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美術館・博物館・デパートでの展覧会を訪ね歩き、近代建築を見て周り、歌舞伎・映画・物語に溺れる日々の『遊びに行った日を記す』場所です。 

「糸のみほとけ―国宝 綴織當麻曼荼羅と繡仏―」に驚く その2

続き。
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第4章 平安時代から鎌倉時代へ―美麗の繡仏
ここから先はもう唖然とするばかりの美麗さが続く。
刺繍で表現する、というのは絵画や彫刻とはまた別な苦労があるが、様々な技法を用いて表現するところに、宗教心だけでない喜びもあると思う。
それにしてもこの作り手は女性なのか男性なのか、どちらもが関わっているのか。

わたしの祖母は女学校時代、西洋刺繍で森の中の湖水を表現した。それは長く家に飾られていて、とても綺麗だと思った。
友人の旦那さんは伝統工芸士で羽二重布団を拵えているが、糸もよく使う人だという。
そう、糸と針を使う「人」ということだ。
しかしこれら「糸のみほとけ」を制作したのはどんな人なのか。
性差なくそれに当たったのか、それともかつてのペルシアの絨毯制作のように女性の労働だったのか。
いや、みほとけということで女人を措く仕事だったのか…
実際、誰が…むしろ「どのようなヒトが」拵えたのだろう。

刺繡普賢十羅刹女像 1面 平絹地 部分刺繡 平安時代 12世紀 滋賀 宝厳寺  竹生島のお寺に伝わるもの。白象に乗る普賢菩薩の周囲に十人の羅刹女。遊歩するように見えるのもいい。なんでも主に「さし縫い」を使い、ところどころ「平縫い」で構成されているそうだ。

刺繡文殊菩薩騎獅像 1幅 平絹地 部分刺繡 鎌倉時代 13世紀 奈良 大和文華館  五髷の文殊少年。可愛い。
ところでわたしは大和文華館の会員をわりと長く続けているが、この作品はまだ見たことがない。
明の相良縫いの刺繍如来像は二年ほど前に見ているが。
それが出ていたのはこの展覧会。
仏教の箱 荘厳された東アジアの容れもの 
当時の感想はこちら

鎌倉から南北朝の頃は種子ブームが来たのか、大きく強く梵字の刺繍のついた曼陀羅などが続く。
思えば一文字でどの仏かわかるのだ。いいアイテムなどと言っては叱られるか。
そうそう、諸星大二郎「暗黒神話」で梵字が「邪馬台国」を示す道標になったシーンがある。
四体の石仏の頭上にそれぞれ種字があり、並べて読むと「ヤマタイ」となる。
更に四体の彼らの視線の交わる先に庚申塔が立つ。日月を手にする像が。

刺繡種子阿弥陀三尊図 1幅 平絹地 総繡 鎌倉~南北朝時代 14世紀 京都 檀王法林寺  京阪三条近くの「だんのうさん」。
刺繍には髪も使われているそうな。←サー出てきたぞー


第5章 中国の繡仏―多彩かつ緻密
丁寧かつ執拗な美。
東アジアの仏教美術の細密さの凄みというものを改めて実感。
刺繍も螺鈿も何もかもが緻密。仏を表現するために技術が向上する。

刺繡楊柳観音像 1幅 平絹地 部分刺繡 中国・南宋~元 13世紀 京都国立博物館
刺繡菩薩像 1幅 平絹地 部分刺繡 中国・元 13~14世紀 愛知 本光寺
刺繡普賢菩薩像 1面 平絹地 部分刺繡 中国・南宋~元 13世紀 愛知 延命寺
刺繍の始まりというのはどうも中国らしいが、古代既に技術が生まれていたと思われる記述もある。
なにしろ前漢の頃にはもう刺繍がしっかりあるのだ。
だから今ここにある刺繍仏像が作られる千年前にはもう使われているわけだ。
なので千年後のこれらの刺繍仏の制作に遺漏があるはずもなく、六~七百年後の今日まで仏たちはイキイキと生き残っている。

刺繡九条袈裟貼屛風 1隻 羅地・綾地 部分刺繡 中国・南宋~元 13世紀 京都 知恩院  美人もいる。またもういい素材に凄い刺繍。これは重源請来という謂れがある。東大寺の重源から知恩院にどのように入ったのかは知らない。
8年前の京博「高僧と袈裟」展に出たそうだが、わたしはあいにく風邪をひいて見に行けなかった。
その事情はこちら。
上京区ふらふら 非公開寺院など見たり

まあ八年目にしてやっとご対面だからよかったよかった。

刺繡九条袈裟 無関普門所用 1領 繻子地 部分刺繡 田相部は綾 中国・南宋~元 13世紀 京都 天授庵  これまた凄いものを見るなあ。孔雀がいるよ。
極端なことを言えばお坊さんのオシャレの粋が袈裟だからなあ。←「月刊住職」にそんな特集あってもいいと思う。
「西遊記」にも袈裟コレクターのヤバイ坊さんが出てきたし。観音禅院の和尚だったかな。

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第6章 浄土に続く糸―刺繡阿弥陀来迎図
臨終の時、五色の糸を阿弥陀仏の指にかけたのを延ばして瀕死の人につなぐ。
これで来迎間違いなしというシステムがあった。

近藤ようこさんの「安寿と厨子王」にその描写がある。
厨子王を養子とした梅津院は臨終の際、完成間近の金仏の指に五色の糸を絡めて安寧な来迎を望んでいた。だが悪人の厨子王は全財産を相続するために、いうことをきかないと糸を切ると梅津院を脅迫する。
結局梅津院は来迎仏たちの音曲を耳にしながらも厨子王から糸を奪われ、先に殺された妹らのいる地獄へと落ちてゆく。

他に板橋区立美術館での「地獄/極楽」展で黒いマネキンを使った臨終-来迎待ちの展示をみたが、あれはもう本当に強烈な印象を今に残している。

ここではその極楽へつながる糸はなく、その糸で構成された仏たちがある。

中将姫坐像 1軀 木造 彩色 室町時代 永禄元年(1558) 奈良 當麻寺
尼となった中将姫の坐像である。とても優美なお顔。
五年ほど前この奈良博で開催された「當麻寺 極楽浄土へのあこがれ」展以来の再会。
当時の感想はこちら
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當麻寺縁起 下巻 1巻 紙本著色 室町時代 享禄4年(1531) 奈良 當麻寺  尼僧の日々の果てついに生きながら極楽往生を迎える。阿弥陀と蓮とが奇麗。
あなたふと なもあみだほとけ…

刺繡阿弥陀三尊来迎図 1幅 平絹地 総繡  鎌倉から南北朝、室町時代のがいくつも並ぶ。
中宮寺、大雲院などのほか個人所蔵も。祈るための図。
藤田美術館のは髪がたくさん使われていた。
だんのうさんのは色合いがとても綺麗で背景はトルコブルー、金糸もよく使われている。
みっしりと縫い尽くされた刺繍仏画。よそ見も出来そうにない来迎図。

繡仏残欠 1面 平絹地 総繡 鎌倉時代 13~14世紀  向かい合う孔雀が綺麗。

刺繡釈迦阿弥陀二尊像 1幅 平絹地 総繡 鎌倉時代 13~14世紀 大阪 藤田美術館  台に獅子が乗る。可愛い。

時代が下がり極度にキラキラなものが現れた。
刺繡當麻曼荼羅 1幅 平絹地 部分刺繡 彩絵 江戸時代 明和4年(1767) 京都 真正極楽寺  びっくりした。キラッキラ。堂内、輝くだろうな。

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 第7章 髪を繡い込む―種子と名号
髪、特に女の髪には霊力がこもるという。現代はもうそんなこともなくなったろうが、昭和の半ばくらいまではそれはある種の信仰として活きていた。
東本願寺には「毛綱」がある。今あるのは明治の新潟三条あたりの女性たちからの寄進の物らしい。
それについてはこちらに内訳が記されている。
昔の髪がどれほど強かったのかは知らない。栄養不足で髪がいまいちということはなかったのだろうか。
尤もこうした刺繍に使われる髪はいい髪に違いない。

刺繡種子阿弥陀三尊図 1幅 平絹地 総繡  いくつも並ぶ三尊図、仏の前の台には獅子または香炉が乗る。
獅子が刺繍でふくよかでモフモフなのが可愛い。

いよいよ著名人の髪が登場。
刺繡阿字図 1幅 平絹地 総繡 南北朝時代 14世紀 東京国立博物館  北条政子の髪らしい。出家の時のかそれ以前のか。
「阿」の字が髪製。
高野山にある血曼荼羅は清盛のだが、色はよくわからなくなっている。しかしこれは糸として使われているからはっきりと見える。
…ヒトから離れた髪と言うものはなんとなく恐いな。

随分前に平泉金色堂の宝物殿で秀衡の枕をみたが、あの凹み具合が八百年の歳月を強く感じさせた。
そしてそこに髪が数本残っていた。
平安末期のヒトの存在感がなまなましく迫ってきた。

髪を鎧に使うという話もあるが、やはりいちばん残るのはこれら刺繍に使われた髪だ。

刺繡阿弥陀名号 1幅 平絹地 総繡 南北朝時代 14世紀 京都 宝鏡寺  天蓋の下に六文字。尼寺にあることの意味を少しばかり考える。ここのお寺は百々御所で皇女の御寺なのだが、剃髪したその髪はこうしたことに使われるということはなかったのだろうか。


 第8章 近世の繡仏―繡技の到達点
このタイトルで思ったことは着物の装飾のことだった。染織の美に刺繍に。
技能も突き抜けてしまうと、一回りして仏の国から人の世に来るのだ。
江戸中期の着物の飾り、お能の装束などなど、様々な糸の文様が浮かんでくる…

刺繡仏涅槃図 1幅 平絹地 部分刺繡 江戸時代 享保15年(1730) 福島 妙国寺  様々などうぶつたちの嘆きも刺繍で表現する。布に縫い取られる悲しみ。・・・カニもいた。

刺繡聖徳太子孝養像 1幅 平絹地 部分刺繡 彩絵 江戸時代 17世紀 大阪 四天王寺  顔や手は絵。衣裳などが刺繍。
これを見ると菊人形、陶器人形などを思い出した。着せ替えも可能ではないか。
そしてこの様式は現代でも生きているのではないか。

アーチスト清川あさみは美男や美女の写真に糸やビーズを使った刺繍を施す作品を発表しているが、現代の刺繍はそのように異種の素材をも使いこなす。
ただしこちらはヒトを飾るための技法としての選択なので、また意図は違うが。

刺繡八幡神名号 1幅 平絹地 部分刺繡 南北朝~室町時代 14~15世紀  八幡神のお使いは鳩。その鳩がここにもいる。
ふくよかな鳩。

刺繡青面金剛名号 1幅 平絹地 部分刺繡 江戸時代 17世紀 京都 天祥院  こちらは当然三猿。
四天王寺のも並んでいるが、どちらもやや短髪モフモフ系の刺繍猿だった。

刺繡釈迦誕生図 1面 綾地 部分刺繡 朝鮮半島・朝鮮時代または中国・明 15~16世紀 長崎 最教寺  平戸にあるお寺。わくわくと楽しそうである。甘茶をかけてやろうと待機中の帝釈天までいてそうな気がする。

錦織如来三尊百体仏図 1幅 錦織 朝鮮半島・朝鮮時代 天順7年(1463) 京都 誓願寺  ああ、なんだかもうここまで来たのだ。

この展覧会は絶後ではないかもしれないが、空前であることは間違いないと思う。
刺繍仏像を集めた展覧会がこの先あったとしても、この「糸のみほとけ」展を超えることはかなり難しいのではないだろうか。
一針一針に祈りをこめた指が動き、形が生まれてゆく。
仏の形が完成する頃には疲労困憊、目も痛むだろう。
大勢で取り掛かったとしてもすぐに出来るわけではないのだ。

凄い展覧会をみた。
この展覧会を見ることが出来たのは幸いだったと思う。
8/26まで。

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「糸のみほとけ―国宝 綴織當麻曼荼羅と繡仏―」に驚く その1

奈良国立博物館は時々物凄いとしか言いようのない展覧会をする。
ここは確実に秋は正倉院展、真冬はおん祭展、春を呼ぶお水取り展を開催するので、その隙間を縫って特別展なり企画展なりが開かれる。
というか、この三大展覧会の隙間でないと、大きめの展覧会は難しいというべきか。

これまでにも「美麗 院政期の絵画」展「インド・マトゥラー彫刻」展「神仏習合 かみとほとけが織りなす信仰と美」展などを開催してきた。
突発的に厳島神社展もあったが、あれは台風被害の為に出開帳したのを展示したものだ。
そしてその展覧会も好意を以て受け入れられている。
尤も寺社の名宝展は他のところでも喜ばれることが多い。
奈良博は見せ方も良いということだ。

要するに奈良博にはとんでもなく凄い展覧会という系譜があり、そこに連なるものが今回久しぶりに現れたのだ。
「糸のみほとけ―国宝 綴織當麻曼荼羅と繡仏―」展。
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誰がこんな凄いものを目の当たりにすることになると予想したか。
チラシですでに十分に予想出来てはいたが、現物は更に物凄かった。
眼が眩んでしまった。

第1章 飛鳥時代―日本最初の仏像は繡仏だった
このタイトル見ただけでぞわぞわするわ。
結局人間てまず最初に何かを作ろう・何かを形にしたいと思ったときって手づくりからでしょう。
しかも古代。自分の手を使うところからモノが生まれ行く。
だから彫ったり縫ったりがある。とはいえまさか刺繍の方が先とは。

日本書紀(寛政六年版) 第十冊 1冊 紙本墨摺 江戸時代 18世紀 奈良女子大学学術情報センター  推古天皇の御代に銅の仏と刺繍の仏とを同時期に作成して元興寺にお納めした、というあたりが出ている。
「十三年夏四月辛酉朔、天皇、詔皇太子大臣及諸王諸臣、共同發誓願、以始造銅繡丈六佛像各一軀。乃命鞍作鳥、爲造佛之工。是時、高麗國大興王、聞日本國天皇造佛像、貢上黃金三百兩。閏七月己未朔、皇太子命諸王諸臣、俾着褶。冬十月、皇太子居斑鳩宮。
十四年夏四月乙酉朔壬辰、銅繡丈六佛像並造竟。是日也、丈六銅像坐於元興寺金堂。時佛像、高於金堂戸、以不得納堂。於是、諸工人等議曰、破堂戸而納之。然鞍作鳥之秀工、不壞戸得入堂。卽日、設齋。於是、會集人衆、不可勝數。自是年初毎寺、四月八日・七月十五日、設齋。」


大きい仏像なので入らないから戸を壊そうという話も出たが、さすが鞍作鳥がいるだけにうまいこといった、という話。
このあたりの様子を安田靫彦が描いている。
ご参考までにこれだろうな… 展示されてません。
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わたしの中ではイメージ的には「日出処の天子」のトリなんだよなあ。王子の予言は確かなわけです。

さて国宝・天寿国繡帳です。
今まで知らなかったけど、飛鳥時代のに鎌倉時代のを補綴していたそう。 そして後補の方が褪色著しい。
1面 紫羅地・紫平絹地 部分刺繡 飛鳥時代 7世紀 奈良 中宮寺  亀は甲羅に四文字載せる。この残っているのは厩戸王子の母・間人女王のこと。元々は百亀いたらしい。
月兎もいる。紫の絹に羅を重ねてそこへ刺繍という構造だそう。返し縫で製作。
改めてじっくりと拝見いたしましたわ。昨年の「国宝」展 第2期以来の再会。
当時の感想はこちら
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やっぱり可愛いアップリケ。
杵なし兎の戦闘ポーズイメージ (1195)

折井宏光えがく制作中の皆さん。ご参考までに。←展示されてはいません。
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その残欠ものも凄いな…幡足裂とか。それらは大切に大切に法隆寺、東博、徳川美、白鶴美などに収蔵されている。
聖徳太子関連の遺宝ではこれと玉虫厨子とが非常に印象深く、また怖いような感じがある。

金銅唐組垂飾 1条 銅製 透彫 鍍金 組紐 飛鳥時代 7世紀 大阪 藤田美術館  これはあれだ、ティアドロップ型の鈴のついたもので、赤の線に黒と金の間道に更にもう一色入ったもの。

縞地竜文刺繡残欠 1面(3片) 白羅地 部分刺繡 飛鳥時代 7世紀 東京国立博物館 法隆寺伝来品  これも返し縫。そしてその造形がどうもマティスの切り絵シリーズ「サーカス」に似ていたりする。
1300年後の異国に、形の似たものが手から生まれるのは楽しい。

薄い金属プレートに細線で天人の絵が刻まれた幡。
金銅灌頂幡 四隅小幡 2旒 銅製 透彫 鍍金 飛鳥時代 7世紀 東京国立博物館 法隆寺献納宝物
金銅小幡残欠 1面 銅製 透彫 鍍金 彩色 飛鳥時代 7世紀 兵庫 白鶴美術館
白鶴のは「目ヂカラ美人の飛天三人組」とわたしは呼んでいる。
最近ではこの展覧会で見た。
白鶴美術館「作品は深く語る 中国・日本美術の地平」展をみる

東博の法隆寺宝物館でみかける幡足裂の数々。
黄、緑、紺などの色の縬地。黒を下地にしていたり、色もよく残っている。
藤田美や大和文華館には古裂帖貼にその残決がある。
名だたる古美術蒐集家のもとにこうして活きている。
中でも藤田のには三美人が現れる。
中央は相当な美人で、左は映画「ざくろの色」の主演者に似ており、右は「あーれー」と言いそうである。
個人蔵のでは天人が琵琶を弾くのもある。

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第2章 綴織當麻曼荼羅―奇跡の綴織
今回の展覧会のメインだという。
見学に行ったこの日、「国宝綴織當麻曼荼羅 ―― その図様と意義」という講義があり、マンガ家・近藤ようこさんが聴いておられた。合流してお茶を飲みながら少しばかりそのお話を伺う。
わたしは沈黙したまま人の話を聴くということがほぼ不可能なため、こうした形でなら、しかも大好きな近藤さんからなので、お話が聴ける。

連珠円文綴織残欠 2面 綴織 飛鳥時代 7世紀 東京国立博物館 法隆寺伝来品  こうした連珠円文を見るたび龍村平蔵の再現の苦労がしのばれ、たとえ彼の手掛けたものでなくともドキドキするのだった。
本物以上にたぶん初代龍村平蔵再現品が好きなのだろうなあ。
かれの再現したのは「獅子狩文錦」でしたが。

いよいよ登場。

綴織當麻曼荼羅 1幅 綴織 中国・唐または奈良時代 8世紀 奈良 當麻寺 綴織 縦396.0cm 横396.6cm  大きいなあ。わたしなどは「そうか、藤原南家郎女が蓮の糸を織ったからか」とあの様子を思い浮かべるが、姫本人が織ったかどうかは本当のところはわからない。
サイトにはこうある。
「奈良時代に高貴な女性(中将姫)の祈りによって、蓮糸を使い一晩で織り上げたと伝えられ、わが国の浄土信仰の核となった曼荼羅である。図様は極楽浄土の様子を中心に『観無量寿経』を絵解きする内容」

実際他で見る當麻曼荼羅はどれも皆楽しそうな極楽の様子が表現され、わたしなどは「極楽アイランド」と呼んでもいる。
周囲のコマ絵はいわゆる王舎城の悲劇が描かれている。
それは王妃韋提希の献身の物語であり、同時に阿闍世王子の悲惨な物語である。ただし物語を知らないと、何を描いているかはわからない。わたしもこの一コマ一コマがどのシーンに当たるのかはわからない。
さてこちらはかなりの変色があり、仏の表情というものは確認できない。

そこで登場するのがこちら。
綴織當麻曼荼羅 部分復元模造 1面 綴織 現代 平成30年(2018) 京都 川島織物セルコン  川島織物が来た。部分でもはっきりした絵が現れた。そうか、こういう表情なのかと納得がゆく。
ああ、綺麗。

これはやはり「死者の書」の世界でもある。
原作を読むもよし・川本喜八郎の映像作品を観るもよし・近藤ようこさんのマンガを見るもよし。そうして「死者の書」を、高貴の姫が見た浄土を<体感>するがいい。
わたしはそれらの作品を思い出しながらこの巨大な曼陀羅の前に佇む。

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第3章 奈良時代―巨大な繡仏の時代
奈良時代はそれまでの時代にない「巨大なもの」をいくつも作っている。
しかもそれらは仏教関係。この国に仏教が完全に浸透した証明だと思う。

8世紀の唐招提寺からいくつもの刺繍残欠が来ている。
飛雲文、人面文、王字、花文など。太い眉の立派な顔。花文はわからないものもある。
1300年間守り伝えられてきたものと会えたのだ。

白茶地花葉文刺繡裂 1枚 白茶綾地 部分刺繡 奈良時代 8世紀 東京国立博物館 正倉院伝来品  両面刺繍。素晴らしい…

ところで刺繍と言えば「ドグラマグラ」の呉家に祟る絵巻を飾る刺繍が縫い潰しという凄い技術のもので、今調べると相良刺繍というものらしい。
「それは真物の「縫い潰し」といって、今の人が誰も作り方を知らない昔の刺繍だったのだそうです」と作中にある。

その相良刺繍についての説明は以下。
「相良刺繍とは【読み:さがらししゅう】
中国三大刺繍の一つです。中国では漢の時代より見られ、日本でも奈良時代に仏像の羅髪((らほつ=巻き毛)の部分に使用されています。相良刺繍は生地の裏から糸を抜き出して結び玉を作り、これを連ねて模様を描いていく技法です。非常に技術と時間を要しますが、とじ糸がなく糸が引っかからないのでどの刺繍よりも丈夫です。玉のように縫い込むことから別名を玉縫いとも呼ばれています。光沢はなく蘇州刺繍と同じ糸を使用しているとは思えないほどの落着き、上品さは、日本の着物には最高の技法とされています。


「きもの用語大全」さんから。
後にこの刺繍が当然ながら現れる…

鳳凰や獅子たち。
刺繡鳳凰残欠 一括 平絹地 刺繡 中国・唐 8世紀 東京国立博物館  割と大きめ。
刺繡獅子連珠円文残欠 1面 赤綾地・白平絹地 刺繡 飛鳥時代 7世紀 大阪 叡福寺  正面顔の獅子。歯抜けでガオー。可愛いぞ。

御釈迦様。
刺繡霊鷲山釈迦如来説法図 1面 白平絹地・麻地 部分刺繡 中国・唐 8世紀 英国 大英博物館  足元に獅子。表情豊かな一対。



刺繡釈迦如来説法図 1面 白平絹地 総繡 奈良時代または中国・唐 8世紀 奈良国立博物館  これは鎖縫いと相良縫いとで構成されているそうな。

長くなりすぎるので一旦ここまで。

驚異。凄いもの見たとしか言えない。刺繍万歳。
なんだろう、この執心。
染められた糸が返し縫・鎖縫・相良縫などの技法で仏を形作る。
糸だけでなく、髪もまた絵に縫い込まれて二百年五百年を生きる。
渦巻きが仏の頬になり、みっしり縫いこまれて月兎や亀になる。
凄いものを見た、そうとしか言いようがない。

「空から見る相模と日本 鳥瞰図の系譜」 @藤澤浮世絵館 その3

吉田初三郎の鳥瞰図はここまで。

琵琶湖名所鳥瞰図 1926
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遊覧船にハンカチいやハンケチを振るきょうだい。今はミシガンが就航中だったかな。

浜大津から比叡山。向こうに愛宕山ものぞく。唐崎の松に坂本も。
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京津線浜大津の駅そばの建物は大津公会堂。
こちらは現在の様子。
旧大津公会堂

竹生島、対岸には米原。
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白い点線は航路。


いよいよ海を渡る。
1929年、アカシアの大連へ。写真と吉田初三郎のコラム。
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大連の枕詞に「アカシアの」がつくのを知ったのは清岡卓行のおかげ。
「薔薇くるい」で彼を知り、そこから大連を知ったのだ。


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満鉄本社
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特急あじあ号が走ったのだなあ…


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いただきものがある。



村上もとか「龍 RON」を読み返そう…


朝鮮 金剛山交通大鳥瞰図 1929
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北朝鮮の高名な観光地だったかな。凄い景色の金剛山。大阪と奈良の間にあるのと違う。あちらは修験道の山。
うちの同僚で世界各国を回る奴が「金剛山行ってきた」と言うので、シリアやソ連どころか南アまで行った奴がなんでわざわざ金剛山登ったことくらい言うねん、いやそもそもこいつは山登りなんか嫌いとか言うてたやん…と思ったのだが、はっっっとなった。
「あんたまさか太白山脈の?」と問いかけると「あたりー。テペク山脈てよくしってたなー」…びっくりしましたわ。

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菊池幽芳のコラムもある。
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詳細に見るのが楽しかったよ。

こちらは再現複製品。
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やっぱり手元にあると楽しいよね。

それとおまけ。
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都内

姫路城付近。
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この二つはまた別での分。
やっぱり吉田初三郎はいい。
9/2までだが、もしかすると7/31から展示替えがあるので、また別作品に会えるのかもしれない。

「空から見る相模と日本 鳥瞰図の系譜」 @藤澤浮世絵館 その2

続き。
今度は大阪から。
大阪府鳥瞰図 1932 大大阪と謳われていた時代。
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見返しは大阪城。前年に大林組により天守閣復元。


大阪湾から河内平野へ
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用明天皇陵まで見えるよ。

こちらは大阪市内詳細 布施の向こうらに木村重成のお墓とかあるのね。
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平野の大念仏寺は毎年8月末日曜に幽霊の画を一般公開する。
ここが融通念仏の大本山。去年の様子

古墳群。奈良もまた。
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ご近所。
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旭川市を中心とせる名所交通鳥瞰図 1930
見返しはどこかの峡谷か。
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今なら旭山動物園かな。

大雪山がある。
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小学校の時、別マでだったか柴田昌弘「大雪山の魔女」に出会い、凄く夢中になった。
二重の禁じられた愛と死とを描いた作品で素晴らしかった。
大学生になり学内旅行で初めて北海道へ渡った時、この山を見て、やっばり胸がいっぱいになったなあ。

市内
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きちんと区分けされているな。確かここには第七師団があったが、場所はどこだったろう。


「水の旅館を中心とせる博多名所遊覧ご案内 1927
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なぜか見返しに鷺。

博多の町中
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博多土産の「博多の女」と「通りもん」は本当においしいよなあ。

その「水野旅館」。現実よりかなり巨大化して描いている。
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博多港の近くにあったようだな。
それで唐津には今も料理旅館の同名の宿がある。そちらは名護屋城の武家屋敷門を移築しているそう。
高取邸の隣と言われて、なんとなく記憶がある。

こちらはその唐津。虹ノ松原に領巾振山ひれふりやま。松浦佐用姫の伝説がある。
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博多と唐津は近い。
以前遊んだとき実感した。虹ノ松原の心地よさは忘れがたい。


天草全島名所交通鳥瞰図 1932
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見返しには小舟で三味線を弾く美人。「阿まくさ」というのも雅。

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車が走るのが見えた。


景勝の長崎 1934
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見返しの船、異国のだね。

長崎港と市街地 稲佐山
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わたしはここの夜景大好き。久しぶりに行くつもり。


浦上天主堂 再建ではなく最初に建てられた時の様子を描いている。
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小樽市鳥瞰図 1931
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随分昔のTVドラマ「鉄鎖殺人事件」で小樽を知った。「北のウォール街」と謳われた頃の小樽を舞台にした復讐譚。
探偵が片岡孝夫(当時)。あまりに美男で、それからずっと今に至るまで好き。
浜尾四郎の原作とはかなり乖離しているが、この物語自体はたいへん好ましかった。悲痛な物語ではあるが。
そのドラマでの小樽のイメージが強く、後年訪ねたときも映像のイメージが先行し、現実に見ているものより記憶に残る小樽の方が鮮やかだった。

小樽港に集う船たち
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町の中心地
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博物館、文学館へ行った時、小林多喜二や伊藤整の資料を見た。伊藤整「若い詩人の肖像」は好きな本。
社内旅行で行ったときは石原裕次郎記念館で素敵な写真―裕次郎と2ショット写真をスタジオで撮ってもらった。
今はもう記念館もない。

続く。

「空から見る相模と日本 鳥瞰図の系譜」 @藤澤浮世絵館 その1

辻堂駅から徒歩数分の藤澤浮世絵館に初めて行きました。
まさかの無料でこんなけ良品を楽しませてもらっていいのか!!!と焦りましたわ。
しかもフラッシュなしでなら撮影可能。
ありがたや。
喜んでぱちぱち。
というわけで今回は「空から見る相模と日本 鳥瞰図の系譜」展の吉田初三郎の鳥瞰図を気儘に撮ったのを貼り付け。
そこへ自分勝手なことを書き添えます。←いつものことやん。

これはパネルのを撮影。神奈川県観光図会 1933
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ずばりこの界隈な。
わたしはこの日はここの次に藤澤へ出て例によって遊行寺へ。
遊行七恵なんだもん、遊行寺へゆくよなあ。小栗判官と照手姫の話が好きだもんなあ。

小田急沿線名所図会 1927
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見返しには和モダンなお母さんと洋装の子供らに、隣は島田のおねえさん。
小田原急行だから富士山も見えます。

神奈川県観光図会の見返しは江戸時代の旅姿の女
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川崎を中心に。花月園が遊園地だったころだね。
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二年ほど前にこんな素敵な展覧会があった。
夢の黄金郷(エル・ドラド) 遊園地
当時の感想はこちら
そこで花月園を知ったのだった。

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富士山の稜線がとても綺麗。グラデーションもいい。ほのぼのと夕日または朝焼けに染まる。


横浜市鳥瞰図 1925
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見返しはやはり船だね。
船と言えば当時なら「船の樺島」と謳われた超絶リアルなペン画の樺島勝一の絵が瞼に蘇るわ。

みなとを中心に。今とは大分違うわな。
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こちらは今も人気の観光地。
横浜球場があるね。
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箱根名所図会 1928
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関西からは行きにくいと思っていたので、実際に箱根入りしたのはつい近年。
箱根駅伝で見ていたから位置感覚は掴めていたが、実際に行ってみたらもうほんまに良くて良くて。
大好きになりました。
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久しぶりに行きたくなってきたよ。


スポンサーのために店舗の為にもいい作品を描く。
静岡県の大茶園・金谷牧之原鳥瞰図 1932
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そうよな、静岡茶ですよな。
見返しは大井川。蓮台でやつか。

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川崎園即売部と看板出してるのが素敵な洋風建築。今もあればよかったのになあと思った。
調べたがなかったわ。
そしてそのそばを行く汽車がぽっぽっと可愛く煙を出すのがいい。そこまで初三郎は描いている。
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予想以上に大量なので続きます。

江戸の悪 2 後期をみる

太田記念美術館「江戸の悪 Ⅱ」展の後期を見た。
今回も魅力的な作品が集まっている。
幕末頃のエグミが好きな向きには特にたまらない展示だと思う。

芝居と映画・TVとは同じ事象を取り上げてもダメージが違う。
殺人・強盗など犯罪シーン、ベッドシーンも映画やTVでは見ていて苦しくなったり、いたたまれなくなることが少なくないが、芝居は別なようで、歌舞伎でも文楽でも殺し場・濡れ場の魅力の深さに溺れている。
様式美というものかと思う。練り上げられた「型」を演じる役者たち。枠の外に出ないが、もどかしさを感じさせないほどに完成された「型」。
そして幕末の浮世絵の芝居絵・物語絵にもそれと同じ魅力がある。
尤も芝居と違い、枠を容易く乗り越える絵師も少なくないが、それであっても破綻せず、破天荒・破格の美と魅力とを撒き散らす。
わたしなどはそこのところに限りないときめきを覚える。
そして「江戸の悪」はわたしのそんな心を大きく揺さぶる展覧会なのだ。

畳の上に上がる。
普段は肉筆画の展示が多いが、今回は版画である。
悪党が畳の上で死ねると思うな…などと妄想を重ねながら絵を見る。

歌川国芳 『木下曽我恵砂路』 嘉永4年(1851)正月 大判3枚続  いきなり石川五右衛門の釜茹シーンである。彼は息子の五郎市を高く差し上げているがもう駄目である。
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村山知義の小説「忍びの者」ではこの五郎市は盲目という設定だった。
中一のわたしは熱心に「忍びの者」を読みふけった。結局父子共に釜茹でにより死を遂げる。
柴田錬三郎の「真田十勇士」ではこの子供は助けられ、一旦は出家させられるが後に三好清海として十勇士メンバーになる。
人形劇では辻村ジュサブローが金髪の長髪の美男に設え、最後には女装して徳川家康を毒殺する。
ドラマ「黄金の日日」での五右衛門は根津甚八。魅力的な五右衛門だったが、釜茹での記憶が飛んでしまっている。

よくよく絵を見ると様々な情報が見て取れるが、それはここでは記さない。
当時の認識と想像が形になったということだ。
それにしても釜茹でによる処刑は五右衛門以外は知らない。無残な処刑だが、国芳なのでそこまでの嗜虐性はない。
これが二人の弟子たち―芳年と芳幾なら、どんな絵にしていたことか。

その芳年の無残絵が出た。
月岡芳年 奥州安達がはらひとつ家の図 明治18年(1885)9月 大判竪2枚続  若い臨月の妊婦を逆さづりにして庖丁を研ぐ鬼婆。いや、この時まだ鬼婆となる寸前だった。老女岩手はお主の姫君の病を治すために胎児の肝を取ろうとしていたのだ。
しかし岩手はその若い妊婦が小さい頃に手放した娘だとは知らないまま、容赦なくその命を奪う。

この絵は責め絵師の伊藤晴雨にも強く作用し、彼はとうとうこの絵の実証性を確認した。
妊婦の妻の承諾を得、医師の立会いの下でこの絵と同じ構図を再現したのである。
責め絵師としてアッパレとしか言いようがない。
「江戸の悪」が「大正・昭和の悪」に転生したのである。
それにしてもこの亭主に合わせた奥さん、すごいなあ…

月岡芳年 英名二十八衆句 福岡貢 慶応3年(1867)4月 大判  「伊勢音頭」の殺し場である。
妖刀・青江下坂をそうと知らず手にした貢は油屋で殺しまくる。
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「さばえなす神・・・」と魯文が文を付けている。
これは日本書紀からだな。

畳から降りていよいよ壁面へ。
義経と熊坂の戦いの絵がある。場所は青墓の宿の外れ、または青野ヶ原である。
ここで少し道をそれる。
青野ヶ原は物語の要所となることが中世の頃には少なくない。大垣市の青野ヶ原の一部に青墓があるという記述も見受けられた。
この絵の通り熊坂長範がいたり、宿場では今様をうたう遊女がいたり、「常陸小萩」と呼ばれるようになった照手姫が宿場の「よろづ屋」で働いたり…
なお、青墓の隣町・美濃赤坂は採石の場でもあり、現代では矢橋大理石会社が盛業されている。
そこの迎賓館が素晴らしく、かつて見学させていただいたが、その時の様子がこちら。
大理石とステンドグラスの邸宅 その1

来春久しぶりに伺う予定。

歌川広重 青野ヶ原ニ熊坂手下ヲ集ム 文政初期(1818~20)頃 大判3枚続   むくつけき盗賊どもが寄り集まる図。
技術よりも力任せの連中なので、やっぱり御曹司に退治されてしまえ、という気になる。

月岡芳年 芳年武者无類 源牛若丸 熊坂長範 明治16年(1883)12月 大判   睫の長い美少年・牛若丸。明治になってからの芳年描く美少年は皆とても艶めかしい。
この美少年は力強く悪人を斬り伏せるが、たとえば梅若丸などは人買いにより都を離れて遠い東国へ連れられてきてしまい、ついに命を落とすが、その様子は扇情的であり、かつ被虐の美に満ちている。

「江戸の悪」とは嗜虐と被虐、どちらをも描いているのだ。
悪人は飽くまでも悪辣無頼でなくてはならず、しかも輝くような図々しさがあれば尚素晴らしい。
殺される側は可哀想であり、しかも苛んでみたくなる様子を見せるか、あるいは既に滑稽なほど壊されていなくてはならない。
その様子は絵や芝居でならいくらでも愉しめるものだ。

黙阿弥描く女装の盗賊といえばお嬢吉三・弁天小僧・「都鳥廓白浪」の傾城花子実ハ天狗小僧霧太郎実ハ吉田松若。
その中でもお嬢はもう完全に男よりも娘に近いが、弁天は手段として女装をしている。
霧太郎に至っては三段階の変身である。
そしてこの霧太郎は自分を捕り手に売った子分を、そうと知りながら殺害目的を隠して「俺も実はてめえの下歯になりてえのさ」と誘惑する。
いちゃつくのも目的遂行の為なのだ。
しかしお嬢吉三は違う。大川端で刃傷ごとを起こすが、かれはその後兄弟の誓いを立てたお坊吉三と共に心中しようとまでするのだ。

そのお嬢が兄弟分のお坊・和尚の為に禁を破って櫓に駆け上り鐘を打とうとする絵があった。
国貞描く魅力的な絵。時勢もだんだんまずいことになってきているときにこうした芝居があり、絵があることにときめく。

弁天小僧の艶めかしい一枚。
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倉の中、抜き身を刺しておいて女装の片肌を脱ぎ、長襦袢から足を見せ、そこの家のごちそうをいただく。
なんて色っぽいのだろう。

白浪五人男だけでなく雁金五人男もいる。こちらの方がちょっともっちゃりしているが、これはこれでいい。
無頼の美が匂い立つ。

国貞の「梨園侠客伝」「近世水滸伝」シリーズは見立てもので、とてもかっこいい。
「天保水滸伝」のリアルな時代だったのだ。
どちらのシリーズも侠客たちがとてもキラキラしている。

芳年も天保水滸伝を描く。
天保水滸伝之内 霧太郎太田原ニ於テ勢力ヲ救フノ図 明治17年(1884)11月 大判3枚続  美男の霧太郎が子分たちと共にどっかと座る。前には子分の猿の伝次。猿はましらと読む。「ましらの三太」はここから来たのかもしれないな。

ところで稗史や講談や芝居の中で大悪人といえばまず平清盛と相場が決まっている。
その清盛の最期も類のない無残さに満ちている。
芳年 平清盛炎焼病之図 明治16年(1883)8月 大判3枚続
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「あっち死に」

そして藤原時平。「車引き」の凸型四枚続の絵なども他では見ない。

小悪党の方が絵もイキイキしている。
南北の芝居に出てくる悪党は洒落にならない奴らばかり。
土手のお六殺しの絵もあるが、南北の殺人シーンはどこにもためらいがないのがスゴイ。

豊原国周「異種薔薇犯妻会 当ル卯の夏」シリーズが面白い。明治12年(1879)7月
一枚絵で当時「毒婦」として世上を騒がせた女たちを役者で描いたのだった。
菊五郎 高橋お伝
高助 原田お絹 (夜嵐お絹)
宗十郎 雲霧お辰
半四郎 写真お若  
明治らしい呼び名もある。このシリーズは他に鳥追いお松などがいて7人女という。

こちらは芝居の「鬼神のおまつ」
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夫の敵を取るシーン。

国貞えがく「江戸の悪」の魅力が大きい。
児雷也豪傑譚語、しらぬひ譚、シリーズものの豊国揮毫奇術競などはもうどれもこれも本当にいい。
国芳ほどの豪儀さはないが、客の望む官能性が絵に潜み、そこにときめく。

かさね、お菊さん、四谷怪談といった人気怪談を描いた絵も少なくない。
勝川春好 『伊達競阿国戯場』 安永7年(1778)7月 細判  しもぶくれのかさねが与右衛門に鎌で殺されるところである。
幕末のすっきりした女たちと違うところが却って凄みをみせる。

前述の吉田松若は桜姫の弟・梅若の兄という設定がある。お家再興のためにならどんなことでもしてのける貴公子で、ある時は盗賊霧太郎になり、傾城花子になり、また許婚者に自分は死んだと見せかけてその妹をたぶらかす悪人でもある。
「お家再興のため」という大義の為にはどんな悪事も許されるというのが凄い。
「女清玄」での松若は特に悪党の面目躍如である。

国貞 『隅田川花御所染』 文化11年(1814)3月 大判3枚続  松若が死んだと思い髪をあげた清玄尼(目千両の半四郎が可愛い)、その小舟を漕ぐ鼻高幸四郎の忍の惣太、すれ違う舟に松若。
清玄尼は結局可哀想に惣太に言い寄られたのを拒んだ果てに殺されるのだが、本当の悪人はやはり松若なのである。

初代坂東しうかの清玄尼 安政2年(1855)頃 大判  これも国貞で、しうかの死に絵である。こちらは粋さが目立ってカッコいい。
しうかは先に死んだ八世団十郎と公私ともに仲が良く、かれが自死したとき「俺なら嫌いな奴数人を道連れにしてやる」と言ってのけたほどの伝法肌の女形だった。

芳年 英名二十八衆句 勝間源五兵衛 慶応2年(1866)12月 大判  薩摩源五兵衛による殺戮。女の生首の入った風呂敷包を傍らに思案中。
とんだ殺人鬼である。

芳幾 英名二十八衆句 げいしや美代吉 慶応3年(1867)5月 大判   舟で殺される美代吉。のけぞる姿が無惨である。

お妻八郎兵衛もある。
国貞 『二更鐘妬念坂街』 文政11年(1828)7月 大判3枚続  迫力がある…
わたしはこの芝居は文楽でしか見ていないが、ラスト、お妻の生首をぼーんっと捨てる八郎兵衛の顔つきの凄まじさが今もヒシヒシと…

ああ、今回もとても面白かった。
やはり浮世絵はいい。
抒情性のある風景画もいいし、武者絵、美人画、芝居絵、どれを見ても楽しくてならない。

7/29まで。

「モネ、それからの100年」展を愉しむ

横浜美術館で開催中の「モネ それからの100年」展のブロガー内覧会に行きました。←嬉しい。

前評判が高い展覧会で、なんでも
「本展では、モネの初期から晩年までの絵画25点と、後世代の26作家による絵画・版画・写真・映像66点を一堂に展覧し、両者の時代を超えた結びつきを浮き彫りにします。そして、「印象派の巨匠」という肩書にとどまらず、いまもなお生き続けるモネの芸術のゆたかな魅力に迫ります。」
ということなので、現代美術も一緒という話だった。

普段は現代美術と距離を置くわたしだが、モネからインスパイアされた(かもしれない)作品を見るのも面白いかも、とそそられましてな。それで参加者の一人となりました。
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結果的に言うと、たいへんよかった。
どうよかったかと言うと、これまでわたしの中では意味不明だった現代美術がモネを通して、脳や胸にスーッと入り込んできた。
それが実は凄いことだった。
モネというフィルターを通さないとダメなのかと問われたら「その通り」と答えるしかないが、これはわたしの中では一種の革命に近い現象だ。
この展覧会が自分の中で一種のエポックメーキング的な存在になったのは確かだった。

なお、この先いくつか画像を挙げてゆきますが、それらは夜間特別鑑賞会の為、特別に撮影許可がおりました。
そしてわたしが何をチョイスしたか、それがわたしにどう響いたか、よかったら想像してやってください。

結局のところ、展覧会のルポでもなく、展覧会のガイドにもなれず、例によってごくごく主観的な感想しか書けないけれど、この展覧会がどんなに良かったかを伝えたいと思う。これは確かなキモチ。

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モネと言えば印象派、作品で言えば睡蓮、水面の様子、積み藁、大聖堂、ウォータールー橋、奥さんのカミーユ。
こういったイメージが強いと思う。
実際モネの睡蓮ばかり集めた空間を誇る美術館もある。
わたしなぞも例えば大山崎山荘の「地中の宝石箱」に至り、円形の壁面に睡蓮がずらりと並ぶ様を眺めるとき、嬉しくてならなくなる。
橋の上からモネが睡蓮をみる写真や映像があるが、あのモネの心持をちょっとばかり味わえるのだ。
見る側の味わえるモネ体験ということだ。

では描く側は?
これまで考えなかった問いかけが心に浮かんできた。
その答えはいつもは見当たらないが、この展覧会では答えが出されていた。
たとえそれが主催者側からのミスリードであろうとも、この導かれ方はとても気に入った。

泉屋博古館分館から「モンソー公園」が来ている。
これはわたしなどは好きな作品の一つだが、分館がオープンするまでほぼ世に出なかったらしい。そして公開された最初、この絵を見た人の多くが「モネらしくない」と言い、不評だったことを興味深く思った。
モネが新しい画風を手に入れる前の絵なのだ。モネ好きな日本人の多くのパブリックイメージから離れている一枚。
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いよいよモネと現代美術のつながりが提示される。
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モネ ヴィレの風景 1883
中西夏之 G/Z夏至・橋の上 1992 
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遠目で見ると花に見えるもの、この上なく花らしきもの、それが間近でみると違うものになる。
接写されたものが違う存在になる。それを目の当たりにする。

ルイ・カーヌ 彩られた空気 2008
技法も何も違うのにルイ・カーヌの色の影にモネを見出している。
似せているわけでもないのに、モネを通過したからこその誕生ということを思う。
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わたしは現代美術に疎いから、現れた作品が本来はどういった意図で生成されたのか、まるでわからない。
随分以前に現代美術に詳しいはろるどさんにレクチャーをうけて作品を見たとき、なんとなく作品と近づけた気がしたが、あれ以来の親しみをこの展覧会では感じた。

そうか、わたしのような現代美術と疎遠のひとにいい展覧会なのか。
むろん、現代美術が好きなひとも含めて。

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湯浅克俊 RGB#1 2017  和紙でライトボックス  ああ、きれいだな。 欲しくなる。
モネの世界を青くすればこうなるのかもしれない。
そしてこの青は海の中なのか空の青なのか。
海の青は空を反映したものだと言うが、本当はそうではないのかもしれない。
水を掬えば透明になるが、掬わなければ青のままだ。
この箱を見ながらそんなことを考えた。

モネも光が差し込む池を見て光をキャンバスに再現しようとしたのだ。
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モネの言葉が紹介されている。
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その「何か」とは何か。
モネが提示してくれたものを見なくてはならない。
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モネ ヴェトゥイユ 水浸しの草原  
モネ ジヴェルニー近くのリメツの草原
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坂本繁二郎もモネの世界に連なる人なのかもしれない。
この白さを見てそんなことを想う。


エドワード・スタイケン
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アルフレッド・スティーグリッツ
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同時代の写真…
魅力が深い。


わたしはマーク・ロスコの良さと言うものを全く理解できない。
これはもう現代美術好きな方にとっては救いがたい話だと思う。
しかしここでも「モネフィルター」が効いたか、わたしは今このロスコの作品を見ながらこれまでにない感興を覚えている。
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しかしそれがどんなことかは言葉にするのが惜しい。いや、まとまらない。
ただ、この絵はモネの「ラ・ロシュ=ブロンの村」と向かい合う、対面にある。
その絵と向かい合うことである種の化学反応が起こったように気がする。
それはぜひとも会場で確認してほしいと思っている。


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純粋に言う。
ピンクのふわふわ、雲の中にいるようだ。あっちは大正ロマンの銘仙の着物のようだ。
どちらもとても可愛い。
こんな感想を出すと現代美術に詳しい方や作者の方は苦笑いされるかもしれないが、とても気持ち良い中でそう思ったので書く。


モーリス・ルイス ワイン ・金色と緑色
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この二点は以前からずっと思っていたのだが、変色した白菜にも峡谷の隙間のようにもみえる。
絵に意味を見出そうとするわたしがわるいのかもしれないが、そんなことを考える。


映像を見る。
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今は無人だが、多くの人が見ていた。
わたしもみた。
緑に染まる喜びがある。

リキテンスタインのつみわらは「必殺つみわら」とでも言いたくなる。妙に楽しい。
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福田美蘭 モネの睡蓮
平松礼二 夏の気流(モネの池)
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大原美術館の蔵をもここに入り込ませる。こうしたイメージが膨らんだ絵がとても好きだ。


圧巻はモネの睡蓮が並ぶ空間。
ここに是非立ってほしい。
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わたしのカメラでは本当の色なんかでない。
出来る限り本物を見てほしいと思う。

ここから出た後、サム・フランシスの絵を見て、これまでにない清冽なきもちになった。
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色彩の暴力を感じていたのだが、そうではなく、スパークする美だと感じたのだ。
ああ、とても心地いい。

そしてウォーホルの10点の花。
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とてもここちいい。

最後に福田美蘭の特別なプレゼントがあった。
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ぜひ会場で本物を見てほしい。

心地よく会場を出てショップに入ると素敵なものがあった。
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いいなあ。とても…これは期間限定だそう。

建物の前には鉢があった。
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その時花は眠っていたが、目覚めた花の美をみてから横浜美術館へ入ってほしい。

わたしはこれからは現代美術にも向き合いたいと思っている。
「モネ それからの100年」展 9/24まで。

小松左京展

あべのハルカス24階に大芸大スカイキャンパスがあるということを今回初めて知った。
小松左京展が7/22まで開催だという。こちら
飛んで行ったら無料公開。写真撮影可能。ただし撮影禁止資料もある。
なんで大芸大が?と思ったら、小松左京はここの大学の先生もしていたそうだ。

大芸大といえば近年は島本和彦「アオイホノオ」の舞台ともなった大学。
作中では大阪芸大ならぬ「大作家芸大」でしたな。おおさか=おおさっか。
わたしは一度だけ行ったことがある。清志郎のライブを聴きに行ったのだったが…
確か小野妹子生誕地とか言う碑が立っていた駅から更にバスに乗った気がする。
あまりに昔なので駅名が思い出せない。←調べろよ。
まああべのでイベントがあるのはありがたい。

チラシを貰った。
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わたしは小松左京のマンガが見たくてここへ来たのだった。

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こういうのが。

内部は撮影可能なのでパチパチ。禁止は一カ所だけ。
撮るうちにひしひしと思い知らされることがあった。
「よくこんな…」
だれも当時していないようなことをしているのだ。
改めて小松左京と言う知の巨人、その偉大さに驚いた。

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生頼範義えがく肖像画が出迎えてくれる。
小松左京はこの絵をとても気に入っていたそうだ。
去年の生頼範義展でもそのエピソードが紹介されていた。


場内はこんな風に展示されている。
マンガだと原画や当時の本をケースに、壁面パネルはその拡大版を挙げる。
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時系列で紹介する。
少年小松実くんの読んできたものである。
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右はダンテ「神曲」の構造図である。
七つの大罪が記されている。
かれは「神曲」にのめり込んでいたようだ。

さすがその世代でぼんぼんだけに「少年倶楽部」を愛読していたようで、山中峯太郎「亜細亜の曙」がある。
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わたしも好き。本郷義明…おっと、それは「南京路に花吹雪」か。「亜細亜の曙」では「義昭」でしたかな。
このブログを読んでくれてる方はご存じだろうけど、わたしは「少年倶楽部」「少女倶楽部」大好きなのですよ。
絵も巧い。


埴谷雄高「死霊」が開かれていた。
丁度夏の今の季節。この物語での夏は今のような暑さではない…
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他にも野間宏「暗い絵」などがあった。


「日本沈没」コーナーには貴重な係数表があった。
つまり「リアルに」小松左京という人は、日本が沈没する場合・した後のことを計算していたのである。
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当時大変貴重というか珍しい電卓である。計算尺や算盤では不可能な計算式を駆使して答えを出している。
日本列島の重さが45兆トンとか、難民が70万人とか、具体性のある数値が非常に怖い。
なお、最近になり「日本沈没」第二部などの構想ノートが発見され、日本人の脱出方法や分散先といった非常に具体的な数字や地名が挙げられていた。これまたかなり怖い。

実はわたし…いまだに「日本沈没」は未読で映画ですらほぼ見てないのです。
しかし「日本沈没」は知っている。これは今の子でも同じだと思う。
そうそう、筒井康隆「日本以外全部沈没」っていいタイトルだよなあw

SF界の巨人であり、ホラーも凄いのを出している。
「くだんのはは」「穴」は二大トラウマもので、思い出すのも怖い。
今回はホラーは措かれている。

戦後、京大生になった彼は父の経営する工場がイマイチなので自分で稼がなくてはならなくなった。
そこで赤本漫画に進出する。
わたしが今回いちばん見たかったのが実にこのマンガ群なのだ。
漫画家モリ・ミノル。
モリ・ミノルが小松左京と知ったのはかなり後だが、モリ・ミノルの名前は中1から知っていた。
松本零士の「四次元世界」の中にタイトルが紹介されていたからだ。
「古本屋古本堂」である。
そこには手塚の初期作品「ロストワールド」もあればモリ・ミノル「大地底海」もある。
わたしはこの作品からこれら古いマンガの存在を知り、いつか読みたいと思っていた。
手塚作品の場合は比較的早い目に手に入れられたが、他は山川惣治「少年王者」を弥生美術館の回顧展まで待ち、あとは未読ばかり。
今回ようやくモリ・ミノル作品に出会えたのだ。とてもとても嬉しい。

前掲の「亜細亜の曙」などもそうだ。あれは高校の時に森川久美「南京路に花吹雪」から知ったのだ。
高垣眸「豹の眼」も小学生の時読んだ「少年時代」から。
それもやっぱり時間がかかったが手に入れられた。
一つの作品から他の作品を知り、時間がかかっても必ず読む日が来る。
良い意味での執心が本を引き寄せてくれる。

「イワンの馬鹿」
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地獄の門か…
こういうのを見るとやはりわくわくする。
絵自体は現代の眼で見れはやはりレトロすぎるものだが、不思議な味わいがある。


「第五実験室」
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三次元の壁を越えてしまい、往復すると三次元体では死んでしまうという設定。
四次元体になることを選択する主人公。愛した人にはその姿は見えない。死ぬことなく永遠にそこにいる主人公…
せつない。
わたしはSFが好きだが、そこにいつもある種のせつなさをもとめてしまう。
だからこの作品がとても好ましく思えるのだった。


「怪人スケレトン博士」
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目次と人物紹介。自動地震装置をこしらえ、地震を繰り返す博士。迷惑すぎるよな。


「大宇宙の恐怖」
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けっこうキャラがかぶっているようにみえる。
こういう色彩設計、今は逆に出来ないそうだ。


ああ嬉しかった。
ところでモリ・ミノル=小松左京と知ったのは松本零士が何かで明らかにしたからだった。
旧いマンガコレクターでもある松本零士にはその意味でもとても感謝している。

さて色々とプロデューサーとして活躍する中で、NHKのジュブナイルものに参加している。
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作品は資料としては知っているが、これまた現物を見たのは初めて。


映画「復活の日」
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世評は良くないが、中学生のわたしは当時大変感動した。
若い頃の草刈さんの美貌にもときめいたし、この映画に関するいろんなエピソードを今も忘れない。
英語の習得の苦労話、南極へ行く船が事故に遭ったことなどなど…



予告編が三本も流れてくれたのも嬉しい。

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このシーン、好きでしたわー


「日本アパッチ族」のコーナーがある。
これはやっぱり大阪的と言うかなんというか。
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開高健「日本三文オペラ」
開高健作品のパロディとしての位置付けらしい。
戦後この地で鉄を盗むヒトをアパッチと呼んだ。
二人は戦中戦後少年の大阪人なのでやっぱりリアルにこのアパッチを見ている。

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今も時折ここらから不発弾が出て処理する話もある。
わたしがここらに行くと言うと「アパッチに行くんやろ~」とふざけたことを言うヒトもいる。
みんな古い奴ら。


1989年に小松左京原作のアニメ化があった。キャラ設定はいしかわじゅん。その映像が流れている。全然知らなかった。
それから万博の総合プロデューサーとしての仕事も紹介されている。
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こちらは遺愛の品々。
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小松左京の予言がいくつもあたる現代。
もう今の日本にも地球にも先はないのかもしれないが、それでも小松左京がたとえば「日本沈没」で日本人になんとか希望を持たせようとしたことを忘れてはいけない。

興味深い展覧会だった。

「縄文 1万年の美の鼓動」をたのしむ

縄文土器はどう考えてもやっぱり「可愛い」。
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見るからに楽しそうな造形ではないか。
こういうのがわんさかわんさと並んでいるのだ。すごいなあ、東博。

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日本各地の縄文文化圏から怒涛の終結。凄いよなあ。
こういう展覧会は一人で行くなら夜間開館日がよく、「楽しい」を共有したい人は夕方までがいいと思う。
とはいえこれから混みだすのは間違いないので、どちらにしろ静かに鑑賞というのはむつかしいだろう。
「絶叫上映会」もあるのだから、これは「わいわい鑑賞会」もあってもいいかもしれない。
ただしその展示以外のことを話すと退場。はっはっはっ。

今回「虹はじめてあらわる」の虹さんとご一緒したので、とても楽しく見て回れた。
フジョシの妄想力は天井知らずなのさ。
楽しさが突き抜けて一周回って帰ってきたよ。

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大体縄文土器と言うものは現物より先に写真や絵で見ている。
わたしは関西人だからか弥生式土器の方が親しいのですよ。
田能遺跡も近いし。
以前にちらっとだけそこの紹介をしたこともある。
日本民家集落博物館へ行く その2   田能遺跡など

やっぱり「縄文の次に弥生」というのはどう考えても違うと思う。ネアンデルタールとクロマニヨンくらいの違いはあると思う。
連続していない、断続している。
いや、知らんけどね。←大阪人らしいセリフ。

縄文は縄文で完結し、弥生に移行するのでなく、やっぱり沈潜と言うか潜伏し、それが時折突発的に復活しているのではないか。
棟方志功とか岡本太郎とか…

それにしてもこの「うねりの美」というのは凄いもんです。
手間も惜しまず装飾して。

ところで個人的なことを書くと、縄文土器というと、諸星大二郎「マッドメン」の沼島から出土した土偶、「暗黒神話」の土偶、水木しげる「縄文少年ヨギ」、石森章太郎のマンガで見た遮光器土偶型の宇宙人とかそういうのが常にアタマに活きている。
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やっぱり可愛いな。
そうそう、手塚治虫も「三つ目がとおる」で土偶を描いていたな。
尤も手塚は「火の鳥」で埴輪も描いている。

それで前掲の国宝縄文6大スターなんだが、見に行った日は全部を見ることは出来なかった。また再訪するからよいが、なんとなく初見ではない気がしてならない。というより、やっぱり画像で見過ぎているからか、脳が現実に見ている物とそうでない物とを判別しきれなくなっているらしい。

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この合掌土偶もよくよく考えたら初見らしいが、どうもそんな気がしない。
よっぽど縄文土器・土偶が脳内にしみついているのかなんなのか。

この土偶について出産の姿かもというのを読んで、ああ江戸時代まで主体だったあれかと納得がいった。
わたしはよく知らないのだが、虹さんが「ラマーズ法」だと教えてくれた。
そうなのか。いろんな生み方があるが、楽には生めんよなあ。
合掌は神に祈る手ではなく、上から垂れる綱を握りしめているのかもしれない。
口がツブツブなのは乾いてカサカサだからかもしれない。
そして彼女はヒッピッフーの呼吸法をやっているのかもしれない。

ところでわたしの大好きなにゃーこもいた。
にゃーことはわたしの付けた勝手な呼び名だが、彼女に合っていると思う。



お気に入りの土偶ちゃんがいるのは楽しい。
そうそう、あべまつさんのアイコンのみみずく土偶ちゃんもいた。

動物もいる。
ぶたさん。
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方向が変わると表情も違うね。
それより安易に「ぶた」と書いたが、実は「猪」表記であった。とはいえ豚と猪とは大陸では同一視されていて、だから亥年の時澳門かシンガポールに行ったが、金色のぶたちゃんグッズがやたらとあった。
あとあれだ、大阪では一時豚肉がイノブタ肉だったところもあったそう。
ドイツでもあんまり区別されてなかったんだったかな…
とかなんとか書いたが、本式に養豚が始まったのは幕末から明治だったかな。それで将軍慶喜が豚好きで渾名にもそのまま。
そうそう「西郷と豚姫」という芝居を池田大伍が大正期に書いてたな。
で、猪はどうなったのだ。話が脱線しすぎた。
埴輪にもなってるから猪はやっぱり近い生き物だったのだろう。上質な肉だし。
…猪鍋食べたいな…←もうやめろ

装身具のいいのをたくさん見た。
アールヌーヴォー風に見えるものが多い。
倶利文もそうだが、そうと意図せず生み出された後世の文様が、実は遠い時代・場所にその仲間を見出すというのはよくあることらしい。無意識の知ということなのか。
ユング先生に訊いても果たして何が正解かわかったものではないが。

第二会場ではお出迎えが国宝から。
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素晴らしいですな。

あ、縄文ポシェット。これは三内丸山遺跡から出たそうね。
よく編みこんである。
これをみて思い出したことがある。
かつて陸自の皆さんがモザンビークかどこかに支援に行ってた時、物資を括るPPバンドを現地の主婦の人たちが競って貰い受け、それを編みこんでいって、この縄文ポシェットと同じ編み方をして一個のバッグを作ったりしていた。
手わざと言うものは案外昔から変わらないらしい。

今回の展示でびっくりしたのは赤く塗られた土器があったこと。
え、そうなのと思いましたねー。
それこそ古墳時代になってから石棺内部に丹を塗るのはわかるが、この縄文土器に何故赤を塗るのか。
季節を示す言葉に「朱夏」があるが、番目でいうても赤は青の次。
…というようなことを勝手に考えることが出来るのもこの展覧会の特徴。

最後は著名な人々の縄文愛コーナー。
骨董好きな川端康成の珍しいニコニコ顔と縄文、岡本太郎の「再発見」縄文。
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いい写真だ。
そうそう、宗左近の縄文愛は紹介されていないな。京都造形大の博物館にあったが、あれらはどうなったろう。

あ、これはいいのかな…
わたしと虹さんとをヒャッハーにした展示もありましてな…細かいことはいいませんが、凄いなあ、と感心したのでした。
それでまた妄想がどんどこ天井知らずに膨らんでいったのですよ…
それがナニかは現場でご確認を。

夏休みの暑い時期、東博の縄文展を訪問して、涼しい中で楽しむのもいいね。
わたしももう一度行きます。
9/2まで。

撮影コーナーはこちら
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「役者で魅せる芝居入門」後期をみる  

前期もよかったが、後期もよかった。
前期の感想はこちら

後期の分はこちらにだけでたものについて書きます。

浮世絵歌舞伎見物図屏風  解説によるとこちらは江戸の芝居見物らしい。とてもイキイキした群像描写。
木戸前の賑わい、こちらはほぼ男ばかり、しかし中へ入ると女客が多い。特に桟敷。で、客席を見ると色々とあれな人たちがいる。
隣の若衆をじぃっと見る坊主らしきヒト、なんだかもめごと起こしそうなのもいるし。
土間では長煙管を担いで商売している若い男もいる。それだけの商売なのかどうかは知らない。
火を貸し合う者同士もいた。そして「同行二人」ならぬ「道行三人」と背中に書いたのを着たお遍路さんみたいなのもいる。
「同行二人」は本人+弘法大師だが「道行三人」のメンバーは誰と誰と本人?

浪花道頓堀大歌舞妓舞台惣稽古之図 よし国 1822.11  見立てもの 三世嵐吉三郎 七世片岡仁左衛門 三世中村歌右衛門 二世嵐橘三郎 他  今やと「総稽古」だが本来の字は「惣」だったそうで、「総」は書きかえ字。
とはいえ「惣嫁」ソウカはそのままの文字。意味は…知ってる人は知っている。
そうそう「歌舞伎」ではなく「歌舞妓」といえば折口信夫の表記もそれ。ただし「かぶき賛」は別。
歌六は女形で長火鉢に向かっている。仁左衛門と歌右衛門とが芝居をしている。そこいらに「書き抜き」らしきものがみえる。
しかしわたしには何の芝居かはわからない。残念。

仮名手本忠臣蔵 北英 1831.11 京北側芝居 三世中村松江(こしもとおかる)二世嵐璃寛(寺岡平右衛門) ヒソルフ・コレクション  おお、これはヒソルフ・コレクションのか。何年前かな、あの展覧会を見たのは。
牡丹柄の打掛のおかると、鮫鞘の刀を持つ兄・平右衛門。殺意は秘めていても、絵には出ていない。

伊達競阿国戯場 国芳 1849.3 河原崎座 八世市川團十郎(荒獅々男之助、仁木弾正直則)  一人二役を共に描くから、一種の異時同時図、時間差登場。定式幕がぱぁっと背後では引かれている。すっと立つ男之助がかっこいいわ。

厨川誉高松 国貞 1833.11 中村座 五世松本幸四郎(環の宮)初世嵐冠十郎(鳥海の弥三郎)五世市川高麗蔵(鎌倉権五郎景政)  「暫」なのだね。背景には白梅が。赤っ面ぽいのに公家悪の青いのと。

生茂波溶渦 おいしげるなみのうねうね 豊国 1800.11 市村座 初世市川白猿 (廻国栄善実は大伴の山主)三世澤村宗十郎(五代三郎政友)  「うねうね」ときたか。二人の役者がそれぞれのアクションを見せる。
あの目が印象的な宗十郎が扇でアッパレぽい形を見せている。初世市川白猿(三世幸四郎)は狐を刀で脅している。
なんなんだ??

大鎧海老胴篠塚 清経 1772.11 中村座 四世松本幸四郎(かたぎり弥七宗清)  梅の咲くころ、傘を差した立姿。これはあれか平宗清か。「入船太平記」にも同じ役名で現れる。

菅原伝授手習鑑 国貞 1835.11中村座  五世松本幸四郎(松王丸)五世市川海老蔵(梅王丸)三世尾上菊五郎(桜丸)  車引。
丁度梅王と桜丸が編笠をとったところ。「仙女香」の宣伝もちゃっかり。柱に貼ってました。…吉田神社やんなあ、舞台。
そんなところに貼ったらあかんのですよー

五世松本幸四郎死絵 国貞 1838.5 市村座  浅黄色の肩衣。辞世の句「ほととぎす なくも名残の 夜明けかな 錦江」いい役者だったがなあ…

双蝶々曲輪日記 貞虎 1832.6 市村座 十二世市村羽左衛門(濡髮長五郎) 五世市川高麗蔵(放駒長吉)  刀抜きあってカチーンとしてるところ。どちらもかっこいい。

二代源氏誉身替 四世国政 1884.4 新富座 四世助高屋高助(仲光妻橋立) 二世市川金太郎(幸寿丸) 九世市川團十郎(藤原仲光)初代左団次 源満仲 …  ああ、あの話かと思い当たるが、しかし実際にはこの芝居が上演されるところなどみたこともない。

寿式三 よし国 1825.3 角の芝居 初世中村鶴助  鶴柄、袴は若松柄。どちらもめでたい。予祝はやはりめでたくないといけない。

柳糸引御摂 やなぎにいとひくやごひいき 三世豊国 1843.2 河原崎座 初世坂東竹三郎(千歳) 初世坂東しうか(翁) 二世嵐璃珏(あやつり三番叟)  これも三番叟。糸がついているので人形ぶりなのかな。
ところで歌舞伎では「御摂」でごひいきと読ませるが、これはどこから来てるのだろう…
御摂勧進帳とかもあるし…

絵看板 染模様妹背門松 1892.2 中座 初世實川延二郎(娘お染) 升次郎改初世片岡當若(丁稚久松) 三世片岡我當(番頭善六)  梅の頃、久松はお倉の中。真ん中に番頭がいて、手には古い型のカギ。見得を決めているお染は外から番頭越しに久松のいる倉を見る。
これがあれだ「久松留守」と書く由来よ。



さて暑いので「夏祭浪花鑑」です。
上方の絵師の絵が並ぶ。わたしもほんまにこの芝居が好きで好きで。歌舞伎も文楽もどちらも好き。
今は亡き伊達大夫さんの義平次なんてもう今でも耳にも目にも残ります。
十年前の「竹本伊達大夫追悼」 はこちら

この追悼の中でも書いたけれど、やっぱり文楽や上方浮世絵からはリアルに「団七九郎兵衛という男が、大坂では何をして生計を立てているのか」がよくわかる。
ここに並ぶ絵を見ながら改めてそのことを実感した。

茶色と白の団七縞を着た三世歌右衛門の一枚絵、広貞の井戸水をかぶる団七、そして北英描く璃寛の刃を咥える団七、血の足跡が凄惨ながら、黒と青と赤と白とが美しい。
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句は「若竹や 雨の重さを くにもせす」

内本町道具屋の段を描いた絵もある。
今では文楽でしか上演されていないのではないかな。
ここで魚屋さんの団七九郎兵衛の姿を見ることができる。
北海 1832.5 筑後の芝居 柱に身をもたせかける団七
広貞 1850.5 中の芝居 手代清七に身をやつしたお主の息子が勤め先の娘といちゃつくのを伺う。
結局このあほな若造のせいでみんな困るんよねー。

殺害後の団七をどうにか助けたい一寸徳兵衛や釣船さぶ。
そうした心遣いを描いた絵もある。女房お梶と離縁したことで「舅殺し」から免れたのだ。
「悪い人でも舅は親」…昭和の末まで尊属殺人は罪が重かったのだ。

絵看板 芦国 1891.7 朝日座  三世市川市十郎(団七九郎兵衛) 七世澤村訥子(三河屋義平次)  あ、この訥子が「猛烈」なヒトと噂の??へちまの花が咲き乱れ、泥まみれ・血まみれ。団七の刺青が珍しいことに般若。そして遠くに祭りの山車。

次は五右衛門と久吉。
楼門五三桐 二世豊国 1831.3 市村座 二世坂東簑助(石川五右衛門)初世岩井紫若(折通姫)二世関三十郎(此村大炊之助)  屋根で三人が立ち回りを見せる。なかなかかっこいい。

絵看板 木下蔭狭間合戦 1882.2 中劇場  めまぐるしく名前も変わるね。南禅寺の山門のところ。桜満開。
絶景かな絶景かな。下には巡礼姿の久吉。
ああ、鍋井克之の二世延若の五右衛門の絵が思い浮かぶ。

忠臣蔵
国貞 1827.7 市村座 七世市川團十郎(斧定九郎)三世坂東三津五郎(早の勘平)  勘平がへたる定九郎の首から財布を曳く。破れ傘といい、松といい、ええ構図。

国貞 1835.8 森田座 初世坂東玉三郎(おかる)五世市川團蔵(大星由良之助)初世三枡源之助(寺岡平右衛門)  梯子から降りてくるお軽。朝顔柄の着物がいい。座敷にあるのは染付の皿小鉢。いいぬりものも。こういう小道具がいいのも好きなところ。

さて最後。
戯場楽屋出世双六 国周 1862.10  戯場で「せかい」と読ませるところがまた好き。上がりは三国志の「桃園の誓い」。ここにいるのは三人の座頭と立女形。中華料理をいただく。ギヤマンもありチリレンゲもある。

組み上げ燈籠 国姓爺合戦 九世市川團十郎(和藤内)四世中村福助(錦祥女)七世市川八百蔵(俉将軍甘輝) 彼らの似せ絵
紅流しの場。完成予想図には錦祥女の血の流れがあるが、出来上がりにはそれはなく、岩を伝うのは赤い流れと言うだけ。
橋の上、松明でチェックする和藤内。向かって左に甘輝、右には姉。

後期も本当に面白かった。
なお前期同様「阪急文化アーカイブズの「浮世絵・番付」でこの記号を検索すると画像をご覧いただけます」とのこと。
リストからチェックしてみよう。

7/22まで。

人麿影供900年 歌仙と古筆

出光美術館は典雅な世界を開いていた。
「歌仙と古筆」展である。
「人麿影供900年」によせた展覧会らしい。
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その「人麿影供900年」のわかりやすい解説がある。
「慕帰絵」のそのシーンをパネル展示して、当時の「影供」の様子を教えてくれた。
読み方は「ひとまろ・えいぐ」である。
要するに、神様として崇められるようになった人麿の肖像画をかけ、それにお供え物をして参加者が和歌を献ずるようである。
そして供え物は立花、模型の食べ物だそう。
本物の食べ物は絵には供えないようである。
すぐ下げて「神仏のおさがり」として参加者で食べたりはしないのね。

佐竹本三十六歌仙絵が数点出ていた。
人麿、住吉大明神、僧正遍照である。前期は山邊赤人があったようだが、今は住吉大明神に交代。
人麿はこのポーズがキメとなり、後世の肖像画も範をこれに取っている。
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よくよく見れば硯の水滴は家型か。

住吉大明神は人の形ではなく浜、松などが描かれている。
「縹渺」という言葉が絵から現れているようだ。
坊さんは金茶色に輝く。

土佐光起の人麿絵が二点。歳月の隔たりがあり、
そして描かれた人麿も壮年と老年とに描き分けされている。
ポーズも少しずつ違う。硯箱の様子も。こうした違いをチェックするのも楽しい。

和歌三神像 住吉広行  左から人麿・住吉・玉津島でそれぞれ趣向が凝らしてある。
人麿の背後には白帆の襖絵、住吉は松の衝立、玉津島は衣通姫からコノハナサクヤヒメということで桜の屏風。

岩佐又兵衛の三十六歌仙図が四点。 柿本人麿、山辺赤人、藤原高光、源宗于。表具もそれぞれ違う。元々の所有者の趣味嗜好がこうしてみてとれる。

伝・又兵衛の三十六歌仙図+和漢故事説話図屏風が面白かった。上段は歌仙で下段が様々な故事絵。
上の歌仙たちは素知らぬ顔で下のエピソードを楽しんでいるように見える。
文琳型の中に大舜がゾウさんたちと一緒に働いてたり、伊勢絵・源氏絵、やたら巨大な頭の寿老人がいたりとか鬼と首っ引きもあれば、橋ではなく浜辺な感じのところで弁慶と牛若が戦っていたりする。若衆四人をはべらせたツルピカさんのお花見とかも。
それらを見てから改めて上段の歌仙たちを見ると、「Dragon Ball」や「ごくせん」の縦表紙の連続画のように見えてきて、なんだか楽しい。

扇面散図屏風  伝・宗達  こちらは大きい扇に主に植物画。かなり大きい扇子。それらが乱調の美を見せる。いい植物。琳派な植物。それらを鏤める屏風。

他の歌人たちの肖像もたくさん集まっていた。
大江千里観月図、時代不同歌合絵などなど。

西行物語絵も久しぶりに見た。
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細部まで丁寧な作画。

四巻もあって、小さい娘を蹴落とすシーンも出ていた。それで焦る乳母がいる。奥方はそうしたことから夫の出家の意志の固さを知る、そうですがあれだ、中世の男と言うとすぐに嫁さんや子供ほっぽいて己だけ出家しやがるな。
それを思うと非常に腹立たしい。

書もよいのが出ている。王朝継紙の綺麗なところに繊細な仮名が走ったり。
伊予切、石山切、久松切などなど。

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松花堂、光悦らの綺麗なものもある。宗達描く家持の飄々とした感じもいいなあ。

乾山の和歌やきものもいい。
14x11とハガキサイズの角皿に上の句を書き、シンプルな情景図を描く。
鵲三羽が飛んだり、三笠山の月もいいし、華やかな中にも侘びた良さがある。
ほんのりした味わいにこちらもほっとする。

其一の歌仙図は描き表装でそれ自体が楽しい。
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クリックしてください。

古筆の名品を集めて綴った「見努世友」が長くその身を開いてくれていた。
久しぶりの再会。いいものを見たなあ。これを集めた人は古人を想い「見努世友」と名付けたが、更にその後世を生きるわたしたちには、その人もまた「見努世友」なのだった。

7/22まで。

2018.7月の東京ハイカイ録

人間あんまり暑い日にはハイカイなぞしてはいかん。
しかしやむを得ず出かける人もいる。
「漂泊の思いやまず」と芭蕉だって言ってるではないか。
ということで、この暑いのに三連休都内にいてました。
大阪より暑さマシだということなので、実は避暑かな?

ところで出がけからトラブル発生。
大阪~新大阪の切符を大阪~新今宮と買い間違えて駅で立ち往生。廃棄して新規購入という全くありがたくない状況に。
で、東京ついていつものロッカーに行くと、システムがわからない母娘がオタオタしてたので細かくレクチャーする。親切ポイントを積んでおく。
そのまま出光美術館へ。
展覧会の細かい感想は例によって後日。

歌仙と古筆。これが楽しい。人麻呂900年、神様になってから。
アジアは多神教なので人が神になるのはよくある。近世以降は現人神とか政治的な使われ方をしたり、「僕は新世界の神となる」という危険思想少年が出たりもしたが、まぁ中世までですわな。

暑いなーと言いつつ六本木へ。
今日は「虹はじめてあらわる」の虹さんとランチ。多少の行き違いはあったが、うまいことメルセデスミーでランチ。
よござんしたよ。
ここはクルマ関係だから乗らないわたしには無縁だと思っていたが、素敵なお店ですなあ。
また行きたい。



虹さんと東博へ。地下鉄から大階段で東博へ向かったが、この方が合理的だな。
いつもはさくらテラスを使ってたが、こっちの方がいい。

縄文展。縄文界の大スターが揃う展覧会。
実に楽しい展覧会でした。
これはあれだ、「絶叫上映会」ならぬ「わいわい鑑賞会」にしたらええんとちゃうかな。
みんな縄文好きだから感情を抑えられないみたい。
で、わたしは虹さんが色々と唆してきはるから(とヒトのせいにする)、BL妄想が沸き立ってきて、もうほんと、たいへんなことに。
あれだ、「進撃の巨人」でアルミンがクリスタの代わりに女装して相手を罠にかけた後、アルミンを美少女だと思ったおじさんから「はぁはぁ俺は普通だったのに君のせいでたいへんなことに…」というあれだ。

楽しく見てから四時に退出し、わたしは横浜美術館へ向かった。
上野から快速アクティーに乗ったのだが、一分ばかり寝落ちしたがために、気づけば横浜を出てしまった後だった。
次の戸塚から取って返したが、かなり出遅れてしまった。焦ったなあ…

モネ展。モネ作品と現代美術の競演。モネを媒介にして現代美術を見ると、なんだか道が見えてきた。フィルターでものを見るのは、という否定的な意見もあるだろうが、ニュートラルな意識が現代美術に対して向かないわたしのような者は、この「たくらみ」に乗りたい。そして乗ることで現代美術への眼が開かれてゆくのを感じた。
この展覧会はその意味ではわたしにとってエポックメーキング的な存在になるのを感じた。

花火大会があるのを後から知ったが、さすがに見る気力がなくそのまま東京へ。
暑い日はやっぱり自分を労わろう。


二日目。
辻堂へ初めてゆく。湘南だなあ。いい感じ。暑い…お役所関係の建物の7階にまさかの無料の藤澤浮世絵館がある。
これは凄いわ。
今回は鳥瞰図を楽しみに来たのだが、それだけでない風景画に大いに惹かれた。
フラッシュナシなら撮影可能。
図書コーナーも充実していてびっくりした。
特に小栗判官コーナーが素晴らしい。今度じっくりと読みたいわ。

近くのサイゼリアでお昼して、ちょっとのんびり。なにしろこの後が「徒歩で遊行寺へ」「遊行寺から藤沢本町駅へ」というのが控えているので、ここはやはり水分をとって、たくさん食べて、ぐったりして…とか何とか言うてるうちに一駅戻り藤沢へ。
…ああ、いつもここで間違う。右へ曲がれよ、わたし。

遊行寺へは何度も行ってるのに暑さに負けたか、一瞬自分がどこにいるかわからなくなった。それでスマホさんにおすがりして、なんとかそちらへ。
寺宝をみたが、やっぱりわたしは小栗判官関係が見たいので、それ満足したり、飾り額の勧進帳のいい木彫をみたりと満足。
だが、あまりに暑い。橋の上に来た時、川風の気持ちよさにクラクラしたが、あの坂を上り気力がわいてこず、遊行寺のヒトの勧めに従い、藤沢駅へ戻った。

小田急で代々木上原経由明治神宮へ。
太田浮世絵美術館「江戸の悪」後期。
なかなかよいラインナップ。大いに楽しめた。やっぱり芳幾の無残な絵とかいいよね。
幕末のそういうところが好きだ。

池袋に出てタカセでお茶。


昔ながらの甘いケーキ。そういうところが好き。

用事を済ませお買い物を済ませてから再びタカセ。
例によってオムライスを頼む。



夜中、サッカーの決勝戦を見る。クロアチアがんばれ!
しかしわたしが応援すると…ああ、フランス勝ちましたな。


三日目、例によっていつものロッカーに荷物を入れてから動く。
信仰臙脂…なんだよ、この厨二病的な文字面はー はぁはぁ…
新高円寺にゆきました。
バスはミニバス。それで久しぶりに杉並区郷土博物館へ。
いつ以来かな。
「2.26事件の現場 渡邊錠太郎邸と柳井平八」展以来か。
当時の感想はこちら
今回は「近衛文麿と伊東忠太と荻外荘」…昭和史の人と邸宅と、というのはあれだ、前回のと同じだな。

それからここでは杉並区内の名所案内もしてて、それを見るのがなかなか楽しかった。
いい気候の頃に行ってみたいところがたくさんあり、地図に〇を付けておく。

四谷三丁目へ。お昼ご飯を食べてから消防博物館へ。
久しぶりに桃を食べてうっとりしながら展望室でちょっとばかりクールダウン。



ここから新宿歴博へ向かう。
津の国坂だ…「むじな」ですな。
新宿にはけっこう怪談・怪異譚が多いようだな。
四谷怪談を中心とした展示がとても面白かった。

菊池寛実記念智美術館で竹工芸の展覧会を愉しむ。
堺の田辺竹雲斎の作品はこれまでもよく見てきたが、やっぱり見せ方が巧いと違う。
とても面白かった。

今回はここまで。暑いのでのんびりした。
新幹線に乗り込んだが、塩分も不足してるからと買った江戸の味を守る弁当があまりに辛くて…
それで久しぶりにこれ。


しかーし!!!
暑さに負けたのか、なんと5分後には食べれるほどに溶けてた!
むむむむむ…おいしいわ。

7月の東京ハイカイ、ここまで。

大正・昭和のモダンを愉しむ その5 「夢二繚乱 龍星閣コレクション」

夢二繚乱 龍星閣コレクション  東京STギャラリー 7/1終了。
これもとうとう挙げられなかった。
こんなに魅力的なチラシだったのに。
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夢二をメインにした美術館はちょっと思い出しただけでもこれだけある。
弥生美術館・竹久夢二美術館
夢二郷土美術館
金沢湯涌夢二館
竹久夢二伊香保記念館

夢二は旅する人でしかもとてもたくさんの作品を生み出したので、各地に美術館がある。
なお、京都近代美術館には川西英コレクションの夢二作品が大量にあり、それはこれまでに展覧会が開催されてもいる。
近美で一度、京セラ美術館でも一度。

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今回こうして千代田区に大量に夢二作品が所蔵されることになったのは、まことにめでたい。


わたしは夢二は美人画より童画、そして意匠に惹かれている。
こちらは郷土のほうの巨大チラシから。可愛いなあ。
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ちなみにこちらはぽち袋。近美でかな。
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夢二の仕事の幅の広さに改めて感心する。
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毎回弥生美術館に行き楽しんできたけれど、やっぱり夢二はいいなあ。
弥生美術館には年四回定期的に通っているし前掲の美術館にも出かけて、ヒトサマより多く夢二作品を見ていると思うが、それでもこうした展覧会に来ると、必ず初見がいくつかある。

明治の昔,20世紀初頭からの夢二の軌跡をみる。
夢二作品はわたしの場合、童画がいちばん好きだが、明治末の夢二の童画は既に名品がいくつも生まれている。
最愛は「パラダイス双六」だが、今回はここにはない。
しかし郷土美術館でみた「月の出」が来ていた。
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この絵は人形なのか眠る少女なのか判別がつかない。
そして個人的なことを言えば、今は亡きlapisさんがこの絵をごらんになって
”「月の出」には、一目でクラッと来ました!”と感想を挙げられたことが、なにより懐かしい。

「桜さく國」「夢二画集」シリーズが並ぶのも嬉しい。
こうした仕事は昭和50年代でも人気があった。縁戚の家に先年買ったという「どんたく絵本」を見たのはその頃だった。

大正の作品は港屋の仕事もあるから、いいデザインを摺った版画がたくさん現れる。
夢二をはじめ谷崎らの震災前の様子を描いた上村一夫「菊坂ホテル」でもそのデザインをめぐり面白いシーンがある。
彼岸花が咲き乱れる場所で自殺(してないけど本人は横たわる)少女とその遺書を、夢二・谷崎・芥川・菊池・茂吉らがみつける。
医師である茂吉は職務より先に歌人の面が出て少女を眺め、遺書の便箋が夢二デザインであることに夢二は気をよくし、芥川も菊池も賛同し、谷崎は文面にダメだし。
好き勝手なことを言う連中に業を煮やし自殺少女飛び起きて一喝する。
夢二の美人画よりデザインの方がいい、という認識の話だった。


装幀本が並ぶ。
弥生美術館で夢二装丁の本は常に見ているので、こうして集まっていると嬉しくなる。
特にいいのは長田幹彦や吉井勇の色っぽいもの。
「情話」なんていっても今の世には伝わらないだろうが、やっぱり「情話」だからこそ夢二式美人のにんまりしたのやせつなそうなのがよく似合うのだ。

伊藤燁子 幻の華 1919 柳原白蓮。当時は伊藤傳右衛門のところにいた。その頃の作品は他にも戯曲「指鬘外道」があり、その絵の魅力は深く、ここにないのが残念。
夢二の装丁は既に定評があるどころか人気だった、その夢二を装丁家にたのめたのは彼女の名声もあるけれど、それ以上に傳右衛門の後ろ盾がきいたようだ。

童画も「コドモノクニ」「子供之友」などで名品を次々と発表している。
それらが並ぶ様子を見るだけでわくわくする。
美人画よりもこちらの方が個人的には好ましい。

セノオ楽譜のほか、中山晋平作曲全集、金の星童謡曲譜などもある。
中山の「紅屋の娘」「不壊の白珠」など名曲がある。
わたしは「紅屋の娘」は好きな歌でついつい鼻歌も出る。

「婦人グラフ」の表紙絵は見慣れているが、挿絵がずらりとあるのはひどく嬉しかった。
「お光の亡霊」蚊帳の外にいる女、「麻利邪観音」、「愛の総勘定」「南蛮寺」「春の眼」…そそられるわー。
口絵の名作「雪の夜の伝説」も綺麗だった。

参考に水島爾保布や蕗谷虹児の「金の星童謡曲譜」も出ていた。
子供向けとはいえそれぞれの特性が現れた挿画。

いよいよ夢二の自伝「出帆」コーナーへ。
134点の挿絵があるそうな。1927年。この時代の小説や新聞の三面記事というのはわりと露骨で、今の方が抑制が効いてるなあと思うことがある。
いつからそうなったのかは知らないが。
まあ結論から申しますと、「露骨なことを書くのは私小説風であれだけど、見えてくるのはただの身勝手男の嘆き」これだよな。
それでラストで漠然とどこか海外に行きたいと思うわけで、ただ子供(不二彦)が中学を出てからかな?と思っている。
実際に欧米に行ったけど、全然成果がなかったというのがすごいね。
挿絵も別に露骨なシーンは描いてはいないけど、十分想像させるし、なんというか難儀な人だなと。

村野守美「世之介花つみ唄」に姉が夢二らしき画家に会いたいと弟の世之介と共に東京へゆく話がある。大正から昭和初期、彼らは地方の酒造家の子で、母はどこかへ出奔。姉もやや危ないところがあり、世之介はまだ少年ながらやさしさで以て女たちから愛されている。
で、二人は夢二(とは書いていないが絵からそうと推察させる)の家へ向かうが、間違えてどうやら伊藤晴雨の家へ入る。ただしここでも晴雨とは一言も書かず、風貌も異なる。
そこで姉が「先生の描かれる女の人の表情が好きです」と言い、絵描きは目を閉じながら対応するが… 一方弟の方は縛られるモデルたちと仲良くしている。
帰りの汽車、姉は大事にしていた絵をそっと破って窓から外へ飛ばす。
弟は何も言わない。
このエピソードでも夢二の人気の高さが背景にある。

田村松魚「凝視」の装丁と挿絵の仕事がある。モナリザらしき女が描かれていた。夢二式モナリザ。薄笑いではなく、どこかせつない表情。
ちょっと調べるとこちらにその表紙絵も出ていた。
田村俊子の最初の旦那だったのか…

とても興味深い展覧会だった。
今後の活用・公開を期待しています。

大正・昭和のモダンを愉しむ その4 「大正モダーンズ 大正イマジュリィと東京モダンデザイン」

大正モダーンズ 大正イマジュリィと東京モダンデザイン  日比谷図書文化館
大体こういうチラシを見せられてスルー出来るはずがない。
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好きなものだけで構成された展覧会なわけです。
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いいリーフレットももらった。ピックアップされた作品構成。全部載ってたら更に嬉しいけど、これもまた大事に保管したいもの。

様々に章立てして大量の作品を紹介してゆく。
どの章も楽しくてならなかった。

小さいチラシが何種もあるのもいい。
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実際自分が好きなのはやっぱりこの分野なのだよなあ。
そこに挿絵が加わるともうほんと、最高。

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大坂の松竹座の。クラブ化粧品の宣伝も見える。

数年前に「再発見」され、ある意味「大正イマジュリィ」そのものでもある小林かいちの絵。
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こんなにブームになる前、松濤と奈良そごうとで絵はがき文化の展覧会があり、そこでかいちの絵を知ったなあ。

童画も勃興し、名品が続々誕生する時代。
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可愛いし綺麗。
他にもシャープでカッコいいものが現れる。

リーフレットの中身はこんな感じ。
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成熟した都市文化、これがいちばん好き。
なので唐、北宋、明、欧州大陸19世紀末…
文化の極み、爛熟の美を生み出した時代の文物が好きだ。
だからこそ、大正から昭和戦前に生まれた作品に惹かれる。
これらの時代の次には必ず文化を破壊する戦争が起こっている。

この展覧会は東京に拘ったが、大大阪の時代の文化を紹介する展覧会が大阪に控えていることも併せて紹介しておこう。
「大阪の三越」 杉浦非水の蠱惑的な表紙に痺れる…
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8/7まで。ああ、わたしの誕生日までだ。
わたしも大正モダーンな仲間になりたいものだ。

大正・昭和のモダンを愉しむ その3 「モボ・モガが見たトーキョー モノでたどる日本の生活文化」

モボ・モガが見たトーキョー モノでたどる日本の生活文化  たばこと塩の博物館
7/8まで 終了。
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こちらは絵が中心ではなく、様々な商品やたばこや流行物からモダンな時代を追想する。
映像もあり、とても面白かった。

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モダン都市・トーキョーの写真資料が並ぶのからして好感度が高くなる。
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ここでは花王石鹸とセイコーとたばこの三本柱が揃う。
クラブ化粧品、資生堂と同じく花王も宣伝に余念がなかった。
今から見ればちょっとファンキーなお月さまの横顔(要するに三日月フェース)のマークに当時としてはとても斬新なデザインの石鹸パッケージ。
しかしなにより花王は日本人にシャンプーでの洗髪を根付かせるという功績があった。

1950年代だからこの展覧会の内容よりもっと後ではあるが、今東光「春泥尼抄」の中で、まだ出家前の少女がシャンプーに憧れる話がある。
河内の貧しい少女はいつもは「ふのり」で洗髪するのだ。ごわごわになる髪。
指通りのいいシャンプーでの洗髪に憧れた少女はしかし、貧しさのために尼僧となり剃髪する。
もうシャンプーは使えなくなるのだった。

セイコーの置時計、腕時計のカタログも素敵だ。
わたしは腕時計を外して生きているが、これはこれでやっぱり素敵だ。
懐中時計の次に腕時計。
置時計の広告を見るとアールデコ調のがかっこいいわ。

大正時代はサラリーマンの台頭した時代である。
どんどん自主的に家をローンで買ったり、電車通勤したり。
モガたちは未婚既婚関わりなく百貨店で素敵な買い物をしたり食事をする。
都市部だけの楽しみ。

ここはたばこと塩の博物館なのでたばこ関連の資料もたくさん出てきた。
たばこの展覧会などもあったのだなあ。1933年。
大陸で色々やらかしている一方、国内の都市部では都市特有の享楽を味わえる時代。

記念たばこのパッケージ、モガたちを描いた絵ハガキ、流行歌のジャケット…
アールデコ風味のモダンさがとてもいい。

森永製菓のキャンペーンも面白い。イケてるモガを集めて「スヰートガール」として接客させたりイベントに出したり。
「スヰート」で思い出したが森永のライバル明治製菓の広報誌は「スヰート」だった。後年、戸板康二がそこで働いている。

楽しかった時代が終焉を迎える。
タバコのデザインでもオシャレさは影を潜め、名前も「金鵄」や「光」などになってしまう。
本当に面白くもなんともない。折角の杉浦非水デザインもどんどん色あせてゆく…

やがて敗戦を迎え、闇市が生まれ、そこでたばこも石鹸も流通する。
花王石鹸がある。素敵な石鹸。

戦後73年後の今、花王の洗濯洗剤「アタック」が「Attack of Titan」そう「進撃の巨人」とコラボする時代になった。
嬉しい…

映像や音楽も楽しめる展覧会だった。
毛利眞人さんが資料を提供されたそうだ。
道理でとてもしゃれている…

こうした展覧会、本当に好きだ。

大正・昭和のモダンを愉しむ その2 「浮世絵モダーン 深水の美人 巴水の風景 そして」

「浮世絵モダーン 深水の美人 巴水の風景 そして」町田市国際版画美術館
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こちらも終了している。見に行ったのが終い頃だからなあ。
ツイッターにいくつか写真を挙げている。

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石井柏亭 東京十二景シリーズから「赤坂」が出ている。これは風景ではなく、それぞれ花柳界とそこで働く女性を捉えたシリーズ。
赤坂が流行りだしたのは軍関係の客が来るようになったからだそう。
上村一夫「凍鶴」にそんな説明があった。自分では調べられていない。

フリッツ・カペラリ 黒猫を抱く女 1915  カペラリの描くその時代の日本の女の良さはちょっと言葉にしにくい。
なんというか、腰巻一枚で狆と遊ぶ女や体の軸をずらして鏡を見る女も皆、二つの肉の合わさり方まで想像できるからだ。
そういう辺りが好きなのだが、これは表立ってはいえない。

五葉の絵を撮影する。
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この女だろうか、福富コレクションにある五葉の春画スケッチモデルは。
とてもよく似ている。

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細部の豊かさが好きだ。
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アールヌーヴォーの美。

深水の美人たちがぞろりと居並ぶ様は壮観だった。
大正期の深水美人が好きなので、とても楽しい。
最初にこのシリーズを知ったのは京文博でみた平木浮世絵コレクションからだったな。
当時あまりに人気で完売した作品が多く、版木もなくなったとか。

山川秀峰の四季の美人画もある。
彼の描く女の眼に惑わされて、高熱の中野間まで出掛けたなあ。

恒富、三木翠山のいい版画もある。

撮影したものを挙げてゆく。
何しろみんな好きだ。
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小早川清の描く女のこの目を振り払うことは難しすぎないか。


風景へ。
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うつりこみがあるが、不思議とそれが森の背後の住宅街に見えてくる。

川瀬巴水の描く風景の良さよ…わたしは結局広重の昔から情緒あふれる風景にしか関心がないのだなあ。
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吉田博 ルガノ町
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そして笠松紫郎、土屋光逸
すてきだ・・・

役者絵もある。






役者絵と言えば名取春仙も。迫力のあるいい絵が多いが、このヒトの美術館は今はどうなったろう…

花鳥風月を描く。
小原古邨の作品が並ぶ。この人はモシモフキヲさんのツイートから知った人だ。
そして今度茅ヶ崎美術館で展覧会もある。

五位鷺、雨中烏
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水に映る月をつかむ親子猿、ネズミ図
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踊る女たち
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ヘレン・ハイドの母子、ジャクレーの南洋の女、大近松全集の口絵を描いた人々…
橘小夢、雪岱で展示は終わった。

大正・昭和のモダンを愉しむ その1 「大正ロマン昭和モダン 竹久夢二・高畠華宵とその時代」

大正から昭和のレトロモダンな美を味わう展覧会を5つばかり愉しんだ。
印刷・版画作品が主体なので、重複するところがとても多い。
それでシリーズものとして挙げることにした。
わたしが見たのは以下5つ。

大正ロマン昭和モダン 夢二・華宵とその時代  神戸ファッション美術館
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浮世絵モダーン  町田市国際版画美術館
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モボ・モガが見たトーキョー モノでたどる日本の生活文化  たばこと塩の博物館
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大正モダーンズ 大正イマジュリィと東京モダンデザイン  日比谷図書文化館
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夢二繚乱 龍星閣コレクション  東京STギャラリー
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とにかくわたし好みで、わたしの嗜好品だけで構成されているかのようだった。
チラシもみんな魅力的。
それであれだ、あまりに好み過ぎると全然書けなくなるという状況になった。
…とかなんとかズルズルと日延べするうちにいくつかの展覧会が終わってしまった。
宣伝は出来ないが、記憶と記録の為にもなんだかんだと書いていきたい。
これらの展覧会、重複するものがたいへん多いのも特徴だが、印刷文化があればこそ、各地でこうして保存され伝えられたのだ。その行為自体がとても尊い。


「大正ロマン昭和モダン 竹久夢二・高畠華宵とその時代」@神戸ファッション美術館
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中右瑛コレクションの優品が集まる。
これまで中右コレクションはこれらのほかに浮世絵も楽しませてもらってきた。
いつもいつもありがたいことだ。お礼を述べたい。
印刷物が多いのは確かだか、肉筆画もけっこうあるのも特徴。
華宵、蕗谷虹児、中原淳一の華麗で繊細な抒情画がやはり心に残る。
このタイトルの中右コレクションを最初に見たのは今はなき高麗橋の三越百貨店でのことだった。
2004年。それ以前はこのタイトルとは違うが挿絵などを含めたものを2000年に三宮のさんちかホールや大丸心斎橋で見ている。

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わたしは中原の仕事は戦前の「少女の友」時代のものがいちばん好きで、戦後の八面六臂の活躍は素晴らしいと思うものの、ちょっと興味から外れるのだった。
とはいえ物語絵は好きだ。
なのでここにある「ジュニアそれいゆ」での「あしながおじさん」「最後の一葉」「イノックアーデン」の挿絵は好ましい。
戦前の木版画のシリーズ「娘十二か月」などは特にいい。

橘小夢も近年に再認識されるようになり、とても嬉しい。
妖艶で秘かに怪異の匂いが立ち上るようなところがたまらない。
肉筆画の「お姫様」も頭に吹輪などつけた赤姫だが、彼女もなんとなくあぶない。
版画では谷崎の「刺青」をモチーフにしたもの、発禁を食らい、ドイツの心理学の本にも紹介された「水魔」、白人の男により運命を狂わされた「唐人お吉」「蝶々夫人」があった。
これらはわたしも随分大昔に絵ハガキを手に入れている。

戦争前の厳しい時代になると、こうした耽美・退廃的な絵は排除された。
軍部が政権を握るとそんなことをする。
日本もドイツもその点は変わらない。
あやうい美を表す文化を殺すことから戦争は始まるのだ。

小夢は戦時中「タカラジェンヌ」を描いて過ごしている。
今、お孫さんの橘明さんが祖父とは表現は異なるものの、耽美的な人形を製作しておられ、それが丁度いま弥生美術館の企画展に展示されている。

夢二作品は数が多いだけにどんな作品を集めているかが気になる。
中右コレクションは「黒猫を抱く女」にセノオ楽譜、「婦人グラフ」などの素敵な作品のほかに手帳の素描まで持っている。
肉筆画もいろいろと。

これは中右コレクションではないが、セノオ楽譜を集めたチラシがあるので参考に挙げる。
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嬉しいのは岩田専太郎・志村立美ら主に大人向けの挿絵画家の作品もいいのを持っていること。
わたしは大正期の専太郎のアールヌーヴォーの影響を受けた作品が特に好きだが、なにしろ画業50年を超し何万枚も描きまくった人だけに、描けないものは何もないほどだ。
だからこれは好き・あれはどうもと自分の好むものを探し、中右コレクションにもついついそれを求めてしまうのだった。

松本かつぢの可愛い絵もある。クルミちゃんではなく、はつらつとした少女たち。中でも戦後の「少女の友」の西城八十「アリゾナの緋薔薇」の挿絵。西部劇。女ガンマン。いいねえ。
かっこいいのよ。

川西英の肉筆画があるのも中右コレクションの特性。
ビアズリー「サロメ」の写し。黒字に金で描く。
あとは美人画と短冊など。

新版画のいいのが並ぶ。
五葉、戸張孤雁、鳥居言人、高橋弘明の旅先でのわけありそうな女たちの姿態、清方、深水、小早川清の艶麗な女たち、雪岱「お傳地獄」などなど。
創作版画でも恩地孝四郎の洋画風ヌードも出ている。

肉筆画の名品も惜しみなく現れる。
池田輝方、蕉園の大正ロマンあふれる美人画。彼らは江戸の美人を主に描いたが、しかし大正時代のロマンがそこには横溢している。
伊藤晴雨、木谷千種、北野恒富…

見ごたえのあるコレクションをありがとう。
7/1終了。

聴竹居 藤井厚二の木造モダニズム建築

聴竹居(ちょうちくきょ)は建築家・藤井厚二の自宅であり、昭和初期の名建築である。
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大山崎にあり、現在は竹中工務店の管理下にある。
一般公開もされているし撮影も可能だが、流出は禁じられている。
わたしが挙げる画像は展覧会のチラシから。
それら細かいことは聴竹居のサイトに詳しい。
こちら
わたしも何度か訪問し撮影させてもらったが、約束を守り、撮影後何年経ったか、今もweb上に公開させてはいない。
なお、先般の大阪北部地震により被害があったものの、今日から公開されたようで安心した。
貴重な近代住宅建築は90年の今だけでなく100年150年先にも守り・伝えねばならない。

藤井厚二は広島の福山出身である。先達に武田五一がいる。
かれは裕福に育ち、東京帝大に進み、学んだ。
やがて初の帝大卒として竹中工務店に入社した。

卒制の議事堂図などを見るが、絵が巧かったというだけに綺麗な図面で、内装も素敵。

大阪朝日新聞本社の設計図面もとても凝っていた。時計塔、階段、その柱の照明などもいい。
また御影の村山邸も担当している。
資料で見る大邸宅

やがて退職後、9か月にわたる欧州ツアーへ。
絵はがきがなかなか面白い。カプリ島の青の洞窟の絵ハガキは色がよく出ていないのをあげ、本物の美を強く讃えている。
ニューオーリンズでの妙な祭りの様子などなど。

住宅設計を専門にした藤井は自邸を何度もこしらえた。
大山崎に12000坪の敷地を購入したというからすごい。
四度にわたる自邸設計。その模型がある。南面することを考えた構造。
そしてついに1928年、5つ目の自邸が完成する。

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非常に良く考えられた建物。写真やVTRを見ながら自分が見たときのことを思い出す。
特に夏の暮らしやすさを追求した通風装置などすばらしい。

室内の一部が再現されてもいて、歩くのも楽しい。
床のきしみ具合まで再現されているのだ。

藤井は12000坪の広大な敷地内で登り窯と電気窯ももち「藤焼」というやきものも拵えた。
インテリアに使うものである。大きめの雁、鵜などがあり、香合の雀も可愛らしい。
湯呑もある。

電気ストーブは鉄の上部が釜を思わせ、雁行が描かれていて、下は青海波と言うのも素敵。
入れ子状態のテーブルもある。

大山崎の藤井邸の模型がある。
巨大なテニスコートややプールもあり、畑、花畑も拡がる。
本当に素晴らしい。

展示の最後には香里園の八木邸を紹介するVTRが流れていた。
わたしは数か月後に見学に行く。

良い展示をみた。
また現地へ行きたい。
素晴らしいおうちを味わいたい。

7/16まで。
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