美術館・博物館・デパートでの展覧会を訪ね歩き、近代建築を見て周り、歌舞伎・映画・物語に溺れる日々の『遊びに行った日を記す』場所です。 

上諏訪温泉の片倉館、2004年3月

2004年の3月4日から6日の二泊三日、上諏訪温泉を拠点に諏訪湖周辺をぐるぐる回った。
宿からすぐ近くに重文指定をうけた「片倉館」があり、喜んで三日間通った。
ここはもともと片倉製糸が女工さんらの慰安と地域交流のために1928年に拵えた素敵な施設で、今も日帰り温泉として安価で心地よく過ごせる施設として繁盛している。
この当時は見学会もなかったが、今ではあるようなので久しぶりに訪ねたいと思う。
詳しくはこちら
諏訪へは大阪からバスが楽である。

以下、写真はすべてフィルムものなので褪色しつつある。修整はしていない。

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たそがれ時の片倉館

朝になり、ぐるぐると見て回る。
装飾が素敵だ。
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屋根の感じも窓もいい。
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塔、三態
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細部まで丁寧。
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快晴になった。
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中へ。
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いい階段。

入浴施設なので内部は写せない。
ところどころの装飾
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外には洋風の池もある。タイルが可愛い。
コイが泳いでいるが、二枚目をよぉくごらんあれ。
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そう、氷が張っている。
この二枚目は三日目の朝の写真。
一日目曇天二日目快晴だったのに、三日目なんと大雪だったのだ!
ホテルから片倉館まで徒歩2分もかからないのに、この日は雪をかき分けかき分け、えらい目に遭うたわ。

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三月の上諏訪、いきなり大雪ということもあるのだなあ…
またいつか出向きたい。
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石洞動物園・寧楽動物園それから

夏は地獄だ、オバケだ、どうぶつえんだ!
・・・とわめいたのを納得してくれる方はそれこそナカーマだ。
暑いから地獄とか出かける先が動物園で夜にはオバケが、というのでもなくて今夏の展覧会の話。
地獄関係は奈良博、三井、出光が開催し、オバケは浮世絵太田、横浜歴博、埼玉歴民などがあり、そんなのコワい救済してほしいという向きには、東博のタイ展、ハルカスの西大寺展、それから地獄と背中合わせの極楽を見れる奈良博、出光の展覧会がピッタリ。
最後の「動物園」、天王寺でも王子でも上野でも京都でもない。
絵画や工芸品の動物を集めた展覧会が今夏、わたしが見ただけで3カ所開催中。
新宿歴博、石洞美術館、寧楽美術館。
今日は石洞と寧楽のどうぶつえんのことを挙げたい。

石洞動物園はあいにく既に閉園したが、寧楽は9/10まで開園中。
先に石洞から入ろう。
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獅子頭部 インド 2-3世紀  経年劣化でか削れてるからか、ちょっとインコみたいにみえる。角に設置された像だったと思う。なのでこういう丸みが出来たような。

ラスター彩獅子文大皿 スペイン16世紀  この獅子の爪の大きさに目がゆく。

色絵花鳥文大皿 日本 1655-1670年  青い鳥が二羽とこれは枇杷かな。

加彩牛 中国 7世紀  これはあれだ、コッテ牛。赤い強そうなやつ。

古染付四牛図詩入皿 中国 17世紀  おお、老子が曾て乗って云々。過去を読む形だね

染付鹿図タイル、染付鳥図タイル オランダ 17世紀  シンプルに絵付け。これを見ると以前にlixilで見たタイルを思い出すわ。

バーナード・リーチの鉄絵馬図タイルもある。 こちらは1970年。

交趾亀形香合 中国 17世紀  薄青く綺麗な亀。一色と言うのもいいものだ。

宋胡録鉄絵鳥形合子 タイ 16世紀  フクラ雀風の可愛いもの。

白磁海駝形水滴 朝鮮 20世紀  青白磁。近現代のものでもこうした色のものがあるのはいいな。海駝は幻獣。朝鮮語ではヘテと読むそうな。中国では獬豸 カイチというそう。

黄釉緑褐彩鳥形笛 中国 9世紀  これは可愛いな。小さい鳥笛。尻尾が立っている。

ナーガ インド 2世紀  土偶風なのが面白い。この当時のアジア全域の共通認識なのか。

パナマのクナ族の女性たちの民俗衣装MOLAというものもあった。
造り方は布を重ねて切りだして形を拵えるというもの。アップリケとは違う。トリか爬虫類らしきものが4匹。可愛い。

駒井哲郎の版画もある。飛ぶ鳥が静か。

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再びインドの獅子頭が現れた。こちらは5世紀のもので、片眼が失われ耳もない。赤薄地にそばかすのようなものが散る。

染付狐文中皿 スペイン 17-18世紀  可愛いな。手をじっと見ている。なんとなく「手袋を買いに」を思い出す。

古染付山羊形向付 中国 17世紀  鋭い眼の山羊。他に見返り・睫毛有バージョンもある。
古染付馬形向付 中国 17世紀  こちらは見返り馬で葦毛。どこか井上洋介を思わせるような馬。安易に人語を解しそう。
古染付馬図火入 中国 17世紀  ヒンヒン、パカパカ、ぐるっ という動き。
古染付瓜栗鼠文鉢 中国 17世紀  巨大な栗鼠やな…
古染付葡萄栗鼠図皿 中国 17世紀  ブドウの木にリス3匹が。おいしそう。
古染付豚形向付 中国 17世紀  日本にはない柄だが猪と豚は中国では同じだしなあ。
古染付水鳥形向付 中国 17世紀  5皿だから5羽いるがみんな眼の形が違うのが面白い。

黒釉犬 中国 10-14世紀  姿は洋犬でサルーキー風な。
白釉馬 中国 10-14世紀  この犬と仲良し風。

埴輪朱彩猿 日本 6-7世紀  ちょっと賢そうな。

道八の狸の香合もある。和尚さんではなく、ぽんぽこぽんとおなかを打ちそうな奴である。

ラスター彩ウサギ文大皿 スペイン 16世紀  これまた可愛い。皿の見込みいっぱいにうさぎさん。

染付の踊るウサギの絵柄の鉢もいい。

戦うゾウ インド 12世紀  なかなかリアルだが、ゾウさんなので可愛さが先に立つ。

仏伝「託胎霊夢」 パキスタン 1-2世紀  こんにちはなゾウさん。
仏伝「酔象調伏」 パキスタン 3-4世紀  なだめられて撫でられるゾウさん。

人面牛体・獅子面牛体 インド 2世紀  件(くだん)となにか幻獣だよな…こわいわ。ナラシンハはいないよ。

石洞はここまで。

寧楽動物園へ。
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奈良博の地獄の帰りに行きましたよ。

こちらの本当のタイトルは「いのちあるよろこび」

白玉金宝玉象嵌有蓋壺 乾隆帝期  鸚鵡を玉で表現。その重なり具合が鸚鵡の筋肉のよう。

猿廻し図 英一蝶  放下の猿。よく働く。

猿置物 道八  可愛い喃。無邪気そうな顔つき。

青磁蓮弁文多嘴壺 蓋の摘みが犬。ニッパー君ぽい。

花鳥図屏風 山本梅逸  おお、ここにもあったのか。南画風な筆致で花鳥が飛び交う様子を描く。

青磁鯉型瓶 明末  大きな口が上部に開く。これはあれだ、ローマの食堂で出てきた水の容器の仲間だ。

旭波に鯛図 西山完瑛  三匹の大きなタイが波間に力強く躍る。家族な感じがする鯛たち。

唐代の青銅鏡がいろいろ出ていた。
前漢の鏡もある。こちらの彫刻がシンプルだがわかりやすく可愛い。
九尾のキツネ、杵もちウサギ、三本足の烏。蝦蟇、などが三重円内を走る。

他に戦国から前漢ころの帯鉤がぞろり、そこには蝉型文などが入る。
饕餮くんも動物園の仲間入り。
戦国から後漢くらいの鈕もたくさん。羊、馬、駱駝などなど…

初代中村宗哲 凡鳥棗  これは「鳳」のことね。遊び心でつけた銘。

いい動物園でした。

こちらは今東京都美術館で開催中のボストン美術館展の英一蝶涅槃図
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ずらりと動物たち。
ZOOではないがね。

秋の正倉院展の目玉はこれ。
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この羊や後ろの木の猿についてはまた展覧会になってから。

動物ものはやはりとても楽しい。 

「タイ 仏の国の輝き」展に行く

東博で「タイ 仏の国の輝き」展が開催中。
九博からの巡回。
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そう言えばわたしはタイには行ったことないんだよなあ。
いや、そもそもタイ料理もわたしは無縁。
とはいえタイにはいつか行きたいと思っているのは確か。
行ったことないのなら、とりあえず歴史や文化を学ぼう。
・・・というわけで、東博のタイ展に出向いたわけです。

第1章 タイ前夜 古代の仏教世界
第2章 スコータイ 幸福の生まれ出づる国
第3章 アユタヤー 輝ける交易の都
第4章 シャム 日本人の見た南方の夢
第5章 ラタナコーシン インドラ神の宝蔵
 
5章に分かれてタイの仏がお出ましなのね。
タイと言えば昔はシャム。
シャムと言えば「王様と私」。
それから「暁の寺」。
イメージはこんなところだったりする。

数年前の「インドの仏」展(別名・インドのイム)を思い出す感じかな。
当時の感想はこちら

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チラシ、いいお顔のブッダ。

第1章 タイ前夜 古代の仏教世界
5世紀から13世紀の様々な遺宝が集まる。

ナーガ上の仏陀坐像 1軀 スラートターニー県チャイヤー郡ワット・ウィアン伝来 シュリーヴィジャヤ様式・12世紀末~13世紀 バンコク国立博物館  
チラシの仏像。綺麗なお顔をしていて、ムチロンダ君が雨にかからぬように気を遣っている。光背のように広がる。ナーガのムチロンダ君はタイヤのような屈強な体。

どうしても「聖☆おにいさん」を思い出しますな、わたし。
それでついついムチロンダ君と親しく呼んでしまった・・・
(近年のわたし、地獄は「鬼灯の冷徹」、仏教とキリスト教は「聖☆おにいさん」のイメージがとても強いのですよ・・・)

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さて本格的に拝見しましょう。
印章(洋上船図) 1個 ナコーンパトム県 5~6世紀 バンコク国立博物館  
おお、ほんとに舟に乗る図が。

ドヴァーラヴァティー銘銀貨 3枚 ナコーンパトム県プラプラトーン区 ドヴァーラヴァティー時代・7~8世紀 バンコク国立博物館  「大いなる徳の持ち主であるドヴァーラヴァティー王」とか書いてあるそうな。
王を褒め称える文化があったわけですな。

ドヴァーラヴァティー銀貨 5枚 スパンブリー県ウートーン郡 コ-クチャーンディン遺跡出土 ドヴァーラヴァティー時代・7~8世紀 ウートーン国立博物館   
それでこのおカネがみつかったことで、実在が確認されたそう。ナゾの国だったらしい。
ほかに銀貨も出てきたが、旭日柄とかほら貝とかあって面白い。
こうなると旭日は日本オリジナルでも日本占有ものでもなくなる。

仏陀立像   1軀 ノンタブリー県ワット・チョーンター仏塔出土 ドヴァーラヴァティー時代・7~8世紀 バンコク国立博物館   
両手で説法印を結ぶ、らしいが昔の芸人で「指パッチン」の人がいたが、それを思い出すよ。

タイは「ほほえみの国」と言っていたのを覚えている。そして熱心な仏教の国、というイメージは確かにある。
タイの人々と触れ合ったことはないが、仏像を見ていると「ほほえみの国」はここからかも、と思えてきた。

タイにはとても法輪が多いそうな。
法輪と言えばわたしが思い出すのは四天王寺さんのそれか。自分でぐるぐる回せるようになっている。

法輪柱 1基 スパンブリー県ウートーン遺跡第11号仏塔跡出土 ドヴァーラヴァティー時代・7世紀 ウートーン国立博物館
  上に花飾り、下にガチョウが四面。いい柱。インドの装飾柵の欄楯を思い出す。

法輪頂板 1基 ナコーンパトム県ワット・プラメーン遺跡出土 ドヴァーラヴァティー時代・7~8世紀 プラパトムチェーディー国立博物館  四面に力強いヤクシャのようなコワモテの者がヤンキー座りする彫刻が施されていた。膝に手を置いている。
かなり凄い笑顔?をみせていた。

舎衛城神変図 1面 アユタヤー県ワット・チーン伝来 ドヴァーラヴァティー時代・7~8世紀 バンコク国立博物館   
舎衛城神変図奉献板(縁起法頌銘) 1面 ラーチャブリー県クーブア遺跡出土 ドヴァーラヴァティー時代・7~8世紀 ラーチャブリー国立博物館
どちらもブッダがその法力を見せるシーン。タイの人々はこのシーンにシビレていたのだ。
マンゴーを実らせたりなんだかんだ。
この気持ちはわかる。見たいシーンというものこそ、こうして図像化されるのだ。

菩薩立像 1軀 ラーチャブリー県クーブア遺跡第40号仏塔跡出土 ドヴァーラヴァティー時代・7世紀 バンコク国立博物館   スゴイくねり方をしている。顔の重さと体の細さのアンバランスがこれを支えているのかも。

菩薩立像 1軀 ラーチャブリー県クーブア遺跡第30号仏塔跡出土 ドヴァーラヴァティー時代・7世紀前半 バンコク国立博物館  こちらも体をくねりニンマリ。

アルダナーリーシュヴァラ坐像 1軀 ウボンラーチャターニー県 プレ・アンコール時代・8~9世紀初 ウボンラーチャターニー国立博物館  これはシヴァとパールヴァティーが合体したもので、半男半女の像。

本生図結界石 1基 カーラシン県ファーデートソンヤーン遺跡出土 ドヴァーラヴァティー時代・9世紀 コーンケン国立博物館  みんなまったりしている。ゾウさんも一緒。インドラと妃たち、ゾウは過去の出会い、鳥を差し出す女もいる。どこかシーギリア・レディーを思わせるような美女もいる。

観音菩薩立像 1軀 カンチャナブリー県ムアンシン遺跡出土 アンコール時代・12世紀末~13世紀初 バンコク国立博物館  体つきがクメール仏風だと思ったら、やはり影響下にあったそう。立派ないい身体。

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第2章 スコータイ 幸福の生まれ出づる国
主に14,15世紀。
スリランカの影響が濃く、遊行像も多い時代。

ナーガ像 1面 スコータイ県シーサッチャナーライ郡ワット・チェディーチェットテーオ遺跡出土か スコータイ時代・15世紀 サワンウォーラナーヨック国立博物館   マカラの口からノバーッ

仏陀遊行像 1軀 スコータイ県シーサッチャナーライ郡ワット・サワンカラーム伝来 スコータイ時代・14~15世紀 サワンウォーラナーヨック国立博物館   一足動かすのもまた遊行。

ハリハラ立像 1軀 スコータイ県ホー・テーワラーイ・マハーカセート・ピマーン遺跡出土か スコータイ時代・15世紀 バンコク国立博物館   細い身体。黙って笑っている。やはりハリ・ハラは諸星大二郎「孔子暗黒伝」に尽きる…

仏陀遊行像・仏足跡 1軀 チエンラーイ県チエンセーン遺跡出土 ラーンナータイ様式・1481年 バンコク国立博物館   動かないと足の裏に踏まれた治も足跡もなくなるものねえ。

白褐釉刻花瑞鳥唐草文水注、鉄絵唐草文水注  こうしたやきものもいい。

第3章 アユタヤー 輝ける交易の都
かつてはにぎわったろうその跡地。

金象 1体、金冠、金鎖,、団扇・払子・杖(神器ミニチュア)、金葉 アユタヤー県ワット・ラーチャブーラナ遺跡仏塔地下出土 アユタヤー時代・15世紀初 チャオサームプラヤー国立博物館  いずれもとても精巧。フィギュア。金葉の凄さにも驚く。

玉座模型 1基 チエンマイ県ホート郡ワット・チェーディースーン出土 ラーンナータイ様式・16~17世紀 バンコク国立博物館  すごすぎる、なにこれ…!

三界経 1帖   アユタヤー時代・17~18世紀 タイ国立図書館  絵入り写本。地獄が出てた。鬼ではなく人による虐待。この方がコワイな…これは前に何かで見たな。しかし思い出せない。天界もある。

第4章 シャム 日本人の見た南方の夢

山田長政らの資料が出てきて懐かしかった。
人形劇「真田十勇士」に山田長政が出てくるエピソードがあった。それで彼を知った。
他にTVドラマ「 南十字星 コルネリアお雪異聞 わたしの山田長政」を小学校の担任に勧められて見たが、家族には不評だった。
わたしが覚えているのは長政が妻の不義を知って絶望のあまり荒れ狂うところ。
今調べたら林隆三が演じていたのか。1978.12.1放送…

アジア航海図、朱印状、山田長政像などなど。
琉球の「おもろさうし」まであった。これは実物見るの初めて。平凡社の東洋文庫か岩波文庫かのどちらをチラチラみた。
昔の歌謡集だが、当時は理解していなかった。今だと読めそうな気がする。

更紗も何種かある。サロンとして使われていたようなのもある。
カティナ(功徳衣)法要図 1帖   ラタナコーシン時代・1918年 タイ国立図書館
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ゾウに乗って、というとハンニバル将軍だったかな、あったな…

今回はシャムの話だが、同時期にはルソンとの交易もあり、その後のじゃがだら文などを思うと、日本人は本当に遠くまで出掛けていたのだなあ…

第5章 ラタナコーシン インドラ神の宝蔵

ラーマ2世王作の大扉 1面 バンコク都ワット・スタット仏堂伝来 ラタナコーシン時代・19世紀 バンコク国立博物館  撮影可能。素晴らしい彫刻が施されていた。
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この扉を一枚持ってきたのか…!!!

チラシのあちこちに姿を見せる銀色のゾウさんがいた。
騎象仏陀三尊銀像 1体 ラムプーン県ワット・プラタートハリプンチャイ伝来 ラーンナータイ様式 20世紀 ハリプンチャイ国立博物館
金のゾウも銀のゾウもどちらも可愛いなあ。

やっぱりタイには行かないといけないな。
わたしはワット・アルンにも行きたいしお寺もまわりたい。
ただ、辛いものがニガテなのでいつ行けるかは全く分からないのだが・・・

柳原良平さんの誕生日と命日に・・・

今日は柳原良平さんの誕生日だそう。
1931年8月17日 にうまれ、 2015年8月17日になくなった。
丁度一回り。小津安二郎もそうだった。
5月から7月に尼崎で回顧展があり、とても楽しませてもらったのに、感想を挙げられなかった。
今日、遅ればせながらお誕生日おめでとうと三回忌への気持ちをこめて、小さな感想を挙げたい。




行くと、子供の頃からの作品が現れた。



ツイッターで挙げたとおり、子供の頃の手書き同人誌にびっくりした。
物凄く細密で丁寧で考証もしっかりしているのだ。
当時の自宅を発行所にしているのも可愛い。

こんな小さいうちから、と思う一方で、やっぱりこんな小さいうちからでないと、とも思う。すばらしきマニアックな世界。
柳原良平さんは船を愛したが、原コレクションの原さんは鉄道を愛した。
この二人に共通することは幼児期から生涯その愛が変わらなかったこと。これだ。
「成長しない」ではなく、最初に見出した愛を生涯かけて大きく育んだ、と言うべきなのだ。

絵は最初から本当に巧い。
これは実際自分の子供の頃からのことを思い出すと、クラスに必ずやたらと絵の巧いこと言うのはいて、かれらの才能には誰も太刀打ちできなかった。
だからやはり巧い子は巧いのだ。
「嵐」の大野智くんも絵がうまく、子供の頃からの絵を何かで見たが、やはり相当うまかった。きちんと習ったのではない、自分が描きたいと思ったものを描く力がこうした子供たちには具わっていて、それを伸ばせるかどうかはその子の環境によると思う。
柳原良平さんはその才能を伸ばした。




寿屋、今のサントリー。「トリスを飲んでハワイへ行こう」などの名コピーの時代はあいにく知らず、歴史として見聞きした。
なので「ルパン三世」第一作目に「ルパンを逮捕してヨーロッパへ行こう」がこのパロディだと知るのも後年の事だった。1stルパンも再放送で見たクチなのだ。
わたしが開高らを知ったのは小説家としてだったし、アンクルトリスもリバイバルコマーシャルで見たのが最初のように思う。
だが、古臭さはまるで感じなかった。昭和のまんなかというのは感じるが、古さよりも違う世界のキャラという風に受け止めていたと思う。

今ちょっとググッたら、わかりやすいサイトがあったのでご紹介する。こちら

絵本もちょっとばかり挙げる。
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柳原良平さんは数多くの船の模型も所蔵していた。
今はなき、なにわの海の時空館には柳原良平さんのギャラリーもあった。
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お祖父さんが築港を開いた一人だという。
生まれる前から海と関わる方だったのだ。
当時の感想はこちら


会場では柳原良平さんの装幀の仕事なども紹介があった。
絵本も少なくない。シンプルでわかりやすく、そして力強い作風がいい。

わたしは図録を購入した。脂が乗った頃の作品は画集で見ることが叶うが、子供の頃の絵はこれ以外ではなかなか・・・

またどこか、柳原良平さんの愛した横浜にでも記念館があればと思う。
亡くなったのは二年前だが、まだまだ遠くなった感じはしない。作品は活き続けている。

良い作品を世に贈ってくれてありがとうございました。

芳年 妖怪百物語 その2/ 丹波コレクションの世界Ⅱ 歴史×妖×芳年

昨日の続き。

金太郎捕鯉魚 御届明治18年(1885)7月 大判竪2枚続 個人蔵  金ちゃん頑張る。その様子を上の岩から眺める美人母。その背には柴とユリが見える。

奥州安達がはらひとつ家の図 御届明治18年(1885)9月 大判竪2枚続 個人蔵  鬼婆が故主の唖の姫様のため胎児の肝を取ろうとし、妊婦を逆さ吊り。実はこの妊婦こそ奥州に行った母を探しに来た婆の娘・恋衣だったのだ。そうと知らず婆は臨月の娘を殺し初孫の肝を奪う。
縦二枚の凄い構図。妊婦は腰巻一枚にされて逆さ吊り。
この絵に撃たれた責め絵で有名な伊藤晴雨、何人目かの嫁さんが臨月の時に実地体験をしようと医師の立会いの下で実行。
その写真を見たが、びっくりしたなあ。

袴垂保輔鬼童丸術競図 御届明治20年(1887)9月1日 大判竪2枚続 太田記念美術館蔵  伝説の盗賊vs術者の戦い。上段には大蛇の上に立ち、直垂に刀を手挟んだ袴垂。下段には目を閉じ印を結び、維摩行する鬼童丸、その表情がまたいいのですよ。鬼童丸からは雀が猛禽になったような鳥たちが蛇に向かってゆく。
ここでも芳年得意のビラビラな線が着物に使われる。

平維茂戸隠山鬼女退治之図 御届明治20年(1887)11月1日 大判竪2枚続 太田記念美術館蔵  これが集大成かな。美人とその水鏡に映る顔は鬼。水色と赤色の鮮やかさはさすが明治。

羅城門渡辺綱鬼腕斬之図 御届明治21年(1888)12月20日 大判竪2枚続 太田記念美術館蔵  これも凄い迫力。激しい風雨と、上にいる鬼と下の綱とのにらみ合い。朱の柱の鮮やかさ。

さていよいよ「新形三十六怪撰」シリーズが現れる。
昨日の和漢百物語にしろ月百姿にしても、連作物は楽しいてならない。
明治22年(1889)から明治25年(1892)まで続いた傑作。
こちらの画像も国立国会図書館デジタルコレクションにもあるし、昨日紹介した「妖怪うぃき的妖怪図鑑」さんのところにもある。

貞信公夜宮中に怪を懼しむの図  昨日も挙げた鬼が刀を取ろうとしてアリャ―なことになる様子。鬼よりこの人の方がずっと豪胆。

さぎむすめ  芳年の作画中、特に綺麗な絵の一つ。白無垢に黒帯・黒傘、すりよる鷺たち、そしてタイトル欄の薄紅色。

武田勝千代月夜に老狸を撃の図   斬られる木馬が妙に可愛い。

大森彦七道に怪異に逢ふ図  こちらは太平記の人だが、シチュエーションは美女に化けた鬼との遭遇というもの。おんぶする彦七だが、ふと足元の水面を見れば背負う美女の影に鬼の角・・・!これも歌舞伎舞踊になり、たまに出てくる。

清玄の霊桜姫を慕ふ乃図  元祖・大ストーカー。桜姫故に地位も名誉も何もかも失くし、その上に当の桜姫からも嫌がられ、病に伏しつつも桜姫への妄執は尽きず。死んでからも亡者としてつきまとう。
芳年は連作「雪月花」で百日鬘の清玄が桜姫を想う図を描いてもいる。
この絵はぼーっと出てきた清玄の霊を嫌がる(全く怖がることもない)桜姫。
古狂言もあるが、南北の「桜姫東文章」がやはりいちばん面白い。

鬼若丸池中に鯉魚を窺ふ図  叡山にいた頃の少年時代の弁慶。袴姿で岩から怪魚を窺う。このポーズがね、そのまま少年マンガの先達だと思えるのね。

老婆鬼腕を持去る図  空を駆けゆく老婆の高笑いが聴こえてきそうな図。

小町桜の精  「関の扉」が元ネタ。花魁姿の小町桜の精。背景のグラデーションがまたとても綺麗。雪のように花びらが舞う。

為朝の武威痘鬼神を退く図  日本一の強弓を背たろうた為朝の前から、ブサイクな病神の連中が飛んで逃げていった。

清姫日高川に蛇体と成る図  「百物語」とポーズも構図もほぼ同じだか、こちらの方がやはり情念の高ぶりを感じる。
もう安珍の絶対的な最期はこの時点で決まった。
鱗柄の着物、蛇腹を思わせるような帯、噛みしめた唇と小さな強そうな歯。
92年の大丸「芳年展」で受けた衝撃は大きかった。
あのときの図録はあいにく半分が白黒だったが、それでもこの絵のために買った。

内裏に猪早太鵺を刺図  煙の中でとどめを刺す。

鍾馗夢中捉鬼之図  表情がそれぞれいい。鍾馗にしても怯える鬼にしても。そしてチリリリリと縮れる鍾馗の衣の線。
 
蒲生貞秀臣土岐元貞甲州猪鼻山魔王投倒図  キッチュな色遣いで見物する阿弥陀もヘンなら投げ飛ばされる仁王らしき魔王?もヘン。周囲にはモンシロチョウが群生。

藤原実方の執心雀となる図  菜の花と雀たちがあふれる。都へ帰りたいと願う実方のココロモチ、それを載せて飛んでゆく雀たち。
こういうのを見ると立原正秋「冬の旅」のラストシーン、中上健次「奇蹟」のクライマックスシーンを思い出す。
前者はかもめ後者は小禽だが、群成す鳥たちが主人公の死を示す。
「鳥は死、魚は生」このことがどこかに流れているのかもしれない。

バージョン違いのものが並ぶ。
地獄太夫悟道の図  一は端坐する地獄太夫のみ。一は髑髏たちのシルエットが映るもの。
地獄太夫は暁斎が多く描いたが、芳年もこのように描いている。風俗は吉原の太夫風のもの。

平惟茂戸隠山に悪鬼を退治す図  鬼女は髷を結い、大盃に鬼が映る。

藤原秀郷龍宮城蜈蚣を射るの図  ここでは宮殿の楼閣の一隅から蜈蚣を狙うように見える。俵の藤太はややおじいさん風。龍女は「百物語」とは違い、腹に一物という感じもない。

皿やしきお菊の霊  筒型の井戸の側に侍女姿のお菊さんがうすぼんやりと佇む。合わせた袖口からは緋縮緬がのぞくが、それが陰火にも見える。
シクシクと泣くお菊さん。

葛の葉きつね童子にわかるるの図  障子の影はもう狐。憐れな話。

布引滝悪源太義平霊討難波次郎  「今から叩っ殺してやる!」という気概にあふれた怨霊。
横浜歴博のチラシ表を飾る。
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仁田忠常洞中に奇異を見る図  富士の人穴を探検すると白い蝙蝠たちが・・・

清盛福原に数百の人頭を見る図  「百物語」では雪の庭の怪異だったが、こちらは襖にドクロが浮かぶ。秋草に満月の襖絵で引手が髑髏の眼に化る。
剛毅な清盛はそんなもの恐れもしないが、こんなものが現れ出すあたり、やはり運勢が蝕まれてゆく徴でもある。
襖絵にもののけが大きく浮かぶ、それを最初に見たのは美内すずえ「黒百合の系図」クライマックスシーン。怨霊・鬼姫のクッと嗤う顔の恐ろしさ・・・!いまだにトラウマ。

秋風のふくにつけてもあなめあなめをのとはいはしすすき生けり 業平  罪によりザンギリ。一人でしょぼんの業平のもとへ声が。小町の頭蓋骨がススキに眼窩を貫かれているのを発見。
日本霊異記だったか今昔だったか忘れたが、旅人がやっぱりそんな髑髏を見つけて供養したらお礼を言われた、という話がありましたな。

奈須野原殺生石之図  玉藻の前が石に背中を持たせかけながら雁行をみる。忽ちぐにゃぁと落ちかかる。毒があるからねえ。

蘭丸蘇鉄之怪ヲ見ル図  例の妙国寺の泣き蘇鉄。「百物語」と違いこちらは蘭丸一人。

三井寺頼豪阿闍梨悪念鼠と変ずる図  折角王子が生まれるように祈祷して成功したのに、叡山への「忖度」のために願いが叶わず、激怒して憤懣のなか、憤死する。死んだ途端にネズミになって叡山の大切な巻物を齧り倒す。
この話を最初に知ったのはもしかすると谷川健一「魔の系譜」だったかもしれない。

ほたむとうろう  牡丹燈籠ですわ。ここの女中は既にモノノケなツラツキ。お露さんは何故か遊女風。圓朝の落語を聞いて打たれたのだろうなあ。
わたしはこの元ネタの瞿佑の話から入り、大人になってからこちらの方を知った。
怖いのは元ネタの方な。こちらは人の心のあさましさがこわい。

大物之浦ニ霊平知盛海上ニ出現之図  知盛のこのカッコよさはいいなあ。わたしは「子午線の祀り」、司馬サンの「義経」以来、新中納言知盛が大好き。芝居でも渡海屋銀平実ハ平知盛の姿がカッコ良かったなあ。
波の上に立ち、シャープな横顔を見せて本当にカッコイイ。
これに対峙するのが「月百姿」の静謐にして力強い武蔵坊弁慶。

小早川隆景彦山ノ天狗問答之図  木を切らざるを得ない小早川とそれを推しとどめようとする天狗。しかし日本人的事情を正論として押す小早川の論理により、天狗は負ける。
身もふたもない説明やな。

やとるへき水も氷にとぢられて今宵の月は空にこそあり 宗祇  出ると噂のところに泊まったら案の定出てきた薄い影のヒトたち・・・宗祇も歌を返すことで仲間入り、いえ、勝ちました。

二十四孝狐火之図  赤姫である八重垣姫が赤地に菊柄の綺麗な着物で諏訪法性の兜を持って飛ぶ。周りには姫を盛り立てる狐火たち。「翼が欲しい、羽が欲しい」と泣いた姫もこの力で勝頼のもとへ。

源頼光土蜘蛛ヲ切ル図  今回のチラシ。この絵を見て「オカンにいつまで寝てんねん、起きやと起こされる息子の図」という評があったなあwうまいわ。
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節婦の霊滝に掛る図  例の「箱根霊験躄仇討」の初花が殺された後も滝に打たれて祈る図。しゃがんでるところが明治の幽霊。「牡丹燈籠」以来、日本の幽霊にも足が出来た。

茂林寺の文福茶釜  荒れた寺の一室で狸の和尚さんスタイルで机に凭れる。これでは茶釜じゃないですよ。白蔵主のナカーマの、建長寺の狸和尚の方が近い。
ただ、目つきが狸でも猫でも時折こんな目をするので、やはり物思いにふけっていると思う。

四ツ谷怪談  まだ綺麗だった頃のお岩さんが赤子に添い寝。衝立から降りる紐が蛇のよう。怪異はお岩さんの死後からだが、既に不吉な予兆が現れている。

おもゐつつら  これで終わり。婆さんの驚き方は「百物語」の方が凄いが、これはこれでいい。オバケたちも婆さんの反応を楽しんでいる。

面白い展覧会でしたわ。8/27まで。
そして9月からは「月百姿」が登場。

続いて横浜市歴博へ。
「最後の浮世絵師が描いた江戸文化」という副題がある。
作品は全て丹波コレクション、神奈川県立歴史博物館に収蔵されている。

1.芳年とその作品
芳年漫画 舎那王鞍馬山学武術之図 1888  大天狗に武術を学ぶ稚児輪の舎那王。ちょっとほっぺたもぷっくりしている。

鉢の木、曽我五郎を描いた絵がある。
鉢の木は丁度佐野が大切な盆栽を叩き壊そうとしているところ。
五郎は必死のパッチで馬に乗り駆ける姿。
この絵の構図は菊池容斎「前賢故実」の五郎時致から、ということでその絵も出ている。

報知新聞の絵もある。生け花の(切り花)梅から花が咲いたとか。

東名所墨田川梅若之故事 この絵はもうあぶな絵の1シーンと言ってもいいような色気があふれている。
だまされて京都からこんな東国までつれてこられた美少年・梅若丸が、とうとう命を落とすところ。人買い・信夫の惣太の前で崩れ落ちるのだが、本当にこれはもう男を誘っているとしか。

ほかにも有名どころの絵が並ぶ。
新撰東錦絵お富与三郎話  お富さんの家をそうと知らずにゆすりに行こうとする直前の与三郎と、そのゆすりの指南役・蝙蝠安。
道には犬も寝るし、流しの新内語りもいる。
幕末の退廃的な魅力が明治にも活きている。
この芝居は現在もよくかかる。

芳年は芝居絵も描く。
五世菊五郎が一つ家の老婆を演じる図もある。バックにはへちまがなっている。1890年のこの作では鬼婆の肌がビロビロだが、そんなに猟奇的なものではない。やはり前述のあれは凄い。あっちはこの五年前。

遊郭の様子を描いたものもある。それからシリーズ風俗三十二相から「めがさめさう」と「むまさう」。
この辺りは純然たる美人画。

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2.歴史を描く
・過去を描く
大日本史略図会から「崇徳天皇」「高倉天皇」が出ている。
崇徳院は讃岐に流されてからの姿で、荒れた庵室でぼさぼさの髪に、もうそろそろ叫びだしそうな様子。
高倉天皇と言いながら、これは重盛諫言図。

・金太郎 師弟の競演 
国芳、芳年それぞれの金太郎が集まる。金太郎は歌麿のも大好き。いいなあ。

・同時代を描く
激動の時代でしたなあ。

信州小田井城合戦之図  生首コロコロ。 師匠の所にちょっとだけ来ていた幼い暁斎は同時代に生首コロコロなのを拾って平気で写生したが、芳年はそれはなかったんだなあ…

東台 山王山戦争之図  明治も7年になるとかつてのことを描いていいようになったのだね。
血まみれの彰義隊が可哀想…

そして明治10年になると西南戦争の図がいくつも。
女たちが長刀をふるう図、桐野利秋と野津少将の一騎打ち、小舟の上で切腹する西郷などなど…

最後は「新形三十六怪撰」シリーズがずらり。
ここのもいい摺。

どちらも楽しく見て回った。やはり芳年はいい。

今年の4月には美術館「えき」でもわたしは芳年展を見たが、感想を挙げられなかったので、今回こうして挙げれてよかった。
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今年は三つの芳年展を見たことになるが、いずれもとてもよかった。
京都の方は総花的な内容で、兄弟弟子の芳幾との競合作品「英名二十八衆句」シリーズなどもあった。
あちらもとてもよかった。
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来月の「月百姿」も楽しみ。何度見てもいいものはいい。

芳年 妖怪百物語 その1

浮世絵太田記念美術館では「芳年 妖怪百物語」、そして横浜市歴史博物館では「丹波コレクションの世界Ⅱ 歴史×妖×芳年」と、芳年の展覧会が二つ開かれている。
芳年の展覧会といえば92年8月に「月岡芳年」展を大丸梅田で、9月に「國芳と芳年」展をDO!FAMILY美術館、と続けて見たのが最初。
どちらも今は活動停止。

芳年は国芳の弟子の中でも特に目を惹く活動を残した。
瓦解前は師匠譲りの絵を描いていたが、明治になり、神経を病んでから圧倒的に個性を前面に出すようになったように思う。
公的な意識においての巨大な価値観の変換と、実生活のそれまでの地続き感。
そこらでうまく調整が取れなかった人は少なくない。

また、芳年の没後に顕彰碑を建てた弟子や知己たちのこと、それを記した孫弟子にあたる清方の言葉などをよく思い起こす。
現代にまでその系統をつないだということを想う。

「芳年 妖怪百物語」から。

師匠の国芳えがくオバケは言えば明るいオバケが多かった。
「オバケは明るく幽霊は陰気に」という言葉もあるが、国芳の幽霊は半分は陰気どころか妙に元気だった。
そう、国芳のオバケも幽霊も妙に朗らかでにくめないのが多かった。
しかしそれは江戸末期だから出来たことかもしれない。
芳年は本当の「幕末」にいた。
なので状況も違うし、性格も異なる。
芳年えがくオバケたちが陰惨さを見せるのは内戦状態を目の当たりにしたこともあると思う。

桃太郎豆蒔之図 安政6年(1859)9月改印 大判3枚続 個人蔵  闇へ消えてゆくシルエットの鬼魅たち。一つだけ赤く見える。そして豆まきを見ながら酒を飲む戎と大黒。21歳の作。

楠多門丸古狸退治之図 万延元年(1860)6月改印 大判3枚続 個人蔵  こちらもシルエットで鬼魅を表現。多門丸と側仕えの竹童丸の勇ましさ。
小楠公には人助け・バケモノ退治エピソードが多い。

和漢獣物大合戦之図 万延元年(1860)10月改印 大判3枚続 太田記念美術館蔵  ヒョウ、トラ、ゾウ、シロクマら外国勢(!)vsウマ、イヌ、ネズミらの戦い。これはやはり時勢を描いてるのだろうなあ。

通俗西遊記 金角大王 孫悟空 元治2年(1865)2月改印 大判 太田記念美術館蔵  焔風にやられる悟空。
通俗西遊記 混世魔王 孫悟空 元治元年(1864)10月改印 大判 個人蔵  シルエットの悟空の分身たちが働き、魔王は黒焦げ。

岩見重太郎兼亮 怪を窺ふ図 慶応元年(1865)6月改印 大判3枚続 個人蔵  黒狒々たちが生贄の美女を前ににまにま。それを伺う岩見重太郎。
信州信濃の光前寺の早太郎同様、狒々退治で美女を救うのだ。

近世俠義伝 生首六蔵 慶応元年(1865)2月改印  大判 太田記念美術館蔵  釣りに行くといつも生首と遭遇する男。・・・なんじゃそれは。
要するに「もう釣り=殺生をやめろ」という話なのだが、何がそれを見せるのかはわからない。
浮かぶ生首を見上げる六蔵、褞袍か掻巻かをかぶりながら煙草を吸う。
諸星大二郎「栞と紙魚子の生首事件」を思い出したよ、わたしは。

正清朝臣焼山越ニ而志村政蔵山姥生捕図 慶応元年(1865)10月改印 大判3枚続 太田記念美術館蔵  青緑の山姥がぎえーーーっ洞内に蝙蝠飛びまくる。
この蝙蝠見てたらやっぱり吉祥文様<ドラキュラの手下=魔物 なイメージが強いわね。

於吹島之館直之古狸退治図 慶応2年(1866)10月改印 大判3枚続 太田記念美術館蔵  稗史の塙団右衛門の話。ぷーとふくれつつ、退治。茶を持ってくる妖怪もいる。

美青年・美少年もいる。
美勇水滸伝 大蛇丸 高木午之助 慶応2年(1866)10月改印 大判(中判2丁掛) 個人蔵  オトコマエの大蛇丸が気になる女をさらおうと思い、とりあえず修業中。

美勇水滸伝 高木虎之助忠勝 六木杉之助則房 慶応3年(1867)4月改印 大判(中判2丁掛) 個人蔵  若い方はなかなかの美少年。

美談武者八景 戸隠の晴嵐 慶応4年(1868)1月改印 大判3枚続 太田記念美術館蔵  雅楽の火炎太鼓のところから妖風が。紅葉も散り飛ぶ。
そう、「紅葉狩」「戸隠の鬼女」ね・・・

和漢豪気揃 金太郎 慶応4年(1868)4月改印 中判 個人蔵  元気ものの金ちゃん、雷をぽかぽかぽかーっ

一魁随筆 朝比奈三郎義秀 明治5~6年(1872~73) 大判 大屋書房蔵  例の「朝比奈」が地獄へ行ったが、閻魔を叩きのめすと、獄卒の鬼たちもひえーっと逃げ出す。

一魁随筆 托塔天王晁葢 明治5年(1872)11月改印 大判 大屋書房蔵  梁山泊の最初の棟梁。よいしょっと宝塔を持ち上げて移動中。
この頃も水滸伝の人気は続いていた。

いよいよ連作・和漢百物語が登場。元治2年(1865)2月から慶応元年(1865)9月改印までの大判で全てここの所蔵品。
なお、「妖怪うぃき的妖怪図鑑」というサイトに全編画像と解説があるのを発見。
とてもありがたい。
これまでもあちこちで見てきたが、いい状態のものなので、よかった。

左馬之助光年  釣りの帰りに闇の中、遠くの狐火をにらむ。
貞信公  どこ向いてるのな丸い目玉の鬼がそっと公の刀に触るが・・・
小田春永  龕灯に浮かび上がる妙国寺の泣く蘇鉄。蘭丸と一緒。
楠多門丸正行  侍女に化けた狸をキッとにらむ。
清姫  桜が散る中、足元には寄せ返す小波が。足元を濡らす女の情念が深い。
渡辺源治綱  凄い風が。鬼の登場にふさわしい。そして馬はカメラ目線。
田原藤太秀郷  蜈蚣の精は顔が横広。竜宮の竜女の妖しい表情。蟒蛇来た。
鷺池平九郎  正行の臣。紫陽花を見る夜釣りの帰り。水面には大蛇の影が。
不破伴作  傘に張り付く黒い妖物。
大宅太郎光圀  骸骨が闘うのをみる。師匠は巨大骸骨を描いたがこっちは群。
伊賀局  「月百姿」にも出るが、けっこう芳年はこの婦女が好きなのかも。
白藤源太  河童の相撲を見る。浴衣にも何やら男伊達の顔。
小野川喜三郎  立派な関取、大入道に煙草の煙を吹きかける。
登喜大四郎  仁王と相撲。阿弥陀が行司?髑髏たち笑う。
源頼光朝臣  寝込んでたら小さな蜘蛛が来てそれを見る。普通の蜘蛛やん。
華陽夫人  出ました、無惨な喜び。生首もって微笑む美女。
雷震  太公望が差し向けたやたらと強い男。「殷周伝説」にも出てたかな。
入雲龍公孫勝  師匠のより動きがある。龍も自ら水から来たー
頓欲ノ婆々  重い葛籠をもろてきたら、中からバケモノどーん!のけぞる婆。
将武  唐の人。猩々に紹介された黒象の頼みを聞いて蟒蛇を討つ。
仁木弾正直則  足元に大鼠が巻物を咥えて佇む。仁木は印を結ぶ。
主馬介卜部季武 ウブメが泣くのに行き当たるところ。
宮本無三四  天狗の羽を斬り落とす、その刀の軌跡がかっこいい。
下部筆助 「箱根霊験躄仇討」の忠実な家来。殺された初花の霊の前に控える。
酒呑童子  女たちと宴会の最中。胸出し女と鬼の腕引きを眺める。
真柴大領久吉公  高野山で祟られ、赤い稲妻に刺されそう。

一行ずつ書いたが、いずれも工夫の凝らされた絵で、細かいところも面白い。
そしてこの連作があればこそ、20数年後の「新形」シリーズも生まれたのだ。

兄弟弟子の芳幾同様芳年も新聞の三面記事を描いた。
郵便報知新聞 第六百六十三号 明治8年(1875)8月改印 大判 太田記念美術館蔵  寝る女房に不埒なふるまいをする黒い影。これを見ると水木しげる「東西奇っ怪紳士録」の精霊に妻を奪われた男の話を思い出す。

明治も十年代になると改印から御届になるのか。 
絵に独特の襞や線が現れ出す。
そして役者の誰にも似せない絵になる。

大日本名将鑑 平惟茂 御届明治12年(1879) 大判 太田記念美術館蔵  前掲の「戸隠の鬼女」。この20年後、日本最古の映画が撮られる。歌舞伎舞踊「紅葉狩」である。平惟茂が五代目菊五郎、鬼女を九代目團十郎、惟茂に危急を知らせる山神をまだ少年の丑之助(後の六代目菊五郎)。
好かれた作品だと言うべきなのか。

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皇国二十四功 田宮坊太郎宗親 御届明治14年(1881)5月30日 大判 個人蔵  鉢巻をした少年坊太郎が刀を手に、天狗の指南を受ける。

皇国二十四功 信濃国の孝子善之烝 御届明治20年(1887)9月 大判 個人蔵  先般挙げた「地獄絵ワンダーランド」でも紹介した善之丞の話。閻魔や鬼たちが鏡を見せながらみんなで少年を諭すところ。

新容六怪撰 平清盛 明治15年(1882)5月 大判3枚続 個人蔵  雪が大髑髏になったのをにらむ清盛。そばの女官の着物の空摺が素晴らしい。それぞれ違う文様になっているのだ。

不知藪八幡之実怪 御届明治14年(1881)10月 大判3枚続 太田記念美術館蔵  水戸黄門の光圀が出向くと、そこは骸骨だらけの洞があり、老翁と美女たちが静かに端座していた。面白い顔の天狗や侍女もいるが、老翁も美女も威厳がある。光圀は片膝をついていた。

偐紫田舎源氏 御届明治16年(1883)5月21日 大判3枚続 個人蔵  荒れ寺に女といるところへ、鬼面をかぶった女が現れ、二人を脅かす。
色彩が鮮やかでいい。線も近代的。

平清盛炎焼病之図 御届明治16(1883)年8月 大判3枚続 太田記念美術館蔵  清盛の断末魔が聴こえてきそうな絵。こういうのを見ると現代のマンガと直結してるように思えるのだ。

芳年武者无類 相模守北條高時 御届明治16年(1883)12月7日 大判 個人蔵  「天王寺のや妖霊星を見ばや」で烏天狗が化身した田楽法師らと一緒に舞うアホな高時。困ったヒトやで。

日蓮上人石和河にて鵜飼の迷魂を済度したまふ図 明治18年(1885) 大判3枚続 大屋書房蔵  夜、6羽の鵜が鵜飼の亡霊の周囲に心配そうに集まる。
「鵜は鵜飼の弟だ」という言葉を思い出す。
上人と弟子とが済度しようとするところ。

祐天不動の長剣を吞む図 御届明治18年(1885)5月 大判3枚続 太田記念美術館蔵  ぼくアホですな少年に知恵を授けるために長剣を飲ませる。別にこれは奇術ではない。不動の剣。セイタカ・コンガラの二人組が見守る。

芳年漫画 渡辺綱と茨木童子 御届明治18年(1885)12月17日 大判2枚続 太田記念美術館蔵  御幣を下げた中のその箱をのぞき込む老女と綱と。
明治になり大正、昭和になってもこの「茨木」は人気がある。
六世梅幸は「茨木」を得意とした役者だが、あるときごひいきに招かれたが、趣向が「茨木」で、それらしく振舞う。
やがて箱に収められた巨大な木の腕を持って去ろうとしたが、重くて苦しむ。それでも行こうとすると、旦那衆が慌てて止める。
その木の腕はなんと国宝のさる仁王像の腕を旦那衆がムリをして借り出してきたそうだ。
梅幸はそのときの振舞の良さが評判になり、彼ら全員が大旦那になって、ずっと彼を支援したそうな。
実際に鬼の腕はやっぱりそれくらいの重さがありそうで、箱をのぞく老女に油断したのは、老女がこんな重いものをという気もあったろう。

とりあえずここまで。続きは明日。

秘蔵のアートコレクション展「佳人礼讃 うるわしの姿を描く」

八月の東京の楽しみはホテルオークラ恒例チャリティイベント・秘蔵のアートコレクション展。まずこれですなあ。
第23回、23年も続いているよい展覧会。
わたしは二回欠席したが、あとは毎年出向いている。ここで知って後年よそで見かけ、ようやくの再会だと喜んだ作品も数多い。
今年は「佳人礼讃 うるわしの姿を描く」展。美人画から近世風俗画までが出ていた。
時間の都合によるのか、わたしがほぼ独占してしまい、それでいよいよ好きな作品に張り付くことになった。

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チラシは上が松園さん、下が清方。
ご近所だが滅多にそのコレクションを目の当たりにすることが出来ない霊友会の所蔵する松園さんの「うつろふ春」と只今絶賛改装中の大倉集古館所蔵の清方「七夕」の左隻。

毎回必ずコンパクトな図録を買う。
それから中へ入る。

・肖像画のまなざし
まずは洋画から。

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ギョーム・セニャック ミューズ  これはご近所の泉屋分館から。住友家を彩る絵の一つだったことを思いながら白衣に月桂冠のミューズと対峙する。

ジョージ・チャールズ・エイド ジャパニーズ・プリント 北野美術館  浮世絵を見るドレスの婦人。まだジャポニスムが席巻していた頃なのか。

モディリアーニ、キスリングの近代美人が現れる。モディリアーニの黒いアーモンドのような目、キスリングの黒髪の女の印象的な目。二人の間に10年近い歳月があるが、そんなに遠い感じはしない。
それから更に後の世代の娘が出てくるが、その20年を生きた三人の女は今も色あせない魅力を見せる。

東博からも明治の美人画がきている。
原撫松のモンタギュ夫人、黒田清輝の美人散歩、岡田三郎助の傾く日影。
時折平成館への途中にある近代絵画室でみかける美人たち。

三郎助の数ある美人画の中でも名高い支那絹の前がある。今休館中の高島屋史料館の名品の一つ。
この展覧会でも表紙を務めている。当時の感想はこちら

矢崎千代二 教鵡 東京芸大  1900年の婦人と鸚鵡。明治のこうした風俗を描く作品をもっと見たいと思う。

中澤弘光、有島生馬、金山平三の婦人たち、それぞれの個性を見せている。
金山の絵は兵庫県美術館に記念室があるが、東京で見るとまた違う感じがする。

小倉遊亀 若いひと 1962 挑戦的な目をこちらに向ける若い女。手には最近は余り見かけないが、昭和の末頃にはまだ見かけたアジア風の団扇がある。
時代を感じる。団扇ではなく、この若い女の目に。

東郷青児の二枚の絵が並ぶ。半世紀の歳月が二枚の間に横たわる。全く違う女性像。その歩みを想う。

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第二章 美人画にみるうるわしき佇まい
ここでは日本を代表する美人画の大家の絵を堪能する。

松園さんの美人画が五点。
春の日の下を日傘を差している三人の女たち、帯の緩いのをそのままに褄を持つ女、円窓に映る梅の影を見入る女、脇息に肘を立て頬に軽く着物越しに手を添える女、花びらがゆっくりと彼女らの周囲に舞う。

紅葉狩の美人は古川美術館から。あの美術館の為三郎記念館の居心地の良さが思い出される。すばらしい庭園が広がり、そこにこの美人が佇むことを想う。
その彼女が名古屋からホテルオークラに来ているのだ。

伊藤小坡 「醍醐の花」と「紅葉狩り」とが並ぶ。その配置がいい。花も紅葉も描かれた美人たちの目には見えるのだが、わたしたちはそれを見る美人たちを見ている。

清方登場。
七夕 やはりこの屏風絵はすばらしい。一目見ただけでその魅力に囚われるが、細かく見てゆくと次々と発見があり、それもまた楽しい。しかし気を許すと、右端の髪すき美人の妖艶さに当てられて背筋が寒くなるのだった。

狐狗狸 これを見るのは久しぶり。三人の女が盥をひっくり返して案外熱心にやっているところ。
絵の左端に清方による「うらうちだけねがう」という指示書きがみえる。
コックリさんは描かれた昭和初期頃にも流行っていたが、今はまだするひとがあるのだろうか。

さじき 歌舞伎座にかかる名品。外に出たのは山種美術館での展示くらいではないかな。
前述の松園さんの円窓美人と共にお出まし。
上品な母娘が熱心に舞台を見る様子。背後にさくらんぼなどの水菓子もある。1945年に描かれたということにも驚く。その頃の清方は疎開中だったと思う。
清方自身幼い時分から芝居好きで、いくつか芝居絵も残している。

三木翠山 鏡 贅沢な着物を着た若い娘が足を投げ出して笑いながら手鏡を見ている。
近年になり翠山の絵がだんだんと表に出てくるようになり、とても嬉しい。

深水は三点あり、若い頃の艶めかしい絵と大家となってからの隙間のない絵とがあった。
わたしは若い頃のちょっと隙のある絵の方が好きだ。
戦後の堂々たる絵は完璧すぎてたまにニガテだと思う。

広田多津 春装 パーマの髪が肩に掛かる。藤柄の上品な着物の令嬢。
こうした佇まいの令嬢をみると、横溝正史の描く作品に現れる、敗戦後すぐの頃の令嬢とはこうした風情を持つ人ではないか、と思うのだった。

第三章 人物画の魅力に出会う

ジョン・エヴァレット・ミレイ 聖テレジアの少女時代  思えばこの絵こそが最初に見たミレイの現物だったのだ。
愛らしい少女は純真な信仰心から次々と、とんでもないことをしでかす。絵の中では弟の手を引っ張りながら歩く姿をみせる。

シャガールの幸せそうな花嫁・花婿、ローランサンの優しい色遣いの少女たち。
色彩の面白さを堪能。

しかしよくここまで多くの佳人を一堂に集めたものだと感心する。ただただ感嘆するばかり。

寛永年間の洛中洛外図屏風をみる。
鞍馬から始まり、北野天満宮、二条城・・・東寺、淀川まで。相撲をする人もいればいちゃくのもいて、働く牛も少なくない。
洛中洛外図は細かに見てゆくといろんな発見があり、とても楽しい。同じ屏風であっても日をおいて見ればまた新しい発見や気づきもある。

桜下二美人に曳かれる布袋 肉筆画 布袋さんがニマニマ。「せーの」でひっくり返したれや、と思うわたし・・・

そしていよいよ清方えがく卓上芸術「雨月物語」より「蛇性の婬」の連作が現れる。
すべて霊友会所蔵。
2007年のアートコレクション以来の再会。
当時の感想はこちら
前回に感想は書き尽くしている感があるが、本当にこの連作はコワクテキで上品な表現でありながらも端々に危うさがのぞき、そこにぞわぞわする。

何度も何度もこの連作を行きつ戻りつ眺めた。
大正中期から戦前の清方の絵には時に淫蕩な魅力を見せる女たちが現れる。
清新な佳人もいいが、こうしたあぶない魔性の女に強く惹かれる・・・

山下新太郎 姉妹 バラの植え込みを背景に和装の少女二人。山下の娘二人。かれは美人の奥さんをはじめ家族を、自邸の庭園に咲くものを多く描いた。
明るく和やかな暖色系の彩色。姉妹の着物も山下が選んだと解説にあるが、どちらの着物も可愛らしく、特に向かって右の娘の段替のものは以前似たのを佐倉の歴博か旧鐘紡コレクションのどちらかで見た記憶がある。

島成園 お客様 高島屋史料館に住まう小さい姉妹。向かって左の妹は稚児輪に笹色の着物で手にした扇を開く。
姉は薄黄色の着物に帯も大きく締め扇を閉じてややうつむき加減。どちらも筥迫がのぞく。姉妹二人の前にはお茶とお菓子が。
持って帰るのもいいがそれよりもその場で食べてくれる方が嬉しいのが大阪。
この絵は近年になり展示されるようになったが、こうして東京へも出て行くのはよいことだ。

藤田の少女が二枚。1918年のまだあの「グラン・ブラン」以前の貧相な少女と、レオナルドになってからに描かれたろうと思われる、口をつぐむ少女と。
半世紀の歳月。藤田の想いを想像する。
しかしわたしとしては藤田のいちばん華やかだった時代の「裸婦」に惹かれるのだが。

小磯良平 踊り子二人 チュチュ好きな小磯。神戸の記念館にもバレリーナの絵は少なくない。背後に楽器があるのも60年代の小磯らしくていい。

人形 六体の西洋人形がこちら向きにずらり。小磯は人形を描くことも多いが、これだけずらりと並ぶのを見るのは初めて。
怖い感じはない。

看板・ポスター原画をたのしむ。
清方の「金色夜叉」が来ている。清方は若い頃かなりたくさんの芝居絵看板を描いている。鳥居派の昔から客の心を掴む絵看板の魅力、それを清方も心得ている。

多田北烏のキリンビールポスターが並ぶ。
これは嬉しい。
1925年から1938年までの数点はいずれも美人とキリンビールのある風景。
キリンから借りだしてきたようだが、キリンビールの工場見学に行ったとき、これらの複製の絵はがきを購入できて嬉しかった。

今年も本当に満足した。
「佳人礼讃 うるわしの姿を描く」とはよいタイトルだ。
見終えて思い出す今も心地よいばかり。
こうした展示が本当に好きだ。
多くの人もそうだといいのだが。

8/24まで。
来年もとても楽しみ。
いつもありがとうございます。
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仏教入門 祈りのかたち

出光美術館では「仏教入門 祈りのかたち」展が開催中。
今夏わたしは奈良博「源信 地獄・極楽への扉」、三井「地獄絵ワンダーランド」、東博「タイ」展と続けさまに地獄と極楽とを眺めた。
この「仏教入門 祈りのかたち」展は全て出光美術館の所蔵品。
こんなにも多くの仏教美術の名品があったのか・・・
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第1章 仏像・経典・仏具 ―かたちと技法

絵因果経 奈良時代  おお、ブッダに迫る魔族。矢もダメ、ハニートラップも効かない。天女に化身して出向いた三美女、あっという間に婆さんにされちまったよ。
魔王が眷属を送り込んでもブッダに無視され、何をしても払われるのみ。
水桶いっぱい円状につけたのを持った魔族もいるが、けっこう熱心に働いている。
この絵の可愛さが結局「奈良絵」のルーツに見なされるわけなのだね。
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供養礼拝者像 石造 ガンダーラ 2-3世紀  半円形の段状にずらりと並ぶ。ちょっと「歩かないでください」のエスカレーターに立つ人々にも見える。

青磁神亭壺 青磁 西晋時代  今までも見て来ているが、改めてこの壺、すごい動物ぎっしりですな。サル、イノシシ、ヒツジ、カニ、カメ、ヤモリ、ブタ、玄武らしきのもいる。それと神様。あれだ、「幽霊城のドボチョン一家」的な何かかもしれない。
みんな仲良く住まうのか、それとも神様の食糧なのか・・・。

北魏から唐くらいの金銅仏がずらり。
これを見たとき、傍らのカップルの彼氏の方が「やっぱり北魏の仏像っていいなー」とうっとりするのに遭遇。

青銅観音菩薩立像 明代  長衣に身を包み、ちょっと見返る像。こういうポーズもいい。

金銅聖観音菩薩立像 白鳳時代  冠が山形というかパイプオルガンの中央に管の長いのを集めたような形のをかぶっている。それでわたしも白鳳仏だなと認識する。
去年東博でみた「ほほえみの御仏 二つの半跏思惟像」の良いのを思い出す。
当時の感想はこちら

釈迦三尊十六羅漢図 仙厓  え?この様式的な仏画を描いたのですか。なにやら意外な感じもするが、新鮮味がある。

不動明王画賛 仙厓  眼が上下それぞれ向く不動なのだが、その目のすぐそばの焔がまるでイルカのようで、そのイルカが片目とだけ会話している。キュッキュッうむうむ そんな感じ。

十六羅漢図 伝・土佐光信  8幅並ぶがこうしてみると羅漢それぞれに日常があるわけですね。猿が桃を渡そうとするのもあり、思えば涅槃図でも猿は花を一輪持ってきていた。
手が利くのと猿知恵とで仏に何かをあげようと思うのだね。
箕面の猿などは百円を拾うと自販機でジュース買うものなあ。
他にカメをお土産にしたもの、煙つき龍の登場図もある。

聖徳太子勝鬘経講讃図 鎌倉時代  きりっとした太子。そばにいる人々は黙ってじっと聴いているのだ。花弁が舞い終わった後の様子。

百万塔と陀羅尼経 神護景雲2年(768)  一斉に作られたものの一つ。子供の頃、陀羅尼という言葉の意味が全く分からず(今もわかっていないが)陀羅尼経と陀羅尼助丸があることを不思議に思った。

扇面法華経冊子断簡 平安時代  女と少年が水際で楽しそう。こういう時ついつい「お経がちょっとよけてくれたらなあ」などと思うのである。

蝶文蒔絵経箱 南北朝時代  たくさんの蝶に飾られた経箱。

朱漆鎗金火焔宝珠文経帙板 木造鎗金 明・永樂年間  チベット文字も併記。読めない国の文字があると、それだけでときめく。
2008年に京博で「シルクロード文字を辿って ロシア探検隊収集の文物」展を見たが、その時もドキドキがあふれだしてしまった。
当時の感想はこちら

好きなものが二つ並んでいる。
青銅銀象嵌蒲柳水禽文浄瓶
青磁象嵌蒲柳水禽唐子文浄瓶
いいなあ。やはり高麗のものは魅力的。

第2章 神秘なる修法の世界 ―密教の美術

不動明王二童子図 平安末期から鎌倉初期  親方は天然パーマではなく半円形に頭を固めて、左側に偏って三つ編み。子方は二人とも色黒。珍しい位よく焼けてる。

愛染明王図 鎌倉時代  線のはっきりした立派な仏画。
上等の壺の上に水晶体があり、中にフィギュアのように収められた愛染明王。その周囲にはレモンの輪切りのような法輪や貝殻、チェリータルト風なものがころころ。

五髻文殊菩薩図 伝 藤原信実 平安末期から鎌倉初期  なかなかの美少年。今回知ったのは、この髻の数により修法の種類が異なるということ。5つのまげだと息災祈願。
文殊美少年は剣と花を手にする。

一字金輪曼荼羅図 江戸時代  これは綺麗な。

真言八祖行状図 八幅 平安・保延2年(1136)  空海、龍猛、龍智らのエピソードが描かれる。出奔して唐へ行ったり・・・
禅宗も真言宗も祖師は逸話の多い人が多い。

第3章 多様なる祈り―弥勒・普賢信仰の美術

青銅陽鋳弥勒菩薩図経筒 平安・久安3年(1147)銘  絵自体はよくわからないが、なんとなく仏の線は見える気がする。
千年経つ前に世に出ている。効力はどうなんだろう・・・

解説を写す。
「仏教が基本的には女性の往生を説いていない中で、縁なき女性信者をも護り導く普賢菩薩に対する信仰が広まり、貴族女性の間で多くの普賢図が制作されました」
地獄でもわざわざ女性の人権無視なのがあったなあ。
みんな救わないとあかんでしょうに。

その普賢菩薩騎象図が二点ある。どちらも鎌倉時代。せつない願いが寄せられたのだろうか。

青銅桔梗唐草文透彫釣燈籠 慶長18年(1613)銘  ☆型の透かしが可愛い。

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第4章 極楽往生の希求 ―浄土教の美術
ここでの展示は意欲的な試みがなされていた。
なお、今回は「十王地獄図」に当館蔵の地蔵菩薩󠄀像を組み合わせ、本作礼拝時のあり方の一例を復元し、新たな画像解釈を試みます。
どういうことだろうと思いつつその場に立つと、なんとなく納得した。
場所は当然のことながら東京・丸の内の出光ビル9階の出光美術館なのだが、寺の中で地獄図を見ているような心持になった。
…こういうことを言うのかもしれない。
わたしではきちんと言語化出来ないが、十王と地蔵が共にいるのを見ると、たとえ逃げられなくてもなんとかなる、という希望が湧いてくるのは確かだった。

十王地獄図 鎌倉末期から南北朝  被虐と嗜虐の鬩ぎ合いにみえる。

地蔵菩薩立像 鎌倉時代  すがる。すがろう。

六道・十王図 室町時代  補佐官たちがほぼ全員色白で可愛い。こっち向きの青年もいる。
一方で、現世の哀しさが沁みる。地獄に来ても生前(過去)はいつまでも貼りついてくる。

阿弥陀来迎図 鎌倉時代  オーケストラつきのお迎えもあれは、やさしい花のプレゼントもある。

當麻曼荼羅図 鎌倉末期から南北朝  極楽アイランドである。そしてその周囲のコマもはっきりと描かれている。
左は下から上へ向かって王舎城の悲劇が描かれる。
右上1は日想観、そこから右の縦は極楽との対峙が続く。
ふと思ったが、今昔物語の「阿弥陀仏よや、おいおい」を仏画に組み込めば、それはそれでいい絵が出来るように思えた。

第5章 峻厳なる悟りへの道 ―禅宗の美術
以前にも展示のあった一休ゆかりの床菜菴コレクションと白隠、仙厓の絵がずらりと並ぶ。
一行書、禅師の描かれた頂相図、仙厓の〇△□、斬猫、だるまなどなど。

やっぱり悟らなくていいや…
そんな風に思いつつ、民衆に分かりやすいようにと可愛い絵柄を続けた仙厓は偉いなと改めて思う。

極楽の仏ばかりでなく地獄を思わせる展示品が多く、ここもまた「地獄・極楽への扉」が開いていることを知った。

9/3まで。


地獄絵ワンダーランド ―地獄は一定すみかぞかし―

三井記念美術館「地獄絵ワンダーランド」展で、地獄めぐりをしました。
奈良博の「源信 地獄・極楽への扉」展もよかったが、あれとこれは相互割引もしてはるそう。
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この展覧会も実は龍谷ミュージアムへ巡回するが、まぁ一足先に地獄めぐりをするというのもいいものさ、というわけで地獄遊行しました。

第 1 章 ようこそ地獄の世界へ
のんのんばあと地獄めぐり
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水木しげるの世界が広がっていた。
地獄絵が迫力+どこかユーモラスに展開する。
① 奪衣婆
② 閻魔大王
③ 等活地獄
④ 黒縄地獄
⑤ 衆合地獄
⑥ 叫喚地獄
⑦ 釜茹で地獄(表紙)
⑧ 大叫喚地獄
⑨ 焦熱地獄
⑩ 大焦熱地獄
⑪ 阿鼻叫喚地獄
⑫ 六道絵(餓鬼道)
⑬ 浄土
のんのんばあは幼い水木しげる(しげーさんと呼ばれる)を連れて地獄を行く。
行く先々で二人は傍観者・見学者の筈だが、恐怖に駆られて逃げ惑う。
そしてようやく一息ついてはのんのんばあの説諭を受けて、幼いしげーさんは地獄に落ちないようなヒトになろうと思うのだ。
だが、延々と地獄は続き、ようやくたどり着いた浄土でさえも同じくくりに見えてしまう。

OPにこれはよかった。
老若男女みんなが知る水木しげるワールドで地獄への道が開くのはいい。
水木しげるは作中スウェーデンボルグ、ウィリアム・ブレイクの影響を受けた地獄絵を描いてもいるが、ここでは純粋に日本の地獄が拡がる。
土俗的なものも含まれて見えるのがいい。
そして我々は地獄の種類をここで学ぶのだ。

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国宝など「今回の目玉」を置く展示室 2にはこれがある。
*往生要集の世界
往生要集 源信著 6冊 紙本墨摺 鎌倉時代・建長5年(1253)龍谷大学図書館  奈良博で色々見たが、人気の本なのでどの時代にもよく刊行される。
龍谷大は西本願寺なので、この本も当時からのを伝世したのかもしれない。
わかりやすい、よい書体である。

*六道・地獄の光景
様々な六道絵をみる。

六道絵 6幅 紙本着色 江戸時代 兵庫・中山寺 前後各3幅  けっこうはっきりした絵。修羅道と九相が一枚に描かれている。空しさをも教える構図なのか。
ああ、中山さんか。宝塚の手前、清荒神の近所の。
わたしにとってはご近所さんで安産のお寺、星祭が思い浮かぶが、地獄絵があったのか。
節分の時には宝塚歌劇の生徒さんが豆まきをする。奥の院までがしんどいんだ。

六道絵(文政本) 1.5幅のうち5幅 絹本着色 江戸時代・文政6年(1823)滋賀・聖衆来迎寺  本物は奈良博で展示中。とはいえお寺だって常にその本物は出せない。これは江戸時代の模本。名品だから模本もわるくない。
衆合地獄では相変わらず美少年に目がゆく。おなか刺されてる子もいれば色々とあれな人々が。
地獄に落ちても性質は変わらないし、変わらないから同じことをする。
結局救いがないということの本質はそこかも知れない。

十王図 4幅 絹本着色 室町時代 龍谷大学 龍谷ミュージアム 前後各2幅  本地垂迹(このカミは実はあのホトケ)によると、三番目で21日目担当の宋帝王の本地仏は文殊菩薩だそう。ところがこの絵ではどういうトラブルがあったのか知らないが、ここの獄卒たち(基本的に部署ごとにそれぞれ就職している)が空から来る普賢菩薩を攻撃している。
普賢と文殊は天界では仲良しの筈なんだが、地獄ではライバルなんだろうか。
ちなみに普賢はお隣の28日目の五官王の正体。

和字絵入往生要集 3冊 紙本墨摺 江戸時代・元禄2年(1689)刊・寛政2年(1790)再刻 龍谷大学図書館  ふふふ、ここでも衆合地獄が出ている。そっちの人向けの虐待も色々。
ただ、虐待になりにくい人もいるわね。
特に元禄年間に描かれたから、色々フジョシ向けかも知れない。

地獄草紙(原家本)模本 高取熊夫模写 1巻 紙本着色 明治18年(1885) 東京国立博物館  元は原三溪の所蔵。後期には鈍翁所蔵の模本などが出てくる。

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第 2 章 地獄の構成メンバー
*閻魔王・十王・地蔵菩薩
最近の「地獄」イメージ、これはもう圧倒的に「鬼灯の冷徹」なんだよな。
変な話、あのマンガを読んでから「地獄も一週間くらいなら…」と見学したいなと思うくらいになったものなあ。
とはいえ、閻魔大王といえばわたしの場合、先行作品として「ドロロンえん魔くん」「幽遊白書」があるから、あんまり一貫してはいない。

木造 閻魔王坐像、司命・司録坐像 源三郎作 3軀 木造 室町時代・永禄2年(1559)奈良・當麻寺(護念院) たいへん力強い造形。なんだかぐっとくる。

地蔵十王図 11幅 絹本着色 中国・南宋時代 京都・誓願寺  カラフルで綺麗。
あら、宋帝王の補佐官のヒト、髭モジャやな。
後期には壬生寺のが出るが、あそこも地獄関係とは深いな。

第 3 章 ひろがる地獄のイメージ
*山のなかの地獄
立山曼荼羅 松平乗全筆 4幅 紙本着色 江戸時代・安政5年(1858)個人  これはもう絶対に立山曼荼羅。この絵は西尾藩主直筆もの。かなりうまい。蓮の葉をかぶった亡者もいる。
山上他界という概念を以前国立歴博では展示していたが、今はない。
立山、立石寺といった山の中のあの世についてわたしは深くは知らない。
しかし非常に惹かれるものを感じてもいる。

*「心」と地獄
熊野観心十界曼荼羅 1幅 紙本着色 江戸時代 個人  わたしが最初に熊野比丘尼を知ったのは高校の頃に読んだ資料からだが、そのヴィジュアルはマンガで読んで初めて知った。
まず杉浦日向子「百日紅」で後の渓斎英泉がついつい熊野比丘尼を買ったエピソード、そして近藤ようこ「安寿と厨子王」の安寿が化けた熊野比丘尼、他に池上遼一版「修羅雪姫」の熊野比丘尼。こちらは明治の世に、売春組織の御殿を立てるために曼荼羅を得ようと暗躍する話。
現物を見たのはもう少し後年で、京都だったと思う。
五年前の龍谷ミュージアム「絵解きってなあに?」展が思い出される。
当時の感想はこちら

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ナマナマシイ絵。こうした絵で絵解きをされる方が心に届きやすい。

そうだ、「絵解きってなぁに?」展のナビゲーターを務めた比丘尼ちゃん・こびくにちゃん・こおにくんたちが、次の巡回先の龍谷ミュージアムで出てきてくれたら嬉しいな。

*地獄めぐりの物語
地獄めぐりをする数多の者がいる。

北野天神縁起 巻第四 芝観深筆 6巻のうち1巻 紙本着色 室町時代・文安3(1446)大阪・佐太天神宮  炎熱地獄を行くようだが、亡者が数人いるが、みんなわりに平気そう。「じごくのそうべえ」や落語の「地獄八景」を思い出す。
米朝さんが十八番にしてはった噺。

米朝さんが亡くなった直後、息子の米團治がどこかの寄席で「地獄八景」をやったが、地獄の寄席に「桂米朝来演」。死にたてのほやほや。地獄の観客がわくわくしているというのがあった。
息子が聴きに行ったらみつかって「来るのが百年早いわ!」…ええ話や。

ところで西条八十「トミノの地獄」をここに挙げておこう。
トミノの地獄
姉は血を吐く、妹は火吐く、可愛いトミノは宝玉(たま)を吐く。
ひとり地獄に落ちゆくトミノ、地獄くらやみ花も無き。
鞭で叩くはトミノの姉か、鞭の朱総(しゅぶさ)が気にかかる。
叩けや叩けやれ叩かずとても、無間地獄はひとつみち。
暗い地獄へ案内をたのむ、金の羊に、鶯に。
皮の嚢(ふくろ)にゃいくらほど入れよ、無間地獄の旅支度。
春が来て候(そろ)林に谿(たに)に、くらい地獄谷七曲り。
籠にや鶯、車にゃ羊、可愛いトミノの眼にや涙。
啼けよ、鶯、林の雨に妹恋しと声かぎり。
啼けば反響(こだま)が地獄にひびき、狐牡丹の花がさく。
地獄七山七谿めぐる、可愛いトミノのひとり旅。
地獄ござらばもて来てたもれ、針の御山の留針(とめばり)を。
赤い留針だてにはささぬ、可愛いトミノのめじるしに。

*「ひろがる地獄のイメージ」から「地獄絵ワンダーランド」へ

長寶寺縁起 詞:勘解由隆典筆 絵:倉橋泰貞筆 1巻 紙本着色 江戸時代・元文2年(1737)大阪・長寶寺  慶心尼の地獄めぐりの話。蘇生すると額に閻魔の印がついていた。これは別に懲罰的なものではない。
キン肉マンは額に「肉」、「デトロイト・メタル・シティ」のヨハネ・クラウザー二世は額に「殺」の字、カインもなんか額に神の印をつけられていたな。
この尼僧はしばらくすると蜘蛛の知らせを受けて地獄を再訪する。

閻魔王大実判 1顆 江戸時代 大阪・長寶寺 慶心尼が閻魔大王からもらったハンコ。「王」の字がある。
 
小野篁地獄往来(地獄一面照子浄頗梨)山東京伝作、北尾政演画 1冊 紙本墨摺 江戸時代・寛政元年(1789)刊 早稲田大学図書館  地獄でいろんな大会が開催される。畜生道で流鏑馬、修羅道で剣術大会などなど。
お江戸の草双紙は楽しいよなあ。

本朝酔菩提全伝 山東京伝作、歌川豊国(初代)画10冊のうち2冊 紙本墨摺 江戸時代・文化6年(1809)刊 早稲田大学図書館 前後各1冊  これも芝居になってたような。

死に絵もいくつかある。
死絵「四代目中村歌右衛門・八代目市川團十郎・初代坂東しうか」 3枚続 紙本多色摺 江戸時代 国立劇場  地獄で大暴れ。

死絵「八代目市川團十郎(六道の辻、賽の河原)」 1枚 紙本多色摺 江戸時代 国立劇場  児雷也としての團十郎、彼のファンのちびっこたちが賽の河原の小石を投げて加勢する。

壬生狂言面「閻魔」「地蔵」 2面 木造 江戸時代 京都・壬生寺  閻魔は赤くベシミ風。地蔵は白い顔。

*「心」字の展開
善悪双六 極楽道中図絵 黒川玉水筆 1枚 紙本墨摺 江戸時代・安政5年(1858)龍谷大学図書館  面白い。心学のキャラたちがでている。

心字絵解図絵馬 林文吾筆 1面 板地着色 明治14年(1881) 和歌山・二沢観音堂  稚拙ながらよく描いている。ザンギリの人がいるのが明治なところ。

第 4 章 地獄絵ワンダーランド
誰も地獄はおろか十王も本当に見たものはいないので、道教のスタイル+アルファという装いをしている。

地蔵・十王図 13幅のうち10幅 紙本着色 江戸時代 東京・東覚寺  楽しいヘタウマ画。小5くらいの子供が班ごとに「地獄描きましょう」という課題に、熱心に取り組んだ絵、という感じがする。

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十王図 4曲1隻 紙本着色 江戸時代 日本民藝館  これまた素朴画。いいなー。民間伝承というものはやっぱりおもろいもんです。

孝子善之丞感得図絵 鈴木猪兵衛筆 8幅のうち4幅 紙本着色 江戸時代・文政13年(1830)愛知・観音院  これは先にも「孝子善之丞感得伝」2冊 紙本墨摺 江戸時代・天明2年(1782)刊 愛知・観音院 前後各1冊 というのが出ていた。
少年・善之丞が父の前世の因果を知り、替わって贖罪する。少年の孝心に感銘を受けた十王も獄卒もみんなで寄ってたかって浄玻璃の鏡を見せながら説明して、仕方ないんよねと言うが、少年は・・・
これがすごい大ヒットしたそうな。
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えらい噛まれようやな。
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閻魔・奪衣婆図 河鍋暁斎筆 2幅 絹本着色 明治時代 林原美術館  このキャプションは龍谷ミュージアムのチラシから。
暁斎はわりと閻魔が女に振り回される絵を多く描いている。
婆さんも若衆に色々してもろて気持ちよさげ。まあな。
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木造 十王坐像・葬頭河婆坐像・白鬼立像 木喰明満作 12躯 江戸時代・文化4(1807)兵庫・東光寺  猪名川の方のお寺らしい。知らなんだな。みんなけっこう可愛い。
そして龍谷ミュージアムのチラシがまたいいんだ。
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記念撮影ですな。にこにこ。

第 5 章 あこがれの極楽
*厭離穢土・欣求浄土

二河白道図 1幅 絹本着色 室町時代 富山・光照寺  追われてるね色んなものから。
この絵の細い道、「カイジ」の鉄骨渡りを思い出すな・・・他の「二河白道図」ではそんなこと思わなかったが。

地蔵菩薩来迎図 1幅 絹本着色 室町時代 個人  優しそうなお地蔵さん。救いはあるわけだ。ないと哀しい。
それから有名どころ。
山越阿弥陀図 1幅 絹本着色 室町時代 京都・清浄華院
阿弥陀二十五菩薩来迎図 1幅 絹本着色 南北朝〜室町時代 京都・知恩院
一種のデモンストレーションとパレードかな。

法如(中将姫)像 1幅 絹本着色 江戸時代 大阪市立美術館  可愛らしい。にっこり微笑んでいて、近代的な感じもする。

当麻曼荼羅 1幅 絹本着色 南北朝時代 個人
やはり〆はこれですな。
極楽浄土を描いた絵はやはりこれに尽きる。

楽しいワンダーランドでした。
前後期と展示替えもあるのでどちらも行くのがいいよ。
その後はちょっとお茶してから出光へも行こう。
あっちも地獄・極楽がある。
それを見損ねたら次は龍谷ミュージアムで地獄が待っている。
龍谷ミュージアムで地獄絵ワンダーランドを楽しんだら、目の前の西本願寺や斜め後ろの可愛い伝道院をチラ見して現実の地獄へ帰ろう。

藤島武二展をみる

練馬区美術館の藤島武二展は見ていて心地よくなる作品の多い展覧会だと思う。
無論それは武二の絵がいいというのが第一条件だが、見せ方がいい、というのもある。

また、2002年の春にブリヂストン美術館で開催された藤島武二展でも貴重な画稿などが出ていたが、今回は初出のものも多いそうで、とても有意義な内容になっている。
わたしなぞはただの鑑賞者だから良いものを見れて喜ぶだけだが、研究者の方、そしてこの展覧会の企画・運営の方々にとっても、この展覧会はとても大きな価値のあるものに違いない。

駅から公園に入り、階段を上がると目に入るのは初期のアールヌーヴォー風な作品が貼られた窓である。いい感じ。



武二は京都の浅井忠ともども洋画家にして、素晴らしき意匠家でもある。しかも二人とも教師としてもとてもいい。
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チラシは「婦人と朝顔」この絵はとても人気があり、2008年の「誌上のユートピア」展の葉山館でのチラシ表を飾っている。
こちら
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この絵から展示が始まる。

ところでわたしは武二は美人画と装幀作品などがベストだと思っている。
2007年に小磯良平記念館で「武二と小磯」展をみて、いよいよその思いを強くした。
当時の感想はこちら

1-1.修業
明治初頭の洋画界の作品などを見る。
洋画界というのもちょっと当らないか。
小出楢重が書いていたが、画学生の小出が新聞に出たとき「油絵師」と紹介されていたそうだ。明治末の話。
その「油絵師」のいた頃の話。まずは先人から。

平山東岳 松下虎図  松に首をこすり付けてこっちに出る猫虎さんだが、その首の長いことに驚くよ。しかも喉白。・・・これはやっぱり猫だわ。

曾山幸彦 上野東照宮  ああ、明治の油絵。鳩遊ぶ境内、明治やー。

山本芳翠 婦人像  青緑の着物の温和な令嬢。胸元には可愛い筥迫。

黒田清輝 アトリエ  モデルの女と画家とがいる風景。このモデルが背中が丸くて、なんとなく医者と患者の位置関係。

いよいよ武二の絵。
文殊菩薩像  ・・・一言でいうとおっちゃんである。墨絵。堂々たる姿。

桜の美人 1892  
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本画は失われてしまったが、この絵があるのは素晴らしい。御殿女中風な美人。
顔色に薄緑が載るのが思えば不思議。西洋では膚に緑が載るのは死者の証拠みたいなことを聞いたが。とはいえ、ドンゲンの美人には緑色が載ったのもいるか。

桜狩(習作)1893  駕籠に身を持たせる女たち御殿女中である。。若衆もいる。徳川末期の頃の気分が漂う。
人々に油絵を鳴れてもらうには、まずは和風な画題から。
この本画は安田善次郎が購入したそうだが関東大震災で焼失。惜しいなあ…

池畔納涼 1898  藝大でたまに見るが、好きな一枚。池の蓮がよく咲いているな。
柳の下のベンチで二人の若い娘。明治の女学生のココロモチが伝わってくるようだ。
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島津久治像  旧藩主の一族の肖像画。目つきが大変鋭い。

1-2.飛躍
20世紀初頭の、明るい未来を想う浪漫時代。

夢想 1904  これは2009年に横須賀美術館の常設で見た。当時のわたしはこう書いた。
「女の目が半開きでどこかを見ている。上を見ていれば神への祈り、伏せ目ならメランコリックな物思いにふけっている、というところだが、女の目はやや斜め下へ向くだけだった。」
今見たら「・・・まだ眠たいのだね」と言うてしまう。

さていよいよ「日本のアールヌーヴォー」の立役者の一人としての活躍がある。
以前堺市での「日本のアールヌーヴォー」展の感想
「藤島武二、橋口五葉、浅井忠、この三者が最初にして最大の作家たちだと言うのは間違いないように思う。
武二は「明星」「みだれ髪」の表紙や明治半ばに爆発的ブームを迎えた絵はがきの製作の立役者として、アールヌーヴォー風な絵を世に送り続けた。」
そう記したが、今回の展示を見てますますその思いが強くなった。

与謝野晶子の著書、「明星」の表紙絵は、百年以上経った今もとても魅力的。
たとえアールヌーヴォーの影響をもろに受けて描いたものであっても。

「小扇」画像はさかい利晶の杜で撮影したもの。
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「毒草」「鉄幹子」「みだれ髪」などなど名品が並ぶ様子は本当に素敵。
わくわくする。
こうした作品群は見るだけで嬉しく、キモチよくなる。
さかい利晶の杜での展示風景はこちら
ああ、浪漫時代・・・

他にも武二は鴎外の翻訳本「寂しき人々」、川上瀧彌・森廣「はな」でも魅力的なアールヌーヴォー風な装幀を拵えている。
これらは専ら20世紀の始まりから大正に入る頃までの作品。

「世界裸体美術全集」の装幀はコクトー風な線描で、また一つ時代が進んだ感じがしてよかった。
「中学世界」「三田文学」「スバル」・・・いずれもジャケ買いした人もいただろう。
グラフィックの才能の豊かさにときめく。

「美人と音曲」と題されたシリーズものの6点のうちから4点。
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これらがガラス窓に貼られ、観客においでおいでをする。

明治の絵ハガキブームの時代、武二のグラフィックはとても人気があったろう。
だからこそ今も作品が活きる。

2-1.留学
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フランスとイタリアと。
武二がパリで見たものは後期印象派、フォービズム、キュビズムだった。
大きな転換期に立ち会ったことは幸運だった。
そしてイタリアではルネサンス美術に触れ、更にギリシャ・ローマ遺跡へも関心が向かう。
とても豊かな実りをもたらす留学だったのだ。

この時期に描かれた作品のうち、親しく思っているものがいくつか出ていた。
幸ある朝 泉屋分館  窓辺で手紙を開く女の幸せな様子
チョチャラ ブリヂストン  その地方の花売り娘。
糸杉(ヴィラ・ファルコニエリ)  池にも巨大な糸杉の列が映る。

フランスの頃よりイタリアで留学して得たものが大きいように思われた。

2-2.模索
時期的には関東大震災の頃まで
ここでも親しい婦人たちに再会する。

うつつ 1913  戦前を舞台にしたフランス映画に出てきそうな女。「夢想」とはまた違うものの、どこか近い。

花籠 1913  京近美でよく挨拶する。花籠を頭上にして静かに微笑む若い女。ちょっとばかり頬の縦の赤みが気にかかる。
この時期から朝鮮美人を描いた絵が時折現れるようになった。

朝鮮風景 1913  ここでは白服の二人がいる。白服は現地の人の愛するもの。
展示ではこの一枚だが、他にも数点同題の絵がある。いずれも風景に力を多く注いでいる。

匂い 1915  チャイナ服を着た女性が鼻煙壺を楽しむ様子を描く。この絵もとても親しく思っている。
無為の美と言うものを感じさせてくれるからだ。

風景画が段々と増える。
静 1916  東博  二重の虹がかかる様子を描く。東博で見る度、虹の先のことを思う。
アルチショ 1917 巨大なアザミが咲いている。
カンピドリオのあたり  階段の良さがとてもここちよい。

もうあの素敵なグラフィックは望めなくなっている。

2-3.転換
東洋と西洋の融合というか、そうした作品も現れだす。

唐様三部作 1924  久しぶりに見る。唐代初期の女性たちがそれぞれ枠内で華やかな様子を見せる。
白馬に乗る若い女、そして他の女たちそれぞれの 凛々しい姿が描かれている。
ブリヂストンで見て以来の再会。

鉸剪眉  mir323.jpg
これから「芳恵」「東洋振り」といった名品が現れるのだ。

3.1.追及
風景画とアジア女性の絵が多い。
潮岬、大王崎といった海景を多く描いている。
それから台湾を旅した成果もあり、パステル画でのイキイキした女性の絵もある。
他にフルーツのスケッチなど。
ただ、美人画ではなく、他民族の女性をモチーフにしてその風俗を描いたもの、といった雰囲気になった人物画と風景画は、わたしにはあまり楽しいものではない。
同じように風景画であっても浮世絵や新版画はとても楽しいのに、洋画の風景画はあまり惹かれないのだ。
日の出シリーズも素晴らしいのだが…

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3-2.到達
蒙古を旅したときの風景画の大作が出ていた。
蘇州の絵もある。

そしてついに耕到天の登場である。
大原美術館でこの絵を見たとき、色の配列は面白かったのだが、どう名作なのかがわからなかった。
当時のわたしは洋画鑑賞修行中の身で、自分の嗜好よりも「名作」と呼ばれるものを名作だと思う目で観なくてはならない、ということを優先していて、それに疲れていた。
「好き」よりそれを優先していたのだ。
だから疲れる。
いい絵ではあるが、しかし武二はやっぱり初期から中期の美人画が最高だと今のわたしならはっきりと言うのだが。

武二の良さをどこに見出すかは個々人により違うと思う。
だからこの展覧会で自分の好きな武二作品を見出せばいいと思う。

多少展示替えもある。
9/18まで。

八月の東京ハイカイ録

金・土・日と都内に潜伏しておりました。
まず損保・・・美術館に出向く。
ようやく吉田博展をみる。千葉市美術館でじっくり見たがここでも堪能。
朝イチでもかなりの繁盛。
メモを書いたが、その後に以前の千葉市美での感想を読み直すと、ほぼというか全く同じ感想を挙げていた。
これはもう新規に感想を挙げる必要はないので、改めて「ええものをみた」という喜びだけで満たされたことを記そう。
それにしてもやはり木版画がベストで、特にアジアのそれが素晴らしい。スケッチのゾウさんもいい。

大江戸線へ向かう前にビルの地下で冷麺を食べる。いわゆる冷やし中華。わるくはないが思い出せない味やな。

練馬から西武線に乗り換えて中村橋。
練馬区美術館では藤島武二展。
だいぶ前のブリヂストン美術館以来の懐古展で、初期のアールヌーヴォー風イラスト、表紙絵、美人画がたくさんあって嬉しい。
わたしは武二は人物画がいいんだが風景画の良さを言われてもよくわからんなと常々思っていたが、今回やっぱりいいのかどうかよくわからなかった。

今度は新木場行きで飯田橋乗り換えの六本木一丁目。ホテルオークラ。
時間の都合か会場を独占してしまった。
美人画を堪能。けっこう楽しんだよ。
大好き。
いいものを見たなあ。

三井は夏の金曜なので開館時間が延びている。地獄絵ワンダーランド展。
最初に水木しげる「のんのんばあ」と幼い水木サンによる地獄巡りの様々な絵が出るのはよかった。
最後に木喰の十王がぞろっといるのも好ましい。

三越のヨックモックでお茶したかったけど、都合で三井ビルの下で大阪風讃岐うどんとやらを食べてから上野へ。

東京都美術館でボストン美術館展。
古代エジプト、中国絵画、日本美術、フランス絵画、アメリカ絵画の五本柱。
いい作品が来てたが、コレクターをもっと前面に出した方がよかったのに。
「絵巻マニア列伝」風にとか。

さすがにここで時間切れ。東博はあきらめそのまま東京駅へ。
定宿につくと、たまたまわたしの誕生日と同じルームナンバー。
顔なじみのフロントさんに拍手されましたわ。
初日ここまで。

二日目土曜日。
早めに出て上野御徒町からうさぎやCAFEへ。
九時前から並んで一度目で中へ入れましてどらやきのパンケーキをいただきました。


黒塗りに朱文字で「うさぎや」と書かれた桶が来て、いよいよどらやきパンケーキとご対面。おいしかったわー。
朝のイベントとして楽しかった。

不忍池の蓮が素晴らしい。
今夏は喜光寺、山が池と見てきたが、ここがベストだな。



春日経由で目黒へ。
目黒区美術館で北欧やドイツの木のおもちゃ展をみる。
これは有馬温泉の博物館で見たのと同じものが多いのだが、更に系統とかそんなのがわかってよかった。
ただし触れない鬱屈が折々に生じる。

がんばって坂を上り、今度は太田へ。
芳年の妖怪絵を集めたのを見る。
これは摺りのいいのが多くてきれいだった。
好きなシリーズが全編みれたのは嬉しい。

そのまま日吉に出て乗り継いでセンター北へ。外へ出たら都筑阪急がどーん!!ここがか、とはっとなる。
そしてこの辺りの住民が横浜都民と呼ばれるのもなんとなく納得した。
パブリックイメージの「横浜」とは全く異なるし、阪急があるせいか町の雰囲気も川西、西宮に近いように思われた。
阪急の地下のイートスペースで食べたが、接客の明るさも感じよかった。

初めて横浜歴史博物館へ。
ここでも芳年をみる。今休館中の神奈川歴史博物館の所蔵品から。
太田のとダブる作品も多いが初見もあり、特に歴史画は知らないものが多かった。

中山から乗り換えて八王子へ向かったが、これがわたしの判断ミスというか巡り合わせというか、八王子祭りの直中に行ってしもたのだ。ひえーーーー
バスも迂回してるが、それでも分かりやすい位置に停車したので無事に夢美術館への道へゆけた。
八王子祭りには山車が出る。



夢美術館、今年はぐるパスに参加できなかったそうな。来年はまた参加したいと言う。
ここでは「こえだちゃんと木のおうち」をみる。すごいな。
最後は遊べるので嬉しい。一部撮影可能。



お祭りを見ながら人波にもまれ倒し、駅に着いたらもう七時。ああ、あかんの。
サイゼリアでごはん食べた。
車内で淀川花火と江戸川花火のツイートを見てガクッ
淀川花火は覚悟であきらめてたけど、江戸川花火は忘れてた。去年はみれたがなあ。
まあ今回はお祭りを見たということで。
・・・この沿線のさる黒湯のお風呂屋さんに行く予定だったがやめる。
二日目おわり。

さて日曜日。
東京駅に荷物を放り込んでまず町屋へ。
花まみれの都電駅周りを見てから京成に乗り千住大橋へ。
石洞美術館では「石洞動物園」開園中。
これもとても楽しかった。古今東西のやきものなどで動物園している。楽しいなあ。
こういうのが好きなのさ。

石洞美術館が開館した頃に比べると本当に町が変わった。
まだまだ開発途中だわな。
王将で天津飯を食べたが、エビとキクラゲがよかった。

北千住、南千住で少年ジャンプのスタンプラリーに参加。シールももらう。
上野でようやく東博へ。タイ展。いいものを見たが、もっと人気が出たらよいのになあとも思う。

秋葉原でもスタンプを押し、日比谷で出光美術館へ。
仏教美術をみる。
「源信 地獄・極楽への扉」「地獄絵ワンダーランド」と見てきてここで〆。
いい順で見たと思う。

有楽町から永田町、月島、新富町、銀座一丁目とスタンプを押して回り、銀座で地上へ出た。祭りの最中。楽しそうだが時間がないので参加せず。

最後は汐留ミュージアムで深澤直人展をみる。シンプルでかっこいいデザイン。

新幹線ではのんびり。



翌日の月曜は八月七日、そう、わたしの誕生日。ツイッターを通じて多くの方からお祝いをされて嬉しかった。
台風でたいへんな一日ではあったが、今回はわたしは完全休養の一日を過ごし、ハイカイの疲労をいやし、なにをしてたか披露する。
ではまた来月ね。

鶴清の床で

これも挙げていなかった写真。
2005年の7/29に鴨川べりの鶴清の床で遊んだことがある。
当時の感想はこちら
あの時は画像が挙げれなかった。
今回もまたフィルム写真を挙げてゆく。

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実に立派な佇まい。

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床はこんな様子。
まだ早いので無人。
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中を見せてもらいました。
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上の階にもこんなに立派な大広間、百畳敷き。

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到る所に和の装飾
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ステンドグラスもいい。
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だんだん夜が近づいてきた。
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ああ、素敵。
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鴨川からの眺めも素晴らしいのだが、ちょっと写真が見当たらないのでまたいずれ。
近々行きたいものです。

20世紀末の舞子ホテルで

近代建築の撮影を本当に始めたのは97年か98年頃からで、当時はフィルム写真だった。
無論その頃はこんなに深くネットの住民になるとは思わなかったし、またネット世界も広がりを見せてはいなかった。

舞子ホテルには何度か行った。
日下部汽船の社長の別邸が料理旅館となり、和洋折衷のよい建物で、最初に行った頃は和の大広間から明石海峡大橋などがよく見えたが、今では商業施設が建って、ロケーションはわるくなった。
最後に行った日を調べると2008年の7/10だったので、それに驚いた。
もう9年も経っていたのか。
当時の様子はこちら
それとこちらも。

今日挙げるのは、まだカメラを使い始めて間のない1998年7/8に舞子ホテルを撮ったもの。
2008年のとはまた違うので、かつての様子をしのぶのもいいと思う。
それになによりフィルム写真は褪色するので、今のうちにネットに挙げておいたほうがよさそうだ。
今も大していい腕前ではないが、20年ほど前なのでもっとひどいが、記憶と記録の為と言うことで臆面もなく挙げてゆく。
また、今調べてみて、肝心の全景写真が消息不明なことに気付いてびっくりした。
いつか見つかれば追加したいと思う。

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ゆっくりと坂を上る。

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正面玄関の上部

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玄関回り

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中へ
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ステンドグラスがとても多い。
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壁紙も布もいい。
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汽船会社の名残かな
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和館へ
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その頃大広間から見えた明石海峡

全体像は2008年のでちょっとだけわかる。
見つけるのが先か、再訪するのが先か…

「れきはくどうぶつえん」に行く

新宿歴博開催の「れきはくどうぶつえん」に行った。
企画展示は無料、常設有料というちょっと不思議なシステムの博物館だが、ここの企画展示はいつもとても楽しい。
今回は新宿区内から出土・出生したどうぶつたちをきちんと分類して展示。
どうぶつえんのマップ。
イメージ (5)
野生、したしいもの、水棲、なぞのものと色々。

ところで江戸時代頃の新宿は無論今とは全然違う。
そのあたりの歴史を踏まえてどうぶつを見ると、色々と腑に落ちたり落ちなかったりがある。

・れきしのなから棲むアニマル
浮世絵から始まる。
江戸百の内藤新宿 これね、ばふんぼたぼた。
甲州街道の最初の宿場なので牛馬行き交う土地だったわけです。
広重のリアリズム。ただしばばをばばちくは描かず、ある種の抒情性を画面全体ににじませるところがさすがの広重。
ここではトリミングされた馬の足ばかりとその先の町の様子がある。

ところで内藤新宿と言えば岡本綺堂の「新宿夜話」をわたしは小さい頃に文士劇で見た記憶があるが、あれもあんまりかからない芝居ではある。
また、甲州街道と言えばRCサクセションの初期の歌に「甲州街道はもう秋なのさ」というせつないバラードがある。

江戸名所道外尽四十九 内藤新宿 広景 こちらはファンキーな図。道の真ん中で馬が御馳走の載った台を後ろ足で蹴っ飛ばして、タイもお櫃も御馳走も何もかもが宙に舞う。
なお、この絵はここのショップで絵葉書になっている。1枚60円。

流行おばあさんねがいしょうじゅ 国芳  こちらは三途の婆かな、ねそべってるその前で牛、馬、猪、狐などが寄り集まっている。
世の中、何が流行るか知れたものではないな・・・こちらも絵葉書有。

この婆さんが首の綱引きする絵もある。敵方の爺さんには狐がつき、婆さんには馬がつく。みんなわいわい。

ところで内藤新宿は家康から走れる分だけ挙げると言われて、内藤さんが馬で走って得た分だけ領地に出来たそう。
気の毒に馬は死に、多武峰内藤神社(四谷三丁目)に祀られたという話がある。
大阪人としては例の如く「みんな家康が悪い!」という感じですわ。
新宿御苑のそばやな。

明治30年の流鏑馬上覧図もある。流鏑馬と言えば、小笠原家の御当主が今もなさっている。
ヒトが「乗って走る」のは古代から馬だったから、馬との関わりは大きく、絵は多い。

イメージ (660)

・ワイルドなやつら
むかし映画「復活の日」で渡瀬恒彦が無線で相手に英語で「野生動物も?」と尋ねるシーンがあった。そのときに“Wild Life、too?”と言ってたので、野生動物を言うのがそれだと覚えた。
尤もここでのワイルドは猛勇くらいな意味。

やっぱり鷹の絵がでた。
伝・若冲のは松に止まる鷹、そしてここに多くの資料を提供している野口家の人が描いた鷹もある。
猛禽注意というところ。

いよいよやきものも登場。
鹿、ゾウなどの土人形もある。
東アジアでは吉祥文様のコウモリが描かれている染付皿。
ゾウの山車が出る山王祭りの絵もある。
染色の唐獅子、鏝絵のライオン、煙草の根付のトラ、和尚さんに化けたタヌキの置物、狸型徳利…

ワイルドライフですなあ。

・いつでもいっしょ
ここでは身近なものが集まる。
円山派のわんこ絵、犬張子の絵柄の着物、サギ形の香炉、蚊やり豚。これは新旧あり、江戸時代のと戦後のでは江戸のがほっそり、戦後のがふっくら。

印籠の蒔絵の亀、蜀山人の書「人間万事西行猫」、犬型の水滴・・・
ソフトビニール(ソフビ)人形の「犬」もあったので見たら、「フランダースの犬」のパトラッシュやんか。
学芸員さん、パトラッシュ知らんのやろか。世代?それとも無関心?
もう一つ。リスのソフビについてご存じの方教えて、とあったので「リスのバナー」のGFだと伝える。
なつかしいなあ。
夢二描く「黒猫」もある。そして漱石「吾輩は猫である」・・・

犬、猫、うさぎはいつも身近です。

・We Are ラッキーアニマル!
年賀状、うさぎの土製品、マッチラベル、などなど十二支の動物尽くし。
こういうのを揃えたいキモチはよくわかる。

・土の中からこんにちは
…ホラー映画「キャリー」のラストシーンを思い出しますな。
ここでは縄文人骨(複製)本物はいやん。とはいえリアルなのでスゴイな…
横溝正史「面影草紙」の怖い話を思い出すよ。

フクラ雀、舞鶴をモチーフにした皿小鉢、獅子型印章、可愛らしいミミズク人形などなど、いいのがある。
特にミミズクの可愛さにはきゅん。

・水もしたたる…
魚や水鳥モチーフのやきものがぞろぞろ。
江戸時代のばかりだが、みんながどんなものが好きかがこんなところから見えてくる。

・なぞめく魅力
いきなり小さい人魚の木乃伊。これはあれだ、アジか何かとくっつけて拵えてるな。
戦後に作られた龍の鏝絵もある。新宿には鏝絵職人が多いそうだ。

怪獣たちのソフビも並ぶ。
ゴジラ、バルタン星人などなど

小泉八雲は犬嫌いだったそうで、ノートに怪獣風な犬の絵があった。

鳳凰と麒麟と鬼瓦と。
まあUMAはどこにでもおるのですね。

「砂漠の帝王」「タイガーマスク」なども紹介されていた。うむ、UMAの仲間入りと言うのもありえる。

最後に新宿区内にある色んな「どうぶつ」の居場所を記したマップと、鏝絵の作り方の簡単な説明がある。
どこもかしこもとても面白い。

そして明治のどうぶつ関連のお騒がせ事件の報道が展示されているのも面白い。
・明治5年のウサギの投機騒動
・明治18年三尺の鰻と猫の戦い
・明治33年 雀合戦
他にも狸が仔犬を育てた話や、都内にも鶴がバンバンいた話、蛇と蛙の仲良しさんの話が紹介されていた。
戸山ハイツが実は都内の競馬場だったという話も面白すぎる。

駆け足になったが、とても楽しい電纜回だった。こういう展示は本当に楽しい。





「ル・コルビュジエの芸術空間」を見て

国立西洋美術館が世界遺産になった記憶は新しい。
いきなり見物客がどっと増えたと聞いている。
ル・コルビュジエの展覧会といえば過去にここで開催されたのは、その遺品や人となりの紹介を中心としたものだった。
今回はこの国立西洋美術館の図面から、かれがまだまだこの空間――全体としての――が未完成のものだと見なし、以下に自分の理想に近づけるか試行錯誤していた痕をみることになった。

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展示品の増加に合わせて展示室を増築してゆく「無限成長美術館」をめざし、今の姿・状況もまだまだ発達する余地が残されている、ということなのだった。

最初にその説明を解説パネルで読んだとき、わたしは黒川紀章のメタボリズムを思った。
増殖する建造物を収容するには巨大な空間が必要であり、日本の場合、それは横に広がるより縦に伸びる方がまだ実際に可能だと思った。
尤も容積率とか色々ややこしいことを考えねばならないし、他に何もないところで、完全な許可を得ているのならともかく、実際には上野公園のうちの数分の一しか得ていないし、もしもっと広がってゆくなら、どこをどう…
と、いらぬ心配ばかりが浮かんだ。
これはわたしが実際に設計をしたり施行したする者ではなく、あくまでも「建築を見るもの」に過ぎないからこその意見なのだった。

その無限増殖は夢としては面白いものの、現実ではありえない、いやむしろ、してはいけない行為のようにすら思え、このコルビュジエの習作図面を非常に心配なキモチで見て回った。
未構築が大半であることを惜しむより、成らなくてよかったと思いながらみる、というのは心臓に悪い。
イメージ (3)
むろんここに国立西洋美術館という完成された建造物がある。
庭園も定まり、ロダンやブールデルの彫刻も所々に配置されている。
もうこれ以上増殖しづらい状況である。
にもかかわらず、今回の習作図面群をみて、妙な不安に襲われたのだ。
自分が施主でもないのに。

妙な汗をかきながら展示を見て回り、この展覧会について他の人はどのような意見を持っているのかを聞きたいと思った。
いや、語り合いたいと思ったのだった。

1000年忌特別展 源信 地獄・極楽への扉  前期

奈良国立博物館で「1000年忌特別展 源信 地獄・極楽への扉」を見た。
展覧会のロゴは明朝体なのだが、中の「源信」だけ大文字なのが目立つ。
だからここでもちょっとそこだけ大きくしてみた。
(ブログのタイトルではそれはしない)

今回は朝日友の会のおかげでいつでもOK、なので複数回気楽に行けるが、奈良は遠い。
展示替えがあり7/15から8/6までと、8/8から9/3の前後期にわかれているが、ちょこちょことその範疇からずれるものもあるようだ。
見れるものだけ見て、それでヨシでゆくよ、わたしは。

ところで夏になると色んな企画が立つが、大まかにいうと
・オバケ、妖怪
・地獄極楽
・どうぶつ
この三つに分けれると思う。
太田浮世絵と横浜市美がオバケ、妖怪。
奈良博と三井が地獄極楽。
新宿歴博と石洞がどうぶつ、京博は水族園。
いいなあ、こういうの。一応全部見て回る予定。

さて地獄極楽巡りをしますか。
タイトルに「地獄目極楽への扉」とあるだけにチラシはこんなの。
イメージ (681)
左右を開くと左はこういうの。
イメージ (687)
ええセンスや。

1.源信誕生 極楽浄土への憧れ
まずは仏さま。

観音菩薩立像 1軀 木造 彩色 平安時代 10~11世紀 奈良 高雄寺  元は十一面観音だったそう。帽子のところに確かにその名残もある。11人の分身はどこへ行ったのだろう。

源信の肖像、三次元と二次元と。
恵心僧都源信坐像 1軀 木造 彩色 江戸時代 17~18世紀 奈良 阿日寺
恵心僧都源信像 1幅 絹本著色 南北朝時代 14世紀 滋賀 聖衆来迎寺
やや寄り目で人のよさそうなお顔。眉の端が90度に折れて三角形がある。

大日本国法華験記 下巻 1冊 紙本墨刷 江戸時代 享保2年(1717) 滋賀 延暦寺(叡山文庫)  源信の叡山入りについての話が記されている。雲を見たとかどうとか。
大概なにかしら伝説というのはついてくる。

続本朝往生伝 1帖 紙本墨書 鎌倉時代 13~14世紀 文化庁  大江匡房撰。色んな人の最期を集める。山田風太郎「人間臨終図巻」の先行本とでもいうべきか。
この本は国立国会図書館のデジタルコレクションにある。
ちょっとばかり読んだ。

當麻うまれで少年の頃に叡山へとある。著書「往生要集」三巻は宋へ渡った・・・
こういうのを今読んで、色々納得する。
実は展示見ながら疑問に思ってたことがあったのだ。

第七櫃絵目録 1枚 紙本墨書 鎌倉時代 13~14世紀 兵庫県立歴史博物館(喜田文庫)  例の後白河院の絵巻コレクションを収めた蓮華王院宝物蔵の第七番目の御櫃の中身の目録ですがな。
サントリー美術館「絵巻マニア列伝」は実にいい展覧会でしたなあ。
当時の感想はこちら。はや三ヶ月も経っていたのか・・・!
それで何かというと、この目録の中に源信の絵巻が収められていて、既にこの時代に源信の生涯は絵巻になるほどよく知られていたということですな。

恵心僧都絵巻 1巻 紙本著色 江戸時代 17世紀 京都 妙法院  こちらは後世の絵巻だが、ここから数百年前の絵巻を想像する。
源信、けっこうな額や上質の布などのお布施をもらい、これはええわと実家の老母のもとへ届けに行く。母孝行の良い話だが、しかし源信の母は息子のその行為を嘆く。泣く母。
「ヒトはパンのみで生きるに非ず」ということかな。

恵心僧都絵伝 2幅 絹本著色 江戸時代 18世紀 奈良 阿日寺  コマ割りがくっきり。夢を見たその話。けっこうよく夢を見る人。明恵ではないので夢日記は付けていないが、こうして絵伝になるからには人に話したのかもしれない。それがこうして大きくなって・・・
それにしても興味深い夢。
・美少年の出現 ・山越え阿弥陀 ・生首ごろごろ、仏の前で。墓前には鳥居も。

2.末法の世と横川での日々
地獄極楽もやっぱり末法思想が拡がっていよいよ恐怖拡大か。

慈恵大師坐像 1軀 木造 彩色 鎌倉時代 文永2年(1265) 滋賀 延暦寺  お師匠さんの像、耳がとても大きく、目元の皺もくっきり。リアルな感じ。

綺麗なお経がいくつか。
紺紙銀字法華経 巻第五・巻第七 2巻 紺紙銀字 平安時代 9~10世紀 滋賀 延暦寺  最古の見返し絵つき。仏たちが来る。

紺紙金銀字法華経 巻第一・巻第六 2巻 紺紙金銀字 平安時代 11世紀 滋賀 延暦寺  真向の仏。

いよいよ出現。
往生要集 巻上・巻中 2冊 紙本墨書 鎌倉時代 13~14世紀 京都 浄福寺  わりと読みやすそうである。ルビが振ってるからわかりやすそう。みんなに読ませる本ですから。
往生要集 6帖 紙本墨摺・墨書 鎌倉時代 13~14世紀 滋賀 延暦寺(叡山文庫)  こちらもある。

二十五三昧式 1巻 紙本墨書 室町時代 15~16世紀 和歌山 金剛三昧院(高野山大学図書館寄託) これは何かというと、往生要集に基づいた、より良い臨終の迎え方の方法を実践する「三昧会」ざんまいえ という念仏結社があったそう。986年成立。
Wikiの説明はこちら

釈迦霊鷲山説法図 1幅 絹本著色 鎌倉時代 13世紀 奈良国立博物館  みんな集合。お話を聴くのです。

仏涅槃図 3幅 絹本著色 平安~鎌倉時代 12~13世紀 奈良 宗祐寺  中のみ大きく、左右は細長い。

観経十六観変相図 1巻 絹本著色 鎌倉時代 13世紀 奈良 阿弥陀寺  ペルシャ絨毯の文様風。白鶴美術館新館にありそう。

文殊菩薩像・普賢菩薩像(釈迦如来立像像内納入品) 2枚 紙本墨摺 中国・北宋 雍熙2年(985) 京都 清凉寺  これは印刷物でした。

清海曼荼羅 1幅 絹本著色 室町時代 15世紀 京都 聖光寺  阿弥陀浄土。この画像は奈良女子大の画像データベースにある。凄い精度の高いもの。こちら
なにもかも丁寧に描かれている。

一遍聖絵 巻七 1巻 絹本著色 鎌倉時代 正安元年(1299) 東京国立博物館  これは7/30まで。
関寺から四条京極。犬も元気にバタバタする。空也ゆかりの地でも踊る躍る踊る。

3.「往生要集」と六道絵の世界
ここから地獄づくし。

往生要集 6帖 紙本墨摺 鎌倉時代 建保4年(1216) 大阪 東光院
往生要集絵 巻二・巻三 2巻 絹本著色 室町時代 16世紀 個人
人気があったのがわかる。

大般若経 巻第五・巻第四十・巻第六十三・巻第七十二・巻第百三十九・巻第四百四十七(紺紙金字一切経) 6巻 紺紙金字 平安時代 12世紀 岩手 中尊寺大長寿院うち4巻  これはだいぶ前に世田谷美術館で平泉展を見たときにあったかな。
今調べたらこれは来てなかったか。当時の感想はこちら
見返しが六道絵だった。

地獄草紙 1巻 紙本著色 平安~鎌倉時代 12世紀 東京国立博物館  「髪火流処」ハッカルショとかが出ていた。絵は鷲にアタマ突かれ、片足は黒犬に食われてる男。

最近わたしとしては地獄の様子といえば「鬼灯の冷徹」こればかりが思い浮かんでくるなあ。働く獄卒のみなさん。

沙門地獄草紙(飛火地獄) 1巻 紙本著色 平安~鎌倉時代 12世紀 個人  火に襲われてる。
沙門地獄草紙(沸屎地獄) 1幅 紙本著色 平安~鎌倉時代 12世紀 奈良国立博物館  こっちも火に。
沙門地獄草紙(解身地獄) 1幅 紙本著色 平安~鎌倉時代 12世紀 滋賀 MIHO MUSEUM  鬼のお料理教室―っ
なんでも呪文があって、それを唱えると一旦死んだ死者がまた蘇って(変な文章やな)また殺されてまた蘇ってまた殺されて・・・死んでここへ来ると無限ループですな。
ちなみに呪文は「活活」。かつかつ。イキイキではないわけです。

おっと思ったのが壁面にズラリと辟邪絵が5幅。
紙本著色 平安~鎌倉時代 12世紀 奈良国立博物館  邪を倒す方が見た目コワモテというのも面白い。
子供向けにヘキジャ―ズてチーム作って双六とかある。可愛い。
イメージ (689)


さていよいよお待ちかねの六道絵でございます。国宝。15幅ずらーっ
イメージ (688)
六道絵 15幅 絹本著色 鎌倉時代 13世紀 滋賀 聖衆来迎寺  迫力ありましたわ。阿修羅の困っている妻子も描かれているし、衆合地獄にはゲイのちょっと嬉しそうなのもいたし、美少年もいるし、九相図もあるし(人道不浄相)、天人五衰もしっかり描かれてましたわ。
この絵の本物が集まるのはめったにないことらしい。
毎年8/16の虫干しの日に出るとか。
これを見ただけでも価値があったなー。
イメージ (691)

病草紙、餓鬼草紙は後期から。
それで秋の国宝展にもスライディングするのですよね。

九相詩絵巻 1巻 紙本著色 室町時代 文亀元年(1501) 九州国立博物館  「絵巻マニア」には出なかったが、ちょっと調べたら九博、この手のようけ持ってはるな。
字が大きいのでわかりやすいんだが、絵とのバランスがなにやらすごい。

地蔵菩薩立像 1軀 木造 彩色 鎌倉時代 承久3年(1221) 京都 清凉寺  地獄ばかり見ててはいかんので、ここらで救いのお地蔵様に会えるのは嬉しいね。

で、最後にこちら。
閻魔王坐像 1軀 木造 彩色 鎌倉時代 13世紀 奈良 東大寺  くわっっっ!・・・まあね。
そう言えば八尾のお地蔵さんと閻魔さんのBL話とかありましたな。

4. 来迎と極楽の風景
極楽のイメージというのはやっぱり気持ちのいい温泉のあるレジャー施設かもしれない…

雲中供養菩薩像(南14号) 1軀 木造 彩色 平安時代 天喜元年(1053) 京都 平等院  揩鼓(かいこ)という楽器を演奏中。すりつづみ。詳しくはこちら

二十五菩薩坐像(徳蔵菩薩(左5号像)、普賢菩薩(左12号像)、日照王菩薩(右4号像)、宝蔵菩薩(右6号像) (25軀のうち)木造 彩色・截金 平安時代 11世紀 京都 即成院  美人さんが多い。後期はまた別な菩薩登場。
イメージ (690)

當麻寺に関するものがいくつもあったので、展示を見ているときは何故かなと思っていたが、この感想を書くに当たり前掲の大江匡房の本のおかげで、源信が當麻の出身だと知り、とても納得した。
なお當麻寺展も奈良博で開催された。当時の感想はこちら

法如坐像・化生法如坐像 2軀  奈良 當麻寺護念院  中将姫の二つの像。
[法如] 木造 彩色  世にある頃の普通の尼僧
[化生法如] 木造 漆箔  延宝4年(1676)   既に仏となった姿。

當麻寺縁起 下巻 1巻 紙本著色 室町時代 16世紀 奈良 當麻寺  迎講、天人ダンスの絵がある。

善導大師像 1幅 絹本著色 鎌倉時代 13世紀 京都 知恩寺  相変わらず可愛い喃。美ボーズ。
sun979.jpg
當麻寺展にも出ているが、わたしが最初に見たのは「法然と親鸞」展で。当時の感想はこちら。 

各地の阿弥陀聖衆来迎図が来ている。
平安時代 12世紀 滋賀 浄厳院
平安時代 12世紀 奈良 長谷寺
平安時代 12世紀 石川 心蓮社
平安~鎌倉時代 12世紀 三重 西来寺
鎌倉時代 13世紀 奈良 興福院
鎌倉時代 13世紀 京都 三千院
鎌倉時代 13世紀 奈良 松尾寺
・・・・・・
人々の望み(または臨み)の在り方と言うものがわかるようだ。

阿弥陀三尊及び童子像 3幅 絹本著色 平安~鎌倉時代 12~13世紀 奈良 法華寺  右幅の少年が可愛い。みずらに赤リボン。朱唇。いいねえ。

法然上人絵伝 巻四十五 2巻 紙本著色 鎌倉時代 14世紀 京都 知恩院  東大寺の重源の往生シーン。45巻ともなると他の人のエピソードの方がメインになる。

経筒(観無量寿経変相図線刻) 1口 銅製 鍍金 平安時代 11~12世紀 個人  こういうのを見ると末法というものを実感する。
以前に道長の埋めた経筒をみたが、あれもこれも人間の望みと言うものがナマナマしく刻まれ、しかし経年によりそのナマナマしさは遠いものになっている。
そして千年後の今にしてそれを目の当たりにする、その意味を考える。
そう、末法は来なかった。彼らの怖れるような形でのものは。
しかし今が末法でないとは誰が言えるのだ。

最後にそんなことを思いながら特別展を出る。
次は8月の盆頃に行く。

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