美術館・博物館・デパートでの展覧会を訪ね歩き、近代建築を見て周り、歌舞伎・映画・物語に溺れる日々の『遊びに行った日を記す』場所です。 **なお現在コメント欄を閉鎖中です。

フランス絵画の贈り物 とっておいた名画

京都の本館でも見たが感想が書けず、六本木の分館で見てようやく書けそうだと思ったら、もう8/2で終了だった。
泉屋博古館と分館「フランス絵画の贈り物」展である。
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住友家は現代でも文化に対し貢献度の高い企業グループであるが、その基礎はやはり15世を継いだ春翠だと思う。
彼が住友家の人となり、メセナを積極的に行い、数多くの意義ある施設を生み出した。

これらフランス絵画は、春翠と彼の命を受けて名画を捜し歩いた洋画家・鹿子木孟郎の存在なくしては、ここに集まるようなことはなかった。

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鹿子木孟郎の回顧展は20年以前に京近美か京都市美で開催されたが、いかにも明治の洋画家と言う風情を見せる、アカデミックな画風でありながら、不意に幻想的な様子を映し出す作品を残しているように思った。
その彼がフランスから送り続けた絵を見る。
絵はもともとは住友家を飾るためのものだった。
須磨別邸、大阪本邸、京都別邸などなど。
だが、いずれも空襲などで失われてしまった。
建物と運命を共にした絵も少なくはないそうだ。

ジャン・フランソワ・ミレー 古い垣根
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月下に現れる堂々たる鹿。彼の背後に壊れた垣根が見える。ひらりと飛び越えてここで姿を月下にさらして立っている。
鹿のかっこよさと、不思議な予感に満ち満ちた空間に惹かれる。

アンリ・ファンタン・ラトゥール ばら 生け花としてそこにある。死んでゆく花なのだが、とても美しく咲き誇ってもいる。

ジャン・ポール・ローランス 年代記 若い女に年代記を読ませる老人。どのような内容なのかが気になるがわからない。
衣の白と赤の対比、茶色い室内。古風な魅力がここにある。

ジャン・ポール・ローランス マルソー将軍の遺体の前のオーストリアの参謀たち
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これも昔から好きな絵で、出てくると喜んだ。とはいえ内容は悲しいものである。
フランスの若きマルソー将軍を好敵手としてみなしていたが、彼は流れ矢で亡くなった。
丁寧な扱いをして将軍の死を嘆くカール大公たち。遺体をフランスに返す条件は、カール大公が将軍の葬儀に参列すること、だった。騎士道というか武士道と言うか、好敵手の死を悲しむ美しくも悲しい情景である。

ローランスは鹿子木を通じて、住友に対して好意を懐いていたそうだ。

モネ モンソー公園  これが我が国に最初に入ったモネの絵。後年のウォータールーも睡蓮も別人の手によるもののような雰囲気がある。わたしはこのモネらしくないような絵に惹かれた。和やかで、都市生活者の穏やかな様子を見てとれて、感じがいい。

ボナール 曲馬 白馬に乗る女。その腿が綺麗。サーカスの女。

アマン=ジャン 裸婦 楕円形の中にいる女。ピンクのターバンもネックレスも豊かな胸も、とてもきれい。うっとり系。
彼の絵は大原美術館で見たのが最初だったが、あちらもうっとりした女の顔が印象的だった。
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ルオー 曲馬団の娘たち 力強い線。緑や黄色のコスチュームの女たち。がんばれ!

マルケ アルジェの港 まだ植民地時代だということが、港の建物の旗から知れる。ボーッと汽笛を鳴らしながら入港する船。
こういうのを見るとデュヴィヴィエ「望郷」を思い出す。ジャン・ギャバンの悲痛な呼び声が耳に蘇る。
「ギャビーッツ」汽笛が声を消し、女は耳をふさぎ、ぺベル・モコは自殺する…

アンドレ・ドラン 鳥と雪景色 黒い鳥の群れが下りてくる。その情景にときめいた。鳥たちの位置関係が心地よいからだと思う。

ピカソ 泉 新古典主義の頃の作品。なるほどこれなら住友家の重厚な邸宅に違和感なく収まるだろう。
三人の女のいる泉。

ミロ 弓を射る人 妙な黄色いクネクネの生物が可愛い。いろんな「へんなもの」が一つの画面に同居している。
わたしには意味が分からないが、配色もよく、クネクネも可愛いと思う。

今も各地の邸宅が残っていれば、これらの絵画はそれぞれの邸宅の壁を飾っていたのだなあ・・・
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涼しい絵を見る…「田能村竹田」展と「絶景瀟湘八景図」展

暑いので毎日ふらふらクラクラしている。
そんな中、涼しい作品を集めた展覧会二つに行き、見ている間は外界の灼熱を忘れた。

一は出光美術館「田能村竹田」展、一は香雪美術館「絶景瀟湘八景図」展。
前者は8/2まで、後者は7/26で終了済み。

まずは田能村竹田の世界へ入り込もう。
しつこく書くのでなく、短い言葉で。
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梅花書屋図 1832 白梅と丸い石垣。のんびりした人々。

村居暁起図 1833 林羅月に。早朝の村の様子。

春隄夜月図 1834 大塩平八郎に。白梅に滔々と流れる川。うたたねの坊や、くつろぎ。犬見つけた。

柳閣暁粧図 1830 伊丹の知人に。化粧する女と湯沸かし女と。のんびりした時間。

どの作品にも自賛がつくが、ここまで見ただけでも竹田がすぐれたエッセイストだということが伝わってくる。
そしてとても友達と仲良くしている。

目撃佳趣画冊 1829 頼山陽らと有馬を越え甲山から生瀬へのツアーをしたそうだ。(すごいルート。妙なZ型になるな)
川が多い。楽しく過ごしたようだ。

文人画だからかもしれないが、何を描いても中国風景にしか見えない。
しかしどれを見てもすゞやか。

三津浜図 1834 伊予。この人のいた時代にこの絵を舞台の背景図にしたら、芝居にならないような感じがした。
ちょっと違う。

漁舟売章魚図 1829 タコ頭がタコを販売。「大阪府に寓せし次」と自賛がある。
大阪府!!!この時代にその表記は面白い。

琵琶行 1833 橋本関雪にもこの画題の名作がある。
陸に馬をつなぎ、坊やが番をしつつうずくまる。
舟には妓女と話を聞く二人。「赤馬が関」に滞在中の作品。赤馬が関=赤間が関=下関。
壇ノ浦の昔がある地でこうした絵を描くのも趣がある。

山陰訪戴図 この絵では王は戴に会うだろう予感がある。アトムヘアの坊やもいた。雪が気持ちいい。

何を見ても涼しそうである。雪の絵でも寒そうと言う感じはなく、気持ちよさそうに思える。

特定の場ではなく絵師の想像の風景、物語の風景であっても、涼しさを感じさせる。
本当に気持ちいい。

煎茶好きな青木木米の肖像画と自画像がある。どちらもよく似ていて、あっさりと楽しそうな図である。

木米のこしらえた煎茶道具が良い位置に置かれている。
急須もあれば白の炉もある。
これでいよいよ涼しい気持ちがわく。

抹茶のための茶道具にはあまり気軽さ・気さくさ・気持ちの明るさ・涼しさというものは感じないのだが、煎茶道具にはどこか楽しい軽みがあり、そこがとても好ましい。

ほかにも粉彩や、それから五島美術館でみたイセコレクションの「紅地金彩唐子文鉢」の兄弟ものもあった。
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花の絵もいくつもある。
伊丹に梅を見に行って描いた「桃花図」や和歌の添えられた「月図」などがいい。
山茶花図は白くて可憐。

書画貼交屏風 1834 これはまた面白い。白くて太い鳩、黒キジ猫(小狸奴、とある)、カニかいっぱい。
色々楽しいなあ。

同時代の文人画家たちの絵が並ぶ。

蜀山道図 池大雅 厳しい山道を馬がゆく・・・

龍山落帽図 蕪村 1763 話の背景を忘れたが、帽子が風で飛ぶのがなんともいい気持ち。
決して♪ママ~Do you remember♪ではないわけですが。

ほかに玉堂、野呂介石、貫名海屋らの絵がある。
ああ、涼しくて気持ちいいなあ。

気持ちよさすぎて、外に出たとき、太陽に負けたので、日陰を選んで走っていった。
8/2まで。



つぎは瀟湘八景図。
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山水画を読み解く、という副題がある。
わたしは閉幕前日に出かけたので、後期分しか見ていない。

古芦屋 瀟湘八景図釜 それぞれ8図ずつきちんと鋳造されている。

狩野派 夜雨のところに入った虫食いが、まるで雨を突っ切って飛ぶコウモリの群のように見えた。

呉春 岳陽楼図 ほとりに建つ有名な楼。ここで酒食を楽しみ別れを惜しみ、という人々。詩歌も多い。

紺地近江八景文様友禅染小袖 染と刺繍とで近江八景を絹の上に再現する。小さなお堂は浮御堂、唐橋、飛ぶ雁・・・

伝・明兆 許由巣父図 せっかく水飲みにきたのに、と残念そうな牛の目が妙に可愛い。

雪舟 山水図 遠目に「あ、猫」と思うような形である。三角の耳をもった猫人ぽい。それが実は山なのだった。

司馬江漢 青鷺遠村図 西洋画風でナマナマしさが寄せてくる。

・・・とここまで涼しいのだが、なぜかここで地獄の十王図が現れる。
貫名海屋 本当にもう濃いわ。ただし王の屏風に山水図があるので、そこだけ涼しい???

是庵 瀟湘八景図 絵の解説がある。
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クリックしたら拡大します。
こういうのはわかりやすくていいな。
きもちいい。

夏は水墨画や文人画がいいな。
または幕末の浮世絵のおばけ絵。

工芸品もすゞやかな柄のものが集められていた。
山水図、赤壁図もある。
それらを蒔絵にしたり堆朱にしたり。

染付の器もいい。
やはり白に青は清々しい。

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日本の名所を描いたものも集まる。
等伯 柳橋水車図屏風 水音が聞こえてきそうだ。

永楽正全による仁清写しの茶碗などもある。
大正になってもこうして旧いものをカバーすることで、新しい魅力をみせる。

古染付富士山形皿 明のそれは注文ものなのだが、富士の裾野に馬と鹿が走るのが・・・むはははは。

吉野山をえがいたものもいい。

ああ、こちらも楽しかった。
いいものを見て、涼しい気持ちになれて、ほっとした。

「中国宮廷の女性たち」「朝鮮のやきものがたり」「絣の美 模様の世界」

終了した展覧会の感想をいくつかまとめる。
東アジアを中心にした展覧会を集めた。

・松濤美術館「中国宮廷の女性たち 麗しき日々への想い 北京藝術博物館蔵名品展」
・高麗美術館「朝鮮のやきものがたり 陶器から青磁・白磁へ 彼らの語る歴史とは」
・大阪日本民芸館「絣の美 模様の世界」
いずれも7/26で終了済み。

まず「中国宮廷の女性たち 麗しき日々への想い 北京藝術博物館蔵名品展」から。
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展覧会は以下の6章に分かれている。
第 1 章 女性の手仕事―刺繍
第 2 章 鳳凰の儀容―服装
第 3 章 簪と朝の化粧―装飾品
第 4 章 薫り高き心―書画
第 5 章 奇巧を尽す―家居生活
第 6 章 文雅の室―文玩書籍
全てに共通するものは手工芸の美である。繊細かつ綿密な作業により生み出された装飾の数々に、ただただ溺れた。素晴らしい刺繍の数々を深く味わえて本当に良かった。
清朝の満州族と漢民族の貴族の優美な暮らしぶりの一端を眺めよう。

紅紗地納紗綉百子図門簾 リストにはルビと内容の簡単な説明がついている。
「百子図を刺繍した入り口の垂幕」といった風である。
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チラシの地の薄紅色の中で遊ぶ子ら、あれらがここにいる。
実に楽しそうに遊んだり暴れたりしている。
コウモリに手を振ったり、相撲を取ったり、追いかけっこしたり色々。可愛いなあ。
そして恐るべきはそれらが全て縫い取られたものだということなのだ。
表情の一つ一つの違いまでも針先が縫い止めてゆく。

古代から中国に於いては政権が漢民族から異民族の手に行こうとも、変えてはならぬ色の決まりが厳然と生きていた。

藍色、米色、明黄色、紅色、黒、白…
それらの色地に絢爛な刺繍が施されたものが次から次へと現れてくる。

ポーチがある。
日本にはない漢字の<レン>と荷包と2種あるが、ちゃんとした違いの説明がわたしには出来そうにない。簡単に言えば綴じ方の違いということか。

他に扇子を入れる袋も、髪飾りも肩飾もハンカチもレグウォーマーも、何もかもが全て素晴らしい刺繍で彩られ、埋め尽くされている。

これらを見ていると夢野久作「ドグラ・マグラ」を思い出す。
作中で呉一郎の母・千世子が刺繍の天才だという設定があり、彼女は古代中国から伝わる非常に手の込んだ難しい刺繍をしばしば拵えていた。
そして誰もが不思議に思ったその技巧を身に着けたのは、完全な独学だった。
彼女はその手本を、自分の血筋に仇なす巻物の装飾から学んでいたのだ。

素晴らしい刺繍を見る度この話を思いだし、そしてそれらが全て中国からの渡りものだということを改めて想う。

漢民族の明が倒され、満州族の清が成立した。
衣服も髪型も変わり、風習も変わっていった。
とはいえ、それは支配階級即ち貴族社会でのことで、大方の庶民はやはり大差のない暮らしぶりを続けてもいる。

この展覧会は清朝の宮廷が舞台だから、女真族の美意識が優先され、それらが更なる発展を遂げて行ったわけである。

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何もかもが手作業の世界で、一つもゆるがせにされない。
上着も一種ではなく、重ね着で構成されていて、文様にもいちいち吉祥ものや花鳥の愛らしいものを選ぶ。
布一枚にも刺繍の重みが加わっている、と思うほどの厚みがある。

彼らはもともと騎馬民族なので幼女であっても馬に乗る。だから足を纏足することもない。
ここにある布製の豪華な刺繍で彩られた靴は23cmくらいだった。
今でもパチモンが中華系雑貨店で販売されているが、あれもそんなサイズである。

さて漢民族には恐るべき纏足の風習がある。幼女の時代に足の甲と指とを完全に折り曲げられて纏足され、大人になっても9cm程度にしか足は成長しない。
「三寸金蓮」という言葉もあるくらいだ。
駒田信二訳の「金瓶梅」で「こなた金蓮を高く掲げ」の解釈について延々と書かれたものを読むと、西門慶と藩金蓮の情事に於いて、「こなた金蓮を高く掲げ」の金蓮は女の本体を言うのか・纏足した足を言うのか、駒田信二の推理は無限に広がっていた。
大学の頃からいまだにどちらが正しいのかわからないままだ。

何が言いたいかというと、23cm位の靴の横に、どう見ても9cmくらいの靴があったのだ。
三寸金蓮としか言いようのない、愛らしくもおぞましい靴である。
非常に気持ち悪かった。

布の次には玉や金銀が現れた。
不透明の玉を愛する精神性は女真族にも活きている。
白玉、金、銀、琥珀、碧玉、玳瑁、玻璃などを素材に、無限の表現が形になっている。
非常に緻密な構成のものも少なくはない。
素晴らしい装飾品の数々を目の当たりにし、これらを飾りたいがための両把頭なのか、それともあの髪型にしたがためにこれらが必要とされたのかを考えた。
どうも前者のような気がしてきた。
唐代の華麗な装飾品を思い出すと、ここで更に進化・深化したようにしか思えない。

西太后の描いたと言われる絵画が並ぶ。本人筆のものもあれば代筆のものもある。
真筆の「頤寿」の字の力強さ。剛毅な西太后にふさわしい強さがあった。
女性画家の絵が並ぶところもいい。

チラシを飾る清朝美人は清代公主像。豪華な衣装を身にまとう姿である。
これにもきちんとした規定がある。それを守って、公主の威を自然にみせる。

これを見るとトマス・ハリス原作の「ハンニバル・ライジング」の映画を思い出す。
パリ郊外のレディ紫の居城で若きハンニバル・レクターは成長するが、広島出身の筈のレディ紫の家には剣道の道具と共に清朝の皇帝や公主らの肖像画が並んでいた。
大いなるカンチガイなのだが、今はそれを懐かしく思い出せる。

粉彩の綺麗な碗、皿、鉢、杯などが出ていた。本当に使ったものと鑑賞用のものと。
銅胎画琺瑯(七宝)の執拗な図柄の瓶もいい。
紫檀や黄楊を彫ったもの、螺鈿、剔紅などなど。技法は無尽蔵のようだ。
「紅楼夢」のキャラたちが浮き出ている天球瓶もある。

最後は文房具。
西湖十景、桃、石榴、松竹などを象ったもの、それから赤ん坊が遊ぶのもあるが、なぜかデビル顔だった。

清朝の工芸品の見事さに溺れる展覧会だった。


次は「朝鮮のやきものがたり 陶器から青磁・白磁へ 彼らの語る歴史とは」
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高麗時代の青磁の美に深く打たれている。
そのために李朝が始まり、青磁の美が見捨てられ、白磁が世に広まった当初、それを受け入れられなくなっていた。
しかし白磁の美もまた無視することは出来ない。言い訳しながら朝鮮白磁に惹かれてゆく。

展覧会は歴史上の事件と絡めながら資料展の趣を見せてもいた。

1-11の時代配分の前の時代。
伽耶土器は日本の須恵器の先祖にあたる。
新羅焼の高温焼成でキーーーンという金属音が立つ。弾くと鉄音がするという意味の言葉が「スエ」=須恵だそうである。
器台付壺がある。燈籠に適当なやきもの。

1.青磁の需要と宗教
高麗は仏教と道教とをうまく国家に取り込み、国家発展のために仏教を、王室保持のために道教を推進した。
仏教の荘厳具には青磁を使用した。青銅の仏具は朽ちるが青磁は不変だった。青磁は道教の行事にも使用された。
また、新羅、高句麗滅亡、唐、契丹(遼)滅亡、高麗の巨大化といった東アジアの動きがある。

鉄造仏は武器を佛にしたもので平和の象徴である。
統一新羅の頃に多く作られた。今のはそれらを脱塩処理して保存に努めている。

2.青磁の始まり
越州窯の陶工が朝鮮半島に技術をもたらしたらしい。

3.契丹と青磁の変遷
翡色青磁の誕生。この色は緑でも青でも緑青でもない。

4.象嵌技法
螺鈿技法の影響で始まったらしい。
12~13世紀のこの時代が最盛期。素晴らしい作品が多いのでどれを見てもときめく。
雲鶴文碗のいいのがある。

5.海底考古学と朝鮮西海岸
蒙古襲来は日本だけではなかった。

6.粉青沙器の登場と金属活字
なんとグーテンベルクの活版印刷より旧かった!!!
びっくりしました。1377頃に金属活字で「白雲和尚抄録仏祖 直指心体要節」を刊行したそうな。グーテンベルクは1398-1468。

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7.朝鮮王朝と磁器
前王朝のあとをついで、粉青沙器の中でも象嵌と印花を多く用いたそうだ。
しかしいつまでも同じものを続けるのではなく、そこから少しずつ変化してゆく。

8.白磁と粉青沙器
ハングル文字の成立と同時期だというのも初めて知った。
やがて白磁が世を席巻する。

9.秀吉の朝鮮侵略と粉青沙器の消滅
灰青から白へ白へ…

10.ハンアリ
17世紀後半から白磁が全国へ広がり乳白色へ進化する。丸いハンアリが作られ、草花文などが施されてゆく。
この時期の王様に粛宗がいる。そのころまでに完成したようだ。
粛宗といえばわたしの中では「トンイ」の王様。

11.終焉へ
朝鮮時代末期、水滴や文具類に自由な造形が見られるようになった。
可愛いものがとても多い時代である。
だがやがて日本軍の侵攻により、全ては破壊されたのだった…

時代による変遷の理由も今回の展覧会で理解が進んできたように思う。
またこうした企画展を見たい。


最後は「絣の美 模様の世界」である。
こちらも大変な作業から生み出された繊維類である。
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久留米や沖縄、鳥取県弓ヶ浜の絣を見る。地域性により多少の嗜好の差はあるが、大方が藍染で可愛らしい文様を見せている。

特に妙な虎や鷹やふくら雀に帆舟などをモチーフにしたものが気に入った。
子持ち豆腐という文様にはびっくりした。要するにこんな感じ。
☐が普通の豆腐で、回が子持ち豆腐。

わんこ風な唐獅子、ふっくらした椿、鶴亀、松竹梅、熨斗、宝珠などなど。
いくらでも文様が生まれて来る。

屏風にも暖簾にもむろん着物にもなる絣。
今回は弓ヶ浜の絣のコレクションがたくさん出ていて、そちらも堪能した。
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藍染のあとにはそば猪口。
こちらも染付が多い。そして文様の多様さにもびっくりするばかり。
エビ、カニ、タコ、イカ…浦島のような物語性のあるものもある。
ウサギと万年青の組み合わせは明治中期のブームだろう。
唐子、鯉の滝登り、千鳥…
粋なものから可愛いものまでずらりと並んでいた。

ああ、面白い。

ポール・ジャクレーと新版画

久しぶりに横浜美術館でポール・ジャクレーの作品をたくさん見ることが出来た。
たいへん嬉しい。
前の展覧会は2003年で、淡交社から出た図録は早々と完売したと聞いた。
わたしが最初にジャクレーを知ったのは1996年の横浜美の「アジアへの眼 外国人浮世絵師たち」展のチラシからだった。
金色の目をした二人の南洋の少年。
ときめいたなあ。今も好きな絵。
1992年にはdo!family美術館でも展覧会があったようだが、その時の記憶がないから、行っていないのだろう。

蘭を持つヤップの美人 1934

手や腕に刺青がある。胸は露わだが、下半身はヤシの葉の腰みのと言うかすごくモサモサしたスカートをはいている。
非常に意志の強そうな女。

パリの婦人 1934

同時代でも場所が変わるとこんなにも違う。どちらかといえばイヤな感じがある。

もし、と思うことがある。先の女が島を捨てて西洋文明の中に入り込んでいき、何もかも変えていけば、このフランス女になる可能性もあるかもしれない。
肌の色や髪の色などではなく、都会で生き抜く・のしあがる、という強い意思さえあれば…
諸星大二郎「沼の子供」を想いながらそんなことを考えた。

赤い衣服 1935
白襟が印象的。

リタ・サブラン嬢の肖像 1934

腕の位置が変な感じがする。
なんだろう、これは。あの赤いものはなんなのか。
それにしても上のシャツは涼しそう。

トコベイ島の彫刻師 1954

何を拵えてるのかはわからない。現地の神様なのかもしれないし。
妙に可愛い。
これで思い出すのが土方久功の「猫犬」像。あれも可愛かった。
ミクロネシア・ポリネシアの木彫は可愛いものが少なくない。

めざめ、サイパン島 1937

タイトルとこの絵を見ると何に目覚めたのか、とても気になるな。
青少年の健やかな肉体と、南洋の果実そのもののようなまなざし・口元の甘さと…
ときめく。

オウム貝、ヤップ島 1958

20年の歳月の隔たりはなかったも同然。いつのときでもジャクレーは好ましい青年を見つけ出す。

メタラニームの驟雨、ポナペ島 1935

二人の女の雨宿り。露わな胸よりも隠されつつある腿にこそ目が行く。

波の音、東カロリン諸島 1936

波の音を聞く耳。黒髪には大きな黄色い花。体の線の艶めかしさに微笑む。

貝を持つファララップの女 1935

ああ、素晴らしい肉体。褐色の肌に刻まれる刺青。髪のなびく様にも魅力がある。

オロール島の少年、東カロリン諸島 1940
この原題がとてもいい。「The Yellow-Eyed Boys, Olol, EastCarolines」



日本の美を見る目も鮮やかだ。

清馨さん 1935

自分の作品を観ている彼女を描く。ややはれまぶたの綺麗な女。
着物の向こうの肉も感じられるかのようだ。

大漁祝、伊豆 1939

背後に富士山。手前に派手な絵柄の着物の青年二人。ジャクレーのワクワク感が伝わってくるかのようだ。
魚はカツオらしい。

陶器師、朝鮮 1940

ああ、いい色のやきもの。伝統的なスタイルの陶工の真剣な姿。

連作「中国宮殿風俗」1942 から。

金魚 

照明には蝙蝠の絵柄。屏風には仙人図と花。縁回りは螺鈿。
金魚を見る二人の女。指には翡翠。

大宮

英語はfavoriteお気に入り、とついていた。月下の竹林で月見草の衣裳を身に着ける女。

秘密の手紙

両把頭の二人の女。木蓮柄の衣裳の女から天女柄の女へ。

貴賓席

髪飾りの椿が可愛い。二人ともとても凝った衣装に飾りをつけている。
京劇を見ていると思うが、何を見ているのだろう。
「覇王別姫」か「貴妃酔酒」か「白蛇伝」か。

謁見の前

桃が置かれている。立派な衣裳の支度をしているところ。

最後に同時代に版画制作にいそしんだ深水の美人も紹介。

髪を梳る娘の愛らしさにきゅんとなる。

瓷華明彩 イセコレクションの名陶 

五島美術館でイセコレクションの中国陶磁の名品を見た。
タイトルは「瓷華明彩」納得の名称である。
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やきものの展覧会は理屈抜きに楽しい。
観ながら耽溺するばかりで、なにかしら書こうにも書けないことが多い。
書くにはある種の突き放した視線が必要なのだが、そんなものここにはないので、ただただスキスキ・カワイイ・キレイの集まりになるかもしれない。…いつもそうか。

三彩長頸瓶 唐  川端康成旧蔵品。全集十巻の口絵写真に使われているそうな。
わたしは生憎なことに子供の頃から親に川端は読書禁止を申し渡されてきたので、いまだに殆ど何も読んでいない。どんな風に川端がこの瓶を愛したかを妄想するばかりである。
谷崎(うちの親は谷崎・三島も禁止していたが、それより先に谷崎は読んでいたので手遅れ)と並ぶ快楽主義者の川端が愛したものを、わたしも舐めるように眺めた。

三彩有蓋貼花文鍑 唐  ああ、これもいかにもな作品である。唐の華やかな文化が今に蘇る。

黄釉盤 「大明弘治年製」銘 明 /黄釉鉢 「大明正徳年製」銘 明  
今回この黄色のセット?は何組もエントリーされていて、それぞれ少しずつ違い、明るい美貌を露わにしてくれていた。
最初に出てきたこの二つ、やや薄めの黄色でリストの用紙と同じくらいの色調を見せていた。尤も鉢の方がやや濃いめで、見込みの釉溜りが多重円に見える面白味があった。
白磁緑彩龍文盤 「大明正徳年製」銘 明  ああ、すごく綺麗。緑が白に這う様子がたまらなくいい。

五彩孔雀牡丹唐草文盤 古赤絵 景徳鎮窯 明  草と花とで埋められた空間。トプカプ宮殿にも兄弟瓶があるとか。見返る二羽の孔雀。対峙しつつ。いい図柄。

五彩花唐草文鉢 古赤絵 明 くっきりと綺麗な文様。いいものを好み。いいものを愛した古人に、ただただ感謝。

法花蓮池水禽文瓶 景徳鎮窯 明  陶磁器コレクターとして名高い穂積重威の旧蔵品。法花は紫色の地が多いが、こちらは翠青色の地に優雅な盛り上がりを見せる。中型の瓶で首の内側は濃い目の緑。手描きで波も描いた。
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法花蓮花文鉢 景徳鎮窯 明  こちらも水色の翠青色の地に花が咲いている。濃く濃やかな文様がいい。

法花透彫人物文壺 明  二重構成で透かしを作りなおかつ法花という…すごいな、この作り。初めて見た。

孔雀釉瓶 明   明るいピーコックブルー。綺麗すぎる青。翠青色、と記されているがどうなのかな。玉壺春型。つるつるな表面の綺麗さにどきどきしたよ。

五彩金襴手花鳥文瓢形瓶 景徳鎮窯 明  石榴に鸚鵡、竹に鹿、鶴に松などといった取り合わせの図像が焼き付けられている。

五彩牡丹唐草文馬上杯 古赤絵 明   鉢の花に蝶が舞い寄る。見込みには豊かに咲く花。高足に瓔珞文。周りに葉。
いい感じ。

緑地金襴手鹿花鳥文碗 「大明嘉靖年製」銘 景徳鎮窯 明  金箔を切って焼き付けて…う、わーな手のかかるやきもの。

五彩花卉唐草文碗 「大明嘉靖年製」銘 景徳鎮窯 明  外は五彩、中は白。白地の上に五彩が踊るような美しさ。

黄釉盤 「大明嘉靖年製」銘 景徳鎮窯 明 /黄釉鉢 「大明嘉靖年製」銘 景徳鎮窯 明
こちらは明るい黄色で「嬌黄色」というそうな。黄色の中でも、特に喜ばれる人気者な黄色。

黄地青花紅彩花唐草文瓢形瓶 景徳鎮窯 「大明嘉靖年製」銘  明  手間のかかる構造。先に唐草を・次に黄色を・更に赤を塗って三度焼き。派手で可愛いわ。

紅地黄彩花卉文方形盤 景徳鎮窯  こちらは二度焼き。火加減の大切さを実感するなあ。見込みに菊花がシュールな雰囲気を見せる。

黄地緑彩唐子文碗 景徳鎮窯 「大明嘉靖年製」銘  明  丁寧な作りで色合いがいい。

紅地緑彩唐子文角鉢 景徳鎮窯 「大明嘉靖年製」銘  明  鴻池家伝来。凧揚げやコマ遊びする唐子たちが元気良くて可愛い。

柿地緑彩松鶴文碗 景徳鎮窯 「大明嘉靖年製」銘  明  これはまた日本好みの鶴と松。

五彩牡丹文盤 景徳鎮窯  「大明萬暦年製」銘  明  石榴とレイシもある。惜しいことに色の剥落がある。しかし悪くはない。

五彩百鹿文壺 景徳鎮窯 「大明萬暦年製」銘  明  様々な鹿たち。白鹿、カノコのきれいなもの、茶色いものらがそれぞれ寛いだり走ったり。五彩の豊かさを感じる絵柄。

五彩団龍文共蓋壺 景徳鎮窯 「大明萬暦年製」銘  明  丸まる龍たちも単色からフルカラーまで様々。

五彩山水文大皿 色絵祥瑞 景徳鎮窯 明   竹林、民家、橋、山、そして舟・・・

藍釉白花花文盤 餅花手 明  やや薄めの藍。白泥で文様を描くことでその情景が正月の餅花のように見える。いかにも日本的な呼び方である。

五彩牡丹鳳凰文壺 景徳鎮窯 清  葉が青々。形が好みな壺。

長々と書いてきたが、本当にもう、何もかもが官能的。
いいものばかりを見ている。

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大きな盤をみた。どちらも欧州へ流れた。ファミーユ・ヴェルトか。
五彩吉祥文盤、五彩鳳凰文輪花盤 清

五彩仙人文杯 「大清康熙年製」銘 清 小さい杯に丁寧な仕事。

黄釉劃花花文碗 「大清康熙年製」銘 清  カラフルで可愛い。

茄皮紫釉碗 「大清康熙年製」銘 清  黒に近い紫。ただし薄い。不思議な色彩。

茄皮紫釉暗花龍文盤 景徳鎮窯 「大清康熙年製」銘 清  綺麗な色!!

素三彩花文鉢 「大清康熙年製」銘 清 素三彩は水色・紫・黄色の取り合わせ。
素三彩果文盤 「大清康熙年製」銘 清 フルーツ柄。丸々した石榴が美味しそう。
どちらもとても洋風な感じがする。

更に時代が変わる。

豆彩団花文鉢 景徳鎮窯 「大清雍正年製」銘 清  丁寧で綺麗な絵柄。
豆彩花果文杯 景徳鎮窯 「大清雍正年製」銘 清  ブドウ文の小さな杯。
豆彩海浪瑞毛獣文盤 景徳鎮窯「大清雍正年製」銘 清 これは「波濤瑞獣文盤」ともいう名で出ている。

藍地白抜木蓮文盤 景徳鎮窯「大清雍正年製」銘 清  可愛らしい。欲しいな。

黄釉輪花盤 景徳鎮窯「大清雍正年製」銘 清  レモンイェローの明るさ。同じ黄色でも少しずつ違う。明るい。この時代に作られた黄色なのだった。アンチモンを使ったそうだ。それでこういう黄色になるのかどうかはわたしにはわからないが、なんだか楽しい。
 
黄地緑彩唐子文碗 景徳鎮窯「大清雍正年製」銘 清  松が伸びる下で子供らが楽しく遊ぶ。ボクシング、タンバリン打つなどなど。

釉裏紅魚文鉢「大清雍正年製」銘 景徳鎮窯 清  外側に赤い魚。色が綺麗。

釉裏紅双果文盤「大清雍正年製」銘 景徳鎮窯 清  可愛い!2つのリンゴが並ぶ絵柄でレトロカワイイ昭和風。
🍎🍎 こんな感じ。民窯のおちゃめさん。

真珠釉暗花寿字龍文碗 景徳鎮窯「大清乾隆年製」銘 清  光の当たり方・見る位置により表情が変わる。キラキラ。見込みに「寿」字。ああ、キレイ。不透明ガラスのようだ。

茶葉末双耳壺 景徳鎮窯「大清乾隆年製」銘 清  日本では蕎麦釉とも呼ばれるそうだが、このシンプルさ。ルーシー・リー作品のよう。

茄皮紫釉暗花龍文盤 景徳鎮窯「大清乾隆年製」銘 清  綺麗わー。色がやはりいい。

黄地青花桃樹文盤 景徳鎮窯「大清乾隆年製」銘 清  レモンイェロー!

火焔紅柑子口瓶 景徳鎮窯「大清乾隆年製」銘 清  窯変釉。紅色と空色のシマシマ。

夾彩花唐草文碗 景徳鎮窯「大清嘉慶年製」銘 清   中の緑色のすこやかさ。側はイースターエッグのよう。

青釉碗 景徳鎮窯「大清嘉慶年製」銘 清   これはまた綺麗な色。「緑松石」=トルコ石色だという。綺麗な色。

紅地五彩金襴手唐子文鉢 景徳鎮窯「大清嘉慶年製」銘 清   丁寧な絵。ちびっこらはリアル。背景は金でぼわぼわさせる。「抹紅色」とはしぶい色ですなあ。

紅地粉彩花唐草文碗 景徳鎮窯「大清道光年製」銘 清   可愛くていいなあ。

彫磁豆緑釉蓮花文筆筒 景徳鎮窯「大清道光年製」銘 清  黄緑か。可愛い名前。

夾彩花唐草文扁壺 清  膨らみなしの壺。これは壁掛け用でした。

青釉花文碗 清  緑松石色に白泥でそっと花を描く。繊細で可愛いなあ。

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文具を見る。

螺鈿紫陽花鳥文筆管「大明萬暦年製」明  きらきら。鳥は鳩のようだった。
これは五彩龍文筆盒の中に納められていた。

紋唐紙 清  7種の綺麗な紙が並ぶ。いい染。平安時代の料紙を髣髴とさせる。

琥珀蓮葉形水盂  飴色がいい。いつの時代のだろう。

大変きれいで繊細なものばかり。
翠玉蟷螂筆架 清  色の美にくらくら。
縞瑪瑙獅子筆架 清  彫ってるのか。
白玉梅花文墨床  ああ、見えない…

青磁鉄斑文瓶 元  飛青磁ですな。安宅コレクション同様、こちらも素敵。

鍍金狩猟文脚杯 唐  小さくて可愛い。解説に懐かしの「涼州詞」のことが出ていたな。
葡 萄 美 酒 夜 光 杯
欲 飲 琵 琶 馬 上 催
酔 臥 沙 場 君 莫 笑
古 来 征 戦 幾 人 回

葡萄の美酒夜光の杯
飲まんと欲すれば琵琶馬上に催す
酔うて沙場に臥す君笑うこと莫かれ
古来征戦幾人か回る

この詩の訳はわたしが中学の時におぼえたもので、「催す」もウナガス・モヨオスと中学・高校により変わったので、好きな方を選んでいる。

饕餮文觚 西周  ラッパ型の杯ですな。

堆朱双鳳牡丹文箪笥 明  「倹飩形」という形の箪笥。つまりボックス型で、上に留め金があり、そこで開閉。
日本製のだが、こちらにその形のを紹介している。


洋画も三点来ていた。
モディリアーニ 首飾りの女 白目あり。黒ネックレス。バラ色のチーク。キッと口をつぐむ意志的な顔立ち。スーツを着ている。

マティス バラ色のドレスを着た婦人  顔なしで描かれた女。窓、椅子、壁紙などが縞柄で、描かれている。

カンディンスキー 三つの楕円 色彩設計がきれい。最近は抽象画もいいねと思う。

イセコレクションの名品を堪能させてもらいましたわー。
本当に蕩けるようでした。ありがとう。
8/9まで。

住友銀行のステンドグラス

7/26に住友銀行のステンドグラスが一般公開されたので喜んで出かけた。撮影はそのステンドグラスのみ、あとは禁止。
セキュリティの問題もあると思う。
記憶にだけ華麗な装飾を残そう。

そしてたとえ撮影を許可されても一般公開を禁止されていれば、それを守りたい。
約束事を破ることで見学すら禁じられたらどうするのだ。
責任もとれないくせに自分の欲望だけでばんばん画像を流出させるな。
だからわたしは微力ながらも約束事は守りたい。

外観は撮影を許可されてるのでパチパチ。
なお、98年以降に数度撮影しているので、そちらも挙げることにする。

どの通りに面していても全て荘厳な玄関。


















さすが銅の住友らしい。






いよいよステンドグラス。










ここからは過去の撮影分。
1998、2001などなど。
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最後に二つファンキーな顔。



大同生命大阪本社ビル メモリアルホール

大同生命本社ビルのメモリアルホールが7/25から特別展を始めた。
去年は村岡花子と広岡浅子との関わりを示したものだが、今回はその大同生命の源流としての広岡浅子の特集が組まれている。

まずは広岡浅子の仕事と、ヴォーリズの設計した空間とを味わいたい。
3年前に見学した際は撮影禁止だったが、商業目的ではなく、ブログやSNSでの活用なら使用許可が下りていて、喜んで撮影させてもらい、また、こうしてブログに挙げさせてもらえるのは本当にありがたいことです。感謝いたしております。


三井家から加島屋にお嫁にきた浅子は実家では許されなかった勉強にも勤しめたようで、本当に良かった。
幕末の三井家があまりに貴族化したが故の退廃、それを証拠立てる一件でもあるように思う。


堂島のコメや幕末の大名貸しなどもしてる。
新撰組との関わりの資料もある。


広岡浅子の生涯をモデルにした連ドラが秋から始まるので、色々興味深い逸話が紹介されている。

わたしが挙げてもいいが、ネタバレになりそうだからやめよう。
女傑、というのはまさにこの人のことやなあ。
ファンになりましたわ。

さてメモリアルホール。
こちらは設計図




新館記念に。


ステンドグラス


床模様






天井

△部は青灰色。











柱の装飾






装飾。




かつての建物の模型






当時の写真


界隈の写真も。




ヴォーリズの建物が色々紹介されている。


何やら紹介や図録もある。






大理石のアンモナイト




エレベーターホールのステンドグラス


外に出て上を見た。


外壁。一部保存。






ありがとうございました。
ドラマも楽しみ…

昭和にタイムスリップ 吉田初三郎のパノラマ世界

堺市博物館「昭和にタイムスリップ 吉田初三郎のパノラマ世界」展は面白かった。
なのについうっかりして感想を挙げれないまま来てしまった。7/12で終了している。
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そもそもこの展覧会を知ったのが遅かったということもある。
困ったことである。

富士身延鉄道沿線名所鳥瞰図 1928 実際に行ったことがないので絵を見て「こうなっていたのか」くらいの感想なのだが、これを見ていると不思議と行きたくなる。

筑波山神社を中心とせる名所図絵 昭和初期 こちらもそう。「こんなところがあるのか」と感心したり。

丹那トンネル開通之熱海温泉図 1934 富士山の前の十国峠や熱海の町並みが描かれている。字が所々消えてるので何が何かよくわからんのだが、それを推理するのも楽しい。トンネルはオレンジ色の線の延長でつながっている。
聞いた話だが、このトンネルが出来たとき、すごく喜ばれたそうだ。

神武天皇御聖蹟図 1939 宇陀、長谷寺、橿原あたりが手前に描かれ、遙か遠くに宮崎も。
時代を感じる作品である。

料亭水月を中心とせる日田案内図 昭和初期 ここは水もきれいな町だったそうだ。鵜飼いもしていたようでそんなシーンもある。桜が立派。立派な料理旅館と舟など。立派な川と峡谷と。
ところでこの水月を中心とした日田だが、実際にはこの旅館は建てられていなかったそうだ。

堺市鳥瞰図 1935 これは中心地を拡大したものを常設展示している。
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昔の潮湯、水族館、工業地帯、大蘇鉄などが見える。
これは室戸台風の後に描かれたもの。こうして眺めると酒造会社が意外と多い。金剛山、葛城山、二上山、信貴山、生駒山といった山の並び、住吉大社、櫓の見える大阪港なども含まれていた。

昭和30年代の同じ場所を描いたものがあった。
二代目初三郎の仕事である。色はパステルカラーだった。

函館市図 1936 この二年前の大火の後の復興した様子を描いている。ドック、港町、五稜郭もはっきり。
このころならもう五島軒もあるだろうか。湯の川温泉もある。いいなあ、久しぶりに函館に行きたい。
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新潟全県史跡観光鳥瞰図 戦後 山また山で、なぜか地名ばかり。

大軌・参急電鉄ポスター 1934 今の近鉄の伊勢志摩への観光案内。初三郎の美人画の代表作。1931年と1934年、どちらが本当の制作年かはわたしにはわからない。

町から依頼を受けて作った地図もある。戦後の仕事。
稚内市鳥瞰図 野外ステージがある。港と「アメリカ村」が目を引く。これは心斎橋のアメリカ村とは違い、和歌山などにあるのと同じ出稼ぎが帰ってきた村かと思う。
利尻・礼文が見える。

遠軽町鳥瞰図 陸自、スキー場、大雪山、教会。村役場・検察庁と結核病院とが隣接しあうのも興味深い。
眺望岩がとても大きい。・・・安彦良和少年はこの絵の頃この町にいたのだなあ。

国立公園支笏洞爺湖、国立公園大雪山、国立公園阿寒などの絵もあるが、いずれもロングでそんなに細かくはない。

霧島・林田温泉ポスター 1935 おお、栄ノ尾。梅原の絵を思い出す。

観光ガイド本の装丁原画もある。
花巻、伊東温泉、大鰐、水浜(お堂に梅に月の図)、浜田市、三河、本宮、布施市(!)白描で工場など、西宮(神社から市庁)、鹿児島の人形・・・
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昭和初期の三陸大地震から復興したから観光に来てねという宣伝のものもあった。
釜石市街鳥瞰図 1936
観光の宮城県 1933
・・・こんな風に現代のこの地も早く完全な復興が為されなくてはなあ。

昭和初期の観光案内書も楽しい。
宮城県に愛知県。ネットだけでない、紙の良さを楽しめた時代。

先づ伊勢参宮東邦電力山田電車ポスター 1935
初三郎美人がいる図。いいねえ。
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ああ、楽しかった。
こんな地図を持ってどこかへ出かけたい。

原鉄道模型博物館 その1

原信太郎さんの鉄道模型を集めた博物館にとうとう入場した。

原さんのことを知ったのは2011年の大阪くらしの今昔館での展覧会から。
ここで関西最後の展覧会をしてから、横浜へ一同うち揃って出て行ってしまったのだ。
先の展覧会も大変良かった。
原コレクションを知ったのは幸いだったと思う。

この博物館では撮影可能なので、喜んで写させてもらった。



座席の様子。


天井をオープンさせたらこんな感じ。


関東大震災を乗り越えたおもちゃ。関東大震災のとき原さんは四つだったが、品川の自邸で鉄道のおもちゃを守ろうと必死だったという述懐を前回知った。


とても可愛らしい鉄道。


ステンドグラスの愛らしさも再現。


こういうところに立って風に吹かれてみたい。



さてこちらは「ある列車」。






この列車については2011年に書いたものを転用します。

<ある列車「九州鉄道」>と題された、美麗な鉄道。
客車も一等、二等、食堂車、展望車もあり、それぞれの車両のステンドグラスは意匠は同じでも配色が異なり、「見応えがある」などというものではなかった。
素晴らしい鉄道模型だった。ボディの「逓信省」の右読み文字もいい。
そしてこの鉄道にまつわるエピソードがまた胸を打つ。
これは1905年にドイツに発注したもので、ようやく来たのが1908年。
ところがそのときには発注先がなくなったいた。一度も運転されることなくに廃車になった鉄道だったのだ。
それをこうして美麗にしてリアルな模型に設えた・・・
原さんの鉄道への愛が伝わる物語だと思った。

吉田初三郎の朝鮮半島の金剛山の鳥瞰図もある。


こちらは京浜湘南電車の地図。


まだまだある。

上本町からお伊勢さんまでの参宮鳥瞰図。



原さんは乗りテツでもある。
一番切符を集めるため何日も並ぶ。


丹那トンネル開通の一番切符。



年表にもきちんと切符入手のことが載る。


この話がいちばん好きだ。


原さんは撮りテツでもある。
その数々の作品をデジタルアーカイブしたものが見れる。
たくさんのテツがシアワセそうに見ていた。

こちらはかつての芦屋のシャングリラを彷彿させる空間。





無限に車輌が並ぶ。






標示板もいいなあ。


スゴい模型があった。
ヴッパータール懸垂鉄道模型。
世界にこれだけ。

モノレールやね。
世界最古の空中鉄道やそうです。



個人的にはこの上から捕まえられてる式のはわたしはニガテで、だからケーブルは好きでもロープウェイはダメ。
これも面白いけど、実際に乗るのは怖いな。

昔の少年倶楽部の付録にも確かこれに似た懸垂鉄道のペーパークラフトがあった。
見た目は楽しそうなんだがなあ。

こちらは企画展示。京急電車。

金沢文庫に行くとき、とてもお世話になってます。
というか、けっこう好きな電車。

あのシャングリラ鉄道の世界最大級ジオラマは別記事にします。

原鉄道模型博物館 その2

さていよいよ世界最大級のジオラマでの模型鉄道の走る空間に来ました!
数ヵ月前に有馬のオモチャ博物館で大きなのを見たが、これまた素晴らしい造りで、コーフンしまくり!
なんしか走る音がする。
そこにときめいた!
蒸気、電気、トロリーの起動が山あり谷あり湖を横目に街を行き、本当にカッコ良かった。

そして朝昼晩、夕方に夜中に明け方も演出されて、本当にドキドキワクワク。
とりあえず少しでも伝えられたら嬉しいな。





















いよいよキターーー


































全体図


ドイツのポスター
絵柄も色合いも可愛い。



ここからは横浜のジオラマ。
こちらも1日を味わえる。

























本当に楽しい空間でした。
また来ます♪
そごうからも近いし、いいところやなあ。

目黒雅叙園 百段階段 その3

清方の間。
この部屋は村上もとか「龍 RON」で大連の料亭の一室として描写されてもいる。



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弟子の絵が飾られていた。



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頂上の間。













次に館内さまざまな場所から。
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かつてここに美人画専門の美術館があったことを、今更ながらに思い出すなあ…


最後にエレベーターの獅子。扉。


また行きます。

目黒雅叙園 百段階段 その2

こちらもスマホ写真と2000年のフィルム写真との共存で。

草丘の間へ向かう。










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静水の間へ。
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星光の間。
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野菜や果物やお魚など食べ物にまつわる絵が集まるのが楽しい。

続く。

目黒雅叙園 百段階段 その1

先般、久しぶりに目黒雅叙園の「百段階段」を堪能してきた。
今回の「和のあかり」展では撮影可能だったので喜んでぱちぱちとスマホで撮ったが、陰翳礼讃にスマホのカメラがついてゆかず、よい色調にはならなかった。
そこで2000年8月に撮影したものを共にあげることにした。
こちらはフィルムを現像したもの。ただしカメラワークはやはりたいしたことないので、残念な感じは強いかもしれないが。
画像に2000年の日付が入るものはすべてその当時撮影したもの。


お手洗いの螺鈿も美人画も物凄いのです。




エレベーターの獅子




階段の天井





窓の装飾

十畝の間。
荒木十畝の日本画と黒漆の螺鈿細工で荘厳された部屋。
螺鈿の装飾の見事さにただただ圧倒される。




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天井絵ふたつ




螺鈿


















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漁礁の間
やはり15年の経年劣化はあるものの素晴らしく華やかであることに変わりはない。
格天井は菊池華秋「四季草花図」、欄間は尾竹竹坡の五節句。























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ああ、ドキドキは止まらない。

蔡國強展 帰去来

横浜美術館の蔡國強展「帰去来」を見に行った。
帰去来とは陶淵明の詩「帰去来辞」からの言葉で、「かえりなん、いざ」と和訳されている。
陶淵明は出世したのだがさっさとその職を擲ち、故地へ帰ってゆく。
この「帰去来辞」の関連の「帰園田居」も素晴らしいが、「帰去来」という言葉のインパクトは大きく、陶淵明を知らずともこの言葉だけを見知っている人も多い。

蔡國強は台湾の人だが、日本にも十年近く滞在していたそうだ。
わたしは名前は知っていても作品を目の当たりにしたのは(彼の作品だと認識したのは)今回が初めて。
火薬アートと聞かされて、花火の美貌と硝煙のにおいの心地よさと危険さとを想った。

展覧会は7/11から開幕したが、作品を作るところをマスコミ公開していたのを、映像で見た。この模様は会場内のモニターに出ているようだが、やはりツイッターではそのことに不満を感じる人もいるようだった。
ニュース映像で見た作品はミミズクと桜の巨大な作品だった。
「夜桜」と名付けられた巨大な作品である。

その前に立ったとき、ミミズクの大きな目に対し、何かしら不思議なくらいの愛情が浮かんだ。
やがて階上に上がり絵の裏に来たときもミミズクの鋭いマナコに親しみを懐いた。


大きな桜もその質感が快い。

火薬から生まれた花だが、しっとりした柔らかみを感じる。

さて二階の展示室で最初に始まるものは言えば春画である。
「人生四季」とつけられ、春夏秋冬4点の巨大な情交図が描かれている。
いずれも259x648で、「秋」のみ長さは810。やはり火薬で描かれている。
そして彼らの肌には刺青のように花札の絵柄が刻まれている。
二人はどちらも坊主頭で中性的な顔つきと肉体をみせている。
月岡雪鼎の春画からの発想らしい。

「春」は正直どうなっているのかよくわからなかった。ただ美坊主のBLにも見えた。
とても静かである。

「夏」は坊さん同士または尼さん同士の行為に見えた。百合が咲いていて、そこで静かにくちづけ合う様子から、わたしは尼さん同士のような感じで見ているのかもしれない。萩に猪の絵柄がちらりとのぞく。二人の元へ鳥が飛んできた。
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「秋」は一応男女同士なのかと納得したが、それでもはだけた胸を見て、仏像のような肉体だと想いもした。
なお二人はそれぞれ別な方向へ視線を・表情を向けており、互いを見ない。接点はそこだけである。
動きを感じる。抽送は激しいのかもしれない。
そして男の腿に鹿の絵を見た。鳥は飛び去って行った。

「冬」には水仙や白梅が咲いている。四季、長々と情交が続いているような錯覚がある。
男は顔をそむけている。彼は秋からこちら相手の顔を見ていない。女の方も自分の歓びだけに浸っている。
だが、とてもいい表現である。そして絵の端に鶴がいた。


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春夏秋冬 磁器タイル240枚の上を火薬が走り、それから作品として完成されてゆく。
とても綺麗である。牡丹と蝶という昔ながらの中国の文様。オタマジャクシの群れもある。蓮も咲いて、秋には葡萄も実る。
梅が咲くのもいい。

朝顔 藤蔓と陶と鉄とで作られている。とても長い。それが垂れさがる・あるいは吊られている。
ラプンツェル、お前の髪を垂らしておくれ…
わたしはそっとつぶやいた。

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映像を見る人が多い。見ればよいのだが、見ると却ってわたしのようなものは感興が殺がれる可能性があるのでやめた。
過程も大事だが、あえてそれを知りつつも無視して、完成品を味わうことにしている。
ただ、それはきっと蔡さんの意図から外れる行為なのも、わかってはいる。

とうとう最後になった。
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壁撞き 99体の狼のレプリカが懸命に飛び、透明な壁にぶつかって転び、犬団子になり、すごすごと去り、あるいはまた挑戦しようとする、立体作品である。
面白いのはこの狼たちは無論剥製などではなく、鉄芯と藁と石膏とそして羊の毛皮で構成されているのだ。
羊の皮をかぶった狼たち。
彼らは一頭一頭表情も違い、性別も違った。ポーズも違う。
がんばれ、オオカミ!!
思わず声を懸けたくなった。

これはドイツ銀行所蔵だというが、普段どのように展示あるいは収納しているのだろう。
この展示室にあるのと同じように広々と空間を使って展示しているのか。それともつめつめにしているのか、それともお休みさせられてているのか…
そんなことを思うのも楽しかった。
ところでわたしはこの狼の大軍を見て、満州地方を往く狼の大軍の話を思い出した。
横山光輝「狼の星座」で知った事柄である。
なんでも狼の大隊が移動するときはちゃんと斥候もいて、しんがりも立派な奴が選ばれているそうだ。
それを見ていた主人公の馬賊はこんな群れを率いる欖把(頭目)になりたいものだとひとりごちるのだ。

わたしのような現代アートをニガテとするものでも、とても楽しめた。
とはいえ、多分なにか大切なところが抜けているのかもしれないが。

10/18まで。

和のあかりx百段階段

目黒雅叙園の百段階段で「和のあかり」展が開催されている。
いそいそと出かけたら、この展覧会に限り、撮影可能だと言うので、喜んでスマホで撮らせてもらった。
和の灯りを色々と集めました。

このあたりはロビーに展示。


仙台の七夕。


傘の灯り、少し色を変えてみた。




ここからが百段階段。
まずは十畝の間。荒木十畝の絵と螺鈿細工の部屋。






漁礁の間。
ここがまあ一番派手な座敷なのだが、それだけに大がかりなものが展示される場でもある。
以前辻村寿三郎「平家物語縁起」展の時も、ここでは生きながら凄まじい恨みに身を焼かれた崇徳院の人形が展示されてもいた。
今回はねぶたが展示されている。





草丘の間。入る前からチリンチリンといい音色。


夜の竹林、という一隅もある。


星光の間。
植物をらんぷにするのはとても愛らしかった。川村忠晴さんの作品。




谷山浩子「ほおずきランプ」を思い出します…





清方の間。
美濃和紙を使っての灯り。








頂上の間
ここでは山口県の灯りもの。
提灯祭


金魚ちょうちん





最後に再び漁礁の間。
実と、


虚と。


陰翳礼讃。闇の中に灯るあかりの美を堪能した。
8/9まで。

七月の東京ハイカイ録

七月の東京ハイカイ録でございます。

三連休に都内にいようと思ったので、始まりの前夜に出かけるわけですが、これが大雨。
朝出社するのにいつもの自転車を諦めてバス通勤にしたくらい。帰りも大雨。
ほんでこれはまずい、と新幹線の予約時間を翌日に変えホテルも今夜はキャンセルにしよかと思ったが、方向転換して乗車時間を40分遅らせた。
駅までも凄い雨足で、さて困ったなと思っていたらママが乗せてくれたので大いに助かる。
まずこういうことはないので、ありがたいことです。

早めに出たのも正解で、大阪駅から新大阪へ出るのにも一苦労。後に電車ストップもあったそうなので、わたしの選択はよかったようだ。
新幹線も12分遅れを5分遅れにまで修正してた。早いね、新幹線。

さて土曜日。例によって展覧会の個々の感想はまた別項。
朝1から上野毛の五島美術館へ。イセコレクションの中国陶磁の名品を堪能する。
やっぱりね、いい陶磁器を見ると理屈とか出てこないね。ただただ耽溺するだけ。
絵を見る時とはまた違う陶酔がある。
結局長々といた。

早稲田へ。演劇博物館で幻燈を見る。イギリスの種板などもあるが、ハムレットなんて舞台写真にドラクロワやミレイの絵も取り込まれたもので、それだけでも面白かった。
日本のは小栗実記も勧進帳、化物屋敷、舌だし三番叟…

會津八一記念館では富岡コレクションのやきもの。やたらと出目金の多い壺がちょっとな。
古代中国の俑なんかも見て、雨の中つぎは泉屋分館。

住友家の持ってたフランス絵画。時の当主・春翠の依頼を受けた鹿子木孟郎が選んで送り続けた作品群。この辺りは松方正義と児島虎次郎との関係に近い。
絵は全て須磨別邸・大阪本邸などを飾ったが、建物ごと戦災で焼失した。残された絵画はこうして多くの人を楽しませてくれる。
昔から文化の守り手だった住友家に感謝したい。

そこから松濤に行った。ここらの経緯についてはややこしいもつれがあり、当日になってから予定が急遽変わったりしたのだ。
清朝の上流婦人たちの衣裳や手回り品の刺繍の見事なのを見た。
あまりに豪華で繊細で複雑な刺繍ばかり見て、ただただ呆気にとられた。
いやもうほんと、東アジアの手工芸の精妙さ・玄妙さについては、到底語りつくせないし、この技能の見事さというものは他地域ではどこまで追いつけるだろうか。
あまりに凄いので自分の至らなさなんて全然比較にもならない。ははははは。

目黒へ。美術館はあきらめ。時間の都合があるもんで。
雅叙園に行きました。和の灯り。そしたらなんと撮影可能。今回限りだったけど。久しぶりにぱちぱち撮りましたわ―。いいものもたくさん見て幸せ。
やっぱり昭和の竜宮城はええのう。雅叙園の人と昔話をしたり色々と楽しかったです、はい。お土産に球形の万華鏡根付を購入。可愛すぎてドキッです。

その後は北千住へ花火を見に行く。ブンカムラも丸善もスルーして、花火を遠望しました。
あとは気楽な気分で遊び過ぎた。久しぶりに北千住の銭湯巡りがしたいなあ。

二日目。
鎌倉についたら放送で「江ノ電は乗車まで30分待ち」と案内されてた。休みの日はコワイなあ。
清方記念館ではいい絵も見たけど、それもさることながら昭和初期の婦人公論で清方が他の画家の美人画を評しているのが大変興味深く面白かった。

近美の別館へ。版画を見る。もうすぐ本館がなくなるのだなあ。
本館では洋画を見たり色々。

源平池のハスを見に行くが白蓮がとても多かった。紅白の旗か。色分けしてるのか・してないのか。どちらが源・平かも知らない。
(立原正秋「はましぎ」で主人公・道太郎も、どちらがどちらかを知らない、というシーンがあった)

横浜へ。みなとみらい一日券で動きます。
神奈川歴博で馬車道の昔の写真や資料をみた後は横浜美術館。
蔡國強の火薬アート、これがとてもよかった。春画もなかなか趣がある。
それからポール・ジャクレーの版画。図録はもう絶版だから撮れる人は撮ったがいいよ。

新高島の三井ビルに行く。原模型鉄道博物館。
4年前にサヨナラ関西展を見て以来。これはすごくよかった。
いやもう本当にドキドキしたなー。凄い楽しい。
ジオラマの里山や都市を行く鉄道。音もよかったわ。

そのビルから隣の日産のギャラリーを抜けたらそごうについた。
近いなあ。今までそごうの二階のあの通路はなんだろうと思ってたが、ここにつながっていたのだ。

そごうでバレエダンサーたちを描いた絵を見るうち、須田国太郎の能狂言スケッチが無性に見たくなってきた。たぶんわたしはそっちの方により愛情が強いのだろうなあ。

帰りにポルテの鳩居堂で「蚊よけ香袋」を買う。これは京都の本店にも銀座にも欠品だったので予約したもの。人に頼まれた分2つと自分の分と。
袋越しにもなかなかの蚊よけの匂い。

二日目ここまで。

最終日は月曜の海の日祝日。早い時間から出る。
大手門で待機。お濠をハクチョウがゆく。

三の丸尚蔵館で「をぐり」などの絵巻を堪能する。いやもう撫でるように・舐めるように凝視。結局90分ばかりかかり、予定が少し狂い、B案を採択することにした。

三井記念美術館で「春信一番写楽二番」をみる。好みはもう百年後なわたし。国芳の雀もいいが、今回はっとなったのは広重の雪景色。富士川上流を縦二枚で表現。雪山の動かぬ白、川水の手前・奥の青の濃淡、小舟の木目色。
素晴らしく良かった。

汐留ミュージアムではアールヌーヴォーのガラス工芸にうっとり。
ジャポニスム全盛の頃の作品が並ぶ辺りでは三味線の音色が流れるのもご愛嬌。

旧新橋停車場で野球展。これは小林一三記念館の展覧会ともリンクするもので、とても楽しかった。やっぱり野球はいいよなー、つくづく野球が大好きだ!!
洲崎にも球場があったとはなあ。洲崎と言えば「洲崎パラダイス・赤信号」でした…
上井草、武蔵野…あの大阪球場の設計が坂倉準三だったというのにもびっくり。

出光へはJRで行ったわけだが、日陰日陰を選んで走り、案外気持ちよくたどり着いたが、田能村竹田展を見たので、いよいよ涼しく、ついうっかり娑婆の灼熱、三界の猛暑を忘れてしまったよ。

日陰ものの走りは続く。三菱一号館にたどりついたら中庭の緑の濃さに癒されてほっとしたのもつかの間、暁斎展の人だかりに参ったなあ。
まぁでも中に入ると案外見たいものはええように見れたのでよかったわ。
たいへん面白かった。

さて地下を通りまして東京駅へ。
最後にステーションギャラリーで鴨居玲。
横浜そごうでの展覧会以来なんだが、関西にいると鴨居の絵はなんだかんだと観る機会が多いし、ギャラリーニュースでも大体毎月どこかで見かけもする。
気に入ってたのに失ってしまった画像も絵葉書で手に入れたし。

まぁいいハイカイになりました。
次はお盆の頃に都内に潜伏予定。
車窓からの富士山。

女、画を描く―木谷千種と大阪画壇―

池田民俗資料館で7/19まで木谷千種を中心とした女性の画家たちの展覧会が開催されている。
「女、画を描く―木谷千種と大阪画壇―」
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13年ぶりの展覧会かと思う。
池田に住んだ木谷千種とその一門の良い作品が並んでいる。
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木谷千種については画像で挙げてるリーフレットに色々説明があるので詳しくは書かない。
しかしこの人が大阪の女流画壇を牽引したのは確かだ。
どの写真を見ても明るく笑い、楽しそうで、きどりがない。
晩年までそうした性質は変わらなかったのだが、惜しいことに50代初めでなくなってしまった。
長生きしていれば、また大阪の状況も変わっていたかもしれない。
そう思うとたいへん無念だ。

千種 針供養 笹紅をつけた娘がややべったりと、いかにも上方の娘らしい様子で座っている。この絵は以前の展覧会にも出ていたが、絵は弟子たちの手本にもなったか、何人かが同じ構図の絵を描いてもいる。

千種 もの思い 洋猫を抱っこする娘。娘島田に結う。 何を考えているかまではわからない。

千種 麗人 萌黄色の着物がきれい。この時代はこの色の着物が流行っていたのかもしれない。

千種 版画「おさん」 お納戸色の手ぬぐいをかぶり、その端を噛む女。艶めかしく、そしてなにかしらナマナマしさがある。

千種 題知らずで色紙もの。紅葉を見る、下げ髪に櫛を差す娘。

千種 美人図 珊瑚朱色の着物には白葉のカキツバタ模様。扇で開く裾を抑えつつ歩く。色が綺麗。

千種 観月 薄い絽か紗かを着た背の高い女のすっきりした立姿。いいなあ。

原田千里 二人の少女 幼い少女ふたりの様子がいい。昭和初期までの大阪にいたろう女の子ら。愛らしい。

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写真家・黒川翠山が顧問を務めた月刊誌「歴史写真」の表紙絵を一門が務めることになった。大正14年から昭和2年まで。本の創刊は大正2年。
黒川翠山と言えば98年の東京都写真美術館「仮想庭園」でその作品を初めて見たが、彼は千種のポートレートを晩年まで撮り続けていたそうだ。
彼の作品は都写真美、静岡県美、京都のさまざまな機関に収蔵されている。
京都北山アーカイブスに多くの写真が入っている。

またいつか彼の写真展を見たい。

その「歴史写真」表紙色々
千里 舞妓らしき娘が笹紅をひいている。ねっとりと笑う。竹に水仙。

千種 豪華な髪に結いあげた娘が羽子板を持つ。押絵羽子板は「暫」だろうか。

多田千浪 雪の中、御高祖頭巾の女が傘をさす。萌黄地に白梅柄の着物。眉を落とした人妻。遠くに雪の町並み。

千里 舞妓が御所人形を撫でている。柳の下で。三十六歌仙絵の着物を着ている。

千種 花見の官女二人。優雅な上臈。

狩野千彩 耳隠しのモダンな女が薄紫の着物で温室の中にいる。素敵。彼女は夕陽丘高女卒。

千浪 宿屋の二階でくつろぐ浴衣娘。ずっと向こうに湖面と小さな島が見える。
琵琶湖のほとりの宿やかもしれない。

千里 菊花が丸く○○と描かれている。髪をアップにした女がそれを楽しむ。

千種 コスモスの中、紺地に紅葉柄の着物。

千種 手鏡を見る。その手鏡は古風な銅鏡。夏、簾ごしの庭には青楓。髪を上げる女。

千彩 赤い帽子に白い毛皮の襟巻に赤いワンピースのモガ。ホテルのロビーらしきところにいる。

三鈴千鈴 旅姿の江戸中期の頃の女。初夏の旅の中で。

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彼女らの絵はこの池田かシアトルの白澤庵コレクションかでしか見ることはほとんどできないように思う。
もっともっと世に出てほしい。

他に今ではもう殆ど忘れられている大阪の絵師の絵がいくつか出ていた。
彼らは積極的に展覧会に出したりするのではなく、受注製作をしてそれで機嫌よく暮らしていたという人が多いので、作品が世に出回らなかったのだ。
須磨対水、樫野南陽、矢野橋村らの絵が並ぶのを見ながら、非常に無念な心持が湧いてくる。

融紅鸞という女性の画家が取り上げられていた。キタの太融寺の娘さんだというが、鴛鴦の絵が可愛らしい。
それでわたしはこの人は知らないのだが、人物紹介を見て「あ゛っっ」となった。
「ソラあんさん、別れなはれ」のおばあさんではないか。
いや、わたしもあんまりリアルには知りませんで。そやけどやね、子供の頃「あんさん別れなはれ」いうのはもう破れ傘刀舟の決まり文句「てめぇら人間じゃねえ、叩っ切ってやる!!」と同じくらい子供らにも知れておったのですよ。昭和50年代の話。 
びっくりしたわ。

菅楯彦 蝉丸 普通は坊さんスタイルで描かれるのが多い蝉丸だが、菅の蝉丸は髪の豊かな少年として描かれていた。
逢坂の関の庵でぽつんと足を土間に下ろして座る姿である。
あんまり美男美女を描かない菅だが、この蝉丸少年にはある種の哀れさが漂うだけに、その分だけの美しさがある。
小さな座敷にはむろん大事の琵琶が袋に包まれている。蝉丸の手には杖。若いうちから盲目の琵琶弾きとして生きている、という風情がある。

これで思い出したが、菅楯彦の盲者といえば谷崎潤一郎「聞書抄 第二盲目物語」の挿絵がある。こちらにその絵がある。
なお中公文庫版には挿絵が収められている。

北野恒富 新ノ口村 せつない逃避行である。

野田九浦 思いにふける毛剃九右衛門 九甫名義ではなく浦の方で。
海賊の「毛剃」がなんだか面白くもなさそうなツラツキで船上でじっとしているところ。
今初めて知ったが、弟は脚本家の野田高梧なのか。知らなかったなあ。

7/19まで。
こういう展覧会があったことも本当に知らなかったのだ。それ自体が罪な話だ…

長江家の一般公開・屏風祭

船鉾のそばの長江家の一般公開におじゃました。
屏風祭に参加されたそうだが、この建物は現在では長江家の手を離れて、R大学の所蔵になったそうだ。
壊されることなく、いい使われ方がされることを祈るばかりである。
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700円を払い、土間から中へ入ると、屏風がお出迎え。
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桑山玉州の和歌の浦図。和歌山県立美術館に彼の作品が多く残る。

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レトロな扇風機も可愛い。

こちらは岸連山「琴棋書画図」書もいいな。
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夏の間、きちんとこの戸に変えられる。
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水屋と長火鉢。絵は岡本一平ら。
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土間の台所。KIMG2037.jpg

荒神さんやなく、布袋さんのハワイアン群舞。
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奥へ進む。こちらの影がひずみガラスに映る。
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涼しそう。KIMG2007.jpg

廊下へ。KIMG2008.jpg

中庭。
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つくばい。KIMG2010.jpg

いい眺め。KIMG2011.jpg

燈籠KIMG2012.jpg

風呂場の天井は船底。湿気抜きのため。
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風呂タイルはあれかな、船岡温泉とか元・藤森湯なんかの仲間かも。

こちらの天井もええね。
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おうちの模型。KIMG2016.jpg

長江家所蔵の古写真。
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陰翳礼讃を実感する。
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帳場。お商売してはったわけです。
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お軸も。KIMG2027.jpg

玩具もありました。
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ああ、涼しそう…
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欄間もええなあ。
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お軸や屏風を楽しむ。
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貼交屏風
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鈴木百年、かな。
こちらは森寛斎か。
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わんこ、可愛すぎ。
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おきつねさん
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雀かな。
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提灯に灯りがともってましたな。KIMG2046.jpg

祇園祭 宵々山

宵々山の夕方から夜まで町なかを歩いた。
鷄鉾。



子供らのお囃子。

綾傘鉾。



丁寧な金工

伯牙山。

盗難されなや。

屏風祭。あれこれ。なんかもう自分がどこにいるかもわからなくなったよ。


岸禮の蘭亭曲水図。
 






場所不明な名所図。どこだろ。狩野隼人。知らないのでまたご存じの方よろしくです。


 



 





蟷螂山。面白いのが多々。


やたらと鴛鴦




孔雀。









模型。



おみくじでした。

これは赤だが黒もある。

放下鉾。あら義湘絵。







芦刈山の胴懸。古来からの動物闘争文である。




傘鉾。傘の字が笑う。




郭巨山

月鉾光る。




船鉾。灯りが入った。









長江家に。
こちらのおうちはまた別項。

岩戸山。



唐子もたくさん。





模型。

最後に見た屏風祭。


モダンだ。

長刀鉾で最後。

後の祭りは行けるかなあ。

かたどられた霊獣 拓本・タンカ・古印

大谷大学博物館の「かたどられた霊獣 拓本・タンカ・古印」展は面白かった。
今回は無料である。
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動物に願いを託すというのは主に東洋世界全域に置いて広まる考えである。
今回は主に東アジアにおける霊獣の姿を見ることになった。

打敷がある。打敷とは仏様のための布だと思っていい。
ここにあるのは逆三角形のものばかり。それは浄土真宗のスタイルで、他の宗派は四角である。「大谷大学」らしいセレクトである。
化政期から天保、安政年間の打敷が集まっていた。
いずれも美麗な刺繍が施されていた。金襴もある。華美な打敷によりいよいよ荘厳されるだろう。

鳳凰文、雲龍文、牡丹尾長鳥、といっためでたそうな文様が続く中に何故だか向かい合うクマの紋があった。向かい合うクマの紋である。
熊の紋を見たのは初めて。

チラシにもある、十二支の動物の顔に体は人間というのは、東アジアで特によく見られる。
例で挙げればキトラ古墳。これは以前東博の特別展で長蛇の列が出来た。
大唐皇帝陵の展覧会などにはこんな像も出ていた。
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金庾信墓十二支像 拓本 統一新羅時代 この武将は統一新羅の立役者。立派な将軍なのでお墓も立派。その壁画に十二支の獣頭人身像がずらりと並ぶ。
それを一枚一枚拓本した。十二支はみんなそれぞれ装束や持ち物が違う。



たとえば猪は半月刃の刀を持っていた。猪八戒のやなく沙悟浄の持ってるのと同じあれね。
大体一人1M位のサイズ。ずらりと並んでいた。ウサギも羊も働き者らしい。

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雲崗石窟「孔雀」拓本 北魏の孔雀。尻尾は開かずまるでやきものと同じような造形。それはそれでいいのかもしれない。

天竜山石窟「龍」拓本 東魏 大きな目の龍。身体は細い。

宇治橋断碑 元明陵隼人石 拓本 飛鳥時代のものらしい。子羊の頭に人体。妙に可愛いのは童画に出てきそうなタイプだからか。
この橋は日本三大古橋の一つ。

中国古印 漢代 上に動物付ハンコ。亀15、ラクダ9、蛙2、クマ2、虎1、辟邪6、馬3。
みんなうずくまっている。うずくまることに意味があるのかもしれない。

鐘の拓本が二つ。どちらも獅子が刻まれていた。平安時代の平等院、1681年の林丘寺、どちらの鐘も獅子がいる。それを拓本にしたのを集めたノートが出ていた。
「合装古金石拓本」。そこには他に智積院の鐘などもあるようだ。
あとは鐘ではなく磚の方で南法華寺の拓本もある。こちらは鳳など色々。

平安から室町までの古鏡拓本が素晴らしかった。宇陀から出たものや本能寺のものもある。
特に本能寺のが素晴らしい。樹下鳥の楽園。梅の木を中心にいろんな種類の鳥がいる。
こういうのが見たかったのだよ。可愛かった。
国宝らしいが、今も現物が残るかどうかは知らない。
熱田神宮の白獅子、馬の走るものもいい。
古鏡は現物より、その影たる拓本の方が魅力的だな。

チベットのタンカをみる。18世紀から20世紀のものまで。
釈迦如来と十六羅漢像 釈迦の足元の段に青獅子が二頭いて、それぞれ見上げているのが可愛い。
財宝神像 馬に乗る神様。
毘沙門天像 白獅子に乗る。
和睦四瑞図 これはもうブレーメンの音楽隊のチベット版ですわな。
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ゾウ、サル、ウサギ、トリ…

釈迦三尊十六善神像 これは江戸時代の仏画。白象もいるという図。

絵馬がたくさん並ぶ。パネルでその祈りの対象の動物たちの意味やどの神社に属するものなのかを解説していた。
キツネ、サル、羊、ウサギ、白鯰などなど。トビウオが夫婦和合の象徴だとか、アカエイは大阪・広田神社のお使いでぢを治すとか、鰻やタコまでいた。
民間信仰での動物崇拝には愛情と切実さとが入り混じり、稚拙な絵に何とも言えない味わいがある。

予想以上に興味深い展覧会だった。
とくに古代朝鮮での十二支の獣頭人身像の広がりについて今後ももっと見て行きたいと思った。
8/2まで。

琳派四百年 古今展 細見コレクションと京の現代美術作家

「琳派四百年 古今展 細見コレクションと京の現代美術作家」
このタイトルを見ただけでは普段のわたしは「まぁいつか…」とよけているのだが、その日のわたしは違った。
行こやないか、と妙に気合が入ってきたのだ。
その日は京都工芸繊維大学・大谷大学の博物館を見て、更に繊維大の学生たちのプロジェクトも見て、それから泉屋博古館に行った後だった。岡崎公園まで戻ってきたとき、選択肢はいくつかあったのだが、時間的にあと一つしか見れなかった。
そこで何故この選択になったのかは、よくわからない。
なにしろ現代アートがニガテなわたし、なのだから。
それが「行こやないか」と歩き出したのだ。うーむ、大きな一歩かもしれない。
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細見美術館の古美術コレクションとそれに呼応する現代アート。
作り手は名和晃平、山本太郎、近藤高弘。
山本太郎さんは先般個展を見に行った。それも難波・京都の高島屋と2回も見に行った。
元から山本さんは好きなので「やっぱり来てよかった」という気持ちが湧いてくる。

・名和晃平

いきなり金屏風に@@@なグリグリしたちょっとざらっとした線が描かれたのが出てきた。しかし琳派の流水に見えぬこともない。

名和さんの作品と言えば泡のようなガラスビーズが隙間なくびっしりというのが思い浮かぶが、そのプクプクしたのがぜんたいにまといついた小鳥が出てきた。どうやら枝に止まっているらしい。
何だろうと思う間もなく、目を右へ流すと、応挙「若竹に小禽図」が出た。
可愛い小鳥である。

次はバンビが水晶まみれ。足元には白雲をまるで筋斗雲にしている。
そしてその右手には細見美術館の誉れの「金銅春日神鹿御正体」像がある。
名和さんの鹿は小鹿(バンビ)で背中になにも乗せず素直にそこにいる。水晶にまといつかれているが。
こちらの国宝さんは背中に立派な鏡。

やっとこれで本歌取りの精神がはっきりと伝わってきた。

・山本太郎
こちらは「本歌取り」の楽しみをさらに楽しめた。

ブーブー車玉 なんだなんだと思ったら、雪佳の「金魚玉」に対応する車の真正面顔。わたしの好きなフォルクスワーゲンのかぶとむしではないか。

信号住之江図 雪佳の「百々世草」が開いている。花ショウブ、雷神、住之江の図。その住之江の絵に山本は小さく信号機を一基取り付けている。
可愛いのう。

風神ライディーン図屏風 右が仮面ライダーV3。白いマフラーがたなびいておるぜ。そして左には弓をつがえる勇者ライディーン。
おおおおー♪ダブルタイフーン そして ♪たちまちあふれる神秘の力~~
嬉しいわー。しかし山本太郎さんは1975年生まれだったかな。再放送を見てたクチですなwwまあわたくしもそうですが。

形態不時屏風 今な富士山を見る、と言う趣向。これは守一の「業平東下り図」の未来形。

お茶碗もある。
松竹梅茶碗は信号に飛行機、玩具の絵茶碗には黄色いおもちゃのアヒルちゃん。

杜若家鴨図 その黄色いおもちゃのアヒルちゃんがおるのです。

扇面貼交屏風 取り合わせが楽しい。桜に飛行機、朝顔に電柱、鹿にクリスマスツリー、星条旗の幔幕、コーラからの流水…
端正な絵なのでより楽しい。というか、こうしたパロディや見立てものはその絵がうまくなければ楽しめないのだよな。

隅田川桜川 能の悲しい母二人がいるのだが、掃除機もつのとミルク飲み人形を懐にするのと。
2010年にこの絵が出たときに山本太郎を知ったのだった。

樹下ハローキティ図団扇 そのままでんがな、キティさん。サンリオのマークも入ってますなw

土蜘蛛 これは先般の個展にも出ていた。あの個展では舞楽の踊り手が遊具で楽しく遊ぶ姿のがすごく楽しかったなあ。

そしてこの次に琳派の絵をいくつか見たのだが、それがどうもみんな今の絵に見えて仕方ない。

小鍛冶図屏風 池田孤邨 例の「それ唐土に伝え聞く 竜泉太阿はいざ知らず我が日の本の金匠」というシーンですな。
左に白狐の飾り物をつけた稲荷大明神のお使い、右には三條小鍛冶宗近。
元々好きな話だが、こうして絵になったのはよろしいなあ。

抱一の「鹿楓図団扇」も見知ったものなのに、今の絵を見た後の眼で見たら、これも今のものに思えて来るね。可愛いわ、鹿。

四季草花草虫図屏風 アゲハやモンシロチョウや黄色い蝶が飛び交う。ばったに朝顔に桃などなど。
いいなあ。

・近藤高弘
平安からの工芸品が色々並ぶのだが、その前に磁器に金箔したのや銀泥とかで装飾した生首がころころ。密教の仏具の前にたくさん転がる転がる。
モデルは作者らしいのか。表情は色々。
なんか暑苦しいな。

手の込んだ匣があった。これはたいへん綺麗。古いものと並ぶのだがモダンだなと思ったら、近藤の作品。
モダンな文様が入るのもいいね。

銀滴碗もいい。きらきら。

ほかに田中親美の平家納経の模本などもあった。

取り合わせの妙を味わう、いい展覧会でしたな。
わたしもこうした形でなら現代アートを楽しめたよ。
また、いいのを見たいなあ。

みんぱくでみたもの/マスク/世界の衣装をたずねて

民博でみたものからこれとは別に他の二つの展覧会の感想を挙げれそうだと思った。
・東京都庭園美術館「フランス国立ケ・ブランリ美術館所蔵 マスク」展 終了。
・龍谷ミュージアム「市田ひろみコレクション 世界の衣装をたずねて」それから「ほとけたちの衣装」7/20まで。

久しぶりにみんぱくに行ったらこういうのがお出迎え。
ほっぺたのふくらんだマスク。KIMG1905 (1)

アジアは一つだ。KIMG1906 (1)

やっぱりみんぱくに来ると一番はこれです。「マッドメン」を読んだ時期とここに来た時期とがほぼ同じだったことで、いよいよ好きになった。
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オンゴロの仮面… ああ、ときめくばかりなり。
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日本でこの面を見ようとすれば、このみんぱく、天理参考館、御影の小原流の記念館だけしかないように思う。

仮面は怖いです…KIMG1925 (1)

庭園美術館「マスク」展。イメージ (57)
庭園美術館のマスク展ではいきなりやたらと長――――――――――――――いマスクが現れた。あんまりにも長いのでどうつけるのかと疑問に思った。
長----------というのは京都銀行の得意技である。
そこにいた監視員さんの説明を聴いて納得したが、実際にはまだまだ疑念だらけ。しかし人間、風土が違うと何があるかわからない。
サバンナに住まうブワ族の仮面。

ヤヌスの仮面が出た。両面性というか多義性と言うか、人と神と、男と女と、あらゆるものを包含しているように思う。そしてこのナイジェリアの仮面は両面とも同じ顔なのだ。それもまた怖いような話である。

脇田和が描いたような仮面があった。コートジボワールのベトゥ族の仮面。
また、死者を浄める役割を負わされた仮面もある。

アフリカの仮面は文化(=ヒト)と自然とをつなぐ存在だという。
存在意義が各地により異なるもの・共通するものがあるのも興味深い。

ニューギニアのマッドメンたち、ネパール・インドネシア・スリランカの南アジアの仮面、いずれも神の面影を映す。

メキシコの虎の仮面が面白い。リスやシカなども一緒に描きこまれている。
南米の仮面はどこかが明るい。そういえば骸骨ですら明るいダンスをするか。

アジアの仮面は主に演劇のための仮面である。前述の南アジアの仮面たちもまた舞台に上がるのだ。

ふっと妃殿下の居間に来たとき、作り付けの棚の中に三枚の仮面が並ぶのが目に入った。
非常に怖かった…

能狂言の面も殊に古様なものを集めていた。朝鮮の仮面劇のものもあり、また面打ちも。

ここで思い出すのが土佐の国の伝承である。谷川健一「魔の系譜」の「仮面と人形」から。
いざなぎ流の祭文が伝わる土佐の物部村のいくつかの旧家には12枚1組の仮面が伝わるが、それは天井裏に置かれている。面は分家したものに持たせるそうで本家には残り一枚親面しかないことが多いそうだ。
そしてその親面に対面するのは、投手が家を継いだとき、太夫と呼ばれる神主と共に天井に上がり、生涯一度という決まりがある。
面の存在の恐ろしさをひしひしと感じる。

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さてみんぱくでは小さな企画展が一隅で開催されていた。
「岩に刻まれた古代美術―アムール河の少数民族の聖地シカチ・アリャン」
アムール河流域と言えばアムールトラの「偉大なる王」。額と首筋に「大」「王」の字を持つ生まれながらの虎の中の虎、虎の王様のワンの生涯。
これはそれとは関係ないのが残念。

先住民族ナナイの村落であるシカチ・アリャン村に存在する古代からの石画。
石にいろんな動物を刻んだ先祖。鹿、馬、謎の仮面などなど。
西脇順三郎の詩を思い出そう。



白い波が頭へとびかゝつてくる七月に
南方の奇麗な町をすぎる。
静かな庭が旅人のために眠つてゐる。
薔薇に砂に水
薔薇に霞む心
石に刻まれた髪
石に刻まれた音
石に刻まれた眼は永遠に開く

こちらはギリシャのイメージなのでまた違うのだが。

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現物の石の写真と拓本と。けっこう怖いね。

これは馬。KIMG1914 (1)

群馬。
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世界の衣装を見てみよう。
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先ほどのナナイ族の人々の衣装KIMG1918 (1)

飾襟KIMG1919 (1)
こういうのいいなあ。

インドの婚礼衣装。KIMG1922 (1)

市田コレクションでも素晴らしいものを見た。イメージ (60)

随分以前に京阪守口で市田さんのコレクションを見ていた。2004年12月。
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チラシは守口のものとえき美術館のものと、それから当時の新聞記事。
物持ちがいいのはいつものことだが、そろそろ整理しようかとは思っている…
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中国清朝・台湾、シルクロードとアジア各地、中東、アフリカ、ヨーロッパ、中南米から58点が出ていた。
その中でも特にすばらしいと思ったのはインドの婚礼衣装。赤い薄めの布に無限のビーズ、金糸が施されたもので制作に2年かかったそうだ。凄い。遠目にもピカーーーーーーっと光っていた。

他にはモロッコのブルーメンと言われる青い男性衣裳。藍染なのか、深い深い青が綺麗だった。
ルーマニア・ムスチェル地方の女性の衣裳もいい。ちょっと芝居の「寺子屋」の松王丸を思い出すような。
ポルトガルの女性の礼装も素晴らしい。黒のビロードにキラキラビーズ。白のレース。ああ、綺麗だった。
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ヨーロッパの刺繍とエプロンの文化、中南米のスカート文化、かぶりもの…
一枚の布を巻きつけることだけでも成立する美しい衣裳。
感心するばかりだった。

龍谷ミュージアムらしいのは、3階の展示。
「ほとけたちの衣装」
ガンダーラ仏から東インド、タイ、カンボジア、中国、日本の仏像を並べて、その身にまとう装束について比較をさせてくれもした。
派手なのとシンプルなのとの違いなど云々。
しかし実際の修行者は3枚までしか布を持ってはいけない、などと戒律も厳しかったのだった。


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ベトナムの水上人形劇の人形たち。KIMG1924 (1)
楽しい芝居だったな。

新しい南アジアのエリアにインドのアニメDVDがあった。
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ブッダの方はどうも日本との仕事らしい。

アジアは人形芝居の産地。上の映像は仮面劇。下は勢揃い。記念撮影。
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朝鮮の近代建築
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日本の作り物も仲間入りしていた。
菊人形。陶器人形。野菜などの人形もある。
わたしは昔INAXギャラリーで「上方下りの細工見世物」に熱狂して以来、この手のものが本当に好きになった。

手前から野菜の蘭陵王、芒などの仁王像、陶器の牛若丸と弁慶。
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巨大でびっくりした。松ぼっくりも使われている。KIMG1934 (1)

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大漁旗。作り手がすごいね。KIMG1937 (1)

最後は照屋林助さん。KIMG1938 (1)
ワタブーショー。わたしがこの人を知ったのは1989年頃の「ウンタマギルー」の映画からだった。
博物館入りする芸人というのは、もう亡くなった人だということでもあるが、こうして公的な機関に保存されるのはとてもいいことだと思う。

万博公園の早朝観蓮会に行き、それから…

毎年この時期は万博公園の早朝観蓮会があるのだが、土日のみの大イベントたる象鼻杯に間に合わず、いつか行かなくなってしまった。
しかし何気なく路線を調べたら、始発に乗り、南茨木経由ならうまく6時前に着くやないかとわかった!
いきましたがな。
そしたら5時半から開園してたよ。
で、日本庭園口から蓮池めざすとすぐそこでしょ。わたし、早速並びましたがな。
今年は菊正宗提供。

ようやく順番が近づいてきたよ。
こんな感じ。

蓮の茎を通して飲む日本酒。ちゅーっと吸いましたわ♪美味しかった。

さて蓮。色々撮りました。


  

  

綺麗わ。
他のお花を観る。
  

  

暑い中、酔狂なことをしたかな。
でも、楽しかったからいいか。

日本民芸館に向かう。バラ園が綺麗。

ここからだと太陽の塔の後ろ姿がよく見えるね。
裏の顔の三郎、なんだか力強いぞ。
蓮池は俺が守る!

バラ園は俺が守る!

駐車場は俺が守る!

やっと開館。
絣のいいのをたくさん見た。そば猪口も染付のいいのが並ぶ。

それからみんぱく。例によってたくさんパチパチ。
世界一素晴らしい空間。

ワクワクする。
この空間を拵えた黒川紀章ちゃん、ありがとうございました。

さて中身はまた別個に。
結局三時間いてからモノレールに。蛍池についたとき、今から池田まで行けるな、とついつい。
しかも150円の切符がまた手元にある…

よろよろしながら逸翁美術館、小林一三記念館、池田文庫と5時前まで楽しんだ。
さて帰ろうとして、地元の情報誌をついうっかり開く。
読まねば知らなかった池田民俗資料館の木谷千種展、6時までやないか。
くーーーーーーっ
とぼとぼ歩く。ここはしんどい道のりなんだよ...ほんまにアタマにIt's a long road が流れ出します。


まあ、よい一日でしたなあ。

住友コレクションの明清書画

明日までの展覧会を二つばかり見てきた。
泉屋博古館「住友collectionの明清書画」展と細見美術館「琳派古今」展。
まず前者から。

数年前に関西で中国の書画を所蔵する9つのミュージアムが連携したリレー式展覧会が開催された。
あのときに住友collectionの明清のいいのは大概見たなあと満足したが、今回の展覧会はそれを髣髴とさせてくれた。

特に好きなものばかりを挙げてゆく。
イメージ (53)

秋声図巻 唐寅 岩上にある小さな茅屋。そこに高士がいて、なにやら音がするからお前見てこい、と侍童を外へ出す。風に押されるような大きな白雲が出ている。これは欧陽脩の詩をモチーフにしたもの。

山水図 馬軾 しーんとした山道をロバに乗る御主人と徒歩の従者が行く。それをロングで捉えている。なんかもうね、このしーんとしたのがね、ニガテなの。ただ、それはそれでいいかとも最近は思うけどね。

鳩図 辺文進 3羽いるが、どいつもこいつも切れ長と言うかアイシャドーを入れた鋭い眼の鳩どもで、更に嘴がこれまた海鳥のような鋭さをもっている。
中国の鳩は食べられる対象だから早く逃げようと鋭いツラツキになるのだろうか。白い山茶花があるらしいが、小さすぎてその花が山茶花かどうかはわからない。

雪中花鳥図 沈恢 色の濃さとか見ててどことなく沈南蘋ぽいような感じもするが、こちらは別な人で時代も違う。浙江省銭塘の人。白梅がとてもいい。その白梅を中心にして鳥たちがいる。積もった雪よりなお白い梅花。

蓮池納涼図 仇英 ああ、気持ちよさそう。どこかの大邸宅の夏の庭が描かれている。一番奥には亭が、左奥の離れでは女の人が暑さに負けて昼寝、手前の建物がここの母屋だろうが、その二階でご主人と女たち
蓮がたくさん咲いている。建物は池の中に建てられている。
こういうのを見ると台北の台湾国立歴史博物館の蓮池を思い出すよ…

設色花卉図 陳遵 1616 清の惲寿平の先人。没骨法で花を描く。岩と草も静かにそこにある。

竹石図 馮可宗 1640 きりりと墨で濃く細竹を描く。

山水図 詹景鳳 1599 えー、山水図と言うよりも、白い包帯でぐるぐる巻きになったおっちゃんがユーウツにふけっている図、という感じの山並み。

魁星像 銅鍍金 足の速い神さんですから走る像で、手には筆を持っている。勇ましくて元気そう。鍍金が取れて黒くなってるのは走りすぎたせいでしょ、と言いたくなるような像。

花卉雑画巻 徐渇 1591 前にも見たが、この人は姪の家で世話になってて、あるとき甥が魚を取ったのをもって来てくれたというので、礼心に絵を描いたそうだ。
太湖石、花、カニ、かぼちゃに百合がある。

さていよいよ明の滅亡と清の支配下にはいる時代が来ました。

廬山観瀑図 石濤 出た、久しぶり。李白の詩をそこに書きつけている。
もともとわたしは狂人、と言うのから始まる長詩。
本人の鬱屈はやまないが、こうして李白たちを描く。

報恩寺図 石渓 1663 立派なお寺が海か川の近くに陣取っている。
水のほとり。けっこう派手な色合い。

安晩帖 八大山人 1694 今回はチラシのヌボーッとしたお魚さんのみでした。
可愛いね。とはいえ、八大山人の鬱屈とか色々思うと。。。
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江山無尽図巻 漸江 1661 白いけど細密。どことなく山口晃を思い出す。

二つの山水図巻が長々と並ぶ。
秋景山水図 呉歴 濃いわーー濃いわー。秋が濃すぎる。この人は澳門で宣教師になって布教活動もしたそうな。
山水長巻 龔賢 こちらはまたしーーーんとモノクロ。
すごいな、なんとなく。

松柏長春図 石荘 1725 雄大な筆致で、松ぼっくりがぐいっとある木の根には水仙が群生。

鵬挙図 華嵒 ごおっっっ と飛んでる。目つきの鋭い奴だが、トンビの親玉のようにも見えてしまうなあ。

花卉図 張莘 1817 優美な花の絵。右は薄紅色の椿に艶のある蠟梅。少しばかり青い花も愛らしい。どちらも没骨法。
左は線もくっきりした藤に百合、どちらも細い花びら。
いずれも見事。

山水図 袁燿 1772 波が滔々。暑いのか前をはだけてそれを見る男。二階のベランダでは女たちが何やら話し合う。建物には丸窓もある。

草花群蝶図 王楚珍 1896 綺麗。蒲公英やキャベツの上をめまぐるしく様々な色・大きさの蝶たちがくんずほぐれつで舞う。綺麗な色彩だった。

いいものをたくさん見て楽しい展覧会だった。

小さな茶道具の豊かなデザイン 香合・羽箒・炭斗

茶の湯の展覧会の感想を挙げたい。

湯木美術館「小さな茶道具の豊かなデザイン 香合・羽箒・炭斗をみてみよう」前期。
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唐銅撫肩風炉 五代目名越弥五郎  元は京の釜座にいたが江戸へ下り、それからこの名乗りとなった。扇面と瓢の透かしが入った風炉。なかなかこの透かしは大きい。

雲龍釜 西村道也  寸胴というか筒型の釜で雲柄がはいるのだがその雲がどうも花丸に似ている。某「はなまるうどん」のマーク、あれに近い。

鶴羽箒 歌名・増鏡 小堀遠州 細川家伝来  丹頂鶴の羽。案外濃い鼠色ではある。
ふと思ったが、「鶴の恩返し」の鶴は何種の鶴だったのだろう。
白い羽根は使えるが、この羽箒のグレーではなかろうし。ううむううむ、絵では大抵が丹頂鶴だったな…

祥瑞猿撮香合 景徳鎮の可愛いエテ。体操座りしてます。

宋胡録柿香合 柿と言うても柿やのうて多分現地のマンゴスチンでしょうなあ。
柿は今でこそkakiというて世界にも通じるようになったそうだが、90年代初頭、ニュージーランドで柿を見つけたときはびっくりしたなあ。

猿鶴蒔絵茶箱 鴻池家伝来 鷺もいた。ここでもエテが可愛い。松に昇ったり色々。この猿鶴ものは他にもどこかで見たのだが、どこで見たかが思い出せない。

十種羽箒の内 鶴・アオサギ・青鸞・大鳥・野雁 日本からタイまでいる鳥を目指して…

不昧公の消息もある。茶室指導のうち井筒作りのこととかね。

志野茄子香合 南三井家伝来 焼き蒲鉾みたいですなあ。

絵唐津アヤメ文香合 小さいがしっかりと描かれている。可愛らしいアヤメ。

色絵冊子若紫香合 仁清 おお、こういうのがやはりスイですなあ。
色絵結び文香合 仁清 東福門院所蔵 池田家伝来 チラシ。先般別なところででも見ましたね。

鎌倉彫義経香合 三橋了和 けっこうおもしろい構造。

ベロの見せ合いっこまでしていた獅子がいる。

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小さい展覧会だが、可愛いものをたくさん見せてもらえた。
今は後期になり、展示の入れ替えがある。

江田島 旧海軍兵学校

江田島の旧海軍兵学校の写真を挙げる。
2000年の春に行ったものだから随分前のもの。

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この白さは砂による磨きによるもの。すばらしい。

ドアの一部だけだが写せていたのがあった。
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人気のおみやげ。
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港から見えたものイメージ (51)


おまけに旧呉鎮守府
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旧西尾邸(神戸迎賓館・須磨離宮) 2015年修正版

2007年にここの見学と撮影をしたのを挙げているが、今回ツイッターで久しぶりに西尾邸の写真を見て、前回の記事を修正することにした。とはいえ前回のは前回のままで、今回は新たな写真を加えるというだけだが。
元の記事はこちら
2007年当時、と現在とではfc2の画像の容量が変化したので、このようなことが可能になった。
fc2、ありがとう。

文章などは場所説明以外はなしとする。

邸宅遠望。IMGP2383.jpg IMGP2384.jpg

庭園からアプローチへ。IMGP2385.jpg IMGP2386.jpg IMGP2387.jpg

玄関周り。IMGP2388.jpg IMGP2391.jpg IMGP2392.jpg IMGP2390.jpg


ステンドグラス。IMGP2394.jpg IMGP2398.jpg IMGP2400.jpg 
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階段周り。細工も綺麗。かつての写真にもその繊細な細工が見える。IMGP2395.jpg


レストラン部分。IMGP2396.jpg IMGP2431.jpg


天井など。IMGP2402.jpg IMGP2406.jpg IMGP2409.jpg 
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和の空間。IMGP2420.jpg IMGP2421.jpg


外壁など。IMGP2441.jpg IMGP2442.jpg IMGP2443.jpg


こちらは廃屋だった頃の写真。('99.5.12)

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ここからよくあのような華麗な姿になってくれたものだ…
残されていて、本当に良かった。

神戸迎賓館・須磨離宮のサイトはこちら。
http://www.vizcaya.jp/

一休日和

正木美術館の「一休日和」の最終日に行った。
北摂から泉州は遠いのでついつい出遅れてしまう。

一休の展覧会は2013年に出光美術館で見て以来。

最初に見たのは1989年だからもう随分昔の話か。
今回の展覧会は一言で言うなら、風狂のひと・一休を追慕する正木さんの想いが込められた特別展、だった。
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とんちの一休さんはTVで見ていたが、実は風狂の人としての一休の話は小学校三年の時から知っていた。
理由は一つ。担任が一休ファンで、ことあるごとに一休禅師の話をしたからだ。
だから当時から森侍者のことは知っていた。
担任の高岡先生は学級文庫に永島慎二「若者たち」を置いていて、わたしはその愛読者だった。
今から思うと高岡先生は本当は「瘋癲」になりたかったのだろうがなれず、のデモシカ教師だったのだろう。1960-70年代の若者だったのだ、高岡先生は。

さてそうしたわけで、一休の展覧会を見る。

アクの強い字が躍る。一休の字である。字に自我が出て、一筋縄では収まらない。

隻履達磨図 南浦紹明賛 眉なしの迫力ある顔つきの達磨が、手に履物を1つもつ。彼が毒殺されたとか履物一つ残して云々の話はこの正木で教わった。

一休宗純像(朱太刀像) 自賛 ああこれがあの、という感じの朱太刀の鞘。
それを座る椅子のところに置く。なんだかもうこの朱太刀を持って絵になる辺りに色々と思うところが湧いてくるなあ。

おお、狂雲集。これがあれか。
今は現代語訳の本もあるのだよな。

一節切 伝・一休宗純所用 使うていたらしい。細めの尺八である。
山本周五郎「虚空遍歴」を思い出す。

青銅鳳凰香炉 漢代 可愛いなあ。尾羽の辺りがまるで木の葉のような意匠。きょとんとしていて可愛い。

菩薩半跏像 白鳳時代 いかにもその時代らしい造形。頭大なのをぐっ と引いて、首を持ち上げる妖艶な姿・

金銅不動明王立像 平安時代 ああ、綺麗に緑青が吹いている。
髪は渦巻ではなくヘルメット型。

象牙茶杓 村田珠光 きらーん、きれー。30代の頃の珠光は一休に会いに行ったそうな。

一休墨蹟「滴凍軒」号 ここから正木は名をもらったらしい

古伊賀蹲花入 桃山時代 そのものの美意識だよな。この桃山の瓶に花をさしてほしいな、須田さんの花を。

一休宗純と森女。77歳でタフな…しかも彼女のために詩を書いてもいる。
なかなか色っぽい。
森侍者は一休没後40年の法事に百文を寄贈している。

虚堂智愚像 一休はこの人をとても尊敬していたようだ。髪とひげが伸びていて、ちょっとばかり怪しい風体である。

例の髭の六祖慧能図、墨梅図、寒山拾得図などおなじみの絵が並ぶ。
そこに一枚見知らぬ美童が登場。

イメージ (36)

騎獅文殊図 一休はこれに向けて詩を作っている。
看画忽忘七仏師
雲鬟霧▲少年児
手中経巻是何時
定有愁人小艶詩

勝手に意訳するとこんな感じかな。
あら美少年ね、えらい仏さんて忘れるくらい。
髪も可愛く結って。
手の中の巻物、それはなあに?
あれでしょ、ラブレターでしょ、きっと。

…本当のところはわかりませんがね、こんな程度の訳を付けてみました。
正しいのをご存知の方があればツイッターでよろしく。
てか、わたしが狂雲集を読んだらよいのか。

いいココロモチで見て回ったが、一休の自在な感性に大いに刺激をうけましたわ。
面白い展覧会だった。

愛新覚羅家の人びと—相依為命(あいよっていのちをなす)/「三井の文化と歴史」

今日は昭和史に足跡を残したある家族の話と、江戸から現代まで続くある企業の話とを挙げます。

関西学院大博物館の「愛新覚羅家の人びと—相依為命(あいよっていのちをなす)」展を見に行った。
皇帝溥儀の弟・溥傑さんと奥さんの浩さんの間の次女・嫮生さんは西宮市民でもあるので、ご両親方の資料などを西宮の関学に寄贈されたのだ。
イメージ (22)

溥傑さんは戦後何度も訪日されたが北京住まいだったそうだ。
1980年初頭、わたしは何かのニュースで溥傑さんご夫妻と娘さんご一家の近況を見て、てっきり西宮市民だとばかり思い込んでいた。

映画「ラストエンペラー」の公開は1987年だった。製作のニュースは前年から既に知られていたが、その年の6月に溥傑さんの奥さんの浩さんが亡くなられた。
浩さんは自著「流転の王妃」として世に知られており、ニュースを見て、よそながらご冥福をお祈りした。

少し長くなるが、この企画展の概要を引用する。
「関西学院大学(博物館開設準備室)は、2013年10月に西宮市在住の福永嫮生さんより愛新覚羅溥傑家に関する手紙や写真、書画などの貴重な資料を受贈しました。愛新覚羅溥傑(1907−94)は、中国・清朝最後の皇帝溥儀の実弟で、「満州国」軍人となり、昭和天皇の遠縁にあたる嵯峨浩(1914−87)と結婚し、二女に恵まれました。嫮生さんはその次女です。
 日本の敗戦後、溥傑はソ連・中国に収監され、嫮生さんは母とともに中国大陸を流転した末に日本へ引き揚げました。それから16年が経った1961年に、ようやく父との再会を果たしました。
 今回の展覧会では、時代の波に翻弄されながらも、日中友好に尽力した一家の物語を二つのテーマのもとにご覧いただきます。
 一つは「愛新覚羅家のあゆみ」。溥傑一家が過ごしてきた日々は、戦中・戦後という激動の時代でした。政治目的で画策された溥傑と浩の結婚、日本と満州という「国際」結婚であったが故に訪れた敗戦後の「流転」の日々、離れ離れになった家族の再会、そして日中国交正常化…。そうした状況のなかで愛を育んできた家族の想いを展示資料からうかがいます。
 もう一つは「愛新覚羅家の人びと」。溥傑・浩夫妻、二人の子である慧生(1938−57)・嫮生(1940− )それぞれの活動に焦点を当て、ゆかりの品々を紹介します。4人の活動は、時には離れ離れになった家族の交流を生み、時には日本と中国のかけ橋となりました。
 副題の「相依為命(あいよっていのちをなす)」は、溥傑がよく口にした言葉で「時代は変わっても、相手を思いやる気持ちがあれば生きていける」という意味が込められています。本展覧会がさまざまな人びとを思いやる機会になれば幸いです。」


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・愛新覚羅家のあゆみ

写真がある。
溥傑のお見合い写真、浩のお見合い写真、二人の結婚式直前の写真などである。
先般ドラマにもなったが、このお二人は政略結婚とはいえ、たいへん仲良しのご夫婦だったそうだ。
浩さんは嵯峨侯爵家の令嬢。

1937年、「婦人倶楽部」誌のグラフになったりもした新婚生活。
稲毛での生活、新京での生活のスナップショット。

新京は満州国の首都、元々は長春。奉天、ハルピンに次ぐ繁栄の都市だったそうだ。
村上もとか「龍 RON」にも街の様子が描かれている。
なおハルピンの方は村上の現在連載中の「フイチン再見」に、上田とし子一家が明るく暮らした街として活写されていた。

新京にあった近代建築の写真がいくつか紹介されている。
本当は地下鉄も大阪市電気局(後の大阪市交通局)の技術提供により作られるはずだったが、物資不足により断念したそうだ。

長女・慧生さんが生まれた頃の楽しそうな写真や育児日記もある。
次女・嫮生さんが生まれ、お姉ちゃんになった慧生さんの写真もある。

この頃まではまだまだ平穏な生活だった愛新覚羅家。
1945年、「流転」が始まる。

お父さんの溥傑さんはソ連に捕まり、やがて中国に収監される。
やっとこさ日本に逃れてきた母と幼い娘の三人家族は横浜で暮らすようになる。
その頃の写真を見ると、犬も飼うていたようで、さすがに庶民とは暮らしのレベルが違う。

離れて暮らす父へ届けられるようになった手紙。
家族の再会には16年かかったのだ。

「天城山心中」という話を子供の頃からよく聞いていた。「天国に結ぶ恋」とマスコミが名付けたようだが、嵯峨家ではストーカーによる無理心中だという説を挙げていた。
一方で近年はある種の謀略によるものだという説もある。
本当のところは一切わからない。
ただ、慧生さんは二十歳になるやならずで亡くなってしまった。
家族の悲しみは深い。

浩さんの刊行された「流転の王妃」が当時ベストセラーとなった。
本の表紙絵は梅原龍三郎の北京の風景である。
この本は現在も版を変えて刊行されるロングセラーである。

映画化されたときのメイキング写真をみる。言葉遣いなどの指導を浩さんがされたらしい。
綺麗な女優だと思ったら京マチ子だった。監督は田中絹代。
田中絹代は既に「月は上りぬ」などを監督していた。この辺りは児井英生の自伝などにも詳しい。

1961年、北京での家族の写真などがある。周恩来主催の午餐会の写真もある。
周恩来は立派な政治家だっただけでなく、心の温かい人だったという。

とはいえ溥傑さんは北京からすぐさま日本へ往来できる立場ではなかった。
次女嫮生さんの結婚式にも参加できなかった。しかし結婚披露宴案内状には溥傑さんのお名前も入っている。

・愛新覚羅家の人びと
溥傑さんは能書家として知られ、存命当時からその書は人気が高かった。
ここにあるのは「寿」の一字。そこに浩さんの和歌も添えられている。

「流転の王妃」の諸版がある。多くの出版社から出ている。
そして慧生さんのバイオリンもある。
最後に団扇に書かれた溥傑さんの書の日本語訳をここに挙げる。
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7/18まで。


今月に入ってから明治から戦前の日本を舞台にした展覧会について綴ってきた。
愛新覚羅家の展示は昭和史の中の話、次は江戸から現在への話である。
「三井の文化と歴史」。既に終了済み。
後期の「日本屈指の経営史料が語る三井の350年」展について。
(とはいえ、例によって自分の興味を引いたことにしか書くことがないが)
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元禄から文政頃の小判がある。
どうみても「小判型」チーズケーキである。そうか、あれはリアルこのサイズなのか。

ところで三井家は元禄のころに牧野成貞の引き立てにより御用達になったので、恩を忘れず、後に牧野が苦境に陥った時、これを助けたらしい。

その元禄頃は大坂の繁盛はただならぬものだった。
やっぱり犬公方から遠く離れていたからかもしれないな、とわたしなどは秘かに考えている。
その時期の三井家当主は高利。全三井家に遺産の取り分を70分割して比率もきちんとして、という遺言を残している。

幕末頃の駿河町越後屋正月風景図には万歳と才蔵もいる。
時代劇などで「越後屋、おぬしもワルじゃのう」「お奉行様こそ」「ククク」と二人で笑う図が多いが、あの越後はここの事ですわな。
だからか逆手を取って三越本店にモノスゴイコピーが出ていた。
「越後屋、おぬしも春じゃのう」
いやー参った参った。このコピー見た人みんなひっくり返ってはりましたでー

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享保頃の当主の書いたものの中に、大坂の鴻池のやり方を褒める文書があったそうな。
大名貸しの失敗が世に多いのに鴻池家はうまくやったというようなこと。
ほかにも商人として真面目にせよ、きちんとせよ、という意味の遺言もある。
やっぱり真っ当な商売してきちんと大看板を挙げるためにはある種の誠実さが絶対に必要なわけですなあ。不正は蓄財も増やすが百年二百年の計には向かない。

面白すぎたのが人々の動向チェック。今でいうとビッグデータを見て色んな判断をつけるのと似ている。
ライバル店(大丸)などの客の入り具合とその時間帯をチェックする。芝居小屋へも偵察を送る。それから判断してタイムチャートを拵えたりしていたようだ。

京の本店では明治まで使われていた「板式目」つまり越後屋の法律・法則・罰則など書いたものがわるくなかった。
「公儀」が「幕府」になったくらいで、案外変わってないわけです。

幕末の三井家を建て直した大立者・三野村利左衛門の写真があった。
この辺りの人間関係を本宮ひろ志は「猛き黄金の国 岩崎弥太郎伝」で熱く描いている。
三菱・三井・住友が明治の世に伸びてゆく姿を。
作中、利左衛門は志半ばで斃れ、妹が影の立場で三井の進撃を支える。

ところで幕末から明治頃の京都の三井北家の跡地は、今の二条城前のホテルが当たるらしい。

益田孝登場。
近代的な経営が始まる。
三池炭鉱と団琢磨の話も面白い。
とはいえ、昭和7年には団琢磨暗殺事件が起こる。血盟団によるもの。当時の新聞記事が出ているが、大事件だった。
井上日召と血盟団については、学生の頃、昭和初期の日蓮宗の広まりに関連して調べたりもしたが、わたしのアタマではわからないのでそのままにしている。

戦後の話も面白いが、ここまで。
歴史の中に活きる人々の展覧会を二つばかり挙げた。

阪神沿線の文化110年 「阪神間で活躍したグラフィックデザイナー 今竹七郎」

「阪神沿線の文化110年」シリーズの一、西宮大谷記念美術館で開催中の「阪神間で活躍したグラフィックデザイナー 今竹七郎」展を観てきた。

今竹七郎自身の言葉による幼年期から現在への道のりがプレート展示され、彼のデザインした品々が所狭しと並んでいた。

「一度は見たことがあるデザイン。実はコレ、デザインしたのは僕なんです。」
本当にその通り。

今竹は神戸のモダンでハイカラな時代に幼年期を過ごし、洋食のおいしさをかみしめ、カッコいいものへの憧れに満ち満ちて育った。
だから母の死後のオヤジとの生活にイラッときたそうで、家出して自分の才能を見出してくれていた先生の家に寄宿する。
やがて神戸大丸に就職し、宣伝の仕事をして認められ、今度は大阪高島屋に移籍する。神戸の洋風文化を思いきり吸い込んで育ち、カッコいいものを造り続けた。
そして戦後になっても関西にとどまり、そこで住友銀行・住友化学・東洋レーヨンなどのアートディレクターとして活躍した。
このシリーズのタイトル「阪神沿線の文化110年」は阪神電車開通を指すのだが、今竹七郎も阪神電鉄と同じ1905年生まれで今年は生誕110年なのだった。

作品が大胆にバーンバーンと展示されている。
大雑把なようだが、これが却って今竹の幅の広さをより実感させてくれた。

オシャレなダイレクトメール、チラシ、ポスター。
実にカッコいい。百貨店の案内もすごくモダンで、購買意欲がそそられるそそられる!!

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本野精吾とのつきあいもいい。
かっこいいデザインをする人同士の交流ですな。

ロマン吉忠の前身の「吉忠の着物」ポスター、住友銀行の貯蓄の勧めなどなど。
今回初めて知ったが、住友銀行は一時「大阪銀行」を名乗っていたようだ。
1948年の告知ポスターに変名のことがあり、1952年にはまた本野住友銀行に戻り「旧大阪銀行」とつけてもいる。

ぐたぐだ書くことはない。このチラシで大体どんなに多岐に渡って仕事をしてきたかがよくわかる。
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今も知ってるものがたんとある。ホンマにカッコよかったなあ。
商業デザインと言うものを勉強させてもらったようにも思う。
ああ、もっと見たい。
そんな気にさせる展覧会だった。
8/2まで。

・・・ホンマに「あっ知ってる!!!」が次々出てくるのでびっくりしましたわ。
これもあれもそれも、みんな今竹七郎デザインなのでした。
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