に迫る。
高野の絵を見たのはあのときが最初だった。
以後、ロココ風な美人画をみることはあっても、この花の絵を見ることはなく、当時のわたしは再会を願い、あの背景の色を再現したくていろいろと苦労したのだった。
それがまさかここで「再会」するとは思いもしなかった。
この絵があのときのものかどうかはわからない。
だが、思いがけぬ「再会」があったことで思うのは、人間やはり望んだことがあると長い時間がかかってもかなうこともある、ということだった。

安田謙 古典的な三壷 ゴブラン織りのような壁紙の前に、正倉院に伝わるのと同じ形のローマ風水差し、ギリシャの壷には竪琴を持つ男性に幼子を差し出す女の絵が描かれ、最後にはシリアあたりの緑のグラスがあった。

三輪晃久 春の花 ポピーをはじめとした洋花を白の南欧風の瓶に活けている。現代の絵だという感じがある。

池田道夫 静物 群青地にパンジー入りの瓶とレモンなどがあるのだが、三つ首の怪獣がこっちを見ているような気がしてならなかった。

山本倉丘 バラ だけでなくユリなども入り、にぎやかな様子なのだが、いい抑制がきいていていい。

丹波尚子 トルコ桔梗 ガラスに活けられた紫の花がいい。草がシャーシャーと長く延びているのがまた面白い。

吉田善彦 胡蝶蘭 この人もつい先般世田谷美術館で見たばかりなので親しい感じがある。
きれいな刻みの入ったグラスに二茎の花が活けられているが、花は無限に左右に広がっていた。

いいものを見せてもらい嬉しかった。
京都中央信用金庫のますますの発展を祈り、この美術館の更なる進展を望みます。
7/8まで。

寧楽美術館「江戸時代の書画とやきもの」と依水園

寧楽美術館は依水園にある。
今回は「江戸時代の書画とやきもの」をみた。
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詩仙堂などで有名な石川丈山の書がある。
縦書きの隷書体で「麟鳳亀龍」。隷書体はタイポとしてみると大変面白い。

今はお食事処になった三秀亭のかつての襖が並ぶ。
金銀の市松文様である。その中央に二枚の色紙が上下並ぶ。近衛基煕、鷹司兼照ら当時の公卿らの手による「定家十二か月」が書かれている。
卯の花とホトトギスなどなど。

松に早蕨 呉春 賛がある。同年齢の芝山特豊の和歌がある。
初春の子の日の松の二葉よりこもりてみゆる千代の陰かな
そう、お互いによかった。

英一蝶 猿回し 縦に長いところへ猿回しが棒を高く伸ばしている図があった。その棒の先で猿が逆立ちをして芸を見せている。頭についた赤いものは蟹のお面なのか??

やきものをみる。
織部手付菓子鉢 四方形でなかなか可愛い。

志野扇面鉢 釉が濃くかかっている。深く白。半分披いた形の扇。やや大きい。

織部笠形向付 柳生笠を象ったようなもの。見込みにもその絵がある。

乾山 椿絵蓋茶碗 緑釉が濃くかかり白椿がぱぁっとたくさん開いているもの。花芯の薄黄色がいい。
これは当時人気のもので、あちらこちらでも見かける。
わたしも大好き。蓋は皿にもなるようで、蓋の裏側にも椿が咲いていた。

染付船松図皿 5客あるが微妙に絵がずれてるのが面白くもある。
近景にうねる松とその土坡。中景に帆船。白帆はパンと張っているが、皿によっては随分端っこに舟。
だから5客一遍に見ると船が微妙に動いているかのように見えるのだった。

仁清 蕪形向付 全体の形がコロコロしつつ蕪である。上半分に葉脈のようなものが鉄絵で描かれていた。

仁清 薄絵福袋壺 形は開いた福袋で、口縁は四角の連続。鉄絵で芒が折り合う様子が描かれている。

乾山 色絵秋草文菓子鉢 小さなハート形の透かしがいくつも入っている。
灰地の内外に桔梗、女郎花、ススキなどが所狭しと描きまくられている。
見込みに@形の竹青色が置かれていて、水たまりに見える。

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昭和20年の神戸大空襲では大きな被害を受けたそうだ。
北野にあった創立者の中村邸の蔵は蒸し焼き状態で、「紙は灰、青銅器は銅の塊に、陶磁器は焼けた」状態だったそうだ。そのなかで救い出されたものをいくつか。

主に仁清の小さな香合がメインである。
琵琶袋形 ショウガ色の地に・・・・の4つ一組の文様がチリリリリリと残る。
ウズラ型 可愛いなあ。目鼻は蕩けているが。小さな小鳥。
結び文 色も消えてしまった…色の残るのはこちら。
糸巻き ああ、わからない。蓋にX文様があるくらいしか。
白鳥 見返りつつ毛づくろい。


黒樂茶碗 伝・長次郎 まだそんなひどくはみえないのだが。

青磁瓜型水滴、青磁蓋置、染付茄子型香合も傷ついている。
双龍方鏡も。

戦争のせいでこんなになったのだ。
失われるのもせつないが、生き残ったものたちの傷を見るのもつらい。
平和を守らねばならない、こんな傷ついたものたちを作らぬためにも。
そんなことを思いながら美術館を後にした。

こちらは依水園である。
紅色の睡蓮。まだ起きていてくれた。

水車小屋周辺のシダたちが楽しそう。

花ショウブの濃い色が綺麗。

ある茶室の階段素敵だなあ。

後庭の池。水面が空も緑も閉じ込める

初夏の楽しみを満喫した。

ウェストン コレクション 肉筆浮世絵 美の競演

大阪市立美術館でウェストン コレクション「肉筆浮世絵 美の競演」を見た。
近年ボストン美術館所蔵の肉筆浮世絵はよく見るが、こちらはシカゴのロジャー・ウェストンさんのコレクション。
版画と違い肉筆は一点もの限り。
「浮世絵師が描いた江戸美人100選」とあるが、実際はそれ以上+それ以外の絵も並ぶ。
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こういう展覧会は本当に楽しい。
それで自分の嗜好にそって感想を書いてゆこうと思う。
先に気付いたことを書いておくと、いずれも軸の中廻しや上下に綺麗な刺繍物などが多く、それでいよいよ美人画が映えるのだった。

こちらは東京のチラシ
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第1章 上方で展開した浮世の絵
寛文年間を中心に。

京・奈良名所図屏風  右が奈良、左が京都。正倉院のようなものがみえる。それに屋根の勾配と装飾がどう見てもヘンな怪獣に見えるものもあった。魔機家とでもいうような感じか。思わずその家の様子をメモったよ…うん、どう見ても変。
左は方広寺、清水寺はあるが三十三間堂はない。

寛文美人図が居並ぶ。
立姿美人図  鹿の子入りの着物に帯は黒地に金の七宝繋。
立姿美人図  緋色に桐柄の襠、中は白の青海波に桜文様。
扇舞美人図  扇を差し上げた姿。足元には琴。ひまわり柄の着物。
立姿美人図  前者らと違いも左向き。藍地の小袖の重ね着。褄を取りにっこり。

次の時代にも通じるものがある。
若衆図  上に、狩場の鹿の明日をも知れぬ定めの歌が書かれ、美少年らの儚さが記される。明日にはもう彼の美は失われ、ほどなく零落するかもしれぬのだ。

若衆図 左向きでやや肩をすくめている。黒地に小さい七曜柄。螺鈿の太刀を差している。

第2章 浮世絵の確立、江戸での開化
菱川派の出現

立姿遊女図 伝・師宣  白菊柄の着物の褄を取る。木目の板がここに移るかのような背景。

江戸風俗図巻 師宣  元禄年間の江戸。芝居小屋には「角田川」の文字が見える、大川には舟も行く。春から秋へと移ってゆく。

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第3章 浮世絵諸派の確立と京都西川祐信の活動
ここで面白かったのは懐月堂一派の絵を見た観客の多くが「おるおる、こんな娘」と親しみを見せていたこと。
実は他の展覧会でも懐月堂の絵を見ると必ずこんな声が聴こえるので、浮世絵美人の内、懐月堂一派の絵は、もしかするとすごく<リアル>なのかもしれない。

髷を直す美人 西川祐信 まぁ大きなムネ。髷を直しているところ。それでこれか…

観月舟遊図 祐信  三人の女が舟に乗る。一人は三味線を弾いて、一人は立つ。畳らしきものを引いた舟の上。

江口の君図 田村水鴎  白象と緋色の着物の君。葦手。「和歌浦」の文字が見える。波柄もぴったり。

5点の立姿遊女図が並ぶ。
懐月堂度繁  格子に花が巻きつき、グラデーションも綺麗な着物。袖で顎を隠している。これを見て多くの人が「ええ着物~~」「おるおる、こんな娘」と人気が高かった。

懐月堂度種  右向き。紅葉柄の上に茶と青のを合わせるとは、すごいセンスやな。

東川堂里風  やや素人くさい感じがする。二重瞼のくっきり美人で白地に萩柄。

梅黄軒永春  黙って微笑む二重瞼の美人。朽ち葉色の着物が珍しい。

松野親信  にっこりほほ笑む二重瞼の美人。前帯をしている。

宮川長春が続く。
2013年に初の宮川長春展が大和文華館で開催された。
それ以来よいものだというイメージが強くなったと思う。
そのときの感想

梅下遊女と禿図  紅白梅が咲く下で床几に座り、髪を直す女。

琉球人舞楽之図  美少年の舞踊。ラッパも吹く。いいなあ。明の風俗が残る。
全然関係ないが、ラッパを見て思い出すのは「カムイ伝」のエピソード。外国渡りのラッパを巡る騒動があり、それである藩の侍たちが気の毒な目に遭うのだ。

身支度の図  男の世話をする女。男に黄八丈を着せかけてやろうとする。黄八丈を着る男といえば医者などが多かったそうだ。

風俗図巻  どこやらの楼らしい。左には衾の支度もあり、女にキスする客も見えた。右手では小人の芸を楽しむ人々がいる。

路上風俗図巻  万歳もいるし、山伏も大原女も絵解きの女たちもいるし、何らかの予祝者もいる。江戸中期の様子が描かれている。

遊女と禿図 宮川長亀  かなりの美人。二筋のほつれ髪がいい。禿の鶺鴒髷が可愛い。

七福神正月図 宮川一笑  三河万歳のえべっさんと大黒。亀もいれば鹿もいる。花魁に傘差す男衆になる布袋もいる。琵琶を弾く弁天さんに聴いてる他の神さん。

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鍾馗と遊女図 一笑  室内遊楽。三味線爪弾く女の後ろに鬼が隠れている。鍾馗の様子をうかがいながら。寝そべる鍾馗は山田孝之に似ている。そばの墨絵の屏風には珍しくも虚無僧のシルエットの絵がある。

帯を結ぶ美人図 一笑  大きな絵。黒地に金銀朱に鶴のええ着物。そして着るのがこれまたいい女で。目に覇気がある。
同時代の山崎龍女は本人がいい女だと聞くが、もしかするとこんな女だったのかもしれない。

川俣常正が現れた。
祇園社 春の遊楽図  ロングで捉える。大勢のお客さんであふれている。餅焼の店も出ているね、おいしそう。そうそう、祇園さんというか続きの円山公園で例の枝垂れ桜を見に行ったとき、焼き筍の屋台が出ていたわ。
さすが京都やな、というところでおいしくいただきましたわ。

美人と奴  縁先に座る令嬢。そばにはたばこ盆。庭先で控える奴。何かしら指示を待っている様子。
他愛のない命令かもしれないし、奴にはうんざりな話かもしれないし。

奥村政信もある。役者絵に見立て絵。明るい気持ちになる。
他に湖龍斎もあり、華やかだった。


第4章 錦絵の完成から黄金時代
勝川派に始まり豊春の時代まで

浅妻舟図 春章  柳下に小舟。立つ女。烏帽子に扇に鼓。しもぶくれの頬のなかなか綺麗な女。緋の袴が絵の全体をひきしめる。

二遊女図 春暁  双幅で賛がそれぞれある。右には恋の重荷、左には隠れて呼ぶ間夫…晦日の月、か…切ないね。

七福神吉原遊興図絵巻 栄之  大黒、えべっさん、寿老人が柳橋から船に乗り込む。隅田川遊覧の図でもある。首尾の松、駒形堂、三囲神社、長命寺、待乳山、山谷などの名所を船は通り過ぎる。金波楼か。そして陸に上がり、三人は吉原へ行く駕籠に乗り込む。吉原へ入れる駕籠屋は指定されている。好き勝手に選んだ駕籠屋で入るわけにはいかないのだ。
さてその駕籠に乗ったはいいが、寿老人の長いおでこは入りきれないので、籠は開けてエイホ、エイホと走る。さあて吉原につきました。
愉しい遊楽がこれから始まるのだ。

庵崎二美人図 礫川亭永理  秋葉観音あたり、と解説があるがさすがに私もそこがどこか知らない。どこかわからない地を往く二人の細めの美人。
行く場所によりこの二人の状況が変わってくるので、やはり調べねばならない。

狐忠信 豊春  静御前が鼓を打とうとするところ。控える忠信の手はいわゆる「狐手」に丸まっている。これがもっと丸く深くなれば猫手である。
「さぁてぇは、そなたハ狐じゃなっ」の声がする。

七福神酒宴図 百川子興  寝そべる大黒、鯛もお皿に。みんな楽しそう、どうやら布袋さんが幇間らしい。

縁先美人図 水野廬朝  蜘蛛が下りてくるのを見る美人。これはあれだ「来べき宵」の衣通姫の見立てか。セピア色に近い画面は抑制が効いている。つりしのぶもいい。そして軸の上下がモリス商会の壁紙風なのもいい。

見立三酸図 水野廬朝  「酢」と書かれた大壺による美人三人。元のは道教・仏教・儒教の三人が一緒に舐めて「酸っぱい」顔をするのだが、この三美人の立場の違いはよくわからない。共通するのは笹紅を使っていることか。

第5章 百花繚乱・幕末の浮世絵界
やっぱり一番好きなのはこの時代なの…

三美人音曲図 二代目歌麿  琴に三味線が二人。胡弓ではないよ。細面の女たち。しかしそうなると「阿古屋の琴責め」は一人で三曲演奏出来るというのだから凄いなあ。

美人戯犬図 藤麿  裾に狆が。これこれ噛みなさんな。なかなか綺麗な女で、髪に挿す簪は赤玉・青玉だった。

江戸鳥瞰図 鍬形蕙斎  彼はこういう細かい鳥瞰図が得意なのだった。実に細密。隅田川、蔵建ち並ぶ様、街並み、そして江戸城が窓窓から光を出しているかのようで、とんだライトアップにも見える。富士山も遠景に。

見立雪月花図 豊国  役者に雪月花をあわせる。門之助の白拍子花子が鐘をキッとにらむところ、蛍狩りする粂三郎など。

時世粧百姿図 豊国  これが凄い連作で24枚ある。様々な立場の女たちを描いたもの。上流から下流まで。店先に猫のいるところ、小さな梓弓で拝む巫女、やいとする女、深川の切見世、夜鷹、舟まんじゅう、品川で魚介を食べる女たち、遊女屋の内証(帳場)で按摩させる女将、瞽女、暑いのもあるか胸をさらしながら働く水売り女、矢場の女、常盤津の師匠、百姓、料亭のお運びさんで着物が南蛮人柄の女などなど…
かなり面白かった。
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両国の夕涼み図 国貞  船がたくさん出ているが、シャレ心で「香蝶」提灯をつけた船もあり、歌川船、川一もある。川べりの露天のそばには犬の家族もいた。みんなわくわくしている。

女風俗通画帖 国長  22面あり。一枚もので背景なし。奥女中、仇討娘、巫女、辻君、京の舞妓…

美人愛猫図 北斎  立ち姿のすっきりした女が、ちょっと怖い顔の猫を抱っこしている。

雪中常盤図 北馬  硬い表情の常盤と二人の幼児。赤ん坊は抱かれたまま。
ばさっと叭叭鳥が飛ぶ。

鴛鴦を見る美人 柳々居辰斎  瓜実顔の美人。ちょっと物思い中。

袴着・帯解図 英山  双幅。子供のための儀式を描く。風俗資料としても大切なものだと思う。

夏の洗い髪美人図 英泉  大きい絵。中華風な鼎に朝顔を。四角い雷文ではなく丸い@@文様。赤い団扇がいい。

橋上美人図 岸駒  扇子を咥えて帯をきゅっ。

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第6章 上方の復活
アクの強いのが出てきたよ。
祇園井特(ぎおん・せいとく)のアクの強いのが5点と月岡雪鼎のが3点。

芸妓、島原遊女などを描いているが、みんな大抵眉が濃くて鼻が大振りで笹紅も濃い。93年に京都文化博物館の「京の美人図」で初めて見たとき、びっくりしたものです。体型もあんまりいいのは少ないが、それでもまだほっそりしたのもいた。
それにしてもみんな本当に脂っこい。

雪鼎はシャボン玉をするカムロ、盆に菊綿つめる官女らを描く。サインは「信天翁」というのもいい。


第7章 近代の中で
とうとうラスト。明治。

時代風俗美人図 国周 建武から安政の女たちをピックアップした風俗図。10の時代の女たち。

一休禅師地獄太夫図 暁斎  地獄太夫の周囲で一休さんと骸骨らが楽しそうに踊りまくってる。三味線弾く骸骨もいて、わいわいがやがややんややんや…
で、地獄太夫の着物の柄が七福神だったりするのだ。目かつら(アイマスクというか、今ならひらパーの岡田准一園長の眼を描いたアイマスク、あれだ)の閻魔に書記が寿老人、珊瑚樹と布袋に子供、大黒、毘沙門天もいるが、弁天さんがいない。つまり地獄太夫が弁天さんと言う見立てなのだった。

頼豪阿闍梨 清親  不動の前で経文を食い破る!!

祭芸者図 清親  元禄美人。片身替りの着物がかっこいい。足袋も派手。ふっくら美人。

ああ、とても面白かった。まだまだこうして海を渡ったままの肉筆画も多かろう。いつかどこかで観てみたい。
6/21まで。

追記 小布施のチラシ
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ユトリロとヴァラドン 母と子の物語

損保ジャパン日本興亜美術館に「ユトリロとヴァラドン 母と子の物語」展を観に行った。
ユトリロだけの展覧会ならこれまで数多く見てきているが、画家としてのヴァラドンの作品展をこんなにたくさん観るのは初めてだった。
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ヴァラドンのたくましさは息子に伝わらなかった。
生活力、社交性、享楽性、そんなものが息子に伝わらず、息子は母親に愛情を求めて満たされず、気の毒な方向へ向かっていった。

27歳のイキイキしたヴァラドンと9歳のユトリロの写真がある。
美人で活発で何をしでかすかわからないような顔つきの母親と、見るからに腺病質で神経の尖っていそうな坊や。手は握り合っているが、坊やは母の胎内へ帰りたそうな眼をしていた。

多情で明るいヴァラドンはサティともつきあっていたが、そのサティから「シュザンヌ」の名を献上された。
展覧会では「スュザンヌ」ととてもわたしなどでは発音できない表記で記されているが、要するに旧約の貞淑なスザンヌの説話からの皮肉に満ちた命名だったわけだが、神様なんかどうでもいい彼女はそれ以後その名を自分の名にした。
40歳上20歳上の著名作家たちとも仲良くしていたわけだから、まぁ意味は分かるが、妬みからかそんな名を贈るサティは、そりゃフラレますわな。
随分前の展覧会でシルエットのアニメーションを見た。
ユトリロを連れたヴァラドンが意気揚々と闊歩するのをサティがじっとみつめる。
しかしサティは彼女と復縁したいが「アラコンニチハ」と声を掛けられるだけで素通りされてしまう。ユトリロが気の毒そうに振り向くが、ヴァラドンはそんな様子すら知らない。
本当のところは本人同士にしかわからないが(本人でさえもわからないことがある)、要するにそんなイメージがある。

第一章 ヴァラドンとユトリロ、二人の芸術家の誕生

1890年代の初期作品は多彩だが重い感じがする。
だが、線描は新しい時代の予感を感じさせる。

八木コレクションからのものも多い。
以前に見た感想はこちら

ヴァラドン 編み物をする若い女 1892 油彩 色は多いがまだちょっと暗い絵。

ヴァラドン 脚を拭く裸のカトリーヌ 1894 鉛筆 コクトーのような線描。

ヴァラドン 裸のユトリロの身体を拭く祖母 1894 リトグラフ  陰影つきの二人。立たせて体を拭いている。
ふと思ったが、ユトリロが女の子だったら、アル中にはならず、絵も描かなかったかもしれない。世話をしてくれる祖母が優しければ、それで満足してしまうものだ。

ヴァラドン 裸で体を拭くカトリーヌ 1895頃 銅版画 座って首の辺りを拭く女。だらけた体つきである。

ヴァラドン 12歳のモーリス・ユトリロ 1896 赤チョーク、黒鉛  裸で背を拭いている。これは母の眼+対象物をみる眼でもある。

ヴァラドン 自画像 1903 赤チョーク  38歳の自画像。落ち着いた顔つきである。

ヴァラドン 身づくろい 1904-1906頃 鉛筆  盥の前で女が動く。ああ、フランスだなあ。

ユトリロ モンマルトルのサン=ピエール広場から眺めたパリ 1908頃 油彩  これを前回の八木コレクションで見たのだ。あの時が初公開だったそうだ。

ヴァラドン 自慢の愛犬 1908 色鉛筆、パステル  可哀想に死んだらしい。シバの雑種風な犬で、なかなか精悍で賢そう。

ユトリロ 大聖堂、ランス(マルヌ県)1908‐1909頃 油彩 重い色だ…これも八木コレクション

ヴァラドン 入浴の後で 1909 油彩 二人の女。千鳥かどうかは知らない。左は寝ころび、足元にはスリッパ。右はガウンを着るところ。スゴイ胸だな…
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第2章 ヴァラドンの再婚とユトリロの「白の時代」

ユトリロの「白の時代」は素晴らしい作品が多いのだが、今回はそれが沈んで見えた。
原因は一つ。ヴァラドンの元気あふれる作品に押しまくられたからだった。

ユトリロ モンマニーのティユール大通り 1910-1912 油彩  白塀がずーーーっと。

ユトリロ 水飲み場の前の家 1910-1912 油彩 赤屋根の上にも白がのるから雲かと思ったよ。

ユトリロ 「小さな聖体拝受者」、トルシー=アン=ヴァロアの教会 1912 油彩  八木コレクション これも以前にみている。白がとにかく目にはいる。空も白い。

ヴァラドン 画家の母 1912 油彩 しわしわ。メガネを手に持つ。おばあさんはこのころまで存命だったのだろうか。

ユトリロ サノワの通り 1912-1914 油彩 この辺りの病院に入院していたそうだ。緑の濃い塀の中。

ユトリロ スティフの灯台、ウサン島 1912-1914 油彩 不安な感じがする。

ユトリロ ノルヴァン通り、モンマルトル 1912-1914 油彩 奥にサクレの屋根が見える。

ヴァラドン 横たわる犬 習作1 1913 木炭・色鉛筆 
たれ耳の中犬。

ヴァラドン モーリシア・コキオの肖像 1915 油彩 サーカス仲間だった。こちらは曲芸出身で仲良し。ううむ、立派なムネ。派手な彼女。

ヴァラドン 試着 1916 木炭・パステル バレエ、裸に着るのか。チェックしているところ。ムネも露わ。

ユトリロ ベル・ガブリエル、サン=ヴァンサン通り、モンマルトル 1916 油彩 ここは飲み屋さんで、ユトリロはそのママさんが好きだったそうだ。

ヴァラドン 裸婦の立像と猫 1919 油彩 足下に虎猫。

ヴァラドン 黒いヴィーナス 1919 油彩 大きな絵で、濃い、とても濃い。緑の中に立つ!

ヴァラドン コルト通り12番地、モンマルトル 1919 油彩 今は博物館らしい。緑が濃いわーーー

ヴァラドン フランス帝政時代風コーヒーポットに挿された花 1920 油彩 ローマンな感じ。ジョゼフィーヌのファッションに合わせたような形。

ここまでで、ちょっとリズムが狂って困った。ヴァラドンの絵を見ると「がんばろう」という気になるのに、ユトリロをみるとしゅーんとなってしまうのだ。こういうのが結構困りますな。

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第3章 ヴァラドンの円熟期とユトリロの「色彩の時代」

ヴァラドン ユッテルの家族の肖像1921 油彩  三人の女たち―母親、姉妹。花瓶が猫ぽい。面白い。

ヴァラドン モーリス・ユトリロの肖像1921 油彩  ひげのせがれがパレット持ってる。力強い母と弱弱しい息子か。

この後も力強いヴァラドンの作品が続く。色彩も豊かで観てるこちらもますます「がんばるぞ」なキモチになる。

ヴァラドン 自画像 1927 油彩 58歳の肖像。なかなか怖そうな顔になっている。

ヴァラドン サン=ベルナールの教会 近景・中景・遠景。巧いと思った。

第4章 晩年のヴァラドンとユトリロ
晩年になっても元気なヴァラドン
ユトリロの描く風景に女たちが現れている。みんなスカートの膨らんだすがたにみえた。

ヴァラドン 花 1936 油彩 萎れてても元気!!

ヴァラドン リュシー・ユトリロ・ヴァロール夫人の肖像  息子の嫁。オバハンぽい。

1938年にヴァラドンが亡くなると、ユトリロは衝撃のあまり葬儀に参列ではなかったそうだ。

元気すぎる女としょぼくれ過ぎの息子。
観てるこちらのリズムは狂うがとても面白い展覧会だった。
6/28まで。

ルオーとフォーヴの陶磁器

汐留ミュージアムの「ルオーとフォーヴの陶磁器」展は予想を超えて面白い展覧会だと思う。
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「陶芸職人メテの工房で絵付けしたフランスの画家たち」という副題の通り、メテの仕事から紹介され、メテとフォーヴの画家たちとのコラボ作品が展示される。
わたしは東洋の陶磁はとても好きなのだが、あまり西洋の陶磁器に関心がない。
だが、この展覧会では本当にいいものをたくさん見れたので、とても気持ちいい。

磁器が広まる以前の欧州のやきものは以下の変遷を見る。
炻器(せっき)Gres→ファイアンス(錫釉色絵陶器)→防水性のある施釉へ。
この辺りのことを教わり助かる。

第1章 陶芸家アンドレ・メテ その生涯と作品
奥さんのエマさんが窯の火を焚き続けてくれたそうだ。
その協力がなければやはり大成しなかったろう。

ジャン・ブリュメ メテの肖像 元気なころの夏八木勲によく似ている。夏八木もバタ臭い人だったからなあ。要するに男前なのですよ。

1900代の作品をみる。
青と緑のダンダラ模様の小インク壺 炻器 おお、どことなく唐三彩を思い出す。

花瓶グレーの釉模様 磁器 徳利に似ているな。

青のグラデーションの花瓶 磁器に近い炻器 口べり周辺に色ムラが見える。蓋をつけると文琳茶入になるね。

花瓶星空 時期に近い炻器 +++な星は絣に見えますな。

花瓶植物文様 ファイアンス 青碧にシダの一種が描かれている。玉壺春に近い形。

小杯メダイヨンに雲 施釉陶器 ぬめぬめ。表面、ぬめぬめ。

この辺りまでで大体メテには厳格な職人的でない、自由さがあることを感じる。
陶工は職人であり、職人にはある種の厳格さが備わっているのを、ひしひしと感じる。
してはならないこと・踏み越えてはならないことを職人は自らに課している、そのように思われる。

1920年代までの施釉陶器と多くの下絵をみる。
「イスラムの影響を受けて」納得。宇宙を示すような花柄が採用されている。
そしてヘラクレスなどを描くのだが、どうも素人くささを感じるような作品が多い。
ただ、色彩は非常に「多彩」で、下絵などを見ていても本当にカラフルだった。
それはやはり施釉陶器に移ったからか。

第2章 フォーヴの陶磁器 火の絵画
ヴォラールがモローの弟子筋らフォーヴの人々をメテのもとへ連れて行った。
かれらはメテの陶磁器に絵付けをし、それが焼かれた。全てファイアンスである。
1906年頃から数年間がその華やかな時代だった。
映像でその様子を説明してくれる。
そしてこれら「フォーヴの陶磁器」は1907年のサロン・ドートンヌにまとめて出品されたそうだ。

マイヨール/メテ 花瓶 踊る女 薄黄地で表に花を・裏に裸婦を描いている。

ルイ・ヴァルタ/メテ 花瓶レダ、花瓶三美神 どちらも青灰色の大きめの花瓶である。
ギリシャ神話をモチーフにした綺麗なもの。裸婦たちもとても綺麗。

ルイ・ヴァルタ/メテ 皿踊る裸婦/皿花綱を持つ裸婦 オレンジ色。綺麗な裸婦たち。
今までこの画家に関心がなかったが、とてもいいものを見た。

マティス/メテ 花瓶 装飾的な花 これもとてもいい。マティスの佳さが壊れない。

マティス 中国の花瓶 絵付けは短期間だが、そのときの何かがこの絵にも反映していれば面白いと思う。薄紫の薔薇柄の壁紙と読書する女。青花の花瓶にも薔薇。女は山吹色のワンピースを着ている。
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ピエール・ラプラード/メテ 花瓶 横たわる女、花綱と葉  とても綺麗。いちばん綺麗かもしれない。飽きずに眺める。綺麗、とても綺麗。

ピエール・ラプラード 薔薇を持つ婦人 絵もいいなあ。初めて見た画家だが、とても好ましい。頭に薔薇を上げた綺麗な横顔。黒髪美人。静かな女。綺麗な裸婦。薄桃色の膚。

多くの画家の内、ヴラマンクは特にハマっていたそうだ。
ヴラマンク/メテ 花瓶 薄紅と黄の花、青と緑の葉 明るく賑やかでいい感じ。

植物柄が多く、いずれもやや太い線で明るい表現である。
マヨルカ風なのもある。明るく可愛いのが多い。

ヴラマンク 村 空は青と白とが氷が連なるように描かれていた。不穏さは感じない。

ジャン・ビュイ/メテ 花瓶ヴィーナスの勝利 女たちがぞろぞろ。これも何かしら故事があるだろうがそこまではわからない。

ジャン・ビュイ/メテ 大皿 4人の女性半身像 共有するのは腹ばかり。ネックレスの四人。

ドラン/メテ 花瓶 幾何学模様 これはもう本当にマヨルカぽい。可愛い。

お皿に絵付けしたのがあと数点出ているが、いずれもべローンとしたところが面白い。
絵自体は綺麗なのだが。

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第3章 ルオーと陶芸 色彩とマティエール
なんでもルオーとメテとは誕生日が8日違いでウマがあい、長らく協働したそうだ。
1911年、メテがレジオン・ドヌール勲章を受けたときも祝福の手紙を送っている。

以前にMIHOでルオー展を見たときも大きな皿を見たが、ルオーはやきものも自分の大事な表現の場として大いに活用したようだった。

1910年、洪水でメテの工房がダメになったようだが、ルオーはその「洪水」の絵を描いている。

ルオー/メテ ボンボン入れ 裸婦 あっさりと可愛い。ややパンダ目か。

しかし他のやきものは全て濃い色で、なんら絵画と変わりはない。
中にはカレー粉をてんこ盛りにしたかのようなのもある。
ファイアンスだけでなく磁器作品もあり、ソーサー、カップなどのセットもある。
あるが、使いたくはない。

ルオー/メテ 大皿オフィーリア 施釉陶器 眼を見開いたオフィーリア。とても怖い顔をしている。裏面は裸婦。

最後はルオーの絵画作品だが、いつもよりも面白く見た。
特にユビュ親父のシリーズの一つ「アフリカの風景」の試作で面白いのがある。
目つきがわるいのだが、こんな顔も描くのかといい感じに思った。

知らない画家の仕事も見て、見知ってるつもりの画家の知らない仕事も見て、とても有意義だった。
6/21まで。

出光美術館「東洋の美」

既に終了したが出光美術館「東洋の美」展ではいいものを色々みた。
もともと所蔵品の中でも特にやきものに名品が多いと思っているが、今回もいいやきものの登場と、更に他の工芸品もよいのが現れて、ごく賑やかで華やかなラインナップだった。
副題は「中国・朝鮮・東南アジアの名品」だが、まさにその通りの展開だった。
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第一章 美の誕生 原始・古代中国の陶磁器

彩陶双耳壺 新石器時代  モダンな文様が胴周りを覆っている。(必)を意匠化したような文様があちらこちらにあり、それも面白い。

西周~春秋・千国時代の灰釉の陶磁器が並ぶ。みんな米色に見えた。米色とはいえもっと言えば精米前の色に近い。

灰陶加彩龍雲文獣環耳壺 前漢時代  おお、久しぶり。朱色の薄いのが巻いている龍。ムフフな顔。これは大阪に出光美術館の分館があった頃、好きになったもの。
ほかには龍のいない雲文のも出ているが、モダンでいい感じ。
アールデコの時代の柄ぽい。

西晋時代の青磁もいい。
羊や鳥などがワイワイと寄り集まる神亭壺、何かもの食べてるクマを足にした燭台。
獅子と鳳凰を貼りつけた壺には他に猿、豚、カニ、トカゲ、亀、羊、鳥などがいて賑やかすぎるくらい。
明器にしても騒がしい状況ですな。

次にいきなり縄文土器と弥生式土器が出現した。
すごいな、全然違う。弥生の壺型土器のボディにはぐるぐる延々と線が入っているのだが、これあれだ、朝潮橋にある体育館に似ているわ。
いや、あの体育館が古墳みたいだからそう思うのかもしれない。

埴輪の馬と犬が並ぶ。シンプルなわんこ。最近前漢の青銅わんこの可愛さにキャンといわされてるので、埴輪犬のシンプルな可愛さが新鮮。

第二章 豪華な副葬品 漢時代の青銅器

鍍金把手付酒杯 ええと、これは今もあるアイスコーヒー専用のカップですな。あれは銅のが冷たくていいんだよ。大阪ではアイスコーヒーを「レーコー」と言います、ハイ。

鍍金獣環耳有蓋尊 ここにもクマ足。このクマは蹲り。仲間が三頭。蓋にはトリがいる。

漢代らしく博山炉も銅や鍍金のがある。

特集:愛くるしい動物たち
こういうコーナーにヤラレるわけですよ。

鍍金闘獣文金具 漢代 鷲と虎に馬か鹿が噛まれてます。どこにも逃げ場はないな。

鍍金虎鎮 漢代 三頭の虎がぐーるぐる…バターになっても知らないよ。

銅製三虎鎮 漢代 てんこもり。緑色になった虎たち。ラグビーのモール崩れみたいな感じ。

鍍金の鎮で、亀とラクダの区別がつかないのがある。背中の特徴がわかりにくい。

鍍金玉象嵌熊型脚 漢代 座ったクマ。玉象嵌のその玉はトルコ石ですな。あちこちに嵌め込まれている。

南北朝にも可愛いのがある。
銅製獣面鋪首 把手なんだが、動物の顔の上半分やね。

特集:銅鏡
前漢から唐、そして日本の和鏡へ。

黒漆平脱彩画雲気文小盒 前漢 7セットある。3種の文様がデザインされていた。けっこう凝っている。

獣帯鏡 後漢 脚付きの龍ががおーっなかなか可愛い。

車馬人物画像鏡 後漢 6頭立ての馬車で乗っているのはどうやら西王母と東王父らしい。

月兎双鵲文八花鏡 唐代 餅つき兎に花喰い鵲に踊り龍というお仲間。めでたそう。

秋草蝶鳥文鏡 平安後期 雀が可愛い。

片輪車双鳥文鏡 鎌倉時代 ジャブジャブ洗う。いやもう本当にこれは乾燥防護なんだけど、洗ってますという感じがする。

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第3章 祈りのかたち 中国・朝鮮の仏教美術

青磁象嵌蒲柳水禽唐子文浄瓶 高麗時代 ああ、本当に綺麗。わたしは高麗盛期の青磁象嵌がいちばん綺麗なものだと思っている。秘色ではなく翡色の青磁。素晴らしい。
鶴とも鷺ともつかぬ水鳥が飛んだり歩いたり。唐子らも歩く。柳の枝がいい。
本当に優美。優美という言葉は高麗の青磁のためにある。

銅製経筒 1110  ああ末法の世ですなあ。

第4章 青磁・粉青・白磁 高麗・朝鮮王朝時代の陶磁器
12世紀から13世紀半ばの高麗青磁の美貌についてはいくら言葉を費やしてもまだ足りない。本当に素晴らしい。

いくつも名品が並ぶのを見るうちに、自分の中が清浄になってゆくような気がしてくる。
青磁陰刻、青磁陽刻、青磁象嵌。
様々なうつくしい装飾を施された身体は翡色に覆われている。
辰砂を使ったものはどこか河野通勢の絵を思わせもする。
柳と水禽のいる図柄は永遠に時間が止まり、無限にその安寧が続く。
愛らしいもの、綺麗なもの、蕩けてしまうほどのもの。
それらをガラス越しに見つめていると様々な想いが湧きだす。
本当に心地いい。

少し時代が下がり、青磁とはいえ異なる色のものが現れる。
鉄絵で描かれた草花が愛らしいものが多い。
丁度このときこのコーナーに他に人がいなかったので、わたしは真正面からだけでなく斜めからも見た。意図せぬ視点からの鑑賞は愉しい。
わたしは黙って笑った。

とうとう粉青沙器が来た。
ニガテなのだ。しかしそれは印花がいやだからで、刷毛目のものはそうではない、ということに後日気づいた。

大阪の東洋陶磁美術館でもそうだが、やはり高麗青磁の優美なものをみて蕩けてしまうと、なかなか心が切り替えられない。
そこへ粉青がくるとなんとなくがっかりしてしまうのだ。
これはわたしだけのことかもしれないが、三島をみると日常に引き戻されてしまう。家には三島はないが、出先で鍋を食べるとかすると三島の鍋が多い。
結局、それが粉青の特に印花のものが好きではない最大の理由なのだった。

李朝になり嗜好が変わる。政治的な状況もかわる。
白磁と青花があらわれる。
数百年前の青磁を惜しみながらも、白磁にささやかな草花が描かれているやきものにも愛情がわいてくる。

龍や虎のファンキーな顔つきのものが出てくる。民画の影響の濃いものもある。
これはこれで楽しい。

特集:高麗茶碗
去年だったが、根津美術館で大々的な井戸茶碗特集を見たが、どうしても高麗茶碗を見ると、鑑賞よりも実際にこれでお茶をいただきたい、という欲望が湧きだしてきて困る。
あの時もそうだったが、今回も色々と自分に都合の良いことを思いながら眺めていた。
伊羅保も熊川も粉引もそんな風な眼でみてしまう。
しかし、自分がこんな立派な茶碗を手にする日は来ないだろうこともわかってはいる。

第5章 東南アジアの名品 ベトナム、タイの青花・色絵・鉄絵
可愛いものが多い。

青花雲龍文壺 ベトナム 15-16世紀 雨ににじむような風情。龍は風雨を呼ぶ。海を渡る龍。

色絵花鳥文皿 ベトナム 15-16世紀 鳩とザクロ。これも吉祥文。中国の影響がある。

青花貼花麒麟文乳瓶 ベトナム 15-16世紀 「ケンディ」という形らしい。
この時代のベトナムの歴史のことをもう一度学ぼう。

褐彩草花文瓢形瓶 タイ 15世紀 柄はちょっとくすんでいるような感じがあるが、これは経年劣化なのだろうか。手の込んだ文様。

第6章 多様な工芸品 明・清および朝鮮王朝時代の漆・玉・牙角・金属器

紫檀宝石飾如意 清朝 派手!翡翠、水晶、瑪瑙、白玉、トルマリン…
不透明な石を愛する気持ちが昂じるとこうなるのか。

鉄製金銀彩楼閣文鉢 明代 「楓橋夜泊」の詩までここに書きこまれているのか。四つの詩がついたり建物があったり。

古銅兎形香炉 明代 2つあり、それぞれ表情が違っていて可愛い。撫でたくなる。

螺鈿双鳳花鳥文衣裳箱 朝鮮王朝時代 豪華!とても綺麗。ロバに乗る高士か何かがある。別な面ではブドウにリスの図なのだが、真ん中のリスは美味しい美味しいとばかりにブドウを食べていて、左右に来たリスたちはそれを見ているだけ。
綺麗で楽しい。
螺鈿も好きなのはこの時代のものと平安時代、江戸時代後期からのものだ。

ああ、綺麗なものをたくさん見た。ありがとう。

速水御舟とその周辺 大正期日本画の俊英たち

世田谷美術館で開催中の「速水御舟とその周辺 大正期日本画の俊英たち」展を見た。
後期に行ったので御舟の群青中毒の代表作などは観なかった。
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前方後円墳のあの形を思わせる最初の展示室、そのホールではこれらの絵が出ていた。

速水御舟 《菊花図》 1921(大正10)年
速水御舟 《桔梗》 1933(昭和8)年
間を挟んで
速水御舟  《女二題 其一》1931(昭和6)年 本画と下絵と。

左手に菊の絵とその下絵など、右手に女たち。どこにでもいそうな女たちがいる図。
ある種のナマナマしさが押し寄せてくる。


第1章 安雅堂画塾―師・松本楓湖と兄弟子・今村紫紅との出会い
歴史画の大家・松本楓湖の下での修業時代。「禾湖」の頃。

松本楓湖 《武士と幼子》 1903(明治36)年  石臼を結びつけられた赤ん坊を見る武士。石臼を結びつける民俗は地方によりあるようで、五姓田も描いていた。ほかに一休さんのアニメでもその逸話があった。

松本楓湖 《大塔宮護良親王》  陣中にいる。あちこち矢を受けている。明治の頃は太平記ブームがあった。悲劇の親王を描く絵は多い。

今村紫紅 《黄石公・張良》  1911(明治44)年  儚げな張良。可愛い。

速水御舟  《猫柳に小禽》  1909(明治42)年   墨絵に近い。ふっくらしたのが一羽。

古画を模写して技術の向上をめざす。
速水御舟 《北野天神縁起絵巻 模写》 1909‐12(明治42年-大正元)年
速水御舟 《病草紙(鳥目の女) 模写》 1909‐12(明治42年-大正元)年
小茂田青樹 《花籃図 模写》 1910‐12(明治43年-大正元)年
けっこう怖いな…花籠は4種あるが閉じ込められているような感じが濃い。新南画か…

小茂田青樹 《蛙 写生》 1910‐12(明治43年-大正元)年  色んな種類のカエルたち。こういうのを見るのは楽しい。

第2章 赤曜会―今村紫紅と院展目黒派
目黒に集まる人々。池袋モンパルナス、田端文士村、大森文士村、渋谷ユートピア…

このあたりの親分たる今村紫紅の連作を見る。近江八景の小下絵 1912年。
後期に出ていたのは、堅田、石山、矢走(矢橋)、比良。
南画だと思う。空気がゆったりしている。湿り気があるのは琵琶湖の水のせいかもしれない。いや、南画はそもそも空気に湿り気があるものだ。

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今村紫紅 《水汲女・牛飼男》 1914(大正3)年  インドが舞台の対もの。石段を降りる女。インコかオウムかがいるのも熱国風。男の方は建物の中にいる。牛も静か。
日本画家でインドや南国に行って名作を残した、という人は多い。
このほかにも紫紅は熱国之巻の立派な絵巻を作った。
大観はインド美人を描き、秋野不矩はインド風景をテーマにし、田中一村は奄美に暮らし、松篁さんはハワイの花鳥を描いた。
暑い国の魅力を伝えてくれた画家たちに感謝したい。

速水御舟 《山茶花》 1914(大正3)年  花びらの端に薄紅の滲む白花。花芯は黄色。
椿と違い、はらはらと落ちてゆく。

速水御舟 《横浜》 1915(大正4)年  煉瓦の工場ばかりがずらり。今だとレトロな建物だと言ってリノベされ人気スポットになるような感じ。煙も上がる。港町だということも忘れない。

小茂田青樹 《薊》 1914(大正3)年  毒々しい花がもぁぁと現れる。大正デカダンスの匂いもするくらい。

小茂田青樹 《蒲田》 1915(大正4)年  何にもない場所なのにびっくり。
それにしても御舟と青樹とはつくづく「対」の作家なのだと思った。
これは双方が意図しての事なのか。

牛田雞村 《富士》 1920(大正9)年  裾野に蛇行する川、富士川なのかどうかはわからない。そして集落がある。静かな情景。風景の中に感情がある。

牛田雞村 《藁家》 どっしりした一軒の家。笹を切っていたりする。

若い頃の御舟・牛田・青樹の三人のいる写真が出ていた。この並びでそれぞれポーズをキメている。見返り・後ろ向きで睫毛の影だけ見せる・斜め前を向く。
ちょっとした「三美男」の態である。

小山大月 《芍薬》 1925(大正14)年  白く豊かな花が並ぶ。ふわふわと幾重にも重なる花びら。しかし一枚一枚は薄い。その花びらの薄い感触が指に伝わるようだ。足元にスギナらしきものもある。幻想ではない花。

小山大月 《朝顔》 大正末期  墨絵だからこそ描ける明け方。その時間帯に咲く朝顔。

小山大月 《入相櫻》 昭和初期  金色の三日月の下に。
小山の絵はすべて青梅市立美術館から来ている。
以前も思ったが、あの美術館は知られざる近代日本画の宝庫だと思う。
こちらは30周年記念の近代日本画展の感想


第3章 良きライバル-速水御舟と小茂田青樹
比較展示が思いがけない効果をもたらしたように思った。

速水御舟 《白磁の皿に柘榴》 1921(大正10)年  固い柘榴がこの綺麗な皿の上にある。柘榴から少し滲む赤いものに業を見るかのようだ。そしてこの絵の背景は金地である。
まるでイコンのようだと思った。

対として並べられている絵たち。
速水御舟 《山茶花に猫》 1921(大正10)年   木を見上げるキジやん。可愛い。

小茂田青樹 《猫にオシロイ花》 1925(大正14)年  ピンクの薄い花の前に佇む白地にキジやん。蝶々を見上げている。尻尾も可愛い。
画像は前期出演の猫の絵だが、構図は二人とも同じである。
どこの猫もやはりこうして見上げるので、構図を参考にしたとかしないとかは無意味。
イメージ (30)

速水御舟 《仲秋名月》 1927(昭和2)年  薄い月下にミカンの木が。

小茂田青樹 《月涼》 1927(昭和2年)頃  薄闇が広がり満月も隠れそう。下にはクチナシが咲いていた。

速水御舟 《牽牛花》 1926(昭和元)年  よく咲いている。きもちいい。

小茂田青樹 《牽牛花》 1924(大正13)年 赤い朝顔がもぁぁとした中に。

二人ともそれぞれの夭折の原因は異なるのだが、どちらも「描いてしまったのか」という作品が少なくない、という特性があるように思う。
特に御舟にその傾向が顕著で、「あ、早死にするな」と思うような絵がちょこちょこ見受けられる。そんな絵を描くから、という感じもある。
だが、そんな絵世に送り出せるのもやはり御舟ならではだと言える。

小茂田青樹 《ポンポンダリア》 1922(大正11)年   青花の魚柄瓶に活けられている。瓶自体は東洋陶磁美術館などで見受けられるあれ。
そこにポンポンポンと三本ばかり。なにやら空気を澱ませるような存在感がある。

小茂田青樹 《薔薇》 1927(昭和2年)頃   モコモコした薔薇にアゲハが。…ヤバイな、と感じるのはこうした絵を見たとき。こういう絵を描いていると夭折するぞ、と思うのだ。
しかし画家は描かずにいられないのだ。

例の「日本・ローマ」展で渡欧した御舟はそのまま足を延ばして外遊を続けた。
現地を取材して描いた作品のいくつかを見る。

速水御舟 《彼南のサンパン》 1931(昭和6)年  柄のついた小舟を漕ぐ二人。褐色の肌の逞しい青年たち。

速水御舟 《オルヴェートにて》 1931(昭和6)年  イタリーのシャレ男らしきのと幼女とがいる。その後ろの建物の三階には女がいて外を見ている。なんとなく危ない。

速水御舟 《埃及風俗図巻》 1931(昭和6)年  月下の沙漠。黒馬に乗る人。みんな→へ→へと歩いてゆく。………ツタンカーメン発掘から数年後のエジプト。
まだブームは続いていたかどうか。

なお展示されているローマスケッチは平塚市美術館に寄託されている。
アメリカの絵は東近美でも去年展示されていた。

下絵を見てびっくりしたのがこちら。
速水御舟  《翠苔緑芝》(小下図) 1928(昭和3)年  山種美術館にあるのと比較すると、だいぶ違っている。
まず右手の土坡にいる黒猫と青桐と枇杷の木は変わらないが、そこに白猫までいたのだ。それも白猫が現行の黒猫と同じポーズでいて、その黒猫は木を見上げている。
更にピンクのサツキのところに朝顔の鉢が3つ並ぶ。
次に左の兎の方も青い紫陽花の木がこんもりしてるのは変わらないが、土坡にいるのは二羽ではなく三羽だった。
おおーーーだいぶそぎ落としたのだなあ。
やはり下絵を見ると変遷が見えて面白い。


第4章 御舟一門―高橋周桑と吉田善彦
こちらも対として。高橋は創画会、吉田は院展でそれぞれ活躍した。

高橋周桑 《寧楽の杜》 1950(昭和25)年頃  木と木とが自らの意思で寄り集まっているかのようだ。いかにもこの時代だという感じがある。そして新しい日本画を目指そうという意気込みも。
1948(昭23)年の「創造美術」創立メンバーだということを実感する。

ハッ となる屏風が二点。
高橋周桑 《白木蓮》 1959(昭和34)年頃
吉田善彦 《苔庭》1947(昭和22)年
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屏風の大きさも異なるのに、対かと思った。
薄い鶸色かかった白い花びらの白木蓮と、大石に躑躅に鶺鴒のいる庭。
どちらもがとても魅力的で、しかもこうして居並ぶことでより豊かな広がりを見せたと思う。

高橋周桑 《濠の月》 1961(昭和36)年頃  ダムを包み込むような山。そこへコンバンハとやってくる月。なんとなくほっとする。

吉田善彦 《菊》 1969(昭和44)年   糸菊、紅い。師匠の感性が活きている。温和な世界から少し踏み出した感じ。

吉田の丁寧な風景スケッチがいい。画家はやはり旅をしてその風景をカタチにする人が多い。

最後に御舟の次女・吉田和子さんによる御舟のエピソードを紹介する。
'84年のアサヒグラフのインタビューから。
「面白い明るいお父さん」で「笑い上戸のいたずら好き」だったそうだ。
映画「街の灯」を見に行ったり音楽を聴いたりと楽しい暮らしぶりの人だったそうだ。

早く亡くなったとはいえ、生活の場ではご機嫌だったというのがなにやら嬉しい。

7/5まで。

五島美術館「近代の日本画」

五島美術館の「近代の日本画」展を見に行った。
近年はこのように所蔵の日本画の展覧会があるので嬉しい。
今回は初夏の時期での展示に合わせてか、見ると涼しいような心持ちになる作品が多かった。

浅こう山水 川端玉章 ラクダの首のような山がある。薄墨に薄い朱が軽くはかれている。

吉野春暁図・龍田秋色図 野村文挙 ああ、いかにも四条派。

夕風 小川芋銭 ああ、この絵は好き。白馬と村人たちがずらずらと夕暮れの風の中で歩く。いい気持ち。
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蓬莱仙境図 芋銭 空には雲と鳳凰、海上に岩があるが、それが博山炉にそっくり。寿老人と鶴らしきものがいる。
芋銭の幻想的な絵は舞台が農村や山中が多いので、こうした前提からして幻想的な状況での絵はあまり知らない。

松並木 横山大観 縦長の絵。なんだかもうこういうのを見るとそこを歩きたくなる。

対のようなものがある。
飛泉 大観 波の形が、まんが日本昔ばなしぽい。
暮嶽 大観 ちょろちょろ滝が山裾に。

東海の浜 大観 白い山、近景に松あおあお。

浦澳 山海20題の内 大観 このタイトルの意味は「水が陸地奥深くにひたひたと入り込むこと」らしい。
絵もその通りで、その空気感が心地よい。

竹外一枝 大観 墨絵で夏を描くと涼やかになる。右に竹林と小屋、左には梅に鴬。

春曙 大観 山桜と飛んでゆく小鳥と。
大観は大仰な絵などより、こうした小品にこそ本当の魅力があると思う。

富士の四季を描いた連作も並ぶ・
わたしは夏が特に好きだな。雲の向こうにぽっかり浮かぶ山頂は青かった。

春峡 川合玉堂 筏に桜。気持ちよさそう。

高嶺秋晴 玉堂 山の中腹を突っ切る馬と人々の一行。
風の心地よさが伝わってくる。

青嵐 小杉放菴 岩のところに一人の杣が休んでいる。気持ちよさそう。

柳桜 小林小径 右に桜、左に柳。その村中にぶち犬がいる。木の下にはサギもいて、のどかな春の午後を満喫する。

梅さける村 小茂田青樹 白川。倉が並ぶ。白梅と紅梅が咲く村。紅梅の方にはバンザイする雀が見えた。
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百年前の白川あたりをみると、白川女の仕事がよくわかる気がする。
こちらがバンザイ雀イメージ (32)-1

ああ、心地よい風を感じる展覧会だった。

ほかに現代の書と宇野雪村コレクションの明清の中国文具もあり、細かいことはわからぬながらも、それらが涼しさを更に呼んでいるかのようだった。

中でもよかったのは法華経普門品を書いた加藤湘堂の手跡。とても綺麗だった。

6/21まで。

三輪晁勢 色彩の歓喜

急遽堂本印象美術館へ向かった。
「三輪晁勢 色彩の歓喜」を観るためである。
昨日の真夜中にその気になり、最終日の6/14に出かけたのだ。

三輪は堂本印象の一番弟子で、ずっと一緒だったそうだ。
奥さんは印象の妹ミツ。
現在この京都府立堂本印象美術館の館長・三輪晃久さんは二人の長男。

カラリスト、という印象がとても強い。この二枚のチラシを見ても間違いないと思う。
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上の紫陽花は1978年の作で、亡父を偲んで描いたものだという。
三輪は紫陽花が大好きだったそうだ。
わたしもこのチラシを見て万難を排して出かける気になった。
手前左の群青の一群は山口蓬春の助言を容れての彩色。
この群青が効いて、奥の色の変化がとても綺麗に見える。
実は「E」の字のところに蝶が隠れてしまった。
後に字のない絵を挙げる。

下の「蓼科高原にて」は1968年。こちらの方がなにやらポップな感じがする。
百合を始め様々な夏の植物が咲きこぼれていて、赤とんぼも飛び交う空間。絵の枠を飛び越えて植物がはびこるのは確かだろう。

どちらもとてもいい絵。

展覧会はあまり初期の作品は出ていなかった。完全にスタイルが決定してからのものが集まり、それが心地よいリズムを生み出していた。

日本画という枠に収まりきらない印象があるのは義兄で師匠の堂本印象と同じである。
戦後の日本画が危機の時代にとても悩んだことだと思う。
それを超えたとき、線描を極力抑えた、色彩を前面に押し出した作風が建ったのだと思う。
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スロープの回廊の壁面に水彩画が並ぶ。
旅行したおしていたようで、その土地土地の風景や空気を描き、枠の中にとどめおいている。

春風 吉野 1964 澄んだ空色、白い鳥が飛び、紅葉した木々が見える。
この絵はチラシにも紹介されているが、惜しいことにその画像では青の濃い空色に見える。もっと薄いのだが、それはなかなかうまく印刷されないようだ。

白樺林 飛騨平湯 1950 これは1と2とがあり、どちらも平湯温泉にある白樺林を写生したものだが、画家の視線がどうなっていたかがよくわかるような作品。見えているものを自分の色で描いている。

赤目、瑠璃渓、鳳来峡、能登の曽々木海岸…どーどーと音の聞こえそうな川や波濤の激しい海などを描いている。

挿絵の仕事も一方ならぬもので、これについては後日別仕立てで詳しく述べたいと思う。
あの紫陽花とこの挿絵とに魅了されて、北摂からここまで飛んできたのだ。

戦前の三輪は鴨川踊りの舞台背景も担当していた。その資料が出ていた。
綺麗な着物を描いている。重の井と三吉、鈴鹿峠の虹、唐人お吉や三蔵、お蝶夫人、芸者幾松、夜討曽我の二人、菊水の幟を持つ小楠公…
いい絵が多かった。

富士高原野鳥園にて 1971 雷鳥や他に3羽。位置関係が面白い。

兼六園にて 1979 白地に真っ黒な葉ばかりが描かれている。
別に兼六園で描いたものでなくてもいいやと思うのだが、その力強さにくらくらした。

飛騨小坂湯屋 1950 こちらも二枚あるがその視点はあくまでも坐した人むけである。

寒風松原湖 1964 青灰色の空の下にひろがる風景。べた塗の空、雪の乗る木々、シルエットで描かれた小鳥たち。
連作が共に同材料で位置を視点を変えての作品。雪の落ちる音が聞こえてきそうだ。
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藤田が描いた三輪の顔が2点。鉛筆書き。京大近くの吉田にある日仏会館の壁画などを描きに行っていた藤田から呼ばれて出かけたらしい。1935年。藤田49歳、三輪34歳。

二階展示室に入る。
海女 1937 ウニを獲った日焼けした海女である。この時期でのいかにもな造形。

木屋町の家 1956 コンポジション。新しい時代にどう対処してゆこうか決まったのだと思う。
同年には桂離宮の「松琴亭」を描いている。

椿 1978 色彩豊かな表現。椿の葉っぱの色が全部違うのがすごかった。
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万葉植物苑を描いたものもある。
チチの実 1974 鹿もいる万葉植物苑。チチの実とは犬枇杷のことだというが、わたしは知らない。たくさんの植物は皆、万葉集に現れるもの。

丘の家 1955 巨大な画面いっぱいに家家家…雑賀崎の民家を描いたらしい。
なんだかもう本当にすごかった。

こちらがノーカットの紫陽花咲く。
六甲で写生した精華。イメージ (26)
ああ、綺麗なものを見た。

舟造る砂丘 1934 白浜らしい。サボテンがいっぱい、椿も小さくまとまっている。船を造る人。「一本刀土俵入」をなんとなく思い出した。あの初演はこの絵の3年前か。
これや「海女」などをみると、時代の要請というか潮流を感じる。
杉山寧、橋本明治、高山辰雄にも共通して言えると思う。

朱柱 1961  この柱は唐招提寺の柱列で、その柱の隙間に浮かぶのは三月堂の吉祥天の柔和なおもて。
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ありえない組み合わせなのだが、三輪がこのように描くと、何の違和感もなくなる。
一見したところは色違いの縦線を並べただけのようだが、こうして間近で意味を見出しながら眺めると、深い感銘が湧き起ってくる。そして現実ではないとわかりながらも、この景色が見たくて唐招提寺に行きたくなるのだ。見つかるはずもない景色を探しに。

春庭 1929 二種の桜に山吹に蒲公英などなど。そこにいるのは鹿だが、同年の堂本の「木花開耶媛」の影響下にある、というのは確かに感じる。
うっとりするような春の午後。
1920年の土田麦僊「春」もうっとりするような春の庭だが、1920-30年代にはこうした蕩ける春が存在したのかもしれない。

新館へ。
前庭の萩 1980 ああ、なんだか子供が喜んで好き勝手に元気に描いたかのような趣がある。プロとしてはどうなのか、はわからないが、楽しそうな得であることは確かだ。

ガラス瓶の薔薇、柄の入った壺の牡丹、どちらもいっぱいいっぱいの花。
密集していた。

富士山を描いた作品も数点ある。

黄色い椅子 1956 黄色の皮貼りの椅子に寄りかかって座る和装美人。妻径子(ミツ)がモデル。たいへんな美人である。帯はモダンな白地に細い黒線が走るもので裏側が椅子と同色。胡粉のキラメキが目をひく。

古庫 1958 校倉の丸太の組み合わさったところだけを描いている。大きな絵で実物大のような気がした。いや、そう見えるような絵。全体の一部をトリミングしたかのような。
なんだかとてもかっこいい。

緑窓 1962 こちらも実験的な作品。奈良の大神神社所蔵だが、確かに神社の回廊などを歩いていて、ふと窓を見遣るとこんな風に緑が窓いっぱいに広がっている。
寺社は緑を守る領域でもある。緑は深く強い。

マタドール 1961 メキシコに行って闘牛を見てコーフンしたそうだ。赤地に黒い黒い強そうな猛牛。ヴモーとかいう雄叫びが聴こえてきそう。

椰子の実 1972 サモアにいったときの絵。椰子の生える砂べりに長髪の綺麗なお姉さんが寝ころび、顔をこちらに向けている。そばには彼女の幼い子供が嬉しそうに立つ。
落ちた椰子の実からは芽が吹いている。

菖蒲 1980 毛越寺の菖蒲である。以前にも描いているが、これがその集大成かと思う。
様々な色を見せる花菖蒲が一様に前を向いて咲いている。
満員である。ぎっしりみっしりの花菖蒲。

白濤 1964 輪島の海。能登の日本海。太平洋とは違う波である。優しさがある。

たいへんよいものを見せてもらった。
またどこかでまとめて見てみたい。
なお挿絵は別項で挙げたい。

組むたのしみ

藤田美術館の「組むたのしみ」をみてきた。
明るいチラシである。
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四季+アルファで構成された展示で、3月から始まっただけに雛祭りの絵が並ぶ。


雛および飾り物図 訥言  立雛が互いをみつめあいながら微笑む。
珍しい構図だと思う。寄り添うか、きちんと並んで真正面を向くか、というスタイルが多い立雛が、外を見ずに相手と見つめ合っているのだ。
背景は瑞鳥の飛ぶ、春の花―水仙、牡丹、蒲公英、花菖蒲 が描かれた障壁画で、この立雛は繧繝縁の上にいる。

雛に捧げられたように、根来塗の片口と何代目かの中村宗哲が拵えた糸目酒盃が黒い台に置かれている。

明の薄黄肌色の人形手茶碗、交趾桃香合「みちとせ」、備前緋襷肩衝茶入「わか草」、二つ名を持つ茶杓が組まれていた。
艶やかな桃、奔放な緋襷に堅実な肩衝の茶入、「東方朔」と「藤の裏葉」と呼ばれる茶杓。いずれも春のものとして、ここにある。

黄瀬戸兜皿が好ましい。油揚手に胆礬の緑がいくつも浮かぶのがいい。それが5客。
慶入の蛤形向付の濃い緑もいい。こちらは二つの貝殻が隙間を見せぬように重なり合う様を表現している。
どちらもどんな料理を載せたのかがとても気になる。


初夏
萩焼木葉皿が可愛い。むしろ粉青にもみえるような感じの表面。葉っぱはこれは柏かな。
釉薬のやや濃いめの砧青磁の花入、根来塗の折敷、質実剛健。
西村九兵衛の四方釜、黒樂茶碗「太郎」のずっしりさ。
たくましい感じがする初夏の取り合わせだった。



日本から明に発注した染付吹墨馬皿がいい。形は変形ものなんだが、それは馬の形に合わせてのこと。で、その馬の表情がなかなか。座ってくつろいでいるようなポーズをとりつつ鋭い眼で見返り中。
そしてその裏も紹介されている。ひっくり返されたこの皿、足が四つついているが、こちらにも馬の顔が描かれているのだ。前後に顔を描く馬皿。

夏は暑いので少しでも涼やかなものをという考えからの取り合わせがあった。
竹花入「那智」と朝鮮唐津壺型水指「廬瀑」。日本第一の滝と中国の廬山の滝と。
どちらもなるほど滝に見える景色がある。

小川破笠の平蒔絵香合がある。中国の故事の「ホタルノヒカリ」をモチーフにしたもの。
ホタルブクロに入れて蛍光を集めたのか。
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枇杷色のトトヤ茶碗、大きな砂張の舟形花入、茶杓「俊寛」が選ばれたのは彼が海の向こうにいるからか。

ほかに御所丸黒刷毛茶碗「緋袴」は見込みに薄――く緋が広がっていた。刷毛目は抽象的なデザイン。



月下兎図 是真 可愛いわー。もぅほんと、可愛い。
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李朝になってからの青磁が出ていた。
砧青磁茶碗「満月」外は鎬文で明るい色を見せている。金覆輪がオシャレ。

他に秋の月を思わせる水指、茶杓などが取り揃えられていた。
その茶杓の共筒には師弟の戯れ歌が書かれている。
「浦山シ さかいのうみの 月見哉」
「風のよくなす 秋の白浪」



蜜柑祥瑞香合 これも日本発注の明での作成。唐子らが可愛い絵柄。

白雁かスワンかわからない香合も可愛い。もっちゃりした赤樂「埋火」もある。

三番叟蒔絵茶箱は留守文様で、注連縄に鈴、シダがついているのが可愛い。
この構成品のうち面白いのは壺型をした塩筍茶碗。
そして仁清の鴛鴦もいた。17-1.jpeg

これは大和文華館にしかないと思っていたよ。藤田にもあったのだなあ…

布袋茶箱 真正面向いてスヤスヤ眠る布袋さんを箱にして、集めたものはやはり舶来品が多い。
象牙の茶杓に宋胡録の香合、それに刷毛目の塩筍。

小貫入茶碗「雄蔵山」すなわち小倉山。秋のような色めを見せているらしい。
古井戸茶碗「老僧」 斑文がかなり出ていることからの銘。カイラギがスゴイ。
オランダ藍絵立菊桔梗文鉢 白抜きの花もあり、8種がきれいに並ぶのがいい。

他に特別に酔胡従の面があった。なんだか怖いような気がした。

最後にノンコウの黒樂「朽葉」が出ていた。土の中に埋もれていたような感じ。
こういうのも面白い。

6/14で終了。

昔も今も、こんぴらさん

あべのハルカスで「昔も今も、こんぴらさん」展を観た。
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2007年に東京藝大美術館で「金刀比羅宮 書院の美」展を観て大いに感銘を受けてから8年、久しぶりのこんぴらさんである。
数は藝大には及ばないがなかなか良いものが出ていて、たいへん楽しかった。
百貨店らしく、出口付近では金刀比羅さんの音曲まで聴こえた。
こちらは前回観たときの感想
今回も変わらず「とら・虎・トラ」に溺れている。

入るといきなり天井から大漁旗がつられているのが見えた。
そう、船乗りの守り神たる金毘羅さん。
今回の展覧会は「金比羅狗」の案内で始まる。
こんぴらさんの名称についても説明がある。
金比羅、金毘羅、金刀比羅、琴平…
まぁどれでもいいや、ということにしておこう。

樽があった。流し樽。これは拾たらその人がまた流してあげて、最後の人が収めに行く、というシステムで、最初の願人と最後の世話人とにご利益があるそうな。リレーですな。
二つ展示されてて、一つは「平成十三年」…えらい近年やな。一つは「護衛艦ゆうぎり」…おいおい。
要するに現代でもこの風習は民間・公的な機関問わずに守られ、信仰は続いているということですな。

大きな船絵馬がある。白帆をはった船が実にたくさん。働く船に働く人々。
明治半ばの奉納品で、大阪の絵馬屋藤兵衛の作だとある。
大阪の黒金橋北詰の店屋だと書かれているが、どこらへんかと帰宅後調べたら、南堀江の辺りにかつてあった橋だったそうな。
そうね。かつては「なにわ八百八橋」と謳われましたものな。四ツ橋かて信濃橋かてもう地名しか残らん。

海難図絵馬 1900年奉納  実際に海に投げ出されている人が3人顔と手を挙げて拝んでいる。稚拙な絵だが、可愛らしい。拝む先の波の上には御幣がみえる。つまり金幣でこんぴらさんのご神霊にあたるもの。三人のうち一人の手になるらしい絵。

海難図絵馬 1932年奉納 こちらは大波にさらわれそうな船に乗る人々と会場に現れる金幣。うむ、あらたかなり。

海難事故と神様と言えば小泉八雲「漂流」が非常に素晴らしい作品なのだが、あれは読んでて口の中に本当に水が入り込んできそうな勢いがある。

表菱垣廻船金比羅丸の模型がある。これは前にも見たな。1796年のもの。

さて趣が変わる。
象頭山社頭並大祭礼行列図屏風 伝・狩野晴信  これも前に見たが、実に大群衆が嬉しそうににこにこしながら駆け出している。みんながみんなこんぴらさんのお参りに向かっている。急げや急げ。元気があふれかえっている。
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こんぴらさんのご祭神は二柱。大物主神と崇徳天皇。崇徳院は「讃岐院」とも呼ばれた日本最大の御霊の一人。
あまりにモノスゴイ祟りがあるので、明治維新で新時代が始まった最初の日、明治天皇の最初の詔が実は讃岐から崇徳院の御魂を京へ還御させること、だったのだ。そもそも亡くなった時も棺から血が滴り続けたとかどうのこうのと恐ろしい話がいくらでもある。
新時代になっても祟りを封じよう、ということはとても大切だったのだ。
さて歴史画の大家たる菊池容齊がかれらの絵を描いている。
途方に暮れる大国主のもとへ現れる大物主、憤りのあまり髪も爪も髭も伸ばしまくりの崇徳院…対幅で描く。

宝冠がなくなり十一面ではなくなった観音さんも並ぶが、迫ってくる迫力がある。

伝・巨勢金岡の弁天さんと15童子、不動明王とセイタカ・コンガラ図が並ぶ。
だいぶ黒くなっていて見づらいが、赤いセイタカはなにやらお悩み中。コンガラは後世の補筆が大きいそうな。

金比羅狗図 平林春一 1938 なつかしいね。代参狗のお世話をしたり可愛がる人々の姿がある。いいもんですな。
その代参狗の像や石段にいる画像もあった。
  

いよいよ応挙。襖絵大特集。
まずは鶴のシリーズ。
中に「オホ」とか言いそうな、<馬場のぼる描く>みたいな鶴もいた。
飛ぶのもいる。

遊虎図  応挙 1787年。
東面 この水飲み親子虎がもぉ可愛くて可愛くて。
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仔虎の可愛さに至ってはこちらから噛んだろかと思うくらいですわ。

北面右 シダも咲いていた。むふっの正面顔。

北面左 シダがよく咲く中でまつ毛の長い豹が寝ている。

西面 ああもう可愛すぎて苦しいわ。
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手のふてぶてしさ、たまりませんね。クリックしたら拡大。
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顔を汚された竹林七賢図、陵王の衝立などが並ぶ。

若冲の花丸図も残されているのがきている。40点35種の絵。
椿に始まり櫻で終わる40点35種の花々。

高橋由一登場。
前回の展覧会ではあまり出なかったのね。
わたしは20年ほど前に金丸座の芝居を見に行って、そのとき琴平花壇に宿泊したが、あの石段を上ってお参りに行った。
そのとき宝物館で随分たくさんの由一の絵を見た。
だから今回の豆腐に油揚、なまり節、タイに魚類に、桶に入った桜の絵が懐かしい。由一の回顧展でも見なかったものもあったし。
そうそう、宝物館にはサスケハナ号の模型もあった。

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他に琴平山遠望図、象頭山の眼にあたるところに民家があり、ちょっとしたトリック絵画になっている。
やはりなまり節はナマナマしくリアルでおいしそう。

探幽・尚信・安信が12人ずつ分けて描いた三十六歌仙図がある。
探幽が担当した伊勢、業平、小町が群を抜いて美麗。
特に伊勢は顔を挙げていてほんのり甘くて、とても可愛らしい。小町はちょっと物思いにふけっている。

為恭の琴棋書画図は子供らによる行動が可愛い。
訥言の水鳥写生図のリアルさもいい。

鎌倉時代の「なよ竹」は4段まで。後嵯峨天皇に見初められた人妻の話。

見立て女三ノ宮図 勝川春章  カムロが斑の雄猫をじゃれさせてる。可愛い猫。

国芳の讃岐院が八郎為朝を助ける図も出ていた。そうです、天狗も崇徳院のお味方ですわ。

寛斎のブドウにリス、芦雪の鯉に亀、みんな楽しく眺めた。

ああ、久しぶりに金比羅さんに行きたいなあ、と思ったところで展覧会も終わり。
7/12まで。
楽しかったです。

三原順復活祭 四月 サーニン特集

三原順復活祭も会期延長になったという。6/14まで。
とてもありがたく、そして嬉しいことだと思う。

既にグレアムの特集、アンジーの特集、サーニンの特集を終えて今はマックスの特集なのだが、サーニンにもマックスにも不義理をして、いまだにわたしは感想を挙げていなかった。これは自分の怠惰によるもので、全く二人に申し訳ない。
特にサーニン特集は実は二度も見に行っているのだ。
それでいて書けなかった。
今日こそはなんとか書きたいと思っている。
ツイッターは一瞬の歓喜をその瞬間に極限まで高めてくれるが、永続して歓喜を味わうならば、やはりブログなりなんなり長く残るものに書かねばならないと思う。

以下、サーニンと「ルーとソロモン」「ムーン・ライティング」「Sons」に関しての感想。

わたしがサーニンを特に好きになったのは実は連載終了後からだった。
連載時はずっとグレアムのファンだったが、「ロングアゴー」「ムーン・ライティング」と作品が生まれるにつれ、サーニンのことが常に心に浮かび上がるのに気付いた。
もともとサーニンも好きだったのだが、この好意の深まりはなんだろう。
心を分析したりするのは興味がないので、わたしは自分の心の動きを不思議に思いつつ、少年ジャックや青年DDの行動や心の動きを追い続けた。
そしてその結果、わたしなりの結論が出た。
サーニンという存在があればこそ、三原順の世界で「ロングアゴー」「ムーン・ライティング」「Sons」といった作品が生まれたに違いないのだ。
はみだしっ子の他の三人この流れとは違う形になるように思う。
それがいい・わるいということではない。

サーニンの最大の特性を考える。
他者に好意を懐かせずにいられない性質。
それがサーニンにはある。

むろんサーニンは同世代の他の少年たちとももめるし、見知らぬ大人からも酷い目にも遭う。
だが、サーニンの持つ善良さ・向上心・心の熱さ、それが特に際立って<見えて>くる。
これはわたしが彼らと同じ時を過ごした頃にはスルーしていたことなのだが、少し時間と距離を置いたことで、今やはっきりと<見えて>いて、それがサーニンへの厚い好意になるのだった。
支援したい・いつまでも応援したい、がんばれサーニン!そんな声が心の底から飛び出してくる。
そうした状況の中で展示を見る。好意がいよいよ真剣に弥増してゆくのを感じながら。

わたしは単行本をリアルタイムに揃え続けていた。
だから連載完結後に番外編「ついに出なかったサーニンの顔」が単行本に収録されなかった憾みを懐いていた。
そう、この話は「ついに出なかった」単行本収録作品なのだ。
それが掲載されていた「別冊花とゆめ」冬の号が展示されていた。
わたしも長らくその号を手元に置いていた。あるとき失ったが、何度も繰り返し読み続けていたので、単行本になくとも「ついに出なかったサーニンの顔」のストーリー展開やコマなどはすぐに思い浮かんでくる。

その「ついに出なかったサーニンの顔」の載った冬の号には他にわたなべまさこ「百塔」第一話などがあった。「百塔」は後年手に入れることができ、本当に嬉しかった。
なのにサーニンの顔はパイのクリームで見えなかったり、カットの失敗にショックを受けて紙袋で隠されたり、と最後までこの号では見ないままだった。

サーニンが鳥さんを温めるカラーがあった。サーニンと鳥さんとの関係は特別なものだ。
イメージ (9)
後年アラン・パーカーの「バーディ」を見たとき、サーニンの他にも鳥への愛情がこんなにも深い青年がいたのだ、と感慨深く思った。

三原順の作家としての誠実さを顕している、と思ったのは「ルーとソロモン」のための三点のカラー原画だった。79年。一つのために多くの力を注ぐ。複数の作品を見ながら改めて感銘を受ける。

「ルーとソロモン」第一話ラスト近くの、捨てられたソロモンが必死で帰ってきたページが出ていた。
復讐と怒りに燃えるソロモンが巨大な口を開けて「ガオーーーーッ」しかしそれをみて無邪気なルーが「わんわん!」と喜ぶ。まだ小さいからかもしれないが、姉のピアとは違う。
思えば’70-’80年代の三原順の作品に現れる少女はひどく利己的な性質の子が多かったなあ。

雪とサーニンを描いたシーンを集めたボックスがある。
三原順は札幌を離れなかった。札幌は雪がひどく降る。雪を描き分けることが出来る作家だったという。
亜熱帯に近い大阪に住むわたしには細かい違いは、観念としてはわかるが実際にはわからない。だから今回の指摘で初めて三原順の雪の表現の緻密さ・正確さを知ったのだ。

「雪だるまに雪は降る」予告カット、サーニンと雪だるまのシルエット。
「山の上に吹く風は」予告カット、サーニンのスキー、雪だるまを背景に立ち尽くすサーニン、緑色を背景に朱オレンジのシャツを着たサーニンの上に牡丹雪が降る。

雪との密接なかかわりがなければ、このような表現は到底できないと思う。

「ルーとソロモン」のダンスエピソードが出ている。ピアがダンスを懸命に稽古するのだが、相手はソロモンである。ヤケクソのピアはブラジルのカーニヴァルにでも行ってやる、と血が上りきっている。ド迫力のダンスに姉妹の母も引いてしまう。
その稽古が四日も続くので幼いルーは泣き出してしまう。わんわんがルーと遊んでくれないからだ。
ソロモンとピアのダンスは観ているだけで音が聞こえてきそうだった。

「夢をごらん」カラー表紙がある。
グレーの中にサーニンの顔、緑の眼をしている。グレアムは朱オレンジのシャツ、水色のアンジー、マックスはピンクの縞シャツにソックスを揃えている。その周囲にはセピア色の人々の顔写真がいっぱいに舞う。

「夢をごらん」は「はみだしっ子」の様々なエピソードの中でも特によく思い出す。
これは四人との関係で物語が動き出すとはいえ、マスターの抱える苦悩やその人間性などについての描写がよいからだと思う。物語の展開そのものに惹かれる。上質なドラマだと思うのだ。そして書かれてから数十年後の今も、マスターの抱える苦悩は完全には解消されることはないようにも思っている。

カット「眠れぬ夜」 サーニンのびっくり顔、イラッとするアンジーが煙草を吸う、その背景には髑髏。

「カッコーの鳴く森で」の下絵を見る。アンジーの顔だちの綺麗さに感心する。
この時期のアンジーの綺麗な顔を見るのは楽しかった。
今も自分の中での美少年の顔の基本は、この時期のアンジーだと思う。
サーニンとクークー。
「わたしは消えた」のあの言葉の痛ましさ。ただただ切ない。

「ルーとソロモン」原画 予告カット「屋根の上の犬」。教会のような塔と方向計のついたソロモンの首輪。目を閉じて大きな舌を出しているソロモン。妙な面白さがある。
そう、ソロモンには宿命的に妙な面白さというものがある。本人の望むと望まざるとに関わらず。そしてそれこそが「ルーとソロモン」の<主役>である証明なのだ。

ソロモンの頭の上に乗り、誰かの家のチャイムに話しかけるルー、背中を向けるソロモン、さまざまなシーンにも一種のユーモアとペーソスが漂う。

カラー原画をみる。
石造りの暖炉の前でくつろぐみんな。ソロモンも穏やかに眠る。ピアも和やか。セピア色の猫も眠る。一年の内こんな時間、どれほどあったことか。

再びサーニンに戻る。
「裏切者」表紙原画、「カッコー」予告カットなど、サーニンの魅力が開く。
群青色の半袖セーターにコスモスなどを持つサーニン。
「ボクと友達」 2本の木とサンサンと輝く太陽とニコニコするサーニン。赤の島シャツにピンクの靴。
モノクロのカットではウサギを追う手にハンドアックスを持つサーニンと、編を持つマックスがいる。
「裏切者」カラー ウサギを抱っこするサーニン。抹茶色のセーターに藍色のシャツの襟を出している。サーニンの手、きれいだな。背景はパステルトーンが何色かザーザーと塗られている。

「シマシャツ」がベストと言われるサーニンだが(もっと似合うのは酋長スタイルだとか)、単色の服がかなり多い。カラー原画を見るとそのことがわかる。
トラッドな装いがベストだが、意外にスーツがよく似合うのも事実だ。

「裏切者」冒頭のカラー原画がある。
頭に包帯を巻いたサーニンがわんこを呼び寄せようとする。「裏切ったりしないから」クーン、と鳴く犬が近づきかけたとき、女の声がして犬は飛んで逃げてゆく。
サーニンは黙って哀愁に満ちた目をこちらへ向ける。
こげ茶と黄色のシマシマベストにややオレンジ色のシャツ、犬は白に青だった。背景にはパステルカラー。

「Sons」の展示が始まる。
カエルのバレエシーンがあった。これの参考図書もある。ああ、ほんと、カエルのバレエだ。
この頃の作画は非常に細密で、しかも線の太い力強いものだった。
極端なことを言えば1.5倍くらい太くなったように思う。

少年DDとトマスの対話。狼男になるというトマスに「オレが匿ってやる!」と必死で応えるDD。さぞ美しい狼になるだろう、と想像するDD。
少年たちの心の流れがとても心地いい。
しかし思えばモノスゴイ重喜劇だ。美青年が豚になるのだからなあ…

付録のカセットレーベルがある。むっとしながら葉巻を吸う豚と、無邪気にマーガレットを摘むりぼんの豚。

予告「お月さまの贈り物」 赤、黄色、黄緑のグラデーションを背景に、爆弾に乗る襞襟の服を着た豚がいる。既に火種はついていて…

DDの家に行くトマス。ロボのお出迎えのシーン。
ここで三原順がおもちゃだが狼の手袋を持っていたことが紹介されていた。はめていたそうだ。可愛いなあ。

「X Day」「ラストショー」「ロングアゴー」「夕暮れの旅」「夢の中悪夢の中」「ビリーの森ジョディの樹」・・・
「Sons」の表紙でのDDの力強いアップ。まだ幼いがしっかりした肩。斜め下を向くDDの顔はモデルのようにかっこよかった。

単行本の付録ページにあった「Sons」キャラの赤ん坊時代の後ろ姿がずらずら並ぶ絵が出ていた。
これは楽しい。

そして表紙でも後ろ姿のものがある。
このかっこよさには本当に惹かれる。
わたしがほかの作家の作中でキャラの後ろ姿にドキッとするようになったのは、やはり三原順の作品を見たからだと思う。

「はみだしっ子」の頃とは全く異なる作画だが、「Sons」には絵画的な美しさ・力強さを感じることがとても多い。
たとえば枯れ葉の下、綺麗な、とても綺麗なトマスとその上を飛んでゆく鳥のいる、リアリズムな表紙絵。
この表紙絵は本当に素晴らしい。
自分の持つ単行本を開いてもこの絵を見るとドキドキする。

「ウィリアムの伝説」予告カット カエルにヘビにDD。
車の上に婆ちゃんの絵もある。

ジェニファーと雪山のDD、ジュニアが銃を持ってウィリアムを殺しにきたシーン。
そのジュニアの姿に使われたスクリーントーンも出ていた。

予告カット ウィリアムがややうつむいている。グレーの背広に青シャツと縞ネクタイ。その背後には緑にとけ込む青年の姿がある。彼が誰かはわからない。


三原順の作家としての巧さを示す作品とエピソードの紹介がある。

「裏切者」終盤近く、レースでゴール直前に止まるエルバージェとサーニン。ほかの馬たちがどんどん彼らを追い抜いてゆく。エルは動かず、サーニンは静かに顔を上げ、ヘルメットの顎のバンドを外す。ヘルメットはサーニンから落ちてゆく。
このページの良さは文章だけでは伝えきれない。映画でもこれは表現しきれない。
このページの凄さ・巧さ・魅力は、マンガだからこそのものだった。
わたしは今でもこのページのことをすぐに思い出せる。常に意識の底に沈んでいるからだ。
無限に読み続けてきた膨大な数のマンガの中でも、このシーンはベスト10に必ず入っている。

実際このページは非常に高い評価を得ており、マンガスクールの高位入賞者たちにお手本として、このページの複製品が贈られていたという。
サーニンの表情の変化、駆け抜けてゆく馬たち、素晴らしい表現だった。

「裏切者」は'78年3月に「解決篇」が出ていた。夫婦を恐喝していた犯人は誰だというクイズと懸賞がついていたのだ。懐かしい。わたしは犯人は誰かということにこの当時から関心がなかったなあ。
だから犯人がわかったときも「ああ、そうなんだ」と納得したが、未だに推理ものに大して関心がないのはこの頃からの続きらしい。

「ルーとソロモン」でレモンをかじるシーンが出ていた。
ルーもソロモンもウギャーーーッである。泣きわめくルー。可哀想だが、あるあるですからなあ。

野坂昭如「青いオウムとやせた少年」が紹介されていた。鳥と少年の話。
サーニンのことを想う。

インディアンなサーニンがいる。酋長サーニン。赤茶色の横顔と青い小鳥と。


「もう何も」のあるシーンが出ていた。
養子行きの話をグレアムが各自に尋ねるシーンである。
サーニンは言う。騎手になりたい、と。
「ボクは今度こそあのゴールを駆け抜けたいんだ」
静かに語るサーニンの顔。
当時も現在も胸が打たれる。'78年。
グレアムとサーニンの対話を黙って聞くアンジー。たばこを吸いながらその気配を殺して。
やはり名シーンだと思う。

「雪だるまに雪は降る」ラストが出ていた。
3dognightの話である。カンガルーママ。
このシーンがあることで救われた、と当時思っていた。
それは今も変わらない。人によってはその直前のサーニンの「ママは教えてくれなかった」で終わらせる人もあったろう。しかしそれを越えてこのシーンをつけることで深い絶望感から逃れ得たのは確かだった。

様々な絵が並ぶ。
「ルーとソロモン」カラー 9種のソロモンが並ぶ。グラデーションが面白い。
ふくれているソロモン、機嫌のいいソロモン、三原順と一緒にいるソロモン。
グレアムと「露天蒸し風呂」詰め込まれ中のソロモンもいる。
「バックでベートーヴェンの『悲愴』でも弾きましょうか、ねえ大将!」
「うるせーほっとけ!」

雪の上で難しい顔をして寝転ぶサーニンもいる。
深緑のオーバーオールに正チャン帽、手袋と靴は薄い黄緑だった。
雪は降り続いている。

「カッコー」'78.10扉絵 木がある。サーニンは立ち、マーシアは座る。ピンクの帽子に薔薇。スカートの膝には花がある。

クークーが「サーニン」の名を叫ぶ。水に流されたサーニンはその声で復活する。サーニンを追うグレアム。
「聞こえるかい?ボクの呼ぶ声聞こえるかい?」
クークーと叫び岩に取りつくサーニン。歓喜の表情がそこにある。
とてもいいシーンだった。

「ムーンライティング」予告カット 84.4.笑うDDとトマス。青い森、白抜きの狼が走る。

「ルーとソロモン」メルヘンの本表紙、ソロモンに乗るルー、氷にぶつかるソロモンなどなど。

今回のチラシのこのシーンは90年だった。
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ノートに描かれたものをみる。
アーニィとルディの無言劇。絵画作品を巡るシーンは面白かった。

少し大人になったグレアムとアンジ―。アンジ―のラフスケッチの美しさに打たれる。異様に綺麗だと思った。
シドニー・マーチンもいた。サングラスのグレアムの色気にもどきっとした。
なんという綺麗な絵だろう…

三原順のカセットテープを見る。
「私はイエスがわからない」が入っているのを見つける。とても嬉しい。
わたしもこの歌は大好きだ。

ざわつく心は鎮まらない。
サーニンへの愛情とサーニンへの応援の気持ちは今後も高まり続けるように思う。ありがとう、サーニン、がんばれサーニン。

かなり遅れてしまったが、なんとかサーニンへの気持ちは書けたように思う。

江戸の悪

浮世絵太田記念美術館の今月のテーマは「江戸の悪」。
かっこええですがな♪
アクと読むかワルと読むかでちょっと意味合いも変わるけど、まぁどちらにしろピカレスクを描いた作品がどっさりとある模様。
楽しみやわ~~、と北摂で「清く正しく美しく」生きてるわたくしが参りましたでございますのさ。
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基本的に歌舞伎でも文楽でも世話物、特に生世話物が大好きで大好きで。
その中でも殺し場と濡れ場はもう最高に好き。
これがTVドラマだと観る気にならないが、様式美を保つ舞台でのことなら、更に悲惨な情景や設定が加わったりすると、もぉ本当にドキドキわくわくする。
悪人はとことん悪く、残忍さも魅力の一つ、正しい人・貧しい人が虐殺されたり酷い目に遭うシーンなんて、もぉたまりませんね。
わたしがいちばん好きなのは四世鶴屋南北いわゆる大南北の芝居なんだけど、中でも「東海道四谷怪談」ほど面白い芝居はないね。
南北はほかにも「桜姫東文章」「絵本合法衢」などやたらと面白すぎる芝居が多くて、出てくる人間がまぁ悪いのなんの。だけどみんなカラッとドライでクールでカッコイイ。
そこが魅力的で、南北の芝居がかかるとついつい見なくてはとムリ算段をすることも多い。
現代では片岡仁左衛門丈が南北の悪人を演ずるのに最高な役者だと思っている。

ほかにも幕末の河竹黙阿弥の芝居も好きで好きで。
黙阿弥は白浪もの(盗賊)が面白いけど、こっちの悪人は職業上の倫理観の問題の悪人が多いけれど、南北の描くような無反省の悪人は少ないね。
どこか湿っている。そしてその湿り気がいい。
ドライさも湿っぽさもどちらも大切なのですよ、日本には。

さて長々と芝居の話をしたのも理由があって、浮世絵と芝居とは密接な関係がある。
描かれた「江戸の悪」は大概が芝居に出てくる悪人を描いたものが多いので、芝居を思い起こしながら眺めると、面白さが倍増するのですよ。
絵そのものもいいけど、背後にあるものを思いながら見ると更に楽しいということでした。

さて始まりはやはり四谷怪談から。
国貞 四谷怪談 1861.7  戸板返しの場。仁左衛門の伊右衛門、彦三郎の小平と與茂七、関三十郎の権助というトリオで、紙をペラペラ動かすと、芝居同様お岩さんと小平の入れ替わりがある。背後には卒塔婆まみれ。まっすぐに立つものは少なく、折れたり斜めになっているところが怪談らしくていい。

国貞に「近世水滸伝」なるシリーズがあった。仮名垣魯文の紹介文がこれまた面白い。
日本の侠客を水滸伝の好漢に見立てるシリーズもの。
展示順とは違うが、ちょっと集めてみよう。

夏目小僧新助 岩井粂三郎 1861.7  16歳の美少年。女形の粂三郎で描くくらいだから当然そうですわね。
飯岡組vs笹川組のいわゆる天保水滸伝に登場するキャラ。
絵では出刃を咥えている。
文をちょっと写す。適当に読みやすく…
「容貌美麗 女子に見まほしき美少年 幼稚しとき父母を失い智音(しるべ)をたよりて 名古寺の小姓となる 三年過ぎたれば破落戸者(ならずもの)に交わり 勇猛偸盗の暴虐のみ好み…」
若いうちから破滅へまっしぐらですな。

破落戸者(ならずもの)という言葉も中国文学か江戸文学くらいでしかお目にかからない。
元々は中国から来た言葉だから「水滸伝」には合う。

笠川髭蔵 中村福助 1861.7  笹川繁蔵の変名ね。竹槍を持った姿。龍の刺青がある。

清瀧の佐七 市村羽左衛門 1862.7  こちらは猛禽の鷲の刺青。

競力富五郎 中村芝翫 1861.6  笹川の繁蔵の子分で元は相撲取り。「勢力」富五郎。
黒龍の着物に青の龍の刺青。刀は後ろ手に持つ。
飯岡組と幕府の捕り手500人に追い詰められて切腹。これは実録ものの方の話。
幕末の博徒は無限に話があって面白い。
早稲田演博のサイトに絵がある

久しぶりに「天保水滸伝」の世界に入り込みたくなってきた。
因みにわたしの中での平手造酒はやっぱり天知茂ですな。田宮伊右衛門も天知茂がベスト。
(四谷怪談の)按摩の宅悦は三島雅夫のを観たかったなあ…

こんな風にもう最初の段階からデヘヘ状態になってしまい、愉しんで楽しんで…
申し訳ないくらいに惑溺しました。

芳年と芳幾の英名二十八衆句からも数点。
福岡貢 1867.4  これが今回のチラシ。「伊勢音頭」の油屋の段。「さばえなす神」云々とあるのがさすが伊勢。これも魯文の名調子。妖刀「青江下坂」を振り回し、恨みの人々を次々惨殺。芝居では仁左衛門丈、故勘三郎丈の貢がよかった。ただ元々文楽から来たものだけに、上方の匂いが濃い芝居なのだ。あまりにすっきりしてはよくない。
映像でしか見ていないが、三世延若の貢の狂気もまた目に残っている。
貢のそばで転がる生首は女の顔だから、お鹿かな。萬野という感じではない。

因果小僧六之助 1866.12  三囲神社の石段で刃をぬぐうところ。黙阿弥の芝居で見た。故三津五郎丈が演じていたが、悪辣な感じはない。

芳幾 国澤周治 1867.5  国定忠治。忠治が首実検しているところ。髑髏柄の褞袍を着る。そういえば無声映画の「忠治旅日記」だったか、忠治の最期のところ、伏見直江お姐様が拳銃を構えて…かっこよかったわー。

芳幾 邑井長庵 1863.6  文がいい。「欲ハ糀町の井戸より深く」麹町の井戸が深いかどうかを知らないのが無念。長庵が義弟を殺すところ。金目当てに。
村井長庵は黙阿弥の芝居に出てくる悪人の中で唯一完全な悪人で、可愛げも何もない。
同じ医者でも道玄みたいなのは可愛いところもあるが、これは冷徹無比で、だから六代目も演じたことがなく、他の役者が演じている。

芳幾 鬼神の於松  殺した後の刃をぬぐう於松。黒の紋付。彼女の刀が鬼神丸。あれ…今こんなこと書くのもなんだけど、彼女の愛刀が鬼神丸だからこの二つ名なのか。池田鬼神丸。勝小吉も使ってた刀。

芳年 妲己のお百  お女中の姿で艶やかに笑う。そばには亡者がぽつんと座る。こんな亡者なんか相手にもされないのだ。

芳年 古手屋八郎兵衛  墓地でお妻殺し。「猫尽くし」文がつく。これは江戸に舞台を置き換えたもの。

国周 東都不二勇気の肌 1964.1  雪降る中に五人の悪婆。いずれも粋で鯔背で気合の入った綺麗な女――女形たち。
・どてらに銃持つ熊坂お長(目玉の権十郎)
・桜吹雪に虎柄の着物に出刃噛むおとみ(13世羽左衛門)
・みしまおせん(田之助)
・やきかねおくま(芝翫)
・豆絞りをかむ鬼神のお松(三津五郎)
幕末の頽廃的な芝居、本当に好きだ。舞台を見ることはできないが、こうして浮世絵からその妖艶な美を想像し、味わう。

芳年 本朝義盗揃 1865.3  ぞろりと一堂に会する賊徒の首領たち。男が多いが、女の方も滝夜叉、大友若菜姫、尾形綱手らが思い思いの立ち位置にある。
綱手は児雷也と正式に結婚したのか尾形姓で紹介されている。
大蛇丸、良門と時代を超越する連中。
中に長持ちを担ぐのがてっきり五右衛門かと思えば袴垂と言う設定だった。
これは芳年の師匠の国芳のそのように描いているから、この時代の慣例か。

広重 青野ヶ原に熊坂手下を集む 1818-1820  手下どもイキイキしている。中に上記の揃いの中に登場した「壬生の小猿」もいた。
そういえば手癖の悪いのを猿に譬えるのもあったな。黙阿弥の芝居に多いな。

芳年 芳年武者无類 牛若丸・熊坂長範 1883.12  明治になってからの牛若丸。痙攣しているような線描が却って美少年を描きだすようになった。

五右衛門を描いたものが二点。
国貞 東海道五十三次之内 京・石川五右衛門、真柴久吉 1852.6  ぐっ と顎に力がみなぎったいいカオ。鴨川を背に二人の男。

国芳 木曾曽我恵▲路 1851. 小田原での五右衛門。釜ゆでの刑のところ。四条河原ではないのだな。物凄い煙と五右衛門の胸元を染める血と、群衆と。
倅を高く差し上げる腕の強さ。しかし間もなく五右衛門は沈み、幼い倅もまた…そしてその様子を目の当たりにしながらどうしようもない五右衛門の妻。
うーん、惨いよな。
そういえば大河ドラマ「黄金の日々」では根津甚八が五右衛門を演じていたが、釜ゆでのところがどうだったのか、ちょっと思い出せない。 

安達吟行 講談一席読切 松林亭伯圓 鼠小僧次郎吉・尾上菊五郎 1874.10  あの安達吟行か。やはり明治の浮世絵師だ。
捕り手と闘うシーン。5尺の小柄な次郎吉。獄門の前の市中引き回しの時は綺麗にお化粧していたらしい。

芳年 講談 神田伯勇 幡随院長兵衛 1867.10  湯殿の長兵衛。最初から覚悟の長兵衛は六文字(南無阿弥陀仏)を書いた帷子を着て入浴し、槍で襲われ血まみれ。井戸水を飲むところ。槍が腿を貫いている。
わたし、この芝居は今はなき萬屋錦之介の長兵衛に仁左衛門の水野で見たな。
あれは誰かの追善興行の時でしたわ。

国芳 小倉擬百人一首 相模 おきく・京極内匠 1843  「英彦山権現」の杉坂墓所の場かな。雨の中、敵の京極内匠に斬りかかるも果たせず、髪を噛む女。この後殺されます。

豊国 斧定九郎 松本幸四郎 1806.4  鼻鷹幸四郎だな。月代をなでながら遠くを見る。傘はすぼめる立ち姿。筋肉が素敵。
仲蔵の工夫でこの様式が成立してからは定九郎もおいしい役になったからなあ。

芳年 清盛炎焼病之図 1883.8  明治の芳年らしい線描。地獄がすぐそばに差し迫っている。凄い様子で腕を伸ばし苦しむ清盛。それをちらりと見る地獄の罪の重さをはかる女の生首。

国周 魁花岩尾伊達染 1866.4  吊るし切りをしてやろうかという殿様に対抗するかのように嫣然と笑う田之助。挑発しているのか。

広重 忠臣蔵 本望 1830-36  炭屋の前で掴まる吉良。みんな集まりつつある。しかし芝居では吉良は大悪人なんだが、そうだとも言い切れないのよね。

国貞に「梨園侠客伝」シリーズがある。見立てもの。
中によかったのは、団七九郎兵衛を女に変えた「女伊達 団七じまのおかち」1863.7  かな。長町裏の場らしく、刀を振りぶるところ。悪い婆さんは傘でその攻撃を何とか防ごうとしている。

国周の明治の悪女たちがシリーズものになっている。
そのタイトルがスゴイ「異種薔薇犯妻会」。1879.12
高橋お伝と夜嵐お絹の絵。背景はどちらも濃い紅色。

国貞 東都贔屓競 清玄桜姫 1858.4  小団次の清玄が桜姫の袖にすがる。「あら」な桜姫。元祖ストーカーの清玄だが、姫の元気さに圧倒されてしまう。
芳年の「桜姫」も出ているが、こちらは煙で清玄の亡霊を表している。
どちらにしろ桜姫は現世の男・権助を追うのに忙しいから、なんぼ前世の約束があろうとも清玄なんか興味がないわけです。

国芳 恋模様振袖妹背 1851.5  八百屋お七引き回しの上刑場へ到着の図。大群衆がいる。そしてあんなに会いたかった吉三郎もいる。
こんな絵は初めて。大抵はお七が櫓に昇るところばかりだから。

国貞 豊国揮毫奇術競 蒙雲国師 1863.5  このポップさがすごい。石を割って現れる蒙雲国師の周囲には透過光ピカーーーッみたいな放射線状の光。
「奇想」は国芳の専売ではないのだ、という感じ。いかに客が喜ぶかを国貞はよく考えている。

国周 稲葉幸蔵 中村芝翫 1865.4  背景が臙脂色に枠線の強い中に花菖蒲。まるでジャポニズム絵画のよう。かっこいい。

国貞 小倉擬百人一首 藤原通信朝臣 太平次、お米 1846  立場の太平次による殺人ですな。丁度来月その太平次を仁左衛門が松竹座で演じます。
前に見たとき、ほんと、カッコよかった。このひとはやはり南北の世界の悪人が抜群に良く似合う。

国芳 木曾街道六十九次之内 追分 おいは・宅悦 1852.6  おいわけでお岩さんの毛と掛けている。
絞った手ぬぐいから血があふれる怖い絵。

周延 東錦昼夜競 吉田御殿 1886  巷説名高い吉田御殿を描いている。
照れる若い男を誘い込み、千姫の御前へ。コマ絵では侍女が刀でスパっとその男を殺している。

周延 幻燈写心競 芝居 1890  真正面から仁木弾正を描く。なんともいえず静かな出現。


ああ、本当に楽しい展覧会だった。
こういう好きなもので満たされた展覧会を見た後はしばらく後を引くのだよ…
早く夏になって怪談や殺しの季節になればいいのに・・・
お芝居の話ですよ、もちろんw

6/26まで。

山口小夜子 未来を着る人

東京都現代美術館へ向かうのに初めて菊川から歩いた。
歩くと快適な道のりだとわかり、今後はこの道を往こうと決めた。

山口小夜子の展覧会が開催されている。
既に見た人々は素晴らしいと絶賛している。
どういった構成の展覧会かもあえて知らないまま行くことにした。

開館直後に現場についた。
新しい道をみつけて機嫌がいいまま展示室へ向かう。
こういう時は実は展覧会を見るのにあまり適していない。
自分のいい機嫌が先に出てしまい、作品を軽い気持ちで見てしまうのだ。

エントランス入ってすぐ、身体が固まった。
山口小夜子の映像が延々と流れていた。
黒い髪の彼女の顔のアップと半身くらいまでがずっと映り続けている。
ゆっくりとした動きを見せる小夜子。
これが何のパフォーマンスかもわたしにはわからない。
ただただ凝視するしかない。

凝視する。
意識して観ようとしているのではなく、意図せず引きつけられ、目を離せなくなっている。
映像の中で山口小夜子が活きている。
黒い髪に囲まれた白い顔をみつめる。
視線、瞬き、それ以外に顔の筋肉が動くことはない。
彼女の動きは決して速いものではない。ゆるゆると動く。
しかし弛みはない。
山口小夜子の全身は黒い衣装で覆われていた。隙間隙間に膚があり、そこに黄金が光っていた。
爪や手甲を覆う黄金の装飾。清朝末期の高貴の女性の装飾を思い起こした。

少しずつ動く小夜子。
眼がその速度に慣らされてゆく。ふと気づけばいつの間にか彼女を覆う金の飾りが増殖している。
頬にも唇にも金が拡がっている。
顔の半分まで黄金が覆ってゆく。
耳、両手には凄まじいばかりの金飾り。
これは装飾品の筈なのだが、その職能を踏み越えている。
黄金は美でありながらもそれが皮膚を覆うことで、ある種の病にもみえる。
進行の最中なのか・治癒して後の瘡蓋なのか、それすらも判然とはしないが、美でありながらもおぞましさを併せ持つ、それが黄金の特性だと言えるのではないか。

黒をまとう山口小夜子、黄金の病に侵される山口小夜子。
黒から逃れ得ぬ彼女はその黄金の病をもまとうことで、更に美の深度を進めたのではないか。

背筋の寒くなるような映像を見ながら、そのような妄想に囚われていた。

イメージ (61)

・イントロダクション
少女だった山口小夜子の愛したものから世界の「山口小夜子」になった頃に愛したものたちが集められていた。
中原淳一の絵、ぬりえ、和ポーチ、和風な抱き人形、ロックバンド・キャロルのLP、デヴィッド・ボウイの「Young American」シングル、近代能楽集、様々な人形――市松、布袋戯、キューピーなどなど、ドレメの教本や装苑もある。切抜きも多い・・・
わたしも好きなものがいくつもあり、それだけで嬉しい。
そしてこれら過去の断片が、山口小夜子の細胞質の一片であることを改めて知る。


Section1 山口小夜子とはだれか?

若い頃の山口小夜子がいる。愛らしさがにじむ。その様式は既にこの頃に完成されていた。
様々な写真を見るが、一枚たりとも古臭さを感じない。40年以前であるにもかかわらず。

豹の赤ちゃんを抱っこする写真がある。きょとんとした子供である。山口小夜子と仲良く一緒に写っていた。

皮膚のハリの美しさにハッ となる。若さの特権である。
しかしこのハリのある美しい皮膚に、あの黄金は似合わないのも確かだった。

70年代の山口小夜子の美しさは何にも譬えるものもなく、比べるものもない。
無敵のようなものだ。
沢渡朔の撮った山口小夜子の姿からはつよい力が放たれている。

三宅一生の’77―’78冬コレの、どう見ても丹前に見える衣裳を身にまとう映像を見た。
わたしのような無縁のものには到底わからないセンス。
「何故このような」と思ったとき、映像が一歩進んだ。
そこに神話の世界から抜け出してきたかのような姿を見た。
その横顔に叫びそうになる。
なんという美しさか。他に探すことのできない美貌が活きている。
そして丹前に見えた衣裳が彼女の装束となり、どこか遠い地で紡がれた物語を彼女が体現している、と理解した。
動悸がする。このときめきが胸の外へ飛び出し、映像の向こうの彼女に届けばいいのに、と願った。


躍動する一瞬をとらえた画像を見る。映像ではない。一瞬一瞬を切り取り、つなげてゆくことで、より彼女の実在感が強まる。
静止した一瞬をもそこに見いだせるからだ。

'77年、ミック・ジャガーと並んでベロを見せる顔をみる。物凄い顔をしている。
しかも決してミック・ジャガーに負けてなどいない。
この頃のミック・ジャガーの官能的な魅力には、40年近い後の今もなお強く引き寄せられる。
本来ならクラウス・キンスキーでなく彼が出演していたはずの映画「フィッツカラルド」のあるシーンを思い出す。
ジェースン・ロバーツとミック・ジャガーが主演のはずがジェースン・ロバーツの病気降板、ローリング・ストーンズのレコーディングなどがあって、とうとう撮影が暗礁に乗り上げた。
結局キンスキーが監督との長年の交友から友好的に(!)主役を演じたのだが、そのキンスキーとミック・ジャガーとの相似を想う。
何と言う魅力的な男たちだろう…
そしてその魅力に負けることのない女がここにいる。

'81年には山口小夜子はそのクラウス・キンスキーと共演している。
映画「上海異人娼館」である。そこでの彼女の役は聾唖者を装う娼婦だった。
彼女は美しいモノローグを続ける。救いのない場所にいることで救われる女として。
これほど彼女に似つかわしいものはないと思う。

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Section2 美をかたちに 資生堂と小夜子

そこへ足を踏み入れたとき、デヴィッド・ボウイの歌声が聴こえてきた。
「Space Oddity」である。「サヨコノセカイ」のために作られたわけではないのに、とてもそぐう。心地よくなる、とても。

パリコレのフィナーレには「マリエ」、ウェディングドレスが登場する。
黒もある。
黒衣の花嫁はジャンヌ・モローを思い出す。
ジャンヌは復讐をする女を演じた。殺人を繰り返し、復讐を果たす女。
小夜子は手を汚すことはないが、未知の者をその魅力で死に至らしめることがあったろう。
そんな妄想が湧き起ってくる。

別仕立ての空間へ入る。
そこはポスターで満たされていた。
資生堂のポスターである。
掛川にある資生堂アートハウスで見たもの、世田谷美術館での展覧会で見たものもある。
いずれも山口小夜子の不思議なほどの美がとどめ置かれている。
被写体としての存在を超えて、観たものを呪縛する力を放っている。
中でも瞼に黄金を(ここで既に黄金が現れていることに今改めて気づかされた)塗ったもの、その眼ばかりを捉えたあのポスターほど美麗なものは他にない。

あのアイメイクを再現し、自己のものにしようとした人々がいなかったとは言えない。しかし誰もあの魅力を手に入れることはなかったと思う。
横須賀光の撮影の力業もさることながら、やはり山口小夜子と言う存在の特異性こそがこの奇蹟の美を生み出したのだと思う。

この時代、わたしは生まれてはいたが、まだ化粧とは無縁な幼い少女だった。
もしこの時のわたしがこのポスターを見ていれば、クレヨン乃至クレパスで瞼を金に塗りたくろうとしてめちゃめちゃになっていた可能性がある。
大人になって、自我が確立してからこのポスターを知ってよかった、と思っている。
今では決して誰もこの小夜子の美を再現し、自己のものにすることはできないと知っているからだ。

資生堂は「和」をテーマにした攻め方をしていた。
朱唇が薄紙を噛むもの、薄布を通して浮かぶ顔、そうしたポスターに和の言葉をつけた化粧品が添えられている。
―――化粧品のための宣伝だということを忘れてしまっていた。
和の美、といってもその言葉に含まれるニュアンスとしての「和み」「まったり」といったものはここにはない。
ある種の厳しさを感じさせられるからだ。
それはモデルである山口小夜子の美がそのような存在だからだった。
孤高の美。誰にも似ていない彼女。


横須賀光との仕事のうち、'79年秋のVogue誌のためのものは目黒雅叙園・漁礁の間で撮影されたのではなかろうか。
背景に見覚えがある。そこにいる山口小夜子は「赤い蝋燭と人魚」の人魚の娘のようにも見えた。

やがて80年代になり、山海塾との協働が始まる。
白塗りをした山海塾のメンバーの中に一人黒髪の小夜子がいる。彼女一人がかすかに光っている。
まるで生身の人間ではなく一個の物体のようだ。
この時代以降の山口小夜子の異様な美は、それ以前のものとはまた違うと思う。
凄まじく美しい、としか言いようがない。


Section3 新たな舞台へ 演じる、舞う、着せる小夜子

勅使河原三郎/KARAS、そのカンパニーに参加する山口小夜子を写したのは篠山紀信とアラーキー。
特にアラーキーの写真に粟立った。
もう一つ驚いたのはおかっぱがワカメちゃんカットになっていた。
何をしても際立っているが、さすがにワカメちゃんカットには驚いた。


結城座との仕事は20年ほど前に雑誌かあるいは別な媒体で観ていた。

結城座の操り人形芝居。
眉間に糸のついた操り人形たち。
文楽人形を見慣れたわたしには異様な姿に見えた。
しかも一人で操る。
最初に見たのは1990年代初頭で、その頃のわたし歌舞伎と文楽を見に行く・聴きに行くことに夢中だったが、他の古典芸能にも目を向けかけていた時に出遭った結城座の人形は衝撃だった。
文楽は江戸時代に始まるが、人形芝居自体は西宮に傀儡師の生誕碑があるほどだから、相当に古い。
様々な形態で人形芝居が各地に生まれ、広がり、守られ、今も続いていることに不思議はないのだ。
八王子には車人形があり、愛知にはからくり人形のついた山車も出る。

結城座の人形の何に怯えたのか。そう、わたしは怯えたのである。
それは間違いなく、あの眉間についた糸が怖かったのだ。
あの糸が上に伸びて、人形世界の枠の外に出て、人の動かす手に届く。
人の手で操られる人形たちは、この糸がなければ自ら動くことが出来ない。
眉間の糸、あれが怖かったのだ。

山口小夜子はその糸を朱にした。
彼女は共演したとき人形たちに紙衣を着せ、人形遣いのメークをも担当し、そして人形遣いと人形とを分かち難く結びつける糸を朱色にすることで、その糸が血管だと示してみせたのだ。

会場で天井から吊られた人形たちを観て、その糸が断ち切られたときこそが、人形の死だと確信した。
今こうして吊られているのはただの物体などではなく、休止しているものたち。眉間の糸が引かれればたちまちに命を露わにする。
そして舞台の上で様々な感情を見せ、行動する。
山口小夜子はそれら人形たちの中に在って、唯独りだけ眉間に糸も付けられずに動いていたのだ。

後年、わたしは藤村志保が結城座と共演する芝居を映像で見た。
彼女と山口小夜子の演技スタイルは違う。しかし共通することが一つあった。
二人とも相手をする人形に対し、全く何の違和感も持たずに話しかけていた。
人形相手の芝居ということではなく、自身も人形の世界に入り込んでの演技を見せていた。
小夜子の演技するライブを見てみたかった、と無念の思いがよぎっていった。


Section4 オルタナティブな未来へ 21世紀の小夜子

小夜子のアトリエがあった。衣装デザインの仕事がそこにある。
「青ひげ公の城」のそれが特に素敵だった。
こんな靴が欲しい、と思った。そしてファッション画はいずれもとても魅力的な美男美女が描かれていた。


やがて、小夜子不在後の時代の、小夜子のいる風景を捉えた作品が現れた。
映像作品と森村泰昌が小夜子になったポスターなどである。

山口小夜子の静かな声と映像が流れる。
「風には過去も未来もない」
自身の魂も風にさらわれたのかもしれない、とその映像を見ながら思った。
森村の山口小夜子になった姿もわるくはない。
ただやはり、山口小夜子と森村泰昌との違いははっきりしている。
メイクで造られたとはいえ、やはりあの眼が違うのだ。
だが、森村が全身で山口小夜子になろうとする心は伝わってくる。
これはこれでいいのだと思う。

そして最後に彼女が製作した衣装を見た。そこだけ写真撮影可能だった。
自分で撮る山口小夜子の何か。
それを心の隅にしまっておいて、回顧展が終わる。

6/28まで。

「ほっこり美術館

横須賀美術館の「ほっこり美術館」に行った。
可愛いものの多い展覧会だった。
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1章 ちいさきものたち

埴輪が集まっていた。
人物埴輪(弾琴男子椅座像)、円筒埴輪、馬形埴輪、人物埴輪、家形埴輪
馬の埴輪には見覚えがあった。京大の博物館から出馬したらしい。
皆とても可愛い。

描かれた埴輪も集まる。
リストを見たら山口蓬春の「はにわ」も前期にはあったらしい。
多分これは「宴」のためのエスキースなのだろうと見当をつけておく。
観たかったので残念。

鳥海青児の埴輪三点が並ぶ。
顔に彩色のある埴輪 1959 鉛筆、水彩、パステル どこか不思議な存在感がある。

はにわ 1958-59 油彩、キャンバス  このマチエールが殆どもう3D。髪型などを見ると女性埴輪全身像だが、山岸凉子「日出処の天子」の布都姫を思い起こさせるのですよ。

はにわ 1959 油彩、キャンバス  こちらは男性埴輪。バストアップ。こちらもほぼ3D。
油彩の埴輪画、二つとも静岡県立美術館蔵なのは、登呂遺跡に関連しての所蔵なのかなあ。そんなことを思うのも楽しい。

大津絵が並ぶ。大津歴博からの。みんなほのぼのしている。
青面金剛、藤娘、鬼鼠柊(寿永館賛)、鬼の念仏、外法の梯子剃り(土佐権次)、鍾馗
人気の絵が並んでいる。
そのうちの「鬼鼠柊」は木に登る鬼と、それをどうやら脅かしているらしき鼠がハシゴで鬼に近づこうとする図。
「外法の梯子剃り」は額が長~~~~い寿老人を理容しようとする大黒が梯子に乗ってという図で、これは漆喰絵などにも見受けられる。
昔の東海道の旅人は大津の宿で「おっ可愛いな」と買うていたろう。
ただし大津と京では「ほっこり」の意味は「やらんならんことがなんとか済んでほっとしたわ」くらいの意味合いがあるので、この展覧会の「ほっこり」とはニュアンスが違うのだよな。ちなみに大阪はその言葉なかったし。

浅井忠 『黙語図案集』より中皿図案大津絵 1909  鍾馗や矢を持つ人を描いている。浅井忠も図案や日本画は洒脱なものが多くて、実は洋画よりそちらの方が好き。

竹内栖鳳 馬に乗る狐 1924  これまた大津絵風。市女笠の狐が小鼓を持って馬に乗る。睫毛の長い美人キツネ。

竹内栖鳳 雷公 1930頃  あー雲から落ちて行きまーす…
栖鳳は時折こうした面白い絵も描いている。

大野麥風のリアル金魚の版画が出てきた。
この人の回顧展、東京ステーションギャラリーで開催した時、チケットが魚の形だったのが忘れられない。
前記ではここに国芳の金魚の戯画も登場していたらしい。

三岸好太郎 金魚 1933  大きいビーカーの中に黒の出目金と白い金魚とが泳ぐ図。どちらもこちらを見ず、尻尾のヒラヒラだけを見せている。

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次から三次元作品。
深堀隆介という作家の不思議な金魚たちをみた。
四つの桶 和金(にきこがね)、月光、雪丹、草影 2009  これは寿司桶の中に泳ぐ金魚の姿を拵えている。 なんと金魚は絵らしい。どう見ても本物ぽいのが泳いでいるのに、本物らしくみせるための努力をした絵なのだった。
だからこの作品の材料は以下の通り。
寿司桶、超難黄変エポキシ樹脂、アクリル絵具。
樹脂で水面を拵え、何層にもアクリル絵の具で金魚の絵を描く。するとどう見ても桶の中で泳ぐ金魚がいる、ようにしか見えない。
すごい技術と発想。

色んな種類の金魚たち。会津逸、美愛、草風ノ門、枯藻丹…どこまで金魚の種の名前かは知らない。
金魚たちが泳ぐ場所は、愛用の陶器、子供用アルミの弁当箱、風呂屋さんの黄色い桶のケロリンの桶、超難黄変エポキシ樹脂、葉山の海岸で拾った栄螺の殻、横須賀の海岸で拾った牡蠣の殻、使い古された机、木曽桧一合枡などなど…

観ていて思ったのは和菓子屋さんのゼリー、いわゆる「金魚羹」とかいうあれね。
なにやら親しみがあるわ…

広重の浮世絵も出てきた。江戸百から特に可愛いのを集めている。
名所江戸百景 高輪うしまち 1857  道にスイカの皮とか落ちてて、荷馬車の向こうにわんこもいる。虹も出て来て、いい感じの初夏。

名所江戸百景 浅草田甫酉の町詣 1857  例の猫ね。いいよなあ。

名所江戸百景 小梅堤 1857  子供らがわんこと遊ぶシーン。ロングで捉えててこれも好き。

名所江戸百景 猿わか町よるの景 1856  白犬は親かな、それと道の影の中に三匹の子犬がいる。芝居帰りの人に気を付けてね。

名所江戸百景 びくにはし雪中 1858  焼き芋屋さん。山くじらの看板も見える。わんころらは寒さに耐えて雪の中。

ところでこちらのHPは広重の名所江戸百の特集サイトで現場の現状写真などもあり、貴重です。

熊谷守一 とのさま蛙 1957  大きなカエル。元気そう。
熊谷守一 揚羽蝶に百日草 1971  黒いアゲハが大きい。
 
村上華岳 羆 1907  おお、ここに来てたか。爪が大きいヒグマ。

円山応挙 木賊兎図 1786  結構好きな一枚。木賊がいい感じに伸びていて、そこに3羽の兎さん。応挙の兎は府中市美術館でみた「百兎図」の衝撃が大きいな。

山口蓬春 望郷小下絵 1953  本画もいいが、この下絵もいい。白クマとペンギンがいるのを見たら、シロクマ・カフェみたい。もうそろそろパンダ君も来そう。
スケッチブックにはリアルなペンギンのスケッチがあった。

長谷川りん二郎 猫と毛糸 1930  白地に黒のカツギの子猫・ニコが手足を伸ばして寝そべる図。金色の眼が鋭い。ゾロ顔の子猫。可愛い。ただ、可哀想にニコは事故死してしまったそうだ。絵として残り、今もみんなに愛されて良かったようにも思う。
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長谷川りん二郎 猫 1966  おなじみ「タロー」。このタローは老衰で死んでいった。
今回の展覧会のメインキャラクター。
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タローやニコを見ると、世界中の猫たちがなんとか元気に長生きしてほしいとしみじみ思うのだ。

古茂田公雄 正安寺狸 1947(昭和22) キツネのような狸が二匹。大きな葉っぱを前に黙ってじっとしている。この葉っぱでどんなふうに化けれるか考えているのかどうか。

寺田政明 灯の中の対話 1951  画面いっぱいにネズミが二匹。キャラ化されたようなネズミで、蝋燭を挟んで話し合い。ネズミだってイキモノさ、猫だってイキモノさ…

小杉放菴 金太郎遊行 1944  ←向きにクマに乗って金太郎が笑う。にこにこ機嫌の良い笑顔。可愛いなあ。

南桂子のエッチングがずらりと並ぶ。
少女のいる風景が続く。なんとなくせつなさがにじむ。
わたしはどちらかと言えばニガテなのだった…

中澤英明の子供の顔シリーズが続く。テンペラで描かれていたのか。初めて知った。
みんな瞳孔が見開いているよ。髪型でクマやウサギや弥勒になる。無論それだけではないけれど。
なんとなく全員、乳臭い感じがする。そのくせ完全な無邪気というわけでもない。
子供の顔―クマ 2001  なるほど。
子供の顔―ウサギ 2003 おるおる。
子供の顔―弥勒 2012  実はしていたよ。
子供の顔―産着 2008  男児ですかな。
子供の顔―びっくりうさぎ 2012  ははは。
子供の顔―おっさま 2006  山下清みたいやな。
子供の顔―真魚 2012  名前が名前だけに賢そう。
すっぴんのとき、彼らの表情をまねてみた。
目の焦点をずらすと、なんとなく巧いこと行った気がしている。


2章 かたちから生まれるもの

熊谷守一の絵が並ぶ。かたちについて考えると、この人の省線の凄さというものが段々とわかってきた。
マチス、熊谷、選び抜いた線だけが彼らの作品になる。

百日草、紫陽花、山茶花、彼岸花、バラ… みんなイキイキしている。
蝶  白い蝶が三匹ふらふら飛びながらタンポポの周辺に群がっている。
海の図  これは例の「鯤」かもしれない。元気そうでかっこいい。
石佛  線はもうクキクキしているまま。思惟中の石仏。
鳥と椿  ピンクの椿が初々しいが、その足元で茶色い鳥が死んでいた。

伊庭靖子タイトルは全て無題なのだ。困ったな。
ただ、綺麗だった。キャンバスに描くのではなく、陶器や布地にもこの世界を再現してほしい。そんな気持ちがある。
白に薄い花があっさりと浮かび上がる。静かな綺麗さがある世界。なにものにも侵されない世界が。

3章 こころ動かすもの

鴻池朋子の絵本の原画が続く。ドローイングの確かさを感じさせる絵。
「みみお」というキャラクターは昔の「バボちゃん」にも似ている。
言葉は全てささやきのようで、耳に遠く近く聴こえるようだった。

一枚一枚みみおのいる世界を追いかける。
リアルな筆致の雀、タンポポ、睡蓮池、蜂…
ふと見上げると、立体作品のみみおと狼がいた。
嬉しい気がした。

最後に巨大なクマのいる空間に来てしまった。
黒田有里 とても無視、できない。2015  巨大なクマのぬいぐるみを囲む手作り人形たちのカーテン。その人形たちのシンプルな顔はしかし、どこかわたしには気持ち悪さを感じさせるもので、そのくせ親しい気もする。「孤島の鬼」か「鬼火」の頃の竹中英太郎の挿絵に現れるフリークスたちに似ているように思えてならなかった。
人形のカーテンはこの先も広がるのだろう。
インスタレーションか。敷地が広がるというより、檻が広がるような気がしたことは、口には出来ないと思っている。
最後にわたしには少し怖いものをみたような気がした。

6/14まで。

れちぇちぇんさんの「死ななそう。もしくは、既に天国にいるみたい。」を書く。

死ななそう。もしくは、既に天国にいるみたい。
そんな言葉が浮かんできたとき、実際に声にしてみると、
「しにそう、もう、てん…てん…」
浮かんだ言葉は形にならなかった。

目をぱちんと開けた。
白地に薄い灰色の線描の壁紙が見えるかと思ったら、猫の顔があった。
いつの間にか勝手に人のベッドに入り込んで、顔の横で寝ていたらしい。
ベッドに上がるなと言ってるのに。
鼻がむずがゆくなってくしゃみをすると、猫が薄目を開けてこちらを見て、悠々とあくびをする。
オコシヤガッタナ
そんな顔でちょっと睨むような目をしてから、自分の身づくろいをする。
ここでするなと言ってるでしょ。
猫に言葉は通じない。いや、わかってるのに自分の都合の悪いことには反応しない。
いやな生き物。
そのいやな生き物と長く暮らしていると、自分も<いやな生き物>の仲間になっていることに気づく。
他のニンゲンと暮らすより猫と暮らす方が長いと、当然そうなる。

起きるか。
そろそろそんな時間のはず。
猫から顔を逸らして時計を見ると、まだ五時前だった。
五月くらいから少しずつ、朝の光りの時間が早くなっているのを思い出した。
・・・もったいない。
あとまだ1時間ちょっと眠れたはずなのに。
「寝るぞ・寝る・寝るとき」
三段活用にもならない言葉を口にしてもう一度寝る姿勢を取った。

しばらくするとすごく気持ちよくなってきた。
ああ、眠り始める身体の温かさってすごい…
この体温、絶対無比、わたし、無敵艦隊。
ほら、ほら、キモチいい…
わたし、敵に攻撃されても、この体温があれば死ななそう。
そう、絶対わたしの勝ち。
ああ、なんだろう、もっと気持ちよくなってきた
首の辺り、温かい。なんです、これ…昇天しそう。
それとも…もしかして、とっくに天国にいるのかな、わたし…

そのとき冷たいものが頬を打った。
この感触、間違いない、猫の肉球。
キモチいい天国から地上へ戻ると、わたしの首のところに丸まる猫の奴が伸びをして、頬を猫ぱんちしていたのだった。
目玉を動かして猫を見ると、ちょっと薄目を開けながら知らん顔をして、爪を出さないまま、まだ猫ぱんちを続ける。
ひどい奴め。
でも眠たさと気持ちよさは変わらない。
もう一度寝る。

目を閉じてもう一度意識と身体がふわふわし始めたとき、肉球が離れるのを感じた。
代わりにザリザリした感触がきた。舐めてるな、こいつ。
いやな生き物め、可愛い奴め。
でも、もうどうでもいいや。
今もう既に天国にいるみたいだから、あとはもうどうでも…
おやすみ、なさい…

六月の東京ハイカイ録

珍しく朝から都内に向かった。
ところがまさかの阪急遅延で、ヒトの言葉を思い出し三国からタクシーに乗換え、事なきを得た。
阪急はまず事故もないから焦ったよ。
というわけで6月の都内ハイカイの始まり。

夜ならホテルの送迎バスだが、朝だから猫のマークのバスに乗る。
定宿についたら朝食造りの人、掃除の人らもいて、今回は早いねとかナンダカンダおしゃべり。
皆さんの見送りを受けて駅へ。
例により展覧会の感想はまた別記。

入谷に出る。久しぶり。
最初に来たのは朝顔市の日で、鬼子母神には永井豪の奉納提灯があった。
今回は合羽橋の端になる?図書館へ。池波正太郎記念文庫を見る。
「真田太平記」の挿絵がある。風間完の仕事。とてもいい。
挿絵は楽しいよ、そそられる。

2階の資料展示は上野の松坂屋の歴史。関東大震災辺りの頃の。

さてそこから素直に国際通りを行けば良かったが、ちょっと間違えて浅草に出たが、まあなんとか鷲神社を通過して竜泉の樋口一葉記念館に。
和風ドールハウスを見る。一葉の住まいや彼女の作中に現れる家など。
指物師の三浦宏さんが拵えたもの。

三ノ輪から千駄木へ。
団子坂の鴎外記念館。鴎外ら明治の文豪の谷根千。寄り道というタイトルが楽しい。

わたしも文京区へはこの展覧会のためだけに寄り道し、また台東区に戻る。
東武線でスカイツリーに向かう。途中駅の堀切菖蒲園、、鐘ヶ淵、曳舟、東向島などに様々な文芸的な感興が呼び覚まされた。

渋谷から移転したたばこと塩の博物館に。
よろしいですがな、ここ。
以前より塩のゾーンが格段によくなった。楽しかったわ。そしてショップがよいのよ。
あればいいのにと思ってた柄のフォルダーがあった。
よそでは見てないよ、これは。
更に流転する平木浮世絵財団の本がたくさん並んでた!
ビックリしましたわ。いいねえ。


てくてく歩いて次はスカイツリーイーストの郵政博物館に。前島密一代記を見る。
ビックリしたのは梶鮎太という画家と守屋多々志が競作していたこと。
いいもの見たなあ♪

ちょっと休憩。


秋に食べに行ったお寿司屋さんに行く。
スカイツリーのお店は大体どこでもおひとり様が入りやすいね。
下町の活気があるし可愛いお店も多くていい感じのスカイツリー。
わたしが臆せず(!)ぶらぶら出来る商業地は六本木のミッドタウン、梅田のグランフロント、ホワイティ、天神橋筋商店街、それからこのスカイツリータウンかもしれない。
本拠地の梅田もね、ニガテなゾーンとかあるしね。

その後ちょっと錦糸町のロッテシティに寄ってから定宿に帰る。
紫陽花がだいぶ咲き揃ってきていた。


二日目。
世田谷美術館へ。好きなのですよ御舟と青樹の対比とか。
猫や花が特によかった。

常設がこれまた面白かった。平野甲賀のタイポが特集されててくらくらしたり、宮本三郎の挿絵「大番」獅子文六原作のがあって、すごくよかった。
話自体はいかにも獅子文六らしい、表現はコメディタッチなんだけどシビアすぎる展開とシニカルな結末と。面白かったわ。
宮本の絵がない小学館文庫をチラ読みしたが、淋しかったな。

渋ソバでちくわの天ぷらを食べる。
ちくわは練り物で焼いて出来てるわけだが、更にそれを揚げると、なんでか美味しいのだよな。

五島美術館の近代日本画を堪能する。今回は涼しそうな絵が多かった。墨絵のが多いわけです。気持ちいい。風とか空気とか、そんなものがそこに写し取られている。
ああ、よかったなあ。

さて太田で「江戸の悪」を楽しむ。元から大好きな分野ですから、もう本当にわくわく。
こういうのが一番楽しい。悪の度合いを示す★もついていたりで面白かった。

ここでやはり時間を取りすぎたので世田谷文学館は諦めた。
植草甚一という人は実は知らないの。名前くらいしか。
この展覧会でもしかするとファンになれたかもしれないが、却ってならなかったかもしれない。しかしどちらにしろチャンスは消えた。

損保ジャパン日本興亜だったか、面倒なのでソンコと呼んでるけど、に行く。
「ヴァラドンとユトリロ」。これはねえ並べ方に問題があるような気がするが、しかしこうするのがやはり良かったのかなあ。
つまりあれさ、私生児として生まれ、教育も金もないけど元気に生きてる美人で多情な女の子が、色々仲良くなったり別れたりしてるうちに子供が出来て、だけどそれで困ることもなく、やっぱり元気に生きてて、そのうち自分の才能に気付いてどんどん上昇していって…酒ばっかり飲んでるヒキコモリ息子がとんだ金の卵を産む存在でバンバン儲かって、と簡単に言うたらそんな母子なだけに、母親はいつも元気。
ヴァイタリティ―あふれる、パワーいっぱい女子力満載なのが作品にも表れてるのと、これは明らかにオカンの言動に傷ついて一人ぼっちなキモチを抱えてる倅のしぃんとした作品とが並んでるのを見たら、気分がすごく上下するというか波状攻撃されてるというか…
昂揚と沈滞が並んでる感じ。

地下街を通って紀伊国屋本店へ。地下からなら行きやすいね。
わたしは梅田の地下は間違えないけど新宿の地下と名古屋駅の地下は困ることが多い。
紀伊国屋に入り、一つミスをした。
惜しいことをしてしまった。ここのフォーラムでの展示は20時まで。店舗は21時までだけどね。

まぁ雨にもぬれずにたどり着けたのをヨシとしようか。
それと紀伊国屋からなら新宿三丁目が近いことを分かったのも良かった。
二日目はここまで。


三日目の話。
京急で横須賀へ向かった。
わたしはいつも馬堀海岸からバスに乗る。
前回はあれだ、走水神社からここまで歩いた。風雨の中、しなくていい山越えまでして。
ばかばかばか。
だから今日は時間をちゃんとチェックして出かけたのに、やたらと遠足に来ました的な年配グループを見かける。
不安やなあ。いや、彼らの健康やなくわたしの前途。

横須賀美術館「ほっこり美術館」
これなあ、わたしも美術館の意図通り「ほっこり」を
「近年「ほっこり」という言葉が人々の口に上る機会が多くなったように思います。「ほっこり」や「ほっこりする」という言葉から連想されるのは、温かさやふこふことした柔らかさ、「なごみ」「いやし」に近い心的な満足、ふくよかで丸々とした形状など様々です。このような感覚を好む感性は現在に特有のものでしょうか、それとも日本人の感性に通底しているのでしょうか。」
という風に受け取りたいんだけど、最初にこの言葉を知ったのは、京都と滋賀と関係の深い上司からで、彼曰く「ほっこりとは仕事してやりきって、疲れたいう時の言葉や」と言われたのが残ってるんだよな。
これは辞書にもあるわけです。しかし言葉は変わるものだから、まぁ世間に合わせてみます。

さてさて長谷川りん二郎の猫を見た、それだけでもぉ目的の大半が果たせた気がするくらいですわ。
ネコのタローと子猫のニコを見れて嬉しかったよ。
谷内六郎館の方もいい感じ。

海は不思議な色を見せていたなあ。地球が丸いのを感じる。




防衛大の応援の活きのいいのを見る。旗手の人、かっこいいなあ。
わたしは「嗚呼!花の応援団」を読んでたから、旗手の強さというのを青田赤道の線で判断するのだよ。

走水神社の味美食堂、大行列。「鳥獣戯画」展ではないけど、これは困ったな。こんなけ並んでいるとは。
涙を飲んでサヨウナラ。こういう時に限りバスが遅刻する…

金沢文庫についてからきしめんなどを食べる。それから文庫に出かける。
「日向薬師」を見るが、鉈彫りというのは関西人のわたしには非常に珍しい技法に見える。
先般「みちのくの仏像」展を見たときも鉈彫りの仏像を見て非常に感銘を受けたが、それもこれもやはり「知らない仏」だからだろうなあ。

同時に「龍華寺の天平仏」をみたが、こちらは乾漆仏で、奈良を中心に広がる技法、つまりわたしには親しい仏たちだった。
十二神将が番号で呼ばれているのも興味深くて、文庫の人に尋ねると、首上は江戸の補作で本当の絵とがわからないものが多いからとりあえずの番号制らしい。
そうか、そうなのか。
ちょっと納得して、横浜へ戻る。

みなとみらい線は大好きです。一日券も460円なのが嬉しい。
日本大通りから歩く。

開港資料館の「異国の面影 — 横濱外国人居留地1895 — 迷いこんだのは、120年前の地図の中」がめちゃめちゃ面白かった。
こういうのこそ、ここで見たい展覧会ですがな。
前回の女学生のも良かったけど、やっぱり明治の横浜ってかっこいいなあと思ったわ。
うむうむ。

そこから徒歩で久しぶりに日本郵船記念博物館へ。
「船ヲ解剖スル~谷井建三原画の世界」ウルトラリアリズムの細密画。凄いなあ。
ここは企画もいいけど常設がまたたまらなくいいので、じっくり見て回る。
いつも涙がにじむのはやっぱり客船たちの最期、戦争に徴用されて沈んでしまった船たちのエピタフのところ。
このうえなく優美な客船たちがバカバカしい戦争により名を変えられ、装飾を剥ぎ取られ、思いがけない場所で沈む。
無念の死を遂げたことを思うだけで涙がにじんでくる。
そのことを思うだけで胸が痛くなる。
人と違い、何も言えない船たち。可哀想で仕方ない。

馬車道へ歩く。神奈川歴博。中世東国の茶。
えーと…困ったな、本当に困った。
栄西禅師の展覧会も見てはいるけど、本当の意味で中世東国の茶なんて考えたこともなかった。
利休以降の茶の湯しか親しんでいない。
これはわたしが関西人だからかもしれない。

久しぶりと言うかなんというか、馬車道十番館へゆく。
向かいに勝烈庵があり、最初に横浜に来た時ここへ入ったことを思いだす。
また行きたいよ。うむ、行こう。そういえば在華坊さんはここのカツが大好きだと書いてはったな…

三月末からずっと欲しかったサバランを食べる。
おいしかった。ただ欲を言えば、わたしはもっとラム酒とブランデーが利いてる方が好み。
そしてライムソーダがとてもおいしかった。
尤も、いかにもな老舗らしさにちょっと苦笑いするところもあったが。

最後は横浜そごう。
那波多目功一さんの日本画をみる。
以前から好きは好きだったが、今回作者の言葉付なので、製作意図などがよく伝わってきて、とても面白かった。

ヒトの好意が必ずしも自分の方向性と合致するとは限らないけど、親切を受けると別な道が開くのを感じた。
というわけで、この日はそごうと密着しているタワーの方で晩御飯。ガッツリ食べて帰りました。
三日目終わり。


最終日の日曜。
ちょっと荷が重いのだよ。しかし東京駅でいつものロッカーに荷を入れると気分も軽くなる。

丸ノ内線と南北線で東大前。弥生美術館へ。
22年ぶりの橘小夢展。
22年ぶりに見る絵も多かったが、存外覚えているものが多かった。
memeさんにもばったり。お互い楽しみましょう。

華宵の女学生の手紙特集がまた乙女心をくすぐりますわ♪
一方で、夢二は美人より、少女、幼児、ひれから意匠の方にこそ惹かれます。

ああ、長居も長居。2時間半以上いた。
しかしそれでええ感想が掛けるというわけでもないから、そこが苦しいね。

根津へ降りる。いつもスルーしていたパン屋さんに入るとイートインしてた。
クィニー・アマン、五穀パンのフレンチトースト、コロッケサンドをいただく。

東京藝大へ。
フィンランドの女性画家ヘレン・シャルフベックの展覧会をみた。
初めて知る画家。
若い頃の作品は確かなデッサン力とリアルな配色など、真面目な作品が多かった。
ところが面白くなるのは後半。晩年の作品の良さが非常に強く出ている。
極端なことを言えば、前半の絵は彼女でなくとも誰かが描く。
しかし後半のこの抽象的なくらいの配色や線描、これこそが彼女のスタイルだと思った。
ただ悲痛なものが晩年の自画像に存在しているのがつらい。


三井記念へ。
三井の創業以来の歴史を綴っていて、これがめちゃくちゃ面白い。
幕末から明治初期のあたりは本宮ひろ志「猛き黄金の国 岩崎弥太郎」にも描かれているので、これがあれか、と色々納得したり。
面白かったわー。

時間がやはりかなりかかったな。
2つばかりあきらめて出光美術館へ向かう。
「東洋の美」やきものだけでなく工芸品全般。
高麗時代の青磁象嵌が最高だと思っているが、本当に良かった。
あと李朝の螺鈿の箱が素晴らしい。
日本の和の鏡もすばらしく、東南アジアのやきものもいい。

タイムアップ。
東京駅へ。1番街だったかな、そこでお土産買ったりなんだかんだ。
今回はグリーン車なのです。
ああ、4日間隙間なく遊んだなあ。

ぐったりしつつタクシーの運転手さんと話が盛り上がって、ようやく帰宅。
ああ、6月の東京ハイカイでした。


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