美術館・博物館・デパートでの展覧会を訪ね歩き、近代建築を見て周り、歌舞伎・映画・物語に溺れる日々の『遊びに行った日を記す』場所です。 

2016年にみた展覧会と近代建築

毎年毎年かなりの数の展覧会を見て、あちらこちらの近代建築を見歩いている。
そしてこっそりと一か月ごとのデータを月が替わってしばらくしてから公表してきた。
今年一年わたしがみたものをここにまとめた。
リンク先にそのデータがある。
チラシが載るものはその展覧会の感想を挙げたものという原則。
近代建築はあえて挙げていない。
また、同じ展覧会を複数回行ったりしたものは一度しか上げない一方で、巡回展でチラシが違うものは集めもした。

1月
2月
3月
4月
5月
6月
7月
8月
9月
10月
11月と12月

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2016.11月と12月の記録

20161103 情熱と想像のコンチェルト 逸翁美術館
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20161103 内国博で地域振興!?―明治の夢、大大阪を拓く― 池田市歴史民俗資料館
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20161105 イケフェス king of Kings マヅラ 西長堀アパート 新桜川ビル リバーサイドビルディング 日本基督教団大阪教会 三井住友銀行本店 田辺三菱製薬本社ビル 伏見ビル 青山ビル グランサンクタス淀屋橋 日本基督教団島之内教会  建築探訪
20161106 イケフェス 丼池繊維会館、食道園本店、日本生命、日建設計、ギャラリー再会、浪花組、モリサワ 建築探訪
20161106 ウィリアム・モリスの貴重書、百万塔陀羅尼 モリサワ
20161110 高麗仏画-香りたつ装飾美 泉屋博古館
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20161110 永観堂宝物殿 寺社
20161110 和中庵 建築探訪
20161112 古代への憧憬 近代に花開いた古典の美 万葉文化館
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20161112 犬養孝博士の万葉集 犬養孝記念館
20161113 初代尼崎市長櫻井忠剛の事績 尼信記念館
20161113 世界の貯金箱 尼信記念館
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20161113 マリメッコ 西宮大谷美術館
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20161119 仁清とその時代 香雪美術館
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20161119 描かれた花々ー小磯良平の植物画を中心にー 小磯良平記念美術館
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20161119 松本零士・牧美也子 夫婦コラボ 神戸ゆかりの美術館
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20161119 シンジ・カトウ 神戸ファッション美術館
20161120 旧松本邸 建築探訪
20161123 塩野義コレクション・浮世絵 塩野義製薬 ギャラリー
20161125 山岸凉子展 光 メタモルフォーゼの世界 弥生美術館
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20161125 華宵 「彼女は何を手にするか」 弥生美術館
20161125 夢二 本から始まるメッセージ ブックデザイナー&詩人の顔に迫る 弥生美術館

20161125 文して恋しく懐かしき君に ―鴎外、『即興詩人』の10年― 鷗外記念館
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20161125 娯楽の聖地 浅草 下町風俗資料館
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20161125 ゴッホとゴーギャン 東京都美術館
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20161125 禅 東京国立博物館
20161125 クラーナハ 西洋美術館
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20161126 木内ギャラリー 建築探訪
20161126 ポール・デルヴォー 全版画 市川市芳澤ガーデンギャラリー
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20161126 百貨店と近世の染織/身体をめぐる商品史 国立歴史民俗博物館
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20161126 浦上玉堂と春琴・秋琴 父子の芸術 千葉市美術館
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20161127 講談社の絵本 野間記念館
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20161127 水野年方 芳年の後継者 浮世絵太田記念美術館
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20161127 小田野直武と秋田蘭画 サントリー美術館
20161203 旧高取邸・旧三菱合資会社唐津支店・有田西洋異人館・深川製磁・ 建築探訪
20161204 佐世保カトリック教会・聖心幼稚園・佐世保女子高・如蘭塾・嬉野温泉・武雄楼門 建築探訪
20161208 カトリック高野教会 建築探訪
20161217 南極建築 1957―2016 INAXギャラリー大阪
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20161217 没後20年 司馬遼太郎展「21世紀 未来の街角で」 阪神
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20161218 近代画家の描く近松作品 その2 「大近松全集」付録木版画より 園田女子大
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20161223 山岸凉子展 光 メタモルフォーゼの世界 弥生美術館
20161223 華宵 「彼女は何を手にするか」 弥生美術館
20161223 夢二 本から始まるメッセージ ブックデザイナー&詩人の顔に迫る 弥生美術館
20161223 小田野直武と秋田蘭画 サントリー美術館
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20161223 日本の伝統芸能 前期 三井記念美術館
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20161229 世界名作劇場 梅田阪急
20161229 ホリ・ヒロシ 梅田阪急
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小田野直武と秋田蘭画 世界に挑んだ7年 その1

サントリー美術館の「小田野直武と秋田蘭画 世界に挑んだ7年」展を二度ばかり見た。
四期に分かれているうちの一期目と四期目である。

サントリー美術館は「よくぞ」と感嘆する展覧会がとても多い。
この「秋田蘭画」もそう。250年ほど前の、言うたら不思議なムーブメント(といっていいものか)の作品をよくここまで集めて展示しはったな、とまずそのことに感銘を受けた。
展示品の所蔵先を見てもばらばら。これは所蔵先を完全に調査しきれていて、バラバラでも何とかなる、というものではないと思う。
凄い努力の賜物を我々観客は労せずに味わっているのですね。
うーむうーむ、そのことを踏まえて、感謝しつつ作品を眺めよう。

ところで今回の「秋田蘭画」の主な作者は小田野直武、彼の主君にあたる佐竹曙山、佐竹義躬。
その秋田蘭画の人々と南蘋派の人、別な蘭画の人等々の作品でこの展覧会は構成されている。

秋田蘭画の三人は歳が近いのばかり。
小田野直武 1749-1780
佐竹曙山 1748-1785
佐竹義躬 1749-1800
さらに小田野直武に決定的な影響を与えた平賀源内は彼より21歳年長で没年は同じ。
源内の友達で「解体新書」の杉田玄白は1733-1817と長命。

第一章 蘭画前夜
小田野直武がそこに行くまでの修業時代の絵などを見る。

神農図 1760  12歳でこんなに巧いのを描くわけです。始まりは狩野派。粉本主義だからこそ、<真似る=学ぶ>技能が見て取れる。

大威徳明王図 1765 秋田・大威徳明王神社  17歳、もう本当に巧すぎる。
炎上しつつ矢を射る大威徳明王の迫力ある姿。

花下美人画 1766 秋田・角館總鎮守・神明社  花魁と禿よりもう少し歳のいった少女とが花を楽しむ。板画なので変色と剥落はあるがわるくはない。

他の絵師の絵や、粉本などもある。
相思図 石川豊信 サントリー美  2幅の左は文を書く女で右は鼓を持つ男。白梅と紅梅と。近代的な線だと思った。大正の美人画のような感じがある。

鍾馗、黄初平などの絵もうまく真似て描いている。
基礎がしっかりしているからこその<その後>が楽しみになる。

第二章 「解体新書」の時代 ―未知との遭遇―
映画のテーマ曲が脳内再生されるよ。
そう、本当に「未知との遭遇」だったろう。
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「解体新書」も「ターヘル・アナトミア」も「蘭学事始」も教科書で見たのが最初だったと思う。
おおー!という感じ。
「解体新書」で挿絵として人体図を描く小田野直武。脳髄などもある。

国内初の腑分けを山脇東洋が京都でしてから、江戸で杉田玄白、前野良沢が強く刺激を受けたそうだが、この辺りを時代劇ギャグマンガ「江戸むらさき特急」が妙な迫力で描いていたのを思い出す。

「六物新志」という本が紹介されている。大槻玄沢、杉田伯玄 1786 
この内容については東大付属図書館の特別展示のサイトにこう紹介されている。
「六物」とは、一角(ウニコウル)、夫藍(サフラン)、肉豆蒄(ニクズク)、木乃伊(ミイラ)、噎浦里哥(エブリコ)、人魚の6種の薬物のこと。そして、これらについて天明6(1786)年、大槻玄沢が蘭書に基づいて考証したのが「六物新志」。人魚の肉を皮膚の黒色斑上に貼ればそれを消し、その骨には止血の効力があり霊薬だと記しており、玄沢は薬用としての人魚とその実在を信じていた。

そういえば「新志」Xinzhi といえば他にも「虞初新志」「中国有毒及薬用魚類新志」と言ったものがあるから、なんとなく意味は通じるが、本当の言葉の意味は知らない。

阿蘭陀の博物学の本や謎なのが現れ、妙に面白い。
国芳に至るまで影響を与えた、というより、種本になった「ヨンストン動物図譜」もあるではないか。ライオンや蝶や蛇の絵が開かれていたが、ほどほどのリアルさがある。

18世紀の日本はけっこう西洋の風にときめく人が多かったのだということを知ったよ。
そしてそれを取り込んで咀嚼し、吐き出した時にはメイド・イン・ジャパンにしている。
浮絵、眼鏡絵などで見たこともない諸外国の町の様子を描いたり、南蛮渡りの美人画を真似したりと、みんな意欲的。
博物学もさかんだったし、大坂には木村蒹葭堂のようなヒトもいたしで、まったく面白い時代やなあ。

第三章 大陸からのニューウェーブ ―江戸と秋田の南蘋派―
ここに現れる絵師たちの大半はこれまで見てきた展覧会を通じて知った人々ばかり。
まことにありがたいことです。
展覧会に行かなかったら知らないままだったかもしれない。

虎図 諸葛監 千葉市美  おう、久しぶり。白い太い眉が可愛い。手も立派。可愛らしすぎる虎。

水揚叭叭鳥 松林山人 1780  墨絵で叭叭鳥が可愛らしく描かれている。

笹鯉図 佐々木原善 1813  「釣られてもぉたー」と声が聞こえてきそうな鯉の絵。

名花十友図 佐々木原善  ちょっと以前にこんなツイートをしている。
「名花十二客」という言葉を知った。調べた。
「宋の張景修が十二の名花を一二種の客にたとえたもの。牡丹を貴客,梅を清客,菊を寿客,瑞香(沈丁花)を佳客,丁香(丁子)を素客,蘭を幽客,蓮を静客,酴釄(とび)を雅客,桂を仙客,薔薇を野客,茉莉(まつり)を遠客,芍薬を近客とする」

12人のお客のうち、友達は10人だったらしい…

長くなるので今回はここまで。
次、いよいよ秋田蘭画へ。

ポール・デルヴォー版画展 

姫路市立美術館所蔵のポール・デルヴォーの版画をまとめた展覧会が三か所で巡回展示されている。
わたしは市川市芳澤ガーデンギャラリーでみた。
今は田原市博物館に行っている。
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黒版のチラシもいい。
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デルヴォーとは不思議と縁が薄い。
最初に彼の絵を意識したのはもう20年以上前のことになる。
澁澤の著書で知ったと思うのだが、それで惹かれたのになかなか実物に会う機会がないまま歳月だけが行き過ぎる。
ようやく作品を見たのは93年の姫路市美での展覧会だったが、そのとき、本当に待ち焦がれていた。
これはその前に酷い話があるからの渇望なのだった。

デルヴォーの絵を見たい見たいと切望していたある日、東京へ出向いた。
当時ネットは今のように発達しておらず、展覧会情報は雑誌・新聞のほかはじかに問い合わせるくらいが関の山だった。
だから圧倒的に情報が少ない。
そして新幹線の改札をくぐった途端、ここで開催中のデルヴォー展のポスターを見た、のだ。
あまりのショックに泣き出してしまったよ…

だからあの後に見たときは本当に嬉しかった。
その姫路市立美術館。そこの所蔵品からデルヴォーの版画をじっくり見ていよう。
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リトグラフとエッチングが主に並ぶ。
1950年以降の、既にスタイルが決定してからの作品がある。

・「ささやき」と女性像
二人の女友だち 1966 このタイトルだけでどのような状況下にあるかを推して知るべきで、その予測にたがわぬ様子が描かれていた。
クールベ、ロートレックら先人の「二人の女友だち」同様、仲良くする二人が描かれている。服の上から相手の胸を撫で、きわめて親密な関係をみせる絵。
描くのは女性同士の密な愉しみであっても、画家本人は実はとても保守的だったそう。
ではどのような眼でこうした状況を視ていたのか、その辺りの心持が知りたい。

女たちの濃やかな情愛は同性同士の間にのみ発生する。
その前提で絵を見てゆくと、いずれもとてもナマナマしい魅力を感じる。

みんな髪よりもずっと濃い色に覆われた下腹部をもち、見開かれた大きな目を据える。
ぱつんぱつんに切った前髪の娘は目を閉じている。二つに裂けた眉の娘もいる。
手に持つ扇以外なんら繊維と無縁に立つ女もいれば、鏡の中ではドレスを着てうっとり目を閉じる女もいる。

口論するのも女同士。「イブ」もまた女たち。女から女へ手渡されるりんご。
しかし「青いアザレア」では女の前に少年がいる。
少年もまた女にとっては愉しい存在になりうる。

捕らわれ人 1973 寄り添って座る二人の少女。ローマの兵士風な男が外に立ち、二人をどこへも行かせぬようにする。

セイレン1969 沈黙し、目を閉じて花をつむ女。

フリュネ 1969 古代ギリシャの名高い高級娼婦の名がついてはいるが、そこにいる花帽子の女がそれなのかどうかは知らない。
ただ、別に特定女性を描こうとしたのではなく、その名で呼ばれた名高い高級娼婦を思わせる女性を描いただけなのかもしれない。

王冠 1981 鏡に映る顔をみているのだろうか。なにかしら行為がそこにともなっている、と思いたくなるのだが、デルヴォーの描く女性たちは深い沈黙の中にあり、答えを決して出してはくれない。

ささやき 1981 絹織物の原画 サテンということでキラキラしている。
集まった裸婦たちは帽子をかぶるものが大半だった。
立ち位置を変えるまでもなく視点を変える、そんな些細な動きだけでも目の前の情景が変化する。薄い煌めきこそがささやきだと気づき、徹底して視る側にいるだけのわたしもまた、そのささやきにひっそり加わった。

オルフェウス 1981 二人の裸婦がいる。一人は俯き、一人はその向かいに座りながらも顔をそむけている。女同士のオルフェウスとエウリディケ。
緊迫感はない。ないが、どこか倦怠感と絶望感が漂う。

・デルヴォーの連作
クロード・スパーク「鏡の国」のための連作「最後の美しい日々」8点組 1978-1979頃
デルヴォーとこのクロード・スパークとはかつては友人だった。
1948年のクリスマスイブの日、50歳のデルヴォーは恋人のタムと共にスパークのもとへ逃げて来たそうだ。タムも既に48歳になっていた。
駆け落ちする以外に方法を持たなかった。

スパークの「最後の美しい日々」を簡単に記すと、仲の良い夫婦がいたがある日妻が死んでしまい、残された夫は秘かに妻を剥製にして家に残す。棺に遺体は入らないまま埋葬される。
夫にとって幸せな日々がくる。
しかし日々夫は老いてゆくが、剥製として再生された妻はいよいよ若く美しくなる。
夫はとうとうそのことに耐えられなくなり、ついに…

妻を剥製にする男の話と言えば実話がアルゼンチンにある。
ミヤモト・カツサブロウ博士という日系の医者が妻をミイラにし、数十年間ベッド寝かせていたという。
この話は澁澤龍彦「玩物草紙」にある。
男は妻を若く美しく置こうとするが、女は違う。
死んだ男をそのまま手元に置き、骨にした話もいくつかある。
「エミリーに花束を」などはそうだ。

作品は全てエッチングに手彩色である。
表紙・最後の美しい日々 室内の情景が描かれている。暖炉には時計と鏡があり、壁紙は薄い群青色で小さな文様が入る。楕円形の形に切り取られたような肖像写真の額が飾られている。赤いテーブルクロスを敷いた丸いテーブルには二客の椅子、皿とコップと便があり、誰かの白い手がそこへ伸びている。

・死んだ女 長年連れ添った愛妻が死の床についている。灰青の壁紙、扇子や絵などが飾られていて、花柄のベルベットのカーテンのようなものもある。部屋には蝋燭のような灯りがある。白く豊かな妻をなす術もなく呆然と見おろす夫。
妻のベッドに両手をつき、ただじっとしている。

・実験室 骸骨などがある部屋。天井はガラス張りである。隣のアパルトマンから見えるのではないかと心配になる。死んだ妻は復活し、薄青に黒い文様のドレスを着、胸元にはリボンがついている。
そばにいる剥製師はヴェルヌの「地底旅行」の登場人物・リーデンブロック教授をモデルにしているそうだ。自身の興味あるもの以外には何も目を向けないという男。

・パレ・ロワイヤル 待つ夫。

・バルコニー 剥製の裸婦が窓辺にいる。表通りでは彼女の葬列が通り過ぎてゆく。
それを見おろす剥製の裸婦。

・サロンのマリー 白髪も皺もなくなり、若返り続ける妻マリー。夫は驚嘆する。

・女とビュスティエ 若い女の付ける下着(ビュスティエ)を身に着ける剥製のマリー。若く綺麗な女。そのマリーに耐え切れなくなる老いた夫。

結局夫は妻に二度目の死を強いる。バラバラ殺人という形で。

「成長しない」=「老化しない」存在への苛立ちは手塚治虫、杉浦日向子も描いている。
天馬博士は死んだ息子の代わりに作ったアトムが成長しないことに苛立ち彼を拒絶し、サーカスに売り飛ばした。
「百物語」で杉浦日向子は、美人画を愛でる男がその絵に年々加筆させていることを示した。
「私だけが老いる」と男はいい、絵の女も老けさせたのだ。

剥製も老けさせればこんな悲劇はなかったかもしれない。
しかし、それではデルヴォーの絵である必然性はなくなる、か。

・モチーフと心象風景
駅、電車、庭…そこに現れる裸婦たち。
五人の裸婦たちがゴシック空間を行きあう「円天井」、もう一つの「海は近い」…
棕櫚のある室内、くつろぎつつも視線の交わらない二人の女…

相客がいなかったからか、不思議な感覚がある。
わたし一人がデルヴォー描く女たちの集まる空間を一人逍遥したせいでか、彼女たちの仲間に入れてもらった気がした。
ただ、わたしには彼女たちのような官能性が不足しているためか、結局絵の中には入りこめず、ただ会場内をぐるぐる歩き回るだけになったのだが。

姫路市立美術館の素晴らしいコレクションにときめき、芳澤ガーデンギャラリーのその庭園にデルヴォーの女たちの面影をもとめた。
いい展覧会だった。


山岸凉子展 「光 -てらす-」 ―メタモルフォーゼの世界― 後期

山岸凉子展の後期をみてきた。
やはり光り輝いていた。

前期の感想はこちら

今回はサンコミックスの単行本「メデュウサ」の収納作品のうち3点のカラー表紙絵が出ていた。
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アフリカの女性を思わせるような衣裳や装飾で、裸足の足にはアンクレットが何重にも巻かれている。
「籠の中の鳥」の表紙絵である。
表紙絵と内容とは全く無関係だが、それがまた山岸さんの場合魅力でもあり、ファンとしては楽しみでもある。


こちらは単行本「メデュウサ」表紙ともなった「ダフネ―」
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古代の地中海あたりの衣裳のようにも見える魅力的な衣裳だが、その意匠をみると和のイメージが活きていた。
山岸さんはミュシャやガレにも強く惹かれたということを言葉にされているが、確かにこのカタチはミュシャの女性たちが身にまとうているそれのようでもある。
わたしが最初に山岸さんの描くファッションに惹かれたのはこのカタチのもので、たとえば「妖精王」のクイーン・マブのそれなのだった。
山岸さんは映画「アリオン」でも監督の安彦さんの要望を受けて衣裳を担当されたことは前期展のときにも書いたが、本当に魅力的な衣裳を創造されるのだ。

続いてこちらはタイトル「メデュウサ」である。
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単行本の背表紙となっている。
今回その原画を見て、このメデュウサの肉体の魅力に強く惹かれた。
筋肉の在り方、肌の張り、ピンと立つ乳首。浅黒いその肌の色。
柔らかさはないがとてもかっこいい肉体だと思った。

続いて「ひいなの埋葬」は見開きページのカラーだったが、その一部をスキャンしたものが単行本表紙となった。
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絵は大胆な構図だった。蜘蛛の巣と蝶の打掛を脱ぎ掛けた美人は実は手に花の枝を持つのだ。
花はおそらく桃だろう。この物語は「ひいな」の時期、つまり、桃の節句の話なのだ。

稚児髷に結うた少女の美しさもここに出ていた。牡丹柄の着物から筥迫ものぞき、とても丁寧な美しい絵。
わたしの持つ本ではカラーではなくモノクロ印刷なので初めてその色彩を見たことになる。

そして今回もまた「日出処の天子」にときめく。
懐かしさに身もだえるのもある。
わたしの持つ単行本は初版本でカラーはすべて入らないからだ。
ただ雑誌を購入していたので当時見て忘れなかった色彩に再会できた、忘れていなかった、という喜びがある。

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王子は孔雀の上にいた。
改めて王子の美に強く惹かれた。

モノクロの美しさは線の美を愛でることになる。
いつもとても綺麗で丁寧な和の美がそこにある。
王子の着物の美しさ、本当に素晴らしい。

…とはいえ、この巻末の付録でこんなのがある。
王子がジタバタしながら「服の模様のスクリーントーンも限界に達しているというのに」と言うのだ。
それに対し毛人が「毎回変えるあの服はどうやって手に入れるのですか」と質問すると、王子曰く
「調子麻呂が夜なべして縫っているのだ」
花飾りも調子麻呂が摘んできたのを遣うそうだ。
そうか、そうだったのかーーーと当時のわたしは納得したのでしたw

「リリカ」で連載した「落窪物語」ラストページが出ていた。
これはアメリカ向けなので日本と逆綴じなのだ。
実はいまだに山岸さんの「落窪物語」を読んでいないので、こうしてみることが出来てよかった。

「りぼん」時代の「白い部屋の二人」がある。少女同士の恋愛感情のもつれである。
わたしは子供の頃からフジョシだが、女性同士の恋愛と言うものを知ったのは、実に山岸さんの作品からだった。
むしろある時期まで山岸さん以外のヒトで女性同士の恋愛を描く人は他にいなかったと思う。
池田理代子「おにいさまへ」は恋愛とまでは言えなかったが、「クローディア」はそうだった。
やがて有吉京子「アプローズ ―喝采」があらわれ、小野塚かほり「愛い奴」があるものの、他はほぼ知らない。
あるのだろうが、読んでいない。
とはいえ大正から昭和初期の少女小説のなかの「エス」は後年知ることになったが。
そう、わたしは山岸さんの「アラベスク」で女性の同性愛者を知ったのだ。
前掲の「メデュウサ」も同性愛者で狂気に陥る女の話だった。
「ゲッシングゲーム」を読む以前、山岸さんは女性同士は描いても男性同士は描かないのかと思っていたくらいだった。

山岸さんの昔の作品をしばしば再読するのだが、やはり70年代後半以降のものは今読んでも全く「時代性」を思わせない。
普遍的な状況がそこにあり、何十年も前に描かれていながらも、そのことに気付かないくらいなのだ。
だからまったく「古さ」というものがない。
稀有の作家性だと思う。

「狐女」「グール」のカラー表紙絵を見ながらその発表年を見て「えーっ」と驚いた。
「そんなに昔とは思えない」からだ。
「ドリーム」については前回も書いたが、これはもう読めば読むほど、こちらが大人になるほど、忘れることのできない作品になってゆく。
わたしが現在近代建築を愛し、東洋の古美術を愛するのもこの「ドリーム」の影響を受けたからではないか、としばしば思うこともあるからだ。
今回展示されていた「ドリーム」見開きページのカラーの美しさにも強く打たれた。
わたしが持つ単行本では色の再現がないからだ。
美人画の屏風または衝立が美女の背後にあるが、今こうして眺めると、懐月堂と宮川長春の間くらいの絵に見え、これはこれで魅力的だと思うのだ。
まさに近世美人画であり、その屏風を背景にした美女・丹穂生のどこを見るともしれぬ眼差しと共に、強い印象が残る。

日本画風の美ばかり紹介したが、それだけが魅力ではない。
73年の「ティンカー・ベル」の愛らしさがここにある。
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何を見てもどれをみても山岸さんの画力の高さ・冷徹な眼差し・物語の強さにただただ惹かれるばかりになる。

そして最新作「レベレーション 啓示」
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このシンプルさにもまた打たれる。

最新の「モーニング」にも作品が掲載されていた。
わたしはそれを読みながら次の展開が待ち遠しくてならなかった。

山岸さんはどのジャンルの物語を描こうと、常に深い満足を与えてくれ、また強い恐怖を贈ってくれもする。
ここではホラー作品はあまり紹介されなかったが、わたしなどは「わたしの人形は良い人形」「汐の声」が怖すぎるあまり、単行本ではなく文庫本で購入したくらいだ。これは本が小さいと少しでも恐怖が和らぐのではないか、というオロカな考えからのことだったが、そんな本のサイズくらいで山岸さんの描く恐怖も悪意も消えるはずなどない。
あまりの怖さにとうとうわたしはその本を自室に置けず、母の部屋に預けている。
母は呆れているが、いつもわたしに反発する妹もこれだけは完全に同意し、わたしに同情した。
山岸さんのホラー作品はもう本当に…いたたまれないくらい怖いのだ…

いい展覧会をありがとうございました。
余韻がいつまでも残るのがとても嬉しい。

2014.1月と2月の記録

古いチラシも出てきたので挙げておこう。

20140104 スノーマン 大丸心斎橋
20140109 ホキ美術館所蔵 森本草介 阪急梅田
20140109 堺筋倶楽部 旧川崎貯蓄銀行 建築探訪
20140111 山本有三作品の挿絵と装丁 /山本邸 三鷹市山本有三記念館
20140111 地中に埋もれた江戸時代の道具たち かながわの町と村の暮らしぶり 神奈川県立歴史博物館
20140111 眞葛焼 神奈川県立歴史博物館
20140111 下村観山 横浜美術館
20140111 樂茶碗と新春の「雪松図」 三井記念美術館
20140111 川瀬巴水  郷愁の日本風景 千葉市美術館
20140111 渡邊版 新版画の精華 千葉市美術館
20140112 川瀬巴水 中期 大田区郷土博物館
20140112 kawaii日本美術 若冲・栖鳳・松園から熊谷守一まで 山種美術館
20140112 植田正治とジャック・アンリ・ラルティーグ 東京都写真美術館
20140112 路上から世界を変えてゆく 日本の新進作家vol.12 東京都写真美術館
20140112 輝かしき明治の文化 昭憲皇太后百年祭記念 明治神宮
20140112 ジョーゼフ・クーデルカ 東京国立近代美術館
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20140112 1930~1946世界で何が起きているか 東京国立近代美術館
20140112 星星會 竹内浩一・下田義寛・田渕俊夫・牧進 日本橋高島屋
20140112 富士 日本橋三越
20140112 アートと絵本が出会うとき うらわ美術館
20140113 木島櫻谷 泉屋分館
20140113 大倉集古館の精華 工芸 大倉集古館
20140113 天上の舞 飛天の美. サントリー美術館
20140113 国分寺と国分尼寺 新橋停車場
20140113 南部鉄器 汐留ミュージアム
20140113 あおひーさんの新作 ギャラリー
20140113 井上洋介 ギャラリー
20140113 田代知子さん ギャラリー
20140114 大浮世絵 江戸東京博物館
20140114 板谷波山 出光美術館
20140114 クリーブランド美術館 東京国立博物館
20140114 人間国宝 東京国立博物館
20140118 中国の動物表現 工芸の文様と近代絵画から 和泉市久保惣記念美術館
20140118 物黒無 正木美術館
20140118 吉祥の意匠・コプト織・大阪南画・仏画 大阪市立美術館
20140118 藤田美術館 阪急梅田
20140125 新年を祝う/旅をつづる 徳川美術館
20140125 井上洋介 刈谷市美術館
20140125 七福神 幸福・富貴・長寿を願って 熱田神宮宝物館
20140125 北斎 名古屋ボストン美術館
20140126 ブルーノ・タウト 工芸 lixilギャラリー
20140201 出井豊二 はり絵ワールド 京の町屋 東大阪市民美術センター
20140201 煌きの美 東洋の金属工芸 大和文華館
20140201 鳥たちの楽園 唳禽荘から生まれた絵 松伯美術館
20140201 近代建築の記憶 大阪歴史博物館
20140201 清川あさみ 男糸 阪急梅田
20140202 滋賀県のミュージアム 京都文化博物館
20140202 佐藤太清 京都文化博物館
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20140202 小野佐世男 京都マンガミュージアム
20140207 恐竜 科学博物館
20140207 世紀の日本画 前期 東京都美術館
20140207 伊藤彦造 弥生美術館
20140207 華宵 音楽の愉しみ 夢二 子供絵と双六  弥生美術館
20140207 板谷波山 出光美術館
20140207 唯美主義 三菱一号館
20140207 モネ 西洋美術館
20140207 ムンク 版画 西洋美術館
20140208 クリーブランド美術館 東京国立博物館
20140208 人間国宝 東京国立博物館
20140208 ラファエロ前派 森美術館
20140208 アンディ・ウォーホル 森美術館
20140208 伊万里 サントリー美術館
20140208 大浮世絵 江戸東京博物館
20140211 昭和の くらしの今昔館
20140216 花・はな・HANA 逸翁美術館
20140216 文学青年小林一三 逸翁美術館
20140220 北野工房のまち 建築探訪
20140222 櫛・簪とおしゃれ 澤乃井櫛かんざし美術館所蔵 細見美術館
20140222 円山応挙展 「屏風絵」を中心に 承天閣美術館
20140222 新春を寿ぐ 酒器 茶道資料館
20140222 樂歴代 えと・動物たちの新春 樂美術館
20140222 新春の寿ぎ 茶道具 大西清右衛門美術館
20140222 今尾景年と岸竹堂 千總
20140223 小磯良平 あなたの選んだ作品 小磯記念美術館
20140223 ポンピドゥー・コレクション パッション・オブ・フルーツ 兵庫県美術館
20140223 ターナー 神戸市立博物館

高野カトリック教会

クリスマスイブと言うことで高野カトリック教会の写真を挙げたい。
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北大路通りに面したところにある。
1948年、終戦後に建てられた。

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高名なバーン司教がおられた教会である。

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正面へ。

中へ。
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ステンドグラスもシンプルで綺麗。
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天井はダブルハウ・トラス。
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木彫のシンプルなよさ。
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居心地のよい空間でした。
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玄関の照明
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横へ回る。
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こちらもいい建物。司祭館。
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ホールもある。
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シンプルで素敵な教会でした。
メリークリスマス。

近代画家の描く近松作品「大近松全集」付録木版画より

尼崎には近松門左衛門の墓がある。
「元禄の人」として認識され、当時の文化の中心にいた一人だと言われている。
現代にいたるまで近松の芝居は上演され続けているが、歌舞伎、文楽だけでなく、商業演劇や映画にもオペラにもその作品は使われている。

その近松の研究者・木谷蓬吟が編集した「大近松全集」という本がある。
台本そのままではなく、活字を組んだ翻刻ものであり、そこに木谷の解説もあり、更には付録として当時一流の画家たちによる口絵版画や物語の現地写真が付録につく、という構成だった。
以前から折々にこの近松作品を版画化したものは見てきたが、今回、園田学園女子大近松研究所での展示は、地元の熱意も感じられて、とてもよかった。

なお、以前に見た「大近松」の版画の感想は
大商大での北野恒富展がこちら
白鹿ミュージアムでの近代日本画展はこちら
木谷千種展での感想はこちら

今回は二期目ということで出ていたのは数点だが、参考資料として大正時代に刊行された当の「大近松全集」本が並んでいて、読んでもよいとのことなので喜んで5巻「蝉丸」を読んだ。
本自体は1923年の近松200年忌にあわせての刊行である。
装幀は藤井達吉によるもので、どこかアールヌーヴォー調の可愛らしい文様が拡がっていた。

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天網島「小春」 菊池契月 白い顔の女、というのは契月の特徴の一つだが、経年劣化による顔料の黒ずみが更にその顔の白さを浮かび上がらせている。
劣化というより、その黒ずみはこの薄幸の女の運命を見せているかにも感じられるのだ。
黙ってじーっ と俯き加減に煙管を見つめる小春。
小春という女の感情の現れ方を思う。
廓にいる間の静けさは鬱屈の現れではないか、だからこんなにも無表情でありながらもありありと寒々しさが浮かんでいるのではないか…などといくらでも想像が広がる。

嫗山姥「山姥」 小川芋銭  近松の芝居では実は金太郎のお母さんではなく嫁さんと言う設定なのだが、芋銭はそれをやめて、金太郎を育てる山姥と言う設定で描いている。担いでいるのは茄子ではなく藤。
自然の中に息づくヒト以外の者、物の怪などを楽しく描くことの多い芋銭。
山中の山姥もまたその仲間なのだ。

大経師「おさん」 岡田三郎助  こたつにもたれながら、実家の父の借金をさてどうしようと考えるおさん。この頼りなげな女を三郎助はモノクロだけで表現する。
軽く開いた唇からは鉄漿が見える。ぼんやりと白い女。黒目がちの大きな目、というのは三郎助の美人画の特徴だが、版画でもその美は発揮されている。
この可愛らしさに手代の茂兵衛もとんでもない泥沼に溺れこむのだ。

博多小女郎「毛剃」 野田九浦 甫も使っていたが、ここではサンズイ。
船上で物思いにふける毛剃九右衛門。芳年の浮世絵の毛剃の大きさを想うが、ここでは普通の海賊の頭領である。

酒呑童子 玉村方久斗 首を切り落とされた酒呑童子が跳ね回る様子。真下ではさらわれた美女たちが右往左往している。
不思議なグロテスクさも併せ持つ特異なセンス。
2008年に彼の回顧展を見たことを想う。

蝉丸「蝉丸」 菅楯彦 これはタイトルロールそのまま「蝉丸」である。
菅楯彦はさらさらとした人物画が多いが、この蝉丸はさらさらとした筆遣いでありながらもその美しさをあらわにされた青年である。
延喜の帝の皇子でありながらも盲目の身となり、逢坂山に捨てられる。
そこへ琵琶の名手・源の博雅が訪れる…というのが大体の話だが、ここでは細部が違っている。
物語は後で記すとして、先に絵を見る。以前からとても好きな絵である。

美少年蝉丸が逢坂の関の庵で一人しょぼんと腰かけている。杖を手にして片方の足にはまだ草履があるが、これは外から帰っての様子なのか・今から出てゆくところなのかまではわからない。
庵には琵琶もある。見捨てられた美少年の儚い美しさが沁みてくる。

わたしは今回「大近松全集」の5巻を手にとり、そっと本を壊さぬように気を遣いながら「蝉丸」を通読した。
初めて読む話である。62ページ目から近松の脚本が掲載されている。

冒頭から色々と後の状況を想像させる話がある。
ここでの蝉丸はその美貌故に女たちに憎まれタタリを受けて失明する。
こうした話の展開は近松以前の中世の闇を思わせる。
「當流小栗判官」にもそうした展開がある。

ある宴の最中のことである。
実は彼は北の方を裏切り、二年経つのに手も触れず、その言い訳に仏道修行を言い立てるのだが、衛士として男装する愛人が全てを告白し、めちゃめちゃになる。
結果、女の恨みで失明する蝉丸。
その後は色々とトラブルが続く。
やがて安居院の小聖のおかげで彼を呪う北の方も成仏し、復活の日を迎える。
ここで安居院が現れることにも中世の闇が活きていることを感じる。
更には説経節などに多出する「千秋萬歳」で終わるのだ。
古い物語にはそうした闇がまといつくのだが、一方でこの蝉丸は確かに近松当時の青年でもあったのだ。

展示は12/18まで。
こちらは来季のチラシ。
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そして終了のものも。
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また次も見たいと思う。



没後20年 司馬遼太郎展「21世紀 未来の街角で」

阪神百貨店で司馬遼太郎没後20年の展覧会が開催されている。
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96年に亡くなったからもう本当に20年をすぎてしまったのだ。
没後何年目か、司馬さんの自宅が仲良しの安藤忠雄設計によって記念館となり、河内の人々の熱心な運営と全国からのファンの来訪により、大阪府下有数の魅力ある文学館となっている。
今回その司馬記念館から司馬さんの膨大な仕事のうち・戦国もの・維新から明治・街道物などをピックアップして阪神百貨店の8階に集結させた。
いそいそと出向くと、司馬さんと一緒に歩ける拵えがあった。



いいねーみんなここで記念撮影。
わたしはこの司馬さんを見て「街道をゆく」司馬さんと、我が道を行く須田刻太画伯の様子を思い浮かべた。

中に入って仰天した。
産経新聞で連載していた「竜馬がゆく」全話1335回分の新聞掲載時のコピーが壁面にズラリ。つまり岩田専太郎の魅力的な挿絵もずらり。
わたし、アタマ沸騰したわ。


ここだけでどれだけ時間がかかったかわからなくなった。
叫びだしそうになりながら写真をパチパチ撮った。知ってたらカメラにしたのに。
絵を見て文をチラチラ見るうちに初めて読んだ時の感動と興奮が蘇ってきた。
長らく再読していないのに、様々なシーンやエピソードや文章が次々に浮かんでくる。
わたしは小学5年生だった。夏休みのある日、家にあった5巻もの単行本を読み始め、1日一冊ずつ読み進めたのだ。あまりに面白すぎて、毎日朝の8時から夜中の2時まで読み耽っていた。その5日間は何処にも行かず、ひたすら「竜馬がゆく」を追い続けたのだ。
その時に今も続く熱狂と偏愛の性質が形を取ったのだと思う。

なおわたしの撮った専太郎の挿絵は別項で挙げている。
さてその「竜馬がゆく」壁面を過ぎると、「国盗り物語」が現れた。
斎藤道三のあたり。1行だけで強く惹き込まれるのを感じる。
そばに信長の肖像画があった。
ふっと大河ドラマでの本能寺の変の回を思い出した。
放映当時はそもそも知らないのだが、便利なもので映像が残されていたのでつい近年見ることが出来たのを思い出す。

「関ヶ原」がある。これも家にあった。3巻本。印象深いシーンがいくつもあり、長らく疎遠にしたとはいえ、その文章や状況が浮かび上がってくる。
司馬さんの文章の力にくるめとられることに、いささかの反抗心もないことに、改めて気づかされる。

「燃えよ剣」や「新撰組血風録」がある。
本を読む前に既に栗塚旭主演のドラマを見ていた。あまりに素晴らしいドラマだったので、いまも土方は彼以外考えられなくなっている。尤もこれは半ば以上親のリードにも依った。

普通はどちらかに力を入れるものだろうが、わたしは竜馬も新選組も高杉晋作も河井継之助も等しく好きだ。これはやはり司馬さんの本に導かれたからに他ならない。

あまりに耽溺すると冷静な眼が持てなくなる。
しかし歴史小説の場合、その場にいなかった後世のものは、著者の力業にうまいこと巴投げされて、のめり込むことが少なくない。
たとえば聖徳太子についてだと、わたしは山岸凉子えがく厩戸王子以外はどうしても受け入れられない。
偏狭だとも言えるが、それがファンの情というものだ。

「菜の花の沖」がある。函館に行った時、嘉兵衛の像を見たことを思い出す。
その時も嘉兵衛がどういったことを考えていたか・何をしたかということは全て司馬さんの作品を根拠にして、思い出している。

司馬史観から抜け出すことはもうありえないし、その居心地の良さを手放すことも厭だ。
そうした人が多いからこそ、今日に至るまで絶大な人気が続くのだろう。
しかも新たなファンを獲得し続けている。

「坂の上の雲」をドラマ化した時、NHKはとても力を入れたそうだ。
司馬さんの小説を映像化することはほぼ無理だとよく言われる。
わたしも期待はしていなかった。
しかしあのドラマはよく出来ていた。
「まことに小さなこの国が」と地の文章をナレーターに「言わせた」時、強いやる気を感じた。とてもよく研究してドラマ化している、これは期待してもいい、と第一話を見始めたとき、思った。

司馬さんの読んできた本が記念館にある。
実際には同じ本を集め、展示しているのだが、あれを見たとき、ときめきと共に反省が生まれる。
生涯にどこまで本を読み、咀嚼し、更に求め、違う意識や意味を知ることが叶うのか。
自分はどこまで学べるのか。
だが、現実はずっとに厳しい。
そして司馬さんへの畏敬の念はいよいよ巨大化する。

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刻太さんの挿絵が並ぶ。
ああ、懐かしいモンゴルのツェベックマさんがいる。
「街道をゆく」のモンゴル編は中学の教科書に採用されていて、わたしはそれで「街道をゆく」を知ったのだ。
特にモンゴルのヒトなどそれまで本当に知らず、大昔のチンギス・ハーン(当時はジンギス・カン表記)くらいしか知らなんだのだ。
あのころのわたしに今の大相撲の様子をぜひとも教えてやりたいくらいだ。

刻太さんの展覧会もよく見ている。近年はちょっと企画展がないが、それでも関西にいる一得で刻太さんの作品を観る機会は少なくない。
司馬さんは刻太さんの不器用さを愛し、旅の時、ご自分もものすご゛゛゛゛゛゛゛ーーーーく不器用なのに剋太さんの世話をよく焼いていたという。
とてもいい話だ。

剋太さんが亡くなり、それから何人かの画家が旅を共にし、安野さんも司馬さんの旅を描いた。
しかし本当の意味での「旅の道連れ」はやはり須田剋太以外にはいなかった。

小説の挿絵は専太郎、中尾進、風間完、三井永一らの手練れがよいのを残した。
挿絵愛好者である私としてはとても嬉しい展示でもある。
司馬さんご自身の絵や地図もあるのが楽しい。

今、自分は旅に出ることがまだ出来る。月に一度東京へ出かけるのを旅とは思わなくなってしまったが、それでも何かで旅をしていると感じることがある。
そんなときに司馬さんの「街道をゆく」に向き合うべきだなと思う。
それはまた昨日挙げた鷗外の「即興詩人」と安野さんの旅を想うときでもある。
わたしはどこかへ出かけようと思う。司馬さんの展覧会を見る今、そんなことを想う。

若い頃、産経新聞の記者だった司馬さんの遺品などをみる。
数年前みつかった本願寺所蔵のソファや「金閣炎上」をスクープした時の記事などを見る。
それをみて思い出したが、井上靖は毎日新聞の記者だったころ、創造美術の立ち上げを知り、時宜を待って、大きなスクープ記事にした。これもいい話だ。

司馬さんは「韃靼疾風録」で小説家を卒業し、社会思想家になったとでもいうか、この国の行く先を心配して若い人たちに言葉を残すようになった。
没後20年、司馬さんはむしろ今の世を知らなくてよかったかもしれない、と思うことが強い。
展示を見ながら、最後のコーナーで考え込んでしまった。

24日まで

「竜馬がゆく」 ―岩田専太郎の挿絵の複製から

岩田専太郎の挿絵画家のキャリアは半世紀を超えていたそうだ。
大正時代にはアールヌーヴォーの影響を見せる「鳴門秘帖」を描き、戦前には「夜光虫」、戦後すぐに絵物語で「痴人の愛」、それから「音楽」の挿絵を担当し、やがて「竜馬がゆく」も数回以外は全て担当した。
生涯に何十万枚描いたのか、本当の所はもうわからないようである。

千駄木に「金土日館」がある。専太郎の美術館。
いつもいい展示があるが、あまりに膨大すぎて、なかなかわたしの見たいものが出てこない。
そう、美人画もいいがわたしは彼の挿絵がとても好きなのだ。
十年前の今頃、弥生美術館で彼の回顧展があった。当時の感想はこちら
チラシは挙げていないが、図録として河出から出た画集も買った。
嬉しかったなあ。

今回、阪神百貨店で司馬遼太郎展が開催され、新聞掲載時の「竜馬がゆく」の再現が壁面数枚に成されていた。
さすがに全部を撮影は出来なかった。なにしろ1335回と言う長丁場である。
適宜スマホで撮影したが、順番はちょっとめちゃくちゃである。
わたしも長らく再読していないので正確な合わせ方は出来ない。
ただ、挿絵を見て、その文章を読んで、最初に読んだ小学校5年の時の感動が蘇ってきた。
改めてドキドキし、それが自分の心臓を強く打った。
ああ苦しい。苦しいが嬉しい。
写真撮影が可能だったのも嬉しい。
相当撮ったのでこれはもうサムネイルで挙げることにする。
順不同なので話のつながりはわからない。
中にはわかるものもあるが。

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これは中尾進によるもの。KIMG1907.jpg

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猫をだっこしてゆきすぎる竜馬。巧いシーンだったなあ。
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始まりと終わり。
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文をチラチラ読み、絵を見ていると様々なシーンが蘇るだけでなく、それを読んでいた時の自分のときめきがはっきりと思い出されてくる。
乙女姉さん、脱藩、お田鶴さま、さな子さん、寺田屋お登勢、おりょう…
様々な人々がイキイキと動き回る。久しぶりに通読したい。

壁面いっぱいの再現にただただ喜び、感謝する。

文して恋しく懐かしき君に ―鴎外、『即興詩人』の10年―

既に終了はしたが、心に残る展覧会の感想をここに挙げたい。
森鴎外記念館「文して恋しく懐かしき君に ―鴎外、『即興詩人』の10年―」展である。
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現在は既に鴎外の親友を対象にした「賀古鶴所という男/一切秘密無ク交際シタル友」展が開催中。

「即興詩人」はアンデルセンの小説であり、彼の名を有名にした。
イタリアが舞台であり、様々な出来事がおこる。
哀しい恋もあれば熱い戯れもあるが、それらはアンデルセンの原文で知るのではなく、森鴎外の豊かな言葉で綴られた翻訳文から知ったことなのである。

鴎外は「即興詩人」翻訳について次のように記している。
(以下、引用文は全て青空文庫の「即興詩人」から。なお読みやすいように手を加えてもいる)
「 初版例言
一、即興詩人はデンマルクの HANSハンス CHRISTIANクリスチアン ANDERSENアンデルセン(1805―1875)の作にして、原本の初板は千八百三十四年に世に公にせられぬ。
二、此譯は明治二十五年九月十日稿を起し、三十四年一月十五日完成す。殆ど九星霜を經たり。然れども軍職の身に在るを以て、稿を屬するは、大抵夜間、若くは大祭日日曜日にして家に在り客に接せざる際に於いてす。予は既に、歳月の久しき、嗜好の屡※(二の字点、1-2-22)しばしば變じ、文致の畫一なり難きを憾み、又筆を擱おくことの頻にして、興に乘じて揮瀉すること能はざるを惜みたりき。世或は予其職を曠むなしくして、縱ほしいまゝに述作に耽ると謂ふ。寃ゑんも亦甚しきかな。
三、文中加特力(カトリツク)教の語多し。印刷成れる後、我國公教會の定譯あるを知りぬ。而れども遂に改刪(かいさん)すること能はず。
四、此書は印するに四號活字を以てせり。予の母の、年老い目力衰へて、毎つねに予の著作を讀むことを嗜めるは、此書に字形の大なるを選みし所以の一なり。夫れ字形は大なり。然れども紙面殆ど餘白を留めず、段落猶且連續して書し、以て紙數をして太加はらざらしむることを得たり。
  明治三十五年七月七日下志津陣營に於いて 」


ここでわたしの思い出話をつけくわえると、わたしが「即興詩人」を知ったのは小学生の頃だが、当時はこの本を読む機会もなく、また読解力もなかった。
アンデルセンは既に読み始めていたが、それは童話であり、高橋健二の丁寧な翻訳で読んだのだった。
そしてこの「即興詩人」はアンデルセンの名を有名にしたが、彼を不朽の大作家たらしめたのは童話だという話がある。
ただ、当時のわたしはそのことを知らず、断片だけ知った鴎外の古雅な文体を想い、いつか読んでみたいと思うばかりであった。
実際に通読するのは随分後年のことになったが。

展覧会のねらいについては以下の通りにある。
「展覧会では、『即興詩人』の連載開始から単行本発行までの10年間(明治25年~35年)に着目します。医学界・文学界で論争を展開する活力みなぎる時期から、小倉赴任など待機の時代を経て、変化・成長する鴎外を『即興詩人』の連載発表とともに辿ります。
主人公アントニオと歌姫アヌンチャタとの悲恋を軸とした物語には、鴎外の青春が詰め込まれているといわれます。鴎外にとって『即興詩人』の翻訳作業は、半生のロマンを閉じ込め、新たな自分を探す旅だったのかもしれません。
旅する画家として知られる安野光雅の『絵本 即興詩人』とともに、青春に想いを馳せる鴎外の心の旅をご覧ください。」


ということで、資料もその時代ごとに、そして安野光雅さんの「繪本 即興詩人」の原画も展開に準じて並んでいた。
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第一章 旅のはじまり ―観潮楼から日清戦争前夜まで

・「わが最初の境界」しがらみ草紙 明治25年11月 ~「みたち」しがらみ草紙 明治26年11月
・「学校、えせ詩人、露肆」しがらみ草紙 明治26年12月 ~「歌女」しがらみ草紙 明治27年8月まで
物語のまだ始まりであり、動き始めたまで。

掲載誌のしがらみ草紙が展示されていた。
それから同時代の早稲田文学、歌舞伎新報、文学界、三田文学、国民之友などの雑誌がある。また、鴎外はこの時期陸軍の軍医なのでそんな資料もあった。
当時の鴎外と交際のある人々の書簡もここで紹介されている。
岡倉天心、近衛篤麿、井上円了などなど。

わたしが最初に知ったのは「隧道、ちご」のあたりで、乱歩が「孤島の鬼」に引用していたからだ。小学生の頃に高階良子が「孤島の鬼」を元にしたマンガを描き、それから原作を読んだのだが、平明な文章の中に鴎外の文語体の美麗な文が入り込んでいることで、いよいよドキドキしたものだ。
尤も「孤島の鬼」をどこまで本当に理解していたかは別として。

ところで街中の賑やかな市場の様子を活写する中で「肉鬻ぐ(ひさぐ)男」というのがあり、これはもちろんお肉屋さんのことなのだが、少し大きくなって本格的に読み始めたとき、うっかり別な意味で捉えてしまい、「きゃっ♪」と喜んだことがある。
すぐそれがただの勘違いだとは知れたが、今もその文字を見て「きゃっ♪」なのは変わりない。←フジョシ。
先に鴎外の「ヰタ・セクスアリス」を読んでいたのと、生まれついて妄想が先走る性質だからだろう。

安野さんの絵を見る。
以前に神奈川近代文学館で鴎外と安野さんの展覧会を二度ばかり見ている。
そのことを思う。
・2009年「森鴎外 近代の扉を開く」
当時の感想はこちら

・2011年「安野光雅 アンデルセンと旅して」
当時の感想はこちら

スペイン階段 ああ、ここはどうしても真っ先に「ローマの休日」を想うのだけど(実際わたしも友人とジェラートを食べた)、そう、ここもまた「即興詩人」の舞台なのだ。
1725年に完成。鴎外の描写はそれよりまだ百五十年ほどいにしえのような感興を呼び起こす。
原作が刊行されたのは1834年。アンデルセンの原文を読めないわたしにはやはり鴎外の「即興詩人」こそが原作となっている。

安野さんは淡彩で淡々と描く。
ポポロ広場、謝肉祭の競馬などの絵も物語の情をあえて排して、その様子・状況をしかし詩情豊かに描く。
悲劇も喜劇も同じ大きさで描くことで、自然と人工の営みとを目の当たりにする。
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第二章 旅の中断と再開 ―日清戦争帰国後から小倉赴任まで
ここではアヌンチャタへの熱情のためにアントニオがベルナルドオと仲違いし、出奔する状況からヴェスヴィオ火山へ行く辺りまでが中心となっている。

・「をかしき楽劇」めさまし草 明治30年2月~「大澤、地中海、忙しき旅人」めさまじ草 明治31年5月
・「一故人」めさまし草 明治31年7月~「噴火山」めさまし草 明治31年11月

佐々木信綱、尾崎紅葉らの書簡がある。
自筆原稿で「携帯糧食審査に関する第一報告」というのがあったが、中身は知らないものの、わたしは例の脚気を思い出してたしまったなあ。

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第二章に現れる安野さんの絵はやはり淡々としている。
ボルゲーゼ美術館 6年ほど前にここのコレクションが日本に来たことを忘れない。当時の感想はこちら
主人公アントニオのパトロンはボルゲエゼ公爵だった。

ローマは不滅、美しきナポリ
どちらも古代から続く地。安野さんの見たその地はまた欧州大陸の人々の憧れの地でもあった。若者のゆく旅、グランド・ツアーのことを想った。
「君よ知るや南の国」もまた。

第三章 旅の終わり ―小倉での生活、そして帰京
鷗外の九年余にわたる「即興詩人」の翻訳がいよいよ終わりを告げると同時に、生活の一大転換期に差し掛かった。
彼ももう旅の終わりを実感する年頃に差し掛かっていた。
人生の円熟期に入ろうとしていたのだ。

・「嚢家」めさまし草 明治32年9月~ 「なきあと」めさまし草 明治33年8月
この嚢家(のうか)とは賭場、つまり博打の場のこと。鷗外は(博奕場ばくえきぢやう)と記していた。
・「未練」めさまし草 明治33年8月~ 「琅玕洞」めさまし草 明治34年2月

1834年春、アントニオは妻子を連れてカプリ島へ行き、そこで物語は叙情豊かに終わる。ある種の諦念とも淋しさともつかぬ感情が湧きだすのを感じる。
それはやはり鷗外の訳文の力なのだとも思う。

明治35年に刊行された「即興詩人」初版、続く第二版、第三版と優美な本が並ぶ。
そして上田敏から息子・於莵への書簡などもある。
20世紀になったのだ。

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安野さんの絵はナポリからチヴォリ、ヴェネツィア、カプリ島へと移る。
アントニオの旅を絵筆で追う。
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人物がいても個人特定はできない。そしてそのことが実はその作品世界をより豊かにしている要素なのだった。

鷗外の古雅な文章と安野さんの絵とがわたしの中に浸透する。
わたしは青空文庫のそれを拾い読みしながらこの感想を書いている。
そして鷗外の仕事を展覧会で追う。
とても有意義な状況を楽しんだのだ。
わたしもまたイタリーを旅した心持がある。

最後に常設で可愛いものを見つけた。
坪井正五郎から鷗外の弟・潤三郎へのはがきに描かれた蛙。
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余韻を長く楽しんでしまい、こうして会期終了後に感想を挙げることになってしまった。
よい展覧会だった。

白鶴美術館の建物 その1

春秋にいつも素晴らしい展覧会をここで見ている。
白鶴酒造の嘉納さんの美術館である。
HPからこの館の概要について引用する。
「嘉納治兵衛(鶴翁・白鶴酒造7代)によって昭和9年(1934年)に開館されました」とある。
近代和風建築の粋を集めた素晴らしい名建築である。
阪神大震災を乗り越え、21世紀も御影の山手に活きる。

過日、建物を撮影させていただいた。
15年ほど前までは所蔵品も撮影可能だったが、そちらはもうダメとなったので、展示品が写らぬように苦心して内部も撮った。

まずは美術館へのアプローチから。
阪急からは徒歩だがJRや阪神からならバスですぐ近くまで運んでもらえる。
住吉川沿いの道をバスが上る登る。
すると…
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正門前IMGP0126_2016121417101206e.jpg

中へ進むとIMGP0123_201612141710088eb.jpg
気宇壮大になる。

大きな石のステップをゆく。
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こんにちはIMGP0122_201612141710061fa.jpg

到る所に鶴のモチーフ。
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中庭をこえて本館を眺める。
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中庭の燈籠は東大寺のそれを思わせるもの。
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鶴翁が奈良から灘へ養子に来られたからだろう。

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玄関先の建物の二階から眺める。
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この通路を通り本館へ。

屋根瓦
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先にこちらの二階で建物について学ぶ。
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二階もなかなか素敵だ。装飾もいい。
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椅子も可愛い。
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壁面装飾
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天井もIMGP0031_20161215163256978.jpg

絨毯も可愛い。IMGP0033_20161215163259ff8.jpg

鶴はここにもいる。IMGP0043_20161215163330eb9.jpg

廊下へ
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階段もいい。
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まだまだ続く。

白鶴美術館の建物 その2

階段を下りる。つくづくいい建物よ。
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階段下から玄関方面を見る。
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大理石も椅子も何もかもいい。

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ではそろそろ本館へ向かいますか。
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この回廊には資料展示もあり、阪神大震災の時の状況なども展示されていたことがある。
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一階の外周
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二階への階段など
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椅子のセットは新しいのだが雰囲気を合せている。
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展示室の窓や天井など
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床もいい。
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窓の外IMGP0088_2016121516553093b.jpg

続く。

白鶴美術館の建物 その3

さていよいよ二階へ参りましょうか。

照明のいいのをご紹介。
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階段へIMGP0095_20161216122855937.jpg

細部もいい。IMGP0092_20161216122851320.jpg

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二階は風通しも良く、大阪湾も阪神間も一望。

格天井
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格天井の鶴の絵。
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この日の展示は「大唐王朝」展、その感想はこちら

新館の絨毯展示室は今期も大充実のこちら

いいものを見て、いい建物を見て、さあ出ましょう。

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また来春。

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一階の窓を外から
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やはり良い建物。
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いつまでもこの居心地の良さを保ってほしいものです。
素晴らしき白鶴美術館。

描かれた花々―小磯良平の植物画を中心に―

小磯良平記念美術館で12/11まで特別展「描かれた花々―小磯良平の植物画を中心に―」が開催されていた。
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静物画として飾られた花を多く描いた小磯だが、武田薬品の月刊誌のために様々な植物を描いてもいる。
それらは博物学的な要素もありつつ、情緒もある水彩画で、表記は全てかなで記されていて、それからしても可愛らしさを感じる作品となっていた。
武田薬品の薬草園に20年近い前に出向いたことがある。
住友関係の名建築もあり、薬草園も素晴らしいが、特別公開の時以外は一切公開されない。
HPはこちら
見学案内も示されている。
植物の保護の意味もあり、わたしもここの建物や薬草園の写真は挙げない。

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さてその植物画が大量に六甲アイランドへ来ていた。
小磯の上品で清楚な画風は水彩画でも変わらず、丁寧でいて、どこか洒脱な感じのする作品に見えた。
植物たちは瑞々しさと共に朽ちかける様子も見せ、学術的な要素を前面に押し出すわけではないので、一種の異字同時図ともなっていた。
即ち、花と実とが一緒に描かれていたりするのだ。
そしてそれが不自然に見えないところがいい。

小磯と植物画についての話が記念館たよりに掲載されていた。
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色んな植物が描かれているが、ちょっとした蔓や葉の巻き具合なども丁寧で、とても優しい。
安野光雅さんの植物画とも共通するようなあたたかな気持ちが絵に反映されている。
目は鋭く、筆も冷徹でも、心は優しい。いいなあ。

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近年漢方が大好きになり、植物の成分や効用を知るのがとても楽しみになった。
今回も絵を楽しむだけでなく、そうした面でも面白かった。

こちらはわたしが以前に購入したもの
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愛情が湧きだしてくる。

展示は他に牧野富太郎の関連のものが出ていた。
こちらは完全に学術的なスケッチ・解剖図・絵解きだった。
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すごく細かいし、びっしりと情報が詰まっている。

小磯は植物の皮膚を・牧野は内臓を描いている。
小磯にある情緒は牧野にはないが、情報が詰まっている。

展示は他に花を描いた洋画が集められていた。
知ってる花や知らない花が集まり、綺麗な空間になっていた。
ただ、こちらは花だけが主人公ではなく、窓の外や裸婦などが目を惹くように出来ていた。
しかし今回は小磯の水彩画の花に尽きた。

いいものを見た。
展示は終了したが、本当に良かった。
なお今日12/16は小磯の命日だそうである。

野々村仁清とその時代

香雪美術館の秋から冬の特別展は「野々村仁清とその時代」だった。
丁度「御影アートマンス」の期間に行き、スタンプラリーにも参加して、楽しい気持ちになった。

仁清のやきものは多くの人に愛されていて、今日もその多くが伝わっている。
仕事も多かったが、そうして生き残り続けるのは嬉しい限りだ。

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並べ方にもとても工夫がなされている。
まず三つの茶碗がある。
色絵武蔵野文茶碗 湯木美術館 
色絵鱗波文茶碗 北村美術館 
色絵忍草絵茶碗
鱗波と忍草は兎斑白釉。いずれも魅力的な茶碗で手の込んだ構成となっている。
武蔵野は呉器手と言うていたそうだ。忍草の箱は金森宗和、前田家伝来。

白釉茶碗 銘「更夜衣」 さやごろも、と言う。夜着という意味らしい。

色絵桜雀文茶碗  これは特によかった。二羽の雀が来た。桜の下にいる。
薄紫に金に黒っぽい青で雀が表現されている。とても愛らしい。

仁清の色彩感覚は京焼の範疇にありながらも軽やかな飛翔を見せている、と思う。
が、彼の彩色は金森宗和亡き後からのもので、彼が存命の頃はシックな色合いばかりだった。

灰釉刷毛目天目茶碗
鉄釉天目茶碗
これらはシックな方の名品。ちょっとジミめすぎる感じもある。
いや、単に嗜好の問題か。

焼締亀絵水指  見込みに金色のガメラ発見。金の使い方が綺麗。蒔絵。甲羅も素敵。
加賀の本多家伝来。当時、宗和の息子が加賀に出仕していたのでその関係か。

金襴手四方水指  蓋は七宝繋、四面にそれぞれ中国の高士などが描かれている。
滝を見る李白、林和靖と梅、布袋と唐子、奥のは陶淵明と菊。
それぞれの画題は日本人になじみ深いものばかり。

白鉄釉掛分冠形水指  全体の形が唐冠ぽいからだとか。両サイドに突き出る。「トウカムリ」と読む。中国のそれではなく、日本の兜の一種。曼殊院伝来。箱は宗和。

白釉獅子鈕蓋砂金袋水指 湯木美術館  抓みにいる獅子が「ワテがこの砂金袋の見張りだス」とか言うてそうである。

白緑釉掛分水指  この掛け分け、九州の上野焼(アガノ・ヤキ)、高取焼の技術を採用したそうな。灰釉と鉄釉と銅線も使ってるのか。

鉄釉耳付水指  こちらもシブイな。若いうちはシック、晩年はカラフルというのも素敵。
マカロニを二つ並べたような。

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鴨香炉  香炉の孔部分が悪魔顔!でもファンキーでいい。胴は銹絵。
仁清の鳥の可愛さというのは、もう本当に堪えられないな。鳥がニガテのわたしも可愛く思う。

小さくて可愛いものが集まる。
色絵諫鼓鳥香炉  上にいるトコヨノナガナキドリはたいへんニガテなのだが、この東天紅はやね、泰平の印らしい。

色絵菊文香炉  みっしりと菊。タジン鍋のような外面が可愛い。

色絵丸文茶器 湯木美術館  もう本当にこれぞ仁清、という感じがある。紗綾形の地にカタバミが12個順序良く並ぶ。

色絵桜文香炉  火屋は亀甲。桜が満ち満ちている。

古瀬戸 茶入  斑になる。茶箱に収められていた1つ。

朝顔 割蓋茶器  真ん中で割れる。小さな朝顔の花と蔓とが少々。

鱗香合  色がとても綺麗。ほしいと思ったのはこれ。
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色絵扇面文瓢形香合 北村美術館  これも可愛いなあ。
色絵羽子板香合 左義長のあれ。トント。中は青緑。
色絵玉章香合 結び文型。
銹絵糸瓜香合 長く伸びて蔓と葉とが。
他にも本当に可愛いものばかり。

尺八形掛花入  焼き締めた力強いもの。

色絵吉野山図色紙皿  金霞の吉野の桜。塔もあり本堂ものぞく。

桜花文透鉢  けっこう大きいな。ハート形の花びらが舞う。この八の下に紫の布を置くと影を映して綺麗だった。

長谷川等伯 柳橋水車図屏風   柳が少しずつ季節により様子を変えてゆく。モフモフからサラサラへと。春から夏への変化。こうしたところに気を遣う美しい意識。

松花堂昭乗 天神図  頭巾かぶって横向きの姿。

狩野常信 鴨図  この鴨はおとなしそう。鴨ップル。

古清水 佐野渡し香炉  意外に大きい。貴人が袖で顔を隠す情景を再現。少年も可愛い。そして煙が出るのは貴人の袖からという遊び心がいい。

青磁 獅子蓋 燗鍋  口蓋に獅子らしきものが。

本阿弥空中 信楽水指  うーん、たとえが変なのだがゴーレムのようだとしか言いようがない。

尾形光琳・尾形乾山 枯芦小禽図 額皿  可愛く出来ている。

仁清から学習した乾山の佳いのが並ぶ。

銹絵染付雪笹文食籠  ぼってとした楕円形がいくつも。

色絵絵替向付  呉紅葉、地僻、雖小天 などの文字がある。

銹絵染付寿字向付、絵高麗写銹絵花卉文向付も面白い。

尾形乾山 銹絵染付菊花文、葉文 汁次(対)  これはいずれも可愛らしい。
それぞれの違いを際立たせている。いいなーいいなー。

尾形光琳 刈田群鶴図蒔絵硯箱  7羽の鶴のダンス。ステキだ。うねるうねる畔畔…畔黒というそうな。

小川破笠 葵祭茶箱  これまたよく出来たもの。螺鈿が無造作に、ハート形の葵が可愛い。

写しを見る。
永楽正全 仁清写 吉野山図色紙皿  にやら賢そうになって。
永楽妙全 仁清写 柳橋水車図皆具  この絵のセットものは可愛いな。

光琳好 蒔絵螺鈿山吹雪吹  面取りした上にまた吹き墨などをして、と手が込んでいる。

現在は後期展示だが、本当に良いものばかり見てキモチ良くなった。
やはりよいのう…
12/22まで。

百貨店と近世の染織/身体をめぐる商品史

佐倉の歴博はわたしにはやはり遠いのだが、こういう展覧会があるとやはり出かけてしまう。
一旦中に入るとどの展示室にも夢中になるのでいつも時間が不足する。
今回もそんな状況になった。
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大体百貨店と言うものが大好きで子供の頃からよく行った。
尤もわたしはキタの子なので阪急・阪神が中心で、それから展覧会が開催されているという理由と素敵な建物だということから大丸心斎橋(!)と難波の高島屋にはよく出かけた。

これまでここのブログ上で何度も繰り返してきたからあえて百貨店史については書かないが、やはり百貨店から生まれる流行は三越が主導して来たと言える。
そして髙島屋が美術に力を入れ、今日に至るまで見事な展覧会を重ねてきている。

ところで次から3枚の資料を挙げるが、時代時代の嗜好の趨勢がわかって面白い。
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日清日露の頃からだんだんと懐古的な楽しみを見出すようになったようである。
1905 元禄ブーム
1906 桃山ブーム
1908 光琳様式ブーム
1910 新有職ブーム
ここまで百貨店にリードされてきている。

美や故の花(みやこのはな)1905
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が、大正になると洋装が増えてきたので、もう以前のようなわけにはいかなくなった。
とはいえこうした動きがある。
1915 新光琳式
1919 西洋草花風
そんな着物が愛され、また江戸趣味も流行った。
一方でパリ講和条約の1919年にはスキー、登山、体操、野球が流行り、女性も楽しんでいる。

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大正時代から1980年代までの資料が現れる。
こちらの展示は特別展だが、先のと深くリンクしている。

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「今日は三越、明日は帝劇」だったか、その逆だったか、どちらにしろ帝都の豊かな住民はそうした楽しみ方をした。
百貨店はまた独自の雑誌も刊行した。
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白木屋の雑誌。

信州中野の豪商田中本家からも子供服の資料展示があった。
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通称タホンの所蔵品の素晴らしさについても大いに語りたいが、既にここで何度も語っているので挙げないが、近代史に関心のあるひとはタホンにある大正から戦前の所蔵品を見ることを強くお勧めする。

やがて市民が主体の生活が始まり、スキーや登山も大いににぎわった。
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江戸時代の入浴は盛んだったのだが…
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ライオン歯磨きと中山太陽堂のクラブ歯磨きの普及が大きな転換となった。
東西でこの二大メーカーが啓蒙活動したのは非常に大きい。
特に中山太陽堂の宣伝の素晴らしさは現代にまで語り継がれている。
それらの資料は現在もクラブコスメチックス文化資料室で展示されている。
このブログ上で何度もそれらを紹介しているので、よければ検索してみてください。

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真ん中下にクラブの白粉があるが、これは有害な鉛を排除したものであり、そのうえで綺麗に白くつくものだった。
このパッケージは現在復活していて、フェースクリームとして販売されている。
わたしも可愛いので手元に置いて愛玩している。

クラブだけでなくレート化粧品も活躍した。しかしこちらは残念ながら鉛入りで、戦後の1954年に終わった。
また現在も活躍中の伊勢半は1914年から、資生堂は1929年から化粧品販売を始めている。
クラブ、伊勢半、資生堂はそれぞれ立派な資料室を開設している。
なおここでは取り上げられていないが、ポーラ、ノエビアといったメーカーも資料室やギャラリーを開いている。

面白いことが色々わかる。
クラブコスメは表面を飾る方向よりも基礎化粧品に力を入れているのでそちらの商品は少ない。
資生堂は日本人の皮膚の色に合うものを探求した。
「落ちにくい」ことで名を馳せたMAX、1970年代以降はコーセーも紹介されている。
こうした違いを知ることは楽しい。

時間が足りなくなりかけ足となったが、とても楽しい展覧会だった。
12/18まで。



浦上玉堂と春琴・秋琴 父子の芸術展

浦上玉堂と春琴・秋琴 父子の芸術展を千葉市美術館でみた。
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以前に出光美術館で玉堂と春琴の展示を見てはいたが、本当のところは全くわかっていなかった。
当時、こんなことを書いている。
そう、なんにもわかっていないのだ。
あれから多少の歳月が流れ、少しは「文人画」というもの、文人であろうとする男性の気持ちというものもわかりかけているような気がする。
展覧会の惹句は「文人として生きる」である。
そもそも「文人」とは何か。
そのことについてもこの十年の間に知ることが多くなった。
絵を描きながらもそれを表技にせず詩文を書くことを第一にする。
・・・(ええかっこしいヤナ)などと思ってはいけない。

ところで玉堂は50歳の時に「脱藩」し、息子等をつれて諸国放浪に出た。
16歳の長男・春琴、10歳の次男・秋琴である。
一般的に「脱藩」といえばなんとなく罪を思わせるのではないか。
わたしなどは「えっ・・・」と絶句するのだが、今回の展覧会で初めてきちんと手続きを踏んでの「脱藩」ということを知った。
なにしろこれまで知る「脱藩」といえば夜陰にまぎれて国境越えとかそんなのばかりなので、玉堂は言えば「自己都合による退社」で、夜逃げではないのは初めて知った。
というか、こういうのも「脱藩」というのか。
しかもびっくりしたのは玉堂がかなりの名家の出で、紀氏の後裔だというだけでなく、数代前には藩主と血縁関係まで出来ていたり、本人も担当重役だと知って、本当に「えーっ」になった。
わたしの無知からの驚きだが、それにしてもびっくりした。
玉堂の過激な(と言っていいと思う)絵を目の当たりにしつつ、まだ人物像が揺らめいて困っている。

七絃の琴と筆を持って岡山を出て、江戸、上方をはじめ諸国遍歴をする玉堂。
ただし次男の秋琴は脱藩後の早いうちに会津藩に就職した。
松平家の会津藩か、と思って年表を見るうちに「・・・幕末から明治に生きた人」だと気づき、あっとなった。
いちばん激動の時代の会津藩にいて、晩年は岡山に帰るにしても、会津の最後をみとり、明治の世にもその地で働いた人だったのだ。
うーむ、これにも驚いた。
「雅楽方頭取」に任ぜられ、明治の頃には副知事くらいの地位にいたのだ。
すごいなあ。

さて経歴はおいて、作品をみる。
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まずは父・玉堂から。

山水画がどれもこれも「ここには行きたくないな」な場所ばかりだった。
絵の良さとかそんなものはわたしにはわからないので、風景画は「行きたいか・そうでないか」を判断基準にしてしまう。
だから広重、巴水、吉田博、池田遙邨の風景は訪ねたいが、ターナー、ロイスダール、それから東アジアの山水画はニガテなのだ。

玉堂の山水図がずらりと並ぶのを見る。
行きたい場所ではないが、将に壮観だとしか言いようがない、と思う。
時代の流れもヒトの嗜好も顧みず、自らの心に沿う絵の世界で遊ぶ。
個別に作品をどうこう言えるほどわたしがこの世界に溺れられるわけもないが、ただ、その凄さというものだけは強く伝わってくる。

描いたものを集めて綴じたものをみる。アソートものというべき内容で、なるほど好きなものを好きなように描くだけ描いて、それを集めている。
手に取って眺めは出来ないが、こうした小さい作品はまだ手が届きそうな気がする。
カネの話ではなく、心がその世界へ入るための扉は開かれているということだ。

それにしても玉堂は実に多くの地を旅している。飛騨の山中で描いたものもある。
行く先々で観た物が昇華され、架空の風景画になる。写生したものをそのまま作品にはしない。
わたしは山水画は基本的にファンタジーだと思っている。
ありえそうなタイトルをつけてはいるが決してそれは「真景」ではない。
写生は円山派に任せておけ、と思っていたかどうかは知らないが、少なくとも山水画は観念のものだ。たとえ手本があろうとも。
だから展示に種本もあるが、それは玉堂が何を好んだか・何を求めたかも多少なりとも推測できる素材になる。

玉堂作品を愛する文化人も少なくない。
谷上徹三も扇面型の絵をもっていた。哲学者の彼がどのようにその絵を愛したかは知らない。また川端康成も国宝となった作品を所有している。
彼らは美の信徒であり、その証として玉堂の作品を愛した。
ここでわたしがとても気になるのは、谷川はその絵を息子に見せたか・息子はその絵を見て愛したかどうか、ということになる。
谷川徹三の息子は詩人の谷川俊太郎である。
徹三の思索と俊太郎の詩作に玉堂は関わったろうか。

大きな軸物が5点並ぶ。まるで連作の様だがそうかどうかは知らない。所有先も別々である。しかしこの「セット」は壮観だった。
人のいない遠くの山脈を旅する心持になる。

晩年の玉堂は京都に居を構えた春琴の家に同居する。春琴は33歳頃から父と暮らしたが、文人暮らしではなく職業画家として、四条円山派の盛んな地で人気を博して生涯を終えた。
なにも四条円山派だけが絵ではなかったのだ。あれもあればこれもある、ということで愛されたのはめでたい。

浦上父子・頼山陽とその父・春水らが東山の第一楼で宴会をした。
文化十年の事である。この料亭は30年ほど前には応挙らが楽しく過ごしたところではなかろうかと思っている。
応挙に「東山三絶図」というのがあり、その賛には第一楼とあるからだ。
(そんなことを言いだしたらあれにもここにもとなるが)
そしてその楽しい様子を春琴が描いている。
まったりのんびりした可愛い絵だ。
平安第一楼会集図 みんなのたのた。楽しそうな様子。
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玉堂は琴を弾いている。
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このイメージが鮮烈なのだろう、と思う。

春琴の絵を見る。
これまでイメージ的に矯激なオヤジと違い温厚な倅、という感じがあった。
その絵も和やかなものが多い。
だからか勝手にピョートルとアレクセイの父子を想像したりしたが、実際にはこの父子は仲良しさんだった。

唐子遊図衝立 盥周りで楽しく遊ぶちびっこたち。可愛い。
文化9年の作だから結婚の翌年の作品。
文化年間は浮世絵も華やかだし、上方もとてもにぎわった。
その最中の頃に描かれた優しい絵。

花卉図巻は絖に描かれていた。絖に描かれた絵とは素敵だ。とても綺麗。

養老観瀑図 これも楽しそうなツアーのたまもの。菊水という銘柄の酒を造るとこにいたそうだ。笛や笙で遊ぶ。

春琴は名古屋出身の竹洞、梅逸らと好敵手だったそうで、なるほどと思った。
梅逸は特に好きな絵師なので、彼らと競ったというのもいい話だ。
だからか春琴の絵は優しい花鳥画が多いのか。

頼山陽の賛の入った大きな絵もあるし、梅逸らとの合作もある。
いい交流があったのを感じる。

名華鳥蟲図 雀、黄蝶、キスゲ、アジサイ、スイセンなどの描かれた優しい絵がいい。
四時草花図 とても品のいい絵。華美に行かないところも好ましい。
墨竹図 さらさらと描く。

こうした作品が連なると、こちらの気持ちもとても和む。

特に好ましいのは野菜、魚介類を描いたシリーズもの。
海の幸、川の幸、山の幸。レンコン、ザクロ、ナス、クワイ、ユリネ。
カニ、カレイ、タイ、シマダイ。
無限に続くようでとても楽しい。

春琴は貫名海屋とも仲良く、京の名士の一人として活きた。
父の没後も京の人としてよい絵を描き続けた。

柳下小宴図 三条の辺りの鴨川べりで遊ぶ図。ちょんまげさんがご機嫌な様子である。
二条柳馬場あたりの住人なので近い近い。

たまには嵐山にも行き春秋を描き、富士山も描く。
玉堂富貴図といっためでたいのもある。
白薔薇、牡丹、南天、鳥兜、水仙といった花々が機嫌よく咲く。
リアルな虫の絵もあれば、秋の柘榴の絵もある。

面白いのは瓶花図。まさかの饕餮文様だった。白椿などがいけられているがびっくりしたなあ。饕餮文の瓶は殷代のではなく、清のレトロブームで作られたものがこっちに来た、という感じがある。他に仏手柑も転がる。

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最後に秋琴の絵が現れた。
このヒトは会津藩に雅楽方頭取として長く働いたが、だからか音曲の資料がいくつも出ていた。
絵も少なからずあるようだ。
中でも気に入ったのはこちら。
四季山水図 雪の日の山の中、人が小舟にいる。情緒のある作品。

明治になっても絵がある。
山水図(散歩多勝歩) 明治3年 86歳の作品でこの頃は岡山に帰っていたか。
のんびりしたよい絵だった。

わたしの中で、浦上一家への意識が相当変わった展覧会だった。
見てよかった。


常設展では別な父子の絵を集めていた。
北斎と応為、狩野家、長谷川雪旦と雪堤、岡田米山人と半江、渡邊崋山と小華、鈴木其一と守一たち。
こちらだけでもいい企画展になる。
ただ、浦上一家の熱にヤラレテ時間を取られ過ぎた。

江戸絵画のよいのを見るのは本当に楽しい。
浦上玉堂の神髄はわたしにはまた理解できないが、それでもなにか不思議な熱に巻かれたのは確かだった。

いいものをみた。12/18まで。

講談社の絵本原画展 2016年秋

今年の講談社の絵本原画展は4年前のそれと構成がよく似ていたので、同じ作品には前回のを引用する。
元の感想はこちら
引用文は色を変える。
今回のチラシは猿蟹合戦
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絵本原画をみる。
広川操一 鉢かつぎ姫 1938 
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母の元気なころは家族で参拝に行く。紅梅の頃には父は琵琶を母は琴を弾く。しかしついに死を覚悟した母は姫のアタマに宝を乗せ、そこへ鉢をかぶせる。いじめられた姫が入水しようとする。女郎花と芙蓉が咲いている川のほとり。親切な人が姫を救い、生きながらえた姫はとある貴族の下働きとなり、懸命に働く。
糸瓜のある湯殿。仲良くなったこの屋敷の三男と共に仏に祈るや、ついに鉢が割れ、母が収めた以上の宝がザクザク。姫の成長の年月に合わせ、お宝も増したらしい。
姫は着飾り、立派な嫁として姿を現す。

鰭崎英朋 花咲爺 1937 白梅・紅梅の咲くころにシロのお墓。一夜で巨大な松に。
やがて「枯れ木に花を咲かせましょう」となり、信賞必罰で悪い爺は捕まる。
鰭崎は挿絵画家として清方と共に人気が高かった。当時の「風流線」の口絵の素晴らしさは今の世にも知られている。晩年も相撲の絵で人気が高かった。

笠松 一寸法師 1937 
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住吉さんに申し子する老夫婦。一寸法師を授かるが、子は五月五日に旅立つ。船を乗り継ぎ京へ出た。お屋敷に住み込みよく働く。花見の頃では姫の短冊をいい位置に結び付けたり。一方論語も読める。そして打ち出の小槌で立派な侍になる。

笠松紫浪の木版画を見る機会は殆どないが、このように講談社が絵本原画を見せてくれるので、彼の画の雅さを楽しむことが出来るのは幸いだ。

近藤紫雲 牛若丸 1937 
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3点出ていた。鞍馬で天狗から鍛えられる・五条橋での邂逅・黄瀬川での兄弟対面。
動きは少ないが優雅な絵。

石井滴水 宮本武蔵 1937 
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こちらも3点。けっこう劇画調。入浴、塚原卜伝に鍋蓋でやられるところ、おっさんの佐々木厳流にジャンプしてるところ。
この三枚目が幼少期の横尾忠則に強い感銘を与えたそうで、かれはこの構図を引用して自作に登場させている。

神保朋世 四十七士 1936 
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・松の廊下で止められてるところ・門を打ち破り討ち入り中・炭小屋でみつけたー
神保の回顧展も以前に弥生美術館で開催されている。

富田千秋 孝女白菊 1937 
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琴を弾く白菊とそれを聴く両親。娘となり門外で佇む白菊。
顔を隠す青年僧に救われる白菊。
よく「孝女白菊」というのは聞いても話を知らんのでラウンジで絵本を読んで色々納得。
薩摩の人でいろいろ苦労をするのだ。西南戦争の頃。
菊などはけっこう様式的な表現。

日本画の基礎のある人々の絵だからか、いずれも四季折々の花や木が描かれ、情緒纏綿たる表現。こういうのが好きな人には本当にいい。わたしは嬉しくてならない。

宮尾しげを 一休さん 1938 ユーモア漫画で高名な宮尾しげを。ここでもペン画で自在に描き、とても楽しい。
このヒトで一番好きなのはこれ。
あんま
ころす
もちや
「あんころもち・ますや」の看板の字の配列。

須藤重 安寿姫と厨子王 1939 
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道を尋ね尋ねして橋の下で一休みするところへ悪人が。姉弟のつれて行かれた山椒太夫の屋敷は寺の門をもしのぐ豪壮な門をもつ。辛い日々の中、念持仏の功徳により助かる二人。
やがて逮捕される山椒太夫。母を探し当て、再会を喜ぶ。
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抒情画の名手による美しく哀しい物語。

川上四郎 童謡画集 1937 ・七つの子 子らのイメージと親鴉と ・あの町この町 田舎で遊ぶ子らと山裾の町の様子と。ほかにもあわて床屋などがあるが、童画家・川上らしい優しく温かな絵が可愛い。

布施長春 曽我兄弟 1937 ・父射殺・幼い兄弟も斬首寸前・仇討
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この絵本をみると先代勘九郎の「役者の青春」を思い出す。
おかあさんが孫にあたる当代勘九郎、七之助のために「曽我兄弟」の絵本を捜し歩いてもみつけられず、という話があったのだ。

須藤重 海の女神 1929 乙姫。やや未完風だが綺麗。

笠松紫浪 浦島太郎 昭和12年 6点。
浦島太郎 (新・講談社の絵本)浦島太郎 (新・講談社の絵本)
(2001/07/18)
笠松 紫浪


竜宮では月琴を弾く少女もいる。月琴は明治から大正にかけて随分流行した。昭和初期になるとだんだん廃れてきたが、それでも異国情緒をかもし出す楽器として、人々の意識に刻まれている。
海底の竜宮とはいえ庭には牡丹も咲き、梅や藤も姿を見せる。珊瑚は当然そこかしこに赤枝を伸ばす。水仙も愛らしく咲く。
太郎はいまだ漁師スタイルであるが、鼻のすっとした美男子として描かれ、乙姫とのむつまじい暮らしを想像させる。
紫浪は鏑木清方の弟子で、木版画によいものを残しているが、さすがに清方の弟子だけに美しい絵を描いている。

今回気づいたが、浦島太郎が亀を救ったのは春も浅い頃だった。
薄紅梅に菜の花の咲く家に太郎は老いた両親と同居している。
井筒もある家で、そこから海へ通っている。救われた亀は首を挙げて太郎をみつめていた。
太郎はその時のことを父母に話すが、母の持つ籠には美味しそうな筍が入っている。
やがて海の底の竜宮へ向かう太郎。彼の到着を喜ぶように共についてくるのはトビウオ、シマダイ、カニ、カツオ、カレイだった。
そしてワカメのカーテンを越える。
宮殿の侍女たちはみな頭上にそれぞれの魚介類を飾りとして付けていた。
太郎に供されるのは桃、ザクロ、葡萄、柿、無花果。


鴨下晁湖 舌切雀 昭和12年 10点。
舌切雀 (新・講談社の絵本)舌切雀 (新・講談社の絵本)
(2001/07/18)
鴨下 晁湖


おじいさんが雀が倒れているのを救うところから始まる。愛らしい丸頭に三角の羽の雀。しかしおばあさんのこしらえた糊(米を水浸しにして拵えるから、当時としては貴重だということを弁えねばならない)を食べたために舌を切られ泣いて逃げ去る雀。
おばあさんは右手に鋏を持ったまま、強い目でそれを見ている。いじわるではあるが、立ち姿がなにやらかっこいいのは確かである。タンポポにアザミの頃。椿もある。
おじいさんは雀に会いに林へ入る。既に異界なので、行き合う雀たちは大きくなり、着物を着ている。竹に黄色と白の蝶たちが舞う。山桜の頃。
色とりどりの可愛らしい提灯の下がる雀のお宿。愉しい語らい。雀踊りなどなど。
やがて土産におじいさんは小さなつづらを背負って帰る。
今度はおばあさんが雀のお宿を訪ねる。藤が咲いている。
重いつづらを背負って帰るが、当然ながら寄る年波で一息では帰れない。つづらを下ろすと、中から様々な化け物が飛びだす。入道、一つ目の雀娘、轆轤首など。
晁湖は後年、柴田錬三郎「眠狂四郎」の挿絵を描き、一世を風靡した。弥生美術館での回顧展では主にモノクロームの美を堪能した。

春におじいさんは雀を救う。梅、蕨、八重山吹の咲く家。子供らも楽しそうに雀を見に来る。
雀がノリを食べるシーン、アザミと蒲公英が大きくクローズアップされていた。この花たちはじかの目撃者なのだ。
雀を求めてお宿にたどり着くお爺さんを出迎える娘スズメとその両親。
婆さんは我から乗り込むが、茶菓のもてなしすら拒否して葛篭を所望する。
その様子を見てヒソヒソ話をする雀の家のものたち。
やがて化け物に脅かされる婆さんだが、帰宅した後は反省している。外には雀の影が見える。



織田観潮 竹取物語かぐや姫 昭和14年 26点。全頁の原画が出ている。
かぐや姫 (新・講談社の絵本)かぐや姫 (新・講談社の絵本)
(2001/04/17)
織田 観潮


秋のある日、柿とススキの見える家。竹に雀もいる。そこでのかぐや姫の発見。
やがて桃の花の頃、姫のもとへ求婚者たちが訪れる。
それぞれの顛末が描かれてゆく。鹿の毛皮をつけた公達は水中で苦しみ、燕の巣を得ようとした公達は空の星の前で目を回す。そこには星が「☆」で表現されていた。細い線描でふくらみはないが、江戸時代までの「○」表現ではない、明治以降の☆表現である。
そして月を懐かしむ姫の前には山吹が咲く。
帝の軍勢が月よりの使者に負ける。黄色い楓の頃、姫は月へと帰還する。
丸一年ほどの物語なのである。姫が去るその後姿に嘆く老夫婦。文章は西条八十。
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この絵本は実際それがあったかどうかは知らぬが、村上もとか「龍RON」で「はめえ」としても現れる。姫の顔のピースを隠す少年の心模様が描かれていた。

四季がよく描けている。だからこそ情緒が濃い。桜の頃に贈り物が届く?というのも時間の経過を示している。そして早くも山吹の頃には月を見ているのだ。新緑を過ぎるともうかぐや姫はいてもたってもいられない。
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米内穂豊 鼠の嫁入り 昭和15年 9点。
鼠の嫁入と文福茶釜 (新・講談社の絵本)鼠の嫁入と文福茶釜 (新・講談社の絵本)
(2002/04/19)
米内 穂豊、石井 滴水 他


裕福な家柄だけに座敷の掛け軸は大黒様である。大黒様は鼠のお主でもある。赤ら顔の大入道の雲のもとへという話で泣く娘、古代装束の太陽にも嫌がる娘、風神も壁も向かない。やがて鼠は鼠同士の良縁が定まる。白い顔が初々しい。

桃太郎は齋藤五百枝、金太郎は先の米内による。
桃太郎 (新・講談社の絵本)桃太郎 (新・講談社の絵本)
(2001/05/18)
齋藤 五百枝


桃太郎の飛び出す桃の内側がなんとなく微妙に官能的な色合いにも見えるのは、こちらの目のせい。桜の頃に旅立ち、黍団子を与えて家来を作る。

盥を持ち上げる桃太郎。旅立ちの後、老夫婦は小さな祠に桃太郎のことを祈る。
サルと犬のケンカ。犬の肉球がリアル。舟の帆には黒い桃が。ブラックピーチ号。
どう見ても強盗である。鬼たちはお宝を巻き上げられた後、ああこのくらいの被害で済んでよかった、と思っていそう。
手を振って帰りを見送るのにそれが表れている。


金太郎 (新・講談社の絵本)金太郎 (新・講談社の絵本)
(2002/02/18)
米内 穂豊


金太郎は秋の物語として描かれる。クマやウサギやサルや鹿らと楽しく相撲をとる金太郎を見つける武士一行。橋のない谷では木を切り倒してわたってゆく。熊も驚く力持ちである。帰宅するやお供の動物たちもにこにこしている。母の山姥は若い女で、鬘帯をしている。富士山の見える山中で、ススキに囲まれた家。
五百枝は佐藤紅緑の少年小説「あ〵玉杯に花うけて」の挿絵などでも有名。

頼光に仕えた最初の仕事は鈴鹿山の鬼退治。そして桜の頃に故郷に錦を飾るが、クマ、シカ、サル、ウサギみんな大喜び。

尾竹国観 かちかち山 昭和13年 8点。
かちかち山 (新・講談社の絵本)かちかち山 (新・講談社の絵本)
(2001/05/18)
尾竹 國観


何と言うても婆殺しの場のよさが目に残る。
蕗は緑をなし、外には小さな鬼百合が咲く。その中での惨劇。自由の身になった狸が身をよじって婆を襲う。
アジサイの頃、仏壇に向かう爺と、やってきた兎。
桔梗咲く頃にはかちかち山でやられた狸の傷もだいぶ治りつつある。
復讐は海上である。狸の悲しい顔つきが可哀想である。婆に逆襲するときのかっこよさも目に残るが、仕方のない話である。
やがて兎が帰還した頃には茄子がなっている。
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そもそもタヌキは何をしたか。爺さんの集めた蕗を盗んだのだ。
今回の展示はこのかちかち山とぶんぶく茶釜を上下に並べていた。


石井滴水 文福茶釜  秋の野に罠にかかったタヌキがいた。茶釜に化けてお寺に入りアッチッチ。そこから興行デビュー。
「文福丈」ののぼりまで立てられている。そしてお寺にも寄付。

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井川洗厓 猿蟹合戦 昭和12年 8点。よく出てくる原画だか、やはり愉しい。
猿蟹合戦 (新・講談社の絵本)猿蟹合戦 (新・講談社の絵本)
(2001/06/20)
井川 洗がい


なにしろこのサルや蜂や蟹のリアルさに比べて、栗のまん丸な目が可愛くて可愛くて。
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よくよくみたら蟹父あほですな。しかしそんな男をだまくらかすだけでなく暴力をふるうのはやっぱり罪よ。
サルの目つきが暗いのが特徴的。サルは皆にフルボッコされたあと、寝込む蟹父のもとへ謝罪させられにゆく。


本田庄太郎 孫悟空 昭和14年 6点。本田らしい可愛いくりくりした絵で物語が進む。
孫悟空 (新・講談社の絵本)孫悟空 (新・講談社の絵本)
(2002/04/19)
本田 庄太郎


桃を盗む・お釈迦様の指の周りを飛ぶ・とらわれる・・・改心の末に旅立つ。
敵には自分の毛で拵えた小さな化身たちと共に立ち向かう、とみどころたっぷりの絵本。
本田は「コドモノクニ」などで大活躍した絵本画家で、特に幼年向けの作品が素晴らしい。
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この文章、宇野浩二だったのだ。

笠松の十二か月式紙が出ていた。
本業は木版画家とはいえ清方の弟子だけに美人画もうまい。
1939年のそれらは少女のふとした日常の中の様子を描いている。
羽子板を持つ、雪見窓を開ける、スカートでテニスをする、校庭で仲良しさんと一緒、若葉の下での読書、水辺で可愛らしい洋装で写生中、宵になり提灯をつける、赤い水着で飛び込み、ワンピース姿でブドウを取る朝、一輪挿しに菊をいける、ピアノを弾くとき指輪も嵌めてワンピース姿で、そしてミントグリーン色のコートを着て師走の夕もやの中をおでかけ。
もしかすると「少女倶楽部」の読者を念頭に置いていたのかもしれない。
(現代とは違うのだよ、対象は)

織田観潮の十二か月式紙は庭先や室内にあるものがメイン。
メジロに南天、淡雪の中に歩く三羽のシギ、桃の節句の日に磯遊びのサザエ、貝、花ビラ。
白い木瓜に鶯、キイチゴに蛙、青梅に小雀、露草にコオロギ。
メロン、金魚、茄子の花と実…

井川洗厓の風俗図が四点。
天平、鎌倉、大正12年、昭和初期。
紅葉の下の天平美人、鎌倉の白拍子、震災後の様子、江戸城皇居の前で愛国婦人会の提灯行列。
時代風俗を捉えている。前2点は想像と学習からだろうが、後2点は現実にみたものをモデルに描いているのだろう。

雑誌「キング」の口絵二点
鴨下晁湖 海上の月 唐の文官と武官とが共に海面を眺める。
尾竹国観 白虎隊 飯盛城炎上と見誤り、自刃する少年たち…

国観の十二か月式紙もある。節句ものとその月の名物ものとが描かれている。
蛍狩りに必死になる母子などは面白かった。
お宮参りの幸せそうな母子、そして両国橋の雪。

鴨下のは時代風俗を描いたもの。桃山風俗の女たちの春、竹やりを構える尚武、御簾越しから黄ばむ梅をみる女人、勾欄から月を見返る女、機織りの女の家の外の柿、旅の女のそばに枯れた蓮。

毎回本当にいいものを見せてくれて嬉しい。
12/18まで。

クラーナハ ―500年後の誘惑― 

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わたしが子供の頃、その人の名は「ルーカス・クラナッハ」だった。
何で知ったかは忘れた。
彼が北方ルネサンスの、ドイツ・ルネサンスの代表的な画家の一人だと知ったのはたぶん十代半ば過ぎだったと思う。
青池保子「エロイカより愛をこめて」の中で、美術コレクターである伯爵がとてもクラナッハを評価していて、そこから知ったのだと思う。
青池さんは「パリスの審判」という作品で同題のクラナッハの絵を登場させ、元ナチの潜伏逃亡者らのクラナッハの絵への執着の様子を描いた。
とても印象に残った。
絵そのものはカールスルーエ美術館所蔵のそれの別バージョンと言う設定だった。

作中でNATOの部長がクラナッハの裸婦の魅力について語るシーンもあり、エーベルバッハ少佐がそれを聴いて厭味ったらしい返答をするのが面白かった。
それから版画家・山本容子の愛犬はそのまま「ルーカス・クラナッハ」だった。

外国語の名の日本語表記は揺れやすい。
近年は「クラーナハ」に決まってしまっている。
しかしわたしの中では依然として「クラナッハ」であり、ただ世間に合わせて「クラーナハ」表記をする、というだけなのだった。

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デューラー、クラナッハ、グリューネヴァルトの三巨頭、それぞれ全く似ていない仕事を残している。
デューラーは比較的よく見てきたと思う。
デューラーに影響された日本人画家も岸田劉生をはじめ少なくない。
ところがクラーナハに似た絵を描いた、というかその影響をもろに受けた画家の絵はよく知らない。
ただ、クラーナハを知らなかったろう浮世絵師・鈴木春信の女の絵を見ると、これもまた特殊な官能性があり、知らぬ者同士の近似性というものを感じる。
むしろ浮世絵から先に絵の世界へ入ったわたしにとっては、クラーナハの特殊な官能性は春信と同種、というものに見えていた。
が、今回の展覧会でその認識が少し変わった。

クラーナハの官能性は「特異な官能性」と解説にあったが、確かにその通りだった。
春信には愛嬌があるが、クラーナハにはそれはない。
春信の女は男と一緒にいてもくれようが、クラーナハの女は男も女も魅惑しても本当には誰も必要とはしないし、誰に身体を開いても決して心を開くことはなかろう、と思った。
「冷たい視線が惑わせる」とあるが、なるほどそのとおり、温度の低さがヒシヒシと身に染みる。

最初の宮廷画家時代の作品ではそうそうそのことは感じなかったし、女の肉のありようも考えられなかった。
特に聖書の絵を描いたもの、貴顕の肖像画なども「変わった表現だ」くらいしかわたしなどには思えなかった。

版画が出ていた。
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聖アントニウスの誘惑
モノノケたちの表現は面白いが、しかしこれは他の画家が描いても別に構わない気がした。

いい作品なのだろうがわたしにはあまり響かないままだった。
だが、そうこうするうちにだんだんとこちらの心もちが変わり始めてゆく。

クラーナハの絵に影響を受けた、というかその絵の言えば二次創作をした画家や写真家の作品が現れた。
ピカソ、マン・レイ、デュシャンらの作品がある。
そこでわたしも初めてクラーナハにたぶらかされた芸術家たちの仕事をみることになったのだ。
が、結局誰も本家には勝てない。
彼ら自身のオリジナル作品に比べると、これらの作品は力が足りないと思った。
そしてその原因は何かと考えると、やはりクラーナハの作品から立ち上る不可思議な官能性が原因だと思えた。

貞淑なルクレティア、彼女の自害を描いた絵を見る。
衣服をきちんと身に着けたままの自害。まだここにはそんな変な官能性は感じられなかった。
というより、抑制していたのだろうか。
そんなことを勘ぐらせる。

が、このチラシに選ばれたユーディットが登場すると、全身がざわめき始めた。
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非情に冷静で静かな女は殺したての男を顧みることもしない。手につかんだ生首も剣も傍らの装飾品くらいにしか思っていないのではないだろうか。
凍りついた官能とでもいうか、その冷たさこそが見るものを強く揺さぶるのだった。

ところで時代が時代だから衣服などの表現も素晴らしいのだが、このユディットの衣裳も見事だった。
それで今回改めて青池さんの「エロイカ」の該当巻をみると、この衣裳をモチーフにしたものだということがわかった。
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丁寧な衣裳や装飾品の表現、しかしそれらを外した女たちの魅力に囚われる。
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正義の寓意  どこらあたりがだとききたいが、確かに手には天秤があり、剣がある。
しかしそれだけである。そんな正義などどうでもよくなるほど、この裸婦の魅力に掴まってしまう。
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クラーナハの裸婦について青池さんは前掲の作中でこのように書いている。
芸術音痴の少佐が「この裸の三人娘は発育不全ですね」というのに対し、自身も絵を描く万年部長はこう答える。
「これがクラナッハの魅力だよ、少佐。
小さめの胸と丸みを帯びた下半身が微妙にエロチックなのだ。
この絵は透明感のあるお色気がポイントなのだ」
それに対し少佐は冷たく切り捨てる。
「部長がいうと濃厚なわいせつ感がありますな」

部長の言うことも少佐の言うこともどちらも正しいと思う。
この発育不全の裸婦たちは濃厚なわいせつ感があるのだ。
そこに500年後の観客までもが強く囚われてしまうのだった。

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ヴィーナス  邪な微笑を口元に浮かべるヴィーナス。見ているだけで目で犯してしまい、指先が何かにまみれそうだ。
しかしそれでいてこの裸婦たちは素知らぬ顔でいるのだ。

誘惑する女たちは他にもいる。
老人を誘惑する女たちのいやらしさはもうおぞましいくらいだ。
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父ロトを誘惑する娘たちも同じだ。
しかしこれは娘たちの悪徳ではない。そのように仕向けたのは誰か。
そしてその娘たちの表情は恐ろしいくらいだった。

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クラーナハはルターの親友だったそうだ。しかし彼の描く男性には全く魅力を感じない。
いや、魅力を感じようと感じまいと、そんな対象ではないのだ。
なのに女たちはなぜあんなにも官能的なのだろう…

多くの絵を見、他の画家たちの絵も見ていながら、やはり印象が強いのは暗い背景の中に佇む裸婦たちだった。
衣服を付けていても、男と共にいても、彼女たちはやはり裸婦と同じだった。
これまで本当に知らなかったことを知ったように思う。
ヒトに言えないようなときめきが自分の身のうちにある。
それはやはり彼の描いた女たちに誘惑されたせいだった。

生誕150年記念 水野年方 ―芳年の後継者

水野年方は芳年の後継者として画塾で多くの弟子を育て、自身も綺麗な絵を描いたが、早死にしたのがたたり、今日では知る人ぞ知る絵師となってしまった。
太田記念美術館が「生誕150年記念」と銘打って「水野年方 ―芳年の後継者」展を開催しているのは、とても意義のあることだと思う。
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年方の弟子にはまず鏑木清方がいる。
彼の弟子には伊東深水、寺島紫明、山川秀峰らといった錚々たる人々がいる。
そのまた弟子たちは現代にも続き、国芳―芳年―年方―清方―…と続くようになった。
同僚に右田年英がいて、こちらの弟子には鰭崎英朋、伊藤彦造らがいるから昭和も浮世絵の血脈が生きていたことがわかる。

年方は芳年だけでなく南画、歴史画、花鳥画の大家にも学び、品の良い美人だけでなく日本画家として歴史画も多く残した。
年方の人となりについては清方が随筆に多く書き残しているが、とてもまじめな人だという印象が強い。
年始に書くものは〇、弟子たちもそれに倣い〇。みんなで〇を描いてゆく。
清方も自分の画塾を開いた時に先師に倣い〇。
この話は「こしかたの記」にもある。

わたしは少女の頃から清方ファンだったのでその関連で年方を知り、挿絵を深く愛するのでこれまた早くから年方を知るようになったが、それでも弟子たち・先師の知名度に比べ年方は印象が薄いのが気の毒だと思ってきた。
この十年の間、年方の絵が出た展覧会といえば、2009年の「三井家のおひな様」展がある。
そのときに代表作の一つ「三井好 都のにしき」シリーズが一括寄贈されたそうで、以来三井記念美術館ではこのシリーズを折々に展示し、絵葉書も販売するようになった。
当時の感想はこちら

肉筆画をみる。
年方の印刷物や版画は見ているが肉筆は初めてである。
彼だけでなく師や弟子の絵もある。

芳年 雪中常盤御前図 1878-84  明治初期の混乱もようやく収まりつつある頃、芳年の神経もようやくなだらかになり、色々大作も描き、更には弟子も百人近くになった時期の絵。明治になってもそうそう人々の嗜好が大転換を迎えるわけでもなく、依然として牛若丸義経の哀しい物語は人気があり、雪中を彷徨する憐れな美しい母子の絵は需要があった。
大変寒そうな様子の母子が雪中で佇む様子は、ある種の無惨な美をみせている。
これ見よがしな無惨絵ではなくとも、日本人のある種の嗜好に適うものだった。

芳年 深夜の訪問 1887-92  芳年晩年の絵である。再び神経を病んではいたが、それでも数多の作画がある。王朝時代かそれ以降か、貴人の男のもとへ逢引ではなく密使のような緊迫感を見せる官女らしき婦人が訪ねてくる。松を薄墨で描くことで深夜だと伝える。

年方 漁する童 1900-08  早い晩年の絵で、美人画ではなく、むしろ文人画風な趣がある。年方は「日本美術院」の賛助会員であったというが、こうした作品を見るとなるほどとも思う。
他にも同時期に「野婦」という働く農婦の絵もあり、それも風景の中の人物と言った風情がある。

水野秀方 西王母  年方塾の塾頭であり妻でもある。妻は弟子の清方ほどではないが長生きし、夫の死後に名を挙げたという。
この西王母はまだ若い婦人として描かれていて、なかなか美人である。桃を持つので西王母だとわかるが、その娘時分のような様子にみえる。

師の師にあたる国芳は武者絵で爆発的なヒットを出した。
それ以前にも「水滸伝」は刊行されていたが、<国芳の>「水滸伝」の好漢たちが世に出た後はそれ一色になった気配がある。
年方は明治に刊行された水滸伝の挿絵を担当した。
元の本が活字を組まれ新装版として出るわけで、年方は緻密な絵を描いた。
絵本忠義水滸伝 1883-84 燕青が素敵だった。
同じころ、九紋竜史進も描いている。「和漢十六武者至」シリーズの一。王進に負けて弟子になるあたりのシーンだが、どうもイマイチ迫力に欠ける。
まじめでおとなしい人柄だったというのもあり、剛毅で豪儀な絵はあまり見当たらない。
武者絵はある程度の破天荒さがないとダメなようである。

とはいえ戦争画は描いている。
ただし後世の従軍画家のようなリアルさは無論ない。
伝聞と想像とで描かれたもので、真面目に事象を捉えたような絵である。

清仏戦闘之図 1884 基隆攻略の様子で水兵などもいる。
同年には浮世絵風に歴史の1シーンを描いている。
佐々木盛綱備前国藤戸ノ渡リニ平軍ヲ襲ハント漁人ニ水之浅深ヲ問フ図 1884 
初摺りは夜景、後摺りは朝の景色である。
前述の基隆の絵と製作年が一緒だからというのもあるが、大差はない。

これより十年後の日清戦争の際には戦意高揚もあってか勇壮なのを描くが、しかしそれも時代の嗜好に合わせただけという感じがする。
金州城攻撃中の自爆する兵、決死の上陸をする七人の兵などである。
新聞なり雑誌なりに発表されたこれらの絵はそれを見た人々に「勝った勝った」というキモチを齎したことだろう。

歴史画がもう一つあった。
日本略史図解 人皇15代 1885  即ち神功皇后の三韓征伐をモチーフにしたもので、堂々たる神功皇后の前に、新羅・高句麗・百済の使者が伏せているという図である。
実際こんなことがあったかどうかなどは誰も知らないのだが、当時は2016年の現在と同じく「日本エライ」の風潮があるので、こんな絵もよく出るのだ。

同年には大楠公を描いたものもあり、そちらは楠公が帝をお出迎えするところ。
時代の情勢が見えてくる…

教導立志基 翠香院殿 1890 「逃げの桂」を助けた幾松のエピソードを描いている。両名共に亡くなった後に、立派な行為としてこうした絵も出る。
要するに隠れている桂小五郎におにぎりをあげるところ。
京都の美人画の名手・三木翠山も状況は違うがやはり桂におにぎりをそっと渡す幾松を描いている。

雪月花之内 常盤御前雪中之図 1884  前述の師匠の絵とあまり違いはない。もしかすると同年の製作だった可能性もある。

雪月花之内 石山寺秋之月 1885  紫式部がここでカンヅメになってましてな。旧暦8/15の様子。二人の童女が傍らにいる。湖面に月が映る。

平家福原桟敷殿ニテ管弦之図 1885  1183年の平家の人々である。ひと時の安らぎを求めて管弦の宴を開くが、いずれも悲痛なものを表に浮かべている。
こうした悲傷を露わにするのは近代からの習いらしい。

冨山の奥に伏姫神童に遇ふ図 1885  八犬伝の最初の山場が近づいている。
山中で八房と暮らす伏姫に神童が予言を与えるところ。洞の中には八房が静かに座り、笹陰では大助が様子を伺っている。

源平雪月花之内 月 鞍馬山で遮那王が大天狗から兵法の巻物を受け取る。
義経の生涯は絵になるシーンが多い。
描かれないのは奥州藤原氏のもとで過ごすところくらいではないか。

美人画にゆく。
婦有喜倶菜 ふうきぐさ、と読ませて牡丹を指す。鹿鳴館に出入りするようなバッスルスタイルのご婦人方が牡丹園を散策する様子を描いている。
橋本周延もそうだが、貴顕の婦人方を描くのがブームだった時期があるのかもしれない。

今様柳語誌 数人の婦人を描く。それぞれ身分の違う女たち。
豪商の令嬢、すっくと立つ芸者、権妻(妾)、令室、商家のおかみさん…
風俗の違いを一目でわかるように描く、というのは割に多い。

連作物・三十六佳撰が出た。フロアを変えてバラバラに並ぶが、13点出ている。
これは様々な時代の様々な商売・身分の女性の風俗を描いたものである。
そしてこのシリーズは全作が絵葉書になっていたが、どこで購入したかが思い出せない。
もしかすると高名なホテルのショップでだった可能性がある。
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美人画であり、風俗考証画であり、年方の勉強家ぶりも伝わってくる。
・網笠茶屋 寛永頃婦人 吉原に行く嫖客たちに顔を隠す編笠を貸す商売の女である。店の外に二匹のわんこがいる。
可愛いなあ。
・辻君 応仁頃婦人 ストリートガールというわけだが、客寄ってくる者の他はシルエット、女ははっきり。
・菖蒲 延宝頃婦人 花菖蒲をみにゆく江戸の女。
・観瀑 貞享頃婦人 武家の婦人が滝を見ている。この時代の
・湯あかり 寛政頃婦人 にゃーとお出迎え。
・眺月 上代之婦人 緋袴をはいた姿を見ると平安時代の婦人にも見える。
・ひさぎ女 文安頃婦人 頭上に籠を乗せて筍などをひさぎに(売りに)ゆく女と、村の子供が楽しそうにかけてゆく姿が描かれている。わんこも子供の後を追いかける。
・芝居見物 承応頃婦人 被衣(かづき)を頭からかけてお出かけする身分のある婦人。
・雪見 寛文頃婦人 意外と寛文小袖とは関係のない着物だったな。
・樽人形 延宝頃婦人 樽から人形を出して一人で動かす女とそれを見る男たち。
・卯月 延享頃婦人 杜鵑を聴く。
・虫の音 寛延頃婦人 三人で聴きに来ているところ。仕える若い男はすっかり寝入っている。

主に江戸の風俗を巧く取り入れている。
目次がまたとても素敵なのだった。
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二階では芳年「月百姿 いてしほの月」が出ていた。これは色差しは年方がしたそうな。

婦人抹茶会 1890 三人の婦人がお客である。
明治になるまで茶の湯は完全に男の遊びだった。女で茶の湯をたしなむのは太夫くらいだったのだ。
それとお城の奥勤め。一般の女性は茶の湯の楽しみは知らされてはいない。

先般裏千家の茶道資料館でも「錦絵にみる茶の湯」展があった。
当時の感想はこちら
ここで年方の連作「茶の湯の日々草」が出ていた。
今回も「席入り」から「帰るところ」まで11点がある。
上品な年方の絵をみて、してみたいと思うひとも少なくなかったかもしれない。

明治半ばころの年方の活躍は大きい。
多くの美人画、歴史画を描き、雑誌の口絵を描き、とても多忙だった。
歴史画では小楠公が弁の内侍を救う絵、村上義光が錦の御旗を取り戻すところなどがある。
弟子の清方も弁の内侍の絵があるから、師匠のを手本にしたのかもしれない。ただし構図は違う。
しかしやはり年方は美人画がいい。それも挿絵や口絵のそれが素晴らしい。

当時人気の雑誌『文芸倶楽部』では13年間に52枚の口絵を担当したという。
雑誌の売れ行きに絵は大きく影響したから、年方の絵がある雑誌はよく売れたそうだ。

鏡花「外科室」もある。これも以前に見ているが、原作にないシーンである。
原作を読む以前にまず作品を描いていたそうだ。
これは挿絵にはよくあることなので仕方ない。

江見水蔭「船長の妻」、幸田露伴「夢がたり」…
明治の風俗が盛り込まれた素敵な挿絵ばかりである。
カーテン、パラソル、リボン・・・
尤も小栗風葉「恋慕ながし」は洋物はなく、明治の庶民の哀感を感じさせる挿絵だった。
流しの男女、男は尺八・女は胡弓を持って町を流し歩く。明治らしい楽器の選択である。
これが大正になると「鶴八鶴次郎」のように三味線の流しのペアになる。

小説時関係のないショットのものもある。
女学生がパラソルを傾けながら写生をしたり、湯上りの娘が涼んでいたり、日露戦争勝利の報知新聞号外を読んだり…
その時代の風俗画としても貴重である。

シリーズ「今様美人」もいい。
園芸会で盆栽に水をやったり、七五三に子供を連れて出たり、海水浴に出たり、雪見をしたり。

日露戦争の頃、「三井好」または「三越好」というシリーズが出た。
これは現在三井記念美術館で絵葉書がいつでも購入できるようになった。
「都のにしき」という副題がつき、様々なシーンを描いている。
春の野、土用干し、愛犬、乳母の家、朝の雪、隣の子…

長く生きていたらもっと良いのが世に出たろうし、賛助会員となっていた日本美術院でも活躍したろうに、本当に惜しいことをした。
しかしこうして平成の世になって、三井記念美術館にシリーズものの絵葉書が常時販売されるようになり、太田記念美術館でこのように立派な回顧展も開かれた。
泉下で年方も喜んでいることだろう。

12/11まで。

浪花組本社ビル #イケフェス2016

先月、イケフェス大阪に参加して、様々な建物を見学したり撮影したり、と楽しい時間を過ごさせてもらった。
建物の内側をそのように見たり撮ったりできたのはひとえに所有者さんのご厚意と、イケフェス事務局さんの熱心な働きかけと、それからやはり「名建築を愛する心」があってのことだと思う。

先月からちまちまと挙げては中断してきたが、そろそろ再開したいと思う。
ということで今回は東心斎橋の浪花組の本社ビル、村野藤吾の1964年の名作を挙げようと思う。
浪花組は左官業の会社で、大正末から続いている。
会社のHPはこちら

外観。IMGP0294_20161207165044132.jpg

東心斎橋を歩いていて、ふと見上げたら「あ、ここにあるのか」と気づいたこともあると思う。

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人気の建物で、今回かなりの行列が出来ていた。
こんにちは。

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社員の方のご案内であちらこちらへ。

む、なにやら見たことのある…
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心斎橋プランタンの装飾品の一つだった。
あのお店もこちらの経営だったので、閉店後には椅子なども現在ここで使われている。
なにしろ既製品ではなく村野オリジナルだからなあ。

上の階へ
ベランダの面白さ。
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お向かいは駐車場なので別に景色がいいわけではないが、やはりベランダにいるのは楽しいものです。

階段がまたいい。村野の階段は好きだ。
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村野椅子
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装飾品もあるな。
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浪花組の歴史についても学ぶ。
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椅子も机もみんな村野。

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村野のこだわり。
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地下の貸金庫へ。
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大理石の壁面もカットを丁寧に合わせている。

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お話も色々聞けて良かった。
ありがとう、浪花組。

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ナナメに見上げよう。
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また来年。

ゴッホとゴーギャン展

東京都美術館のゴッホとゴーギャン展に行った。
近年どういうわけかあまり西洋絵画に対して、なんらかのアプローチを試みることができにくくなりつつある。理由はわからない。
だが、それでも「ゴッホとゴーギャン」の関係性は魅力的なので、いそいそと出向いた。
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ゴッホの手紙が何かを期待させてくれる…!

数多くのゴッホ展、ゴーギャン展を見てきたが、この二人を主軸として採り上げた展覧会は今まで見ていないと思う。
互いの才能を認め合い、称え合う気持ち、その後のアルルでの共同生活、悲劇的な破綻、そしてゴッホの自死、ゴーギャンの旅立ち。
思えばこの二人の生涯の接触期間は、人生においてそう長期間でもない。
だが、互いに深い傷みを伴う関係だと自覚していたのは確かだろうし、それが生涯を貫く痛みともなっているようにも思われる。
ゴッホの死後にゴーギャンは彼を悼む直接的な物言いではない言い方で彼を評しているが、それは決してゴッホを批判・非難するものでもなかった。
そしてゴーギャンはゴッホがなくなるまでずっと文通を続けていた。
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展示は二人をクローズアップするために、彼らの周囲の画家、私淑した(とも言いかねるが)画家の絵なども展示されていた。
それらを純粋に楽しむことはやめて、資料をとして眺めると、これまでとは異なる方向性が見えてきたようにも思えた。

ミレー、コロー、ルソーといった彼らより少し前の時代の画家の絵、ピサロ、モネら新しい絵画を世に送った画家の絵。
彼らと並んで壁にかかるゴッホの絵は、原色を強く塗り込んだもので、キモチが落ち着かない。
かといって煽られているわけでもない。
「フィンセント・ファン・ゴッホの修業時代」だと思いながら見ている。
ではゲーテに倣うとして「遍歴時代」はあるのかといえば、それは次の章だと言える。

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第2章 新しい絵画、新たな刺激と仲間との出会い
ここではシャヴァンヌ、ロートレック、モンティセリの作品と共にゴッホ、ゴーギャンの絵が並んでいる。
作品を単品として楽しむのではなく、この「ゴッホとゴーギャン展」を構成する世界の一部として、絵を見ている。そのことが妙に楽しい。
現れる画家の作風の違いも風の揺らぎのように感じてしまうのは、果たしていいことかどうかは措いても、観客であるわたしがこの展覧会に入り込んでいる証なのかもしれない。

1888年、とうとう二人の共同生活がアルルで始まってしまった。
作品はそれぞれ豊かな様相をみせている。
この時期、ゴーギャンの絵の方が好きだ、などと思いながら見て歩くうち、ついに破綻が来たことを知る。
何があったのか、何がゴッホに発作を起こさせたのかは、本当のところは本人たちですらわからないのではないか。
森村泰昌の扮したゴッホの耳のない自画像を思い出しながら絵をみる。

映像を少しばかり見る。
これまではゴッホ=可哀想、ゴーギャン=なんとなく憎たらしい、そんなイメージがあったのだが、ゴーギャンも気の毒だと今回初めて思った。
ゴッホからの難儀な「アプローチ」にゴーギャンも本当にびっくりしたろうなと思うようになったのだ。

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病院に入ってからのゴッホの絵が好きだ。
特に病院の窓から見える風景を描いたものが好きだが、あいにくここにはなかった。
そしてゴッホの死んだあと、タヒチに行ったゴーギャンの絵はやはり良かった。

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個別に何か感想を挙げないでいようかと今回は思ったが、それでもやはりいくつか挙げたい。順不同である。

ゴーギャン ハム どーんとハムがある。皿に乗っている。スゴイ存在感がある。テーブルの7割を占めるハム。プチ玉ねぎがコロコロ転がるのも気にせず、ハムがそこにある。
こうなるとゴーギャンがハムを描いているのか、ハムが自己の肖像をゴーギャンに描かせているのかわからないくらいの力強さがハムに具わっているのを知る。

ゴッホ グラスにいけた花咲くアーモンドの小枝  アーモンドの花は桜に似ていて、桜より大きい。これは実見しているから確実な話。そのアーモンドの花の枝をチョキンと切ったのをグラスにさしている。画面での花の位置、背後との関係性、一目で浮世絵風だとわかる。それも広重。そういえばゴッホは広重の絵をよく引用したが、かれは他の絵師の絵よりも広重が気に入っていたのだったか。

ゴッホ カミーユ・ルーランの肖像 近所の少年で、これがゴッホの人物画と思えないほど愛らしい。少し上目づかいで可愛い。
ゴッホはこの子だけではなく、少年自体が好ましかったのかもしれない。

ゴーギャン 紡ぐブルターニュの少女 エジプト壁画のような手足の構成、体の向き。
空から来る天使、犬もいる。錘、これが煙草の煙のようにも見えた。または立ちんぼの少女にも見える。

それにしてもやはりゴーギャンのタヒチの女はいい。チョコレート色の肌の女たちは、何を考えているのかわからないままだ。
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ゴーギャン 肘掛椅子のヒマワリ 象徴的なモチーフ。椅子に座るヒマワリ。
狂ってしまった男を想って描いたと言われている。とてもとても、せつない。
奥にかかる絵には水遊びする女たちとボートが描かれている。そこに何らかの比喩をみることはやめる。

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この二点の作品についてはこの展覧会で見ることがかなってよかったと思う。
ゴッホ 収穫
ゴーギャン ブドウの収穫、人間の悲惨
それぞれの「最高傑作」と認めた、という絵。

歓喜と絶望とそれから何かが共同生活にあり、それが沸点に達した時に事件は起こったのだろうが、それでも二人がこうした絵をその時期に描いたのは象徴的だと思う。

12/18まで。

山岸凉子展 「光 -てらす-」 ―メタモルフォーゼの世界― 

弥生美術館で山岸凉子展が開催されている。
副題は「光 -てらす-」 ―メタモルフォーゼの世界― 
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展覧会の目指すところはサイトによるとこうある。
「不朽の名作となった「アラベスク」の誕生から45年―。本展は山岸凉子の画業をたどる初めての本格的な展覧会です。初展示を含む原画約200点を一挙公開し、デビューから最新作までのメタモルフォーゼ(変容)をご覧いただきます。」
「メタモルフォーゼ」は山岸さんご自身の画業の変遷を指していたのだ。

山岸さんの「花とゆめ」時代の中編に「メタモルフォシス伝」がある。
今回の展示では原稿の紹介があった。進学校に突然現れた蘇我要の言動から周囲の意識が変わり、ある意味皆が生きること・学ぶことに本当に目覚め、アグレッシブになり始めた頃に、さっと転校する。
春に現れ秋に去る蘇我要。この数か月間の進学校の生徒たちの変容の様子を捉え、このタイトルにしたのは本当に巧いと思った。

展覧会のタイトルを初めて知った時、蘇我要の笑顔や生徒たちの変容していった様子がパッと浮かんだ。
だが、展示のメインは「日出処の天子」であり「アラベスク」であり「テレプシコーラ ―舞姫―」である。

わたしが山岸さんの作品を最初に見たのは「アラベスク」の第二部終幕、ノンナが「ラ・シルフィード」を踊っているときにピアノが急に弾くのをやめてしまう場からだった。
皆がざわつく中、ノンナの足首のアンクレットの細い金のさざめきが音楽となり、人々の集中力が弥増す。
このシーンだけだがかなり印象深かったので今に至るまでこのように書いている。
実を言うと「アラベスク」は近年になりようやく通読したのだ。それまではそのシーンだけがアタマに残っていた。そして自分の記憶の確かさを確認し、当時感じたこともそのまま変わらなかった。それは読み手のわたしが変わらない・あるいは当時から本質を見ていた、というのではなく、山岸さんの表現力が幼い少女にもそのことを伝えてくれる力を持っていた、ということなのだ。

次に連載を読んだのは「妖精王」終盤の戦いである。ライト・エルフとダーク・エルフの戦いに、クーフーリンも「信頼」が復活し、爵がついに「水の指輪」を見出した辺りは今読み返しても感動的である。

やがてわたしは「花とゆめ」と同時に「LaLa」を買い始めた。
だが、ほどなく「花とゆめ」からわたしは離れた。
「はみだしっ子」が去ったので、<彼らのいた>雑誌を買い続けるのがつらくなったのだ。
「LaLa」には大好きな木原さんの「摩利と新吾」もあり、成田さんの「エイリアン通り」もあり、そして「日出処の天子」がある。

「日出処の天子」には本当に強い影響を受けた。
今も聖徳太子より「厩戸王子」にときめくし、太子孝養像などを見ても山岸さんの王子を想いながらついつい見比べてしまうのだ。
いけないことだと知りつつも、どうしても厩戸王子は山岸さんのキャラでなくてはならず、それ以外は「それ以外」なのだ。
その意味ではこれほど圧倒的な影響力を及ぼしたマンガは他にないかもしれない。

その原画を今回初めて目の当たりにする。
モノクロの美とカラー原画の流麗な美とを二つながらに味わうのだ。

マンガは基本的に印刷物なので印刷されたときの美を計算しなければならない。
原画の美とはまた異なるものだと思う。印刷が原画に劣る・原画が印刷に劣る、といった話ではない。
わたしはドキドキしながら展示室へ入る。

とても綺麗なカラー原画を見る。
「日出処の天子」表紙絵 1980.9月号 王子にかかる装束の美しさに目が開く。
「妖精王」1977.13号 クーフーリンの立姿。背景の薄緑の色の美に惹かれる。
「常世長鳴鳥」 白黒片身替り着物をまとう少女。(彼女は主人公の姉である)
これら三点を見ただけで背筋が粟立ってくる。

「黄泉比良坂」「テレプシコーラ ―舞姫―」「天人唐草」「ハーピー」…
美麗なカラー表紙絵が次々に現れる。
わたしは山岸さんのカラー絵の美しさにずっと溺れ続けているが、今回こうして改めてその美に対面して、自分が日本画を好きな理由がここにもあることを知る。
山岸さんのカラー絵はやはり日本画の美に基づいているのだ。
もしかするとわたしは山岸さんの絵から日本画の美へ目を向けてもらったのかもしれない。

印刷されたものと異なる美を知る。
「ハーピー」の羽根がさやえんどう色だということには驚いた。
あれはもっと暗い色かと思っていたからだ。
これがさやえんどうの明るい色が本当ならば、物語への視線も変わる。
わたしは暗い色だと思い込んでいたので、その意味では山岸さんの用意した解釈の一方に偏っていたことになる。
これがこのさわやかな緑色だと、別な解釈の方へ行くことになる。
正解などはない作品なのだ。
そしてそれがとても怖い。
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「日出処の天子」のカラー表紙絵とモノクロが続々と現れる。
決して忘れたことのない美麗な作品群である。
白梅を背景に、左に王子が一人、右に毛人を真ん中に向かって右に刀自古が腕を取り、左に布都姫がその場に座りながら毛人の手を取る。
麗しい絵だが、これは原画には出ていないが掲載時台詞がついていた。
王子「そっち賑やかそうだな、梅でぶったろか」
毛人「あっ困ったいじめっ子」
布都姫「あれー」
刀自古「布都なんてぶたれてにゃんにゃん」
きちんと確認していないが、ほぼ間違っていないはずだ。

馬屋古女王の絵もある。彼女の立ち姿である。クロアゲハを見ているような絵だが、よくよく見るとそうではなく、彼女は蝶を追うてはいない。邪な微笑を浮かべているだけである。しかも萎えているはずの足でしっかり立っている。
この物語の恐怖は読んだ当初より、時間が経てば経つほど深まってゆく。
山岸さんのホラーは読むものの心に決して消えない瑕を創る。
そしてその瑕が山岸さんの作品を強く望むのだ。

レコードジャケットがあった。懐かしい。原画とジャケを見ると、王子の乗る龍の向きが違うことに気付く。
反転しているわけでもなさそうなのだが。

懐かしい表紙絵が続く。
わたしはこの王子の軍装というか、この装束にもひどくときめいた。
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あえてサムネイルで挙げる。80年7月号。

81年9月号の風神・雷神を背後に王子と毛人の姿があるもの、80年10月号のミケランジェロの絵のような指と指がつながるその刹那を描いたもの、雨を降らせようと夢殿で祈願する王子の所へ毛人の精神が向かい、二人で雨を呼ぶシーン…
モノクロの美を堪能する。

迦陵頻伽の絵があった。見たことがあると思ったら単行本の表紙絵である。
しかし今回この原画を見て、改めてその美に撃たれた。
単行本ではこのように花が片側しか出ていない。白椿だけである。
しかし原画は迦陵頻伽を中心に、逆側に小手毬かなにかそうした花を描いており、しかも同じ白でも深度が異なり、同じ葉でも質感が変わって描かれているのだ。
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たいへんな美しさだと思う。

当時LaLaでは月ごとに様々なマンガ家による口絵を掲載していた。
いくつかは今もコレクションしている。
中でも印象的だったのはLaLaで「黒のもんもん組」を、花とゆめで「小さなお茶会」を連載していた猫十字社が描いた幻想的な作品だったが、そちらはブドウの木の男とその実を受取る女の絵だった。
山岸さんはそれに対し春の絵を描いていた。
「花夭々」である。
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漢詩で「桃夭々」を思い出すところだが、王子の背後の花は白木蓮あたりのようだ。
そして王子の衣裳の文様の美しさも記憶に残る。

作品論を書くことは出来ないし、したくないが、ファンとしてやはり当時あのラストは心痛を覚えた。
覚えたが、当然そうなるだろうことも予測していたのでショックはなかった。
あの厩戸王子が恋愛での幸せを掴むはずがない、と最初からある程度分かっていたからだ。だが、それでもやはりせつなく、そして悲しかった。
当時のわたしが少女だったからかと思ったが、今のわたしもやはり納得しつつ、王子が気の毒だと思っていた。

だからというわけでもないが、一度の挫折の後にきちんと描き直された「馬屋古女王」が出たときは、やはりとても安堵した。
安堵したが、非常に怖い作品だったので、震え上がったのだが。

あの作品を再読していたある日、それまで感じたことのない恐怖を感じた。何が原因かと考えたとき、殯(もがり)の情景にあることに気付いた。特に怖がらせようと描いているわけではないだろうが、だからこそ、読者であるわたしは非常な恐怖を感じ、それ以降玄室などを見るのが本当に怖くなってしまった。

アラベスク 前述したとおりで案外読んではいないが、だからこそ新鮮な眼で作品に対することが出来た。
カラー原画の美しさはまた異なるものではあるが、それでもやはり綺麗な配色といい背景の美しさと言い、はっとなるものばかりだった。
第一部連載時の「りぼん」が出ていた。ノンナの筋肉がとてもいい。リアルな強さを秘めた体なのである。
そのときの他の連載陣が懐かしい。
72年6月号 アラベスクの他に「おでんぐつぐつ」弓月光、「おとうと」一条ゆかり、それからもりたじゅん、井出ちかえ、のがみけい といった作家性の高い人々の名があった。懐かしい作品ばかりだが、さすがにリアルタイムには読んでいない。
わたしが本格的にマンガを読み始めるのは1973年からなのだ。

アラベスクは旧ソ連が舞台である。
背景は当然ソ連。その背景画の一つに萩尾望都さんが描いているものがあった。
茶色の建物と緑の木々に囲まれた都市。素敵な背景だった。
そういえば「ポーの一族」当時の1974年、木原敏江「銀河荘なの!」終盤にエドガーがカメオ出演するシーンがある。
当時はそういうことも少なくなかったろう、マンガ家の方々の交流を垣間見るようで嬉しくなる。

そうそう、「アラベスク」にはエーディク・ルキンという魅力的な男性舞踏手がいる。
彼の風貌はデヴィッド・ボウイに似ていると思う。
調子麻呂や井氷鹿もそう。
少女マンガには彼の系統がいた。
木原さんも三原順も大島弓子さんも池田理代子さんも描いた。
みんな彼が好きだったのだ。
そのことを想う。

山岸さんの絵の綺麗さについては数多の人が知る所だが、今回の展示で改めて「知らされた」ことがある。
当たり前のことだったのかもしれないが、今までそのことを考えて来ていなかったことだ。
山岸さんはとても努力し、そして工夫を凝らしているのだ。様々な技法で華麗な絵を描き読者を陶酔させるが、その絵は1コマ、1シーンであってもその美意識に満たされ、鋭い神経が行き届いたものなのだ。文字通り心血を注いでの作画である。

展覧会での例を挙げれば「アラベスク」の点描などがある。
それから「ダフネ」の蔦の絡む肉体と妄想の情景など。
無限に例はある。

そしてこの展覧会は絵を見るだけではない。
マンガというものは絵と物語が共に活きていなくてはならないのだ。

山岸さんの紡ぎだす物語にはある種の冷徹さがある。
それは言葉として物語にはっきりと示されているときもある。
救われる人は努力した人であり、救われぬものは自己の責任を取らないものなのだ。
努力をせぬもの、責任を放棄したもの、他者に罪をなすりつけるものたちは無惨なラストを迎える。
死んだとしても決して救われないし、死ねない地獄もある。
その冷厳なまなざしに怯える度、わたしもせめて怯懦でないようにしたい、と思った。
その意味では山岸凉子ファンであることは、努力し続ける人間であろうとすることだと思っている。
山岸さんに感謝すべきは、素晴らしい作品を世に送り出してくれたことと、努力を怠ると「ああなる」ことを教えてくれたことかもしれない。
尤も、非常に不条理で無惨な物語も決して少なくなく、それら<悪意>を描いたものに対しては、どのように対応するのが良いか、主人公たちのようにわからないままなのだが。


今回の展示で初めて知ったことだが、山岸さんは上村松園さんのファンだそうだ。
それを聞いてから改めて山岸さんの描く和装女性を思う。
着物に関して一家言のある方だけに作品にもそうした作品があるのを思い出す。
また、随分以前に「日曜美術館」でハインリヒ・フュースリが取り上げられた時、山岸さんはとても綺麗な振り袖姿で出演されていた。やや緊張されていたが、はきはきと話される姿を今も忘れない。

そして着物の絵では「神かくし」の文庫版表紙絵の「家老の令嬢」の姿が出ていた。
きちんとした美しさがそこにある。

他にもまだある。
安彦良和さんが「アリオン」を映画化したとき、衣裳を山岸さんがデザインした。ステキだと思った。
それから「テレプシコーラ」の第二部でもバレエの衣裳についての重要な挿話がある。
実際山岸さんのデザインは本当に魅力的なものばかりなのだ。
山岸さんのファッションセンスの良さを想う。

「妖精王」やその同時代の短編物などではミュシャが描いたような官能的な衣裳を山岸さんもよく描いた。
いずれも豊かな肉を見せる女性がそれらを身に着けていた。
ただし完全な洋風ではなく、文様などが和風であったりして、その独特の感性に強く惹かれた。

次々と現れる美しい絵。物語の悲惨なもの・無残なもの・恐ろしいもの・愛らしいもの、区別なしに素晴らしい絵がそこにある。
「ひいなの埋葬」「天人唐草」「落窪姫」「スピンクス」…
いずれも象徴的なシーンや重要なシーンがここに展示されている。

「妖精王」のクイーン・マブの綺麗な娘姿もある。彼女はダーク・エルフの女王となってからは恐ろしさを表に見せるようになったが、それ以前は愛らしい娘だったのだ。
そしてここでも和と洋の融和がある。爵(ジャック)がペガサスに乗って駆けるシーン、その背景には紅葉する葉が描かれている。
洋の美ではなく和の美である。だが乗るものはギリシャ神話の天馬なのだ。

山岸さんはファンタジックな絵にも素晴らしい技巧を見せる。
19世紀末から20世紀初頭の英国の絵本画家たちに比肩するような絵である。
ウォルター・クレイン、ケイト・グリーナウェイ、山岸凉子…

日本画を基礎に、線の美・色彩の美を追求する山岸さん。
それらはどの作品にも結実している。
「黒のヘレネ―」「あやかしの館」「ハトシェプスト」…

初期の作品も出ていた。読者受けする絵から自己の絵への変換を図り、拒絶された時の苦労話などを初めて知る。
難しいものだ…
「幸福の王子」「ネプチュナ」「シュリクスパーン」「ラプンツェル」といったあたりはもう初期の面影はない。

「ASUKA」が1985年に創刊されたとき、山岸さんの働きが大きかったことは知っている。
表紙絵は蘭陵王の装束を身に着けた美麗なヒトが足をみせているその姿で、このポスターが原宿のビルに挙げられたときは足先まで追加で描かれたそうだ。
あの時TVCMでも山岸さんの描く表紙絵の人物がアップになり「お嬢マンガよ」か何かそういった詞があって、キャラがウインクするのを見た。
山岸さんの描いたキャラが映像になったのを見たのはこれだけしかない。
この繊細美麗な絵が映像化できるとは思えないし、したとしても満足させてくれないだろうと思っている。

創刊当時の作品ラインナップが懐かしい。
竹宮、萩尾、名香智子、杉浦日向子、高口里純、谷地恵美子、神坂智子、酒井美羽…
何もかも懐かしく、そして古びもしていない。

山岸さんの雑誌表紙絵が並ぶのを見る。
シークレットラブと題されたものは膚にそれぞれ花の刺青を施した綺麗な女性2人の隠微な美しさを見せるものだし、如月の娘は黒地のチャイナドレスにポップさをみせていた。

再びモノクロの原稿の美を堪能する。
「夜の虹」、「セイレーン」の点描、様々な技巧を駆使して描く名画の数々がそこにある。

「牧神の午後」はニジンスキーを題材にした物語で、表紙絵は「青神」の青銅色のニジンスキーのバストアップである。
ニジンスキーを題材にした映画、小説、マンガ、展覧会、舞台、様々なメディアの中で最もよく描けているのが山岸さんの作品だと思っている。

「封印」「「青青の時代」「イシス」この辺りの絵も素晴らしい。
ただ山岸さん自身はこの時代かなり苦しんでおられたようだ。

「二口女」はどうも色鉛筆を使われたような感じがする。それはそれで面白い。
すこしばかり辻村寿三郎を思い出す。
「蛇比礼」の妖艶な幼女、「ヤマトタケル」の力強さ・・・無限に美は広がる。

ところで気づかなかったが「ねじの叫び」が山岸さんの初ホラーだったそうだ。あれも怖かったが、わたしはもう「汐の声」「わたしの人形は良い人形」があまりに怖すぎて、いまだに自室に置けないくらいなのだった。

「テレプシコーラ」の単行本表紙絵、「メデューサ」「ドリーム」「レベレーション 啓示」…
いつの時代も素晴らしい。
「妖精王」の後に描かれた短編「ドリーム」は当時よりもこちらが年を経るほどにその魅力にひき込まれてゆく。
物語の良さだけでなく、そこに描かれたモチーフ、背景、建物、インテリア、そういったものが常に自分の意識の底に活きていて、何かあればすぐに思い出すのだ。

山岸さんが日本美術に傾倒していた、というのはこれはもう作品を見るだけで納得できるものだし、それ以前にそうであろうと予測はつく。
山岸さんの美は日本画の素養に裏付けされている。
社会問題を取り上げた作品も多いが、絵の美麗さとそれとをわざと合致させないところも興味深く思っている。
タイトル、表紙絵から推測されない物語が広がり、あるいはそこに閉ざされている。
「緘黙(しじま)の底」「パイドパイパー」…

「鬼来迎」「笛吹き」などは大和絵として面白い。
「わたつみのいろこのみや」では青木繁の同題の絵を写している。
わたしが初めて青木を知ったのは実に山岸さんのこの絵からなのだった。

山岸さん自身が苦しんでおられた時期の作品に「鬼」「白眼子」があるが、どちらも素晴らしい作品だった。
特に私などは「白眼子」の予告にホラー作品かと思い、その意味で背筋が寒くなってわくわくしていたが、読んでみると全く別な怖さがあった。
本編のラストシーンなどはいついかなる時に読んでも本当に全身がこわばり、息が止まりそうになる。
恐怖ではなく、これは畏怖に近い感覚だと思う。
そしてこれらの作品は「他者を許す」ということを描いたものだという点が高く評価されている。
わたしは「白眼子」のラストで、幼時に彼に救われた光子(道子)が死の淵にある白眼子に、彼のその業績の尊さを説くシーンを思い出すと、いつも涙ぐんでしまう。
他者を許し、自己を許し、救済を説いた、と解説にあるがなるほどと思う。

しかし救済を描いたものであろうと仏の浄土を描いたものであろうと、恐怖は常に潜んでいる。
実話もの「ゆうれい談」の表紙絵にもなった「蓮の糸」などは、目を閉じた女の開いた口からしゅるしゅると一茎の蓮が伸びているのだ。これを尊く思うか・恐ろしく思うかは個人によるだろうが、わたしには恐怖だ。

最後に山岸さんのカゴメのために描かれたエッセーマンガが紹介されていた。
カゴメのトマトソースなどを使ってのマイレシピ公開である。
「トマトとあさりのスパゲティの作り方」。美味しそうだった。
そう、マンガでこのように作り方を示してくれるのはいいことだ。

展示も12月からはまた変わる。
今後も無限に広がる美の世界に溺れ続けたいと思っている。
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