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美術館・博物館・デパートでの展覧会を訪ね歩き、近代建築を見て周り、歌舞伎・映画・物語に溺れる日々の『遊びに行った日を記す』場所です。 

春を呼ぶお水取り

「春を呼ぶお水取り」と言われて久しい。
「春が来た」ではなく「春を呼ぶ」お水取り。
お松明が終わるといつも懐くのは「ああ、これで春が来る」という実感だった。

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桜が咲く前の花たち。

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氷室神社の枝垂桜はまだもう少し後。
ここでは今は紅梅と白木蓮。

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白日青天。
うららかな日にわたしはお水取りのお松明を見に行こうと思うのだ。

先に奈良博に行く。恒例の「お水取り」展を見る。
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二月堂縁起、修二会に使われる品々、それらを拝見する。
ことしは「青衣の女人」の名の書いた辺りはパネル展示になっていた。
杉本健吉の「二月堂画帖」も十枚すべて並ぶ。

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寛文年間の二月堂の出火の記録も読んだし「焼き経」も見た。
まことにけっこうなことです。

そして最初から今日は出遅れになるだろうと予期していたところ、やはり第二駐車場へ。
そのとき背後にいたおじいさんとお孫さん、わたしに親切に招待券をくださったのだが、係員に制止され、入れず。
よくあることなのでしょう。そんな悔しいこともなく、むしろ私に譲ってくださった方の気持ちをただただありがたく思うばかり。

それはそうと、今回はまだ何とかいい感じに撮れた。
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さて今日は籠松明の日なのでやや遅くなる。終わりも遅い。
遠目からでも見えたものを少しばかり挙げる。

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ああ、春がもうすごしで来る。

原田直次郎展-西洋画は益々奨励すべし

埼玉県立近代美術館の「原田直次郎展-西洋画は益々奨励すべし」はいい展覧会だった。
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ほぼ歴史の彼方に埋没していた原田直次郎の作品をこれだけたくさん集め、ドイツ留学時の資料も映像にしたり、友人たちの証言を集めたりと、たいへんな労作だと思う。
わたしのような素人の観客はただ単に「ああ、原田の全貌を見せてくれて嬉しいな、いい作品が多かったな」という感想を挙げるばかりだが、ここまで拵えてくれた埼玉近美の皆さんのご苦労を思うと、本当にもうなんというか、お疲れ様でした、ありがとうございますとしか言いようがない。
それだけでは済まないように思うが、やっぱり辛苦をねぎらい感謝を口にし、愉しませてもらう、それがわれわれ観客の採るべき道である。
たまたまこうしてわたしなどはブログで感想を挙げるが、完全な個人の歓びの記録なので、それで集客の一助になるわけでもなし、心苦しくもあるが、それでもやはりこうして思ったことを書くしかない。
この企画展に関わった人々と、今は亡き原田直次郎本人に対し、深い感謝の念を込めて。

原田直次郎の作品と言えばまず思い浮かぶのは三点である。
「騎龍観音」「素戔嗚尊」「靴屋の親爺」
このうちの「騎龍観音」は現在東京国立近代美術館に寄託されて展示が続いているので、ある種の親しみを懐いている。
「素戔嗚尊」はこれは随分昔の兵庫近美(当時)で開催された「描かれた歴史」展で初めて見て衝撃を受けた。その絵葉書が手元にあり、わりとよく見返すので、これも近しいものである。
ただ「靴屋の親爺」は案外と見てはいない。

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1.誕生 1863-1883
父上の吾一(一道)は遣欧使節の一員として旧幕時代に洋行している。
その時の写真が出ていた。
ベアトが撮ったスフィンクス前での記念写真の中にいる。
こういう人の息子だからこそ、西洋画への道が開いたのだと思う。
久米桂一郎などでもそうだ。
兄・豊吉の写真もある。開かれた世界への意識が高い一家だったのだ。
内田九一による父母と直次郎の写真もある。

先駆者のひとり・高橋由一の「江の島図」が来ていた。
カマキンにあったあれ。描かれた人々はいまだ江戸の名残りを自然のまま身に着けた人々である。

安藤仲太郎 日本の寺の内部 こちらもそう。浅草寺でお宮参りをする一家を捉えている。喧騒の中での温かな祖母と母と孫。明るい色の着物を着ている。

五百城文哉 袋田の滝 未醒の最初の師匠。わたしはこの滝は名前しかしか知らないので、こんなのかと眺める。

長原孝太郎、松岡寿といった画家の絵もある。そう、原田直次郎は彼らと同時代に洋画の道を進んでいたのだ。

原田の肖像画がある。高橋由一を描いている。髯のお爺さんとして描かれた由一は、彼の実物を知らぬ人から「こんな風貌の人なのか」と納得がゆくような、そんな丁寧で写実的な描かれ方をしている。

由一の長男の柳源吉による由一の履歴書が紹介されている。
多くの人の名がずらり。

二十歳になった原田の写真がいくつかある。
五百城、長原、安藤らと一緒の写真でみんな若々しいというよりどこか幼い感じもする。
1884年2月、留学直前の写真。

2.留学 1884-1887
年譜を見て驚いたが、昔の人だからか、もう結婚している。
早いうちに長女を授かり、その小さいうちにドイツへ留学。

ドイツ留学が実り多いものだったのは習作を見てても納得する。
とはいえじいさんたちを描いた絵から「精神性が高い」かどうかまではわたしにはわからない。
これで思い出すのが志賀直哉の写真。
晩年の志賀直哉を撮った…林忠彦か土門拳かちょっと思い出せないが…一枚がある。
あの癇癪持ちも年を取ると静かになるのかという、そんな風貌のものだが、よく見ると虫が止まっている。
その写真を「志賀の高い精神性を」と解説しているのを読んで、わたしなどは「…単に虫が止まってるのを感じてへんだけでしょう」などと思うのだが、それに通じるものがあるような気がしてならない。

原田はドイツで友人も多く、ついた先生にも可愛がられたようである。
そのガブリエル・フォン・マックス先生はお猿さんをペットにしていて、自画像で猿を抱っこしているのを描いてもいる。
猿のマックスとでも呼ぶべきかもしれない、我が国の「猿の狙仙」同様に。
(・・・猿でマックスというと全然関係ないが大島渚「マックス・モナ・ムール」の映画を思い出す)

この先生は動物学・人類学にも造詣が深く、物凄い骸骨コレクションを展開していた。
その写真資料を見てびっくりした。

さて現地ではユリウス・エクステルという友人も出来て、彼に自分を描かれてもいる。
このユリウスは鷗外「うたかたの記」にも実名で出現する。
師匠からもドイツの友人たちからも原田は愛されていた。

ところで、鷗外と原田の友情などはたいへん興味深いものだが、文学と現実とをどこまで混同してよいかという問題がある。
原田にしろ彼の仲良しの鷗外にしろ、現地で彼女も出来て仲良くしているが、その国限りの関係でしかなく、原田は彼女のマリィが妊娠しているときに帰国する。
「舞姫」に現れる男たちは少なくなかったようだ。

3.奮闘1887-1899
帰国したが、洋画に冷淡な時代が待っていた。
原田はがんばった。最期までがんばった。

ミケランジェロの模写がある。山本芳翠の「西洋婦人像」の模写もある。
後者は出舌の伊藤快彦が所蔵していた。
原田は同時代人の西洋画家(この20年後に新聞では洋画家のことを「油絵師」と表記している)の仕事にも敏感だったのだ。

ところでミケランジェロの日本語表記が面白い。
弥開爾安日各。これでミケランジェロなのだった。
こういうのをみると能條純一「ずっこけ侍ミケランジロウ」の三毛蘭次郎を思い出す。

原田の筆致は大変丁寧なもので、その点ではやはりアカデミックな作風なのだが、それだけに肖像画が正当な出来具合でいい。
島津久光像 これは没後に依頼を受けたもので写真を見ながらの製作だという。

毛利敬親肖像 リアルな絵なので藩士たちが喜んだそうだ。…この紋、顔のようで可愛い。ぺたぺたと袴についているのが何やらコミカルに思える。

さて原田は塾を開き西洋画を描こうとする若者たちを懸命に支援した。
おカネも取らなかったというので、大変だったろう。
だから徳富蘇峰などが自分の新聞の挿絵などの依頼をしていたようだ。
それらの作品は総じて日本の風土を舞台にしたものだが、迫力のあるいい絵が多かった。

天岩戸が開くところ、大江山に山伏に身をやつした頼光一行が辿り着くところなどなど。
力強い作品だった。

4.継承 1888-1910
彼の弟子たちの作品が並ぶ。

京都でなら時折みかける伊藤快彦の作品が並ぶ。
新島襄の像もある。男山八幡宮など京都ゆかりの絵を見ると、やはり嬉しい。

原田の上野東照宮は自分たち一家をモデルに描いたお宮参り図だった。
イクメンの原田は次女をだっこしながら日傘の妻のあとをゆく。妻は長女と共に歩く。
鷗外も原田もドイツの恋を忘れて、いいお父さんぶりである。

水彩の大下藤次郎の作品もある。優しい筆致でのどかな風景を描いている。
かれは原田の葬儀の手配をしている。

和田英作の若い頃の作品と桜井忠剛の原田作品模写もある。
桜井は尼崎初代市長で十年ほど前に尼崎で回顧展があった。
勝海舟の縁戚で、その縁で川村清雄に絵を学んだ。
今でも尼崎の旧家では桜井の描いた欄間サイズの油絵を大事にしているところがある。

原田の素戔嗚尊がヤマタノオロチの首を掻っ切る絵が出てきた。突然画面の左に穴が開いて底から犬の顔が飛び出すあれ。
昔、誰が書いたか、この絵について原田のアタマがおかしくなったようなことを読んだ。
実際に原田が何を思ってこんなことをしたのかは知らないが、到底忘れることのできない一枚なのは確かだ。

短い晩年の原田を写した一枚がある。自在の蟹と一緒の写真。

そして有島生馬の絵がある。有島信子像  クォーターの美人である。
有島生馬の妻信子の母・照子は原田の兄の妻でハーフ。照子は長男熊雄と信子を生んだが、熊雄は原田がみていた。
原田兄弟が没したのち、祖父一道の跡を継ぎ男爵になる。
その原田熊雄と言えば、戦時中に生馬の弟・里見弴に「原田日記」の原稿整理を頼んだ人で、わたしは里見弴の随筆から原田熊雄を知ったのだった。

原田直次郎は人に愛され人を愛したひとだった。
彼が36歳で亡くなった時に友人代表として森鷗外が奔走し、たった一日ながらも回顧展を開いたのは本当にえらい。
鷗外が書いた一文を最後に挙げる。
『私の友人にも女房持のものは少なくないが、その家庭をうかがって見て、実に温かに感じたのは、原田の家庭である。鐘美舘がまだ学校であった時、原田はその奥の古家に住んでいた。(中略)。原田と細君と子供四人と、そこに睦まじく暮らしていて、私が往けば子供は左右から、おじさんと呼んで取り附いた。細君はいつも晴々した顔色で居られて、原田が病気になってからも、永の年月の間たゆみなく看護せられた。殊に感じたのは、原田が神奈川に移る前に、細君が末の子を負って、終日子安村附近の家を捜して歩かれたという一事である。思うに原田は必ずしも不幸な人ではなかった。』

展覧会は3/27まで。
中では特別付録「原田すごろく」ももらえる。

「おしゃれな名品たち 茶道具の文様・めでたいデザイン」

湯木美術館春季展「おしゃれな名品たち 茶道具の文様・めでたいデザイン」展を楽しんだ。
湯木貞一さんはお料理にそぐう器を丁寧に選ばれたが、それらも茶道具も端正で愛らしいものが多いように思う。
春に向かう、よい心持のする展覧会だった。
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源氏絵貝桶茶器 八角形で金地に絵が載る。胡粉で盛り上がる雲には七宝繋文。可愛らしさも格別。絵は下絵を土佐光起が担当している。金彩は綺麗やわ、絵は品よく愛らしいわで、見ているだけでいい気持ち。八角形全面を見たいが、触るのが怖いような繊細さ。

色絵丸文茶器 仁清 いかにも仁清な文様が入った茶器。可愛らしさはその形にも。白濁釉に卍崩しの紗綾形文が地にあり、そこに丸文のかたばみがいい感じに並ぶ。

五彩青花龍文四方鉢 明 パネルでこの鉢には若竹煮が。おいしそうだったなあ。
紫色の龍が内外・見込に五匹いました。

古染付山水文芋頭水指 明 柳沢尭山所持 大和郡山の柳沢さん。不昧公とも茶の湯仲間。この水指は虫食いもいい感じに現れているが、やはりいかにもという風情だな。

雲鶴筒茶碗 朝鮮 やや下半分が膨らみを持つ。褐色に窯変。鶴などいろんな文様が象嵌されていた。

絵御本雲鶴文筒茶碗 朝鮮 肌色。内側に味噌汁の残りが見えるような窯変が。

明の古染付、朝鮮の御本、いずれも日本から発注したやきもの。

赤茶碗 槌之絵 左入 200シリーズの1.

黄瀬戸福之字鉢 室町―江戸 益田鈍翁所持 チラシに福々しく油揚手の姿を見せる。
これはいっときここのチケット半券のデザインにも使われていた。

富士山図 渡辺始興 ああ、白抜きの富士山とそこにかかろうとする黒雲と。配置がいい。

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いい装飾の工芸品がいくつか。
盃七種 抱一下絵 朱地にそれぞれ「ふ」の字のついた絵を描く。「筆」「ふぐ」「富士」「福禄寿」「船」「笛」…
こういうのが洒脱で粋というのだろうな。

他に松竹梅などを描いた時代蒔絵菱形菓子盆、時代草花文蒔絵小乱箱などが並ぶ。

芦屋松竹地紋霰真形釜と仁清の白釉雪月花水指が共にあった。いい取り合わせ。

池大雅 蛭子太神図 まぁみごとにふくよかなえべっさん。福々しく優しそうな。抱える鯛が鯉ぽい口元なのも面白い。

可愛いものが並ぶ。 
乾山の色絵水仙の絵透鉢、今年の干支に合わせての祥瑞猿撮香合、仁清の羽子板香合、綺麗な色の青呉須五彩霊芝魚双龍文鉢、保全の交趾写しの青竹蓋置に瀬戸釉サザエ蓋置などなど。
本当に可愛いて仕方ない。

ほかにも茶室の取り合わせの展示もあり、いいものに気持ち良くなった。

和やかなキモチになる展覧会だった。3/27まで。

山本為三郎没後50年 三國荘展

アサヒビール大山崎山荘美術館で「山本為三郎没後50年 三國荘」展を開催している。
山本為三郎と言う人はアサヒビールの初代社長で、民藝運動を厚く支援した人だった。
こちらは美術館の紹介リーフレット。
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山本為三郎の人物とそのコレクションと、更には今回の展覧会のメインテーマである「三國荘」についての紹介がある。
その三國荘の展覧会のチラシはこちら。
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この山荘は加賀正太郎がラン栽培に適した地だというので拵えたのだが、それから数十年後のいまでは民藝関連の美術館の聖地の一つになっている。
邸内のあちこちに飾られた民芸の作品群は「展示」されているというより、そこに飾られている、という趣を見せている。
実際紹介の写真を見てもわかるように、なんの違和感もなくよくなじみ、われわれ観客は「美術館に来た観客」ではなく、「山荘に来た賓客」として所有者のコレクションを拝見する、という気持ちになっている。

だからここに河井寛次郎、濱田庄司、バーナード・リーチの陶芸作品、芹沢銈介の染色もの、黒田辰秋の木工品が並んでいても展示品というより、インテリアの一つとして楽しんでしまう。
個別に特に好む作品を見つけるのもいいが、総体として愛し、愉しむのがベストだと思う。

ところで民藝運動の流れの中で、後に三國荘と名付けられる住宅が作られたのは本当にめでたいことだと思う。
そしてそれが大阪の三國に移築され、住宅として使われたというのは本当に素敵な話だ。

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李朝の膳や燭台など和室洋室どちらにも温かなものを選び、民藝運動の作家たちが拵えた作品を配置する。
それらは実際に使われて「用の美」をみせる。
個々に見るより総体として、と前述したのはこの三國荘の再現をみれば納得がゆくと思う。
極端なことを言えば、一つ一つだとわたしの好みからは大きく外れる。
だが、とても全体が調和しているので、趣味嗜好とは別な地点でこの空間の居心地の良さ・空気の美しさに和むのだ。

再現された三國荘の洋間と和室は応接室と主人室で、これらは一段違いでつながっている。和室の方が高いのもいい感じだ。
欅のいい家具は力強くしっかりしているし、李朝の真鍮製のちょっとした器も愛らしい。
暖炉の上にはイサドラ・ダンカンを描いたリトグラフがある。とてもかっこいい。
彼ら民藝の人々はダンカンの同時代人でもあるのだ。

和・中・朝、東アジアの美意識を建具に再現する。
琉球の美を見出したのも民藝の人々だった。

陶器ばかりを大事にしていたわけでもなく、江戸時代の九州の磁器の美しいのもそこここにある。
わたしは磁器が好きなので、本当は磁器で揃えたいと思いつつ、この空間では陶器も磁器も漆器も斉しく好きになるだろうと予想する。

全く飽きることなくこの三國荘の再現を眺めつづけた。

美術館として機能するこの山荘では様々な部屋が展示室となる。
それは旧朝香宮邸の東京都庭園美術館などでも同じである。
二階のある部屋ではかつて三國荘を彩った什器が数十年ぶりに一堂に会していた。

清朝の法花がある。深い紺紫地に白蓮が咲いている。
李朝の白磁蓮台香炉もあれば、それを河井寛次郎が写した青磁版もある。
河井寛次郎は完璧な<写し>が製作できる職人の手をも持っている。
かれが写した伊万里の赤絵も愛らしい。
そしてその本歌である李朝の白磁は辰砂釉瓶ともども浅川兄弟が入手して日本へ将来してくれたものだ。
「民藝」の心というものをもう一度想う。

それにしても、古いものも、日本の近代のものも、こうして佳い空間で眺めるとますますよく見える。
1つを見るよりは複数をみることでいよいよ歓びが増す。
もう終了したが、東大阪市民美術センターでは「濱田庄司と芹沢銈介 ー民藝運動の巨匠とゆかり作家達ー」展が開催されていて、そこでも大いに二人の作品を堪能したが、まとめて眺めると本当に心地よかった。

ふと気づけば、富士参詣曼荼羅図もあった。
これは絵解き用のもので実際に使われていただけに少しばかりへたっているが、それはそれでいい。

二階に上がってしばらくすると、指定の時間になったらしく、階段の手前に設置された大型のポリフォン社のオルゴールが鳴り始めた。わたしはかつてこうしたオルゴールを聴くある会の会員だったので、聴くたびにその当時の思い出に溺れる。

オルゴールが終わると、聴いていた人々も散開する。
その時丁度喫茶室の人々も入れ替わったので、わたしは席に着いた。
この展覧会のためだけに支度されたケーキセットをお願いする。
パインケーキと紅茶と。
優しい時間が流れるのを感じる。

ベランダから三川合流の地を眺める。対岸には男山、石清水八幡宮のある山が見えているようだが、少し方向音痴のわたしには確実にあの山がそれだとは言えない。

室内に戻る。
いつもはここにこのような設えがある。
三國荘で使われていた黒田の欅のテーブルセットに青田五良の紬の座布団。
この場にふさわしい家具となっている。
もう随分前から大山崎山荘の一部となっている。
その情景。
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ところでこちらは芹沢が図案を担当した山本家の印半纏の部分。
チラシに使われているがとてもいい感じである。
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地下へ向かう。
地下は印象派を中心とした洋画の展示の場となっている。
半円を描くコンクリートの空間にモネの睡蓮が数点並ぶ様は将に壮観と言うか、自分が実際に睡蓮池の手前に立っている錯覚を起こさせてくれる構成となっている。

この日は特にモネの赤紫の睡蓮が心に残った。
他にヴラマンク、ヴァラドン、ルノワールがいい。

わたしは機嫌よく山を下りる。
その前にショップでここを描いた鳥瞰図を手に入れていた。
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この日は絵の中のボンネットバスにも普通の乗り合いバスにも出会わなかった。
まだ梅が咲く少し前の訪問だったので花は見当たらないが、とてもよい場所にいられたことを改めて喜んだ。

3/13まで。

追記:芹沢銈介の展覧会が東京国立近代美術館で開催中である。
「芹沢銈介のいろは」
かれの絵文字もとても楽しい。

カラヴァッジョ ルネサンスを超えた男

国立西洋美術館で「カラヴァッジョ」展を見た。
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好きな画家なので始まってすぐに見に行ったが、とても満足する展覧会だった。
で、見終えてからツイッターで知ったのは全体の1/5しかカラヴァッジョの真筆がないとか。
あとは彼の追随者たち=カラヴァジェスキの作品で占められているらしい。
おやそうでしたかな。
わたしは首をひねりながら展覧会を追想する。
リストを見ても確かに数は少ないようだが、不満はない。
これはカラヴァッジョの存在感のあまりの大きさに全体が覆われているから、不満もなにも感じないのかもしれない。

彼の追随者たちのいい絵がぞろぞろあっても、やっぱりカラヴァッジョの圧倒的な個性に消されてしまう。
最後まで印象に残るのはカラヴァッジョの絵ばかりで、しかも繊細さというものとは違う強靭さに圧倒されている。
極端な話、肉の厚みを感じさせられるのは、実際に肉を喰らうからであり、野菜や魚を食べてただけでは到底敵わないのである。

ところでわたしのカラヴァッジョのイメージと言えばやっぱりデレク・ジャーマンの映画のイメージが強い。(87年か88年かだったと思うが)
あの映画にカラヴァッジョの作品がたくさん紹介されていたのを忘れない。現物だったのかそうでないのかは今となっては分からない。
しかしそこでのカラヴァッジョがたいへんな激情家で後先考えていない、ある意味すごい元気者だというのが今も心に残るから、今回もそれを引きずりながら見ることになった。

ミケランジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジョというのが彼の長い名前だった。
ミケーレと映画では呼ばれていた気がする。

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Ⅰ.風俗画:占い、酒場、音楽
女占い師 1597年 ローマ、カピトリーノ絵画館  どうしてもこの絵の女が友近に見えて仕方ない。それはともかくとして、肌の質感、脂の照り、目つき、肉の実感…とても写実的だ。しかも背景に何も置かないことで、描かれて人物たちが強く迫ってくる。
細かいことを書く。
この大きな絵に二人の人間がどーんといることで、色々なことが見えてしまう。たとえば男の方でいうと、福々しさ=裕福さ、芥子色の上着に肉が満々とあること、女の着衣の布質(リネンのような雰囲気がある白を着ている)、占いにかこつけて男の指から指輪を盗もうとする指の動き、その女の汚れた爪などなど…細部に至るまで手を抜くことのない描写が力となって、こちらに強く迫ってくる。

この絵の下に聖母像があったそうで、その紹介もあった。日本画ではそれは不可能だが、油彩画ではよくあることなので、そうした発見があったのは喜ばしい。

そしてさっそくカラヴァジェスキたちの作品が現れる。
カラヴァッジョ(が)好き!という呼び名にも思われる。

シモン・ヴーエ 女占い師 1618-20年 フィレンツェ、ピッティ宮パラティーナ美術館  こちらは更に状況がはっきりしてくる。口元に2つのほくろを持つジプシー娘が、さして金もなさそうな男の手を取っている。男の方もこれは女に触らせながら、占いという先の話などよりもっと近い先のことを考えている。にやけた口元からのぞく歯が汚れているのにも、男の襟口のくたびれ具合にも、そういたいやらしさがにじむ。一方男は男で油断していて、背後のジプシー婆さんにまんまとヤラレそうである。婆さんはちらりと<こちら>を見ている。

ジュゼペ・デ・リベーラ 聖ペテロの否認 1615-16年頃 ローマ、コルシーニ宮国立古典美術館  左側ではいかにも怠慢な連中がサイコロ遊びをしている。右では「おまえ、ナザレのあいつの弟子だろぉ」と言われて「知らん、知らん、知らんーーっ」と必死で否定するペテロがいる。人間喜劇の場とでもいうべきか。
ふと思ったが、鴨居玲に宗教画を描かせたら、この場を描くような気がした。

蠟燭の光の画家(ジャコモ・マッサ?) 酒場の情景 1620-40年頃 ケーリッカー・コレクション  ああ、なんか見たことのある<光>と思ったら、これは明治の油絵師(!)山本芳翠も描いた<光>だったのか。
260年後の極東でこうした<光>の後継者が世に出ることをカラヴァッジョもカラヴァジェスキらも知らなかったろうな。

クロード・ヴィニョン リュート弾き ランプロンティ画廊  …ロックなリュート弾きだな。レッチリにいてそうな…譜面見ながら弾いてるから案外あれなのかもしれないが、スゴイ顔つきですな。…大家の義太夫とはまた違うが、なんかスゴイモノ見た気がするよ。

ピエトロ・パオリーニ 合奏 ミラノ、フランチェスコ・ミケーリ・コレクション  五人で合奏中。リュートやスピネット(鍵盤の)の演奏に唄う子供に、バイオリンの人に、置かれたままのトランペット。リュートのヒト、流しぼいな。

全然関係ないが、ここにあるトランペットを見て思い出したが、白土三平「カムイ伝」で、西洋から来たラッパが殿さまのお子の宝物になったのに、カラスに盗られて家来たちが「ラッパ様探索」に必死になる、という話があった。日本にはない楽器と音色なのですよ。

II 風俗画:五感

北浜にあるスィーツ専門店、ではない。
先年、「貴婦人と一角獣」展を見たが、その時も五感が作品のテーマとして選ばれていた。
東洋では絵画においてそこまでこのテーマを大切にはしていないし、重要視もされていないように思う。
だが、洋の東西を問わず、人間に具わる感覚ではある。

カラヴァッジョ トカゲに噛まれる少年 1596-97年頃 フィレンツェ、ロベルト・ロンギ美術史財団  冒頭のチラシ。リアルな顔つき。このテーマは北イタリアに多いものだそうだ。そんなにもエビカニトカゲ類に噛まれやすかったのだろうか…
少年の髪には花が挿さり、右の中指をがぶりと噛まれている。「ぎゃっ!マジ?」という声が聴こえてきそうである。テーブルには赤いさくらんぼがあり、それだけが唯一やや明るい。少年の爪は汚れている。ガラス瓶には白い花が活けられているが、その表面に写る風景が妙に気になる。

ピエトロ・パオリーニに帰属 カニに指を挟まれる少年 1620-25年頃 ランプロンティ画廊  こちらは蟹である。黒いからイキイキと生きているのがわかる。蟹はゆでると赤くなる。
左の薬指を噛まれる。その場にはエビまであるから、下手をするとエビにもヤラレる可能性がある。サル皺が額に刻まれ、二つ割れの顎もあまり少年ぽくは見えない。

ミケランジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジョ ナルキッソス 1599年頃 ローマ、バルベリーニ宮国立古典美術館  この絵はペヨトル工房の「美少年」特集号や須永朝彦「世紀末少年誌」にも紹介されている。憎々しい、ならぬニクニクしい少年ではなく、しかしがっしりした、欧州にしか生まれえない顔だちの少年が水面に浮かぶ自らの美貌に囚われた瞬間の絵。

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チラシではわかりにくいが、実物では水面に映る顔も綺麗に浮かび上がって見えた。

バルトロメオ・マンフレーディの追随者 ブドウを食べるファウヌス 1610年代 ローマ、バルベリーニ宮国立古典美術館  上からみるような感じになるが、とても汚いファウヌス。汚れたおっさんである。絵は茶系統でまとめられているが、泥などがこちらにつきそうな。毛深いのはともかくとして、もっと洗っていてほしい、などと考えるのはやはり写実なバロックだからだろうか。
ブドウは二種あるようだった。

ヘンドリク・テル・ブリュッヘン 合奏(聴覚の寓意) 1629年 ローマ、バルベリーニ宮国立古典美術館  オランダ人のカラヴァジェスキだそうで、この人が本国に広めめたとか。官能性の高い作品。薄物から胸がのぞく女、体格の良さに比べて顔は小さい。
男の方ももう…

《羊飼いへのお告げ》の画家(ジョヴァンニ・ドー?) バラの花を持つ少女 1640年代 ヴァリア、デ・ヴィート財団  ターバンを巻いた少女、彼女の眼はどこを見ているのか。
丸い額の少女は薔薇を頬につける。

III 静物
やたらとフルーツである。

ミケランジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジョ 果物籠を持つ少年 1593-94年 ローマ、ボルゲーゼ美術館  六年前にボルゲーゼ美術館展が京都、東京とで開催されたが、あの時カラヴァッジョ作品で来たのは「洗礼者ヨハネ」だった。
当時の感想はこちら

この「果物籠」も来てほしいなとあの頃思っていたので、ようやく現物に出会えて嬉しい。
この少年のモデルはカラヴァッジョ本人らしいが、こうやって見ていると谷崎潤一郎や工藤公康とも相通じるような顔立ちだと思う。元気そうで、いいことにしろ良くないことにしろ「何かしでかしそうな顔」だということだ。(そんな期待を持ってしまうのよ)
とはいえ描かれた顔はいずれもどこか退嬰的でもある。
抱え込まれた籠には果物があふれんばかりに載る。桃、2種の葡萄、梨、イチヂクなどなど、泰西名画にしては珍しいほど美味しそうに見える。これも写実のおかげか。
大抵「死んだ自然」なのやメメント・モリなのばかりで、本当に美味しそうな果物の出現はカラヴァッジョまでなかったのだ。
ありがとう、カラヴァッジョと言いたい。
(とはいえやっぱり絵だから食べれはしませんが)

ミケランジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジョ バッカス 1597-98年頃 フィレンツェ、ウフィツィ美術館  
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2000年にウフィツィに行った時、何とかこれは見たのだが、あの当時購入した2001年版カレンダー(カラヴァッジョ版)ではこれが表紙だった。
それをお土産にオジにあげたところ、16年後の今も書斎にあるので、なんとなく嬉しい気もする。
ワインもアタマの果物もみんながみんなどこかネクタレている。不健康な肌色、肉と骨の間に広がる脂肪がこちらにも押し寄せてきそうでもある。

パンフィロ・ヌヴォローネ 果物籠 1610年頃 ランプロンティ画廊  ザクロ、ブドウ、ナシ。

ハートフォードの静物の画家 戸外に置かれた果物と野菜 ランプロンティ画廊  セロリ、今にも花が咲きそうである。キャベツは殆ど葉牡丹化している。キノコも独楽に変身寸前、人参の様子もどこかおかしい。唯一まともなのはチェリーくらいか。いちごもある。
トカゲ、カタツムリが這うている。なんだか危ない…

バルトロメオ・カヴァロッツィ アミンタの嘆き 1615年以前 個人蔵  芝居のキャラの名前だそうである。左には笛を吹く人、机上には葡萄、右にはタンバリンとぐったり少年。

アクアヴェッラの静物の画家 桃の入った籠と少年 1630年頃 ランプロンティ画廊  巨大な籠、汁気のなさそうな桃、これはあれだ、川中島の桃に似ている。荒川の桃や福島の桃とは違う、堅めの桃。他のもどうなんだ。右にいる少年、幼いが面白い顔をしている。

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それにしてもリコーダーを吹く人が多い。
「ピューと吹くジャガー」の先達かもしれない。

IV 肖像

ミケランジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジョ マッフェオ・バルベリーニの肖像 1596年頃 個人蔵  28歳のヒト。後に教皇になるそうだ。清の高官のような顔をしている。

作者不詳 カラヴァッジョの肖像 1617年頃 ローマ、サン・ルカ国立アカデミー  うわ、凶悪そう。素でエグイ。下のカルトューシュにカラヴァッジョの名がある。悪人面だ。

ジョヴァンニ・バリオーネ 自画像 1606年 マドリード、コロメール・コレクション  仲の悪い人らしい。キリスト・ナイツに入団した時の様子で描かれている。ちょっとエエカッコシィな感じがする。

アンティヴェドゥート・グラマティカ 自画像 1625年頃 フィレンツェ、ウフィツィ美術館  ピアスしてはる。

ジャン・ロレンツォ・ベルニーニ 教皇ウルバヌス8世の肖像 1632年頃 ローマ、バルベリーニ宮国立古典美術館  カラヴァッジョの描いた人の35年後の姿。もうすっかりおじいさんだが、温厚な雰囲気の緋衣のヒト。この教皇はベルニーニのパトロンで、彼を応援した。

V 光

ミケランジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジョ エマオの晩餐 1606年 ミラノ、ブレラ絵画館  ローマで殺人を犯してトンズラしたときの作品。食卓に着くキリストは死後三日目の復活後。そうと皆気づかずイエスを招き「あんた、俺の師匠に似てるよ、おごるよ」とでも言いそうな様子。
最近どうも「聖☆おにいさん」の影響が強すぎるのか、なんだか身近な人に感じてしまう。

バルトロメオ・マンフレーディ キリストの捕縛 1613-15年 東京、国立西洋美術館  放心状態というより諦念に満ち満ちている。「もぉあかんな」とでも言う雰囲気。

オラツィオ・ジェンティレスキ  スピネットを弾く聖カエキリア 1618-21年 ペルージャ、ウンブリア国立美術館  小さいキーボードである。「合奏」にも出ていたあれ。綺麗な手をした聖女。花冠に朱色のドレス。天使が譜面めくりかな。椿のような花が可愛い。

ジョヴァンニ・ランフランコ 牢獄で聖アガタを癒す聖ペテロ 1615年頃 ローマ、コルシーニ宮国立古典美術館  「知らん知らん知らん知らん」のあとで「しもた」となったペテロが獄につながれたが、そこで聖女の膚に浮かぶ酷い傷を癒す奇跡の業をみせるわけです。天使も薬を持ってきた。牢の見張りがのぞいてくる。

関係ないが薬師如来の薬も天使の薬もオオナムチに与えられた薬も、みんなどんな成分なんだろう。オオナムチの方のはちょっとは分かっているのだが…

ヘリット・ファン・ホントホルスト キリストの降誕 1620年頃 フィレンツェ、ウフィツィ美術館  発光源が幼子イエス。左に二人の天使。一人は美しく、一人は親しみやすい顔立ち。とても嬉しそうににこにこ。御母もにっこり。ちょっと斜めに立つ老いた義父も黙って微笑んで見守る。みんなリアルな表情。

蠟燭の光の画家(ジャコモ・マッサ?) キリストの嘲弄 1620年頃 ペーザロ市立美術館  あー、これはいじめですよ。赤い衣のイエスの顎を掴んで…どこかじじむさい。

蠟燭の光の画家(ジャコモ・マッサ?) 聖ヒエロニムス ローマ、バルベリーニ宮国立古典美術館  長いひげの爺さんとはいえ肩肌脱ぎの身体の立派なこと。ペンを持ってるのが剣を持つより勇ましく見えますな。蝋燭の光が高島野十郎ぽい。

マティアス・ストーム 牢獄の聖ペテロ 1633-40年頃 ランプロンティ画廊  物思いにふける髯じい。お、形の違う鍵二つ。爪が汚い。
ごめん、どうしても「聖☆おにいさん」のペトロを思い出して、「鍵失くしなや」と声を掛けそうになる。

ジョルジュ・ド・ラ・トゥール 煙草を吸う男 1646年 東京富士美術館  あれ、松明で煙管に火をつけた、わけですよね。決してこの松明が煙草と言うわけやないよね。
この絵の続き、一服吸ってからおもむろにこちらを向き“speak lark!”とか言いそうやん。

VI 斬首
つい先日、サロメの絵をじっくり見たところ。斬首ブームが続いている。

ミケランジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジョ メドゥーサ 1597-98年頃 個人蔵
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これは複数枚あるそうで、わたしも前にどこかで見ている。盾に使われるという話に合わせて、絵の板の形も円状というのがいい。ある意味騙し絵。迫力ある写実。七宝焼きを思い出す質感。血はドバー 
この顔も作者本人の似顔絵かな。しかし歯並びは綺麗。

オラツィオ・ボルジャンニ ダヴィデとゴリアテ 1609-10年頃 マドリード、王立サン・フェルナンド美術アカデミー美術館  ウォッ!チカラギッシュ!!物凄い迫力でダヴィデ少年がゴリアテオヤジの首を後ろから押し斬りかかっているところ!
ゴリアテ、歯並び悪いなー

バルトロメオ・マンフレーディ ユディトと侍女 1617-18年 フィレンツェ、ガレリア・コルシーニ  こちらは豪胆な美人という描かれっぷり。真ん中で分けた髪を後ろで一旦一つにまとめた後、左右に流している。きりりとした顔。
袋に首を入れようとする。その袋を持つ侍女が北林谷栄そっくり。

シモン・ヴーエ ゴリアテの首を持つダヴィデ 1621年 ジェノヴァ、ストラーダ・ヌオーヴァ美術館ビアンコ宮  こちらは若くて可愛いダヴィデ。肩肌脱ぎで←方向に目を向ける、薄いひげが生えかかっている少年。可愛いなあ♪

マッシモ・スタンツィオーネ アレクサンドリアの聖カタリナの頭部 ナポリ、ポルチーニ画廊  エジプトの王家も落ち目の三度笠で、しかしながらローマからの求婚を蹴ったのはかっこいいが、殉教。青白い首がどんっと置いてある。パールや王冠が見える。薄く目を開けた生首。血と乳とが迸っている。

グエルチーノ(本名 ジョヴァンニ・フランチェスコ・バルビエーリ) ゴリアテの首を持つダヴィデ 1650年頃 東京、国立西洋美術館  こちらはまた美青年風で、天へ向けて。

VII 聖母と聖人の新たな図像

ミケランジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジョ 洗礼者聖ヨハネ 1602年 ローマ、コルシーニ宮国立古典美術館
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大好きな絵。赤いマントから白い肌を露わにした美少年が半身を起こす。これまでのニクニクした体ではない。
美少年ヨハネ。いつか実物を目の当たりにしたいと思っていたので大満足。
とはいえ、今回は初めて知ったが、腹肉がなにやら…

ミケランジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジョに帰属 仔羊の世話をする洗礼者聖ヨハネ 個人蔵  こちらのは髪もペタンのヨハネ君。真筆かどうかははっきりとは言えないらしい。優しそうな青年で、仔羊もなついている。いい腿に膝。

ミケランジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジョ 法悦のマグダラのマリア 1606年 個人蔵  これが今回世界初公開と言う絵。英文でのタイトル“Mary Magdalene in Ecstasy”上方に何やら赤い光があるがあれはなんだろう。

商売をしているときは決してこんな歓びなんて得られなかったろう。いちいち達してたら商売にならない。
そこから遠く離れたときにこれがくる…

ジョヴァンニ・フランチェスコ・グエリエーリ 悔悛のマグダラのマリア 1611年 ファーノ貯蓄銀行財団サン・ドメニコ絵画館  顔を赤くしている。悔悛用の自分撃ちの鞭もある。豊かすぎる胸。これはこれで…

アルテミジア・ジェンティレスキ 悔悛のマグダラのマリア 1640年代中頃–50年代初頭 ローマ、バルベリーニ宮国立古典美術館  こちらも香油。喪葬のときのものか。
例の自打ち鞭には赤いリボンがつけられているのでつけ毛のようだ。

グエルチーノ 手紙に封をする聖ヒエロニムス 1617-18年 ローマ、バルベリーニ宮国立古典美術館  これまた力強そうな。ずーっと向こうのくねる道を同居のライオンが歩いてやってくる。

カルロ・サラチェーニと工房 アッシジの聖フランチェスコ 1620年頃 ローマ、バルベリーニ宮国立古典美術館  「あっと驚くタメゴロー」のような顔つきで、掌にはちゃんと聖痕示現。シバキ鞭あり。

タンツィオ・ダ・ヴァラッロ 長崎におけるフランシスコ会福者たちの殉教 ミラノ、ブレラ絵画館  群像図である。しかも構図が未来派風なのだ。処刑準備されたところ。十字架の並び方が本当に近代的。まぁ未来派もイタリアだしな。
日本人の描写、ちょんまげがないなと思う一方、いやいやそうではなく、あれはわざとかも、などといろいろ考えるのだった。

ミニ・セクション:エッケ・ホモ
「この人を、みよ」

ミケランジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジョ エッケ・ホモ 1605年頃 ジェノヴァ、ストラーダ・ヌオーヴァ美術館ビアンコ宮  ピラトはエグイ顔をしているが、これでも彼は「無罪にしたってくれ」と民衆に声をかけているのだ。イエスは前で手を縛られている。イエスの背後にいるものはイエスから布を剥がそうとしているのか掛けようとしているのか。

チゴリ(本名 ルドヴィコ・カルディ) エッケ・ホモ 1607年 フィレンツェ、ピッティ宮パラティーナ美術館  こちらはあからさまにイエスから布を剥いでさらし者にしようとしている。まるで女衒のようで、悪い市場のようにさえ見える。そしてイエスの背後に立つ兵たち、妙に暗い中にいるからとはいえ、なにやらアヤシイ雰囲気がある。

史料・資料も面白い。
ローマでのカラヴァッジョの足跡を追っている。
面白すぎるよ。
それから警察関係の調書などなど。
doc. 1 ピエトロパオロ・ペッレグリーニの証言(1597年7月11日) ローマ国立古文書館  「28歳くらいのがっしりした、黒いあごひげをちょっと生やした男」といわれたカラヴァッジョ。

doc. 2 刀剣の不法所持(1598年5月4日) ローマ国立古文書館  「おれはデルモンテ枢機卿に仕えてるからいいんだ」という意味のことを言うたらしい。
ところで「仕えてる」というたようだが、解説文は「使えてる」になってた。指摘しづらかったのでここで書いておく。

doc. 3 バリオーネ裁判(1603年9月13日) ローマ国立古文書館  例のキリストナイツに入った仲の悪いバリオーネのことですな。

doc. 4 食堂でのアーティチョーク事件(1604年4月24日) ローマ国立古文書館  油炒めとバター炒めと、そんなんでもめなやと思うが、もめる奴はなんでももめるわな。

doc. 5 カラヴァッジョの借家(1604年5月8日) ローマ国立古文書館  大きな作品を拵えるのでちょっとぶち抜きさせてくださいと言う話。仕事自体は懸命。

doc. 6 刀剣の不法所持(1605年5月28日) ローマ国立古文書館  …まだまだ出てくるでしょうなぁ…

年表見てたら、個人的に「おお」だったのが、まだ14歳の時にシクストゥス5世になったこと。山本鈴美香「七つの黄金郷」と同時代なのだということに気付いて嬉しくなった。そしてその前の教皇グレゴリウス13世がローマ少年使節と対面した人なのかと今更ながらに…
重篤な状態で次の教皇が決まってたな。
「この世の栄光は儚し」というのを思い出すよ。

大満足した。10点ばかりだとしても、圧倒的な力業にやられたわ。
やはりこれは「カラヴァッジョ」展だとしか言いようがない。
とてもよかった。
久しぶりにイタリアに行きたくなってきたよ…
6/12まで。

3月の東京ハイカイ録 前期

金土日と都内をハイカイしておりました。三月はまた18から首都圏に潜伏するのでこれは東京ハイカイ録の前篇になるのか。

基本的に節句は外さない性質なので三月三日は家にいてお雛様祭をし、翌金曜の早朝に新幹線。いきなり温いようになると聞いたので、ブラウンのコート。
ダウンよさらば。

朝なので富士山

というわけで東京についてすぐにいつものお気に入りロッカーに荷物を放り込んだが、それで荷軽になるわけではない。わたしはいつもなんだかんだと手荷物が多いのだ。
で、左肩に負担がかかりすぎて、朝からアウト。
しかし休むという考えはないので動く。
展覧会をいろいろ見たけど、個別の感想はまたそれぞれ後日に。

まず上野に出る。西洋美術館でカラヴァッジョ。彼の絵は11点らしいけど、そんな少ないとは感じない。
彼の追随者の絵が多いが、存在感が半端ねーので、7割くらいカラヴァッジョが占めているように思えるほど。
ところでわたしはカラヴァッジョといえばデレク・ジャーマンの映画がまず思い浮かぶのですよ。
ニクニクした肉体に脂まで感じさせるような絵。よかったわー
美少年のヨハネも新発見のマグダラのマリアも見たしわくわくしたわ。
結局カラヴァッジョだけで2時間かかった。

ここから北浦和に出る。原田直次郎。これがまたよすぎて困った。
丁寧なアカデミックな絵。明治の青年が志を高うして必死で励んだ軌跡を見たなあ。
原田に友人多いのも納得。
面白いことに、随分早く結婚した妻とは仲良しさんでイクメンな一方、ドイツ留学中には彼女拵えて旅行にも出かけている。
要するに原田はマメ男なんだな。絵も丁寧なの大納得。肖像画が特に丁寧。
ただただ夭折したのが残念。永らえばまた日本洋画の歴史も変わったろうに。
森鴎外ら友人らが奮起して1日だけでも彼の展覧会したのは本当にいい。
またその友人らの気持ちもわかる。原田の奮闘を、作品を、世に知らしめしたいんだ。
そういうのが伝わる内容でした。

結局ここでも2時間いてしまい、予定が狂い始めてきたところへ、JR各線がやたらと事故に巻き込まれたりなんだかんだ。
マズイ、非常にマズイ。というのは4時から三鷹のジブリ美術館に予約してるからなあ。
焦りに焦ったが、南浦和から武蔵野線に乗り換え西国分寺経由で三鷹へ出た。後はわたしの早足で歩く歩く。
つきました、ジブリ。ついてからは行列してるから、なんのことはない、もし四時についてたとしても待たされてるわけだ。

「幽霊塔」の企画展。わたしも前々から気になってたから嬉しい。
去年までは乃木坂太郎で「幽麗塔」が連載されてて夢中だったが、実はいまだに乱歩のも涙香のも読んでないんだ。
昔々タイトルだけ知った時に調べたが、当時はまだ原作が「灰色の女」だと判明する前だった。
やっぱり塔と言うものにはドキドキがあるわな。
わたしが最初に塔にドキドキしたのはラプンツェルの話とシンデレラの話かな。
地下の迷路よりはまだいいよ。

閉館まで楽しんだが、カフェの所の水道、蛇口のヒネリがリスで、タイルも可愛いが、なんとここ、水道水琴窟。
キーンキーンといい音してたなあ。

山本有三記念館は残念ながらあきらめた。
美術センターを少々覗いたら「米谷清和」という現役作家さんの新宿・渋谷・三鷹を描いた回顧展をしていた。
70年代の作品よりも近年の作品の方がずっといい。
とはいえ70年代既に活躍していたひとだから、やはりその時代を過ぎないと現在へ到達しないわけだ。

三鷹は大体あんまり晩ご飯食べ損ねるところなのであきらめて東京へ。
しかし今回は実はほぼ食事にトラブルというか不満を抱えることになる状況になるのだった。

ロッカーを引き出したときにメールに気付いたら、なでしこのサッカーやん。これはあかん、外で食べれないわとホテルに入る。
で、近くに買いにゆくとこけがまた月マガが出ていて、川原正敏の新連載が。
ううう、つらい。少しばかり読む。本格的に読むのは帰阪してからじゃ。
サッカー見ながらご飯にしたがかなり絶望というか意気消沈する。
初日はここまで。

さて二日目、東京サブウェイチケットを使います。あほなわたしは次回分も購入しておけばいいのに疲れすぎてて考えられなかったので、今になってしもたと思ったり。
左肩は完全に炎症起こしててアウト。しかしビタミンBのおかげで口角炎は治癒した。

畠山記念館へ。なのにわたしは京都へ行くの、やない。うっかり乗り過ごして戸越におるがな。いややのー。
「春に想う」おう、綺麗な古美術。こういうのがいちばんほっとする。安寧。

気持ちよくなってから徒歩で白金台へ。
ああ、大きな椿、いつもの春。
 
嬉しいなと思いながら歩く。

ちょっと見ない間に道路工事が終わり、完全に柵がズーンとなってて、これは渡りにくいことになったな。
仕方ないのでまっすぐ歩く。

庭園美術館の梅。
庭園美術館「ガレの庭」…素晴らしい。アールデコの館でその一昔前のアールヌーヴォーの美を愉しむ。
これはたとえば明治の擬洋風の洋館で江戸の指物などを家具としておくあの感覚と同じかもしれない。とても素敵だ。
坂田靖子「孔雀の庭」を思い出した。

目黒駅に出たがここで昼の選択肢を間違えた。レンコンと竹輪の天ぷらはよいが後はダメなものを食べて反省する。
もっと違う選択肢を選べよ、わたし。

太田浮世絵記念館で勝川春章の後期を見る。これがまたよろしい。
よすぎてついつい予定を変えて、そのまま出光に出向いてしまった。
出光の春章の肉筆絵。生の絵の良さよ。

まあ結局どちらも良すぎて時間が押してしまったし、更に電車の選択ミスもあり、三井についたら閉館前30分ですがな。
でもお雛様を愛でるのがメインだからそんな細かいことは言わず、機嫌よく鑑賞する。
毎年のお楽しみですな。

しかし時間配分が狂ったので行こうと思っていた原画展はあきらめて、日比谷図書文化館へ。
祖父江慎の仕事を見る。
「うわーっ」な世界。あれもこれもそれもみんな祖父江慎。
驚きましたわ。しかもその仕事の見事さ。
そーかーそうだったのかーーーという納得。ほんまにすごい。

ここでまたやらかしてしまう。公園を出たときに居合わせたおまわりさんに銀座へ行くための駅までの道を訊いたら、何故か新橋を勧められた。内幸町の前のところでの話。
仕方ない、歩くか。
久しぶりにダイビルの猛獣たちを眺めてからトコトコ…

教文館でアントニン・レーモンド展を見る。
ものすごくいい内容。濃いなー。なにしろこの教文館もヤマハも昔の松坂屋もレーモンド。
良すぎる。ホンマに良すぎる。正直、こんなにいいとは予想外。
撮影可能だがあまりに資料ありすぎて、撮影してて虚しくなった。やめよう。とはいえ撮った分はまた感想に挙げます。
300円のリーフレットがまたよろしい。これは価値があるな。
前に見た展覧会よりここのがより良い。ほんまにええわ。

どこかに食べに行く予定が、今度は侍ジャパンの放送があると言うので宿へ帰る。
2日目、ここまで。

三日目、日曜。
東京のいつものロッカーに荷物を預けて大手町へ。
都営三田線に乗るために日本工業倶楽部と東京銀行協会とを行きすぎる。
素敵な建物。


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高島平へ。
バスもうまく乗れた。板橋区美術館はハズレなしなのだが、あまりに遠くてたまに鬱屈する。
しかしここにはハズレはない。

「子供之友」の展覧会。これがまたたいへんよろしい。
刈谷市、姫路市にも巡回するので姫路にも見に行くが、ホンマに良かった。
で、ここで絵本作家の吉田稔美さんにお会いする。
やっぱり印刷物っていいですよねという話です。

梅林にはメジロも飛び交っていた。

その梅林の奥の郷土資料館では「江戸の縁切」の展覧会。
これがもう非常に面白かった。タメになるかどうかは知らん。
なにしろ法律も変わったし、なによりわたしの場合だと、「離婚するためには結婚しなくてはいけません」状態。
上の言葉は殿山泰司の本妻の言葉。
それで殿山泰司は新しい彼女と結婚できず、あちら立てればこちらが立たずで生涯を終えるのだ。

古民家があった。
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成増に出た。ここでお昼を食べるべきだったが、どうしてもフキノトウの天ぷらが食べたくて石神井公園へ向かう。
結局中途半端にパンとかナンダカンダ食べてしまうことになったうえ、待ち時間がやたらと長く、とうとう発熱してしまった。
まぁ今日が最後のフキノトウの天ぷらを食べれたのはよかったが、今後は開店直後以外は決して入らないようにしなくてはダメだ。
席がいくつも空いていても対応が出来ないのだ、ここは。

そんなだから展示は一切楽しめなかった。残念。

石神井公園から中村橋へ。練馬区美術館「国芳イズム」これがもうすごく面白かった。
いやーよろしいわ。三期に分かれての展示なのでまた出かけるけどたのしみやわ。
国芳だけでなく彼の弟子たち、そしてどうやら影響を受けてもいる絵師たちも併せて紹介。
山本昇雲や小林永濯なんてめったに見れない。
ああ面白かった。

ここでタイムアウト。
池袋経由で東京へ。

舟和の芋羊羹を購入して、エキナカでヒラメのエンガワ押し寿司共々お土産に。
新幹線が走りだした途端にザザ降り。うむ、わたしが傘を持ち歩くことでその間都内の雨を止めたのだ。えへん。

新大阪は雨もやんでるので、この際と思い梅田に向かい、自力で帰る。
疲れましたわ。

しかし皮肉なことに肩の炎症のせいで痛すぎて眠れなかったのだった。

次の都内出没の日は3/18になる。

徳島城博物館で見た雛人形

ひなまつりである。
わたしも家に小さい飾りをして楽しんでいる。

今日は先般出向いた徳島城博物館で見た雛飾りの紹介などをする。イメージ (57)
愛らしい次郎左衛門のお雛様。

こちらは御殿雛。寄贈された方の家ではわざわざ徳島から上方まで買いに行ったとある。
イメージ (58)
そう、きちんと檜皮葺なのだ。

享保雛。これは京都の宝鏡寺で初めて見たときのショックが抜け切れない。
この写真、いいな。いい写し方、捉え方。
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対話する二人。

イメージ (59)
こちらの背景の屏風が素敵だ。

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少年・青年の歌舞伎。
踊りをうっとり眺める観客たち。

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こちらは常設室で見た屏風
月はやはり銀の金物。
イメージ (61)

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忍頂寺静村の楽しい郷土玩具絵

お雛様と郷土玩具を一緒に…というのは多いが、京文博の朏コレクションにもまた再会したい・・・

お雛様、いつもいつもありがとう。

ご存知なら教えてください。「西鶴と近松の比較」について

昨日挙げた「ビアズリーと日本」展の中で山六郎の作品が色々あるうち、「妖姫タマル」という蠱惑的な絵があったが、それはプラトン社の雑誌掲載の絵だった。
(1922年「女性」第2巻第6号)

見開きの左ページに絵がある。
そしてわたしが気になったのは右ページの近松と西鶴の比較論。
これがかなり面白かったのだが、誰が書いたものかがわたしにはわからない。
ここにわたしが写したものを挙げるので、もしご存知の方があればぜひ教えていただけたらと思う。
なおご返答はツイッターの方へお願いします。

また写したわたし自身の判読不能文字があり、それらは< >で空欄とした。
旧仮名遣いは現代のものに改めている。

・西鶴の描いた女性
西鶴の骨の髄まで巣食うものはリアリズムであり、近松の毛細血管の末まで流れるものはアイディアリズムである。両者の目に映ったものは同一の事象であったとしても、その事実を受け入れる心持の上には両者の態度を正反対の方向に引きずってゆく相違があった。
従って男女間の情事を写しても西鶴の女性は肉の奴隷として現れるのに対し、近松の女性は精神の君主として現れる。
一代女や五人女の中に出てくる女性と近松の世話物の中に出てくる女性とを比較する。
到底すべて同じに語ることは出来ない。
「森の門松」のお菊や「心中天網島」のおさんのような女はかつて一度も西鶴の頭脳に描きだされたことはないであろう。
西鶴は肉の上に一つのエリシアムを築き上げた作家である。彼の思想の中には根底にある信仰も< >あるわけではないが、幾分伝統的シナの神仙思想が< >していたらしい。
努力よりも無為を、未来よりも現世を重んずる態度は彼の作品の随所において散見するところである。
あの一代男の主人公がその最後において未知の無何有郷に向かって出発したということは、自ずから彼の思想が暴露したものであると思う。

学芸員さんに「妖姫タマル」の前ページの一文について問いかけたらよいようなものだが、なかなか出来ない。

中で例として挙げられている以下の芝居はわたしでは調べきれなかった。
・「森の門松」のお菊

わたしは近松研究者ではないのでますますわからない。
「森の石松」は幕末だし近松は元禄だし、と色々とかんがえこんでいる。

どうかご存知の方があれば教えてください。

追記:大正解の巻

わたしが東京ハイカイ中にツイッターで色々教えてくださった方々がありました。
まず
この文の筆者について
・日本図書センター刊「女性」復刻版第4巻によると、表題は「西鶴の描いた女性」、著者は「赤木桁平」、とあります(p.92ー104.)
さらに
・国会図書館で検索したら、池崎忠孝著『亡友芥川竜之介への告別』の書誌に「井原西鶴の描いた女性」あり。

自分でも調べたところ、
赤木桁平=池崎忠孝
ということでした。
なるほどなあ。

また最後に
・「森の門松」のお菊 とは、「寿の門松」(山崎与次兵衛寿の門松)のお菊(与次兵衛の妻)のことでは無いでしょうか
そうでしょうなあ。
これは雑誌自体の誤字。
納得です。

皆さん、ありがとうございました。

ビアズリーと日本 3

長々と書いてしまうばかりだが、これもやはり展覧会の素晴らしさに溺れたせいだと思っていただきたい。

昨日の続きから。

ウォルター・クレイン エドマンド・スペンサー「妖精の女王」挿画と装幀 1896年だからまだビアズリーもこの世にいたころ。そのままビアズリーな絵である。
来春クレイン展があるので、その後とその前の仕事を堪能したい。
この時点では本当にそのまま。

チャールズ・リケッツ アプレイウス「クピドとブシュケの愛の物語」 何やらヤバい感じがする。官能的というかそれをもっとはっきり言った方がいいのか…

ちょっとばかりグロテスクなユーモラスさがある絵が出てきた。
シドニー・ハーバート・サイム 知らない画家だが、ティム・バートンの先輩みたいな感じの絵を描いている。

罪の花「マンドレーク伝説」1897  マンドレークとマンドラゴラて同じだったかな…いや勘違いしてるかもしれないか、わたし。アルラウネかなんかと。
今ちょっと調べる間がないが、死者の足元に咲くと言われる花がある。ここでは絞首の男の足元に花が咲いている。

20世紀に入ってからのサイムの絵は不気味&ユーモラスでブラックジョークもあり、なかなか楽しい。ティム・バートンの先輩とわたしは書いたが、特に「お化け動物」シリーズ?のがそれぽい。

ジョン・オースティン 「ハムレット」1922  なにかこれも見たことがあるような、と思ったら山口貴由だ…真正面顔の青年。葉隠覚悟がオジサンになったような感じ。

アラスターという画家は効果的に薄い朱色を使う。1920年代の画家。この時代のモダンさはなく世紀末芸術の中にいる絵だが、それだけに耽美的である。
モーパン嬢、サロメ、マノン・レスコー…構図がかっこいい。

ハリー・クラーク ポー「怪奇小説集」 やっぱりポーの小説にはハリー・クラークの挿絵がいちばんいい。ぞわぞわする。
「ファウスト」もあるが、魂の救済どころか一直線で地獄行きの様相を呈している。

4.モノトーンの幻想
「月映」三人衆にはじまりRRRまで。

田中恭吉 和歌山城 不明門付近 ペン画 魅力的な図。暗い気持ちになる、そこがたまらなくいい。
道の果てには何もないようにしか思えない。それに沿う雑草または笹の生い茂る道はその歩道に寄り添う影のようにも思われる。松の根元に固まる赤い花はつつじかもしれないが、花と言うより吐いた血が花の形に残ってしまった、そんな風にも見えた。

田中恭吉 毒いちご 女のスカートのように広がる葉っぱとイチゴ。毒イチゴと言うのはこの女を差しているのだろう。しかし女は楽しそうににんまりしている。
それが「毒いちご」と田中に名付けられる所以なのかもしれない。
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藤森静雄 亡びゆく肉 これを見るといつもある種の嗜虐的な歓びを感じる。
青年の全身にべたべたと浮かび上がる黒い手、青年がその手に犯されていることを想像する。死へ向かうよりもっとたちの悪い状況へ向かえばいい、と思っている。

長谷川潔のマニエール・ノワールは素晴らしいのだが、実は若い頃の木版画の方がわたしは好きだ。これは嗜好の問題。

長谷川潔 風(イェーツの詩に寄す)
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これを最初に見たのは京都国立近代美術館で。(この作品も京近美所蔵から)
当時「ボヘミアの建築」展をみて、その帰りにショップでこの絵ハガキを購入したのだ。
わたしの絵ハガキコレクションのなかでも、この作品を封じた巻は特に好きなものばかりで占められている。
イェイツの詩…様々なときめきがこの一枚に含まれている。

長谷川潔 日夏耿之介「轉身の頌」 装幀・挿画 とても魅力的な本の一冊。金がたまらなく似合う一冊。

永瀬義郎 池畔 裸婦と白鳥のキス。これはゼウスの変身なのか、それとも。

橘小夢の作品が三点出ていた。いずれも決して忘れることのない作品。
安珍と清姫 ぐるぐるにまきつかれる安珍。
嫉妬 かるかや道心に発心をさせた二人の妻の姿。しかし悪いのは男なのだ。
水魔 この絵は心理学の問題としてドイツの専門書にも紹介されているそうだ。
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谷中の「妄想」シリーズが並ぶ。兵庫県美でもいくつか出ている。

そして武井武雄「地上の祭」「宇宙説」がある。
もうこのときには「RRR」ではなくなった武井武雄。
そしてこの二冊の作品集は本当にかっこいい。
詩と抽象的な表現・幾何学的な表現はなぜこんなにも心地よいのだろう。

5.カットからデザインへ

まさかこんなにも多くの山六郎作品を観ることが出来るとは思いもしなかった。
小野高裕さんと言う方のコレクションである。
山六郎の作品を探しておられるクラブコスメチックス文化資料室にもお伝えしなくては。

プラトン社での作品が並ぶのをみる。はっきりとビアズリーの影響を受けているのを感じさせる作品ばかりだが、無論それだけではなく、そこにどこか新しさもあるのは、やはり1920年代と言う時代のせいか。

山名文夫 「吉祥天女の像」 不思議な腕の延ばし方。素敵だ。これを見て思い出すのはダルクローズの腕の延ばし方を取り入れた初代猿翁の「黒塚」。

それにしてもプラトン社の出す「女性」にしても「苦楽」にしてもどうしてこんなにも魅力的なのだろう。いや、蠱惑的というべきか。
わたしが1920年代に憧れを募らせているのは間違いなく、プラトン社の「苦楽」、講談社の「少年倶楽部」が刊行されていたとからというのもある。

岩田専太郎 山路健「蛇責め」 これも「苦楽」から。前にこれと違うバージョンのを見ている。浅尾が責め殺される話のあれ。エロとグロなのだが、岩田のこの時代の妖艶な絵に惹かれてしまうばかり。

山六郎と山名文夫のコラボによる里見弴「四葉のクローバー」、山六郎の「今年竹」の装幀がうらやましい。
わたしは里見弴のファンで、「今年竹」は持っているが例の全集のうちからのバラものなのだ。山六郎の装幀のが欲しいなあ。

山六郎は鈴木泉三郎の戯曲全集の装幀もしている。「生きてゐる小平次」が蘇ってくる…

内藤良治のカット原画がまた魅力的である。
中国少女などがたまらなくいい。この人の絵は初めて見た。弥生美術館、またこの人の特集をお願いしたい…
銀盆のヨカナーンの首にキスするサロメの絵もある。

雪岱の資生堂の仕事も紹介されている。雪岱から十年後に山名。
そして資生堂の包装紙などの図案や意匠を考えていた矢部季の作品もある。

矢部季 資生堂図案集より
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かっこいいな。

小林かいちの四枚組シリーズが三点。せつなさがたまらなくいい。哀愁が漂う。

最後に自分が思い出した日本の作家によるビアズリー模写について。
川西英なども「サロメとヨカナーン」をそっくり写して描いていた。
それからマンガ家魔夜峰央はビアズリーの影響を受けたことをはっきりと語っている。
かれの美麗にして妖艶なキャラ達よりもむしろ背景画にその傾向が強く残っているように思う。

こちらはまた別な作品の中でのビアズリーの画の引用。
壁面装飾として使われている。
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こんな邸宅があれば怖いが、ひそかに憧れもする。

手塚治虫「MW」ではサロメとヨカナーンを主人公二人に置き換えている。
わたしが最初に知ったサロメはこれだった。
背徳的な作品にふさわしい引用だと思っている。

忘れがたい展覧会だった。
3/27まで。

追記:石川県美のチラシ
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ビアズリーと日本 2

昨日の続き。
ビアズリーの影響を受けた後続の画家と日本の画家たちと。

1.ビアズリー、日本上陸

当然ながら最初の紹介物は「白樺」ということになる。
百年前の明治末期、学習院卒の仲良しさんたちのおかげで、泰西名画からリアルタイムの芸術までを知ることになった。

ごく最初期の「白樺」誌で既に柳宗悦によるビアズリー論が掲載され、里見弴の部分訳で「三人の楽手」が紹介されているそうだ。
絵の方は「サロメ」のヨカナーンの首を見ているもの、ウェヌスの綺麗な白ドレスに刺繍があるもの、などなど。
思えば雑誌「白樺」の中身というものを殆ど知らない。
復刻されたものがあってそれを読めるのなら、手に取ってしみじみと味わいたいものだ。

丸善が刊行する「學燈」でもビアズリーの紹介がある。「アーサー王」の中の城にみっちり居並ぶご婦人方の絵、丸々とした頬を揺さぶるように哄笑する婦人等々…
これは「イエローブック」では批判の対象になったそうだが、日本は軽く受け入れている。

1922年にはビアズリーの装画集なる本も刊行されている。「ラインの黄金」などである。
やがて関東大震災が起こり、出版人は多くが関西へ避難した。
そこで中山太陽堂の出版部門・プラトン社が黄金時代を築くことになった。
雑誌「苦楽」や「女性」などが刊行された。
1923年、「女性」誌では「ワグナー聴く人」の絵が紹介されている。
この当時ワグナーは日本人をも<籠絡>していた。

夢二の表紙絵で有名な「婦人グラフ」誌でもビアズリーの絵が表紙絵に使われている。
「初夏の曲」から。大きな羽根を持つ美青年の天使がチェロを弾いている図。

ところでこの「學燈」だが、清方の随筆にこんな話がある。
家に来ていた按摩さんがその本を見て「トウガクとは灯りのなにか学問ですか」。
昔のヒトだから字を→ではなく←で読んだという話。
こういう勘違いの話は大好きだ。
「春泥尼抄」では「比較文学専攻」というと「皮革の文学ですか」と問われるシーンもあった。だからというのでもないが、さかなクンが「どんな水槽のことが学べるのかな♪」と吹奏楽部に入った、という話が本当に好きだ。

閑話休題。

「詩と版画」でもビアズリーが取り上げられている。「エキス・リブリス」と題して恩地孝四郎が自身の小版画とビアズリーのそれとを共に紹介している。

日本における「サロメ」の翻訳が二つばかり紹介されている。
荒川金之助と阿部謙太郎のが。
荒川のタイトルがちょっとばかり面白い。
「月と女」「孔雀のスカート」「黒いテーブル」はいい。「プラトニックな哀泣」もいい。
しかしいくら何でも英文通りに「胃袋の舞踏」はないでー。ストレートすぎるがなw
クライマックスを「高潮」でもいいけど、それなら「絶頂」の方が意味的に合うだろうとか色々思いつつ。
なお、日夏耿之介訳のはここにはない。残念。

2.誘惑のサロメ
日本の芸術家によるサロメ。

永瀬善郎 サロメ 木版 ふっくらした裸婦が生首の口に自分の乳首を吸わせている。
下半身を大きく描かれた女は眼を閉じながら生首にその行為を強いる。
首は真っ黒で表現され、滴る血は白で刻まれる。グロテスクな行為だが、リアルな線でない女の表現が、まだ救いとなっているようにも思われる。
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山六郎の二点のサロメがある。どちらも深い頽廃性と強烈な耽美性を具えている。
「女性」誌のサロメは どこまでがサロメでどこからがヨカナーンの首か判然としないほどに縺れに縺れた濃密な線描画。
「苦楽」誌のサロメは孔雀の裳裾を長く曳き(まるで血の流れがそこにあるようだった)一人バルコニーに佇むサロメの背中を描く。
しかしこのサロメはこちらに背を向けつつも顔だけねじて、印象的な眼をこちらに向けているのだ。
後者のサロメは益田太郎冠者「狂戀のサロメ」の挿画。1926.
同年、溝口健二が「狂戀の女師匠」を映画化しているが、そのタイトルの「狂戀」は当時の流行言葉だったのかもしれない。
「何が彼女をさうさせたか」同様に。

華宵もサロメに惹かれた画家だった。
丁度この時代、舞台でサロメを演じる人々がいた。
帝劇の松井須磨子をはじめ浅草でもサロメ女優がいた。
誰が書いたか忘れたが奇術師の松旭斎天勝のサロメがいちばん艶めかしく、いちばん魅力的だったそうだ。
わたしも写真で見ただけだが、確かに官能的で破滅的な魅力に満ちたサロメだった。
華宵は浅草でサロメの魅力に熱狂したらしい。

浅草電気館でみたセタバラのサロメを描いている。
野口武美「運命の指輪」の挿絵のサロメは銀盆のヨカナンの首を見つめ、少女雑誌の付録の便箋にもサロメを描いている。
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いずれもとても好きな作品。弥生美術館で展示される度にときめく。

陽咸二 大人向けの色っぽいサロメ。1928年という時代がどんな時代だかをここから見てもいいかもしれない。
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同じ作者で彫像もある。先月東近美で見たばかりの色っぽいサロメ。

竹中英太郎のサロメもいた。乱歩の生み出した謎の女「江川蘭子」を描いている。
たまらなく官能的な女である。

谷中安規も「舞踏」としてモダンダンスを描くが、どこかサロメを思わせるところがあるようだった。

ところでここでは「ヨカナーン」と統一しているが、「ヨカナン」また「ヨカナァン」という表記も共に好ましい。

3.挿画の爛熟
日本と西洋の同時代の「白と黒」。

名越國三郎 「初夏の夢」より「薔薇咲く庭」 緻密な描写。
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若い頃の谷崎潤一郎は西洋礼賛に満ちていたが、関東大震災で関西に移住し、生粋の大阪人らとつきあううちにだんだんと宗旨替えし始め、小出楢重描く「蓼食ふ蟲」の挿絵でとうとう宗旨替えしてしまった。
その谷崎の若い頃の西洋の美を礼賛したものの一つに「人魚の嘆き」がある。
水島爾保布の白と黒だけでち密に構成された妖艶な世界。
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蕗谷虹児のモノクロの魅力にも囚われる。
蝶の美しい翅を持った少女、何かに驚いて逃げようとする少年、雪山を往くのにアイゼンを調べる青年…
これは展示されていないが、彼のモノクロの魅力を参考までに挙げる。

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次に茂田井武が現れた。童画ばかりが集められているが、これらはみな白と黒とばかりだった。
茂田井の白と黒の良さは幼いころから知っている。
幼児向けの「おはなしだいすき」には茂田井の挿絵も入っているのだ。
この展示会場で唯一官能性や破滅性とは無縁な感じのする、暖かささえ感じる作品が集まっていた。

長くなりすぎるので一旦ここまで。

ビアズリーと日本 1

滋賀県立近代美術館の「ビアズリーと日本」展に行った。
期待していた以上の素晴らしい内容だった。
チラシは「サロメ」の「クライマックス」シーン。
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1894年初版。
白と黒だけで無限に世界が深まってゆく。

わたしが「サロメ」を知ったのはここからだった。
ただこの絵を描いたのがビアズリーだと知ったのは少し後のことだった。
とても惹かれ、画集を手に入れたのは高1のときだった。
わたしが最初に見た「ビアズリーのサロメ」は手塚治虫が作中に引用したものだった。
「MW」をリアルタイムに読んでいたので、そこで見て子供心に異様なときめきを覚えたのだ。
1977年のことだった。
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第一章
1.初期ビアズリー

22歳のビアズリーの肖像写真が二枚並ぶ。
とても有名な写真である。
節の入った高すぎる鼻が印象的な若い男の横顔。

早熟の天才・ビアズリーのごく初期の頃の作品が並ぶ。
戯画風なパガニーニがある。ちょっとばかりSF作品の挿し絵のような感じもある。これが16の時の作品。後世恐るべし16歳の絵。

2頭身キャラの戯画もあり、それは可愛い。

詩人の残骸  セセッシォン風の構成である。本を開く青年の後姿。1970年代の山岸凉子の作画を思い出す。彼女は自身がビアズリーの影響を受けていることを自認しているそうだが、それはむしろ70年代までのものではないかと思っている。
そしてそれは1978年までの「妖精王」、短編「ドリーム」で昇華され、以後の「日出処の天子」、近年の「テレプシコーラ」ではビアズリーの影は見いだせない。
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2.「アーサー王の死」と「名言集」 見いだされた才能

トーマス・マロリー「アーサー王の死」の挿絵の仕事が並ぶ。わずか21、22歳でこんな細密描写の挿絵。
ビアズリーの場合、あまりに早い死のために「晩年」というものはなかった。
最盛期が即ち晩年でもあり、デビュー当時も人生の経年数から思えば晩年なのだった。
作品の衰退もそんなに見受けられない。

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「アーサー王の死」の挿絵は手元にあるので、久しぶりという感覚はないものの、自分が持っていないシーンの絵もここには出ていて、そこから物語を想い、その世界に漂うている。
この挿絵は装飾的で、しかも官能性の薄い作品だった。
わたしは高校の時にこれらを知り、喜んで手元に集めたが今こうして原画を目の当たりにしても、ここには官能性は他に比べて見いだせない。

マーリンとアーサー、湖水のランスロットに手渡されようとする剣、魔女たちとランスロット、ベッドで半身を起すトリストラムに話しかける女…、そのラ・ベア・イズーがトリストラムに手紙を書く机には砂時計がある、モルガン・ル・フェイがトリストラムに三角形の盾を手渡そうとする…
他にも様々な絵が並び、物語が目の前に立ちあがってくるようだった。

ところで「アーサー王の死」だが、わたしが中一の時に東映動画が「燃えろアーサー」を放送し、それで「アーサー王と円卓の騎士」を知った。
それで原作を知ろうと図書館でみつけたのが福音館の「アーサー王と円卓の騎士」でこちらはラニアの編著。挿絵はアンドリュー・ワイエスの父で挿絵画家のN.C.ワイエス。
こちらの登場人物の名称の表記はマロリーのそれと同じで、たとえばトリスタンではなくトリストラムであった。
(とはいえアニメの原作もマロリーに依っているが、表記はトリスタンやギネビアである。これはやはり対象年齢を考慮したものかと思われる)
東映動画の製作意図などは知らないが、マロリーの著作(翻案:御厨さと美)から作品が作られたことを思えば、製作者側も当然ビアズリーのそれを見ていたことだろう。
ここでも「ビアズリーと日本」の片鱗がある。

話を戻しビアズリーだが、かれは18歳の時にホイッスラー製作の「孔雀の間」を見学させてもらったそうで、当時の英国の美術界のことを思うと、いい時にいいものを見ているように思う。(とはいえ彼は後にホイッスラーに悪く思われて腹いせにホイッスラーの戯画を描いたそうだが→後年ホイッスラーから謝罪を受けて和解)
さらにはバーン=ジョーンズに絶賛されて、プロの道へ向かった。
一方かれはウィリアム・モリスとは仲が悪かったそうである。
「アーサー王の死」を出した直後にモリスから剽窃呼ばわりされたが、言い返している。

こういう人間関係のゴタゴタ・ドロドロは英国の美術界がいちばんドラマチックでもある。
映画化してくれれば、という声があるのにも納得する。

同時期の他の作品を見る。
「名言集」の挿絵などがでているが、こちらはややグロテスクさの方がつよい。
キモチの悪いような胎児の絵がある。
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3.日本からの影響

ビアズリーは浮世絵の春画集を貰うと、喜んで額装し、寝室に飾ったそうだ。
どのような作品だったか知りたいところだが、ここではその言及はない。
尤もこの展覧会ではビアズリーの艶笑的な作品はほぼなく、「女の平和」などは展示されていない。

「北斎漫画」の展示がある。これらに影響を受けた作家・工芸家は多い。
ガレもこのビアズリーもそうだった。

日本美術紹介本も色々でていたようで、開かれたページを見るとやはり浮世絵が多かった。
狩野派や土佐派などは流出しなかったから、というだけでなく、外国人から見ると他国の東洋絵画と区別がつかないのかもしれない。
この辺りの事をもう少し詳しく考えてもみたい。

型紙がある。日本の型紙である。6種ばかり並ぶが、いずれも濃やかで細密な構成の図案ばかりで、丁寧な仕事の道具というより、それ自体が一個の美術品としての価値を持つ。
先年三菱一号館、京近美でみた「型紙」展の素晴らしかったのが蘇ってくる。
葡萄唐草、雀に葵、雪輪に梅・紅葉などなど。
密生した草花文はむしろモリス商会的なデザインだったか。

ウォルター・クレインの壁紙二点がある。
孔雀の正面向きのものと、アーモンドの花(桜より一回り大きい花)とツバメなどの意匠のものである。色もとても綺麗。
クレインの回顧展が来春今頃ここで開催される。
去年もそうだが、冬の終わりから春先の頃に世紀末芸術を開催するのがここの習わしになっているのかもしれない。それならとても嬉しいのだが。

花鳥や季節の描写に西洋の画家は惹かれたのだろうが、同じモチーフのものであっても洋画では「死んだ自然」となり、東洋ではイキイキと描かれる。
宗教観も含めて、この辺りの考えはどちらがいいともなんとも言えない。

芳藤の猫集まりの「猫之怪」がある。師匠の国芳も描かなかったタイプの猫集まりもの。
これに比較されるのがビアズリー描く「黒猫」。
ポーの「黒猫」である。ほっぺたがにくにくしく垂れた黒猫が妻の遺体の上に鎮座して、崩された壁の中から出現する。

4.「ステューディオ」創刊 ビアズリーのマスコミ・デビュー

雑誌「ステューディオ」の数冊と「キーノーツ叢書」などが展示されている。
悪意に満ちた顔つきの者たちが描かれている。

5.衝撃の「サロメ」

冒頭にも挙げたようにやはりビアズリー=サロメという認識がある。
いやむしろサロメ=ビアズリー、そしてモロー…というべきか。
モローのサロメを始め多くの画家たちのサロメも魅力的だが、ビアズリーの「サロメ」が生まれなければ、後世、ここまで多くの人々がサロメに惹かれ続けることはなかったのではないか。
時代的にはビアズリーの20年前にモローのサロメがあったが、人々が彼女の毒に溺れたのは間違いなくビアズリーの絵があったからだと思う。

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ビアズリーはフランス語が自在だったからワイルドの戯曲の仕事の前にオリジナルのサロメを描いていた。
そちらはやや煩雑な線が見受けられる。

そしてワイルドの存在を忘れさせるほどの「ビアズリーのサロメ」が誕生する。
今回全ての画が展示されていた。

「サロメ」のショックを受けた日本人たちの話は後に紹介されている。
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6.「イェローブック」 ビアズリー時代の光芒

仕事が軌道に乗っているようだったが、この辺りの作品にはわたしはあまり関心が湧かない。

「ルキアノスの本当の話」の挿絵が色々とグロテスクなのもあるが面白い。
他の画家のも入っているが、よかったのは葡萄の生えた髪の者に抱きしめられようとする悪い奴らの絵。
これとはニュアンスは違うが、猫十字社のシリアルなイラストに葡萄の男が求められて女に自らの葡萄を渡すのを思い出した。

他にもどこか日本風な顔が描かれたものがあった。
これは1973-1974年の高階良子「血まみれ観音」(原作:横溝正史「夜光虫」)で時計塔の洋館の階段に飾られている絵の一つにも使われていた。
当時は気づかなかったが、80年代のある日再読してみつけたとき、たいへん嬉しかった。

ポーの作品のための挿絵が並ぶ。ただしこれらは未使用作品。
「モルグ街の殺人事件」 ゴリラが女を掴んでいる。
「黒猫」前述のにゃーっとしたところ。
「アシャー家の崩壊」 カーテン前でしょんぼり坐る男。(ロデリックだろう)
「赤死病の仮面」 踊りだしそうな様子。

ポーの怪奇幻想小説には白と黒の絵がよく似合う。

7.「ヴィーナスとタンホイザーの物語」 早すぎた死

タンホイザーがヴィーナスの誘惑に溺れ危うく廃人にされかける…
ワグナーの楽曲とルノワールの絵は共に多彩な美に彩られているが、ビアズリーは白と黒でその頽廃的な愛欲の時間を描く。

ピエロの絵があった。ピエロ・ライブラリーの仕事出ているが、いずれも顔のメイクはなく、静かな面差しの青年が描かれている。

「サヴォイ」誌の仕事が紹介されている。
ここでビアズリーは自作小説「丘の麓で」も発表している。
細密すぎる絵である。物凄い質感がある。
ただただ見入るばかり。
山本鈴美香「エースをねらえ!」の作中、テニスに青春をかける青年の蔵書にこの本が並ぶのを発見したとき、一人でものすごくウケた。
しかもある夜、彼の友人らがその部屋に集まった時、みんな知らん顔で本をめくっているのだ。1973年の二十歳前後の青年の話。

「サヴォイ」での挿画がいくつか。
・王のような男に寄り添って幸せそうな顔で天に昇って行く女
・宮廷でワイワイと寄り集まる人々
・暗い森の中での逢引き。妙な顔の像がある。
・サテュロスと言いながら、ただの野人にみえる男

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「タンホイザー」の未使用原画にはヴィーナスのお供たる双鳩もいる。ちょっと離れた先に噴水があるのもいい。

またルキアノスの何かが出てきたが、これはあれだ、伊藤晴雨の先達のような絵。
ポートフォリオ版。三点ばかりある。

テオフィル・ゴーティエ「モーパン嬢」の挿絵もある。
ポートフォリオ版 青灰色がいい。男装のモーパン嬢の顔の一つが、70年代の森川久美のキャラに似ていた。
森川久美も70年代は耽美的な画風だった。

やがてビアズリーは若すぎる死を迎える。
「ステューディオ」誌の1898年5月出版のビアズリー追悼記事がある。
そこには室内で馬に乗る女が描かれている。「ショパン バラード3」とある楽譜をもつ。

ビアズリーの影響を深く受けた画家たちがこの後も世に出てくるが、それは第二章での紹介となる。
長くなりすぎるので一旦ここまで。
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