美術館・博物館・デパートでの展覧会を訪ね歩き、近代建築を見て周り、歌舞伎・映画・物語に溺れる日々の『遊びに行った日を記す』場所です。 **自宅でログイン出来ないので、現在「遊行七恵、道を尋ねて何かに出会う」で感想を挙げています。

「旅と芸術 ―発見・驚異・夢想」その3

ここからは「夢想」が出現する。
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4.「世紀末のエグゾティスム」
不吉な美しさ・頽廃的な夢がここに集まっている。
背徳的な存在の美しさは公に褒めそやせないからこそ、永遠の生命を保つ。

ヤン・トーロップ 生命の守護神 1895 去年の五月にここで初めて見た。
インドネシアの女性と白人女性がそれぞれ赤ちゃんを抱っこして立つ姿が描かれている。
生命保険会社のポスター原画らしい。
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蘭印、仏印、やがて日本も参入するその土地。
白々しいとか植民地主義とかそう言った言葉は措いておいて、絵の構図の良さ、二人の女性の美しさを味わう。

ヴァロットンのにぎやかな木版画が出てきた。
三菱一号館で大きな回顧展があった時、その作品群の醸し出す重苦しさに負けたのだが、木版だけ数点が並んでいるのを見ると、やっぱり妙に躁状態になる。ケークウォークのリズムがアタマの中で流れ出すのだ。

ジュール・ヴェルヌの著書を本当に読んだことがあったか、どうも自信がない。
「80日間世界一周」にしても「海底二万哩」にしても映画ばかりが思い浮かび、翻訳文が思い浮かばない。
ああ「十五少年漂流記」(二年間の休暇)があるか。しかし「蠅の王」と話がごっちゃになっている…
ヴェルヌの著作をみつめながら記憶を探り続ける。
「記憶をたどる」こともまた旅の一つなのだ。
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ルドン デ・ゼッサント ユイスマンス「さかしま」の主人公。黒のルドン。
1914年の谷崎「金色の死」、1926年の乱歩「パノラマ島奇譚」、それより遡ること30―40年の「さかしま」。
極彩色の世界を作り上げながらも本人は黒で表現される。
そのことを改めて考える。

色彩豊かな「世紀末」芸術と、黒と白の「世紀末」芸術。
モローとビアズリーが出現する。

1886年の「不和の女神」「恋するライオン」が出ている。
近年わたしはモローbotをフォローすることで日々モローの絵を画面上でだが見続けている。
モローを知ったのは高校生の時だった。
友人が高野山にお籠りしたあと土産にとモローの絵ハガキをくれたのだ。
何故高野山でモローの絵ハガキがあったのかはわからない。
だがその「雅歌」一枚でわたしはほぼ逆上し、モローへの酷愛が始まった。
しかしながら当時はいくら熱狂してもモローの絵を間近で見ることは叶わなかった。
画集もなかったように思う。
大学になってようやく大岡信編モロー画集「夢のとりで」が世に出た。
他に見るべき本はなかった。
それが今ではこうしてモローの絵を画面越しとはいえ毎日眺めている。
モローの絵を見るためにパリに行った日は、もう遠いものになっていた。

ビアズリーのサロメが現れる。
このビアズリーと先のモローの二人のサロメこそが、人々の意識に深く存在する「サロメ」だと言っていい。
シュトゥックのサロメ、寺松国太郎のサロメ、華宵のサロメ…
いずれも魅力的だ。しかしビアズリー描くサロメには深い悪意があふれている。それこそがいちばんの魅力なのだと思っている。

わたしがビアズリーのサロメを知ったのは手塚治虫「MW」に引用されていたからだった。
誘惑するもの・されるものの対峙、妥協も和解も出来ない会話のシーンにビアズリーのサロメの絵が引用され、顔だけが主人公たちに置き換えられていた。
小学生が読むべきではない物語だったが、当時から今に至るまで折々読み返しては深い歓びにふるえている。
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なお「ビアズリーと日本」展は1/31まで宇都宮美術館で、ついで2/6から3/27まで滋賀県立近代美術館で開催。

世紀末芸術が続く。
シェレのポスター、ガレのやきもの、エミール・ベルナールの油彩画。
ガレはガラス製品ではなくやきものが並ぶことも面白く思った。
しかもその作品はどこか抽象的で、岡本太郎、堂本印象の先人といった味わいがある。
ジャポニスムの影響を強く受けたガレ。
海を越える浮世絵、お返しのように日本に届くアールヌーヴォー芸術。
旅する美術。

ポール・セリュジエ 急流のそばの幻影 または妖精たちのランデブー 以前にも見ているが汐留で見たのか別な場所で見たのか自信がない。
妖精の美しい女たちが森の中を逍遥(あるいは行進)している。その一段の美しい姿を木の間越しに村人たちがぽかんとしながら見ている。
誰も手出しをすることもなく、追いかけることもなく、ただただその場で美しい女たちを見つめ続ける。
妖精の力で動けなくされ、もしかするとこのランデブーを見たということ自体を忘れさせられてしまうのかもしれない。
このわたしのように、「どこかで見たのだが、どこで見たのかがわからない」というように。

ゴーギャンの旅はどこに始まりどこで終わりを告げたと言えるだろう。
かれはタヒチを愛し欧州大陸へ帰らずポリネシアで没したが、パリ生まれながらもリマで幼少期を過ごし、海軍に勤務してインドで母の死を知った。画家として世に出る以前の若い頃に既にこれだけの旅をしている。
「10の木版画集」
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決して行くことがない地、本当にこうした情景があったのか確かめることも出来ないだけに、憧れだけはいよいよ募る。
他者の旅には憧れが生まれる。

5.「空想の旅・超現実の旅」
タイトルに惑わされたわけでもないのに、ここへきて不意に、動線が狂っているような錯覚に陥った。
本来ならグランヴィル「もうひとつの世界」から見るべきなのに、わたしは何故だかヴァランティーヌ・ユゴーの描いた幼く美しいランボー坊やの絵の前に立った。
左へ向かうべきなのに右へ歩いた結果だった。

森でも町でも分かれ道に行きあった時、大抵の物語の主人公たちは行ってはいけない道へ進んでしまう。最初は良くても途中からまずい道だと気づき、気づいても後戻りできなくなっている。
わたしはそのことを思い出し、少し足踏みをしてから道を戻した。

再びヴェルヌの小説が現れた。SF小説の父。
私市保彦が「意味の果ての旅」と評したのはヴェルヌの描いた旅だったか、ポーの旅だったか。
呪われたネモ船長はどこへ向かうのか。
書物の旅は終わりがない。

ドレの挿絵が待っていた。
ゴーティエ(子)「ミュンヒハウゼン男爵の冒険」 今ではミュンヒハウゼン症候群という病にその名が冠されている。
そういえばこうした豪快なほらふき譚は日本では案外少ないように思う。中国、アフリカでは見受けられるのだが。
とはいえ、「話を盛る」のは日本の物語にも多いから程度の問題なのかもしれない。
ドレの絵は妙にポップな感じがした。

「ペロー昔話集」がある。
「赤ずきん」「ロバの皮」「親指小僧」が紹介されている。
そして中川陽介による映像がここでも上映されている。
幼いくせに男を誘う目をした赤ずきん。むっちりした二の腕のなんと美味そうなこと。
老婆が狼に襲われる。飼い猫は慌ててベッドの下に逃げ込む。
以前に世界各国の赤ずきんの絵を集めた展覧会があった。
そのときもドレの赤ずきんは誰よりも艶めかしかった。狼は誘惑する者からされる者に転じたようにしか、思えなかった。
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「ロバの皮」は妃を失くした王が実の娘である姫に結婚を申し込んだことから話が始まる。
姫は逃げ出し、ロバの皮をかぶってその美しい正体を隠して森で暮らす。
やがてさる国の王子の求婚を受け、世に戻る。反省した父王もその結婚式に出席する。
映像ではインドからやってきたお祝いの使者の乗ったゾウが動くように見えた。

ペローにしろグリムにしろ採集した民話には時折インセストの匂いが強いものがある。
「シンデレラ」では父親は再婚したが、その妻より実子に目を向けていたのではないか。
岸田今日子の小説「セニスィエンタの家」はまさにそのシンデレラの物語だった。
少女セニスィエンタに王宮の舞踏会に出席できるようなドレスや靴を支度したのは彼女の父だった。そしてその代償には…
岸田今日子は30年以上も前に罪の物語を静かに綴っていた。
ドレの絵を見ながらそのことを想った。

ドレの「親指小僧」を知ったのはこの私市保彦の著作からだった。
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トリックスターである親指小僧は一度目は小石を撒いて家への道しるべにしたが、二度目はパンくずだったため他の兄弟共々森の奥に置き去りにされる。
家へ帰れない彼らはさまよった末に人食い鬼の家にたどりつく。
ドレの絵では優しい人食い鬼のおかみさんが子供らを気の毒がるシーンがある。
家には鬼に喰われた野生動物の骨が飾られている。
物語はここで鬼が子供らを食べるはずが、親指小僧の機転で間違ってわが子らを食べてしまう展開を見せる。そして親指小僧たちは宝を得て脱出する。
ドレの描く、森の奥という、意識の暗い領域へ進む一行の姿は忘れがたい存在となって胸に刻まれる。

リチャード・ドイルはコナン・ドイルのおじに当たる人だが、彼は妖精画の第一人者だった。これまでいくつか妖精画の展覧会を見てきたが、必ずそこにドイルの絵があった。
ウィリアム・アリンガム「妖精の国で」の挿絵が展示されている。
大勢の小鳥たちが集まって一人の妖精を囲んでいる。森の中、色彩豊かな絵。
シッダルタは鹿に囲まれて話をしたが、イングランドの妖精は小鳥たちに囲まれて彼らに魔法をかける。

世紀末のイングランドは本当に面白い。
「ラファエル前派」展の活躍も素晴らしいが、童話・童画の発展も豊かだった。
同時期に「ラファエル前派」展がブンカムラで開催されているので、その感想もまた後日挙げる。

ルイス・キャロルがその時期に「不思議の国のアリス」を発表したのも興味深い事実だと思っている。
彼自身による「アリス」とテニスンの世上名高き「アリス」が並んでいた。
わたしはディズニーの「アリス」から始まっているので、今でもあの容姿が最初に思い浮かぶ。
それで思い出したが日本に最初に「アリス」が入った頃「愛子ちゃん」として翻訳され黒髪の少女として描かれていた。
「アリス」は世界各国で翻訳され、様々な画家によって描かれたが、金子國義の「アリス」のように磔刑に掛けられる姿もまたよいものだと思う。そしてルイス・キャロルがもしそれを見ていたら、第三の続編を執筆していたと確信している。

エドモン・デュラックとカイ・ニールセンの挿絵の美しさは、ただごとではないと思う。
そのデュラックによるアンデルセン「雪の女王」が現れた。
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わたしはアンデルセンの長編に好きな作品が多いが、この「雪の女王」もひどく好きで何度読んでも感動している。
心と目に見えない鏡の破片が食い込んだカイ少年が雪の女王の国に連れ去られてしまう。少女ゲルダはカイを追って旅に出る。
絵はトナカイに乗って旅を続けるゲルダが、もう動けなくなったトナカイに走ってほしいと懇願しているところか。
しかしゲルダの願いは届かずトナカイは倒れる。ゲルダはたった一人で雪の女王の氷の宮殿へ向かう。

雪の女王の美しい絵がある。
美しすぎるほどに美しい女王の姿である。
彼女はカイに氷のかけらで出来た言葉のパズル遊びをさせている。
「永遠」という言葉がカイの手により作られることを待っている。
だがカイはなかなかその言葉が作り出せないでいる。
やがてゲルダが宮殿に来てカイを抱きしめて熱い涙を降り注ぐ。
その涙がカイの眼と心に刺さった破片を溶かす。
それと同時に言葉がつながる。「永遠」という言葉が作られたのはゲルダが現れたときだったのだ。
雪の女王は静かにその姿を玉座から消す。
絵はそこを描いているようだった。
深い感動が再びわたしの胸に広がっている。

わたしがこの「空想の旅・超現実の旅」に踏み込んだ最初道を間違えたのは、右手に異様に美しい男児の絵があったからだった。ユゴーの子孫・ヴァランティーヌ・ユゴーによる「七歳の詩人たち」の挿絵に惹かれ、そちらへふらふらと寄って行ったが、これはランボーの詩に彼女が絵をつけたものだった。
難しい目つきをした愛らしい男児に魅せられて、わたしが道を間違えるのも仕方ないことだ。
少年はヴェルレーヌの人生の道も踏み外させている。
だから―――仕方ない。

アンドレ・ボーシャン ニンフたちの洞窟 1946 洞窟に美しい女性、というのは古今東西の決まりごとのようなものかもしれない。
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遭難船から陸地に上がった男たちが彼女たちを見るシーンが描かれている。
その後どうなるのかは知らない。
洞窟の美女といえばハガード「洞窟の女王」、スリランカのシーギリヤ・ロックの壁画の美女たちが思い浮かぶ。そして「八犬伝」の伏姫は富山の洞窟に暮らした。
やはりとても妖しい。

ウジェーヌ・アジェの写真が出てきた。
様々なパリの姿がある。20世紀初頭の都市風景写真はなぜこんなにも魅力的なものばかりなのか。見て歩きながらも不思議でならない。そしてその写真に魅了されて、その時代のその地に行きたくてならなくなる。

アジェのパリ、福原信三の東京、写真集「老上海消逝」に集められた上海灘の街並み、不況が広がるNY…1910―1940までの都市を歩きたい。

レオノーラ・キャリントン 狩猟 1942 久しぶりに彼女の絵を見た。シュール・レアリスム絵画のうちでも彼女の作品はとても好きだ。
何故好きなのかを考える。やはりこれは絵自体が可愛らしいのと、部分ずつは理解できるもので構成されていて、それらが一堂に会すると常識の外に出てしまうからだろうか。

最後にデルヴォーの三点の絵が現れた。
森 1948、駅 1971、女帝 1974 この三点。
旅の交通手段の一つに鉄道があるが、デルヴォー描く鉄道は、決してどこにも行けないものだ。
銀河鉄道にもならないし、「ねじ式」の鉄道ですらない。ただし森の奥には行けるだろう。二度と帰らないようだが。

まだ「旅」は終わらず、もう少し続く。


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浮世絵・水彩画にみる新宿風景 江戸から昭和まで

新宿歴博と中村屋サロンのコラボによる「浮世絵・水彩画にみる新宿風景 江戸から昭和まで」展を見た。
中村屋サロン美術館といえば「新宿中村屋」の美術館である。店名に新宿をわざわざおいている。
店のロゴは中村不折。つまり「神州一味噌」「清酒 真澄」の兄弟である。
店名に新宿を置くのは他に新宿高野があるか。
これで思い出すのが沢村藤十郎と17世中村勘三郎の次女の結婚式でのエピソード。
沢村藤十郎の屋号は紀伊国屋、中村屋はそのまま中村屋である。それにひっかけてのスピーチがあった。
「この結婚は新宿のようでございます。紀伊国屋と中村屋が向かい合っております」
将にその通り。巧いことを言ったものだ。

さてその新宿中村屋で曙橋にある新宿歴博所蔵の堀潔の水彩画を中心にした企画展が開かれている。「新宿」という地名を冠している誇りと言うか自負とでもいうか、そんなのを感じさせる展示である。

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堀潔は1912―1989年と言う大正から昭和を生きた画家で、新宿の様々な風景をごく若いうちから捉え続けてきた。
個人の水彩画として面白いだけでなく、都市の記録画としてとても貴重な資料でもある。
外連味のない水彩画は「かつてはこんなだったのか」と往時をしのばせる。

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新宿駅 1922 ドイツ風な駅舎だったのか。なかなか可愛い。
こうした作品で初めて新宿駅がかつてはこんな風貌を見せていたのを知る。

新宿・昭和館前飲食街 1939 任侠映画専門館だったそうだ。1932―2002年までの長命を保った映画館。

戦時中の新宿風景も興味深い。堀の淡々とした筆致からは逼迫感は感じられない。

新宿中村屋 1940 物資不足からカレーパン(カリーパン)誕生と言うことを初めて知った。
少しでも味わいを感じてほしい、という中村屋の気持ちが伝わるいい話である。

新宿3丁目から京王線電車道 1942 おお、かつては京王線も路面だったのか。
江で初めて見る史実。

やがて戦後、活気ある新宿が現れる。
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メイヤー館 1964 これは移転し今では千葉の大網白里市でレストランとして活用されているらしい。こんな洋館は知らなかった。

新宿西口地下広場 1967 ふふふ 風景は案外今と変わっていない。しかしそれにしてもここでああしたことがあったのか。
そういえば唐十郎にこんなタンカがあったな。
「新宿見るなら今見ておきゃれ 今に新宿原になる」
半世紀後の今、ますます増殖するばかりではないか。

超高層ビル群として損保ビル風景を数点描いている。
1977、1979年と数度にわたっている。

堀の絵を見たのは初めてではないが、こんなにも多く見るのは初めて。
とてもよかった。

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佐伯祐三 下落合風景(テニス) 1926 行ったことのない地だが、かつてはこのように一軒家がぽつんぽつんと建っていたのか。

織田一磨にも「新宿」という画集があり、新宿だけ集めた作品があった。1930
カフェー、むさしの館、明治神宮表参道、花売り娘、新宿すていしょん。
花売りは地下街の一隅で。女たちが寄っている。花売り娘はまだ10代の少女。
これをみて戦後すぐの歌「東京の花売り娘」を思い出した。
この歌が蘇るときには映画「麻雀放浪記」の冒頭シーンが浮かんでくる。

浮世絵が現れた。
初代広重の江戸百シリーズのうちから現代の新宿区内の風景画を選んでいる。
桜の頃の市ヶ谷八幡、高田馬場の弓の稽古場、面影橋の砂利場、バフンのある内藤新宿。構図の妙と言うのをこの馬の絵で感じてはうなるわけです。

ところで旧幕頃の新宿と言えば岡本綺堂「新宿夜話」が思い浮かぶ。
この芝居、わたしは大昔の文士劇で見た。昔の文士劇はTV放映されていて、あまり覚えていないが侍が切腹し、顛末を茶店の婆さんと坊さんが話し合ってたシーンが目に残っている。
たったそれだけなのだが、これが「新宿夜話」だという強い確信があり、これまでにも何度かこのブログ上に挙げている。

東都名所坂つくしの内 牛込神楽坂之図 ああ、丁度今のJR飯田橋の出口から神楽坂を見下ろすあの構図ね。
わたしの写真をちょっと出します。
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紀の善がみえるのが嬉しい。久しぶりに飯田橋から神楽坂界隈をぶらぶらしたい。

二代広重になるともう東京になっている。
東京大久保躑躅 山躑躅が可愛らしい。

昇斎一景 東京名所三十六戯撰 つの守坂しん滝 1872 おやおや滝行する女がいるよ。神奈川の大山では女もよく「ざんげざんげ…六根清浄」と滝行するのを見たが、昔は江戸市中、いや東京府下でも滝行出来たのか。
そうそう津の守坂といえば新宿歴博も近い。

昭和の新版画をみる。
吉田博 東京拾二題 神楽坂通 雨後の夜 1929 この絵がとても好きで、雨にもかかわらず、夜だというのも忘れて、神楽坂に行きたくてたまらなくなる。
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ところでこちらは展示にはないが参考までに挙げる。
吉田博の息子・吉田遠志「夜の新宿」1938 にぎやかな繁華街の様子が描かれていて、わたしもどこかの店に入りたくなる。
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川瀬巴水 冬の月(戸山が原)1931 今の姿を求めることは完全にできない風景。
巴水らしい青い夜。

ノエル・ヌエット 神楽坂 1937 おお、芸者さんらがカランコロンと下駄の音を立てながら石畳を歩く様子が。時間も早く青い夜。

笠松紫浪 東京名園 夕月の新宿御苑 1953 青緑の夜。橋を渡る二人の女と少女。
わたしはいまだに新宿御苑に行ったことがない。いつか行きたいと思いながら全く予定も立たない。

中一の頃、松本零士作品に熱中したが、松本の初期作品には幻想的なものが多く、中である青年が恋人に新宿御苑へまた行こうと電話するシーンを見た。
彼は前回のデートの時、彼女の作ったサンドイッチを食べたが「僕はおにぎりの方がいいよ」とねだっている。
恋人たちの甘い電話に過ぎないシーンだが、実はこの電話はどこにも通じていず、彼はそれでも甘くささやき続けている。とうに彼女は死んでいるのだ。
わたしが新宿御苑と言う場所を知ったのはこのマンガからだった。
いつか新宿御苑に行くときにはサンドイッチとおにぎりを持っていきたいと中学の頃からずっと思っている。

前期は2/15まで。後期は2/17から3/13まで。

旧横浜ゴム平塚製作所記念館

平塚市美術館近くの公園の中にある。
元々は明治時代の火薬工場の支配人の家だったそうで、そのあたりのことはこちらに。
20年くらい前からこの存在は知っていたが、横浜ゴムから離れて一般公開されるようになったのは2009年で、随分と長く待った。
これまで二度ばかり見に行ったがカメラを持って行ったのは今回が初めて。

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無料だが中へ入るには受付を通ること。時折ここでコンサートも開かれているそうだ。

外観
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可愛い金物
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中へ。
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家具などは再現品だが古き良き時代を、という意識がこれらを選ばせているようで好ましい。

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模型と古写真など
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ベランダ
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ベランダ=コロニアルのよさはわたしたちよりも当時の外国人の方が実感していたことだろう。

外観ふたたび
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また次の機会に。

三沢厚彦の「カカオからチョコレートが出来るまで」in阪急百貨店ショーウインドー

いつも阪急百貨店梅田本店のショーウィンドーは楽しい世界が開いている。
今回はバレンタインデーに向けて「カカオからチョコレートが出来るまで」がテーマ。
三沢厚彦さんの巨大動物から小さい動物までがガラスの向こうで素知らぬ顔して突っ立っている。

たくさん撮影したので大方はサムネイルで挙げてます。クリックすると拡大化します。

1.「カカオの森、収穫の季節」
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2.「カカオは、はるばる海を越えて」
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3.「チョコレート工場に運ばれる」
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4.「もっとおいしく!とラボは熱気」
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5. 「甘い香りが次から次へと」
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6.「チョコレートショップの店先へ」
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7.「このチョコレートは誰から!誰へ!」
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いやー、とても面白かったね。三沢厚彦のどうぶつたち、個性が強くてほんと、楽しいです。
かれらにそそのかされて、わたしもチョコを買いに行こう。

「旅と芸術 ―発見・驚異・夢想」 その2

昨日に続く。

2.「オリエントの魅惑」
200年ほど前、西洋でエジプトへの憧れが高まった。
十年ほど前にはマキシム・デュ・カンの撮ったエジプトからオリエントの写真の展覧会も開催されている。

「エジプト誌」古代篇のうちから数点が出ている。扉絵とエドフの大神殿とオベリスクなどが。いずれも魅惑的なエッチングである。
これらは町田市国際版画美術館から来ているが、近大がネットで挙げているので、助かる。

ナポレオンのエジプト遠征の最大の成果はこうした学術調査にあるが、戦争に負けたのでロゼッタストーンはルーブルではなく大英博物館に収められた。
シャンポリオンの著書もある。ロゼッタストーンを読み解いた人である。

イポリット・アルヌーのエジプト写真もある。いずれもアルビューメン・プリント 
まだ体が砂に埋もれているスフィンクスがいる。既に鼻は欠けている。
イメージ (54)
梅にしたのは英国砲兵。体を砂から出したのはどこの国の人かは知らない。
ピラミッド、カイロの町の写真。それ自体が今日から見ればエキゾチックである。

ザンガキという写真家は知らないが、彼の撮ったミナレット群は素晴らしかった。
エル・アザール・モスクのミナレットは5本あり少しずつ違うのが見事だった。

アブドラ兄弟も知らない。しかし彼らの撮った「コプト人女性」は素敵だ。コプト織の可愛いのが脳裏によみがえる。
あの小さな布片は遠い旅をして日本に来て博物館に入り、わたしたちの前に微笑みを見せてくれる。

ベアトの写真群が現れた。いずれもエジプトである。
そんなに大きくないサイズのものたちをじっ と見ていると、そこに写る風景が遠いものなので、これはこちらから歩み寄らないといけない、という心持になる。
無論それは錯覚なのだが、しかしこれは幸せな錯覚でもある。

ドラクロワとルノワールのオリエンタルピクチュアが続く。
オランのアラブ人、墓地のアラブ人、ロバに乗ったアラブ人たち…
いずれも以前から見知っている絵たちだが、一堂に会すると空気が砂地のものに変わる。
べったり座り込むオランの二人、リュウゼツランの生える墓地に座る白装束の男、睫毛の長いロバに乗る男、絵の構図はそれぞれ違うが、西洋から遠く隔たった地で見た男たちは等しく鋭い目をしていたことだろう。

今度はアラブの写真が続く。全てアルビューメン・プリント。
鶏卵紙に顕れる風景や人物は、遠い時空間の向こうで生き続けている。
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ラクダの朽ちた白い骨が沙漠に晒される風景、メッカへ向かう人々、宗教学校、モスクの中庭、ムーア人の女性の佇まいの美しさに見惚れる。
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これらの写真が撮られたほぼ半世紀後に一人の英国人の金髪男性が沙漠に立つ。
かれはアラビア語に堪能で、アラブに寄り添い、どの部族のものとも平等につきあい、やがて婚礼衣装の白いアラビア服を贈られたのを喜んで身に着け、エミール・ダイナマイトと謳われ「アラビアのロレンス」と呼ばれた。
ここには出ていないが、かれの人生も旅の連続だった。英国での秩序だった暮らしに苛立ち、かれは最後までアラブを想った。

チュニジアの写真を見る。
「チュニス、カスバを望む」フランスの植民地時代の町。「望郷」のペペ・ル・モコはカスバにいる間だけは身の保全を保てたが、恋のために一歩踏み出したことで破滅を招く。

「チュニス、香水市場」石畳が美しい。映画「私家版」でテレンス・スタンプはこの石畳を歩き、第一次大戦時代に使われたインクで偽書を作り、ゴングールスキャンダルを秘かに演出するのだ。

チュニジアの巨大な沙漠はアナキン・スカイウォーカーとルーク・スカイウォーカーを育てた地だということを想う。二重太陽に照りつけられる惑星タトゥイーンとしてスクリーンに登場したのだ。

ナルシス・ド・ラ・ペーニャの絵があった。とても嬉しい。
セラグリオ(ハレム)の女たち 1860 山寺後藤美術館 群像図。顔だちのはっきりした美しい女たちがずらりと並ぶ。
彼の描く絵をもっともっと見たい、といつも思っている。
かれの絵を見る旅をいつかしてみたいと思っている。

コンスタンティノープル、イスタンブール。ビザンチン文化の地。
その地の写真と絵画が続くかと思いきや、不意にカバネル描く美しい「デズデモーナ」の顔が現れた。ヴェニスの貴族の娘だったデズデモーナ。ムーア人のオセローと婚姻し、名の通り不運な、そして無惨な死を遂げる。
この絵も山寺後藤美術館所蔵。

山形は大阪からとても遠い。蔵王に行ったことはあるが銀山温泉にも山寺にも行っていない。いつかその地へ旅したい。

世界遺産のバールベックを捉えた写真を見た。1860―70年代の写真。円形神殿が写るが、現代にはこの神殿は失われたのではないだろうか。
写真で見た限り、どうも中国の客家の土楼にも似ているように思えた。

エルサレムの風景、そしてナダールによるドラクロワ、ネルヴァル、デュ・カンらの肖像写真が現れる。
彼らの顔を見ることでその仕事を想い、遠い地を思う。

インドへの道。
巨匠デヴィッド・リーン監督最後の長編映画はフォースター原作の「インドへの道」だった。西と東の衝突、男と女の意識の違い、さまざまな衝突を見た。

仏教からヒンズー教へ。
18世紀のインドのさる館を飾る装飾欄間があった。装飾欄間といえば日本ばかりにあるのではない。
インドの木彫といえば、仏誕の物語を刻んだものをよく見るが、これはシヴァ神だった。群像が刻まれているが、仏陀の物語ではなくシヴァ神と獅子がいた。

写真集「インド展望」から11枚のインド風景写真が並ぶ。1870年以前のインド。
モノクロだからこそいよいよ美しく見えるインド。
綺麗な壁面装飾のあるニューデリー、小ぢんまりに見えるタージ・マハール、仏像らしき3体が並ぶグワーリーオール、ベナレス、ボンベイの都市風景、アジャンタ石窟寺院、エローラ石窟群、そしてヒマラヤ。シュリーランガムの馬と獅子と人の支えああ彫刻群が並ぶ空間…

神坂智子の描いたインドを思い出しながら見て歩いた。
「蒼のマハラジャ」「天竺夜話」「風の輪・時の和・砂の環」
描かれたインドは近現代と時間を超越した地だった。

3.「自然・観光・鉄道」
先ほどまでの言ってみればエキゾチシズムに満ち満ちた旅から、今度は近代的なある意味健全で退屈な旅になるのか、と見る前に少しの失望を抱えたのだが、それは間違いだった。
これまで大して何の感銘も受けずに見てきた風景画が、とても新鮮な存在としてわたしの前にあらわれた。

フォンテーヌブローの森をモチーフにした絵がいくつもあり、この森が愛されている理由と言うものを、今回初めて実感し、納得できたように思う。
木々にも愛称を持つものがあり、「怒れるもの」という名の木を描いたナルシス・ド・ラ・ペーニャのそれは多くの人々が見ている絵だった。
水面に木々の様子が映るところを捉えた写真もある。

テオドール・ルソー、コロー、ピサロ、クールベの自然。
モネ、ブーダンらの捉えた人工の建造物。
いい取り合わせだと思う。

モン・サン=ミシェルの絵ハガキや写真が数多くある。
珍しく内部を撮影したものもある。綺麗なゴシック天井である。
ゴシック天井への偏愛が強いわたしは少し顎を挙げてその写真をみる。
そうすれば写真が大きく広がり、眼に見えないゴシック天井がその場に出現する。

ノートルダム大聖堂、ブロワ城…
そしてミュシャの鮮やかな版画が登場する。
都市文化を愛するわたしにとって、好ましい風景が現れ始めてゆく。

写真もロングからアップのものが増えてくる。
ノートルダムの怪獣、廃兵院、気球。
古き良き時代のパリの風物を見て回る。

1960年のパリを喜んで走り回ったのは「地下鉄のザジ」だが、その一年前には学校をサボって鬱屈した気持ちを抱えながらパリで遊ぶ「大人は判ってくれない」ドワネル少年がいる。そして1963年のパリの熱い1日を描いた「ジャッカルの日」もまた。
2000年のパリ、わたしはかれらの体験を追うことをひそかに愉しんでいた。

マルケの絵があった。
いつものあの灰色、静かな青色、そして海が描かれた絵である。「停泊船」と題された絵は強い主張をすることもなく、そこにある。
この人の回顧展を見たいと思うのだが、もしかするとこの物静かなたたずまいこそが意外とそれを拒否しているのかもしれない。

イタリーへついた。
フィレンツェのランツィの回廊の写真がある。わたしもここの写真を持っている。
撮ったのではなく土産物屋が褪色した写真を売っていたのを買った。とても気に入っている。

シエナの大聖堂、ピサの斜塔、自分が行った先ばかりが集まるのも面白い。
しかし少しずつそこから遠くへ向かい始める。

アルハンブラ宮殿が現れた。突然ではなく、その前にコルドバのメスキータのイスラーム文化に影響を受けた建物を見ている。
とても巧い展開だと思う。
アルカサルの写真を見ながら青池保子の同名の作品を想う。

ヨーロッパ各地の版画や写真が集まりだす。
ウェストミンスター寺院、ロンドン塔、トラファルガー広場、そして巌谷小波が家族へ送った世界各地の絵ハガキ群。
明治の人は素敵な絵ハガキを家族や友人にたくさん送っている。
森鴎外も、正岡子規の叔父である外交官・加藤拓川も魅力的な絵ハガキを多く送った。

そしてここでカッサンドルのカッコいいポスターが二枚現れた。
ああ、わたしもこの客船に乗ってどこか遠くへ行きたくなってきた。

旅はここで少し中休みをする。

「旅と芸術 ―発見・驚異・夢想」その1

「旅と芸術」
なんといいタイトルだろう。
「旅」にも「芸術」にも心惹かれる人は少なくない。
さらにこのタイトルには続きがある。
「発見・驚異・夢想」
そう、旅するとき「発見」があり「驚異」を見たり「夢想」に耽ることもある。
旅に出ること自体がこれら三つのものを<探す>あるいは<みいだす>ことでもある。
旅の目的が何であれ、そこには必ず何かがあり、何もないなら<ない>ことを知ることもあるだろう。

埼玉近代美術館では巌谷國士監修による「旅と芸術 ―発見・驚異・夢想」展が開催されている。
わたしは後期に出かけた。
北浦和は都心にも近い。首都圏の人には「旅」とは言えない地にある。
だが大阪に住まうわたしには旅先に違いない。
違いないが、近年の自分の足跡を思うと、わたしにとってこの地へ来るのが「旅」と言えるかどうか。
そんなことを思いながら開館と同時に入った。

第1章 「旅への誘い」
ここでは最初に「驚異」が提示される。
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・驚異の前史
ヘレフォード世界図:マッパ・ロンディ 1300年頃刊(2010年複製版) いきなり巨大な地図が現れた。142x120.
地図というものは正確でなければないほど、不思議な魅力(もしくは魔力)に満ちている。
正しい地図が生まれる時代になってからは、世界から不思議が半分ほど消えてしまったのではないかと思うくらいだ。

元々のは羊皮紙、この複製品が何に描かれたものかは知らない。
そして、マッパ・ムンディとは中世ヨーロッパで製作された世界地図を表す総称だという。
このヘレフォード大聖堂所蔵の地図はその中でも世界最大級サイズ。
地図をみる。
エルサレムが地図の中心にある。キリスト教の世界観に基づく地図だから中心はエルサレムとなる。左上に中国とインドが広がるが随分と小さい。
様々な不思議な生物が描かれている。マンドラゴラの植物まである。
700年前の世界地図には「山海経」から飛び出した奇奇怪怪な存在が素知らぬ顔で幅を利かせていた。
見た目のカッコよさに、この地図をプリントした旅行かばんが欲しいと思ったほどだ。
この地図を貼り付けたカバンと一緒なら、世界のどこへでも出かけられる気がする。

ハルトマン・シェーデル「年代記」1493年刊(2002年複製版) 一名「ニュールンベルク年代記」。こちらの本にも摩訶不思議な生物が描かれている。本当に面白い。
実際のところ中世の西欧ではどの程度これらの生物の実在が信じられていたのだろう。
1493年と言えばコロンブスが航海中か。
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ヤン・ヨンストン「動物図説:四足獣篇」1649-57刊(2006年複製版) こちらの本はもう開いたページだけ見れば完全に幻獣辞典。ユニコーンにグリフォンの図がずらり。
他のページでは実在の動物もいるが、この幻獣ページはやはり「驚異」。
とはいえ、実在動物でも他国にその実際の姿が知られていなければやはり幻獣となるか。
この本は江戸時代のさまざまな動物画にも元ネタとして使われていたはず。
とはいえ取捨選択が今から思えば東洋的でもある。

アタナシウス・キルヒャー「シナ図説」1667年刊 これもまた不思議な国の不思議な慣習や西洋から見て理解不能な宗教の絵がある。
仏教+道教な感じのカミ様とその信仰者たち。
西洋人から見たこれら風景画がもし実景なら面白いだろうな。
現代のわたしたちは過去の人々の想像・創造した不思議を更に不思議なものとして観ている。
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アンドレ・テヴェ「東方宇宙誌」1617年刊 これもまたロードス島の巨人像とか描かれているが、「見てきたような嘘をつき」どころではないわな。

これらの不思議な図を見ているだけでもう既にキモチが浮き上がってくる。
タイトル一つにしてもドキドキするようなものばかりで、このコーナーだけでも随分と楽しめる。

最後に一つどうやら想像が大きくなりすぎていない作品が出てきた。
シャルルロド・フェリオル編 版画集「レヴァント諸民族を描く版画百点の解説」1715年刊 四点が選ばれていた。みんなとても目が大きく描かれている。
ベイラムの日の礼服を着た大公 お付きのものたちと馬とが一緒。
インドの男性 ターバンを巻いてポーズをとる。
ペルシャの女性 背後で水煙草をくゆらす人もいる。身にみっちりの衣装を着ける女。
通りを行くアフリカの女性 これは北アフリカのイスラム女性のようで全身を布で覆っている。

・古代への憧憬
イタリーが集められている。
イタリアと表記するよりイタリーにした方がこの場合とても浪漫的。
「君よ知るや南の国」
それより数百年前の風景を想いながら画家は作品を生んでいるようだった。

ピラネージの各地風景が現れる。
トレヴィの泉 1751 横からの眺め。日差しの明るいある日の風景。
古代のマルスの競技場 1756 オベリスクがずらりと並ぶ。壮観。そして手前には色んな彫像が放置。中には両面を持つヤヌス神像、獅子像などなど。

ジュゼッペ・ニンチのアルビューメンプリント(いわゆる鶏卵紙)による風景写真もある。
こちらでも同じ場所を捉えている。
実際に自分の行ったところなので現実の風景を知ってはいるが、その現実の風景よりもこうした版画や写真の方が本当の風景(!)のように思えるのが面白い。

古代のフレスコ画もある。
たくさん並ぶよりも選ばれた少ない数のフレスコ画がここにあることで、その絵への憧れが大きくなる。

・ロマン派の旅情
そこに既に旅への想いがある。

カナレット ヴェネツィア、サンマルコ広場 1732 東京富士美術館 向こうで見たときは何も思いもしなかったのだが、ここにあることで存在の意味が変わる。
本当のタイトルは忘れたがRクレイダーマン「ベニスの旅」の曲が頭の中に流れ出す。
イメージ (48)

ウィリアム・ジェームズ ヴェネツィア、スキアヴォーニ埠頭 18世紀 東京富士美術館 リアルな風景画なのだが、そのリアルな筆致が逆にシュールな存在に見える力を持っている。現実から乖離した不思議な風景にしか思えなかった。

ターナーの版画がいくつか並ぶ。これまでターナーの風景に対し、あまりそそられることもなかったが、ここで見ているとこの地へ旅に出たいような心持になってきた。
これは絵そのものの魅力を「旅情をそそる」方へ向けたことで、わたしのようなターナーに関心のない者でも「ああ、いいなあ」と思うようにされたのだ。
並べ方・コンセプト一つで本当に違う結果が出る。

ヴィクトル・ユゴー 城 1853 インクで描いたもやもやした旧い美しさを見せている。
非常に額がいいのも目に残る。ギャルリー宮脇の所蔵だからか。ああ、この額でこの絵というのはすばらしい。
ユゴーは政治的な立場からフランス本土を離れガーンジー島に亡命したが、この絵はその前のジャージー島の頃か。
ユゴーも子供の頃から随分旅をした人だが、その娘アデルもまた「旅」を続ける人だった。わたしは彼の次女アデルを描いたトリュフォーの映画「アデルの恋の物語」を常に想い続けている。映画の中でアデルは凄まじい旅をする。恋の狂気に絡め取られた彼女は移動距離も場所も時間も何も考慮しない。
ピンソン中尉を追いかけてついにはアフリカにまで渡ってしまい、そこでとうとう完全な狂気の人となる。
彼女は自分が旅をしている自覚を持たなかったろう。だが、彼女の軌跡は激しく、凄まじい旅の果ては精神病院での数十年にわたる生活だった。
しかし彼女は心の中で常に何かに追われ続け、そして追い続け、旅を続けている。

ドレ 城の夕暮れ 山寺後藤美術館 油彩である。縦長の画面で夕暮れが描かれている。絵の奥に城があり、手前の林に赤衣の人が立つ。
一歩踏み出せば自分もこの林の中に入り込めそうな気がする。
しかしこの中に入ってどこへ行くのかはわからないままなのだが。

ここで映像を見た。
ドレの挿絵のついたサミュエル・テイラー・コールリッジ「老水夫の歌」1875年刊。
そのドレの絵を中川陽介という人が、自在にロングにしたりアップにしたり斜めにしたりと画像を動かして一種のアニメーションにし、映像作品に作り上げた。
振動を感じるような音声までついている。
とてもいい。この技法は昔の大島渚による白土三平「忍者武芸帳」を思わせる。
物語自体も面白く、挿絵もとても良いのだが、恣意的な選択がよく、われわれ観客は中川陽介という人の目を通したドレの絵物語を楽しめるのだった。

長くなりすぎるので一旦ここで終わる。続く。

一月の東京ハイカイ録 2

2日目。寒いけどマシですな。
朝の間に八王子へ向かう。下高井戸あたりで雪見つけたので鬱屈する。
さて八王子につきバスに乗って夢美術館で日本のポスター展を大いに楽しむ。
これはもう本当によかった。自分もこの分野が元々好きで色んな資料を集めたり見に行ったりしてるが、本当に良かったなあ。
わくわくしたわ。
終わってしまったけれどまた色々紹介したい。

新宿に戻る。多くの皆さんから早く都内に戻れという言葉を貰い、素直に聞く。
紀伊国屋の地下のうどん屋でカレーうどん。気合が入る。寒い日はこうでなくては。
それで新宿中村屋に入って堀潔や広重から笠松紫浪あたりまでの新宿を描いた作品を楽しむ。こちらもええのよ。わたしはこういう企画大好きだな。
堀の絵は前から見ていたが、ここまでたくさんは初めて。いいものを見たわ。

渋谷に出る。やっぱり地下迷路で迷う迷う。
ブンカムラでラファエル前派展。近年の展示の集大成的な展覧会だと思う。
89年に初めていいのをたくさん見て以来の感動というか、よかったなあ。
ウォーターハウスやレイトンも堪能できた。バーン・ジョーンズ、ロセッティ推しでないのもいい。

乃木坂から国立新。大原美術館の出開帳。これが素晴らしい。
まさかのギリシャやオリエントの遺物から始まる展示で、洋画だけでなく民藝もたくさん来てて、このラインナップは凄いなと思った。
東京でここまで大原の名品を楽しめるのはすごいわ。
倉敷まで行けない人はぜひともここで見るべき。

サントリーへてくてく。疲れて二重瞼が三重瞼になりそう。
「水」はサントリーのメインテーマだよね。
「水のかたち」。男山の石清水八幡宮あたりの写真は対岸の天王山からのだけど、その大山崎にはサントリーの立派な工場がある。関西人には親しい存在。
宇賀神まみれで、これはちょっと逃げたいな。弁天さんがいっぱい。
龍谷ミュージアムに巡回するらしいが、そちらにも行きたい。

時間的にフェルメールとレンブラントはムリやが、そちらは京都で見ているしな。
というわけで森美術館の村上隆の五百羅漢を見に行く。
ガードマンの人が親切にロッカーをお使いくださいと言うてくれはる。助かります、ありがとう。

わたしは村上隆の世評とか本当に知らないし作品ともほぼ無縁なので、シロートとして見に来て、結果的によかったと思う。
可愛い唐獅子、不気味でばっちくて「い…いんへるの」とか言いそうな五百羅漢たちだが、とてもよかった。





楽しく眺めたし気に入った絵は撮影もした。ありがとう。
横浜美術館の展覧会も期待している。

2日目ここまで。

そして3日目の日曜、昨日。
寒いけど快晴。横浜エキナカロッカーにキャリー放り込む。
うまいこと一つだけ空いてた。ラッキー。それで再び東海道線に乗って平塚へ。
寒い寒いというからか電車の暖房がぬくくて平塚手前までずーっと寝てしまっていた。

平塚市美術館へ向かうのにはいろんなルートがあるが、推奨するルートよりも自分にとって一番いいのが今回わかった。
真正面から行く、これだ。
そして郵便局の前の公園をちらちら見つつ、美術館へ。
ほんの数分多いかもしれないが、間違いようがないし、わびしさもない。
これが一番いい。
なんしかこの後に横浜ゴムの記念館も見に行けるし、バス停も近いしね。

平塚市美術館ではサラリーマンコレクターの人々「わの会」の人々が集めた「わたしの所蔵品」たる作品をみる。
これはもう本当に面白かった。絵画・彫像だけだったが、作品そのものの価値もさることながら、それ以上にコレクターの動機・嗜好・状況・人生観などが作品の背後に広がっていて、それがとても興味深かった。
この展覧会が200円だというのは物凄いことだとも思う。
いやもぉ実に面白かった。

横浜ゴム記念館を撮影した後、急いでいたのでバスに乗って駅前へ。まあこの位置からなら乗らなくてもいいんだが、亜脱臼した肩がアウトに近かったしね。

横浜経由で黄金町へ。
さるキリスト教系の中学の校舎が解体されるというので見学を申し込んでいた。
それに行く。在華坊さんをお誘いしての見学。
やたらと坂があるなあ。
色々とご教示を受け、なるほどなるほどと納得するが、例によってあちこちに飛んでゆくわたしの発言にヘキエキされたろう、と後になって反省する。

いや、いい建物を見ました。ありがとう。
1つ面白いのを発見しました。
非情ドア。ツイッターではまちがって非情階段にしたけど、まぁいいや。

駅でざいかさんとおわかれした後、わたしは横浜へ戻りそごうへ。
福井県立美術館の所蔵品を見に来たのだが、又造さんやパンリアルの作家たちの作品、日本芸術院の初期メンバーの作品などを見て歩いた最後に岩佐又兵衛がキターーー!
びっくりしたわ。こういうのはなかなかないわな。
いいラインナップをみたよ。

さて新横浜。そこから新幹線に乗る。
寒い寒いと聞いていたが、新大阪に着いたら本当に寒くてびっくりした。
それにしても東京での刺激はやっぱり大きい。面白かったわ。
その刺激の度が過ぎると早く大阪へ帰りたくなる。関西でのぬるま湯生活は気楽で明るいからね。
とはいえ刺激が足りないのでやっぱり東京へ刺激を…
2016年、今年の東京ハイカイ始めでした。

一月の東京ハイカイ録 1

一月の東京ハイカイは実質3日でした。
何でも西日本に最大の寒波が来るというのを聴きながらその西から東へ向かったら、意外なくらいに温いですがな。
いつも定宿への送迎バスを東京駅周辺で待つわけだが、どういうわけかなかなか来ない。
若い中国人家族と目があい、頷いたりしているところへようやくバスが来たら新米さんだった。バスは複数の宿を回るので宿の名を尋ねるが、その家族とは言葉が通じない。
さっき目があった奥さん、わたしに宿の名刺を見せたのでわたしが運転手さんに伝える。
バスが走りだす。えらく揺れる。キャリーバッグもガタガタ。するとそのそばに座っていたサラリーマンのひとがわたしのキャリーをずっと抑えてくれた。
親切が親切を呼ぶ。
やっぱりこういうことが大切だと思う。

さて初日。展覧会の感想はそれぞれ後日に。
まず北浦和へ出た。
埼玉近美の「旅と芸術」展に出かけたのだが、開館前についてそれからずーっと動けず。
ものすごく良かった。これはもう本当にすごくいい展覧会だった。
見たもののうち前々から知るものがあっても、それがコンセプト一つで全く違う存在になる。巌谷國士、さすがやなあ。

ホンマに凄い展覧会を見たコーフンが冷めやらぬまま埼玉で横浜名物サンマーメンを食べて、温かくなってから都内へ戻る。なんしか月曜の雪がよく残るのがこわい。
そう、わたしは雪とお近づきのない大阪人。

予定よりかなり時間が押してるのでいくつか変更。神田に出て三井記念へ。
これがまたいいもの揃い、三井家の貴族性を見せてもらったよ。
東洋陶磁美術館からわが麗しの君たる油滴天目もご出陳してはりますが、これがまた国宝コーナーでピカリピカリと光ってて、もう20年もお付き合いがあるのに初めて見知ったこともあって、なにやら気持ちはモズク状態ですな。
狙仙のエテさんも可愛い。能面も色々あり「花」の小面にこちらは共ににっ と笑ってみたり。

三越に行きまして吉野石膏所蔵のコレクションをみる。
吉野石膏はいつもいいのが多いから楽しみに出かけたら、なんとびっくりしたことに小川美術館の高山辰雄「聖家族」が吉野石膏コレクションに加わっているではないか。
吉野石膏はこうしてしばしば展覧会を開いてくれるし、大事に作品をまもってくれはるから安心ですな。
というわけでわたしは1993年の6月以来か、じっくりと「聖家族」26点を眺める。
ほかにはシャガールの連作版画「ダフニスとクロエ」もみる。ここのもいい発色。

外に出たらメトロリンクが向かい側にきていた。それで行く先が変わりとりあえず高島屋まで乗り、さくら通りをこえて東京駅へ。
丸ノ内でEXIC会員特典の東京サブウェイチケット1日券800円を購入し、ステーションギャラリーで現代の版画を見る。
この展示の前提条件を知らんまま見たのは却ってよかったかもしれない。
(後で原田マハが売り込んだ企画とかなんだかんだ)
デヴィッド・リンチの版画は興味深かったが、どうも映画監督が個人で製作する作品というのはニューロティックな感じがするな。ティム・バートンも黒澤も絵はうまかったが、リンチも悪くない。ただ、見ていて疲れる。

エキナカの駅弁「祭」で大好きなヒラメのエンガワ押し寿司を買ってから上野に出る。
東博はまだ金曜の夜間開館が再開していないので、兵馬俑は諦めて都美にボッティチェリを見に行く。

ボッティチェリ展、近年の集大成だと思う。去年のブンカムラでの展覧会やおとどしのウフィッツィ展でもボッティチェリのいいのを見たし、自分もフィレンツェでわーいわーいとなったが、本当にこれはすごい展覧会だと思う。
たぶんこれ以上の集められ方は難しいのではないかな、日本では。

最後に科博でワイン展。シャトー・カハクというのがなかなか楽しい。
ワインを飲まないからそんなに口惜しいというのはないけど、これはワイン愛好者にとってはイーッとなる展示ではないかな。飲ませろーっという怨嗟の声が聴こえてくるようだぜ。フレーバーワインのその匂いの元が紹介されてた。
いちご、グレープフルーツ、ピーマン、バラ。しかしバラとコーヒーのコラボはやめよう、目眩がしたわ。
ワインのラベルがいい。ピカソのミノタウロスにはじまりバルテュス、セツコも。そしてデルボーも描いている。他にもコクトーやローランサンのもあっておシャレ。
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なんだかやはり罪の匂いがするよな…

没年になるのかIMGP0189_201601250002469b9.jpg

ここで帰ったわけだが、エンガワの押し寿司、米がダメダメで今回酷かったなー。
新潟のメーカーのだが、新潟は米どころの筈なのにダメダメ。
ああ、びっくりしたわ。

というわけで初日ここまで。

京都大学阿武山観測所

二か月ほど前の雨の降る日に京大の阿武山地震観測所に向かった。
「バス降りてからはけもの道を」進めと言われては、ムリですがなと答えるしかないわたくしは、友人四人組で往復タクシーを利用した。摂津富田駅からたまたま同じ運転手さんだった。

元々は地震観測所だが、今はもうここでは測定してなくて記念館的な役割を負うているそう。
可愛らしい建物で、晴れてたら塔屋の方にも行けたのが残念。

外観
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一歩進む。
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ここから案内の方に「こちらですよ」と…

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で、またちょっとうろうろ。
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エリンギ???

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エリンギ柱

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やっと表札
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さて本当に中に入りました。
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この仄暗さがたまりませんな♪

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こういう装飾は好きだな。
三角定規 兼 くるくる画の出来るやつ +α みたいな。
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古写真
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再び外。雨はいよいよ激しい。
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今度は晴れた日に来てみたい。

京大 阿武山地震観測所で見た観測機器

ドイツ製のなど古い時代のとても優秀だった機器類を紹介する。
説明を聴くのも楽しかった。

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正直なにがなんだかよく理解はしていないのだが。

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実は半地下?かな、そくそくとこわくなってきたのよ…

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まあわたしにもう少しこれらを理解できるアタマがあればよかったのですが…
でも面白いのは確か。
よかったら開いてる日におでかけください。

近代建築 ものづくりの挑戦

先月末、良いものを観た。

既に終了しているが、スルーすることは出来ない。

入口

ここから常設へ向かう。

宇宙建具








波。


次に企画展へ向かう。

植物は柱を飾る。


羊もまた柱を飾る。


最初の銀行。






同時代の横浜のイギリス




同時代の建物の肖像。
三菱一号館


丸善


大阪市庁舎


高島屋京都店


一橋大学兼松講堂


丸ノ内ビルディング


三井本館


明治生命館図面








様々な装飾










大阪朝日新聞社 模型














鉄骨模型も綺麗。枢密院。










伊奈陶器の頃。






INAXライブミュージアムにある兼松講堂の柱頭テラコッタの復元


今は愛知県に巡回中。

小川千甕

東京で見て感想を書けず、京都文化博物館に行くのにも出遅れての小川千甕展である。
前後期で分かれているので見ていない分は確かにあるが、それはそれでいい。
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小川千甕は六角御幸町あたりの書肆の子で、実家は旧幕時代には貝原益軒の著作なども出していたそうだ。
徒弟として仏画を習いに行ったり、浅井忠のところへ洋画を学んだり、と若いうちから様々な分野・技法の絵の修業に励んでいた。
14歳頃に描いた仏画を見てびっくりした。すごくうまい。うますぎる。
やはり絵の達者というのは違う。
時代は違うが、安井曾太郎、手塚治虫の描いた昆虫画を見たときも、あまりのリアリズムにびっくりしてしまった。今回もその巧さに驚いている。
基礎が出来ているから後年の好きな線・自由な彩色も<頽れ>という感じはない。

浅井忠に学んだ「らしさ」の出た風景スケッチがいい。
水彩画で京都のあちこちを描くが、それが賑やかでない場所ばかりなのも面白い。
京の町ナカ育ちの少年がわざわざ「なにもない」場所を選る。

路地といえば京都の「ろぉじ」かと思いきや、彼はチマチマしたものは描かず、どこが「路地」やねんと言いたくなる道を描く。ちょっとこの辺りの命名の意図はわからない。
林道にしかみえない路地もあれば、おそらく左京区のだと思える路地もある。知恩院の手前のような感じ。
秋の神泉苑、小舟の浮かぶ舞子付近、薪を担ぐ人々のいる貴船風景などなど。

佐倉市立美術館にスケッチがたくさん所蔵されているのをみて、随分前の展覧会を思い出した。浅井忠らのもあったのではないかな。
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2.京都での修行その弐 日本画とデザイン

図案をいくつもみる。
アールヌーヴォー風味のものが少なくない。
ヨット、ウサギなどをモチーフにしたもの、大津絵をモチーフにしたものもある。
ここらが浅井忠ゆずりのような感じがある。
浅井忠は日本にアールヌーヴォーの魅力を広めた一人。

図案で鍛えられた成果というか、獣類之絵小皿というシリーズ物があるが、それがまたとてもいい。
ゾウ、ウマ、ウサギ、キツネなど。
浅井忠は戯画や可愛い童画風の絵も上手だったから、弟子筋の者もこうした絵付けがわるいはずがない。

ところで千甕も霞ヶ浦あたりが随分お気に入りだったようだが、竹内栖鳳と言い、洛中生まれの人がなんでまた東国のひなびた水郷地帯に深い郷愁と言うか愛情を懐くのかが、とても興味深い。自分らの育ちと全く無縁な鄙に好感を持つ…このあたりの心もちをわたしは絵を見るだけでは本当には掴めない。
もし話し合えるのなら、ぜひとも尋ねたいのはこのあたりのことかもしれない。

三幅をみる。東京では二枚だけの展示だった。
霞浦春光(右)、東海道(中)、筑波秋色(左) この中で特に気に入ったのは東海道の図。
往来を急ぐ人々、土手に上がり一休みする人々、様々な人間の姿がある。
一休みの連中のうち、月琴を持つ女がいて、これで大体明治中期位までの時代設定だと推測する。風俗考証を想うのも楽しい。

浅草寺の図 和やかでいいなあ。可愛い。童画のような愛らしさ・和やかな心地よさが生きている。
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3.東京、そしてヨーロッパへ
1913年のツアー。オランダ、フランス、ドイツ、英国、イタリー…
それぞれの国で受けた刺激を明るくダイナミックに描く。

イタリーの僧院中庭、インドの踊り子、ベルギーの牛乳売りの犬の車引き…パトラッシュまるまるやんか。

帰国してからも元気な絵を描いている。
そしてそのエッセイがかなり面白い。
ルノワールに会いに行き、そのことを書き残している。曰く「白髯がじじむさい」「死体のような老爺」「うふっと老人めいた笑い声を漏らす…
文体は違うが芥川の「枯野抄」を思い出した。

風俗画をいい感じで描いている。
千住大橋、清水寺の春、西洋風俗大津絵などなど。
三越のウェイトレス、乗り合いバスの女車掌、ダンサーなどなど。
わたしはやはりこうした童画風な作品がいい。
金魚と子供たちイメージ (47)
なんとなく幸せな心持になる。

4.縦横無尽の時代へ 日本画家・洋画家・漫画家として
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大公孫樹  これはなかなかきもちのわるい絵で、木の根もとにたくさんの絵馬が埋められていて、それらがみんな乳の出がよくなりますようにと言うもの。木はあくまでも背高く、人に無関心に伸びている。

仙人の絵が増えている。 不思議な闊達さを感じるものばかり。
鉄拐、黄初平らの元気さがいい。

西行桜を見る人々をロングで捉えた絵もいい。こういうのをみると、千甕が南画の方へ行くのも理解できる。
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5.昭和の南画家として
爛柯故事 二人の老人ではなく二人の同時に置き換えられている。

蘭亭曲水 にぎやかな様子をロングで捉えてそのいいキモチの会合を描く。
戦後になっている。

南画がその時代に合わないことを痛感する千甕。
日本画の滅亡もその頃に言われていたしなあ。むつしかしい時代の流れがある。
彼は最後に自画像を組み入れた大物の絵を世に出した。
楽只 楽しそうでいいなあ。

南画を見ているうちに思ったことがある。
絵本作家でイラストレーターの井上洋介。
彼の絵で多少グロテスクさを含んだもの、あれは現代の南画だったに違いない。

まだまだ言うべきこと・ 書きたいことも少なからずあるが、今回はここまで。
いい回顧展だった。
1/31まで。

日本のふるさと 大丹後展 /「木賊山」/文博界隈の歴史と文化

出遅れどころか最終日寸前にしか行けなかったのが「日本のふるさと 大丹後」展だった。
ちょっと勘違いしたのでこうして行き遅れてしまった。
京都文化博物館で1/17に終了。
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丹後と言えば縮緬とカニ。いやむしろカニ。蟹。かに。
さてそうは言ってもカニは冬にしか食べられない。
展覧会を観よう。

1.交流

丹後には弥生時代の遺跡も多く残り、今回見ただけでも青の管玉などがたくさんあった。
京大と東大の総合博物館がそれぞれいくつかずつ出していた。
どちらも可愛い。
中には昔の電電公社のマークを思わせるような形の腕輪なども出ていた。黒い石で出来ていたから削り出したのかもしれないが、十数個あるそれらは形を変えることがなかったので、一斉に作られたものかもしれない。

与謝野町からは小さい犬の埴輪が来ていた。本当に小さい手のひらサイズで、これはもう作った古代人が自分の楽しみ・哀しみのために愛犬を象ったように思えてならなかった。

続日本紀、日本紀略、扶桑略紀、日本三代実録などの書物も出ている。いずれも江戸時代の版本である。丹後に関する話のところをピックアップしている。
幕末の印刷物は書体もわかりやすいのでけっこうよく読めたりする。
契丹が渤海国を滅ぼして東丹国を興したとか、ウルルン島あたりの漂流とかそんなことが書いてあるようだ。
ネットなどでちょっと調べるとすぐそのあたりのことがいくつか出てくるようになったが、実際のことがわかるまでには千年がかかってもいる。
史書と遺跡と第三者の証言というのは同時に揃わないといけない。

1837年に奉納されたミニチュア(というてもかなり大きい)和船がある。溝谷神社という神社に収められているものだ。
この神社は今の竹野にあり、新羅明神を祀っている。朝鮮との位置関係(物理的な距離感と対人的な感覚と政治的な関係)を想うと、ここにその神が奉じられているのが非常に興味深い。

実際、幕末の朝鮮人漂着関係文書も出ている。こういうのをみると「夜半に怪しい船をご覧になった方は」一報するようにという看板を思い出す。
日本海沿岸では漂着というのはナマナマしいリアルさを持っていたろう。
出雲神話のアメノヒボコの話にしても根は同じなのだ。

大正になりこの界隈に鉄道が敷設され、その時刻表なども出ていた。
そういえばわたしが丹後に行くとき、大阪からは車でばかりだった気がする。
というより、現状を考えるとやはり丹後へは車が便利なのだった。電車は微妙にずれている気がする。

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2.伝説

丹後半島には非常にたくさんの有名な伝説が残る。
まず誰もが知る「うらしま」である。
これも本来は「浦の島子」という青年が誘われて常世の国に行くという話から始まるのだが、海上他界=竜宮となり、「うらしまたろう」として亀を助ける話に変わった。
どちらにしろその浦島がいた(!)のは与謝という設定である。
丹後風土記に原型があり、雄略天皇の頃に出かけた人だというから本当に昔々の話になる。
西暦で言えば478年だと注釈もついてくる。
そして300有余年後に戻ってきたというから、もう世は天平か。いや、平安に近い頃か。

明治になってから海外向けに刊行された「ちりめん本」などが数種出ていた。
1886年の英訳では「The Fisher Boy Urashima」、1897年には「Ourashima」になる。
大正から戦前、戦後のこくご教科書に載る浦島を見比べもする。

大江山の鬼退治もこちらの話になる。与謝野町、福知山市、宮津市にまたがる連山なので、必ずしも一つの嶺・一つの谷の山を言うわけではない。
しかしそうなると洛中からここまで来た源の頼光一同、たいへんな労力だったことがよくわかる。

聖徳太子の異母弟にあたる麻呂子親王の説話もこの地に残っている。
彼もまた鬼退治に勤しんだというから、やはり異人伝説ということを考える。
縁起絵巻も似た感じ。
等楽寺縁起では白犬が現れる。

「さんせう太夫」も決して忘れてはいけない。1722年の版本では丁度母と姉弟が船で隔てられるシーンが出ていた。泣き別れの母子である。
姉弟はその後丹後に売られ、母は佐渡に売られる。弟は姉の犠牲と観音の守護により天王寺に逃れ、やがて梅津院の庇護を受ける。
復讐が果たされるのは都に於いてだが、丹後での悲惨な暮らしは延々と物語を貫く。

他に観世流の謡本が数冊並んでいた。いずれも丹後とゆかりのある演目。
丹後物狂、大江山、天橋立、浦島…
丹後には他に羽衣伝説、徐福伝説もある。
松本清張「Dの複合」の紹介もあった。これも今の京丹後市が舞台なのだそうだ。

ところでこの京都文化博物館が管理する「京の百景図」などのシリーズ画で丹後を描いたものを思い出すと、やはり経ケ岬の様子が浮かんでくる。近年では2013年に八幡市松花堂美術館でも見ている。
その時の感想はこちら
やっぱりどうしても「新八犬伝」の犬阪毛野とさもしい浪人・網干左母次郎の対話が思い浮かぶのだった。

3.霊地

木造扁額が2面。いずれも籠神社所蔵。天橋立の方の神社で、ここと成相寺とを行くコースが結構あるように思う。
さてその扁額のうち一つは小野道風、一つは藤原佐理の書らしい。
「正一位 籠之大明神」。

不動明王二童子画像もある。アウトラインを全て梵字で描いている。マメなことです。

4.生産

これが問題である。
冒頭に挙げたようにカニは冬になると多大な需要があるが、それは第一次産業である。
丹後ではかつては第二次産業が盛んだった。
つまり丹後縮緬などがそれにあたる。

戦時中までは和装がメインだったこともあり、更に軍需産業とも縁があったのでその頃はよかったかもしれないが、零落は隠しようがない。
なんとか西陣共々がんばってほしいと思うのだが…

婚礼衣装があった。黒縮緬地御所車花扇模様振袖 とても優雅な着物である。

ここで解説文の解釈が出来なくなった。
「昭和五年、兄と妹が婚礼を挙げたが」…あらら。
「妹は京の名家に嫁いだが」ああ、そうね。
一瞬わたしは西陣が舞台の「兄妹心中」を思い出してしまったではないか。

最後に現代の見事な作品が出た。螺鈿織打掛である。2005年。布地が箇所箇所によりキラキラしていた。

いいものがたくさんあったのに惜しいことをした。
もっと宣伝してくれたらよかったのに。
見ることが出来て、それだけでもよしとするしかないか。

麗しき日本の美 雪月花

細見美術館のコレクション名品選を見に行った。
「麗しき日本の美 雪月花」
わたしにとっては今年二つ目の「雪月花」である。

雪 清浄なるとき

雪中花鳥図屏風 伝・狩野元信 墨絵とはいえ孔雀の顔には朱が差している。まるでキジですがな。
四羽の叭叭鳥が集まっていたり、鷺が飛んでくる・集まっているといった状況で、この辺りが鳥の楽園なのがわかる。よく肥えた目白も三羽ばかりいて、どことなく平安。

雪中花鳥図屏風 こちらは二曲一双で江戸前期 冬薔薇が咲くその上に雪が積もり、朱を隠す。蔦紅葉にも雪が覆いかぶさり、鳥たちは雪の間に顔をみせる。

紅梅図 抱一 枝の墨はやや薄いがしっかりしている。背中のように。そこから紅梅がちょこちょこと顔を見せている。

雪中竹梅小禽図 其一 双幅 左は雪もち竹にとまる雀一羽。顔を右に向けている。
それで右の軸をみると、竹から不意に雪がバサッと落ちたようで、二羽の雀があわてて飛び立つ様子が描かれていた。つまり右の二羽のあわてふためく様子を左の雀がクールに見ているという情景なのだった。
普段は←という視線で日本画をみるが、これに関しては→と見る方が楽しいのだった。

歴史や故事から題材をとった絵もある。
清少納言観雪図 守一 例の「香炉峰の雪」、丁度簾を持ち上げるところ。

雪中常盤図 市川其融 描表装で雪持ち松から飛び立つ雀らが描いている。そしてその様子を見上げるような常盤。子らは寒さに手をはぁはぁ。


月 風雅なるとき
 
簾に秋月図 渡辺始興 簾越しに月が見える。そしてその下では桔梗がちょこんと顔をのぞかせる。可愛いなあ。
幾本も集まると、桔梗はおしゃべりな顔になる。

月に露草図扇面 芳中 月が力強い。銀泥で刷毛目を見せながらぐいっと下から上へ円を描いての月。

弓張月図 其一 右に鵺退治を仰せつかり待機する頼政。キッと空を睨む。左には三日月。その下をホトトギスが飛ぶ。
杜鵑一声。

江戸近郊八景図画帖 池田孤邨 元ネタは広重の浮世絵だが、狂歌と楽しそうな人々は抜かされている。つまり場面だけなのだが、そうなると確かに観光ガイド化する。叙情性もなくなる。しかし情報は届く。

年中行事図巻 冷泉為恭 1843 七夕の乞巧奠。笹を集めた檻のようなものがあり、その周りに貴人ら。

対幅のように並べた月と秋草の雅さを楽しむ。
武蔵野図 其一 1852 ススキがわぁわぁと集まるその中空にゆったりと薄い月が昇っている。金泥と雲母とできらきらする、薄黄色の世界。

月に薄図 道一 明治になってからの琳派。こちらの月は銀が酸化して黒くなっている。薄の穂は薄く紅い。
薄の穂先が赤いのは妙に官能的でもある。

月梅図 沖一峨 おや久しぶり。月下に白梅。何がどうとは言えないが、妙な迫力がある。

夜鷹図 北斎 二日月のかかる夜。柳の下でぼろ傘を抱えて立ち尽くす女。少しばかり首をひねっている。コウモリが二羽ばかりとぶ。
今日はいくらぐらい儲かったのだろう…

月に秋草図色紙 雪佳 桔梗が三つばかり咲き、女郎花も顔を見せる。間の取り方が絶妙。

ほかに蒔絵工芸品が三つ。
秋草に鹿、小倉山、武蔵野。小倉山にも鹿がいる。
ああ、わたしはジビエのことを考えている…

花 華やぎのとき

北野社頭図屏風 蹴鞠を楽しむ人々もいる。一軒挟んで左右から坊さん・尼さんらが出てくる。これは示し合わせなのか偶然なのか。道には盲人師弟もいる。
紅梅が咲いているのも北野らしくていい。若い奴らは馬の乗り比べをしている。ナンパもしている。これは5対5だから合コンになるか。
野宴もしている。けっこう人もたくさん来ているので人々もそれぞれ好きなことをしている。カルタ遊びをしたり笛を吹いたり。
茶店もあれば髪結いもいる。にぎやかな北野界隈。
むしろ今より人も多いかも。
北野白梅町のデイリーカナート、嵐電の駅、うむ、こっちのほうがバタバタ。

遊楽図扇面 三枚 一は機嫌よく舞う様子で、宴席なのだが浮かれ気分が大きいのか、島台を頭に乗せるのもいれば、碁盤を担ぐのもいる。
一はふらふらと歩くところ。一は揚弓で遊ぶ若い奴ら。
要するにすごく享楽的で、明日なんかどうでもいい感じがある。

桜に小禽図 抱一 瑠璃鳥が止まる。薄目の色にメリハリが生まれていい感じ。

二枚の桜下花雛図 其一と守一と。どちらも枝垂桜がモチーフになっている。そして花の立雛。菜の花と蓮華と。居場所はそれぞれ逆の位置。

桜に白鳩図 道一 1907 細い枝に肥えた白鳩が止まるのだがそのシンプルな鳩の造形が可愛い。

花は桜木ということでここでは桜の文様ばかりである。
遊楽図高坏 皿部分には金地に白波、下部に幔幕前で舞う女達。
枝垂桜蒔絵重箱 葉は銀なので酸化して黒くなり、その重みが心地よくもある。
引手金具も桜モチーフのものが四点並ぶ。
手桶に桜、花筏、五色の色違い、金色のものなど。
他に棗と雲錦文茶碗、肩衝釜もあった。

歌ごころと四季の美

定家がまず現れる。
月次花鳥。乾山の昔から多くの人が定家詠月次花鳥をモチーフにしてきた。
その硯箱、色紙。
伊勢物語のかるたもある。
幕末から明治の野崎真一の絵の可愛らしさがいい。
雪佳の「河内越」、光悦&宗達ブランドの和歌断簡などなど。

四季歌意図巻 其一 四季折々を特定の人々で示す。
春―業平 桜の時期に川のほとりに佇む。
夏―人麻呂 苫の見える浜辺。 
秋―西行 白い富士、紅葉の野を往く。
冬―定家 舟橋を渡る貴人。

最後に猿の絵があった。狙仙である。
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母子の猿の情愛を露草生い茂る中で描く。
これはわたしの今年の年頭あいさつに使った絵でもある。

工夫の凝らされたものを見るのは本当に楽しい。
何ら装飾品のないものを見る味気なさ、それに疲れたらこちらへ戻ればいい。
雪月花の美は不変なのだから。
1/24まで。

まちがやってきた!

既に終了したが大田区郷土資料館で「まちがやってきた!」展を見に行って好きなものをぱちぱち撮らせてもらった。
ただしこの大田区には「馬込文士村」がある関係上、そちらは撮影禁止である。

ところで「まちがやってきた」のは大田区のことで大田区に多くの事象・事物がやってきた、そのことを写真や資料で紹介している。
学校がやってきた!工場がやってきた!災いがやってきた!…といった具合である。

市民生活の始まりの頃
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こういうのもいいかも。

ちゃぶだい大接近
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わりとわたしの好みのおかずやな。

台所グッズの紹介
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郊外に持ち家をローンで、というのは阪急の小林一三の発案。
その弟子と言うか弟分の東急の五島慶太も同じことをした。

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大森は海苔の産地
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麦藁細工もあり〼
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町のしおり
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鳥瞰図などなど。
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電車も可愛い。
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田園調布駅の模型
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「ちよだ」誌
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こちらは蒲田撮影所グッズとその模型
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まちの様々な表情
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このあたりからがっこうの宣伝。
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こちらは東工大の配置模型
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いいものをいろいろみたなあ。
明るい大田区でした。

それからこれはおまけ。乱歩のお蔵の様子。
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これは別なところで撮ったものだけど、データが続いていた。

縄文から古墳時代までの兵庫

先般、加古川の土山に行った。
兵庫県立考古博物館に向ったのだ。

実に立派な建物に楽しい企画展と常設室があり、大いに楽しんだ。
このあたりはヒョーゴスラビアのハリマニアに当たる地域で、遺跡も多い。

狩猟の時代

ぱおーッ 
なに象がいたのかは知らない。
こないだはナウマン象も見つかったらしいが。
そういえば、明石原人というのもいたな。

狙う人々
 
誰を・何を狙うかはなぞ。

漁業もやって〼

こちらのこの罠はもう阿房宮の昔からありますわな。

考古関係の展示はキモチがギャートルズになるので、マンモスのステーキが食べたくなるのだった。
それにしても土山駅からの道も色々工夫されていて、いい感じのところだった。
また行きたくなる博物館なのだった。

旧京都電燈会社(モリタ製作所)

伏見のモリタ製作所におじゃました。
ここは旧京都電燈会社を大事に使われている。
モリタといえば歯科医療器具の最先端を供給する会社だが、その機器をこちらで製作・展示されていて、歯科治療に関心のある私などはたいへん楽しく内部も見物させていただいた。

とりあえず外観を挙げる。
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青空に映える煉瓦造りである。
左右をみる。
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白い部分がリズミカルな調和をみせる。
可愛い窓。
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いい△である。
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矯正器具を嵌めているように見えなくもない。

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ピシッピシッと窓を抑える。

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大事に使われているのがとてもよくわかる。

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どこをみてもかっこいい。

IMGP0191_20160115223550549.jpgいい積み方である。

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いい配線。
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ありがとうございました。

内部の写真はwebにあげるの可能なのだが、以前にツイッターで挙げたものばかりになるな。
今回は赤煉瓦のみにしよう。

さてここから少し歩く。黄帝ダリアが咲き乱れる川のほとりにある煉瓦の建物を訪ねる。
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今は使われていないのだったかな。

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マークが可愛い。Goodデザイン賞のようだ。
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京都には赤煉瓦の建物がけっこう残っている。

赤穂市立民俗資料館(旧赤穂塩務局庁舎)

赤穂は塩の国だった。
この建物は明治38年に塩の専売法が施行されたことで設置された。
明治41年の完成である。
採れた塩の管理などに携わる塩務局の建物を、昭和の末ごろに転用した。
イメージ (33) イメージ (34)

















玄関まわり




玄関の真上






扉や窓の意匠。




裏手に。










赤レンガ倉庫、可愛い。










木の倉庫も。


最後に


ペパーミントグリーンの壁が眩しかったなあ・・・

旧大阪教育生命保険会社社屋(現オペラ・ドメーヌ)

明治の末に高麗橋に建った辰野片岡設計事務所の建物。
長く大中証券としてあったあと、フレンチの店の時期を経て、結婚式場になった。
今日はそこへおじゃました。

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見るからに辰野金吾という外観である。

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正面玄関あたりを上から順にみてゆく。
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創建当時の写真がある。
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かなり違う。しかしこの塔屋があったのはごく短期間だったそうである。

中はもうかなり改装されていて、当初の名残はごくわずかだが、それをうまく使っている。
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このステンドグラスも本来は別な個所に使われていたものだが、巧く玄関扉の上部とサイズが合致したのでこちらへ。
とてもいいと思う。

とても寒い日だったので暖炉に薪をくべてくださった。
本当の薪の暖炉である。
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鉄窓
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照明器具は現代のものだが、漆喰細工は当時のもの
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チャペルは二階にある。
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キャンドルは本物ではないが焔が揺らぐようになっていた。
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廊下の照明。
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各室の壁紙。
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ガラスにも文様が入る。
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素敵な階段である。
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ドアの鉄装飾
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いただいたデザートのプリン、焼カラメルともどもとてもおいしかった。
いい使われ方をしていて、嬉しい。

昼の浜寺公園駅と夜の住吉大社界隈

何度か浜寺公園駅を撮影しているが、久しぶりに出かけたらよい天気だったので嬉しくなり、また撮影した。
辰野金吾の設計。

ホーム内の天井トラス
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ホームから眺める。
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駅舎の天井
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柱などもやはりいい。
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駅舎本体
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向かって右の資料室。元は貴賓室だった。
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屋根の感じのよさ。
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いつまでも堅固でいてほしい。
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冬なので五時半は真っ暗。
住吉大社に行った。
夜の太鼓橋
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自分でも上ったが、やはりここを上るのはなかなか怖い。降りるのも怖い。だからよくこの橋で初詣客は誰も怪我せずにゆけるのはスゴイと思う。

太鼓橋はやはり昼の方がその形がよくわかるか。
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遠くにちらりと露店の灯り
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ここでもえべっさんをしていたのだ。

手水のうさぎさん。IMGP0017_20160114232424d36.jpg

阪堺電気軌道の軌道
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まもなく無くなる住吉公園駅への軌道IMGP0020_20160114232428b75.jpg

右の軌道は天王寺駅前行き。
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わたしは左の恵美須町行に乗って今宮戎に向かう。
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待合場所
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過ぎ去る天王寺駅行。
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恵美須町行はなかなか来なかった。
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今宮戎は凄まじい人ごみで境内に入るだけで精いっぱいだった。
またいつか訪ねたい。

地球から去って行ったボウイ

デヴィッド・ボウイの訃報が入ったのは1月11日の午後だった。
亡くなったのは1月10日、NYで家族に見守られながらという報道があった。
時差があるにしても速報だった。
自分の感覚では同日感がある。
そしてボウイはその二日ほど前の1月8日が69歳の誕生日で、新譜の「★」を出したばかりだった。

8日はツイッターでボウイの誕生日を祝い、「いつまでも綺麗」とか「首まで埋められたり(戦メリ)、シワシワになったり(ハンガー)、無理矢理地球人にされる手術を受けさせられたり(地球に落ちてきた男)いろいろしてきたけど、やっぱりいつまでもカッコよくて素敵!」というところで意見が大方一致していた。

だから最初にニュースを知った時は本当に「えっっっ!」と叫んでしまった。
誕生日を迎えたばかりで、新譜を出したばかりで、何故死ぬのか。
最初の速報が出たとき、わたしは高校ラグビーの決勝戦に夢中になっていて、全く気付かなかった。いや、それ以前にその速報はまだ入ってこなかった。
ラグビーの後は高校サッカーの決勝を少しだけ見て、ちょっと用事で出かけようとしたときに、TLを見て叫んだのだ。

多くの人々が衝撃を隠さなかった。信じられない、という言葉が大きく、誰も「お悔やみ申します」という言葉を使わなかった。
わたしも信じられなかった。
だが、疑いようのない事実としてボウイの死という現実がある。
この衝撃は大きい。
わたしはそれから3時間ばかりスマホを持たずに、一切の情報を遮断して外にいた。
事態が好転するはずがないのはわかっていた。
だが、触れたくなかった。

やがて七時のニュースでNHKはボウイの死を告げた。
わたしは自分の持つボウイの紙媒体をスマホで撮影し、それをツイッターに挙げた。
1981年夏に出た「ALLAN」10月号のボウイ特集号である。

まだ中学生だったが、既にわたしはボウイのファンだった。
それでこの雑誌を買い、中身がよかったので以後はこの雑誌の終刊まで定期購読し続けた。
もう35年近く経つのでだいぶ傷んできているが、いい紙だったのか中は元の白色を保っている。
本の表紙にはこうある。
「彼の花よ、散るなかれ」
35年後の今、その言葉を反芻している。
「彼の花よ、散るなかれ」
生そのものを言うのなら彼は散ってしまったのだが、彼の華やかさ・美しさの象徴たる花は散ったとは到底思えない。

最初にデヴィッド・ボウイという存在を知ったのは1978年だと思う。
まだ小学生だったわたしは大和和紀のマンガ「アラミス'78」の作中で主人公たちが「ピーターと狼」のLPを聴こうとするシーンを見て、それで彼の名を知った。
実際にボウイの音楽を聴いたのはその直後で、そのときに苦い記憶があるだけに、決して忘れることのない人になった。

本格的に洋楽を聴きだすようになったのはやはりMTVの放送があったからだ。
二つばかりの番組があり、どちらも民放で一つは開局したばかりのTV大阪での放送だったように思う。
うちの母などはFENを聴いて育ち、プレスリーに衝撃波を喰らった世代だからアメリカ一辺倒で、オジなどはビートルズが神様だからまたわたしたちとは違った。
わたしはグラムロックの全盛期に洋楽を聴いていたのだ。

実に多くの歌を聴き、PVを見た。
三つ下の妹と一緒に見ていたが、妹はどういうわけかブリティッシュ・ロックにはいかず、アメリカの方に奔った。
同じ番組を見ていても違うものだと思ったが、だからかわたしがボウイの素晴らしさを説いても決して受け入れない。

あるときFMで一挙に数時間ボウイの特集があり、当時主流のカセットテープで録音し、繰り返し聴き続けた。
そのことについて書きたい。

80年のアルバム「SCARY MONSTERS」の中の1曲目「IT'S NO GAME (PART 1)」はいきなり日本語だったので衝撃を受けた。
これは歌というより語りというか叫びで、決して文章としても滑らかではないのだが、とても印象深い歌詞だった。
「シルエットや影が、革命を見ている もう天国の自由の階段はない
俺現実から閉め出され、何が起こっているか分からない
どこに教訓はあるか人々は指を折られている こんな独裁者に卑しめられるのは哀しい
新聞は書きたてるさ!難民の記録映画 標的を背にした恋人達 道に石を投げれば粉々に砕け、昨日に蓋をすれば恐怖は増す 俺の頭に弾を撃ち込めば、新聞は書きたてる」

この日本語のナレーションのはざまや後にボウイの歌声が聴こえてくるのだが、まさか日本語が入るとは思わなかったので巨大な幻惑の底に突き落とされた。


3曲目「SCARY MONSTERS」のカッコよさにもシビれた。
当時少年サンデーで石渡治が「火の玉ボーイ」を連載していたが、話のタイトルを全て歌から採っていて、主人公が凶暴な力を見せているときのタイトルにこの「SCARY MONSTERS」が使われていたのも忘れない。

4曲目は「ASHES TO ASHES」で、これはもうそのPVの幻想的なカッコよさにドキドキした。

今でも時々歌声と共に映像が脳裏で再生されるから、よっぽど好きだったのだと思う、自分が認識している以上に。
後年、音楽から離れ(耳の都合という状況がある)、美術に向かった最初期に洋画鑑賞修業の場として選んだ先にブリヂストン美術館があった。
そこでピカソの美しい「腕を組んですわるサルタンバンク」を見た。これは新古典主義時代の代表作のひとつで、ピカソの作品の中でも特に美しい青年の絵である。
このサルタンバンクは化粧はしていないしシンプルな衣装で座るのだが、どうしたわけかわたしにはPV「ASHES TO ASHES」でのボウイの美しさを絵画化したらこうなる、というような観念がある。
おそらく、多くの画家の描く「美しい青年」=ボウイという数式がわたしの中で固定化していたのだと思う。

わたしの中での現実を生きた美しい男性とは、ボウイ、金子國義、ピーター・オトゥール、東千代之介、若い頃の草刈正雄、アラン・ドロン、沢田研二に尽きる。
描かれた美青年・美少年は無限にいても現実にいた美しい男性は数少ない。

話を戻す。
映画「クリスチーネF」のサントラが流れた。
映画にボウイが出ていた。本人役である。これは薬物中毒の少女のドキュメント映画だった。ただし、わたしは見ていない。
映画には「HEROS」「V2 SCHNEIDER」「LOOK BACK IN ANGER」などが使われていた。
中でも「V2 SCHNEIDER」は薬物中毒のときに使われたのではないかと思っている。

これは幻想的な曲想がそう思わせるからだというのもあるし、もう一つ誠にボウイには申し訳ないのだが、81年にラジオドラマ「コインロッカーベイビーズ」を聴いたわたしの中で、あのドラマに使われたローリングストーンズの「We Love You」が脳裏にあったためにか、そんな予想をたてている。
いつか映画を観よう観ようと思いながらとうとうこんなに遠い所に来てしまった。
今さら薬物中毒の少女の映画を見る根性はない。

テープは伸びるものだ。
間延びしたり雑音の入ったボウイの声は聴きたくなかったので、ある時期からそのテープは聴かなくなった。
だが、あの時の幸福感は今も体のどこか、たぶん細胞質の中に潜んでいて、ときおり表面へ浮上することがある。


やがて83年、この年はまさにデヴィッド・ボウイの年になった。
わたしは高校生となり、映画と洋楽とマンガで活きていた。
大島渚監督の「戦場のメリークリスマス」の封切りがあり、友人らと複数回見に行った。
というより正直に書くが12回見に行った。
これは今のところ同年の「ジェダイの復讐」、後年の「陰陽師2」、阪本順治監督の「新・仁義なき戦い」と並ぶ記録となった。
(それに続くのが「さらば、わが愛 覇王別姫」)

ボウイにときめきすぎて苦しい時間を過ごし、しかし何度も見ずにはいられなかった。

この「戦メリ」については書き始めると無限になるのでやめる。
要するにわたしは中毒していたのだ。
それを今もわるく思うことはない。

ボウイは同じ年にアルバム「Let's Dance」をリリースしたが、わたしはこの中の「CHINA GIRL」に特に熱狂した。

そして「CAT PEOPLE」にも強く惹かれていた。
こちらは映画のテーマソングで前年のロードショーだったように思う。
はじまり方がまた荘厳で、それから徐々に恐怖に似た粟立ちが全身に走り出すような音楽だった。
またこの時の半ばくらいのボウイの声の出し方にも強く惹かれていた。
大きく口を開けているのを感じていたからだと思う。

ボウイの歯並びはあまり好ましくないが、しかし彼が大きく口を開けて歌う顔は非常に魅力的だった。
官能的というより、むしろ健全な強さを感じ、そこにひどく溺れた。


「音楽専科」という雑誌に「8ビートギャグ」というマンガがあった。
これは同じデヴィッドではあるが「JAPAN」のボーカル・デヴィッド・シルヴィアンを中心にしたブリティッシュロックの人々を3等身キャラにして描いた、今でいうフジョシ向けの作品だった。
わたしなども非常に好きで、いつも楽しみにしていた。
その中で「戦メリ」後のネタがなかなか面白く、今も忘れないのがある。
要するにデビ・シルの「でびちゃん」は教授がボウイにキスされてたので面白くない。
自分もそのことを意識した行動をとる。そこへボウイが来て教授は板挟みと言う話だった。
あともう少し続くがこの話は措いておいて、この80年代はやはり洋楽が日本で大いに愛されていた時代だったと思う。
そしてその中心にボウイがいた。

ボウイはパントマイムを身に着けていた。
だから「戦メリ」でもそうしたシーンがある。
役者としても非常に魅力的だった。
「地球へ落ちてきた男」では宇宙人を演じていたが、可哀想に拷問に近い扱いを受け、地球人にされてしまうが、そのあたりのボウイの可哀想さはちょっと類がない。

「ジャスト・ア・ジゴロ」でもボウイは可哀想だった。尤もそれを言うなら「戦メリ」でもボウイは可哀想なのだが。
わたしはこのポスターのボウイもとても好きだ。


ボウイは80年の暮れには舞台でノーメークに近い状況で「エレファントマン」も演じていたそうだ。
その写真は前掲の「ALLAN」誌にも掲載されている。
だからこの後の映画出演やPVなどでも素晴らしい演技を見せていた。


ほかにも色々と書きたいことがあるが、ここで措く。
この20年ばかり耳の都合がわるくなり、わたしは音楽から距離を置いて生きてきたのだ。
だが、ボウイの話題が入ると嬉しくなるのは変わらなかった。
それだけに1月8日にボウイが誕生日とあわせて新譜をリリースしたのがとても嬉しかった。
昔ながらのボウイファンの人々と「ああ、いつまでも素敵なボウイ」とドキドキしていたのだ。
わたしはあまりに若い頃のボウイより、30代以降のボウイの方が好きで、スーツをきちんと着こなしたダンディなボウイにときめいていた。
エリザベス・テーラーが「世界で最も美しい男」とボウイを讃えたことを知った時も、とても嬉しく思った。
一時代、「世界でいちばんの美女」と謳われた女優からそのような言葉が出て、彼女がボウイのファンだということがこちらの胸を熱くさせたのだ。
そしてそのたびにボウイの歌声が自分の中で自動再生された。

死んだなんて嘘みたい。
今も自分の頭の中でボウイの歌う姿が浮かんでいる。
親切なボウイの笑顔がそこにある。

ボウイは地球から去って行ったのだ。
死んだというより、こちらの方が頷ける。
この二十年ばかりは普通の地球人の中に身を潜め、時折光を放ちながら表に出ていたが、とうとう地球に飽きたかして、違う星へ去って行ってしまったらしい。

ありがとう、ボウイ。
あなたのいた時代にわたしも地球にいられたことを感謝している。
あなたの歌声を聴き、あなたの演技を見たことも幸せだった。
またいつか時間の輪の上のどこかで会える日を楽しみにしています。

さよなら、ボウイ。

雪月花 二つの白氏詩巻とともに

正木美術館の「雪月花」展に行ったが、実は行く前は何が出ているのか知らないままだった。
何しろタイトルが「雪月花」なのだから、それぞれの代表でも選んでいるのかも、と思った程度だ。
ところがここに副題がある。
「二つの白氏詩巻とともに」
チラシを得ていなかったので、「ああ書が出ているのか」くらいにしか思わなかった。
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まず小野道風の「三体白氏詩巻」が開げられていた。完全ではないが数首分見えるようになっていた。
「池西亭」「題新居寄宣州崔相公」を楷書、「吾盧」「秋晩」を行書、それからあと二首を叢書で書いているそうだが最後の二首はやはりわたしでは読めなかった。
特によかったのは行書。全体もいいのだろうがわたしは特に「吾盧」のいくつかの字にシビレた。
「道」「竹」「莫」。もう本当に素晴らしくいい。あんまりよいので何度も何度もそれらの字ばかりを宙に空字してみたくらいだ。
元々わたしは「行」と「道」という字が殊の外好きなので、いいのを見たらもう本当に何度も何度も見直し、心に刻まれて更に自分の一番奥底に落ちるまで眺める。
ああ、本当にいい字。
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逆L字型の位置に展示されているが、次に来るのは藤原行成の楷書による「後嵯峨院本白氏詩巻」の開いた版である。
こちらはやや字が小さい。随分と長く開かれている。
かっきりしたいい字で、読みやすかった。
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特別好みということもないのだが、しかしいい字が全体として多く、総合的にはこちらの方がいいのかもしれないが、先のは特別素晴らしい字が含まれているので、どうしてもわたしは偏った眼でしか見ず、そちらに惹かれる。

ああ、久しぶりに書にときめいたなあ。

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さて絵を見る。
梅に小禽図 存中景菊・賛 室町 絵の方は誰が描いたのか。色の薄いルリ鳥が止まる。そんなにうまくないところがいい。

猿猴図 等芸 室町―桃山 びろーんと伸びた紐のような植物が枝間にのび、それに手を掛けた母猿とその母に抱っこされる子猿とが描かれている。
中国の丸顔の猿。子供も一緒に腕を伸ばしている。

花鳥図 如寄 室町 右、白梅に薄縹色の鳥、これもルリ鳥。室町ではルリ鳥はポピュラーだったのかな。
左、槿と白鶺鴒。こちらは虫をじーっと見ている。
やはり何かしらアクションがある方が面白い。その意味で叭叭鳥のような奴らは面白い。

白衣観音図 足利義持 自画賛 室町 なかなかうまい。月下、静かに端坐する白衣観音。ふくよかな頬の美人。サインが入っていて「応永2年8月18日」の作品だとわかる。

少し江戸の工芸品を見る。
扇面流蒔絵箪笥 全体に扇面流しだが、蓋には昔男くんが顔ナシのまま八つ橋を渡る。
抽斗は千鳥の飛行。

橋・桜・松蒔絵硯箱 素朴な鶴とカメに松の台、蓋には大きな羽目板の橋がどーん。そこに桜がかかる。
橋の迫力にやられるね。

絵付向付 乾山 和歌の浦に白鷺が飛んだり、若松と菊と雁行と。和歌と絵の隣り合わせの誰が袖屏風型の向付。

秋草蒔絵文台 低い台である。何も考えてこなかったが、低い台になるのはわりと遅かったよう。

絵に戻る。
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休息歌仙図巻 呉春 これがとても面白くて良かった。
歌仙たちはもうみんなだらけてて、あほらしい遊びに熱中。
首っ引きする・鼻に紐ひっかける・一人で碁を打つ。
朝忠vs敦忠のにらめっこ、折り鶴に熱心な小町、寝ころびながら読書する斎宮(どうもフジョシな匂いがする)、そして其角の句も書かれている。
声かれて 猿の歯白し みかの月
猿丸のそばに書かれていた。
呉春、蕪村の俳画と戯画の間にあるくらいの絵は本当に大好きだ。

梅花図 物外 元代 八人もの賛がつく。上に伸びるのは一本の枝。花は下方に咲いている。

茄子に虫図 前島宗祐 室町 これは賀茂茄子かな。白花も咲く。コオロギが一匹。
民画風にも見えたが、狩野派のひとらしい。

杜子美騎驢図 伝・足利義政 機嫌よく驢馬に乗るおっちゃんである。

竹雀図 周耕 室町 仲の良さそうな二羽の雀がおしゃべり。
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いいものをみて気持ちがいい。
1/24まで。

京都画壇・鈴木派の隆盛

赤穂市立美術工芸館・田淵記念館に行った。
以前から行きたかったので機会に恵まれて本当に良かった。
今回は「京都画壇・鈴木派の隆盛」展。
鈴木百年・松年父子を中心にした展覧会である。
この父子が赤穂ゆかりの画家だということは何かで読んで知っていた。十年以前の百耕資料館のチラシで見たのかもしれない。たぶん間違いない。
鈴木松年は松園さんの師匠の一人でもある。
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西光寺というお寺に所蔵されている合作物が三点並んでいた。
水仙百合根図 百年・松年 扇面に墨絵
大根百合根図 松年・鈴木松僊
仏手柑図 松年・松僊 
どうも百合根を描いたのは松年だと思う。そして最後の仏手柑もそうではないか。
この仏手柑には実は墨絵の水仙がついているのだが、どうもその絵を見ていると声が聞こえてきて仕方ない。
「なぁなぁえーやろーなぁて」「ええー、ちょっとー」
どうも間違いなさそうである。

冬山水図 百年 全体がセピア色になり、そこにもこもこ雪の風景。山家の屋根に雪が降り積もり、二軒三軒とそれが連なる。抒情性を感じる。
実際のところ百年がこうした山水画にそれを込めてたかどうかは知らないが、見た者としては抒情的ないい絵だと感じるのだ。

ただ百年の墨絵には呉昌碩を思い出させるようなところもあり、それに妙にドキッとするのもあった。
どういえばいいのか、やはり近代になると山水画もあのような激しさが必要になるのかとか、時代の推移がそこにあるからか、など色々考えてしまうのだった。

円窓美人図 百年 これはもう本当に柔らかな唐美人図で、円窓の外の海棠かな、それがよく咲いているのも素敵だ。
筆を加えながら机に倚る美人の手には団扇がある。ゆったりしたココロモチになる。
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唐人物図屏風 百年 1860 大きな屏風にずらずらぞろぞろと人々が集まる。
左には、やたらと縦にも横にも大きな寿老人像があり、それに拝する人々がいる。傍らには珊瑚を生けた瓶もある。彼が生きてるのか像なのかは本当はわからない。
というのは彼に拝するためにぞろぞろ並ぶ列の最後には鶴もいるし、近くには鹿もいるから。そして左隻からもぞろぞろ群衆。

老松孔雀図屏風 百年 1882 「もみ金」地に墨絵の孔雀。羽根の目玉部分は白抜き。かっこいい、とてもいい。

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戦勝万歳図 松年 1904 ああ日露戦争か。面白いのは旗や提灯に印章が使われていること。提灯行列も家々に掲げられた旗もみんなハンコ。

松年の達磨の絵が二点。
不倒翁図 白衣で鉢巻でコワモテながらも面白い表情。松の下にいて前には払子。
達磨図 赤衣に鉢巻。こちらはより戯画風。

烏賊図 松年 …やたら巨大である。大王烏賊なのか…???

春秋風物山水之図屏風 松年 1888 チラシ表に秋、裏に春の図が載る。
秋では山の中でたばこを吸って一休みするオヤジと木を担いで歩く杣が、春は振り分け籠に子供を載せたのが家に向かって橋を渡るところが描かれている。
どちらも飢饉などのなさそうなのんびりした様子。

躍鯉図 ジャンプ!!水しぶき跳ねる。蜂か虻もいるのでこの絵は中国風吉祥画になるのか。

弟子たちの絵をみる。
老松群鳥図屏風 今尾景年 1922 右にはインコ、ルリ鳥、文鳥、百舌鳥か隼らしき小禽、左にはカップルの鳥、燕などが明るい色調で描かれる一方で、幹はシックな色彩で統一される。

寒牡丹図 西田竹僊 花は雪囲いの中、顔の黒いユリカモメのような鳥がその上に閉まる。しっとりした絵。

工芸品もある。
漆盆 松年と京都工芸校の人々の競作。松年は幸野楳嶺とは不仲だが、その弟子たちとはこうして競作をすることもあったそうだ。
松年 笹に雀、白椿、芙蓉。
栖鳳 二羽の蝙蝠。
菊池芳文 芙蓉、白朝顔、葡萄、寒鴉…
神坂雪佳 もこもこした柑橘類。

他にもこの田淵家は浅野家の後に移封された藩主をしばしば招いてごちそうしたそうで、その際に使われた高坏なども展示されていた。

遠いところだが来た甲斐があった。
またいつか機会があれば来てみたい。
展覧会は1/11で終了。

2016年1月の記録

いよいよ2016年。
今年もまた隙間なく出かけるか!
というわけで一月の記録

20160109 京都画壇・鈴木派の隆盛 田淵記念館
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20160109 源氏流いけばな/赤穂義士の浮世絵/赤穂の塩 赤穂市歴史博物館
20160109 旧赤穂塩務局庁舎(赤穂市立民俗資料館) 建築探訪
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20160109 千石コレクション 古代中国鏡の至宝 兵庫県立考古博物館
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20160109 縄文から古墳時代までの兵庫 兵庫県立考古博物館
20160110 魔法の光 ハルカス
20160110 大和和紀原画展 ハルカス
20160110 雪月花 二つの白氏詩巻とともに 正木美術館
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20160110 浜寺公園駅 建築探訪
20160114 旧大阪教育生命保険会社本社屋(オペラ・ドメーヌ) 建築探訪
20160116 麗しき日本の美 雪月花 細見美術館

20160116 小川千甕 京都文化博物館
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20160116 大丹後  京都文化博物館
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20160116 木賊山・文博界隈の歴史と文化 京都文化博物館
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20160117 大丸心斎橋 建築探訪
20160122 旅と芸術 発見・驚異・夢想 埼玉県立近代美術館
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20160122 三井家伝世の至宝 三井記念美術館
20160122 吉野石膏珠玉のコレクション 愛と絆 高山辰雄「聖家族」&シャガール「ダフニスとクロエ」 日本橋三越
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20160122 キミが叫んだその場所こそがほんとの世界の真ん中なのだ。 東京STギャラリー
20160122 ボッティチェリ 東京都美術館
20160122 ワイン 科学博物館
20160123 日本のポスター芸術 サカツコレクション 明治・大正・昭和 お酒の広告 八王子夢美術館
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20160123 小島善太郎と鈴木信太郎 八王子夢美術館
20160123 浮世絵・水彩画にみる新宿風景 江戸から昭和まで 中村屋サロン美術館
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20160123 英国の夢 ラファエル前派 ブンカムラ
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20160123 はじまり 美の饗宴 すばらしき大原美術館コレクション 国立新美術館
20160123 水 神秘のかたち サントリー美術館
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20160123 村上隆の五百羅漢図 森美術館
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20160124 サラリーマンコレクターの知られざる名品 わの会 平塚市美術館
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20160124 旧横浜ゴム平塚製造所記念館 建築探訪
20160124 関東学院中学 建築探訪
20160124 日本画の革新者たち 福井県立美術館所蔵 前期 そごう美術館
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20160131 猫まみれ 神戸ゆかりの美術館
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20160131 小磯良平作品選 小磯良平記念美術館
20160131 野田弘志 凍結する時 小磯良平記念美術館
20160131 ジョルジョ・モランディ 終わりなき変奏 兵庫県美術館
20160131 小磯良平・金山平三 兵庫県美術館
20160131 奇想の版画家 谷中安規 蔵出し!M氏コレクション 兵庫県美術館
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20160131 県美プレミアム 兵庫県美術館
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千国コレクション 古代中国鏡の至宝

先般手に入れたチラシに魅せられて、ツイッターでも紹介したところ、やはり少なからずの人が同意してくれた。
このチラシである。
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加西市に住まう千石さんという方のコレクションで、今回その一部が兵庫県に寄贈されたことを受け、フルーツフラワーパークに新たに収蔵・鑑賞の場を設けることになったそうだ。
その前にこちらの兵庫県立考古博物館で一般公開という運びとなった。
1/5から1/24の期間での公開である。

場所はJR土山から徒歩15分とあるが、そもそもその土山という場所がどこにあるのかがわからない。
土山といえば東海道だと滋賀県になる。
国芳の「猫飼好五十三匹」では「つちやま」は白猫カップルの恋を邪魔するぶち猫が描かれ「ぶちじゃま」になる。
こちらはどうも山陽電鉄の駅からも徒歩25分とあるから兵庫県なのはわかったが、実感がない。
滋賀でも兵庫でも到底行けそうにないなとあきらめかけたところへ、捨てる神あれば拾う神ありで、@hikotaさんがお誘いくださって出かけることになった。
しかも赤穂の田淵記念館もプラスしての一日ツアーである。
本当にありがたい。またどこかへご一緒しましょう。
というわけで、兵庫県立考古博物館へ向かった。

「であいの道」という整備された道を15分ばかり歩く。大きな公園や新興住宅街、新しいお寺の間を貫く立派な歩道である。
そこここに歴史の道しるべがあるのもいい。
そして広大な博物館の領地内にたどりついた。
物見台もある、外観は古墳状の優れた建物である。
しかもなんと210円の入館料で、さらに@hikotaさんのお持ちのカードのおかげで団体料金160円になった。
ああ、まことにありがたい。

「千国コレクション 古代中国鏡の至宝2」
2ということは1もあったのか、そちらは知らぬ、無念なりよ。
しかしこの展覧会に来れただけでも本当に良かった。
この2だけでも大概「物凄い」内容なのですよ。
わたしはびっくりした。

これ、なにかわかりますか。
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名前は「緑松石象嵌鋸歯縁鏡」とつけられているが、それはあくまでも形状・形態による命名にすぎない。
なんとこれね、夏の時代の鏡です。
夏と言うたら商(殷)の前の伝説かと長らく思われてたあの王朝ですがな。
最後は幽王という皇帝が褒似という妖女にヤラレて国をつぶしてしもたという、あの夏時代の鏡やそうです。
紀元前17世紀、3700年前の鏡。
クラクラした。
わたしは戦国・前漢、特に唐代の鏡はわりと見てきているが、こんな古いのを見るのはもしかすると初めてかもしれない。
あの青銅鏡の立派なコレクションをもつ泉屋博古館ですらこの時代の鏡はないのではないか。
黒川古文化にも戦国以来の鏡しかないように思う。
たまたま二か月前の11月に泉屋博古館でも黒川でも古鏡を見たばかりなので、記憶に間違いはない。それぞれ感想も挙げている。
泉屋博古館はこちら
黒川はこちら

緑松石とはトルコ石のことで、緑青のせいで青くなったのではなく、トルコ石の色が今も残っているから青いのでした。その嵌め込みの象嵌部分ね。
この文様そのものが何を象っているかは説明もないし、わたしにもわからない。
武装した人々が円状に並ぶ様子にも見える。そうなると魔除けかとも思う。
この時代の鏡の用途については「姿見と言うより光り輝く反射を目的として考えられる」とあるから、それこそ魔除けもあり、権力のためのものでもあったろう。
魔を退ける力を持つ者こそが偉かった時代の話なのだし。

「青銅鏡としては最古級の例である」
本当にびっくりした…
戦国・前漢あたりから作られ始めたと思い込んでいたが、よくよく考えれば殷の紂王が妲己にヤラレてダメ王になった頃なども既に鏡はあったに違いない。
それがなぜ青銅器は残っても鏡が残らなかった・伝わらなかったのかはわからない。
「怪異な文様」と紹介されているが、この文様の意味も解き明かされない限り、怪異は怪異のままで活きている。

殷の鏡もあった。やはりぐるりは鋸歯文で、中央にぐるぐると文様がある。
コンパスみたいなので文様を描く器具があるが、あれに似ている。

二重構造の鏡が出てきた。戦国時代の三面。
孔雀石象嵌透彫二重体鏡
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背面のこの複雑な構造のものと鏡面のものとを別々に拵えている。
嵌め込みだからもう二重どころではないとも思う。
本当に複雑な構造のものを精緻に拵えている。
前代には可愛い饕餮くんと犠首くんをデザインした様々な青銅器を拵えていたから、こうした意匠のものを拵える技術はあったわけだが、一旦西周時代になった時点でちょっと大雑把になってしもたのが、よくもここまで復活したなとも思う。
尤も、殷も西周もたくさんの国が争ってた春秋戦国もそれぞれ別な文化を持っていたから、本当は一律に語ってはいけないのでしたな。

あと動物同士の噛みあう文様のや蟠龍文のもあった。いずれも細密描写の立体版。さそれらが二重体鏡。

前漢になると馬車や宴会の絵が出てくる。絵と言うても刻まれた絵。
ここでは彩色のよく残る鏡。樹下で宴をする人々、馬でやってきて、機嫌よく遊び、また馬で去ってゆく人々が描き・刻まれ・嵌め込まれている。朱色も大きく残っていた。
シンプルな描線の人々の顔も見える。小さい人物たちなのにとてもはっきり。
全く驚くものばかりみている。

鏡はやはり戦国・前漢あたりから本格的に造られているようで、その時代が「繁栄と興隆」の時代だったようだ。

大きな鏡は人間の内臓や心まで映し出し、小さい鏡は妖魔を照らし出す。
鏡の持つ力、そうしたことが信じられていた。
だからか、文様にも神仙世界のものが多い。

凄く丁寧・緻密な描写で作られた四神鏡が並んでいるが、一枚はどう見ても今出来のものでびっくりした。なんだろう、これは。ものすごいわ。
あまりに綺麗なので、どうやってこんなのを千石さんは…
ああ、答えのない謎がぐるぐるする。

内行花文鏡 これも中国の2000年前か。「内側を向く花弁型の幾何学文」と説明があるが、四枚の花弁はいずれも擬宝珠のようにもみえる。
周囲には正確なミリ単位の線が延々と刻まれている。
それにしても銀がよく残る。

日本で作られたものもある。この博物館のそばの大中遺跡から出土した弥生時代のがあり、その複製品も並ぶ。本体は破片だが、よくよくみたら小さい穴が二つばかり開いていて、わざわざ開けてまだまだ使うていたらしい。
よっぽど大事にされていたのだと思う。

重列式神獣鏡 後漢 これはたくさんの神様などが刻まれてて、ちょっとした寄り集まりになっている。中には「距」というどうもケムンパスの御先祖みたいなのもいるが、そんなくねくねのくせに柱になるとかどうとか。
ええー、ほんまかいなと思いながらも、まぁ神様の親族眷属だから耐震偽装はないか、とちょっと安心をした。
ついでにいうと、真ん中のチュウ部分はドームぽくて、ここからみんな出てきたのかもしれない。

画像鏡 後漢 踊る人などがいる。歌舞雑技か。後漢の小さな俑だとそんなのもあったからこういう文様もメジャーだったのか

鍍金対置式神獣鏡 後漢 金メッキがよく残って綺麗。これまたすごく細かい。
黄帝と句芒(こうぼう。ヒトの頭でトリの身)、伯牙の弾く琴を聴く鐘子期(ヒトの身体には見えないな)、彼らが浮かび上がっている。
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盤龍鏡も二面。後漢 どちらも大きく口を開けている龍。一面は周囲がやや磨滅して平板になっていた。

いよいよ青銅鏡文化の華の時代と言うてもいい隋・唐の時代になる。
「華麗なる技と美」を堪能する。

四神十二支文鏡や海獣葡萄文鏡のいいのがずらりと並んでいる。
これを見るだけでも千石コレクションの尊さがよくわかる。
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色々楽しませてもらった。
カメラ目線の海獣(海の獣ではなく、海の向こうの獣の意味)、案外真面目そうな十二支動物などや、朱雀と言うより孔雀なのや液体化した白虎もいる。
中にはセサミストリートに出てくるキャラみたいな顔の奴もいた。
みんなイキイキしている。

唐代の鏡の素晴らしさはもういまさら何を、というくらいなのだが、それでも言葉を尽くして語りたくなる。だが、果てがなくなるのも事実なので控える。
字も見事だし花もいいし、隙間なくビッシリから、わざと間を造ってみたりと様々な文様が出現する。
馬も走ればウサギも杵つきをするし、蔦の絡みあうのもあれば可憐な花も咲く。
一方で鎖帷子をまとった二重瞼の龍もいる。

正倉院にある金銀平脱螺鈿、螺鈿瑞花文の鏡などがここにもある。
白鶴美術館でみたものよりもっとよく残っているのに驚いた。
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可愛すぎてドキドキする。よくここまで残っているのを持ってはったな。
他にもオウムをモチーフにした螺鈿のもあり、それがまた毛彫りでオウムをリアルに表現していて…

さてこちら。
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実物大サイズ。
これにヤラレてここまではるばるやってきたのだが、最初のチラシに比べて実に小さいが、その小さい空間によくもここまで、と言うほどの細工が施されていて、もう本当に驚いた。
ラピスラズリもトルコ石、琥珀。
そして隣の緑の方の愛らしさにも絶句する。
こちらは緑ガラス、瑪瑙もついているようだった。
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花文様に真珠らしきものもついた刀子もあり、本当に素晴らしいものをみせてもらった。
まだ眼の奥で煌めきが終わらない。
いいものを本当にありがとうございました。

ここでは1/24まで。
新たなミュージアムの開館をおまちしています。

南山寿荘 2

ここは茶室を内部に取り込んでいるのです。
近代建築ならまぁそれはよくあることだけれど、こちらは幕末頃の建物で、「捻駕籠ねじかご の席」として名を知られているのでした。
それだから建物の室内の配置というか位置関係にわたしなぞは錯覚を起こしてしまい、意識が一瞬錯綜する。

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鉄の燈籠

茶席からの庭風景
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特別公開の二階へ。
階段がまた魅力的。
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こちらは新たに拵えられた階段
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なんと隣接している。
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座敷
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お茶をいただきました。

引き手はつぼつぼ。
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ああ、ええ天気。
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欄間がまたよろしい。
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赤い影
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廊下から屋根瓦を見る。これだけでも見もの。不思議な構造をしている。
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雨戸もいい。
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階段を下りる。
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新しいいうても80年前の階段。

外観じっくりと。
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素晴らしい建物でしたなあ。

最後にこちら
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べんがら色が綺麗。
名古屋は案外べんがらが好きなのかな。
また公開があれば行きたいね。

南山寿荘 1

名古屋の昭和美術館の奥庭に「南山寿荘」という和風の素晴らしい建物があることを知った。
普段は非公開で、名古屋に行く予定の日がたまたまその公開日だったので、喜んで出かけたが、お屋敷町の上、丘陵地帯なのか、段差の激しい場所で途中でどうにもならなくなった。
ところがそういうときにはやはり助けも現れるもので、ご近所の人にわたしは美術館まで連れて行っていただいた。
ありがとうございます。
開催していた展示は「和歌の世界」。その時の感想はこちら

いい佇まいの美術館の奥には広い庭が広がり、そちらに南山寿荘があった。
あとでうちの母にその話をしたところ、母もここを知っていて、建物の面白さを覚えていた。

そこへの道である。
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距離感の錯覚が始まる。

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見えてきた。
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雅な。
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外観
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橋を渡るのは異界への…
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補強も自然な感じに見える。
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なかなかたどり着けないことも魅力となる。

おはようございます。
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玄関回り
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上がりました。
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襖がまた素敵で。
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引き手も可愛い。

つづく。

温泉と文藝と鉄道

温泉に行きたい。
少し遠い温泉町へ行って、温泉に浸かり、ちょっと美味しいものを食べ、辺りをぶらぶらし、帰宅してから「なんでやねん」な土産物ならぬ「いやげもの」を買って、その時は満足したい。
わたしが行きやすい温泉はどこか。
北摂に住んでるから、ほんまもんの温泉と言えば有馬が一番近いか。宝塚も池田の奥もみんな冷泉。
有馬は去年初めて行ったが、拍子抜けするくらい近くて、今までなんで行かなかったのかと腹が立つほどだったな。往きは宝塚から・帰りは夙川へ。
まぁ行かなかった理由は「近いから」なのだが。

今風なスパリゾートやなくて温泉に行きたい。
日本人と古代ローマ人の風呂好き・温泉好きについてはヤマザキマリが世界に知らしめたのはもう本当に大きな業績だ。
ありがとう、と声を大にして言いたい。

さてわたしは自分がこれまでどこの温泉に行ったかを大体は把握している。
物心つく前の白浜とか家族旅行の芦原温泉とか大学の北海道ツアーなども含めたら、案外出かけている方かもしれない。
社内旅行でもわりといい温泉に行っているだろう。
とはいえやっぱり意識してこの温泉に行きたい、と出かけたのは社会人になってからだ。
湯田中温泉、別所温泉などの信州の温泉も伊香保温泉も社会人になったからこそ出かけることの出来た場所だ。
蔵王より福島の高湯温泉の方が体に合うたとか、そんなことが言えるのも、同じ。

日帰り・立ち寄り湯も近年は増えていて、ちょっと足を延ばせば楽しめる。
もう十年以前になるか、わたしは前々から憧れていた伊香保温泉に行こうと思い、新宿からバスに乗った。
途中まで草津温泉の人々と一緒だったかもしれない。
なんで伊香保に憧れたかというと、映画「浮雲」が好きだからなのだが、映画から半世紀以上経つと、町も大いに変わってしまう。
かなりガッカリしたことを覚えている。
まぁただしその地で夢二記念館や「不如帰」の資料を観たり、もう一つの目的の高崎タワー美術館、前橋の近代建築巡りなども出来たから丁度良かった。
今度は四万温泉の積善館、塔ノ沢の環翠楼(今調べたらおひとり様OKとな!)、などにも宿泊したいものです、はい。

さてなんでこんなことを書くかと言えば、「ようこそ日本へ:1920‐30年代のツーリズムとデザイン」展が東京国立近代美術館で1/9〜2/28開催するのが楽しみなのと、既に11/23で終了済みの「温泉と文藝と鉄道」展のチラシや資料が昨日家の中から発掘された(!!)からです。
前者は今からだからわくわくだけど、後者は見に行ってヨシヨシだったのに、資料を見失ったばかりに感想も何も書けなくなったのだ。もう本当に底なし沼のような…
それで2カ月ばかり遅ればせながら、旧新橋停車場の鉄道歴史展示室の「温泉と文藝と鉄道」展の感想を、例によって妄想と欲望と追憶とでうだうだ書いていこうと思うわけです。
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展覧会は当然ながら関東周辺や花巻温泉を中心としている。
やっぱり始まりは草津温泉、伊香保温泉からだった。
草津などは有馬、白浜などと並んで大昔から有名だった。
俗謡も今に至るまで知られている。

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温泉の広告などをみると文人墨客らが足繁く通ったこともわかる。
草津高原「山の魅力は海よりまさる」
おお、今ならクレームつきそうなコピーですな。

伊香保軌道線の車体広告には「サザエさんのど自慢歌合戦」というのがみえる。
マンガの絵と宮城千賀子などがみえるから実写映画だったのかな。
「吉田御殿」の名も見えるから、軽いプログラム・ピクチュアだったのだろう。
今調べたら確かに1950年の上映。

伊香保と「浮雲」の事を少し書いたが、森雅之と高峰秀子のくされ縁としか言いようのない二人が、色々あって正月を伊香保で過ごす。和やかさと同時に不穏さもあるわけで、台詞のやりとりがこの辺り特に巧い。
心中の相談をしているのだ。しかし男の方は「死ぬのなら君とじゃなく、もっと美人とでなくちゃあ」などと平気で言う。
そのくせ男の方が死んでもいい、という心持でいる。
更にその地で歳の離れた加東大介の女房になってウツウツと暮らす岡田茉莉子が森雅之と…
そんな2人が一緒に伊香保の湯に入っている映像を見て、それで伊香保に行きたくなったのだから、わたしも大概酔狂ものかもしれない。

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わたしはこのように「浮雲」で伊香保を思うわけだけど、明治の頃は不滅の大ベストセラー「不如帰」があったわけですから、やっぱり上記の絵のように、浪子が武雄を見送りハンカチを振るシーンの絵ハガキなんぞもあるわけですな。
ちなみにこれはアメリカで出たらしい。

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おお、とどよめいたのは真景図。
昔はこんな感じだったのか。1912年の伊香保の様子。
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映画は1950年くらいが舞台だったかな。
岩崎の別荘と言うのは三菱のことかな。ハワイ公使の別荘もあるし…歩いた頃を思い出すわ。

「不如帰」と並び、こちらも明治の不滅の大ベストセラー「金色夜叉」は熱海が舞台の一つで、銅像も建ってたな。
「ダイヤモンドに目が眩んだか!」と間寛一に蹴倒されてる宮さん。
後の昭和初期になっても清方がオフィーリアのような宮さんを描いているし、新派での上演もしばしば。

今の熱海はまた新しい客層を得ているようでめでたいわ。
わたしは近年MOA美術館に行くようになり、熱海の日帰り湯や公衆温泉に入ったりしてるけど、やっぱり気持ちいいし楽しいね。

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日本人が旅好きなのは昔からだと言っていいと思う。
とはいえ国の基盤がしっかりしてきたころから、居住地以外に出るのを制限され始めてはいるが。
そして封建社会になり、それが緩んでくると、やっぱり行楽・遊山の旅へ出向くわけです。そこには宗教も存在するので、信仰と浮かれ心とが手をつないでおるようです。
そして地震が多いだけに火山も多く、温泉も多い。
冷泉とかそんなの関係なく考えたら、全都道府県に温泉があるような気がする。
沖縄にはなかったか。北海道は温泉が多いなあ。

信州と言うか信越から上州なぞも温泉の宝庫だし、東北の温泉もいいのが多い。
わたしは個人的に岐阜の下呂温泉の湯が最高だと思っているが、各地それぞれ特色があって、本当に素晴らしい。
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花巻温泉の特集を見る。
宮沢賢治の活躍期と花巻温泉の設立は同時期だそうだ。もっと古くからあるのかと思っていた。つまりその地方では花巻温泉が最先端の場所だったわけだ。
電鉄のパンフや温泉案内書、絵はがきなど貴重な資料がたくさんある。

金子常光の鳥瞰図もある。
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この時代の温泉地に行きたくなる。
いや、21世紀の今もいい。
潰れてしまった一軒宿の温泉を思い出すこともある。
そうそう、真昼に恐山の温泉に浸かったら、70度の高温で、それをうめるのに苦労したり、色々ヤラカシタりもした。
ああ、旅に出たい。
わたしは去年はどことどこに行ったろう。
電車に乗っていったのは主に東京ばかりで、向こうでは温泉とは無縁ですわな。
いや待て、黒湯があるか。

熊本、福岡、山口、愛知…あとは近畿と首都圏。
鉄道に乗り、駅弁を食べて、どこか遠くの温泉につかり、いいココロモチで機嫌よく帰りたい。
今年の目標が一つ追加された。

とりあえず東近美の1920-30年代のツーリズムには必ず出かけよう。
そして「ああー行きたいーーー」とブルブル震えるのが今からとても楽しみなのだった。

伊藤家の別荘・揚輝荘 1

こんな看板があった。
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今度は伊藤家の別荘のうち「揚輝荘」を訪ねる。

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外観、特に屋根の勾配など
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遊び心
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入り口の噴水形式
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虎がおる。
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照明
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玄関回り
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靴脱ぎ
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内から見たドア
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階段へ
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見えづらいが凝ったモザイクである。
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棟札
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暖炉周辺
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模型。昔の全体図、在りし日のアルバム
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くつろごう
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二階へ
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IMGP0284_20160106012637a43.jpg 床や壁などの木の組み合わせが素敵。

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IMGP0286_20160106012641b90.jpg 細かいところも面白い。

鳥瞰図
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続く。


伊藤家の別荘・揚輝荘 2

別室へ。
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 別な階段

こちらのお部屋も凄い。
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古写真
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部屋ごとにより意匠が全然違う。
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その当時の新しい和の意匠
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庭を見る。IMGP0309_20160106222355bc4.jpg

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流しの所に銅張。
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お風呂へのタイル貼り
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よくよく見れば棟札が。

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続く。
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