FC2ブログ

美術館・博物館・デパートでの展覧会を訪ね歩き、近代建築を見て周り、歌舞伎・映画・物語に溺れる日々の『遊びに行った日を記す』場所です。 

「へそまがり日本美術」前期をみる その2

つづき。
今回どうしても書けそうにないので、本当に一言メモと絵合わせるだけで。
それでしかもまだ完結できない。

春叢紹珠 皿回し布袋図 個人蔵  
仙厓義梵 竹虎図 個人蔵
イメージ (1833)
「へそまがり」というより「へんだけどかわいい」のクチだよなあ。
この虎がもう可愛くて。
イメージ (1849)

それでやっぱり仙厓はどうみても可愛いのよ。
仙厓義梵 十六羅漢図 個人蔵   目からビーム出す奴もいれば何してるのかわからん奴もいる。
そう言う自由さが楽しい。
イメージ (1841)
ここでも虎がかわいいわ。

仙厓義梵 牛図 個人蔵   この牛なんかは物言いたげだけどあえて沈黙を守るタイプで、上のじいさんたちとは大違いなのよな。

仙厓義梵 丹霞焼仏図 個人蔵   寒いから木仏を焼いて暖を取るのです。

仙厓義梵 蜆子和尚図 幻住庵(福岡市)   網持ってる。しかし禅僧ってなんかこう行動がおかしいのよな。
その行動に意味を見出すのが「禅」だといのもけったいな話なのですが。

仙厓義梵 豊干禅師・寒山拾得図屛風 幻住庵(福岡市)  まさかの虎一家。仔虎もいるとは!
イメージ (1850)

これ見てこんな感じよ。
イメージ (1843)こいつも虎兄弟の1.。スタンプになりました。


小林一茶 「苦の娑婆や」自画賛 個人蔵  坊さん姿の本人像が可愛い可愛い。思わずリストにこの絵を描いてしまうくらい。

遠藤曰人 蛙の相撲図 仙台市博物館   なんだこの相撲は。ふにゃふにゃなところが可愛いぞ。
イメージ (1832)
こういう絵を意図して描いてるのかそうでないのかによって意味が変わるのかもしれないが、そんな裏事情は措いても、ただもう蛙らしきものたちが可愛い。

で、わんこコーナーがある。
応挙先生に弟子・芦雪。みんなもう可愛くて噛んだろかという気にさせてくれるよ。
長沢蘆雪 菊花子犬図 個人蔵
イメージ (1837)
右端の奴のやることがもう…

可愛さにどきどきしたけど、やっぱり「へそまがり」らしいんだよなあ。
どこらあたりがそうなのかよくわからないが。

つづく。
スポンサーサイト

「へそまがり日本美術」前期をみる その1

日本の二大春の祭りの一つ、府中市美術館「春の江戸絵画祭り」、今年は「へそまがり日本美術 禅画からヘタウマまで」展なのだった。
今年も暴力的なほど面白い内容だった。
そして既にこの展覧会の感想を挙げた方々がおられる。
その中でも特にこちらがすごくいい。



もう、この虹さんのレポ、最高。
これを読んで思ったことをそのまま記す。
「わたし感想書かなくていいよね 珍しく初日に出かけたけど うちのテンプレ『例によって既に終了した展覧会だが』の書き出しで始まるのを五月過ぎに挙げたらええかな」
と思ったものなあ。
たいへん面白いし、この展覧会の真っ芯を捉えてるよなあ。
ところでわたしはタイプ別でいうとここからハズレるのですよ。
「かわいいー」とか声を出してしまい、官僚連中にねちねち叱られるタイプ。
上様からは「よいよい」と庇われるけど、周囲に色々言われて「えーいうるさいな、こいつらみんなXXしちゃうぞ」と思い、帰ってから計画を練りだして、家老たちから「おやめください」といさめられ、なだめられ、すかされ、みたいな感じね。
そう、わたしも「へそまがり」でした。
因みに美術館がネット配布した「あなたのへそ曲がり度」では80%へそまがりでしたわ。
まあわたしはいつも通り好き勝手書いてゆこう。 ←そういうところだぞ、遊行。


11時についたのだが、既に一周回ったような人もいて、帰る人もいたが、皆さんやはり楽しそうな顔をしていた。
「へそまがり」といいつつ、このチラシを見たら「かわいいー」と世界共通語が飛び出ますがな。
イメージ (1835)
将軍家の絵。爆発兎だというた方もいたな。
むしろわたしはススキのミミズクのウサギ版かと思いましたよ。

わくわくしながら展示室へ向かうと、最初から怪しいのが出てきた。
怪しいのが当然な寒山拾得だが、それにしても出だしからこれか。
なんだか凄いのが出てきたぞ。こういう寒山拾得、ちょっと濃すぎるな。
入り口から早速やってくれました。

さて三幅対。
雪村周継 あくび布袋・紅梅・白梅図 茨城県立歴史館  中・右・左の順。
丸々とした、最初からおっちゃんだったような布袋、 意外に爪もきれいにしている。
左右の紅梅・白梅が紙の絵にしてはキラキラに見える。
特に銀キラキラに見えるのは何故か。薄墨効果らしい。
ああ、これはいいな。むしろ真ん中いらないというと叱られるか。

雪村周継 布袋唐子図 茨城県立歴史館  坊やを頭上に載せる。ハエスベリとも呼ばれるアタマに唐子がつかまる。
布袋の大きな福耳。足は当然短い。 ほのぼの。

寒山拾得が続くが、幕開きのがけっこう効いて、みんなおとなしく見える。

啓牧 寒山拾得図 栃木県立博物館  普通の人に見える。

伊年印 寒山図  宇宙と交信しているらしく、両手の人差し指で何かサインを送っている。
「似馬不馬似驢不驢…」と賛が書いてある。壬申の夏に描いたそうな。壬申の乱も夏だったな。

布袋の絵も多い。
どうでもいいことだが、丁度「仁義なき戦い」の新テーマを布袋寅泰が作曲したころ、友人とライブに行った。
アリーナ席で周囲全員黒づくめの男性。
ピアノ教師の友人の拍手の強さとわたしの絶叫「ホテー―――っっっ」響いたなあ。
…布袋さん、「おっ」とか言ってくれたな。周囲も「凄いっすね」と言うてたよ…

狩野山雪 松に小禽・梟図 摘水軒記念文化振興財団(府中市美術館寄託) 
イメージ (1840)
出ました、通称「いちごフクロウ」。可愛いよね。
これは二度目かな。山雪展の時に見たのが最初だったか。
ところで解説によると江戸時代はフクロウは胡乱な鳥だと見なされていたらしく、絵でも孤独系に描かれていたそう。
なのでほかの鳥たちはフクロウから距離を置いている表現がされている。
ギリシャの知恵の神のお使いだと広まって以来、賢者な鳥扱いされるようになったが、そうでなかったらいつまでも「梟首」とかよくない単語に使われたりしたわけだ。
立ち位置が変わると価値観も変わる。

白隠慧鶴 維摩像 大阪中之島美術館  維摩といえば普通は・美女侍らす・松葉を咥える なのだが、これは違う。
「出たー」と思ったね。何がと言えばこの目。大抵「出たー」はオバケなのだが、オバケと言えば水木しげる。
そう、水木しげるが描くような目をしていた。水木しげる描く仙人で目を開けてる奴。
わからなくても大体想像したら合ってるという方向で。因みにこの維摩は手に払子あり。
  
白隠慧鶴 布袋図 個人蔵   ひげなのか袋なのかよくわからないがべろーーーっと大風呂敷開いたような状況で、そこに「福寿」の文字。めでたいんだろうけど、わたしは「どっちやねん」とひっぱりたくなったな。

東嶺円慈 茶柄杓図 早稲田大学會津八一記念博物館  茶の湯の柄杓がまっすぐ立たされている。それもこれは水指?
茶の湯をきちんと習っていないので正しいことは書けないが、そういう情景。
賛がある。
「寒熱の地獄に通う茶柄杓も 心無ければ音もなし」
蕪村の俳画に通じるものがある。調べたら、全くの同世代だな。

春叢紹珠 達磨図 早稲田大学會津八一記念博物館  えらくアゴな達磨。少しばかり俳優・伊藤雄之助に似ている。目がね。
それも「忍びの者」の百地三太夫 実ハ 藤林長門守という役の時のに。

惟精宗磬 断臂図 早稲田大学會津八一記念博物館  「切るよー切るよー」のところ。どうもこの顔、「ゴールデンカムイ」の月島軍曹から険がなくなって、出家したらこうなりました的な顔だな。昔の日本人のある種の顔。原典はインド?中国?どちらかでしたが。

風外本高 新春賀偈 香積寺(豊田市)   虎を描いているらしい。元のポーズは牧谿の。まあ略画の猫ですかな。

続く。

八丁味噌カクキューへ行った

江戸時代からの老舗・八丁味噌のカクキューへ少し前に行った。
岡崎である。三河。遠い。尾張の向こうになるのか。
「尾張が遠ございます」=「おありがとうございます」という地口を思い出した。
夢野久作の「犬神博士」にある。

行く前に寄った公園で見た瓦が可愛い。
IMGP0001_201903262351451a8.jpg


この公園、よくよく考えたらお城の所か。
燈籠が茶道具の文様。
IMGP0002_20190326235146b35.jpg


IMGP0003_201903262351471b3.jpg
可愛い喃。


さて八丁味噌カクキューへ見学。
今回ここへ来て初めて知ったが、関西人のわたしが食べる「赤だし」と「八丁味噌」とは別物だそうだ。
知らなんだわーーーーーーーっ
いや正直、本当に知らなかった。
しかし全く無縁なのではなく、逆に「八丁味噌になじみのない関西人の為に」開発されたのが「赤だし」だったので、いうたら親族なのだった。
これについては事情がwikiにあった。
こちら
なるほどなあ。

それで先走った話をするが、見学の最中に試食コーナーがあり、八丁味噌と赤だしの試飲があった。
わたしはやっぱり骨の髄まで関西人らしく、八丁味噌より赤だしの方を美味しく感じたのだった。
赤だしが関西人の為に開発された商品だから当然なのかもしれない。

さて今回はカクキューさんへおじゃましたわけだが、遠目からでも威風堂々の構えがいい。
IMGP0004_2019032623514869b.jpg


IMGP0005_201903262351493d1.jpg


IMGP0006_20190326235150034.jpg


IMGP0007_2019032623515223d.jpg


IMGP0008_20190326235154ebb.jpg


IMGP0010_20190326235155a71.jpg

かっこいいなあ。

倉の外観も素敵。
IMGP0011_20190326235157144.jpg


IMGP0012_201903262351586ed.jpg


IMGP0013_20190326235159a02.jpg

日本の倉の美を実感するね。

IMGP0014_201903262352016de.jpg


IMGP0015_20190326235203d60.jpg

中へ。

IMGP0016_20190326235204177.jpg


IMGP0017_20190326235206456.jpg


IMGP0019_201903262352070d1.jpg

こうして味噌が生成されるのだなあ。

一通り見学を終えたら前述のとおり試飲コーナー、物販コーナーへ。
三河の人々がいかに八丁味噌を愛しているかよくわかった気がする。

資料コーナーも面白いものが多い



倉を出ると自販機があったが、よくよくみると岡崎のゆるキャラ・オカザエモンのイラストがあった。
なるほどなあ。

帰宅後、カクキューさんの赤だしをおいしくいただいた。
今度は八丁味噌を買ってみたいと思う。

サラ・ベルナールの世界展

巡回中の「サラ・ベルナールの世界」展を阪急梅田で見た。
待った甲斐のある濃い展覧会だった。
イメージ (1821)

サラ・ベルナールは19世紀末から20世紀初頭に主にフランスやアメリカ巡業で名を馳せた大女優である。
そして彼女の顔を知らずとも、彼女をモチーフにした絵画作品は知らぬ者がないのではないか。
ミュシャは彼女と専属契約をして丸六年間彼女をモティーフとした作品を彼女の為に制作し続け、それらは今日でも輝ける美術品として多くの人を虜にしている。
ミュシャと同年のルネ・ラリックもそれは変わらない。
彼もまたサラによって世に出て、彼女の依頼によって素晴らし宝飾品を拵え続けた。
それらは演劇者としてのサラのためであり、一人の婦人としてのサラのためでもあり、長らくその要望に応え続けたわけだ。
当初はアールヌーヴォー様式のものを、後にはアールデコ様式のものを。

展覧会の空間の外壁にはミュシャとロートレックの作品が紹介されていた。


中では始めにサラの写真の展示があった。
サラは自分の歯並びにあまり愛情を持てなかったらしく、歯を見せる写真を喜ばなかった。

この写真は彼女を喜ばせたが、同じ写真家が撮った歯並びの見えるサラは本人が「吸血鬼」みたいだと拒んだそうだ。
別にそうそうひどくもないが、全てに自分の美意識を押し通したサラが「気に入らない」というのであれば、それはやはりよくない写真になるのだった。

街着姿のサラが並ぶ。若い頃ではなく、名を挙げた頃のサラの煌びやかな姿が連なる。
自分をいかに美しく魅力的に見せるかをよく考えていた人だけに、どの写真もブロマイドのように見える。
もちろんそのように撮ったものかもしれないが、いずれも大スターの威厳・貫禄・魅力があふれ出た写真だった。

彼女は経年による体型変化を露にすることを許さなかった。
自分で選んで気に入ったスタイルは、胸から胴回りの凹凸を見せないもので袖も途中までゆるやかにふくらみ、二の腕から下へかけては筒状になったものを好んだ。
そしてウエストより下方にキラキラした装飾をみせるバンドをゆるく回す。
若い頃から晩年まで好んだスタイルで、これは巧いと思った。
ビロードドレスの現物があり、素敵だった。

イメージ (1822)

サラの多彩な才能とその華麗な人間関係が写真から浮かび上がる。
彼女の友人、そして愛人たち。時には友人の垣根を越えて愛人となる同性の人々もいる。
彼女たちはサラを裏切らず、最後まで協力を惜しまない。
フランス風な愛し方にはこうした性別によらないものがあるのが素敵だ…

60歳を超えても美しくあり続けるサラ。
努力を惜しまず、常に最前線で輝き続けることを選んだ。

4mもの長さのショールとチンチラの外套、モスリンに刺繍のドレス。
世紀末の夢を体現するサラ。

彼女と言えば日本の仏壇を自分の宝飾箱に使ったとか、棺桶をベッドにしたとか言った噂を子どもの頃に聞いた。
その噂がある意味本当だというのを確認もできた。
棺桶で眠るサラ。
美しく目を閉じ、手を交差して棺桶に身を埋めている。
凄いな、これは。

サラは銀の食器を買い集めたが、息子のギャンブルの借金の穴埋めにヴァルドン氏に買い取ってもらった。
百年ほど前の銀の食器は輝きを失いもせず、今も銀色のままだった。

ファンを夢見心地にさせるための努力を惜しまぬサラは、自身の嗜好・志向もあって、とても豪奢で幻想的な自室をコーディネイトした。部屋に使われたひらひらのフリルやレースも本当に素敵だ。

ナダールの撮ったサラ。ヴェールのサラに惹かれる。
イメージ (1823)

「テオドラ」ではビザンチンが舞台たと言うので「夢のオリエント」を体現しようとするサラに、ときめいた。
そして「ジスモンダ」のサラのポスターはミュシャを一挙にスターダムにのし上げた。
「フェードル」「トスカ」「ハムレット」「レグロン」…
どれもみんなとても素敵だ…

サラ最後の愛人は37下の筋肉派のルー・テリジェン。そして少女のようなシュザンヌ・シーラ。
面白い写真がある。
サラがシュザンヌを抱き寄せつつ、ルーの手を握るもの。
三角関係を映すものとして、この写真は最高にいい。

サラは以前に炒めた膝を更に劣化させ、遂に切断してしまった。
しかし彼女は三世田之助にならず、晩年まで強く生きた。
1915年の切断、1916年の第一次大戦の戦場慰問。
その頃には早くもひ孫までいる。
いつもにぎやかに過ごし、サロンで華やかに笑った。

サラをミューズとした芸術家は数多い。
世に出してもらったミュシャやサラを始め同時代の役者たちを描いたロートレック、サラの装飾制作を担ったラリック。
彼らは百年後の今もその先も人気が続くだろうが、今では知る人ぞ知る作家となった人々も多い。
その人々の作品を見ることが出来て良かった。



サラの為の宝飾をみる。
「クレオパトラ」の時に使われた輝石で構成されたバンド、ロスタン「遠国の姫君」の百合の冠、ペクラトル(胸飾り)の豪勢さ、ティアラの耀き、何もかも素晴らしく豪華絢爛。
1881年にロシア皇帝となったアレクサンドル三世からその年に純金の月桂冠を贈られている。
ラリックの拵えた数々のブローチも並ぶ。
目にキラキラしたものが残った。

芝居のプログラムもよく出来ている。今見ても素敵な表紙。
彼女は辣腕の興行師でもあったのだ。

1896年12月9日、「サラ・ベルナールの日」という大イベントが開催された。
ジール・シェレとミュシャがメニューの挿絵などを担当している。
当日の大盛況を容易に想像させてくれる。

展示ではほかに彼女の華やかな仕事をあつめた映像も流れていた。

彼女は多くの宣伝ポスターになり、多くの商品の宣伝をし、時代のアイコンとなった。
2019年の今も展覧会が開催されるや大繁盛している。
この展覧会は昨秋の群馬、堺のミュシャ館、阪急梅田を皮切りに全国を巡回する。
それぞれの地でまた多くの人を虜にするだろう。
とても面白く明るい展覧会だった。

阪急では3/25まで。
次は箱根ラリック美術館、横須賀や松濤にも巡回する。
詳しくはこちら

「両陛下と文化交流―日本美を伝える―」展をみる

東博本館で「両陛下と文化交流―日本美を伝える―」展をみた。
チラシには平成版の悠紀・主基地方風俗歌屛風が挙げられている。
イメージ (1824)
チラシの表記にある通り、桜と海辺が描かれた「悠紀地方風俗歌屛風」をみた。
これは右隻で、左席は紅葉の山を描く。東山魁夷の大作。
1990年平成2年の作である。
大嘗祭の際に用いられる儀式用屛風。悠紀地方として北日本の秋田県の風景が選ばれている。
この屏風は御即位20年記念 特別展「皇室の名宝―日本美の華」1期とその前の10年記念でも見ている。
当時の感想はこちら
皇室の名宝 1期展に行く 
もう10年前の話。あのときも東博での見学。

思えば平成30年間はわたしにとってまさに「展覧会、建築、歌舞伎・文楽を楽しむ」時代だった。
昭和の頃はほぼ出来なかったことだ。昭和の頃は読書と映画がそれだった。
景気の問題は政府の責任なので皇室には関係がない。
わたしが展覧会によって心を豊かに愉しめたのは平成年間なのを改めて思い起こす。

霊峰飛鶴 堂本印象 1935  お誕生のお祝いに描かれた。
右隻に鶴が二羽、嘴が青緑に光る。
左隻には富士山。松の生い茂る山の向こうに青い富士。

両陛下は公務として外国ご訪問をされ、現地の皆さんと文化交流をはかられる。
その際に宮内庁三の丸尚蔵館所蔵の絵画などを現地へ持って行かれ、ご紹介なさる。
日本美術の素晴らしさを広めるのもお仕事なのだ。
とはいえ、展示パネルのお写真などに写るお顔をみると、美術品を眺めるお顔はほんのり赤らんでお幸せそうだった。

以前、葉山の美術館に行った時、行幸・行啓に遭遇したことがある。
その顛末はこちらに記してある。
「美は甦る 検証・二枚の西周像 高橋由一から松本竣介まで」展
その時の楽しそうなご様子はよく思い出せる。

パネル展示で陛下が皆さんに紹介されているのはこの作品だった。
源氏物語図画帖 伝土佐光則  今回は「夕顔」「若紫」「末摘花」「紅葉賀」の四点が出ていた。

大好きな小栗判官絵巻が出ていた。岩佐又兵衛の豪華絢爛な絵巻である。
わたしがみたのは巻10の16段、青墓のよろづ屋で常陸小萩として百人の遊女の世話をする照手姫。
遊女たちはそれぞれ豪奢な衣裳にそれに合った見事な蒔絵の鏡台などと共に描かれている。
中央の遊女は盥で足を洗うが、膝の内側に囲のようななにか印が描かれていた。
小萩の照手姫には千手観音がついているので、仕事もなんとかこなせるのである。

松竹薔薇蒔絵十種香道具  たいへん綺麗。香割道具の鋸には「伯耆守金義」の名が刻まれているそうな。

丹鳳朝陽図花瓶 海野勝珉 1915  大礼のお祝いに献納されたそう。

皇后のお仕事として養蚕があり、美智子皇后は特に熱心になされている。
なんでも絶滅しそうな小石丸という日本産のお蚕さんの養生に力を尽くされたそうで、おかげで正倉院宝物の修理などに使えたという。
廃棄処分にされていたら、こんなことは出来ないのである。ありがたいことだ。
古代裂も鎌倉時代の絵巻も外国産のお蚕さんの糸ではなく、国産の糸で作られていたのだから。

養蚕天女 高村光雲 1924  手に繭を持つ天女。この画像は新聞から。
イメージ (1812)
関係ないが、高村光雲の随筆と言うか語りおろしが面白くて仕方ない。
明治20年の皇居御造営の際には鏡縁、欄間を彫ったそうだ。
この人も帝室技芸員でそれ以上に名人も名人なのでよく仕事をしている。

宮内庁侍従職所管の見事な振り袖やドレスも展示されていた。
赤縮緬地吉祥文様刺繡振袖 1935  鶴と金糸の亀、竹に菊など。綺麗わ。
黒紅綸子地落瀧津文様振袖 1938  袴着の時に用いられたもの。橘も可愛い。

イブニングドレスが遠目にもキラキラ。これは佐賀錦という造りのものだそう。
鍋島家の奥方らが考案したそう。
鍋島家と言えば以前にたばこと塩の博物館や泉屋博古館で素晴らしいコレクションを見ている。
佐賀錦とは経糸に金箔、横糸に絹を使うという豪奢な構造のもの。さすが裕福な鍋島家である。
大名華族・鍋島家 展の感想

ところで今回初めて知ったが、お蚕さんも国により吐く糸の色が違うそうな。
日中交雑…白繭
欧中交雑…黄繭
お蚕さんの飼育では山繭もあるそう。

各国での文化交流の様子のパネル展示を見ながら思ったことは、詳しくは書けない。
ほんとうに大変だったのだと思った。
どうか退位後は安気に暮らしていただけたら、と思う。
そしてもし叶うならツイッターで植物のことなどを呟かれたら、と。

4/29まで。


画業と暮らしと交流 大観邸

珍しく初日に出かけたので早い目にその感想を挙げる。

髙島屋で巡回中の横山大観記念館 史跡・名勝指定記念展「画業と暮らしと交流 大観邸」を見に行った。
かつて池之端の大観邸には二度ばかり行ったのだが、長く再訪していない。
いつ以来かというと…DB調べてびっくりした。
1989年11月3日と1992年12月11日だった。そうか、随分と昔だったのだなあ。
この89年11月は初めて一人で東京へ行った時のことだから、本当に懐かしい。

イメージ (1819)

最初に池之端の大観邸のパネル展示がある。
もう何十年も中に入っていないが、ここが素晴らしいということは知っている。
それは記憶によるものではなく、他の人々が記した書物からの知識だったが。
たとえばそれは戸板康二「ぜいたく列伝」、震災直後の大観の奮闘ぶりの記事などなど。
大観は動物好きだからたくさんの動物を飼っていた、池の水が名水、戦時中でも常に広島の「酔心」から樽酒が贈られ続けてきて酒を欠かすことはなかった…
こういった辺りからの話だが。

それにしてもこの庭はやはりいい。秋の風情が特によいらしく、その写真が多い。とはいえ春の庭としても美しい。
家の設計図もあった。数寄屋造りの和風邸宅で、大観自らの案が強く反映した作りだった。
興味深いことは広い京間と狭い関東間とをそれぞれ使い分けている。
というか、何故どちらも不忍池の畔の池之端で使うかな。
しかしこれは大観自身のこだわりからのことだった。

画質や接客のある方の建物は京間、住まいは関東間。
今回初めて知ったが、大観は東大受験の際にトラブって受験失格になったそう。
そして設計士になるのをやめて絵かきになったらしい。

イメージ (1820)

消失したが「鉦鼓洞」という庵を持っていた大観はその内観のスケッチを残している。
そのスケッチは大変正確なもので、しかし筆致は柔らかい。
これは設計士になろうとした人の絵であり、画家の設計図面でもあるわけだ。
写真やこれらの資料から内部には囲炉裏があったことがわかる。
お茶はしなかった大観はここの火でお燗をして酒を飲んでいたのだ。

TV番組の収録でここに吉川英治が来た。たちまち意気投合。二人はお茶に見せかけて酒を飲み始める。
そしてご機嫌になった大観は愛唱する「谷中うぐいす」を歌う。
わたしはこの「谷中鶯」と言う俗曲を知らないのだが「堂々男子死んでもよい」のフレーズで「ああ」となった。
明治の書生っぽさを残した大観にはやはりこうした心持があったのだろう。

部屋のあちこちに大観の工夫・好みの痕があるが、欄間の紹介があり、格の高い筬欄間や杉板の上下を琴柱で支えるというもので、なかなか粋だった。

作品の展示に向かう。
様々な人々の書がある。手紙も多かったが、書も多い。
能書家として名高い愛新覚羅溥傑さんからの書、インドの詩聖タゴールの金泥のベンガル語の詩、久爾宮夫妻の1925年2月6日の書などなど。

大観の盟友であり、夭折した菱田春草の美人画がある。
秋の夜美人
イメージ (1817)
丸顔の娘さんが野に立つ。白い花は男郎花か。
帯が愛らしい。

大観は弟子を持たない人だったが、人を引っ張って推してということをする人だったそうだ。
その大観の推しを受けた一人に北野恒富がいる。
立美人  長い画面の右半分にだけ女の絵がある。妖艶な江戸時代の女で、左半分の空白が「何かそこにあるのでは」と思わせるような。変な言い方だが、この半分が真っ白でよかったとも思うのだ。

昭和三年、大観は還暦を迎えた。
それを祝って多くの絵師たちが還暦記念の画帖を作成した。その全体なのか一部なのかは知らないが27点の作品が並んでいる。
きちんと測ったわけではないが縦50横80くらいの色紙で、今は分離されていた。

安田靫彦 役行者  足を組んで一人坐す。前鬼後鬼はいない。
下村観山 雨後  二本の虹が立ち上っている。五浦の以前からの同志としての歳月を表現したのかもしれない。
前田青邨 やまめ  ピチピチイキイキのヤマメの腹に浮かぶ水玉がいい。墨絵。
速水御舟 夜桜  画面の上部に薄ーく墨を潜ませ、枝に俯く八重桜の花弁の裾にも薄い闇が活きる。ぞくっとする。
川端龍子 菊  明るく咲いている。このサイズの色紙でも堂々たる絵。
富田渓仙 祝扇  扇からはみ出る明るい自然。
小茂田青樹 虫篭  可愛らしい籠があるが、虫はいないようだ。
荒井寛方 菊慈童  可愛らしいやや横広がりの頬のおかっぱ少年が苔むした岩に坐す。菊は少なく頭上から赤い蔦が。
酒井三良 雪国  いつもの雪国風景。そこで子供が手をハアハアしている。ほのぼの。
山村耕花 万年和合  めでたい。
小川芋銭 南山  「気」という字を隷書体風に書きつつ、そこに鳥達も加えて、朝鮮の文字絵風に仕立てている。
北野恒富 蛍  和装美人が蛍を目で追う。
小林古径 鶴  めでたそう。
木村武山 朝陽  真っ赤な太陽。
堅山南風 鮎  泳ぐ。
中村岳陵 金魚  赤い奴がヒラヒラ。
小林柯白 リス  団栗食べてる。可愛い。よくよくみれば向かい合う二匹の関係性はどうなんだろう。
イメージ (1818)
他に大智勝観らも参加し、バラや朝顔の絵もあった。

昭和5年の大倉男爵主催の羅馬日本画展の成功を奏上するために宮中へ参内する夫妻の写真があった。
シルクハットを手にした立派な洋装で夫人は和装に203高地風なアタマ。
大観は後年「皆で大観先生を描こう」会が開かれるくらいの風貌で、特にこの60歳過ぎくらいまではなかなかの美男だった。 
ローマでの宮殿の石段を袴捌きも軽やかに降りゆく姿などもほれぼれとした。

大観は六代目菊五郎とも仲が良く、彼の為に「御所五郎蔵」の衣裳の図案を担当した。
その下書きの着物があった。金泥と墨で、いかにも五郎蔵が着そうな感じがした。
要するに派手好みの侠客らしさが出ていたのだ。

大観の戦後の絵をみる。
面壁する達磨、叭叭鳥、竹林に潜むミミズク、「昼下がり」という題で黒々と生える茄子茄子茄子…

今回グランドホールの動線がいつもと違うなと思っていたのだが、その理由に納得するコーナーに来た。
1947年の全長26m「四時山水」を全面展示しているのだ。
大観は例の大作「生々流転」だけでなくけっこう長々とした絵巻を描いている。たぶん好きなんだろうなあ。
求められもするだろうし、本人の趣味もあると思う。
長生きした人だが、案外こういう作品が彼を長生きさせたのかもしれない。

四時山水 四季と朝昼晩などの時間の様相を日本風景で表現する。流れるように続く風景は決して実際のようにつながってはいない。
富士山に始まり、飛んで保津川、筏師もいる、清水寺、嵯峨野の竹林、秋の高雄、宇治、雨晴海岸、義経岩、〆は立山連峰。
自然の中に人の営みがあった。

大観の描く美人画の一つ
阿やめ 好きな絵である。
イメージ (1816)

大観は中国にも遊んだが、明治大正の人らしく中国の書画にも愛着があった。
馬の絵や文殊の少年姿の絵などを所持していた。
草衣文殊 口元がはっきりとニヤリ。
網衣文殊 可愛い。
この二人をモチーフにしたのがこちら「被褐懐玉」の上半分
イメージ (1815)
わたしは昔この二人を美少年版の寒山拾得かと思っていた。

中国で手に入れた古墨の名品、素晴らしい硯などのコレクション。
清水六兵衛とコラボしたやきものなどもある。

昭和30年、大観の米寿を記念したパーティーもあり、そのメニューも出ていた。
何と250人の参加者。
更には参加者たちのサインを記した風炉先屏風が出ていた。
画家だけでなく谷崎、志賀直哉ら文学者の名前もある。祝の舞をみせた井上八千代も小さくサインを入れている。
洋画家の林武なぞは二度も名前を書きこんでいる。

最後は大観の図案による夫人の着物の数々。
基本的に裾模様で夏物もある。肩辺りは無地。
最後の夫人はマネージメントもしっかりしていて、その日記も出ていた。
けっこうなことだ。

家を中心としたVTRも流れていて、とてもよい作りだった。
大観という人を中心に、同時代人の絵をも多く楽しめてとてもよかった。
4/1まで。

「清川泰次 昭和の学生旅行」を見た

既に終了した展覧会だが、だからこそ書いて残したい。←居直るな。
今回初めて成城学園前へ行った。
そもそも小田急にほぼ乗らない。せいぜい梅が丘くらい。
たまに藤澤から乗ることもある。
乗ったら千歳船橋の向こうが成城学園だと知り、「あっ」となった。
千歳船橋には隣家のオジ一家がかつて住まっていた。そこから砧公園へ行ったことがある。
そして成城学園といえば立原正秋「冬の旅」の事件の発端がこの地だった。
二つ先には狛江もある。
山田太一「岸辺のアルバム」の舞台である。
そうか、そうか。

最初に二つの豪邸を訪ねてから駅を挟んだ反対側の清川泰次記念ギャラリーへ行った。
小さくて可愛らしい白い建物である。
ここは世田谷美術館の分館の一つ。
既に宮本三郎、向井潤吉の方へは行っていて、ここが最後だった。
申し訳ないが清川を知らない。
世田谷の人だということは知っているが、どんな作品を残した画家かも知らない。
宮本は美人画、向井は民家と挿絵。清川は…ごめんなさい、ほんまに知りません。
ただ、このチラシに強く惹かれた。
「昭和の学生旅行」
イメージ (1808)

1940年頃にライカやほかのカメラを持って機嫌よく国内旅行する青年。
どんな人なのかを調べると御前崎の記念館のサイトにいいのがあった。
こちら
浜松の生まれなのか。それで御前崎にも。
30歳から成城暮らしだが、そもそもが裕福な育ちの人だったのだ。
慶應の学生の頃写真部に所属し、各地を巡って撮ったのが数千点もあるそうな。
二十歳前後、丁度太平洋戦争に入る寸前の頃に日本各地へ出かけ、高級なライカなどで機嫌よくぱちぱち。
それらを旅の栞と共にノートに貼り付け、楽しい旅のノートに仕立て上げている。
こういうのは楽しくていい。

学生旅行の記録で面白いといえば里見弴が著した「若き日の旅」がある。
正確には学生ではないかもしれないが。
これは刊行されたのは偶然にも清川が撮影して回っていたと同時代の昭和16年だった。
まだ何者でもなく、ただの志賀直哉・ただの木下利玄・ただの山内英夫=恰吾(里見弴)の三人が明治の末に東京から関西旅行へ行った時の追想。
明治の学生と昭和前期の学生とでは心持も違うかもしれないが、時代が平和さを保っていた頃の旅行なので、どちらも緊迫感はなく、楽しみながら過ごしている共通点がある。

清川はライカの撮影技術の本など洋書も持っていたようだ。
ライカと言えば大富豪の息子・名取洋之助もドイツでライカのおかげで名を挙げた。
名取は清川より9歳上だが、これまたやはり若いうちに自由な空気を味わった人だった。

イメージ (1809)

奈良、伊豆、鎌倉、日光…
とてもわかりやすい写真の数々。
だからこそ心にひびく。

画家として大成したのは抽象表現で世界を構築したからだが、写真は目の前にある風景、世界を素直に切り取ったものだった。
同一人物の中から等しく生まれたものだとは到底思えないが、確かにそれらは両立していたのだ。

これらの写真は昭和初期の風俗の記録でもある。
たとえばチラシの江ノ島。
字の書き方が現行の→でなく←だったこと、定食の値段が50銭だったこと、江ノ島丼とやらに天丼、親子丼、寿司が40銭均一の店。向かいには「まんじう」饅頭屋があることもわかる。
わたしは実際に江ノ島に行ったことがないのでこの写真に特別のノスタルジーを感じることはないが、それでもここにある情報の数々を面白く思うのだ。
車もかっこいいし。

奈良では二月堂へ行っている。
修二会、お水取りの二月堂である。
この様子を見てわたしも2010年の真夏、わたしの誕生日にここへ来たことを思い出した。
毎年お水取りに行くようになって長いが、夏の二月堂あるいは修二会以外の時に行った二月堂は、胸のすくような景色を味わえもする場所だった。ひどく自由な心持がした。
あの感覚は今も忘れない。
こうした個人的な他人の記憶を呼び覚ます装置、としての写真。

アマチュアのモノクロ写真とはいえ、とても魅力的なのだった。

なお、こちらは次回展覧会のチラシ。
こうした絵を描く人だったのだ。
実際少しばかり絵も飾ってあり、青い絵の馬に乗る人の絵は良かったように思っている。
イメージ (1810)

イメージ (1811)

いつか作品にもきちんと向き合いたい。

2019.3月の東京ハイカイ録

三月の東京ハイカイ録。
二月、二回東京に行きましてな、このところスパンが短いのですが、次は四月二週目なのできちんと間が空くのでした。
なんしか東京に行くと面白いことが多いので仕方ない。
大阪も面白いが、刺激が足りない。

今回は色々あってロッカーを遣わず直で府中に向かったけれど、普段綿密な計画を立てているのに(というか、そうしないと時間の無駄)、少し予定を変えたらつまらないミスを犯してしまった。せんでええことをしたわけだ。無駄やわ…
でも10分遅れで府中についたからよしとしよう。

てくてくてくてく…まだ梅林も遠目に綺麗。大寒桜も満開。
恒例の春の江戸絵画祭り。日本二大春の祭りの一。
もう一つは春のパン祭。

府中市美術館「へそまがり日本美術」開幕!!
初日に来たよ。

たいへん良かったというのがまず出るね。
よくもこれだけ色んな絵をあちこちから集めてきたなあ。
全く感心するばかりなりよ。
家光の不思議などうぶつたち、破天荒な表現とそれに対比されるマジメな応挙先生。
挙句は蛭子さんのマンガまで。
「へそまがり」というよりこうなると不条理なのを集めたようにも見える一面も。

コレクション展は配置が換わり、牛島憲之の墨絵による役者絵がなくなったのが惜しいが、あとは見やすくなった気がする。

大寒桜も咲いていて綺麗だった。
どこで何を食べるか東府中、と思いながら歩くうちにふと思い立ったのがスーパーライフ。
ありましたありました。
トン汁をチンして焼きそばパンとかその他でおひる。これくらいの方が気楽でいいのよ。時間もないし。
隣の席の人とちょっとばかり話したり。日差しに負けたり。

浅草へ直行したが、やはりというか当然というかアンヂェラスは並んだ瞬間に完売。
御縁がなかったねえ。

宿に行き片づけたりなんだかんだしてたら4時になった。
早いなー。まあ「へそまがり」に時間がかかったからなあ。
それで上野に行った。

常設見ながらパチパチ撮ったり挙げたりして遊ぶうちにあっという間に7時。
これはいかん。一旦退出してJRの駅舎上のぶんか亭で天丼など食べる。
それで20分ほどで出るが、ここはあれだな、思ったよりずっと使いやすいんだね。
今度も行くか。

さて戻りまして「両陛下と文化交流」を見た。
岩佐又兵衛の小栗判官が出ていたねえ。
照手姫が常陸小萩としてよろづ屋で働くところ。百人遊女がそれぞれみんな綺麗に描かれていたなあ。

本当の意味での文化交流の方々なのですなあ…
一度葉山の美術館で偶然ご一緒になったことがあるが、完全にプライベートだったので、とてもくつろいでらしたなあ。

9時までいたが、結局東洋館へはたどりつけず。
今回は本館だけでせいいっぱい。

そのまま田原町へ。まさかの五月閉店の蛇骨湯に。
久しぶりやわ。けっこう引きも切らずにお客が来る。
沖縄から来た子となんやかんやと話す。
キモチいい黒湯。

湯冷めしないがぬくいのでガリガリ君など買った。
ようやく冷えてから寝る。

二日目。
早い目に出ていつものロッカーに荷物を放り込み、成城学園へ。
ここは来るの初めて。成城学園と言えばわたしの最古の記憶では立原正秋「冬の旅」の理一郎の家のあるところ。
関西でいえばここは藤白台と御影くらいかな。(阪急沿線しか知らないので他の比較ができない)

旧猪俣庭園へ。吉田五十八の設計。新・数寄屋の素晴らしさを堪能。
生活するにはこれはいいな。庭園も見事。

そこから旧中村家へ。これまた可愛らしい洋館で感じよかった。
どちらもパチパチ撮り倒しましたわ。

で、元へ戻ればよいものをついつい好奇心に駆られて急な坂を下る。
雲雀丘レベルの坂な。そしたら喜多見不動さかに出てしまい、滝を見る。
車販売店で親切な道案内を受け、再び坂を上る。ああ、今回はこんなことが多い。

何を食べようかと成城学園前まで来たが、箱根蕎麦がみえたのでそこへ入る。
かさごの天ぷらと桜エビのかきあげのうどんを食べる。

それから清川泰次のギャラリーへ。
これはいいなあ。昭和初期のボンボンがライカであちこち撮り歩き、楽しい旅ノートを拵えている。
そう言うの好きだなあ。
ここではハーブティーをいただいた。ありがとうございます。

白金台へ。
公園に河津桜と寒桜が咲いていた。





綺麗だったなあ。
椿も咲いていた。




庭園美術館で岡上淑子のシュールなコラージュ作品にしびれる。
これはすごいな。それだけに若いうちにやめてしまったのが残念。
詩とシュールなもの・抽象的なものは合うねえ。

最後は汐留ミュージアムで子どものための建築。
いいなあ。小学校や公園の遊具や「コドモノトモ」などの雑誌の紹介も。
こういうのは素敵だ。

タイムアップ。日本橋から東京駅へ。
東北の桜巡り弁当を買いましたわ。
おいしかった。

大阪へついて、自転車で帰宅。
ああ疲れました。
次は4/13かな…

都市を描く 洛中洛外図と名所図会

大阪市立美術館で「都市」の絵を楽しんだ。
三点の洛中洛外図屏風が出ていた。

洛中洛外図 6曲1双  江戸時代 17世紀 本館蔵(田万コレクション)
金型雲。祇園祭がある。名所に名札がついている。右6に内裏。賀茂競馬も開催中。左2と3.
イメージ (1920)

洛中洛外図(京洛名所風俗図) 6曲1双  江戸時代 17世紀 本館蔵 
これは右に賀茂競馬がある。左は5と6が欠損。後水尾天皇の行幸あり。

洛中洛外図 6曲1双  江戸時代 18世紀 本館蔵(下村裕氏寄贈)
イメージ (1925)
今回初登場の屏風。雲には形無し。佛教大学本系。割と平面的。量産タイプだというが、これを見てると「一家に一件洛中洛外図」という気になってくる。
イメージ (1921)

17世紀と18世紀では大仏殿の方向が違う喃…
寛政10年に完全にアウトになったそうなが。

2扇ずつ挙げる。
イメージ (1923)

イメージ (1922)

イメージ (1924)


他は江戸時代のいうたらガイドブック特集。
どの本も巧いことそそるページを開いているのですよ。

『都名所図会』 秋里籬島著 竹原春潮斎画 6巻6冊 安永9年(1780)刊 個人蔵
内裏、祇園祭、大仏殿、嵐山。楽しそうな人物が配置されている。

『天明再板 京都めぐり』(『京城勝覧』)貝原益軒著 下河辺拾水画 2巻2冊 天明4年(1784)刊 個人蔵
これは上に紹介文、下に名所絵。貝原は「養生訓」の人なんだから、これもついでに食べ物特集とか出したらよかったのに。

『拾遺 都名所図会』 秋里籬島編 竹原春潮斎画 4巻5冊 天明7年(1787)刊 個人蔵  
人気コンビの続編。二軒茶屋で阿蘭陀人に接待。

『京の水』 秋里籬島編 下河辺拾水画 2巻2冊 寛政3年(1791)刊 個人蔵
行事の内訳を描く。1/16の「踏歌」も。鳥瓶子、舞楽…

『都林泉名勝図会』 秋里籬島著 奥文鳴ほか画 5巻6冊 寛政11年(1799)刊 個人蔵
妙心寺の蟠桃院、清水の南蔵院、ヒトのゆくところに名店もあり、それも楽しい。御室の桜、霊山の料亭もいい。

『増補 都名所車』池田東籬補 2冊 文政13年(1830)刊 個人蔵
割と建築空間がいいな。清水寺の舞台の懸崖造りとか。。。

『花洛名勝図会』(東山之部)暁鐘成ほか著 松川半山ほか画 4巻8冊 元治元年(1864)刊 個人蔵
二冊出ていた。天竜寺の庭、遠目の三十三間堂、知恩院・永観堂、大文字送り火、六道珍皇寺、庚申堂、東福寺…

手に取ってじっくり読んでみたい。

あとは丸平・大木平蔵の昭和初期の人形いろいろ、四季折々・物語などを描いた蒔絵もずらり。
抱一と羊遊斎のコラボ再び。
節句ごとの文様を描いたのもよかった。

作り手の名は残らないが、作品が残ったものも多い。
真桑瓜、関寺小町、蜘蛛の巣、天の川、秋草…

佳いものを見たなあ。
3/24まで。




啓蟄!―考古遺物コレクションー : 好古家/考古家列伝

大阪市立美術館はフェルメール展で連日にぎわっているが、二階のコレクション展も充実しているので、ぜひ見ていただきたい。
ここはどういうわけか、あんまり自分ところの名品展をプッシュしないので、来てから*「イゃー」という声が上がることが多い。
(*注「イゃー」とは大阪弁の感動詞である)

今回は考古品・人形と蒔絵・名所図会の三本立てである。
いずれも古き良き時代に集まったコレクション。

まずは考古品。
このタイトルがまたなかなか。
「啓蟄!―考古遺物コレクションー : 好古家/考古家列伝」
土の中からのこのこと這い出る虫と掘り出された古代のやきもの・かなものなどをひっかけた上に、時期的にピッタリのタイトル。
現にわたしは啓蟄の日に出向いた。

石器類 一括 福島・桑折町(旧半田村)出土 縄文時代後期~晩期 ・ 紀元前12~10世紀頃  ああ鏃だ。

塔塚古墳出土品 一括のうち 堺市・塔塚古墳出土 古墳時代中期・5世紀 個人蔵(森浩一氏旧蔵)
-1 青銅 位至三公鏡
-2 青銅 方格規矩鏡
-3 勾玉
-4 棗玉  小さくて可愛い。カラフルでこれはどうしてこうなったのだろう。琥珀や獣骨だそう。まるでドロップの欠片のよう。
-5 ガラス丸玉  紺色。◎形
-6 ガラス小玉  緑。◎形。
この塔塚というのがどこにあるかは知らないのだが。

日本のばかりではないよ。
朝鮮半島からの出土品も色々あった。
たまたまなのかそれともそれが特性なのか、陶質土器ばかりが出ていた。新羅、伽耶、百済…
時代の変わり目、ややこしい時期だった。

四神刻文組合石棺・墓誌 出土地不詳 高麗時代・大定29年(1189) 本館蔵(田中光顕氏寄贈)
これがなかなかよかった。四枚で四方を構成。青竜はむしろ西洋のドラゴンぽい。羽根ナシの。
毛並みの濃いめの朱雀とか、胴の長い白虎…

意外なものがいくつか。
前田青邨の挿絵。末永雅雄の著書の為の仕事。
《若草山より見る古墳群》  双幅  『日本の古墳』見返し絵原画 昭和35年(1960) 個人蔵(末永雅雄氏旧蔵)  この民家の屋根の描写とか見てると、弟子に平山郁夫がいたのがよくわかる。そんな絵。

《鬼瓦と消息》  一幅 昭和38年(1963) 個人蔵(末永雅雄氏旧蔵)  これがもうどこからどう見ても青邨の仕事。モデルがあったとしても絵は完全に青邨。

《崇神陵》 双幅 『古墳の航空大観』見返し絵原画 昭和45年(1970) 個人蔵(末永雅雄氏旧蔵)  静かなというより寂れた良さがある。薄墨で古墳の森を横から描き、そぉっと一羽の鳥が飛ぶ。しぃんとしている。そうだ、古代の御陵なのだ、そこは。

同じく末永雅雄の著書の為の仕事。
岩周巣『古墳スケッチ帖』 末永雅雄氏著書挿図原画 昭和15~30年(1940-55)頃 個人蔵(末永雅雄氏旧蔵)
-1《茶臼山古墳》 大阪市天王寺区  ここやん。
-2《石宝殿》 寝屋川市  知らんとこ。
-3《石棺図》  仁徳天皇陵のあれにそっくり。
-4《古市古墳群》 羽曳野市・藤井寺市  今ならドローンで見た景色。
-5《河内古墳の形式》 (石室)  九州とは違うわけだ。
-6《河内古墳の形式》 (墳形)  場所による差異を思うのも面白い。

以前にこの人の絵を見たのはいつだったか。
調べたら自分のDBによると「19990522 野村廣太郎と前田亮一の大阪 大阪市立博物館」と出た。
久しぶりに見るわけです。
で、今調べてびっくりした。地元の方やんか!しかもこの90年の展覧会当時、ご存命だったのだ。
びっくりしたわ。わが市ではたまに展示もしてたようだが、市民のわたしは知らなんだぞ――
「なにわ百景」シリーズ54点も所蔵しているのだ。
大阪市より多いんや…

野村広太郎『明治・大正 なにわ百景』   《雪の帝塚山古墳借景》 大阪市住吉区 昭和55年(1980)頃 本館蔵(野村広太郎氏寄贈)
野村広太郎『明治・大正 大阪百景』  《茶臼山の古墳》 大阪市天王寺区 昭和53年(1978)頃 本館蔵(野村広太郎氏寄贈)

最後はこれはパステル画かな。
丸山石根『新大阪百景』 平成2年(1990)頃 本館蔵(ダイキン工業株式会社寄贈)
-1《仏陀寺古墳の椿》 南河内郡太子町
-2《大塚山古墳》 羽曳野市・松原市
-3《狭山池》 大阪狭山市
-4《紫金山史跡公園》 吹田市
春の絵が多かった。吹田のここは知らないので行ってみたいと思った。

面白い企画だったわ。

同じくコレクション展に出ていた印籠も紹介。
鵺退治ね。表と裏で活躍。
イメージ (1927)

イメージ (1926)

ビューティー・オブ・ジャパン 日本女性と着物

毎回恐縮だが今回もまた「例によって既に終了した展覧会」だが、その感想を挙げる。
昨日で終了した小林美術館「ビューティー・オブ・ジャパン 日本女性と着物」展では和装美人の良さを堪能した。

イメージ (1793)

最初に現れたのは松園さんの美人二人である。
傘美人 明治40年 枝垂桜を楽しむ二人の女。母と娘らしき様子。
これは本画ではなく大下絵でもないものだが、それだけに面白いような線や色をしている。
日露戦争が終わった後の頃、京都では何の影響もなくこうして楽しめていたのだろうか。
少しだけ考えた。

板谷桂舟弘延 小野小町図  ふっくら豊かな小町が色彩豊かに描かれる。上畳にいる。
名前で分かるように幕府の御用絵師・板谷家の人。
どうでもいいことだが、池波正太郎は「おとこの秘図」に何代目かの板谷桂舟を登場させている。

菊池契月 紫式部  白灰色のいつもの静けさが広がる。ややおでこのはった紫式部。頭の良さをそれで示しているのかも。
口元に薄くにんまりした微笑。机に向かう姿は執筆中であることを示す。
もしかすると光君失脚のネタを思いついたとか、猫に絡めて女三宮の様子を考えたとか、そんな時かもしれない。

三木翠山 梅花菫袂  この絵は去年の「春の息吹と夢みる乙女」展のメインビジュアルだった。
当時の感想はこちら
鶸色にモダンな柄の羽子板が可愛い着物。
イメージ (873)

中村貞以 鷺娘  全身白づくめで黒い傘をすぼめたのを持ち、どこか恨みがましい眼をする。
師匠の北野恒富は実に多くの鷺娘を描いたが、弟子の鷺娘も間違いなくその血脈を継いでいた。

中村大三郎 雪  わたしはこの絵を見ると平岩弓枝「御宿かわせみ」のヒロイン・おるいさんを思い出す。
おるいさんは作中では絶世の美女として描かれているが、挿絵画家の蓬田さんはさらりと描かれているが、ドラマになったときの真野さんの美貌のイメージがわたしには強く、この「雪」の女性と似ているように思えるのだった。

伊藤小坡 観桜美人  「紅桔梗色」という色だと思うのだが、薄い紅紫色に菜の花が咲いた着物に、半襟は灰地に白梅。
いい取り合わせ。

山口素絢 杜若・美人  対幅。青紫の花は存外大きく、それを眺める娘は背に「油取り」の可愛らしい布をかけている。江戸時代にフリルはないのだが、フリルのようなものがついて愛らしい。ヒラヒラは夢みがちなのだった。

鏑木清方 晩涼  床几に座る浴衣美人。白地に桔梗柄。傍らには紫陽花も咲くという、いかにも清方の好みらしい場所。

伊東深水 晩涼  弟子のはやはり個性がよく出たもので、薊柄の団扇を手にして芭蕉模様の帯を締めた女がかっこいい。

貞以 初夏  パーマを当てた髪に黒々とした瞳。モダンなかんじがいい。

契月 麗人  桃山時代の兵庫髷を高々とみせる女。小袖もいい。それが「にっ」と笑っている。
苦界の前の「公界」時代に働いていたような。

喜多川玲明 婦女図  隈を書いた三番叟人形を操る女。臙脂の着物に白い打掛。綺麗な取り合わせ。

山田秋畝 貝合わせの図  上流の娘たちが綺麗に装って楽しそうに遊ぶ。全体の配色も華やか。

山村耕花 美人  豊かな頬をした遊女。高下駄の足は素足。性根の座った顔つきである。
イメージ (1791)

斎藤真一 赤い雪  濃い赤と灰色で構成された瞽女お春の姿。三味線を弾く手の小ささ。

二階では「四季の万華鏡 冬の静寂」が展開されていた。
松林桂月 早春花鳥 1948  風の中、椿が目を惹く。

生田花朝女 初午  可愛らしい子供らの初午のお祝い練り歩きの様子。みんなイキイキと楽しそう。

富田渓仙 浦島太郎図  この太郎は胴着を着ているがその文様は宝尽くしでなかなか漁師の着るようなものではない。
髪はみずら。どうも「浦島子」の方にも見える。

塩川文麟 旭日鶴  文麟の絵は青山短大で見て以来かもしれない。
イメージ (1792)

三宅鳳白 立雛  可愛らしい。この人は「虎屋」の主人と「八白」つながりで会を持っていた。
わたしは以前息子さんからありがたくも鳳白の描いた短冊をいただいたこともある。
鳳白の絵もまた再び世に出れば、と思っている。

次の展覧会には早く行きたいと思う。
よい展示だった。

華宵の美少年たち

弥生美術館では三階で高畠華宵の展覧会を重ねている。
今期は久しぶりに南蛮小僧を中心にした美少年の特集展示だった。
前回は2015年。
華宵名作挿絵「南蛮小僧」「ナイル薔薇曲」などをみた。
当時の感想はこちら

今回は何とバロン吉元展に合わせて写真撮影が可能だった!!
凄い嬉しいぞ。

20190211_130745.jpg

そう、これが南蛮小僧。
お江戸デビュー前は絶海の孤島で海賊らに酷使されていたのですが…
なにやら別なことをされていたような様子に見えて仕方ない。

20190211_130709.jpg
自由の身になる南蛮小僧。
かれが「南蛮小僧」と呼ばれる理由。

ところが復讐されます。
20190211_130719.jpg

危機一髪!
20190211_130727.jpg
縛られる少年の美しさ・艶めかしさにときめくなあ。

まあ案外簡単に大団円。
20190211_130737.jpg

こちらは別件。
南蛮小僧の仲間の事件。
20190211_131203.jpg


ところで縛られた美少年がかなりいてる。
好きだわ。
20190211_130800.jpg
これ本当は縦なのだが、横にした方がえろいのよ…

20190211_130842.jpg
こういう、悪人に縛られる少年を見ると欲望に目覚めるな…
しかも婀娜な女の前で、というのが余計にそそるそそる。
団鬼六「美少年」を思い出したのは内緒です。


こういう構図もいい。
20190211_130812.jpg

戦う美少年。包帯が出てきた。
20190211_130912.jpg

こちらは蛇に絡まれる。
20190211_131006.jpg

一見健全そうなのを集める。
20190211_131020.jpg


二人の少年。
20190211_131102.jpg
二人で笛というのもいいものだ。

これがどう見ても宇佐美と尾形…ぽくないかなあ。
20190211_131114.jpg

紫陽花と少年
20190211_131246.jpg

チラリズム・包帯がチャームポイント。
20190211_131252.jpg

全身に彫物を入れた少年が娘さんを背負って逃げる途中
刺青を入れた肌の艶めかしさは背負った娘よりなお深い。
20190211_131315.jpg

20190211_130822.jpg
捕り手の縄が絡みつく…


最後は雑誌表紙。
20190211_131352.jpg
ハーモニカを吹く少年。時代を感じさせてくれる。
ハーモニカはせつない。

目の保養でした。
いいもの見ましたわ。
3/31まで。

「生誕100年 映画美術監督 木村威夫」展を振り返る

既に終了した展覧会だが、国立フィルムアーカイヴでの木村威夫展は面白かった。
例によって行ったのが最終日だったので、こんな状況になっている。
イメージ (1784)

2002年だったか、川崎市民ミュージアムで木村の大々的な回顧展が開催され、その折まだ活躍中だった木村の展覧会を見、良い出来の図録を購入した。
映画人の場合、個人の力量だけではその作品を「名作」たらしめるわけにはいかない。
全てを一人で制作する<特殊な>作品ならともかく、基本的に映画は共同作業の賜物である。
木村は最初期は組織の人であり、後には独立したものの、多くの仲間と共同作業を続けた。
木村威夫とは映画製作での美術監督であり、他にも映画監督として数本の作品を世に贈っている。
美術監督として一本立ちした頃、久松静児監督と組んで多くの作品を手掛けた。
また伊藤憙朔を限りなく尊敬し、最後まで師を慕った。

木村の前半生の紹介の後、展示はいよいよその手掛けた作品へと移る。
イメージ (1785)

ところどころにモニターがあり、映像が短時間ずつ流れる。
それらを見入ってしまい、かなりの時間がかかる。

・大映時代
1950年代 「雁」「春琴物語」をみる。
「春琴抄」は発表以来、舞台、映画になっている。
流れていたのは春琴がお師匠さんの家で一番弟子の女性ともめるシーンだった。
みるとなかなか凝った造作の家である。無駄に二、三段の階段などもある。
これは今の感性でいうとバリアフリーから遠く離れた家なのだが、たいへん粋なつくりではある。

実際木村はこの造作が気に入っていたそうだが、モデルは「京都街 片山 萩原 鶴ノ家」だとある。
とはいえそれが今のどこにあたるのかはわたしにはわからない。

「春琴抄」は原作では幕末から明治にかけての頃の大阪・道修町界隈が舞台の物語である。
つまり大阪船場あたりの商家を作らねばならない。
木村は大阪のそうした民家の構造を知らない。
現在では堺筋にある黒い家、コニシボンドの小西家がその様式を色濃く残しているが、1950年当時ではまだまだそうした建物も残されていた。
あの辺りは案外と戦災から逃れた建物があったのだ。
そこでけっこう研究したようである。

わたしなどはそうした木村の研究とその成果が嬉しくてならない。
北摂の人間なので船場の古い商家とは無縁ではあるが、古い家の出であるわたしは親族の家や母の語る「元の家」のことが思い出されるのである。基本的に構造は同じなのだ。

ところで木村以前に大阪の商家の構造を知らずに困り果て、ロケハンをした人がいる。
現地に来てこそ知ったことを舞台装置で活かせたのは小村雪岱だった。
彼はその思い出を随筆に残している。
二人のそうした苦労とその成果とを想って、わたしはいよいよ嬉しくなる。

豊田四郎監督「或る女」のために描かれた木村荘八の絵もある。
思えば荘八の弟・荘十二も映画監督だった。
かれは油彩よりこちらの仕事の方が随分と魅力的だと思っている。

・日活時代
「陽のあたる坂道」(1958年、田坂具隆監督)ロケハン記録そして「安アパート 引揚寮」
これらが素晴らしかった。
さる大邸宅を発見し、外観を借りた。内部はセットで拵えたが、これが本当に素敵な洋館なのである。
そしてその対比に安アパートがあるが、これまた規模の意外に大きい、しかもモダンなアパートで、なかなか好ましくもある。
モニターを見ると、やはり素敵な建物で、坂道の途上のアパートも今の目から見ればとてもモダンで素敵だし、この映画に現れる建物はどちらも非常に魅力的なのだった。
いつかこの映画を見てみたいと思った。
イメージ (1786)

「昭和のいのち」では京都市美術館を首相官邸に設定した。
向島界隈を再現することは当時もはや現地では不可能だったので、京都の疎水辺りを使ったそうだ。

鈴木清順との仕事はやはり木村のキャリアの中ではかなりの位置を占めている。
「肉体の門」のパンパンたちの集まりの場を描いた絵などは2002年当時も面白く思ったが、今回もやはり印象深く思った。
「ツィゴイネルワイゼン」「ピストルオペラ」と時代を重ねて行っても、特異さは変わらない。
映像美という点ではやはり「ツィゴイネルワイゼン」が群を抜いているかもしれない。

「カポネ大いに泣く」シナリオがあり、他の映画も思い出され、ちょっとにんまりしてしまった。
これはロードショー当時を思い出したからでもある。
いいタイトルだったなあ。

・フリー時代
熊井啓との仕事がやはりよい。
「忍ぶ川」のための作画もある。
「サンダカン八番娼館 望郷」は資料も多く出ていた。
これは田中絹代の最後の名演として歴史に残る作品だった。
「本覺坊遺文 千利休」はポスターがあった。
この時確か勅使河原宏監督の「利休」も同時期に映像化されたと思う。
それで競合となり、どちらもたいへん優れた作品として名を成した。
とはいえこちらの方が地味づくりだったようにも思う。
それがわるいというのではなく、面白い比較になったということだ。

林海象監督「ZIPANG」が出た。これも破天荒な面白さがあったが、大谷石の採掘場にある資料館を使い、木村の描いた絵も不思議な階段だったのが印象深い。

展示になくて無念だったのが「ドグラマグラ」「帝都物語」「ひかりごけ」「シベリア超特急」などである。
いずれも非常に面白い美術だったのだ。
特に「ドグラマグラ」は精神病院の中庭にガンダーラな風貌の巨大な仏頭が斜めに設置されているのが目を惹いた。
九大の病室などもよかった。
それだけに惜しい…

他に文筆の紹介もあり、あの空間ではやはりよく出ていた方だと思う。
感想を挙げるのがここまで遅れてしまったが、2002年の展覧会「夢幻巡礼 映画美術監督 木村威夫の世界」展をも含めての追想が出来て個人的にはよかった。
晩年まで多くの作品を手がけた偉大なる映画人・木村威夫。
改めてその仕事の素晴らしさに感銘を受けている。

「西洋ちょこっとアンティーク 1935、小林一三の欧米旅行記から」をみる

前々から逸翁美術館にある舶来もののやきものは気になっていた。
それらは1935年に小林一三が欧州へ出かけたときに買い集めたもので、それらを茶の湯のお道具に転用したセンスに「さすが逸翁小林一三」と感心するばかりだった。
今回の展覧会「西洋ちょこっとアンティーク」はその買い求めた舶来ものが一堂に会していて、いついつに買うたものだということが大体わかる仕組みになっていた。
イメージ (1667)

小林一三の好きな性質の一つに、はっきりしているところを挙げたい。
読ませるために書いたのか、心覚えの為に書いたのか、おそらく前者ではあるが、日記にも実にはっきりと好悪やお金のことやなんだかんだと記している。
それがまたとても好ましい。

イメージ (1779)

1935年9月9日、大阪を出て9/12に横浜港から浅間丸に乗り込んでまずはアメリカへ向かっている。
時は昭和10年、既に宝塚歌劇も阪急百貨店も映画館も軌道に乗っていた。阪急電車はお客を乗せていた。
意外なことに小林一三の洋行はこれが最初だったそうで、時に63歳だったという。
浅間丸でのスナップショットは水戸黄門と助さん格さんといった風情なのもいい。

9/19にハワイに到着、25日にはサンフランシスコに上陸している。
29日にはロス、30日にはハリウッド。さすが興行主でもある。
10/15にはNYに行き、ブロードウェイにも行く。さすが歌劇の人。
しかしアメリカはあんまり「美意識」の方にはピンと来るものがなかったようで、何も買うものもなかったようだ。
摩天楼を見ても物質文明への非難のようなことを日記に記している。
百貨店への視察についてのあれこれを詳しく知りたいところで、10/31いよいよ米国から離れた。
観光地も楽しんでいるようだが、結局アメリカでもカナダでも何も買わなかったそうである。

ボストン美術館では「吉備大臣」の絵巻や隆達の直筆などを見ている。
フェノロサ、ビゲローらボストン美術館のコレクションを築いた人々の目の高さを認めつつ、彼らには茶碗の良さがわからないからここにはないと見極めている。

11/7ロンドン到着。
ロンドンではベルベットドレスの婦人を描いた絵を購入。
この女性の胸元イメージ (1780)
ボタンにオリーブを差している。こういうセンス、いいなあ。

ロンドンに来たからにはやはりよいやきものを、と思っていたに違いない。
ここではウェッジウッドの可愛らしい急須や茶碗を購入している。
これらはこれまでの展覧会にも出ている。
特に雅俗山荘時代の奥の一室で展示されているのを見たのが記憶に残っている。

11/10にはベルリンに来た。
華やかな色絵金彩の紅茶碗などをたくさん購入しているが、今出来のもので、ホーエンベルクにあるフッチェンロイター社製品。
今出来とはいえ工業製品ではなく、絵付けも手作業だそう。
そういうところがいかにもドイツの職人仕事らしく好ましい。

マイセンのものすごいきらっきらの扇型手箱もある。

11/15モスコー入り。ボリショイバレエかサーカスかどちらかを見ている。わたしのメモがあいまいなのではっきり書けない。
トレチャコフ美術館にいき、イワン・レーピンについても日記に言及している。
近年、あの美術館の名品がブンカムラなどで展示されているので、今の人も小林が見たのと同じ絵を見ているだろう。

イヴァン・アイヴァゾフスキー 月明の水都  月下に静かに町が拡がる。
この画家もトレチャコフ美術館でみているようで、日記に名が記されている。

レニングラードにも行った。解説の表記はペテルブルクだが、1935年当時はレニングラードだった。
ここでエルミタージュ美術館に行っている。
ウクライナにも出向き、やがてまたロンドンへ戻ってゆく。

イギリス、ロシア、ドイツでよいものを見出し、たくさん購入している。
とてもキンキラキンに輝くものが多い。
今それらを目の当たりにしながら、当時骨董品屋などで小林一三が見出した様子を想像している。

ところでベルリンではユダヤ人からマイセンの良いものを安く購入しているが、追放されるユダヤ人のことに少しばかり言及している。慧眼の人・小林一三はどこまでこの後のユダヤ人のたどる運命を予測しただろうか…
そしてそれらを神戸の松岡辰郎にあてて送ったが、割れないことを懸命に祈っている。
小林一三の二男・松岡は当時31歳。松岡修造のおじいさんにあたる人。

ロンドンでは山中商会でも購入している。
1936年1/29、レディ・アスターの広大な大邸宅に向かう。2000エーカーの敷地である。
そこで大富豪の生活に感心している。

2/6エジンバラへ。
スコットランド美術館の展示スタイルに感銘を受けたらしい。
この記述を読むと、逸翁美術館にもそのスタイルを持ち込んだような気がする。

ところで日本から流出した蒔絵がちゃんとその価値を知られないでいる現場に遭遇している。
「蒔絵の虐待」とある。それを救うキモチで蒔絵を購入している。
こういうキモチは大事だ。

ウィーン美術史美術館に行って感想を記しているが「驚く」と連続して記しているから、よっぽど驚いたのだろう。
ルーブルも複数回いき、暇な時に一人で行きたいとも記しているのがとても共感できる。

琥珀製品のいいのがあった。飴色の可愛らしいものでグダニスク辺りが産地らしい。
ベルンシュタイン。ときめくなあ。

デミタスカップもたくさんあるが、スプーンコレクションにも感心した。ずらりと様々なスプーンが並ぶのだ。
これはなかなか壮観。
そして扇コレクション。

華やかな見栄えのいい器が集まる中に、ごくまれにものすごくシンプルなものがいくつかでていた。
丁度その当時の新しい製品で、本当にシンプル。柿色2つ薄いレモン色2つチョコ色1つ。

イメージ (1775)
周囲の華やかなものたちと違い、本当にシンプルでモダン。

こちらにはキャベツを模したものもあった。
イメージ (1777)

セーブルの不透明だシンプルな器もいい。秘色に近いものもある。
イメージ (1776)
ロイヤルコペンハーゲンの青白貫入鉢がとてもいい。灰色に近いところに惹かれる。
茶室にはイコンまでかかっている。

スペイン、イタリアを巡る。
ヴァチカンへ行ったときにはその荘厳さに圧倒されている。
2000年にわたしも全く同じ体験をした。
ヴァチカンの荘厳さに圧倒されて、絶句した。
これはやはり肉食の西洋人と草食の日本人の体力差だと真剣に思ったりしたなあ。

多くの美術工芸品を買い入れたが、決して「カネに任せて」ということはしていない。
持ち出しの規制もあったが、小林一三くらいになるとそれもあまり関係ないと思う。
だが、小林はやっぱり骨の髄まで商売人なので、抑制が利いている。
美術コレクターであるが、商人であることで、ダメなものを買わない力になったと思う。
「慾に限りなくおカネに限りある」と日記にも記していた。
真理だなあ。

1936年と言えばスペインでは内乱が始まった年である。
その年の2/26にエル・グレコの家に行き、現地の人々の様子を撮影したりしている。
屈託のない笑顔がこちらを見ている。

ついに3/13榛名丸で帰国の途に就く。
3/18にはカイロでピラミッドの前でラクダに乗った写真を撮っている。


旅路でいいものを得たときのココロモチや、ここにある工芸品の背景が伝わる展示だった。
とても楽しい。
佳いものを見た。
3/31まで。

イメージ・コレクター・杉浦非水展 前期

東京国立近代美術館ので『イメージ・コレクター」という謎タイトルの杉浦非水展を見た。
どういうことかというと、こういうことらしい。
「日本のグラフィックデザインの創成期に、重要な役割を果たした図案家の杉浦非水。当館ではご遺族から一括寄贈された非水のポスター、絵はがき、原画など700点以上を収蔵しています。本展では三越のためのポスターや、数多く手がけた表紙デザインの仕事、原画やスケッチなど、19年ぶりに当館の非水コレクションを一堂に展示します。
さらに今回は、非水が手元に残した海外の雑誌やスクラップブック、16mmフィルムなど、貴重な旧蔵資料も初公開します。図案の創作にいたるまでの「イメージの収集家」としての側面に焦点をあて、杉浦非水の活動を改めて紹介します。」


二階のあの曲がっていく空間へ向かったとたん、大量の紙資料が目に飛び込んできた。
あ、こういうことかと理解する。
情報過多も過多。
凄い量の「イメージ」が飛び込んできた。
そう、まさに前掲の「非水が手元に残した海外の雑誌やスクラップブック」、これが押し寄せてきたのだ。
それで何故今回このチラシだったのか納得した。

イメージ (1767)
(一部加工したのはわたしのニガテなものが載っていたから)
いや、このチラシだけでは「どこがどう杉浦??」と思うでしょう、普通は。
でもここへ行けばなるほど「イメージ・コレクター」だと何度も頷く。

普通はこちらのイメージを「杉浦非水」には懐くものですからねえ。
イメージ (1769)
近代随一のグラフィック・アーチスト・杉浦非水。

先年細見美術館でみた展覧会でもチラシはこうだった。
イメージ (436)
当時の感想はこちら
杉浦非水 モダンデザインの先駆者

こういう展覧会もあった。
イメージ (29)
当時の感想はこちら
杉浦非水・翠子 同情(たましい)から生まれた絵画と歌

ありとあらゆる切り抜き資料があって、そちらに圧倒された。
特に猫、わんこ、白クマがいい。

と思っていたらこんなのがあった。
1920年代後期に本人が16㎜フィルムで撮影した7分もの猫の様子の映像。
イメージ (1768)
猫好きだったようで可愛い可愛い映像だった。
はしゃぎすぎるわんこに猫パンチ入れたり、母猫と子猫たちの様子などなど。

杉浦非水はありとあらゆるものを自分に取り入れることでそれを自分の作品に反映させた。
だからこそあんなに多岐にわたって活躍できたのだ。
絵柄もモダンということだけ共通して、様々な筆致のものを生んだ。

展示にはもちろん彼の作品もある。
三越などの表紙絵も素晴らしくたくさん展示されている。
しかし今回はそれら完成品ではなく、彼が血肉にしたものをみることがメインなのだった。

行かれる方はぜひとも猫の映像や動物園のシロクマさんの映像を見てほしい。
とてもとてもよいから。

後期はどんな内容かわからないがとても楽しみ。
前期は4/7まで。ぜひ。
最近の記事
月別アーカイブ
カテゴリー
全ての記事を表示する

全ての記事を表示する

フリーエリア