美術館・博物館・デパートでの展覧会を訪ね歩き、近代建築を見て周り、歌舞伎・映画・物語に溺れる日々の『遊びに行った日を記す』場所です。 **自宅でログイン出来ないので、現在「遊行七恵、道を尋ねて何かに出会う」で感想を挙げています。

黄金伝説展 古代地中海世界の秘宝 その一

「黄金伝説展 古代地中海世界の秘宝」
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このタイトルを見てもついつい「取ったどー!」と言ってしまいがちな昨今ではある。

そもそもわたしが最初に「黄金伝説」という言葉を知ったのはなんだったろう。
わたしはあんまりキリスト教には近づかなかったので、聖人伝説を集めたものが「黄金伝説」だと知ってはいなかったように思う。
れげんだ・おうれあ。これは芥川龍之介の偽書で「奉教人の死」はここから採ったという技巧をみせていた。
黄金伝説 石川淳の戦後すぐの小説。壊滅した後の生き残った者のたくましさと、ようやく前を向くことが出来そうになった者と。
この二つを知ってから後に元ネタになった「黄金伝説」を知ったようである。

とはいえこの展覧会での「黄金伝説」は決してキリスト教の聖人伝説やそこからインスパイアされたものではなく、文字通り「黄金」をめぐる展覧会なのである。
サイトの紹介文をここに引用する。
「地中海の奥深くに、湖のような黒海が広がっています。黒海の入口は、船の難所として知られるボスポラス海峡です。ギリシャ神話によれば、英雄イアソンはこの難所をアルゴー船に乗って越えました。イアソンが目指したのは、黒海沿いの王国にある金の羊毛です。イアソンは王女メディアの助けを借りて、この金の羊毛を手中に収めました。
豊かな黄金を秘める黒海地方の物語。これがただの伝説ではないことが、約40年前に明らかになります。黒海沿岸の町ヴァルナで、大量の金の副葬品を納めた墓地が発見されたのです。それはエジプトの最古のピラミッドよりも遙か以前、今から6千年以上も前に作られた世界最古の金製品です。骨と化した埋葬者は、金の杖を携え、大ぶりの金の腕輪をいくつもはめています。骸骨の周りに散らばる円形の金は、死者がまとっていた服をきらびやかに飾っていました。本展では、最古の金が納められたこの墓を出土の状態のまま復元し、同時に、太古の金の記憶が生み出したアルゴー船伝説の絵画を展示します。
黒海の金製品から3千年以上の時を経て、比類のない金細工技術を誇ったエトルリア文明がイタリア半島に花開きます。エトルリア人の謎に満ちた至高の芸を、ヴァチカン美術館の名高い金の腕輪でとくとご覧ください。 本展では、地中海地域の古代文明がもたらした金の傑作の数々を、金を題材とする絵画とともに展示し、黄金に魅了された人類の歴史をひもといていきます。」

そう、ギリシャ神話のアルゴー・ノートが目指した黄金の羊毛、あれから始まる展覧会なのである。
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第1章 I世界最古の金
アルゴーノートの前夜譚から始まる。

アッティカ赤像式ペリケ、金毛の羊に乗るプリクソス 紀元前460年―紀元前450年 アテネ国立考古学博物館
裸の美少年プリクソスはこうして王の娘婿になった。
しかし王の娘にはメディアがいる。既にここですべての人の運命に暗雲がかかることを思わずにはいられない。

ギュスターヴ・モロー イアソン 1865年 パリ、オルセー美術館
好きな絵である。イアソンに力を貸すメディア。彼に寄り添って微笑んでいる。その背後には金毛の羊の首がある。イアソンの足元には刺された白い鷲…彼らの頭上には不気味な鳥が飛ぶ。

エラスムス・クエリヌス 金の羊毛を手にするイアソン 1636-1638年 マドリード、プラド美術館
ローマの軍装をするイアソン。とても喜んでいる。柱や卓の足の装飾がいい。獅子の足のようなものもあった。

ギュスターヴ・モロー アルゴー船の乗組員 1885年頃 パリ、ギュスターヴ・モロー美術館
羊頭を船首につけて、力強く船を漕ぐアルゴーノートの裸夫たち。

ハーバート・ジェイムズ・ドレイパー 金の羊毛 1904年頃 ブラッドフォード美術館
こちらも船を漕ぐ。既にメディアもいて、彼女に手を差し伸べようとするものに対している。
向こうは彼女が見捨てた弟なのかもしれない。

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さて6千年以前の黄金の装飾を見る。

ヴァルナ銅石器時代墓地第43号墓
その再現があった。そしてそこから発見された数々の金たち、装飾品などが事細かに紹介されている。
902個の金製ビーズ、首の上に置かれていた一連のビーズ277個、首と胸の上に置かれていた一連のビー ズ406個、衣装と弓袋に縫いつけられていたビー ズ61個…
この骨の人は170-175cmの50-65歳の男性で、権力者だっという推測がある。他にもいくつす発見されている中で、この人だけで1.5kgの黄金が使われているそうだ。総量が6kgだから実に四分の一。
紀元前5千年紀、ヴァルナ歴史博物館の宝。

ヴァルナ銅石器時代墓地第43号墓
その再現があった。そしてそこから発見された数々の金たち、装飾品などが事細かに紹介されている。
902個の金製ビーズ、首の上に置かれていた一連のビーズ277個、首と胸の上に置かれていた一連のビー ズ406個、衣装と弓袋に縫いつけられていたビー ズ61個…
この骨の人は170-175cmの50-65歳の男性で、権力者だっという推測がある。他にもいくつす発見されている中で、この人だけで1.5kgの黄金が使われているそうだ。総量が6kgだから実に四分の一。
紀元前5千年紀、ヴァルナ歴史博物館の宝。

第 2 章 II古代ギリシャ
古代国家間の戦争を想う。

両刃 斧 の ミ ニ チ ュ ア 2 個 紀 元 前 1 5 世 紀 ア テ ネ 国 立 考 古 学 博 物 館
まるでミノアのような。と思ったら、出土地はクレタだった。やはり牛の国。
他にも、雄牛 の 頭 部 を か た ど っ た 耳 飾 り、神殿 の 形 に 切 り 抜 い た 飾 り 板、八の 字 形 の 盾 の ミ ニ チ ュ アなどがある。

そしてミュケナイの5cm大の小さくて可愛いものたち。
蝶が 表 さ れ た 円 形 飾 り 2 個、葉脈 が 表 さ れ た 飾 り 板、葉の 形 を し た 飾 り 板、渦巻 き 模 様 が 表 さ れ た 円 形 飾 り 2 個、渦巻 き 模 様 が 表 さ れ た 円 形 飾 り 2 個、花が 表 さ れ た 円 形 飾 り 2 個 などなど。

「膝 当 て 」 と 呼 ば れ る 装 飾 紀 元 前 1 6 世 紀 後 半 ア テ ネ 国 立 考 古 学 博 物 館 41ディ ア デ マ ま た は 帯 紀 元 前 1 6 世 紀 後 半 ア テ ネ 国 立 考 古 学 博 物 館
これが面白い形をしていた。ヒトが両手を頭上でつないで「まるっ」としているような形。
思わず小さく写したよ。

蛸の 形 に 切 り 抜 い た 飾 り 板 3 個 紀 元 前 1 6 世 紀 後 半 ア テ ネ 国 立 考 古 学 博 物 館
これがいずれも足が7本。小さいがリアルな造形である。

「テセ ウ ス の 指 輪 」 と して 知 ら れ る 印 章 指 輪 紀 元 前 1 5 世 紀 ア テ ネ 国 立 考 古 学 博 物 館
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下の図像は最後に現れるもの。お楽しみに。

「牛跳び」の神事は諸星大二郎「ミノスの牡牛」で知った。いけにえ、そして巫女の少女たちが牛跳びを行うのだが…
諸星の作中ではテーセウスは「野蛮人」として描かれ、「高貴な」ミノスは彼のために滅ぶのだ。

二つの金の帯を見る。どちらもとても薄い。
金の 帯 紀 元 前 1 1 世 紀 ア テ ネ 国 立 考 古 学 博 物 館
金の 帯 紀 元 前 1 0 世 紀 ― 紀 元 前 9 世 紀 ア テ ネ 国 立 考 古 学 博 物 館
これだけ薄いのを見ると、高橋慶太郎「ヨルムンガンド」で、暗殺者が薄い日本刀をベルトに仕掛けていたのもあながちウソではないように思えてきた。

装飾品を見る。
首飾 り 紀 元 前 8 0 0 年 ― 紀 元 前 7 5 0 年 ア テ ネ 国 立 考 古 学 博 物 館
留め金が蛇風のもの。
彫金 細 工 が 施 さ れ た フ ィ ブ ラ 4 個 紀 元 前 8 0 0 年 ― 紀 元 前 7 5 0 年 ア テ ネ 国 立 考 古 学 博 物 館
留め金ピン。可愛い。
耳飾 り 一 対 紀 元 前 8 0 0 年 ― 紀 元 前 7 5 0 年 ア テ ネ 国 立 考 古 学 博 物 館
欲しいなあ。
帯状 の 腕 輪 紀 元 前 6 5 0 年 ― 紀 元 前 6 0 0 年 ア テ ネ 国 立 考 古 学 博 物 館
ファラオ風な顔がついている。一片に2面x4
動物 た ち の 女 王 が 表 さ れ た 耳 飾 り 一 対 紀 元 前 6 5 0 年 ― 紀 元 前 6 2 5 年 ア テ ネ 国 立 考 古 学 博 物 館
これがチラシを大きく飾る黄金の耳飾り。両脇に立つライオンを抑える女が刻まれている。

首飾 り 紀 元 前 6 世 紀 ― 紀 元 前 5 世 紀 ア テ ネ 国 立 考 古 学 博 物 館
松ぼっくり製の飾り物。可愛いな。

宝飾 品 を 身 に つ け た 女 神 ア フ ロ デ ィ テ を 表 す 壺 紀 元 前 4 0 0 年 ― 紀 元 前 3 7 5 年 ア テ ネ 国 立 考 古 学 博 物 館
貝を両端に着けた女の表現。

ディ ア デ マ 紀 元 前 3 2 5 年 ― 紀 元 前 3 0 0 年 ア テ ネ 国 立 考 古 学 博 物 館
冠。とても綺麗。
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耳飾 り を つ け た 女 性 を 表 す ブ ロ ン ズ 製 折 り 畳 み 鏡 紀 元 前 2 6 0 年 頃 ア テ ネ 国 立 考 古 学 博 物 館
かなり盛られた立体造形。

仮面と テ ュ ル ソ ス を 持 つ 女 性 が 表 さ れ た 指 輪 紀 元 前 2 0 0 年 ― 紀 元 前 1 5 0 年 ア テ ネ 国 立 考 古 学 博 物 館
こちらもおしりむっちり。

さらに腕輪、耳飾り、首輪などの綺麗なものがたくさん。
貴石、半貴石、エナメルが金と共に使われている。
アルファベットが入る腕輪もあり、ギリシャのアルファベットを見て、感慨深く思う。

時代が少し戻る。いずれもガーネットやアメジストが使われている。
雄牛の 頭 が 表 さ れ た 耳 飾 り 一 対 紀 元 前 4 世 紀 ― 紀 元 前 2 世 紀 ア テ ネ 国 立 考 古 学 博 物 館
耳飾り、山羊 の 頭 を 表 す 耳 飾 り、とても可愛い。

アメシ ス ト の 耳 飾 り 一 対 古 代 ロ ー マ 時 代 ア テ ネ 国 立 考 古 学 博 物 館

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やっぱりこのあたりの装飾品に大いにそそられる…

青色マラカイト、ガーネット、トパーズなどで装飾された首飾り、花柄を集めた円形ペンダント、道路標識のような飾り板、裏から打ち出し細工の飾り板、様々な装身具…
みているだけで胸がいっぱいになる。

続きはまた明日にする。展覧会でも実際このあたりで時計を見ていた。
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古代エジプト美術の世界 魔術と神秘 ガンドゥール美術財団の至宝

もう終了してしまった展覧会だが、印象深いものを見ているので、簡素にだがその感想を挙げたいと思っている。
松濤美術館での「古代エジプト美術の世界 魔術と神秘 ガンドゥール美術財団の至宝」展である。
チラシが手に入らなかったので文字のみ。

スイスのガンドゥール美術財団所蔵の素晴らしいエジプト美術の数々が並ぶのだが、子供のころからエジプト美術に惹かれて、というのが素晴らしい。
環境の違いというのもあろうが、自分が小さいころに見た「エジプト美術」と言えば映像や画像ではあるがスフィンクスにピラミッドにミイラくらいで、映画でも古代エジプトを舞台にしたものは「ピラミッド」にしても「クレオパトラ」にしても怖いものだった。美の対象として見る以前に恐怖が先立っていた。
しかしこの財団のコレクションを作り上げたジャン=クロード・ガンドゥールさんは本物に触れて感動し、以後そのコレクターになったというから、やはり子供の頃には佳い本物を見て、恐怖ではなく感動を覚えるように仕向けなくてはならないわけだ。

書記学校の古代模型 2134-1785BC  三人の生徒と先生と。生徒は白板をもつ。先生は上等の鬘をつけているそうだ。ラジオ体操しているように見えるフィギュア。

前後を見分ける聖なる目のアミュレット 664-332BC ファイアンス  薄緑の綺麗な眼の形。

トト神、トキ、ヒヒの像やお守りなどがあった。
レリーフも色々。

シェプセスカエフアンクのレリーフ 2635-2155BC  着色された石灰石  この人の息子がレリーフに残る。若者の象徴の「サイドロックヘアスタイル」をしている。

呪いの人形 2134-1785BC アラバスタ―(トラバーチン/石灰華)  解説を読むとなかなかコワいことが書いてある。
これは破壊されずに残った貴重な一つそうだ。
しかし考えたら破壊されるべき筈のものが生き残るというのは、呪いや穢れを一身に身にまとっているのではないのか。
なにやら恐ろしい存在でもある。

展覧会はいかにも海外の財団のコレクション展という味わいが滲んでいて、興味深いものだった。
展覧会監修者のビアンキ博士の言葉なのだろうか、読みながらこの突き放され感がいかにも海外ぽくて、それはそれで面白い。

モントゥスと妻の像 1994-1785BC 花崗岩か  夫婦同サイズの像である。=同じ身分である証明。男女差別より身分差別が強い時代でもある。

ミイラのための仮面を見たヒトのではなくトキである。
金色に耀いていたのは金箔押し。マスク自体は木製。664-332BC 一万羽もトキをミイラ用に殺したのか。勿体ない、と思うのは現代日本人の考え方に過ぎないのか。

カバもナイル川にはおなじみの存在なので像もアミュレットもある。カバをこんなにも聖獣化して崇めたのはこの時代のエジプト人以外にはいないのではないか。

猫の像もある。先のトキと同時代であり、つまり猫もまたわざわざミイラにするために育てられていたのである。哀しい…

猫のアミュレットなどは今でも人気が出そう。
ヘマタイト、銀、水晶などが猫型に刳られている。黒猫、銀猫、透明猫。可愛くてならない。小さな猫背に月のついたのもある。
ブロンズの妊娠中の猫像などは一見したところ朝倉文夫の彫刻かと思うばかりだった。
お乳を飲む赤ちゃん猫の像も愛らしい。

神の子ホルスの関連が現れる。オシリス、イシスらのほかにネフテュスの像もある。
このあたりの人間関係というのか、敵対関係などの相関図は山岸凉子の作品から学んだ。
「イシス」。
それだからか、展示作品の解説にネフテュスのことを「ホルス生誕に<協力>」と書いてあるのを読んで「…ああ」と思ったりもするのである。
どう協力なのかは本当は知らない。やはり山岸さんの作品のような直接的な<協力>だったのかもしれない。

一方ホルスの息子たちを表すフィギュアがある。ジャッカル、ハヤブサ、ヒト、サル。
かれらをモチーフにした護符などは信仰心の現れ方がどうだったのかを知らせてくれるようで、なかなか面白い。

ハヤブサの彫像 1080-664BC ブロンズ  大変大きい。しかし嘴が可愛い。スゴイ緑青に覆われていて、とても綺麗でもある。

伏せるジャッカルの像 1080-664BC  これがまたカッコイイ。首にはリボン。
ジャッカルも人気で象嵌パーツや杖の装飾にもなっている。

そしてリアルな造形のスカラベ、蛙のアミュレットなどなど。
クロコダイルのアミュレットなどは可愛すぎて、海洋堂のフィギュアかと思ったほどだ。
野兎のアミュレットは耳がシャープに伸びた横顔なのだが、これには見覚えがあった。
ルネ・ラリックのカーマスコット”VICTOIRE"あれにそっくりだった。

装飾品もいい。
ハヤブサの頭部の草食金具がついた副葬のための襟飾 305-32BC  だいぶ近年になってきた。二つの頭がついている。細めでキラキラしていた。

アミュレットのネックレスもいい。15個のミニチュアがついている。色ビーズでつながれた動物たち。可愛いし、今首から下げてもへんではない。

とはいえいずれも副葬品である。
その副葬品のうち少しどきっとするものを挙げる。

ホルエムアケトの人型の棺 1080-664BC  象嵌された綺麗なものだが、これはイブ・サンローラン旧蔵品。エジプトの棺は彼の手元でどのような位置を占めていたのだろう。
昔、サラ・ベルナールは日本の仏壇に興味を示し、ジュエリーボックスにしたそうだが。

死者の書、鎮墓人形、棺の扉等々。エジプトロジーへの関心だけでない、美的なものとして愛するには、あまりに恐ろしくないだろうか。

ラメセス二世の胸像 1305-1185BC  たいへん立派な像である。立派な王だから立派な像なのか。桃色花崗岩だからぽぉーっと赤くなっている。

ほかには小ぶりなスフィンクスもあり、「魔術」はホルスの誕生についてはなるほどと思ったが、「神秘」は全体に漂い、見ごたえのある展覧会だった。
コレクターの眼の高さにこちらもつられたようである。

春信一番!写楽二番!フィラデルフィア美術館浮世絵名品展

3つの館を巡回する「春信一番!写楽二番!フィラデルフィア美術館浮世絵名品展」もいよいよ最後のあべのハルカスで終盤を迎えつつある。
わたしは三井記念美術館で前後期を見たのに感想を書けず、あべので待った。
ありがたいことにハルカスは展示替えなしなので、一挙に見ることができ、印象もばらつかず、今回は書けそうな気になっている。
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1.錦絵以前 浮世絵版画のはじまり
宝暦までの作品が15点並ぶ。

朝鮮人曲馬の図12 1683  馬上才の元気な様子を描く。今ちょっと調べたら朝鮮通信使が来日する際には馬上才もよろしく、と日本側から要望があったそうだ。
その起源は古く壬申の乱…うわ、この時点で千年前からの技芸ですな。

大森善清 「よろひ桜」より「紅葉狩」 1702-03  線の太い版画で、龍の顔した鬼と格闘するところを描く。龍顔の鬼を見るのはあまりないな。紅葉は手彩色だった。

初代清信 #2団十郎の鳴神上人と中村竹三郎の雲の絶間の姫 1715  けっこうしっとりと話し合う。この芝居も単純なようで「終わった後」が気になる内容。木原敏江は姫が上人を可哀想になり、帝を振ってこちらへゆく話を描いたが、わたしもそれでいいと思う。

二代清信 #2団十郎の不破の伴左衛門と初代菊次郎のぶれいの一かく 1734  不破が一かくの振袖を掴む。たいへん妖しい雰囲気がある。手彩色。一かくは立ち、不破はその場に座している。二人の視線の絡み合いがたまらない。

初代清満 #4団十郎の四郎兵衛忠信 1761  これは狐忠信でもあるが、足元に碁盤が転がっているのは碁盤忠信との綯交ぜかもしれない。

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2.錦絵の誕生 春信の浮世絵革命
春信が随分並んでいた。

若侍の身支度 1765  花頭窓の前で世話をする女。桜がはらりと。

水売り 1765  これもよく見かける絵で、この時代にはこういう職業があったことを知るのにいい絵。

やつし葦葉達磨 1765-67  赤いのをまとい、川に浮かべた葦の葉に立ち、ふと陸地を見返る女。達磨伝説から。
<見立て>や<やつし>は状況コスプレとでもいうべきかな。
このほかにも三十六歌仙や与一の見立てものなどが出ている。

そうめん干し 1766-68  摺りが綺麗。素麺はやはりあくまでも細く細く…

綿摘み女と少年 1767-70  玄関先の二人。綿の摺りがとても綺麗。そしてこの後のシーンが「春画展」に出ている…ゲジ柄の猫が丸くなっている。

笛を吹く若衆 1767  秋から冬の夜、菊が咲いている。雪笹柄の振袖を着る。
背景の摺りが近代版画風な感じで、ちょっと意外な効果を挙げている。

後朝の分かれ(見立て羽衣)1767-69  思えば行為そのものより、こうしたところにときめく感性というのも日本人にはあるわけですわな。そしてそこに更に別な物語を重ねる。
背後の大きな衝立に富士山と三保の松原を描く。これでまず天女の物語を想起させる。
大きめの衾から出た女が男の羽織の裾を掴む。
なるほどうまいものだと納得する。

遊女と客(林間煖酒焼紅葉 1768  白居易の歌からの見立てものが江戸の庶民にも浸透している証拠のような絵。
火鉢に紅葉をくべる禿。優雅な遊びになる。

鼓を打つ若衆 1768  布袋の絵のかかる一間で鼓を打つ。その絵の方に春信の落款がある。床の間には赤い菊。廊下と床の間の平面性が狂っているのもご愛嬌。若衆の振袖にはユーゲント=シュティール風な蕨文様が入る。

お波お初 1769 湯島で乙女神楽をしていた二人を描いたとのこと。わたしはこの二人のことは知らない。初めてそうした女たちがいたことを知る。
お伊勢さんの間の山のお杉お玉は知っているが。

ここからはその追随者たちなど。
磯田湖龍斎 遠眼鏡を見る男女 1773  よく似ている。頭上に遠眼鏡で見ている遠景が浮かぶ。

歌川豊春 浮絵十二段管弦図 1767-69  御曹司のご登場でオーケストラ完成である。

絵師未詳 鴨を襲う鷹 1772-89  正面版筆彩  鴨がヤバい状況なのだが、この版画表現がとても面白い。どうなっているのかよくわからないが魅力的。

ここからは役者絵。
一筆斎文調 初代中村野塩の白拍子佛御前 1770  烏帽子を持ってやってきたところ。世をはかなんだ果てに。

春章 #2嵐三五郎の工藤祐経 1777 「已己巳己」イコミキを意匠化したものを着物に。

春章 初代仲蔵の寺岡平右衛門 1779  この初代仲蔵は大変な苦労人の芸達者で、一代でこの名を大きなものにしたのだった。この人の工夫でそれまでは山賊スタイルでもっさりしていた五段目の定九郎を、現行のようなすっきりした浪人者に変えて、人気役にしたことなどがある。
一ノ関圭「鼻紙写楽」の中に仲蔵を主人公にした一篇がある。

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3.錦絵の展開 清長・歌麿・写楽 みずみずしい美人と個性的な役者たち
清長が長身の女を描いていた頃、京では応挙が写生重視の世界を展開していたのか。

清長 子宝五節遊 重陽 1789-1801  楽しそうな子供ら。公文だったか浮世絵の子供絵に特化したコレクションを持っていたのを見ているが、そのときも清長の子供らが元気そうで感じよかった。

歌麿の絵も有名どころが並んでいた。
歌麿は一枚絵の女もいいが、それよりも誰かと一緒にいるときの絵の方が何かしら物語があったりして、面白くなる。
カップルが黙って寄り添うだけでも「この二人、先はどうなるのだろう」と思わせもするし、子供と一緒だと情愛を感じる。

お七と小姓吉三郎 1803  江戸を焼いてしまうのだからなあ…

鳥文斎栄之 浄瑠璃十二段草子 1797-99  琴と笛との競演。こういうのを見るとやはり岩佐又兵衛の絵巻が見たくなる。呼び水になる。

写楽の展示について、これはもうハルカスでの展示が本当に良かった。
絵を並べるだけでなく、元の芝居がどんなので、その人間関係までチャート表で示すのだ。
これだとたいへんわかりやすいし、何故この描かれた人物が青くなっているのか、などがはっきりと理解できる。
今までにない、よい紹介だと思う。
だから見ていても楽しい。

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4.錦絵の成熟 北斎・広重 旅への憧れ・花鳥への眼差し
最初に英泉の美人画が三点。いずれも文政年間のもの。

北斎にも連作「東海道五十三次」があるのを知った。
日本橋、蒲原などが並ぶ。広重のに慣れているので不思議な感じがある。
「富嶽三十六景」からも数カ所。
その他、瀧巡り、名橋などのシリーズものも少しずつ。
雪月花もある。嬉しいな。隅田、淀川、吉野の三名所。
淀川の月、というのを見ると「淀の月手毬歌」というお菓子があるのも納得である。

国貞 大坂道頓堀芝居楽屋ノ図 1821  二階建て構造でみんなバタバタするのを描く。こういう絵はなんだかわくわくする。

国芳 風俗女水滸伝 百八番之内 林冲 文政末期  これも見立てもの。そういえば林冲は「豹子頭」という二つ名を持っていたが、着物の柄にすると…

岳亭 大坂天満宮祭礼之図 1833-34  賑やかな祭りの様子をロングで。天神橋が人で埋まり、花火がまるで火花のようになり、星は雪のようにも見える。行き交う船もインフレ状態。

広重の名所図いろいろ。
宇治川蛍狩りの図 1835-36  これはもう朝顔日記の舞台になるのも当然。

忠臣蔵八段目 1835-37  「道行花嫁」の方。綺麗な秋空をゆく母娘。

六十余州名所図会 阿波 鳴門の風情 1855  これは本当に綺麗な藍色が使われている。ベロ藍。綺麗なのに感心する。

江戸百からは深川木場と洲崎十万坪。どちらもいい絵。

どーーーーんと千社札を集めたものがあった。これが実にいい。
1830-68、いろんな絵師たちの手によるもので、連作有・単独有など様々。
オバケの絵もあれば芝居絵もある。とても楽しい。名前と花鳥の取り合わせもある。
色鮮やかで見ていて本当に面白い。自分もほしくなる。
猫の絵も多い。大黒さんの小槌にネズミ、忠臣蔵、

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5.上方の錦絵 流光斎・長秀 ありのままに描く
京の合羽摺りがあった。

翠釜亭 翠釜亭戯画譜 1782  スイカに大根などの絵があり、大津絵の鬼の念仏も登場。

流光斎如圭 #2助高屋高助の黒船忠右衛門 1805  もっちゃりしたオッチャンである。そのあたりがいかにも上方のリアリズムなのである。

松好斎半兵衛 #3中村歌右衛門の花園みちつね 1806  「兼ネル役者」として名が江戸・大坂に残る大名優。わたしはこの絵師以外の歌右衛門の絵を池田文庫やヒゾルフ・コレクションなどでたくさんみたが、もうその時からずっとファンである。
いい役者ぶり。けっして容姿に恵まれたわけではないが、素晴らしい役者だったという。

蘭好斎 #7仁左衛門のから木政右エ門、初代嵐猪三郎  敵の似せ絵を見せて人探し中。

色々といいものを見せてもらい、とても楽しかった。三井で見たときより脳にスィーと入っていった。
最後に一番よかった絵を。
広重 富士川上流の雪景イメージ (20)

フィラデルフィア美術館、本当にすごいコレクション…
そしてHPで浮世絵みていたら「桜姫東文章」を描いたのがあった。国貞。
お寺の一室で再会し、「久しぶりだノ」と釣鐘権助が桜姫と仲良くしようとするところ。
桜姫、既に懐紙を咥えているのがいい。
こちら。

蝉類博物館 昆虫黄金期を築いた天才・加藤正世博士の世界

「蝉類博物館 昆虫黄金期を築いた天才・加藤正世博士の世界」展が石神井公園ふるさと文化館で開催中。
この博士は昭和初期の昆虫ブームの立役者で、生前はこの石神井公園に小さな蝉類博物館を開いていたそうだ。
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蝉、この不思議なる昆虫。
六年も七年も土の中にいて、ようやく這い出して樹に止まり、脱皮して数日でころりと死ぬ虫。命の短さを憐れに思うようになってからは取ろうとも追わないが、それでもいまだに子供らを狩に向かわせる虫。
中国ではその生涯の特性を吉祥と見做され、長く玉器などに意匠化されてきた。
「儚いもの」という認識のものが別な文化の下では吉祥文になっている、と知ってからは何となくほっとしている。

加藤博士はごく幼いころから蝉好きだったようで、その情熱が長く続いたというのは凄い。
尤も途中で航空関係にも強い興味を持ったそうだが、どちらにしろ飛ぶものという共通点がある(といえばある)。

博士の手書きの解説プレートなどは独特の書き文字や内容もよいのでそのままの展示ということになっていた。
だから今回の展示はかつての蝉類博物館の再現になってもいる。
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壁面いっぱいに昆虫採集箱が並ぶ。4段x23箱。箱はもちろんそれ以上ある。
北海道から南までの蝉の分布。
わたしが知ってるのはアブラゼミ、クマゼミ、ニイニイゼミ、ミンミンゼミ、ヒグラシくらいなのだが、実にたくさんの蝉がいて、サイズも全然違うのにはびっくりした。
すごく小さい蝉もいるのも初めて知った。そうなのか、こんなのがいるのか。
さらに巨大な蝉もいて、さぞやかましいだろうと思ったり。
地域性も面白い。それらを加藤博士の独特の書体と表現が教えてくれる。

それにしても昆虫好きな人というものは、どうしてもこうして捕獲・解剖・剥製・標本作りに向かうのだろう…
猫好き犬好きはそうは向わないからなあ。
(上記の手順を彼らに行うのが楽しいと思うのはシリアルキラーになるのかもしれない)

蝉は敵が多い。人間だけでなく、他の昆虫や蛇などに捕食される。
そんなのも標本や撮影がある。うわ…
蝉だけでなく蝶々やトンボの標本もあった。
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ところで博士は1967年に亡くなられているので、その後の蝉の分布の変化をご存じないのは残念な気がする。
クマゼミが九州から東上してきていて、関西はもう油蝉もニイニイゼミも負けてしまったのだ。
電線に卵をつける習性があるクマゼミから電線を守るために、わざわざ新たな電線が開発されてもいる。1SM―IFドロップケーブルなどがそうだった。
蝉も現代は色々と大変なのだ。

わたしはやっぱり夏の暑い時分にジャワジャワジージー鳴き倒す蝉の声があると、嬉しくなる。関東に出るとミンミン鳴く声が多いが、それにも心地よさを感じる。

博士の蒐集したコレクションは今では東大博物館に納められている。
本当に安心している。
いい展覧会をみた。

華宵描く美少年剣士/夢二とアールヌーヴォー/きものモダニズム

弥生美術館の高畠華宵室にゆくと、今期は華宵描く美少年剣士の特集だった。
銀座行進曲の「華宵好みの君」もいいが、わたしはやっぱり華宵の時代物の美少年に一番そそられる。
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「日本少年」表紙絵は森蘭丸。「焔と若武者」その顔から肩のアップで、こちらへ槍を突き出すような勢いがある。

桜の下に座る少年武士もいれば、青白い膚に桜の刺青を施した弁天小僧もいる。
短刀一本で大勢の敵に立ち向かう悪少年の美。
モノクロ画像でありながらも豊かな色彩を感じさせるほどの細密描写と、何にもまして美しい少年と。

「南蛮小僧」があった。今回は「虎徹とりあげ」の話である。
長らく新選組と敵対状況の南蛮小僧、近藤組長もいよいよ彼との闘いの日々に終止符をつけようとする。
そこへたまたま南蛮小僧の二人の手下が内輪もめの大げんか。
またこの二人は南蛮小僧が海から現れた真珠だとすれば、地から取り出された琥珀と瑪瑙のような存在なのよ。もう本当に三人の美少年にときめく。
近藤らは二人の少年を捕まえて拷問し(!)、南蛮小僧の居所を吐かせる。
新選組が南蛮小僧の隠れ家を包囲する。
そっと障子の隙間から室内の南蛮小僧を覗く近藤と、その近藤のみる南蛮小僧の麗姿について延々と筆が費やされる。近藤がいかに南蛮小僧の美貌に溺れているかがよく伝わる。
少しばかり青年になりつつある黒羽二重の着物をきちんと着た南蛮小僧の美貌。
ついに堪えきれず、室内へ躍り込む近藤と新撰組。途端に南蛮小僧が天井から下がる紐に飛びついて、一同はわっとばかりに畳下の落とし穴へ…
そして労せず南蛮小僧は虎徹を取り上げる。
手下の二人は体を張って、この計画を成し遂げたのでした。

いつものように陶然と南蛮小僧たちを眺めましたわ。

次にはまた垂涎ものの「武道義理物語 槍持ち少年の死」。坂本鬼城 これがまたとんでもない話で、南條範夫に再話させたいような話。
仇持ちの美少年がある武家に仕え槍持ちとなり、武芸の鍛錬を受けるが、主人の槍を持って歩いていたある日、ふとしたことで別の武家に槍を当ててしまい、主人を守るためにその名を吐かず、代わりにわたしを痛めつけてくださいと。
もう本当に被虐の美がそこにある。悪い侍たち三人に虐待される美少年。こんなそそられるものはないね。
そしてなぶり殺しにされるという時に、駕籠から彼ら悪侍の主人が出てきたが、それがなんと探し求めていた仇。少年は無惨な斬られ方をする。
一人取り残された瀕死の少年のもとへ駆け寄る彼の主人。その今わの際の願いを容れて、主人はあの悪主従四人を「仇討」する。
武道義理物語とは即ち武士道残酷物語でもあるね。
南條なら更に無惨な虐待を強いてくれるでしょうなあ~~想像するだけでわくわくする。

華宵は情熱を持ってこの美少年の死と、悪侍たちの無礼なふるまいを描いてくれてました。
どきどきする…!いたいたしさにこちらまでふるえる。少年は槍持ち奴なので腿まで露わで、その腿の細さにも目が惹かれる。
描かれた腿にときめくのは華宵、伊藤彦造、そして安彦良和の三人だけだな、わたし。
ああ、あぶないなあ…

他に「杜鵑一声」「月光秘曲」などがある。
大正から昭和10年代までは「杜鵑一声」をタイトルにするのが流行ったのだろうか。
彦造にも素晴らしい名品がある。やはりチャンバラ時代劇の時代だけに…ドキドキ。

「月光秘曲」は馬上の若侍が笛を吹くのを、轡を取る郎党が歩みながらじっと耳を澄ませる、というこれまた色々と妄想の余地の多い絵。この郎党は絶対この若主人に惚れてるに違いない、とか色々。

同じく笛を吹くのでは梅林で笛を吹く美少年の絵があった。そこへ雑兵が彼を襲撃しようと忍び寄ってくる。あー、ときめくなあ。

また「月下の二人」「大石主税」などもある。いずれも華宵の美少年を代表する彼ら。
最後は「乱刃の巷」。
天誅組と事を構えた美少年六郎が薬を飲まされ、敵の前で眠りに落ちる。彼を切り刻むつもりの天誅組を制し、別な場所へ連れてゆくことを提案する謎の女。縛られる六郎。
この美女も妖しい。婀娜でおきゃんで、というだけではない。
さらに娘姿を見せる者がいるが、その目つきの強さは少年の女装のよう。
人々の思惑が入り乱れる話。
絵を全て見てみたいものだ…


続いて竹久夢二。
今回は夢二とアールヌーヴォー。
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セノオ楽譜の作品からアールヌーヴォー風なものが選ばれている。
中には天平美人を描いたものもある。
当時は外国文化を採り入れるのも勉強で、全くそっくり同じ構図であっても「パクリ」などとは言われなかった。
夢二はやがてフランスのアールヌーヴォーからドイツの方へ眼がゆく。
雑誌「ユーゲント」の1910年代の掲載された絵をどんどん取り入れていた。
今まで知らなかったが、そうだったのか、と納得する。

雑誌ではほかに杉浦非水、橋本邦助、渡辺与平、橋口五葉らのアールヌーヴォー風味の表紙絵が紹介されていた。いずれも「文章世界」「女学世界」「中学世界」の諸雑誌。

夢二は藤島武二に憧れていたらしい。「蝶」や「みだれ髪」などからも武二のアールヌーヴォーへの愛情は明らかで、夢二はそのあたりにときめいていたようだ。
そういえば面白いことに武二も夢二も「お葉」を共にモデルに使うていた…

夢二作品ではほかに「カリガリ博士」のツェザーレが夜の町に出現するシーンや童画が展示されていた。
こちらも本当にいいものばかりで、嬉しい展示だった。


最後に泉屋博古館分館の「きものモダニズム」の感想も併せる。
須坂クラシック美術館の所蔵する銘仙100選。
丁度華宵、夢二らが輝いていた時代に、銘仙は夢みる少女たちが着こなしていた着物だったのだ。
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銘仙は大正から昭和初期、そして戦後十年ばかりの間、少女から娘さんの着る、着やすい・気安い着物だった。
化学染料が入ってきたことで色彩も増え、輸入されたアールヌーヴォーやアールデコの影響も受けて、モダンなものやキュートな柄のものがどんどん生まれた。

孔雀の羽、バラ、スズラン、チューリップなどの意匠が採用され、大胆な文様になる。
それらは大正ロマン・昭和レトロの夢を示してもいた。

わたしはこれらを眺めながら妙に気恥ずかしくなっていた。
それは、どうしても着物の展示と言うものは「自分が着る」ことを前提に見てしまうからで、その意味では寛文小袖などに大いにそそられる一方で、江戸小紋のシックさを理解できず、さらに銘仙の可愛らしさに照れてしまうのだった。
到底ここにあるものは似合いそうにないのだ。
オオムスメ(!!)なわたくしがやね、袖の長い振袖は着れても、愛らしい銘仙はアカン、というのは一つにはタイプもある。
ここにあるものは殆どみんなキュートでポップなもの、斬新なもので、わたしには到底似合いそうにないのだ。
いやー参った参った。

しかしこんなにもたくさんの銘仙を一挙に見たことで、これまで避けていた気持ちが緩んだのは確かだ。
いつか須坂クラシック美術館に行きたい。田中本家にもまた行きたい。

銘仙を着た若い女の絵が何点かある。
渡辺文子 離れ行く心  これは絣にエプロン姿で、ハンサムに年下の夫・与平の死後間もなくの頃の絵。

北野恒富、多田北烏の銘仙ポスターの美人もいい。

小早川清の全身像の美人もいい。小早川の絵なんて今では野間でしかたまに見るくらいか。

また「三越」の雑誌もあり、銀色の塗料が光るのがオシャレだった。山村耕花らの表紙絵。

大正から戦前の素敵なひと時を愉しんだ。

陸奥A子+ふろく展

弥生美術館では陸奥A子+ふろく展が好評開催中。
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マンガの原画なので何回か展示替えがあるようで、わたしは中期の分を見たようだ。
70―80年代の少女雑誌「りぼん」の看板の一人。付録もとても多かった。
大抵の少女は「りぼん」か「なかよし」に分かれて購入していたが、わたしはその当時「花とゆめ」の熱心な読者だった。
とはいえ「りぼん」も「なかよし」も毎月読んでいた。
それは学校で双方のファンから貸してもらえたという状況がある。
クラスではわたしだけが「花とゆめ」の購買者だったので、みんなが「仲間に入れてやろう」と思ってくれたのだろう。
(尤もそれだから今日に至るまで三原順「はみだしっ子」への愛情が持続しているわけだが)

その当時、実は陸奥A子作品にあまり関心がなかった。
彼女のキャラたちに似た人が周りにいなかったからかもしれない。
すっきり細身の優しい少年もいなかったし、丁寧に生きる少女たちもいなかったから、とても遠い距離を感じていたのだ。
そういうことをいうなら他のすべての作品もそうなのだが、なぜか陸奥さんにだけは距離を感じていたのだ。
そして同時にわたしは身近な日常を描いたものに関心がなかった。
少女の恋に興味がないのだ。
これがわたしから陸奥A子作品を遠ざけていた最大の原因ではないかと思う。

しかし陸奥さんの作品は世間ではやはり人気だった。
わたしは同じ「りぼん」誌でなら田渕由美子が圧倒的に好きで、それは今日にも続いている。「砂の城」の波乱万丈さにドキドキしながらも一条ゆかりは怖すぎたし、太刀掛秀子の「花ぶらんこゆれて…」は絵の愛らしさとストーリー展開のちょっとした落差にギクッとしていた。彼女らの作品は今も時折思い出すことがある。だが、その時代の陸奥さんの作品には本当に関心がなかったので、目の前に並ぶ原画にもあまり記憶がない。

ただ、今の30年後のわたしは陸奥さん描く少女と少年の恋物語に和やかな眼を向けていた。
「おとめチック」と呼ばれたその作風を、微笑ましい心持で見ている。
それはあまりに遠くなったあの頃を回顧しての優しいまなざし、というのではなく、今のわたしの心がようやく陸奥さんの優しい感性を愛せるようになった、ということなのだ。
おそらくあの当時は「うらやましい」=「ねたましい」=「腹が立つ」だった少女と少年が、今のわたしには「やさしくて、なごやかで、あたたかくて、いいなあ」と感じるようになっているのだ。
なんの成長も実感したこともない人生だが、こう思えば案外わたしの心も変わってきているらしい。

一方、実はわたしは大人になってからの陸奥A子作品のファンなのである。
「YOU」誌で連載があった頃、「ああ、あの」と過去を思い出しつつ素直に作品を読み、そして「いいな」と思ったのだった。
大抵は静かなたたずまいの大人の女性が主人公である。
しっとりしているのではなく、うわっついていない、ということである。
むろんわたしからはやはり遠いタイプではあるが、なにかしら通じるものを感じる。
描かれた女性たちはみんな無傷ではないのだが、それをさらりと背中の後ろに追いやって、今を生きている。
そこには無論、加齢への焦り、金銭的な不安、将来への漠然とした鬱屈があるが、しかしまだまだ希望も小さな夢も楽しみも抱えての日常を、彼女たちは丁寧に生きている。
とてもいいなあ、と思った。

へんなたとえかもしれないが、同世代のキョンキョン小泉今日子がアイドルの頃、嫌いだった。そして彼女が別居と離婚の後、「陰陽師」で出て来た時、その衰退ぶりに愕然となり、思わず「がんばれキョンキョン」と思った。
やがて彼女が本当に元気になり、若い青年と噂もあり、主演映画もあり、はつらつと生きる姿を見せるようになった今、とても明るい気持ちで彼女を応援し、自分もがんばる気になった。
これはどこか今の陸奥作品に対する感情と通じているような気がする。

回顧展ではあるが、わたしの中ではこの展覧会は回顧展にならなかった。
とても新しい気持ちで陸奥さんの「りぼん」時代の作品を見ている。
わたしは子供の頃から<日常から遠く離れたもの>に興味が向いたまま大人になったが、今は日常を健やかに生きる大人の女性を描いた作品にも関心がある。
だから、陸奥さんの作品に心地よさを感じるのかもしれない。
陸奥さんが変わったのではなく、わたしが<成長した>のかもしれない。

陸奥さんの人気はマンガ作品だけではなく、付録にも及んでいる。
眺める内、いくつか「あっ知ってる」が現れてきた。
そして「持ってる、今もあるはず」なものが出てきた。
79年6月号の「スペースファイル」これは今も手元にあり、使っている。
使うと言っても日常の道具ではなく、あるものを入れるファイルとして手元にある、というべきか。
それを変更したり捨てたりする必要がないのだ。なにしろ「使える」のだから。

色んな付録がある。
ミニブック、ファイル、アルバム、手ファン、紙皿、紙トランクなどなど。
陸奥さんだけでなく、他の作家たちの付録も多い。懐かしい、とても懐かしい。
花ぶらんこトランプにも記憶がある。
次の世代、それから戦前の付録も出ていた。「少年倶楽部」などの立派なペーパークラフトなどである。かっこいいなあ。
また「少女倶楽部」では村上三千穂の「彦根屏風たとう」があった。
これは彦根屏風をモチーフにしたのか、可愛らしい絵で再現されているようで、どういうものなのかがよくわからない。
和装小物の畳紙のタトウらしい。
1936年。

びっくりしたのは「りぼん ノートカルテット」なる4冊組のノートの付録。
金子節子、小椋冬美、小田空はわかる。なぜか鳥山明のアラレちゃんまでいた!
今クルマのCMで久しぶりにアラレちゃん一家の動くところをTVでみているが、40年近い前の作品とは到底思えないポップでキュートな絵だった。今目の前にあるノートもそう。

それに76年11月のカレンダーがなんと内田善美のバーン・ジョーンズ風の美麗なモノクロだった。驚いた。
ペイント・ペイントポスターとある。

参考だろうがライバル誌「なかよし」の付録もあった。「キャンディキャンディ」に「おはようスパンク」などである。いやー、本当に懐かしい。
やっぱり付録は楽しい。

79年正月号の「りぼん」表紙絵に記憶がある。陸奥さんの少年と少女が和装で、大きな筆で字を書き、扇子を開いて「あっぱれ」な情景である。懐かしい。
この号では「花ぶらんこゆれて…」「砂の城」「ハロー・マリアン」などが連載中だった。
田渕さんの「ブルー・グリーン・メロディ」もある。

陸奥さんは案外SF好きだということは、なんとなく知っていた。先のスペースファイルでもそうだが、わたしは陸奥さんのSF短編で一本好きなものがあった。
タイトルは忘れたが、今も所々を覚えているので間違いはない。
それらしき作品が紹介されていた。
80年9月号「TwinkleTwinkleあの娘の横顔」かと思う。UFOの落とした青い星屑をうっかり寝ながら食べた少年が…
どう考えてもこれだと思う。ラストが面白かったのも覚えている。

そして現在の陸奥さんの作品紹介があった。
「YOU」誌から離れて竹書房から刊行されたコミックスもあった。
2015年10月には「真夏ノ夜ノ夢」も発表されている。ちょっと身につまされるというか、憧れるいい話のようである。

陸奥さんは北九州の方で、その地のマンガファンの活動にも参加されていたそうである。
その縁でか、この展覧会は北九州にも巡回するそうだ。

12月にもまた少し原画の展示替えがある。
いい心持の陸奥A子展だった。

11月の東京ハイカイ録

11月の東京ハイカイ録
というのが例によって例のごとくのタイトルなのですが、今回はもう本当の意味で徘徊になってしまった。
いや、迷走に近いかもしれない。
そもそも11/20(金)夜から都内入りする気でいたのが、ちょっと前の箱根ツアーから続くトラブルのせいでか、「ソヤソヤ」と思いついたのが小田原から藤沢の遊行寺へ向かい、そこから都内入りしようという考え。
箱根ツアーの残りの切符があるものですから、新幹線も小田原まで購入。
その日の予定としては遊行寺―横浜―金沢文庫―横浜―神奈川歴博―永青文庫という行程でございましたな。

で、11/21の朝から新幹線に乗るつもりで前日20日はいっそ大阪市内の23日までの展覧会などを回るか、と半休取ったはいいが、木曜にいきなり体調悪化。
しかし朝は元気なので帰ってから医者に行けばいいやでそのまま東洋陶磁再訪、大阪城、大阪歴博、ハルカスと4つ巡ってから帰宅。
元気が続いていたので医者に行くのもすっかり忘れてて、再び体調悪化したのが21時、医者は終わってますがな。
仕方ない。色々考え、様子を見る気で翌朝起きると更に悪化。
それでもうこうなっては、と新幹線を4時間遅らせた。
幸い2時間に一本ずつ小田原停車のひかりがあるのです。
つまり箱根は大阪からは遠い地ではなくなったわけです。←おカネもないくせに生意気。

医者に行って説明して結局漢方を二種出してもらった。
五苓散と補中益気湯。これで治ったから、やっぱり漢方はエライモンです。

四時間も遅れるとそらもう次は何もできない。
遊行寺へ向かうのにも手間取った。道は今や遊行通りがあるから間違いもないけど、駅のロータリーが「藤沢ワインまつり」の最中でどないしようもない大混雑。タダのワイン試飲に並ぶ群衆とか色々。
わたしは飲まねえから何の未練もなくスルーしたが、人で人でえらい目に遭うたわ。

4時になってしまったのは本当に残念。
だが遊行寺の宝物殿でじっくりと国宝「一遍聖絵」の1巻や12巻などを見れたからよかったわ。感想は既に挙げている。

遊行寺の坂は銀杏でいっぱいだった。
それを見つつ「ああ、今年の秋は色合いの浅い秋だというなあ」とひとりごちながら急ぐ。
藤沢駅南口近くのフジサワ名店ビルに入る。
これがもう本当に昭和の匂い充満の楽しい何でもアリのごちゃごちゃビルで、庶民の活気に満ちた明るいところだった。
昔のなんば球場地下の古書店街みたいな感じね。
決しておしゃれではないが、この町に住まう人々のために活きているビル。いいなあ。
こういうのが本当に好きなのだよ。

さてお目当てのものを買ったので一路東京へ向かう。
ついたら丁度送迎バスも来たのでそれに乗って定宿へ。
定宿ではわたしがこんな早い時間についたのでびっくりしている。
わたしだって本当はこの時間は「春画」展見てる予定だったのよ。でも体調がよくないので仕方ない。

宿に早く着いたから片づけも出来、明日の掃除もOKする。
わたしはいつも初日は絶対に入室禁止を頼んでるのだが、早くついて片づけれたら、それをする必要がなくなるわけです。
理由:定宿ではイイコちゃんで通ってるので片付けが出来ないのがバレルのが嫌だ。
・・・というのをフロント全員と掃除の担当者さんたちに力説しているわし…
「あの、大丈夫ですから」と言われても「いやだ、立派な人格者で人当たりもよく、評判のいい美人のワタクシ様が実は片づけられない人だとバレるのは困る!」と拳ぎゅっとしながら力説。
「…(この時点で告白してますな、あんた)はいw」
というわけがあるのだよ。
今回、荷物は先に運送してたので、なんだかうまくいったわけです。

近くのスーパーに行く。外食するほどの気力がない。そこまで食べれそうにないというのもある。だからスーパーに行ったが、ここのスーパーは普段から何もないと思ってたが、本当に何もなかったな。
南高梅のおにぎりと関西風きつねうどんのカップなど買うが、なにもかも中途半端に残す。
ダメだ…わたしもよくないが、まず味がよくない。
この日は早めに寝る。

日曜の話。
石神井公園へ向かう。池の端のボート乗り場から池の端のふるさと文化館まで何分かかるか計りながら歩く。釣り人の多い池。
なんとはなしにボストンとかそんなところを想う。池の周囲の木の様子でそんなことを思うのだ。
旧い歌でアルバムの中に入っているだけなので、知る人も殆どいないだろうが、因幡晃に「あの唄」といういい歌がある。
石神井公園に来るといつもその二番が蘇る。
 あの日の空は青かった くれない色の葉っぱが散っていた 
 ボートが一艘浮いていた 波が白く光っていた
 あなたはそれを追って 大きな瞳を震わせて
 どうして泣くのって聞いた僕に 幸せだからって言ったけ

感傷的な気分になるのはやはり秋に池のほとりを歩くからだろう。

ふるさと文化館では加藤正世セミ博士の「蝉類博物館」の再現が為されていた。
以前はこの石神井公園にほど近いところにあったが、博士没後は散逸をさせず東大の博物館に寄贈されていたそうだ。
それが今展示されている。レトロな展示方法と博士の独特の解説文字とがユニークな空間を生み出していた。遠くても来てよかった。蝉大好き。

各展覧会の詳しい感想は個別に後日挙げてゆく。

おひるはここの「むさしのうどん エン座」のみぞれ糧うどん。
しかし体調もあってか、あまり進まない。残念。

江戸川橋へ。時間をビーグルバスに合わせる。それに乗り坂を1分もせずに上がり、やがては永青文庫へ。
初日以来の春画展。後期展示である。
なんというか、いいなと思うものは国貞のが多かったな。客第一主義の国貞の仕事ぶりが好きなのだ。いいものを見た。
あとは雪鼎の肉筆画がいいのと、北斎のヘンタイなところが楽しい。
応挙のもあったが、こういうのより「七難七福図」の盗賊に襲われる一家の悲惨な状況の方がソソラレるな。

松濤へ向かう。先に戸栗美術館で金襴手の伊万里焼を愉しむ。どれがどうというのではなく、総じて楽しいという展覧会。
「飽きた」などとは言わない。
見慣れたものでもまた見ることで目が養われ、さらに何かしら心が折れそうな時に再会すると、ほっとしたりするのだ。

松濤は「スサノオの到来」以来。あれは良すぎて感想が書けない。このまま書けないままかもしれないが書きたいが書けそうにない。
「エジプト」の展示なのだが、やっぱり猫がいい。とはいえわざわざミイラ用にと猫を育ててミイラにするのは憐れすぎて悲しい。やめてくれーーー
トキもそう。今の日本じゃ絶滅したんだぞーーー

時間が少しあるので汐留に。
「ゴーギャンとポン・タヴァンの画家たち」を見る。ブルターニュはケルトの影を強く残すところでフランスの中でも神秘性の高い地域だという。
それらを踏まえながら絵を見る。現地の他の作家たちにも惹かれた。

同じ時間に送迎バスに乗り、今度は近くのコンビニに行く。ああ、やっぱりなあ。
コンビニの方が結局は個食にぴったりなんだなあ。
それにしても昨日のスーパーはさみしいでしょう。
今日も早く寝る。

月曜、勤労感謝の日。
いつものロッカーに荷物を入れてからまず上野に出た。
西洋美術館で「黄金伝説」に飲み込まれる。
うわーっという感じ。負けた…尤もわたしはそこまで金に執着がないからなあ。
常設はお休み。

東博の常設を大いに楽しむ。体力不足の折から「兵馬俑」は来月に回す。
散々へんな写真を撮ってけったいなキャプション付けてツイッターに挙げる。
それにしても、東博、みんぱくはわたしにとって「二大博物館」なのですよ。

てくてく歩いて根津に向かう。住宅街を行く。赤煉瓦の倉づくりの「釜竹」やその背後の木造三階建てアパートを模したレトロ風なマンションなどがかっこいい。
はん亭の前を出て、珈琲館に入る。愛想よしの店員さんに案内され、機嫌よくホットケーキを食べる。
この日、東博の考古室であべまつさんがツイッターのアイコンにしている土偶を見て、コンニチハと挨拶したり、ホットケーキをアイコンにするmarcoさんに「ホットケーキ食べるときmarcoさん噛むでーと言うわ」と遊んでたので、本当にホットケーキが食べたくなったのだ。
可愛くハート形の孔が作られているのもご愛嬌。店員さん、ありがとう。
今くらい弱っているとホットケーキにミルクティー(ノンシュガー)はいいな。
というわけでわたしはやっぱりパンケーキよりホットケーキ派です。

弥生美術館に入る。今年最後の訪問。
陸奥A子展を見る。「おとめチックていいよね」 ときゅんとなるが、それはあくまでも大人になった今のわたしの感想。
実はわたしは90年代以後の彼女の作品が好きなの。
大人の女性のいろんな感情とか感傷とかをさらりと描く。その静けさに惹かれる。
りぼん当時、わたしはニガテだったのだ…
そして常設の華宵の美少年剣士を見てイケナイ妄想に溺れる。
これはもう後日ねとねとと感想を書くのが楽しみ。
更には夢二が1910年代のドイツの「ユーゲント」誌に影響受けすぎなのを確認するという企画があった。今だとパクリだと非難されるで。昔はいい時代でしたなあ。
というわけで3つのおいしさがありました。それぞれ本当にいい内容。

最後に泉屋分館で銘仙を見る。今またカワイイということで流行っているそうだが、可愛らしすぎて…どうしても着物の展示というのは小袖の昔から「自分が着る」ことを念頭に置いて眺めるから、趣味嗜好、似合う・似合わないで見てしまうのだよなあ。
いいなと思ったのは鼠色に紫の花が咲いて緑の茎が伸び、紅色の外線が伸びたものかな。
ほかはみんな自分には似合いそうになかった。

東京へ。最近は銀座線で日本橋に出て高島屋方面からさくら通りを抜けるのがパターンやな。
大丸で舟和の芋羊羹やそのチップス!とか鎌倉権五郎のごま半月など買う。権五郎のところは好きな店員さんがいたのに、ちょっと見たらどこかに行った後。残念。
デパートは最後の対面販売だから、好きな店員さんとそうでないのとの落差が激しい。
駅ナカで駅弁祭のとこではいつものエンガワ押し寿司とわさびの焼き鯖寿司とを買うが、焼き鯖、パッケージ変わってたな。値段も。
エンガワはおみやだけど、焼き鯖は晩御飯。味は変わらず。とはいえこれも半分でやめる。
あとはお持ち帰り。

いつものようにタクシーで帰宅。今回は土曜の昼から出ての日月なのでそんなに出かけた実感はない。
体調に気を付け、また楽しくお出かけしましょう~~

国宝 一遍聖絵

遊行寺宝物館に一遍聖絵を見に行った。
ここを皮切りに金沢文庫、神奈川歴博と一遍聖絵を回りたかったが、都合により遊行寺だけの感想を挙げる。

なんでも三館めぐりでコンプリートらしい。
とはいえ巻き替えがあるから完全に見ることはムリだろう。
藤田美術館の玄奘三蔵絵は奈良博で全巻を見たあと、藤田美術館でも画像をスクロールして見ることが叶うようになった。
龍谷ミュージアムも企画展のとき、そのスクロールを使えるようにしていたから、この一遍聖絵も同じように画像をスクロールして見ることが出来るようになればいいと思う。

1巻ー1
まだ12歳の少年である。建長3年春(1251)、九州出立。白梅紅梅が咲いていた。

肥前につく。ボロ家の前に白犬が寝る。
そこから太宰府に戻り浄土教を学ぶ。
13歳、やはり立派な宗教家はよく学ぶ。
その庵の塀の外を狩りの一行が行く。猟犬に白犬。この頃も桜が咲いていた。

1巻ー2
春、出家、剃髪。もう色黒。ヒトのことは言えぬが、一遍は色黒だ。
晴れた日だが、大きな傘をさして歩く。これは高僧や身分のある人のためのでしたかな。

善光寺へ。道々やたら立派な牛がいた。角突き合わせるコッテ牛もいる。
牛に引かれて善光寺。
門前町の中には白犬飼う家もある。
裏の道には琵琶法師の師弟もいた。既にこの時代には職業として平曲語りは成立している。
ある家では犬が飛び出して来た。白犬、斑犬、赤犬。
1271年春、32歳。

1巻ー4
伊予で三年にわたる念仏修行。竹林のある庵にて。

11巻ー1
1289年秋の景色が見える。
阿波から船出。3隻にお坊さんぎっしり。
淡路につきました。二宮参詣し踊り念仏。
なんでも嬉しすぎて踊る、というのが踊り念仏なので、一遍さんはロックなヒトだったのだ。
いやもしかするとパンクなヒトかも、或いはラッパーだったのかもしれない。
遊行って素晴らしいなあ、つくづく。
遊行七恵は感銘を受けるのでした。

12巻ー1
1289年8月17日、死が近づくのを確信する一遍さんは、聖戒に「眼中の赤筋がなくなれば最期」と伝える。
それは毛細血管のことなのかな。リアルな感覚としての発言。

西宮の淡河殿で水ごりをとる坊さんら。
だがついに一遍さんは往生する。
大勢に見守られながらの往生。1989年8月23日、朝。

数年前にみつかった下書き線もハッキリ見えた。

12巻ー3
群集の描写がなかなか細かい。
右端の辺りにいるハレ瞼で両手を擦り合わせる男、曲者風。
女は笑ってるのか泣いてるのかわかりにくい。
兵庫区、そばに海。
結縁衆の七人が海にざんぶ。自ら水に入り後追い自殺を次々に。
パッと見たところ、既に五人は合掌しながら波間の人になり、また、渚を走る者もやがて波に消えるのだろう。
それぞれの表情が見えるが、苦痛はない。

荼毘の煙が立つ。お堂には一遍さんの像がある。

本物はここまで。
あとは模本やコロタイプやデジタルなど。

一遍没後十年頃にリアルに彼を知る人が描いたというから、やはりこの絵巻の一遍さんはよく似てるのだろう。

コロタイプ6巻ー1
片瀬で念仏。
ムシロ掛の病人や貧者らの居並ぶ辺りの描写がハッキリしている。鍋をかけたり、寄ってくるカラスたちを追っ払おうとしたり。
茶犬がいて、琵琶法師の師弟も念仏の声の方へ走る。

昭和のものと平成のものが並ぶ。平成のはかなりのサイズ拡大。

明治の田中親美の模写はさすがに綺麗。

7巻ー1
関寺まで。波が押し寄せている。なにやら水上舞台というかステージがあり、そこで踊り念仏。

模写
1279年、信濃の小田切。
犬のケンカ、牛の数も多く、にぎやか。
その群集に加わろうとムシロ担いだコジキたちがやってきた。近くの者はハナをつまむ。

他には歴代の遊行上人らが感得したものが並ぶ。

二河白道図 善導のかわりに二仏の前にいる一遍。

熊野成道図 権現と一緒にいる一遍。

空也像もある。口からめざしならぬ六阿弥陀が並ぶ。

墨絵の沖縄宮古島平和観音像がある。黒崎義介のサイン。
えっ童画家の?
意外な取り合わせだった。

面白い展覧会だった。

唐画もん 武禅に閬苑、若冲も

大坂の唐画(から・え)を集めた展覧会が大阪歴博で開催中。
千葉市美術館で好評を博した後の巡回。
大阪には近世・近代に面白い画家が多かったが、長らく埋もれたままだった。
こうして紹介されて人気が出てくると、とても嬉しい。

共通のチラシ。イメージ (71)

そしてこちらは千葉と大阪のチラシ。
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それぞれ凝っているが、わたしの好みはむしろ千葉かな。

惹句も「知られざる大坂の異才」と「大坂発、奇想ワールド」と違うがどちらもその通りのコピー。
わたしなんぞは今回の展覧会で初めて墨江武禅を知ったし、林閬苑もこんなにたくさん見たこともなかった。
前後期の展示でわたしが行ったのは後期。

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第1章 武禅の師友
最初に月岡雪鼎などのやさしい絵が現れる。
いい導入部。

曽我五郎と化粧坂の少将 雪鼎  まだ五郎はべたりと座敷にいて、少将が立ったところへ手を差し出して、その柔らかな手を握る。
この手の感じに深い情愛を感じる。

花美人図 雪鼎  白い梨の花を手にして佇む女。思えば梨の花を描くのは少ないのではないだろうか。
このあたりから少しずつ唐画へと移行し始める。

牽牛織女図 雪斎  牛に乗る女の前髪には鶴か鷺かの飾り物がつく。思えば自分らの恋に夢中になって罪科を負うのはこの二人が始まりか。後には日本でお軽と勘平もいる、イタリアでフランチェスカとパオロ、イングランドでトリスタンとイゾルデ…

美人納涼図 桂宗信  小手をかざした女が土坡に立ち、月の入りを見上げる。
案外こういう構図を見ない。

雪景山水図 蔀関月  雪に覆われた山が高く伸び、その下にはもこもこと雪に覆われた木々などがある。前景後景で雪の表現を変えているのがいい。
「外隈で降り積もる雪を表現している」そうで、白だとそれが活きるのを実感。

第2章 墨江武禅
ここで大量に彼の絵を見た。

美人図  チラシにも出ている、座ったなりの美しい女。衣裳も豪華。上品な女なので一瞬上臈にも見える。立派な位の太夫なのだろうか。

柳櫻稚児図  稚児髷の二人の美少年が池の端に立って水面に顔を出す蛙を見ている。
まだまだ可愛いところのある二人。
こういう子らがさらわれて「花月」なり「梅若丸」なりになるのかもしれない。

春色山水図  ロングで捉えた風景の中にも自然、それから人間がいる。少年が橋を渡ると犬が喜んで駆け寄ってくる。

青緑山水図がいくつかあり、先般大和文華館でみた「蘇州で見る夢」と同じ形式だと知る。

小さな画帖には雪佳の描きそうな可愛らしい茅屋が描かれている。

水墨山水図  西湖を描いていて、例の半円形の橋・白堤も可愛らしく描かれていた。

蓬莱図がいくつもある。唐画にはやはり蓬莱図か。551枚ないのが残念。
亀が妙に気になる。集まるところとか荒波を超えてくるところとか。

雪を描くのもいい。雪の積もった実感がある。そういうのが好きだ。

龍図に仁海益州の虎図を合わせて対にしているのがある。これは愉しい。
元からの競作なのか後からの見立てかは知らないが、所有者は同じ表装にしているので、とてもいい感じに見える。

占景盤というものが流行っていたそうだ。盆石みたいな感じで、それを絵にとどめている。中には小さい民家や橋とかいったものも置かれるので、小さい箱庭のようなものだ。
ユングの箱庭療法は砂を使うがこちらは石を置くのだ。

第3章 閬苑の師友

群仙図屏風 福原五岳  鯉こわっ!水面を往く仙人たち。笹やフクベや龍に乗って水面を走る。

花鳥図 浜田杏堂  二羽の鳩がいる。高山辰雄も東洋画からそうした絵を描いていたのを想う。

第4章 林閬苑
例の筆先を少し伸ばしての点描の米芾の「米法」様式で描いた風景などが多い。

宮女遊戯図  木村蒹葭堂さん江という絵である。ロングで中国の美人図を描く。

達磨図  しょぼくれた顔で手酌の酒を飲む達磨。戯れ歌があり「九年なに くかい十年 花ころも」…まぁな。

蹴鞠図  ゲーム中の事故シーン。蹴鞠、顔に飛び込む!

漢功臣図  目つき顔つきの悪い三人がひそひそ。誰が誰かわからんが、やっぱり親玉が元は無頼漢だったのを考えると子分もそらまあな。

関羽図  こちらは賢そうに読書中。春秋左氏伝を読んでるらしい。

孔子十哲図  でこにXがあるのは武闘派の子路か。香炉の前には麒麟もいる。

桃李園図  仇英のを知恩院で見て、その一部分を描いたようだ。いいなあ。

円窓美人図もいくつか。いい感じ。母子で機嫌よくお散歩図もある。

黒々とした鷲図、南蘋風の寒蘭図、白孔雀図なども面白く、豆本もよかった。
竹虎図は顔をぐーっと挙げた虎が面白い。

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第5章 上方絵師百花繚乱
若冲が多かったね。

柿猿図 若冲  こずるい顔の猿が手を伸ばして柿を取ろうとする。なかなかうまくゆかない。しかしよくよく考えたら「猿蟹」の話はいかにも日本の風土に沿うた話やわな。農業従事者の努力を無にする者、契約書はなく口約束、その口約束を破るものへの制裁…仇討という名目で一個の猿を攻撃するだけでなく、実は集団闘争賛美とか色々。

乗輿舟 けっこう長く伸びていた。わたしは源八の渡し辺りが結構好きだ。

象鯨図 松本奉時  若冲のあれとよく似ている。こっちはそのトリミングした感じ。

蝦蟇図 松本奉時  がまっっっ…この人は前にもここで見ています。カエル好きの人。
他に「気」を吐く三本足の蛙の絵もあった。

蕭白の虎渓三笑、蕪村の寒山拾得などもある。

蝦蟇仙人図 森周峰  狙仙の兄弟。この蝦蟇仙人はけっこう暴力的やな。頭をぐっと押して、それで蝦蟇に気を吐かせている。

久しぶりに耳鳥斎の地獄などをみた。
猿まわし、立花師、茶師、硯師、綱渡り、手打ち、馬追、ところてん、鳥さし、川魚屋も飴屋、染物屋、桶屋…
どれもこれもヤラレてる人間たちが妙に楽しそうなのが多い。鬼たちは真面目。
なんだかんだと面白いものをたくさん見た。

12/13まで。

わたしの好きなシロカネ・アート

松岡美術館が今年で40周年を迎えたそうだ。
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わたしは内幸町と御成門の間にあった時代から通っているが、たまにあの不便な場所の変わった展示の空間を懐かしく思い出す。
そこでは相客があったためしがなく、いつも一人でコレクションを愉しんでいた。
上階から下を覗くと展示を控えている作品収納棚などが丸見えだったことも懐かしい。

ここへは愛宕山から歩くことも多かった。
NHK放送博物館と当時の松岡美術館はわたしの中ではセットだった。
これは山種美術館の茅場町時代にブリヂストン美術館がセットだったのと同じ。
今ではみんなバラバラである。
山種美術館はむしろ根津美術館とツレになり、松岡美術館は東京都庭園美術館とセットになった。

さて白金に移った松岡美術館では順調に時を過ごし、めでたく40周年を迎えての「わたしの好きなシロカネ・アート」展が開催されている。
思えば「わたしの」とはなかなか深い言葉である。
この「わたしの」は創設者の松岡清次郎の、でもあるが、我々観客の、という意味合いでの命名である。松岡が愛したもののうちから観客が随意に好きだ好きだと言うたものを集計しての展示なのだ。

古代オリエント、現代彫刻、中国仏教彫刻、ガンダーラ、インド、クメール彫刻、近代洋画、近代日本画、東洋陶磁などなど…
松岡清次郎というコレクターの豊かで幅広い嗜好を我々後世の観客は深く味わえるように、各室が丁寧な展示と説明と設えを施している。

松岡清次郎が美術館を開いたその理念がサイトに紹介されている。
「人はどんなに偉くなっても、やがて忘れられる。
 そこへいくと、古代の第一級の美術品はずっと後世に残る。
自分が集めたものを、未来の人々に鑑賞してもらう。これが私の夢ですよ」

いい考えだ、素晴らしい。
これを読むと、ある芝居の台詞を思い出す。
幡隨院長兵衛が旗本の水野邸に、殺されに行くのが予想されているのに出向こうとするときに、子分や家族たちに言うのである。
「人は一代、名は末代」
美術館が続く限り、松岡コレクションはこのまま長く残るだろう。

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・古代オリエント
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ここではやはり猫です、猫。聖なる猫の頭部。B.C.664-332。この同時代の中国では春秋戦国時代か。猫の像はなかったと思う。やっぱり埃及は猫ですな。

・現代彫刻
ここでも猫です、猫。よく働く猫。ジャコメッティの猫の給仕頭。賢くてかっこいい猫。

・古代東洋彫刻
松岡コレクションのガンダーラ仏で大いにその方面に惹かれた身の上としては、一つ一つの彫像にそっと甘言を囁かねばならない。
ああ、なんて素敵なことだろう…

仏伝図を見ると、かつての西新橋での松岡美術館の暗い廊下が蘇る。そっと小銭を供えていた人々。そのお金は松岡美術館からNHKに託され、歳末助け合い運動の募金になった。

インドのヒンズーの神々の像もいい。
丸い胸、豊かな四肢。跳ねる肉体。ここで見たことが学びとなって、後年の奈良博「インド・マトゥラー美術」展、東博「インドの仏」展に良い効果を生んでくれたのだった。

クメール彫刻を常時見ることが出来るのはここと東博だけ。
かつて大阪市立美術館の特別展ロックフェラー・コレクションのクメール彫刻に感銘を受けたことが蘇る。

陶磁器コレクションもとても豊かだ。
ギリシャのアンフォラ、クラテールの他は中国の陶磁器と少しばかり有田焼が出ている。
唐代の婦人像、舞女像、楽人像などは特に美しいフォルムを見せ、フィギュアの美を味わえる。

三彩、白磁、青磁、青花、と時代ごとの流行も見て取れる。
わたしは特に青花が好きだ。そして大きな法花にも喜ぶ。可愛いなあ。可愛いなあ。
清朝の豆彩、粉彩にくると転写式の洋皿のようにも見えてくる。いや、それよりもロマンティックな少女マンガの背景の花に近いかもしれない。
抹茶の集合のような色をした便もやはりいかにも清朝で面白い。

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・近代洋画
キース・ヴァン・ドンゲンを知ったのは間違いなく松岡コレクションで。もう本当にかっこいいなと思った。それでドンゲンの絵をもっと見たいと熱心に探したが、なかなか見当たらなかった。西洋美術館のドンゲンも松岡で見たより後だった。あれはわたしが西洋美術館に行くようになった後のある時期に購入したのではないかな。
今でも本当にドンゲンが好きだ。
1920-1930年代のオシャレな時期に活躍したドンゲン。素敵だなあ。

ここは印象派のいいのもあるが英国アカデミーの名品も多く所蔵している。
今回はポインターの「小さな災難」が出ていた。
好きな絵。青木繁「享楽」を思い出しもする。
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ポルティーリエ オリエントの少女 きりりっとした少女。

ヴラマンク スノンシュ森の落日 怖い夕陽やなあ。

ドンゲン 葦毛の馬、ノルマンディー 馬は一頭であとは牛が四頭なはずなのだが、中学生の少年のシロガネ・アート感想文を読むと、数が合わない…

ドニ 赤い寝椅子に横たわる裸婦 ピンクの膚が艶めかしい。
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ロート 腰かける裸婦 キュビズムの裸婦。…これ、パーツごとに分離したら「ロース」とか「カルビ」とか「バラ」「ハラミ」「タン」「ミノ」…
ごめんなさい。

日本画を見る。
床の間に川合玉堂「鶺鴒」がかかるが、しーん とした空間の中に小さな鳥がいて、それは大きな自然の一部なのだと知る。
だから絵の枠の外にも自然は続き、床の間は自然の一部を切り取った空間になる。

木島桜谷 孔雀 ザクロがなっている。どこかエキゾチックな空間。

ほかにもいいものをたんと見た。
そして昔の絵葉書のプレゼントがあった。とても嬉しい。
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ありがとう松岡美術館。

大谷崎と挿絵の世界

芦屋市の谷崎潤一郎記念館で「大谷崎と挿絵の世界」展をみた。
谷崎は挿絵の価値をよく知る人だった。
これはこの世代の作家の共通項だったのかもしれない。
絵にそそられ、そこから本文を読んでみようかと思う読者が多くいたのだ。
わたしなどはその最たるもので、弥生美術館で挿絵や口絵を見るうちにうずうずしてくる。それで本文を読むのだから、やはり挿絵の力と言うものは大きい。

さて今回の展覧会では谷崎がいかに挿絵・装丁に対し深い理解と、また熱望とを懐いていたかを思い知らされた。
すぐに思い浮かぶ谷崎作品の挿絵と言えば、「鍵」棟方志功、「魔術師」「人魚の嘆き」水島爾保布、「蓼食ふ蟲」小出楢重、「聞書抄」菅楯彦、「少将滋幹の母」小倉遊亀、「幼少時代」鏑木清方などか。
口絵では「お艶殺し」山村耕花、「お才と巳之介」竹久夢二、それからカバーものでは「痴人の愛」岩田専太郎。
将に豪華絢爛である。

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「蓼食ふ蟲」は谷崎文学の大いなる転換というか分岐点となった作品で、西洋礼賛だった作家が日本の古典・日本の美に眼を見開かされた作品である。それもその方向へ谷崎を導いたのは小出楢重の挿絵だった。
実際、谷崎の小説本体がまだ届かない時に「こんなのです」と連絡が入ると小出は想像で絵を描く。入浴シーンにしても当初は洋風のバスだったのがいつの間にやら五右衛門風呂になる。その絵を見た谷崎はどんどん和の美に取り込まれてゆく…
面白いのはそんな風に和の美の道を谷崎に披いた小出本人が、生活上は洋風を貫いていたことである。理由は本人の随筆によると「骨人」だからということで、それだけで大いに笑わせられる。
小出は座談・随筆の名手でもあり、その挿絵は洋画家のものとは思われぬ墨絵作品で、これがもう実にいい。
実際この挿絵を見ても、しみじみと「ああ、和とはええもんや」と思わせられるのである。
谷崎はこのシーンで小出にこんな依頼をしている。
「その女の献身にラマ教の仏像の菩薩のような歓喜があふれている」ないなら「インドの仏像風でもというようなことを書いている。

小出は谷崎と家族ぐるみで仲良く付き合っていたが、気の毒に40代の若さで亡くなった。その死の前日も谷崎と会っていた。
谷崎は小出を讃え、随筆にもそのことを記している。

北野恒富には「蘆刈」「乱菊物語」の挿絵がある。谷崎は「盲目物語」の口絵に「茶々殿」を使わせてと言ったりしている。そう、この前の記事のあの「茶々殿」である。
今回の解説で、谷崎は松子を通じて恒富を知ったということを知った。

「蘆刈」からいくつか出ている。
「雪の朝」は王朝風美人がそっと戸を開け、口元を袖で覆いながら顔を出す。紅梅に雪が積もっている。
また小舟に乗る絵もある。
恒富への封書があった。「大軌奈良線花園駅前 北野恒富様」という宛名である。

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誰かに依頼されたわけでなく、純然たる感動から谷崎世界を絵にした人がいた。
和田三造である。「春琴抄」を絵画化していた。解説によると「構図や大阪風の家のつくりなどに苦心しながら」描いたそうだが、これで思い出すのが「春琴抄」映画化の際の小村雪岱の苦労。かれもまた大阪の家の構造がわからず、わざわざ出張して船場の商家を何軒が実地調査している。
東京の人ではわからなかったのだろうなあ。尤も今の大阪の若い人らもわからんわな。

和田のその逸話は「赤色エレジー」を思い出させてくれた。
林静一のマンガに触発されて勝手に歌を作るあがた森魚の話。

谷崎は源氏物語を現代語訳している。旧版では清方が宣伝ポスターを描き、新版では弟子の伊東深水がポスターを手掛けていた。どちらも令嬢が熱心に読書中の絵。
和装モダンな彼女たち。

この「源氏物語」は画家たちの競演が素晴らしく、安田靫彦の装幀、後から加わった松篁さんらの作品が出ていた。

リアルタイムではないが清方の「刺青」もよかった。彫りあがった背中を見る女である。
「燦然と輝く背中」を見ようとする女。
清方は清潔な絵が多いが、大正時代にはやはり濃艶な女も描いていて、「刺青の女」というアブナイ絵を描いてもいる。

新聞連載時は田中良の挿絵があった「痴人の愛」だが、こちらはモダンなエロさがあった。しかし小説の本質を想うと、岩田専太郎の「苦楽」での「絵物語」のがより物語の本質に近いようにおもえてならない。

水島の「人魚の嘆き」は「魔術師」ともども挿絵入りのが刊行されている。
わたしが持っているのもむろん水島の挿絵入り。日本のビアズレーと謳われたのも当然である。

今回、初版の時の挿絵画家・名越国三郎による二枚の挿絵が出ていた。初めて世に出た絵である。発禁処分を喰らった絵。しかしどこがどう引っかかったのかはわたしにはわからない。

雪岱もまた本の装幀に取り込んでいたらしい。「近代情痴集」の表紙絵がいい。
他に山名文夫まで谷崎の仕事をしている。

棟方志功との晩年の「コラボ作品」は豊かな世界だった。
二人でこしらえた「歌々板画柵」などは今も人気だ。
小磯良平まで「細雪」の装幀をしたとはびっくりだ。とはいえ、とてもよく似合っている。

ああ、いい内容だった。12/6まで。

北野恒富と中河内

大阪商業大学の商業史博物館で「北野恒富と中河内」展をみた。
元・芦屋市美術博物館の学芸員の明尾さんがここに入ってから、アグレッシブで魅力的な展覧会が続くようになった。

「浪花の悪魔派」と謳われた(称えられてのことかそうでないかは知らない)恒富の回顧展は東京では開催されているが、主に活動した大阪では初のことになる。
明尾さんや橋爪さん方のような大大阪時代の美術や文芸に詳しく、その頃を愛される方々のおかげで、近年は少しずつとはいえ往事の大阪画壇の展覧会が開かれるようになり、本当によかった。
とはいえ、まだまだ足りない。
これはやはりこの方々の努力だけでなく、われわれ観客もまたセェダイ応援するべきだ。
(セェダイは古い大阪弁)

ところで大商大は河内小阪と八戸ノ里の間にある。中河内である。恒富は大正の末に大阪市内から小阪に転居した。
中河内の住民になったのである。そして河内花園に移ってから没するまでその地に住んだ。
封書の宛名をみると駅前とある。これは戦前の大阪にはよくあることかもしれない。
わたしの母方の祖父は裁判官で、なんだかんだと封書がよく届いたようだが、それもすべて「△△駅前」また近くの古く名高い神社の名が宛先に書かれていたそうだ。
これで届くのだから、昔はのんびりしたものである。

恒富は金沢から大阪に出てきて大阪人になった人である。
「浪速御民」と名乗った菅楯彦も鳥取から出てきて大阪人になった。どちらも大阪の温気にやられ、気づいたときにはすっかり大阪人になりきってしまっていた。
そんなだからよけい大阪的な味わいが出るのかもしれない。
(ここでホナ大阪的なものてなんや、と訊かれても、それを書くのは差し控えたい、とあえて言うておこう)
さてわたしは前後期をみているので感想を混ぜながら書く。

明治の作品「燕子花」「六歌仙」はどちらも明治のほかの画家同様「明治らしさ」の漂う作品だと思う。それは色彩とか描き方によるのかもしれない。

花の夜 大正 いかにも大正ロマンのムードが漂う、可愛らしい女がたたずむ。赤い着物と赤い唇に魅了される。
関大蔵だが、似た作品を白澤庵でも見た気がする。眼を閉じているのがいいというのもある。

茶々殿 目の描き方が近世風俗画風なのもいい。モデルは根津松子。
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着物だけでなく、案外大柄な感じがする。豪奢な着物を着ているが、背後の薄暗さが画面を引き締めつつ、将来を暗示しているかのようでもある。

飛天 エキゾチックな顔立ちで、笛を吹く唇のぼってりとした厚みが目に残る。

願之糸 七夕の「裁縫上手になあれ」を描く。別なバージョンもあり、恒富がこの題材を愛していたのを感じる。
おっとりとした女の風情がいい。

青葉の笛 平家の公達である。烏帽子から流れる垂髪。太目に描いた眉。人形風なその様子。

時鳥  貴人が肘掛に凭れながらツト顔を上げるところ。これは和歌を題材にしたもので、見ていたお客さんがお連れさんに説明するのをお相伴で聴いた。

享保美人、寛政美人、慶長美人とその時代風俗を描いた美人画がある。
享保のは懐月堂か宮川長春風、寛政は却って近代的で、薄紅色の着物の美しさに惹かれる。慶長は二枚あり、一枚は関大所蔵で、これは随分昔に大丸で関大コレクション展のチラシ表にもなった様式的な美人で、もう一枚は目元口元に情がある。

宝恵籠 ほえかご。これは大阪の夏の愛染祭に出るもので、この時代だから南地の舞妓さんや芸妓さんが乗っている。
これがまた可愛らしい舞妓で、この絵は2003年の東京STギャラリー展の図録表紙になっている。

このように日本画の一枚絵美人に魅了されるのだが、もう一方、商業デザインの美人にも大いに惹かれる。
「クラブ」はみがき、高島屋、阪急電車のポスターなども手掛けていて、それらかいずれも非常に魅力的で、忘れがたい作品となっている。
恒富は様々な表現で美人を描く人なので、そのことにも感心する。
わたしは彼のポスター美人が大好きなのだ。

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大正末近くの「大近松全集」のための木版口絵も何点か出ている。先般白鹿ミュージアムでも見ている
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版画ではほかに「廓の春秋」の4連作がある。
べったり座って黙ってにぃっと笑うものはタブローにもなっていた。
滋賀近美にある。たまに無性に会いたくなる女である。
四枚とも静かな頽廃がある。なんともいえないエロティシズムに溺れる。

ほかに聖徳記念絵画館の明治大帝の生涯を描いた連作にも参加していて、碁盤に立たされて髪の毛をカットされる幼い明治大帝の絵があった。
そう、源氏絵などでもよくあるあれですね。平安時代からの風習。

最後に谷崎の「乱菊物語」挿絵が出ていた。
谷崎は挿絵の価値をよく知る人で、その著作の挿絵にほれ込んで話の筋を変えることもあるくらいだった。
ここでは長らく行方不明だった原画四点が出ている。墨の肥痩のはっきりしたなかなかに力強い挿絵である。

また弟子の木谷千種の絵が二点。彼女のことは時折このブログでも挙げているが、このように近世・近代の大坂画壇の絵師たちの作品がどんどん世に出ることを、心の底から願うている。

11/28まで。

新発見の高麗青磁 ―韓国水中考古学成果展

東洋陶磁美術館の「新発見の高麗青磁 ―韓国水中考古学成果展」に惹かれるものの色々あって行くかどうか悩んだが、やっぱり足を運んだ。
なにしろ一番好きな高麗青磁ですしなあ。しかも海底に沈んでいたのをサルベージして、という話だから世に出てないものばかり。既に世に出てるものだけでなく、世に出てないものもこれはもう愛するしかないでしょう。
・・・とかなんとか言うより、まずこのチラシにヤラレてます。
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獅子と紹介されてるけど、怪獣でしょう。しかも昔懐かしの「グズラ」の先祖みたい。
斜め前からと背中から。「かいらしー」としか言いようがないね。
六田知弘さんの仕事か。
なるほどなあ。すごく魅力的な写真だ。
以前にここのコレクションを撮った展覧会が開催されて、あのときもやはりチラシにシビレてたものです。
その時の感想はこちら。
ときめくね。

なおこのチラシ、実は背景の海や空の部分に蓮の花の絵を透かしでいれている。
それはさすがにスキャンできない。

水中でどんな感じに沈んでたかという映像を上映していたが、そちらは見ていない。
いつまでサイトにあるか知らないが、映像が出ているのでそちらでよろしく。

随分昔、大阪の出光美術館で「南海沈没船の至宝」だったか、こちらは中国系の陶磁器をサルベージしたのを展示。
あれもよかった。そのときに船底に陶磁器を乗せてバランスを取るようにした、ということを知った。
マカオでも同じく沈没船からサルベージした陶磁器を見た。
こちらは悲しいことに解説にも音声ガイドにも日本語も英語もなく、中国語とポルトガル語だけしか用意されていなかった。
というか、わたしたちが訪ねたとき「日本人がこんな博物館に来るとはっ!」と驚かれ、大歓迎されたのだった。
好きなものはどこなと見に行きますがな。

新発見の高麗青磁と共に、元からここに所蔵されている安宅コレクション、李コレクションなどが参考品として展示されていて、欠片なども「ああ、全体はこんな感じか。この部分か」とわかるように工夫されていたりする。
中には同じ工房で拵えたろうと思われる作品もあり、そんな比較をするのも楽しい。
一方、参考品の数々が、初見のものが含まれているように思われた。
わたしも大概ここへよく来ているように思うが「あれ?こんなのあったかな」が何点もあった。
番号は付けられているが「をい、知らないよ」と「!!」となったりした。
もしかすると、前からの目見得品であっても、比較されることで新しい魅力を発揮しているのかもしれないが。

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・高麗時代の漕運船と運送経路
どこへ船を出して交易していたのかというとやはり隣国なのだろうが、そのあたりのことをもう少し知りたい。
何を主に運んだのか、特に何がよかったのか、船倉に置いた陶磁器は主にどのようなものがよかったのか。
まだまだ学ぶことが多い。

石製将棋 こういうのを見ると大英博物館のチェスを思い出す。今ちょうど神戸に来てるあれ。

青銅匙、青銅箸がある。どちらも先般の正倉院展で見たものとそっくり。
正倉院の御物は8世紀、高麗はそれより後だが、文化は続いている。
細さも長さもほぼ同じようなお箸とスプーン。嬉しい気がする。

・韓国西南沖の水中遺跡と高麗青磁
いいものがたくさん並ぶ。やはり梅瓶が好きだ。
碗も皿も鉢もいい。
陽刻、印花、陰刻、白堆、象嵌など文様の表現も様々で、いずれも美麗。
李朝の白磁もいいが、やはり高麗青磁に強く惹かれる。
もう失われたと思うからか、より惹かれるのかもしれない。

青磁花形皿 貫入が葉脈のように広がっている。花形皿にふさわしい貫入。

青磁印花牡丹文皿 花と貫入の様子が、挿絵画家・村上芳正の世界のように見えた。隠微な魅力がある。

青磁碗 こちらの貫入もいい。とても綺麗。

青磁印花牡丹唐草文花形鉢 かなり彫りが深い。

青磁瓜形水注と青磁壷がセットだと知る。壷の中に水注を納める。

このように特に好ましいものを挙げてみたが、参考品が沿うことでいよいよ魅力と理解が深まるように思った。
ところで、「新発見」と銘打たれたのは何も陶磁器本体だけのことでなく、その存在価値・存在理由・使用法もまたそこに加わっている。
今回の発見で初めて研究者も観客も知ったことがいくつかあるが、その中で一番の「新発見」は、梅瓶の用途だと思う。
水、酒などだけだと思っていたら、ごま油に蜂蜜に、とそんなのを入れる器でもあったのだ。
それがわかったのは木簡のおかげ。栓をして口覆いをするその包装の方法も紹介されていた。
更に小さい蓋もしているが、見た目としては庶人の髪型、あれと同じような感じがする。


・新発見の高麗青磁
このコーナーにあの怪獣な獅子がおるのです。
八方にらみの目でギサギザ歯並びを見せ、両手で玉を押さえている。
首に何かあるなと思ったら鈴らしい。ドラえもんのような奴め。
よくよく見れば肩から背中にかけモンモンならぬ渦巻き鬣が靡いている。
アップでよく見よう。
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可愛い奴よのう。

破片がある。
その完全品によく似たものは東洋陶磁美術館の所蔵品。並んで展示することでよくわかる。

青磁盞・托 東洋陶磁美術館の所蔵品。これを常設で見た記憶がない。
見込、綺麗な翡色に金色の発色。こういうのがほしい。

青磁象嵌牡丹折枝文破片 綺麗な青に、綺麗な青の花のかけら。

やはり高麗青磁はどのような状況であってもいいものはいい。

いいものを見せてもらった。この先もまた新たな発見とその発表の場があることを待っている。

竹の美 茶道具を中心に

香雪美術館で「竹の美 茶道具を中心に」展の前期を見た。
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日本人の竹好きは中国、朝鮮よりも大きいような気がする。
白浜のパンダにあげる笹は河内長野とか岸和田辺りまで出て採るという話だが、それは管理放棄されたとはいえ、元が竹林として活きてたからまだ残っているのだろう。
現代でもなんとなく竹を喜ぶところがある。
わたしなども黒七味を買う時、今は入れ替え用のを買うが、最初は竹筒のをいいなーと思ったものだ。(実際には小さい木筒のを使用しているが)

今より昔の方がもっと竹の使い応えもあったろう。
食器も竹製のがあるくらいだし。
和風の庭には竹は欠かせない。医者の庭には竹はいらない。
とかなんとか言ううちに、展覧会を見た。
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1.竹をモチーフとして

日月桐竹鳳凰孔雀図屏風 桃山―江戸 狩野派ぽい。金地屏風の右には桐と鳳凰カプ。赤いタンポポや青い桐の花、赤紫と白の二種の花菖蒲などが咲いている。
はりつきの金の日は金物。鳳凰は桐に住み、竹を食べるそうな。
左は孔雀一家。お母さんは両脇に子供を抱えるが、一羽わるいチビがひょこひょこ歩きだす。パパは何もせずじっと立ってるだけ。金物の半月の月は桐の葉を食む。むしゃむしゃ。こちらは竹を守る孔雀一家。

竹虎図屏風 2曲1隻 江戸 丸い目に鋭いアイシャドーが入るオスの虎。メスの豹はグーグーと気持ちよさそうに眠る。なかなか可愛い。

雪村 花木白鷺図 室町―桃山 薄紅の薔薇の樹に外線のない白鷺が身を隠す。一羽はどうやら卵を温めているらしい。

狩野元信 撃竹悟道図 室町 禅関係の人々の「!」の機会はなにがどうなるか知れたもんではない。この人は竹箒で掃除中に掃いた瓦の欠片が竹に当たりキーンとなったので「!」となったそうだ。
アイデアが浮かんだ、というピクトグラム(と言うてもいいと思う)では滝田ゆうの吹出しに50wの電気がピカッというのがベストだが、まぁ禅の人らだとやっぱり「!」でいいか。

伝・王淵 花鳥図 明  右は五位鷺に瑠璃鳥。桃に竹に海棠も咲く。左は芙蓉に木瓜。シジュウカラと鴛鴦。明代の花鳥画はたまにルネサンス以前の泰西名画を思い出させるものがある。

薮内節庵 墨竹図 明治―昭和 剛直な竹。すっ としている。

青磁笋花入 龍泉窯 南宋 けっこう下部がふっくらしている。シンプルでいい。

青磁竹節大香炉 龍泉窯 南宋 火屋は笹柄。10世中川浄益の作。
香炉にも水指にもなる、てどんなんやと思いつつ。

清水高砂文扇形菓子重 江戸―明治 三重の菓子器。七宝の透かしあり。薯蕷饅頭とか入れたいな。

高麗井戸茶碗 銘・燕庵 朝鮮  おお、久しぶり。枇杷色の井戸茶碗。その茶碗を蔵う器自体も黒漆のシックなもので、ちょっとヨーグルトにフルーツとす入れるボウルにもピッタリなのだった。

高取竹文茶碗 江戸 竹の絵は宮崎友禅斎によるらしい。高取焼て福岡県だが、友禅斎は福岡にまで行ったのだろうか。それとも彼の絵を持って帰って?

松鶴文蒔絵重箱 明治 これがなかなか大柄な五重の箱で梨子地に鶴と松とが奔放に描かれている。木の上には巣があり、子供もいる。中にはよちよち歩きの子連れもいる。とても立派なお重。

御殿鴛鴦文蒔絵小硯箱 小さい小さい硯。ちゃんと墨も筆もついている。可愛いが使えたのかと思うくらい。

山水人物文螺鈿額 明  かなり傷んでいる。勿体ないね。

唐美人文螺鈿軸盆 明  5人の唐美人が庭でテーブルを中心に楽しそうにしている。おしゃべりする声が聞こえてきそう。

呉須有馬筆竹人物文四方香合 明  小さいツマミが人物型で、それを有馬名物の人形筆に見立てている。
全然関係ないが今東光「悪名」で朝吉が一旦大阪から逃げた後、実家に戻ると父親がどこ行ってたと尋ねたとき、朝吉は「有馬で筆人形の拵え方習うてた」とうそをつくシーンがあった。昭和の真ん中までは確かに人形筆もよく売れたのかもしれない。

村田耕閑 唐銅竹文太鼓銅建水 明治  これは胴回りに竹柄バナーが入ってるお碗。
この職人さんは明治22年に祇園祭の鯉山の欄縁や角金具を拵えたという記録がある。

青木木米 群仙図四方鉢 江戸  赤地に薄青緑の釉薬の仙人たちがわんさという鉢。

柿右衛門様式 色絵花鳥文中皿 江戸  発色が大変きれい。薄い縹色の小鳥が逆上がり中のようなポーズで描かれている。

笹や竹の蓋置が可愛い。本当の竹ではなくやきものや銅など。
本物そっくりなのも面白い。

久須来郎 桐竹透風炉先屏風 明治―昭和 桐竹は何故こんなにもセットになるのだろう…桐竹紋十郎とか勘十郎とか。これは文楽の人形遣いか。

驚いたのが二階の一隅にセッティングされた洋風家具の一群。
あの隣接する村山邸から特別に運ばれてきた家具だというではないか。
解説を読む。
洋館の二階居間、通称「竹の間」から運ばれてきた椅子2、ロングチェア1、脇卓2。
いずれも竹をモチーフにした意匠がある。他の家具も大方は竹の意匠がある。
素晴らしい。わたしは簡単な絵を描いたが、それを表に出せないのは絵が下手すぎるからだが、幸いポスターにそのロングチェアが出ていた。
これで他の家具も想像してください。

家具は形自体はアールヌーヴォーというよりイギリスのモリス商会関連にありそうな形。
サイドに竹を使った卓もいい。透かしもあるし椅子。いいなあ。
写真で見ると暖炉カバーも竹だった。
以前にあの閉ざされた向こうの空間に一度だけ入らせていただいたが、固く撮影とメモが禁じられていたので、今では曖昧な記憶しかない。
明治の大邸宅。唐津の高取邸などのように写真集が出たら、と思っている。

2.竹を素材にして

唐物籠花入 銘・木耳 明  当たり前なんだが「木耳」と書いてこの字をキクラゲと読むのは日本だけですわな。明代のこの籠はキミミと読むそうな。ちょっとわたしとしては色々とこだわるけど、まぁなあ。そうそうわたしがキクラゲが木耳と書くと知ったのは「カムイ」か「サスケ」かのどちらかで見て覚えたから。賢明な読者諸君の一人だったのです。え゛?…今調べたらカムイだった。女装するカムイ。
1926年にはこの写しが作られていて、今回ここで仲良く並んでいた。

例の吉良上野介の首のあの籠花入は後期に出ます。

宗旦 二重切花入 銘・のんかう 江戸  これが樂家三世道入を「ノンコウ」にしたブツやそうです。(諸説あるうちの一つ)
宗旦と当時「吉兵衛」と名乗っていた道入とでお伊勢ツアーに出たとき、「のんこ茶屋」で一休みした。そのときなかなかエエ竹を見つけて、宗旦に「これで花入拵えて」と頼んだ。宗旦はこの20歳ほど年下の樂家の跡取りのためにちょいちょいとエエ具合の花入を拵えてプレゼントしたわけです。喜んだ吉兵衛くんはその花入を愛用。
それで彼が通称「ノンコウ」になったというお話でした。
エエ話ですな。
尤も宗旦はノンコウのオリジナル作品より長次郎の写しのような堅いのを拵えさせようとしてたみたいですが。

ところでこのところ香雪美術館の展示リストは以前と様変わりし、裏面にお役立ち情報を入れてくれるようになった。
今回は花入と茶杓のことを教えてくれる。
わかっているつもりでも細かいところがわからないわたしには、本当に助かります。
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さてその竹の花入がたくさん並んでいる。
どちらかといえばわたしは一重切が好みかな。

籔内剣仲、織部、小堀遠州らの手製の竹の花入、珠光、紹鴎、剣仲、秀吉、清正、有楽らの手製茶杓があった。
それぞれの個性がよく出ていてかなり面白い。
特に茶杓の差違がすごい。
珠光のはバターナイフかメス、剣仲はやっぱり籔内流だけに堅い。戦国の三人は力強そう。
こういうのが楽しい。

ある日の村山龍平の茶会記をみると、今回出ている井戸の燕庵、竹の蓋置、自在などの名もあった。
ほかに与次郎の姥口の釜の名もある。
展示されている釜はまた別物で「松向寺」と浮かんでいる。

笙もある。村山コレクション唯一の楽器。
あまり音曲に関心がなかったのだろうか。

最後にまた久須来郎の風炉先屏風があった。
夏は網代、冬は桐板を使うそうだ。

今回、村山邸の家具を見ることができたのは望外の喜びだった。建物は河合幾次の設計で竹中の施工。
三枚の写真もあり、嬉しかった。

なお後期11/19―12/23には抱一の「十二ヶ月花鳥図押絵貼屏風」出現。ミミズクの可愛いのが出る。

中国鏡でめぐる神仙世界

黒川古文化研究所に行った。
送迎バスが来てくれるので助かります。
今回は建物の細部を撮影させていただいたので、それをまず紹介する。

玄関上部の装飾


玄関ドアの装飾


壁面の一部。


階段の装飾。蝶


刀形の貨幣の装飾




こんな感じ。

天井。


お話を色々伺い、楽しかったです。
ありがとうございます。

さて青銅鏡。つい先般、泉屋博古館でも堪能した所だが、今回もまた楽しみましょう。
「ぜひどうぞ」と貸してくださった単眼鏡で淡々、時には虎視眈眈と探検するように見ました。
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・戦国時代の鏡
羽状文地四山字文鏡 円内に「山」の字が4つの意匠。中心に「山」の尖りが向かうように設えられているが、少しずつ左傾化している。これは鋳造ミスではなく意図的なものだという。時間の経緯や宇宙の動きを表しているのだろうか。
そう思ったとき、解説にこう書かれていた。
「天円地方」の思想。天はまるく、地は平面という思想。
「山」は天から釣られた鉤の一種。
わかるようでわからないが、古代の思想を理解しない限り、これは謎なままだ。
面白くはある。

羽状文地山五山字文鏡 4山だけでなく5山もある。その分間隔が狭くなり、五線星型のようになる。
4山がメジャーで5山は少々だというが、こうして残っている。これは泉屋博古館のもの。
なおこちらのサイトに4山と5山の話がある。
村上開明堂のコレクション。現在は根津美術館に寄贈されたそうだ。

戦国時代の鏡には羽状文が多いのか、ここにある8割がそうだった。
時代により思想や意匠の流行がある。

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・漢―魏・晋・南北朝時代の鏡
「見日之光」草葉文鏡 前漢 京博 この鏡には文言が刻まれている。
「見日之光」「長毋相忘」とあり、「日の光見る(あらわ・る) 長く相ヒ忘れるナカレ」と読むそうだ。何の前提での言葉かは知らないが、いい言葉ではある。

「日光」禽獣文鏡 前漢 象、鳳凰、龍などが円状にぐるり。

「西王母東王公」車馬画像鏡 前漢―後漢 ここの夫婦はあからさまに顔をそむけ合っておるな。車馬はなかなか立派。

「泰山作」方格規矩四神神獣文鏡 前漢―後漢 久保惣 細い三日月を真ん中に烏などがいる様子。中国の神話の由来か。

方格神獣文鏡 後漢 小鳥もいてそれがなかなか愛らしい。

「太平元年」半円方形帯神獣 三国・呉 AD256 「三国志」の英雄らは退場して、出来の悪い孫とかの時代か。神獣かどうかは知らないが、ミッキーマウスのパチモンみたいなシルエットのものが多数刻まれている。

・古墳時代の鏡
「古墳時代」とは日本のそれを示すのではないのか。
中国ではそんな名称で「時代」を区切らないはずだ。
そして三面あるこのコーナーの鏡、これらがメイド・イン・チャイナかジャパンなのかはわたしにはわからない。というか、やっぱり中国製ですわな。

三角縁三神三獣文鏡 イカ?双魚らしきもの、変な仮面、神人らしきものが。
中には巨神兵のようなものもあった。

・隋・唐時代の鏡
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「盤龍麗匣」狻猊文鏡(6狻猊鏡) 隋 泉屋博古館 狻猊たちが色んなポーズ。
既に4世紀の晋では「狻猊=獅子」という認識が広がっていたそうだ。

十二支走獣文鏡 隋―唐 京博 二重線の内側にそれぞれ走る走る…中の奴の数体がカメラ目線。逆時計回り。

海獣葡萄文鏡 唐 久保惣 鳥もいて、みんな元気にワイワイ。泉屋のもある。

漢の武帝の時に西域から葡萄が入ったそうだ。トルファン、クチャあたりが産地なので当然そこで葡萄の酒が造られる。都では李白らが喜んで飲む。
「葡萄の美酒 夜光の杯」となるわけである。

胡人騎獅子瑞花文八稜鏡 唐 二人の獅子乗りがいる。左は笛を吹き、右は裸で胡坐を組む。
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瑞樹文鏡 唐 久保惣 モコモコの椿がいっぱい、満開の様子である。可愛い。

桂樹月兎文鏡 唐 久保惣 月桂樹を挟んで右側に杵つき兎、左に木を切ろうとして切れずの男。呉剛の話。その話についてはこちら。
http://wanli-san.com/yuanyuan2/2009/200911-148%20.html
なまけものでわがままでひとごろしで、月に追放されてやっとまともになったが帰れるあてなんかないし、帰ってこなくていいがな。ウサギやカエルも気の毒。
その話についてはこちらのサイトが物語を載せている。

月宮図鏡 南宋(金) 久保惣 皇帝が月の宮殿に出かける話を図像に。ウサギやカエルがお出迎え。

・倣古と偽作
明清あたりでレトロブームが来た時に似たのを作ったのはいいが、わざと錆とかつけて旧くしたのを販売するのは罪ですがな。

修復した鏡、江戸時代の鏡の研究書などもあった。松平定信編「集古十種」など。
ほかに西王母の画像塼の拓本。

いいものを密にみて満足。
バスで苦楽園口に送っていただき大助かり。
また次回も見に来ます♪

花 Hana 華

藤田美術館の「花 Hana 華」展はタイトル通り華やかな作品の多い内容だった。まずタイポが愛らしいのもいい。
そしてポスターがまた華麗。とてもかっこいい。
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中蓮華左右藤花楓葉図 光甫 これは好きな三幅対。藤田も藤の花が描かれているので喜んで手に入れたそうな。

吉原通図 鳥文斎栄之 ツウではなくカヨイの図。横長の画面に花見の時期の吉原を描く。行き交う花魁たち。カムロもそれぞれ違いがある。男衆が大提灯を持つ。花魁は立兵庫。華やかな一行。

古染付桜川平水指 明 内側には青と白の桜、外側には波文様。可愛い水指。

日月秋草図屏風 住吉具慶 わたしがみたのは月。白い花々。菊、萩など。紺色の花は桔梗。地から這いあがるような月。金屏風を背景にするらか合わせ味噌色の月だが、それで輝くようである。
とても華やか。

呉須赤絵玉取獅子鉢 明 見込みに獅子が玉を前にする図、その周囲には枠で区切られた花と幾何学文様の交互パターン。花が可愛い。

縹地秋草文様唐織 灰色に退色しているようだが、地の上の秋草は非常に華やかで白桔梗、紺菊、朱色の花などがみっしりと繁茂していた。黄色と紫の花々が多いが、これは「紅無」というもの。

四季草花蒔絵提重 明治 やや赤みを帯びた漆に植物が這い回る。どこか近代的な趣があると思ったら、明治の作品だったか。

唐美人牡丹図 源琦 身体の割に頭がやや大きい。雲鬢花顔と謳われた楊貴妃らしいふわふわの髪。牡丹をみつめる静かな様子。どことなく物憂いのは栄華の中にありつつも自分の身の上はこの花のようなものだと思っているからだろうか。

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古瀬戸肩衝茶入 銘・在中庵 室町 小堀遠州による銘。仕覆は花柄のものが二つ。

宝船置物 伝・仁清 前田家伝来 凶悪な面構えのキジやんが船になり、帆には松竹梅と鶴。側面には仁清らしい七宝つなぎ。
このリーフレットの表紙は背景に先ほどの月秋草を使っているのがいい。

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熊川茶碗 銘・白菊 朝鮮 遠州の息子の権十郎の銘。箱書きの文字も権の字で、これがまた味わい深い。
最近は小堀権十郎、蕪村の書き文字にハマッている。
さてこのお茶碗、外側は枇杷色で中の半分は薄いネズミ色。見込の白を「白菊」と見立てた。
箱書きには権十郎の和歌がある。
「いはむすゑ にほふ秋より のちの白菊の花」

刺繍釈迦阿弥陀二尊像掛幅 鎌倉 2top。怖い解説がある。「死者を送り出す釈迦と、極楽浄土で迎える阿弥陀」この世とあの世か。

16羅漢図 16のうち 詫間栄賀 鎌倉 おさるさんが椿をプレゼント。でもそのお花は羅漢のおっちゃんの座るところのすぐ後ろにあるもの。それをプチッと切ってプレゼント。うーむ、やはり猿知恵なんかなあ。でも「何か贈りたい」ていう気持ちはわかるよなあ。
さるだって色々想うだろうし。

玄奘三蔵絵 10巻  帰還したところ。大行列、大群衆。手配していた役人が転んだり。そういう栄光の花道のシーンが出ていた。

黒屈輪唐花文香合、堆朱牡丹文大香合 といった南宋や明の工芸品の手の込んだのが出ていた。
こういうのを見ると木彫り細工の技能の豊かさに唸るばかり。

梅文蒔絵硯箱 室町  前掲の明治の提重と共通する美意識があるのを感じる。
とても面白い。

渡宋天神像 江戸  渡唐ではなく宋。上に元伯の賛入り。宗旦の頃はもう信尹もいないか…

山水蒔絵手箱 銘・鹿苑寺 鎌倉  銘が鹿苑寺なのは金閣とかいうより鹿が大量にいるからとかいうのでかな。
それなら鹿野苑とか春日とか宮島とか…といろんなことを思うのも楽しい。
川が流れ、陸には鹿たち。空には鶴たち。松と楓が生える。

油滴小天目茶碗 金  ピカーーーッメタリック・バイオレットの星がみっちり。満天の星!!そして台も螺鈿でキラキラ煌めく。
遠目からでもピカーッキラキラッ ああ、綺麗。
イメージ (21)
  
大佛開眼会の時に使われたお面の力士面が出ていた。大きい面でした。

ああ、華やかな展覧会だった。
12/6まで。

「世界を変えた貴重な書物」

グランフロント大阪で貴重な展覧会をみた。
金沢工業大学の所蔵する世界の稀覯本の初版を展示する「世界を変えた貴重な書物」展。
撮影可能。本当にすごい知の集積体である。
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建築関連の貴重な書物が最初に現れる。自分が好きなものばかり撮る。








クロード・ペロー「柱の五種のオーダーについて」パリ、1683年、初版








こちらは大阪展のみ展示。


今回本ばかり撮影し、本棚を撮りそこねた。
唯一バウハウスだけ撮る。


縦のままにする。
星座の本。挿絵が魅力的。(ここから三枚は大阪展のみ)


様々な分野の本がある。
わたしはやはり挿絵に惹かれる。





ゾウさんが可愛い。




磁石の性質を説明するための挿絵なんだろうが、たらいに桶を浮かべ、そこにタケノコ入れてるのかとばかり。


本はこのように装丁も見れる。


カラーもある。

錬金術か。



物理学や化学などの本が多々。
工業大学らしいチョイス。

レントゲン。


鳥が飛ぶことを追う。




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最後にインスタ。
言葉が降る空間



このインスタの中に入ると自動的に文字が身体に転写されます。
…のなら、耳なし芳一も和尚さんも楽だったろうな。

一冊の書物から飛び立つ無数の知識、教養、知恵、善意、悪意。



蝶として言葉は海を渡る。

面白い展覧会だった。

一冊の本は一つの宇宙だということを改めて実感する。
知性を手放してはならない。

11/23まで。

琳派 京を彩る

京都国立博物館の「琳派 京を彩る」展の前後期に出かけたので、そのごくごく私的な感想を挙げる。

初日の前日の内覧会と、昨日の二回見に行った。前後期を愉しんだことになる。
「琳派 京を彩る」展はタイトル通り「京の琳派」がメインなのだが、しかし最後のコーナーでは江戸琳派を招いて展示している。
京の琳派の後を継いだのが江戸で、その次は京都が継いでいる。
新しい代になることで美が拡がるのが面白い。
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1章 光悦 琳派誕生

光悦町古図写 1654  先般「ブラタモリ」でお土居が全国の人々に知られるようになったが、この地図にはお土居がはっきりとはなかったようだ。単にわたしが見つけられないだけかもしれないが。
鷹が峰の光悦村ついては大昔、INAXギャラリーで特集を見たことを思い出す。
光悦ギャラリーが開館され、バス停から心細く歩いたこともあるなあ。

本阿弥光悦坐像 伝・光甫  お孫さんが拵えたおじいちゃんの像。ところでわたしの光悦ヴィジュアルは井上雄彦「バガボンド」の光悦なのですよ…
本阿弥行状記もあった。

薙刀直シ刀 無銘(名物 骨喰藤四郎) 鎌倉 豊国神社  ああこれがか。わたしはとうらぶ女子ではないので単純に「ええ刃物やなあ」で終わってしまうのだ。

光悦は刀剣の目利きをしていたので、その関連資料もあった。
刀剣の目利きでブローカーといえば勝小吉もそうだった。かれは水心子と懇意だった。
光悦の頃はどんな刀を見ていたのか。色々ありすぎてわたしにはわからない。

立正安国論  能書家だからこういうのも書く。いい文字。

本法寺からきたもの。
紫紙金字法華経  平安時代の綺麗な法華経。これ伝・道風だった分かな。
花唐草螺鈿経箱 本阿弥光悦  先般本法寺展で見たもの
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群鹿蒔絵螺鈿笛筒 大和文華館  改めて大和文華館には琳派の名品が多いなと思った。
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舟橋蒔絵硯箱 東博 これも好きな箱。緩やかなふくらみがいい。近年では二年前の「和様の書」展のチラシにも出現していた。

光悦の書状がいろいろ。
中には樂家とのやりとりもある。
あて名が可愛い。「ちゃわんや」さんの樂家。
本阿弥光悦書状 ちやわんや吉左殿宛
本阿弥光悦書状 吉左衛門殿宛
光悦は樂家三代目道入(ノンコウ)がまだ少年の頃に色々と教えを与えたそうだ。
奔放華麗なノンコウの作風は光悦の薫陶によるものだともいう。
吉左衛門は代々世襲の名前なので、この宛名がノンコウなのかその父の常慶なのかはわからない。

そして光悦の樂茶碗が並ぶ。
黒楽茶碗 銘 雨雲
赤楽茶碗 銘 乙御前
赤楽茶碗 加賀光悦
赤楽茶碗 銘 弁財

第2章 光悦と宗達 書と料紙の交響

平家納経 願文・化城喩品・嘱累品・表紙・見返絵  欠けた分を宗達が拵えて厳島神社に納められているわけだが、平安時代のこの美麗な法華経をオリジナルと変わらぬ美しさで再現出来たのは、この宗達と大正の田中親美とだけではないか。

色紙貼交桜山吹図屛風  東博で観るものを京博で観ると、また違う喜びがあるものですな。わたしはこの屏風を見る度に「まんが日本昔ばなし」を思い出すのだ。
同じ意味で大観「作右衛門の家」もそう。

桔梗下絵新古今集和歌色紙(中の期間で今回は見ていないが大和文華館でみている)、草花下絵新古今集和歌色紙、月に萩下絵新古今集和歌色紙…
いいなあ。

光悦&宗達の最強コラボの作品が並ぶ。
内覧会ではきちんと見られなかったものが昨日じっくりと観れたりもする。4時半からの鑑賞は短時間でも濃厚だった。

四季草花下絵千載集和歌巻、鹿下絵新古今集和歌巻断簡、蓮下絵百人一首和歌巻断簡
売れっ子だったのもわかるなあ。何年前だったか、サントリー美術館でか鹿下絵の断簡がたくさん集まった展示を見ていると思う。カンチガイでなければ。
これもカットカットしたのは佐竹本同様、鈍翁な。

鶴下絵三十六歌仙和歌巻  京博の琳派お宝の一つ。なにしろここの展示、この巻物をダーーーーーーーーッッッと開いたままでも差し障りがないのですよ。
ヒトサマがいないので本当にじっくり楽しんだ。金銀泥の鶴の顔つき、個体により違うなとか、目が開いてるなとか、光悦の書く和歌も把握出来たりした。
深く鑑賞で来て本当に良かった。
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謡本の登場。
胡粉か雲母かでキラキラ。
一大ブランドでした。今でもこれで売り出されたら買う人も多いと思う。
それ用の箪笥も可愛い。
橘紋散蒔絵謡本箪笥 橘文をみると安徳天皇を思い出しますが。

第3章 宗達と俵屋工房

保元物語図扇面、平治物語図扇面  平家物語の前哨戦二つ。平家物語と太平記はいつの世も絵画化されて人気もあるが、同じ内戦・内乱でも他のものは江戸時代、ヴィジュアル化されないなあ。応仁の乱も大化の改新もあと色々。

扇面散屛風  ここにもあるのは平家物語、それから源氏絵、伊勢絵、花鳥風月なもの。
熊谷が敦盛を呼び戻す図はわけても人気。それから橋合戦図もあった。

伊勢物語図色紙が出ている。
以前に和泉市久保惣記念美術館で宗達らの伊勢絵展があり、それを見ようと北摂から泉北まで遠い道のりを出かけたことがある。あれは確か国内最大規模の伊勢絵展だったと思う。そのときにこの「伝・宗達」の伊勢物語図色紙をたいへんたくさん見た。そのときの感想はこちら

(芥川)(浅間の嶽)(かざり粽)(長岡の里)(河原の院)(渚の院の桜)…
まったりおっとりいい絵。
なかでも特に好きなのは芥川の別物。

西行物語絵巻 巻第四  これも出光美術館で見ている。昔から西行法師はおじいちゃんなヴィジュアルが浮かぶが、大河ドラマで藤木直人が演じたのを見てからついついハンサムな青年のイメージが浮かぶので、黙って苦笑している。

宗達のモノクロ画を見る。おなじみ作品が多いが、初見もある。
蓮池水禽図  室町以来の水墨画の名品。ただ室町時代の絵とは違い、やはりもう少し近代性がある。

牛図  可愛い。日本の牛の正当な姿。ホルスタインでもジャージーでもないんですよ。

神農図  柏のケープに小さい角に、なんか草食べてる変な人…というてはいかん。11/22と23には大阪の道修町で毎年恒例の「神農祭」がある。薬の神様ですよ。

狗子図  けっこう斑の多いわんこ。可愛いな。耳がぴょんと立ってる。

鴛鴦図  オス一羽が立ってる。目ぱちっとしてて睫毛長そうなタイプ。実際には睫毛ないけどね。

フルカラー。
唐獅子図杉戸絵  唐獅子二人組のが来ている白象は養源院におる。越後獅子はやっぱりこの絵の動きを再現してるのかな。鬣が渦巻なのも可愛い。

舞楽図屛風  惜しいことに見損ねたが、以前にも見ているからまあいいか。可愛くて大好き。現代日本画家の山本太郎さんがこのパロディ絵画を描いている。高島屋の画廊で見たが、園児の御遊戯になっているのがいい。お仲間の蘭陵王は滑り台の上でポーズ取るお子様でございましたな。

金屏風に絢爛たる絵。しかもそれらが自然の風物を描いているというのが何やら凄いと思うのだ。

槇檜図屛風、月に秋草図屛風 これらは観ると自分がそこに取り残されたような気がする。

草花図襖 金地に数種の草花が思い切りよく伸びている。
もしここで寝てしもたら、夜中の間に草花に絡みとられるかもしれない。そして朝になったら寝床にヒトの形だけ残ってだれもいなくなってて、何故か草花がいよいよ繁茂しているかもしれん・・・

芥子図屛風  阿片とかそんなことを思いつつ、可愛いなあ。

藤袴図屛風  これが胸のすくような景色。琳派系の金屏風で時折こうした風景を見かける。いちめんの いちめんの。ああ、素晴らしい。
リズムがあり、それで自分も一緒に風にそよいでいる。

蔦の細道図屛風  烏丸光広の賛がある。そういえば伊勢物語の「聖地めぐり」はしたことがない。

菊簾図屛風  胡粉で盛り上がる菊たち。簾があることで使われていた感じもあったりで面白い。

この室内の〆は仁清の芥子文の大きな壺。出光の人気者。

第4章 かたちを受け継ぐ

とりあえず三組の風神雷神図をみました。
宗達、光琳、抱一。少しずつ変わってきてて、それぞれの個性が出ていて楽しかった。
特に抱一の二人組、ジムで汗流しているようにしか見えん。風神はタオルの縄跳び、雷神は鉄アレイ運動。
メタボ解消にがんばれ。

後期には抱一の夏秋草図屏風が出ていた。
これもいい絵だ。
東京では東博でこの絵がでると、お客が押し寄せる。
絵の裏(表)にはこないだまで出ていた光琳の風神雷神。

ゆるキャラ三十六歌仙の絵が二枚。
光琳がオリジナルで抱一がそのカバー。これを見ていて気づいたのだが、男より女の方が顔が長いなあ。

色紙に彼らが一枚ずつ登場する貼交屏風がきていた。プライスコレクションの一。内覧会の折り、ご夫妻でおこしやったなあ。
背景は右が白梅、たんぽぽ、すみれ、れんげ、花菖蒲、枝垂桜、あじさい、左が朝顔、萩、ススキ、蔦紅葉・・・

其一の歌仙図もあるが、そちらより檜図がいい。シダみたいで可愛い。

光琳の歌仙画稿も出ていた。ゆるキャラ製造過程。

第5章 光琳 琳派爛漫

定家の十二ヶ月の和歌を絵にしたのは抱一のが好きだが、やきものは乾山が素敵だ。
光琳の絵はどちらかといえばシックで地味なくらいだった。

光琳の絵が並ぶ。さすがに見た絵が多い。
構図で好きなのは「太公望図屏風」と「白楽天図屏風」。なんとなくだが、上からみるより下から見る方が面白い。
近年「ニッポンスゴい」な番組が多いが、この元ネタの能「白楽天」は元祖「ニッポンスゴい」な話やな。

今回「琳派展」のためのキャラ・とらりんが誕生したが、そのとらりんがここにいた。
光琳の竹虎図のとらりん。可愛いなあ。
着ぐるみで愛嬌モンでした。
あとでショップのぞいたらとらりんのグッズがたくさんあって、手の先が可愛かったなあ。

夏草図屏風 根津美術館の展覧会で見たとき、花の行進だと思った。かっこよかったなあ。
今回もすごくかっこいい。
白い牡丹、芥子、立葵、百合。中に立つ赤の立葵、行列の端には青い花と緑の葉。

槇図屏風 金箔の背景に槇の木。昔は槇が嫌いだった。
家の玄関にかかる木なのだが、わたしは松がほしかったのに槇だった。それでニセモノ・バッタモンと憎んだのだが、年をとるにつれ槇の木の良さを知り、今では槇への愛情があふれている。あの頃に槇の良さを誰かが教えてくれていたら、とたまに思う。
尤もそれはサザンカ、赤いままのモミジも同じだった。
今年は家のサザンカがものすごくたくさんつぼみになっている。

小西家伝来の光琳の鳥類スケッチが出ていた。応挙もびっくりぽんの精密スケッチである。
やっぱり基礎がきちんと出来ているからこそ、ああいうゆるキャラもこしらえられるのだなあ。

衣装図案は雁金屋のボンボンやねんから、言うたらあれくらい出来なあかんでしょう。
そして財産分けの証書。自己破産しはるくらいの道楽者で、絵描きになったのも食うに困ってという理由なのがすごいな。普通は「絵描きになりたい」で絵描きになるのに、「雀百まで」のクチで絵がうまく「芸は身を助く」で絵師になるのだからなあ。

第6章 くらしを彩る

香包みが数種出ていた。少し前に細見美術館所蔵の琳派展があり、そこで香包みの工夫を知った。
千羽鶴、白梅。柳、蔦、菊などなど。

団扇もいろいろ。
中でも「蕨」はいつみても諸星大二郎のヒルコにしか見えんのよね。

扇面貼交手筥 光琳 大和文庫の名品の一つ。展開図ありますわ。
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螺鈿蒔絵硯箱がいろいろ。
櫻狩、八つ橋など。ああ、やはり螺鈿の良さが目に残る。
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手描き文様の小袖も素敵。日本画家の描く着物はやっぱり魅力的だ。

雁金屋兄弟コラボのやきもの、乾山一人の素晴らしいやきものの数々が現れた。
このあたりはもう何をいまさら書くことがあろうか。
好きだとしかいいようがないし、素晴らしいとしか言いようがないではないか。
実際のところ乾山作品でよくないものなどないのだ。
ただただ陶然と眺めた。

文化庁蔵の八ッ橋図を久しぶりにみた。乾山の丁寧ではないが愛らしい八つ橋に詞書のついたもの。
賞玩したくなる作品。

槇鹿蒔絵螺鈿料紙・硯箱 永田友治  これも槇。前述のとおり今では愛しい槇と金銀の鹿。

枝豆蒔絵螺鈿硯箱  わざわざ蒔絵螺鈿でなぜ枝豆w可愛いなあ。

第7章 光琳の後継者たち 琳派転生

「光琳を慕う芳中」のわんこ絵があった。大人気の絵柄で、今ではちょいちょい雑貨屋さんでも見かけるようになった。可愛いのう、眠るわんこ。

光琳を公に慕った抱一の作品が色々あった。
「京を彩る」展であってもこうして江戸琳派も紹介している。けっこうなことだ。
四季花鳥図巻、八ッ橋図屏風、これらが来ていただけでも本当にうれしい。
よく来てくれたねと言う感じ。
「琳派の後継者はわたしだからね」という声が聞こえてきそうだが、抱一、其一のあとしばらくしてやはり京都へ琳派がつながったというのが面白い。

流辺楓樹図屏風 これは先祖返りしたような感じがあり、その意味で面白い。
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十二か月花鳥図も来ていて、嬉しいことだった。ただしこちらは三の丸の。
わたしのすきなみみずくはいない。

細見からは抱一の団扇がいろいろあった。
羊遊斎と抱一のコラボ作品もある。

きれいなもの・愛らしいもの・きらびやかなもの…トキメキの多い展覧会だった。
11/23まで。

琳派ファッションショー

琳派展の感想をいよいよ書けそうな気になってきたので、その前哨戦として内覧会で見たコシノジュンコの琳派ファッションショーの画像を挙げる。
ツイッターでは動画も挙げたが、こちらではそれは都合により措く。

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生誕140年 柳田國男展 日本人を戦慄せしめよ ―『遠野物語』から『海上の道』まで

神奈川近代文学館へ「生誕140年 柳田國男展 日本人を戦慄せしめよ ―『遠野物語』から『海上の道』まで」展を見に行った。
日本民俗学の父たる柳田の展覧会、それが開催されるのは喜ばしいことだが、何故このカナブンで?と思いつつ、どこであろうと良い内容なら嬉しいことだとも思っている。
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折口信夫、南方熊楠、宮本常一、谷川健一に至る人々の上梓した著書は内容も魅力的だが、まずそのタイトルが素晴らしいと思う。
民俗学に関わる人々の独特の言語感覚、それに惹かれることから著作を手にするのだ。

だが、そこにあるものは恐怖であり、歓喜であり、遠い地方の風習と近い地方の慣習であり、逃れようのないなにかである。
無論それだけではないが、時折民俗学関係の本を読みながら「日本人であること」にある種の気持ち悪さと諦念とを感じもする。
とはいえ外国人になりたいわけではなく、たとえばわたしなどはどうやっても阪急宝塚沿線の北摂の住人でしかなく、思想の流れもそこからしか発生していない。
ただ、代々この地に住まう常民であるので、同じ地に住まいはしても新しい人とは違い、その意味では妙に不思議な旧い話や過去の栄光にまつわる話を多く知っている。

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展覧会は柳田の学問からではなく人間・柳田國男の紹介から始まっている。
柳田は姫路から延びる播但線の福崎に生まれた。
「私の家は日本一小さな家だ」というだけに本当に小さい家で、そこから松岡5兄弟という本当に賢い兄弟が誕生した、というのはもう、凄いとしか言いようのない話だと思う。
同じように優れた家系というのでは、緒方洪庵のご子孫は現在も父祖の地で緒方病院を開業されているが、ここも子子孫孫に至るまで頭脳明晰な家系で、世界の遺伝学のたとえ話にも出ているくらいだ。
湯川・貝塚兄弟もそうである。しかもこちらは松岡兄弟同様、科学系と文学系とに優れている。
優秀な人材の中で、突然変異的な人も多くいるが、やはり遺伝的に優れた家系というものを考えずにはいられない。

ここでは松岡5兄弟のそれぞれの事跡も紹介されていた。
中で13歳ばかりの頃の映丘の何気ない絵が途轍もなく巧い。
こんな子供の頃から巧かったのだ。後年の新興大和絵の旗手となるのも当然だった。

彼の兄弟の展覧会のチラシを紹介する。イメージ (15)

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子供の頃の柳田(彼は東京で婿入りして柳田の人となったのである)には神秘体験があり、それが紹介されていた。
その事件のアウトラインをなぞると少年の好奇心と不思議な出来事、としてファンタジーとして成立するが、それが人生の道に影響したというのは、やはり彼が特異な人だったという証左にもなるのではないか。

神社の秘められた「珠」をそぉっと見る少年。そして真昼であるにも関わらず青空に数十の星を見てしまう。

少年時代の柳田は前述の神秘体験のほかにも神隠しにあったりもしている。
よくもまあそんな子供が本当に明治の官僚になれたものだ。
いや、それだからこそ、か。

こうした人間は泉鏡花の作中人物に多い。
彼らはそのまま魔の領域・神秘の領域に囚われることも多いが、そこから夢も幻想も持たない軍人になると、通常生活を送れるようになる、という道が用意されていた。
柳田は軍人ではないが官僚として国に仕え、それで魔界にゆかずに済んだ。
ただ、面白いことに成人した柳田が鏡花と交流が深く、彼の小説「山海評判記」にもモデルとして家族ともども出演している。
神秘家にならず学問の道を切り開いたのはやはり良かったと思う。

話は少し戻り、少年時代の柳田は兄のところで暮らし、そこである衝撃的なものを見る。
徳満寺という寺にかかる絵馬である。その絵馬には口減らしのために母親に殺される赤子の絵が描かれていたのだ。
口をふさいで殺す母の影には角が出ている。顔をそむけつつ、手はためらいがない。
子供の<気>が地蔵を呼ぶ。それを見つついかんともしがたく泣く地蔵は、画面から消えている。
どうにもならない地方の農家の現実がそこにあった。

展示は進む。
柳田の交友関係が示される。
生涯にわたって親交を持った田山花袋、伊良子岬でみつけた「やしの実」での島崎藤村、
少年時代には兄のツテで森鴎外とも会い、文学上では小山内薫と会を立ち上げもしている。
その他枚挙にいとまがない。
民俗学関係では南方熊楠と文通を始めたのが36歳、40歳で折口信夫と会い、そして宮本常一の道をも開く。
まことに日本民俗学の父と言える人である。

次に「遠野物語」の世界が大々的に展示される。
佐々木喜善という協力者に出会えたことでこんなにも恐ろしく、また深い物語が世に露わにされたのだ。
「願はくはこれを語りて平地人を戦慄せしめよ」とは序文にある言葉である。
この一文だけで十分に、平地人たる津ノ国の住人は慄く。
物凄いハッタリだとは言わない。読めば本当にゾゾゾになるのだから。

デンデラ野(蓮台野の訛りだともいう)、ダンノハナ(共同墓地)、ハカアガリ、ハカダチ…これらの単語を目にするのも耳にするのも恐ろしい。とても怖い。

資料展示の中で当時の新聞があり、読まずにいればよいものを因果な性質でわたしは字を追ってしまった。
見える眼を持つ、ということは知らずにいればよいものを、知ってしまうという不幸を抱え込むことでもある。
忘れられそうにない話を読み、そのことにもわたしは慄く。

遠野から離れようと振り向けば、オシラサマの展示があった。
写真で見ることはあっても目の当たりにするのは初めてである。
「山海評判記」では柳田は大正に作られた新しいオシラサマを成城の家に連れ帰ったところ、令嬢がピアノを弾くのを覗いたり、令嬢がフランスへ行くのにオシラサマを<誘う>と、「参ろうよ」とハキハキ答えられる、という挿話がある。
雪岱の挿絵によるオシラサマは紙のように見え、自在に宙を飛んでいた。

ところで柳田の成城・砧村の邸宅は「喜談書屋」と名付けられ、現在飯田市美術館に移築・公開されている。

柳田は国連にも出席し、そこで言語の壁にもぶつかる。それで彼はエスペラント語を推進したりする。現在エスペラント語自体を知らない世代の方が多数だと思うが、当時は世界共通言語にする、という夢があったのだ。
ザメンホフがエスペラント語を作ろうとした背景の挿話などはむかしは小学校の国語の授業で学んだが、今はその話も失われているだろう。
英語が結局は公用語になってしまっている。
コワイのはそのうち北京官話または広東語が…

欧州から家族に宛てた手紙が展示されている。愛らしい絵葉書には「おとうさん」から子供らへの愛情がこぼれている。
そしてこれを見て、若い頃の柳田が文学者を志していたことを想う。
「文学界」1897年1月号には柳田の「夢かたり」が掲載されている。ただし変名である。悲恋の話。そしてその号にはロセッティ「レディ・リリス」のモノクロ口絵がついていた。

再び民俗学の展示。
マヨヒガ(迷い家)の紹介がある。山中の立派な一軒家に入り込んだものがそこで什器の一つなどを持ち帰ると、ずっとその碗からコメが出るとか、持ち帰らなかった者の家にわざわざ山から什器が届くといった話である。
わたしはこれらの伝説を松谷みよ子や二反長半らの集めた「昔話」や「日本の伝説」、「まんが日本昔ばなし」で読んだり見たりして育ち、そこから民俗学への関心が育ったと思う。
(ただし文化人類学への関心は諸星大二郎「マッドメン」と、同時期に行った「みんぱく」から生まれ育った)

「怖いもの見たさ」とでもいうような意識がより民俗学へ向かわせたように気がするのは、柳田の紹介する各地の伝説に潜む恐ろしさに反応するからだ。
たとえばここで紹介されている「言葉」を挙げる。

石見、伊予、豊前では死ぬということを「ヒロシマへワタカヒニユク」と表現するそうだ。
広島へ綿買いにゆく
このような文字が思い浮かぶ。本当の所はどうなのか知らない。
しかしこの字面しか浮かばない。
どういったところからこのような言葉が生まれるのか。また、どうしてその三か国だけがそのような表現を…
これらのことを考えると冷静ではいられない。ある種の寒気がそくそくと身に滲みる。


言葉を大切にするだけに柳田は昭和29-30年に小学生から中学生の国語や社会の教科書の執筆をしている。
「日本の社会」「新しいこくご」。
どのような内容なのかとても気になる。
実はわたしは折口信夫は読むが、柳田の文が案外読みにくいのでちょっと敬遠しているのだった。

高校の時、一年後輩の同じ図書委員の少年が柳田を熱心に読んでいた。
わたしは谷川健一にシビレていた時期で、柳田もいつか読もうと思いつつ、やはりそれからも長く谷川に熱狂し、大学で折口にのめり、熊楠に走ったが、なかなか柳田にたどりつかないままなのだった。


最後に柳田の遺愛の品々などが出ていた。
中で目を惹いたのが美術館の会員証。
五島美術館、科学博物館、東博の「優待券」である。
当時は「友の会」ではなく「優待券」という名で会員証を発行していたのだろうか。
興味がある。

多くのことを改めて考えさせられる展覧会だった。
11/23まで。

中国霊獣百態

天理参考館に住まうどうぶつたちが一堂に会していた。
タイトルは「中国の霊獣百態」。
イメージ (4)

撮影可能なので気が合いそうな奴をパチパチ撮った。
写真はクリックすると拡大します。
イメージ (5)

馬なのか麒麟なのか。IMG_244ibb.jpg

馬ですな。噛んでるよねえ・・・
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うい奴め… IMG_20151107_160457.jpg

なんだかいっぱいいる。IMG_20151107_160613.jpg

双頭の蛇 といえばクシャナの王家の紋章ですな。IMG_20151107_160632.jpg

良く働くおっちゃん。IMG_20151107_160957.jpg

波を行く天馬。IMG_20151107_161111.jpg
海馬なのかもしれない。とするとギリシャからの・・・

見込に顔があってもいいぢゃないか。IMG_20151107_160305.jpg
オカモトタローは縄文で「!!」となった人だけど、青銅器の饕餮くんらを見たら、別方向に芸術活動がいったかもなあ。

側面の虎 IMG_20151107_160540.jpg

人面犬??IMG_20151107_160831.jpg

働く四人組。重くとも熱くともがんばるで。IMG_9e7mo6.jpg


次はお墓に飾られていたものでそのプレートが面白いので、大きいまま挙げます。
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なにやらゆるくて楽しい。

ガラスも紹介しておこう。
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綺麗な色なんですよ。
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今回もええものを拝見しました。

中国青銅器の時代 泉屋博古館

久しぶりに鹿ケ谷の青銅器館をじっくり楽しんだ。
なんでも冬にこの展示も変わるそうで、今の景色はもうこれでおしまいらしい。
どんな形になるのかは知らないが、来春にはまた新しい形でお目見えの様だ。
今回初めて知ったのはフラッシュなしなら撮影が許可されているということだった。
長いことここに来ていて知らなんだが、「今の展示」が終わる寸前に知ることが出来てよかった。
ということで、ツイッターで挙げはしたけれど、まとめます。
なお全てサムネイルなのでクリックすると拡大します。
それと、字が出ない可能性も高いので、正式名称も挙げません。
(怠惰やなあ)

明器ハウス。セキュリティは怪獣。IMG_1fz0k9.jpg

形が綺麗だと思う。IMG_2tqea5.jpg

饕餮くんと犠首くん。IMG_-6egfil.jpg

山羊さん。ギルドとかいいだすとなんだか悪の紋章みたいになる。IMG_-8zxcrx.jpg


「ああしんど」とちょっと伸びてみました。IMG_62uowp.jpg
・・・もしかしたら「おれはえらいんだぞ」ポーズかもしれない。

いきなり顔。アステカ文明ぽくもある。IMG_20151108_125729.jpg

虎ですわIMG_20151108_125745.jpg

意外などうぶつなんだそうです。IMG_20151108_125821.jpg

犠首くんのアップIMG_20151108_125905.jpg

「明日に明るい希望を持とう」IMG_20151108_125933.jpg

ツインバードIMG_20151108_130032.jpg

両面スクナならぬ両面フクロウIMG_20151108_130120.jpg
根津には両面羊が住んでいる。

フクロウの親方IMG_20151108_130156.jpg

下の犬みたいなのが可愛い。IMG_20151108_130249.jpg

迫力・貫禄。IMG_20151108_130327.jpg

一番人気の虎。人を飲み込む・噛む・守るとか色々言われてるけど本当は謎。
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「こんにちはー」「こんにちはー」な龍たち。IMG_20151108_130654.jpg

蝉マークが延々と続く枕。百年くらい寝てまえそう。IMG_20151108_130712.jpg

ザ・うし。IMG_20151108_130807.jpg

実は虎らしい…IMG_20151108_130857.jpg

闇の親分・・・IMG_20151108_130936.jpg

肩口の文様、どうみてもミミズクですな。IMG_20151108_131034.jpg

これ全部ロケットかもしれない。IMG_20151108_131104.jpg

ふざけた奴め。IMG_20151108_131301.jpg

世界の端っこからなんか叫ぶ。IMG_20151108_131332.jpg
ひとりロクロ首だよな・・・

楽しそう。IMG_20151108_131519.jpg

編鐘。これは実際にどのような音色なのかを数十年前に実験している。それを聞くコーナーもある。
そして再現された編鐘を打つコーナーが休憩室にある。
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花輪に囲まれたトカゲとかIMG_20151108_131724.jpg

青銅鏡は鋳造製品なわけだけど、これは2500年後に復活し、マンホールとして現役活躍中である。(だったらええなあ)
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漢代・唐代・春秋戦国・高麗も混ざってますわ。
こちらは日本製。メイド・イン・ジャパンIMG_20151108_133013.jpg

いいものをたくさんみました。楽しい青銅器コーナーでした。

浅沼記念館にゆく

建築会社・浅沼組の社長宅は現在、記念館になっている。
奈良の学園前アートウィークというイベントが開催中で、知らずに学園前の大和文華館に行ったわたしは、皆さんに勧められてノコノコ出かけた。

戦後の邸宅である。
立派な豪邸で、さすが浅沼組の社長宅だと感心する。
ここで現代アートの展示が開催中である。ご存じのようにわたしは現代アートがニガテだが、綺麗なもの・可愛いもの・オモロイものは好きなので、やはり見なくてはと思った。

とは言え、ブログを作成するにあたり、撮った画像を見直せば、建築の割合が多いのも事実だった。

庭の一隅に茶室がある。

みごとな造りの茶室である。
そこから始めたい。

待合。なんかおる。

このとき思ったのが、茶の湯は利休周辺があまりにも厳格だとは言え、規律さえ守れば、ある種の戯れを喜びもしていたはずだ。
だからここにこういうオバケみたいなのがいたかて、茶事を楽しみに来た人らには「これもお楽しみ」と楽しんだに違いないということだった。
だから、この現代アートの作品がここにあることに違和感はない。



おじゃまします、こんにちは。
そう言いながら茶室にあがる。




これは巧い。
光をじっとみるのはよくないが、この空間はカッコいい。


愛らしい照明器具。






秋から一度に緑蔭の頃になったようである。

虎と十二支の燈籠

母屋に。

座敷。畳一畳が!


テーブルクロスが!

文字が躍る!

ソファの背後にこういうのもいい。

刺繍のトリック。

オブジェとして置物として。


間近で見るとその執拗な描き込みに驚く。


作り付けの棚の中にも。

記念館とはいえ個人住宅での展示の場合、その箱を裏切るようなものを出すべきではない、と思っている。
あまりにそぐわないものは不快になるからだ。
今、見て回った作品たちは自己主張しすぎず、場になじみ、いい存在感を出していたと思う。
アートが全て過剰に過激なものである必要性はない。
どこにあるか。
そこを考えるのも大切だと思う。
どの場にあっても違和感を感じさせるものは、どこで見るべきかを考えていない。
それはそれでいいかもしれないが、その存在感に疲労する。

シャンデリア
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音声は聴かなかった。

ベランダから見る大和文華館
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あの森の向こうに建物がある。
手前の辰野金吾の和風ホールでは三瀬夏之介さんらの作品展が開催中。
浅沼組記念館へゆくことを勧めていただき、こうして素敵な邸宅と茶室を愉しみ、現代アートの面白さを味わったのだった。

数寄者 住友春翠 きれいさびを求めて

泉屋博古館の鹿ケ谷の本館へ行った。
生誕150年記念ということで住友家の15世吉左衛門友純の集めた茶道具などが集められている。
前回の展覧会は特に須磨別邸を飾った西洋の名画の特集であり、今回は大阪の茶臼山本邸などでの茶会に使われたお道具を中心とした展覧会である。
タイトルは「数寄者 住友春翠 きれいさびを求めて」である。
そして徒歩五分ほどの野村美術館とタイアップしての「春翠の色気・得庵の男気」という企画の一環でもある。
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前回の感想はこちら
「邸宅美術館の夢 Baron住友春翠」

元々は西園寺公望公の弟として生まれ、住友家の養子に迎えられた人である。
年降るほどに東洋回帰、日本回帰へと嗜好が移り、茶会もしばしば執り行った。
その茶道具を拝見し、春翠がどのような楽しみを味わったかを推察する。

1-1 茶臼山本邸の概要 茶臼山でお茶を
今の天王寺公園である。大阪市立美術館も慶沢園もみな住友家の茶臼山本邸の跡地。
美術館の所蔵品は市民からの寄贈品が大半。市や府の購入品が基礎ではない。
そのあたりのことを市長も知事もきちんと理解しないといけない。

住友史料館から当時の写真などが出ている。立面図もある。それを見ながらアタマの中でCADを起動。
和の大邸宅。その大玄関正面写真もある。
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1-2 茶臼山邸の建築と庭園 明正のコラボレーション
春翠本人もとても楽しみにしていたのを感じる。親族から贈られた茶室の扁額などもあり、もし今も存続していたら、と茫洋とどこかを見る。

大玄関の建具の図案がまた古式ゆかしいもので、そのくせどこか異国風な華やかさもある。
それも当然で法隆寺や手向山神社の意匠を参考にしている。
これらのプロジェクトで春翠がたよりにしたのは表具師の井口邨僊。
この展覧会では後から後からこの人の関わった仕事が出てくる。

庭園はもちろん小川治兵衛。植治の仕事。京都の東山のほぼ全域を彼の作庭が占めている。
そして最大の顧客はこの住友家。
恵沢園と当初名づけられたが完成後には「慶沢園」となった。むろん植治のお仕事である。
住友家の鹿ケ谷の庭園にかつてお邪魔させていただいたが、こちらも当然植治で、銅を使っているところが「銅吹き」の住友らしいと思った。
昔あげた記事はこちら

後に出るが、井口が慶沢園を描いたえがあり、それは森のようなものだった。

1-3 茶臼山邸の茶席
茶会記がある。高橋箒庵の「東都茶会記」1912-1919のもの。
箒庵からも春翠の茶会を褒める言葉がそこに書かれている。
そして知足斎という茶室の立体図と平面図がある。
継ぎ足し継ぎ足しという風にみえるが、最初からそのような設計なのである。
そうした変化を愉しむ心、それがやはり茶の湯には大事なものなのだと思う。

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2.茶人 春翠
茶臼山本邸の広大な敷地内に点在した茶室の写真などをみたあとでの鑑賞となる。

喚魚亭 都鳥英喜 1922 ああ、写真の右側にあるあの、と見当をつける。
絵は秋色。

茶杓が並ぶ。春翠本人の手作り茶杓は「春霄」(春の空の意)、「長生殿」、「和気自春」。
いずれも白くたおやかな茶杓。1921-1922.
黒い茶杓は高橋箒庵手製の「東山」。1926.銘の「東山」の字は兄・公望による。

大正年間の春翠の茶会記を見る。
元伯の横一行、花入れは唐津で菩提樹(!)と白椿。元伯のは前に茶道資料館でみた「邂逅比丘不期明日」。その時の感想はこちら。
ここでも見ていたので、やはり縁の深い言葉なのだろう。

春翠は言えば「気ィ遣いの人」なので、いかに良い茶会を開くか心を砕き、ブレーンでもあった前述の井口などにもよく相談したようだ。
ある茶会では野村得庵、画家の上田耕甫などを招んでいる。そのときもいかに楽しませるかに気を遣っている。

茶臼山本亭の棟札を三種みた。
左:洋館 日高胖 大正五年、中:本邸 棟梁は八木甚兵衛 表書きに春翠の名 大正二年、右:八木の弟子・高木多吉 大正六年。
とても立派な棟札だった。

茶臼山本邸での大正八年の大がかりな茶会に使われた二つの中興名物が現れた。
瀬戸肩衝茶入 銘・真如堂
小井戸茶碗 銘・六地蔵
これは先代吉左衛門友親の三十年忌追善茶会に使われた。
友親は明治20年に六地蔵を手に入れたが使わぬまま他界。
この茶会でお披露目。そしてこの六地蔵に比肩できる茶道具を集めるのに春翠は本当に心を砕いたらしい。
真如堂を手に入れたのもこの会のためだったそうだ。
そして腹心の上田や井口をよんでお茶の稽古に余念がなかったとか。
住友家もいい養子をもらったものだ。

ほかにも大正十年の知足会、漱芳会(鹿ケ谷での茶席)などに使われた茶道具が並んでいた。
中で面白いのは釜。
玄々斎好鯱釜写 大西浄寿 黒いので鉄かと思えばさに非ず、唐銅という非常に珍しい釜。「青銅器好きな春翠」の面目躍如。なお耳が鯱である。

佐竹本三十六歌仙絵切 源信明 妙に足袋が可愛いな。
この本物を見た後、北山会館で壬生忠見のミニチュアものをみた。

秋野牧牛図 伝・閻次平 南宋 これは国宝なのだが、なんだかとても親しみやすい絵で好きだ。牛の親子が眠り、牧童は仲良くしあい、そして一頭の牛だけどこかを見ている。単にそれだけだが、とても心に残る。

丹波茶入 銘・山桜 黒と茶色だけなのに確かに胴ッパラから裾に欠けて可愛い花が咲いている。そんな釉の流れ方は山桜と言うよりむしろチューリップ。

春翠作画の東方朔とそれを鋳込んだ釜もあり、一方で仁清の白鶴香合があり、また宮川香山の水指にはハート形の隙間も作られている。
唐代の狻猊鏡、もっと古代の饕餮くんのポットも出ている。

2. 日本の美を愉しみ、飾る
ここでいいものを見た。
木島櫻谷の柳櫻図屏風をL字型の配置で展示していた。きちんと六曲に曲げられていて、L字型になることで柳と櫻の存在感が高まり、とてもよかった。まっすぐにのばされるのもいいがこのように折られ、しかも空間を狭めることで親密感が高まる。素敵だ。

椿椿山の三幅対もいい。牡丹と藤のこぼれる籠、ピチピチのアユ、ふわふわ舞う蝶々。

板谷波山のやきものもたくさん出ていた。同時代人として春翠は波山作品を買い求めながら、どのように心躍らせたのだろう。そのことを思うのも楽しい。

最後に春翠の拵えた豆本があった。可愛いなあ。
そして彼の直筆「日尚不足」の文字。いい字だった。

ああ、いいものを見せてもらった。ありがとう。

蘇州の見る夢

大和文華館の特別展「蘇州の見る夢」展の前期後期をみた。
蘇州といえばことわざに「天に天堂あり 地に蘇杭あり」とも言われた素晴らしい都市である。
旧い流行歌でも「蘇州夜曲」がある。これは決して「上海」でも「北京」でも「香港」でもだめだ。
「蘇州」への甘い憧れがあるからこそ成り立つ歌なのだった。
西条八十はそのことを知るから、あの甘美な歌を作った。

元の頃には既に蘇州は甘い夢の地・憧れの都市になっていた。
明初期に少し廃れたが復興し、政治や貿易から離れた地としての繁栄を手に入れ、今日に至っている。
わたしも十年以前に蘇州に遊んだ。
本当は上海の近代建築を愉しむために来たのに、結局一番心に残ったのは蘇州という都市そのものだった。

特に心に残る作品の感想を挙げたいのだが、ATOKがその字を出してくれるかは不明。

1.蘇州文化の土壌 元末明初の文人墨戯
文人らはサロン作りに力を入れる。そして竹、蘭、枯木にときめく。
山中に住まう孤高の高士に憧れるような絵や文を書いていても、結局は俗世でいかに楽しむかが大切なのだ。

枯木図 朱徳潤 元 個人  ああ、枯木の林。

蘭竹図 雪窓 1353 三の丸尚蔵館  蘭は確かに蘭だが竹ではなくむしろ笹。掛軸の上下には百合のハンコがぺたぺた。

疎林図 倪瓉 元 大阪市立美術館  土坡から細い松が数本伸びる。水面は非常に静か。

朝陽舞鳳図 夏㫤 明 根津美術館  岩から生える笹のいい勢いを舞う鳳凰に見立てたらしい。
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墨竹図 夏㫤 明 個人  2幅だが、むしろ真ん中で断ち切ったくらいの連続性を感じる。
細い細い竹である。

2.呉派文人画の成立と継承 沈周・文徴明とその周辺
絵画が人気の時代である。

九段錦画冊 沈周 明 京都国立博物館  丁寧な筆致の山水画である。6図
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菊花文禽図 沈周 明 大阪市立美術館  絵画としてはある種の緊張感もあり、きりりとしたいい絵なのだろうが、わたしはパス。

山水図巻 文徴明 1502 個人  非常に細かい絵。山を埋めるくらいの手の込んだ…

夢筠図巻 唐寅 明 東京国立博物館蔵 虎の毛皮をシートにしている。侍童がお茶を沸かす。細部の丁寧な細かさがたまらんな。

白岳紀遊図册 陸治 1554 藤井済生会有鄰館 ガイドブックでもあるわけです。とても楽しそう。色んなシーンがある。
・前期…小帆船もいい。・後期…平岩の段々があり、そこでくつろぐ人。千畳岩の小型版。

山水図扇面 陸治 明 京都国立博物館 金箋墨画淡彩 元が金紙でそこにさらりと。

冬景山水図 陸治 明 大和文華館  カクカクした風景

琵琶行図 文嘉 1569 大阪市立美術館  ここではロングで描かれている。舟にのる女のしょぼんとした様子まではわからない。手前の陸地に楓が植わるが、その歯は△で表現され、緩い色彩が少しずつ違って塗られていた。そうした神経の細やかさがこの「琵琶行」のせつなさに合うと思う。小杉放菴から陽気さを取り除いたような雰囲気もある。

四万山水図 文伯仁 1551 東京国立博物館蔵 四季それぞれ一幅ずつ。大きな絵。特にいいのは冬山。万年飛雪か。湖面もいい。なんだか雄大な心持になる。

初夏山斎図 居節 1578 東京国立博物館  高士二人と少年とがいる。とても丁寧な絵。

春江晴嶂図巻 何驤逵 清 個人  こぢんまりとほのぼの。継ぎ足しで日本の文人たちの跋文がたくさんある。竹田、梅逸、海屋らの跋文。書いた年月は違う。

満城風雨図扇面 沈昭 明 京都国立博物館  金箋墨画淡彩 可愛い。小さな舟に重陽のための菊花をたくさん積んでやってきた。傘をさすお客と、蓑笠の漕ぎ手と。こちらも小さな愛らしさがある。

墨梅図扇面 張元挙 明 京都国立博物館 金箋墨画  これはやはりいい。没骨で梅をさらりと金の上に描く。

花卉図册 王武 1676 大阪市立美術館  この人はパトロンとして画家たちを庇護し、なおかつ自身も薄い色彩の優しい絵を描いた。岩に赤い植物などを。

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詩文を少しだけ読めた。
「旭日光遅々…芳樹…眠人不知雀…白頭」
言葉のイメージだけでも微笑ましい。

3.雅俗の交錯 謝時臣・李士達・盛茂燁 
プロの画家たちの作品。
 
山水図 謝時臣1557 相国寺 けっこう豊かな水がある。

春景山水図 謝時臣 明 相国寺  描かれた人々はみんな楽しそう。鶴もいれば桃もある。春風駘蕩な画面。

竹裡泉声図 李士達 明 東京国立博物館 高士が竹林の中でせせらぎを聞いているらしい。3人の少年が立ち働く。一番左の子は竹の端で水を取っているのか。

李士達は「青緑山水様式」の人で、明るい山水画を描いていた。
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秋景山水図 李士達 1618 静嘉堂文庫美術館  水がとても勢いがある。煙るくらいである。かというて静かではなく元気な音がしている。

五百羅漢図 丁雲鵬・盛茂燁 1594 京都国立博物館  2幅。面白い構図のもので梅が咲く中、噛みあってじゃれる獅子たち。それを見守る羅漢たち。ガブッぎゃっ…他方、寛ぐ羅漢も多い。まったりしている。

王維と杜甫の詩から題材を得た絵が2点。
秋山観瀑図 盛茂燁 1633 個人  王維の詩から。「来たよー」「よぉ!」な人々がいる。
梅柳待臘図 盛茂燁 1633 個人  杜甫の詩から。木に登る奴もいる。

…これ2012年の大阪市美での橋本コレクション展で見ているな。感想は挙げていないが、間違いない。

月下訪隠図扇面 葉雨 明―清 京都国立博物館  これは例の「推敲」のだ。
「僧推月下門」を「僧敲月下門」にした故事。

蘭亭図扇面 王式 1635 個人 横長の画面にたんまい人々が楽しげに描かれている。
この画家は説明によると「宮女や秘儀図を多く描いた」秘儀なのか秘戯なのか自分のメモからでは推察不可。

雨中舟行図扇面 沈璉 明―清 個人  金箋墨画淡彩 小舟の人も傘をさす。扇の骨が雨のよう。陸へ向かう。

4.伝統からの展開 明末清初の蘇州文人

越中真景図册 張宏 1639 大和文華館  これは時折ここでみるが、やはりこうしたコンセプトの展覧会の会場で見ると、いつもより素敵に見える。長い橋のある図、弓なりの道のある町、ジャンクが突っ込む…急流すべり図などなど。
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楓橋夜泊図 袁尚統 1657 個人 そう、学校で習う張継の詩ね。
月落烏啼霜満天  江楓漁火對愁眠
姑蘇城外寒山寺  夜半鐘声到客船
「蘇州夜曲」の3番の歌詞のラストも「涙ぐむような朧の月に鐘が鳴ります 寒山寺」とある。

雲山平遠図巻 邵弥 1640 大阪市立美術館   雲海の中から山々の頂が浮かび上がる。
白い中に浮かび上がる薄い緑の山々。
なにかとても広々とした心持になる。

江山平遠図 文従簡 1614 大阪市立美術館  「一水両岸図」というパターン。木が一本手前にある。近代的なよさがある。

撫古冊 沈顥 1637 個人  石を切り出す山なのかな。そんな風にも見える山がある。色彩の繊細さがいい。

5.絵画市場の発展 仇英から蘇州片・蘇州版画
このあたりがやはり好ましい。

金谷園桃李園図 仇英 明 知恩院  久しぶりの再会。その当時の感想とあまり変わらないことを書く。
桃李園は李白の故事に由来する。大宴会。ちびさんらよく働く。女人より高士や侍童の方が目に付く。
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鹿の角を脚にした卓もある。

金谷園は西晋の大富豪・石崇の別業。珊瑚の飾りなども素晴らしい。まだ悲劇が訪れる前の、この世の楽園のような庭園の様子。孔雀などもいた。
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楼閣山水図 仇英 清 禅林寺  これも以前から好きなもの。池に蓮が咲き、主人と客らが機嫌よく過ごしているところ。

四季仕女図巻 仇英 明―清 大和文華館  夏と秋とを見た。夏は裸で蓮を採る女もいて、秋は庭にテーブルを出してお月見する女たち。
春のぶらんこもいいなあ。

九成宮図巻 仇英 明―清 大阪市立美術館  ロングで捉える。唐の太宗の宮殿の一つなのだが、これをみていると谷山浩子「休暇旅行」を思い出す。広々とした野、そして雲が浮かぶ空。無窮ということを思う。

清明上河図巻 趙浙 1577 林原美術館蔵  おお、久しぶり。
原本を見たときの感動が蘇る。
今から思えば夢のよう。そしてこれらカバー作品もまた素晴らしい。
ということで一つ大きい画像で挙げる。
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なんだかわくわくする。
現代ではこの絵をカバーできるのは安野光雅さんか山口晃画伯だけだと思う。

仇英のも出ていて、とても楽しく鑑賞した。

倭寇図巻 伝・仇英 明 東大史料編纂所  上陸して略奪とかしてる。逃げる人々。邸宅に放火もする。いかんのう。

蘇州版画が出てきた。「浮絵」にも通じる不思議な遠近感と静謐さがある。
なにかしらシュールでもある。
姑蘇万年橋図、西湖十景図、姑蘇獅子林図…
獅子林は一般公開されていた奇岩の多い庭園。こういうところに行くと、本当に明代清朝の庭園の良さに溺れてしまう。

6.夢の名残 清後期の呉派理解

虎丘三賢祠図巻 翟大坤 1797 個人蔵  白居易、杜甫、蘇軾の三人をお祀り。塔もある。ああ、虎丘にも行ったなあ。

燕園十六景図冊 銭杜 1829 個人蔵 ふしぎな静けさが心地いい。
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ここ数年の大和文華館の中国絵画の展覧会の中でも特にすばらしい特別展だった。
11/15まで。

信行寺、若冲の天井画をみる

春秋恒例の「京都非公開文化財特別公開」今秋の最終日に初公開の信行寺に出かけた。
雨にもかかわらずたいへんな人出でだが、それでも雨のおかげでこの日はまだマシだそうである。

ニュースでも取り上げられているが、ここの本堂の天井画が若冲描くところの花模様167枚で、これまで本当に非公開だったのだ。
そもそもこのお寺はバス停のほん近くにあるという場所だが、だれも入ったことのないお寺なのだ。
見たいという声に押されての初公開だが、次の公開があるかどうかは不明という状況である。
それもそのはずで、確かにやばそうな感じがする。

御庭も小さいながらもいいし、本堂そのものも屋根の具合などが大変魅力的なのだが、そうしたあたりも撮影は禁止。
今回、朝日新聞が特別号で出したのをここに紹介したい。

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なんでも元は伏見の石峰寺の観音堂の天井絵だったそうな。
晩年の作品で、しかしやはり構図がいかにも若冲らしく一筋縄ではいかない。
妙に人間臭いような植物たちなのである。

以下、全てクリックすると拡大化します。
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菊や朝顔や牡丹、それから小手毬に南天、百合、秋海棠は他の絵師も描くが、まさかのサボテンとヒマワリも仲間入りである。
そして最後は本人サイン。88歳とあるが実際は84歳で、サバを読んだのは88の方がおめでたいから。

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照明もないし雨で薄暗かったが、目が慣れてくると却って外光が邪魔になり、手の甲を眼の下にかざしながら絵を見ると、けっこうよく見えた。
見えたが、やはりこれは修復するなりなんとかしないと危なそうだとわかる。
今秋、よく公開してくれたと思う。
今後のことを考えるいい機会にもなったはずだ…






家元に伝わる茶の湯の道具 3 表千家歴代ゆかりの床を飾る道具

表千家北山会館の展覧会に行った。
「家元に伝わる茶の湯の道具 3 表千家歴代ゆかりの床を飾る道具」展である。
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会館に入るとすぐに昭和12年製の不審庵の模型が現れる。
立派な模型で、柱も建具もすべて本物の小さい版なのが魅力的である。

ロビーには茶室・残月亭の模型がある。こちらも同年の製作である。
そっとのぞくと薄暗い茶室の床の間には白椿の造花と三十六歌仙絵がある。もしやと思い尋ねると、やはり佐竹本の壬生忠見であった。
模型の茶室に素敵な小さい歌仙絵の名品。
こうしたところに優雅な遊び心を感じる。

なおチラシは本物の不審庵の床で、利休の所持した高麗筒に白椿が生けられている。
(模型の白椿の花入は床の間に置かれていた)

三階から見学する。
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花入 
伝来 青磁経筒 算木。そして虫食いと継ぎとが走る。三人の家元の箱書きがあるようだ。

覚々斎手造 黒舟 これはまた素朴な舟で、中の格子もやきもの。

覚々斎好 手付置籠 チラシ真ん中。形は全然違うが、どうも竹籠の花入れを見ると、香雪美術館所蔵の魚籠花入を思い出す。そう、吉良の首と関わりのあるあれです。

如心斎好 金巻水蒔絵置筒 銘・さみだれ 竹の内側に黒漆に金で流水文。
雨の日に見たからか、流水というより道路に落ちる雨垂れのようにも思えた。

掛物
覚々斎筆 其角ノ句 「川むかい 誰か 家シキヘカ 郭子」なんとなく可愛い。

如心斎 竹ノ絵賛 はてな、竹というより草に露やん。

香炉
如心斎好 馬 樂長入 首を垂れるので足四本に首も胴の支えになりそうな構造である。赤樂。

茶壷
真壷 如心斎銘・藤浪 ルソンの壷。四つの耳つき。
これにはツボツボ柄の口覆いの布なども添えられていた。

そしてここに実物大の不審庵の再現があり、いつの茶会のかはしらないが、設えがされていた。

次の間にはいるといきなり巨大な琵琶が現れた。
銘・錦花鳥 徳川治宝公より拝領 桿撥絵は色違いの六羽の鳳凰と瑞花。
裏には狂歌が書いてあるそうだ。
「なれなすび なれなれなすび 茶入にもならねば床のかけものになれ」
 
掛物
吸江斎 千里同風 なかなか力強い四文字である。

花入
備前 如心斎銘・大雪 茶黒いので大雪といわれてもなあ。

如心斎所持 唐金地紋置 何かの逆立ちみたいだと思ったらその通りで、「底をとって蓋にしよう」ではないが、底が抜けたので口に蓋をして逆とんぼりにしたそうだ。

硯箱
時代竹虎蒔絵 紀州徳川家より拝領 ガオーッ 中も開いていて筆が竹ぽいのと雀の絵柄の蒔絵が遊び心の表れで、楽しい。

置物
啐啄斎所持 伏見焼 猿 如心斎直書 七代目が伏見の幼い我が子のために買うたもの。おみやげ。「与太郎へ」と書いていたそうだが、父の優しいきもちがいい。子供もそれをありがたく思う。いいなあ。
素朴な伏見の人形。銀地に墨のまだらのお猿さんの人形。

二階におりて先にお茶をよばれる。飴菓子と麩菓子。

花入
唐金 銘・一すすり 東山御物 細い鶴首の花入だが、本当に細い。

道安 一重切 彫銘・せめて これねえ「セメテ」とカナ書きしてて、妙な色っぽさがあって…

古銅 銘・園城寺 胴の辺りに檜垣紋が続く。

茶壷
利休所持 銘・橋立 これが利休遺愛の茶壷で太閤にも譲らなかったもの。
大徳寺に預け、取りに来ても渡さないでと頼んだ文書も残っているとか。
渡さないぞという強い意志を狂歌で詠んでもいる。
口覆いもその紐も並ぶ。

掛物
東福門院御作 桃縫絵 桜御所より元伯宗旦拝領 桃の花の刺繍。可愛い。

盆山 カウネンキ 元伯宗旦直書 え…普通の盆山やのに…この字って「更年期」???この時代にそんな言葉があったのか。
残月亭で使われたそうだ。

元伯宗旦に関わりのある花入が二つ並ぶ。
経筒と信楽焼の花入だが、どちらもとても細いので驚く。

ここからは近代から現代である。
碌々斎 千秋萬歳 おお、説経節のようだ。

碌々斎好 青釉龍 写 樂惺入 金泥で亀、龍、雲などを描く。近代の中国趣味かと思う。

惺斎の愛したものたち。
飛来一閑が柄を拵えた払子、1916年に中村宗哲が拵えた硯箱、中川浄益の砂張釣舟の花入などなど大正時代の千家十職の人々の仕事。
常滑焼の花入の箱書きが「トコナヘ」になっているのもあった。こういうのもなんだかおもしろい。

やがて現代になる。
而妙斎の時代。
富士絵賛 四海波静 甲午 2014年ですな。ぎっぎっとした線で富士山を描き、横にその言葉を書いているのだが、とてもロック魂がみなぎっているような構図だと思った。かっこいい。

そして最後に黒田正玄が去年拵えた蛇籠の花入れが出た。蛇籠は本来川の護岸のためのもので、ここでは俵型だった。

代々の家元が愛した茶の湯のお道具の佳いものをたくさん見て、きもちよかった。
11/30まで。

なおお茶をいただいたのだが、そのお茶碗は正倉院展に今出ている白地の花柄カーペットにも似た雰囲気のある、安南焼きのような感じのものだった。

俳人 蕪村

ここ数年与謝蕪村のよさにすっかりハマッている。
特に俳画がいい。弟子の呉春、その弟の景文も大好きだが、蕪村のユーモアと言うか諧謔味についついニヤリとしてしまう。
先般も伊丹の柿衛文庫で蕪村の俳画の展覧会を見て大いにウケたが、それやこれやで今回も天理図書館まで足を延ばした。
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ここでは絵師としてよりも俳人としての面をメインに展示されている。
連句とか個人で読んだものなどなど。
尤もこのチラシにあるようにそこにこうした市井の人々が描かれているので、それがまたいい感じ。この時代の上方の文化とそこに集う人々の面白さと言うものは、ちょっと比肩できるものがないのではないか。

ところでここにある句集はさすがに翻刻してあるものばかりなので、読める字と読めぬ字とがあり、とてもとても全部を味わうことはできないが、一方で蕪村の文字の妙味にも惹かれて、読めずともええ感じやん、という好意が湧いている。

思えば「春の海 終日のたりのたりかな」「菜の花や 月は東に日は西に」など特に好きな俳句はみんな蕪村だったのだ。
炭団のオバケも大好きだし、これはもう意識する以前から蕪村が実は好きだった、という証拠のようなものだ。

展示は発句帖や連句会の草稿などもあり、当時の蕪村の状況を想いながらみてゆくことになる。
和田岬へ皆でいった安永七年三月、天明、明和の頃の句…
淡墨桜を描いた絵もよく、金泥料紙絵巻に句を連ねた「其雪影」もいい。

またこうした挿絵が可愛くてならない。
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うずら。

こちらは気持ちよさそう。
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新資料もたくさん見つかったとか。

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今後はもう蕪村の展覧会があればもっともっと追いたいと思っている。

第67回 正倉院展

今年も正倉院展に出かけた。大学の時から通い続けているので、大抵たくさん見ているが、それでも「おお、初見」もあれば「初出陳」もあるし、数十年ぶりのお出ましもあるというのが、さすがの正倉院宝物。
今回は夜間開館に参加。チケットがあるから並ばずにスイスイと入れたのは誠にありがたいことです。
今回、奈良博のリストをそのまま使用させていただいてます。
(倉番号 名称 よみがな 略称 員数 法量 寸法=㎝ 重量=g 初出陳 前回出陳年)

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最初に大好きなものが現れた。
北倉42 平螺鈿背八角鏡 へいらでんはいのはっかくきょう 螺鈿飾りの鏡 1面
径29.8 縁厚0.8 重3042.7 (紐共)2001年
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一番初めにこのキラキラが現れると、もうそれだけで嬉しくてならない。
愛らしいなあ。
他の螺鈿の鏡も大好きなものがあるが、これもとてもキラキラしく綺麗で愛らしい。
唐の豊かさ・天平の麗しさ、それを実感する。

その箱もある。
北倉42 漆皮箱 しっぴばこ 鏡の箱 1合 径31.7 高5.5 2001年
大事にされるものはその護りものもいいものだ。この先もずっと守られる。

北倉42 山水花虫背円鏡 附 題箋 さんすいかちゅうはいのえんきょう 山水文様の鏡 1面 径27.4 縁厚0.7 重3258.7 1998年
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つまみが山。それを中心に山や雲やどうぶつたち。これ円形だが、錐形にすると博山炉風になるかも。
無論その箱も一緒に出ている。
北倉42 漆皮箱 しっぴばこ 鏡の箱 1合 径31.3 高7.2 1998年

日常的なものがいくつか。
南倉43 金銀匙 きんぎんのさじ 金メッキの銀の匙 1本 長29.5 匙幅4.0 重124 1999年
どちらかと言えば朝鮮のお粥などを食べるスプーンに似ていると思う。
そもそも日本においてスプーンを使う食事と言うのは、明治以降の近代から現代と、この時代だけではないか。

南倉86 金銀箸 きんぎんのはし 金メッキの銀の箸 1双 長25.8 径0.5 重74.4 1999年
やや細いが十分に使えそうである。銀の食器は毒入りを判別できるから重宝されたとか。

二枚の「砂張」の皿と水瓶。
南倉46 佐波理皿 さはりのさら 銅の皿 1枚 径27.1 高4.0 1991年
南倉46 佐波理皿 さはりのさら 銅の皿 1枚 径24.6 高2.4 1971年
南倉25 佐波理水瓶 さはりのすいびょう 銅の水差し 1口 高28.0 口径7.2 胴径14.7 重1900.7 2003年
比重についてちょっと考えた…

南倉26 漆瓶龕 うるしのへいがん 水差しの容れ物 1合 高27.2 胴径16.5 2003年 
なんとこれはパッカーンと割れて中身に瓶を収納と言う代物。面白い。

石製の笛と尺八の登場。
北倉33 彫石横笛 ちょうせきのおうてき 石の横笛 1管 長37.1 筒口の径 上2.1
下2.2 2002年
北倉34 彫石尺八 ちょうせきのしゃくはち 石の尺八 1管 長35.9 吹口径2.4 1997年 (2005年・九博)
どちらも指孔の周囲は花模様。蛇紋岩から作られている。薄緑の石。蝶や雲や花鳥。
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クリックすると拡大。

南倉101 紫檀木画槽琵琶 したんもくがそうのびわ 琵琶 1面 全長98.5 最大幅40.7 1998年
今回のチラシ。モザイク(木画)が背後一面に装飾されている。素晴らしく丁寧な拵え。
表を見ると…
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そして桿撥絵は山水人物画。左が本物で右が線描化したもの。
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南倉115 漆鼓 うるしのつづみ 漆塗の鼓の胴 1口 長42.1 口径13.8 腰径8.5 ○
これは初出陳。かなり大きいな。ちょっとした枕くらいある。
こんなに大きいと抱えて「よォーっ」ポンッ「ヨをっ」とするのもしんどかろう。

伎楽面も三面。
南倉1 伎楽面 酔胡従 ぎがくめん すいこじゅう 伎楽の面 1面 縦28.6 横24.0 奥行25.9 1958年
ちょっと小さく感じたのは次の「力士」のせい。

南倉1  伎楽面 力士 ぎがくめん りきし 伎楽の面 1面 縦37.3 横26.4 奥行30.1 ○
凄い迫力のある顔。ちょんまげもぐっとしていた。歯並びが大きい。

南倉1 伎楽面 師子児もしくは太孤児 ぎがくめん ししこもしくはたいこじ 伎楽の面 1面 縦24.7 横18.4 奥行21.9 ○
後者は可哀想な爺さんについている少年かも、という説。笑うてるみたいな顔つき。歯並びは「いーっ」としていて、描きもの。

南倉34 磁塔残欠 じとうざんけつ 三彩の小塔 1基 基座径15.2 総高17.2 2002年
三彩でぐりぐりの円盤がずらずらと。これ見たら諸星大二郎「孔子暗黒伝」のあの「塔」を思い出しますがな。

南倉35 白石塔残欠 はくせきとうざんけつ 大理石の小塔 1基 基壇径9.0 総高3.1 2002年
こちらは礎石部分のような形で白と言うよりやや生成りに近い色合い。

中倉165 金銅火舎 附 木牌 こんどうのかしゃ 金メッキの銅の香炉 1基 口径44.0 高19.0 2002年
台の足四本それぞれに鬼に近い獣面。

完全な状況ならどうみても洗車ブラシやろ、みたいなものを見る。
南倉50 柿柄麈尾 かきえのしゅび 僧侶の持物 1柄 長61.0 鐔幅10.0 2002年
南倉50 漆麈尾箱 うるしのしゅびばこ 麈尾の箱 1合 長84.5 幅50.5 高6.0 2002年
漆柄麈尾 うるしえのしゅび 僧侶の持物 1柄 長58.0 幅8.1 1997年
毛が残るものと残らないもの。後者は殆ど船の櫂の頭部に似ている。
箱が巨大な卓球ラケット入れのようなもの。

南倉51 玳瑁竹形如意 たいまいのたけがたにょい 僧侶の持物 1柄 長60.5 掌の幅9.3 1995年
今はもう作れません。斑がきれい。

中倉145 紫檀木画箱 したんもくがのはこ 献物箱 1合 縦23.6 横42.4 高15.3 2000年
幾何学的な木画。足は花頭型。

中倉152 蘇芳地金銀絵箱 すおうじきんぎんえのはこ 献物箱 1合 縦23.0 横31.6 高8.6 2001年
花喰い鳥ならぬ花持ち鳥。時代の嗜好を感じる。

中倉177 粉地花形方几 ふんじはながたほうき 献物用の台 1基 縦37.5 横42.0 高9.5 2000年
上は花形で足は繧繝。これは後世の平安・鎌倉にも好まれた彩色。

北倉1 七条褐色紬袈裟 しちじょうかっしょくのつむぎのけさ 羅の袈裟 1領 幅297 縦144 1997年
チラシにも出ているが、なにやらあみだくじのようなどう使うのだろう。この袈裟。
むろん箱もある。
北倉1 御袈裟箱 おんけさのはこ 袈裟の箱 1合 縦46.0 横40.0 高12.1 1983年

中倉105 琥碧魚形 こはくのうおがた 魚形の腰飾り 1具 長7.7 厚1.6(魚形) 2000年
黒光りしていて、ナマズ型のような。

南倉74 伎楽面鬚残片 ぎがくめんひげざんぺん 毛束 1括
〔藍色〕長30.0〔黄色〕長25.0
〔茶色〕長23.0〔赤色〕長17.0
〔白色〕長15.0

5種とも馬の鬣から製作したそうだ。

筆はなかなか太目で使いづらそう。
中倉37 筆 ふで 1管 管長20.4 管径2.2 1991年
中倉37 筆 ふで 1管 管長22.3 管径2.0 1976年
中倉37 筆 ふで 1管 管長17.2 管径2.4 ○
いずれも「巻筆」。…有馬の人形筆とかも拵えられそうである。

北倉150 花氈 かせん フェルトの敷物 1枚 長240 幅129 2001年
チラシ。白地に藍で大胆な花柄。中国からの渡来品らしい。
いい感じの文様。

中倉202 花氈 かせん フェルトの敷物 1枚 長117 幅41 1951年(1970年・万博)
こちらも白地で藍でやや小さめの四本集まる花の意匠。

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今回、七夕の「乞巧奠」行事にかかわる様々なものが出ていた。
平安以前からこうした行事がなされていたことを興味深く思う。
そもそも牽牛と織女の伝説自体も中国から来たものなのだから当然この天平時代に行われていてもおかしくはないのだが、イメージ的に平安以降だと思い込んでいた。

中倉16 続修正倉院古文書 第三十二巻 ぞくしゅうしょうそういんこもんじょ
七夕の詩が習書された興福寺西金堂の造寺造仏に関する報告書 1巻 縦28.3~28.5 2001年
やたらとグダグダ書かれているのは稽古していたようです。

南倉84 銀針 附 紙箋 ぎんのはり 儀式用の針 1隻 長34.8 径0.5 重49 2001年
南倉84 銅針 附 紙箋 どうのはり 儀式用の針 1隻 長35.0 径0.5 重41 2001年
南倉84 銀針 ぎんのはり 儀式用の針 2隻
〔その1〕長19.5 径0.45 重22.3
〔その2〕長19.5 径0.45 重22.3 1957年
南倉84 鉄針 てつのはり 儀式用の針 2隻 
〔その1〕長19.7 径0.45 重18.7
〔その2〕長19.6 径0.45 重18.2 1989年
南倉85 緑麻紙針裹 みどりましのはりのつつみ 針の包み 1張 縦24.5 幅23.0 2001年
南倉84 鉄針 附 紙箋・赤色縷断片 てつのはり 儀式用の針 1隻 長34.9 径0.5 重38.6 2001年
ここら辺りが全て編み針。先のお箸同様に細く長い目。
銀はやはり黒くなっていた。

更にその糸まである。五色の糸。
南倉82 赤色縷 せきしょくのる 儀式用の糸 1条 長径20 紐の径0.25 2001年
綺麗な赤色。これは欲しいくらい。いい色。

南倉82 白色縷 はくしょくのる 儀式用の糸 1条 糸玉の長径16 紐の径0.4 ○
生成りでやや太い糸。

南倉82 黄色縷 おうしょくのる 儀式用の糸 1条 長径18 短径10 紐の径0.25 2001年
ちぶん梔子で染めたと思う。糸の巻き方がサラのままらしい。かっこいい。

中倉51 紅牙撥鏤尺 こうげばちるのしゃく 染め象牙のものさし 1枚 長29.7 幅2.3 厚0.8 1992年
好きな撥鏤尺だが、23年ぶり??ほんまかいな。つい近年にも見た気が…
花と鳥を交互に5面ずつ。裏には飛天と鶴の飛ぶ様子。

中倉52 斑犀尺 はんさいのしゃく 犀の角のものさし 1枚 長29.5 幅2.8 厚0.8 2000年
一寸・五分・一分のサイズが書かれている。

中倉53 木尺 もくしゃく 木のものさし 1枚 長44.5 幅3.0 厚1.0 2003年
一尺五寸か。きちっとしたものさし。

南倉168 密陀絵龍虎形漆櫃 みつだえりゅうこがたのうるしのひつ 鳥獣文様の描かれた収納容 1合 縦65.8 横106.0 総高46.3 2002年
おる。なんかおる。虎か獅子かわからんものがおる。龍らしきものもおる。線は太目。

聖語蔵3-94 根本説一切有部百一羯磨 巻第三 こんぽんせついっさいうぶひゃくいちこんま 光明皇后御願経 1巻 (17張) ○
しっかりした書体だった。

今年もこのように大いに楽しませていただきました。
また来年までさらば。

国姓爺と近松

既に終了したが尼崎市立文化財収蔵庫で「国姓爺と近松」展を見た。
これは近松門左衛門が尼崎の出身ということから資料を収集しており、そのうちから1715年に初演された「国姓爺合戦」を取り上げた企画展である。
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最初は無論文楽からで、1715年に大坂竹本座で初演され、17か月ものロングラン公演となった。
現在でも国姓爺合戦はしばしば文楽でも歌舞伎でも上演されるし、廃れはしたがお座敷遊びに「和藤内」というのもあるくらいで、いかに江戸から戦前までこの芝居が人々に浸透していたかが容易に納得できる。
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チラシに書かれた解説の通り和藤内は実在の人物をモデルにしており、歴史小説にも数点彼を登場させたものがある。
司馬遼太郎、陳舜臣、荒俣宏、伴野朗、白石一郎ら名だたる作家が彼を描いていた。
石川淳も短編のコメディー小説を書いている。

国姓爺と言う名称は明の皇帝から皇帝一族の姓を賜った立派な人、くらいの意味である。
彼は白石一郎の小説のタイトル通り将に「怒涛のごとく」生きた人である。

チラシで目立つのは虎と和藤内である。国貞描く団十郎が虎を退治する。
退治というても殺すのではなく、以後自分の家来とする。
にゃあとした大柄な猫の親方のような虎である。

大抵が虎の出る二段目と異母姉・錦祥女の紅流しの三段目が上演される。
史実に基づく物語とはいえ、劇作にはこうしたドラマチックな場面がなくてはならない。
特に両段はスペクタクルな見ものが今も観客の心をつかむ。

展示は当時の挿絵入りの読み本と浮世絵などで構成されている。
浮世絵も江戸のものと上方のものとが並び、その違いも楽しめる。

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多くの資料があつまり、浮世絵や物語の挿絵をみれて大いに楽しめた。
またこういう企画展が見てみたい。

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