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美術館・博物館・デパートでの展覧会を訪ね歩き、近代建築を見て周り、歌舞伎・映画・物語に溺れる日々の『遊びに行った日を記す』場所です。 

「建築x写真」展をみた

既に終了した展覧会の感想を挙げるのは、このブログの特性の一つでもある。
宣伝能力に欠けていて、自己満足でブログを続けているからこうなるのだ。
とはいえ、わたしの場合「記憶と記録の為に」書いているので、自分個人では遅れても一向にかまわないのだが、しかしせっかく良いものを見せてくれているミュージアムに対し、宣伝の一つもしないのはどうだろう、あかんやろ、とは思ってもいる。
なので見たものはほぼリアルタイムにツィッタ―でつぶやいて、ちょっとでも多くのお客さんがそこへ行きますようにと願っているのであった。

東京都写真美術館「建築x写真」展は1/27で終了し、松濤美術館の「終わりのむこうへ : 廃墟の美術史」は1/31まで続いている。
わたしは恵比寿から渋谷へ向かい、二つの展覧会を続けて眺めた。

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ごく個人的なことを言うと、このブログでは時折、近代建築を中心とした下手な画像を挙げている。
建造物を見学・撮影するのが好きなだけでなく、これもまた前述の「記憶と記録の為」であることに変わりはない。
いやむしろ、失われてしまう建物の為に・今はあるがいつか失われたその後の為に、懸命に撮影し、下手な写真を挙げ続けている。

「記憶と記録の為に」と書いたが、この二つはそれぞれ違う意味を持つ。
記録のためなら正確な撮影をし、資料もきちんと添付し、情緒を排さなくてはならない。
しかし記憶のためには、それよりもピクチャレスクな様相を呈したものを採りたい。
わたしはどちらも願うので中途半端になり、曖昧な撮影となるのだ。

今回の「建築x写真」展では一流の写真家たちの目を通した建築を、見た。
素の自分の目で見るのでなく、一流の技術と意志とを持った他者の仕組んだ世界を見る。
その被写体である建築もまた他に代え難い存在なのだ。
現在も活き続けるもの、過去に生きたもの、既に失われたもの。
撮影年から遠く離れ、今とは姿が変わったものもあるだろう。
そのことを忘れてはならない。

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最初に19世紀から20世紀初頭の写真が現れた。
ダゲレオタイプ、単塩紙、鶏卵紙、ゼラチンシルバープリント…
古い技法の美しさをも堪能する。
モノクロームの美しい写真たち。
わたしの望むのはこうした写真なのだ。

パリ、オックスフォード、明治初頭の江戸、ルーアン。
ベアト、タルボット、江崎礼二、アジェたちが後世に残してくれた美しい写真たち。
風景は大きく変容したが、今も活きる建物がここにはある。

1854年のクリスタルパレスが捏造の未来都市の建造物のように見え、横から写されたノートルダム寺院の初めて知る魅力にも溺れる。

意図的に本来の様子とは異なる情景を創りだすのも写真の力だ。
写真家の意図するところを読み取り、それを楽しむこともしなくてはならない。

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1930年代の山脇巌のバウハウスを写した写真はまさに写真家の仕掛けたものを楽しむタイプのものだった。
斜めに切り取られたバウハウスの看板と空。シンプルな建物を俯瞰することで気づくもの。
こうした作品もいい。

1989年、もう30年も前なのか。ベルント&ヒラ・ベッシャ―による「9つの戦後の家」。
建てられた時代は1945年以降なのは確実だが、いつだというはっきりしたデータは観客にはわからない。
同じ躯体の9つの家が並ぶ。躯体は1パターンだが、各自が個性を見せていた。
窓の配置、階段、ドアなどなど。こうしたものが集められ、それを見るのは妙に興奮する。

渡辺義雄 伊勢神宮 1953年撮影・1994年プリント 
四半世紀前とはいえ90年代なのでとても綺麗な画像となっている。
鮮烈な光と影を感じさせる写真。
この年の伊勢神宮は式年遷宮を執り行った。その時の姿なのだ。
真新しい伊勢新宮の様子。
木材の千木の両端の飾り金具。その輝き。
階段に差し込む光は斜めに走り、木段をチェック柄にする。

古代の建築様式を守り伝え、先年以上伝えてきた伊勢神宮。
その清冽な様式美を捉える写真。


石元泰博 桂離宮 1981-82 1989
以前どの展覧会で見たか、ちょっと思い出せないがそれ以来。
この写真を見る前にわたしは自分で桂離宮に行った。
当時のカメラはPENTAXの名は忘れたが、丈夫なものだった。
それでカラーでバチバチ撮ったが、案内してくださる職員さんのお話も面白く、撮ったもの以上に見た記憶の方がはっきりしている。

その記憶とここにあるモノクロの桂離宮とは全く別な存在のようで、これこそが
「素の自分の目で見るのでなく、一流の技術と意志とを持った他者の仕組んだ世界を見る」
行為そのものなのだ。

伝い廊下、笑意軒土庇から室内を望む
この二点の写真が特に素晴らしかった。
建築の構造そのものを余すところなく見させられ、気づかされたのだ。
自分の目では追い切れなかったものを目の当たりにさせられ、それに衝かれた。
深いときめきが生まれる。


丹下健三の代表作品群をそのリアルタイムに捉えた作品群があった。
村井修 どの写真も意表を突くような構図ばかりだった。
真上からの東京カテドラル教会、当たり前だが十字架の形をしているのをこの写真で初めて見た。
道を挟んだ先には今の野間記念館もあるだろうし(無論この頃は違う)、十字架の右先にある洋館も気になる。

ソフトクリームをなめ挙げるような構図の写真もある。
あの大聖堂が実はとても官能的な側面を持っていることを知ったのは村井の写真からだ。
もうこうなると野間に行くとき、向かいを見ては妄想に駆られる可能性が高い。
何という魅力的な建物なのか。そしてそれを教えてくれたのはこの写真なのだ。

香川体育館は夜の中に光るが、鰐型の怪獣がアタマを挙げて宙へむけて咆哮しているかのようにも見えた。
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現物よりこの写真の方が好きかもしれない。

二川幸夫 日本の民家 1955・2018 最新のインクジェットプリント。
この全編を2013年に汐留ミュージアムで見たときの衝撃は忘れられない。
あの時も最新プリントだった。
当時の感想はこちら
日本の民家 一九五五年 二川幸夫・建築写真の原点

合掌造りの民家と墓、唐招提寺近く、外泊集落…
モノクロの美、写真の構図の美、日本各地の民家の違いの興味。
よい写真ばかりだ…


日本人の目で捉えた西洋の建物写真がある。
原直久 「イタリア山岳丘上都市」 主に1980-90年代撮影
北井一夫 「ドイツ表現派1920年代の旅」 1979-1980

イタリアのその町の白さが目を刺す。これはもしやサントリーニ島の民家と同じ理由の「白」なのだろうか。
緑が建物に這い回る。共存から吸収襲撃へと至る緑。
煉瓦の集合。少しずつ崩れて廃れつつあるが、それをまだ止めるものとはなんなのか…

わたしは1920年代をとても愛し、憧れている。
戦前のドイツ教養主義を尊いと思う意識がある。

ドイツのどの建物も不思議な魅力があった。
1920年代のドイツは金もなく、第一次大戦での敗戦による疲弊が蔓延してはいても、狂乱のベルリンといった不思議な沸騰があった。建物がそれらと無縁というわけでもなかったのだ。

チリハウスの不思議な形、円形教会の重ね筒のような構造、ごくごくシンプルな建物が延々と続くことでそれらが別な何かに変容するさまも見れた。

遠目からでもポーランドだろうと思われる写真が幾枚かあった。
いずれも雪の日のポーランドである。
不穏な空気感がある。
意図してそのように捉えたのかどうかは知らないが、一目でわかる特徴的な写真だった。


奈良原一高 「緑なき島 軍艦島」 1954-57 1980
まだ活気あふれる現役時代の軍艦島の様子を捉えていた。
そしてそれを軍艦島が打ち捨てられたまま歳月を経た1980年にプリントしている。

わたしが軍艦島を知ったのはそのころくらいだったように思う。

宮本隆司 九龍城砦 1987 2016
今は亡き九龍城内の様子を18点で綴る。
巨大バラックの集合体。何もかもが凄まじく、怖いくらいだった。
ここが解体されることになった頃を覚えているが、これらの写真を見ていると、今も存続しているような気がしてくる。


細江英公 「ガウディの宇宙」 1979-84
永久に未完成かと思っていた教会がどうやら完成のめどが立ったなんて、悪い冗談のようである。
少なくともこの細江英公が撮影していた頃は、絶対に完成する日など来そうになかったのだ。

執拗に捉え続けてゆく写真家の目。
改めてこのサグラダ・ファミリア、カサ・ミラが気持ちの悪い建物だと気づかされる。
そしてその気持ちの悪い建物に惹かれる自分を知る。


最後にカラー写真がきた。

柴田敏雄のローラン・ネイの建造物を集めたもの。
現代建築の写真である。

モノクロームの世界に溶け込んでいた意識に強烈な違和感があった。
カラーは暴力に近いかもしれない。
 
瀧本幹也 ル・コルビュジエの作品を捉えているらしい。主に発色現像方式印画とインクジェットプリント。
意味が分からなくてとても困った…


写真集は完売してしまった。
記憶の中で反芻してみたいと思っている。
いい展覧会だった。
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2019.1月の東京ハイカイ録

一月末になり、今月の東京ハイカイもようやく完了した。
毎月毎月飽きもせずよく出かけるのだが、それでも足りていない。
今回は二週間ずらしてのハイカイ。
時間がないので品川に荷物を置いたが、どうも品川のロッカーは使いにくくて困る。
親切な人が「こちらのパネルですよ」と教えてくれなければいつまでも困っていたかもしれない。

恵比寿ガーデンプレイスへ久しぶりに行く。TOPとかいわれてもよくわからんのだが、要するに写真美術館へ行ったのだ。
着いたらまだ開館前なので少し並ぶ。
今回は「建築x写真」展のみ見た。
これがとてもよい内容でこんな最終日前日に行ったらあかんやろな展覧会だった。しかし仕方ない。
往々にして人生とはそういうものだ。←なぜここで突然人生などと言うワードが出るのだ

丹下健三の建物を写す、桂離宮を写す石元、様々な建物を写す写真家たち。
写真黎明期の頃の建築写真の魅力。モノクロの美。
ああ、いいものを見たなあ。

渋谷へ出た。松濤へ。先月行き損ねたのでこれまた終盤。
「廃墟」である。
さっきは活きている・生きていた建築を見て、今度は壊れた・死んだ建築をみるのだ。とはいえこちらは半分以上フィクションなのだが。
しかし人と言うのは面白いもので、生きた建造物を愛し、守ろうとする一方で、想像上の建造物を最初から破損させ、廃墟にしたものを愛でる性癖もあるのだ。
ピラネージから現代作家まで脈々と続く廃墟愛。
二つの展覧会で生と死とを目の当たりにした気分。オコガマシイことを言うぜ。

さて今度は打って変わって全然違うところへ。
根津美術館で「酒呑童子」絵巻。三種を大いに楽しむ。
住吉派と狩野派の花鳥表現の違いをはっきりと目の当たりにした。
住吉派のは以前にも一部見ていたが、今回全容を観れたのはとてもよかった。
八岐大蛇、伊吹明神、酒呑童子の血脈か。
数年前の「スサノオの系譜」を想う。
二階では「百椿図」も一挙に二巻とも見れた。よかったよかった。

良かったのだが溺れすぎてしまい、時間配分が狂った。
慌てて神保町へ。
ところが慌てたのと久しぶりなので元々の方向音痴もあり、八木書店が見つけられねえときた。
書泉グランデのほんねきのはずが逆方向へ歩き出していたので、そりゃわかりませんわね。
まあスマホ様のおかげでたどりつけました。

個人蔵の奈良絵本を眺める。
あ、これ…見覚えあるはずで十年ほど前に思文閣美術館で見たのだわ。
居初つな女描く鉢かつぎや、鬼面の磯崎に覚えありまくり。
とはいえ、岩佐又兵衛以外の堀江物語もあるのにはびっくり。
ああー面白かった。

一階へ降りて古書を少し眺める。
石川淳の評論色々。野口武彦のがあるのが嬉しいね。
里見弴は「安城家の兄弟」がある。松田修はない。
で、なんと安野光雅「絵本即興詩人」発見!1/3値段で入手。嬉しい。
以前神奈川文学館で見て以来やわ。

池袋へ。
探し物のうちいくつか発見。だんだんと自分の方向性が見えてきた。
今はまだ試行錯誤中。前のジャンルは一色あるいは一食だったが、今のジャンルは多数あるのよ。←意味深なことを言う。

タカセで例によってオムライス。ここではオムライスかケーキセット以外食べたことがない。
わたしはどうも固執する性質なのか、一度好きな店で好きなメニューが決まると、なかなか他のメニューを頼まなくなる。
西大寺のうどん屋でもかすうどんばかりだし。
「ここではそれ」という考えがあるのよなあ。

他にも少し買い物により、そこから上野へ。
一時間半しかないので東博の常設展だけみる。
新発見と再会がある東博。すばらしい。

上野から品川へ荷物を取りに行き、そこから王子へ。
定宿ではなく、今回は王子。急に日にちを変えたのでこっち。
新しいのでバリアフリーだし、なかなかきれいだった。

二日目、日曜。朝ごはんはなかなか煮物がよかった。わたしはこういうのが好きなのよ。ゴボウ、レンコン、平天、筍、厚揚げ…

東京駅から直行バスでビッグサイトへ向かう。混むバスだが、気分が上がる。
で、長らく待つ。ようやく動く。動き始めると早いが、やはり無配やコピーものがなくなる。
大方手に入れて、お話もして、きげんよくさらば。

東京駅へ戻るがここだとちょっと混むのでランチに困る。
結局高島屋の地下でフォー。久しぶり。

銀座線にのったが、これが混乱の始まり。
寝てしまい、起きてもうつつで、下車色々間違い、挙句にヒカリエを歩く羽目に。
久しぶりに「どうして僕はこんなところに」と「なぜ私はダンテを読みながら 深沢に住む人々の生垣を 徘徊しなければならないのか」が出てしまった。
この二つが出ると、もうわたしとしては終わりよ…

まあなんとか明治神宮にたどり着き、ようよう太田美術館へ。
可愛い浮世絵。ああ、可愛かったわ。
ものすごーく混んでたのがタマノキズだからまぁな。

戻って日本橋三井へ…
まさかの臨時休館
きゃーーーーーっ
あるんよねえ法定点検。ひー

メトロリンクに乗って宝町へ。しかし今やルート変わったかしてフィルムセンター前やないのね。
あそこも名前がかわったんだったかな。

木村威夫展をみる。
2002年だったか、川崎で展覧会を見て以来の回顧展。
映像も流れているのでとてもよかった。

ところであれだ、今回のわたしの行く先々、みんな展覧会の最終日とその前日ばかりで、感想を挙げるにしても完全に自己満足に過ぎないものになるな。いや、それはもう最初からか。

最後にご近所のlixilギャラリーへ。
富士屋ホテルの営繕さん。
非常に良かった。行ったことがあるからこそ、これはあれ、あれはそれ、きゃー
と喜べましたわー。

新幹線でのんびりしたけど、さすがに手荷物が重すぎて辛い。
更にチャリで帰宅したが、そこは火宅で三界に安らぎなし状態に突入。
えらい目に遭う大阪の街。

次は2週間後に出かけます。




長楽館 その2

主にステンドグラスと床面装飾を集める。

愛らしい風景である。
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扉に映る影
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床面装飾
ビザンチン風にも見える。
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シンプルな床でもこのように装飾が入る。
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羊飼いの娘
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細部

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もこもこ…
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そう言えばこのステンドグラスの表文様をみていない。
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玄関まわり

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多彩なステンドグラスにときめいた。

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長楽館 その1

タバコ王の村井吉兵衛の迎賓館として建てられた「長楽館」は明治時代の素晴らしい洋風建築である。
1909年に建てられたから今年で110年になる。
今ではホテル、ウェディング、レストラン、カフェとして人気のある施設となっている。

「八坂神社南門東の長楽館」と場所の説明がある。
実際四条通のどんつきにある八坂神社に向かい、少しの坂を上ると見えてくるのだ。

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ここから正面へと向かう。

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素敵な門


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実は来るのが久しぶりすぎて以前のイメージとちょっと違うのでびっくりした。
わたしが最初に来たころ、レディスホテルだったのと、カフェも今のような華やかなものではなかったのだ。
しかし現在の方がここの建物の特性をよく生かしていて、多くのお客さんが長楽館の魅力を楽しんでいるのは確かだった。


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今回は外観と庭の一部だけを挙げる。

2018年の6月の庭である。
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あじさいが可愛い。

決して洋風だけではない。
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なかなか愛らしい燈籠も。
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薪を集めている。
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通風口の装飾もいい。
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続く。

レストラン菊水、since大正5年

四条大橋東詰祇園、という住所がどこを指すかと言えば、大正五年から建つ菊水だ。
昭和三年から物語が始まる村上もとか「龍 RON」にも菊水はその素敵な姿を見せている。

往時の姿を見せる絵ハガキ
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南座の前にあるので、わたしなども芝居の前後によくここへ行く。
今回は三階の宴会場でお茶をしつつ、往時の雰囲気を残す空間を愉しんだ。

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この照明器具、なんと大正5年からのものだそうだ。
よくも供出されずに残ったものだ。

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とても魅力的な透かしが入っている。





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漆喰装飾もここだけは当時のまま。

お茶しました。



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この照明も可愛い。


そして古い真鍮の窓の金具が可愛いのが嵌るのをみつつ、向かいの南座を眺める。
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実は下から見上げるだけでは櫓の上の梵天を見ることは不可能なのだ。
これはありがたい眺めだった。
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見れないものを見れたのは良かった。

こちらは三階から二階への手洗いへ向かう階段。
これも大概昔のままなので、ちょっと急で気を付けよう。
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一階、二階は手が入り込んでいるので往時の面影はないが、素敵なレストランなので、それだけでも行く価値がある。
夏は五階がビアガーデン。
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また行こう。


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堺に生まれた女性画家 島成園

さかい利晶の杜で企画展「堺に生まれた女性画家 島成園」展が開催されている。
以前からしばしば堺市では彼女の展覧会が開催されているが、今回は図録も作っていて、しかもアンケートに答えた人に贈られるという、まことにありがたいことになっていた。
以前の展覧会の内、2010年の「島成園と堺の日本画家」展の当時の感想はこちら

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今回の展示では資料も多く出ていたのがよかった。
それにより「独学」の彼女の道の始まりが兄・御風だということもわかるし、交友関係もみえてくる。
食満南北からの書簡などでもエエ人間関係だったのがよめる。
成園が御風を「やっぱり兄様(あにさま)やなあ」と大阪弁で記しているのも好ましかった。
そういえば彼女は堺生まれだが育ったのは島之内だというから、もしかすると5歳上の小出楢重とどこかですれ違っていたかもしれない。(この二人に交流があったかどうかは知らない)

そして彼女が印刷物をスクラップブックというかアルバムにして集めていたものも出ていたが、これもたいへん興味深い。
北野恒富、鏑木清方らの美人画があるのもとても納得がゆく。

晩年のなんば高島屋での二人展の資料もあった。
髙島屋は河井寛次郎とゆかりが深い川勝堅一といった人も輩出している企業で、今日に至るまで素晴らしい展覧会を多く開いてきている。
その高島屋の画廊での展覧会が複数回あり、半世紀後の今日も褪色していないチラシが出ていた。

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「無題」「祭のよそおい」といったよく知られた絵の他に「美人十二か月」や雑誌表紙もあった。
2021年に大阪中之島美術館として開館するのがあるが、そこにも多くの資料や作品があるので、いずれそこでも見ることが叶うだろう。

祭のよそおい  幼女たちの祭のよそおいに現れる格差。
裕福な子供らの間にもそれは現れている。更に貧しい子どもは集まったその裕福な子供らから距離を置いてじぃっと羨ましげに眺める。せつない。
その裕福な子供らのモデルとなった幼女らの写真があった。
ナマナマしい格差とうらやみがその写真にも出ている。

指輪  明治末に指輪をモチーフとした美人画を描いている。襖から半身を出す美人。水色の着物で髷が面白い。
完全なお団子ではないのだが、ぐでんとした丸い髷を二つばかり頭頂部に載せていた。
この髪型は何という名前なのかは知らない。
ところで指輪は西洋から来たのだが、明治初頭、河竹黙阿弥が早々と芝居に指輪を取り込んでいる。
1881年11月東京新富座初演「島鵆月白浪」に登場する弁天お照の指には「かまぼこ型の指輪」が嵌められ、これが物語の筋と密接にかかわる。
明治末にはすっかり浸透していたのである。

丁度「黙阿弥の明治」展が国立劇場伝統芸能情報館で開催中で、「島ちどり」の絵が出ていた。
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シャボン玉 大正初期  幼女が遊んでいるのだが、あまり楽しくなさげである。シャボン玉で楽しくなさげと言えば、西洋絵画に少年がやはりつまらなさそうにシャボン玉を吹いていて、それにメメントモリを見出すみたいな解釈があったが、実際シャボン玉の儚さの良さを絵にしたものはあまり見ない。
成園がそうした西洋的解釈をそこに込めたかどうかは知らないが、洋の東西を問わず、やはりシャボン玉は儚いものの象徴なのだった。

萩と美人の取り合わせが三点。
チラシの「影絵」、「秋乃夜」「舞妓之図」。いずれも萩が咲くが、画中画という設定。
正統派少女マンガでキャラのバックに花が咲き乱れる表現があるが、その先達と言うわけではない。(あれはむしろミュシャの表現から来たのかもしれないが、必ずしも絶対にそうだとも言い切れない)
最近は花をバックにしたキャラと言えば「ゴールデンカムイ」の鶴見中尉がある。
かれの周囲にはしばしば芥子の花が咲き乱れる。第七師団のアイドル・イコンという位置づけからの表現なのだ。

1920年の連作「美人12か月」の6月「夕涼」では団七縞の浴衣を着た女が描かれる。
「夏祭浪花鑑」は元々大阪の芝居で、歌舞伎でも文楽でも人気の演目。
(わたしも好きだ)

絵ハガキ類や雑誌表紙絵もある。
1917年の「かげろふ」「唄なかば」はどちらも同じ向きに顔を傾け、目を閉じている。
前者は兄・御風の作。
「かげろふ」は白鳳から天平の風俗、「唄なかば」は江戸から大正の風俗である。
ただし前者はどこかほんのりと幸せそうにみえる。
解説によると「盲目の娘から着想を得た」そうだが、それにしては単に目を閉じて気持ちよさそうにしているようにしか見えない。
後者は流れ旅の盲目の三味線弾きらしく、悲哀が隠せない。
「朝顔日記」「袖萩祭文」といった物語の女だと言ってもいい。

1922年に柳原白蓮の詩歌に優しい童画を描いた作品を刊行している。
子どもたちの月次絵でもあり、愛らしい。
ここでもシャボン玉がでているが、こちらはきげんよく遊ぶ姿である。
前述のは「シャボン玉」というより「ショボン玉」に近いかもしれない。
いや、そこまでないか。

養女にした岡本成薫の絵と写真が出ていた。
見たことのあるような容姿だと思ったら、戦前の大スターで戦後は「化け猫女優」として名高い入江たか子の従姉妹で、母方が華族出身だった。そう、入江たか子に似ているのだ。この人はずっと成園と暮らし、高島屋でも二人展を開いたりしている。

いい企画展だった。ステキな図録もいただき、たいへん嬉しい。
1/27まで。

石井林響展をふりかえる

「千葉に出づる風雲児」石井林響の生誕135年の記念展を千葉市美術館で見た。
石井林響はいくつか作品を見ていたが、全容を知ることがないので、今回このように大きな展覧会が開かれて、たいへんよかった。

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わたしの知る彼の絵はこの「童女の姿となりて」である。
ヲウスノミコが熊襲のもとへ潜伏し、叔母の倭媛より賜りし装束を身につけて美しい少女の姿となる。
その様子に熊襲尊兄弟は喜び、油断し、夜半かれらは先の偽美少女に襲撃されて命を落とす。
熊襲兄弟は絶命寸前にヲウスノミコに名を贈る。
彼はそれで「ヤマトタケルノミコト」となる。
古事記では「倭建命」、日本書紀では「日本武尊」と表記されている。
この絵は随分以前に明治神宮宝物殿でのヤマトタケルの展覧会でみている。
ヤマトタケルが好きなわたしとしては嬉しい始まりだった。
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青銅鏡や衣裳の文様、装飾品も素敵だ。

20世紀初頭というより明治30年代、日清戦争で勝った勢いを忘れられず日露戦争に向かった日本では、日本神話をモチーフとした作品が多く作られていた。
時代背景と「何を描くか」ということは複雑に絡み合う。
以前奈良県立美術館で「神話-日本美術の想像力- 」展があり、その出品策を見ながら色々と納得がいった。
当時の感想はこちら
そこにも「童女の姿になりて」がある。

初期の林響は天風という雅名を用いていた。

二枚の「霊泉」がある。日露戦争の頃とその後。
霊泉ノ図  額にサークレットをする、中世的な胸乳の美、比礼を泉に浸し、そのしずくが落ちる様子、水面の波紋は大きい。
霊泉  天女が美しい胸を羅で隠す。
少しずつ違うが、どちらも明治の「日本神話」の美がある。

また、1908年の「観音」もこの仲間だと言える。
やや幅広の顔、窟の内で金の蓮に乗る観音。神話から仏教に変わっているが。

梅の古木にもたれる羅浮仙女の絵もいい。ややきついめの顔立ちをみせる。

木華開耶姫 1906
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後の胡散臭い男は天孫降臨してきたニニギで、一晩で身ごもった彼女をいぶかしんでいるところだと思う。
違うとすれば、女を値踏みしているところか。
姫は潔白を証明するためにこの後とんでもないことを決行する。

ここまでは神話などからの美人も多いのだが、実はこの先からは美人が全く出なくなる。
最初の頃にこういう古いタイプの美人・美少年を見たので期待するのだが、あとはもう本当にそういうのが無縁となる。
丁度竹内栖鳳の「絵になる最初」「アレ夕立が」の二点だけ見て美人画家なのかとついつい勘違いてしまうのと似ている。

寒山拾得、蝦蟇仙人、東方朔、弘法大師…こういうのが少なくない。
黄初平もじいさんとして描かれていた。

王者の瑞 キリンをモデルに麒麟を描くというのも他にはいないな
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ところで石井林響は小鳥好きだそうで、絵にも可愛いのがいくつかある。
雀、可愛いなあ。

だんだんと画風が変わってゆく。
大正になった。

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南画へ向かい始めている頃のを見るのは面白かった。
キモチが明るくなったような感じがする。
旅先の風景の良さに感銘を受けてえがいた三部作がいい。
イメージ (1643) イメージ (1645) イメージ (1644)総南の旅から  ・砂丘の夕・隧道口・仁右衛門島
千葉県なのかな、どこだろう。
隧道口をよくよく見る。
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働くおばちゃんたちのほっと一息タイムでした。


この虎もいいなあ。
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南画を描く方向へいってから、融通無碍な感じになり、心の自由度が高まって行ってるようだった。

林響が一時所有していた清朝初めの石濤の「黄山八勝冊」が出ていた。
これは今では泉屋博古館の本館に所蔵されている名画。
石濤の作品の良さを知ったのは泉屋博古館のおかげだが、そこからわたしも少しずつ南画のよさがわかってきたような気もする。
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戯画な雰囲気のものも出てきた。
兎月図
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いいなあ、段々と気分もライトになってきたみたい。
そしてこの鍾馗もいい。獅子がまた可愛いし。

のびやかな心持が絵に表れている。
南画っていいなあ。
初めてそんな風に思えた。

いい作品をたくさん見せて貰えてよかった。
もう終了したが、見に行けてわかった。





大阪歯科大学牧野学舎を見学する

京阪沿線はあまり乗ることがない。
なのでこの建物も知らなかった。  
大阪歯科大学牧野学舎。
とても感じの良い建物だった。

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ここでは医療保健学部・医療保健学研究科があるそうだ。

わたしは歯科医院で歯を検診してもらったり、洗浄されたりするのがとても好きで、年に数回の定期検診をとても楽しみにしている。正直なところ2ヶ月に一度くらいで診てもらえればよいなとよく思うが、なかなかそうはいかない。
歯科衛生士の人から正しい歯の磨き方や新しいやり方を教わるのも大好きだ。
これはもう一種の娯楽というか享楽の一つになっている。

さてその歯科大学。
中がとても面白かった。
とはいえ古い教室で、今は使われていないところを見せてもらった。

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こういう廊下を見るだけで妙にドキドキする。


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シンプルなドアと真鍮のドア取っ手

絵が何点かあった。
誰のかはわからない。
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三谷十糸子ぽい感じもある。


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棚などがとてもレトロモダンで素敵だ。
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金言の書かれた額
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うむ、確かに。


古い写真
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色んな器具があったのだ。
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窓の向こう
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誰もいない空間へ
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人のいた痕跡のある風景
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角と丸がいい。
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キャンパス内にあるモニュメント。
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素敵な空間だった。

書けそうにない展覧会の感想いくつか

展覧会が終わってから感想を挙げるのがたいへん得意だが(ジマンになるか、そんなもん)、どうしても書けそうにないものを見極めることも大切だと、最近しみじみ思う。
まだ開催中だから云々…などとひっぱってはいかんのだ。
諦めも必要だ。
というわけで、ちょっとまとめた。

・蕗谷虹児展 @相田みつを美術館
何故ここでするのかわからないと思ったが、「平成の終わりに昭和を振り返るシリーズ」を相田で開催だというのでそぉかと思った。
大好きな抒情画の大家である。
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これまでこの人の大きな展示は三、四回みている。
最初に見たのは今はなき大阪の三越で。
その時に購入した図録は質がよく、今もこれをたよりにしている。
蕗谷虹児の作品は弥生美術館と新発田市の蕗谷虹児記念館が保存・収蔵しているので今のところ安堵している。
綺麗な作品をたくさん並べてくれて嬉しかった。


・エキゾチックxモダン @庭園美術館
チラシが見当たらない。探し出せないままここまで来てしまった。
ものスゴく好みの内容なんだが、今に至るまで感想が書けないまま。
これには理由がある。
基本的にリストに書き記すのにそのリストがなかった。
書き写すとそればかりに懸命になり、楽しめなくなるので、今回はあきらめて見る方に集中した。
もう一つはこの展示の意味するものを考えたからだ。
欧州から見たエキゾ。
観る側のわたしはどの位置にいるのかを観ながら改めて考えた。
わたしは極東の東アジアの現代の日本人だ。
その点に引っ掛かり、書けなくなった。
それでも一応途中まで書いたのがあるので参考程度に挙げる。


東京都庭園美術館「エキゾティック×モダン アール・デコと異境への眼差し」展は魅力的な展覧会だった。
内容もさることながら、この空間でこうしたエキゾチックなものを見るということ自体が、非常にエキサイティングだと思えた。
ときめきを抑えることなど出来ない。

ただ、惜しいことにリストがなく、85点の作品について正確なデータを記すことが出来ない。
尤もわたしの書くものはデータ重視ではないので、いつものように薄目を開けて読んでくださればそれでいいかと。←いつも大体そうかも…。

「両大戦間期のフランスで花開いたアール・デコ。当時のパリは、1909年の登場から瞬く間に人気となったロシア・バレエ、25年に時代のアイコンとなったアメリカのダンサー・ジョゼフィン・ベイカー、ツタンカーメン王墓の発見、自動車メーカー「シトロエン」が行った大陸横断プロジェクト、そして31年開催のパリ国際植民地博覧会など、様々なトピックで賑わい、アール・デコの美意識と造形にも大きな影響を与えた。
ファッションの分野では、パリを初めて訪れる異なる文化圏の人々や文化にいち早く注目。パリ随一のファッション・デザイナーで、ピカソら前衛美術家たちのパトロンでもあったジャック・ドゥーセは、アフリカ美術の造形にも革新的価値を見出していた。また、ポール・ポワレは中近東風の衣装による夜会「千二夜」を開くなど、その非日常性に着目。モダニティーを触媒として、ジャポニスムといったアジアの動向を再解釈し、色彩やスタイルの刷新につなげた。これらの背景には、建築家でデザイナーのアイリーン・グレイや装飾美術家のジャン・デュナンらに漆を教えた菅原精造など日本人美術家の存在もあった。
 本展では、アフリカやアジアに取材したダイナミックな絵画、彫刻を含め、30年代美術館、装飾美術館、モビリエ・ナショナルなど、フランスの美術館が所蔵する、国内初公開作品を中心とした約85点を紹介する。」


この紹介分の中でわたしの偏愛する対象がいくつも見受けられる。
・アール・デコ
・ロシア・バレエ
・ジョセフィン・ベイカー
・ツタンカーメン王墓の発見
・ポール・ポワレ
などなど…
そう、1920-30年代の輝きは他に代え難い魅力を放っている。

日本を代表する「アール・デコの館」、その各室に「エキゾティック×モダン アール・デコと異境への眼差し」の何かが仕掛けられていたり、設えられている。
期待が膨らみ、部屋を回るのがとても楽しい。

・・・とここまで書いて挫折した。
やはりリストが欲しいなあ。
既に図録は完売したという。次の巡回は館林。しかしこのアールデコの館で見るから楽しいということを考えると、館林の展示は全く別だと思った方がいいのかもしれない。


他にも多くの挫折があるが、とりあえず今日はここまで。
いつか万一書ける日が来れば何の脈絡もなく挙げるかもしれない。

「フィリップス・コレクション」を愉しむ その2

つづき。

ジャック・ヴィヨン 機械工場 1913年 油彩/カンヴァス 1928
デュシャン兄弟の兄の人。キュビズムぽい作品。しかし実写ぽくもある。
こういうのはやはりこの1910年代の機械工場の実際の姿と関りがあるように思える。

ワシリー・カンディンスキー 秋 Ⅱ 1912年 油彩/カンヴァス 1945
なんだかすごいような景色。さかしま。

オスカー・ココシュカ ロッテ・フランツォスの肖像 1909年 油彩/カンヴァス1941
自分の絵の個性を出すより、この人を普通に美人に描いている。とはいえ、何かを思い出した。プロイスラ―「クラバート」を基にしたカレル・ゼマンのアニメーション作品、あのキャラ造形によく似ている。

フランツ・マルク 森の中の鹿 Ⅰ 1913年 油彩/カンヴァス 1953
写実。なんとなく栗鼠風な鹿。
マルクは「青騎士」の一員。三菱一号館で見たあの展覧会はよかったなあ。
当時の感想
カンディンスキーと青騎士

ハインリヒ・カンペンドンク 村の大通り 1919年頃 油彩/カンヴァス 1953
可愛いぞ、牛のろのろ歩くのが。ちょっとシャガール風な彩色。この人も「青騎士」の一員。
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オスカー・ココシュカ クールマイヨールとダン・デュ・ジェアン 1927年 油彩/カンヴァス 1941
モンブランに近い所らしい。山間の川、山の下に広がる風景。それを切り取る。

シャイム・スーティン 雉 1926-27年頃 油彩/カンヴァス 1951
スーティンの展覧会を見てからもう随分経つが、このうねりはやはりクセになる。キモチ悪いようなエグミがあるのに、妙にいい。

ジョルジュ・ルオー ヴェルレーヌ 1939年頃 油彩/紙(カンヴァスに貼付)1947
横顔。わたしはもっとユビュ親父風に描いているかと思ったが、そうでもなかったか。

シャイム・スーティン 嵐の後の下校 1939年頃 油彩/カンヴァス 1940
色々と不穏やなあ。描かれた翌年に入手したのか。そうか。
やはりこうなるとスーティンの死は不運だったなあ。

パウル・クレー 養樹園 1929年 油彩/ジェッソで下処理の施されたカンヴァス 1930
シリーズの一枚。段違いで色替え。こういうセーターもいいなあ。

ワシリー・カンディンスキー 連続 1935年 油彩/カンヴァス 1944
踊る何かがいるように見える。なんだろうな、こういうのは。

パウル・クレー 画帖 1937年 油彩/カンヴァス 1937
あーヤバイヤバイヤバイ、ぐるぐるばかり。へんな眼もあるし。

パブロ・ピカソ 緑の帽子をかぶった女 1939年 油彩/カンヴァス 1994
緑の帽子に青い服の取り合わせか…この取り合わせは良くないんだぞ。ピカソはなぜこんな色の取り合わせに?
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ヘンリー・ムーア ファミリー・グループ 1946年 ブロンズ 1947
ロンドンの地下鉄に避難した人々をスケッチ。そこからの製作。
全然関係ないが(ないこともないか)、大阪の御堂筋線は戦時中に突発的に地下鉄が走って大勢の人を救ったそうだ。

ニコラ・ド・スタール ソー公園 1952年 油彩/カンヴァス 1953
えらくべたーと塗っているな…

アルベルト・ジャコメッティ モニュメンタルな頭部 1960年 ブロンズ 1962
この人の回顧展を見たのは良かった。あの展覧会のおかげで今ここにある像を見て、色々なことを想うこともできるようになった。
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ジョルジュ・ブラック 驟雨 1952年 油彩/カンヴァス 1953
斜めふりの激しいめの雨。とはいえなぜか今「文学的表現」だと思えた。

ジョルジュ・ブラック フィロデンドロン 1952年 油彩/カンヴァス 1953
テーブルも椅子も金属製らしいな。

ジョルジュ・ブラック 鳥 1956年 油彩/カンヴァス 1966
この鳥は別室で複製品が撮影できるようになっていた。
なんとなく可愛かった。

いい展覧会だった。
2/11まで。
「全員巨匠」、確かになあ。

「フィリップス・コレクション」を愉しむ その1

三菱一号館美術館の「フィリップス・コレクション」展は煽り文句が「全員巨匠」だった。
「それを言うか」と思いながら中に入り、チラシとリストを見ると、「あっホンマやん」としか言えなくなった。
そう、皆さん巨匠。これを見るわけです。
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そもそもフィリップス・コレクションのフィリップスさんというのはどういう方かということすら知らないので、ちょとだけ調べておく
ああ、そうなのですか。
経歴の中で興味をひかれたのが
1956年 岡田謙三と会う
1959年 マーク・ロスコ展を開く
この二つ。
なんだかときめく。

展示は面白いことに蒐集年代の順になっていた。

第1章 1910年代後半から1920年代
第2章 1928年の蒐集
第3章 1930年代
第4章 1940年 前後の蒐集
第5章 第二次世界大戦後
第6章 ドライヤー・コレクションの受け入れと晩年の蒐集
第7章 ダンカン・フィリップスの遺志

つまりここにいる観客は、絵そのものを楽しむだけでなく、フィリップスさんの道のりをも追体験することになる。
例によって例のごとく、好き勝手なことしか書かない。

ジャン・シメオン・シャルダン プラムを盛った鉢と桃、水差し 1728年頃 油彩/カンヴァス 1920
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描かれたプラムだが、どうも傷んでいるようで、なんとなく残念に思うのは、わたしが果物を食べたいからだと思う。
絵としては多分メメントモリなあれかもしれないが、やっぱり果物と野菜は東アジアのイキイキしたのが好きだなあ。
白地に蝶柄の水差しが明るいのがいい。

フランシスコ・デ・ゴヤ 聖ペテロの悔恨 1820-24年頃 油彩/カンヴァス 1936
「主よごめんなさい、ごめんなさい」と謝っているところ。そばには例の大きい鍵がある。
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どうもペテロと言えば最近は「聖☆おにいさん」のペテロが思い浮かぶので、「サーセン、イエス様、パネェっすね」くらい言うていそうに思えてならない。

ドミニク・アングル 水浴の女(小) 1826年 油彩/カンヴァス 1948
背中の綺麗な女が全てを占める。だがよくみれば他に女がいる。寝そべるものや少女の肩を抱くのもいるしで、けっこう和やか。
だがやはりこの背中が何よりも目立つ。
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ウジェーヌ・ドラクロワ パガニーニ 1831年 油彩/厚紙(板に貼付)1922
ドラクロワはパガニーニのパリデビューを聴いたそうな。その時の印象らしい。熱狂したようだが、やはりどう見てもパガニーニは変なオジサンである。この立ち居姿はわるくはないが。
ところでパガニーニといえばクラウス・キンスキーが自らプロデュースした映画があり、本人がパガニーニを演じているが、キンスキーvsパガニーニはどちらが厄介だろうか。

ウジェーヌ・ドラクロワ 海からあがる馬 1860年 油彩/カンヴァス 1945
アラブ人が捕まえているところ。いい馬やな。馬の血統についてあまり詳しくはないけど、アラブ馬の良さというものはよく聞いている。かっこいいわ。
ところで海と馬といえば「海馬」というものもあるが、その中でもギリシャ神話の海の馬はなかなかかっこいいわ。

エドゥアール・マネ スペイン舞踊 1862年 油彩/カンヴァス
室内でのベラスカ。よくわからないが、迫力がある。

カミーユ・コロー ローマのファルネーゼ庭園からの眺め 1826年 油彩/紙(カンヴァスに貼付)1942
確かに良い眺め。素敵な景色をこうして描けるのは画家の特権だ。絵を描けないものは見ているしかない。

カミーユ・コロー ジェンツァーノの眺め 1843年 油彩/カンヴァス 1955
少年とヤギがいるが、このヤギの種類もしかすると「アルプスの少女ハイジ」のアトリと同じ種類かな。あまり大きくならないそう。

ギュスターヴ・クールベ ムーティエの岩山 1855年頃 油彩/カンヴァス 1925
緑濃い岩間。泉もある。しかしたとえば妖精がいるといった雰囲気はない。

ギュスターヴ・クールベ 地中海 1857年 油彩/カンヴァス 1924
三色に分かれた風景。上から薄い鶸色のような空、もくもくとした白雲、重い緑の海。容赦なく分かれている。

オノレ・ドーミエ 蜂起 1848年以降 油彩/カンヴァス 1925
1848年の二月革命の様子。腕を挙げてまっすぐに立つ人々。

オノレ・ドーミエ 三人の法律家 1855-57年 油彩/カンヴァス1920
三人の連帯意識、見え見え。悪い遊び仲間。にんまりしやがって。
一方暗い所にいる貧民には目を向けようとさえしない。

オノレ・ドーミエ 力持ち 1865年頃 油彩/板 1928
芸人。よく肥えたおっさんが腕組みしてみせる。
「さあさあお立合い」と口上の声で誘う。
フェリーニ「道」のザンパノもこの芸人。藤田もメキシコ、中国を回っていた頃にこの芸人を描いている。
どうもこの芸は洋の東西を問わず存在し、今に至るまで客を呼べるようだ、形は変わっても。

ジョン・コンスタブル スタウア河畔にて 1834-37年頃 油彩/カンヴァス 1925
塗に塗を重ねる。わかりにくい風景。農家はあるが、他が何かわからない。

アルフレッド・シスレー ルーヴシエンヌの雪 1874年 油彩/カンヴァス 1923
屋根も道も何もかも雪まみれ。傘を差して行く女。風はこちらに来る。強い雪が。
申し訳ない、巴水や深水の女の絵が見たくなった。
情緒がほしい…

クロード・モネ ヴェトゥイユへの道 1879年 油彩/カンヴァス 1920
ピンクと水灰色の混ざり合う空気。日が当たり、道も山も染まる。夕方なのかも。

クロード・モネ ヴァル=サン=ニコラ、ディエップ近傍(朝) 1897年 油彩/カンヴァス  1959
淡い海の色が綺麗。

フィンセント・ファン・ゴッホ アルルの公園の入り口 1888年 油彩/カンヴァス 1930
遠目からでもすぐわかる。色が、きっとそうなのだ。
ゴーギャンを待っていた日々。ときめきの日々。
その時に描かれたのか。
左右に人々がいる。杉も並ぶ。
描かれた当時、誰からも見返られなかった絵がこうして愛されてゆく。

ジョルジュ・スーラ 石割り人夫 1882年 油彩/板1940
働く、働く、働く。
この絵を見ていると、はるき悦巳「日の出食堂の青春」のエピソードにある「働きバチ」という映画を思い出す。延々と働き続ける男の話。傍らで微笑む妻とその母。

フィンセント・ファン・ゴッホ 道路工夫 1889年 油彩/カンヴァス 1949
これは絵としてもいいが、当時の道路工事の様子を知る資料としても興味深い。
手作業で道路を掘り進めているが、保全工事なのか埋設工事なのか。
そばには銀杏がある。なんだかおもしろい。

ポール・セザンヌ ベルヴュの野 1892-95年 油彩/カンヴァス 1940
家に日が当たる様子を分割した色彩で表現する。

ポール・ゴーガン ハム 1889年 油彩/カンヴァス 1951
そらハムやがなとしかいいようがないくらい、ハム。周りに玉ねぎも控えている。
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ポール・セザンヌ 自画像 1878-80年 油彩/カンヴァス 1928
3/4は頭頂部という感じですなあ。横を向いた姿…
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ポール・セザンヌ ザクロと洋梨のあるショウガ壺 1893年 油彩/カンヴァス 1939
モネの旧蔵品だそう。壺とくしゃっとした布と。いかにもセザンヌ先生。
生姜壺は何に使うのだろう。ジンジャラーのわたしとしては気にかかる。

エドゥアール・ヴュイヤール 新聞 1896-98年 油彩/厚紙 1929
家の中で母親が新聞を読んでいる。壁紙、机、椅子、窓の外の木々、日常のヒトこま。おばさん。
この時代の新聞の読まれ具合はどうなのだろう。

ベルト・モリゾ 二人の少女 1894年頃 油彩/カンヴァス 1925
一見ルノワール風な二人。青い部屋で室内履きの靴を履いて寝転ぶ。

アリスティード・マイヨール 女の頭部 1898年 ブロンズ 1927
鋳造されたのがいつかは知らないが、どうもこの像を見ていると世紀末と言うよりモダンな1920年代風に見える。
後ろに髪を丸めてはいるが、チャールストンくらい踊れそうな女。

エドガー・ドガ 稽古する踊り子 1880年代はじめ – 1900年頃 油彩/カンヴァス1944
柿色と水色が目に残る。バーレッスンする二人。

オーギュスト・ロダン 姉と弟 1890年 ブロンズ 38.1×17.8×15.9cm 1953
年の離れた姉さんと甘える弟。だっこされる。
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どうもロダンで「姉と弟」とくると、カミーユとポールの姉弟を連想する…
更にはコクトーの映画「恐るべき子供たち」にも連想がゆく。
フランスで上映されたのは1949年だった。
フィリップス氏が1953年にこの彫像を手に入れたとき、何を想っていたろうか…

オーギュスト・ロダン 身体をねじって跪く裸婦 制作年不詳/1984年鋳造 ブロンズ 2009
またまたこれだ、首がないですがな、腰も絶対痛めるよ。静岡県立美術館で「ロダン体操」して体のゆがみをとりましょう。

エドガー・ドガ リハーサル室での踊りの稽古 1870-72年頃 油彩/カンヴァス 2006
こうした静謐さはいい…

パブロ・ピカソ 道化師 1905年 ブロンズ 1938
ブリヂストンのところの親戚かな。

アンリ・ルソー ノートル・ダム 1909年 油彩/カンヴァス1930
船を見る後姿を少し離れて。赤旗がヒラヒラ。パリの船着き場。
フィリップス・コレクションにこの絵が入った四年後1934年にジャン・ヴィゴが「アタラント号」を発表した。
船着き場の様子は当時からどれくらい変化していたのだろう。

モーリス・ユトリロ テルトル広場 1911年 油彩/厚紙1953
たいへん静か。

ピエール・ボナール 犬を抱く女 1922年 油彩/カンヴァス 1925
赤のシマシマの女が茶色いわんこを抱っこ。
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ほぼ同時期にボナール展をみて、晩年のボナールは猫派から犬派になったなあと思っていたのだが、ここにもそれがいた。

ピエール・ボナール 開かれた窓 1921年 油彩/カンヴァス 1930
室内。椅子の女は黒猫をからかう。

ピエール・ボナール リヴィエラ 1923年頃 油彩/カンヴァス 1928
遠近法が浮世絵風。手前に木々、奥に山や家々。暖かそうなところ。避寒地だったかな。

ピエール・ボナール 棕櫚の木 1926年 油彩/カンヴァス  
大きな葉と女と向こうに町が見える。これはあれだ、1990年代くらいの日本画にある構図。稗田一穂にもこんな絵があった。源流はこれかもね。

ラウル・デュフィ 画家のアトリエ 1935年 油彩/カンヴァス 1944
描きかけの裸婦、船の絵もある。青色の部屋、向こうは花柄の壁紙。窓の外には建物も見える。和やかなアトリエ。

アンリ・マティス サン=ミシェル河岸のアトリエ 1916年 油彩/カンヴァス 1940
裸婦は欠かせません。黄色の肌、黄色の机、黄色の置物、黄色の何か。
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アメデオ・モディリアーニ エレナ・パヴォロスキー 1917年 油彩/カンヴァス 1949
灰緑色の両目には黒目が描かれている。おでこを出している。これはお礼心に描いた一枚だそう。

ジョルジュ・ブラック レモンとナプキン 1928年 油彩・黒鉛/カンヴァス 1931
妙な存在感があるなあ。しかしわたしはそれをうまく表現できない。

ジョルジュ・ブラック 円いテーブル 1929年 油彩・砂・木炭/カンヴァス 1934
どうもこれもわたしの目には人の顔が見えるので、錯視だな。

ロジェ・ド・ラ・フレネ エンブレム(地球全図) 1913年 油彩/カンヴァス 1939
地球儀があり、本もある。絵そのものより、描かれている内容に関心がわく。

まだまだ続くので一旦ここまで。

高碕記念館 2018年の初夏 その3

見上げれば飛行機
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物置には資料いろいろ
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外観色々
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ありがとう高碕記念館。今度は違う季節の頃に行きたい。

高碕記念館 2018年の初夏 その2

高碕記念館の手入れされた庭園を見るのは楽しかった。
初夏に映える赤い紅葉。これは関西の庭によく植わっている種類。
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とうとう中へ。
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タイルの張り巡らされた暖炉2つ
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窓の近くにも遠くにも緑が。
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階段の窓もいい。
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本棚や展示資料
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良い写真が残っていてよかった。

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続く

高碕記念館 2018年の初夏 その1

長らく建築探訪の痕をここに残さなかった。
久しぶりにまじめに挙げて行きたいと思う。

昨日雲雀丘花屋敷の邸宅いくつかを挙げたが、それは高碕記念館に行った時の道すがらで見かけて素敵だと思ったからだ。
今回からはその高碕記念館をまとめたいと思う。

丁度ばらの季節だった。
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擬木の石段
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風も日差しも心地よい日だった。
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テラスに妙に惹かれた。
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真っ青な空に映える南国の樹
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ばらだけでなく、シャクヤクも咲いていた。
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リュウゼツランもある。
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ライオン像
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まだ庭にいたい。
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続く

雲雀丘花屋敷を歩く

昨年の季節の良い頃に雲雀丘花屋敷のさる邸宅を訪ねたが、そこへの道すがら素晴らしいお屋敷をいくつも見かけた。
元々このあたりはお屋敷街として20世紀初頭に披かれている。
現代まで活きているお屋敷もあるのだ。

往時の様子を紹介する絵看板も設置されていた。
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わたしなどはこの沿線に代々住んでいるが、この辺りとはあんまり縁がないままきた。
とはいえ、この地にある雲雀丘学園などに通っていた近所の子供もいたので、この町にはお屋敷と学校があるくらいしか聞いていなかった。
今になって歩くことになるとは思わなかった。
中途半端に近く、無縁な駅と言うものは案外あるものだ。
今度は売布神社界隈を行きたい。

ひとさまのおうちなので、遠目に見ただけ。
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素敵なおうちぱかりだった。
近々高碕記念館を紹介する。

描かれた舞台 近代日本画編

こちらは鏑木清方の芝居絵ばかりになったか。

芝居絵12題 1926
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2007年の展覧会から。

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清方は芝居好きで有名だが、「こしかたの記」によると、しばしば友人と共に幼いころから近所の歌舞伎座の楽屋に入ることもあったそうだ。
あるとき、舞台袖に光り輝く美貌の人がいた。それは当時人気絶頂の福助(後の五世歌右衛門)だった。
清方はこの時の衝撃をしばしば記している。

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描かれた舞台 近代日本洋画編

新春らしく、華やかな歌舞伎や文楽の舞台の様子を描いた近代日本洋画を集めた。

辻愛造 菊人形 1932 「夕霧伊左衛門」
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金山平三は画題と芝居の外題とが一致したものが少ない。
わからない芝居もあるので、わかる範囲で外題を挙げる。

見初め  
与三郎だろうか
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上から
天竺徳兵衛、不明、芳流閣
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上から
いもり酒、尾上岩藤、舟遊び
「いもり酒」は現在では上演されないが、昭和初期くらいまではあったようだ。年代記で見た。
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上から
二人こうして並んだところ「助六」の意休と揚巻、ふられ役(不明)、奥州の夷
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無題 「阿古屋の琴責」の段
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金山平三の弟子・大森啓助 「道成寺 段切れ」
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須田剋太 碇知盛
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本当はここに牛島憲之の描いた芝居絵も仲間入りさせたかったが、残念。
次は近代日本画編。

2019年 あけましておめでとうございます

今年もよろしくお願いいたします。

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元はこちらに挙げてたものです。当時の感想。
京都の日本画 「学校で出会う」「動物へのまなざし」
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