美術館・博物館・デパートでの展覧会を訪ね歩き、近代建築を見て周り、歌舞伎・映画・物語に溺れる日々の『遊びに行った日を記す』場所です。 **自宅でログイン出来ないので、現在「遊行七恵、道を尋ねて何かに出会う」で感想を挙げています。

2015.7月の記録

今月からその月に見たもののタイトルとチラシとを挙げていきます。
これは七月だけど、丁度2015年後期なのでここから開始。

既に感想を挙げているものもあればいまだ書けてないのもあったりですが。
また翌月に再訪するものなどは挙げてません。
感想を挙げたりした後はまたおいおい追加してゆきます。
なおチラシはすべてサムネイルです。

20150704 宝塚映画劇場ポスター、宝塚ルナパーク、新温泉絵ハガキ写真 宝塚中央図書館
イメージ (13) イメージ (14)

20150704 愛新覚羅家の人びと 関学博物館
イメージ (22) イメージ (23)

20150704 西宮回生病院 建築探訪

20150705 昭和へタイムトリップ 吉田初三郎のパノラマ世界 堺市博物館
イメージ (38) イメージ (39)

20150705 一休日和 正木美術館
イメージ (35) イメージ (36)

20150705 人生ニャンとかなる 大丸心斎橋
イメージ (25)

20150705 文楽への招待 梅田阪急 チラシなし。写真のみあり。

20150711 "倣う”から”創る”へ 京都高等工芸学校・京都市美術工芸学校の図案教育 京都工芸繊維大学資料館
イメージ (42) イメージ (43)

20150711 造形遺産2015 ギャラリー 
イメージ (55)

20150711 住友collectionの明清書画 泉屋博古館
イメージ (52) イメージ (53)

20150711 琳派古今 細見美術館
イメージ (54)

20150711 かたどられた霊獣 拓本・タンカ・古印 大谷大学博物館
イメージ (7) イメージ (44)

20150712 絣の美 模様の世界/染付そばちょこ 日本民芸館
イメージ (61) イメージ (62)

20150712 岩に刻まれた古代美術 アムール河の少数民族の聖地シカチ・アリャン みんぱく
イメージ (40) イメージ (41)

20150712 逸翁の審美眼 逸翁美術館
20150712 小林一三と野球 小林一三記念館
20150712 夢ひらく東宝 池田文庫
20150712 木谷千種 池田市歴史民俗資料館
KIMG1939 (1)

20150715 祇園祭の屏風祭 ギャラリー
20150715 長江家 建築探訪
20150718 瓷華明彩 イセコレクションの名陶 五島美術館
イメージ (62)

20150718 幻燈 プロジェクション・メディアの考古学 早稲田演劇博物館
イメージ (20) イメージ (21)

20150718 富岡collection 色絵と五彩 赤の彩り 會津八一記念館
イメージ (4)

20150718 写真家としてのル・コルビュジエ 會津八一記念館
イメージ (9) イメージ (10)

20150718 フランス絵画の贈り物 とっておいた名画 泉屋分館
イメージ (11) イメージ (12)

20150718 中国宮廷の女性たち 麗しき日々 北京芸術博物館所蔵名品展 松濤美術館
イメージ (75) イメージ (76)

20150718 和のあかりx目黒雅叙園 建築探訪
20150719 清方の作品から学ぶ 日本画の描き方 清方記念館
イメージ (30) イメージ (31)

20150719 鎌倉からはじまった2 1966-1984発信する近代美術館 版画編 神奈川県立近代美術館
20150719 鎌倉からはじまった2 1966-1984発信する近代美術館 洋画編 神奈川県立近代美術館
20150719 地図と写真で見る馬車道 神奈川県立歴史博物館

20150719 蔡國強 帰去来 横浜美術館
イメージ (19)イメージ (20) 

20150719 ポール・ジャクレー 横浜美術館 常設展のためチラシ無

20150719 鉄道模型とジオラマ/京急展 原鉄道模型博物館
20150719 ロバート・ハインデル 横浜そごう
イメージ (46) イメージ (47)

20150720 絵巻を愉しむ 「をくり」絵巻を中心に 三の丸尚蔵館
イメージ (33) イメージ (37)

20150720 春信一番写楽二番 三井記念美術館
20150720 アールヌーヴォーのガラス 汐留ミュージアム
イメージ (8) イメージ (9)

20150720 野球と鉄道 幻の球場と思い出の球団 新橋停車場
20150720 田能村竹田 出光美術館
イメージ (5) イメージ (6)

20150720 画鬼暁斎  三菱一号館
イメージ (24)
イメージ (25) イメージ (26)

20150720 鴨居玲 東京STギャラリー
20150725 瀟湘八景 香雪美術館
イメージ (3) イメージ (4)

20150726 大同生命の源流 広岡浅子の生涯 メモリアルホール 建築探訪
20150727170448959.jpg

20150726 住友銀行ステンドグラス 建築探訪
20150726 小さな茶道具の豊かなデザイン 後期 湯木美術館
イメージ (34) イメージ (32)

20150726 心斎橋大丸原図 ギャラリー・ドゥ・螺 ギャラリー
イメージ (27)

20150726 よみがえる恐竜王国 大丸心斎橋
イメージ (45) イメージ (46)

20150726 わたしのマーガレット 梅田阪急
20150730 おばけの浮世絵 えき美術館
続きを読む
スポンサーサイト

2015.8月の記録

8月の記録。

20150801 若冲x蕪村 MIHO MUSEUM
イメージ (36)

イメージ (37) イメージ (38)

イメージ (75) イメージ (82)

イメージ (79) イメージ (76)

20150801 石山寺聖教 寺社
20150801 広重の旅 浮世絵・近江・街道 大津市歴史博物館
イメージ (22) イメージ (23)

20150802 絵本・絵巻の世界 大阪青山歴史博物館
イメージ (27)

20150802 淀川舟游 くらしの今昔館
イメージ (20) イメージ (21)

20150802 初代中村鴈治郎 大阪歴史博物館

20150802 中村順平 大阪歴史博物館
20150809 京都モダン観光の誕生 時雨殿
イメージ (12) イメージ (13)

20150809 妖怪パラダイス!現れる異形のモノたち 京都工芸繊維大学資料館
イメージ (58)

20150809 魯山人の美 和食の天才 京都国立近代美術館
イメージ (6) イメージ (7)

20150809 東松照明 京都国立近代美術館
20150809 奇々怪々 お化け浮世絵 えき美術館
イメージ (53) イメージ (39)

20150810 酒が醸す町づくり 西宮の近代化 白鹿酒造記念館
イメージ (16)

20150810 阪神沿線ごあんない にしのみやの郊外生活 西宮市郷土資料館
イメージ (14) イメージ (15)

20150813 まるごと佐野洋子 神奈川近代文学館
イメージ (65) イメージ (66)

20150813 横浜地方気象台 建築探訪
20150813 神奈川の仏像 神奈川県立歴史博物館
イメージ (69) イメージ (70)

20150813 浮世絵に見る霊験 神奈川県立歴史博物館
20150813 wonder kommer  えび新聞 切り絵の世界 ギャラリー ギャラリー
20150813 島崎藤村旧宅・鴫立庵 建築探訪
20150813 歌川国芳 そごう美術館
イメージ (7) イメージ (8)

イメージ (10)イメージ (9)

20150814 八月の常設 東京国立博物館
20150814 うらめしや 前期 藝大美術館
20150814 日本の子どもの文学 国際こども図書館
イメージ (50) 

20150814 クレオパトラとエジプトの女王 東京国立博物館
20150814 アートコレクション 美の宴 ホテルオークラ
イメージ (33) イメージ (37)

20150814 ボルドー美術館 西洋美術館
イメージ (13) イメージ (16)
イメージ (14) イメージ (15)

20150814 ル・コルビュジエ 海と女の版画 西洋美術館
20150815 涼をもとめて  畠山記念館
イメージ (2) イメージ (3)

20150815 アールデコの館 東京都庭園美術館
20150815 村野藤吾の建築 模型に見る豊穣な世界 目黒区美術館
イメージ (31) イメージ (32)

20150815 青邨と院展の仲間たち 山種美術館
イメージ (46) イメージ (47)

20150815 スサノヲの到来 松濤美術館
イメージ (62)イメージ (63)

イメージ (64)イメージ (65)

イメージ (66) イメージ (67)



20150815 エリック・サティとその時代 ブンカムラ
イメージ (74)イメージ (76)
イメージ (75)

20150816 絵巻を愉しむ 「をくり」絵巻を中心に 後期 三の丸尚蔵館
20150816 ブラティスラバ絵本原画 うらわ美術館
イメージ (48) イメージ (49)

20150816 春信一番写楽二番 後期 三井記念美術館
20150816 リサとガスパール 松屋銀座
イメージ (32) イメージ (33)

20150816 交流するやきもの 九谷焼の系譜と展開  東京STギャラリー
イメージ (4) イメージ (5)

20150822 少年時代 安野光雅の世界 東大阪市民美術センター
イメージ (21) イメージ (19)

20150822 白鳳 花開く仏教美術 奈良国立博物館
イメージ (58) イメージ (59)

20150829 魔女の秘密 名古屋市博物館
イメージ (2) イメージ (3)

20150829 まつり 見世物 つくりもの 名古屋市博物館
20150829 徳川家康 徳川美術館
20150829 世界に挑んだ明治の美 宮川香山とアールヌーヴォー ヤマザキマザック美術館
イメージ (13) 
イメージ (16)イメージ (15)

20150829 芸術植物 愛知県美術館
20150829 藤井達吉の創作 愛知県美術館

20150829 飯山由貴「Temporary home,Final home」 愛知県美術館

絵巻を愉しむ―《をくり》絵巻を中心に 後期

「絵巻を愉しむ」展後期の感想である。
全て実物のみの感想。

「彦火々出見尊絵巻」
陸上へ出立する娘を見送る竜王。庭には松もあるが浜辺でもある。王の頭には龍が載る。
面白い顔のおつきもいる。魚、クジラらもお供である。海馬に乗る武将もいる。一角獣に乗る女官もいる。彼女へ魚を渡そうとする者もいる。海馬たちを引く御者も海人である。宝を載せた船と土産の小魚を引くものもいてたいそうな一行である。
姫は身重で輿船に乗る。その船は立派な龍頭がつく。
先行していたものたちは既に陸につき、一行を出迎える。一角獣を曳いている。麒麟と言うわけではなく、ユニコーンである。
尊の家に産屋を建て、そこで大勢の侍女と共にこもり、出産しようと苦しむ姫。
祈祷をし、カワラケを割る女湯を沸かす女もいる。

「酒伝童子」
千丈ケ嶽の童子の邸内では、巨大な童子(要するに大童な髪型)がくつろぎ、姫君たちが忙しく侍っている。傍らには美童が二人ばかりいる。こちらもニコニコ。もしかすると酒伝童子の腹心の茨木童子ともう一人かもしれない。
普通の鬼の姿のままの鬼たちも盛装している。そこへ山伏(源頼光ら)一行を捕まえたと注進が来る。
美麗な庭園には桜と紅葉が同時に覇を競い、紅梅と花菖蒲も咲きあい、藤と菊も顔を合わせている。ここでは季節が全てある。いや、進むことを停止させられた四季がある。
時間を歪ませることが出来るのは鬼の力のせいか。

「小栗判官」
1. 乳母に抱っこされる赤ん坊。「有若」と名付けられる。7歳、座敷上畳に座り、12人の侍女を眺める。
7.鬼鹿毛を乗りこなしてみせ、横山一党を驚かせる。鬼鹿毛、走る。ハミは例の鎖で、鞍なしのまま小栗は主殿の屋根へ梯子上がりする。見守る小栗十勇士は嬉しそう。
屋根を走り、梯子を下る鬼鹿毛。得意そうな顔をしている。
11.東海道を下る、浮島ヶ原、吉原、土車に乗る茶色い餓鬼阿弥。葦も生える川辺、犬を連れた人もいれば、普通の女人もいる。富士の裾野と三保の松原を遠くに引く引く引く。
13.照手は狂女の装いをし、笹を持って号令をかける。野池、篠原、やがて瀬田。唐橋を渡る人々。ここでは←ではなく→の方向に土車と一行が行く。
15.ついに小栗大往生、83歳。ありとあらゆる神仏が来ている。文殊も普賢も地蔵も烏天狗も不動も天人も、みんな集まっている。

「若蘭絵巻」
ついに夫の迎えが来た。それに応じる若蘭。侍女らがなかなか可愛い。牛車に乗る人々。

「住吉物語」
松の木陰から姫君たちをのぞく貴公子。しかしながらあんまり女たちに差異がないように思えるが…
イメージ (53)

8/30で終了。

なお「絵巻を愉しむ―《をくり》絵巻以外の作品」
「絵巻を愉しむ―《をくり》絵巻を中心に」の感想はこれらのタイトルをクリックしてください。

少年時代 安野光雅の世界

東大阪市民美術センターはいつも心に残る展覧会を開催する。
ここのすごいのは自主的な企画展ばかりで、それでよいものを見せてくれるところ。
今回は安野光雅さんの「少年時代」。
イメージ (21)

安野さんの絵の巧さは尋常ではないと思う。
どのようなものでも必ず安野さんの絵になっている。
そしていずれも温和なユーモアがある。
たとえ無常を描いたものであっても。

こちらは春に岡崎で開催された展覧会のチラシ。
緻密でありつつどこか優しい安野さんの斜塔。イメージ (22)


今回は昭和初期の津和野が舞台となり、安野さんと家族、学校の同級生、近所の人々などが描かれている。
近著「少年時代」の原画初公開展であり、他の作品「昔の子どもたち」「ついきのうのこと」「木のぼりの詩」も並ぶ。

安野さんは1926年生まれだから来年で90歳になる。
それでいて今も現役の「旅する画家」なのである。
「少年時代」「昔の子どもたち」「ついきのうのこと」「木のぼりの詩」、これらは昭和初期の故郷・津和野への旅でもある。

イメージ (19)

作品は安野少年の日記的な記述で終始する。
旧漢字で書かれていて、時折誤字がある。それへは日記を読んで感想を記す形で、当時の担任の先生の修正が入る、という形式をとっている。
その誤字も現代では気にされない字ばかりで、これは言葉と言うものに深い思い入れのある安野さんらしい、一種のいたずらと言うか思い入れなのかもしれない。

田舎の少年たちはとにかくのんびりしているようでいて、忙しい。
木の実を取るのも時期を外せないし、遊ぶことにも手順があるし、女の子がニガテな安野少年はそのことにも色々思うところがあるし、家の仕事を手伝わなくてもならない。

兄弟でカルメラを造ったり、片栗粉を採ろうとしたり、なんだかんだとこしらえたりもしなくてはならない。

授業もたいへん。遊ぶのも全力だからたいへん。田舎にも流行りものが伝わるから、それを追いかけるのもたいへん。
地元の稲成神社のお祭りの日などは本当にすることが多くて、とても忙しそう。

ある時など、桐の木に登って落ちて、ばっちいところに倒れこまずにすんだものの、どうやって帰宅したかわからず、家の中の大時計の前で気を失っていたりする。
今ならどう考えてもCTスキャンでもしなくてはならんのだが、昔の子供は丈夫なのか、特に後遺症などはなかったようである。
ただし安野少年は書く。
「僕はあの時から頭がおかしくなりました」
ぼーっとした少年の絵がおかしくて笑ってしまう。

活動写真を見て感動したり、クラス全員で「ウサギのダンス」をした感想もある。
相撲、竹トンボ、節分、竃さんの火吹き、鞍馬天狗ごっこ(黒頭巾ごっこかな)、こいのぼりに宿題に水泳に…
本当に何でもある。

現代とは隔絶された一種のユートピアのようにも見えた。
無論そこにもイヤなことはたくさんあるのだが。

イメージ (20)

藍染の日本手ぬぐいが干されているのも、大きな大根や鬼灯や手毬があるのを見るだけで、やはりノスタルジーを感じる。

イメージ (18)

いい展覧会だった。

世界に挑んだ明治の美 宮川香山とアールヌーヴォー

ヤマザキマザック美術館で「世界に挑んだ明治の美 宮川香山とアールヌーヴォー」展を見た。
イメージ (13)

名古屋の新栄駅に直結したビルの5階と4階とが美術館である。
ロココ絵画以降のフランス絵画を中心に集め、アールヌーヴォーの家具なども展示して、優雅な空間を設えている。

わたしが着いたとき、丁度ポリフォンの大きなオルゴールが奏でられているところで、いいタイミングに聴くことになった。
随分前はこうしたポリフォンやレジーナの古いオルゴールを年に数度聴きに行く会に入っていたが、近年は長く無縁だったので、嬉しく懐かしく心地よく聴いた。

それを背後にしながら歩むと、香山の高浮彫を施した瓶や鮮やかな黄釉に花菖蒲を描いた瓶、そしてガレやドームのガラス工芸品とが並んでいるのが見えた。
香山の作品だけでは濃すぎる世界が、ガレやドーム、そしてラリックの作品まで参加すると、途端に華やかさを増して、異形のものではなくなり、過剰な装飾が違和感なく周囲となじみだす。
孤高の存在もいいが、同時代の(しかも日本からインスパイアされた要素を諸々含む)遠い国のガラス工芸品となじんだ様子を見るのは、とても楽しい。

猛禽も身近な鳥も植物と共にその羽根を露わにし、視点を変えれば目が合いもする。
何故だか葡萄と鼠のセットもある。「ぶどうにりす」は見知っていても栗鼠でなく鼠というのは珍しい。

凶暴なばかりに可愛い猫もいる。
この猫の仲間は神奈川歴史博物館にもいる。
イメージ (17) 
15082901.jpg

香山の父・宮川長造は真葛長造と呼ばれ、幕末の京で活躍した。
彼の作品は2000年秋に茶道資料館で展覧会が開催されたときにいろいろと楽しませてもらった。
イメージ (14)
イメージ (34)

わたしが特によかったと思ったのは乾山や仁清の写しだが、無論それだけでなく、いかにも京焼らしい愛らしさを見せる小さなやきものが多かった。

家の跡を継いだ香山がご維新後、父祖の地を離れ、新しい街・横浜で西洋人を相手にした輸出用陶磁器を製作するようになった、そのどの過程でこうした作風を確立させたのかは、知らない。
見事に独自の個性を押し出した作風は、他にみることがない。

イメージ (16)

イメージ (15)

ラリックのアールヌーヴォー時代の皿があった。
魚がいっぱいに気泡が満ちたもの。
魚のあぶくのようで、とても面白く思った。

今回の展覧会ではほかに名古屋のノリタケからもよい資料などが来ていた。
夢のような場にふさわしい、美麗な作品で埋め尽くされた展覧会だった。

8/30の今日までの開催。
再た宮川香山の作品に逢いたいなら、横浜の「宮川香山 真葛ミュージアム」へどうぞ。

名古屋市博物館の常設で見たもの

「魔女の秘密」展の後には楽しい常設展をみる。

桃山~江戸初期の織部。鮎。
美味しそう。長良川のかな。


犬山窯の雲錦茶碗。


瀬戸の瓶掛。奥には秋草模様のも見える。いずれも江戸後期。


最後は手焙りウサギさん。


今回の目玉はこちら。

ナビゲーターは、つくりモンとコウサクの二人。

祭の見世物の定番、大イタチ!
どんな凶悪な奴か!?


覗くと…
大きな板に血がついた大イタチでしたw

細工見世物の紹介。
ものの本にある。



カマキリ現物










本と現物



二見浦。皿の月に包丁の群雲


ヒモノ三尊。


ナビゲーターの解説。


驚愕のラスト

……うん。

こちらはカラクリ人形の屋台


名古屋市博物館ではこんな可愛い表紙の図録もある。

俳画っていいなあ。

楽しい常設展です♪

涼づくし 書画とやきものを中心に

畠山記念館の夏季展「涼づくし 書画とやきものを中心に」を見た。
イメージ (2)

行ったのは随分暑い日で、一番に入館したが、人いきれもないのに暑さが停まらない。
が、しばらくすると涼しさが満ちてきた。
それは冷房のおかげもさることながら、「畠山記念館」にいる、そのことで齎された涼しさでもある。

深い緑の庭、蝉の声、それらを外として、展示室にはあえかな水音、差し込む光により表情を変える天井の波文様の揺らぎ、そして展示されている染付、滝の絵…
茶室の畳でくつろぎながら陶然と涼を愉しんだ。

イメージ (3)

わたしは染付が好きだ。
小さなものから大きなものまで染付を見ると気持ちよくなる。
むろんそれだけでなく、樂も法花も好きだ。
赤絵も絵や形によるが好ましく思う。
この「涼づくし」にはそれらが他の工芸品と共に並び、暑苦しさを思い出させないように設えられていた。

最初に透かし鉢を見た。
仁清、乾山、高取焼のが一つ一つガラスケースに収まっていた。
仁清の水玉透かし鉢は人気なようで、他のところでもこれを見ているし、乾山の色絵で菊をモチーフにしたものも以前から好きな一点である。
高取透かし鉢は透かし穴の形が様々で面白く、これを展開してみると、中央アジアの王の印章を思わせるものになるかもしれないと思った。

吉兆の湯木美術館のパネル展示で見たのか、仁清の透かし鉢に白い小芋の炊いたのを盛り付けたのがあった。上に小さく印象的に柚子の皮をささめに切ったものが載る。
あれかお菓子がこの鉢には合うのだろうね。

銀製青海盆 沢田宗味 昭和半ば以前の作かと思う。小ぶりだがギラリと光る綺麗なもので、目を離せない。

秋草御所車蒔絵棗 車と草とが静かに睦み合っているようだった。貴人はここまで車で出て、虫の音を聞いていたのかもしれない。

色絵蓮鷺文手桶形茶器 明代 小さくて愛らしい。この手桶の中に鷺がいて、蓮が咲いているのだ。

阿蘭陀白水指 胴回りの横線は指の痕かもしれない。

秋草文七宝建水 江戸時代 トルコブルー地に3つの花が枠内に収められている。
朝顔、バラ、桔梗。小鳥がゆっくりと飛ぶ。

象牙七宝透蓋置 江戸時代 これも愛らしい。透かしが入るとそれだけで涼しい見た目になる。

瓢振出 桃山時代 丸茄子型に近い。いかにも日本人の好む造形。

祥瑞針木向付 明代 梅が描かれている。梅の新しい枝が先鋭的なのを言うのかと思う。

法花牡丹文鉢 明代 紫地に大きな花が咲いている。わたしは法花が大好きで、この華やかさにときめく。

祥瑞舟人物文酒呑 江戸時代 働く人と釣り人とがいる。こういうものを見るととても楽しい。

青磁一閑人酒呑 明代 こちらは打って変わって暇そうな人が「コップの縁」にはりついている。

染付牡丹唐草文耳付壺 元代 耳は野獣の顔。それもコクトーの映画「美女と野獣」のジャン・マレーの野獣に似たタイプ。

絵を見る。
滝図 狩野常信 ざーーーーーーー…ざーーーーーーー…ざーーーーーーー…

藻魚図 頼庵 元代 ぐわっっっ と浮かぶ魚。

滝文様刺繍裂 滝の周囲にどういうわけか籠が二つ。こういうのを見ると岩手の厳美渓を思い出す。籠にお金を入れて向こうへ送ると、引き換えで団子が届くのだ。

文具がある。
龍魚硯 明代 海のところに二、三匹の魚。鯉なのだねきっと。

石菖硯屏 仁清 これがまた愛らしい。鉄色の花が不透明の白の上に咲いている。可愛らしい菖蒲。

絵鑑 狩野伯圓・即誉 わたしがみたときは貴人の花見と布引の滝なので、伊勢絵だと思う。

涼しい心持になり、気持ちよく外へ出ると、蝉の声が降り注いできた。緑の濃い道を歩き、門の中にいる間はやはり涼やかだった。

9/13まで。

交流するやきもの 九谷焼の系譜と展開

東京ステーションギャラリーで九谷焼のいいのをたくさん見た。
「交流するやきもの 九谷焼の系譜と展開」というタイトルである。
最初の展示室に、その時代時代を代表する名品が雁行するように置かれていた。

イメージ (5)

古九谷・青手団扇散文平鉢、若杉窯・呉須赤絵写籠花鳥図平皿、吉田屋窯・百合図平鉢、そして明治の九谷庄三や昭和初期の徳田八十吉の作品である。
今回の展覧会はこの五つと平成の三代八十吉を中心とした作品が集まっていた。
6つの章で分かれているだけでなく、その展示室ごとに色分けされているのもいい。
各章ごとにサイトのみどころ紹介文を挙げる。色はその部屋の色に。

1.古九谷 
青手のよいのが多く並ぶ。400年くらい前のばかりである。その頃のは本当の産地がここなのか伊万里なのかはまだ確定していない。
こういうのは曖昧でもいい、とわたしなどは思う。
「古九谷の特徴はその色にあります。紺青、緑、黄、紫、赤の「五彩手」の華やかさ、赤を除く四彩で器を塗り埋めた「青手」の深みのある味わいは、古九谷の大きな魅力です。古九谷には多くの謎があります。古九谷の開窯が明暦元年(1655年)であることは定説となっていますが、伝世品中に有田製品が混入していることに起因する、産地は九谷か有田かという論争が続いています。この論争は今なお未決着ですが、古九谷窯の発掘成果などの発見や新知見もあり、新たな展開を見せています。また、古九谷廃窯の原因も諸説あり謎に包まれています。」

なんでも始まりのころ、鍋島家と姻戚関係にあったそうだ。
これがやはり産地の謎を呼ぶ第一の原因なのかもしれない。

青手の様々な文様の皿や鉢が並び、古九谷の美を堪能する。

竹虎図平鉢 いかにもワルそうな虎が天地眼をしながらそこにいる。

波に蝶文平鉢 綺麗な色彩、見込みの蝶の愛らしさ。

古九谷はいいなあ。
他にも椿、牡丹、梅などの花模様がいきいきと描かれやかれたのがある。


2.再興九谷の始まり

「古九谷は、江戸初期に半世紀ほど生産された後、制作が途絶えてしまいますが、江戸後期になって、京都から青木木米(あおきもくべい)を招聘するなど、古九谷を再興しようという機運が高まります。」

春日山窯から色絵、他に小野窯の色絵、若杉窯からは染付が中心に出ていた。

瑠璃釉仙盞 ああ、綺麗な色。どきどきするくらいの色。

楼閣、松竹梅、桐鳳凰、菊蝶などの絵が焼き付けられた美しい色絵を見続けることの歓びは深い。

3.再興九谷 吉田屋窯と粟生屋源右衛門
(再興九谷の続き)
「この中心となったのが吉田屋窯でした。五彩や青手の美しい色彩を甦らせ、さまざまな意匠を取り入れた名品が数多く生み出されます。また器形もヴァラエティに富み、豊かな作品世界が展開されました。
再興九谷の陶工として活躍した粟生屋源右衛門(あおやげんえもん)は、明るく透明感のある色彩と、ユニークな造形によって異彩を放っています。特に動植物をモティーフにした細工ものは、まるでアール・ヌーヴォーのガレのデザインを思わせます。ガレより半世紀以上も前に、こうした斬新な造形が九谷の地で生み出されていたことは、九谷焼の高い創造性を物語っています。」


何年か前に高島屋で幻の吉田屋窯と言う展覧会があり、そこで初めて吉田屋窯の作品を(そうと認識しながら)みた。
本当にとても綺麗で明るい作品が多いと思った。

牡丹、ユリ、龍宮、豆、果ては張良と黄石公の出会いまで文様にしている。

それから粟生屋のは物語絵が多い。
まるで吉田屋はガレ、粟生屋はドーム兄弟、または並河と濤川のようにも思われた。

4.明治の輸出九谷を中心に

「開国によって世界に開かれた日本では、欧米への輸出需要によって各地で地場産業が活況を迎えます。九谷でも、伝統の技術を生かし、輸出用の陶磁が作られました。西欧の趣味にも合うように作られた彩色金襴の華やかで大きな壺や、細字の超絶技巧を用いた作品など、熟練の技術によって数々の優品が生み出されたのです。彩色金襴の技術の礎を築いた九谷庄三(くたにしょうざ)の名品も紹介します。」

九谷庄三の朝顔と子猫の可愛らしい絵柄のものがとても気に入った。

形そのものも輸出向けだというのでこれまでのものとは違う。

鍾馗、公家、遊女をモチーフにした絵柄のものがあるのも微笑ましい。

5.近代九谷の展開

「大正から昭和にかけて、多くの陶工たちが九谷の地を訪れ、制作を試みています。彼らは九谷焼のさまざまな技術を学び、それを自分たちの制作に生かしただけでなく、九谷焼の陶工たちにも大きな影響を与えました。中でも板谷波山、富本憲吉、北大路魯山人は、その代表的な作家たちと言えるでしょう。本展に出品される彼らの作品を見ると、九谷焼の世界の広がりを感じることができるはずです。」

直接的に九谷の職人でなくとも、関わった人の作品が出ている。
板谷波山、諏訪蘇山、魯山人…
中でも富本憲吉と北出塔次郎の師弟関係に惹かれた。

綺麗なものが意図的に造られ、そこに作家性が出てくる。
確実に時代が変わったのを感じる。

6.平成

「生活スタイルが多様化した現代、九谷焼もそれにあわせて多様化し、さまざまな実験的な試みが行われています。本展では、現代の九谷焼を代表する存在として、三代徳田八十吉(やそきち)をとりあげます。古九谷以来の伝統の色彩を純化し、抽象的で洗練された調和を作り上げたその作品は、幻想的な光を放ち、九谷焼の新しい時代を告げるかのようです。」

三世八十吉の煌びやかな大皿に再会できてうれしい。
少し前にそごうで展覧会を見ている。
グラデーションの美を、耀きを愉しんだ。

今回のベストはこちら。粟生屋の香炉。
イメージ (4)
本当に何度も見直した。
細かい手仕事にときめくばかり。

イメージ (6)

欲しいなあ、本当に。

9/6まで。

異端の作曲家 エリック・サティとその時代

ブンカムラで「異端の作曲家 エリック・サティとその時代」展をみる。
会場に入るとジムノペディが聴こえてきた。
その音に導かれるように歩く。
イメージ (74)イメージ (76)

1.モンマルトルでの第一歩
1890年代のモンマルトルの流行りものが並んでいた。

ロートレック、ジュール・シェレらのポスター、「シャ・ノワール」のこと…スタンラン、リヴィエール…
ああ、時代を感じる。

イメージ (80)

ウーヴル劇場のプログラムに反応する。
イプセン、マラルメ、ヴェルレーヌ、マーテルランク(メーテルリンク)…象徴主義の人々。
名を見るだけで何かしら薄い光が差し込んでくるのを感じる。宵の明星と暁の消えゆく星とが一緒に来るような感覚がある。
それは明治の日本人が彼らに対して抱いたと同じ憧れに近い。

影絵劇「聖アントワーヌの誘惑」の資料。これは以前に東京写真美術館で見たように思う。それとも伊丹市美術館でかもしれない。
どちらにしても130年前の「映像」は当時の人々をどれほど眩惑したろうか。

影絵劇の美。
「星への歩み」「ノアの方舟」の手稿譜。
学生、クマ、ウサギ、闘牛士…様々な音楽が使われていたことを知る。

アルフォンス・アレ 耳の不自由なある偉人の葬儀のための葬送行進曲 この譜面は24小節も空白が挿入されていた。
不思議なショックがある。

ミゲル・ユトリロ サティの肖像 なかなかハンサムな絵に仕上がっている。コミカルなものもある。
この絵を描いた人がモーリスを認知したのか。
本当のところは生んだ母親にもわからないままかもしれないが。

サティの自筆手稿による「3つのジムノペディ」第二番、そしてその曲が売れないことを心配して親友のドビュッシーがオーケストラ向けに編曲した譜もある。

わたしはドビュッシー、サティ、ラヴェルがとても好きなので、このあたりを思うとワクワクする。

2.秘教的なサティ

薔薇十字とサティが一時深い関係にあったとは知らなかった。
この時代のは正式名称が「カトリック薔薇十字聖杯神殿教団」で、設立者は
ジョゼファン・ペラダン。神秘小説家というふれこみ。
そのペラダンは熱烈なワグネリアンだったそうだが、反ワーグナーのサティをー「どういうわけか」使徒と見做したそうだ。
端っこと端っこの磁場が近いのか、

カルロス・シュヴァーベの薔薇十字展のポスターは象徴主義風でとても綺麗。
世紀末の神秘主義…それに惹かれること自体が頽廃的で耽美的で、やはり素敵だと思うのだ。

アルフォンス・オスベールの鉛筆画が魅力的だった。やはり象徴主義の美しく耽美的な絵が三点。
竪琴を持つ女、夕べ、黄昏。それだけで深い湖水の美を感じもする。

マルスラン・デブータンの二枚のサティの肖像がある。指を秘儀を思わせる組み方をして見せていた。以前と以後とをタイトルにしている。
どちらもリアルな画風である。

アントワーヌ・ド・ラ・ロシュフーコー サティの肖像 この画家は新印象派の人らしい。だからか点描なのだが、この苗字、どうしてもラ・ロシュフコー公爵の末裔かと思ったり。

最後にシュザンヌ・ヴァラドンが登場する。
彼女との交際は半年間で、フラレたようである。女との別れがつらく、うら寂しく、サティは女の顔を五線譜に描く。…どうみても戯画だったが。

そういえばどの展覧会かは忘れたが、サティとヴァラドンと幼いユトリロの影絵芝居を上映した。母子が町を行く。特に母親は威勢よく歩く。サティの失望。それを振り返る気の毒そうなユトリロ。
ヴァラドンの恋は多種多様だが、サティの恋はこの一度だけだったそうだ。

ここではサティの作曲した薔薇十字教団のファンファーレが流れ続けていた。

3.アルクイユに移って

サティの遺愛の品が色々並ぶ。
そして「ジュ・トゥ・ヴー」のジャケットがある。
1903年、サティ大ブレイク。

「スポーツと気晴らし」サティの作曲、シャルル・マルタンの挿絵22枚。
シンプルな線のシャープでオシャレな挿絵。とてもかっこいい。
イメージ (79)

これは最後に映像でも見ることが出来た。

4.モンパルナスのモダニズム

百年前の今頃の活動である。
バレリエ・リュスの仕事をしている。
「パラード」である。

ピカソ 「パラード」の幕のための下図  随分と美人の多い絵だった。
ピカソはほかに舞台装飾のための習作や登場人物の中国の奇術師の化粧(隈取つき)を設計している。アクロバットの衣裳には☆や@がついている。
いずれもとても綺麗。
「パラード」とは「日曜日の見世物小屋を舞台に、出演者たちがテント前で客寄せのために芸を披露し、3人のマネージャーが客を呼び込むというもの。」というwikiの説明を挙げる。

レオニード・マシーン(中国の奇術師)の写真もある。
そしてハリー・ラハマンというカメラマンが捉えた写真も何点かあり、「パラード」の前衛性をこうした所から掴もうとする。

コクトーの「パラード」に関する覚書も公開されていた。これらはどこから見てもコクトーの芸術の一つになっていた。

イメージ (78)

2007年の「パラード」の再現公演の映像があった。終幕3分ほどの映像。面白い。
わたしはモダンバレエが好きなのでとても楽しく見た。

ピカソによるバレエ・リュスのプログラムは1920年のもの。
ニジンスキーから遠く離れ、また全く違った魅力を獲得したバレエ・リュス。
こちらは去年の展覧会のチラシ。「魅惑のコスチューム バレエ・リュス」。
イメージ (14)

それにしてもこの時代のコクトー、ピカソたちは本当に面白い。
1989年3月、大丸梅田で「ジャン・コクトー」展が開催された。
中に入った時、夕暮れから夜中にかけて砂漠をトボトボ行く気持ちになるようなピアノのメロディが聴こえてきた。
暫くすると、今度は音が螺旋をみせるような音楽が流れてきた。
あまりに魅力的な(そして衝撃的な)ピアノ曲に囚われて、コクトーの絵や映画と共に忘れられなくなった。
後にサティの作曲したものだと知った。それ以来ずっとコクトー、サティを偏愛し続けている。

まだまだ見るべきものがある。
ブランクーシの金色の彫刻、ジョルジュ・ブラックのよくわからない絵、ピカビアの「本日休演」の楽譜口絵などなど。

マン・レイの写真がある。
コクトーとトリスタン・ツァラの二人を写したもの。ハンサムなコクトーと妖しいムードを醸し出すツァラ。

ダダを目の当たりにもする。

アンドレ・ドランの衣装デザイン画もあった。これらもとても魅力的で、特に一つ好ましい作品があった。

イメージ (77)


音楽だけでない、総合的な内容であったが、とても印象的な展覧会だった。
いいものをたくさん見れて本当に良かった。
見終えた今もサティの音楽が耳の奥に流れ続けている。

8/30まで。

「白鳳」/「仏のすがた 祈りのかたち」

二つの「仏像」展を見た。
神奈川歴博「仏のすがた 祈りのかたち」8/23まで
奈良博「白鳳」9/23まで

どちらも見ている最中に体調がビミョーなことになってきて、早々に撤収してしまった。
ごく簡素に書く。


奈良国立博物館開館120年記念特別展「白鳳 花開く仏教美術」
イメージ (58)

飛鳥時代白鳳時代天平時代へと続くその百年余、やや頭大の仏像が世に現れた。

十一面観音菩薩立像 唐代 木造 インド風な風貌だと紹介がある。鋭い形を見せる鼻、太い腕、じゃらじゃらの装飾。
頭上の顔たちはサイドに4人ずつ、真正面、そして背後にあるはずの顔は失われていた。だから本体と合わせて10面になっている。あまり表情の変化はなかった。

観音菩薩立像 651 白雉2年、とはっきり製造年がわかる。顔の構造が興味深い。二重あごというより、顔の中に顔が浮かんでいるかのようだった。

イメージ (55)

河内の観心寺からきている仏もある。腕を組んでいる。河内辺りのお寺にある古い仏は、いずれも不可思議な美に満ちている。

弥勒半跏思惟像 666 天智天皇5年 大阪・野中寺  やや前かがみで猫背気味である。
大阪の古い言葉で言う「ブンコ」スタイルである。金色に光る仏像は確かに半跏思惟ポーズを取っている。実のところこの仏像がなんの菩薩かわからないそうだが、当時既にこの半跏思惟ポーズを取っていれば、(=弥勒)という認識があったようだ。
線描による花柄が衣の一部に浮かぶ。

菩薩半跏像 飛鳥―白鳳 606または666 推古女帝から天智天皇まで60年経っている。
願文がついていて「丙寅」とあるので、どちらかだということになったようだ。
「阿麻古夫人」の願文。

巨大な鴟尾がある。羽曳野出土。巨魚の尻尾!という感じがする。
南滋賀廃寺あたりの出土品をみると、瓦も色々種類がある。
鬼瓦というても鬼の顔ではなく花文のものもあるし、百済由来の鋸歯文のある花柄文もある。サソリ文とよばれるのもあるが、それがどうサソリなのかがわたしにはわからない。
穴太廃寺からは庚寅、壬申の年号があるものも出てきた。どちらも持統天皇の時代のもの。
八島廃寺というのがどこにあったか知らんが、そこの出土の鬼瓦には蓮華文とその四方の角に布袋のような顔がついている。

緑色のガラスの瓶、数珠、ビーズが出土したのは近江神宮。たしかそこには天智天皇の頃の時計・漏刻があったのではないかな。

大官大寺跡出土品の中に巨大な鉄釘があった。如意にも似ている。大きくて赤サビがついているが、モノスゴイ釘である。
これで思い出したが「大魔神」で大魔神の眉間に打ち込まれた楔、あれはヘッド部分は平だったが、こちらは花形になっていた。

川原寺裏山遺跡出土品は塑像などで、これらテラコッタ類が可愛らしく雛壇に並んでいた。しかしよくよくみると天部の腰部のみ、カルラの頭部のみ、侍女の頭部、右手、重ねた両手、グーをとた手、ひねった天部の腰部などでこの雛壇は構成されていた。

イメージ (56)

次の室へ向かうと、興福寺のあの巨大な仏頭がドーーーンッッと鎮座ましましていた。
えらく高い位置にある。丈六仏としての位置なのだろうか。
8/18から8/27までの展示。

これはごく幼い頃から見知ってはいたが、現物を見るのは初めて。
わたしが三歳から通うお医者さんにパネルがかけられていて、その横顔を見ていたのだ。
真正面から見ると、けっこうこわい・・・

イメージ (60)

阿弥陀三尊像が燭台のような形で作られていた。
ニガテだ・・・

両足をおろす仏像がでてきた。これらは以前にも見ている。深大寺のは東京芸大で見たように思う。

イメージ (57)

観音菩薩立像が何体も並ぶ。その中でも島根の鰐淵寺のは優しそうで、いい感じだった。

薬師寺の特集がある。
そういえば薬師寺の方が新しいのだった。「新薬師寺」とは新しい薬師寺ではなく(霊験)アラタカな薬師寺という意味だそうだ。
その薬師寺といえば今は大修理中。
そうそう、二、三年前に薬師寺の修二会に行ったが、楽しかったなあ。

そこからまさかのもしかで水煙が来ていた。びっくりした。
模造品はこの距離から見ていたが、本物をこの距離で目の当たりにするとはなあ。
飛天もはっきり。

月光菩薩立像が来ていた。びっくりした。巨大な仏像。なんだかスゴい。いい腿、胸も素敵。
やはり綺麗だ。

聖観世音菩薩立像 とても立派、若々しい肉体。

この後金銅仏をみたのだが、このころからちょっとわたくし、激しい睡魔におそわれまして・・・
立っていられなくなりまして、この少し後でリタイア。
イメージ (59)

法隆寺の金堂天蓋付属品が来ていた。飛天、鳳凰、透彫金具。
やはり綺麗なものを見ると楽しい。

愛知の真福寺の仏頭が寝転がる形で展示されていた。仰向けではあるが、わたしはそれをみて映画「ドグラマグラ」の九州帝国大学病院の解放病棟の中庭を思い出した。
あそこにあったのは巨大なガンダーラ仏の頭だったが。

既に行かれた方々は3時間を費やしたとよく聞くが、体調がいきなりわるくなったのでそうもいかなかった。
残念だが、しかしよいものを見せてもらえてよかった。
9/23まで。


「仏のすがた 祈りのかたち」
イメージ (69)

僧形神坐像 木造 平安―鎌倉 面長なお地蔵さんのような仏像。

菩薩半跏(遊戯坐)像 木造 南宋 このポーズがいかにも南宋らしい艶めかしいもので、口元の微笑もいい。
リアルサイズの身体のナマナマしさ。
片膝を曲げ、片足を下すこのポーズはそれだけでも色っぽい。
じっとみつめるうちに何やらその場にいたたまれぬような心持になってきた。

もう一体生々しい体のハリをみせる阿弥陀像を見た。こちらも木造である。
鎌倉時代の阿弥陀像のその肉の確かさになんだか恐怖を感じた。

十六羅漢図がある。なかなか面白い。
龍を撫でる、虎を可愛がる、山羊から花を貰う、侍童は居眠り…といったパターンを外さない。
イメージ (70)

狛犬と獅子の顔つきもいい。刺繍で拵えた梵字の軸もある。
他にも仏具が色々。
鎌倉の質実剛健な仏教。そして宋から来た艶めかしい仏像。
造形の確かさにうなるばかりだった。

8/23で終了。

村野藤吾の建築 模型が語る豊饒な世界 1

目黒区美術館で村野藤吾の建築についての展覧会が開催されている。
イメージ (31)

模型を拵えたのは京都工芸繊維大学の学生さんたちである。
丁度二か月ほど前、繊維大のミュージアムで「村野藤吾の住宅デザイン展」を開催し、そこで展示された資料が少し形を変えて「住宅」の章で展示されていた。
その時の感想はこちら

村野藤吾の仕事はこれまでにもしばしば展覧会という形で紹介されている。
京都工芸繊維大美術工芸資料館では定期的に村野の図面の紹介展示もあるし、この目黒区美術館も村野の展覧会をしばしば開催している。
ほかに近年では去年の大阪歴博での「村野藤吾 やわらかな建築とインテリア」展、汐留ミュージアムでの「村野藤吾・建築とインテリア」展がよかった。
前者の感想はこちら、後者の感想はこちら

イメージ (32)

展覧会では80件の模型作品が出ている。それに付随する形で村野の図面、実際の建造品の部品などが展示されている。
・美術館
・教会、修道院
・住宅
・庁舎
・百貨店
・娯楽、集会施設
・ホテル
・オフィスビル
・大学、研究所
・アンビルト
・交通
・東京
これらの項目に分かれて展示されていて、たいへん丁寧な模型作品を観ることになる。
作品によっては模型製作者のコメントもあり、それも興味深く読んだ。

イメージ (19)

まずは娯楽、集会施設から挙げたい。

いきなり飛び込んできたのは大阪・新歌舞伎座である。
1958-2009閉鎖。2014解体決定したが、しかし依然として難波に立つ。ただ中には当然入れない。
泣きたくなる。
この建物は桃山風の派手な表に、中はいかにも楽しませてくれるような造りの、非日常的な空間なのだった。
解説に「通俗的モチーフにあふれるが、老建築家の無邪気な発想」などとあるが、この文を書いた人はこの劇場が機能していた頃、中に入ったことがあるのだろうか。
わたしは祖母や知人のお供でよく通ったが、楽しい空間だった。
いかに見物客を楽しませるか、いいココロモチにさせるか、それを計算した建物と空間だと思う。
どうも見た目だけで文を書いているような気がしてならない。
そこで2時間乃至3時間いて、舞台に拍手し、お弁当を食べて、アイス最中もかじれば、わたしのいうことも伝わるのではないか。
もう無理だが。

劇場空間は非日常(ハレ)の空間でなくてはならない。
難波駅近くに突然聳え立つような桃山風御殿のような劇場、そこへ吸い込まれる観客。わぁ!という喜びを予測して造られた空間なのである。

映画館と芝居小屋の違いということを考えるとき、映画館の設えの方がむしろストイックであると思う。映画は感動を与えてくれるが、ライブではないのである。ライブ空間は時にハッタリ(というてはいけないかもしれないが)がまかり通る空間である。
現存する日生劇場のあの不思議な魅力を思うがいい。
これは決して「老建築家の無邪気な発想」などではないのである。
むしろ「あざといくらい老練な建築家の職人芸」により構築された非日常空間だというべきではないか。

ここで村野の映画館2つを挙げる。
公楽会館 1949―1962 下京区の河原町南西にあったようだ。楕円の中にKRKと頭文字が入った看板が見える。裸婦彫刻がずらりと縁取る。西陣電話局の岩本作品とはまた違う、どちらかと言えばややナマナマシイ姿態を見せた彫刻群である。彫刻は坂上政克による。この彫刻家の他の作品で高名なのは世界平和記念聖堂の彫刻。つまり村野作品のためにこうした仕事を残している。
この映画館には東郷青児の絵も飾られていたそうだ。
同名で三条に東宝公楽会館があり、そちらも近年まで上映が続いていた。しかしそれと村野作品とは別個である。なまじ京都の映画館を知る者はこの二つの勘違いをする可能性もある。

近映会館 1954-1981 あべの  村野は大阪市阿倍野区にオフィスを開いていた。それだからか、近場の仕事もかなりある。
この映画館は天王寺と阿倍野の間にあったというから、今で言うとどの辺りになるのか。アポロシネマの辺りか。
昭和30年代の阿倍野界隈の写真を集めたサイトを訪ねると、近映会館が映っていた。Kineiと看板がある。
どういう契約か、カルピスの看板も上がっていたが、ボディは間違いなく村野らしい様子を見せていた。
北摂のわたしは天王寺界隈はよくわからない。
小窓が多い。東の立面図がなくて制作に苦労したとコメントがあった。

キャバレー・アカダマ 1933 現存せず。これはハナヤ勘兵衛が撮影もしているという。
勘兵衛の作品は芦屋で見ているが、大大阪時代に面白いシャシンをたくさん残している。
彼の目がこの建物を魅力あるものと捉えたのも納得がゆく。残されているのはこの模型と写真だけだが、とてもかっこいい。道頓堀川に面した建物のガラスにはakadama caféとあり、ムーランルージュ風の小さな風車の羽根もついていた。
中ではジャズが流れ、不思議な洋酒がよく売れていたことだろう…


小倉市中央公民館 1959-2005 窓の構造がたいへん興味深い。二重窓のような庇の奥の窓のような構造がかなり気になる。

八幡市民会館 1958― 隣接する八幡図書館共々市民に愛されてきた建物だということだが、図書館は残念なことに来年でなくなるらしい。
外観にシンプルな装飾がついて、それがなかなかいい感じ。
村野は大学に入る前、八幡製鉄所に勤務していたそうだ。
模型はかなり大きく作られている。
図書館は前年製作で構造的にたいへん興味深い姿を見せている。

高倉式というのか高足ガニスタイルというのか、一階部分を柱で立たせて全体をその背に乗せるように見える構造が、わたしはニガテだ。不安を感じるからだ。
村野はしかしその構造が好きなようで、いくつもの建物でそれを用いている。

川崎製鉄西山記念会館 1975―2011  一目見て「未来少年コナン」の都市インダストリアの中央に位置する太陽塔のようだと思った。むろん村野の方が早い。
この建物は栄えある賞も受賞している上、あの阪神大震災にも耐えたというのに、会社がJFEになり、本社機能が東京へ移ったことであえなく取り壊し。
東京だけが全てなのか、という反発心を起こさせる事件でもあった。
尤も川鉄の社長を顕彰する記念館なので、その機能が憎かったのかもしれないが。
いや、そうした感情的な状況を排しても、やはりこの建物は壊すべきではなかった。
非常に惜しいことをしたものである。
模型を見ながら建物を惜しんだ。それにしても国道2号線沿いに建っていて、あの阪神大震災に耐えた建物だということを思えば、村野の作品の堅固さには感銘を受けるばかりである。

千里南地区センター 1964-1976そして2013解体  この建物は阪急南千里駅前にあり、非常に目立つ横広なランドマークセンターであった。
先ず窓の配列が非常に個性的で、他の誰もこの様式を選択も踏襲もしなかった。
模型製作者はやはりこの窓にてこずったようだが、まあ正直、よくこのダンダラをやろう、と決行したものだ。現場も大変だったろう。掃除も大変だし、後の管理もさぞや…
しかし50年の歳月は大きかった。
建物自体は使う人の手により少しずつ変化を強いられ、当初とは違うスタイルを持つことになっていったが、それでも別に壊れたわけではない。
ないが、使う側に経年劣化がおこる。
千里ニュータウン自体が少子高齢化のモデルタイプとなり、疲弊し、とうとう新しい整備をしようということになり、この非常にシンボリックな建物は失われてしまったのだ。
これはもうどうしようもない。

20年ほど前、わたしはこの地に住む知人から「SlumDunk」「幽遊白書」を貸してもらい、熱狂した。待ち合わせはいつもこの建物だった。
その後どちらも入手したが、今でもどちらのマンガの1巻を想う時、必ずこの南千里駅前の千里南センターが蘇るのだった。

・ホテル

都ホテルが現れた。蹴上と上本町とがある。
プリンスホテルは箱根と新高輪と宝ヶ池と。
村野は多くの人々が行き交い・滞在する空間をたくさん拵えていたことがわかる。

都ホテル5号館 1936現存せず  いつ解体か写し損ねた。和風建築で、残っていれば今でも人気だったろう。

都ホテル佳水園(現ウェスティン都ホテル佳水園)1959―  蹴上の優美なホテルの和風空間を村野は担当した。
ホテルのHPの紹介文「美しいリズムを奏でる建物は、高低差のある地形を生かして造られています。20室ある客室の間取りは、それぞれの部屋によって変化をもたせています」とのこと。
村野が数寄屋建築のオーソリティだということをこの宿かに思い知らされる。
模型を見ることで全体が把握できる。
雁行する別館たち。素晴らしい和の空間である。まるで離宮のようだ。
村野の和風建築は雁行することにその特徴を見てもいいように思う。
尤もそれはこれくらいの広さがないと不可能である。
実際にそこに行くことで味わえる快さと、模型により想像できる快さとを想う。

なお貴賓室には上野リチのデザインした壁紙が使われている。
6年前に上野伊三郎とリチの仕事を紹介した展覧会を見てその素晴らしさにときめいたが、いまだに実際の使用状況を見てはいない。(要するに都ホテルの貴賓室には入れそうにないのだ)
当時の感想はこちら

箱根プリンスホテル(現ザ・プリンス箱根芦ノ湖)1978―  一目見てフレンチクルーラーのようだと思った。ドーナツ型と紹介されているが、オールドファッションやあんドーナツではない。無論そのドーナツだけが全てではなく、ドーナツにつながるパイプもあるわけで、それでホテルの全景が構成されている。

新高輪プリンスホテル(現グランドプリンスホテル新高輪)1982― これは枝折戸などの現物も展示されていた。
わたしのアタマの中では「村野は一室ごとに半円バルコニー」「村野はうねる階段がうまい」という認識がある。
なにしろ村野藤吾を知る前に大阪でも京都でも出先で「あれ、これって前に見たとこと似てる」と思ったら大抵全部村野だったのだ。
鉄で愛らしい装飾を拵えるのも村野の特徴の一つだと思う。
ここの枝折戸は梅、あべの近鉄は葡萄に鳥か何かだった。
そして半円バルコニーの底裏には巨大貝殻のような放射線状の浮彫。

模型製作者の人はこの連続パターンを製作中、いらだったりしなかったのだろうか。

都ホテル大阪(現シェラトン都ホテル大阪) 1985― でたーっ上本町。この模型は正面からではなくたまたま後ろから見たのだが、それでも「あ、大阪のか」と一目でわかる。
というてわたしが上本町の都ホテルにしばしば通うてたわけではない。ないが、この上本町のホテルはもう本当に忘れがたい印象がある。
近鉄関係での村野の仕事は多い。上本町は近鉄特急の始発駅になる。あべのハルカスに今やシフトを移動させたのかと思いきや、やっぱり近鉄は上本町が大事なのである。
ここには展示されていないが、志摩観光ホテル、あれなぞも世界的に牡蠣の美味しいホテルとして名高いが、やっぱり村野、やっぱり近鉄。

宝が池プリンスホテル(現グランドプリンスホテル京都)1986― これもドーナツ型のたいへん面白い建物で、わたしは「客家」ハッカのようだと思った。
やはりミニバルコニーが可愛い。

三養荘新館 1988―  ここは行った。その時の記事はこちら

・住宅
これは前掲の展覧会の内容と同一なので挙げない。
資料自体がここでは減っているのが残念。
イメージ (72)


長くなりすぎるので、一旦ここで終わる。

村野藤吾の建築 模型が語る豊饒な世界 2

村野藤吾の仕事をみる。

・オフィスビル

加能合同銀行(現・北國銀行武蔵が辻支店) 1932 夜景写真の綺麗さに衝かれた。いいなあ、いいなあ。
五月にわざわざ行ったのに近江町市場でゴハンゴハンという気持ちが強くて、結局みつけられなかった。いや、スルーしてしまったのだ。
窓の作りがとても魅力的な建物で、これは曳き家工法で移動して保存。

紙卸商中島商店 1932 シンプルな形で町にマッチ。これは見覚えがあるが村野の作品だと知らずに通り過ぎていた。

宇部窒素工業事務所(現・宇部興産宇部ケミカル工場本事務所) 1942 軒裏のタルキがとても印象的。

神戸新聞会館 1956 現存せず 地震の後、なくなりましたわ。今はミント神戸。全壊したからなあ。
模型は1995年以前の形容。

このあたりの現物写真が壁面展示されているが、もう本当に面白いことに大阪の建物は行ったことがないところでも、「あっここ大阪やな」とわかる。
ただし本町だからわかったのかもしれないが。
その大阪本町の二つの建物。

輸出繊維会館 1960 これは白のトラバーチン貼りで、玄関ホールに堂本印象のモザイク壁画があるとか。心斎橋に面している。実はまだ入っていない。

森田ビルディング 1962 同じ備後町にあるようだが、あんがいその通りをゆかないもんで。こっちのビルは玄関が備後町に向いてるそうな。 そしてどちらの写真を見てもやっぱり船場やな、という実感がある。

村野・森建築事務所 1966  あべので今も活躍中、写真で見る限りはなんだか全くわからないほど街に溶け込んでいる。
バルコニーに嵌め殺し。普通にへん、な感じがある。

・大学、研究所

ドイツ文化研究所 1934―1974  場所は今と同じらしい。いい建物そうなのにもったいないなあ。この後の建物でヘルツォーク「コブラ・ヴェルデ」上映会があった。
可愛い模型である。

早稲田大学文学部校舎 1962 戸山の方の。一部保存か。

甲南女子大 1964 6つの棟を建てている。ヴォーリズの神戸女学院同様、全体をこのように整えるのは楽しい仕事だったろう、と勝手なことを考える。

日本ルーテル神学大学(現ルーテル学院大学) 1969  大きい模型で四人がかりで製作。
三鷹は素敵な建物が多い地区。とても惹かれる。

・アンビルト
設計はしても実際に建たなかった建造物。

ダンスホール計画案 1933  京都の東山に予定されていたそうだ。洛東会館とかいう。
ホール、客席、ステージとはっきりと分かれている。

大阪メトロポリタンホテル計画案 1933 上から見れば斜め切り。裏には非常階段。角にガラスが出ていた。

中山製鋼所附属病院計画案 1937 大正区に予定されていた。塔屋があり、サクマのいちごミルクを中抜きにしたような形。

川崎会館計画案 1937 神戸の記念館の近くに予定していたのだろうか。

宇部ゴルフクラブハウス計画案 1937  和風空間を供えた素敵な建物。一階と二階の構造が興味深い。

宇部油化工業硫安倉庫計画案 1940 接岸可能で船による輸送を考えていたらしい。
かまぼこ型の工場。ちょっと面白い。

宇部図書館計画案1949 円筒型。壁面収納型。欧米によくあるタイプ。

飯田家納骨堂計画案 1951 高島屋の飯田家。

志摩グランドホテル計画案 1973 1室ずつのバルコニーで雁行ではないが、位置関係がなかなかいい。

・交通

橿原神宮駅 1939 ああ、あれか!大和棟の大屋根の駅。大林組が施工している。

名神高速大津レストハウスの上がり下り 1963 現存していたらなあ。ガラス張りの素敵なレストハウス。

・教会、修道院

南大阪教会 1928 こちらもあべのに現存。十字架の下の装飾が素敵。

世界平和記念聖堂(カトリック幟町教会)1954 こちらに前述の彫刻が入る。
模型もよく出来ている。

西宮トラピスチヌ修道院(現・シトー会西宮の聖母修道院)1969  閉鎖されているのを感じる。当たり前だが。

・庁舎
4つ出ているが全て現存である。

大庄村役場(現・尼崎市立大庄公民館) 1937 これは尼崎の誇りの一つ。模型も素晴らしい。

横浜市庁舎 1959 見に行きたい。見てない。

尼崎市庁舎 1962 透視図もいい。

宝塚市庁舎 1980 …ここねえ、ついこないだトチ狂った男がガソリン撒いて火をつけたなあ。
ひどいやつや。建物には何の罪もないのに。

・百貨店

そごう大阪1935―2000 これについてはかなり言いたいことがある。
模型もよく出来ている。彫刻が見当たらないのが残念。あるのかな。
実際の建物は非常にシャープで、なおかつ外壁のところどころに羊などの彫刻があり、内部の装飾にもよいものが多かった。
隣接するヴォーリズの大丸のネオ・ゴシックの見事なたたずまいと対照的な装いがかっこよかった。この二つの立派な百貨店があることで、心斎橋はキタや難波とはまた違う佳さを持っていたのだ。

だが、商売がおいおい成り立たなくなった。
それは決して建物のせいではない。はっきり言うが、経営方針がしっかりしないのと、従業員がダメダメばかりしかいなかったことが原因の大半を占めている。
わたしが子供の頃は親や祖母の好みもあって大丸ばかりで買い物をしたが、大学の頃はそごうにも出かけてみようと足を運んだが、客より店員が多いという惨憺たるありさまだった。しかも店員たちは努力も何もしない。ただ喋ってるだけ。
そごうで集客していたのは当時ミナミで唯一常設販売していた昆布の「神宗」と中華のイートイン「551蓬莱」だけだ。
自分のところの努力不足が最大の原因のくせに、あろうことか幹部が村野のこの建物に対して「うちがお客を呼べないのは古臭い建物のせいだ」とぬかしたのである。
当時新聞に出ていたその談話にはまさに怒髪天を衝く、というほどの憤りを感じた。
行ったことのない人ならそうなのか、と思うかもしれないが、つぶさに状況を見、買い物しづらいな、店員教育ダメだな、と見知っているわたしたちにとっては、本当に呆れてものも言えなかった。
そして村野の建物を壊して新しいものを拵えたが、五年も保たなかった。
今度は完全に建物のせいではないよね。なにしろ「新しい建物で綺麗なお買いものを」とか言うていたのだから。そして心斎橋の灯を消すなと大丸が購入したのはよかった。
(その大丸も経営陣が没義道なヤカラであるため、悲痛な運命が待っている…!!)

村野の建物を保存し活用し続けているところはいずこも誇りを持って、そのことを世に紹介している。
そごうも大丸もそのことをよくよく考えるべきなのだ。

大丸神戸店 1936  現在のものではない。この時代の建物は今竹七郎が勤務していた頃か。窓の構造がかっこいい。

丸栄百貨店 1953 手は加わっているようだが、今も基本は変わらないようだ。外壁がいかにも村野的な作風。これは今度名古屋に行ったときに見に行こうと思う。

・日生岡山駅前ビル(現・岡山タカシマヤ)1973 屋上で小さい遊園地もあるようだ。
模型にはそれはない。しかしこの屋上は確かに使える構造だ。
姫路のヤマトヤシキにも少し似ている気がする。
あちらは今回紹介されていないが、窓の飾りがいかにも村野的。

・美術館
全て現存。

小山敬三美術館 1975 ここには1990年頃に行ったと思う。すっきりした建物だった。

八ヶ岳美術館(原村歴史民俗資料館)1979 上から見ると円いもこもこの連続体。それが緑の中に鎮座する。前から見たら丸いバンガロー風でかわいい。
とてもユニークな構造をしている。

谷村美術館 1983 糸魚川の翡翠を庭園に置いてある、というのを前の村野の展覧会で見た。この建物には何やら圧迫されてしまう。

・東京
こちらは一階に設置されていて、ここだけ写真撮影可能だった。



















森五商店(近三ビルヂング)1931 村野の独立後第一作目。

讀賣会館ビックカメラ有楽町店 1957 新幹線が東京駅に間もなく到着ですとアナウンスしているとき、必ず窓から確認する建物。

日生劇場 1963 内部装飾の素晴らしさは汐留ミュージアムで強く紹介されていた。

千代田生命本社ビル(現・目黒区総合庁舎)1966 これがあるからこそ、目黒区美術館は村野の展覧会を開催しているのだと思う。

日本興業銀行本店(現みづほ銀行本店)1974 ここは正直、村野とかそんなことよりなにより、「…不安を感じる構造」だと思った。最初に見たときはまだ興銀のだったが、崩壊直後だったから、余計にそんな暗さを感じたのかもしれない。
そして現在、ここをはじめ、銀行協会もふくめて再開発という話が出ているそうだが、銀行協会のファサード保存した建物ももったいないな…

西川商店計画案 1937 実現せず 布団の西川である。模型を見ると、これはこれで面白いので、実現していたら日本橋のランドマークの一つになっていたかもしれない。

東京都庁舎計画案 1952 実現せず このコンペは村野が一番年長さんだったそうだ。
裾がちょっと不安な感じがする。正倉院?ぽいような。

大阪ビルヂング八重洲口(現・八重洲ダイビル)1967  ガラスのファサードが目立つ。

松寿荘 1979 実現せず 出光の迎賓館として、数寄屋造りで、という話だったらしい。いい模型。港区に作る予定だったのか。

文京学園仁愛講堂計画案 1984 実現せず 本人も施主も亡くなったからなあ…とはいえ、オフィスはここの仕事をしている。

長々と個人的な偏見に満ちた感想を挙げた。
たいへん時間をかけて見学したので、色々と予定が狂いそうになったが、本当に良かった。
9/13まで。

まるごと佐野洋子

神奈川近代文学館で開催中の「まるごと 佐野洋子」展にいった。
近代文学館へは隣の大仏次郎記念館ゆかりの「霧笛」橋を渡らねば行けない。
イメージ (65)
朝一番に入る。展覧会の副題は「100万回生きたねこ」から「シズコさん」まで である。

入り口にふわもこの触っていい展示がある。
これは実際に原宿あたりだったか、展示されていたそうだ。猫の影二つ。
最近はふわもこの巨大猫ポスターなどがわりと駅などに展示されているようで、「クロネコヤマト」のふわもこを思い出した。
子供向けワークシートというかクイズを手にしながら展示を見る。

佐野洋子といえばわたしの場合やっぱり猫が思い浮かぶ。
彼女の猫の絵本だけでも何種も瞼に蘇る。
自分が持つのは「100万回」と「おれはねこだぜ」だが、別役実原作の「ねこのおんせん」もたまらないし、「さかないっぴきなまのまま」の五歳の猫はかわいいし、といくらでも言葉が浮かんでくる。

作品が教科書にもたくさん採用されていたことを今回初めて知った。
そして彼女が束見本を重宝していたことに、とても好感を持った。ノートにしたり構想を書いたりした、というのが素敵だ。わたしはそうしたことをする人が好きなのだ。
なんというか、わざわざのことをせず、手に入ったものを機嫌よく使う、という行為をする人に好感をもつのだ。

原画をみる。
タイトルの次に初版年を記す。
イメージ (68)

おじさんのかさ 1974  おじさんの頑なな心を変えたのが子どもらの歌声だというのがいい。
使えないものはそのままにしていてもいいが、使うべきものを使わないのはやはり楽しくない。
おじさんが変心してくれてよかった。
青黒い服と帽子のおじさんが明るい心持ちになるのが伝わってくる。

だってだってのおばあさん 1975  毒がない分、素直な可愛らしさがある。五歳の猫が誕生日のケーキに指すローソクを折角買いに行ったのに袋を落として破いてしまい、五本しか残らなかった、という事件がある。猫は泣くしかない。ここの文章が作中でも特に好きだ。
責任を追及するのではないことにとてもほっとした。
昔、初めて読んだときにそんなミスをしても怒られずにすんだ猫をとてもうらやましく思ったのだ。   
わたしはつまらないことでも激しく叱られて育った人間なので、よけいに強くそう思うのだろう。

結果としておばあさんは「五歳」になり、「五歳だからしてもいい」と川をジャンプしたり、五歳の子どもが楽しめることをする。ただ、猫は心配する。おばあさんのケーキはすごく美味しいのだが、五歳になっても作れるのかな、と。
明るく優しい橙色が目に残る絵本。

わたしのぼうし 1976  幼い兄妹の背中が愛らしい。実際に佐野洋子の幼い頃の写真が展示されていた。帽子をかぶり、並んで座る後ろ姿の兄妹。
小さい子どもの帽子との関わりはせつなさを含むものが多い。
この作品では気に入らない新しい帽子にちょうちょがとまってくれたことで「わたし」は帽子を好きになったのだ。
ほかで子どもと帽子が重要な役割を果たす作品を少しばかり参考までに挙げる。
山岸凉子「わだつみのいろこのみや」ではココア色ののお洒落な帽子が後の惨劇を招き、森村誠一「人間の証明」では西条八十の詩がモチーフとなって、麦わら帽子の悲しい殺人が起こる。いわさきちひろの絵本「おにたのぼうし」もせつない。

おぼえていろよ おおきな木 1976  これはタイトルだけしか知らない。おじさん、アホやなあ。この木になんでヒステリー起こすかなあ。木を切り倒した時の満足そうなツラツキもすぐその後の状況で変わる。そう、なにもかも台無し。なんにもできなくなる。
こんなおっさん大嫌いなのよ。考えなしでとんでもないことしてまう奴って。
新しい芽が出てきて懸命に育てるのはいいが、たぶん元に戻るのはおっさんの死後でしょうなあ・・・
しかし罪のアガナイとして、やはり新しい芽を守り育ててほしい。

空とぶライオン 1982  色彩設計が好きだ。オレンジ色を中心にして青系色を使う。とても素敵な色合い。
それにしてもこれはいかん、ライオンも猫たちをなんで養い続けるのか。
わたしは自分が会社員だからか、どうもこういう関係をみていると、本気で腹が立つのだ。
ライオンが「つかれた」と泣くところを見ると宮沢賢治「オツベルと象」を想った。
象にしろライオンにしろ気がいいばかりに利用され尽くしてしまう。というても、要領のいいヤカラにはなってほしくないし・・・
疲れて深く眠り込み、石になったライオンが優しい子猫の言葉で復活するのはよかったが、しかしその後はどうなるのだろうと心配がある。

あのひの音だよ おばあちゃん 1982  なんというか、アメショーの猫とおばあさんが、特別な黒猫さんが来てからどんどんダメになって行くのがすごい。大抵こういう場合、スゴいのが来るとみんなのレベルアップが図られるわけだが、そうではなくダメになるところが凄い。
そう、日常を大切に生きていく上では、こんな特別はいらないのでした・・・

なにかしら向上を目指しているのならともかく、そうではなくささやかな日常を大事に生きているものたち、それを描くところがやっぱり佐野洋子の<凄い>ところだと思うのだ。

100万回生きたねこ 1977  何からこの絵本を知ったのか、今となっては思い出せない。
1988年正月、この本と近藤ようこ「美しの首」を同時に買った。どちらも偶然ではなく買う気で買いに行った本。そして今でもどちらも大事にしている。

解散前のOSKでもミュージカル化したのを見に行ったが、本質を過たず演出され、とてもよかった。
多くの人がこの絵本を大事に思う気持ちも共有している。

今回、使われていない画も出ていた。文も推敲を重ねたことがよくわかる。
最初は様々なパターンでの、しかしながら繰り返しの描写が続く。猫の顔つきがその時々の飼い主に近いのが面白く、文章にびっくりもした。
なにしろこうした文章は1920年代の村山籌子くらいしかなかったと思う。
やがて猫が初めて愛を知り、家族を作り、ついには死を迎えたとき、深い感動が胸に満ちてきた。
やはり今もすばらしい作品だと思うし、いろいろ思うことがある。
今回、改めてそのことを想った。
イメージ (67)
前回展覧会のチラシにもこの猫が使われている。

ふつうのくま 1984  タイトルは知っていたが中身は知らず、今回紹介されているのを読み、原画を見、もう、本当に感動した。

くまの家の床下に住まうねずみは慎ましい性格で、くまとも仲良く暮らしていた。
くまも普通に暮らして生きたい一方、先祖代々伝わる赤い絨毯に乗って空を飛ばねばならない、と思い悩む。
一緒にごはんを並んで食べるねずみの可愛らしさ。丸い耳で小さい体。くまは悩むような顔つき。
くまはとうとう決心する。
赤い絨毯に乗って空を飛ぶ勇気を示す行動にでるのだ。
そのときの描写がスゴい。
くまが武者震いしてやる気を示すのを「まるでくまみたい!」と表現しているのには笑ってしまった。
泣きながらねずみが止めるのも聞かず、断崖絶壁へ向かうくま。無言のままで向かう姿を泣きながら見守るねずみ。
くまは断崖まで来たとき、下を見て、あまりの恐怖にへなへなとへたりこんで動けなくなる。
でもそれでもくまは決心を変えることはない。

やがて崖から赤い絨毯が飛ぶ。
それをみてねずみがダーッと滝のような涙を流す。
「飛んだんだ、うわー」と涙を拭いもせず、ねずみはつぶやき続ける。
このシーンを見て、こちらまでねずみ同様こみ上げてくるものがあった。
くまに感動したのではない。ねずみに感動したのだ。わたしまでわけのわからん涙がにじんできた。
ぐっぐっと盛り上がる涙を止めるのに苦労した。

しょんぼりするねずみの前にシロクマになったくまが現れる。恐怖の余りに白髪になっている。
最後、二人は並んで風に吹かれる。ねずみとシロクマである。あのとき普通じゃなかったよ、とねずみは言う。
そしてそのまま二人はこれからも一緒にくらすのだろう。

わたしは、この絵本を何が何でも買おうと決めている。

ねぇ とうさん 2001 こちらのくまはまことにくまらしいくまで、刊行当時読んで「いいなー」とそのくまらしさというか父親らしさにかっこよさを感じた。
くまの子がその父くまを誇らしく思いそれを口にする。
それに対し父くまは静かに答える。
「おれはただくまらしいだけさ。くまだからね」
かっこええがなー。
先のくまとこのくまとの比較なんかしてはいけない。
このくまの話はむしろ欧州的だと思うのだ。

イメージ (66)

絵本から少し離れ、エッセーや彼女自身の履歴を追う。
幼くして死んだ兄への想いの深さが染みる。
「わたしはそうは思わない」「私の猫たち許してほしい」
このあたりを読んだ頃、わたしはまだ二十代はじめだった。母と同世代のパワフルな女の人の迫力に負け、逃げ出した。
ここには出ていないが、短編小説集「乙女ちゃん」を読んだときは絵本とエッセーだけの方がいい、と思ったものだ。

やがて谷川俊太郎へのすごい数の手紙のことを知ったが、ここでもいろんな人へ送った手紙が展示されていた。

三木卓との長い友情、彼とのコラボ。
岸田今日子との心通じる会話、舞台、絵本。
多くの人々との関係。
様々な人間関係の中でいよいよ深まる想い。
熟成された感情が非常に興味深い。

彼女が予備校生の頃から「ジロチョー」とあだ名されていたこと、山本容子からエッチングを習ったこと、それらは今回初めて知った。

母「シズコさん」との確執は何かの折りに読んで知った。
幼い彼女が母の手を求めたのに、母はそうと知りつつ拒絶するのだ。兄にだけ愛を注いだ母。読んでたまらなかったことを思い出す。

だが、そのシズコさんとの確執を彼女はあからさまにし、認知症となったシズコさんの言葉をメモり、出版する。
母親と娘との関係の業の深さを感じ、わたしは逃げた。
内田春菊からの手紙を読んで、いよいよおののいたのだ。

やがて死を迎える日々。
佐野洋子のその日々を資料で追う。
思うことが多い。
だが、わたしにはほんとうにはわからない。
彼女が手術を受けた2004年、世田谷文学館で展覧会があった。
11年前だったのか。あのころの資料を出してみるか。
そんなことを思いつつわたしは展覧会を見終えた。

クイズのゴールではスタンプを押し、はがきをもらった。
既に佐野洋子は死んでいるが、しかししょぼんとすることはなかった。
なんだか妙に元気になっている。いや、それどころか佐野洋子の力強さがこちらにまで影響を及ぼしている。

文学館から駅に向かう道には橋がある。大仏次郎記念館ゆかりの「霧笛」橋である。
しかし佐野洋子展を見終えた今、その橋の名は「無敵」橋に変わっていた。
わたしはグイグイ歩きだした。自分まで無敵になった気がした。

佐野洋子展は根性のない人をも元気にしてくれる力に満ち満ちていたのだった。
9/27まで。

日本の子どもの文学

国立国会図書館国際子ども図書館の企画展をみた。
「日本の子どもの文学」である。
イメージ (50)
チラシに紹介されたのは大正の子ども文学の「赤い鳥」誌、半世紀近い前に刊行され、今も読み継がれる「車のいろは空のいろ」、21世紀のファンタジーの雄「獣の奏者」である。
わたしの好きな山吹色のチラシが嬉しい。

5章にわたる展示にはそれぞれの時代を代表する本が出ていた。

イメージ (53)

1.「赤い鳥」創刊から戦前まで 「童話」の時代
正直な話、この時代の童話、童画、童謡の素晴らしさは他の追随を許さぬものだと思う。
後の時代にも名作が多いことはわかってているが、この時代なくしてはそれは成り立たなかったように思う。

「赤い鳥」「金の船」「童話」といった幼年向け童話、「少年倶楽部」「日本少年」「少女倶楽部」「少女画報」などの少年・少女むけ雑誌の充実。
宮沢賢治らの登場もある。「注文の多い料理店」のブラックユーモア。ここには展示されなかったが、武井武雄「ラムラム王」、初山滋「食べるトンちゃん」、樺島勝一「正チャンの冒険」などは今日でも決して色褪せることのない面白さをみせている。

リーフレットの表紙を飾るのは竹久夢二えがくゾウさんの話だが、こんな豊かな物語世界のある時代だったのだ。
イメージ (52)


2.戦後から1970年代まで 「現代児童文学」の出発
わたしが子どもだった頃、幼稚園や学校で読んだ児童文学は大方この時代のものだった。

戦後すぐの出版文化といえばカストリ雑誌、これに尽きるのだが、児童書もまた紙質は悪いが多くの作家が熱心に書き倒して隆盛をみた。
雑誌「赤とんぼ」「銀河」がある。表紙絵がどちらも魅力的。前者はファンタジックで、後者は正倉院御物から。

壷井栄「二十四の瞳」を久しぶりにみた。これはむしろ映画の方が心に残っている。

佐藤暁名で刊行された「だれも知らない小さな国」、いぬいとみこ「ながいながいペンギンの話」が出ている。
二人は長崎源之助らと同人誌「豆の木」を創刊し戦後児童文学の新たな道を開いた。

わたしは佐藤さとる名義の「だれも知らない小さな国」「豆つぶほどの小さな犬」をはじめとしたコロボックルシリーズを偏愛している。
今も深く愛し、戦後文学に佐藤さとるがいてくれてよかった、と心の底から感謝している。

前掲の「車のいろは空のいろ」はあまんきみこ作・北田卓史の童話で、ここから谷山浩子がアルバムを作ってもいる。
北田の絵は暖かみとそこはかとないユーモアが漂い、北田の絵が更にこの本の価値を高めたと思う。
北田の作品では大石真「チョコレート戦争」と並ぶ名作だといえる。


3.1980年代から1999年まで 児童文学の現在
4.現代の絵本 戦後から1999年まで
この時代の児童文学といえば「ズッコケ三人組」シリーズ、「はれ、ときどきぶた」などが思い浮かぶ。
そしてだんだんと重い話が増えてくる。

「ズッコケ三人組」が40代になり、それぞれ病気を抱えたり会社や家庭に悩んだり、不倫もちょっとばかり、というのが出たとき、びっくりしたと同時に「よく書いてくれた!!」と思ったものだった。

1990年代からわたしも各地で絵本原画展を見に行くようになり、物語からは離れつつ、絵には近づくという状態になった。
だからむしろ書き手より描き手の方の作品に親しみを持ちつつ、並ぶ作品を追っていった。


5.子どもの文学のはじまり
これまでの章の展示物と重複するところもあるが、それだからこそまた楽しめた。

ここで終わるわけではない。
6章として「21世紀の子どもの本」があり、また海外の児童文学紹介があった。
すてきなポスターだと思う。どのような物語かはわからないが、なにか心惹かれる。
イメージ (54)

長い期間だからうっかりしてたが、行き損ねなくてよかった。この展覧会は10/31まで。

ブライティスラヴァ 世界絵本原画展

うらわ美術館で恒例の「ブライティスラヴァ 世界絵本原画展」を見た。
イメージ (48)

毎年の「ボローニャ絵本原画展」は若手・アマチュアの作家の登竜門である。
こちらの「ブラティスラヴァ」は二年に一度開催の「出版された絵本の」原画展であり、芸術性の高い作品や実験的でユニークな作品が多く集まるコンクールである。
BIBと通称されるこの展覧会は間に内戦を挟んで、今もスロヴァキアの首都・ブラティスラヴァで開催されている。

わたしは審査員ではなく、一観客であり、しかもただの気ままで偏食気味の客なので、好きなものしか見ず、好きなことしか書かない。

著者名・タイトル・刊行年・出身国または刊行国・BIBでの受賞。

エヴェリーネ・ラオペ&ニーナ・ヴェーアレ 大洪水 2011 スイス グランプリ 
ノアと動物たちの様子を描く。船の建造ではゾウさんがよく働いた。何故か知らんが猿は泣いていた。マントヒヒもいる。
そしてようよう船に乗り込み。これが殆ど密航船でぎゅう詰め。息苦しそう。

面白いのはこの本には原寸大と小型のダミー本などがあること。
そしてヴィジュアル的によかったのは、船内真っ暗な中、動物たちの眼ばかりがぎらぎら輝いていること。いろんな形の眼が一堂に会しているのは面白すぎる。

きくち ちき しろねこくろねこ 2012 日本 金のりんご章  
仲良しの白猫と黒猫の話。いつでも白猫ばかりが「白くて綺麗」とほめられ、揚句は夜に白猫から「どこにいるの?」と真横にいるにもかかわらず言われたことで、落ち込んだ黒猫が一人で花畑に入ると、追いかけてきた白猫が「黒いからすぐわかる」と言う。猫たちは再び仲良くなる。

これは白と黒への厳然たる差別意識を問題にしているのか。言うてはなんだが、白猫と黒猫の場合、大抵顔の可愛いのは黒猫ですがな。白猫で可愛い顔と言うのはめったにいない。
そして白は大抵雌、黒を雄という役割に固定している。
それは「リサとガスパール」「黒いウサギ 白いウサギ」「モモちゃんとプー」でもそう。プーは黒猫、奥さんは白猫の<ジャム猫さん>。
ただ、エミール・クストリッツァ「黒猫・白猫」では黒が雌だったが。

二匹が共闘して暮らし、他の猫とケンカした後一緒に血まみれの体を川で洗うシーンはよかった。

レナーテ・ハビンガー もうお眠り、小さなラクダ 2012 オーストリア 金牌
青く黒い夜。いろんな質問をするラクダの坊や。それが描かれている。
そしてその質問や答えとは少し違う絵がある。
サイとシロクマ、月下を飛ぶ男女、チカチカする星・・・

このあとスロヴァキアの絵本が二作続くのだが、どちらもダニエラ・オレイニー・コヴァーの作。具象と抽象表現とを使い分けているが、内容にはハッとなるものがある。
認知症の祖母、首をくくる女などなど…

アンヘラ・カブレラ ハーメルン 2012 スペイン 金牌
ネズミ側からの視点=ネズミの死、そして子供らの消失。
この笛吹男は1960-1970年代の劇画風キャラ。

イライア・オキナ お月様が目をさましたから 2012 スペイン 金牌
リアルな絵で、母の死とその後を描いた。
3点目の「父さんと母さんは愛し合っていた」場面は日本では決して描けない絵だと思う。

ウェン・シュウ=チェン 見えないおはなし 2013 グアテマラ 出版社章
点字本を見いだし、それを認識するという展開なのだが、これは本の構造がすばらしい。ちぎった紙や切り抜きを使って構成している。見えないが、わかるもの。

イ・ギフン ブリキのクマ 2012 韓国 子ども審査章
これは…ちょっと日本のSFマンガの影響を受けたのかなあ。思い当る人が何人か浮かぶのだけど…
巨大な熊だけど集合体である、というところとか、生き残りの少年との関係とか、巨大であることの意味とか…地球再生だからなあ。
うーん、どういう作者か知らんけど、ちょっとオリジナリティに欠けてるような気がしたのは、わたしの気のせいかな…

イメージ (49)

次は日本の作家の作品。
井上洋介 馬の草子 2012  もうほんと、大好きですよ、これ。刈谷市美術館での井上洋介展で見て大ウケしたものなあ。
その時の感想
物語をここに再掲する。
ある橋がかかる川があり、その橋を渡る人は中世の頃からずーっと誰もが皆<馬になる>のだ。
橋を渡り終えると元に戻る。橋を行く間は馬になる。
ヒトだけではなく犬も通れば馬になる。変わらないのは馬くらい。
そしてラストがすごい。
「そうしていまでもずうっとここにあります。」
馬と橋とが描かれたずっと向こうに町があり、車が走っている。
…びっくりしたわ。

去年の正月にみたが、やっぱり面白かった。

木内達郎 あかにんじゃ 2012  これは赤い衣を身に着けた忍者で、やたらと目立つ。あきませんなあ。白土三平かて言うてはりますやん、「闇に生まれ闇に死す、それが忍者の定めなのだ」と。「賢明な読者諸君」の一員たるわたくしにもわかりますがな。
でもこの赤忍者は平気で赤い衣で、突然赤いものに変身する。
夕焼けにまでなられたら、そらあきませんわ。負けました。

スズキコージの日本民話「わかがえりの水」、田島征三の反戦もの、降矢ななが安房直子の原作を描いた作品も心に残る。

広瀬ひかり マルマくん、かえるになる 2013  カエルが可愛かったなあ。5点ともみんな可愛いカエルだった。口が大きいのがいいのかなあ。

次は近年の世界の絵本を集めたもの

マルジャーン・ヴァファーイヤーン ビージャンとマニージェの結婚 イラン
敵国の王子と王女の恋物語と二人を救う英雄の話。
イランも絵本は素晴らしいものが多い。もっとこうして世に出てほしいと思う。

フェリドゥン・オラル 赤い羽根のフクロウ トルコ  友達のネズミ君の一生懸命さと、よくない結果とがいい。昔はこうした空回りが大嫌いだったが、年を取ったせいか、まじめに懸命にした結果を嫌がることはなくなった。

ベティ・ボーン プルーストのマドレーヌ フランス  「失われた時を求めて」の例の紅茶にマドレーヌを浸した匂いに触発されて記憶が蘇る…そのエピソードを描いている。

トビアス・クレイチ 赤いバスケットシューズ ドイツ  戦場へ入った報道カメラマンの見たものたち。9歳の少年がテロに巻き込まれ折角の赤いバスケットシューズをはいた足が飛ばされ…そして死ぬ。
テロの本質を捉えた作品。到底日本では出版されまいが、こうした作品をこそ読まねばならない。

ルカーシュ・ウルバーネク バボチキ チェコ  不思議な妖精と言うか可愛い丸顔・丸い目玉のバボチキの行動。子供らにも親切、しんどい大人にも優しい。その正体は!!!??? 
正直びっくりした。死んだ爺さん婆さんやなんてなあ。
顔はティム・バートン描くステイン・ボーイが元気溌剌になったような感じ。

イヴォナ・フミェレフスカ 女の子の王国 韓国  非常に抑制のきいた筆致。
ドローイングとコラージュが見事にマッチしている。
初潮を迎えた日、布団にくるまる少女。その布団をレースのハンカチで表現。
すごいな、テーマも。驚いた。
こうした少女の鬱屈と立ち直りとを描いた作品を今の世にもっと出してほしい。

ウルマス・ヴィーク アウグスト・タムの日記 エストニア  1925年くらいが舞台で波乱万丈の生涯を送った男の話。最後は処刑されて終わる。
コンラッド「ロード・ジム」アンデルセン「砂丘の物語」を思い起こす。その系譜に並ぶ男。

毎回興味深い作品・長く心に残る作品を贈りだしてくれるBIBに感謝。
またうらわ美術館で開催された時には行こう。8/30まで。

生誕130年記念 前田青邨と日本美術院 大観・古径・御舟

山種美術館で「生誕130年記念 前田青邨と日本美術院 大観・古径・御舟」展を見てきた。
会期も6/27-8/23と2か月だったので油断してたらこんなに終盤になってしまった。
もう後2日しかないですがな。
イメージ (46)

1.日本美術院の開拓者たち

雅邦 
日本武尊像 これはねー、正直に言うとわたしのアイドル・ヤマトタケルのイメージがおっちゃんになるので好きではない絵なのよ。ただ、1893年の日本画としてはむしろ同時代の油絵に近いものを感じさせられるのが面白くはある。
つまり「ダブルインパクト」とか「揺らぐ近代」とか「ぎょっとする」や「デロリ」の展示の仲間に近くないかな。

一葉観音 白衣観音が葦葉達磨のように立ってます。あら、ふと思ったが、達磨て9年座りっ放しで足がもげたのではなかったかな。

児島高徳 例の「天勾践ヲ空シウスル勿レ」書いてるところ。蓑を着ながら櫻に。

小堀鞆音 那須宗隆射扇図 カラフルで綺麗な配色。那須与一が出でましたところ。

大観
燕山の図 水墨画の佳さを感じさせてくれますな。中国の広さをしみじみ。
いい山、いい水、いい風情。

作右衛門の家 ホンマにこれは「まんが日本昔ばなし」に出てきそうな作爺。緑の中の小さな家に馬もいて、毎日よく働く日本の昔のおっちゃん。

梶田半古 
高尾図 茶色一色の着物。横向きで立ながら文を読む。髪は大きな輪を頭上に。

緑翠 万葉人が白馬を止めて野山を逍遥。

他に文藝倶楽部あたりで発表した口絵木版が2点。半古は「魔風恋風」はじめ当時の女学生を描いた挿絵・口絵で大人気だった。半古の展覧会は90年代初頭に奈良そごうで開催されたが、以後はないなあ。

観山
不動明王 ザ・筋肉。かっこいい体。スゴイ筋肉。薬やボディビルダーのそれではなく、鍛えて生まれた筋肉ですな。それが雲に乗り、風に乗り、手を前に突き出して止め男のような様子で飛んでくる。

老松白藤 金屏風にきらきら。観山の壮麗さがいい。

春草
釣帰 もあもあ朦朧とした中で釣りをしていた人たち。蓑に笠の子供もいる。

初夏(牧童) こちらにも蓑の子。牧歌的で、コロー的な雰囲気がある。川と牛と。

月下牧童 牛がモォー。こちらの牛はややリアルで先の初夏の牛とは顔が違う。男の子の顔もこちらの方がしっかりしている。先の二人は10歳前後、こちらは12歳くらいな感じ。
蛇籠もあり、働いている感じがはっきりする。

武山 秋色 トンボも飛んで黄昏もちかい。いい秋だなあ。

2.青邨と日本美術院の第2世代 古径・靭彦とともに

古径
闘草 室町頃の幼い男児と女児の立居。仲良しさん。

弥勒 大野寺の磨崖仏。この絵を見て、わたしは実物を見に行きたいと思うようになったのだ。大きな仏像と小さな人間と。

牛 白牛vs黒牛の角突きあい。闘牛というかなんというか、実は「黒毛和牛、わーい」と思ったことは内緒です。

菖蒲 赤絵の壺に活けられた花。壺には蝶の柄も入る。壺そのものもいい。絵として良く、やきものの絵柄を見るという目で見ても楽しい。

靫彦 
観世音菩薩像 右向いて立つ姿。戦時中から戦後にかけて描かれていたというところに、靫彦の心持が伝わってくる気がする。

平泉の義経 疑似父子としての秀衡公と義経と。秀衡公が存命なら、まだ義経も…気の毒な。この義経はなにやらたよりなげな風情がいい。
わたしは義経の物語はごく幼いころから大好きで、今でも義経の話が出ると必ず読んでしまうし、力が入る。
この義経をみていると川原正敏の義経に近い感じがある。川原の義経は頼りなく、哀れさが人の胸を打ち、それで周囲が力を尽くすというタイプだった。

出陣の舞 信長公が「敦盛」を舞う所、らしい。最近は子孫の信成くんの笑顔と泣き顔ばかりが浮かんでくるなあ。小袖は千鳥柄。

青邨 所蔵する13点すべてを展示。
浦島之図(下絵) 亀に釣りに海へという始まりで、結婚。鮫にエイもひーらひら。
7章で帰ることになり、亀に乗る。8章で膝を抱えてどうしようと困っている。
9章、煙で皺だらけの猿ヅラに。太古の人のようなスタイル。そう、「浦島子」の方かも。

武者の写生が2点。甲冑姿。

菊 ほんの少し咲く。

三浦大助 長命で高名な老武者。兜を抱えている。この人と武内宿禰と天海僧正が歴史に残る3代長生きさんでしたな。
いかにも青邨らしい、目のぎょろりとした爺さん。

蓮台寺の松陰 物思いにふけっている。

大物浦(小下図)と本画が出ている。ベストは国芳か青邨の大物浦だと思っている。
この絵の続きとして「知盛幻生」がある。どちらにも強く惹かれている。

須磨 熊谷が呼ばわるところ。まだこの時点では晴々した顔をしておる。

異装行列の信長 この絵の好きなところは周囲の親衛隊の少年たちの顔つき。別に美少年はいないのだが、なんだか絵になる顔つきばかり。

腑分 最初にこの絵を見たのは高校くらいの頃で、このパロディがOUT誌に載っていたので知ったのだ。刑死処分の若い女の肌は灰色になっていて、学究の徒たちはあくまでも真面目である。

鶺鴒 青さがいい。青邨の青の美しさはいつまでも目に残る。

夏蜜柑 わたしも好き。

イメージ (47)

3.紅児会の仲間と院展の後進たち
・同時代の日本美術院

土牛
城 姫路城の「ろの丸」からの眺め。いつ見ても迫ってくる感じがある。コンポジションに近いのかな。

犢 母牛の腹の下から顔をチラ見せする仔牛ちゃん。土牛の犢。うしししし。

青樹 丘に沿える道 緑が、べろーーーーーーーーと続いている。

御舟 
天仙果 イチジクに似てるなあと思いつつ調べたら「犬枇杷」と出た。ただし実は黒い。花はイチジクに似ているそうな。「こいちじく」とも言うみたい。
この絵のそれは青い実なのだが。

埃及土人ノ灌漑 エジプトツアーした成果。働く人々。カラフルな絵で、御舟の絵の内海外ツアーで描いた作品はカラッと明るいものが多い。

・紅児会の仲間たち

紫紅 
大原の奥 尼僧となった建礼門院らの姿。秋の野に立つ二人。

歓語 秋、高士二人が楽しそうにおしゃべり中。

古径
蛍 新興大和絵のようで、女車の前で蛍を放ち、女の気を引こうとする、いかにも好色そうなツラツキの貴人がおる図。

春日 棕櫚と白梅かと思う。なんでこの取り合わせなのかな。椰子ではないと思う。
そういえば中里介山「大菩薩峠」の未完の終章(になってしまった)のタイトルは「椰子林の章」だった。
全然関係ないが、そんなことを思いだした。

・青邨門下の院展画家たち

守屋多々志
平家厳島納経 厳島に平家一門が続々と到着しようとする様子。花やいだ一門。武士から貴族に転じてしまったことで滅亡へと向かったのだ…

聴花(式子内親王) この絵も本当に好き。銀色の桜が満開の下、薄暗い目の色をした貴女が一人。メタリックな配色とその表情の近寄りがたさにとても惹かれる。

平山郁夫
ロンドン霧のタワァ・ブリッヂ 金粉がすごいね。あれが霧なのかもしれない。

阿育王石柱 突き抜けるような青空に金の柱が空を貫くように立つ。

小山硬 
天草(納戸) 隠れキリシタンの少女が複雑な表情でマリア像を拝む。

天草 母子とパードレの洗礼の様子か。

最後に御舟の「炎舞」をみる。
小学生のときにこの絵に灼かれた。
それからずっとこの絵を見続けている。

暗い室内に炎が燃え上がる。床を見る。赤い炎が少しだけ映えていた。
かつて茅場町時代で見た日、黒い床が燃え上がっていた。
もうあの炎に会うことはないのだ。
だが、それでもこの絵からは離れられない。
まるでこの炎に飛び込もうとする蛾や蝶のように。


8/23まで。

秘蔵の名品 アートコレクション 美の宴

夏の東京と言えばホテルオークラで開催される「秘蔵の名品 アートコレクション」展が大きな楽しみとしてこの20年以上を続いてきた。
とはいえ、ホテル建て替えという事案が発生し、今年は例年のアスコットホールの開催ではなく、平安の間に移った。
イベント自体は当初の目的と変わらずチャリティ精神をもって続いてゆくだろうが、今のホテルオークラの建物での開催、という価値がなくなるのが淋しい。

イメージ (33)
今回は「琳派から栖鳳、大観、松園まで」というタイトルである。
栖鳳「アレ夕立に」が表に出ている。
わたしは一番最初に高島屋で栖鳳展をみたとき、この「アレ夕立に」と「絵になる最初」が目に入ったので、てっきり栖鳳を美人画家だと思い込んでしまった。
なにしろお弟子に名だたる美人画の大家・上村松園さんがいる。
松園さんのお師匠の一人やからこれは、と思い込んだのも無理はない。
その後色々見て行くうちに勘違いだと知るのだが、それでもこういう経緯があるからか、「アレ夕立に」を見ると、あのときの気持ちが蘇ってくる。

展覧会は3章で構成されている。
第一章 奏でる
イメージ (36)

歌麿 三美人 夏の事なのか、「暑いネ」「ほんにネ」と声の聞こえてきそうな三人の芸者たちが団扇片手に三味線の稽古中。緑青ふいた鼎型の水盤にはどうもタケノコのようなものが植わっているように見える。
ナマナマシイ実感のある絵。

松園 虫の音 萩の咲く庭に面した座敷で皆寛いでいる。虫の音と三味線との競演。
「彦根屏風」の雰囲気を採り入れた、という評もあるが、なるほど近世風俗画の趣が強い。

池田輝方 春秋図・秋
池田蕉園 春秋図・春
この夫妻の共作では蕉園の春は本当ににつかわしく思う。どちらもうっとり・おっとりした柔らかな絵である。
思えばこの絵は培広庵コレクション展で二度ばかり見ているが、今回久しぶりに観れてとてもよかった。
近年では2007年にうらわ美術館でこの絵を見ている。

木谷千種 鼓の音 細面の美人が鼓を打つ。彼女の絵は池田で時折見ることがあるが、なかなか大きな展覧会に出ないのが無念だ。これも培広庵コレクションの一。
イメージ (40)

東郷青児 村の祭 マンドリンを弾く女、アコーディオンを弾く男。色彩設計は抑えているが暗くはない。穏やかさがそこにある。

関雪 佳人聞香 たまに関雪の美人画を見ると、他の誰とも似ていないことを感じる。孤高の美。若い女が薄い胸をのぞかせながら香を身に染ませている。

第二章 舞い踊る
イメージ (37)

宗達派 扇面流図 朴の花、源氏絵などが描かれた扇面図。扇自体が踊るように波に乗る。

藤原貞幹(模本制作) 信西古楽図 墨絵で描く「新羅狛」などが妙に可愛い。手足も獅子。元ネタを知らないのでエエ加減なことしか言えないが、可愛いのは確か。なんだろう、この可愛さ。そして父子獅子もいる。

蘭陵王、萬歳樂などをモチーフにした作品もいくつかある。

岡田三郎助 道成寺 これは歌舞伎座の所蔵で、展覧会では山種美術館に一度出てきた。
「知られざる歌舞伎座の名画」展。その時の感想はこちら
五世歌右衛門の麗姿。sun908.jpg
絶世の美貌を謳われた時期の姿を捉える。

松園さんの名都美術館所蔵の「よし野太夫」「男舞之図」にも久しぶりに会えて嬉しい。
吉野石膏の「紅葉可里」も来ていた。
さすがにこの辺りは大勢のお客さんが一番喜ぶコーナーになっている。
イメージ (35)
舞支度の可愛い娘たち。

知る絵ばかりではない。
松園 花下舞踏之図  吉野石膏所蔵だが、初見だった。サントリー美術館、ニューオータニ美術館の所蔵する近世風俗画の「舞踏図」などと構図が近い。いや、舞の手が近いと言うべきか。
江戸初期までの女の舞手。そこへ花びらが落ちてくる。艶やかな作品。

松園 春衣 丈高い女が帯を締める様子を描く。
実はこの作品が陽明文庫所蔵と知ってびっくりした。
陽明文庫に近代日本画コレクションがあるとは思いもしなかったのだ。
他にも大観や観山の作品がここに出ていて、それからしても驚いた。
前述の関雪の佳人もそうだ。
ああ、奥が深い…
そしてそれをこうして世に出してくれたこの展覧会。
これぞ「秘蔵の名品」ではないか。

松園 古代汐くみ 踊りの「汐くみ」の様子をみせる。透ける衣が綺麗。松園さんは「汐くみ」がお好きなようで、このテーマの絵はほかにいくつか見ている。

華岳 少婦舞踊図 丸顔にさらさらと優しい目鼻立ちの舞妓さん。大正時代は丸顔が流行っていたそうで、愛らしい。着物は少し文様をにじませている。袖の牡丹を見ると、晩年の六甲住まいの頃の牡丹図を思いもする。

広島晃甫 玉乗り 明治末の曲馬団の女。肉襦袢を身に着けたむっちりボディにエジプト壁画のような横顔を見せる。
この数年後に戸張孤雁が彫刻で「足芸の女」版画で「玉乗り」などを世に出すが、肉襦袢姿のは同時代ではかなり扇情的だったのかもしれない。
背景の龍はむしろ西洋のドラゴン風。

岡本神草 仮面を持てる女 般若面を持っている。この絵も培広庵コレクションで、一別以来の再会。神草はたまに京近美に出たり、その近所の星野画廊に出たりするが、東京に出るのはまずないと思う。大正デカダンスの匂いに満ちた作品はやはり関西の方がいい。
イメージ (39)

深水 鏡獅子 思えば深水も同じ画題を何点も描く人だ。この弥生は向って右を向きながら獅子を持つ。ややムツカシイ面持をみせる。着物は薄い薄紅に白牡丹。爪が少し長いがその白さもいい。

橋本明治 舞妓 いかにも明治らしい大きな線で描かれた舞妓。白地に紅葉柄の着物を着ている。口元の薄い笑みがいい。自然のものではなく、訓練された美。それが身について、「自然な」美になっている。

森田曠平 遊楽図 ああ、これは好きな絵。肩裾模様が偶然先日東博で見たものと同じ。森田のこの時代までを描いた作品群はどれもこれもいい。
イメージ (41)

小磯良平 バレリーナ 顔はわからない。50年代の作品だろうか。肌の色がいい。

マティス ジャズ ここで連作ジャズがずらりと並ぶことで、リズムが生まれた気がする。とてもいい気持ちになる。

第三章 集う

宮川長亀 上野観桜図・隅田川納涼図  前者は女たちの花見の楽しそうな様子がいい。
後者は舟遊びの客に給仕したり三味線を弾く女形役者または色子らの艶めかしさがいい。
わたしなんぞは「白縫譚」の白縫大尽を装う若菜姫が吉原で遊ぶ、というのが楽しくて仕方ないので、こんな船に乗り、色子を眺めるのもさぞ面白かろうと思う。

抱一 四季花鳥図屏風 陽明文庫の所蔵品の中でも特に目立つ一品。春夏、鷺が飛んでくる。紫陽花、花菖蒲、牡丹の大きい花。
そしてむくむくと地から伸びだしたタンポポ、ツクシ、スギナ。左は秋冬で雉や鴫のそばには桔梗。目白は白梅にとまる。実に伸びやかでいい絵。

藤井松林 百福之図
河鍋暁雲 百布袋図
ぞろぞろ百人ずついる。
お多福の方で面白いのは最下の猫と一緒にいる連中。
腰に猫乗っけて猫と遊んで。
イメージ (38)

どちらの絵にも、諸星大二郎「妖怪ハンター」の「生命の木」に現れる「じゅすへる」の子孫らが死にもせず地底でうごめく「い、いんへるの」を思い起こしたとは到底口に出せない。

大観 竹林 墨の濃淡で清々しい竹林を描く。これも陽明文庫蔵。大観はこのくらいの小品の方がいいものが多い。

観山 嵐山・加茂川 こちらも陽明文庫。嵐山は桜の時期、嵐峡に筏師もいる。加茂川は夏。床が出ている。提灯にはお稲荷さんの宝珠の文様。
江戸時代のいつかの日。

今村紫紅 護花鈴 ああ、再会できるとは。三溪園での展覧会でみたのだ。女たちの息づかいまでが伝わってくるようだ。
太閤は桜でほぼ顔が隠れている。
近世風俗画が蘇ってきたような屏風。

青邨 唐獅子 威勢いいよな。鼻の穴の大きさがまた元気良さを示しているかのようだ。ヒカガミの毛も尻尾も鬣もフサフサして本当に元気そうでいい。しかも決して暴れん坊ではない。きりりとしたいい唐獅子たち。

中村貞以 単衣の人 これも培広庵コレクション。久しぶりです。ふっさりとパーマをかけて和装の若い女。
イメージ (34)
横溝正史の世界に現れる戦後美人のようだ。

ほかにもいい絵が多く来ていた。
展覧会は今日まで。
わたしは投票権を与えられたので、自分の思う「秘蔵の名品」を選んで投票した。
それが上位に行くかどうかはしらない。
でも、本当に「秘蔵の名品」が多く出ていたと思う。

ありがとう、ホテルオークラ…
そして素敵な作品を選んでくださった方々にも感謝したい。

東博で見たもの

好きなものだけ集めた。

真っ赤ですな。


孔子のグリーンスリーブス。

名馬を集めました。馬医と一緒。



大汝 オオナムジ か…そばにいるのはヌヒの小鳥ちゃん。

ウマに合う草。


鳥が刻まれた真なり釜。


ワシがサギを掴む。


他にも襲う。


わんこ。


背なに鯉の滝登り! 


ゾウも気持ちよくなりました。


虎クッション。
ちょっと物思いにふける。
「心配すんなよ」って虎が言うのも聞いてない。


元祖ベジタリアン?草食べタレントの先達?いやいや、薬の神様の神農さんです♪秋の祭が楽しみ。


応挙の写生、観察眼、画力の高さにため息。








歌麿えがく二人のお姉さん。




「斑女」のため、「斑女」である証。


抱一から其一への道のりを思わせる秋草文様。
少しばかり幽霊に似合いそうかと。


江戸市中の様子。

シャボン玉やな。
こちらはわんこ。


閻魔さん詣で。



仏とその影。


きらきら。



暁斎の地獄図


働く鵜たちだが、どこか怖い。


近江八景。








茶の湯に使われたりの裂














お猫様。


お猫様。

こちらは西洋美術館のアマン=ジャンの美人。


ホテルオークラの美人画。意外なところにある。






いいものをたくさん見れ幸せでしたわ。

島崎藤村旧宅と鴫立庵

大磯に晩年の島崎藤村夫妻が住んでいたそうだ。
えびさんのご案内で向かった。

町並みが昭和で止まっている。
むしろ戦前、というべきか。
関西とは全く違うコンセプトの民家。焼き板をそのままにした建物。
関西では木造モルタルになるべき民家。
狭い路地を歩きながら、それらを面白く眺める。
どこをどう歩いたか、島崎藤村旧宅に着いた。もう一度行けと言われても、わたし一人では不可能だろう。

開かれた門。

島崎藤村夫妻の紹介。


門の欄間。



中を見る。上がれないが。




ここから少し歩いて道路沿いの鴫立庵に。

流れが清々しい。


土間に立つ。高い天井。






句碑があちこちにある。
こちらは大磯らしく「大磯の虎」の碑。




動物文様。




他にもかなりたくさんあるのできりがない。

石組がユニークな井戸。

最後にマンホール





橋の装飾。

大磯駅


今度は吉田茂の旧邸にも行きたい。

八月の東京ハイカイ録 1

お盆を東京ハイカイしました。
展覧会個々の感想はまた別途に。

大阪も大概酷いが、東京も暑い。前に浅草の和菓子屋を舞台にしたマンガに、大阪の女職人が修行に来て「東京暑い、大阪に帰りたい」というてたが、しかし暑さに関してははるかに大阪より東京の方がマシ。作者は取材してへんな、と思ったものさ。

さて初日、いきなり横浜。神奈川県立近代文学館の佐野洋子展。
思った以上に良く、これまで猫ばっかり見てたけど、熊とねずみの魅力にキュンとなる。
「ふつうのくま」買わねば。

平日は見学可能な横浜地方気象台に寄り、写真パチパチ。
どことも気象台は素敵だ。

馬車道に着いたが、担々麺を思いがけず食べて、具合悪くなる。普段味の濃いものを食べないから目が回ったわ。

神奈川の仏像を歴博でみる。宋の影響を受けた仏の艶かしさ。しかし人と同じサイズの仏は怖い。巨大なのも怖いが。
浮世絵は霊験もの。いいのが多々あるわ。
この二つ見てから大磯に行く。

えびさんの個展。
面白い場所で開催。こうした場所がギャラリーになるのだね。まったり感がいい。えびさんの切り絵は立体的なのも多く、感心するばかり。わたしは羽根をモチーフにしたのが染められたミニトート購入。今回のハイカイのお供になりました。


えびさんのご案内で島崎藤村旧宅と鴫立庵に。どちらとも関西では見ない風情を見せる建物。良かったなあ~
いりくんだ場所にあるから、ちょっとわたし一人ではムリね。
海岸にも行く。
をを~太平洋!


波が来たーっ

鴫立亭でサバラン。

大磯駅の鉄路脇に白百合。

再び横浜に戻り、そごうで国芳堪能。昨秋のそごうの巡回。今回は図録購入。
やっぱり国芳が好きだ。
というところで初日は終わり。

二日目。
雨やと聞いたのでゴアテックス履いたが、なかなか降らんまま。
上野で一日過ごす気で居ったわけですが、まず科学博物館で挫折。
15分待ちやん。夜の方がマシやな、と東博へ。
東博の常設をぐるぐる。
いいものいっぱい。
それから特別展に行かず一旦出て、藝大へ。

「うらめしや」ですがなw
実に楽しい展覧会で嬉しくなったわ。
上から蚊帳吊ったのも楽しい。

ちょっと全生庵へ向かうのは今回やめた。また来年に行こう。
久しぶりにカヤバも愛玉子にも行きたいしね、その時にね。

ほんで機嫌よく幽霊画をみて、講談のVTRみて、それから子ども図書館へ。
ここでお昼食べてから、「日本の子どもの文学 −国際子ども図書館所蔵資料で見る歩み」を見た。
わたしは作品はそれ自体の価値しか見ないけれど、日本の児童文学史という中でその本がどのような役割を果たしたか、という資料や解説が提示されていて、なかなか勉強になった。興味深い展覧会だった。
好きな本が多いのも嬉しかったよ。

東博では特別展「クレオパトラとエジプトの女王」展。世界巡回展らしいね。
わたしは今回レリーフと装身具を見るのを主眼点に置いたわ。
すごく綺麗なレリーフをいくつも見た。豊かな頬に大きな目。
いいねえ。
スペシャルガイドリーフレットが「王家の紋章」で、けっこう皆さん買ってた。
この展覧会の前に久しぶりに文庫版でやけど、一気読みして、キャロルとメンフィスのシアワセを願ったりしたとこでした。
エジプトものはやっぱり「王家の紋章」が一番好き。「ファラオの墓」「ナイルの鷹」よりこっちなの。
しかし山岸凉子「ツタンカーメン」を基にした展覧会が見たいような気がするのも確か。
クレオパトラに至っては、手塚ではなく星野之宣「妖女伝説」が好きだったりする。

いい心持で次は一旦上野から離れて神谷町へ。
ホテルオークラの夏の恒例アートコレクション。
これまでの20年以上の歴史も一旦ここで終わりか。
わたし、2回除いて全部来てるものなあ。

培広庵コレクション、ウッドワン美術館からのお出ましのほか、陽明文庫からもまさかの近代美人画がどーーーんっっっ
びっくりです。あったんやなあ。
さすが学芸員さん、とうなりながらみておりました。

このように展覧会でたまに驚くものを観たりする。
それが出るのは学芸員さんらの努力というわけですが、わたしは<観る>、それだけに全力を尽くしているので、他のことはアタマが回らなくて、時々申し訳なく思う。ほんと、享受するばかりでごめんなさい。
尤も、だからこそ熱心に鑑賞するわけですが。この先もそのつもり。

上野に戻り、ボルドー美術館展をみる。
けっこう歴史をめぐるという感じの展覧会でしたな。
「フェードルとイポリット」にときめく。もともとこの話は好きだけど、このイポリットの美貌にときめいたなあ。
彼のオヤジの目つきは恨みと怒りに燃えてるが、ばかだよなあ、としか思えん。
ああ、綺麗な美青年。フェードルはエノネーに悪事をささやかれています。

常設の企画ではル・コルビュジエの版画を見たが、中に「裸の女王」ジョセフィン・ベーカーに夢中だったころの作品があり、びっくり。まあでも1920-1930年代、彼女に夢中になった人は多いよね。
写真家の名取洋之助もそうだったというし。わたしも見たかったよ。

とかなんとかいうてる間に7時前。黒雲もくもく現れたけど、アホなわたしは「夜の動物園」に行ったんだよな。
パンダを見に行くといきなりのざざ降り。ひーっっ
こんなに大雨降るなよ。
パンダはおっさんでした。

考えたらゾウさんも虎もライオンもみんな寝てる時間でした。クマたちと鶴だけ見て退散。
さらばじゃ。
また別な時に見に行こう。

二日目はここまで。

八月の東京ハイカイ録 2

三日目の東京ハイカイである。
もう殆ど体もボロボロなんだが、それでも出かける。

畠山記念館。夏ゆえの涼味を愉しむ。
水音、染付、天井の金の波、窓の向こうの蝉の声…ああ。

うっとりしながら灼熱の道を往く。町を抜けて庭園美術館。
土曜なので撮影禁止。アールデコの家具や調度品がたくさん並ぶ。ここは本当に綺麗に装うべき場所ですわね。
いいポスターもたくさん見たし、色々と面白く思う。

揚げたてのナスをお昼に頂いてから目黒区美術館へGO!
京都工芸繊維大所蔵の村野藤吾の設計図と学生らによる村野建築の模型を見る。
事前情報通り、時間がかかるかかる。かかりすぎて色々ヤバい。
なにしろノスタルジーに浸るということもしないといけないのでね。
だって、最初に大阪新歌舞伎座がお出ましですがな、わたし、泣きますがな。

三時前に出て、これはやばいなとバス停の先でタクシーに乗り、山種へ向かう。
5分で着いたよ。1100円ほど。おつりはいらねーぜ、とナマイキなことをして、機嫌よく前田青邨と院展のお仲間を見る。
好きな絵もたくさん出ていて、大方は知ってるなじみのものなので、これはもう純粋に鑑賞。あんまりものも考えずに眺めて楽しむだけ。
ただ、御舟の「炎舞」は床面に赤い影を落とすだけだったのが、少しさみしい。
もっと赤々と映ってほしかった、茅場町の頃のように。

松涛美術館「スサノオの到来」展をみる。
今回、急遽予定を組んだのだが、これがもうまさかのもしかの内容で、どう考えても自分のアタマでは到底感想が書けそうにない。論文もしっかり読みたい。
それにしても平田篤胤、出口王仁三郎を展覧会で見る日が来ようとは思いもしなかった。
幽冥界と和魂と荒魂と…ああ、ほんまにびっくりした…
「遊行」を名乗る以上はこの展覧会はやはり絶対に見ないといけない、と思ってみてきたがゾワゾワして非常に怖かった。そして図録も買う気がなかったのに…気づけば肘にその重みが食い込むし。うう、こわい…

先に晩御飯食べてからブンカムラで「サティの時代」をみる。
観ると1989年の「コクトー」展を思い出した。
コクトー展では、砂漠を行くような足取りのメロディ、音が螺旋状に渦を巻くようなピアノ音を聴いて、それでサティに熱狂した。
それまではドビュッシー、ラヴェルが一番好きだったが、そこにかれも仲間入り。
実は高校の頃はワーグナーが好きだったのだが、近代フランス音楽を知ってからはそればかり。
そして今回の展覧会で、コクトー、ピカソへの愛情があふれてきた。
連鎖し波及する愛情。幸せやわ。

3日目はここまで。

ついに最終日。
ゾウさんロッカーに荷物を放り込んでから三の丸尚蔵館へ。
絵巻展の後期を大いに楽しむ。結局長居する。

東京まで戻ったので、そのまま浦和へ。
うらわ美術館でブラティスラバ絵本原画展。
イラン、スロバキア、韓国、スペインの作品に惹かれるものが多かった。
テロ、初潮の鬱屈、自殺、差別…様々な負の要素を見せる作品もあり、日本では出版できそうにないものも多かった。

みつけたアールヌーヴォーなマンホール


神田まで戻り、三井で「春信一番 写楽二番」の後期を愉しむ。
実はな、わしはのう、「国芳一番 広重二番」なんぢゃよ。
というわけで、やっぱり幕末のをヒイキしてしまう。

地下鉄で松屋銀座へ。
「リサとガスパール」絵本原画展。これまたムチャクチャやがな。
つまりこの二人の行動って破壊工作なんですよ。
参ったなあ。

最後に東京ステーションギャラリーで九谷焼。
溺れる溺れる。
吉田屋の作品、新しい作品、色々なものを見た。良かったなあ~

気持ちよくなったけど、体力の限界が来た。
そらそやわな、4日間隙間なく遊び倒したもんなあ。
脚が疲れすぎて前に進めない。
しかし大丸にお菓子を買いに行くと、先月法事用に買った時、お世話になった店員さんがいて、お互いニッコリ。覚えられてました。
こうなるとここで買いますがな。
また来月ね。

新幹線に乗ったけどギリギリだったので、車内販売の東海道新幹線弁当を買う。なかなか美味しかったです。

おかげさまで楽しい時間を過ごせました。また来月ね。
というわけでここまで。


横浜地方気象台

港の見える丘公園の近くの1927年建造の横浜地方気象台を見学する。
平日は見学可能です。









玄関回り。






中に。






階段。












室内に。


いい位置。


模型。




細部も可愛い。




資料。
良かったなあ♪




最後にもう一度全体を。


昔のプレートと今のプレート。



飛行機つき。

いいところでした。

「旅・観光・町の記憶」というキーワードの展覧会・江戸時代篇

近代篇に続いて江戸時代篇。
ここでは2つの展覧会を採り上げてます。

「淀川舟游 若冲・応挙・蕪村も愛した」  くらしの今昔館
イメージ (20)

イメージ (21)
くらしの今昔館で淀川を愉しんだ昔の絵を見てきた。
多少の展示替えもあるが、まぁ9割は変わらない。
今は後期になっている。

大川納涼図 西山完瑛 幕末-明治  綺麗どころが3人もいる。今の大阪と違い、まだこの頃は川べりに出たら涼しかったのだろうなあ。

浪花十二景 西山完瑛  その時代の人気スポットを描く。堂島とか蛸の松などか。
こうして見れば、大坂も色々見るところがあったのだなあ。
生活者なのであんまり考えていなかった。

淀川は京都と大阪を結ぶ大事な川で、大阪市では淀川区、東淀川区、西淀川区といった地名も活きている。
わたしは大阪は大阪でも「大大阪にほとりして」の隣市の住人で、しかも川は淀川もさることながら兵庫との境を行く猪名川とも縁が深い地に住まうので、案外淀川の事を知らない。
宝塚線に住まうので、淀川は阪急電車に乗りながら渡るものだという意識があり、上流ではスポーツも出来るほど川辺が立派だそうだが、そちらに行かないので実感がない。

淀といえば今なら京阪の淀が思い出される。城があるのかどうかも知らないままだが、競馬場があるのは知っている。ただ、下車しないからわからないままだ。
近代日本画では宇田荻邨が淀の水車をテーマにした作品を数多く描いている。

淀橋本観桜図 江戸中期  京街道をゆく。男山、橋本の桜の満開の様子。淀の水車も描かれている。
男山は今も石清水八幡宮の地として多くの参拝客がある。
橋本はかつては遊郭が立ち並んだが、今はもう昔の話。

澱川山崎図 武部白鳳  明治中―昭和初  山崎は忠臣蔵五段目の山崎街道とか天下分け目の戦いとかもっと昔は一寸法師の伝承が残っていたりもする。あと楠公の話もある。
電車で言えば阪急、JR側。淀川を挟んだ橋本・枚方は京阪電車。
山崎も歴史の古いところで、桜も綺麗で、水も良質。サントリー「大山崎」はここ。

藻苅舟図 森一鳳 幕末―明治  この人は藻を刈る絵を描くのが得意な絵師で、しかも名前は「いっぽう」。つまり「もをかるいっぽう」=儲かる一方、というわけで大人気。
大坂の商売人は喜んで買いあさった。
浪花の絵師の絵が京や江戸のように人気が出ないのは、一つにはこうした状況がある。
つまり「中央」や画壇なんか関係なしに、機嫌よく絵を描き、欲しいと言う人にどんどこ売り倒したので、美術館に入ったりすることが少なかったのだ。
それで今になって世に出てきたものが素晴らしいので、無念な気にもなる。

春風馬堤曲「夜半楽」 与謝蕪村 1777  蕪村は淀川の毛馬村の出身。そのことを想う。

淀川両岸図 庭山耕園ほか 1940  戦前から江戸時代の淀川をしのぶ。枚方、守口、天満橋。御座船がいっぱい行き交う。

淀川堤図 江戸初期  汚れてはいるがいい絵。元気そうな人々、床を張り出して商売する女郎屋。

乗輿舟 若冲 1767  伏見から山崎・八幡を越えて鳥飼までの分が出ていた。
正直、こういうのを見ると淀川を静かに下ってみたいと思うのだ。版画の技法がどうのとか作者が、とかそんなこと関係なしに。
なにしろこの絵巻には源八の渡しだけでなく平太の渡しなどもあったりする。昭和30年代まで生活の足だった渡しである。
静かな憧れを呼び覚ます絵巻。

岡田半江、十時梅厓らの涼しそうな絵が並ぶ。
淀川も昔は納涼できていたのだ…

浪花百景図がある。本物とパネルと。
これらは大阪市立図書館蔵のもの。わたしは他に頴川美術館のを見ている。
そうそう、クリスタ長堀に陶板の浪花百景があるので、今度はそれを撮影に行こうかと思う。あれとなんばウォークのシカゴ美術館の名画60枚の陶板と。
大阪には昔から優秀なタイル会社があるからこうなったのかな、と勝手に思っている。

よと川の図 江戸後期  坐摩神社―御霊神社―栴檀の木橋―桜宮―江口―…カラフル!
来迎寺や佐太村もある。そう、白太夫の住まう佐太村。三つ子兄弟の実家の佐太村。

浪花の賑わひ 暁鐘成・松川半山 1861  おお、船渡御で餅投げもしてたのか!!

浪花及澱川沿岸名勝図巻 大岡春卜 1745  あら、大和川界隈からか。珍しい。
安立、住吉大社、勝間、長町裏…(あんりゅう、すみよっさん、コツマ、ながまちうら)
ほんまに古いところばかりやね。

勝間はコツマ南瓜の産地で、小さくてカイラシ(可愛らしい)ナンキン(かぼちゃ)で、ちびでムネもあるべっぴんさんをコツマナンキンと大昔は呼んだりもしたようだ。
今東光原作の小説を映画にして、瑳峨三智子が主演した。
うちの会社に八尾出身で小柄で元気の良い娘がいた頃、会社のじいさんたちは彼女を「コツマナンキン」と呼んで可愛がっていた。いかにも河内者らしい元気な人だったが、気の毒に早世してしまった。今もコツマナンキンと聞くと彼女を思い出す。

淀川名所図巻 懐徳堂一門 江戸中期  リアルな地名の入ったもので、これは実用性もあると思う。ガラスケースを覗きこんでは「あー、ここここ」と声を出す人も少なくなかった。

菅楯彦えがく江戸時代の「浪花天神橋」はええ氏の子とその日暮らしの一家との対比が描かれているが、どちらも気さんじな顔をしているのが特徴。
イメージ (30)

淀川を舟下りしたくなる展覧会だった。


「広重の旅 浮世絵・近江・街道」  大津歴史博物館
イメージ (22)

イメージ (23)

広重の「東海道五十三次」を中心とした展覧会である。
広重は実際に東海道を旅しており、想像ではなく実景をスケッチし、それから豊かな市場を添えて宿場町を描いた。
一種ではなく何種ものシリーズがある。
1シリーズに1シーンでは描きつくせなかったろうから、多くの版で異なる宿場風景がある。
いずれも少しずつ違う工夫が凝らされていたり、中には絶品なものもあれば、パターンは変わらないものもある。

大津歴博では滋賀県内の宿場を描いた作品を中心に展示していた。
東海道双六では日本橋を振り出しに京が上がりだが、その上がりの手前「大津」を本拠にする以上は、コレクションにも力が入っている。

元々琵琶湖のほとりである。近江八景図も名品を集めるのに怠りはない。大正の新版画運動で生み出された伊東深水の近江八景図も所蔵しているが、あれも本当によかった。

三井寺に隣接するこのミュージアムはその意味では近世までの作品に良いものが多いのも納得できる。

わたしが子供の頃、永谷園のお茶漬け海苔に広重の五十三次カードが入っていた。
それをある程度集めて会社に送ると、箱入りの丁寧なカードが全種揃って贈られるというシステムがあった。
わが家にはそれがあった。さらには広重の画集があり、父からは一九の「膝栗毛」を福田清人が子供向けに書き改めた読み物も貰った。
わたしが後年、江戸ものにすんなりと入り込めるようになったのは、いわば「庭訓」であったと言ってもいい。

今回の展覧会、「代表作【保永堂板】をはじめ、普段、あまり展示されない五十三次シリーズを近江を中心に展示」とミュージアムは謳っている。
なるほどそれは楽しみ。
というわけで中に入ると、いろんな楽しい工夫がされている。

行った時間が遅かったので残念なことに深く味わえなかったが、それでもこれだけの作品を楽しませてもらえたのはありがたい。

滋賀県内の東海道の宿場と言えば土山宿から大津までの5つ。
土山、水口、石部、草津、大津。
それぞれ数種の絵があるから、多方向的な眼で宿場の様子を見る。

友人で本当に自分の足で五十三次を行く人がいるが、わたしはムリだな。
京から大津までなら参加してもいい。
京津線の沿線を思うと楽しそうだから。
だが、ほかはどうもムリ。あと歩けそうなのは日本橋から品川か。
あそこは正月の箱根駅伝のキモチになるからなあ。

滋賀県は交通の要所で、東海道だけでなく中山道、木曾街道への道もある。
木曽海道六拾九次之内 大津  こちらは画面奥に琵琶湖がのぞいている。
繁盛する店の並びと、旅姿の女たちと。三井寺への参拝の人もいるだろうし、三井寺力餅もよく売れて…あ、ここの餅は明治創業か。
旧いのは草津の姥が餅。400年の歴史がある。

五十三次名所図会 五十四 大津  こちらはロングもロング、望遠で捉えた風景。桜が咲いて花見の最中か。湖面には白帆、対岸には三上山。

五十三次張交 京・大津・草津  これは面白いもので、大津絵の鬼の念仏も仲間入りしている。

客引きの女たちのたくましさ、滑稽な旅人達、宿場に住まうどうぶつたち。
膝栗毛のエピソードが蘇ってくるかのようだ。
毒のない諧謔。ほのぼのとした風景。
それにしても湖面の青、雪の白、空の灰色…魅力の多い風景が多い。
広重好きな人にはわくわく、知らなくても明るい心持で大いに楽しめる。

8/30まで。

西宮回生病院

少し前に西宮回生病院の玄関棟がとうとう失われることになる、というニュースを聞いた。
一般公開されるというので出かけた。
この病院は「火垂るの墓」にも出てくる。

場所は吉田初三郎の1933年の西宮市鳥瞰図のこの部分。夙川の河口付近。
橋を渡った対岸には香櫨園の海水浴場などがあった場所。
イメージ (29)

当日は病院側から歓迎され、ペットボトルのお茶までいただいた。

玄関回り。
玄関柱の足元
IMGP0670_20150812022128bec.jpg

IMGP0671_20150812022130452.jpg

IMGP0672_20150812022131b69.jpg

玄関に入るとウォールが素敵。
IMGP0673_20150812022132a26.jpg

「火垂るの墓」での回生病院
IMGP0674_20150812022133bf6.jpg

IMGP0675_20150812022146ac1.jpg

戦前にこの病院を描いた絵葉書集の原画も。
IMGP0676_20150812022148e5a.jpg

IMGP0677_201508120221496cc.jpg

IMGP0678_2015081202215141c.jpg

IMGP0679_20150812022152265.jpg

古写真の数々
IMGP0680_20150812022235fdb.jpg
IMGP0681.jpg
IMGP0682_2015081202223811e.jpg
IMGP0683_201508120222401ab.jpg

今の天井など。
IMGP0684_2015081202224179a.jpg

IMGP0686_201508120223141e3.jpg

IMGP0687_20150812022316d3e.jpg

窓も可愛い。
IMGP0688_20150812022317b7e.jpg

IMGP0689_20150812022319c87.jpg

外観あれこれ。
IMGP0690_20150812022320181.jpg

IMGP0691_2015081202234158f.jpg

IMGP0692_20150812022343e10.jpg

IMGP0693_20150812022344309.jpg

IMGP0694_20150812022346d93.jpg

IMGP0695_20150812022347619.jpg

IMGP0696_2015081202251598a.jpg

IMGP0698_20150812022516840.jpg

病院からの帰り道。夙川と橋など。
IMGP0701_201508120225177ea.jpg

IMGP0702_201508120225187e8.jpg

教会がある。
IMGP0703_201508120225200ef.jpg

IMGP0704_20150812022548e26.jpg

IMGP0705_20150812022549906.jpg

IMGP0706_20150812022550a55.jpg

夙川オアシスロード。素敵な道。

「旅・観光・町の記憶」というキーワードの展覧会・近代篇

「旅・観光・町の記憶」というキーワードの展覧会をいくつか紹介する。

「京都モダン観光の誕生」 時雨殿
イメージ (12)

嵐山にある時雨殿に初めて出かけた。
橋爪さんのコレクション展。
本物は撮影不可だが、複製はどーぞどーぞと気前よく勧められた。

嵐山がいつから隆盛だったのかは知らない。
電車を考えれば、四条からもちょっと離れているし、大阪からもやや手間取る。
その距離感がいいのかもしれない。

イメージ (13)

観光の嵐山


各地の古写真


嵐山の観光の映像もある。


この辺りの鳥瞰図。


嵐電沿線


愛宕ケーブルか。


春秋共によし。

なんだかもうええキモチですわ。

平成元年五月、友人と嵐山の一日バスツアーに出かけた。
大渋滞でバスは動かず、ようやくついたら目の前に琴きき茶屋がみえ、あんこ命の友人が店に飛び込もうとしたのを止めて、引きずるように団体行動へ戻ったら、舟で遊覧。
その間ずーーーーーっと友人はあんこあんことやかましい。
そこから化野念仏寺に行き、ようやく嵐山に戻ったら友人は一直線に琴きき茶屋に入り、名物の桜餅を注文。
ここのは葉っぱにくるまれたのが餅のみであんこなし、もう一個のはあんこという代物なのだが、友人は一気にあんこを食べてしまい、それから葉っぱの方を食べた途端、「あんがないーーーーっ」絶叫した。
わたしは交互に食べていたので絶叫はないが、友人にあんを譲ることも出来ない状況。
えらい目に遭うたもんです。
そして帰宅したら親から池波正太郎の訃報を聞かされ、本当にショックを受けたのだった。

あまり嵐山に行かないが、行くたびになにやら記憶に残る出来事が起こっている。


次に阪神沿線の文化110年シリーズの二つ。

「酒が醸す町づくり 西宮の近代化」  白鹿記念酒造博物館
イメージ (16)

イメージ (17)
いよいよこの白鹿と郷土資料館とで長かった「阪神沿線の文化110年」シリーズも終わる。
大阪、北摂、神戸ともまた異なる阪神間の文化、今度の展覧会で自分の知らなかったこと・疑問に思っていたことも明らかになり、とても興味深く・面白く思って7つの展覧会を見て歩いた。
またこんな企画を立ててほしいと思う。
イメージ (26)

さてまず足の順で白鹿から。
阪神大震災以前「酒蔵オリエンテーリング」でよく灘五郷界隈は楽しく飲み歩かせてもらったなあ。
この酒蔵通りもたくさんの酒造会社があり、本当に楽しかった。
今は今でいいが、どうしても往時を思い出さざるを得ないよね。
とはいえ、今はまた新しい様相を呈していて、日本酒も少しずつ上向いているようでよかった。
なお、現在記念館の資料館はお休み中で、酒造館で資料を展示している。


普通に酒蔵見学から始める。来館記念にと吟醸の一合瓶まで貰った。ありがとうございます。冷やして飲もう。
全国各地のぐい飲みも展示されている。




資料を見てゆくと、つくづく西宮は白鹿の辰馬家がバックアップしている土地なのだ、と思った。中之島では住友家が力を入れていたのと同様に。
学校も運営し、図書館や市役所の建築にも大金を寄贈している。
そう、この展覧会では辰馬家がどのように西宮市の近代化を図ったか、貢献したかがよくわかる構成になっている。
とても立派なことだと思う。

昭和初期に最新鋭の醸造工場が竹中工務店の設計により作られた。名は「白鹿館」。
それらの資料もある。
竹中工務店は神戸の熊内町に大工道具館を開設していい展示をしているが、都市文化形成に大きな存在感を持つ企業だと改めて思う。

当時、最新鋭の工場では生酒が製作されていたが、一般家庭に冷蔵庫が普及していなかったため、製造休止。木の冷蔵庫に氷を二貫目入れて冷やして、というのももう少し後の時代なのかな。

白鹿としては残念だったろう。
生酒の広告、ラベル、印判5種などが展示されている。印判は金物で、かなり大きいものだった。

そしてその白鹿館の宣伝絵葉書もなかなかいい感じ。
白鹿のシカップルが寛ぐ。他は工場内の風景写真と働く杜氏たちを描く作りのもの。
そこで使用していたガラスは琥珀色に耀いてとても綺麗。
鍵札も縦長の木製で6つ。

しかしこの工場も残念なことに失われた。
当時の鉄骨が出ていた。建物の記憶の一部。

模型や当時の写真でかつての最新鋭工場をしのぶ。
正門に掲げられていた紋章は〇に辰の字、そして右肩に「本」の字。
辰馬本家という意味だと思う。

次に西宮市役所庁舎の資料がある。
昭和三年(辰年!!)に辰馬吉左衛門が建築資金を寄付している。
その後手狭になったので今のになったそうだ。

旧西宮市立図書館も同年に建設されたそうだが、こちらもスパニッシュ・コロニアル様式の素敵な建物だったようである。今はもうない。
ステンドグラスだけは各地の図書館などに利用されているようだ。
こちらのブログに探訪記がある。
ちょっと歴史っぽい西宮」さん。
展示室にはその現物はないものの、ステンドグラスの写真パネルが飾られていた。いい感じである。

感謝状の市長名も辰馬さんでした。
無声ながら新築披露映像が流れていた。素敵な建物だったことがとてもよくわかる。

宮水を守るための行動にも出ている。
大正10年には辰馬吉左衛門と海運業の八馬兼介が上水道敷設のために寄付している。

何故かマッチがある。燐寸と書かねばならないか。
なんでも解説によると8割以上が大阪と兵庫で生産を担っていたそうな。
辰馬家は燐寸も製作し、場所柄か華僑と取引していたとか。
そもそも神戸監獄付属の燐寸製造所を払い下げられたという経緯もある。
そして輸出燐寸はキッチュで摩訶不思議なラベルが魅力。
ウサギ、変なゾウ、鷲、向かい合う人と人、ゾウとゾウ。孔雀もあったなあ。
なぜかわからないセンスの破壊力にこっちもヤラレタ。

鳥瞰図を見ると、今はもうないところも少なくないのだが、昭和初期から存続してたのに近年になくなったものもあって、いろいろとせつない。
ああ、面白かった。

次に酒蔵通りを延々と歩いて、夙川沿いに。

「阪神沿線ごあんない にしのみやの郊外生活」 西宮市立郷土資料館
イメージ (14)
「阪神沿線」シリーズもついに最終。
とはいえ、申し訳ない、実は7会場の内、西宮大谷、それからこの西宮市郷土資料館は阪急でわたしは通ったのだよ。厳密にはこの郷土資料館へは白鹿から歩いたのだが、白鹿へも今津まで阪急に乗り、そこから阪神で1駅という…

これが虹色スタンプラリーの成果。
イメージ (27)
イメージ (28)

まず鳥瞰図の世界。
イメージ (18)
吉田初三郎の巨大な西宮市が原画と印刷物とふたつある。前者は1936、後者は1952年。
甲山の大きな姿、六甲おろしを受ける町(?!)、西宮回生病院、えべっさん、川崎重工、遠く山口村も西宮。
初三郎らしく遠目に大阪城や他府県の名札もちらりと。
夙川から香櫨園あたりの楽しそうな様子がいいなあ。そして酒蔵と。

初三郎らの他の地方の沿線名所図や案内書がたくさん出ている。いずれも戦前。
神戸有馬電鉄…平安美人、養老電鉄…平安の貴人ら、叡山電鉄…山と琵琶湖と汽船と。
他にも箱根、道後温泉、別府温泉、大三島、耶馬溪、塩釜の観光案内のリーフレットが並ぶ。
旅心がそそられますなあ。

さてここから西宮の展示。
阪神名勝図会が各章の冒頭に展示されている。

・西宮市の誕生と市勢の充実

イメージ (15)

今回初めて知ったが、西宮の町なかを行くとやたらとマンホールに六芒星のマークがついていたが、あれは「西宮町章」らしい。市章はまた違う。
瓦についてあるのが展示されていた。

西宮市はいくつもの町が合併して出来た市なので、そのあたりの資料もある。
今津の合併資料などは昭和8年。

・阪神電鉄の開業と中島成教
明治の頃の資料が種々並ぶようだが、よくわからない。
出入り橋停車場??そこまで来てたのかぁ。
出入り橋といえばきんつば屋と堂島データセンタ。

・郊外生活のすすめ
名所図絵 甲山

阪神電鉄のPR誌「郊外生活」がたくさんある。アールヌーヴォー調で更に可愛さがプラスされた表紙絵。

菊花や朝顔の名鑑もある。

・香櫨園の経営

遊園地の絵はがきがある。ウォーターシュートや海水浴場やなんだかんだ。楽しそうでいいなあ。
現況とは全く違うね。
堺の水族館もそうだが、かつて繁栄した行楽地の跡地は静かな住宅街になってしまい、なんだかもの寂しくさえある。

六甲苦楽園案内 一番奥地の天狗岳にラヂウム温泉。そしてよくよく見るとあちらこちらにラヂウム温泉がある。なんだかかっこいいなあ。

・今津の近代化

当地の名店や豪商の宣伝ものが少しばかり。
今津は阪神と阪急のつなぎがある。

六角堂や砲台の写真がないな。

・甲子園の賑わい

阪神大博覧会案内図 1928 楽しそう。阪神パークかあ・・・涙。

戦前の外国サーカス団のちらしがいい。
ハーゲンベックは象たちが並び、ベルハームストンは百獣の絵。
甲子園ホテルの案内パンフもある。いいなあ。

そして全国中等学校優勝大会。すばらしい。
陸上大会もしたのだな。
1978年の高校野球のスタンプもある。PLに木戸がいた頃か蓑島の春夏連覇か。

戦後のものらしき阿波踊りと花火大会、甲子園競輪、などのポスターもよかった。

・鳴尾のいちごと競馬場

阪神競馬場。
イチゴも盛んだったのね。イチゴ狩もしている。
ミルクと砂糖の接待、か。
台風前に収穫できるからという理由があるそうな。

・武庫川遊園
武庫川遊園などのポスターがある。
知らなかったが、ここらも面白そうだったのか。

・沿線ご案内

昭和初期の阪神電車沿線案内、阪神パーク水族館パンフ、楽しそうでいいなあ。

札場筋、浜脇筋にあった商店の引き札のキッチュさがいい。

廣田神社や門戸厄神、西宮神社のえべっさん。
阪神七福神のスタンプは留守文様に名所をプラスしたもの。琵琶、小槌、兜などの外観に枠内な名所図という、なかなかよいもの。

軍用犬大展覧会ポスターは西宮大谷でも見ている。
ラグビー大会も西宮で開催していたのか。

・西宮雅楽多宗
趣味の同好の士たちの集まりのお楽しみもの。

・絵はがき
壁面にずらーり。
阪神パーク、甲子園、競馬場、ホテル、廣田神社のツツジ、西宮神社・・・

面白く眺めた。もっと深く掘り下げてくれてもよかったが、面白い資料をみれたので、それでよしとしよう。

8/30まで。


「地図と写真でみる馬車道」  神奈川県立歴史博物館
無料の展示だった。

1.馬車道のシンボル 横浜正金銀行
つまりこの神奈川歴史博物館の建物である。

明治初期の浮世絵形式の横浜図をみる。
洋風の船ばかりで港が埋まる。むろん横浜はそのために開港されたのだから当然か。

瓦の乗っかる正金銀行図があった。え、本当に、という感じ。1887年頃の様子。

今の建物が竣工されたのは1904年頃か。
同時代の写真が並ぶ。馬車道を中心とした町が広がりつつある。

清水平安堂という写真屋さんの所蔵する資料やそこのお店の従業員たちの写真があった。
カメラは普及していなくとも、必ずこの横浜には現像の出来る写真屋さんが必要だったのだ。

やがて時代が過ぎて、大正になり、関東大震災が起こる。
震災前後のこの界隈の写真などもある。

緻密な作画の岡義男さんの震災前馬車道復元図がある。
岡さんの作品は5年前に都市発展記念室でみている。

震災の状況を絵葉書にもしていたこの時代。
惨状が多い一方、この正金銀行はぶじだったことがわかる。
とはいえ、完全に無事なのではなく、内装がダメダメになっていて、ドームがなくなった。

戦前の横浜宝塚劇場のニュースやアルバムがある。
ここの建物は大阪の小林一三記念館で現在開催中の展覧会でも紹介されていた。
映画を見ると「たそがれの維納」など戦前の美男美女のいるドラマチックな作品の紹介がされていたが、中に「えっっ」となったのが一本。
「からゆきさん」。…びっくりした。
こんな時代にこんな作品があるとはなあ。


2.馬車道まつりはじまる
戦後である。
横浜市民の人々の喜ぶ様が展示されている。
イメージ (71)

第一回馬車道祭 1976  飛鳥田一雄が市長だったのか。当時は革新の時代やね、素敵。
楽しそうな様子や忙しそうな状況が資料から垣間見える。

同年の横浜東宝会館では「オーメン」「キングコング」「愛のコリーダ」「カサンドラクロス」「犬神家の一族」が上映されていた。

3.映画のデパート 横浜東宝会館
シネコンとか言う前から東宝はやってたよね。

竣工間近の1956年の写真、改装した1985年。
2001年の上映「かあちゃん」「ジュラシックパーク3」「猿の惑星」「千と千尋の神隠し」。
・・・すごい前やってんね。
これらの看板と、ロードショー案内と座席指定板とそしてもう失われた東宝シネマ1の座席が展示されていた。
ああ、時代は移り変わるものです…
販促グッズも色々あり、可愛かったな。

8/30まで。


こちらは行きたいが行けそうにない展覧会。
姫路 いまむかし  兵庫県立歴史博物館
イメージ (24)
イメージ (25)

魯山人の美 和食の天才

京都国立近代美術館の「魯山人の美 和食の天才」展に行った。
閉館間際の時間だがなかなか盛況で、みなさん生唾を飲み込む・または涎を垂らさんばかりの顔つきでふらふらと場内をさまよっていた。
イメージ (6)

作品は足立美術館の所蔵品がメインで、いろんなところから来ていた。
足立美術館の魯山人といえば、現地でも見たが、大昔に奈良そごうでもいい展覧会が開催されたのを見ている。
近年では世田谷美術館のいいコレクションも見たし、高島屋でも立派な展覧会を見た。
大体年に一度は必ずどこかで魯山人のやきものを見ている勘定になる。

魯山人の凄いのは作品数がかなり多いのに、どれもこれも「あかんもん」がないところだと思う。趣味・嗜好は別にして、冷たい目でみつめても、やはり「ええものはええ」ということを実感する。
人間性の問題云々はさておいて、作品の素晴らしさを百年二百年後にも伝えられる稀有な作家なのだ。

展覧会では作品のほかに瓢亭、菊乃井、嵐山吉兆の写真や映像が出ている。
臨場感、というものを空気だけでも味わわせてくれようとしているのだろう。
最後にはカウンターが設置されて、そこで銀座の久兵衛の寿司がバーチャルで…

とりあえず作品を見る。自分の好きなものにしか眼が往かないのはいつものことだが。
イメージ (7)

・魯山人と古陶磁─古きに倣う

呉須風貝形鉢 1935頃 足立美術館  エビ、カニが見込みにはねる。
染付バイ向付 1935頃 足立美術館  バイ貝の形なのだね。
染付花鳥花瓶 1939 敦井美術館  毛並みホアホアの叭叭鳥たちが竹に止まる。
染付古詩花入 1939頃 足立美術館  二羽の鶴が飛ぶ。その下では古代兵が揃って軍船を漕いでいる。詩は写していないが、何の詩だったのだろう。

色絵金彩龍田川向付 1934  五色の色違い(戦隊ものか)、乾山の作品を髣髴とさせる。
鉄絵金彩絵替皿 1951  ツクシなど植物は墨絵描き。こちらも乾山から学んだのか。
仁清風柳桜水指1933─1935  適度な抑制を効かせようとしている。
雲錦鉢1941頃 足立美術館  最初に見たとき、その大きさに驚いたが、今はそれを絢爛に感じる。
雲錦大鉢1940頃 世田谷美術館(塩田コレクション) こちらも本当に大きいのだが、派手でいい感じにしか思わない。
金彩雲錦鉢 1951 東京国立近代美術館  金が背景になり、春秋の美、いよいよ絢爛。
織部風誰ヶ袖向付1930頃 足立美術館  形が可愛い。というより、わたしはこれを見て各地の寺にある幽霊の片袖を思い出していたりする。

瓢亭の錦鯉の映像が流れていたのを見た後、こうして魯山人のやきものをみる。
わたしとしては錦鯉が泳ぐだけの映像を見るのはあまり楽しくはないが、瓢亭の雰囲気をこれで味わってくれということなのかと解釈する。
実のところ、壁面に川端龍子に瓢亭のある一室を描いた「佳人好在」が出ているのを見て、それでやっとこの界隈が「瓢亭」だったのかと気づいたのだった。
img080.jpg

・魯山人流もてなしの開花─自然に宿る美

ここで不思議なのは、評伝や事象などから見える傲慢不遜な人間が、いかにして「もてなし」精神を培ったか、ということだ。

椿文鉢 1940頃 世田谷美術館(塩田コレクション) とても好きだな。筆さばきで花を感じさせる。
椿鉢1940頃 足立美術館  見込み近くに水色の釉垂れ。それも綺麗。
色絵金彩椿文鉢1955 京都国立近代美術館  こちらも金を背景に紅白の椿が豊かに咲き誇っていた。

飾棚図屏風1942 足立美術館  自分が拵えた様々なやきものを並べ立てた屏風を描く。
書割のようにも思えて、こうした二重のイメージを持つものは好きだ。

黄瀬戸あやめ四方平向1951 京都国立近代美術館  うっすら黄色に線描のしなやかなあやめ花。草に緑がさらりと。

一閑塗日月椀 1943  これらはやはりシンプルながらも華やかでいい。

つり燈籠 1930頃 足立美術館  鉄で切透しの雅な模様の入った燈籠。
鉄製透置行燈1930  二つばかり置かれていたが、風流。欲しいなあ。

銀彩あやめ平向 1955頃 足立美術館  ぎらりと線描の花。華やか。
銀三彩大平鉢1958 京都国立近代美術館  今風なカッコよさがある。シャープ。


このあと、なにやら美味しそうに見えるやきものが続く。
志野若草四方平向1940 京都国立近代美術館 四角いのだが、なにやらカットされたマグロの身をヅケで焼いたような趣がある…
蟹と海老図 1935頃 足立美術館
染付吹墨手蟹絵平鉢 1939頃 足立美術館
蟹絵平向1959頃 足立美術館
織部蟹絵平鉢1959
織部蟹絵向付1955頃 足立美術館
・・・要するに、カニは美味しいのですよ。

菊乃井の湧水の映像を見る。暑い最中なので心地よい。
以前にふと知り合った女医さんに菊乃井の本店でお昼をごちそうになった。
突然連れて行かれたので、全く心の準備もなく、色々と緊張してたわりには美味しくいただいた。
懐かしい記憶が蘇る。

・魯山人と和食─器を通して広がる世界

織部、伊賀、備前などが目につく。わたしは磁器が好きなので、自分の口に当たるものがこれらではあんまり嬉しくはない。
いくら立派なものでも、これは譲れない。

資料を見る。
『料理盛付帖』  Cooking and Serving Handbookという英訳か。墨絵でずらりと描かれている。ああ、丁寧でいいなあ。

嵐山吉兆の写真。ああ、もう、クラクラ。丁度この展覧会に行く前に嵐山吉兆の前を通ったのですよ、わたし…

『大阪 星岡茶寮開設の辞』1935便利堂  印刷物。この大阪のお店はわたしの近所で、うちの母などは戦災で焼失した店の跡地で遊んだそうだ。枝折戸が残っているので、それでお客さんごっことかしたり。
数年前に、バスツアーで一緒になった奥さんがやはり同じような昔話を聞かせてくれたので、けっこうあの界隈では大阪星岡茶寮の跡地は子供らの遊び場になってたのだと思う。

最後に銀座の寿司の久兵衛。カウンターが置かれ、客がそこに座ると、映像が流れ、お寿司が出てくる。…むろん、バーチャル。
・・・・・・正直、わたしは嬉しくないな、これは。
ああもう、食べたいな!
ちっちっちっ。

8/16まで。

アールヌーヴォーのガラス デュッセルドルフ美術館ゲルダ・ケプフ・コレクション

汐留ミュージアムで「アールヌーヴォーのガラス」展を見た。
ここはパナソニックなので照明で色々な実験が出来るので、とても楽しみだった。
イメージ (8)

デュッセルドルフ美術館のコレクションが来ている。
パリとアルザス=ロレーヌ地方のアールヌーヴォーガラス。

最初にパリのガラス工芸作家の作品が現れた。
こちらは見るからにジャポニスムの影響を受けており、浮世絵の風景画を三次元化させたような作品も多くあった。
イメージ (9)

ウジェーヌ・ルソーの花器の多くは北斎の作品からインスピレーションを受けたものが多く、これらは食器セットになって1867年のパリ万博で人気になったという。

浮世絵の表現や描かれた対象物にパリの人々は衝撃を受けていたわけだが、北斎から二百年、アールヌーヴォーから百二十年の世に生きる我々も、今となってはどちらとも距離を置く<異邦人>になり、ある種の違和感をもって、作品を見ている。

ルソーの作品群をみると、獅子の造形があったりオバケの陰火のようなものがあったりと面白い。

黙ってみているとどこからか三味線の音色がする。
ついてゆけば布袋さんが月琴をひく文様の花器があり、音はそのあたりから流れていた。

水中にいるなにかをモチーフにしているものが多い。
それらが並ぶ様を見るのは壮観だった。
水の底にいるような心持ちになった。

たこをモチーフにしたものがある。西欧ではたこは食べないと聞く。南欧ではたこをおいしく食べるそうだが、こちらでは悪魔の使いだとみなされているそうだ。
・・・とここまで書いてハッとなった。たこではなく龍だった。しかし龍はドラゴンとは違うのだ。

アールヌーヴォーの持つ特性の一つがよく出たコーナーだと思った。
ぬめぬめした作品が多かった。

アルザス=ロレーヌ地方といえばガレとドーム兄弟である。
何度も彼らの作品を集めた展覧会を見ているが、今回もよいものがたくさん出ていた。
よく知るものも少なくない。
とはいえそれでも初めて見る作品もたくさんある。

ガレの花器「永遠の幸せ」は清朝の両把頭の婦人のようだった。

ガレの花器「カッコウ、マツヨイグサ」も東アジアの美意識を西洋に移したもの。とても可愛い。
わたしはこれを見てアンデルセン「沼の王の娘」を思い出した。エジプトの睡蓮

イメージ (10)

ガレの鉢「蓮」はこれは睡蓮だと思う。
親族がエジプトに行き、お土産にもらったことから
ガレと秘密契約をしていたデズィレ・クリスチャンの作品もある。神話風な作品が多い。
デザイナーとしてよく働いた後に独立し、自社で腕を振るった。
花器木蓮はパナソニックの照明により、見た目が変化するのを楽しめた。

ドーム兄弟では村上隆のようなのがあった。ちょっと不思議。
繊細な絵柄のものが多いのに。

イメージ (11)

綺麗なもの、どこか不気味なものも含めて、大いに楽しめる内容だった。
9/6まで。

色絵と五彩 赤の彩り

會津八一記念博物館で富岡collectionの陶器を見た。
イメージ (4)
萬暦赤絵から乾隆帝の頃のものと、伊万里が中心の赤絵と五彩である。

紅釉鉢 雍正年間  2つのやや小さな鉢。いい色。

紅釉玉春壺 乾隆年間  こちらもとてもいい色。父子の時代にこの紅釉は美の深度を一層のものにしたのかもしれない。

火焔青瓶 乾隆年間  紅と不透明の青とが巧く混ざり合っている。

五彩人物図盤 康熙年間  女たちと唐子大勢。なんだかんだと騒がしそう。

五彩花鳥文蓋付大壺 清朝  あー、これは有田風なな。

五彩瑞果文皿 萬暦赤絵  楽しそうな様子。蛸唐草の鉢に入るわいわいな石榴たち。
周囲には蝶々も飛び、牡丹もある。
なにやら牡丹が保母さんで、蛸唐草の鉢はお風呂で石榴たちは幼児のように見えてきた。
可愛いなあ。

五彩花蝶文蓋物 萬暦赤絵  わたしは蝶々が好きなのですよ。

五彩婦人図盤 古赤絵 明  ほっそりした美人がいる図。侍女がそばにいるが、二人は何をしようとしているのだろう。
イメージ (5)
色絵竹虎文八角鉢 伊万里 柿右衛門様式  戸栗などでもおなじみの虎やん。

赤九谷花鳥文徳利 九谷 明治時代  前に紅ミュージアムでも赤九谷を見たが、明治の赤は鮮烈だ。やきものでも浮世絵でも。時代が変わったことを感じるのはこの色の出現だ。

色絵菊花文壺 吉田屋九谷  近年「吉田屋」の様式のものが色々世に出てきたようで、高島屋で展覧会を見たが、富岡コレクションのなかには既に最初からあったわけか。

白地紅彩金魚図天球瓶 嘉慶―道光 清朝  出目金まみれ!!

紅志野草絵さけのみ五人 魯山人 昭和時代  ワカメのようなビロロロに赤が出ていた。いい色。

色々といいものが出ていて、しかもこれらが無料で鑑賞できるのだから、本当にありがたい。

常設では中国青銅器からアイヌの装束、近代日本画まで。
今回は大観と観山の「明暗」が見れた。

今月いっぱいは夏休み、9/18まで。

感想を挙げられなかった展覧会。

展示は終了したが、自分の記憶のために挙げておく。

・4月から6月期の弥生美術館での夢二と華宵の展示について。
・大谷崎展 文豪と五人の女神 谷崎記念館
・谷内六郎(週刊新潮表紙絵)「田舎の子ども、都会の子ども」 横須賀美術館
・横須賀美術館の常設
・モダン芦屋クロニクルの洋画と写真
・渡辺豊重と平野甲賀 世田谷美術館

<夢二と華宵>
夢二展は「詩と絵の贈り物」。
セノオから刊行された歌詞本が並ぶ。
今回は解説プレートに歌詞や訳注がついていた。
大正昭和が遠くなったと言うだけでなく、日本語そのものが遠くなってきているのか。
室内には往時を思わせる音楽が流れている。

宵待草 海辺を歩く、丘に座る…今ほどには暑くなかった時代の夏を感じさせる。

千代紙デザインも出ている。夢二の美人画より、童画やこれらのデザインの方が好きだ。
本の装幀では吉井勇「悪の華」が出ていたが、これは初見。

冬 1925 少女倶楽部 少女がどこかの山の見える野にいる。
詩がいい。
カステラの焦げた匂いをかぐときに わたしはママを思ひだす
遠山に銀の雨降る冬が来た
ママに会ひたい冬が来た
昭和30年代のわたなべまさこの作品を思い出したわ。
なんだか素敵…
きゅんとなる。

明るい室 これはいつみても好きな絵。夜の庭園に少女が微笑んでいる絵。色合いにとても惹かれる。

少女の友 1927.3月号 口絵  冬の寒さが戻ったか、真知子巻をする少女がいる。可愛い。

夢二はやはり少女がいい。

べったりと座敷に座る女の絵があった。もっちゃりしている。が可愛い。結い上げた髪も重たそう。
この絵は岩田専太郎の旧蔵品。今季、初公開だったそうだ。

華宵「大正昭和の乙女の日常 女学生編」

府立清水谷高等女学校の歌が出ている。作詞は西条八十。
少女画報 1931.8月号 門を入ったところに現れる白セーラー少女がまぶしい。
この学校へは近年撮影させてもらいにいった。そのときの記事はこちら
さすがに良い学校だったなあ。

他にもフェリス和英高女、名古屋市立第一高女などの紹介があった。
そして華宵の少女たちも女学生が集められていた。

セレナーデ 1924 バイオリンを弾く少女。夢みる眼をした令嬢。
床しき調べ ピアノを弾く、少し大人の娘さん。

同時代の少女たちの演奏写真もある。
ほかに少女らの投降した詩歌の儚い美しさにも陶然となる。
ああ、大正末の少女たちの美しさに惹かれる…


<大谷崎展 文豪と五人の女>  谷崎記念館
今度は打って変ってナマナマしい人々の話である。

いきなりまだらの猫の剥製が現れた。
谷崎の愛猫ペルの剥製である。
正直、剥製の猫というものは「じゃりン子チエ」のお好み焼き屋・百合根光三の大事にするアントニオくらいしか存在しない、と思い込んでいた。
作中でも「おいおい」と思われているが、まさかほんまに剥製にしたのを大事にしてたとはびっくりした。
いろんな考え方があるから何とも言えないが、わたしは猫は家に埋める派なので、剥製は考えも出来ない。
谷崎は女は何人もかえたくせに、とんだ「庄造」だったのである。
誰か文学者が谷崎に「おい、佐助」と呼びかけたそうだが、あれは間違い。「庄造」の方が近かったのだ。

例の手紙がある。細君譲渡事件の挨拶状。ここにあるのは北野恒富あてのもの。
その千代さんの妹が「ナオミ」のモデルで、写真を見てもどう見ても今のハーフの仲間入りな女性。
大正頃にこんなタイプの女がいて、姉がまた古いタイプだというのが面白くて仕方ない。

「痴人の愛」の一節が紹介されている。
「ばいた、淫売、ぢごく」と罵られても「オホホホホ」と裸マントで笑うナオミ。
「ぢごく」は鶴谷南北「四谷怪談」でも淫売宿をぢごくと言うので覚えたが、さうかさうか、大正のこんな時代でも罵るときに「ぢごく」と言うのか、と妙な感心をした。
わたしは母親から「痴人の愛」は読書禁止令が出ていたので、読む機会がないままここまで来ている。なんて清純なわたくしw

「細雪」のための小磯良平の口絵があった。1949年の作。今思ってもこの作品は小磯良平くらいの上品な絵で描いた方がいいなと思う。
とはいえ、わたしのアタマには川端の「古都」の挿絵が浮かんでいるのだが。

そして千萬子さん。わたしは「瘋癲老人日記」が大好きなのだ。千萬子さんの怜悧な眼が谷崎の行動をじっと見ている。

他に昭和10年代の阪神間から神戸にかけてのさまざまな場所のスナップ写真があった。
阪神のプラットフォーム、そごうと神戸大丸、メリケン波止場、六甲山、有馬駅、元町のスズラン灯、トーアホテル、多聞通り・・・

ときめく街並み。谷崎が関西から離れられなかったキモチをこの写真からも想像してみる。


<谷内六郎「週刊新潮 表紙絵 田舎の子ども、都会の子ども> 横須賀美術館

絵を見て童心に帰る、などとよく言うが、谷内の絵はよくよく見れば楽しい・幸せ・面白いだけではない、暗い要素が潜んでいる。
わたしはその暗さを踏まえつつ、それでもなお「可愛い・楽しい」という感想をあえて口にする。
暗い要素を心の内で楽しみながら素知らぬ顔をして。
谷内もそのことを思いながら作品を次々に生み出していったような気がする。
そしてそのあたりに谷内の深い魅力があるように思っている。

赤い貝白い貝 「金銭登録機」なるものがあった。なんだろう、これ。貝をそこに集めると・・・
これはどうやら貝をお金として流通させるためのものらしい。

さかなのライト ビカーーーと光っている。

ぬすみぎき 団地の上の階と下の階のこどもらが糸電話するのを別なこどもが糸をかけて盗聴。

あずかっておいて お地蔵さんにウルトラマンのお面をかぶせて「あずかって」もらう。

虫たちもまつり ほおずきランプがある。女の子がじっと見守っていた。

ジュース出そうとして 自販機にお金を入れてボタンを押したら、どどどどとっとお酒の缶が出るわ出るわ・・・
そりゃ大人は喜ぶけど、子どもは泣きますね。

横須賀美術館は常設がいいので、とても時間がかかるのだが、幸せな時間でもある。

その常設のやはり終了した分で特によかったもの。

赤松麟作 水辺裸婦 一見して青木繁風な絵だと思った。
比礼(領布)も見えるから、「羽衣」伝説かもしれない。

矢崎千代二 少女像 稚児輪の少女。胸に筥迫を。きりりとしたいい顔。

萬鉄五郎 ガス灯 表現主義風なところに未来派風なのも加わった感じで、これは好み。人物より風景がいいよ、この人は。

木村荘八 境内 浅草かな、こんなに混むのは。

脇田和 中国の少年 可愛い。坊ちゃん刈の坊や。にこっと笑う。

小磯良平 ビルマの婦人 こちらはきりり。

松本竣介 お濠端 1940 様々な青を使い、奥行きを変える。きれい。洋館や森が見える。

織田一磨の版画を見る。
十二階 下の特飲街の女たち。たまらないある種のにおいがする。

本郷龍岡町 蔵がある。雨が降る中、坂をゆく。

神楽坂 夜、天ぷら屋や寿司屋の屋台が出ている。芸者もいる。ああ、神楽坂に行きたい。

洲崎之景 1916 教会や白い蔵、川、煙。「洲崎パラダイス」はもうこのころあったのだろうか。

朝井閑右衛門室へ。
街頭 1951年だが、オンリーさんやパンパンがいるビル前。みんな元気。

マーケット横 こちらも同年。立ちんぼもいるね。ヒソヒソ噂する人もいる。

港(帰らぬ船) 1956 女たち、がっかり。引き揚げ船なのか漁船なのかはわからない。

またいい展覧会の時に行きたい。


<モダン芦屋クロニクル 洋画と写真> 芦屋市立美術博物館
イメージ (19)

長谷川三郎 芦屋浜風景 素朴な筆致。洋館などがみえる。

小出楢重 海辺風景 林も海もあり、パラソルを差す人もある。一方で漁も盛ん。芦屋の昔の風景。

貴志康一 ピアノを弾く少女 ワカメちゃんカット。ステンドグラスも見える。これは貴志邸のものか。カーテンがすてき。
太田喜二郎がここのガラスと縁がある。

小出 夏の日 和装婦人らのパラソル姿。犬もぺたん。
夏やなあ・・・

国枝金三 夕(夏) 緑地に釣りに走馬燈、そしてコウモリこちらも夏やなあ・・・

小出の「春眠雑談」ま原稿も出ていた。ゴルフクラブを巨大な耳掻きと言うところが好き。面白いエッセーだった。

伊藤継郎 猫のいる風景 民俗玩具、インド兵の像、薄紫に花鳥柄の絨毯、そして猫。

白髪一雄 スケッチブック 裸婦をラフに描く。

写真を見る。
高麗清治 無題 1930 中国少姐が扇で口元を隠す。なまめかしい。

山川健一郎 無題 1933 蝶々とレースとチェック布と。モノクロのグラデーション。

やはりモダンな作品が多かった。


最後に色彩感覚を刺激する二人。
<渡辺豊重と平野甲賀>
イメージ (2)イメージ (3)
そうだそうだ、そうだった。
平野甲賀の装幀の特徴、こうして目の当たりにすると納得がゆく。そうです、色彩感覚とタイポがすごく個性的で、他の誰もまねできない。
見ていると懐かしい作品がとても多かった。

そして渡辺。初めて見たが、デザインというものがどういうものなのか、ということを考えさせられた。
わたしはディック・ブルーナさんと渡辺とに共通するものを感じたよ…

それにしても思ったのは、平野の作品はロシア構成主義を明るくした先に存在するような感じ。
二人の明るい色彩感覚は嘘でも元気にさせてくれる力があった。

いずれも書けないままできてしまった。申し訳ない。
だがこうして小さい感想だけでも挙げることが出来てよかった。
最近の記事
月別アーカイブ
カテゴリー
全ての記事を表示する

全ての記事を表示する

フリーエリア