美術館・博物館・デパートでの展覧会を訪ね歩き、近代建築を見て周り、歌舞伎・映画・物語に溺れる日々の『遊びに行った日を記す』場所です。 **なお現在コメント欄を閉鎖中です。

中一弥 追悼

104歳になられた挿絵画家・中一弥画伯が亡くなられたそうだ。
つい先般、「剣客商売ムック」の表紙絵を新たに描かれたところだったのに。

今、このFC2はAmazonの紹介が出来なくなっているので作品を引っ張って来れない。
そこで、自分が特に好きな「剣客商売」文庫版表紙絵を挙げる。

イメージ (47)

「辻斬り」はロングで夜半の橋上での戦いを描く。ぱっ と提灯を投げつけることで、相手を牽制する。
後は本体を読め、という巧い絵である。
物語を知らずともこの絵からの情報でドキッとし、「どうなるんだ」と気になって本文を読む。
挿絵・口絵・表紙絵の魅力とはそれだ。
文を読ませるために魅力的な絵を描かなくてはならない。
それが出来るのは一流の挿絵画家の力だ。
そしてタブローにない魅力がそこにある。

「待ち伏せ」も同じく、どこかの侍どもが主人公の老剣客・秋山小兵衛を斬ろうと駆けてくる。
小雪の降る中、足跡が静かに続くその道での殺戮である。
しかしながら小兵衛の手にはこれも抜身の刀がある。
小兵衛の強さを知るわたしたちファンは「ああ、逆に殺られるな、この侍ども」とにやりとしつつ、次の瞬間の小兵衛の動きをみたくてたまらなくなるのだ。
池波の文章をまねるなら、
「転瞬、振り向いた秋山小兵衛が
鋭っ
相手の肘から先を切り落とした。」
そんな状況が来るだろうと期待させられるのである。

「十番斬り」は江戸情緒のにじむ佳い場面である。お江戸の橋を行き交う人々。どこかの商家の小僧は川面をみている。
何やら話し合いながら橋を渡る侍の男と女。
物売りが黙って歩く。何を売っているかで季節がわかることもある。
江戸のどこかの橋の上を往く人々、それだけで何かしらよい気持ちになる。

「浮沈」は池波正太郎の「剣客商売」シリーズの最終作である。現状のラストシーンを読むと、まだ本当は完結していないのを感じるが、しかしこの長編の一篇にはところどころに死の影が差している。
表紙はおはるが漕ぐ自家用小舟でやってくる秋山父子の姿が描かれている。
おはるも大治郎も真面目な顔をしているが、小兵衛だけはにこにこしている。
93歳まで生きる、と作中にはっきり書かれている小兵衛である。
そしてこの「浮沈」では唐突に、おはるや岡っ引きの弥七や医者の宗哲先生の没年などが記されるのである。
そしてこのことを踏まえて改めて中画伯のこの絵を見ると、これまでとは違う考えが湧いてきた。

今、わたしは「来る」と書いたが、もしかするとそうではなく、これから岸を離れて去ってゆく姿なのかもしれない。
もう二度と新作の出ない「剣客商売」の人々が彼岸へ行く姿を中一弥は描いているのかも、と思ったのだ。
これは根拠のない妄想かもしれない。
しかし今、舟からにこにこと手を挙げる小兵衛を見ていてそんな気がしている。
そしてそれは中一弥画伯から池波正太郎への想いが込められているのかもしれない。
むろんこれはわたしの勝手な妄想なので、実際のところは何もわからないが。

文庫版では表紙絵だけだが、単行本には挿絵がすこしばかり掲載されている。
わたしは「剣客商売」は単行本の方も併せて所蔵している。
そのうちから少しばかり風景画を選ぶ。

イメージ (48)

赤坂溜池である。本当に池があるのだ、と現代人で大阪人のわたしは「おおおー」と思う。
案外にぎやかである。省筆でさらりとその賑わいを描いている。

イメージ (49)

橋場不動院 お寺を奥にして、民家が結構建て込んでいる。
大治郎はここからもうちょっと行った先で暮らしている。

どの絵を見ても情緒豊かないいものだと思う。
斬り合いのときには迫力があり、一方で市井の中での楽しさ・悲しさ・苦しさを大げさではなく、さらりと描く。
本当によいなあ。

ちょっと泣けてくる。
思えば池波なんて平成になった途端に亡くなってしまったのだ。
30年近く経ったが、今もしばしば再読するから、死んだなんて信じられない。
時代小説は息が長い。
とうに死んだ作者のものでも刊行され続けている限り読まれ続ける。
池波、シバレン、周五郎、綺堂…
来年はシバレンが亡くなって40年、岡本綺堂で80年くらいか。
それでも面白いものは面白い。
そしてその面白い小説に寄り添う挿絵の面白さ。
池波には中一弥がいた。
池波ファンの脳裏には吉右衛門扮する鬼平と中一弥えがく秋山父子らの姿が強く刻まれているのだ。

中一弥の息子は小説家・逢坂剛である。
彼のための仕事も中画伯は請け負うていた。
とても魅力的な父子だと思う。
形は違うが、やっぱり剣客商売を思う。
画伯が小兵衛、逢坂剛が大治郎・・・
そんな風に思うのが楽しい。

中一弥画伯。
長らくありがとうございました。
ご冥福をお祈りいたします。
スポンサーサイト

「月映」展

東京ステーションギャラリーで開催中の「月映」展に行った。
開催から間もない頃に行ったのに感想を挙げるのは終幕間際である。
既に愛知県でも開催されていたが、ここで待った。関西に来るのか来ないのかは知らない。
イメージ (31)

三人の版画同人誌「つくはえ」の原画作品を最初に見たのは千葉市美術館か和歌山市近代美術館かのどちらかだと思う。
千葉にしろ和歌山にしろその近代版画コレクションの見事さは群を抜いている。
日本の版画コレクションの双璧ではないかと思う。

わたしは近代版画の場合、自刻自摺・江戸以来の職人たちの共同作業、そのどちらも大変尊いと思っている。
そしてどちらにも深い愛情がある。

「月映」
田中恭吉、藤森静雄、恩地孝四郎。
若い三人の情熱とそこに差し掛かる不穏な死の陰りと、時間がないからこその懸命なあがきとを見る。
生き残り、大成した者の出発点でもあり、青春を・生命を捧げ尽くして死んだ者のレクイエムでもある「月映」。

わたしはあまり文学や美術関係の同人誌の状況というものを知らない。
わたしが知るのは別なものだから比較にならない。
だが、明治から大正、そして戦前の若者たちの疾駆する姿を知らないわけではない。
かれら百年前の明治末から大正初期の若者たちが、それぞれ夢を懐き、苦しみ、懸命に疾駆しつつ、突然倒れるということにときめいてもいた。
白樺派の若者たちにも夢中になったが、最初にときめいたのは木原敏江の描く旧制高校生たちだった。

イメージ (32)

わたしの手元には「月映」の作品を掲載した図録が二冊ある。
1999年の千葉市美術館「日本の版画 2 1911―1920 刻まれた『個』の饗宴」
2010年の和歌山県立近代美術館「日本近代の青春 創作版画の名品」
重複する作品も多いが、とても貴重な二つの図録である。

かれらは先達の夢二に憧れもする。夢二と恩地との交友は結果、夢二の晩年まで続く。
実際のところ、夢二美人のヒットも大きいが、かれの版画作品のうち、植物や小動物、或いは燐寸などをデザインしたものは、百年後の今日も決して古びず、愛されている。
当時の人気はその作品数からもうかがえる。

交流を持ったほかの若き版画家たちの作品も並んでいた。
香山小鳥のせつない作品がある。
田中恭吉同様香山小鳥も夭折した。その作品は和歌山に多く収納されているが、以前に見たものが静かに出ていた。
いずれも印象的な作品であるが、それだけにもっと生きていてほしかったと思うのだ。

早くに死んでいく者の作品は、やはりどこか哀しい。
谷山浩子「冷たい水の中をきみと歩いていく」、あの歌は彼らを思わせもする。
透き通るような純粋さが作品を高めている。
どん底をゆく絶望的な人物を描いていても、なんら不純なものはない。

見た目の美しさだけが美ではない。
おぞましさを取り込んだものであってもそこに純粋な真情がこもれば、作品は美しい。
そのことをここに並ぶ三人の版画から知る。

個別に作品の感想を挙げても、わたしが受け取った感銘は伝えられない。
そのことに気付いたわたしは書きようがないと思った。
それで結局こんなに日延べしてしまった。
しかし一方でこうも思うのだ。
『わたしがこの展覧会で受けた感銘の深さ、それを誰にも知らせぬまま仕舞い込むことで、より熟成されてゆくに違いない』
だがわたしは今、書いてしまっている。

田中の「赤き死の仮面」、これはポーの小説からのイメージなのかもしれない。
わたしはあの作品にある種の軽やかさを見出していたが、この作品はそうではなく、地で死ぬ人のイメージがある。

藤森の描く男性像に対し、ある種の嗜虐的なアプローチをかけてみたくなる。
いくつかの作品に現れる、その場から身動きも出来ぬ青年たち。彼らを捉える手から解放してやる替りに、今度はわたしがその肉体と魂を鞭打ちたい、と思うのだ。

抽象表現に進む恩地孝四郎。
だが、情景を描いた者には深い叙情性がある。そのあたりがとても好きだ。

結局、どの作品に対しても愛情が向かうので、細かなことを書く必要性はないのだった。
いつもの感想とは趣が異なるが、これでいいと思っている。

11/3まで。

追記:愛知県美術館のチラシを挙げておく。
イメージ (6)
イメージ (7)

クレパス画名作展

既に終了したが、小さくとも感想を挙げたい展覧会がある。
クレパスメーカーのサクラが所蔵する、クレパスによる作品群である。
イメージ (34)

サクラアートミュージアムの名は知っていたが実際には行ったことがなく、チラシだけは前にもらったままだった。
今回は難波の高島屋でその展覧会があり、じっくりと見せてもらった。
正直「クレパスか…お子様か」という気持ちでいたのだが、そんなあほな思い込みは一挙に消え、クレパス画礼賛の気持ちでいっぱいになっている。
クレヨンとパステルのいいとこどりで作られたクレパス。
名だたる画家たちがクレパス画を描いたのだった。

イメージ (35)

熊谷守一 裸婦 黄色い肌の裸婦が赤い線で描かれている。単純な構成をのぞむ守一の仕事にとても合うように思われた。

山本鼎 西瓜 これがもう素晴らしい質感で、どきどきした。背後は暗い。いい染付の皿に黄色身の強いスイカを盛り付ける。この黒はもしかすると黒檀の机かもしれない。皿と西瓜がその表面に影を落としている。

川島理一郎 洋蘭 これもクレパスを使いこなしている博士、やっばりすごい。
赤い花にはピンクの塗り重ねと黄色とを配する。この花は画家の観察眼と粘り強さとで作られている。

小糸源太郎 風景 白い教会建物が前方に見えるのだが、黄色い車がエンコしたようだ。なにししろ雪のあとなもんで。
信号には虎マークの貼り紙防止板が巻きつけられているな…

寺内萬次郎 緑衣の婦人 背景は臙脂色に近い。髪の裾辺りにふっさりとパーマを当てたなかなか綺麗な女。物思いにふけっている。女の左腕の色彩、こうしたところにクレパスの良さと言うものを感じた。

須田国太郎 マミジロとモクゲ  白い花とコントラストをみせるかのように黒い鳥がいる。
触れば指に尽きそうな濃い塗り方だが、青と緑と黒を配して華やかな花の下の暗闘を捉えている。
鳥の鋭いまなざしがとてもいい。油彩の時より明るさがあるのも面白い。
イメージ (37)

鈴木千久馬 裸婦 真ん中で分れ左右それぞれ完全にポジとネガの配分で塗り分けられている。
これはとても面白かった。シンプルな線の人なので塗るのに気合が入っていそうである。
他に「バラ」もよかった。色の上に色を重ねても元の色が殺されないこともあり、それが質感を生み出している。

鈴木信太郎の「人形」、林武の「裸婦」もそれぞれの絵の特徴にクレパスがうまく乗っている。

猪熊弦一郎 顔 黄色系に日焼けしたような女の肌と背景の青とのコントラスト。しかも女の前にはバナナ。深い眼鼻立ち。
とてもくっきりと印象に残る。

小磯良平 婦人像 いくらクレパスでもやはり小磯は小磯の色を作り出す。そのことに感心した。そしてクレパスは何にでもなり、どんな仕事でもできるのだと感嘆する。

耳野卯三郎 少女  この絵を見て「わたしも描きたい」と強く思った。
白い帽子の内側はピンク、洋髪少女の涼しい眼差し。黄色めの肌に頬の血気。濃い紅系のカットソー。
可愛いなあ。本当にいい感じ。
イメージ (36)

それにしても今回のラインナップを見ると、二科展と関係の深かった作者の作品が多かった。
場内ではクレパス自体の説明と宣伝もあった。面白い作品も作ったりして…

小松益喜 教会堂 山吹色で塗り建てられた古い素敵な格好の塔。力強い塗り方。

小杉小二郎 花 2014年の作品。藍色地に群青の瓶、黄色・オレンジの色に鮮やか。

ああ、いい展覧会だったのに書き損ねたことが申し訳ない。
何もかもがとても新鮮だった。

伝説の洋画家たち 二科100年展 

「伝説の洋画家たち 二科100年展」が大阪市立美術館に巡回してきた。
わたしは二科展の100年の歴史の内、1914年の始まりから1930年代までの作品に強い関心があり、これまでにもその関連の展覧会に喜んで出かけた。
今回の展覧会は単なる回顧展というにとどまらず、二科の歴史そのものを前面に押し出していると思う。
イメージ (39)

イメージ (40)

イメージ (41)

第1章 草創期 1914-1919 第1-6回展
日本の洋画とはいかにあるべきか。
そのことを考え抜き、苦しみぬいた果てについに道を見出した先達たち。

柳敬助 白シャツの男 1914 モデルは富本憲吉。いわれるとその面影がある。白いソフトをかぶり赤の蝶ネクタイといういかにもその時代の洋装で、屋外でくつろぐ。なにかしら思案中のようでやうつむき加減。

有島生馬 鬼 1914 当時は不評だったそうだが、なんとなく面白味がある。どことなくこの絵を見ていると三国同盟を思うのだ。理由は措くにしても勝手なイメージであるのに違いない。

村山槐多 田端の崖 1914 下方に小さな人影がある。激しい筆致で、シャイム・スーチンの絵のようなうねりがある。線路上にも人がいるようだ。
こういう絵を見た後は彼の書いたおどろな小説、例えば「悪魔の舌」などを読みたくなる。

西村伊作 新宮風景 1913 水野氏の居城だった新宮城からの眺め。
今はなきお濠も描かれた、山に囲まれた町。
この新宮は西村伊作や佐藤春夫の新宮であり、中上健次の新宮ではないのだ…
水野氏の新宮城と言えば旧幕どころか平安末期の怖い伝説を思い出す。
お城の丹鶴姫が男の子を招くと、二度とその子は帰らない。子らは家に隠される。
男の子らがいなくなったと嘆く姫を見るや、ペットの黒ウサギは黙って外へ出てゆく。
そして遊ぶ男の子の前をその黒ウサギが横切ると、必ずその子は死ぬ…

三井文二 京都疏水ダム 1914 赤レンガ、鴨東運河。昔も今もときめきの疎水。
小舟も行き、並木もみえる。比叡山もそっと。
琵琶湖疏水のことについてはこちらのサイトに素敵な紹介がある。

山下新太郎 端午 1915 幼い長男をモデルにしている。山下は美人の妻、可愛い子供らに恵まれ、彼らをモデルにした優しくいい絵を多く描いた。
長男の初節句である。涎掛けも可愛い。外には鯉のぼり。
この絵は人気があり、当時はそれで複製も作られたという。

石井鶴三 行路病者 1916 人々は彼らの前をいないかのようにスルーする。
この時代の東京の空気感がよく出ているように思う。
この9年後に夢野久作が出した「東京人の堕落時代」を読むと、なんとなく似通うものがあると思う。

石井鶴三は機嫌のよい愛犬家だったようで、その犬とのつきあい方を見ていた中川一政がエッセイに「鶴三は長生きするだろう」と書いてもいる。

河野通勢 長野の近郊 1915 遠くからでも一目でわかる、その執意。緑の濃さ、人々の小さな楽しみ、それらを囲い込む緑の濃さ。

東郷青児 パラソルさせる女 1916 独学で未来派とキュビズムとを取り入れた時代の絵。
イメージ (2274)

チラシにはシュールな絵が出ているが、それにしろこれにしろ、若い頃は実験的な作品が多かった。
中山太陽堂のクラブ化粧品の広告誌に4こまマンガも描いていたが、ペン画でさらりと石川淳のスケッチも描いていたのを石川の追悼号でみた。
石川淳はスタイルが確定した後の東郷青児を「あいつは見事に堕落した」と評していた。どういう意図かは記されてはいない。

鍋井克之 秋(正倉院の池) 1917 大仏池、か。ロングで場を捉える。行き交う人々。
この少し前に新宿中村屋で斎藤与里の晩年のほんわか系の絵を見たが、そこでも奈良へ出かけた一家の絵があり、やっぱり大仏池の畔を歩いていた。
今年はわたしも展覧会だけでなく、正倉院の建物そのものも修理も終えたことだし、見にゆこうか。

林倭衛 出獄の日のO氏 1919 大杉栄。鋭い顔やなあ。思えばこの人はこの後に甘粕に… 
入る前は前で日影茶屋で女に刺されてるし。
この絵は友人宅にて一気に描いたそうで、背景の臙脂色がモダンなような・怖いような。

イメージ (30)イメージ (31)

第二章 揺籃期 1920-1933

アンドレ・ロート、イワノフ・スミヤヴィツチ、ジェレニェウスキーら海外の画家の作品もここにある。
キュビズムや未来派風のを見ると、やはり時代が進み始めているのを感じる。

黒田重太郎も矢部友衛もキュビズムの技法で人物を捉えている。
それにしてもセザンヌ御大の作よりも二次的なセザニスムの作品の方が面白く思うのはなんでだろう。

国枝金三 都会風景 1924 これは以前西宮大谷記念美術館で同じ構図の絵を三点集めて比較する展覧会の時に初めて見た。
小出、鍋井と国枝だったかな。今の信濃橋から本町方向を見る構図。地には路面電車。
国枝のはわりとリアルで描き込みも細かい。

小出楢重の絵がここで二点出ていた。
少女お梅の像 1920
帽子をかぶった自画像1924
わたしはお梅の像やそれ以前のNの家族などの重たい絵が嫌で避けていたのだが、ブリヂストン美術館で小出の特集を見て、パッッと気が変わった。
特にこの帽子に白のスーツの小出。これですな、これで180度転換したわ。
またその直後に芦屋や京近美で小出の展覧会があって、その素描の良さにうなったり、ガラス絵に惹かれたり、随筆に抱腹絶倒したり、と本当に凄い方向転換があった。
尤もその前に「6月の郊外風景」、枯木のある風景の一連の作の一つ 、あれをホテルオークラの夏のあれで見て、それ以来気にはかかっていたのだが。
とにかくやっぱり小出を好きになったのはこれは本当に大きな収穫だった。

正宗得三郎 パリのアトリエ 1923 あー、すごい空、そして窓。ソファには裸婦、盥にはマグノリア。なんだかとてもかっこいい。1920年代、いいなあ。

木下孝則が児島喜久雄の甥だとは知らなかった。
とはいえ彼は独学で絵を学んだのか。色々あるものだなあ。

イメージ (32) イメージ (33)

2.二科展から離れ行く人々
新しい存在だった二科も時を経て大きくなり、そこから去って新しいものを求める人も現れる。

石井柏亭 麻雀 1926 3人の娘と母親とで卓を囲む。これだと賭けるものは蜜柑とかお菓子とかせいぜい家事の手伝いなどか。

長谷川利行 酒売場 1927 場所は神谷バーらしい。えらく洋風な雰囲気やな。神谷バーはわたしも好き。
外観はともかく内装は常に人でいっぱいなのでじっくり観察と言うことも出来ない。

鈴木信太郎 孔雀の庭 1927 好きな絵。八王子の金持ちの息子の鈴木は実際に孔雀のいた庭を見ているそうだ。
木より大きな孔雀、檻の中のインコ、藤棚もある。
どことなく夢のような庭園。

これで思い出したが坂田靖子「孔雀の庭」は素晴らしい庭園と邸宅に住まう、ある英国貴族の滅びゆく生を描いたものだが、そこに現れるのはレンブラントの「孔雀の庭」であり、実際にその庭園には孔雀がいるという設定だった。
「閉ざされた庭園」=パラダイスということを知る物語だった。

有島生馬と熊谷守一とは仲良しで互いの肖像画を描きあいしていた。

第三章 発展、そして解散 1934-1944

藤田が積極的に色彩を取り込んだ時代。メキシコにも行き中国人の一家を描き、大きな壁画にも着手している。
しかし実際のところこの時代の藤田作品はくすぶってもいる。

安井の玉蟲先生もあり、ちょっと笑ってしまう。

伊谷賢蔵 楽土建設 1940 働く人々。ああ・・・五族協和だったかな・・・

松本竣介 画家の像 1941 「フルポン」と仲間内から愛された美少年・松本のすっくと立った姿。力強さを感じる。背後の女性もよい。戦時下になろうとも心を強く保ちたい、という意志を感じる。
イメージ (29)

第四章 再興期 1945-2015

織田廣喜 黒装 1946 ロングドレスの三人の優雅な女たち。おしゃれ。この敗戦後にこんなおしゃれな絵が生まれているのだ。

岡田謙三 シルク 1947 サーカスの人々。やはりどこかおしゃれであり、そして「日本の洋画」からまた変わり始めている。

岡本太郎 重工業 1949 エネルギッシュですなーわかってはいるが。

高岡徳太郎 岩 1953 左端のガメラ岩!!!トルコブルーの空でした。

大沢昌助 褐色の像 1963 彼の展覧会を見たときのことを思い出したよ。紙芝居映画が一番かっこよかったなあ。

最後に昔の絵はがきも紹介されていた。
小杉の黄初平くんが石羊増殖中とか、フォーゲラー風の斎藤豊作の秋景色とか・・・

いいものをたくさんみましたわ。

社内旅行への追憶

四年ぶりに社内旅行を復活するという運びになった。今年夏に交代した社長が社内旅行の再開を求めたからだ。
前社長は行きたくない派に圧されて決行を中止したが、そもそもその前の社長が独裁者で、この人のせいでわが社はとんでもない目に遭わされ、社内旅行も日帰りになったりで、それを力に「やめましょう」になったのだった。

わたしは社内旅行は行く派。あまりうちは厭な目に遭うこともないので、出とこうと思うわけですよ。
それで今までの行先を見ていると、いろんな記憶が蘇ってくるくる。いやもうホンマに。

というわけでちょっとばかり追憶に耽ります。
内容が内容なので色も白にしておきます。

パウル・クレー だれにもないしょ

「パウル・クレー だれにもないしょ」展に行った。
兵庫県美術館での開催である。

クレーのイメージは「なんか可愛い」だと勝手に思い込んでいたが、案外ひやりとするものがあったりした。

チラシは「赤のフーガ」1921.音をかたちにするとこうなるのか。クレーの音楽的感性を少しばかりのぞく。
イメージ (25)
どちらかというと、この絵を見ると色と形のグラデーションを描いたように思えるのだった。
というより、石森章太郎「サイボーグ009」で奥歯を噛んだら加速する、残像が残る、というあれ。

クレーの絵のタイトルはいずれも詩的なイメージで統一されている。
無題などと言うイヤなものはない。…時々あるけど。

イメージ (26)

口元がハート形の妙な人物の図、あれは「洋梨礼賛」。おいしそうなお口をしているのだった。
子どもの絵が多いのはイクメンとして子どもに接していたからだそうだ。
表現はリアリズムではないが、子供をとてもよく見た目がそこに生きているのを感じる。
いわさきちひろなどはわが子の成長をみつめて、そこから月数の異なる赤ん坊を描き分けることが出来たという。
クレーは月数の違いなどは描かないが、子供がそこにいることのリアルさを感じさせてくれる。
たとえ鉛筆の一筆書きであろうとも。

展覧会の章ごとのタイトルで、「デモーニッシュな童話劇」というものがあった。
一見愛らしい童画風の作品でありながらそこはかとなく毒もあれば血もあるという作品が集まっていた。

分割された絵の断片がそれぞれ独立作品として展示されてもいる。

「血の涙」は赤いティアドロップが描かれている。
これはどこかピクトグラム的な雰囲気もある。
そして思うのは啓蒙ポスターである。
ほんの少しの涙なのに、大きな悲しみを感じさせられる。

音楽が絵に入り込む。
フェルマータが特に顕著。
イメージ (28)

山にも見える一方、全てを見通す目にも見える。

クレーの記号化されたようにもみえる絵は、しかし重いメッセージをもつこともある。
ボディが手紙型になった子ども。
イメージ (27)
ただ、わたしとしてはこの子どもの絵を見て「…ヒルコ??」と思ったのは確かだ。
諸星大二郎「妖怪ハンター」の「ヒルコ」によく似ている気がする。
なおこの裏の絵は「花と蛇」…団鬼六とは無縁である。

彩色をきちんと施した絵よりも、鉛筆書きのしかも一筆書きのような作品の方が心に残った。
どこかせつない気がする。

今回ここにはないが、「サヨナラ」だったか、テルテル坊主のような絵があったが、あれをみるといつも終戦後の混乱期に流行った妙な歌を思い出すのだ。
それと同じように、ここにある一筆書きの子どもの絵などには、妙にペーソスを感じる。

この展覧会はクレーが愛蔵したもの40点が含まれている。
どれがどれかはわたしはあまり気にせず見ていた。
だがところどころでその変な歌が頭の中で再生される。
そのとき、大抵がクレーの愛蔵の作品だったりする。
勝手にアタマが反応していたらしい。

よくわからないままだが、クレーの絵を見てなんとなく沈んだ気持ちになって、しかしそれでも顔を挙げてみたくなる。
明るい諦念と言ったココロモチが湧きだしているらしかった。
わたしの勝手な感想なので、本気にされても困るけれど。

11/23まで。

俳画のたのしみ 近世編

伊丹市立美術館に併設されている柿衛文庫の「俳画のたのしみ 近世編」の最終日に行った。
まずチラシがこれですがな。
イメージ (14)

いやほんまに江戸時代の明るさっていいですわね。
このチラシ見て思い出したのが十年くらい前の「耳鳥斎」展。あれも最終日に行ったばかりに図録完売・再刊なしという憂き目に遭うたもんで、それ以来色々と含むところが出来てしまったなあ。

俳画はやっぱり蕪村がいちばん好きで、彼以降の作品の面白さにハマっている。
弟子の呉春(月渓)などの若い頃の作品でも、師匠に似せた絵と書体がなかなかいい。
更に読むに読めない字だと思いつつ、蕪村の書はええなあと思うのだ。
個性が強すぎて読むのに四苦八苦させられた定家などよりずっと好きだ。

3期にわたっての展示替えだということだが、前期にはこのように蕭白の俳画まであった。
びっくりだわ。蕭白もこういうゆるい俳画を描いていたのだね。
イメージ (17)

そう、俳画はそのゆるさが魅力ですなあ。
どこか大津絵にも通ずる諧謔性もあり、また抒情性もある。
わたし自身は短歌の方が好きだが、泰平の江戸時代に生まれた俳句の良さと言うものは、やはり他に替え難いと知っている。
そこに込められた江戸時代人ののびやかで、したたかな精神性を愛で、先人の知恵とワルヂエを敬い、見習いたいと思っている。

イメージ (18)

宗因「ながむとて」句画賛 西鶴画 花見西行偃息図  偃息とは「えんそく」、「おそく」とも読むようで、意味は「横になって休むこと」とある一方で、転じて「偃息図」おそくずは春画・枕絵を差すようでもある。
句は宗因の人気作。「ながむとて花にもいたく馴れぬれば散る別れこそかなしかりけれ」
花見てて首が疲れたが上の句にある。
絵は気持ちよさそうに寝そべる西行法師。

西鶴自画賛12か月より12月 月次絵。昔は大晦日がその一年の集金の締日で、これを逃して新年になってまうと、前年のツケも借金もパァ、消えてしまうというシステムがあった。なんでやねん、と思うが現代とは異なる金融システムだからなあ。
「御家人斬九郎」などでも、年中貧乏の松平家は母上の真佐女さまと倅の斬九郎の二人が小さくなって押し入れで隠れるということをしていた。
岸田今日子さんと渡辺謙の母子は絶妙だった。
ここでは集金周りの手代二人が夜道を小田原提灯ぶら下げて歩く図。節季候ではない。

立圃 盲者の画巻(三画一軸のうち) これは芭蕉「旅の画巻」、其角「乞食の画巻」とつながった巻物で今回はこれが出ていた。世間がお花見に浮かれている時期、盲人たちも楽しもうと音曲を奏でたりごちそうを食べたりする図。

一晶「松虫や」句自画賛 小堀遠州図 宗匠頭巾の遠州が臼でごーりごーりと茶を曳いている図。

一晶「幾廻る」句自画賛 鴨図 2羽のカモップルが泳ぐ姿。案外としっかりしている。

芭蕉「山吹や」句自画賛 山吹図 芭蕉は一重の山吹が好きだそうだ。わたしは一重もいいが八重の山吹が特に好きだ。 
イメージ (16)

芭蕉「枯えだに」句自画賛 枯れ木に烏図 1羽だけしょぼんと木に止る。案外よく肥えてて可愛い。ちょっとうつむき加減。仲間待ちなのかな。
「枯えだに からすのとまりけり 秋の暮れ」

この句に影響を受けたのではというのもある。

卓池「枯々や」句自画賛 枯木に烏図 こちらは6羽の烏のシルエット。丸い頭に三角の嘴に丸めの躰。句は以下のとおり。
「枯々や 尾花ふくらむ 江の東」

野波「けふもまた・初雪や」句自画賛 オランダ帽図 ベールのようなものがついたオランダ帽に菅笠がくっついてる面白い構図。それが風に吹かれている。

許六 百華譜 花を女に見立てて、花は小奇麗に描くが女への辛辣な批判を。

許六「淡海や」句自画賛 雪景図 上部に小さく黒い鳥がしゅっと飛ぶ。
「淡海や 月代はやし 雪の暮」

元禄時代の俳句熱が凄かったのはわたしも知っている。
色んな大会も開かれたそうだし、現代のツイッターが世界の内で特に日本人に愛される理由として140字の制限が、俳句や和歌の字数制限で日本人は慣れているからだ、というヨタだか仮説だかもあるくらいだ。

さてここである意味元禄の象徴の一人たる紀文こと紀伊国屋文左衛門が登場する。
彼の俳号は「千山」…少林寺のようだな…
「腐ったる」句自画賛 傾城図 ああ、なんかもう吉原で小判まき散らして、雪を台無しにしたのを思い出すなあ。

鬼貫賛・春卜画 四季草木図巻 優しい筆致で菜の花、ワラビ、白躑躅、アザミなどが描かれ、そこに句が添えられている。

加賀の千代女の句自画賛もある。
あの有名な「朝顔に釣瓶とられて貰い水」ではなく、昼顔の句。絵は木橋。
「昼がほや ひるのうきなも 橋わたり」
ふふふふふ、わたしはドヌーブ「昼顔」が蘇りましたよ。
江戸の女も「昼顔」してたのかもしれない。

淡々「潮照や」句自画賛 山図 二つの山脈が描かれていた。その間の盆地。
「潮照や 生駒むこ山 二しぐれ」
これは大阪南部の生駒山(奈良との境界線)と武庫山(今の六甲山)をいい、どっちも時雨れてるなという情景なのだが、ほんまにリアル。
この句は大阪に住まわぬとわからんかもしれない。
ことにわたしのような北摂の者がそれにあたるのかもしれない。
西には六甲、東には生駒。六甲は特にわたしにはなじみ深く、生駒はむしろ河内の者たちのお山かと。
ついでにいうと「六甲おろし」はもちろん阪神タイガースの歌、「大阪しぐれ」は都はるみの歌、なお「河内おとこ節」では「わいのオヤジは生駒山」の歌詞もある。

蕪村「角力」自画賛 5人の連句。ハッケヨイ、残った残ったの図。相撲ではなく「角力」の方の字。

蕪村「みじか夜の」句自画賛 武者図 こういうのがまた遠目からでも蕪村やんとわかりますなあ。

蕪村作品はけっこう入れ替わってたようだ。
ここには出なかったが逸翁美術館にある蕪村の俳画もとてもいい。

樗良 自画賛巻 杜鵑が描かれているようだが、どうも胴が筒状になっていて、えびせんのエビの胴のように見える。それと女郎花、雁行。

几菫「うぐいすの」句画賛 月溪画 丹後鰤図 おっちゃんニコニコ鰤を持つ図。
「うぐいすの つかいはきにけり 丹後鰤」
鰤の字を間違うて獅と書いたのを赤ペン添削済み。二人の仲の良さを示す。

月溪「大津絵」自画賛 軸物で上から藤娘、槍持ち奴、念仏鬼、寿老人、鷹匠の若者。
蕪村、「キ角」、乙由らの句がある。
其角もめんどいときはキ角とサインするのだなあ。
鈴木其一も「キ一」にしたら…あかんか。

月溪・几菫「煮びやしや」句画賛 老人図 お客さんに煮びやし料理を出そと支度してたら、えらいこっちゃ予定より人多いやん、焦るがな~というおじいさんが慌てる様子の絵。
「煮びやしや つもりの外の 客二人」
あきませんぜ、急な予定変更は。なんしかこのメニューは手間のかかるものなのでお気の毒なことですな。

月溪「名月」句画賛 芭蕉・其角 この師弟二人の後姿というのがええもんです。
とはいえわたしは芥川の「枯野抄」をちらっと思い出してもたけど…

月溪「俳諧新歌仙図」自画賛 許六・千代女・丈草・半時・太祇・夜半(蕪村)・移竹の七人。蕪村風な絵と書で明るく描く。
蕪村もええお弟子を持ったと思います。

ここで言うのも何やけど、サントリー、MIHOさんで「若冲と蕪村 同い年の二人」展を見たが、結局のところ自分が本当にええなと思ったのはやはり蕪村の方だった。
若冲は若冲でいいのだが、蕪村の日常のにこにこ・なごやかさというのはやっぱり尊いと思うわけですよ。そこはかとなくギャグも多いし。
若冲にはある種の鋭さがあって、それがわたしにはヒリヒリさせられて困るのだ。

月溪「三十六歌仙偃息図」草稿画巻 みんなそれぞれ好きな態度で楽しそう。

蕪村句稿断簡 九老証画 琵琶法師図 なにやらしょぼんである。
この九老とは紀梅亭(楳亭、の方でわたしは知った)のことで、以前には大津歴史博物館で展覧会もあった。その時の感想はこちら

彼は蕪村一門の高弟で大津で20年ほど機嫌よく暮らしていたそうな。
天明の大火で京都から逃れたというが、思えば若冲は中豊島村界隈にまで逃げて行ったし…

蕪村句稿断簡 九老証画 公達図 こちらもいわゆる「嫁入り手」の一つ。二人の公達がいる図。
これでおカネを得て、師匠の娘の再婚資金に充てようというわけです。やっぱりね、おカネがないとね、再婚した先で小さくなるのもね、いやそれよりも、また厭な目に遭うたときにね…

自笑 蕪村「乾鮭や」句画賛 九老画 乾鮭図 でたーーーっ久しぶり!大津で一別以来のカンパチコに乾いた新巻鮭!!!もうホンマに物凄い顔つきの鮭!ガジガジ。
なんかもうこのド迫力にヤラレますわw

後出の「在原文庫 仁」の本にもこの鮭の仲間が登場。そっちは白目というか目玉無くなって、白い空間ぽっかりなのが余計に怖いわい。

也有「みみづくや」句画賛 東甫画 也有像 也有は琵琶が得意だったようで平曲をよくやったそうな。
「みみづくや 我さえ笑う かげぼうし」

也有「草刈の」句自画賛 草刈童子図 柳の下で頭頂をくるりと削いだ男の子が笛を吹く図。目を閉じて気持ちよさそうな顔。
「草刈の 手に残りけり まつり笛」

也有「枯てこそ」句自画賛 初鰹図 おーーー、上方ではそない初鰹には執着ないもんなあ。

蓼太「我がものに句自画賛 女郎花と婦人図 この句はうまく、またせつなくもある。
「我がものに 手折ればさびし 女郎花」

一茶「両国の」句自画賛 鳩図 あのゆるい鳥、鳩やそうです。これはなにかというと、
「両国の はきにはに成る 寒哉」
将軍家のお鷹狩の御成日には、両国広小路の普段は見世物なんかでワイワイ賑わうあの界隈が、キレーーーに更地になるわけです。それず「掃き庭」で、なんもない様子。鳩もしょぼん。
両国広小路の賑わいの様子は江戸博の巨大なジオラマで「こんな感じか」と味わえる。

岳輅「香ににほふ」他句自画賛 古狸図 おお、琵琶を弾いている狸。そういえば11世片岡仁左衛門が明治のいつ頃か、「平曲のうまい狸がおる」というのを聞いて、わざわざ十三(当時は草っ原だったというが)にまで行って狸の琵琶を聴いたそうなが、その狸の幻術にかかって不思議なものを見た、と川尻清タンに語っている。

大江丸「花ふぢの」句画賛 芳中画 山水図 これはもう南画ですな。

月居「よきつまを」句画賛 芳中画 お多福図 垂れ眉の女の人。

抱一「夕立や」句自画賛 雨宿図 みなさん雨宿り。
「夕立や 軒端にあまる 馬の尻」
そう、馬のお尻がよくぬれてます。
抱一の俳画は叙情的なのが多くてよろしい。
畠山記念館の苫家の屋根に猫がおるのなんかが大好きだ。

「春興探題追分絵」横本で大津絵に発句がついている。

「海の幸」どーーーんっとカツオの絵。

大江丸の追善もある。享年84。文化2年3月18日。芳中のロングで捉えた町なかの絵。その道を歩く白の上下姿の人。これがもしかすると大江丸かもしれない。

「光琳画譜」 お多福を取り合いする大黒とえべっさん。
芳中のゆるい絵ですな。

蕪村の書簡10月23日付 春卜の本を貸してくれるかな、という内容のもの。当時既に春卜の絵は人気だったそうだ。

とても楽しい展覧会だった。もっと早く見に行かなくてはなあ。

琳派と秋の彩り

もう一か月以上前に行ったのに、もう閉幕が近づいてきたのに、「琳派と秋の彩り」展が感想を挙げられないままになっていた。もうほんと、わたし、だめだめ。
反省を込めて感想を挙げよう。

イメージ (7)

1.琳派の四季

宗達と光悦コンビの綺麗なものをみる。
鹿下絵新古今集和歌巻断簡
四季草花下絵和歌短冊帖
どちらも金銀泥が使われている。
文字の配置・箇所によって変わる肥痩、濃淡、強弱。
いずれも素晴らしい。
当時の京雀等を喜ばせたのもわかる。

宗達のわんこもいい。見返りわんこ。可愛いものよ。
伝・宗達の芦鷺図は寝癖の強そうな鷺がいい。

乾山は定家の12ヶ月シリーズの絵(2月)で、キジがいる図。
芳中は見返る鶴を描く。

抱一の作品は秋らしいものが並んでいた。
菊図や秋草図、秋草に鶉図。
三幅対でも仁徳帝は紅梅だが雁行や紅葉が左右にある。
宇都の山も並ぶ。

其一は伊勢絵から高安の女と東下り。
いつも思うのは光君にしろ昔男にしろ「夢ばっかり見るな!!現実をねじまげるな!!」といってやりたくなるのだよなあ。
それはやはり絵がいいからそんなキモチになるのですよ。

田中抱二 萩兎図 可愛いのう。二匹の可愛い兎さん。

イメージ (8)

2.琳派に学ぶ

蓬春 新宮殿杉戸楓1/4下絵 これはホント、好きな作品。チカチカと輝く楓の愛らしいこと。たまに本画がTVなどで映ると嬉しいものな。

又造さんの60-70年代の頃の琳派風な作品が出ている。
あの階段の壁画も今回の展示の一つです。

古径 狗 ナデシコが咲いている。可愛いわんこやなあ。まだまだお子様なわんこ。

3.秋の彩り
秋の絵は豊かな色彩で寂しさを描いている気がする。

遙邨 まつすぐな道でさみしい 山頭火 好きな絵。小動物がぽつんと顔を出したりするこのシリーズ。明るい諦念とでもいうものがある。
やっぱりそこには「どうしようもないわたし」があるわけで、それをみつめつつ遙邨は突き放すこともなく描く。

栖鳳 秋夕 薪にバッタが止まる。木を削いだ匂いと共にバッタが。うら寂しいような心持になる。

古径 猫 うむ、神様。さっきのわんことは違うのです。こちらは埃及の猫神様のご親族。

蓬春の錦秋が二点。どちらも華麗。色彩感覚が素晴らしい。

橋本明治 富有柿  実に甘くておいしそうではないか。ああ、家に今ありますわー

10/25まで。

筑前・黒田家が伝えた名宝 福岡市美術館のコレクションより

既に会期終了したが、感想は挙げておきたい。
香雪美術館では「筑前・黒田家が伝えた名宝 福岡市美術館のコレクションより」展を開催していた。
わたしは最終日の10/18に見に行った。
イメージ (53)

実は年初、熊本に出張した帰りに福岡市美術館に行った。
成田亨展をみてウルトラ熱が更に高まり、他に見たものの感想が書けないまま10月を迎えてしまった。
な、なんということでしょう!
向こうで見たいいものが飛んで行ってしまったのは痛恨の極みで、これは困ったわいと思っていたら、香雪さんがコレクションをしやはる、と聞いてじーっと待っておったのです。
ところがこれまた色々都合があって…最終日に行くしかなかったのですよー
ひえーである。
それでもう終わってしまった展覧会なので、この際正月に見た御本家のコレクション展も併せて感想を挙げることにしました。
(要するに自分が感想を挙げたいだけの話)
では。

イメージ (54)

黒田如水像 1607賛  眉の濃い人だが、ちょっと面白い表情をしている。なんというか「まっいいけどね」とか言いそうな顔つきなのである。ほくろもある。官兵衛さん。
ひらぱーの園長・岡田准一くんとは違う顔である。当たり前だが。

伝・戴嵩 春暁牧群図 明代 ロングショット。牛と牧童たち。牛牛モーモーしている。子供らもわいわい。みんな可愛い。牛たちも大きい目を開いて機嫌良さそう。

呂紀 花鳥図 明代  キジのカップルがおる。雀らもいる。白梅が咲いて明るい春の始まりを感じる。呂紀、いいよなあ。前期には辺文進の絵も出ていたようで、見に行かず勿体ないことをした。

探幽 獺図 チラシの一番下のあいつ。
ぬめぬめした膚とかハナハナしくリアルやなあ。
とはいえ正直、獺なのか貂なのかすらよくわからないのだが。
これは後期のみなので見れて良かった。

狩野昌運 鴻門会・孔雀・鳳凰図  項羽に呼び出されてひやひやしながらやってくる劉邦。これで目が怖かったりすると樊噲なのだけど、その前段階の状況。

狩野昌運 百流之絵鑑 この絵師は歴史画を特によくしたのかな。狩野派だから模写に力入ってたろうけど。
四睡、5雀、丸顔の猿などなど可愛い絵が多い。

塩竈松島図屏風 8曲1双の大きな画面に198隻と1900人が描かれているそうな。
イメージ (55)
船の数を数えてみたが、わたしでは100ばかりしかわからなかった。島影にいるのとか交差する船の向こうの船とか、そんな船を見分けられないのかもしれない。
陸に上がる。「なぎさ寺」と言う名を見る。五大堂もある。20年くらい前に行ったなあ。
橋でつながる島々。こういう近代以前の土木工事というか橋梁工事を見ると、川はともかく海はどうやって橋を架けるのだろうと興味深く思いもする。なにしろ下に杭が建ってるように見えるのだから、やっぱり建っているのだろうか…

西行ゆかりの松林もある。中に四角く園のようになった空間があった。建物を集めているが、そこの入り口から振袖少年に案内されて坊さんが入ってきた。あら、もしやここは♪
と、色々楽しい妄想が拡がってゆく。

座頭と犬、猿回し、コマ回しの子ら、龍の舞。右隻の瑞巌寺も左の塩竈神社もとても立派。
いい屏風。

天璋院 竹図 明治になってからの絵。力強い竹の絵である。ところで「吾輩は猫である」でもハク付のためにか「天璋院様の云々」というのがあるが、この時代の実感として、よっぽど人気だったのだなあ。

紺紙金字能浄一切眼疾陀羅尼経 李朝14-15世紀  紺紙金字のお経はよく見るが、ここには既に成立しているハングル文字も書かれている。
タイトルを見ただけではあるが、なにやら目の病気にあらたかなお経のようである。

太閤が所望したのを「日本の半分くれたらね」と躱したと言われる博多文琳がある。
明代の茶入。スゴイ価値の茶入ですなあ。

ほかにも唐物、瀬戸、薩摩などの茶入があり、愛らしい。
またご当地の芦屋釜もある。なかなかいい感じ。

蒔絵関連も少なくない。姫君用の源氏物語入れの箪笥、提箪笥、挟箱などなど、手が込んでいて素敵なものが多い。

桃山時代の永楽通宝の陣羽織には笑えたなあ。歌舞いているのかしら。

簪や笄といった髪のアクセサリーも充実している。
筥迫につけるようの銀のビラビラもいい感じ。
桜に蝶飾り銀筥狭子びらびら これは11筋の銀鎖の果てに蝶々がついている。それだけで欲しくなる。

鼈甲の花笄飾りがずらり。これはあれかな、ほんまに小倉藩の浜に打ち寄せられたとかのかな。
今では飴色に耀いている。

あとは自在のカニ。動いているのを見たいなあ。


続いて正月に福岡市美術館で見たものについて少々。

・薬王密寺東光院 寄贈品
真言宗のお寺から多くの寄贈があったようで、和風な設えの一室に黒光りするような仏像などが並んでいた。

・松永コレクション
松永耳庵の茶道具などなど。仁清の壺とか茶碗とか。そうそう、小田原の耳庵の別荘にもリベンジしなくては。

とにかく個人コレクションが多い。これは大阪市立美術館もそうだが、市民の心意気を示すものだと思う。

・近代洋画
ラファエル・コラン 海辺にて とても巨大な絵。297x446.びっくりしたな。明るい陽光の下で綺麗な裸婦たちが楽しそうに遊ぶ。

児島善三郎の裸婦もある。彼は留学から帰り、自分の画風を確立してからが最高に素晴らしい。
また児島の展覧会がみたい。

ところでこのときすごいものをみた。
古美術展示室で「福の神 大集合!」という企画があった。
吉祥画や山水画とか鶴の絵が並ぶ室内の真ん中に、蝋製の色っぽいリアルサイズの弁天さんがおいでやおまへんか。しかも片肌脱ぎで片足も腿まであらわに。
きけば閉館した嬉野の秘宝館のプリンセスらしい。
びっくりしたなあ。
綺麗な出来のお人形なので捨てられるのはやはり勿体ない。
ここでこうして第二の人生を歩むのは悪くないと思う。

ああ、9カ月たった今もあの妖艶なお姿が蘇るわ―

伝道院が好きだ!

可愛い忠太の伝道院へ。
もう本当に初めて実物を見たときの衝撃の大きさ。
これは今も胸に残っている。
だからか、ここへ行くと必ず写真を撮らずにいられなくなるのだった。

IMGP0399.jpg

IMGP0400.jpg

IMGP0401.jpg

IMGP0402.jpg

IMGP0403.jpg

IMGP0404.jpg

IMGP0405.jpg

あうーっっっかわええのう。

こちらは98年3月の写真。実は中に入らせてもらい撮影もしたのだが、補修工事中なので、あんまり撮らなかった。
今から思えば貴重な機会だっったのに惜しいことをした。あのドーム内にも入れてもらったが、すごくぼろぼろになってたもんなあ。
でも、忠太の可愛いインド風というかサラセン風ビルヂングの可愛らしさはどんなになっても消えません。
周囲の怪獣たちの可愛さもまた格別なりよーーーっ

というわけでちょっと褪色もしつつあるけど1998年の伝道院と怪獣達です。

イメージ (59)

イメージ (60)

イメージ (61)

やっぱり可愛いなあ。

イメージ (62)

イメージ (63)
ちょっとばかり汚れもめだつね。

イメージ (64)
イメージ (65)
イメージ (66)
この上が工事中の様子。
ほんまにながいことかかったなあ。

イメージ (67)

でも伝道院だからまぁ許しましょう。

歌麿・英泉・北斎 礫川浮世絵美術館名品展 前期

浮世絵太田記念美術館で礫川浮世絵美術館の名品展が開催されている。
1998年にオープンし、2014年に閉館した美術館のコレクションである。
もう本当にあの美術館はなくなったのである。
太田で見ることでそのことを実感する。
イメージ (58)

1998年のオープン直前、この太田記念美術館から春日駅前に新しい浮世絵美術館がオープンします、という案内をもらった。当時太田が出していた割引はがき、あれと全く同型のもので、一瞬「コレハナンダ」と思ったものである。
それで開館して早いうちに出かけて、スリッパをはきかえた途端、「(招待客以外の)初めてのお客様です」と声をかけられた。
そうなのか、なんだか嬉しいなあ。
そしてそれから何度も行ったが、覚えられていたようで、受付の婦人から「最初に来られた方」と何度か言われたりもした。
そんな記憶がある。

「歌麿・英泉・北斎 礫川浮世絵美術館名品展」
展覧会のタイトルどおり歌麿らと、鳥居派、歌川派ら幕末までの作品が並んでいる。


例によって好きな作品について、好き勝手な感想を挙げる。

歌麿 松葉屋内 八重菊 かつらき 1795 風呂上がりの遊女・八重菊。鉢巻を巻いている。この時代の洗髪の状況について色々知りたいことがある。こういう絵を見るとその疑問が蘇るのだ。

英泉 美艶仙女香 はつ雪や 1823 傘を差しつつ布をかぶる女。コマ絵は雷文の縁取りの中に二匹のわんこ。可愛い。
絵そのものは完全に化粧品ポスター。資生堂あたりが作っていてもおかしくはない。

北斎 富嶽三十六景 礫川雪ノ旦 1832 校合摺も出ていた。青一色。
この礫川の地に美術館を拵えていたのだから、ぴったりでしたなあ。

広重 江戸百 大はしあたけの夕立 1857 もお本当にこの雨の描写が素晴らしくてね。
摺りもいいし。わたしはやっぱり風景は広重がいちばんですな。

モノクロに個人が手彩色できるような絵があった。
師宣 上野花見の躰 1680 姫君観桜の宴 幔幕が張られた中で姫君は琴を弾き、そばの若い男は笛を吹く。盲人は三味線を弾いている。ここの家は向い蝶の紋所。
姫の琴に若い男の笛というのは浄瑠璃姫と御曹司のパターン。それで大体恋が生まれる。
ところで向かい蝶の紋は先般ここのブログで挙げた青梅の津雲家がそれ。また春になれば細かい写真を色々お届けしたいと思う。

師重 座敷の遊興 元禄 若衆が三味線を弾いているが、かれが人気ものなのか、腕がいいのか、みんな黙ってジィっと聴いている。

政信 きおひさくら 宇治の橋姫 渡邊のつな 羅生門の話というより大森彦七の話に近いような絵である。鬼女が綱に後ろから掴みかかる。綱はそうはさせじと相手の腕を掴みあげる。意外なくらい迫力というか動きのあるモノクロ絵である。

近藤清春 歌比丘尼 享保 二人の比丘尼と小比丘尼の三人組が歩く。箱には絵解き用の絵図が入れられている。売春が主な仕事ではあるが、やはり絵解きもきちんとする。
先年、龍谷ミュージアムでみた「絵解きってなぁに?」展は近年にないドキドキの展覧会だった。

あの展覧会でも三人組の熊野比丘尼がにこにこ歩く姿を描いたものがあった。
そしてこの絵では二人の女の着物には漆が、小比丘尼ちゃんには膠で溶いた金が塗られていた。

政信 風雅火鉢無間鐘 浮絵根元 元文末 二階はシルエットで喧騒が描かれている。
一階に女がいて「無間鐘」の現場。その様子を見た男が二階から小判を彼女に投げつける。
さてこの小判で女は足を洗うのか情夫に貢ぐのか。

豊信 尾上菊五郎の雲の絶え間姫 1751 この時代だと初代菊五郎らしい。元は京で女形、後に江戸で立役。この歴があるからか、現在に至るまでどちらも出来るのだ。
ふっくらした姫が刀を持って封印をきっと睨む。注連縄切りの直前。これは紅摺絵。

春信 丑の時参り 1765 呪詛する女だが、春信らしいカワイイ女。黄色の鳥居。そばの大木をじぃっ と視る女。川の流れもある。エンボス加工された着物。
怖い状況なのに春信だから可愛いになる。
イメージ (19)

色や形に特色があるものがいくつか。

柳々居辰斎 雷紋飾枠洋風景画・東橋 文化後期 露草青を使った空は褪色しつつある。

国丸 化粧を落とす美人 1826 丸髷・眉なし・お歯黒、という既婚の女が扇面の中に描かれている。背後には様々な紋所が描かれていて意匠として面白い。

広重 東都名所 真崎暮春之景 1831 ベロ藍の綺麗な摺り。小さな梅も咲く真崎稲荷。小舟も出ていて、三人と船頭がいる。筏師もいる。
真崎といえば池波正太郎「剣客商売」の秋山大二郎が住み暮らしているところ。
鐘が淵に住まう父の小兵衛は、後妻のおはるを船頭に小舟で真崎稲荷の倅一家のもとへ向かう。
いいムードだなあ。

広重 近江八景之内 比良暮雪 1834 白い山と灰色のグラデーションの美。裾野の小さな民家の並び。水木しげるも描きそうな風景。解説でキュビズム風だとあるが、なるほど。

国芳 応龍 天保 羽ありで胴なしの龍。このタイプの龍は確か位が高いのだったかな。胴の長い奴より。
うーん、天使も顔だけのが位が高かったと言うけどな。
けっこう不気味なのが海上をゆく。

細木年一 諸工職業競 錦絵製造工程図 1879 働く人々。散切りもちょんまげも一緒に働く。明治やなあ。

英山 当世美人揃 ほんをとりのけしき 1813 回り灯籠のシルエットが盆踊り。床几に座る女。
この絵を見て思い出すのがここの所蔵で今回は出ない春画の連作ものの一枚。あぶな絵の直前の様子。
はーーー・・・もう見れないのだなあ。

春潮 青楼三式部 和泉式部 越前屋 唐土 1792 けだるそうに立兵庫の花魁が吐いたタバコの煙を目で追っている。先のことなど考えられないし考えても仕方ない。

そういえば時折浅草寺の門前を描く絵を見かけるが、ついついわたしは提灯を見て「松下幸之助寄贈のやないですなw」と思ったりするのだった。

北斎 忠臣蔵四段目 1806 珍しいことに赤穂城内の様子。顔世御前が侍女らと花を活けているところ。それが手前。奥には庭園が広がる。オモダカもさいた池。花菖蒲と並ぶ。
向こうから上使がくる。悲報を伝えに来る、その足取りは遅い。

国直 娼家全図 新版 文化 吹き抜け屋台風な構図。バタバタと忙しい。大勢の人々が何かしら働いたり行動したりしている。
かむろらもご飯を食べている。大鍋、大釜からご飯。台車に乗せている。

色のいいのが並ぶ。
広重 五十三次 蒲原 夜之雪 1834 
国芳 通俗水滸伝 花和尚魯知深 1827
どちらも大好きな絵。素晴らしい色彩美でもある。シックなものと華やかなものと。
イメージ (20)

周延 徳川時代貴婦人之図 投扇興 1898 女二人がほぼ千鳥のように仲良く寄り添って遊んでいる。雅な遊びですわな。

芳幾 俳優写真鑑 仁木弾正 尾上菊五郎 1870 五世菊五郎の細面の顔がよくとらえられている。この人は後の六代目が生まれたとき「仁木が出来るツラか?」ときいたというエピソードがあるそうな。
しかし丸顔の六代目は実際のところ仁木を演じたのだろうか。

絵本と摺物などが並ぶ。こちらもいいものばかり。
春本の始まりのところなどもある。

英泉 四睡 虎意匠帯の花魁 1830 豊干禅師・寒山拾得・虎の四睡の見立て。楽しいね。

豊国 新吉原櫻之景色 五枚続き 1811 群像図。わいわい。お皿に乗る魚は怪魚ですなあ。

松井コレクションも今後どうなるのだろうか…
来月は後期。そしてそれを見終えると、もう機会はなくなるのだろうなあ。
そういえば礫川でみたー「菊慈童」、あれは前期後期にもリストになかったな…

観るのは楽しいが、悲哀もまたひたひたと押し寄せてくるのだった。

東灘アートマンス

毎年恒例の東灘アートマンスに参加した。
今年は10/17から11/23までの期間に6カ所のミュージアムを回る。
イメージ (35) イメージ (36)

で、10/18に既に5館回り、スタンプラリーもある程度終わり、傘や展覧会チケットのご褒美も貰った。ありがたいことです。
しかもここに参加しているミュージアムの半券提示で割引もあり、色々嬉しいこともある。
わたしが見たのは次の5館(+1)

国立美術館巡回展 洋画の大樹が根付くまで 小磯記念美術館
日本衣装絵巻 卑弥呼から篤姫の時代まで 神戸ファッション美術館
小松益喜・川端謹次 戦後・神戸洋画壇の輝き 神戸ゆかりの美術館
酒器と神獣 神、人をつなぐ美術/オリエント絨毯 楽園を描く・人を彩る 白鶴美術館
筑前・黒田家が伝えた名宝 福岡市美術館のコレクションより 香雪美術館

これら5館を回った。
そのうち「日本衣装絵巻 卑弥呼から篤姫の時代まで」神戸ファッション美術館は昨日のうちに感想を挙げている。
まとめて小さい感想をあげてみたい。

・国立美術館巡回展 洋画の大樹が根付くまで 小磯記念美術館
イメージ (46)
イメージ (47)

これは北海道などにも巡回した展覧会。主に東近美と京近美の洋画のいいのが巡業中。
藤島武二や岡田三郎助の美人画、佐伯祐三らの都市風景、萬鉄五郎、安井曾太郎の人物画、岡本太郎らの作品に至るまで多くの有名な作品が並んでいた。
なじみの名画が多かったので、終始和やかな気持ちで見て回った。
純然たる鑑賞を愉しんだのも久しぶり。いつもは絵の前で色々考えるのだが、そんなこともせず、漫然と眺めたり、「ああ、ええな」と思ったりする。
こういうのは精神衛生上たいへんよろしいな。
感想もだから「ええ絵を見たなあ」という一言に尽きてしまうのだ。
しかしそれも普段から東奔西走できる体制を整えてもらえているからなので、自分を取り巻く環境に感謝。
未知の奥さんが「エエ絵ぇですなあ」と言うので「えぇ、エエ絵ぇですなあ」と答えた。

他に小磯良平のバレリーナの絵などを見たが、アトリエ内でギャラリートークがあり、それがとても楽しかった。
小磯の50年代の群像画はギリシャの彫刻から想を得ているのではという話などなど。


・小松益喜・川端謹次 戦後・神戸洋画壇の輝き 神戸ゆかりの美術館
イメージ (50)
イメージ (51)

小松は当初東京で画家として暮らすつもりが、途中で立ち寄った神戸の街の魅力に惹かれて、それきり神戸の人になったそうだ。
わたしは隣接する北摂のヒトだが、神戸の魅力というものをあまり味わっていない。
阪神大震災前までならまだ好きな店も少なくなかった。
しかしあれで何もかもが変わってしまった。好きな店も代替わりし、面白くなくなった。
美味しかった店も少なくなり、それどころかひどいときは食いっぱぐれることも多い。
これは一つにはわたしが大阪という都市に住まうことでそうなるのかもしれない。
だから神戸の魅力というものが正直まるで分らないままである。

小松が神戸の人になったのは戦前の事だから、今よりもっと洋館も多かったろうし、当時のおしゃれさは際立っていたろう。
戦前の神戸を舞台の一つに描いた手塚治虫「アドルフに告ぐ」で、戦時中にドイツから久しぶりに帰国して神戸の母に会いに来たアドルフ・カウフマンは、町を行く婦人らがもんぺ姿になっているのを見て愕然となる。
「あのオシャレな神戸っ子たちはどこへ行ったんだ」
彼の慨嘆は実際の声だったろう。
つまり、戦前の神戸のオシャレさというものは京阪神の中でも格別だったことが偲ばれる。

洋館を写生したものが続く。現存するもの・失われたものなどが混在する。
いい建物ですねと見て回るうちに、一枚「なんだか雰囲気が違うが、この界隈はいいな、すごく好ましい」と思ったものがあった。
わたしは絵は本体を見てからタイトルや解説などを読むので、絵に惹かれてからそちらを見て「あっ…」となった。
「中之島風景」1950年頃  …大阪やんか。昔の朝日新聞社ビルを今の国立国際美術館界隈から見上げた感じかな。
長らく国際美術館に行ってへんので、これをキッショに見に行くか。
イメージ (52)

小松は洋館の本家の国にも飛んでいる。その時の絵もある。
しかし本家の国に洋館があるのは当然で、それよりも極東に建つ洋館の方がよかった。
戦後の混乱期にも小松は熱意を込めて神戸風景を描く。
どれもいい絵。
そういえば熱心に神戸風景を描いた川西英・祐三郎父子、彼らの木版風景画はいつみても・どれを見てもよかったな。

続いて川端。川端の絵は光を捉えようとする絵で、風景もまばゆいものが多い。
日本の地に根付いた日本独自の洋画ではなく、光をもっていかにして風景を描くか、ということに力を入れたかのように思う画風だった。


・酒器と神獣 神、人をつなぐ美術 白鶴美術館
本館では主に中国青銅器の可愛いのを見、新館ではアナトリア地方の絨毯を見た。
イメージ (44)
イメージ (45)

白鶴美術館の古代中国の青銅器コレクションはとても有名なものだし、これまでにもしばしば見ているから、こちらも安定の<鑑賞三昧>になった。
とはいえいくら見ても見飽きないのが青銅器の文様の魅力で、今回も「あらら」と新発見がいくつもあり、楽しく思った。
殷代の饕餮くんや犠首ちゃんたちのキュートさは言うに及ばず、唐代の金属製品に刻まれた花鳥の華奢な壮麗さにも目を瞠る。ほんと、素晴らしい。
鼻先がカールしたゾウさん、外線だけ蝉な金属、両頭のナニカがついたようなものもある。

イメージ (49)

そして明代のやきものもあるが、そこには大きく目を見開いたファンキーな龍たちがいる。
学芸員の山中さんの著作「その龍に肉球はあるか?―ささやかな日常感覚から見た古美術」、あれ以来必ず龍の肉球や獅子の睫毛を「要チェックや!」するわたしです。
うい奴らよのう…

応挙の絵がある。鶴が飛来してまた去ってゆく。その飛行ルートの美しさ・シャープさに衝かれる。
かっこいいなあ。ずっと斜め奥から飛んできて目の前を横切り、やがて去る。
こんな構図の絵を三百年前に描く人。
金屏風にそれだけというのが、本当にカッコイイ。

曽我兄弟の奈良絵本が3冊出ていた。工藤祐経と兄弟の対話。思えば気の毒な祐経。
曽我兄弟も若い命を仇討のためだけに使って…思考停止の若い兄弟が今となっては哀れ。
この奈良絵本の展開を見ているとそんな気になってくる。

・オリエント絨毯 楽園を描く・人を彩る 白鶴美術館

講演中なのでそぉっと一部拝見。幸いなことにわたしの大好きな動物闘争文の絨毯が見れた。けっこうエグいのが可愛く綴られていてとても好きなのですよ。


・筑前・黒田家が伝えた名宝 福岡市美術館のコレクションより 香雪美術館
最終日に行ってしまい、こちらはもう終了。
今年の正月に「成田亨展」を見に福岡市美術館に行ったが、素晴らしいコレクションを見たのに、ウルトラ熱が取れぬまま月日を越して、なんにも書かずじまいになってしまった。
で、今回もいいものを見たのにもう終了。福岡市美術館、ごめんね。
これはまた別項で感想挙げますわ。

あとは世良美術館のみ。大いに楽しみました。

日本衣装絵巻 ―卑弥呼から篤姫の時代まで

神戸ファッション美術館で珍しく和装の展覧会があると言うので出かけた。
イメージ的に神戸で和装というのはちょっとばかり「??」な気持ちで出向いたのだが、この内容がたいへん素晴らしいもので、神戸だろうが大阪だろうが京都だろうが「ファッション美術館」を名乗る以上はやはりこうした展覧会が開かれるのも当然だし、それ以上にこの企画展が開催されたのは幸いだと思った。 
イメージ (33)

「日本衣装絵巻 ―卑弥呼から篤姫の時代まで」
すごいタイトルである。
そして実際すごい着物がずらーーーっと並んでいて、まさに壮観、かっこいい景色が広がっていた。

展覧会の狙いは以下の通り。
「古代から日本人の衣生活は、外国文化を取り入れながら「和様の美」を形成してきました。埴輪に見る大陸文化の影響をうけた古墳時代から中国・唐風文化の舶来が感じられる奈良時代の衣装。宮廷文化と共に生まれた優雅な重ね着が象徴する平安時代。現代のキモノの形が明確に現れはじめるのは、室町時代以降とされています。
本展では、かつて春の京都を彩った「染織祭」に蘇った、古墳時代から江戸時代の復元女性衣装、8時代100領を一堂にご紹介いたします。染織の黄金時代とも称される当時、最高の技術をもった職人や研究者、有職故実が京都に集結し、史実を元に考証し、復元した傑作衣装の数々を、絵巻物を見るようにお愉しみください。」

復元ものだが、史実に基づいた丁寧な拵えのもので、素晴らしい出来だった。

そもそも「染織祭」とは何か。昭和6年から20年ばかり染織業の振興のために行われた行列祭だそうで、この復元衣装を見るとさぞや壮麗だったろうと思われる。
葵祭・祇園祭・時代祭にならび「京都の四大祭」と謳われたそうなが、日中戦争がはじまると自粛され、やがて記憶からも…という非運の祭りらしい。
20年というから戦後も行われたのかもしれないが、もうその頃は着物を愛している人も売り買いのタケノコ生活をしていたろうし、「戦後」が日本文化を殺しかけていたのだから、こういう祭も復活はしませんわな。
ただ、youtubeに映像が挙げられているので、かつての華やかな様子をそれで偲べるのはありがたい。


祭についての詳しい記録は
京都染織文化協会の「染織祭の歴史」に詳しい。

イメージ (34)

時代装束だけでなく、当時祭のパレードに使われた幟が何本もある。「やすらい花踊」「室町 女房の物詣」などの名称が見えたので、「時代祭」の一部が特化したものかと思った。

上古の時代から幕末までの衣裳の列びはまことに麗しく、これらが四月の陽光の下でしずしずと街中を歩いたことを思うと、奠都の後も滅びることなく生き延びた都人の心の強さに感銘を受ける。

奈良時代には唐文化の華やかさが海を渡ってこちらにも伝わり、前代とは違う嗜好も生まれ、化粧も変わり、髪型も変わった。
上古では前開きだった上衣も奈良時代にはベスト型に変わっているが、これはやはり唐文化の影響かと思われる。

染の技術も上がり、複雑な文様が作られ、技法も今に伝わらぬような手の込んだものがこの時代には多く使われていた。
無論庶民はそこまで手が回らない。地方に行くと都の風は遠く、やっぱり貫頭衣をちょっとどうにかしたようなものを着ていたようだが、ここに列ぶのはあくまでも都人の装束である。

そして都が奈良から京へ移り、鎖国し、国風文化が盛んになり、十二単が誕生するのだが、その時代の装束はなかった。思えば十二単を着るようなヒトは表を闊歩することなどないのだ。外出は牛車、外を己の足で出歩く女は庶人。

旅装束を見るといつも思うのは「安寿と厨子王」「かるかや道心」それに「山中常盤」。
彼女らはきちんとした旅装をしているが、一方で照手姫や梅若丸の母・花子御前のような「狂女」スタイルもある。

室町の女たちで街中に住まう者らは頭をターバンではないが、その時代以外では見られない特殊な形の布で抑えている。
あの名称はなんというのだろう。いつもいつもわからない。

桃山時代。辻が花の衰退の謎についても少しばかり展示がある。
随分前に丸紅が辻が花を復元したものを一般公開したと思う。
何故あの技法が急激に廃れたのかは謎なままだそうだ。

醍醐の花見のための装束が二点。色違いで文様も少しずつ違うが、かっこいい。
これを見て思い出すのが大和和紀「イシュタルの娘」。小野お通を主人公にしたマンガでは、お通が太閤から侍女たちの装束デザインを命じられるエピソードがある。
彼女のセンスの良さが示される話。

江戸時代の装束も並ぶが、こちらはわたしの好きな寛文小袖がないのが残念だった。

イメージ (37)

ところで自分がどの時代のどの装束を着たいかというと、わたしの場合は天平時代の貴女装束を身に着けたい、と常々思っている。華やかな染と織の装束。素晴らしい。
憧れは大きいまま、実行には全く移していない。
あ、時代コスプレは一度だけしたことがある。
池上曽根遺跡に隣接する大阪府立弥生博物館で弥生人の貫頭衣を…

うーーーむーーーー
せめて古墳時代の貴女スタイルがしてみたいな。

装束は全て前述の京都染織文化協会のサイトで見ることが出来る。
わくわくする展覧会だった。
本当にカッコイイ。
1/12まで。

常設では西洋のファッションが展示されている。
ロココから始まり1990年代までのもの。
わたしは1920―30年代ファッションに憧れているので、今回も「ああ、このコート欲しいなあ」といつもいつも思うものをじーっと見てしまった。
もう作るしかないのだろうか。かっこいいなあ。

目の保養になる展覧会でした。

プレ・「市川市でみた近代建築」

市川市はいい感じの町だと思う。
適度な活気と適度なさびれとがあり、住宅街はよく、これは確かに住みたい町だと言える。
ひとの感じもよく、ガーデンシティとして手入れもおこたりなく、いい感じの町。

ところで、後日ガーンとなったが、このとき写真が飛んでしまっていた。
ツイッターなどのアプリからの撮影なら残ったが、あとの普通の画像は消失。
無念なのでまたリベンジするが、とりあえず残っていた画像を挙げて、プレ・市川でみた近代建築とする。
わざわざ今作らずともよいかもしれぬが、やっぱり気持ちのいい町でいいものを観たあの嬉しさを、少しでも形に残したいと思うのだ。


郭沫若記念館に行く。
普通の平屋の民家。ガラスの歪みが往時を物語る。











中はもう本当に普通の和室が続く。
そして郭沫若の資料が展示されている。周恩来や井上靖らとの写真もあり、武田泰淳との交流も記されている。

次に木内ギャラリー。
大正の洋館。

たいへん素晴らしく愛らしい。

こちらは本当に気持ちよく撮影を許可してくださっただけに無念の極みだ。
だが、市川市はけっこう近い。しかもここは国府台からも徒歩数分。また何かしら展覧会があれば行けるしね。

それにしても、市川市、いいところだなあ。
前回の市川市文学館以来、市川市への好意が大きくなるばかりなのでした。

風景画の誕生 ウィーン美術史美術館所蔵

ウィーン美術史美術館の所蔵する作品がブンカムラに来ている。
「風景画の誕生」と言うタイトルで、分野としての風景画以前からある、背後の風景が魅力的な作品を最初にたくさん紹介していた。

全体を見終えてわたしの正直な感想を言う。
…主題の背景に広がる風景って魅力的だな…
本当の風景画よりもずっと。

情報誌の表紙を彩るのは「聖母子と聖カタリナと聖バルバラ」1510年 である。
イメージ (30)
二人のアトリビュートは手前に打ち捨てられ、二人ながらに幼子に優しい視線を向けている。16世紀初頭の古い時代の絵。聖母子の背後には優雅な織物の幡のようなものが垂れ、その向こうに外景が広がっている。
右手奥に塔のあるお城と白鳥池、ゆるやかな橋、左手には優しい丘や民家、そして馬上の人が誰かと立ち話をしている。
空は薄く霞んでいて、静かなよどみがあり、それが不思議な心地よさをもたらしていた。

この絵は「第一章第一節 聖書および神話を主題とした作品中に現れる風景」に分類されている。
そしてわたしはこの第一節が今回一番よかったのだ。

東方三博士の礼拝 1520年 にぎやかである。左下では白地に茶の犬が丸くなって寝ている。三博士からプレゼントがある。そしてずっと向こうにどうやらアントワープらしき港町がある。なんとクレーン車が見える。こんな時代にクレーン車。すごいな。

イメージ (26)

二人の天使のいる聖母子 1500年 ロールパンのような美味しそうな手足。おっぱいをあげようとするお母さんに、知らん顔して手だけ伸ばす赤ちゃん。それを見つめる二人の美少年。
窓の向こうには山や町や川があり、人々の営みがちらりとのぞく。

五色鶸と聖母子 1523年 母子揃って横眼である。背後にはガリラャで復活したイエスが小さく描かれている。人生の最初と人生の終わった後の次の姿。

ヤン・プリューゲル子 エジプトへの逃避途上の休息 1520-30 山中の泉の美しさが目に残る。花籠や果物、幼子イエスがどこかを指さす。そこへ現れるロバをつれた子ども。風景はそえものなのだろうが、この青い夜が燿ような写放っていた治。

タンバリンを演奏する子ども 可愛いだけでなく、実はヴアニタス。

ノリ・メ・タンゲレ 薄エメラルド色の衣のイエスがマグダラのマリアを拒否するところ。彩色・配色がとてもいい。

大洪水 1634―1635 男たち忙しく立ち働く。助け合ったりなんだかんだ。死者もいる。猫を抱っこするちびっこもいる。筏も出ているがやっぱり溺死者が多い。

楽園図 1540―1550 模倣なのだが、なかなか面白いし妙な迫力もある。卵の殻の中のカップルを見ると、福岡アジア美術館のカップルシートを思い出す。本当にこんな感じ。謎の動物もいたり妙な植物もいたり。
イメージ (27)

冥界のオルフェウス 1610―1615 おおー、地獄ぢゃで。なんでもかんでも燃え立っている。熱そう。そうか、氷地獄のコキュートスはずっと遠くか。

神話を描いたものは背景までドラマチックなものが多い。

第二節 1年12か月のカレンダーに現れる風景画

レアンドロ・バッサーノのカレンダーには12星座もちゃんと出ている。
そしてその真下で農民たちが元気に働く姿を描く。
日本でいえば月次絵の四季耕作図でもある。

イメージ (29)

冥界のオルフェウス 1610―1615 おおー、地獄ぢゃで。なんでもかんでも燃え立っている。熱そう。そうか、氷地獄のコキュートスはずっと遠くか。

神話を描いたものは背景までドラマチックなものが多い。

第二節 1年12か月のカレンダーに現れる風景画

レアンドロ・バッサーノのカレンダーには12星座もちゃんと出ている。
そしてその真下で農民たちが元気に働く姿を描く。
日本でいえば月次絵の四季耕作図でもある。

人間がなにかしら働いたり楽しそうにしている図はやはりいい。

ファルケンボルフの月次絵は新約のエピソードをその月次ごとに合わせている。
そして背景として人々の働く風景を描く。

とてもいい感じの月次絵だった。
更にここで「ベリー侯のいとも豪華なる時禱書」のファクシミリ版が出ている。
5月と8月。本当に優美。

第三節 牧歌を主題とした作品中に現れる風景

ちょっとこちらはわたしの好みではなかったな。
セガンティーニ風なのが一枚あってそれがよかったが…

ところでこの二点は2種あるチラシ表紙をあわせたもの。
イメージ (25)
上は月次絵。農民たちのようすがとてもナマナマシイ。みんなお昼ご飯を食べている。
ずーっと向こうには白い山もある。

下は今にも処刑されんとする聖カタリナの車輪が砕け、こんな右往左往する図。
左手に広がる港は薄て青色系でまとめられ、とても綺麗に描かれている。
よくよくみればそこでも誰かを死刑にしようとしているようだが。

第二章からは本格的な風景画の展示で、先の妙に面白い風景を見慣れ、なじんだことで、何やら妙な違和感を覚えたり。
なぜだろう…

いまだに応えは出てこない。

自分勝手な感想だが、本当に前半は面白かった。
しかしこれで自分が何を好きで何がニガテかわかったように思う。

12/7まで。

平林寺 伝来の書画名宝/仏教彫刻/蔵王権現と修験の秘宝

各地でいくつか仏教関連の展覧会を見たので、まとめてみたい。

・「武蔵野の禅刹 平林寺 伝来の書画名宝展」花園大学歴史博物館
・「仏教彫刻」大阪市立美術館
・「蔵王権現と修験の秘宝」三井記念美術館
これらの展覧会である。

「武蔵野の禅刹 平林寺 伝来の書画名宝展」 花園大学歴史博物館 ~12/12
イメージ (17)

埼玉県にある古刹だというが、この寺院の事も展覧会そのものもツイッターで見かけるまで何一つ知らないままだった。
「中興開山 鉄山宗鈍禅師400年遠諱記念」と副題にある。
臨済宗妙心寺派だということで、長く法灯を守ってきたそうだ。

鉄山宗鈍像 1615 自賛つきということはこの時には存命だった人である。
思えばこの年は大坂夏の陣があった…
ワイン色のような袈裟とその下の芥子色とが印象深い。

天皇の諡号勅書もある。光格天皇、孝明天皇など。
そして歴代の和尚の遺偈もまた。一番新しいのは2014年の圓應宗幸の遺偈。「竜頭蛇尾」で始まる一文だった。

イメージ (18)

平林寺にゆかりのある人々から齎された書画を見る。
愛馬図 松平輝和賛・長谷川雪嶺画  リアルな葦毛の馬でほっぺたもふっくら。今のサラブレッドとは違う、

羅漢図 室町時代 この図様は唯一例のものらしい。羅漢が傍らの虎の頭へ手をやりナデナデ。虎も気持ちいいのかしてゴロゴロ喉を鳴らしていそう。嬉しそうな虎。そしてそれを横目で見る侍童。

達磨図 狩野探幽 前歯が2本にょきっ。

独立性易像 富岡鉄斎 既に描かれた古画の内から探して模写している。

林和靖観月図 明代 亭でくつろぐ林。鶴は外で体を丸めて、カシワ屋のチューリップみたいになっている。(関西での若鳥の肉屋で細い足の骨付きフライのこと)
林は片足を椅子に挙げてもう片方をだらんとさせるくらいにグダグダである。
そこへどこか遠くから友人らしきのが来たようで、玄関代わりの大石のゲートをくぐろうとしている。
くだけたくつろぎ感がリアルである。

採芝図 明代 霊芝採りの二人がいる。山中で二人ばかり。これを見たとき、山菜取りで犯罪に巻き込まれたという話が蘇ったが、ここではせいぜい不思議な山の精に誑かされるか獣に食い殺されるかのどちらかか。
尤も虎に喰われたら倀鬼になって働かされるか。

十一面観音来迎図 鎌倉―南北朝 真っ向立ちする観音。金色の身体。手に花。

傷みが激しいものもある。渡唐天神も十六善神もわかりにくい。
しかし大切に伝えられてきているのは確か。

白衣観音・ 寒山拾得図 興悦 室町 中に観音、右にそれを拝む拾得、左は巻物開く寒山。
2人の着物の着方を見ていると、なんだか今風ぽい。えんゆう穿き、それに似てる。これで柄が入ってたらSOU・SOUから購入したのよね、という状況である。

六祖慧能図 即非如一賛 狩野探幽 正木美術館にあるあの顔の印象が強いので、これを見ても「えー」という感じがした。申し訳ない。すごく大きくアップ。横向き。顔や体の線は細線で薄いが、頭巾とチョッキは太線で描かれている。メリハリがある。

どことなく面白い図が数点。
布袋合掌図 狩野季信 上を見上げながら。

鼠羽箒図 白井直賢 円山派でネズミを描くのが多い人だという。2匹が机の上を掃く羽根箒をイタズラちゅう。

老子観雲図 小川芋銭 黒牛と一緒。小さい目で空を見上げている。旅立つのはまだ、と見極め中。もうすぐ西の方へいってしまうのだが。

布袋図 白隠 大きな袋の上に立ち、髭ダンスのような手つきをして、それで大神楽…ではなく傘回しをしている。「豆蔵」というそうな。大道芸も大道芸人も含めて。
元は元禄のころに大坂にいた豆蔵という芸人の名から来たらしい。化政期の頃には上野・広小路で豆を使う芸を見せた芸人もいたそうで、そこから総称としてそう呼ばれるとか。
・・・全然関係ないが、「ぜんまい侍」の友人の忍者は豆蔵くんだったな。

10/31まで前期、後期は11/2から12/12.大幅な入れ替え有。
この日わたしは大宮松原の京産大むすびわざ館に行ってから丹波口でJRに乗り、円町へ出て花園大へ向かった。
次も同じようなルートを使おうかと思っている。


「仏教彫刻」 大阪市立美術館 ~11/1
イメージ (24)

二科の100年展を見た後、常設はこれのみを展示していた。改装工事のためにほかはお休み。
今回は並べ方が巧いと思った。
「対」になる並べ方である。無縁のものであっても、こうして対になれば自然と仲良くなったり、「こっちの方が」輝こうとするもので、いい具合の展示になっていた。

石造の北魏の如来三尊像が2件、並列。
一は舟形光背で供養者は団体、裏も下もサイドもみんなずらずらと刻まれている。
一は裏に月の蝦蟇に三本足の烏という神話の太陽や月と縁のあるモチーフが刻まれている。

向かい合う並べ方もあった。
対峙することで意識が高まるようだった。

木造の観音菩薩立像と聖観音立像。1世紀違うが平安時代の仏像二体。
それから薬師寺の四天王像のうち持国天と増長天も向かい合う。こちらは四人の仲間の内から二人。前衛として立つ。

鎌倉時代の阿弥陀如来を守るように平安時代の広目天と多聞天。こうなるとご老公と助さん・角さんになる。

獅子と狛犬は元から対だから違和感も新鮮味もないが、なじみ感がある。
ここからはちょっと一人だけという仏々・神々をみる。

木造 大将軍坐像 平安 ピースマークをする。落ち着きながらもお茶目さん。
イメージ (23)

木造 賓頭廬尊者坐像 室町1514 丸い頭で目鼻の大ぶりなおじいちゃん。30年後の工藤公康のよう。

銅造 千手観音坐像懸仏 南北朝1357 宝冠をかぶりニコニコと平安そうなお顔。合掌中。

木造 女神坐像 平安 小山硬の絵が三次元化したようである。

薬師寺の木造の吉祥天立像が来ている。絵とはまた全く違う像である。体も大きめ。

再び北魏の石造仏。もしかすると石造仏は全て山口コレクションなのかも。
台座の二頭の獅子が顔が大きい。

はっ となる並びがある。
木造の二体の観音像。
平安の観音菩薩立像 宝冠は残るが手は失われている。
鎌倉の十一面観音立像 リアルな体で十一面それぞれがやや怖い顔を見せている。2面が怒り、笑顔も1面、そして暴悪大笑面もある。

お地蔵さんも並ぶ。どちらも平安の同時代の半跏像。こちらは田万コレクション。
どちらのお地蔵さんも地獄で遭えば救うてくれそうである。

最後に全体を守るように新薬師寺の広目天と多聞天がいる。彼らの足元に天邪鬼はいない。

全体としていい空間に佇むことが出来て、とてもよかった。11/1まで。


「蔵王権現と修験の秘宝」 三井記念美術館 ~11/3

イメージ (28)

メインは金峯山寺と鳥取の投入堂のある三徳山三佛寺からの蔵王権現や役行者らの彫像と経筒などである。
これまで見てきたものが多く、懐かしい再会だと感じもした。
今回の展覧会に関わりのある過去の展覧会の感想を呼び出してみる。

2014/4/14  山の神仏 吉野・熊野・高野 展
2007/5/27  藤原道長 展

修験道の開祖・役行者の展覧会もあった。
2015/4/5   聖護院門跡の名宝展


金峯山寺の方はもう既に何度も書いているので今回は措かせてもらう。
わたしとしては三徳山の方に目を開かされたような気がする。
展示室6から三佛寺の展示が始まる。
イメージ (30)
イメージ (29)

投入堂の平安時代の古材があった。
投入堂は役行者が法力で「エイヤッ!」と山の中腹に投げ入れたという伝承がある。そうでないとあの場所にこんな建物がどうやって、という不思議な存在である。
実際のところは奈良時代初頭の役行者の時代ではなく、その後の平安時代に創建されたという。生没年はわからないが、藤原不比等の時代にトラブッてるので彼の同時代人なのは確かである。とはいえ平安時代にも室町時代にも出現した可能性はある。
わたしなどは子供の頃に見た「新八犬伝」で、何かと頼りになる役行者様というイメージが強く、その後の様々な像を見てもやっぱり辻村ジュサブローの人形が一番に思い浮かぶのだった。

さてこの古材と共に南北朝時代の棟札が展示されている。1375年。北朝でも南朝でも改元した年。義満が将軍の頃。
世の中が騒がしくてもこうして守り続けられているのだ。

獅子・狛犬も可愛い。鎌倉時代からここを守っているのだ。
蔵王権現もたくさんある。木造でみんな手を挙げるポーズ。ただし足は置いているのも挙げているのも色々。衣の線などもシンプルながら力強い。

十一面観音立像もあるが、頭上からお仲間は消えてしまっている。そして手には浄瓶があるが、なんとなく親しいような雰囲気がある。
そうか、食堂のおばさんが「はい、ファンタ」と持ってくるような姿に似ているのか。それで何か温かいような懐かしいような気になるのだ。とても優しい感じがある。

比叡山 みほとけの山

大津市歴史博物館で「比叡山 みほとけの山」展をみた。
このチラシの仏像に魅了されて、てくてく出かけた。
イメージ (12)

天台大師・伝教大師・慈覚大師像 山中に座す三人。既に秋で木々は紅葉している。
こぢんまりと座る三人は慈覚大師のみ頭を晒している。あとの二人は頭巾をかぶり、優しい風情がある。

延暦寺に所蔵される「天台大師像」は高僧の頭巾姿というより、江戸から明治の女の人がよくかぶったおこそ頭巾をつけた婦人のようにみえた。
思えば高野山の弘法大師はどこまでも男性的だが、伝教大師には優美さが備わっているからか、どこか婦人的にも見える。
尼僧としか思えない彫像もあった。
江戸時代の塑像だろうか。

円仁(慈覚大師)、円珍(慈恵大師)の肖像画もリアルな筆致で描かれているらしい。
とんがりアタマにハレ目の大耳の人。
その人の個性をよく捉えているらしい。

比叡山図巻 江戸時代 堅田あたりから始まる。浮御堂をみつけた。見知った場所があると親しみを感じる。

日吉山王宮曼陀羅図 室町時代 北斗七星も共に描かれていた。

日吉山王垂迹神曼陀羅図 南北朝時代 神様のお使いのお猿がくつろいでいる。狛犬は威儀を正しているが、それに頓着せず猿はくつろぐ。

日吉大社の巨大な狛犬さんが来ている。
本当に大きい。目にはガラスの目玉がはめ込まれているが、これがまた表情に富んだ大きな目玉で、二頭はそれでいよいよ迫力を増していた。

チラシになり、わたしを魅了した仏像があった。
チラシやポスターではとても大きく感じたが、実際は細く小さな立像で、手などもとても華奢。
千手観音立像 平安時代 どこかエキゾチックな美貌である。
あのチラシの位置から眺める。そして正面からも。さらに違う方向からも。
そうするうちに少しずつ表情が変わってゆくことに気づいた。わたしの凝視に照れてはにかんだり、見るがいいというような傲慢さからではない、表情の変化がある。
よくよく眺めれば、後補とおぼしき頭も二面ばかりある。
手を見る。
小さく繊細な手は様々なものを持つ。
葡萄を持つ手がある。その下には葡萄を受け止める手がある。美しい連鎖があるように思ったが、よくよく見れば受け止める手にも何か持っていたらしき痕跡がある。
葡萄を受け止める手に見たのは、わたしの勝手な目なのだ。
しかしこの思い込みはその像が美しいからこそ生まれたものだった。
他に髑髏、巻き貝、浄瓶などをもつ手もすべて優しい。

こちらの写真は滋賀県を愛され、活動されているカメラマン・辻村耕司さんが以前に写されたもの。
CRhED39UkAA2qGe.jpg

この仏像を紹介する記事のために撮られたものだが、辻村さんは
「2001年に撮影して山渓の『比叡山を歩く旅』に掲載されています。エキゾチックな風貌を抑えて柔らかな面ざしを写しました。」とツイッターで教えてくだされた。
カメラマン・辻村耕司さんのご好意によって、このブログに挙げさせていただく。
辻村さん、本当にありがとうございます。

今回、このように延暦寺とその周辺のお寺などからご出陣なさった仏像や叡山文庫からの資料を見るのは非常に興味深かった。
これまで滋賀県内の仏教関連の展覧会と言えば、三井寺・石山寺それから湖東のほうのお寺のものを見てきたが、延暦寺のそれは今回初めてだった。
「わが立つ杣」と伝教大師が詠まれた和歌を少しばかり思い出しながら更に見て歩く。

イメージ (13)

不動明王二童子像 これはまた三者の性質のはっきり出た木像である。
セイタカ童子はそっぽむくのだが、腕と言い肩と言い、元気にむくむくしている。
コンガラ童子は目鼻のくっきりした、少女のような美しい顔で微かに微笑んでいる。
その一方で不動明王はやはりコワモテなのである。

異形のお顔の不動明王を見た。
猪に由来する伝承から名を取られた伊崎寺の不動明王坐像である。
眼の刻み部分がかなり怖く、下歯で上唇を噛むのも怖い。
憤懣やるかたないという風情に見える。

金色の虚空蔵菩薩を見た。平安時代。坐像である。思案中のお顔。「智慧」の虚空蔵菩薩なので、どのようなことを思案されているのかは到底想像もできない。

少年なのか婦人なのかわからない像がある。
雨宝童子立像 平安時代 頭上に五輪の塔のようなものを載せている。もしかすると吉祥天だったかもしれないとのこと。

今回、解説文がなかなか楽しい。
アオリが巧くて、笑ってしまうこともあった。わかりやすい解説共々楽しめた。

「男らしく、艶めかしい」男性ファッション誌の見出しのようなのがついたのが、如意輪観音坐像。…石橋凌に似ているな、とこちらは思うのだった。

宋風な風貌の仏像も何体かある。
院派の血脈を継ぐ仏像もある。
珍しい乾漆の仏もある。
また、際立った個性はなくとも、優しい眼と手をみせる像もある。
一体一体じっくりとみることが出来、延暦寺とその周辺の幅広さに感心する。

妙見菩薩がある。星の神様の妙見さん。倚像。神道風な形にも見える、垂髪の少年。
相本に玄武がいるのだが、彼の裳裾と靴との具合が飛鳥の「亀石」によく似ていて、こちらもまた「玄武」かもしれない、と思った。

不動明王と二人組または八人の少年たちの絵もいくつかあり、いずれも可愛らしさに惹かれる。ほぼ見えないものもあるが、それはそれでいい。
一方、鎌倉時代の絵では三人そろって金色に光るものもあった。

段上に居並ぶ仏像たちをみる。
平安時代の天部らしき残像がある。四躯とも凄まじい崩落を見せていて、辛うじて木像のだったことがわかる。不謹慎ながら「ジョニーは戦場へ行った」を思い出した。

四天王に踏まれる天邪鬼たちは色は剥落しているがどこかユーモラスで、踏まれ続ける悲哀を「働く姿」に転換しているようだった。

他にニコニコする走り大黒、花のレイをかけた、クメール仏のようなお顔の菩薩などに惹かれた。
絵の方も来迎図の美人さんな菩薩たちがいい。供養者も可愛らしい。

園城寺からお出ましの地蔵菩薩の巨大さにびっくりした。半丈六というが、本当に大きい。これは大津最大のお地蔵さんだそうだ。そうでしょうなあ。

資料のうちで面白いのはやはり山門結界裁許絵図。
八瀬童子展でも資料でたくさん見たが、立場が変わると見方も変わり、なかなか面白い。


見どころの多い、いい展覧会だった。

大仏次郎の愛した舞台 バレエも、歌舞伎も

大仏次郎記念館の「大仏次郎の愛した舞台 バレエも、歌舞伎も」展は意外な内容で、びっくりした。
いや、これは語弊がある。
この展覧会で意外なことを知ってびっくりした、というのが正しい。
イメージ (7)


大仏次郎が歌舞伎と深い関わりがあることは知られている。
11世団十郎が襲名前の海老蔵時代には多くの歌舞伎の新作を彼のために書いた。
中でも「若き日の信長」などは特に人気で、今もよく舞台にかかるし、「江戸の夕映え」「たぬき」なども人気の演目である。
しかし、歌舞伎以外のところではどうか。
「鞍馬天狗」はアラカンに始まり多くの役者が演じ続けているが、これは別に大仏が演出したわけではない。
だからというわけではないが、大仏次郎と実演といえば歌舞伎しかアタマになかった。

イメージ (8)

今回、大仏次郎本人が舞台に立った、という情報を知ったが、それはまあ若気の至りと言うか、別に驚いたりはしなかった。
この白塗りを見ても「ああ、大正の青年だなあ」という微笑ましさを感じるばかりだ。
同年の同じ舞台には後に妻となるトリ子さんも吾妻光という名で舞台を務めている。
彼女はダンサーとして活躍もしていて、結局それで彼の親族から結婚を反対もされたのだが、猫を立会人にして結婚し、二人は終生仲良く猫と共に生きた。

わたしがびっくりしたのは展覧会のタイトル「バレエも、歌舞伎も」のそのバレエである。
大仏次郎はバレエ・リュスに熱狂していたのだ。
イメージ (17)

これはもう本当に驚いた。
大仏次郎がバレエ・リュスに熱狂したのは1920年頃だからもう既にニジンスキーのいない時代ではあるが、彼はその当時の日本で集められるだけの資料を集め倒していた。
・ニジンスキー「薔薇の精」写真
・レオン・バクスト「シェヘラザード」の「スルタンの女」絵
・アレクサンドル・ブノワ「ペトルーシュカ」「眠りの森の美女」絵
・「エッフェル塔の花嫁」背景画
などなど…
mir248.jpg

ああ、その気持ちはとてもよくわかる。
もう実際に見ることのできない舞台への憧れほど強いものはない。

大仏collectionのバレエ・リュス資料にときめいて、個々に長く佇んだ。
なお、このブログで取り上げたバレエ・リュス関連の大きな展覧会の感想はこちら。
「魅惑のコスチューム バレエ・リュス展」
「舞台芸術の世界 ディアギレフのロシアバレエと舞台デザイン展」

やがて大仏次郎は憧れのバレエ・リュス最後の大物ダンサーの来日に接することが出来た。1953年の話である。
三十年以上の歳月を経て、こうして夢はかなえられた。

バレエ・リュスの最盛期を目の当たりに出来た日本人もいる。
初代猿翁・二代目猿之助である。
彼はダルクローズの勉強もし、その腕の動きを舞踊劇「黒塚」にも取り入れている。
三代目猿之助、当代猿之助の才気煥発な気風はこの人に始まっているのだ。

さて一方大仏次郎は日舞の花柳寿美とも深い縁を結んだ。
里見弴の紹介により、彼女の「曙会」のために台本「花火」を提供したのだ。
イメージ (9)
リーチに木村荘八もかかわっていたそうだ。
1933年の話。

その少し前、1929年にスペインからラ・アルヘンチーナが来日した。
大仏次郎は彼女に対面し、サインをもらっている。
一方、その舞台に感動を受けたのが大野一雄だった。
彼は後年「ラ・アルヘンチーナ頌 わたしのお母さん」という舞踏を世に送り出している。その大野の写真もあり、新しい舞踊・舞踏への脈動がこれらの展示からひしひしと伝わってくる。

展示にはないが、わたしは伊藤道郎や石井漠らを思い出していた。
それから村山知義。
ノイエ・タンツの魅力、「狂つた一頁」の映像美、アンナ・パプロヴァの衝撃などなど…どこかのデパートの上で三人の少女がモダン・ダンスの実演をする映像を見たが、あれはどこでだったろう…

大仏次郎のコレクションはまだまだ続く。
テレジーナ・サカロフ夫妻の来日(1932)にも接していて、その写真もある。

やがて大仏次郎は冒頭で挙げたように新作歌舞伎の作者となる。
9年近くにわたり当時の海老蔵と蜜月を過ごす。
古老の話をわたしは思い出す。
「魔界の道真」での海老蔵の叫びは鬱屈する彼の魂の開放でもあったことだとか、「若き日の信長」の苛立ちも海老蔵その人の苛立ちを露わにしたものだとか、そんな話である。
だがこの二人の関係は「大佛炎上」を海老蔵が拒否したことで終わる。
以後の二人は接触を持たない。
まことに痛烈な無念さを覚える話である。
なお「若き日の信長」の脚本の口絵には安田靫彦の絵が使われている。

大仏次郎は上方舞の武原はんを後援する。
1950年.はんの「山姥」があるその扇子の絵は奥村土牛。金に青楓。
それから「保名」の扇は山川秀峰。これがとてもモダン。露が草に載る様子をシャラッと描いている。

大仏作品の舞台化の紹介がある。
千田是也演出の「三姉妹」1968年。八世幸四郎、初代又五郎、二世鴈治郎、孝夫らに三姉妹は雀右衛門、門之助、精四郎。

役者では先年亡くなった中村芝翫との関係が家族ぐるみの付き合いだった。
これは芝翫の奥さんのインタビューでも読んでいる。
また、歌右衛門から贈られた金色の猫の置物が可愛い。いたずら好きそうな猫である。

いい企画展だった。まだ思い出すだけでドキドキする。

次に常設。猫との日々である。
大仏のエッセーの紹介がある。障子が破れている。8個も穴がある。猫はどこからでも自由に行き来する。さすがにたまりかねて奥さんに言うと、奥さんは澄まして「どうせ破られるか」と答える。
ふふふ、わかるなあ。

雑誌「モダン日本」1935.1月号。作家や画家の奥さんの紹介グラビア。
モガな奥さんのトリ子さんがシャムネコ・アバレを抱っこする。
他には子母澤寛一家と二匹の犬、岩田専太郎の正妻、吉川英治の前妻、加藤武雄の前妻、小村雪岱の奥さんの丸髷姿など。表紙は専太郎のモガだった。
掲載小説は菊池寛「恋愛とパチンコ」、子母澤寛「地獄囃子」、加藤武雄「幻の花苑」。
読み物はベーブ・ルースと牧逸馬、ソ連大使と岡本一平 といったあたりである。

「新青年」もある。松野一夫の表紙絵がかっこいい。赤いシルクハットにエリマキトカゲのような襟をつけたモガ。

2014年にまた刊行された「猫のいる日々」の紹介もある。
「白猫」1946年 挿絵は猪熊弦一郎。

「新青年」に連載した「仮面舞踏会」がちょっとばかり中身が出ていたので読んだら、たいへんヤバいではないか。これはファザー・ファッカーの話なのか。セクハラもいいところで、ヒロインの苦悩がヒシヒシと伝わる。

1948年「水の階段」の挿絵は宮本三郎。水彩画風の女の顔がかっこいい。洋画の時とは違う顔である。

ああ、どちらもとてもよかった。11/8まで.

銀座三越で見た小村雪岱の挿絵など

銀座三越のアートギャラリーで小村雪岱の挿絵などが展示即売されていた。
内容は矢田挿雲「忠臣蔵」、吉川英治「遊戯菩薩」、里見弴「闇に開く窓」の挿絵類と、多色刷版画数点などである。
これらのうち挿絵類は2010年に清水三年坂美術館での展覧会に出たものとほぼ同じ内容である。
当時の感想はこちら
今回はどんな絵が出ていたかを記したい。

「忠臣蔵」
・屋根で寝る黒猫 ロングで捉えたショット。これはもう買い手がついていた。
雪岱の黒猫と言えば「山海評判記」の宿の床の間の黒猫の絵がすぐに思い出される。

章タイトル「素行と赤穂」から数点。ソコウとアコウとは掛詞でもシャレでもなく、山鹿素行と赤穂との関係を言うている。
・室内で髭を伸ばした山鹿素行が誰かの話を静かに聴いている。

江戸時代の肖像画でも素行はひげを伸ばした姿で描かれている。これは「現役の武士ではないですよ」という意思表明である。
泰平の世では主君に使える侍はひげを伸ばすことはならないという意識が共有されていた。
つまり水戸黄門に髭があるのは文字通り「御隠居様」だからである。
そうしたコードがあったのも面白い。

・星空を見上げる素行 左半分を墨で黒塗りし、○形の星々を描く。右半分は塀で隔てて、そちらに裃姿の素行を配する。白と黒の美しい対比である。
赤穂の家中に兵学を教えたことで、山鹿流は後には実践的な軍学として重く見られることとなる。

・若き主従 これは主税だろうか。
15101601.jpg

忠臣蔵は群像劇であり、人々の様々な思惑が交差し、また一つの巨大な意思が突き進む様子がたいへん興味深い。
現代でも忠臣蔵の人気は高い。
雪岱は白と黒のシンプルな線描と大胆な構成でもって、物語を進める。

「遊戯菩薩」
話がよく見えないので後日原作を読んだ。いかにも吉川らしい話で面白かった。
長くなるが、まとめてみる。

元は僧侶だが、お莱という女に誑かされ破戒し、出奔した和平という美男がいる。
彼を生き仏に見立て、それで商売をしようとする人々の思惑がある。
女はめそめそ泣く気弱な和平に見切りをつけて江戸で暮らすが、こちらはこちらで「梟」とあだ名のつく悪い男の恐喝を受けている。(和平殺しという勘違いがある)
女が和平を捨てたきっかけは藤沢の遊行寺でいい男の侍を見出したからだが、その侍が和平で商売をしようとしている。侍はそもそも婀娜すぎるこの女は好みではなく、内気すぎるような女が好みだと和平にはっきり言う。
和平は女への未練は一応捨てて、その敵だと思った男の言うままに身過ぎ世過ぎをする。
しかし元来が意思惰弱な単なる美男の破戒僧なので、いざという時にはあまり役に立たない。だが見栄えがいいので生き仏に仕立て上げてペテンを企む一味。
その生き仏・和平に雨乞いをさせるが、これがうまくゆくはずもなく、信者たちから和平はボコられる。そして命からがらとんずらするのだが、品川を越えたあたりで大雨が降る。
幸い仲間内の一人にツテがあり、そこのいい宿屋に入り込んで一味は寛ぐ。
ところでこの宿にはお莱も来ており、廊下でばったりと侍―小泉百介に出遭い、早速女の方から打ち込むが、小泉は笑うばかりで相手にしない。
女は「金箱」の男・鴻池の手代の八右衛門と平賀源内とでこの宿に来ていた。
一方、あの大雨のおかげで「智識様」こと和平の株が跳ね上がり、この宿に彼がいることを知った近在住の百姓がこぞって押し寄せてきて、生き仏さまを拝む拝む。
事態は一変し、一味はとりあえず招かれた村へ出向いた後、やがて立つ鳥跡を濁さずで旅立つが、もうすっかり「智識様」とご一行は後光が差している。
女の方は色々悔しい日々が続いているが、「智識様」ご一行はあれから江戸入りし、和平は今では総髪の美貌の救世観音の再来として日々を送っている。
花火の日に女は自分にまといつく「梟」を川に突き落とし、知らん顔で家に帰る。金箱が来たがそちらは源内のもとへ行き、入れ替わりに梟が帰ってくるという忌々しさ。
そうこうするうち女の家で働く婆やも中野にある智識様のもとへ拝みに行こうという気になる。婆やとばったり会った小泉は女の恋文を受けて、仲間の勧めもあり、女を信徒に引き込もうと出かける。
女の方は旦那と亭主の板挟みの修羅場で取り上せたが、その小泉のもとへ逃げてゆく。
鴻池の手代・八右衛門は主家から命じられて、源内が挙げる「鴻池家銅山御用處」看板を外すよう本人に通達する。
ところがそこへ小泉が来て、八右衛門は世のために金を出せと責められる。
三すくみ状態になったが一旦小休止したところで八右衛門が小泉を出し抜いて鴻池の持ち船で上方へ逃げ帰り、小泉らの手に大金は入らなくなる。
そうこうするうちに一味は信徒たちに「智識様が遷化される」というビラを配る。
無論智識様の和平に断わりはなく、言い聞かせようにも泣くばかりである。
とうとう巧いこと騙して遷化させることにし、とりあえず断食行をさせ、その様子を信徒に拝ませると、また忽ちのうちにそれが金になる。周囲には見世物小屋もたち、屋台も出て、とんだお祭り騒ぎとなる。
ところで遷化させられる智識様の和平はどんどん本当に信仰心が湧いてきて、今度は自分が救世観音の生まれ変わりであると信じ始めてきた。
そこへ小泉が夜伽にとお莱をつれて行ったが、女の方はかつて見捨てた男が本当に生き仏になったように思い、二人で逃げよう・生き延びようと誘う。しかし和平はもうそんな気はなく、信じてくれている信徒たちの前から逃げるようなことはせず、本当に遷化しようという強い気持ちを持っていた。
そして当日。女が泣きながら手を合わせて伏し拝むのにも頷いてやりながら、清々しい様子で智識様が群衆の前に現れ、様々な予言を挙げた後、自ら入定の場へ向かう。
ペテンの仲間が驚くが、智識様はもう自ら椎の木の首くくりの輪に首を突っ込み、「おさらば!」と縊死してしまう。それを見守るお莱もまた匕首で胸をついてしまい、群衆は凄まじい熱狂興奮状態になり、生き仏の金襴の袈裟や数珠などを我勝ちに奪い合い、髪を切り、という狂騒を起こす。
万両を得た一味は駄馬に金を乗せて裏口から逃げ出すが、そこへ捕吏が殺到する。
表では狂騒がいよいよ激しくなる。阿鼻叫喚の様相を呈している。
表と裏の狂騒をよそに智識様とお莱の死骸が折り重なっている。智識様は笑いながら死んでいた。

娯楽小説としてかなり面白かった。
雪岱の絵は群衆の盲信と猛進、悪巧みの一味の会合、抜け目のない商人、逃げ出した梟男や源内をイキイキと描く。
総髪の智識様が最初にみんなにとっちめられる場などは、腿までめくれていて、意外な肉感があった。
「昭和の春信」と言われても雪岱の描く女や美男は、案外むっちりとしたナマナマしいような肉を持っている。
ここには出ないが、雪岱ゑがくお傳などもはだけた胸を見ると、ぐっとはりだした肉のつよさを感じさせる。
冒頭の遊行寺本堂で旅人らがそれぞれ雑魚寝するところなども、いい。一人だけ起きている小泉の後姿などは「突っかけ侍」の小南敬介が駕籠に声をかけるところとよく似ている。
というよりそのパターンに属している。
総髪の和平も「山海評判記」の紙芝居屋を思い出させもするが、これもキャラ分類すればなるほどと思う。
女を冷たく見るその小さい目の鋭さもいい。

「闇に開く窓」
現代ものである。里見弴と組むのは常にその当時の現代もの小説である。
朝日新聞に連載。
・大きな目の耳隠しの婦人がいる。
・カネモチそうな二人の洋装の婦人が眼鏡越しに何かをみている。
・着物を着た女がどこかの家へ入ってゆくのを、ついてきた男がとめたそうにしている。

里見弴は大好きなのだが、まだまだ読み終えていないのを実感する。
雪岱の挿絵や装丁が活きたままのものを手に入れたい、と常々思っている。

他に仏画も少し出ていた。下村観山のもとで修行していた頃の古画模写などか。
見せてもらって嬉しく思った。

「屏風展 屏風から窺う江戸の文化」青梅宿・津雲邸

青梅市に行ったのは美術館を見るためで、他に用はなかった。
ところが何の気なしに観光案内所に入ると、このチラシが目に入った。
「屏風展 屏風から窺う江戸の文化」青梅宿・津雲邸
イメージ (2)

案内所の人に道を訊くとほんの数分で行ける場所のようなので、軽い気持ちで出向いた。青梅には面白い看板や映画の手描き看板がよくみられる。「昭和の町」を標榜するからだ。
「昭和幻燈館」という久世光彦の最初の随筆集と同じ名の施設や赤塚不二夫会館、昭和レトロ商品博物館などがあるが、時間の都合で「いつかね」と言いながらスルーする。
歩きすぎて秋川街道まで来た。鬱蒼とした廃屋が見える。しかも「津雲」の表札も。
ぐるりをまわるが無論中には入れない。
少し戻ると案内が出ていた。そこへ向かうと、昭和の和風建築の粋がいきなり出現した。
しかもその建物はこのあたりのものではなく、わたしの慣れ親しんだ上方風の佇まいを見せているではないか。
イメージ (5)

案内の方に伺うと昭和初期に京都の宮大工を呼んで、地元の職人らと協働して拵えた邸宅だという。
実にすばらしい。
あまりに素晴らしい邸宅なので本当にびっくりした。
それで建物だけ撮らせてください、と願い出ると快くOKをいただいたのでバチバチぱちぱち・・・・・・
後でわかるのだが、スマホのカメラの不具合で無念にもこの撮影すべでが消えていた。
(リベンジするつもりだが、秋に来たので次は春に来ようと思っている)

とりあえず建物の素晴らしさはこの上のチラシから想像してみてください。
斑入り木賊や竹を使った網代、屋久杉の一枚板の羽目板、格天井、花頭窓(火灯窓)、欄間、建具、壁は聚楽…
普請道楽の御当主の趣味の良さを思い知らされる、見事な和風建築。
あー、もう本当に驚いた。
まぁ建物の件は来年に回して、屏風について記したい。

一階の茶室に案内されると、いきなり岸駒の龍虎図屏風がお出迎え、というか待ち伏せ中である。
尤も虎は龍にがおーっ龍は龍でどこ向いてるのかわからないので、噛まれることはない。
飛びかかってきそうな大迫力がある。
蘋派や琳派や円山派のゆるい虎とは違い、岸派の虎はほんまに怖そうである。
イメージ (4)

次に四曲一双の源氏物語絵屏風。冷泉為恭の晩年の一作。気の毒な殺され方をする前の名品。華やかでしかもはきはきした源氏絵。

色紙貼り混ぜ屏風 鈴木其一まである。地方の素封家にはどんなお宝があるかしれたものではないね。
家を保って後世に残した先人は偉いものだ。

一階応接室へ。
ここは格天井で欄間やガラスなどがいい。
紅葉図屏風 落ち着いた秋の風情。
金襴手の有田や古伊万里の大きいのがある。ああ、本当に歴史を保った家だけの遺産だ。

太夫外出図屏風 西川祐信 おお、優雅な女人たち。金型雲が屏風全体に広がる。
着物も綺麗なものばかり。
イメージ (6)

菊図屏風 胡粉で盛り上がる菊。光琳というよりまた別な感じもある。
後に出てくるが菊のいい感じの香炉ならぬ香籠もあった。四季折々の設えをきちんとしている旧家の美意識に惹かれる。

少し珍しいものを見た。
浜の松図屏風 梅沢隆眞 20世紀初期の漆絵屏風。剥落褪色のない美しい屏風。

階段がまたいい感じ。上がると大広間。よくよく伺えばこの家を建てた人は当時議員だったそうで、それで中央からも多くの要人が訪れていたそうだ。

吉田秋光という復興大和絵の日本画家の屏風が二点ある。彼は松岡映丘の弟子らしい。
大正から昭和に活躍したそうだ。申し訳ないが知らなかった。
後で調べると、帝展に絵を出していたのを知った。

秋桜屏風 柔らかな情景である。
樹上梟図屏風 梅に梟が止まるが、なかなか大胆な構図でもある。

この二階はまた欄間が凝っていて建具も良いしで、撮影にかなり夢中になってしまった。
堆朱または鎌倉彫の施された大きめの円卓もある。
螺鈿で百合を描いた机もいい。
ちょっとした家具も全て見事な工芸品である。

醍醐寺花見図屏風 大勢の人々がいる。醍醐全体が桜に覆われてもいる。
赤い建物が点在することで画面を引き締める。
いいものを観た。
イメージ (3)

やがてご主人がおいでになり少々お話を伺った。
わたしはカメラの件は知らなかったのだが、本当に素直な気持ちで再訪をお約束した。
今度は建築用のカメラを持参して、あらゆる美を捉えたいと思っている。

屏風絵展は11/29まで。春にはお雛様の展示が予定されている。

アルフレッド・シスレー 印象派、空と水辺の風景画家

練馬区立美術館の「アルフレッド・シスレー」展に行った。
副題が「印象派、空と水辺の風景画家」である。
イメージ (89)

国内の様々な所蔵先から集めた20点の展示で、「いつかどこかで見たことがある」作品で占められている。
セーヌ川を愛した画家だけに作品は川のほとりを描いたものが多い。

のんびりした風景には正直、ドキドキハラハラはなく、ある種の静かな退屈さがあるが、心が荒れているときにはこうした絵に宥められ、癒されるようにも思う。

青空、白雲、馬車、緑の木々に赤い実。そして川の流れ。
じーっと見ていると自分もついて歩いているような気になる。
細い木々やピンクがかった雲、遠くに見える塔や教会。
しみじみと味わう滋味のようなもの。
一つ一つの作品から受ける印象は実際のところ薄いのだが、全体として優しい雰囲気があり、それがシスレーのいいところなのだろうと思った。

健全な世界だと思う。
それでわたしは却って興味をひかれないのかもしれない。
それでも絵を見ている間、メモを熱心にとっている。
見たままの感想を書いている。

絵のそばにその当時の写真がある。シスレーが描いた場所の実景写真などである。
それを見ながら比較するという楽しみもある。
古写真、ゼラチンシルバープリントのそれらを見るのはわたしの楽しみの一つでもある。わたしは熱心にそちらを見てしまう。

シスレーの晩年の作品に面白いものを見た。
ロワン河畔の荷車 エッチングである。ここには大きな「フレシネ船」がある。
そしてその説明もあるが、現物は40M近い長さのものだという。生活できる船なのだ。
荷車もとても巨大。
ジャン・ヴィゴの遺した三本の映画の一本「アタラント号」、あれはル・アーブルを行き来する艀だというが、わたしはどうしてもあの船がここを通った気がしてならない。
シスレーの死から30数年後に生まれた映画。1990年にようやく修復され公開されたあの映画のイメージとこの絵とがわたしの中では一つになる…

イメージ (90)

展覧会ではほかに非常に興味深い展示をみせてくれた。
シスレーが愛したセーヌ川とその支流についての考察なのだが、「河川工学的アプローチ」と副題がつくくらい「工学的」な内容で、これが非常に面白かったのだ。

昔はとんだ暴れ川の荒川で、それが人々の努力によって和やかな川に変えられ、パリ大改造の19世紀後半には「憩いの川」に変わったのだった。
そうでなければあんなにも多くの人に愛される川にはならなかったようである。
シャンソンでも「パリの空の下、セーヌは流れる」というのがある。
セーヌ川の左岸・右岸により知識人のいる空間も…
ああ、なんだかすごいことを知ったような気がする。

ロンドンのテムズ川、江戸の隅田川、大阪の淀川、京都の鴨川、エジプトのナイル川、ローマのテヴェレー川、ドイツのライン川、東欧のドナウ川、ペテルブルクのネヴァ河…
都市には川が常にある。
ここでは増水・氾濫・洪水の違いについて教わった。そして東京の荒川とセーヌの比較に始まり、荒川もまた治水工事によりどのように変容したかを示していた。
元は今の隅田川が「荒川」だったと知ってびっくりした。
「大川」と呼ばれて愛されていたのはいつからなのだ、「荒川の佐吉」は実は隅田川だったのか、梅若丸が捨てられたのは和やかな川のほとりではなかったのか…
などという疑問がぐるぐる回り、とても興味深く展示を読んで回った。

ボルドーとブルゴーニュのワイン樽のサイズの違いまである。容量は等しいのだが、縦横が微妙に違うのも面白い。
水平になる水面、それをいかにして構築するかの努力。
「みんなの川」になるために閘門がつけられ、水量調節することでなだらかな川になる。

つぎにはシスレーの地を訪ねた日本人画家たちの作品が紹介されていた。
中村研一、鈴木良三らの作品はもうずっかり日本人の描く洋画そのままになっている。

最後に井上安治「東京名所」シリーズが出ていた。明治の東京風景を版画で表現する。
ああ、わたしはこちらの方に一番惹かれるよ…
現在、ガスミュージアムでも井上安治の展覧会が開催中。

作品はすべてこちらで見られる。


シスレーにはちょっと申し訳なかったが、正直なキモチでした。

青梅市立美術館に湯河原町立美術館の名品を見に行く

青梅市立美術館に町立湯河原美術館の所蔵品が来ている、というので「どちらにしろ大阪からは遠いわ」と言いつつ、青梅へ出た。
町立湯河原美術館には青梅市立美術館のコレクションが出張ってるから、交換の企画である。
イメージ (86)

湯河原には竹内栖鳳の絵がたくさんあることが知られている。
それもそのはずで、その美術館は老舗旅館を改造して美術館として活動中なのだが、その旅館・天野屋は栖鳳の言わばセカンドハウスだったのだ。
HPによると「天野屋を度々を訪れるうち、その敷地内に住居と画室を建て、晩年のほとんどをこの地で過ごしました。」ということらしい。
作品がない方がおかしいくらいだ。

イメージ (88)


栖鳳の作品を見る。
冬瓜 1928 画面の大半を青りんご色した冬瓜が占めている。そしてそこにネズミを配している。噛まれる冬瓜。

竹裏禽声 1932 瑠璃鳥らしきものがいる。とても綺麗な色合い。写生に基づく絵を描く人だから、それこそ天野屋の裏の竹藪からチュンチュンとかピーピーとかルーーーと声がするなと覗いて「をを」になったのかもしれない。

歌仲間 1934頃 これは可愛い。トノサマガエルが三匹、各自おにぎりの頂点に位置を占めている。ケロロロロロと一匹が鳴けば別な一匹がコロロコロロと答え、次の仲間がキェーーと鳴いたのかもしれない。

狗子 1934 可愛い!可愛すぎる!四条円山派の末裔だけに可愛いわんころを描くのは得意ですなー。茶色のカツギのわんこ。目はどちらもどこを向いているのやら。西村五雲のわんことも共通するほわほわな毛並み。そこへはらりと二つの花びら。

行秋 1934 冬支度のために薪を拵え、一括りにする。伐った断面が白い。ぎゅっと縛ったその薪の木の皮はまだめりめりと音を立てそう。その上に青い鳥が一羽。

竹雀 1934 半ばで伐られた竹と伸びる竹と。そこへ飛んでくる雀。小さな羽根を精いっぱい開き、白い腹を見せている。付け立てで薄くにじむ羽根を描く。顔だけははっきりと。

宇佐幾 1939 二羽の兎さん。眠たそう。

喜雀 1940 数えの喜寿の歳、金屏風に描く雀たち。右隻の雀らがなかなか。
「オラオラ」「ちっ」「ケッ」という声が聞こえてきそうなガラの悪い、<歩く>雀たち。
みんなもうツラツキのわるいこと。
左は飛んだり降りて来たり啄んだりなんだが、印象に残るのはやっぱり右のヤンキーな雀たち。栖鳳先生、喜寿の歳にえらくハジケちゃったのね。

洋画をみる。
山下新太郎 薔薇 シックな配色である。薔薇たちはクラシックで重厚な美しさを見せる。それを活けた容器にはネコ科の動物の絵がある。髯までピンと。レトロな美しさを感じる絵。
イメージ (87)

荻須高徳 郊外の道 1970 えらく坂である。片側の建物の並びをみる。坂の上下の建物の並び。濃い色の並び。力強い建物。
耐震は大丈夫なのかどうか。

矢部友衛という洋画家の作品もある。
「プロレタリア運動を通じてロシア美術を日本に伝え、自らも労働者を多く描いた洋画家。」と説明がある。
二年ほど前、和歌山近代美術館で石垣栄太郎展を見たが、彼はアメリカへ渡りジョン・リードを信奉していた。こちらは時代はもう少し後の、日本でのその仲間と言えるのかもしれない。
絵そのものはすっかり日本化した洋画という趣がある。
その技法でもって伊豆や磐田や静岡の労働風景を描く。抒情はないが、力強さのある画風。

水彩画もある。
富田通雄の1930年代から1977年までの伊豆を描いた風景画。
正直なところ、この界隈て本当に無縁なので、「そうなんや、案外寂しいねんね」と思ったりするのだった。
それは人の居ない風景を描いているからなのだけれど。
だからか、人出のある「吉浜海岸の夏」1932 などは楽しそうでいいなと思うわけです。

こうなるとやっぱり風景画がニガテだというだけになるのか、わたしは。
いや、しかし巴水・紫浪・吉田博ら版画家、池田遙邨そして広重の昔でも彼らの風景画は好きだから、何がニガテで何が好きなのか、ちょっとムツカシイな。

現役作家・平松礼二の特集を見る。
華やかな琳派風の作品が多い。
艶やかで明るい。
梅林を描いたものを見ていると、熱海でも湯河原でも梅は人気なのだと思う。
夜桜も明るい。
日本の祈り(さくら) 2012 これは枝垂桜を描いているが、なんだか音楽が聴こえてきそうである。邦楽の楽器でロックしてるようなムードがある。
秋の紅葉もキラキラしている。
ちょっとチカチカが目に残るね。

青梅市の所蔵の藤本能道のやきものを見る。
烏を描いた筐体がいい。あの独特の釉薬に烏がちんまりといる。
梅白釉金彩か。いいなあ。
菊池寛実記念智美術館で見てから好きになった作家。

小島善太郎の常設で一点たいへん心に残るものがあった。
白根山釜池 これはわたしも行ったことのある白根山の頂上池の「お釜」ですな。
一家のスナップショットのような絵。トルコブルーの空に白雲。ミントグリーンのお釜。ああ、なんだか懐かしい。
ありふれた家族旅行の一枚、という風情がいい。

行った甲斐がありました。11/15まで。

伊東深水と永井荷風 『南方風俗スケッチ』と『断腸亭日乗』から見る戦時下の風景

市川市芳澤ガーデンギャラリーと伊勢半紅ミュージアムとで同時期に、伊東深水の素描をを中心とした展覧会が開催されている。
伊東深水は昭和47年に亡くなったが、戦前から亡くなるまで常に第一線で活躍し、昭和を過ごしたご年配の方々には忘れられない画家である。
美人画を第一義の仕事としつつ、戦争中に南方へ行き、現地の詳細な風景・情景・風俗をスケッチしている。
2006年、目黒区美術館でもその仕事が紹介されたが、それ以来の展示だと思う。

先に市川市へ出かけたのでそちらから。

初めて芳澤ガーデンに行ったが、案外わかりやすく、道も思ったより遠くはなかった。
「伊東深水と永井荷風 『南方風俗スケッチ』と『断腸亭日乗』から見る戦時下の風景」
展をみる。
イメージ (79)

1943年の4/18から7/24までのサインのあるスケッチと軍事郵便などが並ぶ。日付の特定できないものもあるが、同時期の作品であることは間違いなさそうである。

戦場を描いた作品ではなく、日本の統治下にあった南方の国々・島々を経巡って、その土地土地のヒトビトや風景を捉えている。
鉛筆に色鉛筆の彩色が施されたもの、後にアトリエで水彩を施されたもの、そのままのものなどなど。

4/24アニアンキドールにて兵の掌に乗せられる狸の子  これが可愛くてならない。小さな狸の子が掌でじっとしている。
鉛筆はシャッシャッと仔狸の毛並みを描く。

4/25―4/29 吉岡、大宅といった人々の邸宅に滞在し、その庭などをスケッチする。
ピーユという萩の濃い紅色のような花、大宅氏宅の濃い緑など、南方植物の活気ある姿を捉えている。

現地の人々をモデルにもする。
スンダ人の女性を描いたスケッチをみると、朱色の軽い上着にキャミソール、チェックの長いスカートといったスタイルも丁寧に描いている。
他のスンダ人女性も大抵はキャミソールにロングスカートである。

スラバヤ市長の家ではピアノ演奏を聴いたようで、そのスケッチもある。連弾をしているのかもしれない。
また場所も日も特定できないが、二面あるテニスコートで審判らが話している様子をも描く。戦災がここには及ばず、優雅な植民地生活が偲ばれる。

熱帯だけに女性も男性もみんな少しでも涼しく見える服を着用する。
椅子も籐椅子などが少なくないらしい。
そしてなによりも、どこもかしこも緑が繁茂している。

ヤモリ(チチャック)をスケッチしたものがある。14匹くらいを描く。妙に可愛い。
南方では爬虫類もなんとなく愛嬌ものである。

孟加領というのが今のどこに当たるのか調べられない。
マッカサルの当て字なのかもしれない。それがこの地名、今調べてもマカッサル表記もあり、本当のところはわからない。アルファベット表記・発音ではムリな地名なのかもしれない。
そこでは椰子の並木がある。深水はその地を描くのに椰子を描く。

高倉式の農家がある。こういうのをみると南方の暮らしの知恵というものを感じる。
「25円で建築された家」とタイトルのついたスケッチもある。
当時の25円は、昭和15年の内地で米一升が50銭だったことから推測は出来るが、貨幣価値だけでなく外的要因も考慮すべきなので、実際の価格はわたしにはわからない。

南方の高倉式の建築については色々と思うこともある。
深水もおそらく同じような興味を持ってこの建造物を眺めていたことだろう。

水上生活者の風俗も描く。日本というか当時の内地でも水上生活者は少なくなかった。
現代でも南洋では水上生活が多くみられる。

石楠花のような花がある。何の花かはわからない。フローラ(植物相)は温帯の(はずの)日本とはまた異なる。
深水が興味を持って植物をスケッチするのが伝わってくる。

ハナ島 深水はちょっとした一文を絵に書き添え、それがタイトルになることも多い。
ここの一文を写す。(現代仮名遣い)
「さる島という。妖樹鬱蒼として全島を覆い、野猿の大群が木々を飛び回っている。」
妖樹は溶樹(ガジュマル)をいうのか、文字通り深水の眼から見て「妖しい樹」なのかは不明。どちらにしろアヤシイ樹ではある。そのジャングルの枝間を猿たちが自由奔放に飛び交う様子は、確かに奇景であったろう。
横須賀の猿島とは違うが、わたしのアタマの中では「アギーレ」の筏に突然大量発生した猿の群れが浮かんでいる。

イメージ (80)

ボルネオにも行く。
ここで深水は民俗学的にも価値のあるスケッチを残している。
6/11 南ボルネオ アンパ村訪問の帰途 此れはダイヤ部落のカトン村の山林にある首塚である  山林の中にトーテムポールのようなものがにょきにょきある様子を描く。それら木彫りの塔(卒塔婆のトーテムポール化したような感じとしか言いようがない)の上には梅瓶らしきものが設置されている。どの塔も同じである。その梅瓶は「与那焼」という代物で、ここに人骨を入れているそうだ。祈る人のためのものなのか・供養のためのものなのか・怨霊封じのためのものなのか・別部族への力の示しなのかは、わからない。

首塚という呼称自体にはどちらかと言えば勝者と敗者の存在を感じさせるが、現実としてどうだったのだろう。首狩りはアジア全域にあったからそんなに特殊なことではない。

6月半ば以降にはジャカルタにいる。
ボゴール植物園という現代も人気の植物園に行っている。
もう少しで開園200年になるようだ。
後に行ったことのある人のサイトなどを見て、わたしも往時をしのんだ。
深水は深く濃い緑を描いていた。
わたしは沖縄の東南植物楽園を思い出した。あれをもっと拡大化した空間だと思うがいい。
一本の木に巻きつく数種の木や植物たち。共棲しているのはわかるが、ある種の不気味さも感じる。

ジャカルタでのスケッチはどちらかといえば人々の居る情景を捉えたものが多い。
多くの人が買い物し、道を走り、人力車のようなものに乗っている。
1960年代の少年ドラマ「ハリマオ」を思い起こさせる人々も少なくない。
わたしは1983年に再放映をみて、「ハリマオ」にハマった。
生島治郎「死ぬときは一人」、伴野朗「ハリマオ」、石森章太郎「快傑ハリマオ」などの創作を始め、ノンフィクションの伝記などもよんだ。
スケッチを見ながらわたしの耳には三橋美智也のノビノビした歌声が再生されている。
♪真っ赤な太陽 燃えている 果てない南の大空に 轟わたる雄叫びは 正しいものに味方する ハリマオ ハリマオ ぼくらのハリマオ

そしてここで深水は現地の踊りを鑑賞し、それをスケッチする。
綺麗な舞踊装束に身を包んだ人々。踊りの出待ちもある。
また現地の侯の令嬢スケッチもあるが、とても美人である。
ジャカルタから離れてからも様々な土地の踊りを鑑賞する深水。
特殊なしきたりを守った舞踊をもみている。
「ラーマーヤナ」「マハーバーラタ」などが題材だと思う。

ジャワでは稲作がおこなわれる。深水は青々と美しい棚田を描く。
また見かけた民家の中での機織りも。
稲作や機織りといった作業を見ると、当時の日本の農村となんら変わりはないのである。
ただしコメは日本のようなしっとり・もっちりでは気候に合わない。

椰子酒屋がある。みんなゴクゴク美味しそうに飲む。たいへん強い酒らしい。少し飲んだら大トラになる、と深水もメモを残す。
アフリカの文学で「ヤシ酒のみ」というのがあったのを思い出す。マジカル・リアリズムの傑作。

ふと思ったが、西洋人からみたアジア、アフリカ、南米はマジカル・リアリズムの舞台になりうるが、欧州大陸はそのような余地を持たない地ということになるのか。

バリ島に行く深水。
裸族らしき人々がいる。白米はある、とメモ書き。タラチネが多い。
日本語で笑える地名もある。ここには挙げない。

線路というか馬車・牛車・大八車などの轍がずーーーーッと続く道のその両脇の小さな物売りの店。家と木々と。
ベトナムに行った時もこんなのを見た。

インドネシア(当時はジャワ)の人々はサロンを着用するが、ここでもオジサンのサロン姿があった。
これを見て思い出したのがフォーサイス「ジャッカルの日」。インドシナ戦線に長らく従軍した男がパリに戻ってもサロンを着用する、というくだりがあったのだ。

最後に軍事郵便の原画があった。もう紙質はたいへん悪くなっている。
「南方風俗スケッチ」である。これらは目黒のY氏コレクションでも見ている。

とても興味深い展示だった。

続いて荷風の展示がある。
わたしは真面目に荷風を読んだことがない。読むなと親に言われていたのもある。
だからこの「断腸亭日乗」を読んだこともなく、今回パネル展示で紹介されたその内容を読んだのが初めて。予想以上に面白かった。
荷風と言えば花柳小説「あぢさい」は読んでいたが、他は読まなかった。そもそもヒトサマの日記を読む、という行為が嫌いなのである。
古典もそうだが、人に読ませるためのものならまだしも、読ませるのに書いたわけでもないのを読むのが嫌いなのだ。
とはいえ、結局のところ「断腸亭日乗」は面白く、逆に戦時中の暮らしの中での荷風の思いなどを読むと、今こそこれを多くの人が読むべきでは、と思いもするのだった。

荷風は180cmという当時の人の中では長身で、靴も27cm、帽子は56cm。これだとフランスでもアメリカでもどこでも幅を利かせて歩くだろう。
深水が南方でスケッチをしている頃の内地では言問橋の鉄が供出され、、歌舞伎の「累が淵」が上演禁止になっている。そのこと一つにしても荷風は日記の中で軍を強く批判する。
公には口にしないが相当な批判・非難である。
一人暮らしのケッタイな頑固者の書く日記は厳しい。
彼の愛用品、蔵書などが並ぶ。
富本憲吉の湯飲み、谷崎からの書簡を額装したもの、ゾラの「ナナ」、鴎外「渋江抽斎」などなど。
一人暮らしだからお裁縫も自分でしなくてはならない。たまにおみくじも買う。買い物籠に下駄という定番もある。

昭和18年でもまだ洋画を見ることが出来たことをしる。
4/17 松竹座で「モスコーの一夜」フランス語版を見て感慨にふけり、5/6「白鳥の死」でもまたフランス語を聴いてかつての日々を想っている。

しかし食事はどんどんダメになってゆく。いつも行く芝口の金兵衛の閉店の話などはせつない。
そしてびっくりしたのが一升瓶にコメを入れて突く、あれは玄米を精米するためなのは知っていたが、糠を洗顔に使いたいための用途もあったのだ。
そんなの考えもしなかった!洗顔石鹸がなくなり、洗濯石鹸しかないので、この米糠で洗顔をする…そうだったのか…
実に意外なことを知った。当時は常識だったのだろうか。

面白かったのは5月某日にある彫刻家が具材がなくなり、黒蝋石でなにやら像を拵え、それをわざわざ恭しく陸軍に献納したそうだ。とんだ有難迷惑だが、陸軍としては拒絶できない。陸軍はそれをペンキで白塗りしたらしい。
献納という形でのイヤガラセなのか、愛国心からの行為なのかは知らないが、話としてはとても面白い。

あとは戦前の竹喬の風景画、荒木十畝の鴨、米芾風の竹洞の山水画や光雲の観音像、六兵衛の茶碗などがあった。

かなり興味深い展覧会だった。
そしてこれと表参道の伊勢半紅ミュージアムとを併せてご覧になることを強くお勧めする。

伊東深水が見た像(リアル) 美の軌跡・素描

伊勢半紅ミュージアムでも伊東深水の素描を愉しんだ。
こちらはスマホで割引画面を見せると100円割引をしてくださった。
ありがとうございます。
しかもよく出来た小さなパンフレットつき。
嬉しいわ。
前後期に分かれているが、始まった翌日にわたしは見に行った。
「伊東深水が見た像(リアル) 美の軌跡・素描」展である。
イメージ (82)

最初に深水の肖像画(油彩)がある。これはお弟子のひとりが描いたもの。
写真の深水によく似ている。
師匠の清方もそうだが深水も弟子たちをよく育てている。

子供時代の絵がある。枇杷を描いている。以前にも見たもので、やはり子供の頃から巧いと思った。

戦後の活躍期の素描から始まる。
昭和30年代の裸婦スケッチが数点。洋画家とは違う平明で和やかなスケッチである。
色鉛筆やパステルなどで着色されてもいる。
イメージ (81)

舞妓のスケッチ 昭和40年代初期 横向きのオデコな舞妓ちゃんが可愛く描かれている。

深水はその時代時代を生きる輝く女性像を創造していった。とはいえ流行を追うばかりではない。常に最前線に立ち創造し続けることで旧きも新しきも取り込んでいった。

夜会巻スケッチ メモ書きを読み、やっぱり夜会巻というのは長髪で髪を挙げる人にはいいものだと思った。
よしながふみ「昨日何食べた?」でも夜会巻をする若い女がいるが、やっぱりかっこいいのだ。

紅衣 下絵と本画がある。モデルは京マチ子である。下絵は睫毛なしですっきりした顔。
本画になると睫毛もついて、頬もふっくらしてもっちりな可愛い女になっている。
胸元の飾りもついて、当時の京マチ子のキラキラしたいいムードが出ている。
昭和30年頃の絵なので、当時の彼女の出演作を拾うと…
少し前に「雨月物語」、この年には「楊貴妃」、翌年には「赤線地帯」などがある。

聞香 下絵 これもいい作品で、その下絵の一部をこうして目の当たりにすると、全体の構造がここからも蘇ってきて、見る側にもよい香りが伝わってくるかのようである。

「宗磁」のスケッチや大下絵がずらりと出ていた。こちらも昭和30年。
閉鎖されたままの村野藤吾の大阪・新歌舞伎座に本画はある。
上本町に機能移転しているが、あそこに絵があったかどうか。
女たちの手にはそれぞれ搔き落とし、青磁、白釉黒蝶文様の壺などがある。
中には東洋陶磁美術館、正木美術館などで見かけたものによく似たやきものもある。
とてもよく出来ていて、そのことにも感心する。
イメージ (84)

紅下し 下絵 下絵自体が墨と朱色で描かれている。
化粧直しのちょっとしたシーンを切り取る。
それにしても数十年前のこうした様子は艶やかだが、今の場所を選ばす化粧直しするジョシたちは絵にはならないな。

南方風俗が出ている。市川市で見たものの仲間である。
南圏画巻というシリーズもある。
ボロブドゥール遺跡、ジョクジャ(ジョグジャカルタ)の踊り、こうした絵を見ていると、本当にスケッチの面白さというものを感じる。

平壌の女性スケッチ 1944.5 チマチョゴリの女性が座す。民族服を着つつ、髪型はパーマも当てている。
70年前も現代もあまり変わらないらしい。

版画が出ていた。
現代美人集 第一輯 口紅 昭和初期、新版画の一枚。紅差し指の紅、それを塗ったばかりの唇。座布団は鹿子。
わたしは深水の新版画がとても好きだ。

慶応病院にて スケッチ メンテナンスで入院しているときのスケッチ。十年後ここで深水は没する。

それにしても深水は本当にスケッチが大好きなようである。
市川市、伊勢半と見て回り、思い出すのが師匠清方の随筆「続 こしかたの記」である。
疎開中の清方の見舞いにやってくる深水。
師弟ともに涙ながらに再会と無事とを喜ぶ。
翌朝、清方はいつも牛乳をもらいに行く道に深水を誘う。
深水はやがてその場の風景の美に魅せられ、一心にスケッチをはじめ、それに気づいた清方もじーっと深水のその様子を見つめ続ける。
ああ、いつ思い出してもいい話だ。

ところでこの展示は大方が鎌倉アートサロンの所蔵品で構成されている。
わたしが見て回っていると話しかけてこられ、丁寧な解説をしてくださる方がいて、もしやと思えば鎌倉アートサロンのご主人だった。
わたしはまた例によって無礼者・無頼漢の本領を発揮して好き勝手なことを口走ったが、歌舞伎の話まで出て、とても楽しい時間を過ごせたのはありがたかった。

伊勢半紅ミュージアムでは映像もうまく使っていた。
在りし日の深水とその家族等が映っていた。洋行する様子、孫らと楽しく遊ぶ姿、つり仲間たちと集まるところなどなど。
深水の展覧会は多く見てきたが、こうしたスナップショットは案外見なかったので、これは嬉しかった。

展示換えもある。いいものを見て、よいお話を聞けて、とても有意義な時間を過ごせた。

十月の東京ハイカイ録

十月の東京ハイカイ録でございます。

9日の夜から都内入りなんだけど、急遽その日の午後に京博にいった。
そう、「琳派 京の彩り」展の内覧会。
まことにありがたいことです。

プライスご夫妻もアメリカから来られてたし井浦新さんもテープカットされて、いよいよ拝見です。
少し前に箱根の岡田美術館の所蔵する琳派作品のブロガー内覧会に出かけて大いに楽しませてもらったけれど、今回は京博はじめ東博、出光、大和といった名だたる琳派コレクションを所蔵するミュージアムや個人コレクターの優品を列挙するとのことで、大きな期待でわーくわく。
まあこの期待は外れません。素晴らしかった。
抱一ら江戸の後継者たちの作品もありました。
さらには琳派にインスパイアされた作品を、ということでコシノジュンコのファッションショーがあり、これが本当にかっこよくてドキドキしたなあ。
タイムリミットを気にしつつ、目が離せなかった。

まあでも結局京都から帰宅したら、会社から帰るときより早く着きましたわ。
そしていよいよ新幹線に乗りにゆく。
大阪駅に着いたらJRが遅れておる。少し早めに出ていてよかった。
普通より快速の方が遅れなして不思議な現象やな。重たいコロコロもって快速に乗りにゆく。

東京からは送迎バスで定宿へ。
どうもわたしの間違いかなんかの手違いであまり好みではない部屋にはいる。おかしいなあ。

とりあえず明日からが本式の東京ハイカイです。
なお例によって、展覧会の個々の感想はまた後日。

十月十日、土曜。
朝から市川へ。先般本八幡に出かけ「ええ感じの町」と思ったが、今回も市川、感じええやないの。適度な活気と適度なさびれとがある。歴史的にもいいしね。

初めて市川市芳澤ガーデンギャラリーへゆく。
場所がイマイチわからんなと思いつつも歩くうちについた。ヨシヨシ、まだまだ歩けるぜ。

伊東深水の南方スケッチと永井荷風の展覧会。
これは息子さんの奥さんがこちらへとした分。
いいスケッチが多かった。
彩色は後からしたようにも思うが、スケッチのうまさを実感するね。リアルな風景と人々と。
それから荷風の愛用品とパネルでだが例の日記の抜粋。
これは今こそ改めて読むべきものやな。
それにしても荷風て180cmとはかなり大きな人ですな。
話は先走るけど、江戸博「浮世絵から写真へ」展に四歳の荷風の写真があった。一家の写真もあるから、永井家はけっこう新しいもの好きな一家だったのね。

お庭を少し見る。
萩にドウダンツツジに柿の実などなど秋の始まりやな。

勧められた木内ギャラリーにゆく前に近くの郭沫若記念館へ。普通の平屋の民家でコスモスや小さな花が愛らしい。
周恩来らとの写真もある。わたしは武田泰淳のからみから郭沫若に関心があったのだが、この人の恋愛関連にはちょっとあれやな・・・

さて、ここから延々と歩いて、途中に紫露草を見いだしたりしつつ、ようよう木内ギャラリーにつきました。大正初期の洋館。ここで村松さんの展覧会。
建物だけ写したいという申し出を快く受け入れてくださり、ありがとうございます。
ほんまに可愛らしい建物でした。

さて村松さんは20年ほど前に渡辺淳一「失楽園」の挿絵を世に送った人で、今回じっくり見せてもらいますと、もともとが官能性の強い作品ですから挿絵もおりおり色っぽいものになりましてな、中には英泉あたりの春画をちょっとばかり使ったものもありました。
これはしかしそうおかしいことでもなく、たとえば蜷川幸雄の芝居「常陸坊海尊」でも疎開中の教師が風の声に誘われて「虎と少将」のいる家に行くときにスクリーンに出てきたり、たなか亜希夫「かぶく者」でもありますわ。
ええ表現です。
少しばかりお話をいたしました。

館の人々から道を教わり、すぐ近くのバス道へ向かおうとして、不思議な洋館をみつけましたが、なんやろう。また調べなくては。

バスはすいすいと市川駅へ。

市川からとりあえず来た快速に乗ると、久里浜行。もういいや、でそのまま横浜。
横浜から乗り換えて元町・中華街。先に港の見える丘公園へ。

神奈川近代文学館は柳田國男展。その前に常設もきちんと見たが、これがやはり後後よかったな。
ちらりと谷崎「痴人の愛」のぞいたら、譲治が「蔵前の高等工業を出て」という設定なので、「そういうたらノーベル賞の大村智さんは隅田工業高校の定時制の先生だったな」と思い出す。
譲治は蔵前だから深川の隅田工業とは無縁。そんなことを思ったりするのも楽しい。

柳田展は生家の紹介から成果の紹介へ向かう。みんな出来の良すぎる柳田の松岡兄弟。
神秘体験の話(秘められた珠を見て感銘を受け、顔を上げると真昼に無数の星々を見て)などを読むと、これはよくそのまま育ったな、と思ったり。神隠しにも遭ったそうだが、泉鏡花の世界の住人になりそうな坊やですがな。
だから官吏になったのはむしろ良かったと思う。
オシラサマの現物が来ていて、怖かった。
鏡花の長編「山海評判記」では白山のオシラサマ教団が活躍するが、一方で柳田をモデルにした学者の家にオシラサマが来たのはいいが、令嬢のピアのを聴いたり、突然出没するので当初令嬢をおびえさせもする。
尤も、令嬢がフランス留学するからご一緒しますかと誘うと「参ろうよ」と答える闊達なオシラサマなのであるが。
そんなことを思いつつ、当時の雑誌記事を読まなくてもいいのに(大変小さい字だ)読んでしまい、例によって「厭なものに限って自分から見つけ出す」状況になる。

かなり時間をかけてみていて、出たのは四時。やばいね。
大仏次郎記念館が隣で良かった。(橋を渡るけど)
こちらは大仏次郎が若いころからバレエや歌舞伎やダンスに対し、深い愛情と理解と情熱を懐いていたことを示す展覧会だった。
特にバレエ・リュスに熱狂していたとは知らなんだ。
これは実に嬉しいニュースでもある。
そうなのか、それはとても嬉しい。しかもラ・アルヘンチーナ来日の際には夫妻はサインも貰ってる。
そしてここで大野一雄「ラ・アルヘンチーナ頌」の写真が現れる。
大野はこの記念館の喫茶室に毎日来ていたというから、なんだかそのことと併せて嬉しくなる。

それにしても大仏次郎は毎年のように「新刊」の出る人だなあ。
それだけ人気があるというわけですね。うむ。わたしも持ってるけどさ。

五時になりました。曇りというより小雨が降ってる。ベイブリッヂもチカチカ光る。
下へ降りて一旦馬車道へ。
実に久しぶりに勝烈庵に入る。先月かな、馬車道十番館のホンネキだと知り、ををと思ったのだ。20年ぶりくらいか。ロースかつ定食にしたが、キャベツも甘くておいしかったし、よかったよ。久しぶりにプロのとんかつを食べたという実感がある。

中華街へ向かう。
一体何年ぶりかな、中華街へ向かうの。今回の「横浜へ」の最大の目的というかこれがあるからこの日にした、という理由が「双十節」だから。
前に来たとき、獅子舞の華やかさ・爆竹のバンバン鳴る音と硝煙にクラクラ夢中になったのを思い出して、久しぶりにやってきたのさ♪
(後で調べたら1996年だった!)…歳月人を待たないぜ。
今回もホンマに夢中になりましたわ。
またもう獅子舞の巧いこと。雑技と同じく身軽でうまいわ~~
ああ、クラシックバレエを見るより、獅子舞が、雑技が、と思うわたし。
「MOON 昴」の逆をゆくねw
ドキドキしすぎたよ。2時間ばかり
間近について回り、爆竹ドーンッッッで心臓を躍らせ、獅子舞の動き、鉦や太鼓の凄まじい響きにときめき、マジでこれは体調に悪かろうと思いながらもついてまわりましたわー。
ツイッターで動画も中継したりね。惜しむらくは硝煙のにおいをもうわたしは感じ取れなくなったことか。本当に残念。
心臓と難聴は悪くなったけど、この興奮と喜びを捨てることは出来ない。
また中に14歳くらいの美少年を見出してね、とても幸せでしたわ、わたくし。

やがて獅子舞が関帝廟へ向かうのも追いかける。獅子の群舞。ドキドキは弥増すばかりですがな。いいもの見て機嫌よくフラフラになりながら帰る。


11日、日曜。
まず練馬へ向かう。中村橋ね。ついたらもう小雨どころか殆どやんでた。
シスレーを見たのだが、実はご本尊の絵よりも、セーヌ川の河川工学の研究や荒川との比較、更には同時代の井上安治の東京名所、またシスレーの作品にインスパイアされた日本の洋画家たちの作品の方が面白く見た。
これはもう完全に趣味の世界だから、シスレーには申し訳ないがわたしはそういう嗜好なのだとしか言いようがない。
そもそも近代洋風建築でも洋画でも果ては食べ物でも、それら西洋のものが東洋に入り込み、とうとうその地で現地化してゆく過程を見るのが好きで、すっかり現地仕様化したものほど好きなものはないのだよ。
だから東洋の現地に根付いた洋風建築、なじんだ洋画、家のおかずになった洋食、これらが好きだ。

小竹向原経由で明治神宮に直行。楽な時代になったもんだぜ。
先に大戸屋でランチ。生姜の濃いあんかけで野菜を食べるのが好きだ。
それから浮世絵太田記念美術館へ向かったが、ここでは去年閉館した礫川浮世絵美術館のコレクションが展示されていた。
泣ける。1998年開館した直後に出かけたら、「(招待客以外の)初めてのお客様です」と言われたのだった。
ここで色んなものを見せてもらったなあ……
もうこのコレクションは散逸するのだろうか。
春信の丑三つ参りの女の絵が特によろしい。
ああ。

表参道に出る。伊勢半紅ミュージアム。キスミーの口紅は1950年代の娘たちを彩った。
その時代に活躍した伊東深水のスケッチ。
昨日の市川市のと同じく南方のものもある。
そしてここで鎌倉の深水の素描を専門とした画廊のご主人から色々とお話を伺う。大変楽しかった。

時間の都合で一旦ここから白金台へ。
松岡美術館で好きなものをいくつか見る。見たかったものや見たことのないものがとりどり現れ、しかも昔の絵葉書をプレゼントまでしてはって、大変にありがたく思いましたわ。
わたしとしては内幸町時代の松岡でガンダーラ仏の美貌を堪能させてもらったものですからなあ。
猫のミイラの仮面、猫の神様、猫の給仕。
猫好きの夢でもあるコレクション。

庭園美術館へ。秋の虫の音がりーんりーんと大きくて心地いい。
オットー・クンツリ。
写真だけ見たら大野一雄かと思ったよ。
好みではないけど面白くてシンプルなアクセサリーがたんまり。
撮影可能なのもありニコニコ。
しかも今回初めて宮様の書斎に入らせてもろたり、姫様の金庫なども見せてもろたり。
ありがとうございます。

次に乃木坂へ。富士フィルムフォトサロン。岩崎一雄さんの捉えた祇園閣の写真展。
これが素晴らしかった。
自分でも祇園閣の撮影させてもらったが、プロの作品を目の当たりにするとまるで別物。
やっぱりプロは違う。それで建築の話も盛り上がり、更には何やら質問されるお客さんに「横シツながら」とその言われる建物の設計者の名を教えたり色々。
そして岩崎先生から喜八郎の藏春閣写真集をいただいてしまったのだ!!
誠にありがたいことです、本当に嬉しいです。
後日また先生の祇園閣のお写真の紹介を予定。
2月には大阪の富士フォトサロンに巡回するので友人らを連れてゆく予定。
あーいい気持ち。

六本木から銀座へ。三越のギャラリーで小村雪岱の挿絵などを見る。
吉川英治「遊戯菩薩」、矢田挿雲「忠臣蔵」、里見弴「闇に開く窓」、あとは仏画素描とカラーものなどが少々。吉川のは国立国会図書館のデジタルライブラリーにあり、ちらっと雪岱の絵らしきものが一瞬みえるが、そのページが開くことない。
雪岱の挿絵仕事の始まりは里見弴「多情仏心」からだが、あの作品ではコンテを使い、後の雪岱のパブリックイメージから遠く離れた作風になっていた。
しかしこちらは白と黒の婀娜でクールな画風で現代を描いていた。
ところで五年前に雪岱展を清水三年坂美術館で見ているが、そのときにこれら3作品が出ていた。うっかり忘れていた。なのに、「闇に開く窓」に関して、五年前と全く同じ感想を書いていた。
『雪岱の挿絵の最初の仕事は弴の「多情佛心」でこちらはコンテを使った作品だから、今日から見た雪岱の絵のパブリックイメージからは遠く離れている。』
・・・成長していないというか、この時点で完成されたというべきか。ははははは。


この日は終わり。

さて最終日の12日。
この日は早くから動かないとあかんのでバタバタする。
青梅に向かう。
青梅市美術館に行く前に観光案内所によると、屏風絵展というチラシがみえた。
徒歩数分というので向かう。
昭和の町を売り物にしているので色んな看板が楽しい。この寂れ具合がまたどうかするとマカロニ・ウェスタンのシケた町のようで面白い。
草まみれの家を発見したが、あれは廃屋で、目的の津雲邸は少し手前にあった。
・・・うわーーーーっである。
宮大工を招いて昭和初期に建てた近代和風の粋!!!
びっくりした。
建物を撮らせていただいた。あーびっくりした。
こんないいのがあるんやねえ。

屏風は上方絵が案外多い。岸駒の龍虎、西川祐信の美人、冷泉為恭に江戸の鈴木其一などなど。
螺鈿や蒔絵のいい工芸品もあった。

うーん、すばらしい邸宅、普請道楽は素晴らしい。
あんまりよすぎて、ここで予定時間全部を使い果たしていた。
とは申せ後悔なんかないよ。
ここから青梅市美術館へゆく。湯河原町立美術館のコレクションを見る。
竹内栖鳳がやっぱりよかったよ。
数え喜寿の時の「喜雀」の右隻の歩く不機嫌な雀どもが面白くてならない。
栖鳳のトボケたユーモアが楽しい。
ほかにもいいのを見て、やっぱり遠いけど来てよかったと思いながら12:05駅に着く。
まだ電車がいるので喜んでボタン押して中に入るが、なんでか知らんが12:07に出発。
助かりました。

日当たりのいい中、御茶ノ水へ。のりかえて秋葉原でご飯食べてから両国へ行く。
「浮世絵から写真へ」展。これがまた面白すぎた。
今年は幕末から開化の頃の浮世絵などが豊作の年だけど、これがまたそのお仲間で、実に面白かった。

リニューアルした常設展にもゆく。ちゃんと「蛇山庵室」の興行も楽しんで、浮世絵のいいのも見て、明治の町も歩いて、いい心持で上野へ出た。
東博のアジアの旅。まぁ楽しませていただきました。ありがとう。
好きなものが多いわ、やっぱり。

さてテクテク歩いて池のほとりの下町風俗資料館へ向かったが、5時半閉館の5時入館までが2分遅れでアウト。
「入れさせるか」という気概に満ちてましたな。
仕方ないので諦めて、近くのドンレミーのアウトレットに行ってお菓子を購入。
御徒町から東京へ。

今回のハイカイは予定外が多かったけれど、いずれもよかったなあ。
まさかのもしかの急遽予定変更ばかりだったけど、本当に良かった。
というわけで今月の東京ハイカイは終わり。

龍谷大学を訪ねる

擬洋風の建物である。
これまでに2度ばかり見学させていただいた。
まず今春に訪ねた時の写真を挙げる。

外観。




















細部。





















左右の学舎もいい。
















中に。
























































見残しなしかな。






桜の時期でした。
門など。

















いつまでもここにあってほしいね。

追記:金田一耕助シリーズ「あざみの如く棘あれば」のバック映像がこの龍谷大学だとしる。

西本願寺に行く

龍谷大学を見たら必ず隣接の西本願寺に行きたくなる。

大学から道を挟んだ隣。




こちらは98年の写真。
国宝・飛雲閣
イメージ (74)
イメージ (75)
イメージ (76)

IMGP0376_20151009005022836.jpg

IMGP0377.jpg

IMGP0378.jpg

IMGP0379.jpg

IMGP0380.jpg

IMGP0381_201510090101168ab.jpg

国宝・唐門
IMGP0382_20151009010117c9a.jpg

IMGP0383_2015100901011881a.jpg

IMGP0384_20151009010120e11.jpg

IMGP0385_20151009010121315.jpg

IMGP0386.jpg

IMGP0387.jpg

IMGP0388.jpg

IMGP0389.jpg

IMGP0390.jpg

IMGP0391.jpg


こちらは98年の唐門。
イメージ (77)
イメージ (78)

少し歩こう。
IMGP0392.jpg

IMGP0393.jpg

ほっとしてノビをしたら可愛い伝道院がのぞいてました。
IMGP0394.jpg

IMGP0398.jpg

IMGP0395.jpg

IMGP0396.jpg

IMGP0397.jpg

本当は白書院・黒書院もあるが、当時かなり傷んでいたので、ちょっと出しかねる。

北前船主の館 その1

福井県の北前船主・右近家の旧邸にいきました。

IMGP0039_20151007233411c72.jpg
右手奥のところに並ぶのはガラスの壺。緑色で綺麗に光っていた。

IMGP0040_20151007233413b53.jpg
なんとなく可愛い。

長ーーーーーーーーーいーーーーーー
IMGP0041_201510072336107bc.jpg

裏庭。
IMGP0042_201510072336126a7.jpg

日本海。山の上の洋館ベランダから見た。
IMGP0043_20151007233613428.jpg

あんまりにも急な階段なのでちょっと全体撮ったりとか無理でしたな。雨風のきつい日でしたのさ。

ベランダ
IMGP0045_2015100723361622f.jpg

IMGP0046_2015100723363200a.jpg
なんとなく宮崎さんの映画「風立ちぬ」のホテルのベランダを思い出す。

小便小僧くん。
IMGP0047_201510072336333d7.jpg

こんにちは。
IMGP0044_201510072336155f0.jpg

階段IMGP0048_2015100723363444f.jpg

IMGP0049_20151007233636139.jpg

吉田博かな。IMGP0050_201510072336378f9.jpg

インテリアも全体に可愛い。
IMGP0051_20151007234418ff9.jpg

こうやって見たら石積みの塀の向こうはイングランドのような気がしてきた。
IMGP0052_201510072344201b9.jpg

階段のステンドグラス。さすがは北前船。
IMGP0053_20151007234421bc2.jpg

IMGP0054_2015100723442251b.jpg

山荘らしい感じがいい。
IMGP0055_20151007234423a74.jpg IMGP0057_201510072344474dd.jpg

IMGP0056_20151007234445c9f.jpg

ああ、地形。IMGP0058_201510072344484d3.jpg

IMGP0059_201510072344495ee.jpg

日本海を見つつ、続く。

北前船主の館 その2

山荘の天井のこうしたところが好きだな。
IMGP0060_20151007234451b02.jpg

IMGP0061_20151007235643166.jpg
ちらりとのぞく。

IMGP0065_201510072356482b9.jpg

IMGP0066_20151007235703dcd.jpg

IMGP0062_20151007235644c90.jpg

IMGP0075_201510080001394ae.jpg

座敷もあります。
IMGP0063_201510072356469c3.jpg

IMGP0064_2015100723564715c.jpg

さて細部色々。
IMGP0067_20151007235704cf7.jpg

IMGP0068_2015100723570671c.jpg

タイルが可愛い。
IMGP0069_20151007235707bff.jpg

IMGP0070_20151007235709932.jpg

IMGP0071_20151008000133f51.jpg

IMGP0074_20151008000137450.jpg

IMGP0076_2015100800025495e.jpg

昔の写真と
IMGP0072_20151008000134fb2.jpg

昔の家の絵と
IMGP0073_2015100800013645a.jpg

IMGP0077_201510080002562b8.jpg

IMGP0078_2015100800025774b.jpg

樋もいいな。
IMGP0079_20151008000259647.jpg

えーと英国式?
IMGP0080_20151008000300259.jpg

外観いろいろ
IMGP0083_20151008000753e95.jpg

IMGP0084_2015100800075451f.jpg

IMGP0085_2015100800075678a.jpg

IMGP0088_20151008000833546.jpg

豪快でかっこよかったわ。

最後にこの地のカラーマンホール
IMGP0089_20151008000834d02.jpg

本野精吾の西陣織物館(現・京都市考古資料館) その1

本野清吾の設計した京都市考古資料館を見学した。
元は西陣織物館として1914年に建てられた。
だから今も「西陣」の碑がある。

IMGP0608_20151006003527000.jpg

IMGP0606_20151006003527faa.jpg

IMGP0605_20151006003524555.jpg

IMGP0609_20151006003528da1.jpg

いつも1階2階は撮影可能だが3階は立ち入り禁止で兵馬俑の兵士らが守りについていたが、3階の貴賓室公開でその日は上へあがれた。
一番最初の写真の3階の窓からのぞくのはシャンデリアである。

暖炉を見る。
IMGP0610_201510060035303d9.jpg
大理石もなかなかいい。
周辺の装飾を愉しもう。
IMGP0611_20151006003543ad7.jpg

IMGP0612_20151006003544d1b.jpg

IMGP0613_20151006003546575.jpg

中はこんな風。
IMGP0614_20151006003547473.jpg

壁紙も当時のもの。
IMGP0615_20151006003549de0.jpg

IMGP0616_201510060037319b8.jpg
川島か龍村かは知らないが、萌黄色に蝶々などの素敵な壁紙である。

シャンデリア。
IMGP0619_20151006003736400.jpg

IMGP0617_20151006003733fe5.jpg

全体としてこんな風情。
IMGP0620_20151006003737481.jpg

例によって執拗に細部を愉しもう。
扉の上部
IMGP0618_20151006003734ee4.jpg

幾何学的な装飾。
IMGP0625_2015100600375966a.jpg

家具など。
IMGP0621_20151006003753a35.jpg

IMGP0622_20151006003755cb0.jpg

IMGP0623_20151006003756f2c.jpg

IMGP0624_20151006003758be6.jpg

床面。こちらも幾何学的。
IMGP0626_201510060038357a6.jpg
IMGP0627_20151006003837120.jpg

上からの眺め。IMGP0628_20151006003838de3.jpg

廊下に出る。IMGP0633.jpg

階段界隈
IMGP0631_2015100600390952f.jpg

IMGP0632_20151006003911689.jpg

IMGP0634.jpg
ああ、いいながめ。

天井の端
IMGP0635_20151006003915879.jpg

窓の外には青空と雲。
IMGP0636.jpg

内側をのぞく。
IMGP0638_201510060039502db.jpg

ホースが収納
IMGP0637_20151006003949e63.jpg

一旦ここで終了。
最近の記事
月別アーカイブ
カテゴリー
全ての記事を表示する

全ての記事を表示する

フリーエリア