美術館・博物館・デパートでの展覧会を訪ね歩き、近代建築を見て周り、歌舞伎・映画・物語に溺れる日々の『遊びに行った日を記す』場所です。 

「超絶入魂!時代劇画の神 平田弘史に刮目せよ!」

遊行七恵、道を尋ねて何かに出会う にて挙げた分をこちらへ移動。
元記事はこちら

終了したとはいえ、弥生美術館での「超絶入魂!時代劇画の神 平田弘史に刮目せよ!」展は決してそのままにしていてはならぬ展覧会だった。
画期的なことだと言っていい。
現役作家ではあるが、「あの」が着く平田弘史の史上初の原画展なのである。

弥生美術館は挿絵専門の美術館として活きている。
その中でこれまでマンガ家・劇画家の原画展は何度かあり、いずれも大きな反響を呼んできた。
先般完結した村上もとか「フイチン再見」最終話の直前に、弥生美術館での2001年2期目「上田としこ・今村洋子・倉金章介-おてんば少女たち」展が採り上げられていたが、ここでのマンガ原画展と言えば前年の「わたなべまさこ・水野英子・牧美也子」展が手始めだったと思う。
1988年の「松本かつぢ」展にもむろんマンガは出ていたことだろうが、わたしは未見で何も言えない。いや、それよりも現代的な意味での「マンガ」というのなら、やはり2000年の「わたなべまさこ・水野英子・牧美也子」展を挙げるべきだと思っている。

また、近年では2012年に「伝説の劇画師 植木金矢」展が開催された。
(当時の感想はこちら)

この時漠然と、「劇画」という今では廃れたものもまた、ここでこそ展覧会として挙げられるべきものかもしれない、と思うようになった。
そして昨年には2本のマンガ家の原画展が開催され、いずれも大きな反響を呼んだ。
「わが青春の「同棲時代」 上村一夫×美女解体新書」展(感想はこちら)
http://yugyofromhere.blog8.fc2.com/blog-entry-3981.html
「山岸凉子展 「光 -てらす-」 ―メタモルフォーゼの世界― 」
前期の感想はこちら
後期の感想はこちら


今回、平田弘史展が開催されたのは将に「満を持して」という状況だったと思う。

1月から3月末の3か月間、ここで凄まじい熱量が放たれていた。
弥生美術館のツイッターをフォローしているわたしはRTされてくるファンの皆さんの様子に慄いた。そして展覧会内の様子にも震え上がった。
画面から飛び出してくるような迫力に恐れをなしたのである。

この展覧会が開催されることを知った時、わたしは平田弘史の作品は実際には未読なので、困った。
マンガ史の中での平田作品の逸話などは聞き知っていたが、実際に読む機会というものがなかなかなかったのだ。
ただ数年前、府中市美術館で「石子順造的世界 美術発・マンガ経由・キッチュ行」展を見ていて、そこに平田の「始末妻」が紹介されているのを見てはいた。
当時の感想はこちら


そうこうするうち、電脳マヴォというサイトを知り、それで検索すると出てきたのが
「太刀持 右馬之介」だった。

先の「始末妻」はこちら。

その壮絶な物語と凄絶な画力に圧倒された。
読んでる最中から胃が重くなり、読了後も本当に苦しかった。
激しい膂力で以て殴り倒されたような気すらした。
しかし決して厭な作品ではないのである。
右馬之介が気の毒でならなくなるのだ。
つまり主人公への思い入れ・肩入れが強くなり、それがために彼らに降りかかる非運・災難にこちらも激しく強く感応し、つらくなるのだ。

さて、前置きが長いのはいつものことながら、いよいよ原画拝見に赴く所存にござる。

チラシは「桶狭間出陣」の信長。この一枚絵の迫力からしても只事ではない。


平田弘史の半生を紹介する解説パネルや写真資料などを見るのだが、展示室に入った瞬間にギョッとなるのは案内プレートや作品展示ごとのタイトルが全て「平田弘史」なのである。
この言い方は適切ではないかもしれないが、平田弘史だとしか言いようがないのだ。
展示案内にまず「順路は右からです」とあるのだが、それが実は平田弘史のキャラが言うている。
弥生美術館のツイートを見たらどんな意味か分かっていただけると思う。
こちら。


このインパクトの大きさには思わずのけぞる。
そしてその壮絶な絵と台詞の丁寧さのギャップに笑ってしまうが、ここで初めて時代劇&特撮ギャグマンガ家ほりのぶゆきの根源に恐らくは平田弘史がいることを想うのだ。

平田弘史の出発点は、他のマンガを参考としていないということを知って仰天した。
木俣清史という挿絵画家の絵を参考にし、更には大阪の千日前のデパートで挿絵スクラップを入手してそれで学んだというのには、絶句するばかりである。
凄まじい気力と計り知れない能力とで平田弘史は作品を世に問うたのだ。
マンガも劇画も小説も一切読まず、他者の創作・フィクションを排除し、天理図書館に通い、徹底的に歴史書や古文書を読み漁り、研究し、自ら解読し、ついにそこから己の妄想を育みだした。

しかしそうは言っても一切の人間関係を断ち切ったわけではないようで、多くのマンガ家が貧困にあえいでいた時代に白土三平から仕事を貰ったこともあったそうだ。
そういう逸話は好きだ。
そして「0伝」という作品を連載していたが、その主人公の少年はどこか白土三平の「サスケ」にも似ていた。つまり可愛い少年なのである。
その少年の表紙絵が3点ばかりあったが、いつのまにかこの坊やは片目になっていた。
何があったのか気になる。

平田弘史は天理教の布教をしていた両親の子として板橋で生まれ、やがて天理に戻ったそうで、それだからか初期の作品に「大和川の侍」というのもある。
大和川が出てくるマンガと言えば本当に少ない。大抵は淀川である。
地縁というものを感じる。

初期作品はまだまだ絵も可愛さ・当時の時代性を感じさせるものだったが、やがて「劇画」となると、いきなり物凄いとしか言いようのない絵と物語が飛び出してきた。
この貸本ブームの時代、平田弘史は大阪の日の丸文庫から出ていた「魔像」に連載していた。
その読者感想ページがここで読めるようになっていたので、わたしもちらちら読んだが、当時の読者の心持が伝わってくる。
みんな、平田弘史作品にどつきまくられていたのだ。そしてその痛みに苦しみながらも、読まずにいられない体にされていたようだ。

出た!「おのれらに告ぐ」、そしてその元々の「血だるま剣法」の事件についての解説がある。
ここではそれは措くが、このことはわたしも随分前から知ってはいた。

展示された原画のページだけからでは、青年の言う「自分は差別された」「先生は偽善者だ」ということの真偽はわからない。
しかしその剣術の先生は青年によって無残極まりない殺され方をし、更にはその血文字が残されているというのには息が詰まってくる。
この血文字に匹敵するのは馬琴の八犬伝での犬阪毛野が「鏖」と書いた場面、山上たつひこ「光る風」での兄の自殺の場面、福本伸行「銀と金」の神威家の殺し合いの場面ではないか。

それにしても物凄まじいばかりの画力である。
その画力は物語の強さにふさわしい。
次々と作品を見てゆく。

「日陰者の死」の哀れさは双子萌えのわたしに沁みる。

「被虐の受太刀」 南條範夫原作とあり、とても納得。もう本当にこの分野は南條の独擅場だと思う。
マゾヒストの少年が義理の伯母に「切ってください、傷つけてください」と懇願する場面などは特にたまらなかった。
平田弘史は虐げられる下級武士を描くが、被虐の快楽を追求したわけではない。
しかし描かれた情景には危うすぎる魅力が滲み出ている。
これはなんなのか。

わたしは2-3歳の頃に南條の怖い作品をドラマか何かで見たらしく、今もその作品は大きなトラウマになっていて、恐怖しか感じないのだが、長じてようやく他の作品も読むようになり、南條の被虐趣味よりは少年愛を描いた作品の方により強く惹かれるようになった。
(実際「城下の少年」を読んだことで相当な負担が軽減されたのだ)
とはいえ、決して消えない傷はある。
南條の文章も大概恐ろしいが、それが絵になるといよいよ恐怖が増す。
山口貴由「シグルイ」などその最たるものだが、今回の展示であの題字を書いたのが平田弘史だと知って、改めて震えが来た。

ここで少し飛ぶが、平田の書は独特の力強さに満ち満ちていて、意味不明なまでの迫力がある。
彼に題字を書いてもらった作品群が展覧会最後に集まっていたが、そこに「シグルイ」があるのを見て納得した。
わたしと隣家の従弟とは同じ本はかぶらないようにしながら買い集めているが、互いに「シグルイ」は欲しいけれど手元に置くことが恐怖でならないので、未だに困り続けている。なにしろあの題字を見ただけでぞわぞわするのだ。
今回、平田弘史の書だと知ったことで、却って心が落ち着いてきた気はする。

原画再び。
「嘘」 とんでもない話である。これは困った…
「反骨刃傷記」 表紙絵は十二神将の一が描かれている。強靭な絵である。
「刃返し斬法」 カラー原画が出ていた。

筆書きの書の凄まじさについては一旦措いて、小さいことを書くと、波が打ち寄せる擬音「ザパーッ」が白土三平のそれに似ていた。
こういうのをみつけるとちょっと嬉しい。

1969年の「侍コミック」掲載の「百姓二人」だが、これは表紙絵から迫力に満ち満ちていた。抜身の刃を持った侍が全速力で駆けてくるのだ。絵の枠を飛び越えてこちらへ飛んできそうな威力がある。
この号にはほかに村野守美「モガリ笛」がある。

「それがし乞食にあらず」 これまたなんかモノスゴイ話である。足軽で子沢山なのに乳飲み子残して妻病死、近隣の同僚たちがみんないい人ばかりで早速お乳をあげたり、「うちがあの子を」「うちはあの子を」と言ってくれたりおかずを差し入れしてくれるのに、タイトルの台詞。
原画はこのあたりまでだが、もう本当に貧窮がひしひしと伝わる。
結局子らはみんな餓死して、近隣の人々から鬼扱いされる男。彼は一体なぜそこまで頑ななのか。
結局は主君への忠義からのことなのだが、わたしなどはもう完全に意味不明だとしか思えない。

映画とタイアップした仕事が紹介されている。
「座頭市」「人斬り」「片目の軍師」などがそれである。
しかし映画の世界観をそのまま再現するわけではなく、平田弘史は平田弘史の思想でもって作品を完成させている。

描写の凄さを実感した作品がある。
「弓道士魂」 三十三間堂の通し矢をしようとする少年武士の話である。
失敗すれば処刑されるという状況の中での激しい集中力が描かれているが、その表現が怖い。鼻血が出てきたのを見ると、もう彼の内部ではもっと著しい破壊が起こっているのではないか。

子どもの頃に読んだ「アストロ球団」でこんなシーンがあった。一球入魂のあまり、血管が切れるどころか、投げ切った後に老人になる男がいた。
「侍ジャイアンツ」の原作もラスト、まさかの主人公の死があった。
野球も弓も集中しすぎて最後はとんでもないことになるのだった。

この話の外伝にあたるものもあった。弓道の名人「天下惣一」になったとしても次々に新しい者が加われば価値は下がる。そのことを愁いて…

平田弘史はアシスタントを使わないそうだ。彼の画力に追いつける人はいなかったそうで、ある時から愛妻が手伝うようになったが、やはり一人で描くように戻った。
アシなしで物凄い画力の高さというと、ながやす巧が思い出される。

その画力の高さ・構成の巧さを特に強く味わえるのが現れた。
「首代引受人」 この冒頭が素晴らしい。表紙の後の2,3,4ページが一枚絵として使われているが、それがもう只ならぬ雰囲気で満ちている。編笠の侍が向こうからこちらへ歩み寄ってくる情景を描いているのだが、凄まじい気迫がある。鬼気迫るというべきか。
その様子に気づいたのはこの屋敷の息子。目があい、その訪問者を待つ。用件を問うと…

この「歩み寄る」シーンの凄さ・魅力の大きさは映画「アラビアのロレンス」で、ロレンスとあるアラブ人の男とが井戸の水を調達しているときに、ずっと向こう、陽炎が立ち上る果てからゆっくりと近づいてくる黒装束の男を見る、あのシーンに匹敵する。
あれは数分間を使った長廻しのシーンで、素晴らしかった。
萩尾望都はそのシーンにときめいて、自作「マージナル」でも再現を試みている。
平田弘史はその圧倒的な不穏さを3ページで表現した。
いずれも皆素晴らしい。

この首代引き受けの話はリメイクもされている。悲惨な話だがかなり面白いのは事実である。だから何度もリメイクされる。
「約束手形」「新首代引受人」…

機械工学に詳しい平田弘史は1995年の時点でmacを導入し、ソフトウェアの開発にも協力したそうだが、彼の圧倒的なペン画は当時の技術では完全な再現は望めなかったそうで、手を引いている。
そのカラー作品を見たが、細部の魅力が引き出せなくなっていて、惜しい。今ならもっとよい状況になっているが。

珍しく女性誌「週刊女性」にも短編を一本描いていた。
「無双奥義太刀」 これは残酷性はやや薄れてはいるが、しかし悲哀に満ちた物語である。
子の為に辻斬りをする父、その子が長じて後に… せつないのう。
そう言えば70年代初頭の女性週刊誌は意外とこうした作品を掲載していた。
望月三起也「薔薇のイブ」もそう。

父と子の哀しさを描いたのは他にもある。
庶民もせつないが侍も苦しい。

「茶筅髪禁止令」 泰平の世になったから、戦国の気風を残す茶筅髪を幕府が禁止した。それは「侍」の力を削ぐことであり、軟弱化させる目論みなのだが、それを拒否する侍がいる。結局そうなると藩としては御公儀に逆らえぬから死罪を申し付けることになる。検死役も最後にもう一度勧めるが、意志は固く、侍であることを誇りに思う男は息子に介錯の役目を負わせ、十文字に腹を切る。
しかも一旦腹を切ってから息をつき、息子に介錯のタイミングを教えるのだ。
やがて喉を掻っ切ったその時に息子は介錯する。首が跳ね飛ぶ。
息子も後追いしようとするが、それは止められる。

ここで「切腹の美学」という言葉が掲げられていた。
平田弘史は19歳の時に重い盲腸の手術をしたが、昏睡から覚めないかもしれないという理由で、麻酔なしで盲腸の手術をしたそうだ。
臓物が引っ張り出されるナマナマシイ感覚をはっきりと知ったというのが怖い。
そして実際に割腹自殺を遂げた三島由紀夫は平田弘史のファンだったそうだ。

ところで介錯した場合、首の皮一枚残すのが巧い斬り手だと聞いているが、実際の所はやはり首を跳ね飛ばすか、または頚骨を斬り損ねて、中途半端に刺さったままで終わってしまう、というのも多かったと聞く。
平田弘史の作品ではきちんと介錯出来ているので、つまりみんな腕は立つのだった。

中央のケースでは貸本マンガが紹介されていた。
辰巳ヨシヒロ「死人のおかえり」、さいとうたかを「無宿大名」、佐藤まさあき「野望」がある。
「無宿大名」が掲載されていた「魔像」の紹介をしたツイートはこちら。

この「野望」の表紙が面白い。ソフト帽にスーツ姿の優男が顎に手袋をはめた手を挟んでいる。妙にナルシスティック。
「野望」はドラマ化されたが、一部だけ偶然再放送で見たことがある。
あの天知茂がハワイの海岸で幼な妻と追いかけっこをしながら「わははははは」と楽しそうに笑っている、という殆どホラーな情景だった。

他にわたなべまさこの薄幸の少女ものがある。
それから雑誌「黒猫」「影」の表紙絵がなかなか怖い。
つげ義春「ゲンセンカン主人」の始まり辺りのページが出ていた。
初期の頃の少年マガジン、サンデー、ジャンプも並ぶ。ジャンプのその表紙は「侍ジャイアンツ」だった。上村一夫の喪服の女の前に髑髏が鼻血ブーしているのもある。

平田弘史は南條範夫作品を描くことも色々あった。
「無為の生涯」「邪淫許すまじ」
滝口康彦作品もいくつか。滝口と言えば「拝領妻始末」しか知らないが、このヒトも無残な話が多そうだ。他にシバレンの「無念半平太」というのもあった。

「介錯」 そのタイトル文字がたまらない。「介」の垂れ方、「錯」の締まり具合。
とてもかっこいい。

二階では「太刀持右馬之助」から始まった。
可哀想な話だが、色々と身につまされるところもある。

そして世評高き「薩摩義士伝」。この異様な力強さ・迫力にはただただ圧倒されるばかりだった。
第一話「ひえもんとり」がそもそも凄まじい。
わたしは「ひえもん」と言うと歌舞伎の「助六」の「ひえもんでぇす」というのを思い起こすが、あれは江戸の銭湯で体が冷えてますが失礼、くらいの意味の言葉なのだが、薩摩の「ひえもん」はなんと生肝のことをいうのだ。
つまり罪人の生肝を奪い合う、という大殺戮ゲームなのだ。
だがその罪人の男がまた物凄まじい。
下帯一枚になりながら「突かば突いてみい、罪人一人に群がる蟻侍共!」
うわーーーーーーっっっっっ

眩暈がして腰が立たなくなってきたところへほっとするものが現れた。
1990年のヤングマガジンでのエッセイマンガ「平田弘史のお父さん物語」である。これは4ページもので絵はあの通りだが、なかなかユーモラスな平田弘史の日常を描いていて、絵があれだけにそのギャップが面白くてならない。
「弘ちゃん」「よっちゃん」と呼び合う仲良しの御夫婦の姿がいい。
ページの端には「お母さん」の一言もある。
こういうのは本当にホッとする。

平田弘史の初期作品に「ボクのおじさん」というのがあるが、あれは風俗は江戸ものだが言葉は描かれた当時のものでほのぼのものだった。
どこか「丹下左膳 百万両の壺」を思い起こさせるようなユーモアがあった。

絵が凄いから却ってユーモアが深くなる。

そして平田弘史の進化は続き、無残な話から転回し、「ミスターマガジン」で連載した「無名の人々」シリーズが生まれる。
中でも「怪力の母」という作品はあたたかみのあるもので、女相撲をしている女たちの描写が明るくていい。

玩具のバンダイの「戦国歩数計」のイラストを担当しているのがまたなんだかスゴイぞ。

前述した平田弘史の書は多くの漫画家たちに支持され、作品タイトルによく使われている。
大友克洋「AKIRA」の「アキラ」もそうだし、「シグルイ」、それから「ディエンビエンフー」、「蛮勇引力」、「バンデット」、「ますらお」などがある。
「ますらお」は最初に連載されたのが中断してから18年後に再開しているが、どちらも平田弘史の書ではあるが、こうして比較すると違う字なので、新たに書き起こしたのがわかる。


この書のど迫力に慄くことも少なくないが、しかしその迫力が魂に響くことは確かなのだ。
「バンデット」もあの暑苦しい絵柄と物語にタイトルがマッチしているし、最近ようやく面白くなってきているので、毎号楽しみに読むようになった。
今後はタイトルは平田弘史ののだと思いながら見ると二重に楽しめるだろう。

ところで平田弘史は天理教と関係が深く、それで教祖絵伝を描いていたが、教義が変容していることを感じ、向こうとの関係もよくなくなって、ついに縁が切れたそうである。そのことも含めてきちんと紹介されているのは、この回顧展にはとても大事なことだと思った。

平田弘史へのオマージュを記した多くの漫画家たちのメッセージがある。
花輪、政岡、山口、宮谷、本宮、ながやす、バロン、池上、みなもと、神田、あだち、かざま、天野、かわぐち、里中、北崎、竹宮…錚々たる人々からのカードはいずれも魅力的だった。

凄まじい力業に圧倒された。
お礼を申し上げよう。
平田弘史先生、今後の活躍をお祈りいたします。
素晴らしい作品世界をありがとうございます。
弥生美術館へもこの展覧会を企画されたことを讃えたい。
凄かった……
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古唐津 大いなるやきものの時代

出光美術館の「古唐津」展はとても素敵な展覧会だった。
わたしはどうしても最終日にしか行けず、惜しいことをした。
イメージ (159)

古唐津は「こがらつ」と読む。こからつと読むこともある。
わたしはアクセントの問題やなんだかんだあるので「からつやきのふるいの」と言う。
これだけでなく、古陶は何でもそういう物言いで通している。
ただし書くのは別で「古唐津」だが、実は一発変換してくれないので「ふるからつ」で打っている。

出光美術館は最初の展示空間が巧い。
世田谷美術館同様、まずぱっ と観客の意識を一気に掴む構造を取っている。
「さてそろそろ」ではなくいきなり「おおっ」で始まる。
そこにどんどんどんといいのを揃え、わかりやすい言葉で観客を誘導する。

今回はまたとてもいい解説が続いていた。
それは詩人の紡ぎ出した言葉だった。
しかし晦渋なものではなく、わかりやすい文章で構成されていて、そのうえ皆の知る言葉を使いながらも、新しい意識を導き出す構造を取っていた。
章立てをみてみよう。
序章 古唐津への招待 ―その経糸と緯糸―
第一章 絵唐津の大皿と茶陶
第二章 茶碗
第三章 朝鮮唐津と斑唐津 ―綾なす色、温雅なる白
第四章 古唐津の宴 ―懐石の食器と酒器
終章 近代への響き

この縦糸と緯糸という言葉とその説明とにシビレた。
唐津と朝鮮と桃山の関係性をこんな風に表現しているのを読みたかったのだ。

チラシに選ばれた壺が現れた。
絵唐津柿文三耳壺 桃山時代 17cmの可愛い壺の表面によく実った柿の木が描かれている。●で表現された柿。完熟しているようだ。丸々とした美味しそうな柿。
朽葉色に鉄絵。幹の具合や枝振りを見ると、ノイエ・タンツの踊り手がいるようにも見える。耳は小さく90度に立つ。ちょっと虎耳のようで可愛い。

そろばん玉の形の壺、「さざれ石」と銘打たれた枇杷色あるいは朽ち葉色の茶碗、李朝の白磁に描かれた草花に似た線を見せるもの、黒織部に似たもの、薔薇のようなぐりぐり文のあるもの…
可愛さが目に染みる。

粉青鉄絵、志野焼、織部、それらと並んで古唐津がある。
縦糸と緯糸という言葉が本当に納得できる。
そこから少しずれるとあれになるのか、あちらへ行くとこれなのか。
そうした軸線のずれにあるやきものを想うのも楽しい。

桃山時代の奔放さ、それも愉快だった。
絵唐津人物文筒茶碗 蓑笠姿の人物が細道を上ってゆく。どこへ行くかは誰も知らない。

少し時代が後の屏風が出ていた。探幽の「叭叭鳥・小禽図屏風」である。
目つきの悪い叭叭鳥、仲間に何か話しかけている。もう一方の小禽たちは流れの激しい岩にいる。自然の中に生きるものたちの姿。

破天荒な文様や形が生まれた一方、自然をスペクタクルに描く技法も発達し、逆につつましさを見せる草花を愛でるような文様も多く生まれた。

絵唐津松文大皿  アチョーッアチョッアチョッアチョー、という声が聴こえてきそうな絵皿である。何がかというと、枝振り。
意図せずともこんなことがたまにある。

絵唐津葦文大皿  まっすぐ伸びる葦の清々しさ。唐津や志野に葦文の気持ちいいのが少なくないのは、「芦刈」を踏まえているのか、それとも単に植物として魅力を感じるからか。
色々なことを思いながら眺めるのは楽しい。

また別の葦文大皿は縁辺りに青海波があり、左上の金継ぎが月のように見えた。水辺の葦の様子がむしろレガッタが航行するように見えたのも面白い。
月夜のレガッタ。

葦文が水指を彩るものもあり、可愛らしい。
いくつか見受けられるが、いずれもいい。

この国がかつて豊葦原中国(とよあしはらのなかつくに)という美称を持っていたことを思い出す。湿地帯が拡がる国土には葦が生い茂っていたのだ。

可愛いものが集められていた。
絵唐津千鳥文片口茶入 銘・友千鳥、唐津茶入 銘・ひよこ、絵唐津蔓草文茶入れ、絵唐津蔦文茶入、この四つが四段のひな壇に載っていた。とても可愛い。
配置もよくて、音楽的なところも感じた。

絵唐津輪違六角火入  皮鯨手というもの。口べりに鉄釉が巡るものをいう。
・・・つまりあれか、コロだよな、鯨の。ぽいなあ。

奥高麗茶碗がずらずら。
中に物凄いようなカイラギの生じたのもある。
個人的には熊川茶碗は飲みやすそう。

絵唐津ぐりぐり文茶碗 これは下から見上げると、文様がフクロウの目玉のように見えて面白い。それも希臘のフクロウのよう。

色つきの唐草文の入ったものもあるし、ペコちゃんのBFポコちゃんが泣いているようなのもあった。

螺鈿竹雀籠地茶箱  もぉ可愛くて可愛くて。嵌め込みなのか、籠地に嵌め込みパネルのように螺鈿。いいなあ。

様々な形の向付や鉢があり、とても楽しい。
桃型は今ならハート形、扇面、三つの丸がつながったようなもの、そば粉で拵えるガレットのような皿もある。しかもそこにココアが掛かっているかのような…
子宮断面図のようなものもある。

面白かったのは、ぐい飲みを見る人々のうち、熱心なのはオジサン方だった。
あれは実際に自分で使うことを夢見ていたのだろう。

最後に現れた近代の作品がいい。
川喜多半泥子 瀬戸唐津手茶碗 銘・天の川 目跡が3つ。天の川のような集団のチカチカがあった。綺麗だ。

小山富士夫の斑唐津もいい。
出光美術館が大阪にもあった頃にこの人を知ったのだった。

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心地よさに満ちて美術館を出た。いいものを見るといつも気持ちいい。
次の展覧会はもう少し早く行こう。
いつもいいものをありがとう。

華宵 傷だらけの美少年、麗しの美少女 / 夢二の春夏秋冬

弥生美術館の企画展は平田弘史の凄まじい原画展だった。
その感想はこちら
階上の華宵記念室では優美で妖艶な美少年たちの傷ついた様子を集めた展示があった。
元々華宵描く美少年たちはその身に包帯を巻いていることが少なくない。
その様子を見て当時の読者はいよいよときめいたことだろう。
現代のわたしだって心がざわめくのを止められない。

平田弘史の凄まじい殺戮・切腹の血しぶきを浴びたあと、こちらで若くしなやかな肢体の少年たちの傷を検める、というのはどこか危ない歓びに満ちていた。
わたしなどは華宵の美少年が平田弘史の世界に入り込むとどうなるだろうと異様なときめきにふるえもする。

多勢に無勢の中、刃を抜き放ち必死で戦う美少年、浜辺で一人剣を高く掲げ「我勝てり」と誇らしそうな美少年、炎の中、少女を背負って突破口を探す美少年の肌には鮮烈な桜の刺青が散る。

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ときめきが天空を突きぬけてゆくようだ。

白虎隊の少年たちが互いに差し違える最期を描いた絵もいい。

どきどきするばかりだ。

「南蛮小僧」の「死中の活」などの絵もある。
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「虎徹とりあげ」の南蛮小僧の二人の家来(こちらも美少年同士)が喧嘩中。
ときめくなあ。

「焔の渦巻き」もいい。必死で泳ぐ少年の首に矢が刺さる・帆柱にぐるぐる巻きにされた少年を大風が襲う・炎の中での大立ち回り、てくび、手甲に流れる血は他人の血か。

「刀の中の父」 美少年が肩を斬られて血を流すのを手当てしようとする下げ髪の婦人。こういうのもいい。

「乱刀の巷」 美少年の武士が捕らわれ、縛られて転がされている。それを見おろす悪女。
ゾクゾクしますなあ。

本当にフジョシ心を鷲掴み。1926年はいい絵が多い。
また会いたいものよ…

美少女達の絵もいい。エス、とまでは言いかねるが中の良さそうな少女たちが楽しそうにする絵がいくつかある。
テニスをしたり、春の丘を散策したり、カルタをしたり。

サロメの絵も出ていた。
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昂揚しつつ次は夢二美術館へ。
夢二の春夏秋冬展
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夢二は四季の内、春を特に愛した模様である。
椿を描いた絵はいずれも魅力的だし、椿の意匠のグッズは今もよく販売されている。
夢二の描く草花・木花はいずれも優しく愛らしいので、手元に置きたくなるものが多い。
そしてそこには綺麗な女や美少女や愛らしい子供がいる。

梅と黄蝶と娘のいる絵もフワフワした春の良さを感じさせてくれる。

百合と共にいる若い女のタートルネックセーター、素敵な春の帽子には宝石がついている。
春の心地よさがそこにある。

夏もいい。珍しくアクティブな女たちがいる。
「シーサイド」シリーズの絵葉書もいい。6枚セットで明治末の風俗が描かれているが、古さはない。
シマウマと呼ばれた水着を着た若い娘たちの笑顔、海辺を散歩する母娘など。

「中央文学」誌の表紙絵もいい。花灯窓に裸婦がいて、日に焼けた背中を見せている。輿の辺りに「盛夏号」。

ボートをこぐ少女たち。睡蓮の池、十三夜に金の輪を回しながら走る子らもいる。
「ぼくのお舟」はたらい舟に乗った坊やが睡蓮池で微笑む。
和田倉門の辺りにいるモダンガールは雨の中を小走りする。素敵な帽子にピンクのセーターと縞柄スカートにマフラー。

秋、1913年の月次絵がある。しかし時代性から考えると少しあとのような感じもする。
11月、ソファの背を掴む女、カーテンはアールヌーヴォー風。
12月は「愛の総勘定」。背景はドイツ表現主義風。

「若草」誌の表紙絵がいくつか。いずれもセンスのいい絵だった。

三月の東京ハイカイ録

色々多忙でこんな末頃に東京へ出かけることになった。
展覧会の会期末にしか行けないのはまあやっぱり不都合があるわなあ。
しかし仕方ない。例によって感想は「遅ればせながら」で挙げてゆくのだ。

さてわたくしは朝も早よから新幹線で東京に来まして、いつものロッカーに荷物を放り込み、その時に「しもた、寒いのに対処するには先月同様ダウンを持ってきておけばよかったのだ」とロッカーに鍵を下した時にハタと気づくという。
まあよくあるパターンで。

弥生美術館から始まります。
平田弘史の物凄い世界に完全に負けました。
ツイートではこんな風に書いている。
「意味不明なまでの力強さは何に基づくのか。憤りか。
ただただ圧倒された。
平田弘史の凄まじい画力と物語と書とに半ば撲殺されそうになっている。
「首代引受人」冒頭、編笠の侍がこちらに歩み寄る描写、それだけで息が詰まった。
全身像から発せられるものは何か。
気迫に圧され正体が見えない。」
「筋肉、神経細胞、脂、体液、表皮、何もかもが力強く、理解を超える迫力に胃が痛くなる。
しかし刮目せよ、と平田弘史の絵は告げる。胃痛、肩凝り、体力低下、それらは平田の絵の前では言い訳にならない。内面の苦しみに耐えて耐え抜いて、モノノフの体面を保ち、対峙するのだ。」
一方、こんな企画も。



合掌するのは平田さんご本人。

この企画展に連携して(!!)華宵の傷ついた美少年展があったが情緒纏綿として優美さと悲愁とが前面に漂い、しなやかな少年たちの肢体やその表情に、妖しく魅了されたのでした。
夢二は童画が多く、可愛い子らのちょっとした淋しさなどにときめいたり。

結局かなり長時間いて、フラフラになりながら両国へ。
「江戸と北京」これで先般からツイッター上で話してた「鶉合せ」の様子を見ましたわ。
面白かったのは胡同と江戸の町の模型。

常設ではタイミングよく「四谷怪談」蛇山暗室の場を堪能し、ニコライ堂も見たが、ちょこちょこと展示が変わっているのにも気づく。やっぱり面白いわ。

京橋の加島美術に渡邊省亭。ここは外見はレトロ風で中はコンクリ打ちっぱなし。そしてそこで明治の日本画を見たわけだが、驚くべき視覚の新発見を知った。



というようなことをかいたが、ほんまによかったな。
群雀だけ撮影ダメであとはOK。ばちばち。

この時間なので教文館は来月回し。
ドトールでミラノサンドと豆乳ミルクティーで一休みしてから竹橋へ。
樂焼歴代の茶碗をみた。
その名も「茶碗の中の宇宙」展。
長次郎から当代吉左衛門、そして跡継ぎ篤人まで16代と光悦、田中長慶らの作品までも網羅しての展示。
京都では観ずに東京で観るのも面白い。

ときめくのはやはり三代目道入、ノンコウ。
ノンコウの拵える茶碗にこそ「茶碗の中の宇宙」が見える。
好きな茶碗、初めて見る茶碗、みな煌めいてわたしを招ぶ。
中に幾筋か釉垂があり、彗星のようだった。
歴代当主の茶碗いずれも良いが、やはりわたしはノンコウに帰る。もっと観たい。
昨秋の「三代道入 ノンカウ」展のときめきはまだ消えない。
http://yugyofromhere.blog8.fc2.com/blog-entry-4252.html

当代の作品は単品展示で法隆寺館のような雰囲気で見せているが、佐川美術館での展示と精神は同じ。

常設もなかなかよろしく、閉館ギリギリまでみてから出ると、辛夷の花が綺麗に咲いていた。

地下鉄から丸ノ内オアゾに出たらすぐに水山があったので入る。
茄子揚げごはんたのんだけど、うどんにも揚げ茄子ついてたから、次からごはんはいらないね。
初日ここまで。

土曜、府中へGO!気持ちよく車内でお休み。乗り継いで…
さて間もなく東府中。
府中市美術館で国芳を見るのだ。暁斎は大阪で、芳年は京都で見るのだ。
てくてく歩くと桜が咲いていた。


面白かった、さすが府中市美術館。知らんのもあったし、保存のいいのも多かったで、2時間楽しんだ。常設は後期展示の時のお楽しみに次へ向かう。

ようやく展示を見ることが出来た松旭斎天勝。
このヒトのサロメの写真を見ることが出来て良かったわ―。
とにかくこの展示はどういうわけか、行くと休みだったりで困ったもんなあ。
最終日だが見れて良かったよ。

半蔵門から表参道の根津美術館へ。
高麗仏画展。先に泉屋で見ていたから衝撃はなかったけど、鑑賞第一に楽しく拝見。
更紗の展示もよかったし、興福寺の梵天と帝釈天、112年ぶり再会を拝見。


夕方になったが、これより天王洲アイルへ。
久しぶりの浜松町、モノレール乗り場も忘れたよ。
なんとかついたが、寺田倉庫までの道のりが遠いし、土曜だからかみんな閉店で誰もいないしで、鬱屈が強まる。

DAVID BOWIE is
ボウイの魅力の一端を味わう。わたしの好きだった80年代のボウイの美貌は60代を迎えても衰えず、金から銀へ移ろうことで新たな魅力が生まれていた。
流れ続ける楽曲は“LET’S DANCE”と“SPACE ODDITY”が多かった。
他の好きな曲はあまり流れず、主に70年代のボウイ出現の衝撃ばかりが先に立っていたように思う。
スーツ姿の美貌のボウイ、前髪を伸ばし、少しラフになった50代後半からのボウイ、いつみても綺麗だった人、きれいなやせ方をしていた人…
終盤に「戦場のメリークリスマス」が出たが、これは日本向けだろうか…
そして最後の最後、場内を出たときに初めて撮影可能ゾーンがあり、映像の中で60代の優しいボウイがわたしたちに話しかけていた。「デイヴおじさん」と自ら名乗り。

泣いてしまったよ、少しだけ…

そうだ、映画監督のダンカン・ジョーンズはあのゾウイ坊やだったのだ。
そうしたことどもも含めて、やっぱりボウイへのときめきは生き続けている。

帰り道、随分迷った。初めて来たところなのでいよいよわからないし、人がいない巨大な空間なのでわびしいわびしい。
いかんな、天王洲アイル。
浜町・大門に戻ってきて、わりとにぎわいのある商業ビルに入り、ほっとする。

宿に戻り、何気なくTVつけたら「そして誰もいなくなった」放送中。
なかなか面白いし、キャスティングがすごいな。明日も見よう。

日曜日。本当は久しぶりに森下のカトレアに行きたかったが、朝から雨。
雨に濡れた朝 あの歌好き・・・

それにしてもいつからか知らんがメトロリンクが浜町まで来てたか。
これは22分感覚だけど、また使いたい。

北浦和へ。
カッサンドル展。やっぱりあれだ、1920年代のモダンな作品群がカッコ良すぎて、その後のシュールなのが痛い。難しいなあ、商業デザインは。

常設では近代日本画のうっすら夜景の軸三本が並んでる対面の壁に現代アートで〇を書いたのが映り込んでて満月になっていた。
あれは面白い眺めだったな。

王子に行きたかったが雨がけっこう降ってるので諦めて神田へ。
三井記念美術館でこの時期恒例のお雛様を拝見。
そして大磯の奥の小磯にあった城山荘の古写真を大いに楽しむ。
廃仏毀釈の難に遭うた寺社の古材を用いて、不思議な形の別荘を拵えた三井さん。
面白いし興味深かった。写真と映像が残っているのがよかった。

有楽町へ。
最終日の出光美術館で「古唐津」展をみる。いいもんですなあ。
草花をここに活けたいわ。派手な花でなく、猫じゃらしとか一緒に入れて。
解説文がまたよくてね。経糸・緯糸という表現で、わかりやすく解き明かしてくれる。
唐津と朝鮮と桃山の関係性をこんな風に表現してるのを読みたかった!と思ったよ。
作品の配置もよくて、ところどころに音楽的な良さも感じた。
いいものを見たわ。

小雨の中、三菱一号館へ。
オルセーのナビ派展をみたが、これまでドニ展、ヴァラットン展、ゴーギャンとナビ派展などみているが、こうしたくくりのは初めて。
不透明釉薬の七宝焼みたいな色合いの絵が少なくなく、個人的に好ましかった。黒の外線内に色塗というのもいいが、これもいい。
それに猫の出現率がなかなか高い。しかもその表現は猫好きの描き方。
ナビ派ばかりと言うので色々興味深く見たが、やはりドニには安堵、ヴァラットンには不安を感じたりした。面白かった。

東京駅へ向かったが、これまた彷徨し、色々疲れた。
大丸で本当は「おとし文」買いたかったのに、たどりつけず、まさかの隣で似たものを買ってしまうという…やっぱり本物でないとあかんなあ、と後から反省。

新幹線に乗りました。雨はまだ続く。
けっこうなんだかんだとくつろぎながら大阪へ。
今度は再来週に東京へ。忙しい喃。

帰宅したら猫が喜んでくれた。それだけでも嬉しいね。
次に行けばこの辺りも満開かな…
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敦賀市立博物館・旧大和田銀行本店 その2

階上へ来ました。
今昔
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照明いくつか 
三階ホールもいい。
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地下へ。
かつてはレストランもしていたそうだ。大和田さんは地元の皆さんを大事にしていた。
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最後にまた外観
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また来よう。

春の息吹と夢みる乙女

gooブログより転載しました。
元の記事はこちら

堺の隣・高石市の羽衣駅から浜寺公園へ向かって歩くとすぐに小林美術館はある。本当にわかりやすい。
前回初めて行った時は南海電車で向かったが、今回は一日阪堺電気軌道を乗り倒そうと思っていたので、終点の浜寺駅前からてくてくと歩いたら、ほんの数分で着いた。
公園は長広いのでその端へ向かうわけです。

今回は「春の息吹と夢みる乙女」展。
丁度学芸員さんの解説の最中。逍遥しつつ聴かせてもらいましてな。←ちょいと贅沢。
好ましい日本画を堪能しました。




近代日本画で何が好きかと訊かれたら「それはあんた、美人画ですがな」とわたしは答える。
美人画の良いもの、風景の良いもの、花鳥画の綺麗なもの、それだけ見てたら幸せな心持になるので、本当に近代日本画はよろしいなあ、と思うのだ。



関雪 巣鶴  親の鶴が身体を丸めているが、裾の方に子がいて、その子の顔を見ようと首を曲げている。暖かそうな親の羽根の内で子がぬくぬく。
ほのぼのとした幸せが漂う。

遙邨 三保羽衣松 1980頃 「美の旅人」と呼ばれ、多くの旅をした遙邨が見た風景。このヒトは東海道をまるで双六遊びをしているように行ったり来たりしたのだ。実際にそうして歩いて往来する人はどれくらいいたことだろう。

元宋 春雪  紅梅にヒヨドリが、という絵なのだが、元宋の「赤」は封印されたように見当たらなかった。

岳陵 薫春  鷽(うそ)と白梅。可愛い。

龍子 香雀図  白梅に雀が一羽。こちらも可愛らしい。

竹喬 春雪  若松と竹と、春雪。

塩川文麟 蛍と蛙  ここで不意に旧幕時代の絵が現れた。四条派の絵師で、随分前に大阪青山大学博物館で見ている。
撫子が咲いていて、カエルがじーっと見ている。

麦僊 鯛ニ蛤  おいしそー!

忠作 游鯉  そらもうこの人と言うたら鯉ですわな。

大橋翠石 猛虎護児之図  このヒトは神戸市博物館にも猛虎図があったと思うが、ここではコワモテのママと一緒にいるカイラシ双子の虎ちゃん。可愛くて可愛くてならない。

清方 早春 1919 薄紫の被り物の旅姿の女。この時代の清方の絵は本当に艶めかしい。

清方 庭の池 菖蒲池に小舟を浮かべ女がそれを漕ぐ。蓮池の小舟もよいが菖蒲池の小舟もよいものだ。

松園 一枝の春 手に梅の枝を持つ女がにっと笑いながらふと見返る姿。彼女は何を見て嬉しそうな笑顔を浮かべているのか。

貞以 鷺娘  傘をすぼめたところ。そしてそっと見上げるその目。やや小さな目だが艶と怨がにじむ。

小坡 観桜美人  上流階級の女が桜を見る。

翠山 梅花菫袂  チラシのレトロモダンな令嬢。カチューシャの両端に白バラがついているのは大正末期頃のもの。可愛い耳隠しの髪型で当時流行な着物の令嬢が白梅を振袖のたもとに入れようとする。

翠山 美人読書  こちらは旧幕時代の女で薄紅色の着物。何を読んでるのかはわからないが楽しそう。

深水 島の春  あんこさん。伊豆大島の娘さん。あんこ椿は恋の花♪

フジタ まどろむ裸婦 1954 この時代の絵はあまりニガテなのだが、しかしそれでも裸婦はスケッチであってもいいものだ。

フジタ アラブの子ども 1951 スケッチに水彩で色を置いた。はっきりした顔の子どもがこちらをみつめる。

又造 裸婦  座る裸婦が鉛筆で書かれている。勢いがあるから本画でなくとも素晴らしい。

二階では「四季の万華鏡 春の足音」として主に風景画がある。

青邨 紅白梅  壺に奔放な紅白の梅がいけられている。青邨の梅はどんなときも奔放で愛嬌があって楽しい。

遙邨 保津春嵐  筏師らが荒れる保津川を渡ってゆく様子をやや上から。

木村圭吾 花あかり  又兵衛桜を取材して描いたそうだ。サーモン地に白い枝垂桜。いいなあ。本物が見たくなってきた。

佐藤太清 牡丹 染付に牡丹が。赤・紅濃・白・ピンクの花々。

一穂 朧春  枝垂がうねるうねる、そこへ月の淡い光が。幻想的な描写が本当に素敵だ。

花朝女 初午  梅の頃、お稲荷さんの前で子供らが楽しそうにしている。

最後は珍しく洋画。
梅原 静物 赤い背景にミモザが元気よくいけられていた。

春季展は5/28まで。
また行こう。

敦賀市立博物館・旧大和田銀行本店 その1

敦賀へ出向いた。
俳優の大和田伸也・獏ご兄弟のご先祖が作られた旧大和田銀行本店、今の敦賀市立博物館を見学した。
ここの所蔵品についてはこちらに感想を挙げている。
かねてより所蔵品の素晴らしさは聴こえていたうえ、建物の魅力も伝え聞いていたので、とても楽しみに出かけたのである。
大体の印象については既にこちらにあげている。
今回は建物の細部などをご紹介したい。

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装飾はゼセッション風でもある。

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星型やパイナップル型も見受けられる。
星は陸軍ではなく大和田家のマークらしい。紋ではない。
鳩山邸に鳩の装飾があるのと同じような感じか。

中へ。
階段などが大変魅力的である。一階フロア―はいかにも銀行窓口。
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きれいに修復され、本当にめでたい。愛でよう。

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先の優雅な階段は今は魅せるためのもの。

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昔の写真はがきもあるのでどうぞ。
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ナゾの地下への階段…
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実際に上り下りする二階への階段。
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続く。

さかい利晶の杜でみたもの その2

二階は与謝野晶子の文学館。
これは以前JRの方にあったミュシャ館と一緒だったのを持ってきたそうです。

明治から戦前の美麗な装幀を大いに楽しむ。
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武二のイルカ。今の日本の可愛いイルカやなくて洋風の海豚なイルカ。
武二は「明星」との関係も深く、晶子作品でも大いにイメージ向上の仕事をしている。

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艶めかしい…

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橋口五葉登場。
彼の装幀も本当に良いものが多い。「吾輩は猫である」も鏡花の本のいくつかも「胡蝶本」もみんな彼。

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シンプルで綺麗。

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晶子の本の装幀は中澤弘光も多い。
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椿が愛らしくて仕方ない。

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古典ものはその雰囲気を装幀から露わにして導く。

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なも、あみだ、ほとけ

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本の装幀は衣裳と同じだと思う。
かつての美意識は今も心地よい。

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パネル展示だが、夢二の童画が可愛い。

生家・駿河屋の店先が再現されている。
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引き札もある。
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けっこう色んなお菓子を拵えていたようだ。

他にも晶子のリュクサンブール公園の洋画や使っていた鏡台、着物などの展示がある。
この展示で晶子への関心が生まれた方々はぜひともここへ行かれたら、と思っている。

東京都庭園美術館で「並河靖之 七宝」を愉しむ 

3/23にgooで挙げた分の転載。
元記事はこちら

東京都庭園美術館で並河靖之の展覧会が開催されている。
明治の有線七宝の粋を極めた人の作品がアールデコの館で飾られている。



このチラシで並河の類稀な技術が伝わる。
右半分は藤のクローズアップを、左にはその全体像がある。


どの作品でも共通して言えることは、ただただ感嘆するばかりの決して手を抜かない仕事ぶり、そして超絶技巧と熱意とが合致すると、こんな緻密な作品が生まれる、ということである。



並河の素晴らしさに長らく囚われている。
個々の作品について細かいことを書きだすと時間は無限にかかる。

自分のメモには延々と感想が書いてあるが、それをここに再現することは無駄かもしれない。
いつも以上に作品への・展覧会への称賛が書き連ねてあるからだ。

緻密で綺麗なものを美しい空間で見る。
それもその建物より一昔前の美麗な工芸品を見る、という歓び。

これは1978年に山岸凉子が発表した「ドリーム」という作品で教えられたことだ。
地方の明治の洋館に、幕末までの古い日本の、いや、東洋の古美術品を置く。
一つ前の時代の綺麗なものを美しい空間で眺める歓びは深い。
その館で演じられる物語はここでは措くが、この作品は常にわたしの胸の底に活きている。

ここではアールデコの館に明治の有線七宝が展示されている。
わたしは行きつ戻りつ、それぞれ意匠の異なる室内で並河の七宝焼を堪能した。

ある部屋では鏡がある。その鏡には室内と並河作品とがその姿とそして影とを映す。
現実の自分の眼で直接眺めるのもよいが、鏡越しにその美を楽しむこともいい。
この美しい空間で様々な歓びを見出し、わたしは黙って笑う。

展覧会でいくつか知ることもある。
並河が宮様に仕えていたことを知った。
その関係もあってご下賜のシガレットケースなどを拵えたことに納得する。

綺麗なものをみつめすぎて麻痺し始める。
そのとき、並河の描いた花々や蝶々たちが見ているわたしの脳裏に住み着くようになる。
もう消えなくなる。残像が深く焼き付く。
並河の作品群は常にわたしの心に活きるようになる。



並河の邸宅は記念館として活用されている。

わたしも以前に撮影させてもらった。
こちらにある。
植治の造園。

ここにあるのは数年前のチラシ。
今のは見当たらなかった。


綺麗なものがどのように生まれてきたか、それを知ることが出来たかもしれない展覧会があったのだ。


わたしはもう一度アールデコの館と七宝とを同時に愉しんだ。
そうしてといも気持ちよく帰った。
二月に楽しんでからあの時の心持を記した。
とても楽しめた。

庭園美術館で並河靖之の七宝を楽しめるのは4/9まで。

さかい利晶の杜でみたもの その1

元の堺市立病院の跡地を大々的に変身させたミュージアムがある。
さかい利晶の杜
という。利は利休の利。晶は与謝野晶子の晶である。
この施設のある場所は利休の邸宅の向かいというか奥に当たり、与謝野晶子の生家もごくごく近いというゆかりの深さ。
それにしても大きい。


なお利休の邸宅跡は整備されている。



ビックリするくらい大きいし、クルマも100台駐車可能だそうだ。
とはいえ、阪堺電気軌道の宿院(しゅくいん)で下車するとすぐだから、あの可愛い路面電車で来る方をお勧めしたい。
施設内には梅の花、スタバもある。
1つ浜寺よりの寺地町には名代の「かん袋」もある。
芥子餅の小島屋もある。
要するに昔の堺の中心地にこの建物がある。

ところでご存知の方も多いだろうが、与謝野晶子は少女時代は「鳳晶」といった。ほう・しょう嬢である。
実家は和菓子屋さんの駿河屋。

ジオラマでこの宿院界隈が再現されている。
この辺りは無料ゾーン。
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床面には堺の古い地図もある。

古写真もいいのが残る。
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レトロ風ポスターが楽しい。
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さてわたしは有料ゾーンへ。利休や与謝野晶子の世界を体感したいと思います。
まず利休ゾーン。
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堺の商人の気概が伝わってくる。
若い頃の商人利休を描いた映画もあったが、原哲夫が「花の慶次」にもかっこよく描いていた。
ここでは利休と付き合いのあった武将や同時代の著名人による利休トークが聴ける。
声は全て堺市出身の片岡愛之助丈。
わたしはフランシスコ・ザビエルのトークを聞いてみた。

追記
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映像もある。

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かつての堺の商人たちはこんな遠くまで船出していたのだ。
るそん助左衛門、納屋四郎五郎…

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ウサギの水滴。

茶の湯は明治以降、女性も学び始めた。
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茶の湯を描いた絵も色々あるものです。

「描かれた茶の湯」の感想をご覧ください。

「描かれた茶の湯」後期

1月に見た前期のよさを思い出しつつ、後期も見に行った。
前期の感想はこちら
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今回は通期の分は措いて、後期展示だけのを挙げたいと思う。

茶具図賛 審安老人 南宋1269年成立・宝暦8(1758)年刊行  本のそのページには茶臼が出ていた。上に「石転運」とある。
石が姓となり「転運使」の官職をつけての名。ゴリゴリゴリゴリ…

女礼式之図 吟光 1887  きりりとした婦人をはじめ、皆さんで茶の湯を学ぶ。「下手横好」印が押されていた、

女礼式茶の湯 周延 1901  明治の半ばを過ぎた頃の茶の湯。束髪の婦人もいれば稚児輪の少女もいる茶席。
水色や赤色が使われていて、それらがそんなに目立った感じになっていないところに、新色が世になじんだことを知る。

茶の湯絵巻 橘尚利 巻き替えられていた。今回は席入り。笠をアタマに載せるくらいで進むのは、本当に雪が降るから。
炭手前。外は雪が降り続ける。井戸の側の山茶花にも雪が積もる。
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鶯の籠は文琳型。隣は鶉。初めて知ったが、「鶉合」という遊びがあったそうだ。鶉が美声だということを今回初めて教わる。
卵美味しいとかローストしたらとかそんなことを思ってはあかんのである。

春秋遊楽図屏風。左右が揃って出ていた。
前期では春のみで、こんなことを書いていた。
「黒塗りの大船が来る。船には遊人ばかりが乗る。男しかいない船で男だけの遊楽がそこから始まっている。アブナイ連中。立派なお屋敷とその庭でも男たちは享楽に勤しむだけ。揚弓で競ったり相撲をしたり、室内では腕相撲に囲碁に双六などなど。またゲームから怒って喧嘩をしたり、いちゃついたり。
三味線を弾くのを聴いたり聴かなんだり。座頭を招いて琵琶を演奏させたり盲相撲をさせたり。そのくせ誰も熱中していない。
生簀から魚を選んで調理にかかるものもいる。全てが男。中には布袋のようなのが美少年にしなだれかかったり。
そして探しきれなかったが、茶の湯でも遊んでいるのだろう。」


前期は春、後期はそれと秋の方も出ていた。
子供らがけんかしている。揚弓で遊ぶ男たち、あちこちで相撲を取ったり腕相撲をしたり。怪しい二人組もいる。好き勝手し倒している。検校も来ていて、その三味線を聴く座頭もいる。双六をしたり囲碁をしたり。女もいて、その女の胸を撫でまわす男もいる。
春の方ではガレー船みたいな感じだが、そちらでは牛の角付き合いもあった。遠目にそれを見る牛たちの顔がいい。

茶の湯はまだ別室で。
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「もぉよろしいか」と尋ねに来る。
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桜も満開、馬も乗り乗り。

四条河原遊楽図巻 江戸中期  巻き替え。茶店などが川に床を出している。客も大勢。物売りもたくさん。
芝居小屋もあるが、どんな芝居かまではわからない。

1887年の北野大茶会追想の図はそのリアルタイムの人々が描かれているのも面白かった。着物に山高帽の人、洋傘の人もいて、明治の世を実感する。
ここで面白い説明があった。
その北野の大茶会の時、丿貫(へちかん)という侘びた茶人がいたそうで、3Mほどの大きな朱傘を開き、その下で一つの釜で茶も飯も炊いていたそうだ。丿は「の」ではない。
利休とつきあいがあり、雪駄はもともと彼の意匠から来ているという。
巨大な傘とか聞くと説経節やなんらかの大道芸のようにも思われる。

賀茂競馬図巻 巻き替え 茶屋が並んで繁盛している。賀茂川で遊ぶ子らもいる。にぎやかでけっこうなことだ。
左方は赤衣・右方は黒衣。観客席には桟敷もある。

宇治茶摘図巻 海北友泉 巻き替え  今回は茶葉の乾かし、試飲、大広間でのこと。見学に少年侍もいる。茶園に犬が走る。
茶坊主も来ている。

特別展示で抱一の茶筅売り図があった。月下に僧形の二人が茶筅を箒のようなのにさして売り歩く。
空也上人の昔、流行病に茶を飲ませて治したそうで、それ以来僧形のものが販売する。アタマには空色の布がかかる。
正月の縁起物となっている。

今回も楽しい展示だった。

追記。
「春の暮らしと茶道具」を見た。
デルフト製のオランダ焼染付の徳利があった。鳥がのんびり飛んでいるのだが、それがどう見ても「巨神兵」が飛ぶ姿。またはスズキコージのナゾのトリ。これにしか見えない。

永樂和全の五種酒盃は可愛い。染付、青磁、色絵、金襴手、志野風。それぞれ趣がある。

9代目の大樋長左衛門の桃花絵茶碗が可愛い。茶色に灰釉をかけて白い花を刻む。
シックな色でもあり、モモの実が傷んだ時の色にも似ていて、それがまたよい。

白釉茶入 銘・緑毛 裏千家11代玄々斎 首から逆三角形に鮮やかで爽やかな緑が。
それを亀の毛に見立てているようだが、むしろ若草風なんだよなあ。

吉川英治との交友から生まれた短冊などもある。
春の夜や 千家囲んで 色はなし
色はナシではなく色話だろうなあ。それはそれでいい感じ。

深水描く馬酔木の花の絵に吉川が賛をつけたのもある。
奈良朝の 雀の裔よ 雀の子
薬師寺で見た景色から。

夜桜棗 少庵好み・七代宗哲 一見したところただ黒いだけだが、光の当たり具合によって、その表面が満開の桜で覆われていることを知る。
とても愛らしい。以前にも見た技法のもの。京近美で見たと思うが検索に引っ掛からない。
なんでだろう。

十二ヶ月風俗図巻 巻き替え  4月藤見の人々、5月印地打ちへ向かう所など。

他に前期でも可愛かった交趾鴨香合、丸々した大きな目と嘴の愛らしいミミズク香合、黄土色のインコ香合もある。
真葛長造の鷺香合は身づくろい中。
形物香合番付に入っているものたち。

こちらもいいものばかりだった。

宇治市源氏物語ミュージアムは楽しい

宇治市源氏物語ミュージアムへ久しぶりに出向いた。
リニューアルしたそうだが、前の様子が思い出せない。覚えているのは篠田正浩監督ホリ・ヒロシ人形による映画「浮舟」だけだが、これはその映像の印象が強すぎて他のことが飛んでしまったからかもしれない。
本当に耽美的で綺麗な映像作品だった。
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源氏物語ミュージアムということで、大体は光源氏の生涯を追うかと思う所だが、ここは宇治である。光君御隠れの後に展開する「宇治十帖」が大きくクローズアップされている。

常設展示は光君、宇治と二つのコーナーに分かれ、更に企画展がある。
企画展の「江戸時代の源氏物語 見立てとやつし」展の感想はこちら


館内は常設展示が撮影可能。
桜、藤の造花があり、御所車もあり、優美な様相を見せている。

今回は「橋姫 女人たちの心の丈」の映像を見た。
白石加代子が語りと狂言回しで、宇治十帖の世界を表現する。
ただ、わたしとしてはちょっと物足りなくて、もっと白石さんが前面に出た方が面白いのにと思った。
前世代の姫たちと違い、浮舟などは自分から男を捨てる。出家という形でしかそれは叶わないが、とてもすっきりする。
そうしたいところが好ましい。
絶対的な光源氏がいれば状況は変わるだろうが、彼が消えたことで意識も進むのだ。
20分の映像作品だが、よく作られていたと思う。

ところでここの建物では観客の意識を洛中、宇治と変えるために架け橋として通路を橋に見立てて構成したりと、いい作りになっている。
図書室、喫茶室もあり、今度はじっくりと過ごしたいと思う。
ここと平等院とを楽しもう。

江戸時代の源氏物語 見立てとやつし

3/22にgooに挙げた分の転載。
元記事はこちら

宇治市源氏物語ミュージアムへ久しぶりに出向いた。

今回は企画展示が楽しみでやってきた。
「江戸時代の源氏物語 見立てとやつし」
主に源氏物語を元にした「田舎源氏」の絵が並んでいた。


元々の読本もある。いずれも挿絵は三世国貞。華麗な絵で光氏と女たちの逢瀬や出逢いを描いている。
衝立越しに女を口説いたり、大きな布団の中から顔を出す女と話したり、といろいろ。
みつうじは未通じではないのだ。

田舎源氏は時代を室町に置き換えているので、本のタイトルも足利がついたりするときもある。そこからわかるようにお家騒動が絡む筋立てでもある。



足利絹手染之紫、根源実紫、カラー表紙絵がついている。サイズはコミックスくらい。きれいなものです。

これで思い出すのは岡本綺堂の小説。
武家奉公していた娘が「梅こよみ」に夢中になり姫君も女中もみんなで熱烈なファンになった挙げ句に、というのがある。
貸本文化が行き渡っていた時代、多くの人が「梅こよみ」「田舎源氏」「八犬伝」などに夢中になっていたのだ。

室町源氏胡蝶巻 48点が出ていた。壮観な眺め。

今源氏錦絵合 55枚のうち38枚が出ていた。
須磨で殺されかける光氏、ぶちねこといる光氏、いろんなシーンが描かれている。サイズはA4くらい。
基本は源氏物語なのだが、そこがそれやはり江戸の作者の書く話だから、もうちょっと生臭くもなって、暗殺されかけたりなんだかんだとある。

俤源氏五十四帖 これは二世国貞と二世広重が競作したようだが、展示替えの都合でわたしがみたのは二世国貞のみ。二世広重といえば一ノ関圭「茶箱広重」を思い出す。

紫式部源氏かるた かるたと言うても手札のあれではなかった。二世国貞の大きめの絵のシリーズ。雷を怖がる様子や月光の差し込む座敷でいちゃつく様子とか。
なんでも光氏の楽しみになる。



義正側室藤の方・足利次郎君・稲舟姫 役者絵でもある。秋の様子で描かれていた。紅葉ハラハラ。

山城の国宇治の里茶園の風景 茶摘み茶摘み。

宇治川蛍狩り図 これも見立てものだが、けっこう螢そのものも大きく描かれ、夏の夜の楽しさが出ている。

本家の源氏物語の屏風などもある。岩佐又兵衛風な人物たちで、「松風・若菜下・若紫」の3シーンが描かれている。
大きな顔の仕丁と可愛い少年をみつけた。

田舎源氏の絵は昨秋たばこと塩の博物館での専修大学コレクション展でたくさん見たが、それらとはまた違うものが多く、いかにたくさんの作品が刊行されたかがよくわかる。
専大コレクションの感想はこちら


とても楽しい企画展だった。

化粧 KEWAI 舞台の顔

3/21にgooに挙げた分の転載。
元記事はこちら

逸翁美術館で非常に面白く、そして珍しい展覧会を見た。
「化粧 KEWAI 舞台の顔」展である。
ツイッターでも紹介したとおり、中国の瞼譜(れんぷ)と歌舞伎の隈取りで魅せる内容なのだ。
これまで隈取りの展覧会は国立劇場の資料室で見ている。
しかし中国の瞼譜の展覧会などはなかった。あったとしても知らなかった。
それが今回逸翁美術館で同時に展示されているのだ。
スゴいものをみた、と思った。

逸翁美術館は阪急文化財団を構成する一つの存在である。
宝塚歌劇もその仲間である。図書館である池田文庫もまた。
「化粧 KEWAI 舞台の顔」展は演劇集団であるタカラヅカと池田文庫に所蔵されている浮世絵、中国の演劇に欠かせない「瞼譜」、それらが見事に合致して、これまで見たことのない内容の展覧会として、美術館で花開いていた。

画像の瞼譜(れんぷ)のそれぞれの芝居のタイトルと役柄名とはわたしが後から入れた。

最初にでてくるのは歌舞伎の隈取りである。
六代目菊五郎 鏡獅子押隈 1942.10 歌舞伎座  六代目の十八番の鏡獅子、いい顔である。隈の種類は「むきみ隈」。
その上に黄色と白の蝶が舞うている。
弥生から鏡獅子に変わって舞い狂うが、蝶はその様子を見守っているのだ。

天津乙女 鏡獅子押隈 宝塚歌劇の天津乙女は六代目に心酔し、その舞踊人生を追っていた。なんでも出来る六代目、天津乙女も様々な踊りをみせたが、ただ一つ「浮かれ坊主」だけはしなかったそうだ。やっぱりヅカ乙女の方がちょっとばっちいスタスタ坊主が後家さんとどうのこうのという色懺悔するのを見たくはないしなあ。

二代目猿之助・三代目段四郎 連獅子押隈 1937頃  横並びに父子の押隈。

天津乙女 鎌倉権五郎押隈  「暫」は超人的な存在である。隈は「筋隈」。何本かの線が強くはいる。小柄な人だがなかなか大きな押隈である。
これで思い出したが、昔の人は今よりも顔が大きいので隈も立派に乗ったが、今の人は顔そのものが小さいので、立派な押隈がなかなか作れないそうである。

天津乙女 曽我五郎押隈  「むきみ隈」。この五郎は「対面」のそれだろう。

春日野八千代 桜丸押隈  江戸風に「むきみ隈」で取っている。上方では桜丸は隈取りはなし。
この三つ子はそれぞれ隈取りが違う。
梅王丸は「筋隈」、松王丸は「二本隈」。
筋隈…スティグマ(聖痕)ではない。

山田五十鈴・春日野八千代・神代錦 押隈(車引) 1979.1 帝国劇場  大女優山田五十鈴と宝塚の名優とで車引の三つ子を演じたのか。順に梅王丸、桜丸、松王丸。

春日野八千代は勉強熱心なひとで、歌舞伎の隈取の研究も深めていた。
「隈取全集」として41枚もの隈取パターン図を残している。輪郭のみコピーして、そこへぬりえのように様々な隈を描いてゆく。
うまいものだ。
しかも「○○隈」という風に名称を書くだけでなくルビも振っていた。
とてもわかりやすい、よい全集。
絵心があるから面もきれい。

ここから浮世絵をみる。

初世河原崎権十郎楽屋図 三世豊国 1861.12 楕円形の鏡に向かっているところ。隈取は描いたので、あとは眉を描いてます。

これで思い出したが、一ノ関圭「鼻紙写楽」で五世団十郎がいい年をして白粉をぬる、そのことをかこつシーンがあった。
芝居が好きでなんら疑問を持たないひともいれば、ふと悲哀を感じる人もいる。いろいろ。

松梅雪花三吉野 あいじゅのゆきはなとみよしの 銀光 1881.1新富座  車引の場。時平隈。ただの公家隈より更に強大な悪の隈。
時平 三世中村宗十郎、梅王丸 左団次、桜丸 菊五郎、松王丸 団十郎。水色や赤の顔料が使われているところがやはり明治の浮世絵。思えば「車引」はこうして隈取をたくさん見る芝居なのだな。

仁木とねずみと男之助 三世豊国 1857.10市村座  五世彦三郎の仁木が巻物咥えどろどろ。大ネズミを踏む男之助は初代権十郎。

車引 国貞 1835.11中村座  梅 5世海老蔵、松 5世幸四郎、桜 3世菊五郎。22年前の絵では役者の世代も違うな。サーモンピンク地にそれぞれ梅柄・桜柄を着た二人と白地に松柄の一人。ぐーっと見てると力の入る鼻高幸四郎のよさ。

鳴神 三世豊国 1851.5市村座  雷鳴の下の二人。しうかの雲絶間姫に8世団十郎の上人という黄金コンビ。いつみてもいい絵。
騙されて柱巻きしたり顔に隈作って追いかけてきたり…

八陣守護城 北洲 1820.9角の芝居  三世歌右衛門。このヒトには一時はまったなあ。一本隈が入っている。チラシで眼をむいている顔。

助六も出てきた。むきみ隈してる。芳幾の幕末のものと20年後の明治の国梅のものとが並ぶが、仙平の朝顔の隈は戯隈というそうだ。

故人となった役者たちが隈取をする写真パネルが現れた。
7世蓑助の朝顔隈、17世羽左衛門の景清隈、10世半四郎の猿隈、3世延若の公家荒隈…
凄いのが17世羽左衛門の火焔隈。不動明王だということで青と金とで顔を拵えていた。

土蜘 国周 1894  五世菊五郎の「梅幸百種」の一。久しぶりに見たな。池田文庫での特集以来かも。

茨木 周延 1883.4新富座 角がやたらやらかそうである。

桜山艶忍夜 ゆめみぐさうきなのしのぶよ 三世豊国 1857.2森田座  「矢の根」の書き換えか。
「やっとことっちゃ、うんとこな」と五郎が馬に乗り大根を鞭に走らせようとする場面。そう、五郎は退屈していたのです。そこへ兄の生霊が来たから助けようと出てゆくところ。

空を飛ぶのは奴凧平。ええ名前や。 

通俗西遊記 周延 1878.9市村座  孫悟空は猿隈なんだが猪八戒は隈取なしで豚と言うよりゾウのかぶりもので出てくる。なんなんだ?と思ったら、京劇では豚は大耳だということで、この扮装もおかしくないそう。

宝塚のスタッフが採集した瞼譜のイラスト貼り付けがある。1ページに四点。56点のフルカラーのが出ていた。
以前に日本全国の祭の採集ノートも見たが実に熱心。

さていよいよ瞼譜。出ているのは「鍾馗嫁妹」と「達磨渡江」と「劉氏望郷」の三本の芝居から。
これらはいずれも人間ではない者ばかり。
人間のそれは梅蘭芳が所蔵しているそうで、解説によるとこの瞼譜も彼の仲介があったのではないかということだった。
梅蘭芳は日本に何度か公演に来ている。清方などもその美貌を絵に残している。
2009年に梅蘭芳の展覧会があったが、その時の感想はこちら
彼に魅せられた人は多かった。
小林一三も1924年の宝塚大劇場での公演は当然、戦後の1956年の公演を大阪・東京どちらも見に行ったそうだ。

発声の違いで色々な分類があるそうだ。
崑山腔は16世紀前半に江蘇から出て宮廷に入り、弋陽腔は17世紀に民間から出たが、やがて消滅し北京の京劇が残った。
ここにある瞼譜はいずれも崑山腔と弋陽腔。20点ばかりが並ぶ。凄い顔である。
鬼たちの顔の面白さはちょっとやそっとではない。しかしこれは笑わすためのものなのか、そうでないのかはわからない。



最後に正月のおめでたい「年画」が出てきた。
色んな小説から有名なシーンを抜き出して絵画化したもの。20世紀前半のものなのでけっこう丁寧に描かれているが、動きは少ない。
西遊記、三国志といった日本でも著名なものから向こうでの人気作も色々。

そういえばだいぶ前だが「變瞼」という映画があったことを思いだす。
そして「さらばわが愛 覇王別姫」での化粧した顔…
色々なことを思いだすと案外見ているのかもしれない。

しかし、全く見たこともない<内容>の展覧会でとても面白かった。
こんな展覧会は本当に新鮮でいい。
3/26まで。

松島あたりから

久しぶりに松島、瑞巌寺へ。

どこかの狛犬さん
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お、唐獅子。
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ああ松島やん 面白いのがあるねえ。
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五大堂
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瑞巌寺へ
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昔行った時のことを色々思いだすわ。
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林が素晴らしかった。今は工事中で見えない。
それと宝物殿もよかったが、これはこの後に三井記念美術館でも展覧会があった。

三十三カ所の観音の石像がきれいだった。

最後はここへ。
綺麗な屋根が好きだ。
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二度目の松島もよかったなあ。
また三度目をつくろう。

石巻から

大震災の痕も見て回り、ただただ悼むばかりでした。


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石巻へ。
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工事中でお休み。
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ええタイルですなあ。

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ご近所
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また来よう、必ず。

みやぎの明治村

去年のことだが、宮城県へ出向いた。
なかなか東北へ行く機会がないので誘われると喜んで出かける。
ただ、飛行機で行くので、それがな…まあなんとかがんばりました。
トウトウ着いた、ホクホクだ。←はいはい。

さて色々見て回ったのだが、今回の記事は登米にある「みやぎの明治村」と呼ばれるゾーンや石巻、それから松島へのコース。
地理的なことはあんまりよくわからない。有難いことにバス移動でしかもお仲間さんとわいわい言いながらのツアーだから、何がどうなってるのかよくわからんのよ。

教育資料館
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柱がどことなくガイコツぽくて可愛いな。
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模型もある。
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ひずみガラス。びよよよ~~ん
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いい建物です。

水沢県庁記念館
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昔の田舎の新しい文化受容の様子がわかるようだ。
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警察資料館
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櫓もある。
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こんにちは
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こちらはそのお隣さん。
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いいところでしたなあ。

実力の見えるコレクション展 その4 大阪市立美術館「硯箱の世界」「天神さま」

3/17にgooに挙げた分の転載。
元記事はこちら

続き。

*硯箱の世界
一つのぞいてみんな蒔絵で装っている。
東アジアの文房具愛への深さに改めて感心する。
中国に由来を持つものと平安時代に生まれた美意識から来るものとが良い具合に並んでいた。

梅に鶯蛙蒔絵硯箱 姫路酒井家伝来 1合 室町時代 16世紀  下に池畔がある。梅に鶯だけでなくカエルまでいるところが可愛い。

南蛮人蒔絵硯箱 1合 江戸時代 17世紀 大阪府教育委員会  日傘をさしている。堺港辺りで見慣れた光景をモチーフにしたのだろうか。

月秋草犬蒔絵硯箱 1合 江戸時代 17世紀 本館蔵 カザールコレクション  銀の月と犬と。

錦木蒔絵硯箱 尾張徳川家伝来 1合 江戸時代 17世紀  この「錦木」は想い人にその気持ちを伝えるために家の前に立てられるもの。
しかし「錦木」には悲しい物語もある。

九曜紋筒井筒蒔絵硯箱 1合 江戸時代 18世紀 本館蔵 カザールコレクション  顔の見えない幼い子供ら。九曜紋といえば細川家もそう。

竹牡丹蒔絵硯箱 伊達侯爵家伝来 1合 江戸時代 18世紀  物語性はなさそうだが、「竹に雀」の紋所の伊達さんが持ってらした、というのが面白くもある。

猩々蒔絵硯箱 1合 室町時代 16世紀  留守文様。菊と流れと柄杓のみ。こういう留守文様というものには本当にシビレる。
本来の意味とは違うかもしれないが「秘すれば花」の意識とも通じているような気がする。

須磨住吉蒔絵文台・硯箱 「観松斎(花押)」銘 1具 江戸-明治時代 19世紀 本館蔵 カザールコレクション  この時代の凝りようも凄い。かなり繊細な拵えである。網代も表現されている。

流水萩蒔絵螺鈿文台・硯箱 1具 明治時代 19世紀 本館蔵 カザールコレクション  萩は螺鈿。文台は盛り上がる螺鈿。綺麗な蒔絵。

宇治川群螢蒔絵文台・硯箱 1具 明治時代 19世紀 本館蔵 カザールコレクション  もうびっくりするくらいのホタルの数。それを赤で表現し、しかも盛り上がる盛り上がる。これで字とか書けるのか文台。
  
和歌浦蒔絵文台・硯箱 初代山田常嘉、中院家伝来 1具 江戸時代 17世紀  思えば名所・和歌浦として、お江戸に六義園として再現されてもいるのだ。

寝殿蒔絵料紙箱・硯箱 1具 江戸時代 18世紀 本館蔵 カザールコレクション  室内のお琴がまたリアル。

蓬莱山蒔絵料紙箱・硯箱 初代飯塚桃葉、秋本子爵家伝来 1具 江戸時代 18世紀 本館蔵 カザールコレクション  鶴と亀のファミリーがいる。

六玉川一閑張料紙箱・硯箱 1具 江戸時代 18世紀 本館蔵 カザールコレクション  これのみ一閑張。

山水蒔絵硯箱 1合 江戸時代 17世紀 大阪・安福寺  尾張の徳川光友より安福寺に奉納されたそう。

竹橘椿蒔絵硯箱 1合 江戸時代 17-18世紀 本館蔵 カザールコレクション  椿がもっとあればなあ。

菊慈童蒔絵硯箱 1合 江戸時代 18世紀 本館蔵 カザールコレクション  こちらは菊を手にして座っている。朱唇。片方の手には筆。

扇面蒔絵螺鈿硯箱 1合 江戸時代 17-18世紀 本館蔵 田万コレクション  扇面ものと言うのは思えば複層だな。

許由巣父蒔絵硯箱 山本春正 1合 江戸時代 18-19世紀 本館蔵 カザールコレクション  牛がけっこうコワイ。主人の思想なんか知らんがな、水飲みたいのに、というのが顔に出てる。

橋姫蒔絵硯箱 1合 江戸時代 18-19世紀 本館蔵 カザールコレクション  薫君御一行が橋を渡る。川の中には蛇籠もあり、そのあたりで働く人もいる。
橋姫といえば、例のアタマに五徳つけて丑三つ詣りした女がこの辺りへ逃げてきて…だったかな。最後は「失せにけり」。

象蒔絵硯箱 「破笠製」銘 1合 江戸時代 18-19世紀 本館蔵 カザールコレクション  タイのかな、派手で可愛い。飾り付きでいいね。

最後は天神様の特集だった。
色んな天満宮からの所蔵品がある。菅生、佐太、和束、天満、そのあたりからの。そして束帯天神、渡唐天神、ザクロで火を噴いたり祟ったり…
美少年時代のもある。
室町時代の北野天神縁起絵巻も。落雷シーンと例の狂気になり半裸で走る女房とかね。
梅がたくさん咲いている。

ところで近衞信尹が「信伊」と表記されてたが、それは違う。

なんにせよ大阪市立美術館のコレクションの素晴らしさはもっともっと知られていいし、政財界こそ、もっと先人の輝かしい業績を知るべきだと思う。

実力の見えるコレクション展 その3 大阪市立美術館「明清~近代の書画」「陶芸家・富本憲吉のデザイン」

3/16にgooで挙げた分の転載。
元記事はこちら

大阪市立美術館のコレクション展のうち二つを挙げる。

3/20までのコレクション展。
*明清―近代の書画
大阪を始めこの関西には中国の文物がとても多く所蔵されている。

羅謙 藻魚図 明・16世紀 和歌山・金剛三昧院蔵  荘子の「秋水篇」から材を採る。桃の下の水中にいる魚たち、中空にいる雀たち、そしてカニやカエル。
対幅に和やかに描かれている。
ところでこの「秋水」から幸徳秋水の名は来ているそうだ。
井上陽水は幸徳秋水の親族だという話だが、ここの一族は荘子ファンでしかも水を…などと連想が広がってゆく。

誠意 杏壇絃歌図 明・16-17世紀  荘子「漁父篇」から。孔子ご一行様の林の宴会、白梅がちらほら咲いている。

許俊 鐘馗嫁妹図 清・乾隆20年(1755)または嘉慶20年(1815)  獅子舞のような獅子に乗る鍾馗と輿に乗るその妹。兄に似ず細面の美人。装束は清朝のそれ。鬼人たちのパレードでもある。百人以上がこの婚礼の列に参加している。

沈天驤 蘆雁図 清・乾隆27年(1762)  このヒトは南蘋の従子(甥)に当たるそうだ。
雁が蘆に向かい垂直降下中。下にはカップルもいるし白雁もいるし、菊も咲いている。バラらしき花も見える。

楊鯤挙 錦堂春昼図 清・18世紀  惲寿平の技法を踏襲。花の絵が魅力的な惲。その後を追う優しい花の絵。牡丹にアヤメが咲いている。

張賜寧(1743—1818) 桑蚕詩意図 清・18-19世紀 大阪市立美術館蔵  さらさらと描きつつもリアルな絵。お蚕さんがうねうね。籠いっぱいにいる。桑の葉とお蚕さん。そばには赤ラディッシュが2つコロリ。

沈世傑 蓮池金魚図 清・19世紀  明るい絵。赤とんぼもいるし水中には出目金もいる。

倪田 (1855-1919) 田家秋光図 清・光緒29年(1903) 大阪市立美術館蔵  ひとの家をのぞく爺さんとその手を引く孫らしき子ども。まだ暑いらしく団扇を片手に。丁度百年前ののんびりしたある日。

張沢 (1882-1940) 竹林七賢図 中華民国23年(1934) 大阪市立美術館蔵  色んな人がいるがこのヒトは虎を絵のために飼うてたそうな。
松篁さん・淳之さん父子は描くために鳥を飼うてたし、大観も動物好きでいろんな動物と暮らしていたが、さすがに日本では絵のために虎を飼う人はいない。隣家のわんこを描いた応挙とか焼き芋屋の猫をモデルにした春草もいいが、虎はないわなあ。

伝 呉道玄 送子天王図 清・17-18世紀 大阪市立美術館蔵(阿部コレクション) 釈迦の父上の浄飯王が大自在天廟にゆくと、みんな礼拝。はっきりした絵。

無名氏 臨盧鴻草堂十志図 明-清・17-18世紀 大阪市立美術館蔵(阿部コレクション) 盧鴻の作品を臨書。色んなシーンが10.中にはウソやろーとおもうのも。
一つ挙げるとこれ。
コブラ(!)に噛ませている!明らかにコブラなのも凄い。中国にコブラがいるのかどうか知らないが、この時代だから輸入した(!!)かもしれない。天竺の芸人ごとでな。

無名氏 子母図 清・18-19世紀 大阪市立美術館蔵(阿部コレクション) 鳥のファミリー。草花のあるところに。桜、モモの実、牡丹も気持ちよく咲いている。

毛麟書 藤花金魚図 清・乾隆29年(1764)  淡彩の藤の花がきれい。

*陶芸家・富本憲吉のデザイン
安堵町にあった富本憲吉記念館の元館長の辻本さんが集められたコレクションである。
記念館は5年前に閉館し、現在はレストラン、ギャラリー、ホテルなどになっている。
辻本コレクションは京都市芸大、兵庫陶芸美術館、大阪市立美術館に寄贈され、大阪市立美術館には作品80件と資料20件がある。
辻本さんは安堵町の住人で、復員後お兄さんに連れられて、帰郷していた憲吉に出会い、それからコレクターとしての人生を歩み始めたそうだ。
京近美の河井寛次郎作品は川勝コレクション、大阪市美の富本憲吉作品は辻本コレクション。どちらも優れた芸術家であり、コレクターもまた優れた人々だった。
そんな人々が活きていた時代に生まれた作品と、それらを大事に集めた人々の心を想いながら眺める。

富本も河井も「この一点」を選ぶのでなく、集めれるだけ集めたくなる習性がある。
それぞれ独立した作品でありながらも「類は友を呼ぶ」ではないが、「一人は淋しい」というキモチになって、他の作品も揃えようという気になるのだ。

富本憲吉の特徴として「模様から模様を造らず」という姿勢をどんな時でも守ったことがある。彼のオリジナル文様は誰のものとも似てはいない。
今回展示されているのは40点ばかり。
そのうち特にわたしの好みのものを挙げる。

〔陶磁器〕
薄瑠璃地線彫 太藺模様湯呑 3口(5口の内) 大正9年(1920)銘  フトイという植物を文様に設える。線の美がはっきりしている。

薄瑠璃地線彫 薊模様八角皿 2枚(5枚の内) 大正9年(1920)銘 こちらは薊をさらっと描く。

白磁線彫 草の葉模様大皿 祖師谷 1枚 昭和3年(1928)  線が埋もれる。しかしそれもまた魅力がある。

染付 重薬模様円形襖引手  1個 昭和12年(1937)頃 これはドクダミ。ドクダミを意匠化したのは富本憲吉と竹久夢二の二人くらいではないか。名前や咲く場所が可愛くないと避けられるが、花自体は白く可憐なのである。

かれは皿や鉢や壺や瓶だけでなく、掌に収まるような小物や筥も拵えた。
わたしなどはそれらの作品の方に多く惹かれている。

白磁陽刻 四弁花模様帯留1個 昭和3年(1928)
色絵染付 四弁花模様帯留 1個 昭和12年(1937)
どちらも円形の中に小さい文様が入ったもので愛らしい。
お嬢さんの学校のために拵えたものも多いひとだった。
2006年に京都で見たときの展覧会でそれらがたくさん出ていた。
当時の感想はこちら。


色絵 蝶模様帯留 1個 昭和24年(1949) 一羽のみ。これは古染付の「荘子の蝶」を思い出した。「模様から模様を造らず」の富本憲吉だが、白磁に染付で蝶を描く、というのは先人に例があったとしても、やっぱり拵えたくなるものだと思う。
中学のときわたしは七宝焼をしていたが、不透明の釉薬を背景に青で蝶々を一羽、というのを拵えた。素人の中学生でもそうなのだ。来歴など知らずとも、この文様は好む者には永遠の文様なのである。

藍釉陽刻 四弁花模様ペンダントヘッド 1個 昭和初期 1920年代
色絵染付 四弁花模様ペンダントヘッド 1個 昭和13年(1938)

いずれもみんなキュートで、とても欲しくなる。
富本憲吉の拵える文様は実に多様。そして染付にしたり色絵にしたり線彫りにしたりと表現方法も様々。
ここにある作品の内からちょっとピックアップしてみる。

安堵村模様、草の葉模様、野葡萄模様、辻堂模様、祖師谷切通模様、筒花生に梔子模様、詩句野葡萄模様、柘榴模様、唐黍模様、沢薊模様、赤更紗模様、下り梅模様、芦の芽模様、竹林月夜模様、蓼模様、円窓梅花模様、風花雪月字模様
・・・・・・・・・
無限に文様が生まれてゆくようだった。

この画像の作品は展示はないが富本憲吉の拵えた愛らしいものがどういったものかよくわかると思う。



〔資料類〕
葡萄図メニュー1面 大正3年(1914) 尾竹一枝との結婚の披露宴を上野の精養軒で行ったが、その時の晩餐のメニュー表である。文字自体は仲間のバーナード・リーチが書いている。フランス料理である。
最初の結婚相手の尾竹一枝は非常に面白い女性だが、ここでは措く。

船図 1面 大正7年(1918) かつて大阪にあった古書店「柳屋書店」のマークとして長く使われたそうだ。円に船が描かれている。

タイルの装飾図案(四弁花・木瓜模様) 1面 大正時代後期〔1920年前後〕 呉須などもある。様々な表現が魅力的。

机の縁装飾図案(葡萄唐草模様) 1面 大正時代後期〔1920年前後〕 イスラム風な感じ。
青で描いている。しかし鉄砂で、とも。

草花模様図 1面 昭和9年(1934)箱貼紙  歌人・今井邦子の帯。シンプルでいいな。

やっぱり鍾愛できるものが好きだと思った。いいものを見たなあ。

大阪市立美術館のコレクションは大阪市民の寄贈品が巨大な基礎となっている。
寄託品も多いし、予算が下りて購入したものもあるが、やはり市民からの寄贈品を無視することなど絶対に不可能である。
そんなことを知らない連中が政権を取ったあと、大阪から文化を駆逐しようとしたので、わたしはいまだに憤っている。

敦賀に行ったのだよ

先週、敦賀市に行った。
わたしは月一回近代建築探訪するグループに属しているが、それで京都駅からバスで出向いたのだ。
ところでわたしはよく遅刻寸前になる。遅刻をする手前に到着する。遅刻寸止め。
だから気を張り詰めているのだが、逆にゆとりを持って出かけると、とんでもないトラブルに巻き込まれたり、しょーむないミスを起こしたりする。
わたしにとってはゆとり=だらけとなるらしい。

さて、わたくしはですね、この日は平日木曜なのでとわざわざ先に阪急と大阪―京都のチケットも用意したのに、ゆとりを持ちすぎて、逆にチケットを入れ忘れるという、どーしよーもないミスをやらかしましたがな。
くーーーーー痛恨の極み。
むかむかプンプン。

まあしゃーないですね。どうせ土曜には瀬田に行くからそれを使うしかない。
ということで京都駅の八条口に行きましたら、参加予定者が大幅に減ってた。
おいおいおい…
おいやいおいやい、だと「庵室」の合邦が娘の玉手御前の告白を聞いて、動転するところになりますな。
阿弥陀仏よや、おいおい これは今昔物語にある悪人の往生話ですな。
まあそれはどうでもいいが、金額が跳ね上がったなあ。痛いわ。
なので事務局と先生は見通しの甘さを反省し、今後はこの遠出が授業の一環だということを強く言わねばと意気込んではりましたわ。まああれだ、車の手配やなんだかんだの辺りをもっとね…

さて敦賀へ向かう。停車したのは多賀のSAだけかな。ここらあたりから雪が積もってきた。
そうそう、伊吹山が真正面に見えたとき、わたくし、僭越ながら伊吹山の降雪量がギネスに載った話などしたついでに甥っ子がその山から名前を取ったことなどおしゃべりいたしましたのよ、ほほほほほ。

さあさあ敦賀市内に入りましてやね、先に海鮮丼とかそんなの食べさせたり買い物するところへ最初につきましてな。
これが帰りならそれこそトロサバも買うしカレイやノドグロの一夜干しも買いますがな。
でもあんさん、12時やもん、帰りのバスとかまだまだですがな、諦めましたわ。

海鮮丼はまあまあ。カニみそをくれる人もいたりでわたしとしては美味しくいただきましたが、サバのへしこにはちょっと参ったな。
友人が意外なことに大量にわかめを買うたり、焼き鯖のいい匂いに負けそうになったりと、ああやはりここへは帰る前に寄ってくれやと思いつつ、わたくしは去りました。

気比神宮へ。
去年だったか、会社の社内旅行でここの前を通るだけで拝みに行かなかったので、ちょっと反省してたのだ。
意外に小ぢんまりした神社。



雪がよく残る。梅も咲いてるが、白梅ではなくやや黄色かかっていたのが雪つりに守られていた。



そしていよいよ旧大和田銀行、現敦賀市博物館へ。


ここの展覧会、建物については別項。
俳優の大和田伸也・獏兄弟のおじいさんが立派な方だったのです。

そこから敦賀市の鉄道資料館へ。


いい建物。
中もよかった。






そこから赤レンガ倉庫も見えた。
こういうのも見えるわけです。



そして日本のシンドラーとよばれた杉原千畝さんの資料もこの地にはあるようでそんなお話を聞く。
ポーランドの人々がここへ来たわけです。

そのまま一気に帰る。
残念ながらトロサバもノドグロもアジもサヨナラサヨナラですなあ。

多賀で停車。しんこあめを巻いたようなしんこ餅と羽二重餅などを買って帰る。
綺麗な夕日を見る。
いいなあ。山の端に入るところを見ている。

京都へついた。
ちょっと遅かったので皆さんとお茶もなく、今日は解散。また来月ねー
というわけで、旅も終わり。

実力の見えるコレクション展 その2 敦賀市博物館と滋賀県立近代美術館

3/15にgooで挙げた分の転載。
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先般、敦賀市立博物館へ行った。目的は建物を見ること―旧大和田銀行―だったが、しかしわたしはこの博物館には素晴らしい所蔵品があることを知っているので、楽しみに出かけた。
ここの所蔵品は府中市美術館の恒例の春の江戸絵画祭でよくみかける。
「いいな」と思ったものが大抵こちらの所蔵品なので、いつか行こうと思っていたが、なかなか敦賀には行けないままでいた。
それがいつもの近代建築探訪ツアーで行けることになり、大いに喜んだ。

さて一階では敦賀の幕末から明治の貿易関連、二階では新内の特集、三階では「雅 ―やまと絵の世界」展が開催されている。
わたしたち建築見学ツアーの一行を案内してくださった方とお話したところ、ここの誉れの所蔵品は少し前に京都関係の名作を集めようとしたことで生まれたようだった。
今回は大和絵が中心の展示で円山派は次回。そちらも見たいがなかなか敦賀には来れないので、絵はがきで偲んでいる。

土佐光起 花籠図 背景はなく、瓢箪型の竹網籠に菊や芒や朝顔がいけられている。時期の早目の秋草。かなり細かい描写。

冷泉為恭 三祭図 縦長の画面に京の月次図などに現れるような様々な祭りを一堂に集めて描いている。異時同時図でもあり、祭大会とでもいうべきか。
こういうのはきちんと説明がある方がより面白いだろうな。

田中訥言 鶴包丁図 江戸時代、正月には鶴のお吸い物を大名たちはいただいたとか。四条流か生間流か知らないが、古式に則っての行事。
鶴の吸い物が美味しすぎてお代わりをして笑われた大名もいたそうな。
絵からその先のエピソードがつながってゆく。

冷泉為恭 五位鷺図 話して聞かせているところ。可愛い鷺。

他にも為恭のもっていた太刀の鞘、葦手だったり、鎌倉時代の絵因果経を拵えたのもありで、なかなか多彩。

こんな展示もあった。




いつかまたここへ来ようと思う。


滋賀県立近代美術館の常設を見る。
ここは四種に分類できる。
・古美術・小倉遊亀・やきもの・現代アート
奥の深い展示なのは、琵琶湖のほとりにあった「琵琶湖文化館」の閉館に伴い、作品がこちらへ寄託されたから、という理由もある。
今回は「近江の古美術」について。

横井金谷 棋書仙人図・山水図 19世紀前半  このヒトと次の紀楳亭(き・ばいてい)の展覧会を大津歴博で見たが、楽しかった。2008年のことで、当時の感想はこちら

空気感が爽やかな絵。

紀 楳亭 夏山書屋図  ファンキーな人々のいる夏山書屋図。背景は色も抑えているが、人々だけやや濃いめの彩色がされていて、それが和やかなのだが、みんな妙にゆるキャラ風。

島崎雲圃 鮎図 享和2年(1802)  丁寧な鮎。

高田敬輔 楼閣山水図・竹林七賢琴棋書画図 宝暦4年(1754)   修理完成、初公開ということで、その修理の過程を記録した資料もあった。
  
曾我蕭白 楼閣山水図 安永元年(1772)頃   こちらもまたあれだ、背景は地味ながら何故か楼閣だけカラフル。それも赤に青にといかにもな配色。蕭白のサインも白やなく伯で記している。

島崎雲圃ほか 書画帖 享和元年〜文化2年(1801〜05)  中に水中で蛟を退治した男の絵があり、その大きな目の怖いこと…

小倉遊亀の絵をみる。 
紅梅白壺 昭和46年(1971) すべての小倉作品のうち、最上だと思っている。

磨針峠 昭和22年(1947) まあ千里の道も一歩から。斧から針を拵えようとする婆さんを見て「はっっっ」となる男の様子が描かれている。
わたしはもう完全に「斧が無駄になるやん」と思っていた…

童女入浴 大正15年(1926) 小さく髪をまとめた幼女がお風呂に入っている。
妹か友人と一緒。様子だけはもうほんとうに大人の女。

姉妹 昭和45年(1970) 半世紀後にはかつての幼女姉妹を思わせるような少女がいる。

どちらも作品数は少なくとも、つねに良い作品展示をしようと心がけておられるのがよく伝わってくる。
とてもいい美術館だと思う。

実力の見えるコレクション展 その1 目黒区美術館「コレクション展―来しかた、行くさき」

3/14にgooで挙げた分の転載。
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実力の見えるコレクション展
今回このタイトルのもとで、わたしが見たコレクション展の感想を続けて挙げたいと思う。
特別展は別物として存在する。これは箱の力で左右されもする。
コレクション展はその館の実力が出る。
我がとこの所蔵品だけで魅力的な展覧会を重ねるミュージアムは少なくない。
特別展の添え物のような扱いをうける常設展も多いが、その常設展が実は目玉の特別展より凄いということもままある。
展示数が少なくともそれは問題ではない。
わたしが見たコレクション展の感想を挙げてゆく。

・目黒区美術館コレクション展―来しかた、行くさき


秋岡芳夫全集4という企画があるのでそれが楽しみで出かけたら、小川千甕の欧州スケッチ展もあった。もっと宣伝すればいいのに。

秋岡の童画が好きだが、今回は家具デザインがメインだった。
*1946 進駐軍家族住宅用家具 青焼き図が26点ある。戦後すぐの進駐軍のライフスタイルを垣間見るわけだ。
シンプルな椅子、ライティングデスク、ベッド、アイロン台。
ベッドはヨーロッパ風だったりする。椅子も色々。パースもいっぱい。

*1953 「アイデアを生かした家庭の工作」
雑誌があったようだ。DIYの推奨。高さが替わる椅子、物入れにもなる椅子、台所に便利なスツール、様々な照明器具…合理的な椅子が多い。

*1983 「あぐらのかける男の椅子」
現物に座って見た。キャスター付きで肘かけもある。
そしてミニチュアの椅子が37点展示されていて、その棚を見るのが楽しかった。
現物もある。ちょっとわたしの好みや使い勝手を考えると、わたしの家では合わないが、わるくはない。
これらを見ていると戦時中の標語「足らぬ足らぬは工夫が足らぬ」という言葉が蘇る。
つまり工夫次第でいくらでも楽しめる椅子が拵えられるということを思った。
戦時中のそれとは違う意味だが。

こういうのを見るのも楽しい。



洋画の展示を見る。
20世紀初頭の梅原、安井、澤部清五郎、山下新太郎らのパリやイタリー(当時の表記の好みはイタリーだったではないか)の風景や人物画がある。

藤田も四点あるがこれがけっこうファンキーな作品を選んでいる。
面白い表情のわんこや鳥獣戯画風なウサギなどの「動物群」に、唐子x白人の子らそれぞれ5人ずつの「十人の子供たち」、鯰と蛙のいる屏風等々。
なんとなく軽妙でいい。

川村清雄は10点以上ある。
男性裸体図があって、ああこれは2003年に特集が組まれた「からだと出会うとき―メールヌードの素描を中心に」展でみたものだと思い出す。
かなり素敵な企画展だった。
19世紀末「洋画家」ではなく「油絵師」だった時代、日本家屋に合う洋画を作るのに心胆を砕いた人々の一人。
桜や魚類なども「死んだ自然」=静物画でなく、風土に合ったウェットなものを描こうとした。

歴史画がある。
後鳥羽院隠岐配流の図 1919 我こそは新島守よ…粗末な院内でそれでも剛毅に立つ後鳥羽院。

七卿落ち 下絵。本画はあるのだろうか…円内に人と橋と風と波と。
あれ確か大雨の日だったはずだな。

高崎剛 軽業師D 1928 たいへん縦長なのでクリックして拡大を。

スゴイ曲芸。これは力業になるのかな。
この絵も古賀春江「サーカスの景」同様不思議な静かさがある。
画家は30歳で亡くなったそうだ。

荻須 ユエ郊外(ベトナム風景) 1942 珍しくベトナムだが、もしや時代からいうてもあれか、従軍で描いたのか。田舎。暑そう…

淀井彩子 緑・光 アラベスク 1986  これはもう紙袋のデザインに欲しい。ステキ。明るくていい。色も山吹色、緑、青、オレンジ、柄も伸びたハートのような花弁ぽいのとかで、可愛い。

次は小川千甕。彼が描いたヨーロッパ風景。ほぼみんな水彩。1913年の作品。
意外な位たくさんある。
フランクフルト、セーブル、ブルージュ、ハンブルグ、ミュンヘン、セーヌ川、パリ、そして欧州航路の伊予丸。
達者な筆致で印象的な風景を捉える。家に表情がある。
この特集はかなり堪能した。よかったわ。
特にアダムヴィーユの並んだ二軒の家なんてローレルとハーディ、エンタツとアチャコのようなムードがある。バディでなく大昔の漫才の相方。
ブルージュの尼寺は建物の窓が猫の眼のようで、△の橋を二人の尼が歩くのもどこか映画的だった。

寺崎百合子 ボルゲーゼ公園 1992 鉛筆で描いた魅力的な絵。階段のところ。しーんとしている。

オペラ座 1992 こちらも同じく階段。シーンとしている。闇の中の階段。

どんな画家の方が知らないが、今後は忘れたくない方になった。

目黒区美術館で困ることがある。
動線をはっきりしてほしい。
動線がはっきりしないので見づらい。好きに見ればいい、と思っているかもしれないが、ある種の秩序は必要だ。
監視員が多い割にその点がどうもいつも面倒だ。
今回もちょっと困った。きっと次も。

和中庵 その4

最後にもう一度ぐるりと。
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和の良さをしみじみ感じる。

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いや、和洋どちらも楽しめることがいいのだ。

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広い座敷もあれば
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小ぢんまりした洋間の応接もある。
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それがいいのだ。

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こうした装飾がまたいい。
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眼に見えるものを。
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またいつかおじゃましたい。

和中庵 その3

階段の感じもいいし。
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適度な装飾があることで心も潤う。

渡り廊下を通ります。
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そこからの秋の眺め。
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天井もいい。和の風情はたいせつ。
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やはり和と洋とが共にあるのが素晴らしい。
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和をもう少し楽しむ。
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続く。

漆芸讃歌 石本愛子漆芸展

3/13にgooで挙げた分の転載。
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3月12日で終了したが、竹中大工道具館で「漆芸讃歌 石本愛子漆芸展」が開催されていた。
わたしは千秋楽にしか行けず、「…しもた」と例によって反省している。
受付で「石本先生がおいでですよ」と教わったが、タイミングが合わずそのままになってしまった。
気さくな方だということだが、わたしは照れて動けなかった。

作品をいくつか紹介したい。

チラシは「鼓響春棋」。不思議な形の上に小さな桜が花筏を見せる。
暗い川を覆う桜の行進のようだった。

解説によると、石本さんは「漆沈金」技法をベースに、顔料を用いて色彩豊かに表現する「伏漆彩沈金」ふし・しっさい・ちんきんーという独自の技法を開拓されたそうだ。

もともと沈金とは漆塗りの素地に文様を彫り、金箔・金粉などを摺り込んで装飾するのを言う。
沈金という言葉を見ればなるほどと納得もゆく。
しかしそこに彩色という過程はなかった。

石本さんはそれまでの沈金に色彩を加えた。
元からあるかのように見えるほどなじんだ肌合いだが、これは全くの新技法だった。
石本さんは伝統を守りつつ、新しい手法・表現を生み出したのだった。

壁面装飾となる漆パネルがある。
自然風景を描いたものが多い。
それは日本アルプスをイメージした風景らしい。しかしそれは再現ではない。
石本さんの心象風景の日本アルプスなのだ。

漆パネル「日々」の前に立つ。
林の上に金色の日が浮かぶ。遠くには山の頂がのぞく。木々の繊細な表現、色調の変化、静かな中に確実に生きる日。
わたしはこの作品を見て「日々」をひびでなくニチニチと読んでいた。
ひびでありなおかつニチニチと言うべきほど大きな日がそこにある、それを言うのだと解釈した。
実際には英訳ではEveryDayと「日々」はひびだと記している。
しかし、見た者は「日々」の存在の大きさに胸がすく思いをしたことだろう。



漆パネル「まほろ」 横長の広々としたパネルはどこかの山頂から下界を見下ろす情景だった。ずっと向こうの下界は金色に輝いている。町の灯なのだ。人々の生活がそこにある。なんだかほのぼのとした幸福感が胸底に広がる。

赤いパネルがあった。赤いといっても紅ではなく茜色。
木洩日と題された縦型漆パネル作品である。
細い幹が林立する向こうに日がみえる。
叙情的な情景である。
どこか懐かしくもある。着物に欲しいような茜色だった。

日本画の自然風景の名手といえば東山魁夷、児玉希望、奥田元宋らが思い浮かぶ。
彼らの風景画に共通するものは静謐さだと思う。そしてそれは石本さんの作品にも流れる。

小さな漆パネルがいくつも並ぶ。
小さな画面に愛らしい絵。手元で可愛がりたくなる作品群。



実用として作られているものがある。
棗である。植物文様のものばかり8点ほどある。全て同寸。愛らしい文様だが、その緻密な表現に感嘆する。
唐草は正倉院を越えてシルクロードの向こうへ向かい、木賊は闇に映える。

わたしがいちばん心惹かれたのは短冊入れの長方形の箱だった。
銀地に黒くうねる線が絡まりあいながら全体を覆う。
水面に広がる植物の細い線のように見え、とてもモダンだった。

石本さんが作品を作る工程の映像が流れていた。どの仕事もそうだが、職人の技術に安易な妥協はない。
手間のかかる作業を簡略化して楽になるかといえばそうでもない。
やはり愚直なまでにコツコツと自分で決めた作業手順に従い、働く。
働き続けることで状況が進む。

その映像を見ながら、わたしたち鑑賞者は水面下の辛苦を知らず、生み出された作品の表面を味わうばかりで(それはそれでいいとも思うが)、だからこそこうした映像を見ることで、どのような過程を経て美が生成されてゆくかを知ることが出来る、そのことに改めて思い至った。

やはり良いものを見た後は快い。
展覧会は終わったが、石本さんの作品を知ること、その美を味わうこと、この二つを手に入れることが出来て本当に良かった。

和中庵 その2

和中庵、洋館の外観
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照明が可愛い。
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床も素敵だ。
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装飾の数々
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床の良さがやは眼に入る。
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階段
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二階もとても魅力的。
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ホールを楽しむ
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少し外を見る。
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続く。

和中庵 その1

去年、「京都 夏の旅」などで一般公開された和中庵だが、わたしは季節を少しおいてから出かけた。
有難くも撮影と見学をさせていただき、素晴らしい建物にときめくばかりだった。

その日は先に「永観おそい」と見返られた仏さまを安置する永観堂にいた。
そこから徒歩数分の泉屋博古館で美麗な高麗仏画を見ていた。
当時の感想はこちら
紅葉の綺麗な頃の話。

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さて鹿ケ谷からとぼとぼ歩いて道を多少間違えて、ようやくノートルダム学院の和中庵にたどりついた。
ちょっとしたところに素敵なステンドグラスが見受けられる。
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和の空間も素晴らしい。
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中庭を拝見する。
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和室と庭との関係は重要だ。
庭は慈しまねば朽ちる。

立ち去った後、誰もいない。
揺らぐ空気。
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再びステンドグラス。
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先にこちらへ。
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照明の切子が可愛い。
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鷹の羽の紋所には親しみを感じるぞ。
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ぎぎぎぎぎ…
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天井にも棟札
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ここにはシスターたちの使っていたものやベッドや何故か岩波文庫の設置の回転棚があった。
それらはプライバシーにも関わりそうなので挙げない。

次はいよいよ洋館へ。

旧大阪府工業奨励館附属工業会館

大阪府立江之子島文化芸術創造センター/ enocoとして活躍中の建物がある。
地下鉄阿波座からすぐのところ。
明治の昔、この江之子島に大阪府庁があった。
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この建物は1938年の大阪府工業奨励館附属工業会館をリノベしたもの。
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可愛いなあ。
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中にも少しばかり往時の姿が。
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ご近所さん
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なんだかほのぼの。

春日大社 千年の至宝

3/9にgooで挙げた分の転載。
元記事はこちら

「春日大社 千年の至宝」展を見に行った。
数年前「大神社」展でも春日大社のすばらしいお宝をみている。
また先般、春日大社の宝物殿がリニューアルした。
春日大社、とてもアグレッシブである。

ところで春日大社は藤原氏の氏神であるが、神は鹿をつれて関東の鹿島からおいでになったそうだ。
この話をきくと、石川淳「六道遊行」を思い出す。
土地の女神が遠くから来た神に敗れるという事情が語られているからだ。
鹿島からの神が鎮座ましましたことなど様々な状況から、ついに主人公は奈良の都から葛城山へ向かう。盗賊の頭目の跡目を若い者に譲り、かねてより憧れていた修験の道へ進むということなのだった。

春日大社の鹿は神の使いとして大事にされ、これを害した者は「石子詰め」という恐ろしい処刑をうけた。芝居の「妹背山女庭訓」ではそんな場も描かれたが、上演はあったかどうかしらない。少なくとも近代はないだろう。とはいえ「石子詰め」の悲しい記念は今もある。

1.神鹿の社
細見美術館ほまれの「春日神鹿御正体」像があった。
春日大社の展覧会には欠かせない像である。
南北朝の制作だが、見事な造形をみせる。

鹿の背にご神木がある。神はそこにおいでになるが、姿は見えない。

鹿島立神影図、春日鹿曼陀羅…あらゆるところに鹿。
金銅鹿像もある。それから幕末の森川杜園の一刀彫りの白鹿像。
神々しさより愛らしさが先に来る。

鹿図屏風 江戸時代の屏風だが、白鹿なのか絵の具が剥落して白鹿に見えるかがわからない鹿どもがいる。みんな愛らしい。表情も様々。とぼけたのもいればムッとしたのもいる。強気そうなのもいる。
決して決して「ディア・ハンター」とか「ジビエ」とか思ってはいけない。
そんなロクでなしなことを思うのはシカたないにしても、危険危険。


2.平安の正倉院
国宝の「本宮御料古神宝類」と銘打たれた様々な伝世品をみる。
黒漆で守られているので900年ほど前のものでも活きている。
琴、櫛笥、弓矢や剣などの凝ったものが並んでいた。宝物なので実用品ではない。
中で一番好きなのは猫が雀を襲撃する文様が施された太刀。これはチラシの真ん中に長々と片面が紹介されている。
わたしは2014年にこの刀を知ったが、それはポスターからで、こうして現物を見ることがかなって嬉しい。
雀も可愛いが、猫のわるいところがたまらなく愛しい。



千鳥の太刀も素敵。これは復元模造だが、北村昭斎さんら名工が見事なお仕事をされたのだった。

3. 春日信仰をめぐる美的世界
平安、鎌倉の貴族たちの日記や記録がある。興味深いが読むほどの根性がなかった。たいへんな混雑だったのもある、ということにしておこう。
ちらちら見ながら「おや、あれがある」と一人にんまり。
デモーニッシュな、と五味文彦先生に書かれている頼長さんの日記ね。
ふふふ。さすがに色んな「おいしい」シーンのページは出てないだろうなあ。

各地が所有する春日宮曼荼羅が並ぶ。
壮観な眺め。
これを見て思い出すのがこの展覧会。
「神々の姿 神と仏が織りなす美」展 当時の感想はこちら

香雪美術館も春日大社の式年造替記念展を開催したのだ。

春日龍珠箱 これは2007年の奈良博「神仏習合」展で見た。
当時の感想はこちら

とても色彩のくっきりした綺麗なもの。

春日赤童子 根津美術館 これはまた勇ましくて可愛い。セイタカ君にしてはロン毛がまっすくで真ん中わけなのだが、ハレ瞼の下の大きな眼がいい。むっとしているが可愛い喃。

文殊菩薩立像 東博 これは稚児文殊で髷が5つ。可愛い。そして珍しいくらいの釣目さん。松田龍平にも似ている。

様々な舎利厨子がある。シャリ寿司と変換されてしもた。
工夫を凝らした素敵な入れ物ばかり。

ところで東博の春日大社展のページに可愛い動物を集めた投票欄があった。
こちら

楽しくていいなあ。

春日権現験記絵がずらり。
鎌倉時代のや享保年間のもの・文化年間のものなどなど。
様々なところに伝わっている。模写したものが丁寧に世をつなぐ。

春日地獄の話はなかなか迫力があった。
それから陽明文庫本も紀州本は綺麗な絵が多いが、絵師の名を見て納得。
昭和初期までの模本がある。

4.奉納された武具
武器ではなく宝物としての武具なので、とても綺麗な拵えの太刀が何振りも並ぶ。

5.神々に捧げる芸能
おん祭の資料がいろいろ。
競馬図衝立などもある。
そして何よりも舞楽関連が素晴らしい。
興福寺からは伎楽面も来ていた。



奈良博では毎年必ずいくつか絶対に開催される展覧会がある。
前年の年末から新年の月半ばまで「おん祭」
二月三月は「お水取り」
秋は正倉院展である。
この三つの展覧会は必ず開催され続ける。
そのおん祭の感想はこちら。

2014年の「おん祭」展の感想

2013年の「おん祭」展の感想

2007年の「おん祭」見学の顛末

このときの日使(ひのつかい).がわたしの属する企業グループのトップの方だったので、うちの社を代表して応援に行った。
今でもおん祭展のとき、この方の写真パネルが奈良博に展示されている。

さすがに夜中に見に行くことはわたしには出来ない。

金春家伝来の面や装束の展示もある。それらは別個に挙げている。
金春家も幕末から明治の激動期にたいへんな目にあったが、こうしてたいせつなものを守るように取り計らったことは、本当にすごいことだと思う。

6.春日大社の式年造替
造替のとき、特別公開があり、機嫌よく出向いた。

もう2年前である。

室町の頃の絵馬まであった。
それから瑠璃燈籠。
獅子と狛犬も可愛い。
そうそう、あの式年造替で売り出されたのがこちら。

あまりに可愛くて定番化したのだったかな。

いい展覧会だった。3/12まで。

二つの近代絵画展を見て回ってから

先ごろ「道を尋ねて何かに出会う」のブログの方でふたつの展覧会の感想を挙げた。

「マティスとルオー 手紙が明かす二人の秘密」@汐留ミュージアム
「拝啓ルノワール先生 梅原龍三郎が出会った西洋美術」@あべのハルカス

どちらも温かな人間関係が活きていたことを教わったが、絵画だけでなく手紙や随想がとても印象に残った。
それで面白いのは関東と関西のチラシの違いに、アプローチの違い。
「拝啓ルノワール先生」展の場合を挙げる。
関西では「梅原龍三郎が出会った西洋美術」
関東では「梅原龍三郎に息づく師の教え」
それぞれの副題の違いが面白くもある。
つまりこの副題を踏まえて作品を見ると、違う面が見えてきたりもするのではないだろうか。

わたしはこの四人…ルノワール、梅原、マティス、ルオーでは最初はルノワールが好きで、次に梅原が好きになり、そしてマティスに来た。ルオーはそこまで好きになっていないが、汐留ミュージアム、出光美術館で見る内に段々と馴染んできて、大昔に比べると、随分近くに来たように思う。

多くの日本人が西洋絵画を愛するようになったのは、やはり白樺派の紹介があってのことだと思う。
黒田や浅井忠らが熱心に広めたが、それは描く側を育てるところまでだった気がする。
鑑賞し、愉しむのはやはり白樺派が「白樺」で紹介し、大原美術館が軌道に乗ったあたりからだと勝手に思っている。
年代的なことをきちんと調べて書けばいいが、別に私は美術史家ではないのでエエ加減な思い込みを書いている。

日本人はルノワールとセザンヌとのファンに二分されていた。
現在はもうそこまで印象派に淫する若い人は少ないが、現在のある世代以上は確実にそうだった。
そして彼らに影響を受けた日本の洋画家も大勢いて、特にセザンヌに傾倒した人々は「セザニスト」となり「セザニスム」を広めた。
代表として安井曾太郎がいるが、その安井の「ライバル」が「ルノワールの弟子」梅原なのだ。
その梅原と安井が長らく日本洋画界を牽引した。
二大巨匠。だがもう一人須田国太郎が加わると三羽烏ということになる。

ところで梅原は絵だけでなく筆も立つ人で「天衣無縫」という名著もある。
このことについて戸板康二が面白いことを書いていた。
日本の洋画家には筆の立つ人が多いという話である。
確かに中川一政などもエッセイストとしても一流だった。
夭折した村山槐多には怪奇小説「悪魔の舌」がある。
有島生馬もエッセイだけでなく小説「蝙蝠の如く」があるが、生馬の場合は兄が有島武郎、弟に里見弴もいることから、元々文才に恵まれていたとも言える。

その梅原が亡くなった時のことを覚えているが、いい一生だったなあとあの当時感嘆した。
あれからだいぶ時がたったが、今も梅原の作品は生きていて、大勢を魅了する。
それを思ってもやっぱり梅原は素晴らしく豪勢な人生を送ったと思う。

展示の中に自画像や「ナルシス」などがあったが、梅原はややハレマブタながら立派な顔で、しかも若いうちから自信家なので態度も堂々としている。
女に対する当り方は違うが、谷崎潤一郎と共通するものをたまに感じることもある。
梅原は若い頃、京劇の大輪の華・梅蘭芳に自らをなぞらえて「梅原龍」メイ・グァンロンと名乗って俳優もいいな、と言ったそうだ。
ただ、彼の俳優志望は北京時代以前のフランスの頃からなので、その頃ならなんと名乗ったことだろう。


マティスとルオーがモロー先生の弟子だったのは本当に良かったと思う。
この二つの展覧会では「先生」というキーワードも活きているが、ルノワール先生はあくまでも梅原が私淑しての名称であり、学校という枠組みの中での呼び名ではない。
学校の先生ということでモローが二人を指導したわけだが、モロー教室の輝くような卒業生を見ると、本当にこの人はすごい先生だったのだと感心する。
モローは区分すると「象徴派」の一人となるが、自分の世界を守りつつ、弟子たちには一切それを強いず、それぞれの個性を伸ばす手助けをした。時には公的な支援もした。そしてルオーへの愛情はやさしく、スゴイ作家になりそうでもカネには困りそうだとみるや、自分の美術館の館長に据えた。
こういう所を見ると、本当にマティスもルオーもモロー教室の生徒でいてよかったなあとよそながら喜ぶ。

梅原がルノワール先生の法事のために久しぶりに渡仏した時、その集まりでファラオのコスプレをしていたマティスに出会い、もっと前から会いたかったねと言われた話が好きだ。
「法事」と軽く書いたが、キリスト教のそれは何をするのか知らんが、コスプレをする人もいる、というのがなかなか興味深くもある。
亡き人をしのぶだけでないのは、主催者がジャン・ルノワールだからか??
こうした集まりはとても映画的だと思うのだ。

どちらの展覧会も
20世紀初頭の美術の世界をわたしたちのもとへ近づけてくれる展覧会だったように思う。
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