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美術館・博物館・デパートでの展覧会を訪ね歩き、近代建築を見て周り、歌舞伎・映画・物語に溺れる日々の『遊びに行った日を記す』場所です。 

東寺 仏像曼荼羅

「東寺 仏像曼荼羅」展に行ったのは夜だ。
すると東博玄関前でこんな景色を見た。


パネルとはいえ仏像の頭上に花が咲きこぼれている。


空間の設えがとてもいい。
空海と後七日御修法
「ご・しちにち・みしほ」というらしい。
それにまつわる資料も多く出ている。。

イメージ (1911)

お大師さんの肖像画がある。
そして坐像も。坐像は七条仏師によるものらしい。これだよーやっと出た。



空海が唐から齎した一覧表がある。これは実は当時仲良しだった最澄が記したもの。
そういえば猫もこの時輸入したとかなんとか。ここには書いてないが。
訶梨帝母経、吉祥天女12名号、大孔雀明王経…
中身は知らないが、タイトル見るだけでわくわくするのは厨二病の証拠かな…

海賦蒔絵袈裟箱  これも魚に鳥に波に。金銀装飾。摩竭魚が顔を出してるね。
因みにこの海賦とは何かと言うと、こういう説明がある

いい仏画がぞろり。
五大尊像  これは鳥羽上皇が描き直しを強いたそうだ。「優美」であることを望まれた五大尊像…

十二天像  これも久しぶり。以前見たものの感想はこちら
国宝 十二天像と密教法会の世界/成立八百年記念 方丈記

大きなかぶりものの面もある。
八部衆、獅子取口、十二天面。
そして銅鑼も。
被り物をする間、神仏に化身しているのだ。とういった心持なのだろう。

イメージ (1912)

兜跋毘沙門天  アーモンドアイが怒りを見せている。
かなり大きい。羅城門に設置されていたとか。
この様子を見ると将軍塚の将軍像とはこうだったのかも、と思いもする。

お地蔵さまはやさしいお顔なので、こちらになつく。
力強い獅子像もある。歯を食いしばり、とても力強そう。

そしていよいよ立体曼荼羅の世界へ。
配置はほぼそのままらしい。
両界曼荼羅も風信帖も来ているところへ今度はこんなに多くの仏像までが…

帝釈天は撮影可能。






じっくり拝見。
申し訳ないが、寺社から離れた空間ではやはり信仰心は薄れてしまい、美術品として眺めてしまう。
それがいいことなのかどうなのかはわからない。
立派な肉体をもつ数多くの像を眺めながらそんなことを思った。

6/2まで。

久しぶりに東寺に行きたくなった。
市の立つ日にいくのがいいだろうな…
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ギュスタヴ・モロー展をみる

ギュスタヴ・モロー美術館の所蔵品展が汐留美術館で開催されている。
汐留ミュージアムが名称変更してパナソニック汐留美術館になったのだ。
ここで6月まで開催され、7月からはあべのハルカス美術館に巡回する。
早く見たいと思ったので、わたしは汐留でモロー展を見た。
イメージ (1894)

パリのギュスタヴ・モロー美術館には一度だけ行った。
そもそもパリに一度しか行っていない。その時の目的の一つがここへ行くことだった。
モローがいつから好きになったかははっきり覚えている。高1の時だった。
友人が学校行事で高野山に数日間読経しに行って、土産にモロー「雅歌」の絵ハガキをくれたのだ。
何故高野山のショップにモローの絵ハガキがあったのかは知らない。
だが、この時の感激は今も身の底に活きている。
あれからずっとモローが好きだ。

そして1988年、当時のわたしにはとても痛かったが、大岡信がギュスタヴ・モロー美術館の所蔵品を中心とした「夢のとりで」を刊行したとき、ふるえながら購入した。
素晴らしい本だった。
イメージ (1897)
今もそうだが、やはりモローのサロメにつよく惹かれる。


汐留では以前に「モローとルオー」展を開催している。
当時の感想はこちら
その時にモロー先生が生徒ルオーに対し優しい愛情をみせていたことを教わった。
モロー先生は実に多くの生徒を育てた。
中で最も有名なのがそのルオーとマティスとマルケだが、他にも随分多くの生徒がいる。みんながルオー先生の生徒であった。
学校で教えたから、と言うだけでなく、モローは「教師」として素晴らしい人だったのだ。
自分の作品は頑なにその世界観を守り抜いたが、生徒たちには全く押し付けず、彼らの個性に合わせた作風が生まれ、育つのを支援した。
この教室からフォーヴィズムの作家たちが生まれたというのが、実は凄いことなのだ。

イメージ (1896)

この展示を見終えてツイートしたのがこちら。


パリを再訪するのは現状不可能なわたしだが、この展示のおかげで様々なことが思い出された。


少し中央の合わせが重なったが、パリのモロー美術館の階段。
イメージ (1898)イメージ (1899)
川田喜久治の撮影。
蠱惑的な美がモノクロ写真の中に生きる。
これは展示品ではない。

1. モローが愛した女たち
モローの人気が高まって研究も進んで、彼に長年のパートナーがいたこともはっきりした。
母親をとても大事にしていた彼だが、結婚はしなかったとはいえ特定のパートナーがいて、最後まで仲良くしていたというのがいい。
パリでは事実婚が多数を占めている。
いつからそうなのかきちんと調べていないが、事実婚で生涯を終える人も昔からいたに違いなく、そうした下地があるから現代もその選択が出来るのだ。
とはいえ、モローの母とパートナーとの関係性を見ると、ドイツのケストナーを思い起こさせもする。
かれも随分な母孝行の人で、作品に随所にそうした描写も出ている。
昔からこういう人もいるのだ。
ひとくくりにしてはいけないが、そんな理解がある。

ここではモローの愛した現実の女たちの資料が出ている。
非現実の、物語の女たちは別な章で妖しく微笑んでいる。

母ポーリーヌの肖像画はリアルな描写だった。美化はしていないようだ。
二枚の肖像があるが、明らかに経年変化を見せている。
老眼鏡、小鼻のくっきり感。老齢女性の横顔である。

母に対してモローは自作の詳細な説明を書き送っている。
絵描きなのだから絵を見てもらえれば一目瞭然ではないのかと思うが、色々と事情があり、絵ではなく、絵の様子を文章で表現する方法を選んだ。
これが実はモロー芸術の秘密を知る最大の資料でもあった。
どういった意図でその表現を選んだか・色彩の理由も何もかもを書いている。

観客であるわれわれはモローの絵に魅惑されるばかりだが、研究者は更にその魅力の根源を調べる仕事がある。その仕事をやりやすくするのがこの手紙なのだった。
これを見て思い起こすことがあった。
「ボールルームへようこそ」という社交ダンスを素材にしたマンガがあり、この中で主人公・多々羅少年は目の悪い祖母にTVの内容をいちいち解説する。解説することで客観的な視点が彼に具わる。それがダンスに生かされるのではないか、といった期待がある。
モローは「作者による自註解説」で、こちらは少年が自分の見ている物を祖母に説明する状況だが、「他者に伝える」工夫を凝らしている、という共通性がある。

モローの使用したパレットがある。35 × 29 木製  このパレットに残された絵の具の様子が、まるでドガの描く踊り子のいる様子に見えた。
こうした錯覚は面白い。パレットからその画家の作風を推定も出来るようだが、このように全く違う作家を思わせるものもあるのだ。
そしてパレットと言えば、梅原龍三郎と高峰秀子は仲良しさんで、梅原のパレットを貰った彼女は自宅にそれを梅原の仏壇として飾っていたそうだ。旦那さんと一緒に先生のパレット を拝む日もあったろうか。

ところでこの後に年譜を読んで知ったのだが、モローはドガと仲良しさんだったそうだ。
そうだったのか、なにかとても嬉しい気がする。


イメージ (1895)
上から「出現」
下左から「モロー24歳の肖像」、「アレクサンドリーヌ・デュルー」=かれの長年の恋人、「一角獣」

雲の上を歩く翼のあるアレクサンドリーヌ・デュルーと ギュスターヴ・モロー  可愛い絵がある。
大事にしていたのだね、仲良く。よかったよかった。
モローはお墓のデザインもした。ギュスターヴ本人、父ルイ、母ポーリーヌの墓と アレクサンドリーヌ・デュルーの墓、そのための習作とがあった。同じデザインの文字違い。
哀しいが、いい話である。


さてサロメ。
イメージ (1905)
この表情。サロメの激情。

様々な絵を描き続けた。早い時期に描いたのを晩年に手を加えたものもある。
同工異曲もある。とてもサロメに惹かれていたことがわかる。
ヨカナーンはサロメを拒絶したが、モローはそんなサロメに恋していたのかもしれない。

洗礼者聖ヨハネの斬首   二点来ていた。どちらも少しずつ違う絵。サロメの眼が絵によって変わる。
眼は心模様をあらわす。
サロメの眼の表現の違いにより、それぞれの絵でのサロメの心情を想う。

踊るサロメ、蓮の花を振りかざすサロメ、立ち尽くすサロメ…
様々なサロメがいる。

この章だけでも本当にサロメに溺れた。
そしてサロメだけでなく、その周辺人物の絵もある。
刑吏のための上半身の男性モデル (《ヘロデ王の前で踊るサロメ》に関わる習作)  陰惨な風景の中の、没個性でありながら重要な人物。

ビザンチン式の建造物、ドレス、西洋人から見たオリエントを思わせもする様相…
どの絵も全て魅惑的だ。

最晩年の描きくわえられた白線もまた魅力的だ。
柱飾り、サロメの身体にもその絵が入る。魔の像、謎の神。そしてそれらが却ってこの場から現実感を奪うことになる。
しかしその「現実感」は我々側の物ではなく、サロメのいる世界での現実なのだ。
この白い線描が入ることでサロメと生首と魔の像だけが生命を持って動いている…

この状況は「イデオン」にもあった。表現は逆だが。人々の動きが壁画のようになった中、幼児だけが動く…

3.宿命の女達
ここに集められた絵を見ると、実に多くのファム・ファタールがモローによって形を取られていることを知る。

トロイアの城壁に立つヘレネ  顔はない。遠くに血のような夕日。ヘレネーは石塔の上に立つ。その段下には折り重なる死者たちの群れ。
彼女の気まぐれがトロイア戦争を引き起こし、多数の死者を生み出したのだ。

ヘレネ  こちらの絵では豪奢な毛皮を身にまとっていた。柱の側にいる彼女はしかしここでも顔は見えない。
山岸凉子「黒のヘレネー」はヘレネーのひどい性質がよく描けていた。それ以来どうしてもヘレネーには同意も何も出来ない。

メッサリーナ  これもまた酷い女だ。赤いマントを持ち、艶めかしいポーズをとる。目のみが映るが、わるい性質が感じ取れる。
他にも二点あるが、いずれも悪行を楽しくやるようなところがみえる。

デリラをはじめ男を惑わせようとする女たちが現れる。
個人としての男をたぶらかして破滅させる分には別に構わないが、自分の享楽のために無関係な他者まで苦しめるメッサリーナやヘレネーはいやだ。

スフィンクス、オルフェウス、メディアといったギリシャ神話に登場するモノたちが現れる。
無惨な最期を約束された者たちを思いながら絵を見るのも実は愉しい…
クレオパトラも何点かある。その妖艶さ。小道具もいい。

4.一角獣と純潔の乙女
前章とは違う「無垢」の象徴たる存在を描いたものを集めている。
ファム・ファタールだけでなく、こうした絵もまた魅力的だ。

「優雅なる冷酷」という言葉を思い出した。
この言葉はチェーザレ・ボルジアへの言葉だが、モローの仕事にもあたると思う。
特にファム・ファタールたち。

とてもよいものを見た。
6/23まで。

次の大阪も楽しみだ。



奈良国立博物館で見る藤田美術館展 前期

藤田美術館の大々的な改修工事のため、作品が奈良国立博物館で展示されている。
曜変天目茶碗については先に挙げたので、その他の名品について。
イメージ (1901)

企画展の毎に藤田美術館に行くようになって長いが、初めて見たものが意外にある。
今回、びっくりしたのは8本の柱だった。
3Mの高さの柱には剥落褪色したとはいえ、なにやら仏画が描かれていた。
西大寺伝来とある。
そうか、廃仏毀釈のあおりを食って世に出てしまったのか。
とはいえ、この柱は藤田でも見たことがない。
そもそもあのお蔵の中でこの柱の展示は不可能ではないか。
するとわたしは非常にレアな見学をしていることになるらしい。

全然関係ないが、「アラビアのロレンス」のトーマス・エドワード・ロレンスの著書のタイトルは「智慧の七柱」だった。

イメージ (1900)

展示室にはいると最初に茶道具が現れる。
藤田伝三郎は茶人として様々な道具に執着した人でもある。
死の床にあってようやく手に入れた交趾大亀香合がそこにあるのも当然だった。
だが、説明がたりないのか、観客から大亀はスルーされていた。
びっくりした。
可愛いのに。もっと皆さん見よう。

古芦屋春日野釜 室町時代  胴に鹿が書かれている。だから春日野釜。
鹿の奔る姿が可愛い。らんらんらん♪runrunrun…

柴門新月図  絵の上にやたらと漢詩が書かれている図。
これは5年前の展覧会で見たが、そのときもらったポスターから挙げる。
絵の部分はこちら。
イメージ (1902)
そうなんだよ、柴の門なんだよ。それで丸い月も出ている。高士や文人の生活が理想とか言うが、まずは経済力がないと隠居もうかうかと出来ない。

深窓秘抄 平安末期  さすがその時代だけに良く出来た料紙の巻物で、ところどころに飛雲がある。
この展示を見る前に大和文華館に行ったが、その時も同じような巻物をみて、綺麗だと思った。
箇所はこちらが多い。

普段から好きな作品も色々出ている。
阿字義  平安時代  尼さんとお公家さんの二人の胸にピカッと種字が!これはなんというかリズムの良い絵巻なので、見ていると勝手に音楽がアタマに流れてくる。

華厳五十五所絵 平安時代  善財童子の旅。今回は弥勒と文殊のところでの絵が出ている。美麗。院政期の絵の良さ。

玄奘三蔵絵 1と2が出ていた。 夢に須弥山へ向かうシーン。海にはマカラ魚がいる。
旅立ったものの同行者の僧が逃げ帰り、一人で葦毛の馬とゆくところ。
馬はなかなか賢く、勝手にオアシスを見つける。
高昌国へ入ったところ。
この辺りまで。
そういえば随分前だが、玄奘三蔵絵の展示はここで見たのだったかな。

真言八祖図 鎌倉時代  龍猛がやたらとむっちりむちむちで妙に可愛い。
これも初見かもしれない。

浄土五祖絵 南北朝時代  道綽の物語。お団子頭の可愛い少年たちが登場。みずらもいれば頭頂部の子もいる。
そしてその少年A君とB君がどういうわけか服を入れ替えて着ている。
何か言われや物語はあるのだろうか、わたしにはわからない。

師宣の大江山絵巻があった。
秋の日の出立。山中で住吉・熊野・八幡の神の化身に会うて手助けを受けるところ。
みんな助け合って険しい山道を行く。
川で洗濯する姫に遭うところまで。

極楽アイランドの様相を呈する當麻曼荼羅、羅漢図もある。
そして今話題のマニ教の教主の像。これも何度かでているし、マニ教のだ言うことがそのときもあったなあ。

仏功徳蒔絵経箱  久しぶりの再会。この時以来。
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今回は細部をじっくりとみていただきたい、

イメージ (1904)

イメージ (1903)


阿弥陀経 鎌倉時代  これも見返しが綺麗。仏の来迎図。

面がたくさん出ていた。
伎楽面、舞楽面、追儺面。みんな面を楽しそうに見ていた。

光琳と乾山のコラボ作品もある。お皿。いいなあ、つくづく。

勾玉や棗玉があった、いずれも大変綺麗。
緑が綺麗なのは糸都川で作られたもの。
丹塗りの埴輪枕もある。


5/14から後期。それまでに今の展示品を楽しんでください。
面白いもの・すばらしいもの・可愛いものがいっぱいありました。

三つの曜変天目をみる

同時期に静嘉堂文庫、藤田美術館、大徳寺龍光院所蔵の曜変天目が展示される、ということがあろうとは誰も想像もしてなかったのではないか。

静嘉堂と藤田のはしばしば展示されて、多くのファンを魅了してきた。
藤田美術館の場合、暗いお蔵の中での展示なので、懐中電灯の貸し出しがあり、心ゆくまで楽しませてもらいもした。
静嘉堂だと朝顔のように開く油滴天目とセットで仲良く展示されるのを楽しんだ。
だが、龍光院の所蔵する曜変天目がわたしたちのような一般人の前に現れることは、これまでほぼなかった。

二年前の秋、京都国立博物館で四期にわたって日本の国宝を展示する展覧会があった。
その2期目についに龍光院の曜変天目茶碗が現れたのだ。
あの時の感動は大きかった。
ついに目の当たりに出来たのだ。
見た目はなにやら猫の肉球ぽいような愛らしさがあった。
その時の感想はこちら

今回、どういった経緯で三館でこうした企画が生まれたかは知らない。
だが、この機会を逃したくはない。
「三つの曜変天目を同時期に見る」
これはこの先もう二度とない経験かもしれないのだ。
たとえこれまでのように堪能できずとも、人ごみの中でチラ見になるかもしれずとも、やっぱり同時期に三つの曜変天目を見たい…
欲望と誘惑に打ち勝てるものは少ない。
わたしは溺れてもいい、そう思いながらでかけた。

まず静嘉堂へ行った。
新幹線の品川から乗り換えて大井町線の二子玉川でバスに乗って向かった。
丁度品川から1時間ばかりかかった。

この静嘉堂で三つの曜変天目を写したファイルを買った。
これは三館共通の商品。
イメージ (1889)


イメージ (1888)

左から龍光院・静嘉堂・藤田美術館。
こうして並べると、それぞれの違いがはっきりする。
再現不可能な曜変天目茶碗。
つまり個性も判然としているのだ。
類品というなら全て類品でもあるし、全く違うと言えば全く違うのだ。
共通するのは「曜変天目」と呼ばれる様子であること、同じ技法で同じ時代に創られたこと。

もっと深い理解を持つべきかもしれないが、それだけでもいい。
いかに貴重で、そしていかに奇跡的な誕生を見せた品かを知っていればいいのだ。
更に数百年後の今も伝世したこの事実を、次の次の世にも伝えねばならない義務を。


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静嘉堂では自然光の入る空間で展示されていた。
わたしの見たのは午前の明るい光が入り込んだ時間帯だった。
光が強く、惜しいことに見込みの青が映えなかった。
これはタイミングがまずかったらしい。もっと遅い時間に見ればよかったかもしれない。

静嘉堂では曜変天目と共に日本刀、それも備前の古い刀を並べていた。
研ぎ澄まされた鋼鉄の美、煌めく刃がそこに多数並んでいた。
こちらは白い煌めき。
白と青の競演を楽しめるよう考えられていたようだった。


イメージ (1892)
藤田美術館は現在閉館中である。
理由はそれまでの展示空間を全面的に新しいものにするために、大規模な工事に取り掛かっているからだ。
その機会を逃さず先年はサントリー美術館で、そして今は奈良国立博物館で名品を展示している。
奈良博での曜変天目の展示は新館の東館に別室を拵え、暗い空間で照明を当てての展示だった。
間近で見たい者、遠望する者、それぞれのための設えがある。
実のところ、藤田美術館の曜変天目は、あの仄暗い空間で眺めるのがいちばん楽しい。
設置された懐中電灯を任意の場所に当ててじっくりと煌めきを堪能する。
そうするうちにこれまで気づかなかった何かを見つけ出しもする。
こうした「遊び」をしているので、妙に親近感を懐いている。
なので大勢の人があの美しさを少しでも味わおうとする様子を見て、改めてあの曜変天目の稀少性について思い知らされたのだった。

新しい藤田美術館がオープンした後はもう今までのような愉しみ方は出来ない可能性が高い。
過去の喜びを胸に秘めつつ、新しい気持ちで向き合おうと思う。


最後に大徳寺龍光院の曜変天目について。
前述のように二年前の「国宝」展で初めて見たときの感動は大きかった。
今回はまさかの再会である。
イメージ (1890)

MIHO MUSEUMは遠い。バスで小一時間かかる。行くのに非常に根性がいる。
行けば名品が多いことを知っているし、企画展の良さも知っている。
しかし遠さに負けて、少しばかり行くのを躊躇した。
したがやはり奇跡のコラボを失いたくはない。
がんばって見に行ったのだが、行った甲斐のある状況がそこにあった。

枝垂桜の群れである。



臨時バスに乗った後、間近で鑑賞するために中で1時間ばかり待ち続けた。
ああ、梅鉢のようで藍が輝く。

二度とないだろうこの機会を逃さずにいて、本当に良かった。

KABUKI 藤十郎と仁左衛門 篠山紀信写真展

京都駅の美術館「えき」で篠山紀信が撮った21世紀の坂田藤十郎と片岡仁左衛門の写真展が開催されている。




篠山紀信の歌舞伎役者の写真と言えば随分前だが、坂東玉三郎の写真集があった。
わたしの手元にある。
当時「片岡孝夫」だった今の仁左衛門丈と二人は夫婦役者と謳われ、ため息のでるような美しさを見せてくれた。
あれからもう30年が経っている。

篠山紀信は中村勘三郎になる前の中村勘九郎のいい写真もよく撮っていた。
かれの襲名の写真も篠山紀信だった。
その勘三郎ももういない。

ファインダー越しに見る役者の姿に篠山紀信はなにを思ったろう。
なにを望んでその姿を追ったろう。
かれの撮った美しく魅力的な役者の姿をみながら少しばかり妄想した。

イメージ (1884)

なるほど、京都にゆかりの二大巨頭というコンセプトなのか。
50点の作品は上方が舞台のものが多かった。

展示構成は写真のみでキャプションはなし。
わたされたリストをみながら見て歩くのだが、わたしの後に入ってきた二人の奥さんが歌舞伎を知らないので困り果てていた。
なのでヒトも少なかったので、わたしがひとつひとつレクチャーしながら案内した。
こうしたとき、本当に歌舞伎好きでよかったと思う。
見知らぬ二人組の奥さんだけでなく、後から来た親子も加わってわたしの解説を聴いて、ようやく作品をたのしめるようだった。
役に立てて良かった。
「見たい」気持ちが強くても、わからなかったらしんどいだろうから。

最初に坂田藤十郎とその息子たちの写真が展示される。
お家芸の「曽根崎心中」や「桂川」がある。
どれを見ても藤十郎の若さ・愛らしさに驚く。
実齢を知るだけに驚異の人としか言いようがない。

祖父の初代鴈治郎が「ほっかむりのなかに日本一の顔」と謳われたのをこの孫の藤十郎も踏襲したか、いい様子だった。
花道の七三のところで草履を脱いで、しょんぼり。
こういう顔がうまいのだ。

この人は女形ではあるが、紙屋治兵衛もいいし、帯屋長右衛門もいい、それどころか呉服屋十兵衛もいいのだ。
要するに大坂に住まう町人が町人がうまいのだ。

だが、武家もわるくない。
ただしそれは戸無瀬であり政岡であり玉手御前である。
ここには玉手の写真はないが、義理を果たそうとする戸無瀬にしても政岡にしても、心の内を押しとどめようとする強さがにじんでいて、とてもいい。
中年婦人の良さがあふれている。

息子たち、そして孫たちもまた出色で、特に若い孫たちは美貌でもある。
虎之介も壱太郎も愛らしいのは「時分の花」もあるが、元々の容貌の良さが出ていて、とてもよい。

藤十郎の中年・長右衛門と年若なお半を演ずる壱太郎の抱き合う写真をみる。
なんて愛らしい少女なのだろう。こんな可愛い子がこんなおっちゃんにひっかかったらアカンのである。
…と義憤に駆られるくらいの愛らしさが溢れていた。

息子・鴈治郎の八右衛門がまたとてもよかった。
ただの憎々しい男などではなく、口は悪いが友人を心配している八右衛門なのだ。
つまり、まさかあいつがそんなことするなんて…という八右衛門なのだった。



あまりに可愛くて可愛くて…

いい気分で次に松島屋へ。

わたしは当代の仁左衛門丈に長らく恋をしている。
片岡孝夫の頃に初めてみたとき、あまりの美貌にわたしは一瞬で恋に落ちた。
中学生の少女の胸に活きているのは、草刈正雄(近年は怪優になりつつあるが)と三國連太郎だったが、そこに片岡孝夫が加わったのだ。
わたしが高校の頃に孝玉ブームが起こり、歌舞伎を見に行くチャンスはなかったが、テレビ放映で孝夫さんを追いかけるようになった。やがて90年代になるとわたしは毎月芝居を見に行くようになった。
病気でニザリー(と勝手に呼んでいる)が出ない間は、健康回復を祈っていた。

今も本当に魅力的な方だ。
わたしは特にこの人は悪党・悪人を演じている姿が好きで、上方育ちでありながら、江戸の南北の描くキャラにあまりに嵌るので、いよいよときめいた。

今回は去年再演の「絵本合法衢」の「立場の太平次」と大学之助の二役の写真がある。なんていい男だろう。
そしてなんという悪の魅力にあふれた男だろう。

この人はもう本当に罪悪感を持たない悪人の役が巧い。
南北の世界をこれほど体現できる役者はいないのではないだろうか。

殺人を犯す姿のその凄惨な有様にゾクゾクしながら魅入られる。
「三五大切」の源五兵衛がほっかむりをして佇む写真を見ただけで、背中が粟立ち、キラキラしたものが来る。

出世作の「油地獄」の与兵衛の写真もある。頬に女の手指の血痕がついている。そしてぬめぬめと光っている。
こういう写真を見せてくれる篠山紀信にもぞくぞくする。




新歌舞伎もいい。
真山青果「元禄忠臣蔵」の綱豊が二枚ある。
いいほほえみの写真を見ると、父上の十三世仁左衛門丈を思い出す。
人の好い顔で、この人があの大悪人を得意としているのが信じられないようだ。
ははは、役者というものは凄いな。

「御浜御殿」の「石橋」の綱豊の立ち姿の美しさ。
やはりこの人は近代的な美を見せてくれる。

孫の千之助が仔獅子を演ずる写真のなんと愛らしく初々しいこと…可愛いなあ。
二人の連獅子がとても素敵だった。

いい役者たちのいい姿をよくぞ残してくれた。
篠山紀信に感謝するばかりだ。

長らく芝居に行っていないが、久しぶりに行きたくなってきた。

5/6まで。

手塚雄二 光を聴き、風を視る

難波の高島屋で日本画家・手塚雄二の展覧会が開催されている。
手塚雄二の展覧会を見るのは二度目、実に九年ぶり。
以前、横浜そごうで見たことがあるが、その時作家本人の来場があり、好感を抱いた。

イメージ (1881)

とにかく色彩が素晴らしい。グラデーションの美を感じる。
金粉が画面を覆う。ただし、あからさまではなく、間近で凝視して初めて金粉の煌めきに気づくのだ。

1953年生まれの手塚雄二は芸大在学中に結婚し、父になったが、奥さんの産後の肥立ちが悪く、その世話と赤ちゃんの世話、制作にとたいへん多忙な日々を過ごした。
結局それでそれまでのシュールな作風を捨てて、自然描写に向かった。
結果として、それがよかったそうだ。

1980年代の「少女季」「気」は技術の高さを感じさせるが、後年の作品と見比べると、やはり方向転換したのは正解だと思わせるのだ。

院展を舞台に制作を続ける手塚雄二。
2015年から2018年の春の院展に出した四点の絵から展示は始まるのだが、いずれも幻想的な色彩の美しさに感銘を受けた。

タイトルは美しい言葉を選んでいる。
その分観念的なところもある。

秋麗 2015  枯葉とセキレイのある風景。全体に金粉がかかり、やわらかな空間が形成されている。

終宴 1994  赤い秋。葉が降り落ちてゆく…

月読 1999 静かな海上に細い二日月が上る。

巨大な屏風絵も少なくない。
雷神雷雲/風雲風神 12曲と4曲で構成されている。雷神がとても大きい。雷神が1999年、風神は翌年。
カルラを思い出させる雷神の風貌もいい。

明治神宮内陣御屏風(日月四季花鳥) 2018  それまでの下村観山の屏風に替わるものだそう。
日月が左右に描かれて、木の葉のグラデーションが非常に美しく描かれている。
遠目にはどこか伊予切を思わせるような、王朝継紙のような趣のある美しさがあった。

イメージ (1882)

どの作品も大変色彩が美しく、そして静謐である。そこに惹かれる。

茶の湯に打ち込んだそうで、棗が並んでいた。黒光りする美しい地に植物の絵がある。
奇抜さはないが、大胆な構図で、とてもよい。

着物もデザインしている。上品な薄紫のグラデーションの着物と帯とは、高島屋の上品會に出品されている。
これは着物を拵える人にとって参加するのが名誉となる会で、そこに招待されての作成なのだ。
すごいことだ。

ブルックリンの雨 2010  水灰色の画面にぼうっと遠くに見える橋の終点。かっこいい…

花夜 2013  桜越しの月。ああ、とても綺麗。
イメージ (1883)

4/22まで。

「女・おんな・オンナ 浮世絵に見る女のくらし」展をみる その2

続き。

5.化粧―よそおう
化粧道具が並ぶ。とても凝ったものである。

滝見風景彫紅板、 滝見風景彫白粉刷毛、滝見風景彫紅筆 国立歴史民俗博物館  こうした精緻な文様をこの小さな道具に彫りこむ…江戸の職人芸の精緻さはおそろしい。

鉄漿道具一式 伊勢半紅ミュージアム  手間のかかる行為を行うには道具がよくないとやる気が出ない。これも可愛い文様が入っている。

他に鼈甲の櫛なども。

6.娯楽―遊ぶ
花見、ひな祭り、芝居見物…江戸の女が何を楽しんだかがわかる。
広重、国貞の女たちが季節ごとの楽しみを享受する。

7.労働―はたらく
江戸の人々は基本的に勤勉だった。今のようなブラックな状況の労働も少なくはなかったが、生活に楽しみも確かにあった。

英泉えがく娘の生涯の双六である。



喜多川歌麿 料理をする母娘 大判錦絵 1枚 寛政(1789~1801)末期 38.2x25.2 神奈川県立歴史博物館  母は湯呑を拭きながら大根おろしをする娘の様子を見守る。

歌川国貞(初代) 江戸新吉原八朔白無垢の図 大判錦絵 三枚続 文政(1818~30)末期 37.3x75.0 神奈川県立歴史博物館  この「八朔」の日は白を着るわけだが、吉原には他にも「・・・の日」というのが多く、それが客寄せの一つにもなった。
しかし、いい太客がついていてその支払いをしてくれるならよいが、そうでないなら、遊女自身が身銭を切らねばならなくなる。
このことは石森章太郎(当時)の「さんだらぼっち」にも描かれていた。

玉蘭斎貞秀 於竹 大判錦絵 三枚続 嘉永2(1849) 37.0x76.8 回向院  いわゆる「於竹如来」である。こんなに美人に描かれたのを見るのは初めて。

歌川豊国(初代) 『絵本時世粧』上之巻 色摺半紙本 2冊の内 享和2(1802)刊 21.6x15.1 国文学研究資料館  口入屋の様子。桂庵。これを見て実は伊藤晴雨「地獄の女」をちらっと思い出していたりする…

8.結婚・出産・子育て―家族をつくる
まあ色々あるわな…

歌川国芳 婚礼色直し之図 大判錦絵 三枚続 天保14~弘化4(1843~47) 34.7x71.3 東京都立中央図書館特別文庫室  偶然かなんなのか、花嫁と介添えの女の顔部分が剥落している。これは元の持ち主がこすったのだろうか…

三行半の現物もある。

豊嶋治左衛門、豊嶋弥右衛門 撰 『名物鹿子』上 墨摺 3冊の内 享保18(1733)刊 22.7x15.9 早稲田大学図書館  いわゆる「中条流」の看板が描かれている。川柳もある。
「覚悟して来て おそろしき 水の月」
堕胎業である。この行為を描いた絵は随分前にたばこと塩の博物館で国貞の描いたのを見たことがある。

歌川国貞(二代) 御誕生 田舎源氏須磨の寿 大判錦絵 三枚続 慶応3(1867) 34.7x70.9 東京都立中央図書館特別文庫室  江戸紫の美しい装束の光氏。女たちは赤紫や水色の着物。そしてそれぞれ花が描かれている。

歌川国芳 山海名産尽 紀州鯨 大判錦絵 1枚 文政(1818~30)頃 37.5x25.6 公文教育研究会  鯨の潮吹きで他の魚も飛んでいるのがいかにも国芳らしい面白味。

9.教育―まなぶ
人々の教育熱心さは都市部で特に高かった。

歌川国輝(初代) 湯島 音曲さらいの図 大判錦絵 三枚続 安政5(1858) 36.9x75.4 公文教育研究会  大きな画面いっぱいにおさらい会の前のわいわいがやがやがよく描けている。ごちそうを食べる群もあれば、また稽古したり…
土瓶に白椿の絵が入ったものを持つ女が妙に印象深い。
鼓の皮を温める人もいる。お菓子を食べる子らもいて、本当ににぎやか。

10.色恋―たのしむ
春画をあつめている。二階奥のアルコーブにあり、監視が二人いた。
成人してるので喜んで見に行った。
知ってる絵が結構多かった。

葛飾北斎(葛飾派) 絵本 つひの雛形 折帖錦絵 1冊 文化9(1812) 26.5x39.0 浦上満氏  事後の夫婦の眠る姿をおおらかに描く。
団扇には「弁慶と小町は馬鹿だ なあ嬶」の川柳。この絵は杉浦日向子「百日紅」での模写を見たのが最初だった。

司馬江漢 『艶道増かゞみ』 墨摺半紙本 1冊 明和6(1769)序 20.0x15.0 国際日本文化研究センター  じいさんばあさんの久しぶりの情交だが…これを見て岸恵子の小説「わりなき恋」を思い出した。そう、準備は大切なのだ・・・
もうこの頃にはばあさんの・・・腺は枯渇しているだろうし…
「新枕の時よりうけにくい」の言葉がせつない。

河鍋暁斎 はなごよみ(正月、四月、七月)  月次の楽しみにかこつけての情交を延々とだね…

杉村治兵衛 欠題組物(若衆と遊女)  あら。のぞかれている…

豊国(三代)『正写相生源氏』上巻  豪華本での田舎源氏。御殿女中と仲良し中。屏風絵も立派。

歌川国貞(初代) 『花鳥余情 吾妻源氏』上巻 色摺大本 3冊の内 天保6~12(1835~41)頃 国際日本文化研究センター  柏木が女三宮のそこへ手を差し伸べる。一方例の猫たちは猫たちで…

歌川国安 十六夢左支 間倍判錦絵 1枚 天保(1830~44)頃 国際日本文化研究センター  16パターンの行為。「~ざし」という共通語でまとめている。
「いもざし」「くしざし」「うしろざし」「おこころざし」…
丑三つ詣りをする女を二人がかりで、というのは「人を呪わば▲二つ」の実行かもしれない…
ほかに「しのびざし」「かんざし」「たぼさし」などなど。
女同士の行為も含まれていた。千鳥。

勝川春潮 好色図会十二候(正月、四月)  春の陽気を楽しみつつ、のんびり最中。
幸せそうなのを見たところで終わる。

面白かった.。
こういう展示もいい。

入れ替え後も楽しみ。 

「女・おんな・オンナ 浮世絵に見る女のくらし」展をみる その1

松濤美術館「女・おんな・オンナ 浮世絵に見る女のくらし」展をみた。
ここはリニューアルオープンの時に「猫・ねこ・ネコ」や「犬・いぬ・イヌ」展もしたから、なるほどこのタイトルかと納得。
次は「男・おとこ・オトコ」が来るに違いない。

江戸時代は長崎を除いて鎖国していたので、平安時代同様ドメスティックな文化発展があり、それが面白くもある。
イメージ (1879)

紫縮緬地鷹狩模様染縫振袖 19世紀  意外に江戸後期らしい。
とはいえ化政期なのかそれ以後なのかにより、また色々違いが出たかもしれない。
滝あり、紅梅に雪松あり、鋭い目をした鷹があちこち飛んだり獲物を追ったり。
鶴もいれば山鳥も、雀に雉も逃げる。三羽の鷹は鋭い目を獲物に向けている。
地には犬もいて落ちる獲物を待ち構えている。
図様がこうしたものだから武家の奥方向けの着物だろう。

今回の展示の章立てがなかなか面白い。
それはやはり展示の狙いがこうしたものだからだろう
「江戸時代に生きた女性の「くらし」の様相を、描かれたもの、記録されたものから考えます。現代と異なる身分制社会の中で、公家・武家・農民・町人・商人・遊女など多様な階層の女性たちが何を身にまとい、働き、学び、楽しみ、どのように家族をつくったのか。女性のくらしが描かれた美人画や春画、着物や化粧道具などから、その様子をみていきます。」

イメージ (1880)

1.階層―身分とくらし
江戸時代は厳然とした階級社会であり、士農工商とそれ以外との差異の非常にはっきりした構造を保ち続けた。
髪型・着物・はきものなど多岐にわたり、よくそこまで執拗にと呆れるほど、強い差別化をしてきた。

渓斎英泉 風俗士農工商 大判錦絵 三枚続 文政  見立て絵で、女達の風俗でそれらを表現。
英泉自身は元々池田氏という武家の出であり、侍をやめて町民になった男である。
時代が爛熟化するとこうした逸脱も増えてゆく。

西川祐信 『百人女郎品定』上之巻 墨摺大本 2冊の内 享保8(1723) 26.4x19.0 早稲田大学図書館  こういう本を見るのも面白い。これは百種類の女性風俗を描いたもので、タイトルから想像できるようなリアルな便覧ものではない。
これは早稲田本だが京都国会図書館にも収蔵されている。

歌川豊国(二代) 今様姿 流行狂画 だんまり 大判錦絵 1枚 天保(1831~45)初期 38.8x26.0 神奈川県立歴史博物館  コマ絵に三羽のコウモリによる「だんまり」図がある。だんまりとは歌舞伎の舞台での登場人物たちが闇の中でそれぞれの思惑によって動くことで新たな展開が開いたりする状況。暗闘と書く。大南北や黙阿弥の芝居によくこれが出るが、今のように一歩先も見えないということにならない時代、「だんまり」は理解しにくい。
メインの絵は糸を巻こうと苦心する娘。

古山師胤 太夫と禿 紙本着色 1幅 享保(1716~36)頃 100.5x48.6 江戸文物研究所  太線で描かれた美しい遊女がかむろを見返る。


2.芸事―たしなむ
ここでは和宮遺愛の香道具が目を惹いた。素晴らしいお道具。桜唐草文が和宮のお印になるのか、丁寧なつくりものだった。
そういえば長らく京都の宝鏡寺にも行っていない。このお寺は「百百御所」ともいい、和宮も晩年はここで過ごしたのだ。

古山師政 踊りの稽古図 紙本着色 1幅 延享期(1744~48) 43.8x48.8 東京国立博物館  綺麗な二人は実は陰子。よくよく見ればあごの線が男性と同じ。白梅の頃、三味線を弾く者と舞う者と。羽織の柄が菊だというのも…

歌川国安 閨中道具八景 台子乃夜雨 大判錦絵 1枚 文政(1818~30)初期 38.5x26.3 神奈川県立歴史博物館  てっきり春画かと思ったが違ったみたい。この娘の着る変わり市松模様の着物がカッコいいわ。目がチカチカする。こういうパターニング好きだな。
ヒトコマが四分割されてその四分割が互い違いに濃淡の色をみせ、次のコマは更に前のより色が濃い。そしてその次はまた戻る。
それが縦横に無限に続く。

3.観られる女―愛でる
寛文美人絵を始め人気の茶屋娘の見立て番付などがあった。
そう、鑑賞用の女たちの姿。

寛文美人、あごがやや丸めの長い顔。ポーズがカッコいい。すっと立つその姿の良さ。モデル風。それもフランス映画「夜よ、さようなら」のミウミウを思い出す。
今ちょっと調べたらいつの間にやらミュウ=ミュウ表記になっている。
当時はミウミウだったがいつからか変わったのかな。
ちなみにこれが証拠。

懐月堂安度 黒地歌留多散らし衣裳の遊女 紙本着色 1幅 宝永~正徳(1704~16) 100.0x44.5 神奈川県立歴史博物館  これはまたいい着物だなあ。黒地に白の文字が。
これ、色が逆なら白土三平的な感じがあるけどね。

茶屋娘見立番付 間倍判色摺 1枚 寛政5(1793)頃 31.5x44.5 千葉市美術館  まあ人気者が多いので。

「かせんむすめはなくらべ」『一枚刷他貼交帖』より 折帖仕立 2帖の内 安永(1772~81)頃 31.5x18.6 国文学研究資料館   京都版の。

4.きもの―まとう
意外とこの章は展示が少なかったね。

歌川豊国(三代)・歌川国久(二代) 江戸名所百人美女 尾張町 大判錦絵 1枚 安政5(1858) 36.3x25.3 東京都江戸東京博物館  さすが国貞だけにすっきりしたいい女。

紫縮緬地桜鼓模様染縫帯 絹地 1条 19世紀 23.0x410.0 国立歴史民俗博物館  これはまた綺麗で。「掛下帯」と言うそう。

続く。

「昭和メイクの移ろい」@クラブコスメチックス文化資料室

毎年四月五月は阿波座にあるクラブコスメチックス文化資料室で特別展がある。
毎年必ず楽しみに観ている。
花見と同じで、絶対に見に行かずにはいられず、行くたびに楽しい思いをする。
今年は「昭和メイクの移ろい」展。




メイクは時代により本当に変わる。
流行と言うものは服と化粧に現れる。実にはっきりと。
そして「昭和」60余年の間、多くの流行があった。流行り廃りのその流れの速さ。
水は滞るとダメになる。だから永遠に変移し続ける。
その変移を追う展示をみた。

少し話がそれるが、差異について。
日本の場合、関東と関西において化粧の好みが分かれることはそれこそ江戸幕府が開かれた時からの話で、現代もある程度その名残が活きている。
関西はとにかく美白が第一なのだ。
極端な話、以前女子高生辺りに流行ったガングロメイクは関西には絶無だった。

石ノ森章太郎「八百八町表裏 化粧師」は式亭三馬の息子・小三馬が「化粧師」けわいし として江戸の女性たちを、時には江戸の街をも美しく装わせる話だった。
その中でも江戸の薄化粧と上方の人形のような化粧の対比の話があった。

この辺りのことを思うのも楽しい。


さて展示室へ。
許可を得て撮影しています。

展示風景
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ここで70年代初頭のメイクアップ一式を何気なく見てびっくりした。


なつかしすぎるぞ。

今は「クラブコスメチックス」、かつては中山太陽堂、クラブ化粧品の昔、洋風の化粧方法を一般の人々に広めようと丁寧な仕事をしていた。

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昭和初期のメイクいろいろ。

それにしても昔の美人、素敵だなあ。
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自作化粧品まで…
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わからないでもない。


クラブ化粧品ではTPOだけでなくその時何を着ているかによってファンデーを変えることを推奨し、それぞれのタイミングに合わせたものも拵えた。
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細かい内訳は現地で詳しく。


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雑誌広告も並ぶ。
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この画家の仕事は日本遊船歴史博物館にもある。
モダンだなあ。


パッケージデザインも時代につれ変化してゆく。
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やがてマリークヮントと提携する。
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1977年。
レイヤ姫…??


70年代メイクとファッションの明るい華やかさも今となっては不思議な楽しさがある。
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5/31まで。
今期もとても楽しかった。
詳しくはこちら
4月27日(土)、5月11日(土)、17日(金)、25日(土)にはギャラリートークも開催。

四月の東京ハイカイ録

大阪から静嘉堂に行こうという場合、新幹線で品川で下車、大井町なり五反田なりに出て東急大井町線に乗るのがいい。
大井町だと直行、五反田だと間に地下鉄を挟むが、とりあえずそれで二子玉川へ。
普通車だと途中旗の台辺りで急行に乗り換えも出来る。
そこからバスを待ち31系統の成育センター行きに乗る。
わたしはこれで9:26品川着で10:30静嘉堂入りが出来た。
開館と同時はさすがにしんどい。

備前の日本刀をメインにした展示で、初日から多くのお客さんが来ていた。
「刀剣乱舞」を知らないわたしには「刀は刀」なのだが、熱心にみつめる女性客の視線と姿勢にはこちらも熱くなった。
いい時代だ、その意味では。自分の好きなものを好きだと公に出来るのだ。
多くの女性客のときめきを想像して、刀コーナーを見て回った。

自然光の入る場所で曜変天目が鎮座ましましていた。
ただ、朝の明るすぎる時間帯が災いしたか、青みの美しさが堪能できなかった。
これは少しばかり残念。
曜変天目、三館同時開催を記念したクリアファイル購入。
いいものを出したなあ。こうして並べると、全く違う個性を持つのがよくわかる。

なお展覧会の個々の詳しい感想はおそらく後日に挙げます。
最近はわたしも大いに劣化して書けないことが多いので「一切の希望を捨てよ」じゃないけど、期待なんかしないでください。←誰もしてまへんがな。

花がまだまだ綺麗なので嬉しい。
花については後でまた集めよう。

さてわたしは二子玉川駅に戻り、エキナカのしぶそばで姫甘皮筍と菜の花天うどんを食べましたらやね、その姫甘皮筍がたいへん美味しかったのよ。これはええのう。
ああ、錦水亭は行ったから、今度は筍亭に行きたいよ…

松濤美術館で「女おんなオンナ」展を見た。
以前に猫、犬、とかな・漢字・カナの展覧会がここであったから、いずれは男おとこオトコ展もあるだろう。
浮世絵の展示。アルコーブが春画コーナーになっててよかった。
まあまあ面白いものを見たので満足。

そのまま半蔵門へ。
国立劇場の情報館で幕末の名優の浮世絵をみる。
三世豊国のいいのがたくさん出ていて楽しい。
天保から慶応まで。
こうして見るとそのもう一世代前の化政期はやっぱり凄いな…
いや、こちらもよいけど、なんせ向こうには五世幸四郎、三世菊五郎、五世半四郎らがいるからのう。
こちらは八世団十郎、四世小団次、三世田之助、五世菊五郎、後の九代目團十郎もいるが。

久しぶりに半蔵門ミュージアム。開館一周年らしい。早いなあ。
シアターで大日如来についての番組を見るが、その前に中村晋也の順陀像の映像などを見る。かなり画質がいい。
いよいよ展示。
「涅槃図」をみる。江戸時代中期のもの。ジャコウネコらしきのがいた。
ガンダーラ仏のよいのも見たし、機嫌よくそのまま麹町駅へ。
あっ「泉屋」の本店だ。忘れてた、ここにあったのだ。

東池袋に行き、少々買い物を済ませてから、洋菓子のタカセへ。
もうサバランはなかったが、他のケーキは少々。
三階に行きオムライスを頼んだついでにイチゴショートをたのむ。
もう六時過ぎなのでカフェインは困るのよ。
どちらも美味しくいただけました。よかった、これはいいな。

JRで上野に出て、ここで科学博物館のチケット忘れに気づく。しもた、来月に延期だ。
東博へ。
東寺の仏像大集合。仏像曼陀羅。
帝釈天は男前、ゾウは可愛い。

しかしながら常々思うことだが、こうした展示は本来あるはずの仏像への畏敬の念を失わせるものだなあ…
「美術品」との遭遇による感動はあるのだが。
そう、仏像と言う美術品。

初日ここまで。


二日目。
朝のうちに隅田川沿いを散歩。ソメイヨシノはほぼ散ったが、関山、普賢象などは盛り。

混みそうなのでまずは汐留のモロー展。
とてもよかった。パリのモロー美術館からこんなにも来てくれてうれしい。
そしてモローとルオーの師弟の心のつながりにも感動。

山種美術館では「花flower華」展、花を堪能。
そこから徒歩で國學院へ出て軍記物の比較を面白くみる。
山種に戻りカフェでおいしい和菓子をいただく。

出光美術館では「六古窯」展を見たが、先に山種で花の絵を見ていて本当に良かった。
心に残る花々が、出光の古くて大きなやきものに活けられるのを想像して、とても楽しい。




こういうコラボ、楽しい。

LIXILギャラリーで「吉田謙吉12坪の家」を面白くみる。
人間、いくらでも工夫が出来るものだ…

最後は高島屋に新しく出来た高島屋史料館東京で村野藤吾の高島屋増築の苦心をみる。
これもまた工夫と苦闘の話で、資料を見て胸が熱くなった。

日本橋さくら通りを通って少し残る桜をみる。
東京でも花見が出来て楽しい。

また来月までさらば。

「明恵の夢と高山寺」展 前期に行く

中之島香雪美術館で「明恵の夢と高山寺」展が開催されている。
数年前に京博「国宝 鳥獣戯画と高山寺」展が開催され、記録的な大ヒット・大行列でえらい目に遭ったが、おかげさまで今回はそこまで混まずに楽しく拝見しましたわ。
当時の感想はこちら

それにしても高層ビルの中で国宝や重文の展示が出来るというのは、サントリーとハルカスとここか。大事に守られますように。

展示そのものは前掲のそれとあまり変わりはない。
ただ、今回は「夢記」を多く取り上げている。
いっそもっと出してくれてもいいと思うくらい。解説もよかった。
そして展示の構成とタイトルのつけ方がまたなかなか素敵なのだった。

・ 夢をみる 明恵という人
幼少期に母を亡くした坊やは仏眼仏母図を母上に見立て、更に見た夢こそ仏からのメッセージと受け取り、それを書き記すことに力を注いだ。

見た夢を記す、と言うのは明恵のほかにもした人は少なくない。
実はわたしも一時やってみたことがある。
ただ、明恵と違い、わたしも他の人もどうも書き記すうちに悪夢を見るように仕組まれているらしい。
それに負けてしまい、書かなくなる人もいる。
誰がそんなことを仕組むのかは知らないが、夢日記を書いた人に聞いたり読んだりするうちに、その推理が正しいように思えて仕方なくなる。
とはいえ明恵はそうではないらしく、ありがたくありがたく日記を記し続けた。
何十年もの間、倦むことなく。
信仰心とは強いものだ―――
資料を眺めながらそんなことを考えた。

釈迦阿難像  釈迦の傍らに美しい顔立ちの阿難がいる。控えるのではなく、寄り添う。
この絵を見た明恵は自分を阿難に置き換えたかもしれない。

わんこ、鹿などの彫像も来ていた。これは嬉しい。
可愛いなあ。間近から眺めてやはりわんこの可愛さにきゅんとなった。
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可愛い喃…

鹿の像だけでなく、今度は村山コレクションから春日社寺曼荼羅、春日鹿曼荼羅なども並ぶ。
鹿は神仏と関わりが深いが、春日の鹿は元々は鹿島から来たことを改めて思う。


・夢のあとさき 明恵示寂
この章では鳥獣戯画と将軍塚絵巻が出ている。
前期は甲乙本。見慣れたウサギvsカエル、烏帽子猫などがいる。
瑞獣たちのデモンストレーションもある。
わりとゆっくりじっくりと楽しめた。

伝・探幽 戯画図巻  これが面白かった。いろんな人を時代性関係なしに一堂に集めて歌舞音曲で遊ばせるのだ。
明恵も中にいるのがいい。


明恵と言う一人の人が何を考え、信仰し、どう生きたか。
そのことをこの展覧会は見せようとしたように思う。
むろんすべてを把握しているわけではない。
だが、それでも丁寧に資料を集め、濃やかな解説をあげている。
つまり、明恵という人に近づこうということなのだ。
耳を切った肖像画、見た夢の記述、居た寺に集まったさまざまなものたち。
それらを通して明恵という一人の人に近づく。

後期には明恵にとって重要な意味を持つ仏画もでる。
そちらも行こうと思う。

「へそまがり日本美術」前期をみる その3

ようよう続きが書けそうです。

呉春 人物図 福島美術館   状況がよくわからんのだが、烏帽子を前にして「うーん」と困り顔のオジサンがいる。
呉春は大好きですわ。
師匠の蕪村、弟子で異母邸の景文、みんな好き。四条派いいなあ。呉春は後に応挙の弟子になるが、そのあたりの人間関係も感じよいのですよ。

与謝蕪村 白箸翁図 逸翁美術館   シワシワのジイサン二人がいる。そのうちの一人がタイトルの人。いつも70歳と自称。
死後、別な場所でまたまた70歳の白箸翁が目撃される。
一種の仙人だったのかもしれないが、なんとなく「果心居士の幻術」を思い出した。あとは「飛び加藤」など。

岡田米山人と応挙、それぞれの「寿老人図」
なんというか、個性で押し通すのと、お客さんが安心して買えるのと、そういう違いかな。

山水図も比較対象的に並ぶ。
しかしこちらはまだそんなけったいなこともないわけです。
やっぱり人物画に変なのが多い。

近代日本画家の作品も出てきた。
冨田渓仙 沈竈・容膝 福岡県立美術館  どちらも中国の故事にまつわる画題なのだが、 先の言葉は水攻めの意味らしいが妙にのんびりしている。
容膝は桐の葉に覆われたような家の中で機織りしている妻と、外でなにやらする夫の姿。
この絵は以前に
「横山大観展 良き師、良き友」展で見た。
当時の感想はこちら
http://yugyofromhere.blog8.fc2.com/blog-entry-3028.html

小川芋銭 〈河童百図〉幻 茨城県近代美術館  河童やカワウソが大好きな芋銭が描くのはおばけの河童。墨絵で桜の花びらが舞う中、おばけな河童が葉に乗り浮いている。
お彼岸の後なんだがなあ。いや、河童は極楽とは無縁か。「かっぱ天国」があるから。

夏目漱石 柳下騎驢図  中国の蘇州辺りにありそうな太鼓型の石橋をロバに乗って渡る。
ほのぼのしている。
しかしあれだ、漱石は他人さんの絵について色々口やかましく批判と言うより非難するが、自分の絵については誰彼に言われることは想定外なのかな。

伊藤若冲 伏見人形図  でました、ずらーーーーっと並ぶ布袋さん。やっぱり妙だな。

忍頂寺静村 坂田金時図  これぞまさしく「おう、お久しぶり」という絵。
イメージ (1836)

わたしが見るのも久しぶりだけど、描かれた山の動物たちも昔の金太郎と違う金時さまに「へへーっ」ですがな。
立場が変わると自ずから関係性も変容するよ。
立場が上の人がいくら親しみを見せても、かつての楽しい関係は復活しない。
金太郎自身実のところ人より鬼の世界に近い所にいた。
しかし頼光に連れられて人の世に出たことで、異界とは縁が切れた。
ただ、名残があるからこそ、鬼退治にもゆけたわけだものな。
この先また山に顔見せに来るなら、この山は禁猟地にしてもらう方がいいよ。

さてこの展覧会の「へそまがり」は実はチョイスそのものだと思う。

アンリ・ルソー フリュマンス・ビッシュの肖像 世田谷美術館  まさかの登場。絵自体はいかにもアンリ・ルソーなのだが、何故??という疑問符と共に納得も行く。
「へそまがり」なのはこちらからの見方、なんだよなあ。
描いた本人たちは意識してそうする人と、自分ではこれぞ真っ当な絵画と思って描くけど、痛いと言うか違うだろぉというか、…な二手に分かれるわけだ。
そこがルソーの絵をここに持ってきた意味なんだろうなあ。
三岸好太郎 友人ノ肖像 北海道立三岸好太郎美術館  子供みたいに見える男性。これは意図的にそう描いているのか、モデルがそうなのか判断がつかない。


今回の展示でいちばんヒーーーッになったのがこれら。
糸井重里原作・湯村輝彦画 『情熱のペンギンごはん』
蛭子能収 「骨正月」(『なんとなくピンピン』青林堂 所収)

なんかすごいもん見たな…

さて将軍様の可愛いのが三つ。
徳川家光 ね。
木兎図 養源寺(東京都文京区)
兎図
鳳凰図 德川記念財団
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去年このチラシ貰った時、びっくりしたねえ。
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みんな妙に可愛いんだよなあ。

岸礼 百福図 敦賀市立博物館  すごーくたくさんのおたふくさん。ブランコ乗ったり色々楽しんでいる。

どう見てもスナフキン。
村山槐多 スキと人 府中市美術館
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個人的にめちゃくちゃ好きなのがこの二人。
児島善三郎 松  明るい色彩、最高。透明感はないけど明るさが何層にもあるのがいい。
小出楢重 めでたき風景 大阪中之島美術館  この屏風はなんというか「NIPPON!」てな感じで面白いよ。

児島は前にここで回顧展があった時、本当に嬉しかったなあ。たぶん、この人の色彩感覚はすべての画家の中で一番わたしの感性に合うのだよ。

小出は子どもの頃は本当にニガテだったが、肖像画ばかりの展示をブリヂストンで見て、芦屋、京近美でいい回顧展を見て、随筆読んで、気づけばこれまた大好きな画家&エッセイストになったなあ。

岸駒 寒山拾得図 敦賀市立博物館
どう見てもおばさん二人。ネックレスもってサンダル履いたのと可愛い靴のと。
いやー、ほんまにいてはるよ、こんなひとら。

わからんのがこれ。
与謝蕪村 寿老人図   なんで片方の胸をはだけるかなあ。誰得なんだ。

祇園井特 美人図  でたーっUPで顔が大きいというより、大顔なんだろうなあ。

祇園井特 墓場の幽霊図 福岡市博物館  おお、久しぶり。これは数年前のおばけの絵の展覧会で見た。
元々は吉川観方コレクションのあれでしょう。

祇園井特 達磨図 奈良県立美術館  むーっとしてるのは別にいいんだけど、歯の出る口は不動じゃないか。ちょっと因業そうにもみえる。

長沢蘆雪 老子図 敦賀市立博物館  しょぼんとしてる。そんな落胆したまま牛に乗って去っていくのか…

明誉古磵 七福神図 奈良県立美術館  先年、大和文華館でこの人の大回顧展があって、それで知ったが、とても面白い絵をかく画僧。
没後三百年 画僧古磵  当時の感想はこちら

最後の最後にマンテツきたね。よろづ・てつごろう。
萬鉄五郎 仁丹とガス灯 岩手県立美術館  「仁丹」がなんかもうエグイな。  
萬鉄五郎 日の出 萬鉄五郎記念美術館  南画風なのはいいが、なんだ、これは。虎のパンツ??
萬鉄五郎 軽業師 萬鉄五郎記念美術館  足技を見せる。盥に乗ってぐるぐる…これあれだ、「ゴールデンカムイ」16巻のヤマダ曲馬団でも出てた芸だわ。

ああ、なんかもう…
後期が楽しみだけど、本も三刷目というめでたさ。
負けないように頑張って見に行きます。
前期は4/14まで。

「モダン都市大阪の記憶」を楽しむ その2

続き
イメージ (1797)

明治24年1月、難波新地の阪堺鉄道停車場前にパノラマ館開館。
中では「セダンの戦い」という外国の戦闘シーンが360度パノラマ展開されたものがみれるようになっていたそう。
これについてはこちらに年譜や資料がある。

27年には今の日本橋辺りの有宝池眺望閣(通称ミナミの5階)が完成。これは浅草の十二階より早い。
そしてキタの9階こと凌雲閣も今の茶屋町辺りにあったそう。
昔は高いものがなかったのでそれこそ「見晴るかす」のもエエ建物でした楼。←ろう。
画像や詳しいことはこちらのサイトに。

こうした古写真はデジタルアーカイヴにもあるので助かる。
そしてその眺望閣から見える周辺を描いた絵図がある。桜で囲んだぁる。
高津、真田山、一心寺が下に、左には住吉っさん、海。右に中之島、前に天保山、遠くに六甲。

これで思い出すのが小出楢重の随筆で、ここではキタの9階、ミナミの5階の紹介があった。

「私の子供の時分には、大阪に二つの高塔があった、これは天王寺五重の塔とは違って、当時のハイカラな洋風の塔であった、一方は難波なんばにあって五階であり、一方は北の梅田辺あたりと記憶するが九階のものだった。九階は白き木造で聳そびえ五階は八角柱であり、白と黒とのだんだん染めであったと思う。私は二つとも昇のぼって見た事を夢の如く思い起す事が出来る。」

小出は案外遠見するのが好きらしい。
こんなのもある。

「私は子供の如く、百貨店の屋上からの展望を好む。例えば大丸の屋上からの眺めは、あまりいいものではないが、さて大阪は驚くべく黒く低い屋根の海である。その最も近代らしい顔つきは漸く北と西とにそれらしい一群が聳えている、特に西方の煙突と煙だけは素晴らしさを持っている。しかし、東南を望めば、天王寺、茶臼山、高津宮、下寺町の寺々に至るまで、坦々たる徳川時代の家並である。あの黒い小さな屋根の下で愛して頂戴ねと女給たちが歌っているのかと思うと不思議なくらいの名所図会的情景である。ただ遠い森の中にJOBKの鉄柱が漸く近代を示す燈台であるかの如く聳えている。
 大阪の近代的な都市風景としては、私は大正橋や野田附近の工場地帯も面白く思うが、中央電信局中之島公園一帯は先ず優秀だといっていい。なおこれからも、大建築が増加すればするだけその都会としての構成的にして近代的な美しさは増加することと思う。ただあの辺あたりの風景にして気にかかる構成上の欠点は、図書館の近くにある豊国神社の屋根と鳥居である。あれは、誰れかが置き忘れて行った風呂敷包みであるかも知れないという感じである。」


この塔も今から思えばそない高いわけでもないが、上った人らはそれこそ「わぁい」だったでしょうなあ。
そうそう、こんな戯れ唄も大阪には昔からありました。

「お母ちゃん、ダイヤモンド買うてんか」「ダイヤモンドは高い」「高いは通天閣」「通天閣はこわい」「怖いは幽霊」「幽霊は消える」「消えるは煙」……

まあ地域により歌い手により歌詞も変わるが、大体は「ダイヤモンドは高い」から始まるもんです。そして「通天閣は高い」が入る。
つまりそれだけ人々の意識に通天閣の高さと言うのが浸透していたわけですな。
その通天閣の話はまた後ほど。

ところで大阪には大昔も大昔、物凄く高いものがあった。
それは何かというと、古事記に出てくる後に「枯野」と呼ばれることになるもの。
仁徳天皇の御代にあった巨木の話。

「この御世に、冤寸河の西に一つの高樹ありき。その樹の影、且日に當たれば、淡道島に逮び、夕日に當たれぱ、高安山を越えき。故、この樹を切りて船を作りしに、甚捷く行く船なりき。時にその船を號けて枯野と謂ひき。故、この船をもち旦夕淡道島の寒泉を酌みて、大御水献りき。
この船、破れ壊れて塩を焼き、その焼け遺りし木を取りて琴に作りしに、
その音七里に響みき。ここに歌ひけらく、
枯野を 塩に焼き 其が余り 琴に作り かき弾くや 由良の門の
門中の海石に 觸れ立つ 浸漬の木の さやさや
とうたひき。こは志都歌の歌返しなり。」

武田祐吉訳のを挙げる。

「枯野からのという船  ――琴の歌。――
 この御世にウキ河の西の方に高い樹がありました。その樹の影は、朝日に當れば淡路島に到り、夕日に當れば河内の高安山を越えました。そこでこの樹を切つて船に作りましたところ、非常に早く行く船でした。その船の名はカラノといいました。それでこの船で、朝夕に淡路島の清水を汲んで御料の水と致しました。この船が壞れましてから、鹽を燒き、その燒け殘つた木を取つて琴に作りましたところ、その音が七郷に聞えました。それで歌に、

船のカラノで鹽を燒いて、
その餘りを琴に作つて、
彈きなせば、鳴るユラの海峽の
海中の岩に觸れて立つている
海の木のようにさやさやと鳴響く。
と歌いました。これは靜歌(しずうた)の歌い返しです。


枯野も朽ち、キタの9階、ミナミの5階も今は遠い夢のような話だが、大阪にはあべのハルカスという日本一高いビルがあるのだった。


第五回内国勧業博覧会は大阪が舞台で、天王寺公園で開催。
それでエッフェル塔+凱旋門のイメージで作られたのが通天閣。
けっこうなことです。
この時と聖徳太子1300年遠忌で四天王寺が新しい鐘を鋳造したそうな。
当時の博覧会のガイドマップには「九龍噴水」と四天王寺の鐘とが描かれている。
なんやかんや言うても大阪の人間はまだまだ根には信仰心があったので、寄付もようけ出したようです。
その当時「世界一大きい」鐘やと認定されたらしい。
二丈六尺・厚み二尺二寸・周囲五丈四尺・4200t。
なんちゅう大きさでしたろう。そしてこの鐘は昭和になってから戦争の為に供出されて溶かされて帰ってこないのです。

またまた脱線するけど横溝正史「獄門島」は島の寺の鐘を供出したのが返ってくることで条件がそろい、恐ろしい計画が発動してしまうのでした。

博覧会の紹介で面白いのがあった。
どうぶつ園と動物館の違い。前者は今の天王寺動物園でつまりZOO。
後者は家畜品評会などを催す場所。納得はしたが、実際のところ見たこともないので「そうなのか」くらいしか思わないが、この博覧会はそもそも「内国勧業」だから、遊ぶのと経済の発展と二つの方向があるのだ。

動物園の案内図がある。結構シリアス系の絵で鰐・トラ・ゾウ・蛇・亀・リス・ヤマネコ・ジャワ蜥蜴などが描かれ、しかも難しい漢字を当てていたりする。
枠外にはそれぞれのどうぶつの説明が記されているので、博物誌風な感じに仕上がっているのもいい。
江戸時代の大阪には「知の巨人」と讃えられる木村蒹葭堂もいたが、かれの時代にもしこの博覧会が開催されたなら、総合プロデューサーとして活躍したかもしれない。

木村蒹葭堂の昔からこの地にはとんでもなく優秀な頭脳の人間が生まれることが多い。
小松左京、手塚治虫、司馬遼太郎、開高健……
現代は――… 

戯画や風刺画の集まった「大阪パック」の展示もある。
「東京パック」と仲間の本。これが戯画な表紙絵が楽しい。
花の雨に泣く大佛、人絹vs天絹を擬人化した二人お絹の争いなどなど。

イメージ (1798)

大大阪時代はやはり何というても御堂筋の開通。
地下鉄もモダン都市の象徴。
そして心斎橋大丸は紛れもなくモダンだった。
だから大丸をモチーフにした数々のものが作られた。

大丸を中心としたメリーゴーラウンド、大丸遊覧双六、梅田から心斎橋大丸までの立版古
大丸のパンフも素敵だ。

ところで三越のパンフなのだが、この下の画像は以前に手に入れたもので、非水の絵だとあるが、前掲のチラシは霜鳥になっている。でもこれは非水の絵のはず。
イメージ (1123)

神戸や大阪で活躍した田村孝之介も雑誌表紙に素敵な女性像を描いた。
わたしは田村の挿絵も好きだ。

それで驚いたのが1936年、大阪で刊行された雑誌「粋」の編集長は女性だった。
今の時代ならともかくあの時代になあ…びっくりした。
そのまま平和が続いていたらよかったのに。

大阪は「そこまでするのか」な看板がミナミを中心にたくさんあるが、昔も実は目立つ看板が少なくなかった。
現存するのかどうか知らんが、小出楢重の実家の薬舗の看板は亀で、火事が迫ってきたとき水を吐いて店を守ったという伝説もあった。
あの看板は小出の本によると市立博物館に寄贈したらしいが、昔々わたしが尋ねたところ「いやーわからんわー」とのことだった。
なんしかあまりに歳月がたち過ぎているしなあ。

菅楯彦 天狗の履物屋  この看板を描いたのがまた面白い。面白いから菅も描いたのだろが。
後年、鍋井克之もそれについて書いている。

をぐら屋ビルディング ここは当時とてもおしゃれな場所だった。
ここについては美留町まことさんの「ぶらり近代建築」が詳しい。
こちら

丹平ハウスの紹介も少しばかり。ソーダファウンテンが素敵だ。

映画のポスターもある。
新世界松竹座ポスター
マダムサタン」1931 いかにも1920―30年代のレトロモダンなカッコ良さがある。
監督はセシル・B・デミル。戦後には「サムソンとデリラ」がある。

フーマンチュー博士の秘密」 凄いな、忘れてた。謎の中国人。

千日前楽天地ポスター
「乃木大将」と「高橋お伝」の二本立て!これはなにかあれかな、ブラックジョークか?

さて昔は大阪の芸妓さんたちはそれぞれ踊りを披露していた。
南地の芦辺踊、新町の浪花踊、堀江の木の花踊などなど。
その写真がなかなか素敵。
手彩色なのかコダックぽいような色にも見える写真がグラビアに載っている。
中でもすごいのが、孔雀のコスプレをした舞妓。
緑の孔雀の衣裳が素晴らしい。


版画が並ぶ。
川瀬巴水、徳力富吉郎、神原浩…それぞれの個性がよく出た素敵な大阪をモチーフにした風景版画。
こういうのを見るとますます近代版画の良さに惹きこまれる。

ところで大阪人は芸術活動は仕事の片手間にするヒトが少なくなかった。
玄人はだし、というところでとどめて、プロにはならず、あくまでも素人だという節度の見せ方をした。
本業の傍らにこんな楽しい活動してます、というのがそれ。

「宝船」をテーマにしたすりものなどを見ると、当時の大阪の趣味人たちの楽しみ方がよくわかる。
イメージ (1861)
澪標に難波橋のライオンさんがいる宝船の図。

他にも桃太郎の船、エジプト壁画の船、ガレー船などなどがあった。
これをみんなで頒布したり交換したりして楽しんだのだ。

遊び心は無限。
しかしあくまでも「遊び」の範疇にとどめてしまう。

世界にたった6台しかなかったカール・ツァイスのプラネタリウム。
これが四ツ橋にあった大阪電気科学館に設置され、多くの人を楽しませてくれた。
わたしも廃館になるまで何度か見た。
泣ける…
このプラネタリウムについて今江祥智が「ぼんぼん」か「兄貴」に書いている。
戦時中に兄弟がここで今後の相談をするのだ…

色んな紹介がある。
美津濃が出してたベースボールニュース、新大阪ホテルの豪奢な宣伝などなど。
コメディマンガ「滑稽マンガ 大阪見物」千葉かずのぶ これも好きだ。とても楽しい。

ああ、面白いものをたくさん見た。
橋爪先生の個人コレクションの膨大さに感嘆するばかりだ。
大阪よ、もう一度モダン都市であったころを思い出せ、知れ、実行せよ。
4/7まで。

最後に北野恒富の美人画を
イメージ (1866)

「モダン都市大阪の記憶」を楽しむ その1

大阪くらしの今昔館で「モダン都市大阪の記憶」展を楽しんだ。
かなり楽しい。どれくらい楽しいかと言うと、
「行けるんやったらあれやわ、大大阪の時代に大阪におって、あっちゃこっちゃ出歩いてみぃたいわ、まずは阪急で梅田に出てそのまま百貨店の上の大食堂で、今流行のカレーライスでもヨバレて、それから御堂筋乗ってヴォーリズさんの拵さえた大丸に遊びに行って、戻って中之島でもなんやかんや見て、そのまままた夜はどこなと行こか、ああ、ミナミもエエわね」
という感じ。
そう、かなり楽しい。

まず入り口壁面にいきなりこれだ。


*修正部分が表示されないが、「左」やなしに「右」が小出楢重の絵です。

「タコタコ眼鏡」の絵と現物の眼鏡があって、それで往時の四天王寺さんのお彼岸の時にみんな見てた「タコタコ眼鏡」で遊んでんか、という設え。

これはよろしいですがな。
わたしも前々からずうっとこの「タコタコ眼鏡」に関心があったが、現物を拝むことはまぁ無理やなと思っていた。
しかしここでこういう形ながら再現してもらえると、かなりの満足がありましてな。
そもそもここに展示されてるパネル絵は小出楢重の随筆の挿絵で、わたしもそこから知ったのだよ。
ちょっと青空文庫から該当のところを引用しよう。
「春の彼岸とたこめがね」

(前略)…その多くの見世物の中で、特に私の興味を捉とらえたものは蛸めがねという馬鹿気ばかげた奴だった。これは私が勝手に呼んだ名であって、原名を何んというのか知らないが、とにかく一人の男が泥絵具と金紙で作った張りぼての蛸を頭から被かぶるのだ、その相棒の男は、大刀を振翳ふりかざしつつ、これも張ぼての金紙づくりの鎧を着用に及んで張ぼての馬を腰へぶら下げてヤアヤアといいながら蛸を追い廻すのである。蛸はブリキのかんを敲きながら走る。今一人の男はきりこのレンズの眼鏡を見物人へ貸付けてあるくのである。
 この眼鏡を借りて、蛸退治を覗のぞく時は即ち光は分解して虹となり、無数の蛸は無数の大将に追廻されるのである。蛸と大将と色彩の大洪水である。未来派と活動写真が合同した訳だから面白くて堪まらないのだ。私はこの近代的な興行に共鳴してなかなか動かず父を手古摺てこずらせたものである。
 私は、今になお彼岸といえばこの蛸めがねを考える。やはり相変らず彼岸となれば天王寺の境内へ現われているものかどうか、それともあの蛸も大将も死んでしまって息子むすこの代となっていはしないか、あるいは息子はあんな馬鹿な真似まねは嫌だといって相続をしなかったろうか、あるいは現代の子供はそんなものを相手にしないので自滅してしまったのではないかとも思う。
何にしても忘れられない見世物である。」


そこの挿絵が前掲のあれ。
そしてわたしもやってみました。
こんな感じに見えます。



楽しかったわ。



ところでどうでもいいことですが、この展示を見に行く前日、偶然こんなことを呟いておりました。


蛸つながりと言うことで。

話を戻して、小出が子供時代を思い出して書いたのが昭和初期のことで、かれは気の毒に六年には死んでしもたので、それ以前の話。
ほんでわたしが調べてみると、どうやら昭和30年代半ばに一度復活したらしい。
どうやら大阪城辺りのイベントか何かで。古い新聞記事にあった。

こういうのはたまにあって、江戸時代の「ちょろけん」もほん数年前に再現された。
驚くこともないかもしれないが、平成末期、21世紀に入ってからの復活と言うから、それはそれでおもろい状況ともいえる。

ところで話が飛んだついでに言うと、小出楢重は死ぬ前日に仲良しの谷崎潤一郎となんやかんやお話していたので、体の弱い人とはいえ、常に寝込んでいたわけではなく、予想外の急死だった。


イメージ (1797)
いよいよ中へ。

チラシの下部にある心斎橋の立版古の完成品がある。
これはトニー・コールさんと言う方が作成されたもの。
むろん本誌は再現ものだが、これは今回の製作なのかそうでないのかはわたしにはわからない。
2005年、今はなきそごう大阪で心斎橋の展覧会があった。
「心斎橋物語 -煌くモダニズム―」展。あの時にもこの橋の立版古があったのだ。
当時の感想はこちら

ところでその展覧会では現在東京で活躍中の毛利眞人さんが懐かしいレコードを懸けられていた。
その後毛利さんにそのお話をすると、懐かしがられたなあ。

さてこの橋のおもちゃの原画について。
長谷川小信の絵で、橋も川の波も描かれているのがいいなあ。

1965年の心斎橋の石橋模型も。

プロローグまででこんなになったので、一旦終わる。
続く。

「狩野派展 正信・光信・探幽・尚信etc」@野村美術館

野村美術館の地下展示室では狩野派の作品が並んでいたが、こちらはリストなしで、宣伝も特にはなかった。
ところがこういうのに限り、良い作品が知らん顔して並んでいたりする。
タイトルも実に即物的。
「狩野派、正信・光信・探幽・尚信etc」

正信 虎渓三笑 対幅 背景なしの人物大きめに幅いっぱい。みんなニコニコ。
気づいたら渡ってたなあ、ホントだ、アハハ 
そんな会話が聞こえてきそうな三人。

興以 山水図 三幅 どこもかしこも静か。しかし人がいないわけでもないらしい。

探幽 竹に雀・寿老・梅鳥  墨絵の三幅。やはり竹に雀が可愛いので惹かれる。寿老人は一人で立っているのみ。

光信 太公望  釣りをする爺さん。腕を伸ばしているのは餌の具合を見ているのか。
どう見ても「待っている」様子ではなく、これはやはりただの釣り好き爺さん。
ほんわかムード満載。近衛家伝来。

尚信 破墨山水図  おお、カラスの群れが舞う、その下で。
技法を借りて描くのもいいものだ。

探幽 出山釈迦図  頭頂部が既にピカリ。周囲は螺髪。疲れてるがやせてはいない。
スジャータのおかげか。

尚信 踊る布袋  踊った一瞬を捉える、ような一図。

伊川院 山水七福神 三幅対  これがなかなか面白い。
どこぞの山の中で七福神の宴会。
海から3匹ばかりのタイを釣ってきたえべっさん。山の中での赤い鯛がしみる。
布袋と唐子たちは支度をするのか邪魔をするのか。
鶴に乗り空を飛ぶ寿老人、鹿に水を飲ますものもある。
瀧の前で弁天は心置きなく琵琶を演奏し、そこへ向かおうと毘沙門が雲の上でポーズをとる。

以前に熱田新宮の宝物殿で七福神が強盗を待ち受けて撲殺したりなんだかんだと言うのをみたが、こちらはまことにのんき。
春らしくていいと思った。

勝川院 牡丹 二幅  南蘋派かと思うような色合い。大々的にフルカラー。青地に濃い色で花が咲く。
左右それぞれ牡丹によるものがある。右は小鳥、左は蝶。ひらひらと可愛い。

探幽 日の出群鶴   三羽の鶴が浜辺でダンス。それが 《 巛 ≫ 彡 などと言う風な線が入っていて、マンガの表現ぽい。
しかしこの時代にそうした表現を狩野派がする、ということはあるのだろうか。色々と考えるべきことかもしれない。

常信 芦と鷺  淡彩で大人しく鷺三羽を芦の間に。水辺にわずかな色が入ることで雰囲気が変わるものだと思った。

養川院 柳燕図  可愛いなあ。羽根をばっと広げる燕。 
「この春も古巣たずねて山賤のやどを忘れぬつばくらめ」
イメージ (1858)


「茶道具で花見」展の前期と共に4/21まで。
なお後期の始まる4/23からは地下では「さまざまな花入」展。
こちらは前後期に分かれる。

「茶道具で花見」をする @野村美術館

四季折々の美しい風景を茶の湯に取り込む日本。
日常の中に四季への濃やかな想いが生きる。
先人たちの拵えたうつくしいものたちを見ようと野村美術館へ向かった。

イメージ (1856)
イメージ (1857)


桜の時季に来ていたので、花を見ながら行こうと木屋町通りを行った。






蹴上まで地下鉄に乗り、そこからねじりまんぽを通って、東山の庭園・邸宅地を歩いた。
ところどころの塀から花がのぞく。




南禅寺から水路閣へ向かい、そこから道を戻して野村美術館へ。




展示は前後期完全入れ替えと言うことで、また日を置いて後期にも行く予定。
今は4/21まで前期展。

応挙の絵から始まった。
嵐山春喜図 1765年、応挙33歳の作。ロングで風景を捉える。やや上方からの眺め。川が蛇行して描かれる。
嵐山は桜で華やいでいた。

砂張釣舟花入 銘・淡路屋舟  「天下三舟」の一。仲間には泉屋博古館、畠山記念館の所蔵する舟。
ああ、あれか、と形が目に浮かぶ。
こちらは存外大きめのもの。
この舟の添え状があった。今井宗薫から伊達正宗への書状である。
「持ち主は南坊という出家、むかしは一休寺にあった」というような意味のことが記されている。

伊賀梅花型香合  伊賀焼とは珍しい。しかしぼってりした形の上にやはりごてっと釉薬が載るのも悪くはなかった。
田舎風の梅饅頭のようでおいしそうにみえた。

古染付桜川水指  外には波が描かれ、見込みにし青と白の花が連続して描かれる。花たちは手を握り合って踊っているかのようでもある。

嵯峨棗の可愛いのがある。蔦蒔絵竹蓋置もいい。
絵高麗草花文鉢もいとしい。
「花」を表現しようと蒔絵、臙脂色などが使われ、それぞれの美がよく表れている。

草花貼交屏風 「伊年」印のあるものだが、特にそれだという確証はない。
対になるような設えだが、花たちはむしろ右が挑み左がいなすような配置になってしまった。
白紫陽花と白菊、白百合と桔梗、芙蓉と蔦…

鈴木其一 春宵千金図  吉原の中通の花を置いた辺りを花魁道中。
人々は花を見るのか遊女をみるのか。

黒地青貝桜蒔絵懐石具  この総道具が欲しくてならない。
真っ黒の地に桜が鏤められているのだが、金銀蒔絵に青貝で煌めいている。
よくよく見ると赤い花弁もある。本当に綺麗で可憐。
杓文字の背にも花が仕込まれている。
悉皆、花。
欲しかった。
この漆器には半開扇面染付向付が合わせられていて、それもとても愛らしかった。

佐野長寛 花陰漆絵食籠 「花」「陰」の文字が入る。朱色の柴と黒化した銀の桜と。
これは銀の黒化を予測しての拵えだと思う。

朱塗草花鳥彫長角軸盆  透かしが入り、花鳥の様子が浮かび立つ。
この手の物を見るといつもウィリアム・モリスの壁紙文様を思うのだった。

炉縁が二つ。
扇面桜蒔絵、花筏蒔絵。どちらも桜の只中の情景。

可愛らしい香合をいつくか。
紅花緑葉牡丹文香合  そんなに大きくはないが、中央からはみ出るほどに咲きこぼれる葉牡丹の彫りが豊かに見える。

仁清 色絵花笠香合  ああ、花笠なのか。宝珠も記されているのか。

乾山 槍梅香合  乾山の槍梅香合は他に畠山に可愛いのがある。
イメージ (1860)
ここのも愛らしい。

松枝不入 朝顔絵香合  漆器で中央ゆゆ下方に一輪のみ白い螺鈿の花が咲く。

紅毛結文香合  ワイン色の地に金で様々な花を描く。ワイン色の釉薬はなんだろう…
チューリップ、バラ、菊…可愛い。
イメージ (1859)


茶席の再現の設えがある。
華やかな集まりに見えたのは、やはり花尽くしにしているからか。
軸物は抱一の源氏紅梅図。
建水に桜皮紅葉漆絵というおもしろいものを使う。
取り合わせの妙。

はなやかな良いものをみた。
なお地下では狩野派の絵が並んでいるので、それはまた後日。

この後は霊鑑寺へ椿を見に行った。
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