美術館・博物館・デパートでの展覧会を訪ね歩き、近代建築を見て周り、歌舞伎・映画・物語に溺れる日々の『遊びに行った日を記す』場所です。 

京大・花山天文台へゆく その1

「京の夏の旅」ツアーに乗って山の上にある京大の花山天文台へ向かった。
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普段は一般公開してません。

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表札、カッコええ。

バスのおかげでスイスイ。
あっ見えた。
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じゃじゃーん
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ここからの眺め
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敷地内にはこんなのも。
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ちょっとぐるっと回る。
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これで初めて天文台という実感がわくなあ。
さっきの写真ではまた別なものにも見えたし。

あれだ、杉浦茂の描くジェロニモぽいな。
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見上げると抜け穴か。
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これだね。
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階段
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筒状の建物なので部屋の在り方も面白い。
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いよいよ天文台の核心へ。
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おおー

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資料もある。
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説明を伺う。楽しいわ。
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京大・花山天文台へゆく その2

のんびりした空。
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天文台の外輪から眺める京都。あの山の端はどこだったかな。

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この中にこんなのがあるわけですからなあ。
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現役だった頃に撮った月面、だったかな。
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次はあちらも見よう。
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玄関
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やっぱり可愛い。

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さて四角い建物へ。
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レールがあるのがミソで、天井がスライドするのだよ。

こういうシステム
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天文台と2ショット。
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こちらは別館
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こちらにも資料。
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貯金箱にほしいな。
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さらば。
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いいところでした。

おまけ。
すぐそばの建物は事務棟かな。
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暑いときには涼しい磁器をめでよう

暑さに負けると、とりあえず自分の好きなものにすがる・逃げる、ということが多くなる。
細かいことを書きたくないと思い、ただただ好きなものを挙げてゆく。
今日はやきものの展覧会二つばかり。

・17世紀の古伊万里―逸品再発見Ⅰ―展を楽しむ @戸栗美術館
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戸栗美術館は有田・古伊万里・鍋島といった磁器専門の美術館で、非常に好ましいものを所蔵している。
わたしなどは特に色鍋島が好きなので嬉しくて仕方ない。
ただ、やきものと浮世絵の展覧会は感想を書きにくいという事情がある。
好きなものを好きだというだけで終始してしまいがちだからだ。
ニガテなものからは遠く離れて活きるので、好きなものばかり見てしまい、スキスキスキと言うばかりになる。
まあそれでもいいか。

染付 山水文 水指 伊万里 17世紀中期   なにやら不穏な雲?澱んだ気?らしきものが立ち上りたなびく。

白磁 桔梗形向付 伊万里 17世紀後半  白のシンプルな向付。口べりの吹き銹が引き締める。

瑠璃釉 葦文 稜花皿 伊万里 17世紀前期  薄水色に白い草という景色。

銹釉染付 如意雲文 皿 伊万里 17世紀中期  赤茶の円の右上に染付円が。そこからのぞく妙なものがどうやら如意雲。

瑠璃銹釉色絵金銀彩 筍文 皿 伊万里 17世紀後半  銀が酸化して黒ずんだよ。なのでか漆器に見えるくらい。赤茶けてもいるし。

と、ここまでやたらと不穏なものをみている。
いや、勝手に不穏なものだとみなしているわけですね。

…実はこの後に色々細かい感想が続くのだが、まさかのミスで全部消去してしまった。
それですっかりいやになり長く塩漬けにしていた。
今日、暑すぎるのでこれを思い出して書けてるところだけでも生かそうと思ったのだった。

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家型のやきもの、縄のれんの再現もあり、風流な形の窓まで拵えていて、遊び心が横溢している。

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長方形の皿も染付で海の様子を描く。

磁器はやっぱりひんやりしていて、見ていると涼しくていい。
9/2まで。

・宴の器 @大和文華館
こちらはやきものだけでなく漆器もあり。
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地に紫陽花と小梅の絵があるが、それらはここの人気者の提重の文様。

椿紫陽花文提重 今回は紫陽花の絵柄が出ていた。椿はその裏にあるので見えない。
モノクロだが画像があった。
紫陽花の方。
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こちらは椿の方。
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秋以外は使えるな。

根来塗の瓶子がずらり。この塗の剥落を愛でる人も多いが、わたしなどは法事と結びついてニガテ。
ただ、朱漆絵蓬莱文瓶子 これは描かれた鶴がファンキーな顔つきで面白い。

灰釉印花巴文瓶子 鎌倉時代の瀬戸窯のだが、なんだかもうこの文様の連続パターンがどう見ても蛇女ゴーゴン…

阿蘭陀の盃もある。絵柄は東洋のそれをまねている。不思議の国ニッポンという絵柄になっている。

秀衡塗の椀や盆なども並ぶ。派手で明るくていい。

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東インド会社の帆船とマークの文様が透かしで刻まれたガラスのワイングラスもいいな。

古いモノだけでなく幕末の青木木米の拵えたものもある。一見見たところは明代のそれ風なのも面白い。

ところで今回明代の絵巻「文姫帰漢図巻」の前半3から7が出ていた。
・パオの前で宴会。王は優しく文姫に話しかけるが、彼女は知らん顔。
・宿営地から月を見る文姫。傍らに侍女一人。
・さすらうモンゴル族。羊料理がふるまわれる。文姫は王妃として王と共に並ぶが。
・文姫は言葉もわからず、この地には春がないと嘆く。王もとても気を遣っている。
・パオの前での宴会、音楽も胡音では楽しめない。しょぼんとする牛馬の姿もある。ただただ山野。

別れと帰還シーンを見る機会が多いので、今回は珍しい。
いつか全編をじっくり鑑賞したい。

8/20まで。

挙げたかどうかわからないが、いいチラシが出てきたので並べる。
サンリツ服部美術館 ここも本当に素晴らしいところ。
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こちらは静嘉堂の香合づくし。
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既に終わったがすてきだ。
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いい感じ。

こんなのもある。

最後は河内の八尾に伝わるお皿。
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ちょっとでも涼しくなったら良いな…

屏風が映し出す縁 @千總ギャラリー

千總ギャラリーでは「屏風が映し出す縁」展が開催中。
祇園祭の頃に民家では秘蔵の屏風を通る人に見せたりしているが、あれは本当に楽しい。
わたしなどは山鉾巡行より宵宵山くらいまでに山鉾町をぶらぶら歩いて屏風を見たり、建ててる最中の山鉾を見たりするのが好きだ。

その屏風を持つのは個人だと「我がとこの家を飾るもの」ということになるが、千總は絵描きをバックアップするために描かせ、そして所蔵している。

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1.京と町絵師
京の町絵師と言えば円山派、四条派、大坂で大活躍の森派、岸派、望月派などがある。

花鳥図屏風 蘆雪 むろん旧幕時代。春から初夏の植物が描かれ、そこに個性豊かないきものがいる。
小さい赤い実を見せる植物、藤、土筆、躑躅。紐枝の撓みにツバメがとまり、白薔薇には雀も。その雀を狙うイタチは案外トボケた顔つき。雀もそれぞれで、中にはイタチに何やら物申すのもいたり、こちらにカメラ目線のもいる。

花鳥図押絵貼屏風 松村景文 二枚の押絵。梅に雀、芙蓉に鵲。
右:白梅にやや大きめの雀が行き過ぎる様子。
左:よく肥えたカササギが止まっているのだが、背中を丸めているところなどは、古い古い大阪弁で言う「ぶんこ」してるみたいなものだ。
(こんな言葉もうとっくに死んでいる)しかしそう表現したくなる様子ではある。
景文は和やかな花鳥画が多く、多くの人に愛された。

猪図屏風 森祖仙 柔らかそうなシダの上で一休み。萩も咲いている。眠たそうな眼は藍色、全体の毛色は墨なのに金茶色にも見えるよう。ブヒッとか言うていそうな様子。「狙」でなく「祖」の頃の絵。

水辺群鶴図屏風 吉村孝敬 1832 足の長い鶴たちが水辺で遊ぶ。
右は丹頂鶴3羽、左は真鶴5羽。
毛づくろいしたり・歩いたり・止まったりの丹頂鶴たちはグラビアモデルのよう。真鶴たちはじゃぶじゃぶ。そばに葦が伸びるので川だろうか。
「壬申春日」の頃の作画。源のサイン入り。
ところで吉村といえばプライス・コレクションの獅子一家を必ず思い出す。
この絵の前年の作。


2.明治の京都画壇と千總12代西村總左衛門
ご維新で世の中の価値観が随分変わってしまい、伝統を守るどころか、自分らの今日も明日もなくなりそうな状況の中、千總はパトロンとして彼らを庇護した。
着物を拵える千總は友禅の下絵を高名な絵師に依頼し、博覧会にも打って出て、攻めの姿勢をみせたことがよかった。
京都ではまず千總と高島屋が絵師の庇護者となったのだ。

大津唐崎図屏風 岸竹堂 1876 右は雪がうっすら積もる大津。大津は広いのでどの辺りかわたしにはちょっとわからない。
見える山は比叡山か。
家の屋根、荷車、牛、みんなうっすら雪を冠ったよう。
湖面の上を鳥の群れ。何の鳥かはわからない。
左隻がチラシの唐崎の松。松の枝が大きく広がっているのを感じる。その松の隙間に湖面が遠く近く見える。その松の下に灯籠もある。左の上方に三上山か、シルエットが見える。月も昇る。
この屏風はフィラデルフィア万博に出品されたそう。明治はじめ、日本の新作が海を渡る。
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壁一面に千總の型友禅がずらり。
・岸竹堂 5本爪の龍が三匹飛ぶ。5本爪は皇帝専用。

・今尾景年 サーモンピンク地に烏鷺入り乱れて飛ぶ。手前にカラス、奥にサギ、下へ下へ。

・梅村景山 景年の弟子。扁額揃いで上から侍・歌仙・龍・女形の舞手・鷹・絵馬・文字のみ・雷神と兵たち・廃墟・・・
色々と工夫を凝らしている。

・望月玉泉 銅鏡・縹地に花と絣・菊、 何かの三題話のような取り合わせ。

・藤井玉洲 ビロード友禅の下絵をとても多く担当したそう。

・久保田米僊 大津絵のキャラたちが思い思いの様子で大鐘の周りに集まる。

富士に松図屏風 竹陰 12代目西村總左衛門。かれは竹堂に学んだそう。
左手に富士、手前に三保の松原の構図。

小さい企画展だが楽しい。
こうした展示を無料で見せてくれるところが、昔から変わらぬ千總の度量だと思う。

没後60年 椿貞雄 師・劉生、そして家族と共に

千葉市美術館で「椿貞雄」展を見たのだが、まあ一言でいうと「えらいもんみてもたわ」。
この一言にどれくらいの感情や情報が込められているかは、おいおい明らかにするが、とんでもなく濃厚で重苦しい写実な油彩画と、キモチのほぐれる文人画との二本立てが一緒にあって本当に良かった。
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岸田劉生の絵にやたら似ている。
それは椿が彼の絵に感銘を受けて弟子入りしたからだが、もし違うヒトなら椿貞雄の「芸術」はどんな方向性をみせたのだろう。
そんな想像が出来ないほど、まっすぐに椿は劉生の描こうとしたものを受け継ぎ、追求した。
劉生が早い目に死んだあと、一時的に椿も深い混迷に落ちたが、やがて立ち上がり、劉生が進んだであろう道を更に開墾し、進み続けた。
60歳ほどで亡くなったが、劉生よりだいぶ長く生きたこともあり、劉生の経験しなかったことも経験し、劉生の到達しなかった域にまでたどり着いたのかもしれない。
しかし今「椿貞雄」を知る人は少ない。
今年は没後60年、現代の人々は椿の絵をどう見るだろうか。

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劉生のエピゴーネンともいうべき時代の絵から始まるが、これは彼が他に師を全く持たず、絵画とは劉生のそれだったからということもある。習うは倣うから始まる。
師匠の劉生もやたらめったら肖像画を描いていた時期がある。
ヒト呼んで首狩り族。
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弟子もやっぱり首狩り族の一味。

この暑苦しい(個人の感想です)油彩に息苦しくなった。
わたしは冒頭に挙げた文人画風な東洋絵画的な作品の方がいい。
しかしそこにたどり着くまでもう少し時間がかかる。

肖像を描き、風景を描き、近世絵画を学ぶ。
重厚な静物画が始まる。

やがてまさかの劉生の死。
劉生の死に顔を描いたものが出ていた。

劉生の死の痛手は椿の活動を制約するほどのものだった。
そして彼自身の行きづまりを打破するために欧州へ。

現地でモデルを頼んだ椿はそのアンドレを様々な様子で描く。
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帽子をかぶるアンドレ、横顔のアンドレ、真正面を向くアンドレ。

この欧州行は椿に豊かな実りをもたらした。
画風は重厚な写実であることに変わりはないが、そこにまた違う魅力も現れ始めた。

劉生が東洋趣味に行った頃の作品はどれもこれも大変良かった。
そしてそれは椿にも言える。
その良さが出たのはフランスでの展覧会。
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劉生作品にとても似ているが、彼の両目と両手にはこう見え、こう描くのがベストだったのだ。

少女の絵が多い。
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やたらと少女、いや幼女たちがスイカを食べている。
この場面だけではない。
とにかくむやみにすいかを食べている。
羨ましい限りである。
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四季を絵巻形式で描いた名品。ここでもやはりスイカを嬉しそうに食べている。

池大雅の昔から南画、文人画は言うてみたら山中で世間からリタイア・ドロップアウトしたおっさんらが好き勝手する様子を描いたものが多い。
しかしその技法に似せながら、劉生も椿も少女を描く。

そして同時に椿は劉生から与えられた課題を丁寧にといてゆく。
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重苦しい油彩表現に変化が見えてゆく。
中でも椿、猫を描いた小品がいい。

千葉での日々、椿は家族の絵を描く楽しみを持った。
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特に孫を描いた絵がとてもいい。
小さい女の子がそれより小さい男の子をおんぶする。
劉生とは違う画風が活きている。

椿は劉生を凌ごうとしたわけではない。
若くして死んだ師匠の言葉を教えを守り、考え、実行し、やがてここへ来たのだ。

晩年の穏やかな絵、そしてスイカを食べる幼女たち。
実際この展覧会の後、千葉産のスイカを買って帰って宿で食べたのだ。
そそられた、と言っていい。
良いものを見た。
7/30まで。


同時開催の千葉ゆかりの美術もいい。
無縁寺心澄 時計台  久しぶりに見た、何年振りか。とても個性の際立つ画家の仕事。

田中一村 椿図屏風  金屏風に散り椿、紅椿が咲き乱れる。椿に取り込まれたくなるような。

東山魁夷 深秋  山の紅葉が薄く広がってゆく。

多くの画家が千葉にいたことを想う。



「命短し恋せよ乙女」 ―マツオヒロミ×大正恋愛事件簿―

弥生美術館の「命短し恋せよ乙女」―マツオヒロミ×大正恋愛事件簿―展はたいへん面白い企画だと思う。
これまで恋愛を主軸にした展覧会は案外なかったようで、しかもこれはようよう女性の自立が形に見え始めた大正時代に焦点を絞ったのがうまい。
(明治だと花井お梅、高橋お傳、昭和初期だと阿部定を欠くわけにはいかないので、大正で良かった)
個別のラブアフェアの紹介と、現在のイラストレーターでこの時代を優美に描くマツオヒロミさんの作品が折々に現れるのもいい。
列伝形式で展示が続く。
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・平塚らいてう 
「原始女性は太陽であつた」という言葉や「若きツバメ」という言葉は今でも知られているが、この展覧会でらいてうの起こした<事件>や行動や考え、そしてその生涯を知った人も多いと思う。
わたしなども「青鞜社」の創立者で、がんばって生きた女性と言う程度しか知らなかったが、この展示で平塚らいてうという女性がますますかっこよく思えた。
若い頃に漱石の弟子・森田草平と心中未遂事件を起こすが、別にそれは恋愛事情からのものではなく、実験的精神からの行為だったようで、またそれを彼女の父親が理解していたというのがまず凄い。何かとんでもないことを仕出かす・やりかねんということを感じていたのだろうなあ。
今も昔もマスゴミは変わらないから面白おかしく書き立てるが、本人は平気だった(少なくともそうであろうとしていた)のがまずいい。
そして森田の師匠の漱石がやっぱり古い価値観の男だけに、森田に彼女にプロポーズせよと指示し、それをらいてうが激怒したのがとてもいい。
悩める近代人の自我について漱石先生も多くの作品を書き、藤尾や美禰子のような女性を描いたものの、らいてうのような女性は理解の範疇に到底おさまりきれなかったのだろうなあ。
それがまた面白くもある。
らいてうは自由恋愛を標榜し、年下の奥村博史と知り合い、愛し合うようになるが、双方の友人らが反対してこの恋愛を阻止しようと動く。
しかしそれでも二人は自分の意志を貫き、生涯を愛し合って過ごす。
とても素敵だ。
その奥村は宝飾デザイナーで戦後には素敵な本「わたくしの指環」を刊行している。
現物も5つあるが、いずれもレトロで優雅なもの。
長い間二人は戸籍を一にしなかったが、息子が招集されたとき不利にならないようにとの配慮から、初めて奥村姓に入る。
女性の地位向上にも懸命に動いたらいてうだが、意外にも本人はとても内気ではにかみ屋で、とイメージとは別な人格が表出している。
孫の精神学者の人が言うには「自己表出障害」らしい。
だが、わかる気もする。
派手派手しく闘争するのは書き物など思想の部分であり、その反動のように内向的な性質がある人は少なくない・・・
奥村が彼女について書いた一文がとても素敵だった。
50年後ブルネットがシルバーになったとき、手触りがシルクから絖になったと称えている。
高村光太郎が智恵子を称えるのと同じくらい素敵だ。
写真を見ると大正の頃はルバシカを着ている。ヌードデッサンも近代的でいい。
いい男を得たなあ、らいてうは。
とてもうらやましく、そしてヒトのことながら嬉しくなった。

・与謝野晶子 
堺市には「さかい利晶の杜」という大々的な文化施設がある。利は利休の利、晶は晶子の晶で、二人の資料の常設展示がある。
以前に行った時の様子はこちら

晶子の出した本がたくさん並び、晶子の遺品も多く残る。
さてこの晶子はご存知のように情熱的に生きた人だが、ここでは山川登美子との友情+嫉妬の三角関係が紹介されている。鉄幹をめぐる複雑な心模様である。
わたしはこの三人の関係は子供の頃に読んだ里中満智子「晶子恋歌」で知った。
一度しか読んでいないものの非常に印象的な作品で、今も忘れない。
今回展示で三人の関係性を読み進めると、マンガが大変忠実にその状況を、晶子の心情を描いていることを知った。
里中さんは1970年代半ばころ、既に少女向けでなく大人向けの作品も手掛けていた。
もともと大阪出身の女性であり、より力が入ったのではないか、とも思う。

佐藤春夫「晶子曼荼羅」が出ていた。
石井柏亭の画もいい。後年の文学全集では森田曠平が挿絵を担当している。
どちらも挿絵・口絵の達者でもある。
いつか柏亭の挿絵展もここで開催してほしい。彼には「大菩薩峠」がある。
そういえば森田は「夢源氏剣祭文」が絶筆になった・・・

・夢二とお葉
このカップルは弥生美術館のもう一つの柱・夢二美術館の主役なので、資料はそれこそてんこもりだが、それよりなによりここではマツオヒロミさんのイラストが主役となっている。
この二人を描いたマンガや映画はいくつかある。
まだ綺麗だった頃の沢田研二主演の「夢二」、上村一夫「菊坂ホテル」、倉科遼xケン月影のマンガもある。
その中で一番おかしかったのはやっぱり上村一夫で、夢二は踏みちゃこにされている。お葉は多情も多情だが、不二彦への親切さなどは読んでいても感じが良かった。
実際お葉さんは優しい女性で、不二彦を可愛がっていたそうだ。

・山田順子x夢二、徳田秋聲
ヤマダ・ユキコと読む。写真を見る限りは儚げな面影を見せるが、なかなか野心的な女性で、才能よりもバイタリティが圧巻だと思う。
順子「審判の彼方へ」の挿絵が出ていた。江島武夫という画家の絵でアールヌーヴォー風なところもあるが、わたしはこのヒトを知らない。
偶然今放映中の「悦ちゃん」の初代の映画の主役を演じた江島瑠美の父だという。
(今調べると魅力的な絵が出てきた。「さし絵のサイン」さんのサイトである)

秋聲は研究者の亀井麻美さんがツイッターで詳しいことを紹介されているが、実はわたしはあまり秋聲に関心がなくて、ほぼ作品を知らない。タイトルくらいか。
亀井さんには申し訳ないが、鏡花宗の門徒としてはまあええかーということで。

・柳原白蓮
そういえば近年この方の展覧会がけっこう開催されている。
先年この弥生美術館で村岡花子の展覧会が開催されたときも白蓮の展示はなかなか多かった。当時の感想はこちら

ここでわたしは花子より白蓮がずっと好ましく思うことを記している。
そして2008年には「白蓮の時代」展を見て、色々書き述べているが、今回の展示でも同じことを思ったので、一貫して白蓮に対しわたしは好意を懐いているのを悟る。
当時の感想はこちら

絵封筒が多用されていて、その大部分が夢二の作品だというのがいい。
夢二はむしろ美人画よりデザインや童画が優れているように思う。久しぶりに「指蔓外道」も見た。

・藤原義江
やっぱりとてもハンサムである。
暮らしていた帝国ホテル(フランク・ロイド・ライト設計の)での一枚の写真がとても綺麗だ。
彼の生涯については古川薫の「漂泊者のアリア」に詳しい。
この作品が出たのが1990年だと知って当時を知る身としては「えーっ」だが。
わたしは戸板康二「ぜいたく列伝」で義江の「贅沢」を知り、素敵だと思った。
かれは戸板が書くところによれば精力絶倫だったそうで(以下略)。
ここでは藤原あきとの関わりが紹介されていた。
あきの側からの視点での話は初めてだった。そうなると見え方が変わるのが面白くもある。

・北原白秋x松下俊子、江口章子
詩人としてはまことに素晴らしい。奔放でも別にいいが、どうもこれはアカンやろなことが多すぎる。十年ほど前に柳川へ行った時、記念館では郷土の名士として称えられているが、それだけに例の「姦通事件」はなかった扱いだった。
無論ここではそれが採り上げられている。
なにしろ「大正恋愛事件簿」なのだし。

・田村俊子x長沼智恵子、田村松魚、鈴木悦
田村俊子の話はチラリとは知っていたが、詳しいことはあまり知らなかった。
すごいな、このヒトはバイなのか。しかもとてもアグレッシブでありながら執着はしないというのがかっこいい。かっこいいが…変わった人やなあ。
「小さん金五郎」「八百屋お七」といった情痴もののほか「あきらめ」という作品が出ていた。これは野田九甫の挿絵でなかなか素敵だ。
先の二つは夢二の装幀。

ほかにも原阿佐緒x石原純、島崎藤村と姪、松井須磨子x島村抱月…
様々な恋愛事件が続く。
松井須磨子のサロメの写真があった。とても魅力的だ。
奇術の松旭斎天勝のサロメともども、たまらなくいい。

・挿絵と共に読む大正から昭和初期の恋愛小説
岡田三郎「壊れた殿堂」須藤重  けっこう色っぽい絵で、いつもの抒情画を知るだけに意外な感じがある。

加藤武雄「珠を抛つ」蕗谷虹児  虹児の大人向けの挿絵を見て初めて気づいたのだが、レディスマンガで活躍する魔木子、彼女の絵は蕗谷虹児に似ている。
丁寧で清楚な絵でありながら淫靡で。
この物語はなかなか波乱に富んでいて、身分違いの不幸と現実の妥協などが描かれていて、言いたいことはいくつかあるが、面白そうなのは確かだった。

他に吉井勇の著書がたくさん並ぶ。情痴小説の数々。それらの装幀は夢二であり、普段は夢二美術館で見るものばかり。ここで会えるのも嬉しい。

・有島武郎x波多野秋子 
有島と与謝野晶子のプラトニックラブについては映画やマンガなどでも描かれている。同じアキコでもこちらのは記者で肉食系で、しかも亭主持ち。
この状況で有島は姦通罪で訴えられそうになっていた。
有島武郎は好男子で紳士で、と評判が高い男性だった。
弟の里見弴も女にモテたが、有島は真面目な分たいへんだったろう。
結局軽井沢の別荘で情死するしかなかった。

わたしが有島武雄の遺書を知ったのは中学の頃に熱中していたたがみよしひさ「軽井沢シンドローム」からだった。
自殺志願の若い女をそれと気づいた主人公・耕平が、軽井沢の名所あちこちを楽しく連れまわす。
彼女は笑いながら脳裏に有島の遺書を浮かび上がらせている。
「森厳だとか悲壮だとか言えば言える光景だが実際私達は、戯れつつある二人の小児に等しい。 愛の前に死がかくまで無力なものだとはこの瞬間まで思はなかった。おそらく私達の死骸は腐乱して発見されるだろう」
たがみよしひさの作風から、読者はそこに情交の様子を想像することになる。絵と相まって、情死するまでの時間、抱き合う二人の様子がたがみよしひさの絵で脳内再現されていた。

しかし当然ながらその最後の一文がある。マンガで見た限りはある種のロマンチックさを感じたが、現実にはそれはとんでもない状況だった。
実弟の里見弴はこのことに対したいへん憤っていた。

それにしても有島武郎という人はモテたのはいいが、女だけでなく男からも迫られ、受け入れ、後悔しつつ、やがて死を以て清算しようとして、函館の時は失敗し、軽井沢でとうとう死に捕まってしまったのだった…

・澤モリノx石井漠
これは恋愛ではなく同志愛もしくは友愛からの顛末である。浅草オペラが凋落し、石井漠はバレエに邁進したが、相棒の澤はまだ栄光の時代を忘れられず、愛人の軽い唆しに乗って朝鮮へ行ってしまい、まさかの客死。しかもその遺体は宿屋に打ち捨てられたまま。情夫はとんずら。
数年後公演で朝鮮に来た石井漠はかつての相棒の骨を探す内、偶然それを発見。
持ち帰り、きちんと供養し、彼女がいたことを後世に伝える。
石井漠はとても立派で優しい相棒なのだった。

澤のシェヘラザードのドレス姿とか、いい写真がある。王女メロもいい。
手彩色の写真。オリエンタリズムが魅力的。
石井漠はダンサーとして最高だったが、人としてもいいなあ。

・岡田嘉子x竹内良一、杉本良吉
1937年に国境を越えてソ連へ逃亡した岡田嘉子の話はごく小さい頃から知っていたが、本当に遠い話だった。
それがあれは1989年か、一緒にソ連へ逃げた杉本良吉が1938年にソ連により銃殺されていたニュースが初めて明らかになり、当時みんなびっくりした。
わたしも思わず新聞記事を切り抜いたほどだった。
今回知ったことと言えば、岡田嘉子が奔放なことと放浪癖があることなどだったか。オランダ系の血が入っていることもあり、とても美人だった。
多情が身を滅ぼしかけていたようにも思えた。
政治に翻弄されたのも結局そこに遠因があるようにも思われてくる。
しかしそれでも彼女は晩年、自分の思った通りに生きたようで、それはとても良いと思った。

最後にマツオヒロミさんの絵がいくつも紹介されていたが、中でも素晴らしく魅力的なのは「椿の間」という作品だった。
椿の絵の壁面を背景に、軍帽・アイパッチ・振袖・ピンヒールの令嬢が豊かに腰かける。
左右に、揃いの黒の中国服にサングラスの屈強そうな男らを従え(一人だけやや細身の美男そうなのも)、手には鞭、足元には猛虎をはべらせる。


1980年代の耽美派マンガを思い起こさせてくれた。
1920―30年代と1980年代初頭から半ばは不思議に近い関係性を持っている。
そしてマツオヒロミさんは2010年代にそのどちらとも縁をつなげてくれた。
今後の活躍をとても期待している。


華宵のコーナーでは水辺の美少年・美少女の特集があった。
時代物の「我勝てり」「川端で」「乱刃の巷」の少年侍が麗姿を見せている。
貧しい少年工の絵もある。
「水天彷佛」小舟が荒波にもまれている。そこにのる二人の少年の必死さがいい。
「月下の稚児が淵」剣道少年と少女がそちらへ向かおうとする。少年より少女の方が活発。

海で遊ぶ人々の絵のうち、水着姿もあるが、シマウマだけでなくスクスイふうなのもあるのが面白い。

連載小説「藝南幽鬼洞」もまた水辺とは縁が深い。下帯一つの少年の躍動する肉体が魅力的に描かれる。柱に捕まったり、水牢にいたり…釣りもしている。

最後に人魚の絵が五点並んでいた。中にはローレライも含まれている。
妖艶な人魚たち、凛々しい少年たちにときめいた。


夢二美術館では夢二の描く女たちの眼の分析と分類があった。
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三白眼、黒目がち、細い目。
これが夢二美人の特徴である。
なるほど確かに。細い目は浮世絵から、黒目がちは最初の妻・他万喜から。
こういう観点から見てゆくのも面白い。

童画もたくさんある。
子どもの頃の妄想を大切にし、それを絵にしている。
村々を訪ねては去ってゆく巡礼者、行商人などの旅人に夢二は恐怖の妄想を見出す。

傀儡師は子供らを攫って箱に詰めて人形に仕立て上げ、人形にされた子供らは糸の付いた手足を動かされて、歌や三味線に合わせて踊る。
面白くもないのに笑い、泣きたいのに泣けない人形…
そんな妄想が培われるのは決まって孤独な子どもだ。
久世光彦もその妄想を晩年まで大切にした。

夢二はそれを絵にする。
路地で遊ぶ子供らの様子を陰からのぞく人買いの男…




毎回本当に面白い展覧会をありがとう、弥生美術館。
9月末まで。

「川端龍子 超ド級の日本画」展 前期の感想

今日は「川端龍子 超ド級の日本画」展、昨日までの前期の感想。
西馬込の龍子記念館ではなく山種美術館での展覧会。
なので恵比寿へ暑い最中にてくてく・・・

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チラシ表がまずスゴい。
上に「草の実」中に「RYUSHI」下に「金閣炎上」。
山下裕二さんのアオリがある。
「龍子は、常に日本画の"常識"を突破しようとしていた。そして、超ド級の"会場芸術"を次々と産み出していった。
そんな龍子の存在を今こそ問い直すべきだと思う。」

そう、龍子は会場芸術を標榜し、本当に大きい絵を描いた。
記念館はその大きな作品をのびのびと展示させるために龍子自らが設計したもの。
屏風絵などは視線は←この方向へ移動するが、龍子の絵も同じ方式を採る。
だから巨大な絵も←に見てゆくが、龍子のそれはあまりに大きくて6つくらいみて、ハッとなったら一回りしていた、ということが多い。
なのであの地下に龍子の絵を・・・と余計な心配をした。
地下鉄にどうやって車両を入れるねんという懐かしい漫才を思い出したり。

というわけで階段を降りていったのです。
龍子の若い頃からの作品が集まっているのもいい感じ。

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1.龍子誕生ー洋画、挿絵、そして日本画

狗子 円山派風なわんこ。三匹いて構図も円山派風。首の後ろが富士山みたいな柄のわんこ、白、斑の三匹で、目が小さいのも可愛い。まだ修行中だからこれは粉本を?

風景(平等院) 1911 嵐かな、屋根の辺りに木々がばっさばっさ。
こういうところに迫力をちらりと感じる。

女神 油彩 珍しく油彩でどうやらトヨタマヒメを描いているらしい。青木繁の描いた「わだつみのいろこのみや」のトヨタマヒメ。
壷を掲げる女、ピンクと緑の衣装、お魚が背後に泳ぐ・・・
小杉放庵も描いていたが、この時代の神話への懐古は魅力的な作品を多く生みだしてもいる。

慈悲光礼賛(朝・夕) 1918 朝も夕もどちらも力強い。特に夕の牛の良さ。真っ向からの牛。

花と鉋屑 1920 蓮が咲く地に鉋屑。何か宗教的な想いが込められているのだろうか。
いや、大正期独特の意識の流れの中での作品なのか。

火生 1921 ああ、これ来たか!一見したところ不動に思える、全裸の男性が林の中で座る図。
草花が彼にまといつく。赤い肌の力強さ。首に白玉、片手に剣。
しかしこれはヤマトタケルだという。そうか、するとあの剣は倶利伽羅ではなく草薙剣だったのか。
とはいえ、ダブルイメージがあるのかもしれない。
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角突之図(越後二十村行事) 1922 絵巻風に続く越後の闘牛。強そうな牛がのっしのっしと茅葺きの小屋から出てくる。
これを見ると「新八犬伝」の小文吾が関わったエピソードを思い出す。
この行事は江戸時代既に有名だったことがわかる。

龍子は挿絵やルポの仕事もしたので、その辺りの良い作品も紹介されている。 
国民新聞では相撲の取り組みを描いている。
当時は写真を掲載するよりうまい絵師に取り組みの絵を描かせる方がよかった。
なので国民新聞では龍子の相撲絵があったが、別な新聞社では挿絵の大家・鰭崎英朋が担当し、たいへんな人気を誇った。
ちょっと思い出したが、弥生美術館で随分前に「みんなのアイドルおすもうさん」展があったが、もしかするとその時龍子の絵も出ていたかもしれない。わたしは英朋の絵ばかり覚えているのだが。

漫画東京日記 1911 戯画風に東京の人々の様子が捉えられている。ビールがはやるようになって、ビア樽が自転車で走ってたり。

大和めぐり 1915 鹿の絵あれこれ

日本少年 1915.14号 表紙絵 雪玉を拵える少年を描く。
随分前に切手にもなったと思うが、この「日本少年」で龍子が描いた口絵は素晴らしく、他にも有本芳水の詩の挿絵も良かったことを思い出す。

第一日 1916 左に満月、松の影、小さな家の勝手口には白犬。
ノスタルジックな良さがいい。

奈良にて 1915 鹿せんべをやる人と取り巻く鹿たち。今も昔も変わらない光景。

花鳥双六(「少女の友」付録) 1917 これは可愛い。前も龍子の「ともこの冒険」双六をここで紹介したが、これもとても愛らしい。
バラのアーチが振り出しで、楕円型のコマには様々な花と鳥が描かれる。可愛いなあ。
少女たちは大事にしていたに違いなく、だからこうして百年後の今も残された。

龍子のこうした仕事を山種美術館は評価し、ジャーナリスティックさが身に付いたとして後の作品にも活かされたとする。
挿絵ファン、大衆芸術ファンとして、わたしはそのことを嬉しく思った。

2.青龍社とともに ―「会場芸術」と大衆―
いよいよ龍子の「会場芸術」が始まる。
この言葉も「印象派」と同じで言うた側にはイケズな気持ちがあったが、言われた側はヨシ、それを旗印にしよやないか、という強い気概を持つことになった。

1920年の集合写真を見る。16人で旅行をしている。
大智勝観、大観、宗匠風な平櫛田中、山村耕花、荒木寛方、北野恒富、小杉放菴、長野草風、前田青邨らがいる。
三人のみ洋装であとは和装。龍子は洋装。

鳴門 1929 なんと3.6kgもの群青を支度して臨んだ作品らしい。
「鳴門」といえばここには土牛の名画があるが、あれは緑茶色、こちらは波濤を描いて群青。群青中毒と言えばここには御舟の絵があるが、大作を一つ描く為のこの量。
びっくりするなあ・・・

請雨曼陀羅 1929 これを最初にみたときびっくりした。干からびた上に立つサギのくちばしには小魚、それが太陽に向かう。サギの顔は怖く、干からびた地といい、呪詛かと思ったほどだ。

真珠 1931 これは撮影可能な作品だった。
真珠採りの海女らしき女たちが豊かな肢体をのびやかにさらす。



草の実 1931  チラシの上のあれね。紺紙一切経の見返しからの発想らしいが、なるほどなと。
龍子には深いところで神仏への崇拝の念がある。
チラシは左部分だが、右もまたいい。
これは通期展示なので明日からの後期展示を見る人はじっくりと眺めるがよいよ。

黒潮 1932  出た、トビウオ!波間から飛び出し飛ぶ飛ぶトビウオ!七匹のトビウオがとても元気。
わたしはこれを見ると「お造りで食べたことあるが美味しかったな」という感想が浮かぶのだが、鱗と言い羽と言いピカピカ。ええのう。
いぬいとみこ「とびうおのぼうやはびょうきです」と違い、ここの海は清浄なのだ。

龍巻 1933  縦長の画面いっぱいに、まるで海遊館の筒型の海のように、様々な魚類が。
サメ、エイ、イカ、クラゲ、タチウオ・・・みんなもう本当にイキイキ。
竜巻に巻き込まれてたいへんなんやけど、生命力あふれてるから、そんなじゃ死なない。力強いよなあ。
どういうわけかこの絵を見るといつも上野リチが都ホテルだったか、あそこに当てた壁紙、あれにこの絵も使えるような気がしてならないのだった。
つまり、タブローとしてだけでなく、工業用デザインにもなるような気が。
それも一般的な所じゃ無論ダメね。やっぱり大ホテルで。

羽衣 1935  ミクロネシアのヤップ島の現地の若い娘さんを描いた作品。
腰蓑1つで豊かな胸も露わに元気よく踊る。美人で勢いがあっていい。
そして「羽衣」と名付けた龍子がいい。

今回は見受けられないが、記念館では作品ごとに龍子本人の自作解説やコラムなどがあり、それがけっこう面白い。
それにしても絵描きに文才のある人が多いのは何故だろう。
洋画日本画とわず。

鶴鼎図 1935  三羽の鶴を鼎と表現するのはいいな。首が灰色の丹頂鶴。

花の袖 1936  白い花菖蒲集合!これは七宝焼にしたくなるような作品。
工芸的な美を感じた。

香炉峰 1939  タイトルだけ見ればそれこそ清少納言が御簾を持ち上げてというようなのを想像するが、さにあらず。
その地を飛ぶ戦闘機を半ばスケルトンで描く。スゴイ発想やなあ。
こういうところが龍子の魅力というかなんというか。面白味というのがいいか。

爆弾散華 1945  空襲でもろに爆撃を受けて野菜ふっ飛ぶの図。
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最初にこの絵を見たのは記念館で先にアトリエ拝見し、そこにある池の説明を受けた後。
アトリエ写真はこちら

終戦二日前に爆撃され、大きな穴が開き、水がたまって池になった。
酔狂なのかやけくそなのか龍子先生「爆弾散華の池」と命名す。
野菜が宙に舞う景色というのはなんだかたまらんぜ。

百子図 1949  これは童画ではないのだが、童画や抒情画を描いていたからこその名画だと言える。
子供らの幸せさが全体にあふれる。インド象インディラちゃんが来てくれて大喜びの子どもたち。ゾウさんはみんなの人気者。
わたしもゾウさん大好き。
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花下独酌 1960  河童である。アテもちゃんとある。龍子は河童も大好きで、記念館では河童絵だけの展覧会も行えたほどだ。
河童が好きなヒトは少なくない。小川芋銭ゆずりの河童。

夢 1951  最初にこの絵を見たときの衝撃はあまりに大きかった。
棺から奥州藤原家のミイラが顔を見せる。そこから無数の蝶や蛾が飛びだす。
わたしにとって、全ての近代日本画のベスト10の上位に入る一作。
今回数年ぶりに相対出来たのはまことに喜ばしいことだった。
わたしはこの絵をみて、それから奥州平泉へ行き、金色堂へ向かったのだ。
宝物館で秀衡公の枕の沈み具合を見たとき、この絵が思い浮かんだ。
750年余の眠りを支えた枕なのだ。
絵には枕はないが、見えない中に枕があり、金箔で覆われた棺の内部は歳月を止め、蓋を開かれたことで750年余の夢と共に、蝶が一斉に羽化したのだ。
龍子は当時のニュースに触れ、インスピレーションがわき、それを絵にした。
それから更に数十年後、わたしはこの絵に打たれ、今もときめき続けている。
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白堊と群青 1962  ブッダガヤ近くの邸宅。そこに孔雀が止まっている。野良孔雀はシンガポールでも見たが、やっぱりインドにもいたか。二羽の雄と一羽の雌と。
トルコブルーの空。白い建物。窓枠だけが赤い。色彩がとても鮮烈。

さて龍子の親しみやすさを知ろう。
3.龍子の素顔 ―もう一つの本質―
身近な者へのやさしさ。
孫のためにおじいちゃん龍子は絵を描く。それが孫への愛情なのだ。

短冊に俳句を綴る。
「ホトトギス」の同人でもあり、雑誌表紙絵も長く続けた。
一句のみ写す。
面映ゆく 恩賜の蘭花 胸に佩び
叙勲の日の喜びを表現した句。素直な心が出ていていいなあ。

長らく色々あって縁遠くなっていた大観と再び縁がつながる。
松竹梅を大観・玉堂・龍子の三人で描き分ける連作シリーズ。
写真もある。龍子やっぱり洋装である。後の二人は和服でみんなニコニコ。

最後に龍子の描く十一面観音像が現れた。
かれはアトリエに持仏堂も拵えていて、それを絵にしている。実際の仏像は現在東博に寄託中だそうだ。
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この画像は6/11までの龍子記念館「仏と画業」展チラシから。
表には可愛らしいセイタカ・コンガラと不動の親方がいる図だった。

明日25日からは後期展示。
「金閣炎上」が現れる。
その迫力をぜひとも味わってほしい。

日中のかけはし 愛新覚羅溥傑家の軌跡

既に終了したが、関学博物館で愛新覚羅家の展覧会が開催されていた。
前回の展示もよかったが、今回はさらに資料がいい。
前回の感想はこちら
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初めに1935年に愛新覚羅溥儀が満州国皇帝として来日する映像が流れる。キネマニュースの製作である。
4/2.新京を発つ。巨大な建物を背景に列車で途中までゆく。
お召艦「比叡」に乗船。「八重の潮路はるかに」4/6横浜入港。
(ここで「八重の潮路」という古語が使われることにも注意を向ける。)
東京駅まで昭和天皇が出迎える。
「康徳帝」というのが満州国皇帝溥儀の名称である。
馬車で赤坂離宮、そして代々木の練兵場へ。
馬車では天皇と皇帝とが並んでいた。

色々と興味深い映像だった。

さて前回の展覧会でも書いたが、政略結婚ではあったが、皇弟・溥傑氏と嵯峨浩さんとはたいへん仲良しのご夫婦だった。
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稲毛での新婚生活のスナップ。
幸せそうなお二人である。

生まれた子供さんらにもたいへん優しいパパだというのが資料からもうかがえる。
だが平穏な生活は望めない。

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今回の写真資料ではいくつか綺麗なものがあった。
チラシの軍人会館での集合写真は華族らしくおすべらかしだが満州族らしい両把頭にチャイナドレスの浩さんの写真があった。
とても綺麗だった。
もともと美人の方だが一層華やかでよかった。

それから浩さんの弟の結婚式に出席する慧生・嫮生姉妹のドレス姿もいい。
姉は清朝に代々伝わるルビーの指輪を・妹は祖父より賜った真珠の首飾りを付けている。

激動の半生を送ることを余儀なくされたご一家の、ほんのわずかな華麗で優雅なひと時の写真である。

「流転の王妃」として非常な困難の中、ようやく日本へ落ちのびた浩さんは実家の支援で娘たちとの生活を始めるが、夫の消息は依然不明のままだった。
やがて溥傑さんが中国の戦犯管理所にいることがわかり、周恩来にむけて秘かに慧生さんが父との文通を許されるように訴えかける。

今回の展示ではご一家の書簡がかなりたくさん出ていた。
離れ離れの頃、北京に夫婦が住まい、娘が兵庫県に日本人として住まうようになった頃のものなどなど…
能書家の溥傑氏の書は飾り物としても大事にされている。
その中で1961年に浩さんから溥傑氏へ送った便箋が目を惹いた。
京都のさくら井屋のもので後姿の舞妓の絵が描かれたものである。その帯には幾枚もの歌舞伎役者の押し隈が描かれている。
手の込んだ可愛い便箋だった。

晩年の穏やかなくらしのスナップ写真もたくさんあった。
浩さんは相変わらず美人だが、溥傑氏を残して亡くなる。
一人になった溥傑氏は大きな茶色い猫を抱っこしていた。
猫は溥傑氏の淋しさをなぐさめてくれたろう…

外的資料として「満州ツーリズム」に関するものがいくつもあった。
これは別に愛新覚羅家から寄贈されたものではないのかもしれないが、貴重な資料なのに変わりはない。
1934年に講談社から刊行の「温泉・海水・登山・名所 全国旅行案内地図 附・満州国」この地図はかなり細かなものだった。
畿内から台湾、朝鮮、満州までが出ている。

吉田初三郎の鳥瞰図もある。大連の星が浦。例によって遠方には遥かな地が描かれている。
樺太が右にある。門司から大連港、海水浴場、ヤマトホテル、旅順、対岸には哈爾濱、モスコォ、ベルリン、ロンドン。
駅周辺は東京の田園調布のような放射線状を見せた区割りである。

千山の鳥瞰図もある。
山中に点在する寺院がいい。おお、無量観もある。
「狼の星座」「龍 RON」を思い出す。
温泉も大きい。

絵はがきもある。展示は数点だが映像では全32シーンが見れた。
満州国首都 大新京32景(高級原色版)である。
電話局がいかにもその時代の電話局なのがわたしには面白い。

観光バス、満州の土産物案内、時刻表…
時刻表には特急あじあ号のほか、急行のぞみ、ひかり(朝鮮)、ひかり、はと(満鉄)なども記されていた。

旅行スタンプもたくさんある。
そう、満州へは行きやすかったのだ。
1円は今の2000円ほど。
それから考えてもべらぼうなこともない。

今回はこうした資料も見れてとても興味深い内容だった。

図録を購入したところ、嫮生さんのご厚意により、愛新覚羅家で栽培されていた朝顔の種や絵はがきセットをいただいた。
ありがとうございました。

またいつかこのシリーズが続くことを期待している。

細川護立と近代の画家たちー横山大観から梅原龍三郎まで  前期

昨日は野間、今日は細川。
永青文庫へ近代日本画を見に行きましたよ。

前後期に分けて総入れ替えというスペシャルな展覧会。
それが出来るほどの近代日本画コレクションがあるのです、細川さんには。

「細川護立と近代の画家たちー横山大観から梅原龍三郎まで」
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☆日本近代美術を支えたコレクター・細川護立
時は明治後期、学習院の仲良したちが寄って同人誌を拵えたのが何もかもの始まり。
華族、士族のぼんぼんたちが西洋美術を紹介する「白樺」を発行したのは、本当に快挙だった。
その辺りの詳しい話は里見弴が熱心に記している。

さてその著書にもしばしば登場するのが同じ学習院仲間で大パトロン・細川護立さんだった。
細川さんは自分では絵を描いたり小説を書いたりはしないが、鷹揚な殿様気質でみんなのためにおカネを使った。
中世の欧州の貴族と同じく、芸術家を庇護するのは貴族のつとめという意識が活きた人で、学生時分から晩年に至るまで、芸術家の生活が成り立つように心を配り、おカネを使った。立派な方である。
そうした関係から多くの絵が集まった。

平福百穂 豫譲 6曲1双 大正 6年(1917) この屏風から始まる。
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1997年2月末、今は亡き奈良そごう美術館で平幅百穂展があり、その時のチラシがやはりこれ。
よじょう。落語にもなってるから知ってる人もいてるだろう。
旧主の仇を討とうとして果たせず、ついに豫譲は敵の衣を刺すというあれ。
絵は将に敵の前に飛び出す豫譲。馬車が凄い勢いでそれに対応する。
迫力のある絵。それを黄色い背景一本で収めて、人物の様子・心情を際立たせる。

菱田春草 平重盛 1幅 明治27年(1894)頃  昔から日本では清盛は大悪人、息子・重盛は篤実な善人と相場が決まっている。
「日本一の大天狗」(そう罵ったのは頼朝だが)こと後白河法皇を幽閉した父をいさめに駆けつける重盛の牛車。絵巻風な描き方なのがまた好ましい。

木村武山 祗王祗女 1幅 明治41年(1908)  その清盛に寵愛されながらも捨てられた祇王が妹・祇女や母と共に草庵を結ぶ。わびしい秋の野にしょんぼりと立つ尼の像。

今村紫紅 三蔵・悟空・八戒 1幅 大正2年(1913) 右から悟空が筋斗雲に乗って左へ飛んでゆく。中央、三蔵法師と白馬などがどこか頼りなげに佇む。
左はどこかの岩に座り込む豚と言うよりぺろんとした猪顔の八戒が座る。
飛ぶ・立つ・座るの三者の位置が右から左へ向かって下がってゆくのも面白い。

細川さんは別邸も画家たちに飾ってもらおうとする。
赤倉温泉に別邸があり、そこの板戸に絵を描いてもらうことを思いついた細川さんは、競作を頼んだ。今回四面のうち二面が来ていたが、それは「鳥づくし」の板戸。
右下から左上へぐるりと、大智勝観、横山大観、田中青坪、荒井寛方、堅山南風。
サギ、ミミズク、スズメなどなど。

今も続く「歌会始」に関わる作品もここにあった。
その年の勅題を絵画化した連作物。いずれも大観の手による。
贈られて細川さんは喜んだ。そしてその年届かないと「あれは?」と尋ね、大観先生「あ、忘れてた。お持ちしますね」という風に必ず届いたそうな。

旭光照波 1幅 大正11年(1922)  一面の青空に金の光が差し込みリズミカルな文様を拵えている。
山色新 1幅 昭和3年(1928)  白い富士山と手前の黒い松林の対比がいい。
田家雪 1幅 昭和12年(1937)  山並みの連なるその下に民家が。
神苑朝 1幅 昭和13年(1938)  お伊勢さんを描く。鳥居と白砂青松。

大観は大仰な作品より、抒情性あふれる小品が素晴らしく、細川さんだけでなく、大倉男爵のところにある松シリーズの小品がこれまた優しく素晴らしいのであった。
むしろ現在、大観をちょっと侮る人はこれらの小品の良さを知るべきかもしれない。

ところでこれらの絵はガラスに畳の展示ケースに飾られているのだが、その下には細川家が代々使ってきた大きな長持ちが全部で11あった。数え方を知らないので数だけ挙げる。棹でいいのだろうか。


☆細川護立と画家たちの物語
多くの画家たちとの交流がある。

前掲の赤倉温泉別邸の来訪者芳名帳がある。 9冊のうち3冊 大正~昭和期
サインだけでなく絵描きは絵を残す。大智は桔梗を描き、青坪は田舎風景、南風は栗。
また細川さんは軽井沢にも別邸を持ち、そちらのノートは「孤雲帖」と称した。
跡部白鳥も筆跡を残している。

中村岳陵の作品も集まっている。
山つくし川つくし 1巻 昭和2年(1927) 巻替え  山へ柴刈りに行った・泳ぐ河童などなど。岳陵で「泳ぐ」と言えば静岡県美の「婉膩水韻」を思い出す。

1960年、岳陵は四天王寺の金堂壁画を制作したが、その際に細川さんが特に気に入った絵の顔部分のみ拡大して再度制作する、ということをした。
初転法輪之世尊 1面 昭和35年(1960)  ブッダになって最初の時。優しいお顔。
摩耶夫人 1面 昭和35年(1960)  顔と脇を挙げた夫人。とても美人。
後期には「魔女」も現れる。
わたしが四天王寺金堂壁画の現物を見たのは2003年だった。
あのとき釈尊一代記の綺麗な絵に随分ときめき、やがて朝日新聞社刊の岳陵画集を手に入れたときは嬉しかった。
岳陵の展覧会自体は大丸心斎橋で見ていたが、その時にはこれらは出なかったのだ。

そして岳陵から細川さんあての手紙が紹介されていた。
昭和35年(1960)8月13日 文の隙間に四天王寺の塔の絵が描いてあるのがいい。

鏑木清方 抱一上人 3面 明治42年(1909)  まだまだ古風な様子がある。左右に美人をはべらす抱一上人。三味線を弾いているが、女たちは筆の用意をしたりと甲斐甲斐しい。

この絵の額装についての手紙があった。
鏑木清方 新美辰馬宛書簡 1通 (年不明)9月2日  当時は高貴な方へ直接どうのこうのと話を持っていくことはなく、家宰に連絡をするのが常だった。
清方は非常に細かな指示を記している。

こちらは家宰あてではなく、調べものの手紙。
平福百穂 小場恒吉宛書簡 1通 大正6年(1917)8月20日  冒頭の「豫譲」の絵についての話である。
豫譲のかぶる帽子は「一対帽」というものだそうで、それについての細かい問い合わせである。
横山光輝の「殷周伝説」「項羽と劉邦」などにもこの帽子の官吏たちが現れる。
大概宦官がかぶってたように思う。ちょっと調べることはわたしには出来ない。
平福程の人が専門家に問い合わせているのだものなあ。

安井曾太郎 連雲の町 1面 昭和19年(1944)  イタリア風だなと思ったらやっぱり解説にもイタリア風なとある。江蘇省にあるそうな。安井が描く大陸の風景はとても好ましい。今回は出ないようだが、承徳ラマ廟も素晴らしい絵だった。
同時期のものか安井からの手紙もあった。
昭和19年(1944)11月30日

梅原龍三郎 唐美人図 1面 昭和25年(1950)  これは絵のモデルになった像も展示されている。
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加彩舞伎俑 1躯 中国・唐時代(8世紀)
梅原らしい色彩の奔流がとても豊か。人形の形からゆくと、楊貴妃登場以前のものかと思う。
彼女が現れてから美人の基準が変わったのだ。
そして梅原が細川さんへこの像をお借りしたい旨を記した手紙もある。 昭和24年(1949)9月21日
その中に「武者や古径君に会いました」と言うのもあって、何となく嬉しい。

細川さんは大観より15歳下で青年の頃は大観に可愛がられるという感じだったそうだ。
爵位を得てからは関係が変わりはしたものの、大観は相変わらず細川さんと仲良しだったというのもいい。
ただしこちらも貴人に直接手紙を送りつけるのを良しとしないので、側近に手紙を出している。

その大観を描くというイベントが児島喜久雄によってプロデュースされた。
☆大観を写す-横山大観写生の会-
前期には1942年度の児島、梅原の絵が出ている。
この会は割と開催され、わたしも以前から他の人の絵も見ているが、確かに大観の風貌は魅力的で(男振りがいいというより、やっぱり風貌全体がいいのだ)面白い。

平和な頃にはこんなこともしている。
☆赤倉温泉での物語-手拭のデザインに挑む-
大観、百穂、梅原、大智らのデザインが面白い。

そして最後のコーナー。
☆画家から護立へ-扇コレクションを中心に-
前期10本ほどが出ているが、みんないい仕事をしている。
後期には清方の幽霊図もあるので楽しみ。

細川護立というヒトと画家たちの温かな交流が快い展覧会だった。
後期もとても楽しみ。

竹内栖鳳と京都画壇展 @野間記念館

永青文庫と野間記念館とが近代日本画の展覧会を同時期に開催。
野間の方は17日に終了、9/9まで夏休み。
永青文庫は7/30まで前期、8/1から後期。
わたしのいちばん好きなあたりの展示がこうして開催されるのはたいへんありがたい。
坂を上がりさえすれば、あとはほんの数分という野間と永青の近さなのだ。
泉屋分館と大倉集古館より近い位なのかな。

さて野間では京都画壇の特集があり、永青では主に東京画壇の作品が中心となっての展示だった。
わたしはびーぐるバスで坂を上がり、まず野間を見たので、そこから始めたい。
なお野間の展示は終了。
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竹内栖鳳と京都画壇展
暑い時はさわやかな近代日本画がいい。
清涼さを届けようとする想いが絵に浮かぶ。
京都は特に暑いので(じりじりした暑さを隠して)涼しそうな様子を描くのが巧い。
その絵に惹かれて、暑いけど気持ちよさそうとみんな錯覚し、ついついうっかり真夏の京都へ来て暑さにやられるのだが。

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松園さんから始まる。
惜春之図 1933  王朝美人が横目で散る花をみる。桜は鎖国し国風文化が拡がった頃から愛されるようになった。
爛漫たる開花もよいが、散る花を愛でることも桜ならでは。
散りゆく花を見てこの王朝美人も物思いにふける。

塩汲ノ図 1923  松園さんはこれをテーマにした絵を数点描いている。
野間コレクションのこの絵はお人形のようで、顔を挙げて虚空を見る。
わたしがこの世に「野間コレクション」なるものがあることを知ったのは、実にこの絵からだった。
1990年代初頭、「幻の野間コレクション」展が天満橋の松坂屋で開催され、栞だけ手に入れたが、ついに行けなかったのだ。
その栞がこの絵だった。
だからわたしにとって野間コレクション=松園さんの塩汲ノ図でもある。
野間記念館が2000年に開館するまで二度ばかり展覧会があり、99年春のなんば高島屋「近代日本美術の名品・野間コレクション」展でカタキは討てたが、いまだにあの時の無念さがこの絵を見ると蘇る。

野間記念館、この先も長く存続してください。

次は講談社の雑誌の口絵原画。
初音 1925  白梅の細い幹に手を添える伏せ目がちの娘。上品な灰紫の着物に鶸萌黄色の帯。静かに鶯の声を聴く。

加賀之千代女 1929  「朝顔に鶴瓶とられてもらい水」の句を描いているが、青い朝顔の繁殖率の高さ、すごいな。来たところで絵は終わるが、これ動画なら、千代女のこめかみに汗がにじみ、そのまま後ずさる状況だんな。

静御前之図 1929  初見。右向き。足元に花が散る。吉野の静。鼓の糸を確かめようとするところ。芝居の静御前を絵にした感じ。

竹内栖鳳登場。
古城枩翠 1926  あれよ、藻刈ですわ。江戸城の。この様子は他にも描いている。
藻刈舟は風情ある良い絵だが、大坂ではかつて森一鳳えがく藻刈舟の絵が大人気だった。
「藻を刈る一鳳」=もぉかるいっぽう=儲かる一方・・・縁起物ですな。
こちらはそうした機知はなく、風情を前面に出した絵。

鮮魚 1933  笹の上にグジ。グジとはアマダイの事。京都人はとにかくこのグジをよく食べてはる。
自分は立派な絵描きになったが、実家は著名な料理屋さんでほんまなら跡継ぎだった栖鳳。
絵描きの道に進ませてくれたのはお姉さん。
お姉さんの徳を生涯たいせつに思った栖鳳、この話はいつも栖鳳描く鮮魚や野菜を見ると思い出す。
そして跡は継がなかったが、仕事の側で絵を描いてただけに、野菜でも魚類でもなんでも美味しそうに描くところがとても好きだ。
ええ素材がないと困るからなあ。

猛虎 昭和初期  応挙先生以来、虎の絵は特に関西では可愛いのが多いが、さすがに栖鳳は近所の京都市動物園に学生や弟子を連れて行ってみんなで写生したり、実際に渡欧してライオンや虎のいる動物園を見たりハーゲンベック・サーカスを見に行ったりしてるだけに、リアルさがある。
あるというても「猛虎」とは言えないほど温和な虎。のんびりと身を横たえ、くつろぎ中。手をぺろ。可愛いなあ。
・・・まだ大阪タイガースは成立してない頃かな。(1935「大阪タイガース」発足)

勢幾禮以(せきれい) 1929  60年後の「世露死苦」とはニュアンスは違うものの、大正末期から昭和初期の主に女学生の間では「小夜奈良」などと当て字が流行った。 
さくらがりにしても様々な文字をあてていた。
鶺鴒が一羽汀にいるところ。

舞燕 1934  ハッッという感じの燕が左側にいる。身を翻して岩から飛んでる。勢いが感じられる動き。
うむ、こういうのをパサッとするのが厳流の燕返しかも。

徳岡神泉 鶉図 1935  木賊のところに見返り鶉。絵はまだ後年の深遠さを獲得していない。

野間コレクション誉れの「十二ヶ月色紙」が今回もずらり。その年の月ごとに描かれたかどうかまでは知らないが、揃いのものは全て同年に制作されている。
松園さん1927、神泉1934、榊原紫峰1930、堂本印象1927、福田平八郎1927、中村大三郎1928、宇田荻邨1928、山口華楊1930、松篁さん1931、まつ本一洋1928、1933、山元春挙1933、小村大雲1928、川村曼舟1928、勝田哲1931、木島桜谷1928、1933。
204点の月次絵。
それぞれの個性がよく出ていてとても楽しめる。
自分のメモには一点ずつ感想をあげているがさすがにここには再現できない。
好きな絵が多くで本当に愉しめた。

小野竹喬 藻刈舟 昭和初期  さらりとロングで捉える。文人画風だなと思ったら、やはりその時期それに凝っていたのだ。
後年の作風とは全く違うが、こうした過程があったからこそ、後の個性が確立されるのだ。

龍峡帰舟 1933  こちらも同時期のもの。天竜川の様子を描いている。
龍峡で天竜川だと認識されてるのか。まあわたしらも「嵐峡」で嵐山かとなるものな。
ところで市丸姐さんの歌った「天竜下れば」は1933年のヒット曲。

案外そんなところにもこの絵の気分があるのかも。

土田麦僊 春 1920  四面対の絵。母子をとりまく春。白い花が幻想的に描かれている。椿、梨、タンポポなど。赤い花が含まれているが白が圧倒する。
雀が飛び交う様子も愛らしい。

大原女、都をどりの宵 といった京の風俗を描いた絵も出ていた。

わたしは麦僊に対してある種の感じ悪さを抱いていて、いい絵を見てもなんとなく憎らしさが先に立つ。
やはり「きたない絵」事件が今でも尾を引いているのだった。

菊池契月 寒牡丹 1925  妙に白い顔の耳隠しの女がこちらを見ている。
羽織は梅を線描で表現し、小さな曲線をつけているところがどこかアールヌーヴォー調で、綺麗だった。

荻邨 淀の水車 1928  出ました、荻邨といえばこれ。この絵はわりとラフな感じがする。
よく働く水車の周りにクイナ、サギらがいる。水車からアルカリイオンが出てるのではなく、小魚が巻き込まれて飛び出すのを待ってるのかな。

春挙の山岳絵も数点。
白樺ノ林 大正期  巨峰のずっと下に人馬が見え、絵の手前に白樺林が拡がる。
日本と言うよりアルプスのようで、ハイジがどこかにいるような気になる。
春挙は登山愛好家で絵も雄大な山岳を描いたものが多い。

琵琶湖春色図 1926  膳所に暮らした春挙にとって琵琶湖は常に活きるもの。手前に小さく花々や木々が描かれているが、ただ、わたしは琵琶湖に詳しくないので、これがどこからの長めなのかはっきりと言えない。

霧嶋嶽図 1833  山の上に日が当たり、光の諧調が見られる。人馬がゆく。岩にはところどころ赤い花がまといつくように咲く。

雲雀山之図 1933  王朝風俗の姫が山中にいる。そう、中将姫です。継母に雲雀山に捨てられたところ。
春、雲雀飛び交う山の中。
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勝田哲 春風 昭和初期  大柳が風で揺らぐその下、髪を布でまとめた室町時代風の女が立つ。
勝田は美人画の大家となるが、戦前は様々な時代の女を描いていたのか。
戦後のは舞妓や芸妓が多かったように思う。

とても楽しく眺めた。色紙についてはいつか記せたら記したいと思っている。



2017.7月の東京ハイカイ録

暑いのも度を越えてるこの近年。
夏がだんだん憎まれてゆくね。

ということでこの暑いさなかに東京へ出向きましたがな。
朝の6時に家を出たけどもう暑いのなんの。
あかんやろ、これ。

9時半に東京へ着き、いつもはロッカーなんだが、今日は知ったばかりのメトロリンクeで動くことにしたのだが、これがそもそも失敗。
土曜は10時からだから待たなあかんのさ。
あーづーい゛ー
鉄鋼ビルは涼やか。


外から見た限りだが、いい感じですな。

ようやくバスに乗る。
目的地の近くまで行くので助かるわ。

さてわたくしはまず両国へ。
この日からJRの使われてないホームで餃子とビールやってるそうで、ヨダレ湧いてきたよ。
えらく大行列らしいが。

大河ドラマに合わせた特別展。大阪にも来るけどまあ先に見とこう。
・・・井伊家か。考えたら徳川の譜代やん。
彦根のひこにゃんは好きだし井伊直弼もけっこういいが、ご先祖には関心なかったやん、わたし。
赤備えか。真っ赤っ赤ですな。それに金で井桁。
もぉよろしい。くそー

とりあえず冷たい麺が食べたくて時間は早いが、江戸博1階の茶ら良で冷たいうどん。
なかなか美味しいし量が案外多い。
これ食べてから元気出して外へ・・・

大江戸線一本で六本木、サントリー美術館に到着。
「神の玉手箱」も終盤。面白い展覧会だったけど、来るのが遅くて申し訳ない。
外国の万博に出して、帰り際に船が座礁して沈没した小鳥と木花の箱の再現が素晴らしく良かった。
奈良の北村昭斎さんと明治にも再現した人がいて、どちらも凄く良かった。
絵柄自体、前田青邨が描きそうな感じがして、意外なくらい近代的。
もったいないなあ…
でも再現がこんなけ良いということは、原物もよいだろうし、これはもしかすると竜宮にあるのかもしれないな。

恵比寿。恵比寿からは歩きましたよ、わたし。
それも途中地面から離れた陸橋まで上りましたよ、らせん階段でぐーるぐる。
いやもぉこの暑い時に駅から遠いところは厳しいよ。パスに乗る算段つけたらよかった。

山種では川端龍子展。いい絵がたくさん来てた。
わたしの中で「ベスト・オブ・日本画100選」に選んでいる「夢」も来ていた。
ときめいたなあ。
龍子の童画や抒情画もあり、いいラインナップ。
西馬込の記念館にもよく行くけど、やっぱりいいなあ。

モスで一休みしてから上野へ。
まずは西洋美のアルチンボルド展。
これがわたしには非常にニガテでナマナマしさがダメでした。
写実はニガテなの。
とはいえ、日本の祭りで良く見る「つくりもの」だと思えばいいのかもしれない。

常設ではル・コルビュジエの妄想というか現実から乖離した計画の足跡をみる。
面白いが、これはどうなんだろう・・・
建築家に往々にみられる傾向とでもいうか・・・

常設ではこれが良かった。


わたしは都市風景は好き。

やっぱりと言うか当然と言うか時間がかかりすぎて、なんぼ本日21時迄開館ですの東博さんであっても、わたしの見る時間は足りません。
タイ展は来月。なんか淋しそうなタイ展・・・ごめんね。

今回は「びょうぶとあそぶ」に長居してしまった。
インスタレーションと見るべきなのかな、古美術の。
たいへんよくて、数年前の「京都」展での竜安寺の庭の1年を追いかけた4Kカメラの映像を思い出したわ。

常設だけでも時間が不足した。
来月はタイ展を楽しみます。

初日ここまで。

2日目は出遅れた。
曙橋へ出ると、以前と違い新宿歴博への道順がわかりやすく表示されてるので助かる。
ぷらぷら歩くと不思議な地形を見たりするので、これがあれかな、タモリの言うナントカいう地形かなと勝手に思ったり。
「れきはく どうぶつえん」入ります。
新宿歴博所蔵の色んなどうぶつを集めて分類した展示、動物園でしたわ。
たのしいよ。
わたしも大いに楽しみました。

それでリスのソフビ、名前がわからないとあったので、これは昔のアニメ「リスのバナー」のGFだと思い出してお伝えする。
あとソフビで「犬」表示のもの、「フランダースの犬」のパトラッシュやん。ちょっと泣く。

紀伊国屋に行き、水山でうどんを食べる。チェーン店だけどここの店舗がいちばん好き。
おいしかったわ。
西新宿まで乗り、損保・・・美術館へ。
吉田博展は千葉市美でものすごーーーく堪能したが、新宿でも見ようと来たら、なんか物凄く混んでる。
やめた。来月に行こう。
それでそのまま千葉市へ向かう。

今日は道を覚えるために都営新宿線で本八幡まで出て、そこから京成線に。
JRに乗るとエキナカでパンを食べるけど、今日はいらない。
京成線の千葉中央まで出てきぼーる通りを行く。
10分ほどで千葉市美についた。ああ暑かった。

暑い中で椿貞雄の暑苦しい写実絵を見ていよいよ暑くなる。
その反動でか文人画が非常に良い。
幼女、少女らがやたらとスイカを食べている。
写実画は冬瓜と南瓜。
文人画は西瓜。
わたしはスイカが食べたくて苦しくなった。
描かれた少女たちばかりにスイカを食わせてなるものか。

というわけで帰途に小一時間かかるのに、きぼーる通りでスイカやなんだかんだ買ってしまい、そのままホテルへ。
膝の上のスイカやその他のものが冷たさをなくしてゆくのを感じながらやがて定宿に帰り、しばらく冷蔵庫に入れて支度色々し、それから買ってきたものを食べる。
スイカも1/3ほど食べる。甘さは足りないが、やっぱりスイカはおいしい、買ってよかった。

一休みしてから銭湯行きの支度をし、先にもう一つの目的地に向かうが、自分の思っていた状況ではなく、なんとなくがっかりする。
それからは銭湯へまっすぐ。

本所の黄金湯。先客の奥さんと挨拶し、中へ入ると一人だけ。満喫しましたわ。
生レモン湯とかね。
上がると今度は三々五々お客さんが来たのでタイミング良かったみたい。

押上駅経由で帰ろうかと思ったけど、錦糸町についたら渋谷行きのがすぐに来たのでそっちに乗る。
乗り換えて地上にでたら風が気持ちよかった。

二日目ここまで。

さて海の日。送迎バスで東京駅についていつものロッカーにキャリーを放り込んでから動く。後楽園に着いたら目の前をびーぐるバスが行き過ぎてしまった。
地下二階で文京の町の写真を見る。
自由応募か。



時間が来たので今度はきちんとびーぐるバスに乗り、まずは野間記念館へ。
京都画壇の日本画を堪能する。
やっぱりええのう。

続いて永青文庫ではここの所蔵する近代日本画。
二本続けて同じような展覧会を見るわけだが、こちらは東京画壇がメイン。なので全然違うわけです。
そしてこちらも存分に楽しむ。



椿山荘の横を降りていくが余りに暑くて目がくらんできた。
ようやく江戸川橋駅についてからさてランチをどうしようと思ったら、なにか名古屋系のグリルがある。
スペシャルを頼んだら、焼き肉をフライにしたものが出てきたので、これは初めて見るものでしたな。

その後は弥生美術館。
ここはねーどう急いでも二時間はぜっったいに必要なので、二時に入ったら四時かなくらいでいても、実は気づいたら五時前なんよね。
というわけで大正時代のラブ・アフェアあれこれを学んだのでした。
マツオヒロミさんのイラストがそそるそそる。
いちばんときめいたのは「椿の間」。
椿の絵の壁面を背景に、軍帽・アイパッチ・振袖・ピンヒールの令嬢が、周囲に揃いの黒の中国服にサングラスの屈強そうな男らを従え(一人だけやや細身の美男そうなのも)、手には鞭、足元に猛虎という好い絵でした。

華宵の水辺の美少年・美女、夢二の美人の三分類なども面白かった。



五時前に出たからもう三菱も損保もむりで、いっそ地下鉄のジャンプ・スタンプラリーしようと乗り換えあちこち。
けっこう集まってきた。残りは来月。

結局いつものように日本橋から東京まで歩く。
おみやげやお弁当など購入して疲れきって新幹線。
今回はポイントがたまってたのでグリーン車。空いててよかった。
車内では例のあれを購入。



タクシーで帰宅すると猫どもだーーーーれも出迎えなし。暑いから外にいるようで、わたしが帰宅したことどころか、不在も知らなかったかも。
猫めらーーーっ

とりあえず今月はここまで。


白河院へゆく

西の端の本野邸から東山へ。
バスの移動は気楽である。

白河院で昼食。
この白河院は建物は武田五一、庭は七世小川治兵衛(植治)、建物の天袋などに松村景文の絵もあるそうだ。
私学共済の旅館なのでなかなか敷居が高かったが、行ってお話を伺うと、一般のものにも気軽に親しんでほしいとのことだった。
動物園のほん近く。カフェもあり、今度また行こう。

おもては現代の建物。
さてそこからが五一の数寄屋。

わたしらの入った座敷
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欄間や釘隠しがいい。
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廻り廊下の緑がたまらない。
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松村景文の天袋だがこれは印刷物かな。
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襖もいい。
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杉戸にも絵。
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庭へ出る。全景
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鬼瓦が可愛い。
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植治の庭。
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半夏生も咲いている。
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茶室もあった。
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この苔の緑。

キモチ良かったですわ。

また季節の良い頃に出かけたい。

本野精吾自邸をたずねる

第42回「京の夏の旅」で初めて本野精吾自邸が公開された。
わたしがここへ行った経緯については既にこちらに挙げている。

本野作品は現存数が少ない。
現在売り出されている山科の旧鶴巻邸(栗原邸)、旧西陣織会館(現・京都市考古資料館)、京都工芸繊維大学の3号館か、そしてこの自邸である。
鶴巻邸西陣織会館は既にここで紹介している。
2010年には工芸繊維大で「「建築家 本野精吾展 モダンデザインの先駆者」展が開催されている。
当時の感想はこちら

中村鎮式ブロックを使用し、モダニズムの在り方を見せた建築家。
彼の自邸を紹介する。

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外観からして既に本野精吾だという実感がある。

門には表札。IMGP0001_201707120956372ea.jpg
かれはとても器用で自分の服も拵えたそうだから、これも本人の製作だと思われる。

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いつからあるのか知らないが、変に可愛い。

池もある。
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睡蓮とガクアジサイと。

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庭から二階を見上げる。
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二階建てで基本ワンルームである。台所もあった。
浴室、洗面所は未公開。
暖炉があり、それは実際に使用。装飾は葡萄文様。
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煉瓦にはメーカー名が。
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天井はかなり低い。
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フックつき。
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壁面は打ちっぱなし。そこに展示されているのは本野の息子さんが拵えた抽象的な染色作品。
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思えば本野の拵えた旧鶴巻邸の鶴巻鶴一も染色関係の教授だった。

二階へ上がる階段の天井には天窓が。
光が差し込んでくる。
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二階もシンプル
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ここにも息子さんの作品。
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二階から階段を見る。この家には廊下はない。
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階下へ。
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ドア、窓、サッシは昔のものと今のが混在。実際に暮らしておられたのだから当然。
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外観
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モダニズムの極みを見たと思う。

中世の食−本膳料理−

京都市考古資料館で「中世の食−本膳料理−」をみた。
出土した器などから想像をたくましくしよう。
昔の食材の模型の写真などもあるので、フェイクだとわかっていてもついついヨダレがわいてくる。


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出土先がどこかによって、食事の形式も変わってくる。

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右側の漆器類、可愛いのう。

ジャーーーーン!
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お・も・て・な・し。

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かわらけはかわらけでいいのよ。清浄さを示すのだったかな。
奈良の酒はカワラケについだし、壬生狂言ではカワラケ割が存続する。

こちらは食べ物やなく瓦。官衙はむろんのこと、ええ氏の家にはええ瓦が載るものです。
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伏見は地名が官職の名や個人名がついているのも面白い。
伏見区永井久太郎からの「焼けすぎたおにぎり」
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竹の皮に包まれたのをわーいわーいお昼!と喜んだはええが、これぢゃなあ。

どんぶりor瓦?というざっくりしたもの。
でも金箔とかはってるよ。
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瓦焼きそばってあったな。どこかの名物で。
・・・その意味では瓦もまた食器なり。
神戸には瓦煎餅があり って違うな、これは。

普通にお椀。
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向付も。
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漆器も陶磁器もどちらもお料理に合わせて使い分けるその感性、そこが好きだ。

今回の食器の出土先の写真
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可愛いのもちょっとばかり。
わんこ。
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いろっぽいのも。
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再び食器。
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やきものの破片というのもいい。
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生活用品もある。
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入れ歯で思い出したが、江戸前期の入れ歯は柳生宗矩のは黄楊(ツゲ)製で、とてもしっかりしていたそうだ。
江戸後期になると、例の空を飛ぼうとして所払いを繰り返された義歯製作者の備考斎・浮田幸吉がいるが、彼の入れ歯はとても良かったそうだ。

ああ、生活用品から様々なことがわかるものですなあ…

こちらは仏具の装飾金具など。
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良いものをたくさん見せてもらった。7/23まで。

なおここの建物は本野精吾の設計した旧・西陣織物館。
以前に建物を撮影してまとめたものはこちら

本野精吾自邸はまた後日に。

夏色十色 ―山水の美―

毎日毎日暑い。
こう暑いと本当にアタマも体も動かなくなる。
七月半ば手前でこれだから真夏になるとどうなるのか。
まあ湿気が無くなればちょっとましかな。

アタマの働かない時は好きなものを見て過ごそう。
ということで近代日本画の世界へゆこう。

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竹林の中の百合、涼しそうやなあ。

やっぱり暑いときは水がいいよね。
川端龍子 那智  ご神体と言うのはわかってるけど、キモチいいだろうなあ。

松林桂月 山水図  このヒトもさらっと涼しそうな絵を墨をうまく用いて表現する。

川合玉堂 緑陰重釣  出ました、川と言えばこのヒトですがな。涼しそう。オッチャンが一人で釣りをする。

今井守彦 緑の頃  ああ、心地よさそう。

…とここまでは涼しそう。
次からが熱い。
 中路融人 太陽  金色ですがな。暑そう…

堂本印象 彩屋聚楽  カラフルな屋根がずらりと一堂に。可愛いわ。メルヘンチック。浜辺の村。

横山大観 竹雨  チラシ。大観は大仰な絵よりこうしたしみじみした絵の方がいいよ。

富士山が四点。大観、栖鳳、小山硬、山下清。夏の富士の絵は涼しそうでいい。
冬なのかもしれないが、勝手に涼しくなろう。

立石春美 薫風  ああ、気持ちが明るくなる。レースをじっとみつめる美人。

伊東深水 晩涼  江戸中期の女が団扇を持つ。夏の微かな涼しさを楽しむ。

北野恒富 侠妓幾松之図 北野恒富  この女を描いた絵と言えば、三木翠山がいる。
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その三木翠山の美人画。 清流趨涼 小舟に乗る女の身体の不自然なポーズ、しかし船の上ならこれはありうると思うが。
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中村貞以 書家  パーマを当てたばかりの奥さんが…この奥さんの着物、涼しそうな柄ものだった。大きな葉っぱ。いい色のもの。

二階も引き続き夏の絵が。
徳岡神泉 菖蒲  白い花が咲いていた。派手でいい。

栖鳳 村居  サバととんがらしの絵。良くわからん取り合わせだが、料理屋の息子だけに魚とかなんでもおいしそう。

伊藤小坡 虫売り  これはいくつかバージョンあるよう。わたしは違うのを見ている。喜ぶ子供ら背中越しの女。

小川千甕 雷神 どんどこどんっと元気そうに雷を打っていた。

他にも爽やかないい絵が並ぶので、とても気持ちいい。

9/3まで。

ut pictura poesis ―詩は絵のように コレクションにみる文学を彩る書画の魅力

世田谷文学館がリオープンしてその記念にムットーニ展が開催された。
その時の感想はこちら
とても楽しい展覧会だった。
ムットーニの作品は世田谷文学館には数機常設展示されていて、時間が来れば動いてくれるので、普段からいい心持で世田谷文学館へ来ていた。
嬉しいな、世文。

さてリオープンした常設展。
こちらがまたとても素晴らしい展示を見せていた。
もともと好きだったところだが、更に好きになった。
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今回の展示のコンセプトをサイトから。
「古代ローマの詩人ホラティウスの『詩論』の一節「ut pictura poesis ―詩は絵のように」に端を発し、詩と絵を「姉妹芸術」とみる「画文一如」、「画文共鳴」の芸術観は、長い年月を経た今も共感をもって受け入れられています。現在では、文学と美術の共鳴と言ってもよいでしょう。
古来より神聖な空間や経典などで尊い言葉の荘厳を担い、教えや物語を絵解きで視覚化して伝えた絵画や装飾美術は、近代以降も挿図、挿絵、装幀などで言葉や文学と深く結びついてきました。毛筆の運びと七彩に譬えられる墨色により、文字は語意にととまらず絵は極彩色に劣らない無碍の表現を誇る東洋の書画でも、詩句と絵を一体にして理想郷が描かれました。このように文学と美術、言葉、絵画、装飾は、長きに亘って共に様々な形で人間の営みを豊かにしてきたのです。
そして、想像力に優れた古今東西の詩人、文学者の多くは書画を愛好し、自らも絵筆を揮いました。一方で文学作品の精髄を汲んだ画家が傑出した画を成し、詩歌や文章でも才を開かせることは少なくありません。
今回のコレクション展では、毛筆の詩歌句、室や書斎に掛けた敬愛する文学者や友人の揮毫、文房具など、文学者による、または文学者にまつわる書画とゆかりの品、そして詩や小説、児童文学を彩る挿絵やデザイン、近代を代表する表現芸術である映画を支える美術の仕事をご紹介します。文学者の美意識や趣味を、画家による文学と美術との架橋を、当館秘蔵のコレクションを通して「読む・観る」の両面からお楽しみください。」



受付でチケット見せてすぐ右手壁面に乱歩の言葉がある。
乱歩が愛した村山槐多「二少年図」への頌である。
その全文はこちらのブログに記されている。
そして乱歩の言葉を読み終えた先に槐多の絵がある。


草野心平の本も共にある。
始まり方からして魅力的な常設展。

井上靖「風と雲と砦」の紹介がある。挿絵は江崎孝坪。前田青邨の弟子。
墨で人々を描く。
挿絵としてはこのほかに大佛次郎「乞食大将」、吉川英治「太閤記」などがある。
映画や舞台装置の仕事もしていたようで「七人の侍」の衣裳考証、「新忠臣蔵」の舞台装置も。ちょっとときめくな。

世田谷には多くの文学者・美術家が住まった。彼らの作品が紹介されている。
池田満寿夫、亀倉雄策、難波田龍起、詩人の山之口獏、ダダイスト高橋新吉も。
そして鴎外の娘・小堀杏奴。

西脇順三郎のコーナーがある。
「永劫の旅人は帰らず」
「旅人かへらず」である。
西脇は自ら筆を取り水彩画をよくした。
キース・ヴァン・ドンゲンのモダンな美人たちが闊歩する庭園、そんな絵を見たが、素敵だった。
いつかまた西脇の展覧会が見たい。
その西脇の「ポイエテス」が掲載されていた詩誌「無限」がある。

宇野千代は多くの恋をしたが、それで現実的には色々と苦しい状況にもなった。
彼女は後悔などしないが、しかしつらいことに変わりはない。
その宇野千代と一時期恋仲だった東郷青児の挿絵があった。

挿絵と言えば松野一夫「黒死館殺人事件」がある。
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松野は「新青年」表紙絵でモダンなセンスを見せていたが、この作品だけは全く趣が違う。
これは特殊な技法で拵えたさくひんで、それがこの特異な世界をより魅力的にした。
随分前に弥生美術館で松野一夫展があり、そのときにこのことを知った。

そしてもう一つ、竹中英太郎「鬼火」挿絵が出ていた。
これこそが、わたしが最初に見にいった弥生美術館の展覧会だったのだ。
1989年春、竹中英太郎・懐古展。そこで「鬼火」を始め「孤島の鬼」「ココナットの実」などを見たのだ。
予想以上に素晴らしく、いよいよのめりこんだのだ。

つい先日久しぶりに「鬼火」を取り出し、挿絵を想いながら再読した。
おぞましい物語が挿絵により、いよいよ底が深くなっていったのを感じた。

「富士に立つ影」などの白井喬二の水彩画がある。
文人画と言うより今流行の一枚ものの絵てがみのような闊達さがある。
彼の作品に挿絵を提供した画家達を見て、かなりときめく。
河野通勢、木村荘八、川端龍子らである。それぞれ魅力的な挿絵だった。
挿絵と言うものは、一目で読者の心を掴まねばならない。
絵を見て「どんな話なんだ」とそそる力がなくてはならない。

白井の原稿用紙がある。専用のもので、上部に鳳がデザインされていた。

「人間」と言う雑誌があった。
表紙は須田国太郎の裸婦だった。須田のこうした素描に近い絵はなかなか見ないので嬉しい。
わたしは須田の重厚な洋画もいいが、能狂言デッサンの素早さ・闊達さがとても好ましい。

須田の他にもフジタ、棟方志功らの絵がある。昭和21年には萩原朔太郎、舟橋聖一らも書いていたようだ。

あっ三井永一の挿絵もある。
このヒトと言えば式場隆三郎「二笑亭綺譚」の挿絵ではないか。嬉しいぞ。
なんだかんだと色々あるのが楽しい。

次に映画の資料を見る。
柳生悦子のファッション画がある。「妖星ゴラス」、「若大将」シリーズ、「忠臣蔵など。
映画の場面を髣髴とさせる。

ウルトラマンタロウのヘルメットや銃もある。
前々から円谷プロ関連の資料は見ていたが、タロウとは珍しい。

びっくりしたのは次。
「プルガサリ」のデザイン画。鈴木儀雄。
日本のスタッフが向こうに行ってたのは知ってるが、これが出るとはなあ。
あの当時、本当にビックりしたな。
今も資料を見てびっくりした。
…なんだかすごいな。

他にも作家の愛用品なども出ていて、とても興味深い展示構成になっていた。
今の展示は9月までだが、機会があればまた見たい。
次も楽しみだ。

常設展のよいところへゆくと幸せな心持になる。
ありがとう、世田谷文学館。



開け!絵巻

「開け!」と来たら「ゴマ!」または「ポンキッキ」と言うてしまう。
そうか、「絵巻」か、そう来たか。
逸翁美術館の開館60周年記念展の第二幕として所蔵する絵巻を一部ずつ開いている。
全面開巻はなかなか無理な様子。残念だが仕方ない。

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で、絵巻ばかりかと言うとそうではない。
経巻がいくつもある。奈良時代から鎌倉時代のもの。
さすが小林一三。

仏説雙観無量寿経 巻上 734  この「雙観」は 「双巻」の誤りだそうだ。しかしなにやらカッコいい感じの並びなのでOK。
実際いい字面に能書。官立の写経所で書かれたものだそう。「門部王写ス」とある。

楞伽経 りょうが・きょう 巻第二 748  達磨が背中向けてるところへ弟子入りしたい慧可が恭しく自分の片腕を切ったのを持ってくる絵、あれです、内容は。というかその後。
達磨から伝授された経典。薬師寺の写本もの。

白描絵料紙金光明経 巻第二断簡(目無経) 1192  後白河院が逝去した為、絵巻にならず料紙として写経。
サントリー美術館「絵巻マニア列伝」で後白河院の絵巻マニアぶりを知ったので、色々と感慨深く眺める。

紺紙金銀字交書賢却経 巻第四 平安時代  キラキラ。金銀が交互に輝く文字。奥州の藤原清衡が前九年・後三年の戦没者供養のために。比叡山で専門職による写経。

絵因果経断簡 紀州勝利寺本 鎌倉時代  五人と三人が花を持って←に向かい行列しつつ。可愛らしい絵。

伊勢物語下絵梵字経断簡 鎌倉時代  4シーンあるが、上の字がかなり濃いのでみづらい。そして最後に逸翁の文がある。

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いよいよ絵巻。最初は酒呑童子関連。
数年前、ここの所蔵の「酒呑童子」類の絵巻と「芦引絵」との展示があったが、あのときも比較などして面白かった。
当時の感想
その1
その2

奈良絵本「大江山(千丈嶽)絵詞」下巻 江戸時代  首斬った!ガブッッ のシーン。

酒呑童子絵巻 三巻のうち巻上 江戸時代  元々頼光は八幡系、卜部は熊野系、綱と金時は住吉系の氏子なので神様も勇んでお助けに来る。那智滝、住吉っさんの太鼓橋がみえる。

酒呑童子絵巻残欠 江戸時代  大童の様子で上畳にねそべる。山伏に変装した連中を接待中。鬼たちもいそいそ。
血の盃やおニクをどうぞと忙しい。
酒呑童子の傍らには二人の美童がいる。名前は忘れたな…美女だけでなく美少年のバージョンもある。

大江山絵詞 二巻 南北朝時代  石清水八幡へ星兜を授かりに。そしてその石清水八幡を始め住吉、熊野、日吉らが協力して酒呑童子の手足を押さえて加勢する。惨殺。しかも火葬。

十二類合戦絵詞残欠 江戸時代  キャラの名前が面白い。犬太郎守家、唐国羚羊(ちょっと待て、これやとカモシカやん)、猿丸入屋、穴太僕師鼡玄、猪手冠者鼻野、大角内黒丸、巳満内侍、萩本月往…

是害坊絵詞(天狗草子絵巻) 江戸時代  住友本か曼殊院本か、また違うかな。
飯室の権僧正にみつかり、セイタカ・コンガラ2童子にどつかれて逃げ出す。
話の詳しいところはこちらに。

長谷雄草子絵巻 1842 山本梅逸模写  朱雀門へ行く二人、双六する辺りが出ていた。この絵を模写する人はけっこう多かったようですな。面白いし絵そのものがきれいしね。

高野大師行状絵巻 巻一 鎌倉時代  空海の母に明星が入り込み、それを吐く。そう、聖人伝説ですな。

弘法大師行状絵巻残欠 室町時代 伝・土佐行光  31歳で初めて船出した。その時の様子。

証空絵詞残欠(泣不動縁起絵巻) 南北朝時代  不動の絵を拝んでいるところ。

・・・どうも1シーンのみというのが多いので、ちょいと鬱屈がたまるな。

道成寺縁起絵巻 二巻のうち下巻 江戸時代  これは人妻設定の方。般若の顔の大蛇となって川を渡る。皆飛んで逃げた。

芦引絵 五巻のうち巻第三・第四 室町時代  元は池長孟所蔵。稚児物語絵の中でも優品として名高い。
出ていたのは、継母に寝てるところを長い髪を切られる若君。翌朝ザンバラなのに気づいてさめざめと泣いて、とうとう家出する。
出たところで親切な山伏に会うて行動を共にする。(恋人の僧侶も実父もお山の人々もみんな心配)やがて再会する二人。
継母は義弟と相談して若君を亡き者にしようと画策する。継母の寄越した追っ手と戦う僧侶たち。

石山寺縁起絵巻 1805  松平定信のプロジェクトの一つかな。模本。6巻の1から。
和束の謀反人討伐の話。毘沙門天の力を借りる。悪党らは殺し合い。

熊野本地絵巻 三巻のうち上巻 室町時代  出ていたのは、女御が気の毒に山中で殺されるところ。泣き泣き帰る家来の手には女御の生首。虎の毛皮の上に母の死骸と赤子。動物たちが親切に集まってくる・・・

王子権現縁起絵巻 江戸時代  ↑ここの家族は熊野権現になるのだけど、王子権現に勧進したというのがこの絵巻。
チラシ一番上はケガレ多き禍の地から脱出する親子と僧侶。そして清浄の地へと・・・

春日権現縁起絵巻 二十巻のうち巻第一 江戸時代  御託宣を聴くところ。宝物殿のところで橘氏の女が神出鬼没。鹿がシカトしながらそこにいる。

奈良絵本「竹取物語絵巻」三巻のうち下巻 江戸時代  月からの使者が来たところ。

白描枕草子絵巻 大正―昭和 松岡映丘模写  映丘の教え子らはみんな古典の写しをした。先生も無論する。
雪山を拵えるところ。

白描源氏物語絵巻 江戸時代  「橋姫」。大君らが琵琶や琴を演奏中。それをのぞく薫君。

賀茂祭絵巻残欠 室町時代 伝・高階隆兼  賀茂祭=葵祭。その行列を描く。

西行物語絵巻残欠 室町時代 伝・海田采女  待賢門院より襲15領を賜る。/九十九王子で一休みするところ。

今回かなり楽しみにしていたのがこちら。
90年代初頭に全巻見たのが忘れられないが、なかなか全部を見ることはあれ以来ないまま。
露殿物語 五巻のうち巻第二 江戸時代 (1631以前) 今回も一部のみ。
あづま太夫の舞を見る露殿。
ここのみ。残念・・・

奈良絵本「ささやき竹(雛牡丹姫物語)」 江戸時代  この話は洋の東西を問わずあちこちにある艶笑譚。いいなあ。
素朴な面白さがある。青池保子さんもマンガにしている。

奈良絵本「むらまつの物語(一若丸絵巻)上巻」 江戸時代  これも6年ぶりに見る。日吉神社に申し子しにゆくところが出る。

結城戦場絵巻 五巻のうち巻第四 江戸時代  おお・・・春王・安王の哀しい物語。「新八犬伝」のおかげで知った話。
美濃の寺に移される幼い兄弟。僧侶・兄弟・兵がいる場。屋外の兵どもは笑っている。
幼い兄弟は手を取り合って死んでいる。
いつか全編を見たい・・・

蒙古襲来絵詞 三巻のうち巻第一 江戸時代  模本。一休みして雑談中。そらもう色々あったから、それを描いて正当性をはっきりさせんと。

六波羅合戦絵巻 江戸時代  模本だが、この時代はどこまで残ってたのか。
色指定も残る。武者の中に清盛までいるようだ。

もともと絵巻は大好きだが、先般の「絵巻マニア列伝」展のおかげで、作り手としての絵師だけでなく、どのような背景があるのか・誰がプロデュースしたのか、そんなこともとても気になるようになった。
あの展覧会を見て本当に良かった。
その後は國學院大「絵でみる日本のものがたり」を見、この「開け!絵巻」を見たが、全て見たいと言う欲求不満が起こりはするものの、こうして展覧会が開催されたことに対して、有難いと思うキモチがある。
去年から今年にかけて、岩瀬文庫、慶応大、天理大でも素晴らしい絵巻コレクションを堪能した。
90年代のことを思えばたいへんな進化だ。

またいつか良い機会があることを信じよう。


「京の夏の旅」初日におでかけ

第42回「京の夏の旅」がいよいよ7/8から始まり始まり。
今回のわたしの行きたいところはこちら。
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本野精吾自邸と花山天文台。
祇園閣は何度か行ってるし、渉成園はまあ折を見て。
しかしこの暑い最中に出かけるのしんどいなぁ。
とげんなりする。
いくらお出かけ大好き遊行さんでも大概にしないと脳天壊了、ノーテン・ファイラーになりまんがな。
それでまたこういう親切なのがある。
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…本野精吾自邸は立命館のほんネキか。バスか嵐電やな、しかし花山天文台、シャトルバスに乗り損ねたら悲惨やな。
と思ったわたしによいお知らせがキター!

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このコースでしかも白河院がプラスされて、おやつつきやん。
よろしいなー

というわけで、今回、久しぶりにバスツアーしました。
基本的に団体旅行はニガテですが、友人らに声掛けすると二人が乗りました。
写真もたくさん撮ったので、そちらは整理してまたちびちびと。
今日はこのツアーで楽しませてもらったことをご報告。

集合場所は京都駅の烏丸口。八条口やないよ、京都タワー寄り、中央郵便局前のところよ。
予約してたので早速友人らと乗車。可愛いシールワッペン貰って、それであちこちゆくわけよ。
わたしは1番前の席。友人2人は後席で早速べらべら。
運転手さんもガイドさんも親切でいい感じ。バスは京阪バス。乗り心地もよろしい。
ちゃんとシートベルトしめましたで。

まずは堀川通りを北上。二条城も大政奉還150年記念なのでイベント多いそう。今度久しぶりに行くか。
で、上立売で西へ。公園前でバス下車してトコトコ。
この辺りもなかなか装飾のいい民家があるなあ。
と思いつつ、どこかで見たことのある建物が。
あっ立命館。その横手かいな。
本野精吾自邸。
東京でいえば立教大学と乱歩自邸より距離短いくらい。
おーーーっついてに入りました。









ああ、よかった…

バスは今度は馬代通りをゆき、木島桜谷自邸前を過ぎる。7/15にこのツアーゆく方はこちらの邸宅に行くことになるよ。
ここもいいところ。

丸太町通りを走り、岡崎に入り、次は白河院。ここでランチ。














おいしかったし、植治のお庭も堪能したし、五一の数寄屋もよいし、といいことづくめ。
店員さんが「気軽においで下さいね」と言わはるので、気軽に入れるのかと。
「カフェもありますし」そう、実は気軽に入れるところだったので、今度また行こう。

京都市動物園を横目に見ながら、次は祇園閣へ。
高台寺の駐車場。
西陣の次はこっちてスゴイよ、バスはえらい。









中に飲み込まれてゆく人々…

中に入る。久しぶり。今は近所からの申し入れで中から外を撮影するのも禁止。
わたしは10年以前に撮影させてもらったが、挙げないでおこう。
資料だけ。
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こいつ大好き。

織田信長父子、石川五右衛門のお墓に参ってから高台寺の駐車場へ戻り、そこにある湖月茶屋でわたしはグリーンティーを。
おいしかったわ。
これもクーポン貰ってたの。

久しぶりに東山艸堂にも行きたいな。アカガネ堂?にも。

さて最後の花山天文台。
これが難物で、バスツアーにしてよかったわ。




























ああ、よかったわー。
機嫌よくバスに戻り、スイスイと京都駅へ。
運転手さんもガイドさんも親切丁寧でいいツアーだった。
はっきりいうが、おススメ。

友人らとはお茶してお買い物に伊勢丹によってそこで解散。
いいツアーでしたわー。


ジャコメッティ展にいく

ジャコメッティ展にいった。
立派な感想やレポを書く人が多いのだが、これはあくまでも後にわたしが思いだせるためのヨスガとしての存在なので、自分勝手なヨタを含めた感想を挙げる。
まあこれを読んでジャコメッティ展に行こう!とそそられる方はいなさそうだから(おった方がこわい・・・)好きなことを書ける、という利点がある。
いい展覧会なので宣伝はしたいが、なかなか難しい。
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ジャコメッティと言えば最初に現物を見たのはブリヂストン美術館でだったと思う。
それから美術評論家の著書の中で、ジャコメッティと矢内原伊作との関係性について書かれたものを読み、大いに惹かれた。
とはいうものの、極度に細いフォルムには参った。
しかしボテロやニキ・ド・サンファルのようなポテポテ体形の彫像はこれまた自分を顧みて鬱屈するので、わたしはあまり好まない。

展覧会は時系列の展示で、映像もある。
先に結論を言うと、わたしはジャコメッティ作品では彫像よりペンによる素描やスケッチの作品群にとても惹かれた。
ジャコメッティにとって素描とは何か。
彼の記した「素描はすべての芸術の基礎である」という言葉どおり、膨大な数の素描を残している。
カフェでもどこででも描き続けたジャコメッティ。
それらは簡素な線描ではなく、重層的な構造を持つ素描だった。
きちんとしたノートでなく、時にはカフェのナプキンにも絵は生まれる。
手すさびではなく、芸術家ジャコメッティの「芸術」活動の一つ。
かれはどんな時でも手を動かしていた、という証言がある。動かしていないといてられなかったのかもしれない。

エルンスト・シャイデッカー(主にル・コルビュジエの傍らでその仕事を撮り続けてきた)によるカフェにいるジャコメッティの写真がなかなか素敵だ。表情がいい。

とりあえず最初から簡素に。
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1.初期・キュビズム・シュルレアリスム
ディエゴの肖像 1919 弟さんを描いた洋画。後の<個性>はここには見出せない。
このディエゴも彫刻家で、代表作かどうかは知らないが、日本で最も愛されている作品が松岡美術館にある。
そう、猫の給仕頭ね。
賢くて機転がきいてしかもちょっとイタズラ好きそうなお猫さんの給仕頭。

とか言うてるうちに忽ちシュルレアリスムとキュビズムの影響のある作品が出てくる。

女=スプーン 1926-27 ブロンズ ああ、納得。おなかのへこみ具合はあれだけど、そこがスプーンだしな。

なんかほかにもどう見てもお碗としゃもじみたいなのや巨大瓢箪を半割にしたようなのがあった。

鼻 1947 ものすごーーーーーく長い鼻。禅知内供どころではないわい。

裸婦の素描を見る。
1922年頃と1940年と。どちらも腿がとても大きい。
わたしは男性の腿フェチだが、女性の腿にはあまり関心がない。

シュルレアリスムのアンドレ・ブルトン「水の空気」のための挿絵がある。1934年 エングレーヴィング
・・・顔がな、ウルトラマンしてはるで…それも本物やなしに偽ウルトラマンな・・・
こういうヨタが書けるのは嬉しい。

2.小像
ジャコメッティの距離感について解説を読んで、不思議ななあ…と思ったが、実際にめちゃくちゃ小さい像を見ると、「これはもぉあかんでしょう」という感じの小ささで、びっくりした。

そのうちの一つ、9.5cmの「小さな怪物1」は女に見えるが、細かいことはわからない。

3.女性立像
どんどん薄くなってゆく。本当に薄い。正面から見ると何かにプレスされてぺろんぺろんになったのかと思うレベルだが、横から見るときちんと横顔を見せている。

正面を向いたアネット 1955  数年前に結婚したアネットをモデルにしたエッチング。当時32歳の女性。
堅いペンでカリカリ描くことが手に合うジャコメッティ。

裸婦立像2 1961 リトグラフ 胸は垂れつつあるが、ウエストがいい。そして小股が切れ上がっている。腿も足も綺麗。

4.群像
3人の男のグループ1(3人の歩く男たち1) 1948-49 ブロンズ  行き交うのではなく、行き過ぎ合う、というべきか。

広場、3人の人物とひとつの頭部 1950 ブロンズ  ・・・「呪い」のアイテムかと。カリブ海辺りのブードゥー教のあれぽいような。

森、広場、7人の人物と一つの頭部 1950 ブロンズ  なぜ一緒に置く?三題話かーっ

林間の空き地、広場、9人の人物 1950 ブロンズ  これもあれか呪いのアイテムか・・・

5.書物のための下絵
鉛筆画。顔のない人物が多いが、どこかスタイリッシュでカッコいい。
挿絵好きなわたしとしては興味深い表現だと思った。

6.モデルを前にした制作
先の極度に小さくなっていった彫刻群を見る分では「モデルはいらんでしょう」と思うのだが、ここへ来ると、やっぱりモデルはいるのか・・・となる。

弟ディエゴも妻もとても忍耐強いので驚く。ディエゴの胸像を見ても似てるのかどうかはわからないが、描かれたディエゴはよく似ているように思う。いや、似ようが似まいが関係ない。
アルベルト本人の目にどう見えるかだけが真実となるのだ。

それにしてもディエゴの忍耐力、すごい。えらいぞ。
ゴッホ兄弟、ジャコメッティ兄弟、みんな胸が熱くなる。

石碑1 1958 ブロンズ  これを見て思い出したのが「コブラ」に出てくるソード人の王様。そう、刀剣の形をした生命体。柄のすぐ下位に顔があった。あれによく似ている。

洗面所に立つアネット 1959  シュミーズ一枚でこちらを見ている。ずっと動かずに来れはつらかったろう・・・
作品がいいとかより、そちらが気にかかる。

女性の絵はみんなアネットなのだろうか。職業モデルは彼の欲求にこたえられないと聞いた。
身体を動かすことが許されないというのは本当につらい。
なので、ここにある女性像は皆アネットに見える。

7.マーグ家との交流
マルグリット・マーグの肖像 油彩 1961
エメ・マーグの肖像 鉛筆 1959
男女、同じ顔に見えた。
ジャコメッティの表現なのか、この二人が同じ顔なのかは知らない。

8.矢内原伊作
実はこのコーナーを一番楽しみにしていた。
ジャコメッティと矢内原の関係性にときめいているからだ。
勝手なことを想像し、ドキドキするのは得意中の得意、妄想だけで生きてきたようなものだ。
なので胸を抑えながらここへ向かった。

・・・映画「イレイザー・ヘッド」の主人公を思わせる髪型の矢内原。 
とにかく矢内原伊作はものすごく誠実にジャコメッティのモデルを務めた。
ここにあるボールペンや鉛筆で描かれた矢内原の顔や様子をみていると、かれらの関係性の深さに息をのむばかりだった。
紙ナプキンに描かれた矢内原の表情などもいい。
想像以上によかった。絵を見ながら物思いにふける。
こういうときがいちばんその作品に惹かれているとき。
作品を見ながら物思いにふけり、音楽が脳内に流れてくるときがいちばん幸福な状態なのだ。

9.パリの街とアトリエ
ずっと同じところに住んだジャコメッティ。決して広いところではなかったそうだ。
しかしジャコメッティはとても満足していたようだ。

アトリエ2 1954 リトグラフ  なにか見覚えが。ヒルコみたいですな。

犬、猫、絵画 1954 リトグラフ  アトリエの中、真ん中に猫、右に犬の像。
後から出てくるが、猫はディエゴの飼うてた猫だそうだ。

胸像 1954 リトグラフ  これまたなにかいるな…

アトリエのアネット 1954 リトグラフ  すらりと立つ姿。スカートをはいている。

10.犬と猫
猫 1951 ブロンズ  これはええよ、ああジャコメッティやもんな、と思うから。顔だけ猫らしさがあるが体が糸のよう。

犬 1951 ブロンズ  …痩せすぎていて可哀想やわ…なんかみじめそう。

11.スタンパ
田舎の小村。のんびりした様子。
家の中で読書する老母を描いたり、村を鳥瞰したり。

12.静物
セザンヌ賛江という面もあるのかもしれない。いや、ないか。
しかしジャコメッティがセザンヌの絵に惹かれていたのはわかる。

リンゴの絵、セザンヌの絵の模写などがある。
しかしジャコメッティが描くと背景は灰色となる。

13.ヴェネツィアの女
連作ものだが小さいピンのようなものが逆三角形に立っている様子がまるでポーリングのようだった。
ストライクをキメたい…!

14.チェース・マンハッタン銀行のプロジェクト
空間に1959年制作の三体のブロンズ像が置かれていて、ここだけは撮影可能。
わたしも少しだけ撮った。
銀行前にこんなのがあるのか…
不思議な空間だと思った。

この銀行は小池一夫・原作/平野仁・絵「サハラ」で知ったのだが、これらの彫像があの作品の中にあったかどうかは未確認。
あろうがなかろうが本当はどうでもいいのだが、実際の空間にはこの像がある。
そのことを妙にドキドキしながら受け入れていた。

15.ジャコメッティと同時代の詩人たち
三人の詩人たちの本にジャコメッティが挿絵を担当している。
ジャック・デュパン「ハイタカ」 、アンドレ・デュブーシェ「うつろな熱さの中で」、ミシェル・レリス「生ける灰、名もないまま」
いずれもエッチング。

16.終わりなきパリ
1969 リトグラフ150点、パリの様々な様子を一瞬で切り取ったような作品集。
カフェ、街角、道路、車内…
1960年代がここに封じ込められている。

ジャコメッティは1966年に亡くなっている。
20世紀の始まりに生まれ、20世紀の真ん中少し過ぎに死んだ。
50年経ってもちっとも古びない。いや、新しいこともない。
ジャコメッティはジャコメッティ。
どの作品もやっぱりジャコメッティ。

見に行けてよかった。

9/4まで。




京阪神で小さい展覧会を楽しもう

京阪神には小規模ミュージアムが数多い。そしてみんないい展示をする。
今回はいくつかの展覧会の感想を挙げる。

尼崎・近代交通の始まり @尼崎市立文化財収蔵庫
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尼崎の城内にある元は学校だったところ。
ここはいつもいい企画展をする。

ところで尼崎を通る電車は三社ある。
・阪神
・阪急
・JR
この三社。そのうち阪急は園田、武庫之荘といった住宅街を行き、繁華街は塚口となる。
阪神は阪神尼崎と言う大きな繁華街を持つ。
JRは開発が遅れたように思う。

こちらは電車に乗る時のマナー図
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字も多いが、絵があるので読めない人にも良いと思う。

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尼崎は大阪と神戸とを結ぶ大動脈の中間にあり、最初の大商業地でもある。
藩主の家の出で初代市長になった櫻井忠剛が市政に力を注ぎ、インフラ整備にも早いうちに着手した。
その片鱗を見ることができる。
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路面電車の時代…

大尼崎鳥瞰図 1933 ダンスホール(タイガー、キング、ダンスホール、パレス)も描かれている。他に脳病院も…

こうした切り口の展覧会はとても好きだ。
しかも無料と言うのがすごい。

BIRDS 描かれた鳥たち @池田市立歴史民俗資料館
ここも無料で、過去から届く作品をよい企画で見せてくれる。
今回は描かれた鳥達。
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池田には呉春をはじめ多くの文人墨客が滞在した。
小林一三が住宅街を開発したときもその環境を好んで市内から移住する人も多くいた。
木谷千種の展覧会を見たのもここだった。

今回は伊藤渓水、上田耕冲、樫野南陽らの作品が出ていた。
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なかでも気に入ったのはこちら。
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燕図 上田耕冲

そして樫野の雀たち。

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数は少ないが、楽しい展示だった。
ここの帰りにはコープの並びにあるタツタジャムへ行くことをおススメする。

特別展の良さというのはこれはもうわかっていることだから書かない。
ミュージアムのコレクション展を見たときに胸を衝かれたら、その厚みに感嘆するしかない。
そして、小さい企画展の内容がよかったなら、惜しむことなく喧伝しよう。

富岡鉄斎 和泉国茅渟海畔の寓居にて

堺市博物館で「富岡鉄斎 和泉国茅渟海畔の寓居にて」展を見る。
「和泉国茅渟海畔」は「いずみのくに・ちぬのうみの・ほとり」とよむ。
茅渟の海とは今の大阪湾一帯。和泉の国は特に海と面している。
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さて富岡鉄斎は長い長い生涯のうち四十代の三年ほどを、堺市の大鳥神社の大宮司として過ごした。
西暦で言えば1877年頃の話。
若き明治天皇が全国を巡幸されたその最中、関西にも来られることとなり、それで鉄斎の活躍がある。
「明治10年(1877)2月、明治天皇が堺県に行幸し、畝傍山麓の神武天皇陵に参拝しました。鉄斎は堺県令・税所篤に命じられ、行幸の道筋にある神社および御陵の位置を示した図巻を描いています。」


サイトにこうあるが、当時の堺市は大阪府とは別個の県として独立していた。
河内と泉州と奈良全域が堺県だったそうな。
「物みな堺に始まる」の気概を持つ堺の人々はその後の大阪府への編入をどう思っていたことか。
そう言えば京都の伏見も昭和6年に京都市に編入されるまでは「伏見市」だったな。

後に文人画家として愛される鉄斎だが、本人はあくまでもそれは手すさびだと見做していたとよく聞く。
しかし、実際に依頼を受けて、明治初頭の巡幸のためにその地の「神社および御陵の位置を示した図巻」を記しているのだ。
当時既にその技能は知られていたわけだ。
そういうことを思うと、鉄斎に対し、ある種の反発がわくのだ。

【大鳥神社大宮司・宮司として】
富岡鉄斎写真  大鳥神社  四十代の鉄斎である。今の人とは違う顔つきをしている。
かれは瓦解以前に成人していたのだ。そのことを改めて考える。

大鳥神社一覧表  明治11年3月  清荒神清澄寺 鉄斎美術館  この神社の祭神はヤマトタケルだとある。
わたしは寺社関係には深入りしないので、知らなかった。
古事記では死後に白鳥となり飛んでいくのを妻子が追ったという話がせつない。
その白鳥がこの地に止まり、一夜にして森になったそうな。

大鳥神社神幸図巻  明治11年  個人蔵  列は→の方向へと進む。獅子舞もいる。

平清盛歌碑拓本  清荒神清澄寺 鉄斎美術館  かなり大きな石なのでびっくりした。
そういえば清盛はどんな歌を詠んだのか。わたしは知らないなあ。

湊焼扁額「盥而不薦」富岡鉄斎下書・八代上田吉右衛門作 明治13年5月  大鳥神社  これはまた巨大なビスキュイというかなんというか。地元の湊焼と言うのがあったようで、それで焼かれた扁額というのがスゴイ。
字自体はちょっとばかり隷書体に近いような感じもするが、よくはわからない。

倭武大神御像  明治14年 大鳥神社  可愛い少年姿。草薙の剣を授けられたところ。筵に坐している。白衣の中に鎧が見える。

日本武尊像粉本  明治14年頃  清荒神清澄寺 鉄斎美術館  このヤマトタケルの表記は日本書紀の方。みずら姿で坐している。

事代主命神影  明治14年 清荒神清澄寺 鉄斎美術館  こちらもまた白衣で首には勾玉、手には釣り道具。小さい岩に座る。
この後えべっさんになってまうんやろなあ…

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【山水人物を描く】
日本名所十二景図屏風  明治12年 個人蔵  右隻が吉野、月ヶ瀬、松島、おのころ島(磤馭廬しま)、耶馬溪、那智滝。左隻は高千穂、厳島、富士山頂、那須…

漁夫打網図 明治13年 清荒神清澄寺 鉄斎美術館  二人いる。景行天皇の故事からだという。

茅渟晩景図 大勢の人との合作。鉄斎の描いた海畔には燈台が見える。

【御陵調査と明治天皇行幸】
巡陵日誌 明治9年  清荒神清澄寺  鉄斎美術館  

御陵図絵并書抄(筆者不詳・富岡鉄斎書入、包紙共) 明治9年頃  清荒神清澄寺 鉄斎美術館  崇峻天皇(雀塚)これは明治2年から22年までの名称。そんなに大きくはない。天武帝と持統女帝の陵墓、舒明天皇のきちんと整備された陵墓、畝傍山東北の御陵は神武天皇。四隅に柵がきちん。池のほとりにあるヤマトモスソ姫の墓、後醍醐天皇の陵墓も…

堺県行在所御飾付図巻  明治10年 荒川豊蔵資料館  なぜ荒川豊蔵資料館に?
行在所の設え。煎茶ブームもあり、それを取り入れたりも。唐物趣味の部屋もある。

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堺県行幸道筋官幣大社御陵位置図巻 明治10年2月 荒川豊蔵資料館  道明寺、今井町などもある。奈良がきちんと区画割されているのも見える。

鉄斎の若い頃の「仕事」を面白く見た。
こうした展覧会も他では見ていない。
とても面白かった。

7/9まで。

手ぬぐい万華鏡 

手ぬぐいの世界は奥深い。
タオルではなく日本手ぬぐいの話。
染物として手ぬぐいは浴衣同様、様々な趣向が凝らせるうえ、宣伝もこなせる。
用の美だけでないものがある。
・・・ということを、今回改めて思い知らされた。
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大阪くらしの今昔館の企画展はいつもいい内容だが、今回は浮田光治コレクション5000点のうちから200点ばかりが来ていた。
展覧会のタイトルは「手拭万華鏡 名もなき職人たちの手仕事」とあるが、今回出ている手ぬぐいの幾種かは菅楯彦、横山隆一、芹沢ケイ介、稲垣稔次郎といった名だたる作家たちのオリジナルも含まれていた。
また浮世絵をモチーフにしたものも少なくない。
サイトの紹介を読もう。
「手拭は、江戸時代以来、庶民の暮らしになくてはならない日用品でした。食器や手を拭く、頭を覆うなどの他、年末年始の挨拶や土産などの贈答用、会社や商店の広告、さらに個性や雰囲気を演出するお洒落用。日常生活から離れたところでは、落語や歌舞伎など舞台の小道具として、実に様々な用途に使われてきました。
 手拭をつくる工程は下絵、型彫り、染めに分かれ、それぞれの職人が手仕事で作りあげていました。手間ひまがかかりますが、手拭は安価な日用品。使い込まれて図柄が分からない程になれば、最後は雑巾やはたきなどの掃除道具に転用されました。
 一方で、大正期から昭和戦前にかけて、富裕な愛好家や旦那衆に向け、高級手拭が作られ頒布されました。それらは、三都の名所、歌舞伎や文楽、浮世絵、カフェやダンスホールといった街角の一場面など、魅力に富んだ図柄が色鮮やかに染めあげられ、芸術品ともいえるものでした。このような高級手拭のなかには、高名な染色作家が手がけたものもありますが、多くは無名の職人の手によるものでした。
 本展では手拭収集家 浮田光治氏のコレクションのなかから、稲垣稔次郎(人間国宝)や徳力富吉郎など高名な作家の作品を含め、京都の舞妓手拭や大阪城をはじめとする百名城、写楽や広重などの浮世絵手拭のほか、特に秀逸な200点を厳選して展示します。明治・大正・昭和の名も無き職人たちの手仕事 ― 一幅の手拭に込められた技術と芸術と遊びごころ ― その魅力を伝えます。

浮田光治(うきたみつじ)コレクション
 手拭収集家 浮田光治氏(明治45年~平成13年)の約5,000点におよぶ手拭コレクション。
 明治45年、船場の文庫紙商の次男として生まれる。旧制中学(現大阪市立東商業高等学校)卒業後、船場の“ぼん”でありながら当時としては珍しく、京都の木綿問屋へ奉公に出る。別家を許されて独立するまでの11年間、一貫して手拭を担当し、そのかたわら手拭の収集を始める。独立後は大阪で手拭やタオルの卸問屋を経営。仕事を引退してからも収集を続け、自ら手拭のデザインも手がけた。」

長い引用になったが、それを踏まえて作品を見ると、色々興味深くもある。
手拭はおおむね明治から昭和の終わり頃のものが多い。

鯉のぼり これが今回の最古。幕末から明治初期のもの。大きく鯉のぼり本体をクローズアップし、鱗にぼかしが使われている。

手拭をアタマに使うのは、封建社会の身分制度に原因がある。髪型でその人の立場が分かるからだが、その身分を手ぬぐいで隠すのかと思いきや、なんだかんだと自分の立ち位置をアピールする人が多かった。
学芸員さんが描かれたか、妙に可愛い紙マネキンに浴衣と手ぬぐいが使われていた。
手ぬぐいのかぶり方の色々を紹介している。

これらは「守貞謾稿」を手本にしているそうだが、どの巻にあるかまでは書かれていない。
わたしもさすがにそれを調べるのはしんどいので、とりあえず国立国会図書館のデジタルコレクションの「守貞謾稿」ページを挙げておく。
いつかしっかりチェックしたいが、今のわたしは「ゲアンゴ」中なのでやめる。←をい。
とはいえやっぱり調べてゆくと、こちらの「東京史楽」さんのサイトが「続・江戸の話」として「守貞謾稿」の解説を連載されていた。
これはたいへんありがたいことです。

さて展示に戻る。
美人画の手ぬぐいがある。
浮田さんの描いた後姿の美人にリンドウの花を添えたもの、夢二のあじさいと美人、小唄の文句を記した暖簾を開く美人・・・
色んな手ぬぐいがある。

手ぬぐいコレクターの会がある。
絵葉書や蔵書票などでも新作を拵えて、会で発表したりもあったから、手ぬぐいにもそんな場があったとて不思議ではない。
「百いろ会」というのがその場だったそうだ。
みんな趣向を凝らした絵柄の手ぬぐいがたくさんある。
昭和5年から15年までの戦前の小さな自由の中での話。

船鉾、狐と豆絞り、安来節、破れ傘・・・破れ傘には巾着袋がセットにされていた。
何かのメタファなのか。とはいえわたしなどにはわからない。
わたしは破れ傘を見ると「てめぇら人間じゃねえ!叩っ斬ってやる!」とタンカをきる萬屋錦之介の「破れ傘刀舟」しか思い出せねぇ。←昭和の子ども。

モダンガール これは胸高に締めた帯の和装にパラソルの二美人。
洋装では「昔恋しい銀座の柳」と歌詞も書かれたモガの手ぬぐいもある。
  昔恋しい 銀座の柳
  仇な年増を 誰が知ろ
  ジャズで踊って リキュルで更けて
  明けりゃダンサーの 涙雨
「東京行進曲」ね。この頃はJAS▲ACなんてのもあったんかなかったんか知らんけど、今と違うて文句も言わんわな。

垣間のぞき これが素晴らしいトリミングもので、垣根の下の隙間から除く様々な人々の足模様。下駄もハイヒールもみんな色々。

螢狩 前川千帆 木版画家の前川の原画。浴衣を着た婦人とワンピース少女とか身をかがめながら「ほーほーほーたるこいー」そしてその手にある団扇にはそれぞれ「MISS」「JAPAN」の文字。

黒猫 チラシの左上におるか、これが全景。
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どことなく目つきの悪いウナギイヌに似てなくもない。

ガイコツ 外面如菩薩内面如夜叉  赤地に黒で、鏡台に向う骸骨を描く。

大津絵モチーフのものもいくつか。
雷さんの太鼓釣りが可愛い。他に瓢箪ナマズ、藤娘など。

手ぬぐいはサイズも決まっているが、それでも業界や地域により違いもあった。
堂島手拭がそれ。厚手木綿で長尺上等のものを言う。
商店の宣伝が染め抜かれていた。

魚佐旅館手ぬぐい 横山隆一  「ノンキナトーサン」と「フクチャン」が描かれている。奈良にあった老舗旅館で、つい近年惜しまれつつ廃業になった旅館。ノンキナトーサンたちが鹿と遭遇、フクチャンはおもちゃの鹿のついた棒を持つ。

尼崎利太郎というヒトの原画による手ぬぐいが色々現れた。
大坂城築城400年祭り、四天王寺舞楽、旧四ツ橋などがある。
特に旧四ツ橋がいい。木材連合会の名がみえるので、信濃橋近くの昔の欄間関連の所の人々かもしれない。

住吉踊りは菅楯彦。まあそうでしょうなあ。

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今は亡きヴォーリズの名作だった大丸モチーフのものもある。

さてここまでは戦前。戦後の手拭を見る。
縦横自在なのは戦前と変わらない。
万博やそごう心斎橋90周年記念、「かしまし娘」の留守文様…ギター、三味線、旧鴻池家の表屋などなど。
浪花言葉を記した手ぬぐいがあったが、「えっこれ方言?」「えっ!」と言うものが多くて笑った。

手ぬぐいでなくタオルで小さい幼女の喜ぶ絵をプリントしたものもある。
当時のマンガの人々を描いたもののようだが、中で一つドキッとしたものがある。、
「たからづか」と書かれた手ぬぐいには和装の少女が推薦を背景にしつつ、可憐な眼で首をかしげている。
その少女の顔、どう見ても初期のわたなべまさこのキャラなのだがなあ。

そして再び「百いろ会」で出たものに屏風仕立ての手拭いがあった。
京都十二か月と銘打って年中行事が描かれているが、これがとても興味深いものだった。
1月 建仁寺十日戎、2月 廬山寺節分、3月 祇園都踊、4月 島原太夫道中、5月 葵祭、6月 藤森祭、7月 祇園祭、8月 松ヶ崎お題目踊り、9月 石清水放生会、10月 広隆寺牛祭、11月 八坂の舞楽、12月 南座顔見世
いずれもはきはきした絵で良い感じの月次屏風だった。

ほかにもやはり京都の風物をいろいろ描いた手ぬぐいが多く、ヒットしたのがよくわかる。

そして荻原一青「百名城手ぬぐい」シリーズが素晴らしかった。
103枚のシリーズのうちから75枚がコレクションにあり、色々と並んでいたが、実に多様な構図で各地の名城を描いていて、興趣のつきない手ぬぐいとなっていた。

歌舞伎をモチーフにしたもの、広重の名所絵を今の時期写したものもある。他に浮世絵美人たち。
それから夢二の「黒船屋」そう、黒猫を抱っこしたあれ。
昭和初期くらいは版権もそんなにうるさくなかったのだ。
小村雪岱「おせん」の挿絵でよいものが選ばれてそれも勝手に手拭になっていた。
おせんが忍び足でくるところと、庭での行水シーンである。
どちらも随分人気だったのだなあ。

小林かいちの作品を世に送り出した「さくら井屋」製の「京名所十景」シリーズもいい。
このシリーズは大ヒットしたそうな。こんな昭和7年くらいで既に京都は確たるブランドとなっていたのだ。
一寸狭い「知多手ぬぐい」に藍一色のものを染め上げて。

他に作家性の高いものがあるのでよくよく見れば、稲垣稔次郎の染色ものだった。
京都をモチーフに描いている。
岸田竹史という作家の仕事もいい。芹沢銈介まであるのにはびっくりしてしまった。

法被手拭と言うものが可愛かった。手拭を法被型にして様々な企業や団体にしている。
こういうのも楽しくていいな。中華の「ハマムラ」、枚方の菊人形などなど。

都都逸、鬼が島、だるまなどなど色々面白いものもあった。
子ど向けではなく大人向けの手ぬぐいも楽しい。

手ぬぐいは本当に奥が深い…

7/23まで。

浅井忠の京都遺産 京都工芸繊維大美術工芸コレクション

泉屋博古館で「浅井忠の京都遺産 京都工芸繊維大美術工芸コレクション」展が開催されている。
字面だけ見たときは「これなら機会を待って繊維大で見ても別に…」という気にもなるのだが、このチラシ見たらやっぱり行ってしまうよ、わたしは。
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背景にはなにやら青い夜の林、大きな金色の葉っぱ、中央にはにこにこ笑う大原女、そして最下段には右から浅井忠、東京にも行った人気のお皿、七福神の廻り燈籠みたいなの、綺麗なアールデコ風な壺、そして白地に背中がヒョウ柄の猫像。
やっぱり釣られるよ、こういうチラシには。

というわけで東天王町でバスを降りて鹿ケ谷へ。
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1.はじまりはパリ、万国博覧会と浅井忠
幻燈写真が出ていた。
万博と同時代のパリの様子を写したもの。
エッフェル塔もある。

ミュシャ「椿姫」、舞姫ロイ・フラーなどその時代を代表する人々を紹介するポスターが。
アールヌーヴォーとジャポニスムのいい具合の作品が並ぶ並ぶ。

ジャポニスムの影響を濃く見せるやきものが一堂に会するのをみるのは壮観。
小さくて愛らしいものばかり。

それに対抗するのがハンガリーのジョルナイ工房が生み出したエオシン釉。
1995年の京近美「ドナウの夢と追憶」展で初めて知ったエオシン釉の魅力。
今回も不思議な耀きを見せてくれる。

そして同時代のロックウッド製陶所の釉下彩、エミール・ミュラー社の艶消しマット釉などなど魅力的なものが続く。
ロイヤルコペンハーゲンの水鳥を描いた花瓶もよかった。トリの表情まできちんと捉えている。

猫もいる。イメージ (393)

ティファニーがとても綺麗な頃の作品を見せてくれる。
世紀末から新世紀にかけての頃の作品は、玉虫色に+αの色彩のガラス製品が多かった。
それから少し時間が経つと、全く違う顔を見せるようになる。
どちらも一度に見ることができ、嬉しい。

2.浅井忠と京都洋画の流れ
フランス時代の浅井忠の絵のあとに、京都に腰を落ち着けてからの日本の情景・歴史を洋画で表現した作品をみる。
霜鳥、都鳥、澤部、鹿子木ら京都の第一世代の洋画家たちの絵が並ぶ。
今から思うと不思議な絵も多いが、みんな熱心に描いたのだ。


…鬼が島 右幅には宝を差出し、額を地につけて謝る鬼たち。
しかしこの桃太郎…怖いよなあ。なにかラリッ…げふんげふん。
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3.図案家・浅井忠と京都工芸の流れ
この章がいちばんおもしろかった。
色んな図案を提案して、それを工芸作家たちが3D化してゆく。
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ブヒブヒの猪たち。原画もすっかりブヒブヒ。

菊文様皿は清水六兵衛とのコラボ。
エジプト壁画をモチーフにした図案は湯呑になり、動物たちの下絵もたくさんある。
七福神は菓子器だった。

朝顔蒔絵手箱 ああ、チラシ表の金の葉っぱはこれか。
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螺鈿の朝顔が綺麗。

そして青い夜の林は梅図花生。
浅井忠の原画に沿って、多くの工芸家が新しい作品を生み出していった。

新しい意識を手に入れ、職人であり芸術家であることを作品が示すようになった人もいる。
5代清水六兵衛 草花絵替り蓋付向付  乾山のそれとは違うが、一碗ずつ図を変えたのはよかった。
とても可愛い。

浅井忠だけでなく武田五一も図案家として良い作品が多い。
百合花文様花瓶 アールヌーヴォーの影響が強いが、それがまたいい。

板谷波山の大壺も出て、とても綺麗なものをみたと思った。
そして三浦竹泉の葱翠磁、ミント色の爽やかな釉薬の花瓶も好ましい。

いいものを見て喜んでいたが、次は京都工芸繊維大へ行かねばならない。
そのとき受付さんで204系統で高木町で下車し、道なりに歩いてと教えてくれた。
わたしは違うルートを考えていたが、素直にそれに乗った。
そしててくてくと歩き、ようやく美術館の裏手に出た。
ここではこれ。
「住友春翠の文化遺産 第五回内国勧業博覧会と近代陶芸作家たち」
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清風与平、伊東陶山、錦光山宗兵衛、宮川香山らの作品が…
ああ、何か見たことがあるなと思ったら、そう、これまでにも六本木の分館で見たものが並んでいるのだ。
「板谷波山をめぐる近代陶磁」、それから「近代の京焼と京都ゆかりの絵画 」
懐かしくて嬉しい数々。

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この犬張子などは特に好き。

いいものを見てご機嫌さんになりましたな。
やきものもいいが、博覧会の鳥瞰図、浪速名所図会などなど…も忘れ難い。

なお、このコースで行けば、泉屋の半券を見せると繊維大は無料になります。

工芸繊維大は他に東欧の映画ポスター展をしている。
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この映画がなんでこうなるの?!というようなのもあれば、政治的プロパガンダのつよいものもある。
ポーランド、チェコ、ハンガリー…
非常に強い制約の下で作成されたポスターの中には、本国遥かに及ばす、というものも出来た。
先般、東ドイツの映画ポスターをフィルムセンターで見たが、あれと似ている。

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三か国の違いというものが正直あんまりわからないのだが、それでも本国や日本で作られたポスターとの違いの大きさはわかる。
全く違う内容を想像させるポスター…
なんだか凄いものを見た。

それぞれの展示期間は異なるが、7/8までならこの3つの展覧会を一日で楽しめる。
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