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美術館・博物館・デパートでの展覧会を訪ね歩き、近代建築を見て周り、歌舞伎・映画・物語に溺れる日々の『遊びに行った日を記す』場所です。 

生誕130年 小村雪岱 「雪岱調」のできるまで その1

小村雪岱の展覧会がかれの郷里の川越で開催されている。
かれの記した随筆集「日本橋檜物町」に川越から東京へ向かう舟のことがある。
読むうちに朦朧としたうつくしい心持になる。
その一節を思い浮かべながら美術館へ向かったが、舟でいってみたい気持ちがあった。
しかしながら現実には有楽町線の乗り入れ先にそのまま連れて行ってもらった自分がいる。

雪岱の名は泉鏡花があたえた。
言葉へのつよい愛情と畏れとを懐く泉鏡花は雪岱にとっては、生涯最大の恩師であり畏友であった。
雪岱の画業の始まりは学校で下村観山で学んだことから始まる。
かれは若いうちから鏡花に憧れ、やがてめぐり合うべくしてめぐり合い、以後の生涯をうつくしい絵を描いて送った。

展覧会のタイトルは「生誕130年 小村雪岱 「雪岱調」のできるまで」である。
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「雪岱調」とはなにか。
白と黒の美しい線描で表現された女たち、澱みのない線で構成された建物や室内、町の様子をさしている。
色彩があるときはあくまでもひかえめでいて、しかし印象深い色遣いをみせている。
文字もまた一見個性的でないようでいて、実は個性を押し通した書体をえらんだ。

雪岱は
・鏡花本の装幀家
・邦枝完二・子母澤寛・吉川英治ら時代小説の大家と組む挿絵画家
・六代目菊五郎のための舞台装置家
というイメージが殊に強い。
実際それは間違いではなく、「雪岱調」が完成するのは邦枝と組んだ「おせん」「お傳地獄」だからである。

挿絵の仕事の始まりは里見弴の人気作「多情仏心」だが、まさかのコンテ絵で、線描が命の後の作風とは全く違うもので、当時もあまり評判は芳しくなかった。
とはいえ小説自体は人気で、映画化もあり、更に今も手に入れようと思えば出来る作品である。
わたしはコピーだが、その挿絵を持っている。確かに後の彼の作風とは全く違い、これはこれでいいのだが、「雪岱調」の文脈から大きくそれることは確かだ。
いつか紹介しようと思うが、ここではあえてスルーする。
そしてその後から「雪岱調」が生まれるのだ。

展示を見る。
「おせん」から始まっている。木版の綺麗なもの。
ただし死後の刊行である。
雪岱は鏡花の死後暫くして急死している。

1.大正期の雪岱
明治末の画学校時代の作品がある。
春昼 1908  「春昼」とは鏡花の小説であり、絵はそれを描いたものだった。
この小説のジオラマは金沢の泉鏡花記念館にある。
場面は違うがどちらもよく出来ていて、「春昼」とその続編「春昼後刻」を思う度、この絵とジオラマとが心に浮かぶ。

柳 1908  手前に赤いユリが二輪さく。風景ではなく情景であり、また舞台の書割のようでもある。
こう書くと絵を軽く見ていると思われる向きもあるかもしれないが、わたしは挿絵と舞台装置は本画と同じ価値を持つと思っている。
つまり、この若い頃の絵に既に雪岱の後の仕事の一端が見える気がしたのだ。

唐津くんち 1907  好きな絵。遠くにぼんやりと祭の喧騒が閉じ込められている。

本の装幀をみる。
大方は鏡花のための仕事である。
これらは本の宝石箱だと思う。
明治から大正そして戦前までの単行本の装幀の美しさに関しては、以前から何度か展覧会も開催されて、今の世に知らしめられようとしている。
その中心にはこの雪岱、橋口五葉、中澤弘光、藤島武二、竹久夢二らがいる。

以前に金沢の鏡花記念館で見た展覧会もよかった。
当時の感想はこちら
「日本橋」「鏡花選集」「遊里集」「由縁文庫」「鴛鴦帳」「愛艸集」「雨談集」・・・
他の作家のための仕事もいい。
長田幹彦「白弦集」、「祇園夜話」、田山花袋「柳暗花明」、遅塚麗水「東京大観」、谷崎潤一郎「近代情痴集」・・・

雪岱は資生堂でもいい仕事をしている。
以前にその様子を集めた展覧会を見た。
資生堂アートハウスでの小村雪岱展である。
当時の感想はこちら

その資生堂でデザインした香水瓶がいくつか出ていた。
「梅の花」「藤の花」「菊」といった和の美を感じさせる香水である。
いずれも大正。
山口小夜子以前の和の美を体現したものだった。

雑誌の表紙絵がある。1916年。
「をとめ」1号「春のつどひ」と3号「やよひ」どちらも少女向けのもので、目は既につよく吊り上がっていた。

珍しい所で武者絵の貼り混ぜ屏風がある。1926年頃  この中で笹を駒にした少年の絵があり、誰か不明ということだったが、わたしはなんとなく阿新丸(くまわかまる)を思い出した。古径の描いた少年が笹を掴む姿をみての連想かも知れないが。

他に資生堂の雑誌「銀座」、中山太陽堂が母体のプラトン社「苦楽」の表紙絵とその原画がある。
また鏡花を介して知り合った鏑木清方の名品「註文帖」口絵集の模写があった。第13図。
お若が剃刀を咥えて髪を抑えながら顔を挙げるシーンである。
さすがによく似せて描いている。
これはかれの随筆「日本橋檜物町」にも記されている。

雪岱は清方を尊敬していた。
清方も雪岱の仕事ぶりとその人柄を愛し、自らの随筆集の装幀をたのむこともあった。
鏡花を間にして二人は互いを好もしく思い、よいつきあいをした。
かれらの交友を記した様々な資料を思う度、心が清くなる。

美人図  一目見て清方の名品「築地明石町」を思わせる作品。たぶん雪岱は清方のあの名作を自分も描いてみたくなったに違いない。

2.挿絵の仕事
前述のとおり里見弴「多情仏心」が雪岱の挿絵デビューである。
雪岱だと思うことなく絵を見れば、決して悪いものではない。
この小説は1922-23年の「時事新報」夕刊に連載されたとあるが、今ちょっと確認できないが、年末のあわただしい時の連載開始を里見弴はきらい、年末三日分は本編と無縁な短編を書いていて、新年からきちんと本編を始めている。
その辺りの事情を里見弴の随筆で読んでいるが、どの本に記しているか、調べる時間がちょっとない。
手元にある本のどれかに記されているので、近々再読してその部分を引用しようと思う。

時事新報 1923.3.9の一面がある。主人公・藤代信之がお澄に話しかけるシーン。
「妾宅」13である。
新聞の他の記事をちょっとばかり紹介する。
ラ式フットボール(今のラグビー)の観戦記、ウォータールーでイングランドvsスコットランド。
イプセンの芝居も流行っていた頃か。

前後編2冊が紹介されている。新潮社刊行。最後の版も新潮社文庫である。わたしの手元にあるのがそれ。
小説のラストは信之の死で、1923年9月1日午前。それから数時間後に関東大震災が起こるのだ。

少しばかり間をおいてから、いよいよ「雪岱調」の挿絵が現れる。
村松梢風 綾衣絵巻 東京日日新聞 1928.10.17  下絵である。数人の坊さんがいる。
戦後刊行の本が出ている。初版は1929年平凡社刊行、どちらも雪岱の挿絵入りらしい。
国会図書館のデジコレに入ってはいるが、村松の著作権が切れていないので、webでは見れない。

1928-29年刊行の「日本歴史物語」上下巻それぞれ挿絵を担当している。
上巻は喜田貞吉で絵は「法隆寺」と「八幡太郎」。
下巻は中村孝也で絵は「織田信長」「関ヶ原の戦い」「桜田門外の雪」。
八幡太郎の兜の龍が妙に可愛く、信長は本能寺で弓を構えていて、桜田門外の乱闘はロングで捉えている。
それぞれ工夫された挿絵。

挿絵というものは一目で見る者の心を掴まなくてはならない。
それはポスターも同じ。
わたしは挿絵もポスターもとても好きだ。商業芸術に溺れる歓びを知っている。
雪岱の挿絵には強い力がある。

里見弴 闇に開く窓 大阪朝日新聞 1929  7回分の挿絵がある。
これは以前の展覧会でみた。すっきりと白と黒の雪岱調である。
「巻線香」9、「人づて」4、「日向室」3、「手提鞄」2と8、「早春」8と10。
「人づて」4の紳士は仲良しの水上瀧太郎の風貌を思わせる。
「日向室」3 サンルーム。庭がちらりと見える。
「手提鞄」2 曰くありげな奥様二人がデパートらしきところにいる。
「手提鞄」8 女の生え際・もみあげがたいへん雪岱調。

ところで雪岱は「昭和の春信」と謳われた。実際わたしなども初めて雪岱の絵を見たとき「春信??」と思ったくらいだ。
当時高校生だったので、雪岱の良さと言うものがちっともわからなかった。
あの頃から好きなのは清方、松園さんで、そのあたりは今と変わらない。
その「春信」だが、「絵本青樓美人合」が展示されていて、雪岱の勉強の道筋が伝わってくる。
そしてその勉強の成果が出た仕事もある。
江戸時代の遊里や川柳や洒落本の研究本の表紙絵を担当しているが、全くわざとらしさがなかった。

田中貢太郎 疾風時代 挿絵下図 東京日日新聞夕刊 1930.7.2  彦太郎という侍の腕に抱かれる小清、「ああさん」と男を呼ぶ。下絵の方が艶めかしい。

その掲載誌をみると、ボンベイ、英国といった文字が見え、「ボリビア革命成功」という記事もある。ここらの歴史を調べたが、ちょっとわからない。ボリビアと言うとシモン・ボリーバルを思い出すが、それではないし…
小泉逓信大臣の名もある。今の小泉純一郎元首相の祖父で通称「いれずみの又さん」。

佐藤春夫による「雨月物語」の「蛇性の婬」の挿絵原画がある。1934年「婦人公論」。
清方のそれもよかったが、雪岱のもいい。

白井喬二と組んだ仕事もいいのが多い。
「悪華落人」「斬るな剣」「盤嶽の一生」…スイカ畑の番人をする盤嶽の清々しい後姿などはなかなかよかった。
「斬るな剣」には寸法の指定が書かれていた。こうした指定のあれこれを見るのも楽しい。

いよいよ邦枝完二との仕事が出てきた。
江戸役者 東京日日新聞・大阪毎日新聞 夕刊 1932
八世団十郎の物語である。春信ではなく国貞風な絵面だった。
6点の挿絵原画があった。
単行本と一枚絵もある。
屋形船の障子が開き、月に雨松柄の杯洗を傾ける女の腕が出ている図。
雪岱は女の顔を描かずとも、二の腕や腿だけでその女の色気を表現する。

長くなるので一旦ここまで。


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2018.2月の記録

20180203 犬の埴輪 堺市立博物館
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20180204 摩尼 桑原聖美と相場るい児 ギャラリー
20180210 星野道夫の旅 東大阪市民美術センター
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20180210 宋と遼・金・西夏のやきもの 大和文華館
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20180210 お水取り 奈良国立博物館
20180210 薬師寺の絵画 奈良国立博物館
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20180211 熊谷守一 生きるよろこび 東京国立近代美術館
20180211 MOMAT コレクション 東京国立近代美術館
20180211 小村雪岱  川越市立美術館
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20180211 川越市 建築探訪
20180212 運慶 鎌倉幕府と霊験伝説 金沢文庫
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20180212 今泉今右衛門の色鍋島  そごう
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20180212 江戸後期の京焼陶工ー奥田頴川と門下生を中心に 東京国立博物館
20180212 アラビアの道 東京国立博物館
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20180212 表慶館 建築探訪
20180212 2月の浮世絵 東京国立博物館
20180212 アニマルワールド 加島美術
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20180217 芳年 神戸ファッション美術館
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20180217 木の国フィンランドの伝統と革新 ー工芸村フィスカルスとニカリの物語ー 竹中大工道具館
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20180225 応挙は雪松、呉春は白梅 逸翁美術館
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応挙は雪松、呉春は白梅

逸翁美術館の開館60周年記念展第五幕は「応挙は雪松、呉春は白梅」。
呉春の白梅と言えばこの逸翁美術館を代表するお宝の一つで、わたしの持つ名品集の表紙絵にもなっている。
もう随分前から見ているから何度目かはわからないにしても、いつ見ても「ああ、ええなあ」という言葉しか出ない。
細かいことを言わずとも、この白梅図の良さは身に染みて・心に沁みる。

そして応挙の雪松といえば三井記念美術館の国宝のあれ、その関連作なのだ。
応挙は三井家に支援をしてもらっていたので、三井家のためによい絵を多く描いた。
先般の京博の国宝展でも雪松図屏風と三井の誇るやきものの代表格・志野茶碗 銘卯花墻とが一緒の空間にあった。
逸翁の雪松図はその習作。松ぼっくり可愛い。
そしてこの二つを併せたチラシが素敵だ。
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今回の展示は「四条円山派」の作品が集まっているが、正確には四条派と円山派の作品が並列しているのだ。
円山派は応挙から始まり、四条派は呉春が師匠蕪村亡き後に応挙に学びにゆくや、師弟としてではないが温かな交友を結ばれ、呉春は応挙の薫陶を受けた。
後、四条界隈に一門の多くが住まうことでそう呼ばれた。
対立ではなく、方面を仲良く分け合ったのだ。
そしてそのことをこの展覧会は示した。
だからこそ今回のタイトルが活きる。

まず円山派から始まる。
応挙 瀑布図 1773  右側に大きく滝がある。途中に岩も突き出ている。とても大きく力強い滝である。
これを見て旧萬野コレクション(現・承天閣美術館蔵)の瀑布図を思い出したのだが、それも当然で、あの滝の翌年のものだった。
まだ応挙にあの滝の勢いが流れていたのだ。

応挙 嵐山春暁図 1780  応挙48歳の作。左手に橋が架かり、右側いっぱいに大堰川の流れと片岸がみえる。桜と松がみえる。人の姿もなく、筏もない。
そう、まだ人の動く時間ではないのだ。
その空気感がある。

応挙 月雁図 1784  満月の横にこれから着水しようとする雁の姿がある。下を見つつ羽を広げるようなしまうような形にし、しかし足は既に畳みつつある。目が優しい雁。
ちひろ描く鳥のように優しい目をしている。

応瑞 賀茂祭競馬図  装束などが古風だが、その当時のリアルなものだと思えた。見学は一般がいないようで、ゴール付近だと知らされる。
スタート地点に桜を・ゴール地点に楓を植えるのが決まりだそうだ。
これはそれぞれ「さア往こ桜」、「もうよい紅葉」という。
季節の流れをこうした所にも取り入れているのだ。
そして絵には青楓が若々しい色をみせていた。

応瑞 朝顔図  何度か見ているが、右側に寄って咲き乱れる青い朝顔と緑の葉っぱ、余白の白がとてもいい。白磁に朝顔を描いたようにも見える。綺麗。
夏の良さを思う。ああ、暑いのより、心地よさを感じる夏から秋の花。
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応震 秋草小禽図  いろあいの華やかな絵。三羽の瑠璃鶲が飛んできた。
下部には鵯らしきものもいる。薄黄色の女郎花、艶やかな竜胆と桔梗、薄紅色の野茨・・・和やかな花鳥図。
花鳥のいる風景に生きるこの優美さは、東アジア絵画とポンペイの壁画、そしてロココ絵画にしか見いだせないのかもしれない。

源琦 玄宗楊貴妃弄笛図  唐美人が得意な源琦だけに衣装や装飾品の隅々まで神経が行き届いていて、楊貴妃の豪勢な美を引き立てる。
比翼連理といい、二人の他はどうでもいい感があふれている。
かつては則天武后の血筋を追い払い、輝かしい武勲を立て、善政を敷いたというのに、この傾国に出会ったことで何もかもが失われたのだ。
しかし幸せそうなのは確か。だから可哀想でもある。

山口素絢 酔美人  和美人が得意の素絢。美人が酔ってぐにゃぐにゃな状態を描く。向かって右側の美人は胸もはだけ、キモチよさそうに目を閉じている。
随分と酔いが回っているようだ。
それを起き上がらせようとするもう一人は髷も着物も崩れてはいないが、表情に気取りがなく、誰かに見られている緊張感もない。
そうした二人の様子がいい。帯の跳ねかたも髷もどこか娘娘しているのもいい。
楽しそうな二人の娘のよい絵。

渡辺南岳 隻鯉図  これはまた美味しそうなくらいよく肥えた鯉が水中にいる。胴と言い口元と言い、なんだか唐揚げにして飴炊きにしたい位だ。
わたしのメモも「むまさう」とついつい古い言葉で書いている。

奥文鳴 花鳥図  他派の影響をうけるというか、他派の良い所を吸収するのも円山派のよいところだ。
中央に岩に止まる黄色の目立つキンケイがいる。その上部には薄紅色の長春花(バラ科)と3羽のシジュウカラ。キンケイのそばには白い躑躅、地には雀がコロコロ5羽遊ぶ。
色遣いは南蘋派ほどのエグみはなく、あっさりしてもいて、そこがいい。

やがて応挙の雪松図屏風が現れる。その対面、少し斜め先には呉春の白梅図屏風。いい組み合わせだ。

芦雪登場。(表記は展覧会に拠る)
四点の芦雪が並ぶ。対ものから。
長春亀図  岩の上に3羽の雀が並ぶ。長春花が彩りを添える。岩の下の水中から亀が顔を出し、そばには小さいエビが2匹みえる。
スズメが岩に止まってこちらを見るというのは薬師寺の襖絵で見たのと同じ。
薬師寺の名画 板絵神像と旧福寿院障壁画
当時の感想はこちら
・・・これが岩でなく家の裏の前栽に雀が三羽止まって・・・だととんだ「悪魔の手毬歌」になるが、岩だからなごやか。

藤花鼬図  名古屋や和歌山での芦雪展でのときもそうだが、彼の描く動物たちの愛らしさ・妙な親しみやすさがたまらなく好きだ。
鼬もトボケた表情で横を向いているが、ふと話しかけたら返事をしそうだ。それでハッとなって「しまった、つい返事をしてしまった」と鼬が冷や汗をかけばいい。そんな様子まで想像できる。
藤はまだ咲いていない。紫なのか白なのかもわからず、葉の青々した様子だけがわかる。そこにモンシロチョウもヒラヒラ来ている。
イメージ (714)クリックしてください。
イタチの顔。
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牡丹孔雀図  大層派手な絵である。中央に大きく豪奢な孔雀が描かれていて、他を圧する。牡丹はその背後に咲きこぼれる。
しかしよくよく見るとその周囲がいい。
3羽の文鳥が頭上に飛ぶ、地には雀や他の小禽が餌を探し、中にはおいしく虫を食む雀もいる。小さな黄蝶も飛んでいた。
中央の孔雀よりむしろ周囲の小さいものたちが目を惹いた。
この絵は98年の春の展覧会ポスターにも選ばれているが、調べてみたら惜しいことにその時に行った記憶と記録がなかった。

降雪狗児図  芦雪のわんころたちのうち、毛並みが洋風表現なわんこ。可愛い喃。
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木下応受と吉村孝敬の合作もある。
右幅の唐美人を木下が・左幅の蓮を吉村の描いた「唐美人採蓮図」である。
官女らしき二人はそれぞれ似た色合いだが、柄の違う衣装をまとい、仲良く蓮採りの小舟に乗る。髪には金製の繊細な装飾冠というよりサークレットのようなものがつけられ、そこにはそれぞれ黄色または青色の花の飾りがつく。
蓮は大きく茎の伸びた葉が一本、その後ろに一輪の満開の蓮、そしてあとは蕾。
国貞と広重の合作を思い出した。国貞が美人を描き、広重は風景を描いた。
こういうコラボがとても好きだ。

中島来章 六歌仙図  丁寧に描き込んだ六歌仙。表装はかれの子・有章が担当し、金泥で桜と楓の小さいのを鏤める。

来章は茶箱にも絵付けする。
駒沢利斎 雲錦彩画茶箱  千家十職の指物師・駒沢利斎が拵えた小さ目の無垢の茶箱につつましく桜、楓を描く来章。
この茶箱は南鐐の小皿、赤楽に小さくウサギ文様の筒などで構成されている。


四条派をみる。
蕪村から呉春へ渡されたものはのんびりした空気だったと思う。
俳画と南画とが混ざり合っていい空気になったところへ応挙の薫陶をうけ、いよいよ良くなる呉春。
呉春はいい師を二人も持ったことになる。

呉春 十二月行事句画賛巻  味のある字が躍る。蕪村、呉春とホント、味のある字を書く。いいなあ。なんだか春の蕨や土筆や菫が芽を吹いたような心持になる字。

呉春 三十六歌仙偃息図巻  みんなのんびりと好き勝手な遊びに興じている。
腕相撲する素因法師、首っ引きする紀友則と猿丸太夫、あやとりの小町、ならめっこするのもいる。碁盤をにらむのもいる。
ここには開かれないが、遠眼鏡をのぞく女もいた。
以前この展覧会で見ている。
俳画の美 蕪村と月渓
当時の感想はこちら
楽しそうで何より。

呉春 孤鶴款冬花図  こかく・かんとうか・ず。真鶴が一羽首を曲げている。このカントウカとは何かというと、鶴の足元に二つばかり咲く植物をさしている。葉っぱだけならフキに似ているが、花は黄色の群れ咲くもの。
「フキタンポポ」のことだそうで、漢方の生薬になるそうだ。
知らないので調べて納得。

そして白梅図屏風。かつては雅俗山荘の新館で展示されていた。本館では見ていないと思う
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以前のチラシもある。
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なんと新しい調査で「絹本」だったこの絵が実は絹ではなかったことが判明したとか。
わたしは以前に絖だと聞いていたが、研究が進むと色々状況が異なってゆくものだ。こういうことも面白い。
布は一扇につき上から五枚張り合わせる。染むらも景色となる。はっきりと描かれているのは白梅だけなので、その地の色にムラが出るのもいい。

呉春の対幅がある。
岩上孔雀図  墨画淡彩で華麗奔放な孔雀を描く。以前はフルカラーこそが素晴らしいと思っていたが、年降るにつれ淡彩の良さを知るようになった。孔雀もほんのりでわるくはない。

松下游鯉図  薄い水色の中に潜む鯉。

秋夜擣衣図  山家の庭でとんとんと砧を打つ。
この家どこかで見たなと思ったが、水木しげる描く妖怪で藁頭巾をかぶったあれか、諸星大二郎描く妖怪・無支奇、どちらかみたいな顔をしていた。

ここからは呉春の弟子や一門の作品が並ぶ。
景文 花鳥図  景文の花鳥図の和やかさは多くの人に好まれた。客見せのためだけでなく、自分の生活の楽しみのための絵。
薄灰紫の木蓮。暗紫ではない色。中の花弁は白い。そして白い桜、薄紅の長春花。尾長を始め小禽たちがゆるやかに辺りを飛ぶ。
追記:3/6 公式ツイートより。



景文 紫雲英雲雀図  蓮華が群だって咲く地から雲雀が飛び上がる。蓮華や土筆が歓声を上げて雲雀を見上げる。
雲雀はどんどん揚がってゆくが、まだここでは飛び立ったばかり。
すぐそばには揺らぐ水面も見える。雲雀の小さい翼の羽ばたきで揺らいだのか。
これを見てヴォーン・ウィリアムズ「揚げ雲雀」の旋律が脳内再生され、同時に谷崎潤一郎「春琴抄」ラスト近く、春琴と佐助が放った雲雀がどんどん高く揚がり、やがて見えなくなり、鳴き声も聴こえなくなり、ついに帰らない。その様子を思い出した。

景文 夏汀遊魚図  鮒や鮎などがスイスイと泳ぐ。こうした小品は季節ごとに掛け替えて楽しむもので、キモチにゆとりがあると、本当に愉しめる。

岡本豊彦 雪中竹雀図  雪が大きく膨らむ中、その竹笹の上に二羽の雀がちょこんと。寒いが一方で暖かそうにも見える寄り添い方をする。

小田海僊 桜花小禽図  左幅 目白が桜の周囲を舞う。右幅 キツツキが木をつつく。春と夏だろうか。薄草色の絹なのだろうか、そこに描いているのか、染めているのかはわからない。

呉春 牛若丸句画賛  久しぶり。鞍馬の山で牛若丸を鍛えた大天狗が彼に背を向けて座る。二人の間には数人の「くらま」をネタにした句が入る。

呉春や景文が下絵描きしたやきものや印籠などがあるが、印籠は絵が見えないし、やきものは卵色の地に埋もれるような薄いベージュ色で、華やぎはないが、慎ましい可愛さがあった。
そのやきものには呉春えがく楓や銀杏の落葉があり、この蓋物は弟の景文がずっと持っていたそうだ。

景文の扇子がある。土筆柄、早苗螢図など、どちらもほんわかしたよいもの。
派手でなくても上品なもので、持ちたい扇子だった。

伝・景文 秋草図巻  黄蜀葵、白い葛の花、露草、枝豆などが描かれていた。枝豆、おいしそう。

道八と景文のコラボ作品があった。
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こういうの、いいなあ。ほかにも平等院鳳凰堂の屋根辺りを描いたのもある。

西山芳園 絵手本帖  三冊披いていた。雀バサバサ、椿、紅梅。どのページもきっとよいだろう。

西山芳園 洋楽渡来図 篠崎小竹・鍋島侯賛  マーチな人々。洋楽軍楽?そして賛は鍋島侯の過激な攘夷文なんだよなあ。
けっこうコワイぞ。

最後に解説にいいことを書いていたのでそれを少しばかり。
円山派 対象そのものを描写
四条派 対象の背後に広がる情感も含む。
なるほどなあ…

3/11まで。

アラビアの道-サウジアラビア王国の至宝

東博の表慶館でサウジアラビア王国の古代からの至宝をみた。
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サイトから引用。
「古代より交易路が張り巡らされ、人々と諸文明が行き交ったアラビア半島。
本展では、その躍動的な歴史と文化を示すサウジアラビア王国の至宝を日本で初めて公開します。100万年以上前にさかのぼるアジア最初の石器、5000年前に砂漠に立てられた人形石柱、ヘレニズム時代やローマ時代に賑わった古代都市からの出土品、イスラームの聖地マッカ(メッカ)のカァバ神殿で17世紀に使われた扉、サウジアラビア初代国王の遺品(20世紀)など、400件以上の貴重な文化財をとおして、アラビア半島の知られざる歴史をお楽しみください。」


サウジアラビアといえば石油の産出国というのがまず第一にアタマに浮かぶのだが、メッカを忘れてはいけない。
ここはサウド家が絶対君主制を敷いている国。
そしていつからこの国が大きくなったかというと、第二次大戦後から本格的に石油産出国となったから・・・
というのを神坂智子「T.E.ロレンス」で読んで知った。
「T.E.ロレンス」は「アラビアのロレンス」と呼ばれたあの英国のロレンスのことで、この作品はとてもよかった。
そしてロレンス没後も話が少しばかり続いていて、その中でサウジがアメリカと組んで大きくなってゆくことが示されていた。

政治と宗教とが複雑に絡み合う国なので、そのあたりをあえて措いておいて、見せてもらったものについてだけ挙げてゆく。
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入ってすぐのホールにはこのヒト型の柱がお出迎え。
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わたしのアタマの中にはモーリス・ジャールの作曲した「アラビアのロレンス」が流れだしている。

ああ、綺麗な壁画だな。
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石に刻まれた美
物語はそこに集められる。


首の無い像たち。
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ライオン・ライフ。
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山羊かな…
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山羊もいるしほかの動物も。
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コンコンコン
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ガオーーーッ

綺麗な文字のプレート。
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一言も読めないが。

画像がどうしてもひっくり返るものはツイッターで挙げた。












ついつい浮かれてパチパチ撮り倒し、きちんと説明・来歴などを見ていなかったので、今度ゆくときはきちんと見よう。
それにしても魅力的なものがとても多かった。

3/11まで。

加島美術で「アニマルワールド」

東京の京橋にある加島美術さんへは二度目の訪問となる。
前回は渡邊省亭の展示の時。
今回はタイトル通り゛アニマルワールド」を見に行った。
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可愛かったー
チラシにある通り「日本画の動物ってこんなにかわいい!」…ホンマにその通り、可愛すぎてくらくら。
とはいえ、専らこの応挙のわんこにヤラレたわけですが。

わたしが行った日はワークショップの後でバタバタされてたけれど、それも大盛況だったようでよかった。
美術商のお店がこうやって一般に門戸を開いて、言えば啓蒙してくれるのはいいことだと思う。

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いい絵を見せて貰えたのは嬉しいし、こうした気持ちを多くの人と共有できるのも幸せ。
それにしても日本画のどうぶつたちを見ていると、心が安定してくるのを感じるわ。
西洋絵画とは全く違う立ち位置にあるからだろうか。

2/25まで。
もうワークショップやイベントはないけれど、見るだけでも楽しいから多くの人がゆけばいいと思う。

運慶 ―鎌倉幕府と霊験伝説

神奈川県立金沢文庫特別展「運慶 ―鎌倉幕府と霊験伝説」は良い展覧会だった。
先般東博の「運慶」展を見たが、あれは彫像そのものを前面に出したダイナミックな展覧会で、時代背景や歴史的な意義など考慮せずとも、その空間に、運慶仏と共に在ることに喜びを覚える展覧会だった。
金沢文庫は「文庫」という特性で以て展覧会を構成していた。
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展示リストをそのままお借りした。pdfなのでお気をつけて。
全部漢数字なのでちょっとびっくりした。

地蔵菩薩坐像 康慶作 一躯 木造彩色玉眼 像高八四・八㎝ 治承元年(一一七七) 静岡・瑞林寺
もろに平安末期ではないか。あと数年で平家滅亡。その時に運慶パパの拵えたどっしりしたお地蔵様である。ここのお寺は黄檗宗だそうだ。

箱根山縁起并序 一巻 紙本墨書 三〇・二×五五二・六㎝ 寛正五年(一四六四) 神奈川・箱根神社
箱根と興福寺の奈良仏師との関わりを記したそう。内容はわたしにはわからない。
後日調べるとこういう話が出てきた。pdf注意

言泉集(堂供養) 称名寺聖教274函1-32 一帖 紙本墨書 一六・五×一二・七㎝ 鎌倉時代 神奈川・称名寺(金沢文庫管理)
安居院の澄憲とその息子の聖覚とが編纂した唱導集。伊豆堂のこと、東大寺のことが記されていた。
安居院の澄憲というだけでちょっとときめくのは、平家物語がお好きな方にはわかっていただけるだろう。
安居院の唱導・・・素敵だ・・・

他に特別展示でこういうのもある。
転法輪抄 田中家旧蔵文書典籍類 二帖 紙本墨書 一六・〇×一三・八㎝ 鎌倉時代 国立歴史民俗博物館
澄憲の唱導集。

釈門秘鑰 称名寺聖教273函3-7 一帖 紙本墨書 一五・五×一一・七㎝ 鎌倉時代 神奈川・称名寺(金沢文庫管理)
しゃくもん・ひやく と読むそうだ。法会で読みあげる唱導(尺)を編纂したもので、前掲のものと関係が深い。
この辺りをもっと勉強しないといけないな・・・

阿弥陀如来坐像 一躯 木造金泥塗泥地古色彩色 像高五五・五㎝ 鎌倉時代 埼玉・慈光寺
髷が消失してしまった。天台宗のお寺。頭飾りもない。

月輪形銘札(不動明王立像納入) 一枚 檜薄板製墨書 縦七一・五㎝ 文治五年(一一八九) 神奈川・浄楽寺
マイク型というかしゃもじ型というか・・・和田義盛発願。

永福寺跡出土品 一括 鎌倉時代 鎌倉市教育委員会
鈴もあり、瓔珞も残り、肘まである・・・幡の細部と躰のパーツ。天衣、小手、炎髪・・・
香雪美術館で見た悉有仏性―全てのものに仏性がある―「磨滅の美。」佐藤辰美コレクションを思い出す。
当時の感想はこちら

天王立像 一躯 木造彩色玉眼 像高九二・〇㎝ 鎌倉時代 神奈川・大善寺
かなり剥落しているが衣装はよくわかる。しかし割れているのもすごい・・・

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十二神将立像 十二躯 木造彩色玉眼 像高六七・八~九一・四㎝ 鎌倉時代 神奈川・曹源寺
ずらりと並ぶ十二神将だが、説明を読むと、並べ方は元々の干支順にしてあるが、頭上に坐す動物たちが後補のもので本来の干支と合うてないそうだ。中には合うのもあるが、基本別である。
わたしがあんまり熱心に見て、更にこれはあれかな?と推理している様子に監視員さんが気の毒に思われたようで、正答をくださった。ありがとうございます。誤とはアタマの動物の一覧である。
正: 子・丑・寅・卯・辰・巳・午・未・申・酉・戌・亥
誤: 卯・戌・丑・寅・申・巳・午・子・未・辰・酉・亥
ただし、わたしの目には違って見えた。
犬らしきものが二つもあるのがそもそもよくない。
なお、手に持つ得物を干支順にあげてゆく。
矢・三鈷杵・三叉戟・斧・三叉戟・刀・斧・矢・三叉戟・独鈷杵・刀・棒
色々あるなあ。

毘沙門天立像 一躯 木造彩色玉眼 像高七一・七㎝ 鎌倉時代 神奈川・清雲寺
和田の合戦の際、和田義盛に代わって矢を受けたという。兜は着脱可能のもの。手に五輪塔を載せる。
和田の合戦と言えば木原敏江「夢の碑」の「風恋記」にその模様が描かれている。

四天王立像(大仏殿様) 木造彩色玉眼 像高三九・九~四一・〇㎝ 鎌倉時代 岡田美術館
截金がよく残っている。それだけでもきれい。

ああ、大きいのが出ているな・・・
菩薩面 一面 木造彩色漆箔 二三・二㎝ 鎌倉時代 神奈川・鶴岡八幡宮
舞楽面(陵王・散手・二ノ舞) 3面 木造彩色 面高三三・〇~二三・六㎝ 鎌倉時代 神奈川・鶴岡八幡宮
龍が大きく前に出てたり、大笑いしてたりの面。なんだかニガテでしてな。

東寺講堂御仏所被籠御舎利員数 称名寺聖教222函13 一巻 紙本墨書 二七・六×二五三・八㎝ 鎌倉時代 神奈川・称名寺(金沢文庫保管)
修理中に舎利を一般公開したそうだ。大勢の観客が来た。今もあまり変わらない。1197-1198年の話。

金剛力士立像(東寺南大門様) 二躯 木造墨書 像高(阿形)三三・〇㎝/(吽形頭部欠)二四・六㎝ 江戸時代
わぁ、右側の吽さん、アタマないですがな。力強いのは確か。

梵天立像 伝運慶・湛慶作 一躯 木造彩色 像高一〇六・五㎝ 正治三年(一二〇一)頃 愛知・滝山寺
チラシの彩色像。平安時代に東寺にあったのを、鎌倉時代になってから翻刻(!)したとある。翻刻というのか、こういう像も。
いや、そんなはずがないので、わたしの見間違いだと思う。
フルカラー。なんだろう、これはやはり英語のfigureという感じが強い。

今回、読める資料でいちばん興味深かったのがこちら。
滝山寺縁起 一冊 紙本墨書 三〇・七×二〇・二㎝ 寛永二十年(一六四二) 愛知・滝山寺
内容についてはこちらに詳しい。
引用する。
「惣持禅院の堂は、鎌倉右大将家の御為なり。彼の鬚と歯を仏身に納め、彼の等身を、仏の寸法として造るなり。(略)右大将は正治元年己未正月十三日に崩御す。土御門の正治二年庚申月日より造り始め、同三年正月十三日に供養を遂ぐるなり。第三年に当たる故なり。本尊は聖観音、脇士は梵天・帝釈なり。仏師八条の運慶・同子息湛慶18才。両界の曼陀羅泥絵・八祖の御影、右大将家御菩提の為に、式部僧都寛伝造立す。建仁元年に供養す。」
このほかにも鐘の由来について記されている。
「鐘 寛元四年三月十三日 鋳之衆徒合力也」前の鐘は「平家争乱」で「伊勢平氏」により壊されたそうで、その後は蓮花寺の阿弥陀の鐘を用いていた。その鐘も一緒に鋳したらしい。
他に仁王堂についても言及されている。

大威徳明王像 運慶作 一躯 木造彩色玉眼 像高二一・二㎝ 建保四年(一二一六) 神奈川・光明院(金沢文庫管理)
チラシ左上 これは胸に金が残り、一面は欠落しているが、いい。腕も2本しか残っていないが、いい。
以前に撮られた写真、なかなか男前だった。
この像は頼家、実朝の養育係を務めた大弐殿(局、女性)の発願によるもの。

ところで次に見た仏像、ほっぺたがむき出しで傷んでいるようだった。
それもそのはず、通称「頬焼阿弥陀」というそうな。
阿弥陀如来立像及び両脇侍立像 三躯 木造漆箔玉眼像高(阿弥陀如来)九七・〇㎝/(観音)六一・二㎝/(勢至)六一・二 鎌倉時代 神奈川・光触寺
金はよく残るがホッペタは黒い。
そしてこの三尊を描いたものもある。
阿弥陀三尊像 一幅 絹本著色 一二八・〇×六九・二㎝ 鎌倉時代~南北朝時代 神奈川・光触寺
絵の方が後。
更にその由来もある。わたしが見たのは下巻。
頬焼阿弥陀縁起絵巻 二巻 紙本著色(下巻)三二・八×一二一二・三㎝鎌倉時代 神奈川・光触寺
もう既に修理中の場面が出ていた。
詳しい話はこちらのブログに。
疑念による処刑と信心と仏による身代わりと・・・
仏師が修理しても身代わりとなった仏の頬焼けは治らない。奥にはどうやら元々のこの仏像を頼んだ女主人ら三人の女がいる。酒を注ぐ者もいる。犬が嵯峨人形風なのも面白い。
疑念から仕える者を無慈悲に罰すると、日頃信心の仏の力が顕現し、無実は明らかになるが、主人の罪は却って消えなくなるものだ。家から別な地に堂を建て、やがてその面前で往生する女主人。
最後は救われたのか。

舞楽面 運慶作(抜頭) 二面 木製彩色 面高(陵王)縦三二・四㎝/(抜頭)三二.・二㎝鎌倉時代建保七年(一二一九・抜頭)鎌倉時代(陵王)神奈川・瀬戸神社
大きい!かぶると重たそうではある。

阿弥陀如来坐像及び両脇侍坐像 三躯 木造漆箔像高(阿弥陀如来)六七・六/(その1)二五・四/(その2)二六・〇鎌倉時代 静岡・伊豆山浜生協
所蔵先にまず「え゛」だった。それで今調べると、資料が出てきた。こちら
そこには常行堂の本尊だとあるが、金沢文庫の解説では「上常行堂の本尊」であり、脇侍は下常行堂にあったそう。更にこの脇侍たちの本尊は広島の耕三寺にあるのがそれだとか。
流転したのだねえ。
皆それぞれ欠落がある。脇侍らはどちらも両腕を失くしている。膝下もない。
しかし三体は1968年から1981年まで奈良博に出開帳してはったそうです。

阿弥陀如来坐像及び両脇侍立像 宗慶作 三躯 木造漆箔玉眼像高(阿弥陀如来)六七・六/(左脇侍)二五・四/(右脇侍)二六・〇
建久七年(一一九六) 埼玉・保寧寺
金具は取り付けがはっきりしている。金がよく残っているのがめだつ。

不動明王坐像及び両脇侍立像 三躯 木造彩色玉眼像高(不動明王)七六・四㎝/(矜羯羅)五一・〇㎝/(制吒迦)五〇・〇㎝建久七年(一一九六)頃 個人
明王のデコの皺はアンテナが立っててつながりやすい状態を示すあれに似ている。
セイタカはスカーフの結び部分を掴み、裳裾は膝下、コンガラは合掌で総髪にし、裳裾は足首まで。

勢至菩薩立像(阿弥陀如来坐像及び両脇侍立像のうち) 実慶作 一躯 木造漆箔玉眼 像高六七・六㎝ 鎌倉時代 かんなみ仏の里美術館
おお、手の印は影絵をするときの狐の顔。ちょっと寄り目なのもなんだか親しみやすい表情になっている。

大日如来坐像 実慶作 一躯 木造漆箔玉眼 像高一〇三・六㎝ 承元四年(一二一〇) 静岡・修禅寺
随分と髷が高い。

薬師如来坐像 一躯 木造漆箔玉眼 像高九〇・七㎝ 建久八年(一一九七) 神奈川・養命寺
どっしりとしたご婦人のようである。

薬師如来坐像 一躯 銅造鍍金 像高五三・五㎝ 鎌倉時代 神奈川・寿福寺
薬壺は木製だが、全体は銅仏。金っけの下の赤色がよく出ている。

阿弥陀如来坐像 三躯 木造古色塗玉眼 像高五一・九㎝ 鎌倉時代 神奈川県立歴史博物館 
とても静か。衣の裾が擦り切れているが、それが却って魅力的。

不動明王立像 三躯 木造古色塗玉眼 像高五三・三㎝ 鎌倉時代 埼玉・地蔵院
片方に長く伸ばした髪を括ったのを下げている。わたしはこの髪型をみると必ず「ザブングル」のラグを思い出す。
刀を担ぐ不動。片手には縄。凶器準備集合風・・・

不動明王立像 一躯 木造古色塗玉眼 像高四二・〇㎝ 鎌倉時代 長野・仏法紹隆寺
安定のぐりぐりヘアである。

読める文はわりと一生懸命読んだが、勘違いも多いと思う。
例によって勝手なことを色々書いたが、とても興味深い展覧会だったのは確かだ。
そして、もっと勉強しなくてはという心持になった。

この展覧会は多くの集客のため、普段と違う入り口から入館する。
3/11まで。




薬師寺の名画 板絵神像と旧福寿院障壁画

奈良国立博物館で薬師寺が所蔵する旧福寿院障壁画の数々をみた。
修復が終わっての記念だそうだ。
チラシがまず魅力的だ。
こんな女神の微笑みには抵抗できない。
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ところでその旧福寿院障壁画33面はだれが描いたかというと、このチラ見せだけで「おお」となるでしょう。
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そう、芦雪。魅力的な襖絵が復活して本当に良かった。

今回の展示は以下の如く。
・薬師寺鎮守八幡宮伝来の堯儼(ぎょうごん)筆板絵神像 1295年
・上記の復元模写 2013年
・障壁画33面 芦雪
・明誉古磵(みょうよこかん)富士図、雲竜図
・獅子像と狛犬像。
詳しいところはサイトへ。注意:pdf

明誉古磵(みょうよこかん)といえば去年大和文華館で大きな回顧展があった。
「没後三百年 画僧古磵」当時の感想はこちら
薬師寺で大活躍した画僧。その古カンのダイナミックな富士図と雲竜図が四面ずつ展開していた。
彼は元禄期の人なので、芦雪より前にこの絵を描いている。
そしてどうやらこの絵は対かもしれないそうだ。
まあ納得行くはなしですな。

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板絵神像から。
男神と女神とが6面ずつ。
それぞれの背景にはこのように木々が描かれているが、それはその神の坐すところと密接な関係を見せもする。
松や藤、そして龍田明神には楓。女神もかわらない。少女マンガは背景に花を描くが、垂迹図はアイテムとして木を描いていたらしい。
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女神の方も6面あり、それぞれ背後に木が描かれているが、やはり男神に比べるとはるかに華やか。
優美な表情や剥落しているとはいえ本当に華やかな装束を身に着けている。
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そしてかれらの復元模写があり、そちらで往時の美麗さを偲ぶ。
このプロジェクトには北村昭斎さんも参加しているそうな。


では芦雪の障壁画。
まずは板戸に描かれた松に鶴図  横向きの鶴が目を見開いて立っている。

竹雀図 4面  右1に雀が1羽。2,3面にささやかな竹。

虎溪三笑図 4面  ロング。右1に杣人らしきのが一人、松がのびのび。2面に橋が架かり二人。3面には侍童もいて二人。
4面には物売りらしき人もいて、その背後には滝。

岩浪群鳥図 4面  上斜めから降下する叭叭鳥らしき鳥3羽。
対して岩の上には目つきの悪い叭叭鳥3羽が何やら文句を言うている。

山水図 4面  上下で変わる風景。上は広々とした空、下は満々たる水。そこに小さな帆舟。

仙人図 4面  二人の少年がいるが、一人はどう見てもタブレット端末らしきものを持っていた。いつの時代も少年は早いものだ・・・←チガウ。笑ながら座る。
3面に二人の仙人、4面には見た目と行動のおかしい仙人。

松虎図 8面  これがあれ。虎と雀の競演。
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尻尾の長ーーーい虎。雄々しくも可愛い。

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飛んだり止まったり跳ねたりの雀たち。
スズメを描かせたら芦雪か竹内栖鳳かですな。

そう言えば6年ほど前、薬師寺花会式に行ったことがある。
当時の様子はこちら

また薬師寺にもいかなくては。
展示は「お水取り」ともども3/14まで。

東博で見たもの いろいろ編 2018.2

やきものの他にも無限に楽しめるのが東博の所蔵展示です。
いいよねえ。

国宝 大聖武「賢愚経」
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字が大きいので大聖武。かっきりしたいい手蹟。好ましい。わたしは奈良時代の楷書が好きなの。
波斯匿王女金剛品  これは醜いペルシャの王女が仏の力で美人になる話。醜女縁起とかいうみたい。
正直「オイオイ待て待て」なんだが、過去の事案(!)に文句を言うことは出来ない。
しかし読み進めると、けっこうコワイぞ。


群仙図
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海千山千ならぬ群仙たち。仕える坊やの中には竜の出現に怯えるのもいる。

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孫思邈図 1幅 狩野探幽
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「重たいがな!」と文句言うてるようにしか見えない探幽の虎だが、案外かまってちゃんかもしれない。
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探幽縮図もあった。
近年は素描や縮図を見るのが楽しくてならない。

猿猴図 1幅 狩野山雪
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アーイアイ、アーイアイ おさるさーんだよー
丸顔の猿。ニホンザルは森狙仙を待とう。
この木は柏かな。柏は新しい葉っぱが出て来るまで古いのががんばるそうな。
「エースをねらえ!」に書いていたよ。

渡邊崋山の描いた肖像画も出ていた。
個人的理由である絵を見たとき、暗い気持ちになった。
ちょっとノイローゼ気味かもしれない。
それがわかっただけでもよかった。


厚板 藍地唐獅子模様



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このパターンで色違いの獅子たちが続々と出現する。


明治初めの古写真を見る。横山松三郎撮影 壬申検査関係写真
上から北円堂、興福寺の外壁、般若寺山門、唐招提寺金堂
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廃都の魅力というてはいかんかもしれないが、しかし惹かれるのはこうした佇まいなのだ。
京都にはない魅力だと言っていい。


庭園を見る。さかしまがいい。
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ではまた来月。
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東博で見たもの 浮世絵編 2018.2

浮世絵は褪色が心配。
雪の絵が多かった。

美人雪こかし 1枚 鈴木春信
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嬉しいなあ、このスマホはから摺りもきちんと捉えてくれた。
笹に乗る雪と大きな雪玉がはっきりと見える。エンボス加工もこのように捉えられる。
こうしたところが見えるからこそ、春信美人の仕草がより一層愛らしく見えるのですね。


新後撰・俊成 1枚 鈴木春信
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夜の梅に目をやる女、その手は男に引かれて・・・
この和歌を調べてるのだけど、きちんとわからない。字もきちんと読めていないからよけいだめだな、わたし。
俊成は業平の夜の梅をうたったのを称賛したそうだが、夜の梅は思えば観念的だな。
この時代だと雪洞の灯りか大きい所で篝火か。それに照らされる夜の梅・・・


東都名所・亀戸天満宮境内雪 1枚 歌川広重
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やはり風景は広重がいちばん好きだ。
特に雪や雨の描写が最高にいい。
この絵を見て一ノ関圭「鼻紙写楽」の「菊之丞」が雪の王子に置いてけぼりを喰らった情景の様だと思った。


江戸名所雪月花の内・隅田川堤雪の眺望 1枚 歌川広重
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隅田川だけに女の羽織は都鳥(ゆりかもめ)柄。こういう遊び心が好き。
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しかし団扇絵で雪というのも涼し・・・寒いがな・・・



名所雪月花・井の頭の池弁財天の社雪の景 1枚 歌川広重
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降る雪の描写の素晴らしさ・・・行く人の後姿と共に胸を衝く。


季節は少し進んで雛祭。
江戸名所百人美女・十軒店 1枚 歌川国貞(三代豊国)
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ひな人形の市が立つ。品定めする美人だが・・・
「気をつけなさい。人形を品定めする時、人形もまたこちらを品定めしているのだ」
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はい、しっかり見られてますね。


これは伝・師宣描く犬。四季風俗図巻
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丸くなっている。


木曾路之山川 3枚 歌川広重
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何か光が入っているな・・・
この絵は中右瑛さん所蔵のが色や摺りが素晴らしくて、あれ以上のものを今のところ見ていない。
しかしこれもいい。
というか、中右さんの所蔵のを見てから、この絵に会うとそれだけで嬉しい。

また来月。

木の国フィンランドの伝統と革新 ー工芸村フィスカルスとニカリの物語ー

竹中大工道具館でフィンランドの工芸の展覧会が開催している。
2/18までである。
わたしは何を勘違いしたか来月までだと思い込んでいた。
あわてて出かけた。
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ありがたくも撮影可能である。

2時頃につくとかなりにぎわっていた。
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ニカリ社やフィスカルス村で創作に励む作家たちの仕事を目の当たりにする。


ニカリ創業者カリ・ヴィルタネンの道具。ヤットコ可愛い。
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環境が違えば当然ながら使用する道具の強度や用途すらも変わってくる。
テープ一つにしても寒冷地と湿潤な地とではその接着性に文句が出るものと好まれるものとに分かれる。
しかしながら偶然に同時発生的に同じ形のものが生まれることも少なくはない。
影響を見いだせないにもかかわらず。
とはいえ、どこかで意識がつながっていることもありえなくもない。
今回、フィンランドの職人たちが使う道具と、東アジアのそれとを見比べても興味深いだろうと思いながら見歩いた。

カリ・ヴィルタネンの椅子20180217_142012_Burst01.jpg
サイズの違うものが並ぶ。サイズを変えてもデザインは劣化しない。

ルディ・メルツの椅子 椅子にも表情がある。
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ヘラ製作工程と工具。トングもあった。
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無垢の木で拵えたテーブルとベンチのセット。
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寒い国で活きる木を使うことは暮らしを堅固にし、足元もかためてくれそうだ。


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家具からインテリアへ

キャンドル、モジュールプレート、ガラスボウル
フィンランドのデザインはシンプルで、そして確か。
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この後、帰宅して調べてみた。

PCでようやく「鏟」の字が出た。「せん」でなく「さん」「ならし」という読みがついていた。
ただし大辞林ではこうある。
せん [1] 【銑▼・ 鏟 ▼】
両端に柄のついた鉈(なた)様の刃物。桶(おけ)・樽(たる)・曲げ物細工の部材加工や,鉋(かんな)・鑿(のみ)などの刃の裏すき,地金削りに用いる。

更に調べると沙悟浄や魯智深のもつ武器にもその字が使われていた。


椅子。
構成と成立。
Mメルツ・スツール
ミッコ・メルツのデザイン。ペトリ・コイヴシピラ製作。
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面白い。

これも楽しい。




楡のボウル
マッディ・ソデルクルタラハティ
全面轆轤仕上げ。
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何故かわからないが、この曲線をみて、若い頃の若尾文子を思い出した。
それも増村や「性典」シリーズではなく、川島雄三作品での若尾である。


写真資料を見る。
ヘルシンキ駅 1925年の写真
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いい風貌の駅だ。

フィスカルス村
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短い秋に村は美しい姿をみせる。
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テラスにもテーブルがあった。
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新神戸にも似合っている。

2/18まで。


最後に新設された休憩室の紹介をする。
本館からすぐ左手の山側へ進む。
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瓦を載せたシンプルな建物である。
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中にはテーブル席がある。
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飲食可能だそう。

お手洗いと自販機がある。
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窓の外には茶室が見える。
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いい庭
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かつてはここも使われていたのだろう。
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和やかないい空間だった。

今度は遅れないように出かけたい。

「江戸後期の京焼陶工―奥田頴川と門下生を中心に」@東博 その1

やきものが好きだ。
特に好きなものは色鍋島、高麗青磁、樂焼なら三代道入。
京焼は乾山、幕末になると道八も頴川も木米もとても好きだ。
近代なら楠部弥弌、少し前なら塚本快示が最高だ。

以前にそういうキモチをここで挙げたことがある。
やきものへの偏愛について

やきものの展覧会にいそいそと出かける。
今だと丁度出光美術館で「色絵 Japan CUTE!」が開催中。
これにきゅんとなったココロモチはこちら

また間もなく根津美術館では「香合百花繚乱」展も開催するので楽しみにしている。
むろん大阪には天下の東洋陶磁美術館がある。
ほかにも多くの美術館が実に魅力的なやきものをたくさん持っている。
欠片のよいのを見せてくれるところまである。
いいものを見て歩けるのが現代のいいところだ。

さて今回は東博の所蔵品の内、京焼のいいのが集められていた。
色絵飛鳳文隅切膳 1口 奥田頴川
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頴川の赤と緑の使い方、いいよなあ。このヒトは十二支をモチーフにしたお皿が特にすばらしくて、あれを見るためにあちこち出かけることがある。

幕末には煎茶ブームもあった。
その中心にいたのが青木木米。絵師では山本梅逸らも仲間。
そこらあたりは甲東園の頴川美術館(えいせん、じゃなくて元・幸福銀行のエガワさんが開いた美術館ね)で度々名品をみている。
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抹茶の茶の湯とはまた違う楽しみ方が文人墨客の間に流行ったのだ。
梅モチーフは特に文人らに好まれた。

色絵草花浮文煎茶碗 5口 青木木米作
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可愛いなあ、可愛い。
小さいのによく出来ている。


銹絵雪笹文大鉢 1口 仁阿弥道八
先年サントリー美術館で道八展があった時、各美術館所蔵のそれが一堂にずらっと並び、比較できた。あれは楽しかった。
陶磁、いや、当時の感想はこちら
天才陶工 仁阿弥道八 その2
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雪が深いわ。

こちらもサントリーで各所蔵先のを比較したなあ。
色絵桜楓文木瓜形鉢 1口 仁阿弥道八
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大好き。

ところでSF作家星新一はとんでもなく個性的な絵を描く人で、通称「ホシヅル」なるものを誕生させた。
あれは首の長さはないんだけど、やきものの中にたまーにそのナカーマがいたりする。
とはいえ、道八の鶴はやっぱり鶴ですな。

黒楽鶴亀文茶碗 1口 仁阿弥道八
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こちらは讃窯バージョン
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銹絵秋草文水指 1口 仁阿弥道八
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この文様、とても現代風だと思った。

長くなるので一旦ここまで。

「江戸後期の京焼陶工―奥田頴川と門下生を中心に」@東博 その2

続き。
ついつい新しいスマホに浮かれて画像が大きくなるよ・・・

朱泥急須 1口 岡田久太
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柳と蝙蝠。
急須の良さを教えてくれたのは出光美術館でのこの展覧会から。
三代目山田常山 ときめきの急須たち
当時の感想はこちら

いいポジションをとる背後の急須も紹介。
色絵急須 1口 仁阿弥道八、左平合作
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色絵花鳥文急須 1口 尾形周平
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躍るような感じがいいね。

青磁唐草文角皿 1口 三田焼
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サンダね、ミタではないのよ。兵庫県のサンダ。
ここの釉薬の深さが好き。
元代のそれにも近い。

青磁鴛鴦香合 1合 瑞芝
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妙にカクカクしているところが却って可愛い。

三彩牡丹文碗 1口 偕楽園
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法花風。わたしは好き。

楽雀香合 1合 讃窯 仁阿弥道八作
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可愛いなあ。随分前にフランスのクレマンソーがコレクションした幕末の陶工たちの香合ばかり集めた展覧会が西宮大谷で開催された。あのときにもこの兄弟が出ていたかもしれない。


色絵菊文手鉢 1口 讃窯 三代高橋道八
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脈々と続く。


色絵紫陽花文鉢 1口 讃窯
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角度を変えて眺める。
現代もこうした文様はわりと写されていて、わが家にも近い文様のものがある。愛でている。

洋食器よりやっぱり江戸、そして東アジアのが好きなんですよ、わたし・・・
いいもの・ほしいものをたくさん見れてよかった。



宋と遼・金・西夏のやきもの

大和文華館で北宋から南宋時代にかけて生み出されたやきものをみた。
今回は特別出陳として愛知県陶磁美術館と京大総合博物館から名品がいくつもきていた。
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展覧会の狙いをサイトから引用する。
「中国の北宋から南宋時代(北宋:960-1127年、南宋:1127-1279年)にかけては、中国全土に多くの窯が築かれ、活発に陶磁器が作られました。北方では耀州窯や定窯、磁州窯、鈞窯など、南方では龍泉窯や南宋官窯、建窯、吉州窯などが台頭し、多様な陶磁器が登場するようになります。この背景には、陶磁器を享受する層が民衆へと拡大し、需要が高まったことが挙げられます。
多様な需要に応えて装飾技法も発達し、印花や刻花、劃花など凹凸による施文技法や、唐三彩の流れを受け、色釉を駆使した技法も展開されます。それらは唐時代までの技法を受け継ぐだけでなく、技術や作風を取り入れた新しい陶磁器としても生み出されています。
また、北方に勢力を持った契丹族の遼(907-1125年)やタングート族による西夏(1038-1227年)、女真族による金(1115-1234年)においても、磁州窯や定窯、三彩技法など中原の影響を受けながら製陶が行われ、それぞれに特色を持った陶磁器が作り出されています。これらの国々が栄えた時代は、中国陶磁史の中でも特に華やかな様相を呈する時代といえるでしょう。」


11世紀頃の面白い時代背景を踏まえながらやきものを見ると、いよいよ楽しくてならなくなる。

唐までの名品もいくつか出ている。
唐文化を尊敬し、我らこそその文化的子孫である、と遼の人々は誇った。
このことを踏まえてやきものをみる。

青磁雕花花文合子 越州窯 南北朝  浙江省から。米色に近い青磁。常盤山文庫で見たものと色めが似ている。

白磁蟠龍博山炉 隋―唐  ぐるぐる巻きの龍がついている。これは下にお湯をためるように出来ているそうな。今まで知らなかった。
というか、香炉だと思っていたがどういう使い方をしていたのだろう。

小さくて釦のようなものが二つ。唐後期―五代
白磁褐斑花文合子
白磁褐斑蝶文合子
形ではなく表面に ・ が5つあるのが花文で4つあるのが蝶文。それが釦穴のようで可愛いのだ。

唐代の紺地の三彩壺と盤もいい。色付けは白化粧してから。


【北宋】
青磁多嘴壺 北宋・元豊三年(1080)銘 龍泉窯  これはいつもなんとなくモヤモヤしていたが、今日になって何か分かった。
心臓だわ、これ。蓋なしだから余計そう思える。それで嘴は全て大動脈。
蓋有の方のも並ぶが、そちらにはそんな感じがしない。
ああ「心臓を捧げよ!」

青磁雕花蓮華文瓶 北宋 耀州窯 彫りの深さで色が変わる。オリーブグリーンの優品。
青磁雕花牡丹文鉢 北宋 耀州窯  こちらは一輪の花が咲く。折枝文という。

白磁緑彩瓔珞文輪花合子 宋  モコモコ風味。白地にユズ餡な感じが美味しそうに見える。
白磁印花蓮花文盤 北宋~金 定窯  愛知県陶磁美術館から。印花は人気がある。それにしてもこれはとても細かい。

北宋の定窯は白が中心。
他に白磁刻花蓮華文輪花鉢、白磁印花牡丹文鉢などがある。
しかしその「白が中心」に対し、珍しいものがあった。
柿磁金彩碗、黒地金彩碗、柿磁輪花碗。
濃いねえ。


【遼】
遼には唐の文化を継いでいるという意識があった。
それについてはこちらの展覧会で知った。
契丹 草原の王朝 美しき三人のプリンセス
当時の感想はこちら

緑釉皮嚢壺 遼 缸瓦窯 愛知県陶磁美術館  おお、リアルに皮嚢風。
ところで先ほど「心臓を捧げよ」と書いてしまったのでそのまま書くが、「進撃の巨人」の調査兵団の兵士たちはそれぞれが皮嚢を持って水を飲んでいた。
皮嚢は丈夫なので水漏れしないのだ。パラディ島の彼らは故あって文化の発達をある程度まで止められているので、その皮嚢を使用していた。

鳳首掻落緑釉牡丹文瓶 遼 缸瓦窯  肩下から胴の半ばまで緑釉のベルトが回り、そこに貼り付けの花が開く。掻き落としの線も入った花。とても個性的。素敵だ。

三彩印花魚文長盤 遼 缸瓦窯  集まる魚たち。2013年の「中国陶磁の広がり 愛好・写し・展開 」展以来の再会。
当時の感想はこちら

その時はこの鹿枕もあった。
三彩浮彫鹿文枕 北宋~金 枕を支える首のところに鹿が浮かび上がる。

張文藻というヒトの未盗掘の墓があったそうだ。
その写真が参考資料として出ていた。
その墓には明器だけでなく生きていた頃同様に食事の支度もされていた。
やきものも残っている。
ここにあるものはそれに似ている。

京都大学総合博物館からもいいのが来ていた。
白釉碗  繊細な文がある。
蕎麦釉壺  焼みそをつけているようだ。妙に美味しそうに見える。
どうも露胎はニガテだ。


【南宋・金】
青磁鯱耳瓶  龍泉窯  親しい感じがある。色もいい。

月白鉢 北宋ー金 鈞窯  ああ、いい色。綺麗な水色。

紅斑文盤 北宋ー金 鈞窯  月白地に紅が取り返しのつかないように広がる。

玳玻釉碗 南宋 吉州窯  内側の文様がどうも人魂がたくさん飛び交っているように見える。

油滴天目碗 南宋 建窯  たいへんおとなしい…


【西夏】
黒掻落牡丹文梅瓶 霊武窯 「経瓶形」の梅瓶…勉強不足でビール瓶とかワイン瓶がアタマに浮かんできた。
実際にはそんな首も長くはない。周囲に青海波が刻まれているのもいい。

磁州窯の特集もあり、これまで親しく眺めていたものが多く出ていた。
白地黒搔落緑釉牡丹文瓶 北宋  チラシには白く出ているが、実際に見たところ緑の玉のような色だった。

赤絵牡丹文小壺 金  小さい中に眼いっぱいの花を咲かせるのが愛しい。

赤絵蓮華文碗 金  どうもこの兄弟を逸翁美術館でも見ている。あちらではうまく継いでいて「家光」と銘を付けられている。

やはりやきものは楽しい。
いいものをたくさん見れてよかった。

2/18まで。

今泉今右衛門の色鍋島

横浜そごうで今泉今右衛門さんの近年の作品と、江戸時代の鍋島焼の名品とを見た。
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いいセンスのチラシ。

今右衛門さんは近年はプラチナ彩を駆使されて耀くばかりのやきものを拵えておられる。
たいへん綺麗で、しかも深みのある作品が多い。
父祖の技を継承されて、元の色鍋島の写しを拵えたのも出ていたが、そちらはあまりよいとは思えなかった。
技術力の高さは目を瞠るが、やはり昔風の絵柄で拵えても今のものはあくまでも今出来の匂いがあり、それよりも今右衛門オリジナルの新作の方が良く思えた。

では元の色鍋島は良くないのかと言うとそうではない。
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やはり乳白色の肌の上に鏤められた朱や青の美に打ち震えるのだった。

古いもので特によいものを挙げる。
色絵御所桜皿  片輪車に桜がまといつく。
龍田川皿  紅葉・楓が丁寧に描かれている。
椿柴垣皿  これがもう一番かわいかった。柴垣に椿が次々にからまる。無言のまま求愛しているかのようだ。
染付手毬文皿  花の手毬が青で表現される。形も花柄なのがいい。
青磁色柄桃宝尽文盆  脚付盤には宝の文様がからみ、桃もまた花と実とを同時に披いている。

他にも毘沙門亀甲の皿もあれば、スギナと土筆とが優劣を決めあおうとガチバトルをはじめそうなもの、柳に燕の柄もある。
皆これらは17世紀のもので、いずれも魅力的な作品ばかりだった。
今泉さんの所蔵品と田中丸コレクションの優品なのだから、これはもう眼福というものだ。

ただただ愛でて見歩いた。
そして最後に楽しいプレゼントがあった。
テーブルコーディネートされたいくつかの場がある。
それらはテーブルアーチストの阪口恵子さんがしつらえたもので、いずれも今右衛門さんの新作を使っている。
これらは撮影可能。
楽しくぱちぱちさせてもらった。

正月
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ひなまつり
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小さく愛らしいのにとても精巧だ。


七夕
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翡翠が可愛くて。


お月見
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クリスマス
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プラチナ彩の面目躍如

2/18まで。

星野道夫の旅

没後20年特別展として東大阪市民美術センターで星野道夫展が開催されている。
星野道夫と言えばアラスカというイメージがある。
これまで見てきた写真展で見たものからもそれは間違いではない。
しかしアラスカだけで彼の旅が終わったわけではなかった。
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星野道夫がこの世にいたのは1952.9.27から1996.8.8までだった。
43年間のうち、半分くらいアラスカにいたようだ。
学生の頃にアラスカの大自然を写真集でみて憧れ、ある村に住まわせてくれ働きたいと手紙を送り、念願かなって向こうへ行った。
その時の手紙が残っていて、星野と村長のやり取りがわかる。
最初からカメラマンを志していたわけではなく、アラスカの大自然の中にいて、その魅力に囚われ、その地を撮影することを選んだようだった。

今回の展覧会で展示された写真の撮影場所の地図があった。
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北極海、ベーリング海、アラスカ湾…
本当にアラスカだ、極北だ、北の果てだ。
デナリ(マッキンリー)が見えた。
1984年、植村直己が帰らなかった山だ。
あとはもう殆ど知らない地だ。
アラスカのイメージは植村直己と星野道夫がもたらしたもので成り立っていることに気付く。

撮影されたものには名がついている。
状況を説明したタイトルだが、どこか抒情的なときめきを感じる。
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イメージ (677)クリックしてください。
シンプルな言葉でその様子を示している。
そしてその言葉を冠せられた写真は言葉を超えた広がりを見せている。
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渡河するカリブーたちを捉えた写真は星野の代表作の一枚で、水飛沫をあげながら川を行くカリブーたちの力強さが目から胸に飛び込んでくる。
そしてこの一枚の前後には他のカリブーが続いていることを脳が悟る。
するとたちまち音のない写真が動画に変わってゆく。
聞いたこともない水音を立てながら渡り続けてゆくカリブーたちの姿を、わたしたちも目の当たりにしている錯覚が生まれる。

白い木のようなものが何本も突っ立つ情景がある。
枝のないすべすべした木、しかしそれがクジラの骨だと知ると、アラスカのどうしようもない広大さを思い知らされる。
自分ではどうにもならない広大なアラスカ。自分の何十倍も大きな鯨も骨になってこんな風に朽ちたままになるアラスカ。
星野道夫の見たもの・捉えたものがわたしの見たものに<なって>ゆく。

北海道でこれに似た景色を見たことがある。
最初にその風景を見たのは山岸凉子「妖精王」だった。
北海道出身の山岸凉子の描く北海道の大地は現実と幻想のあわいにあり、リアリスティックな描写でありながら、幻想的な風景だった。
今、その場所の名前を思い出せない。調べたらわかるだろうが、調べたくない気持ちもある。
小学生の時に見た描かれたその地を、実際に観に行ったのは大学に入ってからだった。
彼女の描いた風景は現実のそれと変わらなかった。
そしてわたしは北海道の自然の不思議さに呆然となったのだ。

この鯨の骨の突っ立つ地もいつかわたしは見に行ける日が来るのだろうか。
あの北海道の時のように。
いや、不可能だ。もうこれはわかっている。
星野道夫の旅を追うことは決して出来ない。
だからこそ、いよいよ彼の写真に魅せられるのだ。

のんびりした様子を見せるシロクマたち。
可愛いが、彼らは地上最大の凶獣だそうだ。
こわいなあ、こんなに可愛いのに。

オーロラ写真があった。緑とも赤とも言い切れない不思議な色調を見せる。
わたしは色盲ではないから緑と赤の判別はつくのだが、オーロラは表現しづらい色調で天から降りてきていた。
以前、国立市の南極の資料館に行った時に昭和基地で捉えたオーロラの動画をみたが、位置が違うからか、よくわからないが色が違って見えた。
アラスカのオーロラはいつもこんな色なのだろうか。

無邪気という言葉が本当にそぐうエスキモーの子供たちの笑顔。
その地で暮らす星野道夫との良好な関係が見えてくる。
小舟で狩をする人々の様子を見ても、ちょっとした日常の様子を捉えた写真を見てもそれはうかがえる。
マレビトではなくムラビトとして受け入れられていたのだなあ、と嬉しくなる。

トーテムポールが朽ちたようになった地で懸命に草を食べる鹿がいた。短い夏をこうして暮らしているのだ。
食べて食べて食べて、食べる。冬を生き抜くために。
しかしこの鹿たちが生き延びる確率もそんなに高いものでもなさそうだ。
ただ、この鹿がしんだとしてもその身体は別な生きものたちによって食われ、他を養う力となる。
自然と言うものは何もかもを無駄にはしない。
後に残るのは骨だけだ。あの鯨のように。

可愛いタテゴトアザラシの赤ちゃんの写真が並ぶ。
もう可愛い可愛いとしか言いようがない。ああ可愛いなあ。

最後に星野道夫のアラスカでの日常を捉えた写真がある。
いい風貌だと思った。
悲報が日本に流れたとき、ショックを受けた。
既に星野道夫の写真を見ていたから、彼に対し、ある種の慕わしさを懐いていた。
本当に無念だった。

彼の旅は不意に途切れてしまったが、没後20年を超えた今もこうして人々の心をアラスカへ運ぶ力を持っている。
決してアラスカへ赴くことなど出来そうにないわたしを星野道夫はやすやすと連れ出してくれる。
そして目の前に不思議な植物に覆われた森を見せてくれるだろう。
蘚類に覆われたレインフォレスト…

3/4まで。




東近美でみたもの 近代日本画編 2018.2

東近美でみて撮影可能なものを挙げてゆきます。
好きなものにたくさん出会えて今回もよかった。

安田靫彦 黄瀬川陣
頼朝のもとへ腹違いの弟・義経が参陣するところ。


これをじっくりと見た。
よくよく考えたらこの絵の現物と会うのは今回が初めてかもしれない。見ていたとしたら靫彦展だろうが、もう随分前だ。
1980年代から知っていた割に縁がなかったらしい。
だが、よく知っているという認識があるのは、やっぱり画集などでよく見ていたからだと思う。

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頼朝の腕の装具の金物の蝶。
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兜かざり
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太刀のこしらえ
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(あえて横から)
ああ、リアルだ・・・

義経の笠 藺草なのか。
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義経の手袋
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唇が魅力的だ。

新しいスマホの写真の能力の高さにちょっと感動した。
ありがとう、スマホ。


竹内栖鳳 草相撲
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栖鳳の鳥獣戯画・・・しかしこれは別な感慨がわく。
料亭の息子さんの栖鳳。
魚も野菜も美味しそうなやけど、蛙も…
ササミみたいな味や言うしなあ。←食べる気満々


小杉法菴 椿 1937
アメショー可愛いな。そういえばいつからアメショーは日本に来たのかな。
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しかし今期なんというても最強の可愛さはこれだな。
中村岳陵 少女 1948
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やられたー!
仔猫の可愛さに揺さぶられますなー


西内利夫 梅花遊禽 1976
日本画が好きなのは、やはりこうした作品が活きてるところかな。
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こちらも可愛いなあ


やはり近代日本画は途轍もなく魅力的だ。


東近美でみたもの 洋画編 2018.2

今回新しいスマホでパチパチ撮り倒し、その画像のよさについつい大きいので挙げてしまっている。
洋画編

新収蔵のセザンヌ先生 大きな花束
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みんなセザンヌ先生で勉強したのだ。


こちらはマティス ルネ、緑のハーモニー
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製作のプロセスを大切にしたマティスはその軌跡をあえて残す。
2004年11月に西洋美術館でマチス プロセスと変容」展を見たが、その時にマティスがいかに制作プロセスを重視していたかを知った。


須田国太郎 法観寺塔婆 
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いわゆる八坂の塔。1932年、電柱は文明の象徴の一つだった。この界隈は今では地中化されてしまった・・・
川瀬巴水、須田、宮沢賢治・・・彼らの描く電柱は愛しい。


中村不折 廓然無聖
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武帝と達磨の対話。
しかしそれよりなにより脇卓の獅子が可愛い。
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青木繁 運命
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額縁も好きだ。「輪舞」もそうだが、この「運命」もめまぐるしい。

不折と青木のこの作品は1914年と1904年。
学んだ先も違うが、ある種の共通性を感じる。
とてもロマンティックだというところが。


満谷国四郎 行水
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黄色の柔らかな肌。東アジア女性の優しい美。
そろそろ大きな回顧展を近代美術館で見たいと思っている。


猪熊弦一郎 ○○方面鉄道建設
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いわゆる泰緬鉄道敷設工事の様子である。過酷な労働条件のもと、捕虜と原住民が駆り出された。
「戦場にかける橋」である。
そう思うとアタマの中で「クワイ河マーチ」が再生される。

D.リーン監督はやはり偉大だ・・・

東近美でみたもの 版画篇 2018.2

最後は版画編

まずはこちら。
岸田劉生の雑誌の仕事と版画と。
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わたしは彼のこの時代の仕事や晩年の南画風の作品が特に好きだ。

織田一磨 「画集銀座 第一輯」より 銀座松屋より歌舞伎座(遠望)
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1928年の歌舞伎座。五世歌右衛門が主だった頃か。

「新東京風景」より 銀座(6月)
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新橋演舞場(8月)
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築地(11月)
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吹雪の中の築地小劇場、その提灯。
随分前に遺構を訪ね歩いたなあ。


谷中安規もいくらか。




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谷中がドイツ表現主義の傑作「カリガリ博士」に熱狂したというのもよくわかる。
わたしも「カリガリ博士」好きだ。
夢二も描いたし、折口信夫も映画の感想を詳しく弟子たちに話している。
1919年のドイツ映画の傑作。多くの人が影響された。
あの溝口健二まで触発されて「血と霊」を監督している。後年のリアリズムとは大違いだ。

今回衣笠貞之助監督の「狂つた一頁」も10分ほど上映されていたのがとても嬉しい。
以前書いた感想はこちら
「狂つた一頁」をみる


版画のいいのは他にも。



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黒猫万歳。

やっぱり国立のミュージアムの所蔵品展は素晴らしすぎる。
いつもいつも楽しくてならない。
また次も楽しみにしております。
ありがとう。

改めて思うことなど

先日TLでふと目についたツイートがあった。
要するに美術品を撮影する目的についての問いかけで、いくつかの選択肢がある。
・SNSに挙げる
・見たものを忘れたくないから
・他・・・
というような内容だった。
わたしは「記憶と記録のために」二つ目を選択した。
実際このブログに撮影したものを挙げるのは、まずなによりも自分が見たものを忘れたくないからだ。

かつてネットも盛んでない頃、外へ出て自分が感銘を受けたものを心と目に焼き付け、それを紙媒体に刻むしかなかった。
淋しい行為だった。心は豊かになったが、どこかキモチがわびしかった。
これは共感してくれるひとがほぼなかったからで、誰にも自分の喜びをわかってもらえない淋しさにまといつかれていた。
更にそれを公に出来ない(しても周囲は関心を持ってくれなかった)状況の中、絵を再現できず、文字数ばかり費やしてカタチばかりの再現を試みるままでは、いつしか自分の見たものが変形してゆくのを気づいても、止められなかった。

今の世になって、撮影し、それをこうして留めることで一定以上の再現が出来るようになった。
わたしがSNSに挙げながらもなおかつブログでその再現をするのは、ツイートしたものを容易に呼び出すことがしにくいのと、それらはやはり一過性というか、流れてゆく性質のものだという意識があるからだ。
たとえタグをつけたとしてもやはり流れゆくものであり、また忘れてしまった頃に突然RTされたりして思い出すこともある。
それはそれでいいと思う。
なので自分が感銘を受けたもので撮影可能なものは風景にしろ美術品にしろ積極的に撮影し、それらをこうしてブログに挙げてゆこうとしている。
とはいえここもそう安全ではないのかもしれないが。

以前、ブログをやめてSNSだけにした方がいいのかと悩まされたことがある。
そのとき、美術ブロガーの先達であるTakさん、長老であるとらさんに励まされ、決してやめようなどと思わないようになった。
ひとさまに見せるのが第一目的ではなく、自分の記憶と記録の為が第一義である以上は、今後も好き勝手なようにしてゆくしかない。

自分がこしらえたブログをひとさまがどのように見るかは、ひとそれぞれなのでわたしでは判断できない。
以前、わたしのオジがこのブログを見て「そんな他人の感想なんか誰もみないから、そんなもの書くよりもっと日々の面白いことを書けばいい、おまえはとんでもないことをよくやらかすから、それを書いた方が面白い」と言ってきたことがある。
別にオジに読んでくれとたのんだわけではないのだが、そういうことを言われたので、ほっておいてくれと思った。
オジはオジで心配してくれたのかもしれないが、わたしの中では「面白いこと」はそれこそ流れてゆくツイッターのなかで記せばいいことだと思っている。
記憶と記録のためにこのブログを続ける以上は、「面白いこと」は一篇を構築するための1ピースに過ぎない。

このブログの紹介をわたしはタイトルロゴの下にこう記している。
「美術館・博物館・デパートでの展覧会を訪ね歩き、近代建築を見て周り、歌舞伎・映画・物語に溺れる日々の『遊びに行った日を記す』場所です。」
最近は諸事情により映画も芝居も見に行くことが極度に減ってはいるが、それでも一貫して「遊びに行った日を記す」ことを続けている。「日々是遊行」し、記憶と記録のために書き続ける。

今後もやはりこうした方針を貫いてゆきたい。

2018.2月の東京ハイカイ録

二月の東京ハイカイは二日間だった。
毎回そうだが、二日間という日程にすると肉体疲労が激しくなる。
なにしろ二日間だから荷を極力抑えてしまい、更にそれをロッカーに放り込まず持ち歩くから、えらいことになる。
実際、両肩も腕も膝までアウトである。
いつものようにキャスターにしたり、ロッカー利用したり帰りにタクシーにすればここまで炎症も重くはならない。
ちょっとした節約が実は翌日の沈没を招く。
駅まで自転車にしたがために直帰できなくなり、JRと阪急を乗り継がねばならない。
時間がもう少し早ければバスもあるが、わたしの帰阪する時間ではバスはない。
嗚呼。
今朝は葛根湯と芍薬甘草湯のお世話になり、ロイヒ軟膏を貼り、温湿布を首・肩・肘上にしている。喉には更に貼る湿布。
薬石効なく・・・ということはなく効いてはいるが、使いすぎだ・・・

ではなんでこうなったのか。
ハイカイ録というより顛末記を挙げることになる。

三連休の土曜は奈良に行ったのだが、色々あって母と意思の疎通がうまくゆかず、それが気にかかるし雨にはヤラレるしで散々。
日曜月曜の休日で東京なのだが、母の機嫌は悪いまま。こんなトシになってまで母の機嫌を気にするのかと言われたらその通りなのだが、逆に母が老齢だというのがこの話のミソというかなんというか。
それでお弁当の支度がなく、駅購入しようとしたが、やたらとおかずだけがある。
つまり「持って行け」という意図があるわけで、それに背くのも差し障りがあるので従うしかない。
老齢だけでない暴君なヒトの言うことを聞かねばならぬ身というのはミジメなもんですよ。

空いてる新幹線。なのに何故だ、何故わたしの隣になんかややこしそうなオジサンが座るのだ。
もう本当にどうなっているのだろうかというくらいあれな旅の始まりでございますわ。
ところで最近のわたしのBGM、つまりわたしのテーマ曲は谷山浩子「よその子」なのですね。
淋しい時は清志郎の「わかってもらえるさ」だけど、最近の家庭環境から「よその子」。
♪果てしない旅の始まりはもう思い出せない記憶の彼方・・・
名曲ですが、気になる方は谷山さんの歌をお聴きください。

さて東京駅へつきましてロッカーに入れなかったのがそもそものミス。
いや、この時点では入れるほどではないんよ。それがあかんのね。
で、大手町から竹橋。
開館前に東近美につきました。
十年ぶりに大きな熊谷守一展。
これはもう初期のがよく出ているのが特徴的だったな。
そして彼が熊谷守一様式を得る頃に使用していた赤い外線をピックアップしたのもいい。
更にスタイルが定着した後の猫の絵を壁一面ずらーーーっこれだよ、これ。

満足した後は常設展示。これがまた素晴らしいのだが、それはまた別項。
例によって例の如く展覧会の感想は後日各項で。




一旦飯田橋へ出てラムラへ。チラシが目に付いたので揚州商人というラーメン屋さんへ。
そこで塩ラーメンを食べ、チラシの功徳によりて杏仁トーフのデザートをプレゼントされましてな。
ラッキー。

飯田橋から川越市へ。
本川越まで歩きバスを待つがどうもここの観光はバスより歩けを推奨するのか、よくわからんことになってしまい、これはあかんわと思いながら、バスをやめて歩く。
大正通りを行き、色々よい建物を見てから美術館へ。
小村雪岱展。これはほんと、よかった。思った以上に挿絵が多くてよかった。
かなり時間をかけてじっくり眺めた。

雪岱をみるといつも数年前に亡くなられたlapisさんを思い出す。
lapisさんのブログ「カイエ」は今ではもう消えてしまったが、そこでの雪岱の記事は宝石のようだった。
今、ご存命なら新潟から川越へ行かれたろうなと思う。そして素晴らしい感想を挙げられたろう。
かれの供養になれるような良い感想を挙げたいと思っている。

時間が押したので町をハイカイすることはあまりできなかった。
いい天気だが、雪の塊りがあちこちに残っていて、容易に解けそうになかった。
メインストリートを歩きながら、川越を近藤ようこさんに案内していただいたことなどを思いだす。
面白かったなあ。
当時の記事はこちら
川越ツアー、近藤せんせと遊ぶ

池袋についてちょっとというかかなり買い物をする。フジョシは推しカプのために辛苦はいとわないものさ。
しかしこれが過重になり肩が壊れる原因になるのだよ。
前回と同じ店に入り同じものを食べたが、前回の方がよかったように思う。
そしてその店の一階でパンを買ったが、ケーキはなんと1個のぞいて完売。
そんな閉店間近の時間に店員にサバランのことを聞いたりするとろくな返事は来ないな。
まあ大阪でこんな応対する店はいくら老舗でもつぶれるが、ここはそれでも存続するだろう。

宿に帰ってからさすがにぐったり。一日目はここまで。

二日目、荷を置いて朝も早よから金沢文庫へ。
ああ、梅がよく咲いている。




鎌倉の暖かさで幕府を開いた…のだったかな。

運慶ら奈良仏師と鎌倉幕府と寺社縁起との関係などなかなか面白い展示で、資料を読み込むのにけっこう時間をかけた。
いいものを見たなあ。

横浜に出て麻婆豆腐専門店でごはん。そんなに辛くなくて助かった。2度の辛さらしい。ごはんお代わりして麻婆完食。
そのままそごうへ。
今泉今右衛門さんの作品と17世紀の鍋島焼の名品を大いに堪能する。
阪口恵子さんのテーブルコーディネートも楽しむ。
よかったわ。わたしは旧い方が好きだが、今右衛門さんの今出来のプラチナ彩のもよかったしね。

上野へ。
東博でアラビア展を表慶館でみて、撮影可能だと言うので興奮してパチパチ撮り倒してしまった。
名前と合致しないぞ、困ったが仕方ない。
常設も相変わらず楽しくて、やっぱり東博最高だな。

三菱のルドンも見たいが、加島美術へ行くことも予定に押し込んだので、ルドンは来月に。
ちょっとばかり珍しくもお茶をする。和栗モンブラン、上部分より下のメレンゲの方が美味しいわ。
先に宿へ荷物を取りにゆかず加島を見るべきだったな。
動物は可愛いが、荷物が重すぎて腕がぬけそうになった。

かなり熱を持っている。
まずいなあ。
新幹線でぐったりしつつ、JRから阪急乗換のことを思って鬱屈する。
いかん、荷物が重すぎる。
…それでも電車を乗り継いで、こめかみまで痛くしながらようよう自転車置き場へ。
あああ…満身創痍な2月のハイカイでした。
まぁよかったのは帰宅してから母と和解したことくらいですかね。

というわけで明日以降感想が続きます。


野田九浦の「阪神名勝図絵」をみる

武蔵野市立吉祥寺美術館の浜口陽三記念室で野田九浦(のだ・きゅうほ)が担当した「阪神名勝図絵」シリーズのうちのの6点を見た。野田は長くこちらに住んでいたそうだ。
わたしは阪神名勝図絵を神戸市立博物館や、神戸文学館のたよりの表紙などで見ていた。
北摂に住まうわたしには親しい地域であり、描かれた1917年から百年余を経た今となっては、貴重な資料ともなっている。

三宮21101.jpg
どこの辺りかははっきりと言う自信はないが、坂の途中の洋館の見える構図がいかにも三宮ぽい。

三田 雪の載る家々と川が流れる。今ではウッディタウンとなった三田もかつては淋しい山村だった。

大和田 これがどこの大和田なのかわたしにはわからない。川べりで小舟が停泊しガチョウかアヒルがいる。

能勢 子どもの頃はよく行ったなあ。山の頂点に妙見堂らしきものがある。今だとケーブルで行くことになるか。

青谷 これもどこだろう。高い杉が林立。遠くに家々。…神戸の奥だろうか?

芦屋 松の生い茂るのは今も変わらない。小屋があるのはかつての「手手かむイワシ」を売り歩く様子を思わせる。

浜口陽三のメゾチントもいいが、黒の静謐な作品からこのように打って変わって淡彩の木版画を見るのもこころが和んでいい。
2/25まで。

桑原聖美さんの絵を見に行った

「日本画」というわざで以て、桑原さんは今の世に立っている。
わたしはあまり現代に関心がないので知ることが遅れた。
どういうきっかけだか思い出せないが、それでも桑原さんの作品をネット上で見ることになった。
静謐でいて、艶めかしい絵だと思った。
主に女性の絵を描かれていることもその時知った。

一月の東京ハイカイ時に丁度銀座のあらかわ画廊で「日本画五人」展が開催されていることを知り、のこのこ出向いた。
鑑賞は出来てもお客になれないので、画廊に行くことをためらう気持ちがある。
桑原さんはプロの画家であり、作品には値段が付き、それを誰かが購入してこそ、桑原さんの道は明るく開く。
好きだけで何かをするのは趣味であり、素人だが、桑原さんは日本画家として世に生きている。
自分の世界観を人々に問いかけて、腕一本で生きている。
そこへだらだらと見に行ってよいのかと悩んだが、「行って・見て・人に伝える」こともまた一助になるかもしれない、と思った。
わたしのみたことを少しでも発信するのが、画家・画廊への応援となればいい。
・・・というような理屈と心の折り合いをつけて、京橋に近いあらかわ画廊へ行ったのだ。

五人の方の作品が壁にかかっていた。
桑原さんのほかに手塚恒治さん・阿部清子さん・高崎昇平さん・亀井三千代さんと仰る方々の作品が並ぶ。
五人ともそれぞれの方向性がはっきりしているのがまずよかった。
今回は桑原さんのことを書きたいので四人の方の作品については書かないが、正直な話わからないものと、惹かれるものと、好みではないがいいものとが色々あると思った。
しかし個性的な方々の絵を見て、日本画の深化を想った。

桑原さんの作品では「狗子図」という作品が特によかった。
不思議な卵形の光の中に犬種の異なる犬たち数匹が集まる。
その周囲にはマーブリング(墨流し)によって生まれた、どことなく不穏な背景がある。
中央の大きな犬は穏やかな目をしている。その口には棘のついた花茎が咥えられている。
花は薔薇のようである。ただ、現代に生きる花ではなく、過去に生きる花のようにみえた。
それはその色彩が裏彩色のように思えたからかもしれない。
絵はわんこたちを描いてはいるが、どこか仏画をしのばせる空気がある。
かれらの目はいずれも優しい。
狗曼荼羅というものがあるとして、その一部を少しばかり世に出した・・・
そんな妄想を懐かせる作品だった。



わたしが次に桑原さんの作品を見たのは大阪でのことだった。
ワイアートギャラリーで「摩尼 相場るい児・桑原聖美」展が2/4まで開催していた。

堂山町にワイアートギャラリーがある、と聞いた。
随分前に京阪守口でワイアートさんが川瀬巴水展をなさったときにお訪ねして小さな縁が生まれた。
ツイッターではお世話になっているが、実際にワイアートさんに行くのは初めてである。
地図を見るとめったに行かない堂山町にあるというので、久しぶりにその方面へ歩いた。
・・・見たことのある場所である。色々思いだしてみると、20年ほど前に来たことがあった。
確かここらに本屋があった。
そして二階か三階かの店に入ったのだが、その時一階で何か出店のようなにぎわいがあったのをなんとなく覚えている。
それきりだけの訪問なので記憶の混濁ではないと思う。
久しぶりにお会いしたギャラリーの方と少しばかりお話をし、20年前のその日がどうやらオープニングパーティの日だったことを知った。偶然とはいえ驚いた。

わたしは最終日に来てしまった。
色々と理由があるが、この日にしか来れなかったのは惜しいことをした。
しかもとても寒い日だったので、わたしは顔がひきつっていて、無表情になってしまった。
機嫌はよかったのに申し訳ないことをした。
わたしのけがのことなどを心配してくださったのに。

ご案内を受けながら作品をながめる。
「摩尼 相場るい児・桑原聖美」展

わたしはツイッターでこう書いた。
「桑原聖美さんの幻想的な美人絵と相場るい児さんの妖怪やきものが、互いにいい距離感で存在感を主張していた。
時にコラボもして、知らん顔をしつつよい雰囲気を見せる。
やきものを見ると絵美人に見下ろされ、絵を見ると妖怪が笑うのに気づかされる。」

桑原さんは「女神を描いております」とのことで、どの美人も現実から半歩違った場所にいるのがわかる。
どこを見ているのか、此岸にいるわたたちでははかりしれない。
では彼岸にいるのかというと、半歩分はこちらに近く、手を伸ばせば指先くらいはその髪に触れられそうにも思われる。
誘惑する気はなさそうだが、その気がなくともこの女神たちはひとを誘惑、いや、幻惑する。
それは目だけの問題ではない。

中に「お菊さん」と名付けられた女神がいた。
「お菊さん」と言われてアタマに浮かぶのは「皿屋敷」のお菊さん、または藤田嗣治が1925年にピエール・ロティの作品のために描いた婦人か。
しかしここにいるお菊さんは別に指を切られたわけでもなく、サディストの主人に責め殺されたわけでもなさそうである。
では誰なのか。
どこのお菊さんか知らないが、しかしお菊さんと名付けられた彼女をわたしはみつめる。


相場るい児さんのやきものは妖物をカタチにしたものが多い。
お酒を飲む器がたくさん作られているが、その躯体には金毛九尾の狐や猫又らしきモノたちがそこにしがみついていた。
中には見込みに生首を見せるものもいる。小泉八雲の書いた「茶碗の中」を思い出す。
酒を飲むと、彼らも体内に入り込んでゆくだろう。そして内側からかれらに喰われるのだ。

目を転じると首だけの唐子が笑っている。
首から下には房が付く。その上をゆっくり見上げてゆくと掛け軸にたどりつく。
桑原さんの女神がいた。
なんの違和感もなく、互いの存在を主張し合いながらも破綻することなく同居していた。

桑原さんの静けさと相場さんのにぎやかさ。
いい組み合わせだと思った。


会期が過ぎてからこうして感想を挙げて申し訳ないが、しかし書きたかった。
時間が経った今もふとあの白い肌がよみがえる。
描かれた女神たちの肌は白かった。
乳白色の肌の下に薄い血がそっと通っている。
丸く立った乳首をあらわにした弁天さまのやさしい指には小さな菊がはさまれていた。
秋の花だが、弁天さまは春の女神のようにもみえた。
春を待つ気持ちがそのように思わせたのかもしれないが。

今度機会があれば早い時期に見に行きたいと思っている。

翠仙荘を見に行った日のこと

2003年の5月に、大阪の十三にあった翠仙荘という集合住宅が解体を前に一般公開した。
わたしがここへ行くと話すと、うちの母が「神津神社の木の根元におじいちゃんの隠し財産が」・・・という話を聞いて、なんだか妙に昂って自転車を漕いだことを覚えている。

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最後だというので、ここの公開を企画した人がしたのか、写真なども飾られていた。
タイルなども可愛い建物だったが。

その帰りに神津神社の言われた通りの木の根元に行ったが、もうとっくに掘り返されていた。
今となってはそれが何番目の木か忘れてしまったが。

小さい思い出の話。

北摂からあびこ観音経由で堺市博物館へ向かった

堺市博物館はJR百舌鳥駅から徒歩数分の大仙公園の一隅にある。
わたしは北摂からここへ来るのにこれまでは一旦梅田に出て、それからJRに乗り換え天王寺まで出てから阪和線の普通に乗り換えるか、関空快速で途中の三国ヶ丘まで乗り、そこから普通に乗り換えるということをしてきた。
大阪―百舌鳥は390円で大体40分ほど。
ただしこれだと地下鉄沿線のどこかに出るのにちょっと面倒ではある。
ここと大阪駅を行き来するだけならこれでいい。
しかしたとえば途中で難波に行きたい・淀屋橋に行きたい・江坂に行きたいとなると話は変わる。
大阪の地下鉄は今のところ「エンジョイエコカード」があり、土日祝の場合600円となる。それで乗り降り自由となる。
これを使って行くルートを考えた。

わたしは今回あびこ観音の節分に出かけ、その足で堺市博物館に出向いた。
つまり地下鉄であびこに出て、それから徒歩でJRに出て百舌鳥へ行った。
これが160円。
色々考えるとこのルートがいちばんいい。
わたしはJR阪和線と相性がよくないので、あまり長く乗りたくないのだ。
これまでの経緯からそれはもう変わりようのない意志となっている。
このくらいならそんなにストレスにもならない。

ちなみに梅田からあびこ観音へ行くのは地下鉄かJRということになる。
地下鉄は320円。JRは300円。
先の土日のエンジョイエコカードを使えば地下鉄もここだけだと300円になる。

あびこ観音へは初めて行ったのだが、なかなか楽しいところだった。
節分なのでもう本当にどうしようかと思うくらいの人出だった。



さてわたくしはここから百舌鳥へ向かい、堺市博物館へ出向いたわけですね。
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案内図。せんとくんの兄弟?サカイタケルくんがおる。
所蔵品と場所が大体このリーフレットで紹介されている。
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中には明治初期の仁徳天皇陵の調査資料があり、それに基づいて巨大な石棺の模型が展示されている。
朱塗りの箇所がいくつか。
正直怖いので、この撮影をする気はない。
わたしはあんまり墓所や亡くなった場所を撮ったりしない。
これについては怪談というよりむしろ怪異譚が色々ある・・・

埴輪をみる。


戌年なのでわんこ集め。

堺の緞通や布団太鼓の現物展示もある。
鉄砲の歴史もまた。
利休、与謝野晶子はこことは違う沿線の方にある「さかい利晶の杜」で特集がある。

堺の近代建築関連の紹介についてはこちらにまとめた。
古写真に見る近代建築 

複製だがいいものがある。





いいなあ。じっくり見ると色んな発見がある。




以前も企画展があったが、ここは世界の旧い地図が多い。
古地図は楽しい。旧世界への関心と共に、彼らの夢想する不思議な国ニッポンが愉快。




理由は知らない。

なんだかんだと楽しい。
今現在は昭和まんなかまでの家庭にあった電化製品などの展示。
ごりごり動かす洗濯機や氷を入れる木の冷蔵庫。
どんどん進化してよかった。
とはいえわたしは全自動は会社でしか使わないが。





因みにその潮湯の別館を移築したのが南天苑
以前にここで写真を挙げています。
河内天美の南天苑 2003




これはレコードの針入れ。
ビクターのニッパー君が意外と幸せそうで嬉しい。

他館のポスターも楽しい。



大きな公園なので他にはこんな施設もある。
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さて百舌鳥からあびこへ戻りました。
厄除け饅頭


ガワには黒糖も。
帰宅後に蒸して食べた。
友人、隣家にもプレゼント。
みんなで厄を除けましょう。

しかし、避けてばかりいてはどうなのか、やはり対処できる知恵と力とが欲しいとも思えましたな。
あびこの観音さんも疲れはるやろうし・・・



「歌劇」100年を祝う

阪急梅田駅から阪急百貨店へ向かう通路の壁面に、雑誌「歌劇」の表紙絵が百年分ずらりと並んでいる。
宝塚歌劇団が発足してから数年後、東京進出した1918年に刊行された雑誌で、今日まで続いている。
阪急電鉄の広報・情報誌「TOKK」でもしばしば初期の頃の「歌劇」表紙絵の紹介があったが、ここまでの数の「歌劇」を一度に見るのは本当に初めてだ。
熱心なお客さんが皆さんパチパチと撮影している。
スマホの人もいれば一眼レフの人もいるし、若い人からかなり御年配のご婦人も少なくない。

わたしも喜んでパチパチ撮りツイートした。









調べたところ1932年から歌劇の生徒さん(スターの皆さん)の顔写真になったそうだ。
たくさん撮影したが、大正ロマン好きを標榜するわたしとしては、そちらを全部挙げるより、1918年から1931年までの絵表紙の方をここで挙げたい。

20180204_131738 (1)

20180204_131746 (1)

20180204_131755 (1)

20180204_131808 (1)

20180204_131819 (1)

20180204_131830 (1)
昭和モダンな作品に変わったところで、絵はここまで。

<雑誌>の表紙絵として、とても魅力的なものだった。
グラフィックの良さを感じる。

またいつかじっくりと眺めてみたい。

没後50年 藤田嗣治 本のしごと -文字を装う絵の世界-

西宮大谷記念美術館で藤田嗣治の手がけた本の仕事の展覧会をみた。
タイトルは「没後50年 藤田嗣治 本のしごと -文字を装う絵の世界-」
イメージ (646)

2013年に日比谷図書館でも藤田の本の仕事を見ている。
当時の感想はこちら。
藤田嗣治 本のしごと

その前年には松濤美術館でも見ている。当時の感想はこちら。
藤田嗣治と愛書都市パリ 花ひらく挿絵本の世紀


最初に藤田の本の仕事を見たのは京近美。
「海龍」が出ていた。そこには「ぬけられ〼」の貼紙もある。
あれが印象深くていつか再会したいと思っていたが、松濤、日比谷と間をおいて会えたのは嬉しかった。
そして日比谷からも5年、久しぶりに西宮大谷で再会できたのは幸いだ。
また、この展覧会は後日目黒区美術館に巡回する。
魅力的な作品が多いから、大勢の人が見に行けばいいと思う。

今回もちまちまと感想をメモったが、過去二回のそれと見比べると、ほぼ同じことを書いていた。
アタマが固まっているのかもしれないが、素直にそう思ってるようだから、どうしようもない。
なので、今回はどらにも書いていないことを挙げる。
そうすれば「三部作」???になり、重ならない、と思う。

今回の展覧会で憾みが一つ。リストがないので大変なことになった。
メモを取りながらもアタマと指が痛い。困るなあ。
そう言うのに限って書くべきことが多いのに。

少年時代の藤田の絵葉書からみる。
1905 澤鏨治あて絵葉書が並ぶ。私製絵葉書が解禁され、絵描き少年藤田は喜んで友人にたくさん手描きの絵葉書を送った。
2月はユーゲントシュティール風、9月は漫画風、12月はアールヌーヴォー風。
描き分けが出来ている。

小さな絵や本の仕事が始まる。
1906 接吻 可愛い二人のキス。

1917 断崖の若いカップル カラフルではあるが、後の藤田を思わせる絵が既にこの頃から生まれ始めている。
   
雪のパリの街並み ユトリロ風。

1919 詩数篇 小牧近江 フランス翻訳者の小牧の詩の数編の仕事。
この年、サロン・ドートンヌに出品した6点全てが入選。

パリジェンヌ レ・レトル ブランクーシの「接吻」風だが口はウサ子のようにxで表現。
手をつなぐ。

1922 王の手紙  タゴール ジッド訳。ゾウやゾロ顔の猫がいる。特に物語性がある絵ではなく、言えばゾウや猫の肖像。
可愛いなあ。藤田の動物は猫以外も可愛い。
東近美・京近美が所蔵。なお、東京富士美術館にデータがあった。
アマルと王の手紙Amal et la lettre du roi 1922年 [出版]リュシアン・ヴォーゲル社(版権:ガリマール社)フジタによる挿画7点
18020501.jpg

…こうしてみているとやはり1920年代の仕事がいちばん好ましい。
とはいえ様々な技法の作品はそれぞれ違った個性を持ち、互いに似ようとはしない。

1927 エロスの愉しみ オッフェンバック 水彩のポショワール。ソフトなパステルカラー、モダンな裸婦たち。うろうろする天使。
フランスのエスプリと官能的なところがいい感じに出てくる。

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1941 イメージとのたたかい これは同じ女の寝顔を様々な角度で切り取り、それを頁ごとに任意の位置に載せる。
チラシの女は顔の下半分を埋めているが、別なページではたとえば唇がはっきりしていたりする。

やがて日本を出たフジタは妻と別れたままなので再会したいとアメリカのフランク・シャーマン氏に大量の絵手紙を送り続ける。
楽しい絵日記のようでもあり、ユーモアと共に切実さが滲みでる。
妻への愛情とそれを隠すことのないフジタ。
この手紙類は目黒区美術館収蔵品。以前に一度見ている。

やがてフランスに戻り、落ち着くレオナルド・フジタ。
口をつぐんだ子どもたちの絵を描きだす。

展示はここまで。
フランスの本作りの上質さを改めて知ったようにも思う。
面白くも興味深い展覧会だった。

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最後に藤田と猫。
秋には都美で大々的な回顧展が開催される。

古写真に見る近代建築 

手元にある古写真の近代建築写真を集めた。
去年に挙げた
切り抜き近代建築 その1
これらの仲間である。


目黒雅叙園の古写真絵葉書
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堺市博物館から。








神田学生街の記憶展から。




















泉尾のアパート
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ある程度数がまとまればこのように挙げてゆく。

旧彦根高等商業学校講堂

現在の滋賀大学講堂。
1924年。
詳しくは文化遺産オンラインで。
なにしろ訪ねたのが2005年で、当時画像を挙げられず、訪ねた感想だけ書いている。こちら
その日は同窓生会館の陵水会館も見学した。
陵水会館は以前に挙げている。こちら
で、今頃になって思い出したのだ。
下見板貼の可愛い外観から。
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正面
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メダイヨンのような通風孔に雷文の縁飾り


中へ
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弗マークじゃなく滋賀大のSのマーク化かな。


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木象嵌


うねる階段
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ライオンの口からザーッ
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さらば…

懐かしき年へ 1989年に見た展覧会

毎日なんだかんだと展覧会の感想を書いたり時々近代建築の下手な写真を挙げたりしてるが、今日はどうも体調がよくないので、過去の記憶に溺れることにする。
1989年辺りから、本格的に展覧会に出かけるようになった。
今のように週末ごとに出かけるとか、東京に数日間滞在するとかいうのはまだ始めたばかりで、思えばこんなころからあんまり暮らしぶりが変わってないのに気づく。

19890218 高畠華宵 ナビオ阪急  既にこの頃から好きで、ここでしか見てないのだが「片身の爪」という絵は良かった。再見していないのがせつない。

19890218 松園・松篁・淳之三代 ナンバ高島屋  夕方から半額なのはこの当時から。元々この一族は本当に好きで、原画を目の当たりに出来て嬉しかったなあ。

19890318 ジャン・コクトー アクティ大丸  場内にはサティのピアノ曲が流れていた。詩や小説や映画は見ていたが、絵は初見。とてもよかった。ポスターが当選し、今も部屋に貼っている。

19890319 ピエール・クロソフスキー つかしん  バルチュスより先に兄さんを知る。新聞評で気になって見に行ったが、「ロベルトは今夜」より少年愛の絵が目的。なかなかよかった。

19890416 安井曽太郎 大丸心斎橋  母とオジ夫婦と四人で行き、安井の良さを母とオジから懇々と聞かされるが、いいと思ったのは少年時の昆虫画、孔雀と女、黒地のバラの絵で、本当にいいと思うのはもっと後年の話。

東京へ友人と三人でいった。
19890504 英太郎の世界 弥生美術館  初めて来た。竹中英太郎は元々好きだったが、これでのぼせあがった。非常に良かった。そしてここで「新発見の抒情画」展のことを聞く。

19890505 常設 ブリヂストン美術館  初めて来た。ここと大原と西洋美術館がわたしの西洋絵画鑑賞の修業先となった。感謝している。

19890505 新発見の叙情画 池袋三越  友人と離れ単独で池袋へ。ドキドキする絵ばかりで、これらが後に弥生に入った時は嬉しかった。華宵「ナイル薔薇曲」などがあったと思う。

19890514 アラビアのロレンス 八尾西武  元々「アラロレ」ファンなので飛んで行った。実にいい資料も揃っていて、面白い展覧会だった。よくここで開催できたと思う。

19890528 さよなら電気科学館 電気科学館  ううせつない…写真を撮ったが、それらもいずれここで挙げなくては。四ツ橋よ…

19890603 オディロン・ルドン 兵庫県立近代美術館  アタマが痛くなった。そして建物の構造がどうも体に合わない。村野の作品だと知ってから、高校の体育館も村野だったが、あれと同じかと納得した。

19890611 ヴィクトリア朝の絵画 アクティ大丸  ラファエル前派との邂逅。素晴らしかった。図録を買えたのは僥倖。絵はがきは完売が多かった。

19890715 フランス絵画の精華 京都国立近代美術館  ナント美術館のが多かったかな。これもロマンティックな絵が多くて素敵だった。

19890829 手塚治虫夢ワールド 阪神  亡くなってから最初の回顧展。

19891008 美の旅人・池田遙邨 京都国立近代美術館  新聞広告で見て、ニュースで見て、強く打たれた。それで出かけたが、こんなにファンになるとは思わなかった。本当にいい。

19891010 デビッド・ホックニー 梅田阪急  元から興味があったが、現物を見てちょっと退いてしまった。しかし映画よりはよかった。

19891014 大アンデス 民族学博物館  元々民博は中学生のころから行ってたが、これは新館展示だったかな。

友人と元興寺さんに一泊した。
19891021 常設 志賀直哉邸  まだ改修する前。

19891022 元興寺の寺宝 元興寺  古代の瓦とか面白かったね。

単独で東京ツアーを始めた最初。
19891101 ロダン 西洋美術館  図録もよかった。地獄の門についてちょっと詳しくなった。

19891101 一休 東京国立博物館  初めて来た。一休が長渕剛によく似ててびっくりした。東洋館で見た数々の品が「孔子暗黒伝」を思わせてくれ、そうなのかと納得した。

19891101 アールヌーボーの系譜・夢二世紀末の夢 弥生美術館  再訪。本当に惹かれた。会員になることを決意。

19891101 栄光のフランス近代美術-リヨン美術館 東京都美術館  いい絵を見たが、それよりもここの建物の構造がなにやら謎だった。

19891102 常設 神奈川県立近代美術館  どうも建物が体に合わなかった。見たものも兵庫近美に似ていると思った。

19891102 常設 鎌倉宝物館  まだ仏教美術に無関心の頃。

19891102 吉川英治 神奈川近代文学館  主に「新平家物語」だったか。しかしわたしは「神州天馬侠」「鳴門秘帖」が見たかったのよ…

19891102 常設 大佛次郎記念館  猫だよ猫。

19891103 常設 ブリキのおもちゃ館  マリンタワーにあったが、今はあるのかないのか。タワーからの夕日を一人で見たなあ。

19891103 常設 横山大観記念室  いい感じの和風邸宅。そこで優しい感じの絵を見た。絵はがきも購入して満足。

19891103 「吉原」辻村ジュサブロー 下町風俗資料館  お披露目だったかな、この人形たちはジオラマの中に入っていた。やや小ぶりだった。もうジュサブロー熱が本当に高くて高くて。

19891103 マンガ50年 銀座松坂屋  古いマンガから始まっていて、歴史を見た感じがした。同じ会場でワインの販売をしていて、何を思ったか、ワインを入れてた木箱の木切れを買った。

19891103 ちひろと筆 いわさきちひろ美術館  ちひろはいい字を書いていた。それを見る。割り箸を削り、墨で絵を描くというのも知った。

19891104 速水御舟 山種美術館  茅場町時代。階段にかかる杉山寧「響」の迫力と、暗い床に反映する御舟「炎舞」にゾクゾクした。

19891104 ムンク ブリヂストン美術館  「吸血鬼」がずらーーーーっと並んでいた。色違いバージョン。

19891223 リカちゃんハウス INAX 大阪  四ツ橋時代。わたしの持ってるのもたくさん出ていて、とても嬉しかったよ。

19891223 フランス近代絵画 ナビオ阪急  さてこの内容は今となってはノートを見ないと思い出せない。

これらはすべて自分の記憶から引っ張り出してきたもの。ただし日付とタイトルは自分の拵えたデータベースから。
この年はこれだけしか見ていない。しかしこの年に見たものが今のわたしの基礎になったりもしている。
時は流れたが、そんなに昔とは感じない。
また見たい展覧会が多い…

小野木学 絵本原画展 ―ぼくの中のコドモ―

練馬区立美術館で「小野木学 絵本原画展 ぼくの中のコドモ」が開催中なので喜んで出向いた。
電車の乗り継ぎが良くてスイスイと動けたのは嬉しい。
行ってお金を払おうとすると無料だと言われてびっくりした。
なんでも所蔵品展だからのようだが、公益財団法人 花王 芸術・科学財団が助成してくれているそうだ。
ありがとう、花王。好きな商品多いです。

小野木学は練馬に住んでいて、ここに多くの作品があるそうだ。
わたしは幼稚園の時にかれの創作絵本「かたあしだちょうのエルフ」に感動し、再読不能になるほど心に作品を刻み込んだ。
回り道をするが、わたしはあまりに感銘を受けすぎたり愛しすぎると、その作品を再読することがかなり難しい状態になるのだ。
これまでにもそうした作品がかなりある。忘れることの決してない作品たち。
わたしの愛はいびつなのかもしれないが、心が大きく揺れすぎるとこんなことになるのが止められない。
だが、欠片をみるのなら・・・
ドキドキしながらわたしは向かった。

今回の展示で小野木学が若くして亡くなっていることを知った。1924-1976…52年の生涯。
わたしが「エルフ」を知った時、小野木学は早い晩年を迎えていたのだった。
あの絵本は71年の青少年読書感想文全国コンクールにも選ばれているということだが、幼稚園子のわたしはそんなことは一切知らなかった。
ヒトに勧められた本を読む、というのは今も好きではなく、その場にある本を自分で勝手に読む子供だった。
幼稚園ではほかに同じ出版社の(形が同じなのでそう理解していた)いわさきちひろ「おにたのぼうし」にも感動し、中川李枝子「いやいやえん」に夢中になっていた。そう、「ぐりとぐら」ではないのだ。あと「ももいろのきりん」。
読み物では阿久根治子作・ 瀬川康男挿絵「つる姫」、プロイスラー「小さな魔女」を繰り返し読んでいた。
小さい頃から好きなものは変わらない。

小野木学「かたあしだちょうのエルフ」の原画展示はもう少し後にして、展示されている順から記す。
イメージ (643)

自画像がある。1950年代のもの 自由美術展へ出品していた頃のものだろう。どことなくケーテ・コルヴィッツを思い出した。
画風が似ているわけでもないのに。

シルクスクリーン作品が四点。エンボス紙の効果もあり、シャープな良さがある。これらは司修から学んだそうだ。

1976年、最後の年に描かれたパステル画はいずれもシュールな味わいがある。
ハムサンドノツクリカタ、ニセシンシ、モルフォ、ヒトバンジュウフイタカゼ…
四点ともシンプルで、シュール。

絵本と挿絵、表紙絵の原画を見る。
80日間世界一周 ベルヌ 偕成社 1968  箱絵は司修、口絵と挿絵を担当する。
開かれていたのは、婆羅門の寺院に土足で上がりこんだことで拘束されて裁判を受けている男の様子。ペンによる挿絵。
寺院が土足厳禁なのを知らず、止めようとした現地の人々を殴ったことを誇る阿呆が描かれている。
神坂智子「天竺夜話」にも同じ設定がある。

風立ちぬ・菜穂子 堀辰雄 偕成社ジュニア版日本文学名作選  1968 ああ、これもペン画。

様々な技法を駆使する小野木学。

のんちゃんのけいとだま 緑川紀子 ロンパールームの絵本 1968  コラージュが面白い。巨大な毛糸玉を抱えた子供のんちゃんと猫たちが親しみやすい絵で描かれている。

ダルタニャン物語 全11巻 デュマ・鈴木力衛訳 講談社 1968  全訳の連作本。これは知っていたが、このヒトの挿絵だったのか。

ジェーン・エア ブロンテ 遠藤寿子訳 偕成社ジュニア版世界名作選 1969  びっくりした!わたしが小3の時に知った本で繰り返し再読していた本ではないか。しかも挿絵もたくさんあったのをよく覚えている。これも小野木学だったのか!
びっくりしたよ。大好きな作品。

さよならチフロ こぐま社 1969  完全オリジナル。可愛い少年チフロ。どこからか現れ、老人と暮らし、どこかへ消える。
イメージ (642)
チフロとは何者だったのだろう…

かたあしダチョウのエルフ 1970  前述したとおりでせつない。久しぶりに本を開くと、わたしの所持する本は88年66刷のものだった。今はどれくらいになったろう。とてもいい物語で。無償の愛がくるしい。
最後は本当に豊かな木になるエルフ。だちょうから木になる…
版画をうまく使っている。多様な画風。

幼年版シートン動物記 偕成社 1971  リアリスティックな動物の描写。鉛筆による作品。

ねこの王様 これはあれだ、アイルランドに伝わる伝説もの。爺さんが回想する。
外で偶然みたもの…猫たちが誰かの棺を担ぎ葬列をなしている。トルコブルーの猫たち。
爺さんに気付くと猫が言う。次の王様の名を。
爺さんは慌てて帰宅し、婆さんに一部始終を話すが、その途中から飼い猫がムズムズ動き出そうとしている。
「では俺が次の猫の王様か!と叫んで猫は出て行ってしまう。

もずのこども 講談社 1976  カッコーに托卵された百舌鳥の夫婦の話。

フィルムもある。のぞくと「ちびくろサンボ」と「シンデレラ」が上映されていた。

とてもいいものばかりを見た。小野木学の作品の多様性に驚くばかりだった。
今も達者ならと思うばかりだ。

こちらは彼が拵えた本のリスト。
イメージ (644) イメージ (645)

いつか小野木学の絵本の仕事について語り合える人とあってみたいものだ・・・


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