FC2ブログ

美術館・博物館・デパートでの展覧会を訪ね歩き、近代建築を見て周り、歌舞伎・映画・物語に溺れる日々の『遊びに行った日を記す』場所です。 

商都慕情 ―今昔館の至宝@くらしの今昔館 その2

続き。

浪花天神図 菅楯彦  「うちの天神さん」というて天神さんと四天王寺さんの聖霊会には深い深いつながりのある菅楯彦。
橋を渡る二家族。先に行くのは25日の天神さんの日に売り出される「天神旗」を売る庶民家族、後に行くのはエエ氏のお坊ちゃま、二人も女中がついている。
イメージ (1119)


浪花心斎橋街小倉屋旧観 菅楯彦 1928  今では昆布で有名な小倉屋だが、その昔は鬢付油を商っていたそう。とはいえ山崎豊子の直接のご先祖ではない。wikiによるとこんな経緯があるらしい。
にぎわう店先。イメージ (1114)
わっか遊びする少年がいるな。あれを見るとキリコの絵と小川未明「金の輪」を思い出す。どちらも非常に不気味で不穏なもの。


浪花下村店繁栄図 佐藤保大 1851  幕末の大丸の店先の様子。
イメージ (1118)
これまたにぎやか。昔の大丸。
…はー…ヴォーリズの名作を壊した大丸に今では愛情はないなあ。

春風小午 野崎詣り 菅楯彦  白の目立つ画面にちょいちょいと彩色。それがまた春らしいええ色で。まさに春風駘蕩とはこういうのをいうのだろうな。柳、桜、小舟、菜の花。色を点在することでのどかさを感じる。
野崎詣りは「お染久松」でも知られているが5月の行事。野崎観音へお参りにゆくのだ。
歌でも東海林太郎が♪野崎詣りは舟で行くー と歌っている。

住吉大社は1300年くらい前からあったのだったかな。
そのお祭りに関する絵が二つ。
住吉踊り 菅楯彦  赤い筒型の傘をさしてその下でにこにこ。
住吉祭 幸野楳嶺  笹にそ小さい赤い傘をぶら下げる。
長いこと住吉っさんに行ってへんな。久しぶりに行こ。

よど川の涼み船 菅楯彦 1942  戦時中にもこうした庶民の喜びを描くところが好き…

年中行事画巻 菅楯彦 大正時代  正月のごちそうを食べる武家一家の様子がいい。幼い娘が無邪気で可愛い。
節分、ひな祭り、聖霊会、阿弥陀池の植木市、サルタヒコの盆踊り、月見する侍たち、七五三、戎講、歳暮、杵つき…
イメージ (1116)


天保山図 玉手棠洲 1838  まさに天保年間。夜、小舟が止まる様子。大坂七低山。

蘆刈図 森一鳳  ゆっくりと雨が降る。「藻を刈る図」で著名な一鳳。洒落で「もぉかるいっぽう」とうたわれた。こちらは蘆刈。淀川やね。谷崎に「蘆刈」という作品もある。

城北水郷・洞庭秋色 忍頂寺静村  南画風な風景画。この人もこの頃少しずつ他府県で展示があるようになったな。

大川の涼しさ。
夕涼み図 玉手棠洲  スイカ売。薄暗い宵。
大川夕涼 西山完瑛  屋形船から身を出して川面を見る女。

淀川を描いた絵もある。
淀川図 武部白鳳  山崎と八幡の様子を描く。
よど川の図 地名を金の枠内に記す。中之島、天神橋、長良、桜の宮…三島、芥川、光善寺、枚方、御殿山、中書島まで。

パネル展示で摂津名所図会を紹介していた。八軒屋、孔雀茶屋、堂島、高麗橋の三井と虎屋、今橋の鴻池、備後町と安土町の間の八百屋町筋、鳥屋が並ぶあたりは「飛禽店」とある。大丸、高津の黒焼き屋。

浪速名所独案内がまた面白い。上が東、左が北の位置で大阪市内のガイドマップ。
イメージ (1107)
天保年間。遊びのモデルケースのルートやコースが記されてもいる。お城は左上、右上に天王寺、大川は左。下に江之子島、天保山、市岡、尻無川。なんばには「骨筋違療治所」もある。合邦が辻の閻魔堂、飛田の森、天下茶屋、南の果ての住吉大社。
銅吹きの住友家、安堂寺の油懸け地蔵、河堀口の関帝堂。庚申堂に一心寺、茶臼山…西御堂の裏には「ウラユス」の店。坐摩神社、新町の廓、立売堀、江戸堀の加島屋、円満寺の人の討死旧跡…

ああ、とても面白かった。



スポンサーサイト

商都慕情 ―今昔館の至宝@くらしの今昔館 その1

大阪くらしの今昔館の所蔵する絵画を集めた「商都慕情 -今昔館の宝箱-」展を見た。
イメージ (1110)

展覧会の意図は以下のよう。
「天下の台所」と称された大阪には諸国の物産が集積し、商人は富み栄え、豊かな暮らしを背景に芸術・文化が開花しました。また、「水の都」とも称された大阪は市中に堀川が発達し、多くの橋がかけられました。三大橋と呼ばれた「天満橋」「天神橋」「難波橋」、町人が維持管理した町橋など多種多様な橋があり、魅力ある都市景観を作り出していました。
大阪くらしの今昔館が所蔵する美術品の中には、大阪の景観や、年中行事など、人々の暮らしぶりを描いた絵画が残されています。例えば、「浪花下村店繁栄之図」(佐藤保大筆)は幕末期の松屋(現在の大丸)の店構えと賑わいが、「浪花天神橋図」(菅楯彦筆)には天神橋の上で武家の子ども連れと、天神旗を持った行商人の家族などが行き交う様子などが描かれています。さらに花見や月見など季節の行楽、寺社への参拝、年中行事や祭礼など、古きよき大阪の魅力あふれる街の様子や暮らしぶりを掛軸・絵巻・屏風などの絵画作品を通してご覧ください。」

なにわの賑わい、大大阪の繁栄、それもみんな「なにわのことはゆめのまたゆめ」で今はかけらしか残っていない。
しかしそのかけらが存外キラキラしているので、「生きた建築」=イケフェスが開催されたり、こうした展覧会が企画されもするのだ。

イメージ (1113)

諸国名所百景摂州難波橋天神祭之図 二代広重 1860  おお、「茶箱広重」。一ノ関圭だー。船渡御の様子を描く。提灯は赤い。元気があってよろしい。

華城八景(大阪城八景) 玉手棠洲 1918  大阪城って「華城」なんて二つ名があるのか。「鯉城」とかいろいろあるものな。まあこの場合は「浪華」からだな。
幕末の様子を描く。そろばん、椿、春宵、京橋の朝市、それらを淡彩で描く。

浪花名所図会 順慶町夜見世の図 初代広重  板の台に魚を並べて商売、道具屋、人相見、櫛屋、様々な商いがある。人々の行き交うにぎやかさ。まあ今の南船場の辺りやから、賑やかなんはあんまり変わってへんかもしれん。

大阪名所一覧 歌川貞秀 1865  お城から先ずっと家並みが続く。

浪花勝景帖 五井金水  50カ所。明治の帝塚山、四天王寺西門、天下茶屋のぜさい屋…てなんやねん。
茨木、箕面、池田、中山、更には武庫山まで描いてあるのは嬉しい。摩耶に六甲、そして海へ。
イメージ (1112)
昔の大阪は雪も積もってたんですなあ。

大坂図屏風 江戸時代  住吉大社、四天王寺、道頓堀。今も続くところ。

浪花月次図屏風 江戸時代  これがまた見どころの多い屏風で。
春駒、畳替え、花見、端午の節句、舟で蛍狩り、天神祭、お盆の時には飾り物とかみせているが、それが金閣のミニチュア、盆山などで芸が細かい。月見、紅葉狩り、伊勢の大神楽、餅つき、正月の準備。
イメージ (1115)

浪花風景12ヶ月 二代長谷川貞信 1939  その年「九十翁」となった貞信の月次名所図。
目次には浪花の標・澪標が描かれる。
月の名も古風床しき呼び名を選んでいた。旧暦ではあるが、わたしはそこまで記さず普通に書いてゆく。
1月 道頓堀の初芝居。 「いろは茶屋」は芝居茶屋で三階建て。ここで世話してもらって桟敷に行く。混んでる夕方。櫓と大きいぼんぼり=梵天が立つのがみえる。
イメージ (1111)
2月 早春の梅屋敷。ここは亀戸の梅屋敷をモチーフにしたところらしい。高津にあったそう。生玉神社の東側。今はなんやろ?
夜景。松と素敵な屋敷と白梅と。
3月 住吉の浜での潮干狩り。大燈籠と小舟。
4月 野田春日社紫。あれよ、今も続く「野田藤」だ。大きな藤がだーっと並ぶ。藤原家ね。こちらは二年前の様子をご参考に。
野田藤を訪ねる
5月 五月雨の茶臼山。雨やなあ…
6月 天神祭。鳳輦載せた船がゆく。船渡御。
7月 新清水寺の小滝。不動の所に二本。
8月 四ツ橋。「涼しさに四ツ橋を」の碑が。材木問屋もあるのか。まあほんねきに欄間の専門もようけあるし。
イメージ (1117)
今は交差点しか残ってない。東洋最初のプラネタリウムも移転してもた。
9月 金城の初秋 ああ、こうも呼んだのか大阪城。江戸時代の様子。お城を守る侍もいてたのか。そうやな、「大坂侍」という小説もあるしな。貞信がこの絵を描いたのは1939年。大阪城が大林組によって再建されたのが1931年か。
10月 紅葉寺。毘沙門池の楓影。四天王寺の東門の近くにある寿法寺の境内に、かつては紅葉がわーんと。
今や名前だけらしい。
11月 高津社頭、冬が来た。赤い望遠鏡で遠くを見る人々。左に絵馬堂がある。生田花朝も描いている。
ここは元々仁徳天皇がいてはったところで、上町台地の高いところやから「民の竈から煙が立たない」のが見えたわけです。
ついでにいうと、大阪市民の古い人らのうち、この高津界隈出身やいうのは自慢してもよいのです。
12月 雪に埋もれるような松の鼻。木津川と尻無川の間にあった九条寺島にあった松。雪の日の小舟もいい。

雷もなってきたので一旦ここまで。

神戸市立博物館所蔵 洋画セレクション展を楽しむ

神戸市立博物館がリニューアル中なので、所蔵品が各地へ出開帳。
六甲アイランドの小磯良平記念美術館では洋画のよいのが集められていた。
イメージ (1041)
左 田村孝之介 婦人像(黒いドレス) 上品で素敵だ。田村の描く人物が好きだ。
右 川端謹次 潮風  なんでも居留地の方にあった旧明海ビルの中華料理店のテラスでの眺めらしい。今はもう建て替えられているのでこの眺めはない。フランスのどこかかと思ったくらいだ。

明治の昔からの洋画から始まる。
川上冬崖 西画指南 1871  西洋画の描き方ガイドブックなんだが、見開きページのどこかの路地と空の広がり具合がとてもいい。むしろ1970年代の劇画の背景みたいな感じに見える。百年後の絵のようだった。

ワーグマン 横浜街頭 1877  兵がいっぱい。…なぜに横浜。

それで虎ちゃん登場 
山本芳翠 猛虎逍遥図  元は王子動物園に所蔵されていたそう。



百武兼行 裸婦図  随分ほっそり。鍋島の若様の侍従として海外へ出た。そこでの絵画修業の成果でもある。
かれの描く裸婦のうち、このモデルは細いが、モデルの写真の残る絵はおしりにいわゆる「ヴィーナスのえくぼ」が出来ていて、素敵だった。

浅井忠 子守  赤ん坊ギャー泣き、子守もぐったり。黒田の昔語りの絵に仲間入りしてきそうな娘。
浅井忠は風景より人間を描く方が、それも日本画がいい。またはアールヌーヴォーの影響を受けた意匠も素敵だ。

原田直次郎 頼光山入  石版 一行が大江山でさらわれた姫が洗濯するところへ遭遇するシーン。山伏たちに会い、姫もようやく助け出されることに気付いたのだ。

2.関西洋画の発展と草創期の神戸画壇
前田吉彦 湊川新橋風景 1880-97 松並木とまではいわないが松のよく生えたその道を自転車に乗った警官が行き過ぎる。橋には人力車も通れば、馬も行く。まだまだ文明開化に浮かれていた時代。

前田吉彦 勧学夜景図―熊沢蕃山、中江藤樹に入門を乞う図 1884  なかなかドラマチックな構図で断られても土間の隅っこでなんとかなんとかとか言いながら寝泊まりする。

鹿子木孟郎 白薔薇 1937  この人の回顧展も京都で見たが、風景や静物画より人物画、それも幻想的なもののほうがいい。妖艶な裸婦が座る。この絵はかつてのオリエンタルホテルのバーに飾られていたの。
適材適所だったが、ほてるが地震でああなってしまったから、ここに入ってよかった…

赤松麟作 「阪神名勝図会」シリーズから。このシリーズは多くの画家が参加して、皆それぞれいい絵を描いている。

金山平三 春来る  たぶん庄内の大石川だったかな、あの様子。奥さんの実家の地に疎開して新たな芸術の方向が見えたのはよかった。

山下摩起 薔薇  白とピンクのバラ。壺もピンク色。全体はベージュ。龍野で山下のミニミュージアムに行けたのはよかったなあ。

田村孝之助 この人は洋画よりもペン画の挿絵が大好き。特に里見弴が志賀と自分とのもやもやした関係を描いた話の時の挿絵、ほんと、いい。

黄衣婦人像 1936  セーターが黄色でスカートはグレー。なかなかシック。
湯殿 1947  湯上り美人が立ちながら首を拭く様子。
窓辺の風景 1957  カーニュらしき南欧の景色。ヤシらしきものが並ぶ。
カーニュの丘 1963 丘に広がる街並みと手前の木々と。
青い敷物の裸婦 1979  ピンクの肌の裸婦が体をねじて寝る。脇卓には桃が三つ。

神戸市立博物館の中核には池長孟コレクションがある。
南蛮文化を集めた私立美術館も開いていた。戦時中の数年間ではあるが。
今では神戸文書館として熊内町の素敵な近代建築としても愛されている。
以前見学した時の様子はこちら

池長孟は神戸有数のコレクターで肖像画もある。
なお彼が淀川長治のお姉さんと同居生活をしていたのは紅塵荘。
長らく愛されていたが後身の病院がとうとう新築してしまい、建物はもうなくなってしまった。
紅塵荘の想い出はこちら

その池長孟と交流のあった詩人や画家たちの揮毫帖がある。
小磯、川西英、竹中郁、石井柏亭…
こういうのを見るのはとても楽しい。

イメージ (1042)

3.神戸スタイル
「おしゃれな神戸」を描いた作品が集まる。
ところで画廊という言葉は大阪朝日新聞の記者がギャラリーをもじって命名したそうで、神戸画廊というのがその最初の名称だそう。
そしてその神戸画廊は機関誌「ユーモラス・コーベ」を長く刊行したが、そこのコラムが紹介されていて、なかなか楽しい。大阪の国展での話や神戸で飲んだくれたことなどなど。
早くから外へ向けて町が開いていた神戸は多くの洋画家を輩出した。

甲南大学の方がそれについてたいへん興味深い論文を挙げられている。
一般公開されているのでご一読をされるのをお勧めしたい。
pdf。こちら。
「阪神間の女性芸術家たち、今昔 -」


Y.コジマ 神戸港眺望 1938  不明の画家。大きな船がある。働く人の姿もあり、実景だという感覚がある。
この絵を見ていて手塚治虫晩年の大作「アドルフに告ぐ」を思いだした。
主人公の一人アドルフ・カウフマンは神戸港から父の国ドイツへ送られるのだ。親友のユダヤ人アドルフ・カミルと別れ、母と別れて。丁度この年くらいの話である。

作品では神戸が大きな舞台の一つとなった。
手塚は当時の神戸の写真資料などを丁寧に作品に組み込み、時には巧い構成もした。
これについては去年の神戸ゆかりの美術館での手塚治虫展の感想にやや詳しく書いた。
こちら

神原浩 神戸岩井商会 エッチング あ、日商岩井か。斜め角から。かっこいいなー
神原は関西学院大(ヴォーリズ)のいいのもあったなあ。

川西英 神戸背山 1953  ああ、あのマーク入ってる山て背山ていうのか。錨と神戸市市章の。案外知らんもんです、名前も。

別車博資 旧栄町風景 1932  角のところ。丁度市電が来た。

別車博資 須磨彩雲 1960-63  渚辺り、ああきれいな。

小磯良平 池長美術館長像 1944  池長孟の肖像。小林一三もだが、小磯に肖像画を描いてもらえる人は羨ましい。

異人館を描く画家・小松益喜の登場。
絵そのものもいいが、失われた近代建築を外観だけとはいえこの人が残してくれたのは、本当に感謝しかない。
1983年の作品が数点並ぶが、本当にこの人のおかげで「こんなのがあったのか」とか「ここはこうだったか」と知ることばかり。

桝井一夫 夏の舞子風景 1965  おお、移情閣もある。
イメージ (1043)
いい眺めだなあ。
近年はちょっと位置も変わった。なにより明石大橋がここにはない。
数年前、移情閣の見学と撮影をした。
その様子はこちら
移情閣、また行きたいな。久しぶりに舞子ホテルでご飯も食べたい。

須磨・舞子あたりの風光明媚さはまだ21世紀の今もかなりいきている。
初夏から夏が特にいい。

神戸市立博物館の他のコレクションは出開帳を続けている。


こちらにも行こう。

7/8まで。

小磯良平作品選  静物画も婦人像もなにもかもが心をなだらかにしてくれる。
今回は三本並ぶサヨリを描いたものがよかった。

江戸の悪 2

悪展の一つ、太田記念美術館の「江戸の悪」展を見た。
今回は「江戸の悪 2」である。
1の感想はこちら。
江戸の悪

ではそろそろ悪党・悪人・悪逆無頼な連中のツラを拝みにゆこう。
イメージ (1103)

芳艶 御曹司牛若丸橘次兄弟にともなハれて密に奥州下向の刻濃州青墓の宿に於て強賊張範を討 安政6年(1859)5月 大判3枚続  ここにも「壬生の小猿」がいるが、かれは謡曲「熊坂」に出る盗賊の一人。熊坂の一味として金売り吉次一行を襲撃し、中にいた少年・遮那王に返り討ちに会う。青墓といえばこの熊坂が出た後、室町頃に「万屋」が出来、そこへ餓鬼阿弥となった小栗判官の土車が置かれて…と中世の物語に現れる宿場町。

国貞(三代豊国) 『浜真砂長久御摂』 嘉永4年(1851)3月 大判竪2枚  おお、五右衛門の意気揚々とした姿の下で思いめぐらし中の久吉(秀吉)。

国貞(三代豊国) 四代目市川小団次の石川五右衛門 嘉永4年(1851)正月 大判  葛籠担いでの宙乗りだ。これは三世延若が演じたのを国立劇場のアーカイブで見た。

国貞(三代豊国) 『三人吉三廓初買』 安政7年(1860)正月 大判3枚続  現行のタイトルは「巴白浪」になっている。これは初演時この芝居がたいして評判にならなかったので、その吉原での流れを省略して盗人たちの義理と因果とを明確にしたのが大ヒットした、だから「巴白浪」に改題したそう。
ところで「廓初買」の意味をストレートに受け取っていたが、郡司正勝だったか、そのことを「なかなか怖い意味」と書いてあるのを読み、そのものいいの意味自体に惑わされている。
絵は大詰、櫓のところ。「お嬢吉三」が櫓に上り木戸を開けさせるために鐘を打ちまくり、しかしもう土壇場になり、三人揃ってこの場に追い詰められたところ。雪はしんしんと降り続く。
黙阿弥の芝居の中でも一番好き。今も相当人気がある。
関係ないが、大友克洋「童夢」冒頭で最初の犠牲者の一人・小学生男児がおもちゃを拾うとき「こいつは春から縁起がいい」と「三人吉三」の台詞をつぶやいている。
1980年代初頭、確かに黙阿弥の名セリフはまだ人々の中に元ネタを知らずとも活きていた。

国貞(三代豊国) 豊国漫画図絵 おぼう吉三 万延元年(1860)11月 大判  わら束らしきものを担ぐお坊。

歌川国明 『青砥稿花紅彩画』 文久2年(1862)2月 大判3枚続  役者たちの五人男。弁天小僧は青の目立つ刺青と雲柄の着物とが印象的。関三十郎の日本駄右衛門がかっこいい。賊徒の首領だからな。五人それぞれ手ぬぐいをポイントに使う、アイドルグループぽい様子。

月岡芳年 弁天小僧菊之介 市村羽左衛門 文久2年(1862)3月 大判  大詰。屋根の上での弁天小僧の最期。立ったままの腹切り。血まみれ。無謀な若さが血に汚れることなくきらめく。

芳年 英名二十八衆句 因果小僧六之助 慶応2年(1866)12月 大判  月下に刀をぬぐう六之助の凄み。かっこいいなあ。
「因果小僧」は大岡政談では、盗賊・雲霧五人男(雲霧仁左衛門・因果小僧六之助・素走り熊五郎・木鼠吉五郎・おさらば伝次)の一員だという。
わたしは95年に坂東八十助の因果小僧の芝居を見ている。黙阿弥の芝居。

国貞(三代豊国) 豊国漫画図絵 鬼薊清吉 安政6年(1859)10月 大判  坊さんだったのが転落して、今や青に赤いアザミの刺青を見せるやくざ者になった清吉。

豊原国周 梅幸百種之内 野州無宿冨蔵 明治26年(1893) 大判  この「梅幸百種」は20年位前に池田文庫で見たなあ。当時はいつから展示替えとか不明だったので連絡待ったけど、連絡来なかったのも懐かしい思い出ですわ。
この富蔵は江戸城のお蔵を破った奴。前進座の「四千両」の芝居を見たわ。

国周 江戸市村贔屓達入 元治元年(1864)2月 大判2枚続  家橘時代の菊五郎が5役したのを一堂に。

芳年 英名二十八衆句 白井権八 慶応3年(1867)4月 大判  やはりこのシリーズがいちばんエグミがあって好きだわ。

国貞(三代豊国) 梨園侠客伝 花川戸すけ六 文久3年(1863)8月 大判  8世團十郎。彼の上に花びらが散る。いかにも助六らしさがあっていいなあ。

梨園侠客伝 朝比奈藤兵衛 文久3年(1863)6月 大判  雀柄の着物!!

落合芳幾 英名二十八衆句 国澤周治 慶応3年(1867)5月 大判  「国定忠治」の変名ね。
浮世絵らしいカッコよさがある。髭の剃り跡の青々とかドクロ柄の着物とか。
近年ではもう大分すたれた人になった忠治だけど、トーキーの頃もまだまだ大人気で、「忠治旅日記」なんていい映画もあった。昭和半ばでも旅芝居には必ず「赤城の山も今宵限りか」が出たし。江戸幕府に背いてたのでこのように名を変えたが、大衆が彼を人気者にしたのもそこに理由がある。
明大ラグビー部の名将・北島忠治監督は学生に「国定君」というのがいたとき、「二人合わせて国定忠治」と機嫌よく冗談を言っていた。(byラグビーマガジン)
それでキタチュウさんは浪曲の広沢虎造と仲良しで、学生へのご褒美に虎造を招いて浪曲会を開いたところ、当時人気絶頂の虎造が来たので、近所中も押しかけて大変な騒ぎになったそうだ。
その虎造、清水次郎長一家が得意演目だが、国定忠治も巧かった。
国定忠治のことになると、いくつか思い出す話の一つ。

国貞(三代豊国) 近世水滸伝 清瀧の佐七 市村羽左衛門 文久2年(1862)7月 大判  笹川の繁蔵のところの強い奴。呼び名に合わせて鯉の滝上りらしき絵柄の着物、そしてクドイ刺青。
このひとは細身だからこういう鯔背なのが似合うが、倅の六代目は全然タイプが違うので、幕末の極道の役はしない。長谷川伸が書いたのは自身で作り上げたが、逆に父親の方は長谷川伸の芝居には合わなそう。ニンの違いというのは面白い。

近世水滸伝 炎玉小僧鬼桂助 坂東亀蔵 文久2年(1862)9月 大判  鬼薊柄の刺青を見せている。

写楽 三代目坂田半五郎の藤川水右衛門 寛政6年(1794)5月 大判  ああ、これもそう「悪」を為す輩だった。「花菖蒲文禄曽我」に出てくる。腕をめくる大首絵のあれ。襟が黒でなかなかかっこいい。

国芳 小倉擬百人一首 相模 おきく 京極内匠 弘化3年(1843)頃 大判  「英彦山権現」の芝居の1シーン。お園お菊姉妹は父の敵の京極内匠を追っているが、一足先に敵に巡り合ったお菊は、内匠の横恋慕が満たされぬ逆恨みによりなぶり殺しに遭う。その返り討たれる様子。
返り討ちはやはり凄惨さが必要だが、国芳はその点ノーマルなので陰惨さに欠ける。男同士の殺し合いはかっこいいんだがなあ。

国貞(三代豊国) 小倉擬百人一首 藤原道信朝臣 およね 太平次 弘化3年(1846)頃 大判  立場の太平次と女房およね。蚊やりの煙が漂う中での殺し場。

イメージ (1104)

歌川豊国 大坂 中之芝居 新顔見世 平清盛 中村歌右エ門 文化9年(1812)11月 大判   扇の日招きを描く。傲慢と言うより増上慢である、という認識での清盛の行い。それを恐れ、そしるためにもこうした稗史が絵になる。

国周 『魁花岩尾伊達染』 慶応2年(1866)4月 大判竪2枚続  頼兼と高尾。高尾は三世田之助。嗜虐と被虐の美。
アンコウの吊るし切りという無残な殺し方をするので、縦二枚と言うのがそれを予想させるわけですかね。

国芳 『新板越白浪』 嘉永4年(1851)9月 大判2枚続   面白い配役だ。坂東しうかが演ずるのだが、「実は児雷也」というやつ。

芳幾 英名二十八衆句 鬼神於松 慶応3年(1867)6月 大判   かっこいいわ、お松。これは死んだ宗十郎しかやる人もいなかったが、面白いからやってほしいなあ。

国周 善悪三拾六美人 妲己のお百 明治9年(1876)3月 大判  講談から。徳蔵殺しの場。明治の毒婦になるのか。
国周は明治の毒婦シリーズを手掛けている。
「異種薔薇犯妻会 当ル卯の夏」  明治12年(1879)7月 菊五郎 高橋お伝、 高助 原田お絹、 宗十郎 雲霧お辰、 半四郎 写真お若…自転車お玉はないかな。

国貞(三代豊国) 豊国揮毫奇術競 若菜姫 文久3年(1863)12月  このシリーズ大好き。ここでは「しらぬい譚」の若菜姫が巻物を開いている。
近年芝居を見たが、もっと原作にそってくれたらよかったのに。男装の若菜姫と女装の秋作の絡みとか色々…

二代歌川国貞 八犬伝犬之草紙廼内 尼妙椿 嘉永5年(1852)12月 大判  でた。大好きな一枚。
タヌキの化けた妙椿。なかなかえろけもあって好きよ。
mir908-1.jpg

歌川貞秀 『万歳阿国歌舞伎』 文政10年(1827)3月 大判2枚続 7世團十郎の絹川が鎌を振り上げて累を殺そうとする。まだこの累は美人。

国貞(三代豊国) 『怪談木幡小平次』 嘉永6年(1853)7月 大判3枚続  この小平次、やたらと前歯が長いな…

国周の清玄はいるが、桜姫は後期の展示。
女清玄は出ている。
国貞 『隅田川花御所染』 天保3年(1832)3月 大判3枚続   女の妄執と男の冷酷さ。

国貞 『義経千本桜』(椎の木) 文政12年(1829)3月 大判2枚続   権太がせがれをおんぶしつつ俯く。思案はもう…
小悪党で愚かで善人でバカで…可哀想な権太。

国周 明治座新狂言 摂州布引瀧之場 明治29年(1896)10月 大判3枚続  青ざめた九代目さん。なかなか怖いのだけど、ホラーでないし・・・

面白い展覧会だった。
後期もなるべく早めに見たいね。


「悪人か、ヒーローか」@東洋文庫 「悪 まつろわぬ者たち」@國學院

「悪展」の一つ、東洋文庫ミュージアムで「悪人か、ヒーローか」展を見た。
展覧会の宗旨は以下の通り。
「誰が悪人といったのか。だれが英雄といったのか。
歴史資料や創作物を見ていくと、当時の社会規範や支配体制の枠組みにおいて「悪」とされた人々が、一転してヒーローやヒロインとして魅力的に描かれている例が多々あります。一方、歴史上で大きなことを成し遂げた人物が、後世への教訓のために悪い例として語り継がれていることも少なくありません。本展では、多様な立場、視点によって「悪人」あるいは「ヒーロー」とされた古今東西さまざまな人物に関する記録を集め、彼らの虚像と実像に迫ります。」


イメージ (1063)
表紙には「腕の喜三郎」。

見方一つで価値はひっくり返るのだ。

イメージ (1064)

「悪人」の証言をする同時代人らしき無名の人を解説に使う。
なかなか暗い顔のキャラである。

始皇帝   「キングダム」のマンガで良いように描かれているからか、理想の上司に挙げられているのを見て、声もなく笑ってしまった。こんな人が上司なら、過労死するよ。
「焚書坑儒」を描いた絵が出ていた。実際それをしたというだけでも「悪人」だとしか思えないのだが、
ただ、彼の死を利用した宦官の趙高、これはもう完全に悪人。救う余地もない。
「平家物語」冒頭の中にもその名が現る「秦の趙高」。とはいえ彼よりも始皇帝を挙げる方が圧倒的に多い。
まあビッグな彼がいないと趙高も出んわな。

殷の紂王  妲己に溺れた古代の皇帝である。
絵は酒池肉林。女に溺れて妲己の嗜虐性を満足させるために次々と無辜の人を死刑にしてしていった。



因みに妲己の後身が玉藻の前。その玉藻の前もここにいる。


わたなべまさこ「白狐あやかしの伝説」がいちばんおもしろかった。

石川五右衛門の釜ゆで


大盗石川五右衛門は四条河原で釜ゆでの処刑。残酷だよな、秀吉。
元は仲間だったという設定は城山三郎「黄金の日日」。ルソン助左衛門(当時の市川染五郎、現・松本白鸚)、羽柴秀吉(緒形拳)、石川五右衛門(根津甚八)、杉谷善住坊(川谷拓三)らの若い頃の仲間振りからどんどん離れていき、ついには無残な最期へ向かう経緯は見ていてつらかった。
あとは村山知義「忍びの者」の五右衛門のイメージが強い。

平清盛  今でこそ別にそこまで…だが、昭和の半ばまでは清盛の存在の大きさと言うものはほぼ全国民に行きわたっていた。
だから義経への判官贔屓も生きてたわけだし。
しかし巷説・稗史にあるような権力者故の巨悪ぶりはまああったろうけど、それよりも功績の大きさもまた忘れてはいけない。
だから「悪人か、ヒーローか」というタイトルに一番ふさわしいのは多分この人だ。

正史ではなく稗史・巷談・講談・読み本・浮世絵などの資料がたくさんあり、そこから浮かび上がってくる「悪人か、ヒーローか」の人々の姿、それがとても面白かった。

こちらは主旨は違うがどことなく共通するものを感じさせる。


猿だけが一方的な悪と言う形を見せてはいるがね…

東南アジアの王様も「悪人かヒーローか」という意味ではここに入る。
クメール・ルージュからすれはこれを作った人々も悪になったのだよなあ…



最後に一つこちらも。


好太王は「悪人かヒーローか」ということもなく、英雄なのだが、挙げた「天の血脈」に「悪人かヒーローか」というような連中がごまんと出てくる。内田良平、張作霖、大杉栄などなど。

時代を見通す目を持ったとしても、一言で「悪人かヒーローか」選ぶのは難しく、どうしても私情が入り込む。
そんなことを想いながらこの展覧会を楽しんだ。
9/5まで。
それを見なした

一方、國學院大學博物館では同じ「悪展」の仲間「悪 まさろわぬ者たち」展が開催中。
ここでは前述したように一言で「悪人かヒーローか」選ぶのは難しい人々が取り上げられている。
中央政権に対しまつろわぬ人々を一概に「悪」と見做すのは良くないが、時代により為政者たちが「悪」をまつろわぬ者たち」を作り出されるのを目の当たりにすることとなる。
イメージ (1099)

「悪」の文字の誕生、意味の成立、そしてそれを成したと見做された人々の紹介。
楠公、新田、尊氏らへの視線の変遷についても詳しい。

イメージ (1100)

そして併設展では山本東次郎家からの面の展示などもある。
イメージ (1101)
「武悪」の紹介がある。
このチラシの左上のコワモテが彼である。
悪辣ではあるが悪い人物でもない。
しかし主人からは憎まれる。
そのことを思うとかれもまた都合により左右されてしまう「悪」のひとりなのだと気づく。

イメージ (1102)

こういう展覧会を他にも見てみたいものだ。

「ヌード NUDE」展、ただただ鑑賞する

2003年には神戸で「ヴィクトリアン・ヌード」展を見たが、それ以来のテートのヌードがきたわけだ。
ただし、前回の世紀末ヌードとは違い、現代までのヌード作品を展示している。
展覧会の概要を記した一文にこんな一節がある。
「現代における身体の解釈をとおして、ヌードをめぐる表現がいかに時代とともに変化し、また芸術表現としてどのような意味をもちうるのか」
ただ単に楽しく鑑賞する展示ではないことを、最初から踏まえておかねばならなかった。
イメージ (1082)


1 物語とヌード | THE HISTORICAL NUDE 1
とはいえ、やはりこの章にある作品は楽しく鑑賞または干渉(妄想)してもいいようだ。

ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナー 風景の中で頭と腕を上げ、跪く男性ヌード 1794–95年頃  なかなかよろしいではないですか。素敵だ。
…と思ってから、改めて「え、ターナー先生の作品???」とアタマのなかをメールヌードとターナー描く海上の嵐が駆け抜けていった。

ウィリアム・エッティ 寝床に就く妻を下臣ギュゲスに密かに見せるリディア王、カンダウレス 1830年発表  ちょっと調べたらこんな話だった。
古代の王様が自分の年下の友人でもある部下に美人の奥さん自慢をしたくてのぞかせたそうな。奥さん、激怒。後にその部下に「自殺するか王を殺してわたしと共に在るか」と二択を迫り、部下は後者を選択。
「さあ」というキモチで王妃がベッドへ入ろうとしたら、こっそりどころかかなりはっきり姿を見せて部下が見に来てるわけです。若くてハンサムな王様、なんか嬉しそうなようでいて、意外に無表情。年下の部下の方よりずっと若く見えるな。
いけませんなあ、これは。
谷崎「鍵」をちょっと思い出した。

アルフレッド・ステヴァンス ドーチェスター・ハウスのための習作、跪き弓を曲げる少年 1860年頃  おお、力強い。かっこいいわ。

ジョン・エヴァレット・ミレイ ナイト・エラント(遍歴の騎士) 1870年  旅の最中にばったり行き会う。木に縛られた若い裸婦を救う。
アンドロメダやこの名も知らぬ娘さんもそうだが、わざわざ脱がすのは、物語の設定よりやはりまずはヌードありきなんだろうなあ。
アンドロメダの場合は生贄、この娘さんも多分そうだろうけど、別に捕食者にそこまで親切にせんでもよろしいですがな。やはり「描きたい」と観客の「見たい」があるからこうなる。
この絵を模写した下村観山の作品が常設に出ていたそうだが、今回何故か記憶にない。

ハーバート・ドレイパー イカロス哀悼 1898年  随分昔の「ヴィクトリア朝の絵画」展で見て以来。
イメージ (1085)
この絵はかなり好きなので図録でもよく見ているから、懐かしさよりも「おお、来たか」という感じがある。
とはいえ描かれた情景は悲しみに満ちている。
琥珀色の岩棚がとても印象に残っている。
翼がいっぱいに広がり、黒い青年が横たわる。周囲にいる女たちのうち竪琴を持つ女だけ顔がはっきりと見える。
太陽に焼かれ、落下したイカロス。
日本のオオナムチは焼け石の為に死んだが、女たちの乳と貝の薬で蘇生した。
イカロスは神の作為で死んだので、復活はない。

フレデリック・レイトン プシュケの水浴 1890年  この絵も同じ展覧会で見たのが最初。
優雅なプシュケの裸体。背後に描かれたイオニア柱が額縁にも。
あの展覧会でラファエル前派をはじめ英国絵画が好きになったのだった。
イメージ (1083)

アンナ・リー・メリット 締め出された愛 1890年  家の扉は固く閉ざされている。少年はクピド。画家は新婚三か月で夫を亡くしたそう。レイトンに勧められて描いたと解説にある。扉前の植物も枯れ死にしかかっているのがせつない。
ウィリアム・ストラング 誘惑 1899年  アダムとイブの楽園追放の原因。左側には蛇と何をしているのかわからない豹がいる。イブは妖しい意志を見せつつアダムにリンゴを勧めようとする。そのアダムの足元にはウサギがいる。何らかのメタファがあるのだろうが、わたしにはわからない。

ローレンス・アルマ=タデマ お気に入りの習慣 1909年  ようやく実物に会えた。
最初にこの絵を見たのは今はなき「アサヒグラフ」で紹介されていたからだった。
イメージ (1096)
オリエンタルな美。画像だけではわからなかったことが色々とわかってくる。
奥の扉の上には透かしが入り、レリーフもある。素敵な浴場。タイルが特に素晴らしい。
楽しそうな女たち。

2 親密な眼差し | THE PRIVATE NUDE
ここも鑑賞を許される。

エドガー・ドガ 就寝 1880–85年頃  裸で寝る女。中世の庶民は寝間着なしだったが、リアルタイムの女なのでモゴモゴ…

エドガー・ドガ 浴槽の女性 1883年頃  夜間開館のお客だというので、ご褒美にこの絵の絵ハガキをいただいた。とても嬉しい。
イメージ (1084)

フィリップ・ウィルソン・スティア 座る裸婦̶黒い帽子 1900年頃  ソファに座る。帽子には花。腿はなかなか発達している。顔は見えない。
佐藤忠良の彫像にもこんな女がいた。

グウェン・ジョン 裸の少女 1909–10年  作者もモデルも女性、仲が悪かったそうだ。
悪意なのかリアル志向なのか、描かれた女の胸が垂れている。

オーギュスト・ルノワール ソファに横たわる裸婦 1915年  さすがルノワールらしい暖色系と青の背景に、真珠の滑らかさを肌に載せた裸婦。
イメージ (1092)

まあ正直なところ、ほっとする裸体ですわ。
それは多分背景としての物語性がなく、純粋に絵画として鑑賞できるからだと思う。
少しでもそこに物語性があると、それだけでこちらの妄想が沸き立つ。
この裸婦は黙ってこちらを静かに見る。それがいいのかもしれない。

アンリ・マティス 横たわる裸婦 1924年  木炭で描かれた裸婦。顔が案外いいな。

ピエール・ボナール 浴室 1925年  ああ、これはちょっと衝撃をうけた。浴槽内に長々と寝そべる裸婦(妻マルト)のその様子。
下腹部から下半身、足の長さ、水から透けて見える肉体の様子。
想像もしなかった。
イメージ (1091)

浴室の裸婦 1925年  こちらはバス内だけでなく他の、マットとか別なヒトもいるのがわかる絵。

クリストファー・リチャード・ウィン・ネヴィンソン モンパルナスのアトリエ 1926年  縦長の絵。窓の向こうにモンパルナスの街並みが広がる。その大きな窓の前で裸婦が黒猫を撫でながら立っている。
確かに絵になる情景。

アンリ・マティス 布をまとう裸婦 1936年  この完成に至るまでのプロセスを想う。マティスはプロセスを大事にした人。
裸婦の豊かな胸や腹や腿の線、肉の確かさ、白い布…とてもいい。
イメージ (1081)

3 モダン・ヌード | THE MODERN NUDE
表現だけでなく、意識の違いをはっきりと感じた。

アンリ・マティス 青の裸婦習作 1899–1900年頃  若い頃なのでやはり古さがある。マティスは年を重ねるほどに新しくなる。

アレクサンダー・アルキペンコ 髪をとかす女性 1915年  モダンすぎてついていけないがかっこいいのは確かだ。

アンリ・マティス 横たわる裸婦 II 1927年  ああ、やはりモダンだ。ステキ。

アルベルト・ジャコメッティ 歩く女性 1932–33–1936年頃 (1966年鋳造)  気のせいか、女に首がないように見えるのですが。

ヘンリー・ムーア 倒れる戦士 1956–57年 (1957–60年頃鋳造) 倒れているのだろうけど、どうも違うポーズに見えて仕方ない。
イメージ (1090)

パブロ・ピカソ 首飾りをした裸婦 1968年  そういえばピカソのミノタウロスのシリーズが好きだ。
彼のこの頃の裸婦は内臓の末端まで捲れて見えそうなので、たまに困る。
イメージ (1089)

4 エロティック・ヌード | THE EROTIC NUDE
まさかのターナー先生のエロスケッチには滾りました。
イメージ (1088)

ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナー ベッドに横たわるスイス人の裸の少女とその相手 「スイス人物」スケッチブックより 1802年
  わざわざ「スイス」と言うところに色々妄想してしまった。何故だろう。バルテュス的な背徳感を感じているのだろうか。
これは事後だろうか…

ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナー エロティックな人物習作 1805年頃  描かれている数々のシーンにときめく。こっちの方がいいな。

赤い布をまとい横たわる裸婦 「パリ、セーヌとディエップ」スケッチブックより 1821年
寝室:空のベッド 1827年
カーテンのひかれたベッド、性行為中の裸の男女 「色彩研究(1)」スケッチブックより 1834–36年頃
カーテンのひかれたベッド、横たわる裸の女性を見る女性を含むふたりの人物 「色彩研究(1)」スケッチブックより 1834–36年頃
横たわる裸婦 1840年頃
…堪能する。
こういうのをもっと早くにあるのを知ってたら、ターナー先生のファンになっていたのに。

甲斐庄楠音、橋口五葉のスケッチで性交中の様子を延々と描いたものがあるが、演出なしの様子を描くものと、画家の望む体位なり行為なりを描いたものとは全く違うと思う。
石川淳が興味深いことを書いている。
浮世絵の春画について。春画は英泉がいいという話である。
理由は一言 欲情させるためのものだから ということだった。

オーギュスト・ロダン 接吻 1901–4年  ロダンの接吻像のみ撮影可能。
ぱちぱち撮った。ぐるぐる回っていろんな角度から見たり撮ったりしてある種の悲哀に近いものを感じた。
それは像に対してではなく、この像を見ながら欲望を感じない自分に対してだった。
「ああ、キスしてるな」という感想しか湧かないのだ。

しかし、次の展示で状況は変わる。
ホックニーの連作である。
当然ながら男性二人の関係を描いている。
デイヴィッド・ホックニー
古代の魔術師の処方に倣って 「C.P.カヴァフィスの14編の詩」のための挿絵より 1966年
美しく白い花 「C.P.カヴァフィスの14編の詩」のための挿絵より 1966年
彼は質について訊ねる 「C.P.カヴァフィスの14編の詩」のための挿絵より 1966年
古い本の中で 「C.P.カヴァフィスの14編の詩」のための挿絵よ
絶望して 「C.P.カヴァフィスの14編の詩」のための挿絵より 1966年
退屈な村で 「C.P.カヴァフィスの14編の詩」のための挿絵より 1966年
一夜 「C.P.カヴァフィスの14編の詩」のための挿絵より 1966年
煙草屋の飾り窓 「C.P.カヴァフィスの14編の詩」のための挿絵より 1966年
4歳のふたりの男子 「C.P.カヴァフィスの14編の詩」のための挿絵より 1966年

わたしは描かれた絵を、自分の推しカプの様子に脳内変化させてときめいていた。
フジョシの妄想力の一端が発露した感じ。
とても楽しい。申し訳ないが、やめられない。
ホックニー、すまぬ。
ホックニーは学生時代から映画「彼と彼 とっても大きな水しぶき」見たりして好きなんだけど、今のわたしは日々のめりこんでる推しカプが尊すぎて、男性同士の行為を見るとすぐに<彼ら>に変換されてしまうのです、ごめんね。

生涯女の人に走り続けたピカソ先生の晩年のエッチング。
パブロ・ピカソ エッチング:1968年3月24日II (L.6)「347シリーズ」より
「156シリーズ」より 1970年
・・・「最後まで元気」だと聞いていたけれど、作品を見るうち、どうも「・・・先生、枯れてない?」とチラリと思ったり。
この章のタイトルは「エロティック・ヌード」だからそういう作品をチョイスしてるわけだが、どうもなんというか、哀愁を感じたなあ。
肉を寄せてむにっとしてるのはいいが、もうなんというか出来そうにないような・・・
「三つのうち 目も歯もよくて哀れなり」の自嘲とも違うけど・・・
ジェーン・バーキンとセルジュ・ゲンズブール「ジュ・テーム」でゲンズブールが「俺はもうだめだ」とつぶやくのへ「がんばれゲンズブール!!」と思わず声援してしまう、あれに近いかな・・・
ごめんね。

展示作品の内比較的近年のがこちら。
ルイーズ・ブルジョワ 自然の法則 2002  うーん、なんというか、絵としては面白いけれど、出来るのかな、これ。少女と少年のお遊戯に似ている。
シリーズ全編にそんなことを思う。

5 レアリスムとシュルレアリスム | REAL AND SURREAL BODIES
この辺りに来るとヌードの意味と言うことを色々考えてしまう。

ジョルジョ・デ・キリコ 詩人のためらい 1913年   キリコ、このタイトルと絵との関係性ってけっこうあれだな・・・
トルソとバナナの山。そうか、そう(なの)か。

マン・レイはやはりかっこよかった。
無題(ソラリゼーション) 1931年頃  いいよなあ。
メレット・オッペンハイム(ソラリゼーション) 1933年  写真芸術の魅力と言うものをひしひしと感じる。
うお座(女性と彼女の魚) 1938年  しかしこれはあれかサバか?

ハンス・ベルメール 人形 1935年  ああ、ついに現物を目の当たりにした。
写真と現物が並ぶ。緊縛され分割された球形の肉体。モデルやってた奥さんは自殺したというていたな。
わたしはこの球体人形を見ると韓国のある小説を思い出すのです。しかしタイトルは失念してしまった・・・

ポール・デルヴォー 眠るヴィーナス 1944年  デルヴォーいいな、やはりいい。爆撃中にこれか。画家の魂は現実から遠くへ向かう。この静謐。朝は永遠に来ない。
イメージ (1087)

バルテュス(バルタザール・クロソウスキー・ド・ローラ) 長椅子の上の裸婦 1950年   少女が白のニーハイに赤い靴履くというだけでもときめく人もいるわけで。

6 肉体を捉える筆触 | PAINT AS FLESH
ベーコン、ウィレム・デ・クーニングと言った人々の絵があるがあまりわたしにはわからない。

ルシアン・フロイド 布切れの側に佇む 1988–89年  若くない女の身体。これを見てまた色々と考えるが、それを言葉にはしたくない。
イメージ (1086)

あ、さっきの人か。なんだろう、やはりニガテだ。絵がではなく、テーマが。描かれたヒトの生涯を追うのがなんだかつらいからだ。
ルイーズ・ブルジョワ カップル 2007年

7 身体の政治性 | BODY POLITICS
わたしにはここでの本来の意図を読む力はない。

バークレー・L・ヘンドリックス ファミリー・ジュールス:NNN (No Naked Niggahs[裸の黒人は存在しない]) 1974年  黒光りする綺麗なメールヌード。
イメージ (1093)
この制作年からも本当は色々と言うべき言葉があるはずだろうけど、わたしは単純に「ああ、いい身体、素敵」というばかり。
そして「タイルいいな」。
ここまでしか書かない。

ロバート・メイプルソープ リサ・ライオン 1981年   三点のリサ・ライオン。そういえばメイプルソープの展覧会を見たのは大丸梅田でだった。そのすぐ後にラガーフェルトの展覧会も続いたから20年前の大丸梅田はけっこうかっこよかったのだな。

色々考えるべきなんだろう。
しかしそれをあえて排除しながら自分の狭い知見ともいえないものにも蓋をして、ただただ好きな情景だけを好きなように見てきた。
常々わたしの感想は「感想」に過ぎず、レポでもなく、なんの参考にもならないということは知れていたが、こうした意図の下での展示に対しては本当に挙げる言葉がない。
議論も嫌いだからただただ好き勝手なことを書いてゆくばかりだ。


8 儚き身体 | THE VULNERABLE BODY
こちらもわたしは好きなものしか見なかった。

シンディ・シャーマン 無題#97 1982年   本人の肉体か。なんだろう、このまなざしは。
イメージ (1094)

個人的な趣味嗜好だだもれになってしまったが、そういう楽しみ方をさせてもらったことに反省と感謝の念をこめて、この世界巡回展にお礼を。
6/24まで。

逸翁美術館「役者で魅せる芝居入門」前期をみた

先日、朝方に大きい地震にやられてびっくりした。
したが、それでなんもなしというのも気分が沈むばかりなので、ちょっとばかり書こう。
逸翁美術館「役者で魅せる芝居入門」の前期最終日に行った。
うっかりしてたらまさかの最終日で、とにかくカチコミ…やなくて駆け込み。駆け込みといえば太宰治「駆け込み訴え」最高。
まあとにかく、池田文庫と松竹の協力で見事な展示があった。

イメージ (1077)

・歌舞伎のいろは
歌舞伎図屏風 江戸初期  近世風俗画の方。絵は屏風に貼付。上下に刺繍で亀甲文の中に紋所の文様が並ぶ。
六曲一隻の5、6に舞台が描かれる。1扇目には見に行こうとする人の駕籠が続く。
中に一つ窓が丸くくりぬかれているのがある。絵としての演出で実際は違うのかもしれないが。
その中の貴女がなかなか美人。そしておつきらしき少女も可愛い。陸尺の中には奴ひげもいる。
木戸前ではそんな駕籠同士でケンカ。騒ぎに巻き込まれないように慌てて中へ逃げ込む人々も少なくない。
鷹羽のぶっ違え文の一座。木戸前の茶店では女が一人店を預かる。茶筅がみえた。
松も生い茂る。舞台では女歌舞伎が華やかに公演中。
男装の女がいる。「阿国歌舞伎」とは記されてはいないが、彼女以来現れた一座か。
下座は鼓のみ。三味線はなし。時代が本当に限定されてくる。

踊形容新開入之図・踊形容楽屋之図 三世豊国 1856  読み方が「おどりけいよう・にかいいりの図とがくやの図」で二階三階の様子を描く。
役者たちの多忙な様子、まだ少年姿の初々しい13世羽左衛門(5世菊五郎)がいたり、4世小団次もいる。
おやまさかの3世嵐璃寛もいる。河原崎権十郎と話すのは3世粂三郎(8世半四郎)、三階は当時鶴蔵の3世仲蔵が車鬢をつけているところ。後の7世海老蔵、4世芝翫もそれぞれ稽古したり、ワイワイガヤガヤと活気ある様子。

中村座三階稽古惣さらいの図 国貞 1833  三本立てろうそくの小卓をいくつか置いて灯りにしている。杜若と立ち話する鼻高幸四郎の横顔、暇そうなのは嵐冠十郎。

市川團十郎部屋にて支度の図 国貞 1826  見立てもので「暫」の支度をする團十郎を手伝う男衆が、丁度いま腰を締めてるところ。そこへ来た粂三郎と、既にいて火鉢に持たれる菊之丞。畳には「美艶仙女香」の袋が。
お客の見たい図を絵にし、更に宣伝もきっちり入れるところに職業絵師・国貞の良さがある。

月雪花名歌姿画 芳幾 1865  守田座で四世芝翫が演じた変化もののお役三つを一堂に描く。蘭平・傾城・見突(桜を担ぐ)。更に上手に清本連中・下手に常磐津連中を置く配置。
幕末頃は芳幾もこうして芝居絵を描いていた。

千歳座新狂言替利絵 四世国政 1885  仕掛けもので、幕のところに何枚も絵が重ねてあり、それをいちいちめくると舞台絵になるという。こういうの楽しくて好きだ。

江戸巷市街建前新工夫梁組之図 三世豊国 1855.12  市村座の新築の際の梁の組み方が長谷川勘兵衛新案の亀甲梁で、役者たちが感心しきりという図。そしてその亀甲梁の絵も絵の左上に別にしっかりと描いている。見てなるほどと思ったり。
大道具の大親方・長谷川勘兵衛にはやっぱり建築家の素養もあるんやなあ。
そりゃ仮設とはいえきちんと屋台組まないと事故起きたらあかんからなあ。

秋花先代名松本 よし国 1821.7 中の芝居 これで「はぎはせんだいなはまつもと」と読んで、五世幸四郎を江戸から迎えた三世歌右衛門とのがっぷりなわけだ。
三世歌右衛門が荒獅子男之助で、ねずみをしばこうとするところと、花道のすっぽんからドロドロと出現する五世幸四郎の仁木弾正。鼻高幸四郎の横顔というのも実にいいな。

積恋雪関扉 国芳 1832.11 市村座  左から12世羽左衛門の頼信、四世三津五郎の黒主、三世菊五郎の小町桜の精。花道で大鉞担ぐ黒主。観客はどうやら団体さんなのか、それぞれ「なんとか連」とかそんな字のついた手ぬぐいを頭にかぶったりまいたりで、役者の応援をしているらしい。こういうの見たら今のアイドルコンサートとあんまり変わらない。

・制作部
これがよかった。資料展示なんだが、面白くて仕方ない。
夏祭浪花鑑 台本  図書館用に合冊にしたもの。開いているページをみると「長町裏の段」だった。そう、義平次が団七を挑発するところ。「人殺し、親殺しじゃ」と騒ぐ。とうとう団七が殺しにかかるシーン。

書き抜きもでていた。歌舞伎役者特有のもの。ここにあるのは「敵討岩見譚」

チョボ床本 義経千本桜 道行初音旅 歌舞伎になった義太夫狂言。

長谷川勘兵衛の道具帳がある。
廿四孝 大きな灯籠、橋、室内もある。例の仏間である。
ほかに長谷川勘兵衛の考案した数々の仕掛けの種明かし本もある。刀のΩなのとか色々。

戯場楽屋図会 1800  三味線ひく女たちもいる。女形もいて、宴会中。

歌舞伎や浮世絵に詳しい漫画家・一ノ関圭の絵本作品に歌舞伎小屋を描いた作品がある。
あれを思い出し、江戸博にある中村座の実物大模型を更に思い浮かべると、実感が湧いてくる。

・宣伝部
顔見世番付、紋番付、絵尽くし、辻番付といった宣伝ものなどがある。
辻番付は夏祭の全段のシーンが双六のように配置されたものがでていた。
ネタバレというてもいいが、1シーンだけのコマなので、よけいにそそられる。

・役者の生涯
いきなり写真パネル。先日三代で襲名した高麗屋の皆さん。
めでたい。それぞれのいい写真が出ている。

昔の襲名のもある。
戦後しばらくの13世片岡仁左衛門の襲名時の絵看板も立派だ。上方役者らしく近松の芝居をし、半年後には東京でも行ったが、こちらは鳥居派の絵看板。

当代の仁左衛門が孝夫から襲名した時、上村松篁さんの描いた絵を基にした手ぬぐいか扇子かが配られていた。

寺子屋 国貞 1823.5 中村座  鼻高幸四郎の松王、三世三津五郎の源蔵、三世粂三郎の女房戸波。さぞやええ眺めであったろうなあ。
13年後の「車引」図もある。鼻高幸四郎のいい横顔。

明治の勧進帳もある。天覧歌舞伎から12年後の歌舞伎座での上演。配役は前回とほぼ同じらしい。あの天覧歌舞伎があったればこそ、地位向上が叶ったのだ。

幡随長兵衛精進俎板 国貞 1818.3 中村座  腕組の長兵衛は幸四郎、ドクロの眼窩から薄が生える柄の着物着た寺西閑心の七世團十郎、その前で長兵衛の子が俎板で何やら見得を。妙に可愛い。

・豆役者
すし屋 三世豊国 1856.7 市村座  四世小団次のいがみの権太が子の善太をおんぶ。可哀想にこの父子らは義理のために…情愛を見せるからよけいに哀れなんだよな。しかもその権太の「献身」も無駄に終わるわけだし。

1940年の抜き書きがある。四世嵐鯉升のための。映画界で北上弥太郎と名乗り、復帰後は嵐吉三郎。調べると武智鐵二のところにもいたのか。
北上弥太郎はうちの母にいわせると、映画よりTVの単発時代劇でよく売れていたとのこと。なかなかかっこよかったそうな。

ここにある書き抜きは子役時代のもの。
「あつい はあい あつい あっつー」
浜松屋の小僧役。

写真集 廓文章 新町吉田屋 1914.11歌舞伎座  びっくりした、五世歌右衛門が立ってる!!この頃はまだ立てていたのか。
「大成駒屋」の夕霧と「大松島屋」の11世仁左衛門の伊左衛門とは、これはまた凄い顔合わせやなあ。

口上 芳雪 1863.2 角の芝居  上方役者が集合。松島屋一門に浜松屋の嵐璃寛も。
とはいえこれ、巡礼姿の子らと亡霊らが。

・歌舞伎好き
座付引合之図 芦ゆき 1826.12 二世関三十郎  「花王」印の揃いものを身につけるひいきの人々。花の字の上に王の字を重ねる。そしてその人たちが関三(と称された)に進物を贈る。

歌舞伎は名調子の台詞が多い。それを好きな役者の声色をまねて再現するのもファンの楽しみ。
勧進帳の富樫と弁慶のやりとりのシーンの台詞が書かれた本があった。ルビが振ってある。

ブロマイドは弁慶の飛び六法、勧進帳と鎌倉三代記のもの。

イメージ (1078)

長谷川勘兵衛の仕事の紹介パネルがあった。とても面白く興味深い内容。本雨、差し金、早変わりなどなど。
工夫は無限にある。

・芝居の魅力
寿式三 春芝 1831.11 中の芝居  二世尾上多見蔵  舞う。めでたいものはまず三番叟で言祝ぐ。
ところでこのヒトの話で笑いすぎて苦しくなった話がある。
息子の二代目尾上和市に関することだ。
誰の芸談にあったか忘れたが、和市はどうも名人の息子と言う立場にありながらも色々とややこしいひとで、妙なことを言いだすひとだったそうだ。
松王丸を演ずる心得などを人に訊かれて語っているが、その内容は素晴らしく、皆なるほどとと思う。話しもそこまではいい。
だが、和市はさらに続ける。
松王が首実検する時(演出として松王はその時「病身」という触れ込みで非常に顔色が悪いという設定)すうっと半眼になるが、
「そのまま百日鬘の糸を引いて髪をパカパカ上げればお客は喜ぶぞ」
…あかんがな。わたしは笑いすぎて苦しかった。

義経千本桜 四の切 三世豊国 1848.3市村座  どういう工夫か、三味線の胴から飛び出す狐忠信。びっくりの人々。
八世市川團十郎(源義経)初世坂東しうか(しづか御前)四世市川小團次(源九郎狐)岸沢式佐(三味線)

神霊矢口渡 国芳 1850.5 河原崎座  五世市川海老蔵(わたし守頓兵衛)三世岩井粂三郎(娘おふね) 悪人の父を必死で止めようとする娘

絵看板 神霊矢口渡 芦国  櫓の太鼓を打とうとする娘と、舟でそこへくる父。
この絵看板はこれまで何度も見ているが、緊張感がある。
この絵看板はこれまで何度も見ているが、やはりかっこいい。

本朝廿四孝の特集があった。後期は夏祭浪花鑑。
「奥庭」「十種香」を描いている。狐たちの活躍もいい。

写真集 楼門五三桐 1896.3. 四世中村芝翫 (石川五右衛門)  このお役と言えば二世延若のが最高だというのを思い出すが、さすが四世芝翫だけにいい押し出し。

忠臣蔵  五段目 国芳 1851.2 市村座  左右に分かれてことが同時進行する。左奥に走る猪、そして勘平と弥五郎。
右側ではチラシのとおり、傘を開いた定九郎が与一兵衛を殺す。
三世嵐吉三郎(斧定九郎)初世中村翫右衛門(百姓与一兵衛)七世市川高麗蔵(千崎弥五郎)八世市川團十郎(早野かん平) 

七段目 国貞 1832.9 河原崎座  一力茶屋、今しもおかるが大星に呼ばれて梯子を降りるところ。
ここの台詞がけっこうえっちくさいのだが、今はあまり言わなかったか。
二世岩井粂三郎(おかる)三世尾上菊五郎(大星由良之助)

・歌舞伎であそぶ
茶室のところに立版古で巨大な奥庭。狐たちも八重垣姫も立体。部屋の複雑な構造もよく作られている。

鬘合わせも楽しかった。これは実際複製品で遊べたので色々やってみたがけっこうハマる。

今回の展示は「阪急文化アーカイブズの「浮世絵・番付」でこの記号を検索すると画像をご覧いただけます」とのことで、pdfのリストから作品を追うのも可能なのが嬉しい。
こちら

後期は6/23から。今度は早めに行きたいと思う。

色彩の画家 オットー・ネーベル展をみる

知らない画家の展覧会を見る場合、チラシはとても重要になる。
スイスで長く活躍したオットー・ネーベル展のチラシは、とてもわたしの好きな色で構成されていた。

イメージ (1067)
これは「ナポリ」と題された作品の一部。
ナポリというとあの「ナポリを見て死ね」のあのナポリか、とわたしは自分が行った時の様子を脳内再生させもする。
ベスビオ火山、暑かったこと、ガイドさんが激しく日本語上手だったこと、ポンペイ遺跡の轍、ナポリの街の洗濯物干し事情などなど。
しかしこれはあくまでもわたしの見たナポリでありネーベルの記憶と記録とは違う。
この作品は「イタリアのカラーアトラス(色彩地図帳)」の一つだそうで、イタリアへ来てネーベルの芸術がもう一歩進化したことの証拠のようなものだった。

ネーベルは1892年にベルリンに生まれ1933年にベルンに移住し、1973年に亡くなった。
日本でいえば白樺派の連中や折口信夫らと同世代である。
同じドイツ人と言えばケストナーが1899年生まれか。
この世代のドイツ人はナチスを「望み」「迎合」するか、「反発」するかという選択を迫られた。
ケストナーはナチスを批判しつつドイツ国内にとどまったが、バウハウスの関係者をはじめとした芸術家はスイスに避難することでナチスから逃れた。

ナチスの台頭する直前のドイツ経済は第一次大戦での敗戦の痛手が長く尾を引き、どうしようもない状況にあった。
バウハウスのヘルベルト・バイヤーがデザインしたマルク札の見本がある。
デザイン自体はいい。☆もついていてシンプルでカッコいいが、まず紙質が悪く、偽札も作れやすそうである。
そして何より物凄いインフレである。
1923年当時、200万マルク、1億マルクといった札が流通していたのだ。
なるほど、これはもうだめだ…
とはいえ、芸術活動に関しては、1920年代のドイツは目覚ましかった。

バウハウスの仕事が紹介されている。
家具類、実験住宅の紹介などなど、シンプルで装飾を排除し、1920年代のモダンさを体現したものばかりだった。

ネーベルはバウハウスには属さなかったが、バウハウスの人々との交流はあったそうだ。
特にバウル・クレーのことはしばしば日記に記されている。
クレーはヒトを誉めない人だが、そのクレーにほめられたことを持って回った表現で記してもいる。

初期の絵画作品はシャガールの影響を受けたものが多い。
ここにシャガールの作品が並んでいるので比較してみるとよくわかる。
あら、木に逆さ磔になってる男がいる絵とかあるやん…びっくりした。

やがて1933年が来る。




そしてパウル・クレーもドイツを脱出する。
その年には「恥辱」という作品が生まれる。
ネーベルの「避難民」同様ここにも矢印が描かれる。
矢印は権力の比喩なのか、彼らを導くのではなく追い立てたり、攻撃的でありさえする。謎の丸顔の登場である。
「サラバ」のあの顔でもある。

抽象表現で出現する「建築的景観」が並ぶ。
常にカラフルな作品を生み出すネーベル。
色彩が形を構成する。
それらの作品を見るうちに、自分の内側へ向かい始めているのを感じた。
自問しても答えはない。
だが、ネーベルの描く建物や風景ーあくまでも抽象的なのだがーを見ればみるほど、どんどん深く自分の奥へ入り込んでいくのは確かだった。
その理由はわからないままに、このことは忘れないでいようと思った。

イメージ (1071)

色彩表現にネーベルは工夫を凝らした。
支持体に樹脂絵の具、白亜地、キャンバスという組み合わせのものは、まるで日本画の胡粉や雲母を使ったような質感を見せた。

大聖堂とカテドラル
ネーベルは教会を描いたが、ほかの画家のように外観を描こうとせず、対象はいつでもその内側にあった。
ゴシック様式の教会内部は高く高く天へ向かうように伸びる。
その内部の柱列とステンドグラス、袖廊への道なのか、様々な空間を描いた。
いずれもはきはきした彩色である。

この作品群がいちばん好ましかった。

イタリアへ行ったネーベルは決定的な色彩の豊かさを手に入れる。そしてそれを分析し研究した。
それがカラーアトラス(色彩地図帳)。
色彩を集合させて都市や風景を構築する。




ネーベルは架空の町も構築する。
千の眺めの町ムサルターヤ
連作のいくつかがここにある。
点描で構成された風景もあれば、ある法則によって構築された景観もある。
建築にも深い関心を持つネーベルだけに、彼の描く都市風景は興味深い趣を見せていた。
わたしはかれのこの傾向を好ましいと思った。




撮影可能な作品が現れた。
抽象的な作品群であるが、「音楽的」な作品はわたしにその素養がないために、面白くはあるが理解に届かなかった。
むしろ聴覚を視覚に置き換えたときの様子だと思ってしまった。それが正しいか否かは分からないが。
20180614_123213.jpg 20180614_123232.jpg

20180614_123248.jpg 20180614_123301.jpg

20180614_123312.jpg 20180614_123322.jpg

20180614_123332.jpg 20180614_123642.jpg

20180614_123649.jpg 20180614_123658.jpg

20180614_123728.jpg 20180614_123738.jpg

カンディンスキーの作品が現れる。
比較することで少しはわたしにも前掲の作品群が理解できるように気がしてきた。
抽象表現を確実に理解できる脳ではないので、距離が生まれるのは仕方ないことだが、少しでも近づきたいとは思っている。
とはいえ…


要するにこうした感想しか挙げられないのだ。

この後も何故かルーン文字が現れる。しかしこれがケルトのルーン文字かどうかわたしには判別できない。
ただそれらは戦後に生まれた作品だということにわたしの関心は向いている。

最後はリノカットの可愛らしい作品がいろいろ現れた。
やっぱり色彩感覚が優れているので、まず可愛い・綺麗という視覚的な楽しみがある。

ところでネーベルは俳優としても働いた。
若いうちかと思ったらそうではなく案外年を取ってからいい味を出す役者として人気があったそうだ。
なので今もご年輩には記憶が残っているという。

この展覧会はBunkamuraで始まり京都文化博物館へ来た。
スイスのベルンには彼の財団があり、世界中にネーベルの作品を知ってもらおうと活動している。
Bunkamuraでこの展覧会が始まったことは本当にスゴい。
日本では知られていない画家をこうして紹介してくれたことに感謝するばかりだ。
さすがだと改めて思う。


一方、京都文化博物館でもこの展覧会に力を入れている。
現在開催中の展覧会は以下の三展。
・抽象画のオットー・ネーベル展
・石元泰博の撮影した「桂離宮」
・祇園祭の蟷螂山

色彩豊かなネーベルを見てからモノクロの桂離宮を見ると、違和感があるかと思いきや、逆に親和力を感じた。
それは石元が桂離宮をバウハウス流のモダニズムの視点で捉えたからだった。
こうした並びは、とても有意義だと思う。
これらの展覧会が時間と空間を共有できるとは素晴らしいことだ。
京都文化博物館に感謝したい。

オットー・ネーベル展は6/24まで。

長谷川利行 七色の東京

府中市美術館の長谷川利行展に行った。
副題は「七色の東京」である。
イメージ (1062)

彼の作品は例えば東近美にある「岸田國士像」、鉄道博物館の「汽罐車庫」、それからいくつもの裸婦像、どこかの町の風景などがすぐに思い浮かぶ。
今わたしは「どこかの町」と書いたが、それらはみんな東京のどこかの町であり、繁華街もあれば寂しい場所もある。
外観だけでなくどこかのカフェの中でもある。
長谷川は行く先々を描いた。見えたものを描いた。

「七色の」とタイトルは言う。
七色とはイメージとしての多彩さを表す。
とはいえ虹も肉眼で見えるのはその半分程度だし、七味も味が被るものもあるし、キューティーハニーの変身も七つのうちよく変わるのはその半分もない。遊行七恵だって七つも恵まれてるわけでもないし、七重にとぐろをまくわけでもない。

話を元に戻す。
長谷川作品を子細に見てゆけば白の使われ方の良さに気づく。
白を主体とした七色なのかもしれなかった。
そしてその白は何に基づくものなのかを考えたが、わからなかった。

長谷川は随分若い頃には「みずゑ」水彩画と短歌に夢中だったという。
その話を聞き、明治の美術と文芸を愛する青年像の一つがそこにあると思い、みずみずしさを感じた。
イメージ (1070)

田端変電所 1923  外観。柵が印象的。これはそうした形だから印象深いのではなく、その描きように惹かれたと思う。

酒売場  1927  浅草の神谷バーである。かれはここで電気ブランをよく飲んでいたそうだ。窓が開いている。にぎやかな店内。
わたしは何年前までか、しぱしぱ神谷バーへ行き、蜂ワインを飲みながら誰か知らない人と同席し、好きなものを食べながら喧騒の中にいることを楽しんでいた。
その頃のわたしと数十年前の長谷川利行とでは食べるものも飲むものも違ったろうが、楽しみ方は似ていたのではないかと思っている。

浅草停車場 1928  シャンデリアがぶら下がっている。あの駅のいいところを色々思い出しながらこの絵を見る。
 
夏の遊園地 1928  どこかと言えば「あらかわ遊園」だという。絵の中に今とは表記の違う文字の並びがある。当時はラジウム温泉もあったそうだ。そこに小さい洋館があった。受付の建物だろうか。赤い屋根に下見板張りの可愛い建物。
イメージ (1075)

汽罐車庫 1928  赤い煉瓦がとても大きな存在感を見せる。黒い汽車がいっぱい。迫力がある。

賑やかな場所が描かれる。
カフェ・パウリスタ 1928  開店前の無人の様子。
そしてもう一枚。こちらは女給さんが集まっている。
イメージ (1068)

銀座のパウリスタはわたしが初めて入った喫茶店だった。
本当は隣のルノワールに行くつもりがドアを間違えてパウリスタに入った。
パインケーキも頼んで美味しくコーヒーを飲んで一息ついたときに、同行の友人から間違いを指摘された。
びっくりしたが、それからの何年かずっとパウリスタに通うようになった。
パインケーキもマールブランシュのパイナップルプレゼントを食べておいしかったので、味の再現を求めての注文だった。
今、この絵を見ながら20年ぶりにパウリスタへ行きたいと思った。

靉光像 1928  髭を小さく伸ばす靉光。照れたような表情。16歳の年の差があるが、仲良しだったそうだ。
全然関係ないが…
靉光 と変換してくれるかなと
あいみつ と打ったら、
相みつ と出た。
間違えたって いいじゃないか 機械だもの
……まあな。

針金の上の少女 1928  横たわりにこにこしながら手を上向ける少女。彼女は芸人で、針金の上でこうして芸を見せていたそうな。

カフェの入口 1930  ああ、この雰囲気にも惹かれるな。いい建物…

岸田国士像 1930  東近美にあり、時折見かけるが、二人の娘に本当によく似ている。衿子、今日子…
この絵は名作だが、これで毎日長谷川から無心される岸田は閉口していたそうだ。そりゃそうだわ…

長谷川は東京のにぎやかなところへふらりふらりと現れては描いていく。
この1930年までの作品の内好きなものだけを挙げたが、長谷川がいいのはもっと数年たってからだ。
1936―37年の頃の作品の良さ。
かれはもうそのころには病に浸食されていた、時代もどんどん良くない方向へ向かっている。
だが、その頃に絶頂期が来た。

「そのとき」よりもう少し前の作品を見よう。
日暮里駅付近 1931  いくつかの家の屋根が並ぶのを見る。木柱が連なる。ただそれだけなのに、なぜかせつない。
長谷川は別に抒情性をそこに押し込めてはいないはずなのに、何故かせつなくなる。
これは長谷川の描いた絵にわたし(たち)が勝手に反応しているからだとおもう。
そしてそうした反応を引き出させる力が長谷川の絵にはある。

鉄工場の裏 1931  白い。道も建物も白い。虚しくはないが、白い。壁面の白さはしかし綺麗なものではない。
なにやかやと色が走る。走る色と背後の白とが意識に残る。

街並風景(彩美堂)  谷中の坂道の一隅にある。今もそのままかどうかは知らない。谷中、日暮里界隈は戦争の被害も多少はましで、戦前の建物が今も多く残る。
だからか、妙なせつなさをこの絵から感じるのかもしれない。

雷門風景  内側から見た風景。木村荘八や川瀬巴水は提灯の外側からを描いている。内側から外へ。にぎやかな時間帯。

府美術館  昔の東京府美術館。写真では見ていても案外絵では見ていない。道からのアプローチ、道が開き、木々が開き、赤煉瓦の堂々たる美術館が姿を見せる。

地下鉄ストアー 1932  壁面には時計がある。チェーン店だったそうで広小路のも須田町のも同じく巨大な時計が張り付いている。
この地下鉄ストアーに関してはこちらの記事が詳しい。  

ところでこの時代の芸能関係は芝居や活弁だけでなく寄席もとても人気だった。
安来節が流行ったそうだが、これを女がやるのがよかったらしい。
これだけでも昭和初期のエロの状況がわかる。
明治の学生が女義太夫にのめりこんで「どうするどうする」と騒いでたのと同じようなものだ。
その安来節の人気者・大和家かほると安来節の絵が何点かある。
これを見て泉鏡花の「光籃」を少し思い出した。

裸婦たちをみる。
のびのびした姿態、にんまりした口元。ありえないような色彩で表現される彼女たち。
同時代のドイツの画家たちの絵を思い出す。
都市もまた視点をどこに定めているのか、見ないような街の様子を切り取る。

三河島風景  面白いことに中央左上の窓の形が俳優のクラウス・キンスキーに似ていた。
須田町風景  白い建物のそばにはクラシックカー。当時は最新鋭の車。
どちらも「古い景色」ではなく、「どこかにあった景色」なのだった。

1937年、珍しく旅行したらしい。
伊豆大島、大島の海、女の顔(大島アンコ) その地で見た風物を描いている。

1936、1937年とは豊饒な年だった。
どの作品も皆たいへん印象深い。
しかしこの年頃は226事件があったり色々と世相も景気も良くない頃で、確実に暗い未来を予想させる時代でもあった。
本人も後にわかる胃がんの様子を見せ始めているし、生活は困窮しているし、と時代に合わせて本人の生活もどん詰まりに近づきつつあった。
しかしながらこの時代の長谷川の作品の素晴らしさはどうしたことか。
風景も女も何もかもが心に染みる。
本人の生活も時代もどん詰まりに来たときに画業の頂点が来たようだ。
つまり環境が悪化しようとも、長谷川の仕事は冴え渡り、輝きをいやましていたのだ。
こんなことがあるのだなあ。
長生きしない人間にだけ訪れる特権なのか。
ならばその死を可哀想に思うより、残念だと思う。
後世の人間として、無念にも思う。

カフェの女たちを描いた作品がいい。
モナミの少女、ノアノアの少女。少しずつ表情が違う。
少し鬱屈をみせるモナミの少女、にこにこしたノアノアの少女。
どこのだれか知らない婦人像もいい。
とてもきれいな女の絵もある。どこか上品な女。
赤レンガ色の裸婦もいて、彼女の鋭い眼差しとその気合とがかっこいい。

ガラス絵もいい。先般ここで開催されたガラス絵展でも長谷川の良さを再認識したが、今また数ある作品を目の当たりにして、好意しか抱けない。
特に女を描くのがいい。そしてここでも白が活きる。乳白色の白が。

ねこ ガラス絵の猫。鳥か何かを噛んでるようだが、その様子は怪獣のようでもある。

相撲絵もいい。双葉山土俵入り、力強く「日ノ下開山」の威厳がある。名寄岩の赤い体も目に残る。

隅田川風景  水彩だが、この暗さはスゴイ。川と倉の並びを描いているのだが、横溝正史の世界のようだった。
死体が勝手に寄ってきそうな川である。

白い背景の人物 1937  白い中に五人ばかりの人物がいる。わかるのは顔のみ。向かって右端の顔だけははっきりしている。綺麗な顔だと思う。何故か菩薩の集まりにもみえた。
イメージ (1069)

最後までいい絵ばかりだった。それだけに放浪者・長谷川利行の最期が悲しい。
彼は家を持たず、山頭火のように行乞もせず、行倒れ、行路病者として扱われ、規則によって残された作品すべてが灰燼に帰した。
王羲之の作品がこの世から全て皇帝の陵墓に収められたのも無念だが、長谷川の最後の作品がそんなことから失われたのは誠に無残だった。

死後70余年、こうして生きている長谷川利行の絵と対面出来て本当に良かった。
7/8まで。

「奈良絵本・絵巻」展をみる

奈良絵本の展覧会があるというので松戸の聖徳大学まで出向いた。
これまで天理、慶應、龍谷、國學院、青山短大の各大学が所蔵する奈良絵本を見てきたが、今回はこちら。
他にも九大、駒澤、佛教大が名品を所蔵するそうだが生憎そちらとはいまだに無縁だ。
いつか展覧会でもあれば見てみたいものだと思っている。

イメージ (1045)
チラシは「竹取物語」。帝から遣わされた衛士たちは皆眠りこけている。
高畑勲さんの「かぐや姫の物語」のラストの無常な美しさが蘇る。

こちらは室内の様子。
イメージ (1056)
手慣れた作画で綺麗な作品である。


「敦盛絵巻」
イメージ (1046)
平家の御座船へ戻ろうとする敦盛を呼び止めて戦う熊谷。
小5の時このあたりの書き下し文を授業で学び、それでいっぺんに「平家物語」が好きになった。
「助け参らせんとは存じ候へども味方の軍勢雲霞の如く候 よも逃れさせ給わじ」そう呼びかけ、覚悟を求める熊谷。
覚悟した敦盛の言葉に涙する。
「泣く泣く首をぞかいてんげる」
そしてその後に巨大な無常感が熊谷を包む。

絵本ではこの後に書状をさして敦盛の亡骸(むろん首から下のみ)を平家の人々のもとへ送り届ける。
嘆く人々。
この描写があったことに驚いた。
やがて戦後、領地争いの敗訴もあり、熊谷は中世らしいけじめをつける。

イメージ (1051)
即ち出家剃髪である。法然上人の弟子となり蓮生坊となる。
こちらも手慣れた作画。


「浦島太郎絵巻」
イメージ (1047)
室町あたりの模本らしい。素朴な絵柄。
太郎が乙姫と散策する龍宮の森などが描かれてもいた。
やがて地上へ戻った太郎は七百年の歳月を知る。
玉手箱を開けたのちに鶴に化身し、亀として現れた乙姫と再会し、末永く暮らしたまでを描く。
ここまで話が続けば、玉手箱を姫が渡した気持ちもわかるのである。


「鶴の草紙絵巻」
イメージ (1048)
こちらは亀でなく鶴女房である。美貌の鶴の化身の女房をもらった男に降りかかる災難、そそれらをクリアーした後、今度は逆襲の一手である。鎖を付けられているのは「ワザワイ」なる怪獣である。これを連れて行くことで降りかかる災難が終わる。
これで思い出したが馬琴の小説にも出てきてたな。琉球辺りで登場するのだったかな…そうそう、悪者の曚雲禅師が使い魔にしてた。


「酒呑童子絵巻」
イメージ (1050)
伊吹山系の酒呑童子である。都の嘆く人々の様子、頼光一行が酒呑童子と手下の鬼たちと宴会する、眠って正体が露わになる酒呑童子の身体に絡みつく鎖、それを仕掛けた姫たち、解放される姫たち。
これらのシーンが出ていた。

イメージ (1049)
酒呑童子の山城の建物や調度品もなかなか手の込んだ描写だった。


「不老不死絵巻」
イメージ (1052)
劉安の昇天に伴う鳥や犬たち。中国が舞台だと思うが、元の話を知らない。


「長恨歌絵巻」
イメージ (1053)
ええ気分でいちゃついて、更には安禄山の赤ちゃんプレー(たらいで行水)のシーン、まずいことになって逃亡するがとうとう馬嵬で兵たちの憤りが爆発、楊貴妃は泣く泣く処刑される。
驚いたのはこの絵。彼女の死骸が描かれている。玄宗皇帝は泣くだけ。
天界に転生した彼女のもとへ来る道士の様子もある。


「七夕絵巻」
イメージ (1054)
ようよう天界へ訪ねてきた姫。
しかし姫の聴き損じが元で一年に一度の逢瀬となる。
イメージ (1055)
サントリー美術館所蔵のものとほぼ同じ展開だと思う。蟻の働きもある。鬼の父の難題も大蛇の登場もある。


「つれづれ草」
イメージ (1057)
徒然草の挿絵つき読み物である。絵は久米の仙人の失敗か。


「大和物語」
イメージ (1058)
様々な和歌を集めたオムニバス式の物語らしい。
ただ、わたしはこれをきちんと知らないのでこの絵がどのシーンかはわからない。


最後は「伊勢物語」
イメージ (1059)
伊勢も源氏も常に描かれ続けている。

大事にされてきたからこそ後世に伝わった。
今後も未来に伝えたい。
よい展示を見せて貰えてよかった。

2018.6月の東京ハイカイ録

六月の東京ハイカイ録
梅雨なんだが金・土とうまいこといき、日曜もあまり歩かずに済むコースを選んだので、そない困ることもありませなんだ。

九時半に東京につき、いつものロッカーに荷物を放り込んでから丸の内線・都営新宿線と乗り継いで府中へ。
今回は長谷川利行の展覧会。
ここはいつも江戸祭が楽しいが、日本の洋画家の回顧展も大抵いい。随分昔だが児島善三郎展なんか最高に良かった。
田園の輝き 児島善三郎展 当時の感想はこちら

今回の長谷川利行展も本当によくぞ開催してくれた。
感謝しかない。尊い。
細かい感想はまた例によって別項。
こないだのガラス絵展でも長谷川のを見たが、あれもよかったなあ。

それから分倍河原から登戸、そして町田へ向かった。
府中から町田が案外行きやすいことを初めて知ったよ。
こういう発想はなかったからなあ。
だが、この組み合わせをしないと後後困るので決めたら、意外と「ええやん」になったのだ。

芹が谷公園からが勝負の町田市国際版画美術館。
以前にツイッターで「この道がマシ」というのを教わったのを思い出しながらその道を行く。
確かにマシ。マシだが近くはないのが町田市国際版画美術館。
とはいえ行くと確実にいい展覧会なのも泣ける。
公立でいえば、ここと板橋区立美と世田谷美術館とは、行くの面倒だけど行くと確実にいい展覧会があるのだよなあ。
「浮世絵モダーン」。
その前週は「大正モダン昭和レトロ」。
あとあれだ、日比谷では「大正モダーンズ」だ。
時代は確実に動く。←特に意味はない。

さて町田は神奈川という言葉もあるけど、実際そのまま横浜へ向かう。菊名で乗り換えてみなとみらい。
今日は横浜美術館夜間開館日。ヌード展。
充実してたけど、結局のところわたしは自分勝手な見方しか出来ない。
それで書くけれど、好みとそうでないのとに分かれすぎた。
ただ正直に書くと、ホックニーの連作は会えて非常に嬉しかった。
ただしその絵を見ながらわたしは自分の推しカプの姿態を想っていたのだけど。
フジョシというものはどんなときにも妄想が前面に出る…

都内に出て定宿の送迎バスに乗り、部屋に入ったのが22時。意識が飛んで、次に目覚めたら日付変わって3時前。
オイオイ待て待て。わたし、アウトやん。歯磨きもメイク落としもお風呂も何もしてない。
慌ててシャワーしながら全部こなすが、これだけの寝落ちは滅多にない。まずいのう…
初日ここまで。

二日目は土曜日。
8時過ぎに出て松戸へ。乗り継ぎはうまくいったが、それでも9時についた。案外遠いんだな。
松戸に来るのは久しぶり。以前ガンダムカフェがあった時以来か。えーと2004年頃か。…うわ。
それでよくわからない道順で聖徳大学に向かうが、開店前の商業施設のエスカレーターて使えるのか、と謎に思い横の階段を使ったら結構しんどい。
アジサイが綺麗なのだけが救い。

大学は幼稚園も併設してるのでけっこうセキュリティがしっかりしている。
わたしのような野放図なのにはちょっとあれだけど、まあなんとかがんばって博物館へ。
奈良絵本の展示を見る。なかなか綺麗なものが並ぶ。酒呑童子は伊吹山系。
これまで天理、慶應、龍谷、國學院などの奈良絵本を見てきたけれど、ここのも綺麗でした。

乗り継いで押上。たばこと塩の博物館へ。
「モガ・モボの見た東京」 これまた面白い展覧会で、たいへん好み。
大正モダンいいよねえ。資料で見た花王の資料が面白すぎる。いつか記念館に行こう。

そして本所吾妻橋から一旦定宿に戻り支度し直してから再びおでかけ。
今度は東洋文庫。
「悪」展の一つ。面白かったな。パチパチ撮りましたわ。

駒込の方が千石より近いんちゃうかな、ここ。

太田浮世絵美術館。こちらは「江戸の悪」展。
おもしろかったね、こういう展示は大好き。
「たばこと塩」にも「江戸と悪」の本が売り出されていた。

渋谷から國學院まで歩くようやくわかったわ。ほっとした。
國學院では山本東次郎所蔵の面を見てから「悪 まろわぬ者たち」をみる。
するとさっきみた「武悪」、かれもまた「まつろわぬ者たち」の一人のように思えた。

ブンカムラで「くまのバディントン」をみる。初めて知ったことだが、たくさんの画家がくまを描いてたのだなあ。
わたしは最初のペギーのがやはり一番残っている。

二日目終わり。

最終日。
送迎バスで東京へ。例によっていつものロッカーに荷物を置いてさてそこから。

霞が関から日比谷公園へ。
図書文化館で「大正モダーンズ」を見る。
これはもう自分の好きなものだけで構成されてて、震え上がったね。
大好き。

次は出光美術館「宋磁」の最終日をじっくりと…
いいなあ、の一言しか出ないわ。

銀座一丁目のスパンアートギャラリーで諸星大二郎原画展を見る。
色々と想うことの多い展覧会だったよ。
猫いいよね、猫。

四丁目まで出てそこから汐留ミュージアムへ。
と今書いてて、ここから宝町でるのとどっちが早かったか考えたわ。

ジョルジュ・ブラックのジュエリーがとてもよかった。これは素敵だわ。
いやまじで欲しいわ。特にブローチが綺麗だったなー。

それから三井で不昧公のゆかりの茶道具を拝見。
脳内で勝手に不昧公と対話を楽しみながら茶道具を眺める楽しさ。
これはなかなかくるね。

おっ久しぶりに一村雨さんに遭遇。お忙しい中、またこうして展覧会めぐりを再開されてなにより。
希望の持てるお話を聞いて、いい気分だ。

最後に東京ステーションギャラリーで「夢二繚乱」。岩田準一の所蔵品も含まれてて見ごたえがあった。
「出帆」全話挿絵が出ていて、これは貴重だった。

タイムアウト。少し買いものしてから新幹線にのる。
東京はやっぱり二泊三日くらいじゃまだまだ足りないな。
また来月までサラバ。

「荘厳 香 華 燈」@白鶴美術館

白鶴美術館の2018年春季展は「荘厳 香 華 燈」として仏具を中心とした展覧会である。
毎年3月から6月10日前後までの春季展の後はお休みになり、次は9月から開かれる。
イメージ (1035)

暑い日に出かけた。御影から延々と上らなくてはならないので根性がいる。
その根性が足りなくて先週はあきらめた。しかしこの展覧会は6/10までなので、どうしてもこの日に行かないとならない。
つつしみうやまうてきがんたてまつる… などとつぶやきながらようようついた。

中は大変涼しく風通しが良く、とても心地よい。それでいつも長居する。
ここに来るまでが灼熱地獄だと思うからよけいありがたくなる。

白石蓮台 中国 北斉時代・武平元(570)年 高さ25.3㎝  今回初めてチラシに出てきた。
そして資料もサイトに上がっている。助かるなあ。
以下、引用。
乳白色の白大理石による蓮華の台座。仏像の足元に置かれた台座は、香炉、蓮華や宝石、輝く光の要素、そして神獣を散りばめ、仏を飾る荘厳具を代表する作品の一つである。
本作も当初は、上面中央部に大きく空けられている枘穴に仏像を挿して用いられた。その枘穴内には朱字の銘文が書かれる。ここから、本作が北斉時代・武平元(570)年に呂氏により、国の繁栄と儲宮(皇太子か)の幸福を願って発注・制作された観音像の台座であったことが分かる。八方五段の蓮弁によって構成される本作には、蓮を支える獅子や畏獣、博山炉などを配し、それぞれに緑青、群青、朱で彩色し、墨で面貌が描かれる。仏像にたむける香を入れる博山炉が当初は正面にきていたはずで、博山炉及びそれに近い獅子や畏獣には、貼金がふんだんに施されていた。それに対して、博山炉とは逆の背面にある像には貼金がされず、また人面や猿面の畏獣や蓮華化生、連珠内の獣面など新たな要素が加わっている。
蓮弁をはじめとして各モティーフはいずれもぷっくりと肉付きよく、柔らかみがあり、白大理石という素材や彩色方法と共に、6世紀後半・北斉時代の中心地であった現・河北省辺りの作品の特徴をよく備えている。しかし、本作ほどに立体感のある蓮弁、保存良く残る彩色を備える作品は他に例がない。





見るのはこれで3回目。可愛いなあ。
獅子も仏も謎のヒトもみんないい。描かれた連中も可愛い。
これだけで「北斉の遺物全般」に愛を感じるくらいだ。
正座をしていたり胡坐だったり中にはヤンキー座りもいる。いい拵え。
イメージ (1036)

青銅鍍金透彫豆形香炉 中国・戦国時代  マメ形ではなくトウ形という。透かしは二頭の龍。薫炉。

後漢の博山炉も青銅のものと緑釉とがある。レリーフが多く頂点に孔雀がいるのが前者、身づくろいをする鳥がいるのが後者で、やきものだけに土中に埋もれたことで化学変化を起こし、白っぽく滑らかに光るラスター状になっている。

龍泉窯の砧の袴腰香炉、筒形香炉などは日本の茶人の美意識を刺激したことで、誕生した時よりずっと価値が高くなった。

イメージ (1039)

華やかな唐代に作られた仏具は華麗なものが多い。豪奢で見栄えがいい。
青銅鵲尾形柄香炉、青銅鍍金獅子鎮柄香炉…
サイズの違う似たものがある。
青銅鍍金透彫獣脚香炉 中小なので大もありそう。
小の方は獅子五頭、なんと肉球もあるそうな。
さすが「その龍に肉球はあるか?―ささやかな日常感覚から見た古美術」著者・山中さんのいてはるところだけある。

中尊寺伝来、法隆寺伝来のいにしえの美を楽しむ。
金銅垂飾や幡を眺めると、薄く刻まれた天人たちと目が合うこともある。
唐の鍍金五尊板仏たちはみんな薄目なので視線も合わない。

法華寺伝来 青銅浮牡丹文花生 鎌倉時代  一対とも富士山型の足つきで、足は木。

白掻落花文水注 北宋  可愛いなぁ、みっしり花で埋まるボディ。こういうのを見ると色白の女の人が秘かに刺青をしているように見える。

源氏物語画帖 胡蝶 伝・住吉如慶  紫の上と秋好中宮の雅な競い合い。墨絵に近い淡彩もので、六人の少年による胡蝶や迦陵頻伽。きらきらしい。

室町の謡本数冊。紺地に金線。「杜若」「芭蕉」「老松」。江戸の光悦とはまた違う良さがある。

螺鈿蓮華文経箱 鎌倉時代  綺麗わ。半パルメットの文様。法輪状の金具。

仏画を見る。
敦煌・莫高窟からの絵が二点。いずれも五代時代
莫高窟の仏画はシステマティックに製造。上部に仏画、下段に願文など。
薬師如来画像  虚空蔵菩薩などが脇侍。左から右への願文。父の冥福と母の幸福を祈願。
千手観音菩薩  実に明るい彩色の派手な仏画。しかし下段枠内の文は近代のもの。
西暦851年にこの絵は窟内に隠され、1900年4月に発掘された。そのことが綴られている。

わたしが莫高窟の仏画のことを知ったのは映画「敦煌」からで、その時廃人になった柄本明が死んだ者のような目で暗い窟屋の中でひたすら仏画を描いていた。いくら佐藤浩市が呼び掛けても反応もしない。そんな彼のことをそこの高官である田村高広が、彼はもう絵を描く以外には生きる価値はないのだという意味のことを言う。
怖かったなあ…

文殊菩薩像  鎌倉時代  少年文殊。五髷で可愛い。朱唇で胡坐を組む膝もいい。
騎獅文殊菩薩像 南北朝時代  こちらは大人。獅子がブサカワ。

几帳飾りの赤い糸が鮮やかなのと、涙柄の鈴が金属なのとそうでないのとがあるのが印象的。木の鈴みたいだったが、あれは後補かな。

鍍金四天王彫珠子箱 鎌倉時代  蓋には多宝塔で、周囲に四天王。箱の中はカラ。釈迦の不在ということでつまり舎利箱だったそう。なるほどうまいなあと思った。

阿弥陀三尊画像 高麗仏画  先年、泉屋博古館と根津美術館とで高麗仏画のいいのをたんまり堪能したが、この作品もその仲間。裏彩色もしてたいへん丁寧。ヴェールの白が綺麗し、釈迦の赤地に金色の水玉柄もいい。それが皺によって玉がみんな野球のボールに見えるのも面白い。

高麗仏画-香りたつ装飾美 当時の感想はこちら
イメージ (1040)

お水取りの練行衆のごはんのお盆もあった。永仁の頃の物。

西周時代の青銅器についている怪獣がグズラぽいのが可愛い。水木サンのキャラにも似ている。


次に新館で見た絨毯。
イメージ (1037)
このミフラーブというものに改めて関心が生まれたよ。

ランプの下に咲きこぼれる花と言う構図が素敵なのが多かった。
イメージ (1038)

いろいろいいものを見て満足。次は秋。

「集え!英雄豪傑たち 浮世絵、近代日本画にみるヒーローたち」展にわくわく

横須賀美術館は浮世絵のいい企画展が多い。
「集え!英雄豪傑たち 浮世絵、近代日本画にみるヒーローたち」展も面白かった。
イメージ (1026)

こういうテーマは好きだ。
2003年の松濤美術館「武者絵 江戸の英雄大図鑑」展も面白くて、図録もよかったなあ。
この頃はまだネットにデビューしてなかったので、何も記せていないが、いい展覧会だった。
他にも平木浮世絵財団のukiyoe-TOKYO時代に「武者絵 国芳から芳年まで」展があり、あれは感想を挙げれた。こちら
国芳が好きなのはやっぱりこういう武者絵のカッコよさがあるわね。

中右コレクション、早大演劇博物館といったところのいいのが来てるなと思ったら、「額縁のタカハシ」さんというコレクターからもいいのが出ていて、びっくりした。調べたら長野県の会社のよう。だからか川中島の絵がとても多い。
やっぱり好きな人は好きやよねえ。嬉しいね。
素晴らしい。前後期入れ替え。

イメージ (1028)

・江戸のヒーローたち
歌川国芳  本朝水滸伝豪傑八百人一個 上総助広常  狐退治の様子。
歌川国芳  本朝水滸伝豪傑八百人一個 尾形周馬寛行  児雷也ね。こちらは大蛇を倒してるのだけど、狐退治と構図はほぼ同じ。迫力あるよ。
舞台ではたいてい美貌の八世団十郎が演じている。
児雷也は明治になっても講談本もあるし、目玉の松ちゃんこと尾上松之助がキネマでドロンドロンとやったから長らく命脈を保ち、更に戦後では杉浦茂が「少年児雷也」でこれまた人気を呼んだ。

歌川芳艶 大江山酒呑退治 安政5(1858)年  大判三枚続の真ん中に巨大な酒呑童子の首が飛ぶ!色が赤黒いのが迫力ある。太田浮世絵美術館で芳艶の展覧会があった時にこの絵がイチオシになっていたな。

三代目歌川豊国 東海道浜松舞坂間 鳥居縄手 五右衛門 嘉永5(1852)年  刀を担ぐ五右衛門。国芳ほどの迫力はなくても国貞には「ファンが喜ぶ」視点がある。だから面白くない絵は少ない。

三代目歌川豊国 本朝高名鏡 牛若丸  これなどもそう。大天狗が出した腕にちんまり乗る稚児輪髷の牛若丸。可愛い。

横須賀だけに三浦半島と縁のある武将や戦いの絵も集めている。
長生きで有名な三浦大介義明の絵も色々。
国芳のも芳年のも出ている。前田青邨のもあればよかったね。

それで美術館ニュースには三浦大介の菩提寺の紹介もある。
イメージ (1022)

海の前の美術館だけに源平の海戦絵も並ぶ。
壇之浦や義経の流浪始めの大物浦の絵などなど。

時代は進んで川中島合戦絵がずらり。勇ましい。
泰平の世が長くなり、講談を聞いたりこうした錦絵を見たりして、在りし日の英雄豪傑に憧れていた江戸の人々。
今よりずっと義経や弁慶が人気キャラで、清盛と時平が巨悪キャラだった時代。

イメージ (1029)

・神々のすがた
明治の絵が多い。まあ時代背景がそれを望んだわけだしね。
記紀に現れるスサノオノミコト、ヤマトタケル、神武天皇のエピソードがやはり絵になる。

素戔嗚は登場したときええ年こいて泣きわめいたりなんだかんだと暴風雨なことして、「天っ罪」までやってのけて高天原追放の憂き目にあうけど、そこから先は全部かっこいいわけです。
月岡芳年 日本略史之内 素戔嗚尊出雲の簸川上に八頭蛇を退治し給ふ図
鈴木松年 八岐大蛇退治図
どちらも明治の絵。豪儀な感じがあっていいよな。
松年の退治されるヤマタノオロチたち、目が妙に可愛くて、何か物言いたげな顔つきがいい。

因みに素戔嗚はここで出会った娘と結婚し、子福者になるが、後に可愛がっている娘をオオクニヌシのオオナムチにとられることになる。パパは娘の彼氏に意地悪して色々難題を課すけど、賢い娘の協力でオオナムチはクリアーし、娘と共にラナウェイ。
その背中に悔しさもあるけど、娘の幸せを願って応援の言葉を投げかける。
この辺り、もうすっかり若い頃の暴れん坊のイメージは消えている。

暁斎、小堀鞆音、伊藤快彦らの神武天皇図。天孫降臨、金鵄勲章の神武天皇。
わたしなどは安彦良和「ナムジ」「神武」のイメージが物凄く強いけど、ここでは力強い征服者として描かれている。

そしてヤマトタケル。
これまでいくつかヤマトタケルだけの展覧会を見てきた。
珍しくも伊東深水の弟橘姫の入水絵もある。久しぶり。明治神宮の宝物殿で見て以来か。
昭和17年と言う時代を考えればこうした歴史美人画を深水が描くのも納得する。

イメージ (1023)

その弟橘姫ゆかりの神社がこの横須賀美術館から徒歩数分の走水神社。






吾妻はや!

・歴史画の興盛
幕府があった時代「日本」という国家は実はなかったのではないかと思うことがある。
いや、「国家」という意識はやはり明治からのものだということか。
だからこそあわてて「大日本帝国」の前史として歴史画が望まれ、江戸庶民の楽しみとは形の異なる英雄豪傑を描いたものが溢れたのだ。
と、勝手なことをかいておく。

小堀鞆音、鈴木松年らの絵がいろいろ出てきて個人的には面白い。
尾竹兄弟の絵ももっと並べたらよかったのに。

イメージ (1025)

源平合戦、太平記、そうしたメジャーなところだけでなく地方の戦乱絵も集まっていたのはいい。
特にここは三浦半島なので話も多い。
イメージ (1021)

いつか神奈川県下の中世のポイントめぐりをしてみたい。

猪飼嘯谷 頼朝手向の躑躅  三浦家の墓所へ。今も前掲のお寺に咲いているそう。すごく強いな、躑躅。
イメージ (1024)
京都市美術館では見ていないよ、この絵…

川端龍子  源義経(ジンギスカン)  最初にこの絵を見たのは龍子記念館のリーフレットから。それを探してて別なものが続々と現れ、肝心のがない。
しかし以前龍子記念館でこの絵が出たときに見に行ったのでその時のチラシを挙げる。
tou599.jpg
 
龍子とロマン主義 神話・伝説の絵画化
当時の感想はこちら

ところでこの義経=ジンギスカン伝説を真っ向から描いているのがモーニングで連載中の瀬下猛「ハーン –草と鉄と羊–」。
かなり面白い。既に義経は「テムジン」の名を与えられている。

いつのどの時代と言うことは関係なしに、こんな情景もあったろう。
菊池契月 交歓
イメージ (1027)
好きな絵。特に右端の坊やが可愛い。

ところで貴種流離譚もまた英雄を形づくる大きな要素だけど、この展覧会でもその意識は活きているようだった。
そしてチェ・ゲバラもその系譜に連なっているのには、胸が熱くなった。

戦後20年ほどたっても歴史画は続いた。
羽石光志、守屋多々志らが名作を多く残している。
その中でも珍しいものを見た。
守屋多々志 雑賀孫一 昭和59(1984)年  ああ、孫一を描いた絵を見るのは初めて。
司馬遼太郎「尻啖え孫市」は面白かった。萬屋錦之介で映画化されもした。
それから川原正敏の歴史マンガの「修羅の刻」シリーズでも孫市はいい役で出ていた。

・子どもたちのヒーロー
幕末のおもちゃ絵いろいろ。
立版古もある。双六が好きだ。
これは笑えるぞ。
吉川保正 英雄豪傑運動競技双六  1924
イメージ (1020)
ツッコミどころ満載とはいえ、ファンの二次創作は昔も今も変わらない。妄想はどんどん肥大化する。

最後は野口哲哉さんの作品や本物の変わり兜などの展示。
相変わらずリアルなフィギュア。リアルな構造でうそをつく。
いつだったか、猫に甲冑つけた絵がツイッターで、戦国時代の様子だと信じた人たちを生み出していたな。
しかし驚いたのは今回の展示の案内役の博士と坊やのキャラを野口さんが担当したこと。
全然似てないなあ、普段の絵と。
この落差がとても面白い。



面白い展覧会も6/17まで。


美しき金に心をよせて

中之島香雪美術館の開館記念展第二段は「金」が集められたものだった。
イメージ (1008)

最初に菊水蒔絵硯箱が現れた。全体を菊水で埋めた箱である。
まんべんなく菊水。梨地に菊水…

第一章、 第二章と分かれてはいるが、ところどころに章を飛び越えて名品が姿を見せる構造となっている。

阿弥陀三尊像 一幅 鎌倉時代 14世紀 絹本着色  両肩を覆う今朝の美しい文様は截金細工。襟ぐりには花柄、他には雷文、卍崩し、七宝繋など様々な文様が綾成している。
向かって左の勢至菩薩と右の観音菩薩の間には蓮が咲き、薄紅色が清楚に光る。
イメージ (1007)
冠にもそれぞれの標がみえる。勢至菩薩の水瓶、観音菩薩の化仏、それらは更に背後の壁面に展示されている解説プレートで詳しく紹介されている。
作品を楽しむだけでなく、顧みればそこに濃やかな教えがある。いいシステムだ。

第1章 金色の光
続いて仏画を見る。

普賢菩薩十羅刹女像 一幅 鎌倉時代 13世紀 絹本着色  院政期の仏画の美を堪能する。
十人とはいえわたしには八人しか確認できなかった。
向かって左の和装美人が目立つ。右の唐様美人たちのうち、このチラシの「て」の字の横のご婦人が苦笑しているのが面白い。
イメージ (1006)
「黒い十人の女」ならぬ「金色に輝く十人?の女」である。
そして普賢を乗せる白象は左を顧みて、金色の菩薩を見つめる。

平安時代のお経の豪奢さ、そしてそれを収める経筒や経箱の美麗。
一つの時代が終わる直前に文化の頂点が来るが、まさにそれを目の当たりにする。
そして必ずしも古人に従わず、後世の人はその美意識を以て、違う者同士を組み合わせ、新たな美を創造もする。

無量義経徳行品 むりょうぎきょう・とくぎょうぼん。  名前に義経が入っているので勝手にうれしくなる。 金銀二本線の界線が入って、そこに力強い文字が続く。
文字の背景というか「下地」には金銀砂子、切箔、野毛(刷毛を糸状に細く切った切箔の一種)などで装飾されている。

ところでここで「野毛」という言葉に遭遇し、野毛とは横浜の地名、または上野毛とか思い出し、ちょっと調べても崖くらいの意味しか浮かんでこなかったが、よくよく調べるとこういう名称として「野毛」が使われている。
日本大百科全書(ニッポニカ)の解説
切箔 きりはく
金、銀、錫(すず)などの箔を用いた装飾技術。仏画、仏像、経巻、料紙、屏風(びょうぶ)などに古くから用いられた。切金(きりがね)と同じ手法で、箔を種々な形に細かく切って貼(は)り付けるものだが、切金のように整然としていないし、貼るときも薄い糊(のり)をはいた上に振り落としてゆくので、配置にも偶然性の効果がみられる。その箔片の形によって、大きいものを石、細かいものを野毛(のげ)、小粒のものを山椒(さんしょう)または霰(あられ)、細粒のものを砂子(すなご)とよぶ。平安後期以降、蒔絵(まきえ)と併用され、金銀の強い輝きと蒔絵の淡い光とが効果的に模様を表現した。[小笠原信夫]


覚えよう。

蓮池蒔絵経箱 一合 室町時代 15~16世紀 木製漆塗 蒔絵  二層の脚がある。格狭間(こうざま)の下に床脚。そして後補らしいが、さらにその下層に脚がつく。
恭しい感じがあって、これはこれで素敵だ。

蓮池蒔絵経箱 一合 桃山時代 16世紀 木製漆塗 蒔絵  こちらは小さめで下段に金具付き。

(伝)徐熙 じょき(生没年不詳) 蓮池水禽図 対幅 明時代 15~16世紀 絹本着色  続きものの対幅ではなく、右vs左な構図で面白い。左には鷺、右には鴨。それぞれの出方を伺っているよう。蓮はそんなこと関係なしによく咲いている。複雑な鳥たち…
掛軸の上下は縦じまで褪色してはいるが五色くらい並ぶ。

月下菊雁蒔絵硯箱 一合 江戸時代 18世紀 木製漆塗 蒔絵  いい構図。五羽の雁がくつろぐ様子。金銀の菊、銀は酸化して黒くなっているが、それもまた寂びた良さがある。

阿弥陀二十五菩薩来迎図 三幅対 鎌倉時代 13~14世紀 絹本着色  なんとこれ並列なんですよ。三幅対で同じ緯度で菩薩たちがずらりと待機中。仏の体は金泥塗り。それが横並びにズラリというのはなかなかな迫力で、いつもはオーケストラだが今度はEXILEみたいな感じもするなあ。そして左幅には天蓋やと思う傘らしきのものの飾りがあるが、それがどうもUFOに見えて仕方ない。それもフルーツ籠風な。

当麻曼陀羅 13世紀 鎌倉時代   中央はいつもの極楽アイランドで周囲のコマはそれぞれ仏と関わった人々の話などだが、そのコマ絵がなんだか可愛くていい。
向かって左の縦はイダイケ夫人の物語、中央下は定義13観音、右は日想観。ちまちましたところが可愛いのかな。

イメージ (1009)

等伯 柳橋水車図屏風 これはフェスティバルホールの緞帳の一つ。右から左へとゆく間に橋の袂の柳がどんどん姿をかえてゆく、細かい描写がいい。左端の蛇籠、水車がポイントになる。銀の月の下で。

柳橋蒔絵伽羅箱  小さい正方形の箱。ふっくら。被せ箱。この箱を持っていたのはきっと手の甲の柔らかな姫に違いない。
そんなことを思うのも楽しい。

日月桐鳳凰・竹孔雀図屏風 江戸時代  青い桐の花、日月は金銀板、左の孔雀ファミリー、ママの羽根の下にちび達が収まる。
しかし一羽だけナマイキに外に出てパパに向かって何かさえずる。可愛いなあ。

日根対山 桐鳳凰図 1849  泉州・日根の日根対山。薄い桐、それを背景に鳥は案外カラフル。先年対山の展覧会が泉州で開催されたが北摂にはなかなか情報が入らず、とうとう行き損ねたのが残念だ。

岩佐又兵衛 堀江物語  絵の背後にモニターがあり、ようよう逃げ延びた乳母が太郎を抱いて泣いているところへ岩瀬家の人々が発見するシーンから成長した太郎が不思議な老人から出自を聞き、乳母に問い質し泣きあうシーンまでが見れる。
イメージ (939)

イメージ (940)

そして本当の絵巻は太郎が元服し、養父・岩瀬氏の助力を得てついに仇討に出陣するシーンまでが出ていた。
またいつか全編みたいな…
ところで6/5までMOAで又兵衛「浄瑠璃物語」展示中。わたし、まさかの日にち間違いで今回見に行けないのでした。

景徳鎮窯 赤絵唐人物図鉢 銘・大マレモノ 磁器 16世紀 明時代  チラシの「香」の口の部分な。
この絵柄、ぐるりと左へ回ると、虎に懐かれる坊やがいる。そして反対側には山羊もいて、虎をじっと見ている。

橘蒔絵硯箱 室町時代  橘のふっくら実る木の上を鶴が三羽。下の岩には葦手で文字。
「花散里」の「橘の香をなつかしみ郭公花散る里をたづねてぞとふ」がベース。

仁清の可愛いのがある。この画像はフリー雑誌からだが、丁度わかりやすいサイズになった。
イメージ (1011)
本物の△はもっと小さい。色がとても清い。
そしてこの作り方をパネルが説明。

花兎蒔絵面中次 江戸時代  ウサギと言うよりハイジに出てくる山羊たちにしか見えないが、このウサギたちはみんな表情がちょっとずつ違い、それでみっしりと表面を覆う。
イメージ (1010)

土佐光貞下絵の二本松蒔絵面中次もある。
原羊遊斎の菊蒔絵大棗も出ている。
イメージ (1012)
かれの弟子・中山胡民の花鳥蒔絵棗も可愛い。蝶に小さな花に鳥。

松島蒔絵硯箱 幕末ー明治  千鳥が一斉に飛び立つ。中には小舟の水滴。

芝川又右衛門創業の日本蒔絵合資会社が拵え、村山が購入した物一式がある。
浪草花蒔絵文台・料紙箱・硯箱 1896  おー大胆な模様替り。波側には千鳥も。そして浜辺には花々。

綺麗なものをたんと見てご機嫌。
6/24まで。

御影では明治の刀工・月山貞一の展覧会。
イメージ (1018)
イメージ (1019)
倶利伽羅紋の入った刀が綺麗だったな。

資料で見る大邸宅

本物を一度だけ見たことがあるが、むろん撮影禁止。
庭園ツアーも開催されていて、庭園撮影は可能だがネットに挙げてはいけないので、挙げないまま。
しかしカレンダーなどで出ている分があるので集めてみた。

今ではありがたいことにVRで邸宅内部を確かめることは出来る。
イメージ (1013)


イメージ (1015)


イメージ (1014)


イメージ (1016)


イメージ (1017)


模型もあるし、VRをたのしめるから、記念室に行くのもとても好きだ。

創刊50周年記念 週刊少年ジャンプ展 1990年代、発行部数653万部の衝撃 その2

続き。
「花の慶次」  このマンガがなかったら、隆慶一郎読まなかった。いやもう多少というかかなりめちゃくちゃというか破天荒なところも多かったけど、あまりに面白くて何回読んでも飽きないし、読み重ねると次々と別なエピソードが好きになっていったりするし、キャラがまたもうよくて。原さんのキャラのかっこよさにはシビレたね。

その後、原さんが目を悪くされたと聞いて、あの作画の凄さを考えると「…あああ…」と思ったけれど、本当にカッコよかったもんなあ。
慶次をはじめかっこええキャラがほんまに多かったし、彼らの持つ過去やしがらみ、そしてそれを打破するところとか好きでした。


「ペナントレース やまだたいちの奇蹟」  こせきこうじさんの良さが分かったのは、マジな話ジャンプからではなく、バンチでのやましたたろーのサラリーマン篇からだった。
この人の面白さ・良さをわたしが理解するには、わたしも大人にならないとダメだったのだ。
それで改めてこせきさんの作品を読み直して、その「暑苦しさ」に胸を衝かれたのでした。
「ああ一郎」から読んでいたのにこれだ。
しかし大人になってからこの人のファンになったのは、やっぱりよかった。
ハートウォームな話が多いから。
そしてそれは「ああ一郎」から一貫して変わらなかったのだ。
改めてこせきさんの作品をジャンプで知ることが出来たのは良かったのだと感謝している。


「ろくでなしブルース」 シャドウボックスで立体感を出す展示をしていたのは面白かった。
とはいえ実は「ろくでなしぶるーちゅ」が好きでいくつも忘れられないギャグがある。
絵の良さ・台詞回し、よかったなあ。
ただ、ヤンキーの少年たちのドツキアイはわたしには苦しかった。

「ROOKIES」の方が個人的に好きなのは、やっぱり野球やし、みんなの名前にウケたりしたからだが、後の「しばいぬ」とか「べしゃりくらし」とか考えると、やっぱり台詞回しいいんだよなあ。

水族館のカツオかな、だーっと泳ぐのを見るシーンも出てていて、作者も気に入ったシーンだそうだけど、これはなんというか、やっぱり目に残った。


「SLAMDUNK」 本当にもう、何年経とうとこの作品の熱気は常に自分の中に生きている。
メンバーのいいシーンが拡大化された原画を背景に展示されているけど、改めて16巻の表紙の流川って今の大谷翔平君に似ているなあと思ったり。普段の流川の綺麗な顔と違う感じがあるからかな。
無限に語れるけど、それは抑えて、展示の話をする。

山王工業とのラスト47.5秒のクライマックスシーンがヒトコマずつ映像化されていた。
凄い緊迫感があり、ドキドキした。もちろん結末は知ってるのに、なのに、ドキドキする。
「勝って!」と心の底から応援する。声を出さないようにしながらも叫びそうになる。
そして桜木の「左手は添えるだけ」あのたった一言に刺される。
歓喜の訪れに目元が熱くなる。

何回も何回も見た。みては目元が熱くなる。
よくぞこの設えをしてくれた、と感謝する。

連載中どんどん絵がうまくなっていったなあ。
みんなとても好きだった。脇を固めるキャラたちにも熱い気持ちを寄せていたあの頃。
終了して22年も経ったなんて信じられない。

個人的なことをいうと、阪神大震災のあの時、色んなものに埋もれて一瞬「もういい」と思ったのだが、「今週のスラダン読んでへん!」とそのことに気付いて、必死で色んなものを押しのけて外へ出たのだった。
その意味でも「スラムダンク」はわたしにとって生涯決して手放せない作品なのだった。
いつも愛がある。


森田、富樫、井上三人のインタビュー映像を見る。
三者三様のジャンプ話がとても興味深い。
これも見に行けたからこそ聴ける内容。


でたーっ漫☆画太郎 いやもう何といえばいいのか…
原画の禍々しさにぞわーっとなったぞ。
これ以上の破壊力を持つ作家ていてはるか…
それがジャンプ連載だったのがこわい…


「るろうに剣心」 明治の東京を描いた少年マンガって多分これが始めではないかな。
実写やアニメになったが、実はタカラヅカのがいちばん好きだった…
敵がとにかく迫力あるよな。


「セクシーコマンドー外伝 すごいよ!!マサルさん」 やっぱりこれは「ボスケテ」だよなと思いながらコーナーへ来たら、天井から「ボスケテ」の文字が吊られてて、爆笑してしまった。
シュールなギャグマンガだったなあ、よくわからないとしか言いようがないけど、今でも台詞がぱっと出たりするから、やっぱり残ってるんだなあ…
ほんまに「すごいよ!!」としか言えない…


他にもまだまだ面白い作品が多かったなあ。
会場は一度しか見て回れず戻ることは不可なのであれだけど、とにかくよかった。

今回は公式パンフを買った。
イメージ (1004)
次は00年代のジャンプ。
「デスノート」「HUNTERxHUNTER」も現れるね。
それが楽しみです。



創刊50周年記念 週刊少年ジャンプ展 1990年代、発行部数653万部の衝撃 その1

1990年代少年ジャンプの展覧会に行った。
前の80年代までのも滾ったが、今回もよかった。
前回の感想はこちら
「少年ジャンプ 創刊から80年代、伝説のはじまり」展 その1
イメージ (1005)

わたしにとって90年代ジャンプといえば「スラムダンク」「幽遊白書」に尽きる。
他に好きな作品も多いし、「こち亀」「ジョジョ」も続いているけれど、やっぱりジャンプ50年で最も熱くなった作品は80年代初頭の「リングにかけろ」と「スラムダンク」「幽遊白書」なんだよな。
(本宮作品についてはジャンプ以外の、つまり青年誌の作品のほうが好きかもしれない)

実際「スラムダンク」があったからこそ、わたしは阪神大震災で生き延びることができたと信じている。
「スラムダンク」も「幽遊白書」も作者は同世代。
あの頃の熱気は今も皮膚の下、血管の内側に活きている。

一回りしか出来ない展示構成なので、一つ一つ刮目してゆこう。
(この「刮目」という言葉は「東大快進撃」のラストシーンで知った言葉だった)

90年代ジャンプの特別映像コーナーへ。
「スラムダンク」から始まる。そして90年代の作品群が一挙に押し寄せてくる。
「聖闘士星矢」終了後から少し離れていたが、92年からジャンプへ戻ったわたし。
それから「スラムダンク」終了まではまた熱烈なジャンプ読者に戻っていた。
当時の「ジャンプ」はどの作品も皆とても熱く面白かった。
温度の低さが楽しいのは「王様はロバ はったり帝国の逆襲」くらいだったか。
あれも面白かったなあ。
この映像を見るだけで胸が熱くなる。

頬が紅潮するのを止めないまま原画展示コーナーへ出た。
「DRAGON BALL」 やっぱり絵と構成が巧いなあ。それで「クリリンのことかー!!」があった。

あの地球人のように?…
クリリンのことか…
クリリンのことか───────っ!!!!!


おーーーー凄いええシーンだ。
やっぱりいい、悟空。
なんでもこのシーンは皆の人気投票ぶっちぎり一位だったそうな。
なるほどなあ。

それにしても鳥山さんの絵はやっぱり巧すぎる。
動くシーンもいいけど、一枚絵がまた素晴らしい。
鳥山さんと大友さんのブレイクで作画の細密度がスゴイことになった、とよく思う。


「こち亀」はまさかの4年に一度登場する日暮熟睡男が壁一面占領していた。びっくりしたぞ、なんでこれやっ!と思ったわーw
他にも良い品物への価格設定についての話が紹介されていたが、これは今読んでもうまい話の持っていき方で、とても参考になる。そう、両さんも中川もみんな社会人ですもんなあ。
意外に実人生に役立つところも多くて好き。


「幽遊白書」 色んな名場面が出ているが、後になるほど画力の高まりが凄まじくて、本当にびっくりする。
いい絵だ…「暗黒武術会」の拡大原画、マジでかっこよかったわ…
妖狐の眼の妖艶さ、戸愚呂の変容、青年バージョンのコエンマ…

それから軀のシリアスな正面イラストが出ていたのが物凄く嬉しかった。
わたしは富樫キャラではこの軀と「HXH」のコムギちゃんがとても好きなの。珍しく女キャラの方が好き。
フジョシなわたしですが、飛影と軀が仲良くする様子がとても好き。
ああ、やっぱりいいなー富樫、最高。
全く先が読めない…
「レベルE」も出ていた。これも面白かったけれど、わたしはやっぱり「幽遊白書」と「HUNTERxHUNTER」が好きだ。

雑誌掲載時に出ていたが単行本の時に修正された官能的でややグロテスクな木とかそうしたのも見れるかと思ったが、さすがにその原画はなかった。惜しいような気もするが仕方ない。


「ジョジョの奇妙な冒険」 第三部の承太郎の話はわたしの中ではベストです。やっぱり一番好きなのはこれだな。
ジイサンも好きだし。いや、元々第二部のジョジョがもうほんと好きで…
とかなんとか言いながらブチャラティが現れたので、会場内で「きゃーっっっ」好き好き好き…とパニクッてたのでした。


「ターちゃん」の原画を改めて見てみると、動物の表現とか繊細だったのだなあ。
わたしは徳弘さんは「昭和(近未来)不老不死伝説バンパイア」がいちばん好きだけど、ターちゃんもよく読んだ。
読んでた当時気づかなかったけど、ほんと、いいよね、この繊細さ。
ゾウや猿をはじめとする動物たちのしわの表現、肉の影とかリアルで、ギャグと共に描かれた動物たちへの愛情とかそういったものが活きてるのを感じるわ。
これは樺山勝一「吼える密林」をちょっと思い起こすね。


まだまだ書くことがあるので一旦終わる
続く。




最近の記事
月別アーカイブ
カテゴリー
全ての記事を表示する

全ての記事を表示する

フリーエリア