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美術館・博物館・デパートでの展覧会を訪ね歩き、近代建築を見て周り、歌舞伎・映画・物語に溺れる日々の『遊びに行った日を記す』場所です。 

帯広でみかけた建物

町中にあった可愛い建物をいくつか。

・名前入りのレンガの建物
正面から。
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ぐるりと回ってゆこう。

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裏へ。

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色が違うね。

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全景

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・大正と昭和をつなげた。
らしい。

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長く伸びた。

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全景
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・倉庫
金蔵装飾が可愛い。

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最後にラスボス・大雪山
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いつまでもあってほしいなあ。
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帯広・双葉幼稚園

とても愛らしい幼稚園を見学した。
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帯広の双葉幼稚園である。
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今はもう幼稚園としては機能していない。
歴史などを記した案内板がある。
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柵も可愛い
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雑草の伸びた庭が夢のように美しい。
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ニキータ・ミハルコフの映画のようだ。


個性的な屋根
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内部はこうなっている。
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屋根の形に合わせて房がある。

窓がやさしい。
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それぞれの部屋へ
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どの窓も玄関も明るい。
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外観を見る。
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裏庭から全体を見る。
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やはりこの屋根がいい。
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再び中へ
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居心地の良い幼稚園だった。
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清華亭

北海道大学近くに可愛らしい公園と建物がある。
偕楽公園とその一隅にある清華亭である。
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1880年、明治天皇の行幸の際の休憩所として建てられ、今も当初のままこの地にある。
明治天皇は全国を旅された。
その軌跡については明治神宮宝物殿の企画展で紹介もされている。
2012年「明治天皇六大巡幸」展である。
他に国立公文書館にもその記録が収められている。
こちら
つまり二度目の北海道巡幸の際に使われたようだ。

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あでやかな色の花が多い。

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和洋折衷の愛らしい建物である。

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☆型の透かしがある。

中へ入る。
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シャンデリアと天井の漆喰装飾がいい。
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窓からの緑もいい。
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和室の心地よさ
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裏口のところの天井の構造がいい。
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庭木の可愛いさを堪能する。
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内地では見ない色だった。
とても好ましい。

煉瓦で出来た合同酒精工場旧蒸留棟

旭川のどの辺りなのか自分ではよくわからないのだが、合同酒精工場の旧蒸留棟を外から眺めた。
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白樺とシロツメクサと芝生とが檻越しに、赤レンガの建物を映えさせる。

少し調べると面白いことがわかった。(北海道文化資材データベース)
「清酒工場の蒸留棟として建てられました。れんがを積んだだけの細長い5階分の建物は、地震に弱いはずですが、内側を細い鉄骨で補強しているため、80年以上経過した今も健在です。5階部分は1933(昭和8)年の増築で、この部分には軌道用レールを用いています。
[建設年]1914(大正3)年[構造]れんが造5階建」

そうか、細い鉄骨が骨になり、煉瓦と言う肉を剥がさずにいられるわけか。

随分傷んできているが、まだまだ崩れはしない。
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その五階建ての細い蒸留棟を白樺越しに見る。
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なるほど背が高い。
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電柱より高い。


側面
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正面
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斜めから
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いい姿。煉瓦を味わう。
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もう今は現役ではないのか。
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眉を寄せて複雑な表情を見せる煉瓦君である。


非公開の建物だが、こうして外観を自由に見ることができるのは嬉しい。
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樽がずらーっ


やばい表情…
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この樽が蒸留に使われていたのだなあ…
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初夏、宵闇がひそむ大通公園から時計台まで

先月末、札幌大通公園の西の端から東の端まで楽しく歩いた。
あちらこちらでフェスティパルが開催され、多くのお客さんが集まって、楽しく飲んだり食べたりしていた。
わたしはそこから少し距離をとって歩き続けた。

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大通西5の交差点からみる北海道庁
久しぶりに行きたかったが、もう時間的に無理だったので遠望のみ。


ところどころに彫刻のプレートが設置されている。
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随分と長身な噴水塔
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「聖恩無彊」とある。北海道開発の件で明治・大正・昭和天皇への感謝の念を刻んだそうである。
詳しくはこちら札幌観光ナビに記されている。
1936ー37年

鬼面や蘭陵王の面から水がダーッ
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面白い眺めだった。


この公園には噴水が多い。
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テレビ塔が見えてきた。
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この噴水もいい。
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燭台のような。
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ここからは水は出ない。

その謂れについて記されている。
ペンソンの水飲み場の碑
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公園から離れて時計台へ。
よくガッカリスポットの一つというが、可愛いし、どこがどうガッカリなのかわからない。
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残念ながら既に閉館。
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しかしこの日はコンサートで時計に一番近い場所が開いていた。
天井が可愛い。
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玄関の装飾
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またいつか…

夕張教会

1926年、建設当時の名称は「日本聖公会夕張教会」だったそうだ。
現在の正式名称は「日本基督教会夕張鹿ノ谷教会」という。
夕張炭鉱が賑わっていた時代に建てられ、この町の盛衰を見守ってきた小さな教会。
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五月のある真昼に訪ねたが、この教会のある道を行く者は、見学に来たわたしたちの他には誰もいなかった。


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信仰の家は開かれている。


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小さく愛らしい建物である。


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飾りの外観


内側
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いい色ガラス
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作り付けの卓の彫刻も可愛い。
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向かいにある煉瓦の倉庫
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炭鉱の町だからか、なんとなくウェスタンを思い出す。
この町を「ゴールデンカムイ」も描いている。
日露戦争後の、夕張炭鉱が繁盛していた時代である。
作中に描かれた町のにぎやかな様子を思い起こす。
みんなどこへ行ったのだろう。

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いつか、また。

大和和紀ヨコハマ物語x大佛次郎の横濱

大佛次郎記念館で大和和紀の名作「ヨコハマ物語」の原画展が開催されている。
イメージ (2041)

この作品は明治初頭の横浜を舞台とした作品で、主人公たちの「ヨコハマ愛」にあふれた名作であり、その意味でもこの大佛次郎記念館での開催はふさわしい。
何故なら「ヨコハマ物語」と同時代の作品を大佛次郎は世に送り出している。
即ち「霧笛」である。
併設のカフェが「霧笛楼」を名乗るくらい、この「霧笛」は人気の高い作品なのだった。

通常は入場料は200円だが特製クリアファイルつきで500円、二種から選ぶ。
わたしが選んだのはこちら。




今回の展示では「ヨコハマ物語」での舞台となった場所・地域などを大佛次郎の作品と対比させる形で紹介した地図も作成されていた。
なのでこの地図でわれわれは複数の作品を楽しめることになる。
実際わたしなどのように北摂から横浜を訪ねるものはただ単に憧れが先行するばかりだが、「イメージとしての横浜」はわかっていても、なかなか聖地巡礼できるほどの完全な土地勘がない。
しかしこうした地図を見ることで「あっあれが」「おお、ここが」などと作品のロマンに浸りながらその場所を楽しめるのだ。
聖地巡礼の楽しみをこうした形でサポートされるのは嬉しい。

なお、こちらの地図は展示のそれとは違い、この場所への案内地図。
まだ女学生の頃の万里子とお卯野がいる。
イメージ (2044)

作中、今も残る横浜の名建築や名所が随所に現れ、まだほんの少女だったわたしなどにも横浜への憧れを懐かせた。
実際に横浜へ初めて行った時、「ああ、あれが」といくつもの建物を見て物語を思い出してもいた。

さて展示は三期ほどに分かれていて、わたしが見た時は二人のヒロイン・万里子とお卯野がそれぞれ旅立とうとする辺りの心持が描かれたシーンが出ていた。
万里子は貿易商の父から愛され、芸術家気質の兄と違い相当グイグイゆく性質であり、横浜という地への強い愛がある。
お卯野は信州の田舎から万里子のもとへ奉公に出て、そこで主人一家から大事にされて育った。彼女にも横浜への愛はあるが、万里子ほどの土地への愛着はない。
紆余曲折の末、万里子は想い合った森太郎を追ってアメリカへ向かうのを諦める。
アメリカへはやはり森太郎を秘かに想っていたお卯野が向かう。

万里子には貿易商・竜助という婚約者があるが、当初かれへの愛情はなく、父亡き後の実家の立て直しと実業の蒔き直しを求め、共同経営者として竜助の妻となる。
そこにはやはり横浜と言う土地への深い愛情と強い愛着があり、それを捨ててまで海を渡ることは出来なかったのだ。
原画ではお卯野を見送った傷心の万里子が雪の中、竜助のいる屋敷へ戻る一枚絵が出ていた。
竜助は全てを読んでいて、万里子がここへ「妻だから戻る」のでなく、「横浜から離れられない」ことを見越して、静観していた。
この一枚絵はとても印象的なもので、いつも活気あふれる万里子がショールを巻き付けたまま雪の中を悄然と歩き、その姿を見ることなく巨大なガラス窓を背に竜助がたばこを吸う。
一枚の中にガラス窓を隔ててまだ愛情の熟成しない夫婦が描かれている。

展示はされていないが、この後追うのならぬお卯野は森太郎を追ってアメリカ西部を彷徨し、様々な苦労を経てようやく再会し、その地で医師として暮らす森太郎の妻となり、助手として医療に携わる。
開拓時代のアメリカ西部を描いた辺りもたいへんよかったが、実際お卯野でなくばこうした彷徨と苦労の果ての再会はムリだったろう。
彼女は信州の山育ちで奉公先の横浜で初めて海を見た。アメリカにわたり、後に帰国するまでアメリカ各地を移動する。
人生の始まりは旅だったのだ。
たとえ横浜での万里子との幸せな暮らしがいちばん心にあったとしても、お卯野は旅をする。

一方万里子は貿易商として横浜で積極的に働きぬく。
「横浜の為になるなら」と利益目的だけでなく働き続ける。
多くの人々との邂逅や協力を得て万里子は「横浜」の発展に努める。
やがて一度だけ万里子は竜助を追って海を渡り、欧州大陸へゆく。
そこでようやく竜助と心が通うが、その地から早々に横浜へ戻り、改めて横浜への愛着の深さを自認する。
そしてお卯野とも再会を果たす。

原画は竜助の子を身ごもった万里子がそうと気づかぬままマタニティブルーになり、それをお卯野に指摘され、妊娠を祝福されるシーンなどがあった。
森太郎とお卯野は争いごとのない穏やかな夫婦だが、竜助と万里子はまるで「風と共に去りぬ」のレット・バトラーとスカーレット・オハラのように激しい。
とはいえこの夫婦は破綻せず、逆にますます結びつきが深まる。
終盤、竜助は嵐の為に貨物を失いはしてもまだまだやり直そうとする。万里子もますます横浜の発展の為に活きる。
そばにはお卯野夫婦もいてやはり横浜の地で医療者として人の為に働こうとしている。
誰一人として後向きにはならない。
そして百数十年前の明治と言う時代を、その当時横浜の地でかのじょたちが懸命に生きたことを、現代の横浜の地の発展を称えて、作品は終了する。
イメージ (2042)

ああ、やはり素晴らしい…
わたしの中で大和和紀ベスト3の一つなのだ。

ところで今回の展示で大和和紀さんも驚かれていたが、なんとこの作品40年近い前に描かれたのだった。
当時連載を追い、今も単行本を大事にしているわたしなどは、その歳月の流れを考えもしなかった。
物語が明治だったからかもしれないが、やはり名作は時間の流れを超越する、と改めて知った。

手に入れられなかったが、初日と開港記念日とにこのポストカードが配られたそうだ。
イメージ (2045)


今回の企画展では「ヨコハマ物語」と同時代つまり開化の頃の横濱を描いた大佛次郎の小説も、ナビゲーターあるいはプレゼンテイタ―として登場する。
ハードボイルド「霧笛」、明治初期のウサギと万年青のブームの話を描いた「幻燈」、横濱にも現れる「鞍馬天狗」などである。
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わたしは「霧笛」と「幻燈」の入った文庫本を持っていたが、今どうしてもみつからないので記憶だけの話をするが、読んでいていつももやもやしていた。「霧笛」だけにモヤモヤ…というのはダジャレにもならないが、何故かもどかしい思いがあった。
それが今回の資料展示で初めて晴れた。
英国人クウパーの下男で暴れん坊の千代吉がお花と言う女と激しい恋に落ちるが、お花は洋妾でそれもクウパーの愛人だった。
傲然としたクウパーに鬱屈した思いを抱える千代吉は、お花を奪い、クウパーは失望して去ってゆく。
そしてその直後、千代吉はお花を射殺する。
話はここで終わるので、なんとなくもやもやしていた。

ところが今回、このラストが三版目1948年で「決定した」ものだと知った。
それまでは違ったのだ。
お花を射殺するのは変わらないが、その理由を三版目は書かなかった。
最初はこう書いていた。
「こいつ(お花)を殺すのがあの旦那との和解だ」
「クウパーを女よりも何よりも愛していたのをはっきりと知ったのだった」
!!!!!
断然この方がいいやないですか。
突然お花を射殺する理由を読み間違えていたのは、あえてのミスリードかもしれないが、戦前に出た版の方がときめくぞ。
このラストを知ったおかげで、「霧笛」をもう一度再読する気になってきた。


開化期の横濱を描いた名作にここで会えたのは喜ばしいことだった。
9/8までの会期中、なんどか原画の展示替えがある。

常設展示では大佛次郎の猫本コレクションがよかった。
ドーノワ夫人「白猫」はなかなかかっこいい。ジュミマ・ブックバーン「ねこのエジプシャンスタイル」絵もいい。
エジプトの墓に入り、猫の彫像を眺めるのもかっこいい。


横浜開港資料館では、同時代のフェリーチェ・ベアトらの撮った横浜写真が出ていた。
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>横浜が大きくなろうとしていた時代の写真はとても面白い。

イメージ (2040)


いいタイミングでよいものを見た。
こちらは7/15まで。





「阪急沿線むかし図絵 大正・昭和のゆめとまち」は楽しいぞ

既に終了したが、逸翁美術館で池田文庫ポスターコレクションの展示があった。
表題の通り「阪急沿線むかし図絵 大正・昭和のゆめとまち」展である。
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会期中二度ばかり行った。
行ったのに感想をまとめられなかったのは、映像資料「阪急王国」と「楽しさのバラエティ王国 宝塚ファミリーランド」があまりに良すぎたせいだった。
特に後者は今は亡き宝塚ファミリーランドの映像なので、わたしがグニャグニャになるのも当然だった。

1935年の「阪急王国」という映像資料を見る。
つまりその当時既に開業していた阪急沿線の紹介。
この時代はうちの祖父母の若い頃。

梅田から始まる。
チケット売り場の様子。
少女歌劇「ジョコンダ姫の扇」看板がみえる。
阪急百貨店。マネキンの群れが一斉に同一方向を見る。
懐かしいレジスター。
昭和初期の阪急文化がこうしたところからも伺える。
五階売り場を経て食堂へ。
映像には出ないが、阪急百貨店の大食堂は色んな新発売があったのだ。
画面に中山太陽堂の「クラブ白粉」の宣伝も見えた。

宝塚線。
十三大橋をはじめ淀川を渡る橋の形の美しさが捉えられている。
今も変わらない魅力。

十三では名題の今里屋久兵衛の看板。
今これ書いてて初めて知ったが、2009年に移転してたのか…
ここで1727年から開業していたというのに。
いやそれどころか閉店していたのか…
十三で降りることがほぼないので知らなかった。

服部天神、曽根の萩の寺の参道などは住宅が増えた今も案外変わらないが、蛍池の円満寺いうのは知らない。
でも調べると七福神めぐりのお寺の一つだった。
自分が行かないと知らないものだなあ。

箕面。早速箕面名物紅葉の天ぷらを拵える風景が映る。わたしも大好き。もみじを基礎にした甘めのフリットということかな。
胡麻ふってあり、形も紅葉のまま。
そして水量豊かなかつての箕面の滝。江戸時代には谷文晁も来たし、大正はじめには野口英世も母を連れて遊んでいる。

能勢妙見山。こここそ北摂の小学生の必ず行く遠足場所だった。
今は知らないが、この映像から40年ほど後の時代でもそれは変わらない。今もいいところ。
なつかしい能勢のケーブル。
そして多田の満願寺、聖武天皇勅願の寺。
安産祈願の中山寺、かまどの神様の清荒神…
お地蔵さんにお水をかける風習は今も変わらず。

やがて宝塚。
武庫川をはさんだ先の宝塚温泉の大きな旅館が並ぶ様子もいい。
歌が脳内再生される。
「おお宝塚」
小さな湯の町宝塚に 生まれたその昔は
知る人もなき少女歌劇 それが今では
青い袴と共に 誰でも皆知ってる
…この歌は1930年なので既に歌は歌われている。

宝塚ファミリーランド。
少女歌劇、遊具、どうぶつえん…
映しだされた歌劇の演目はどうも都踊りふうなものだった。

どうぶつえん、遊園地の様子が映る。
園内の汽車乗り場、ゴーカート、ミニ飛行機、ライオン、カンガルー同士のパンチ、ミニ観覧車…
自力で動かせる丸太の上での攻防、ボートなどなど。

そして巨大な宝塚新温泉。ここは昭和末まで無料だった。
わたしもよく入ったなあ。
今の大劇場の場所。
グラウンドでは甲南vs浪高の野球。

ファミリーランドから離れて南口へ。
立派な宝塚ホテル。かつての方が大きいのか。

神戸線。
六甲山のケーブル、摩耶山の凄い石段…そうだ、ここは摩耶夫人を本尊とするお寺・忉利天上寺のあるところ。
空海が開いた。1976年に放火で失われたのが無念。今は少し離れて新しいのが建てられている。

天六の駅ビルの様子も映り、とてもいい内容だった。
この頃はまだ京都線は実質なかったので、映像にも出ない。
しかし宝塚線を見るだけでも楽しくて仕方なかった。
先祖代々この地に住まうからかもしれないが。
ああ、素晴らしき「阪急王国」でした。


次に「楽しさのバラエティ王国 宝塚ファミリーランド」1978年のカラー映像を見る。
この時代、実際に何度も宝塚に遊びに行ってたので、正直な話ノスタルジーに噛まれて涙ぐんでしまった。

まず大劇場でのラインダンスから。
この当時の宝塚歌劇は「ベルばら」「風と共に去りぬ」などで空前のヒットを飛ばし、非常に多くの観客動員があった。
今もその前も人気だが、この時の爆発的な大ヒットで全く歌劇を知らなかった層にまで宝塚が浸透したのだ。

フレンチカンカンがにぎにぎしい。
そして画面変わり宝塚ファミリーランドの簡単な図割が現れた。
中央に歌劇。その周囲に時計回りで植物園、どうぶつえん、新温泉、アドベンチャーなどが配置される。
実際にはちょっと違うのだが、こうすることで大まかな住み分けがわかる。

宝塚動物園の人気コーナー、ピンクフラミンゴの登場、ファミリーランドのジェットコースター、武庫川での足漕ぎボート、林、そしてキリンのアップ。
キリンはなんとカフェの窓と同じ高さに位置していた。
このカフェのことは知らなかった。当時大人だったら行ってたなあ。

猿山、ゾウ、アシカ、カバ、アルマジロ。
賑やかな動物園。わたしがいちばん親しんだ動物園はこの宝塚動物園だった。

夜行性のどうぶつも見る。そうそう、暗い中を歩いた。
蝙蝠が可愛い。

広い園内を動くモノレールも映る。このモノレールは小1の遠足で乗って以来、ついに二度目はなかった。
大きな温室、その池のほとり、蘭や紫陽花が咲きこぼれる。チューリップも群れで咲く。
花時計の前で笑う娘さんたち、もう40年以上前の姿。
ケーブルカー、電車館、プール。
電車館に展示されていた模型が今回いくつか展示されていた。
こちら。


糸人形の紹介がある。雰囲気としては結城座風。しかしすぐに変わってメルヘンチックに。
特別展「ギリシャ彫刻」展が映る。大理石の麗しい彫像が会場の中に点在。
あ、ここって夏になると「ゲゲゲの鬼太郎」ショーとかお化け屋敷になってたところやないかな。
昔はこんな展覧会もあったのか。

いよいよ大人形館「世界は一つ」へ。
わたしの知る限りここは二度ばかり中身が大きく変わっているはず。
リニューアルも色々しテコ入れしていたのだ。
わたしの撮った画像を集めたのはこちら。
懐かしの宝塚ファミリーランド 人形館「世界は一つ」 その1
あとその2と3が続く。
そしてなんと!調べたらつべに1991年当時の「世界は一つ」の映像が挙がっていた。
こちら。めちゃくちゃ嬉しい。


話を戻し、1978年の「世界は一つ」へ。
フレンチカンカン、不思議の国のアリス、シンデレラ…
物語性のあるものを採り入れていた時代もあったのだ。
ちょっと思い出せない。

こことはまた別なのかそれとも同一なのか、糸操りのジャングル大帝が出てきた。
レオやどうぶつたちのいるジャングルが再現されている。
と見ていたら、席ががくんがくんと動くので、これはきっと別なやつだなと。
昔たしか後ろ向きに動く座席で人形の物語を見るのがあった。
語りは宝塚の生徒さんだったぞ。これはあれかもしれない。
ここは後に違う建物に変わった。遊具ではなく…

ファミリーランドにもお化け屋敷はあった。
ふんわりした「妖精館」。おじさん妖精が窓を開ける。

乗り物が動く。
存外スピーディで角度も急な二人乗りミニジェットコースター・マッドマウス、長く走るジェットコースター、水ざばーーーーんの急流すべり、ゴーカート、水上のゴーカートもある。
メリーゴーラウンド…

家族連れがスキマスキマでお弁当を食べる。お花見もする。
そして歌劇内のロマンティックなレストランも映る。
わたしはここで何を食べたかなあ…

うちのパターンは夕方から宝塚で遊んで温泉に入り、その後に梅田に出て新阪急ホテルのバイキング・オリンピアでごはんという決まりでしたわ。
これは両親とではなく、オジと祖母と妹となの。


良すぎて涙出そう…
なお、こちらは最後閉園する前の撮影。
思い出の宝塚ファミリーランド


一つ惜しいと思ったのはスペースコースターの紹介がなかったこと。
1978年にはまだできていなかったように思う。
あれは宇宙空間を旅する心持になって本当に楽しいコースターだった。
屋内型のコースターで一番面白かった。BGMもよかったしね。
そして乗り終わってホームへ戻る=地球へ帰還。
そこには全体の模型が設置。
途中一度だけガクッとなる演出もあり、重力がかかるというイメージがあったり。
ああ、楽しかったなあ…

そして宝塚歌劇。映ったのは「風と共に去りぬ」「紅はこべ」などだと思う。
その当時の懐かしいスターの皆さん…

最後には航空からの映像。
さよなら、宝塚ファミリーランド…


ポスターをみる。
今回実は展示ポスターが阪急アーカイブの番号付けされているのを見て、すごくうれしかった。
こちら。
イメージ (2035) イメージ (2036)

イメージ (2037)

今後はこれで検索しやすくなるなあ。

なお番号が紐づけされていないのもある。
それらを少しばかり紹介する。

三宮サービスステーションでは「孔雀夫人」ウォルター・ヒューストンの映画ポスターがみえる。
これは1937年の映画
少女歌劇は「光は東方から」
タイトルを見るだけでときめく。




思えば阪急沿線だけで充分楽しめるようにできているのだ。
逸翁小林一三はやはり偉大だ。
わたしはたまたま東京やミナミにも出かけるが、宝塚沿線の住民はよそに出る必要性が実はあまりないのだ。
実際同僚Nは買い物は全て阪急百貨店で済ましている。スーパーも近所のところ。
何かあれは新阪急ホテル。
わたしはたまたま展覧会が見たい、建築が見たい、うろうろしたいという欲望があり、それで外へ出てしまうのだった。

イメージ (2020)

イメージ (2029)

チラシの最下段、レトロカラーなのが可愛い.。
逆に現代ではこういう配色と言うか色の出力が難しいみたい。
イラストレーター寺田順三さんがあえてレトロな配色の仕事をしているけれど、人はやはりこうしたレトロなカラーのものに惹かれるのだね。

イメージ (2033)

阪急のリーフレットを見る。1969年版 須磨離宮公園、小野、粟生といった播磨の方も紹介している。
阪神急行電鉄時代のリーフレットは鳥観図。表紙は宝塚。箕面が上部に描かれている。昭和初期まで。
新京阪鉄道リーフレット 各地の阪急ビルを紹介。天六の阪急ビル、十三の阪急ビルには直営食堂があったそう。

阪急の食堂と言えばカレーが有名だが、その昔は「ソーライス」なるものがあった。
これは白ご飯にウスターソースをかけて食べるのを言うのだが、節約してご飯だけ頼む人らが思いついたことで、店側は困窮。
しかしそれを聞いた小林一三は逆に「ソーライス」を大々的に宣伝。
商売の神様は発想が違う。

昭和末の子供たるわたしは阪急百貨店の大食堂ではいつも祖母とイチゴパフェを食べていた。
ご飯は随分小さいときに一度酢豚を食べたらしいが、子どもの口に合わず、それ以来そこで食事と言うのはなくなり、ティータイムになった。
成人したわたしは阪急百貨店の大改装前に初めて大食堂でカレーを食べたが、おいしかったわ。
七年かけて阪急がようやく伊東忠太の素敵なタイル壁画などを取り込んだレストランを拵えてからも、なかなか食べに行かないままだ。
わたしが阪急で食事するのは、新阪急ホテルがいちばん多く、今もやはりバイキング・オリンピアに行くのを楽しみにしている。
たぶんこれなども子供の頃の楽しい記憶と直結しているからだと思う。

阪急百貨店の包装紙がある。
今のはいつからのだったか忘れたが、それ以前のは三都の名所・名建築を描いたものが1950-60、白と紺のカッコいいのがその後で72年まで。
ただ、名所物は人気も高く、何度もリバイバルしたりアニバーサリーなどで復刻したりしている。
そしてここでも紹介されているが、これらの紙は箪笥の中敷きとして需要があり、今もどこかの家庭の古い箪笥から現れる可能性がある。

昭和初期の阪急沿線の行楽地案内リーフレットが楽しい。
実際、四季折々阪急沿線で楽しめる。
この頃のは手描きで、円山公園の枝垂桜、保津川下り、猿のいる箕面の秋、爽やかな六甲ハイキングなどがある。
七福神めぐりは今も人気が高い。

阪急とは違うが、南地のあしべ踊の景品が出ていた。1933年。カードに祇園祭の山鉾、箕面の滝、宝塚、妙見さん、清荒神などなどが木版で。

六甲登山案内 これはわたしも一言二言三言よこと言いたい。学校の耐寒登山で芦屋のロックガーデンから上り、深い雪の中をアイゼンも役に立たず、六甲どころか八甲田山だとえらい目に遭うたことが思い出される。
ほんまに難儀しました。
「天は我を見放した」とは言わないが、頂点で生徒を残して迎車の4WDでさっさと下山した教師らを思い出すと涙がにじむぜ。

イメージ (2034)

番号の入るものは全て検索可能なのだが、その中にいくつか追記したいものがある。
・75 この雪組公演は以前にもこのブログで紹介したもの。つまり宝塚の人々が日本津々浦々をめぐってその土地だけの踊りなどを採集してきて、それを基にして作った作品がこの時の公演なのだった。
こちら

・77 「世界はひとつ」ラテンアメリカのところが出ている。今回初めて知ったが、この演出には円谷プロが参加していたそうだ。円谷とファミリーランドの社員のコラボ。

今では西宮ガーデンズとして人気の商業施設となったあの場所もかつては阪急西宮球場だった。
わたしは虎党だから甲子園には行くが西宮休場へはあまり縁がなかった。
とはいえ、かつてのPL学園の星のK選手が西武ライオンズで大活躍していたころ、阪急x西武戦を見に行き、一塁側にもかかわらず「キヨマー!!」と黄色い声で声援し、「これこれおねえちゃん、こっちは阪急やで」とやさしくたしなめられたことを思い出す。
イメージ (2032)

そしてわたしの子供の頃は阪急ブレーブスには世界一の俊足・盗塁王の福本豊がいた。
今では阪神タイガースの実況に欠かせない愛すべきおっちゃんだが、当時も人気のある名選手だった。
優勝したころを覚えている。

展示室の一隅に茶室の拵えがある。
そこにも茶道具のほかに沿線をモチーフにしたものがあり、それが楽しい。

展覧会の会期中に応援の気持ちも込めてこれを挙げるべきだったが、諸々の事情により叶わなかった。
しかしこうして自分の記憶と記録のためとはいえ延々と書き記せたことは喜ばしい。

いつまでも阪急沿線で楽しく暮らし続け、この地で終わりたいと改めて思った。

チャイナドレス、ゆかた、制服 ―素敵な「衣服」の展覧会をみる

首都圏で衣服に関する三つの展覧会を楽しんだ。
・チャイナドレス…横浜ユーラシア文化館
・ゆかた…泉屋博古館分館
・制服…弥生美術館

過去の展覧会でこれらを見たものがあるかと探すと、チャイナドレス関連の展覧会が多かった。
そこから始める。

装いの横浜チャイナタウン 華僑女性の服飾史
イメージ (2017)
この展覧会は横浜と言う地の利を生かした内容だと思った。
巨大な中華街があること、それだ。
実際に横浜に住まう中国人の家庭から貸し出されたチャイナドレスが並び、家族ごとの歴史や嗜好がそこから読み取れもする。
祖母―母―娘へと引き継がれたチャイナドレスがウェデングを彩る衣裳にもなる。

イメージ (2019)
80年近い前の娘さんたち。にこにこと楽しいほほえみを浮かべている。
時代としてはこの年の12月からいよいよ日本はアメリカとも戦争状態に突入する。
中国大陸へは既に日本兵が出兵している。

この展覧会は広岡今日子さんと言う方の尽力があったそうで、素晴らしい講演会も開催された。
それについてはこの方がメモをとられツイートされている。
誠にありがたい。

この広岡今日子さんのコレクションは2017年に関学博物館で見ている。
装いの上海モダン―近代中国女性の服飾
当時の感想はこちら

こちらは当時のチラシ
イメージ (530)

素敵なチャイナドレスが並ぶのを見るだけでも楽しいのに、そこに物語も付随すると趣が一層深くなる。
丁度みごとな茶道具にまつわる逸話を愉しむのと似ている。

イメージ (2018)

花釦ばかりを集めたものもあり、こうした細部にそれぞれのこだわりを見出す。
いいなあ、本当に素敵。
聘珍樓の女系に伝わるチャイナドレス、セピア色の写真もともに展示されていて、来し方を想う。

チャイナドレスはモダンな時代の衣服なのだが、現代ではほぼ「何かちょっとしたパーティ」用のドレスになっている。
日常で着用するのはたとえば中華料理の店員さんがムードを出すために制服として、というような感じだが、数十年前までは間違いなくおしゃれな日常を演出する衣服だったのだ。

五年前、ブリヂストン美術館でみたチャイナドレスの現物と、それらをモチーフにした絵画も素晴らしかったのを思い出す。
描かれたチャイナドレス─藤島武二から梅原龍三郎まで
当時の感想はこちら
そしてその同時代の官展絵画を集めたものの中にはチャイナドレスの美人画もあった。
東京・ソウル・台北・長春 ―官展にみる― それぞれの近代美術
当時の感想はこちら

綺麗なものを見てうっとりした。
6/30まで。

つぎはわが日本で江戸時代に発展した浴衣である。
ゆかた浴衣ユカタ 泉屋博古館分館
イメージ (2015)
浴衣は今日も人気の夏のアイテムである。
今では若い男性にも人気があって、花火大会などのある日にカップルで着用する人々を見ることも多い。
わたしは別に着物警察なぞではないので、楽しそうに着ている人々を微笑ましく眺めるばかりだ。

やはり藍染めや白地に藍の入る浴衣がいとしい。
江戸時代の人々のデザイン性の高さは今更言うを俟たないが、どれを見ても本当に素敵だ。
そして現物だけでなく浮世絵の展示があるのもいい。
浴衣と染付のうつわの近似性を想い、とても嬉しくなる。
どちらもとても魅力的なのだ。

イメージ (2016)

浴衣のデザインは江戸時代から今に至るまで、さまざまな人々が成してきた。
職人性の高いひとからデザイナーまで実に色々。
浮世絵師系の美人画家・鏑木清方も浴衣デザインの仕事をしたし、竹内栖鳳の描いた絵から浴衣を拵える人もいた。

こちらは岡田三郎助 五葉蔦 チラシでは昭和表記になっているが、1909年 明治末。
イメージ (2025)
かれは女性物の素敵な衣裳のコレクターなので、この浴衣も実際にあったのではないかと思う。

わたしの好みはチラシにもある大正から昭和初期の白抜きの団扇文様の浴衣。
他にも着てみたいものがたくさんあった。
どうしてもこうした展示は「自分が着たいもの」「着たらどうか」を中心に考えながら見てしまうな。

この展覧会は6/16までが前期で、6/18からは後期、大幅な入れ替えがあるそうだ。

六本木一丁目の駅から美術館へ至るまでにこれだけの看板があった。



七夕までの素敵な展覧会。
七夕に浴衣を着るのもいいと思う。


最後に制服の展覧会。
ニッポン制服百年史 弥生美術館
イメージ (2014)
先年セーラー服だけの展覧会を見たが、今度のは制服そのものの展示で、集大成といってもよさそうに思う。
江口寿史の可愛い女の子二人。
こういうのを見ると、なるほどわたしは前世紀のやぼったい女子高生だったなあと改めて思い知らされる。

多くのマンガ家の描く可愛い制服も出ていた。
わたしはあまりに「学園もの」から遠い場所にいるので、実はこういうのを見るのは苦痛だ。
というか、実は現役の女子中学生・女子高生(決してJCやJKなんて表記しないぞ)の頃から、いちばん嫌いなものは「学園もの」のラブコメだった。
要するに自分が「可愛い少女」ではなかったことが根底にあるからだと思う。
そして学校にいた頃、いいことがほとんどなかったことが思い出されるので、やっぱり制服を見ていると苦痛なのだった。
何しろこんな可愛い制服を着たとしても、わたしはわたしのままであるだろうからだ。
申し訳ないがそういうわけでわたしはさっさと三階の華宵のコーナーへ行き、そこから夢二美術館へ向かった。

そういえば今わたしが、学園に通う少女や少年が主人公のマンガで読んでいる作品と言えば二つだけか。
日本橋ヨヲコ「少女ファイト」
なきぼくろ「バトルスタディーズ」
どちらも高校スポーツの話だ。
そしてめちゃくちゃ一生懸命かれらを応援している。
制服に関してもこの二作は作中で語られるシーンがある。
ああ、やはりラブコメはニガテだが高校スポーツマンガは好きなのだよなあ。

色々苦い思い出と共に新たに気づかされることもある展示を見たのだった。
6/30まで。

「ご存じですか?大坂画壇」 ―もっと知ってほしいと思うよ。

かつて江戸時代には京、江戸だけでなく大坂にもよい絵師が少なからずいた。
「金儲けばかりしてたんじゃないの」というのは大いなる誤解で、いや、誤解とまでは言うまい。
つまり、儲けたお金を文化に活用していたのだ。
偉い。企業メセナの魁。

絵と言うものは描きたい人が描いたらええわけだが、当然ながら他者の眼をも最終的には気にする。
いや、ヒトによっては最初気にしてついには気にならない境地へ行くか。
まあしかし職業として絵師を選択すれば、やはり儲からないといかんのである。

あのマティスでさえもそうだ。
世界的に巨匠になってからも、自分の絵をたくさん購入してくれるコーン姉妹に「いつもありがとうございます。今度の絵はこんな感じです、いかがでしょうか」とおススメの手紙を出しもしている。

幕末から明治の絵師・森一鳳はお城のお濠に繁茂する藻を刈る「藻刈船」を描き、大いにヒットした。
「藻を刈る一鳳」 もをかる一鳳  儲かる一方
というわけで縁起絵として人気が高かった。
大坂は旧い土地柄から吉祥を尊ぶ。

なんにせよ絵を飾るには座敷のどこへかけるか、床の間だ、というわけで座敷に絵を飾るレベルの人が良い絵を購入した。
そうしてそれらが世に伝わった。


いつものように前置きがやたらと長いのも、大阪画壇の知名度の低さによる。
大坂画壇の絵師の絵を所有し、かつ展示されるところはきわめて少ない。
大阪歴史博物館は常設展示室で常に数点の絵を展示しているが、それも宣伝なぞしないので、知らないままスルーする人がとても多い。
なんと勿体ないことをするか。もっと宣伝せんかい。

所蔵するも展示のタイミングがなかなかないのが
・関西大学博物館
・大阪商業大学商業史博物館
・池田歴史民俗資料館
・逸翁美術館

比較的よく展示してくれるのが
・頴川美術館

こんな感じか。
今回、八幡市立松花堂美術館で個人所蔵のコレクション展示なのだが、上方浮世絵まであって明るいラインナップだった。
そしてその展覧会のタイトルがこれ。
イメージ (1995)

丸い菊になんとなく見覚えのある人は少なくないと思う。
これはこの十年くらい案外人気者になった琳派の中村芳中の菊。
大体あれだ、〇に・で菊にするのは芳中が私淑する光琳以来か。
まあ目玉親父の親戚にも饅頭にも見えるところが可愛いわな。

他に田植え図があるが、早乙女たちの笠をこの〇に・でやってるから同じパターンが面白い。

上の青い鳥は上田公長「枯木唐鳥図」。
この絵師と言えば逸翁美術館の猫が思い浮かぶ。
どんなにゃんこかと言うとこちら
猫もいいが、この青い鳥もいい。
全体図
イメージ (2001)
廻りをほぼ墨絵淡彩で鳥だけはっきりした青を使うので印象が強くなる。

下ののんびりしたラクダは長山孔寅
この人の絵も府中市美術館の「春の江戸絵画祭」あたりで見知った人もいると思いたい。
もっちゃりしたラクダは実景によるらしい。1821年に見たようである。
ゾウも孔雀もラクダも日本に来てたからリアルな絵もあるし、実物からそんなにかけ離れてもいないのだ。
虎はさすがに来なかったねー

西山芳園の絵が結構多い。松村景文の弟子。四条派。この人の息子・完瑛の絵もある。
完瑛、寛瑛どちらが先の雅号だろう。そのあたりは不勉強で知らない。
棲鳳から栖鳳へという人もいるから簡単な字へ変わった…わけではないわね。
いつか調べよう。

やさしい雰囲気の雁カプ、墨絵の龍に張子の虎風なのの対、西王母に寿老人、機織りする二人の女などがある。
イメージ (1998)
西王母の手には桃、寿老人の傍らには鹿。この爺さんはカノープスの化身でしたな。

イメージ (1999)
庶民的な女二人。和やかに働く。

どうでもいいことだが、昔は農家でなくとも機織りを持つ家も少なくなかった。
母から聞いた話だが、母の父のきょうだいたちが家の中でかくれんぼをしていた時、誰もいないはずの機織り部屋からギッタンバッタンと機織りの音がする。みんなで見たら飼い猫の古いのが手拭を姉さんかぶりして、機織りをしていたそうだ。
子供らに見られて猫は飛んで逃げた…
大正半ばの話。

寛瑛 妓女図  リストには父親の生没年が記されているが、父・芳園は幕末に没し、息子は明治30年に没している。
二人の芸妓がそれぞれ笛、月琴を演奏。月琴は明治30年頃で廃れるが、幕末はなかなか人気だった。
坂本竜馬の妻となった竜子は家事がダメだが月琴はうまかったらしい。
そうだ、横溝正史「女王蜂」でも月琴は重要なアイテムとなっていた。
上村一夫「修羅雪姫」でも月琴を弾くシーンがある。
ここには賛が記されているがそこに「明楽」とあるので、どういう意味かと考えたが、もしやあれか、中国から来た音曲と言う意味で「明楽」なのかつまりミン・ガクなのか。
wIkiにもそんな記述がある。

昆虫図 上田耕甫 上田耕冲の子。昭和に亡くなってるのだが、このリストだと父の生没年が記されているな。
見たときは何も思わなかったが、こうして感想を拵える時に調べるとアレレが多いな。
いや、この人だけでなく他に参加した絵師もいるからよいかもしれない。
クロアゲハ、モンシロチョウ、カマキリ、トンボ、コオロギ、バッタ、クモ、タガメ…
リアリズムの博物誌風な昆虫たちだった。

近年とても人気の出た大坂の絵師がいる。
耳鳥斎(にちょうさい)かれの絵が一点。
歳晩図  年の暮れだとて河豚を調理…中にデコッ八までいる。
イメージ (1989)
それにしてもでかい河豚だな。

松川半山 住吉踊り図  御田植の時の。立派な花笠の下で支度をして待機中。この構図自体は後の菅楯彦、生田花朝も踏襲している。
わたしはこの伝統行事を見たことがないのだが、友人はわざわざ見に行っている。
なかなかにすばらしいらしい。

岡田玉山 三番叟図  蜀山人の賛がある。「あら玉の年 六六三番叟 とうとうたらりたらり」表具はどうやら蛍らしき虫の刺繍が。

中井芳瀧 官女図  打掛が華やか。小袖にも薄いセピア色に近い色で小花の文様が入る。
イメージ (2000)
打掛は百花。季節を超越して咲き誇る花々。

岡熊岳 蘭亭図  木々に人々が隠れるように立つ。こういう蘭亭図は知らないなあ。
文人画らしいのが続く。

絵師たちが集まってテーマごとに描いた画帖も楽しい。
それぞれ画風が違うのがやはり面白くあるのだ。

松渓読書図 森琴石  高士の理想的な生活らしいが…
イメージ (1996)
侍童は静かに煎茶の支度。


上方浮世絵もいろいろ。
貞信、芳瀧、貞廣らの京阪を中心とした風景+美人画などが楽しい。

三世歌右衛門の法界坊を描いたのもいい。関三十郎もいて、いいキャスト。

北英 中村歌右衛門大当狂言尽  三世歌右衛門は「兼ネル役者」の称号をいただいた名優。
池田文庫などにも多くの彼を描いた浮世絵がある。
ここでは11役の歌右衛門が描かれている。
清正、団七、師直などなど・・・

月岡雪鼎 官女図
桜の下に佇む美女。
イメージ (1997)

いいものをたくさん見れてよかった。
もっともっと大坂画壇の絵が見たい。
以前のまとまった展覧会と言えばこんなのがあった。
近世大坂画壇をのぞく
当時の感想はこちら
多くの人が大坂画壇の良さを認識してほしいと思う。

7/7まで。

6月の東京ハイカイ録

今月もまた東京をハイカイしたが、最近面白いルートで動くようになった。
品川で新幹線を下りて荷物をロッカーにおいて、それから少し動いて、東急線に乗る。
こういうことをするのも案外楽しい。

上野毛へひさしぶりにきた。
五島美術館の近代日本画を見るため。大好きなので嬉しい。
内容は三年ほど前のと大体重複している。
だから貴重な再会となった。
こういうのもとても楽しい。

お庭に出ると紫陽花、羊歯、苔がみずみずしい。
ちょっとよろついたので早めに去ることにしたが、面白い石を見つけた。


そこから自由が丘経由で横浜へ。
お昼よばれてからみなとみらい線一日券で元町・中華街へ。
久しぶりに大佛次郎記念館へ向かおうとしたのだが、まずアメリカ山でつかまる。
すごく薔薇と紫陽花と他の花とがキラキラしていて、ここからなかなか出れない。
おーーーー元々このあたり好きなんだが、ますます好きだわー。





ひとさまにも親切して機嫌よく歩くと、今度は港の見える丘公園でこれまた素晴らしい花の饗宴が!!‼
あああ忘れてたわーここらはバラの名所なのよ。洋館と薔薇の美。
百合も咲いているし、紫陽花たわわやし、すばらしいのなんの…
これで結局時間がな…






ようよう記念館に行ったが、本当に良い時期に来たなあ。
むふふ。
記念館では大和和紀さん「ヨコハマ物語」の原画展。
入館料は通常200円だがファイル付のにして500円。



ああ、楽しかった。
そして大仏次郎のヒット作「霧笛」の初稿版と最終稿の違いを見て、最初の方が良かったのにと残念に思った。
急ぐのでいくつかをあきらめる。

花を見る楽しみに時間を取られすぎてしまったが、それはそれで必要なのだ。
次に日本大通りに出て横浜ユーラシア文化館へ行くが、目の端にユリの群生が。

チャイナドレスの展覧会を大いに楽しむ。
ブリヂストン美術館でも数年前に良いのを見たが、こちらはさすが中華街があるだけに、「家族の思い」がこもったドレスなどもあり、それもよかった。
そしてそれを楽しんでから県庁の方へ百合を見に行くが、これがまた素晴らしい。
ああ、ヨコハマって素敵だなあ。

開港資料館にも入る。明治の写真を見る。かなり古手のがあるのです。
自分としてはむしろ大正時代のが好みなので、明治の写真は資料として見るわけだよ。
二階からお向かいのビルを見る。
前から気になってた店。
ああ、良さそうだな。北欧か。


次に馬車道へ。というのは十番館でサバラン食べたいから。
すぐ忘れるが、勝烈庵の真裏なのだよなあ。
サバランとアールグレイ。


さて横浜駅に戻ってきました。
そごうなりよ。丁度六時になったのでついつい今は亡きIt’s a Small Worldを見上げてしまったわ。

「水木しげる 魂の漫画」横浜展開幕!

面白かったわ。
そしてここで初売りのファイルも購入。

動線がいいので龍谷で見たときより好ましかったよ。
あっという間に閉館時間。とても充実していた。

昼も夜もポルタの地下街で終わってしまったが、いつか崎陽軒のアフタヌーンティーしたいわ。
品川向けてGO!

定宿でぐったりしてここで初日終わり。

朝の間に清洲橋通りを歩き、紫陽花の状況を確かめる。残念ながら年々へってゆくねえ。


まずはたばこと塩の博物館。
マッチラベルの面白いのを見る。
中には「なんでやねん」なものもあり、理屈抜きで面白く眺める。

昼前に六本木一丁目へ。少し寒かったので杵屋に入るが、どうも麺が太すぎて食べづらい。
「半玉追加無料」をお断りしてよかった。

泉屋博古館分館で浴衣をみる。様々な浴衣の実物に浮世絵などに描かれた浴衣や湯文字。
これはいいわ。
チャイナドレス展といい浴衣展といい、こういうのを見るのは楽しい。

麻布十番から練馬まで。そこから中村橋へは一駅。こういうルートもある練馬区立美術館。
最終日「遊ぶ浮世絵」展を楽しむ。
くもんコレクション。何度か見ているが、やはりいいなあ。
立版古、双六が楽しくて仕方ない。
とかなんとかいううちにタイムアップ。
雨も降ってきたので東京へ。

今回はロッカーを使わず定宿に荷物を頼んでいたが、これがよかった。
まさかのSuicaアウト。接続ダメ。みどりの窓口で説明を受け、来月つくりかえ。
ひえー。
ひやひやしながら新幹線ホームへ。
今回はあれだ、特典のグリーン車なんだよ。
身体は楽だが気分が重い。

まぁ阪急に乗って帰りましたよ。
次は隅田川の花火の日に行きます。

国宝一遍聖絵と時宗の名宝展

京博で国宝一遍聖絵と時宗の名宝展が開催されている。
イメージ (1986)

諸国を遊行した時宗の開祖一遍と二祖真教の出会いから別れ、そして宗派を次代へとつないでゆくその姿…
一遍の行動、言葉の一片たりとも見聞きもらさずわが身のうちに収め、という弟子たち。
教団の同坦歓迎は当たり前だが、一遍と言うカリスマに対して果たして弟子たちは同坦歓迎でいたろうか。


近年、しばしば藤澤の遊行寺へ行くようになった。
大阪からはなかなか行きにくいのだが、一旦道を開くと行きやすくなるもので、よく行くようになった。
行く理由は展覧会を見るためだが、わたしの場合は主に小栗判官と照手姫関連の展覧会を楽しみに出かけている。
なので申し訳ないが、時宗関連の展示は案外見ていない。
誠に申し訳ない。「遊行七恵」を名乗る割にこの為体である。
とはいえ、全くの無縁とは言えない。
わたしの住まうのは大阪であり、古い関西人の血が活きている地にいるからだ。

イメージ (1987)

空也上人立像がある。あの有名な像と同じく口から六文字・六体仏を吐いている。
この遊行寺蔵の像は随分昔の展示に出たようでその写真があるが、これがそれか確定するのに長年かかったそうだ。
色々と大変である。
全然関係ないが、コスプレで空也上人をなさる方がいて、物凄いインパクトがある。
それでこの方はけんかの仲裁がうまいらしい。
やっぱり空也上人の威徳と言うやつだな。

善光寺如来像もある。善光寺の仏像の話も非常に面白いが、ここにあるのは最古のもので、金銀の加飾もある。

装飾浄土三部経 鎌倉時代の美麗な経巻で見返しにはちいさな仏たちや、仏を囲んで拝む女たちの絵がある。
更には手からビームも出す。ほとけびーむ。
少しばかり読むとアジャセ王の悪業の話だった。きちんと読めそうな感じもあるが、時間がないので走り読み。
韋提希夫人の蜜の話とか悪い奴に唆されてやらかしたとか色々あるが、やはりこの王舎城の話は無残だよな。
尤も「前提」からして無残なんだけど。
わたしのアタマには手塚治虫「ブッダ」のこの話のところが浮かんでいる。

群青の目立つ當麻曼荼羅図もいい。これはあれか修復したからこの色なのかな。

二河白道図が二点ある。
清凉寺 鎌倉時代  フルコースと言うかきちんと設定全部描きこみ。白象、黒犬、豹がいる。
そして面白いことに火炎側の林の中に台があり、そこに法華経が置かれている。
これはどういう意図で描かれたかというと、「自力」での救済より「他力本願」が正しいというのを示すがための描き込みらしい。
法華経自体は尊いお経、解釈違い・同担拒否いろいろもつれる…

遊行寺 南北朝  珍しい構図。二仏がずーんと対岸に立つ。そして善導和尚が佇む。選択肢ないのう。
たまに思うのだが、「地獄は一定住処ぞかし」の心持はともかく、イメージはどのあたりなのだろう…

熊野権現影向図 檀王法林寺  だん王さんは時々「おおお」な寺宝を見せてくれる。これもそう。
雲と言うか霧と言うか煙と言うか、それから出現する仏さんなのだが、児雷也ぽいんだよなあ。
昔のキネマ風でいい感じ。そう、尾上松之助的ななにか。

「踊る」または「躍る」
踊躍 ゆやく。
色々考えることがある。
一向上人と言う人も踊念仏をしていたそうだ。かれは時宗の人ではないようだが、一遍同様空也の血脈なのに違いはなさそう。
そうなるとやはり空也の「出現」というものは衝撃的な出来事というか、影響がとても大きかったのがわかる。
しかしかながら、仏教をあんまり知らないわたしなどだと、「空也」とは何か・誰か、と言われて頭に浮かぶのは
「口から目刺しみたいなん吐いてる人」または「銀座の最中屋さんで人気すぎてとても買いにくい」
これだと思う。
空也でさえそれなのだから一向上人をわたしが知るはずもなかった。

一遍の後に二代目として時宗を盛り上げた真教上人像を見ると、これも目からビームのクチだった。
この目や額からビームが出た先には幸せな往生を遂げる人があるわけだが、普通はビームで撃たれるといててててて…
その真教上人直筆の六文字を見る。相当な達筆だった。

ムシロをリメイクした「阿弥衣」が時宗のユニフォーム。絵を見ててもよくわからないが、これを着ていたそう。
こちらのチラシにあるあれね。
描かれてるのは裾の短い装束だが、やっぱりこの阿弥衣なのか。単に一遍が長身だから裾が短いのかと思っていたが、実際はどうなのか。
イメージ (1985)

踊ってニルヴァーナへというのはお釈迦様の本国天竺にもある。
ムンバイ辺りに多い。そう、ボリウッド映画。
だからか、こちらにも可愛いマラカスみたいなのがある。
ただし名前は「持蓮華」。蓮のつぼみをデザインしたものらしい。大小セットもの。

持ち物と言えば遊行に必要なのは笈。
十二光筥 名前もきれいだ。とはいえ旅のお供なので外観は別にキラキラしてはいない。
実用的なもので、時宗の12グッズを入れるもの。

遊行上人縁起絵 これは一遍没後に起こった後追い自殺行の様子の巻が出ていた。
みんな入水自殺である。
七人が後を追った。ここでは足ばかりが外に出ている。
つまり足から入ったのではなく、頭から飛び込んだらしい。そして足が出る。
どうでもいいことだが、犬神家の助清は凍ったからああなったのである。
また「大菩薩峠」でも妙なシーンがあるが、あれも…
七人と言うと「七人みさき」を想うのだが、最初に一遍上人の死があるから、数は合わない。

自殺を思いとどまったのは賦算を求められたからだった。
他者の心の安寧の為のものが、真教上人の死を止めるものにもなったのだ。
秋の野草が咲きそろう背景がいい。

イメージ (1992)

いよいよ国宝と明治末から大正にかけての模本による国宝・一遍聖絵の展示を見る。
久しぶり。
以前から絵巻を見るのは好きだったが、サントリー美術館の「絵巻マニア列伝」展以来、異なる楽しみも増え、いよいよ絵巻への愛が高じている。

絵の良さは当然のことながら、やはり細部が面白い。
この前日に藤田美術館所蔵の玄奘絵を見て「神絵師だぜ高階さん」などと思っていたところだが、この聖絵もとてもいい。
円伊がどういう人かは知らないが細部の濃やかさがあるから、絵が活きている。

牛馬の可愛い善光寺手前、サウナがメインのお風呂、町にいる犬、とおりすがる琵琶法師。
四天王寺から高野山そして熊野へ。道は確立されていた。
郷里の伊予に戻り勧進する。

そういえば「聖☆おにいさん」でイエスががりらやで布教がイマイチだったことを「故郷がいちばんアウェイなんだよね」と言っていたのを思い出した。

京都の因幡堂に止る一遍一行。丁度龍谷ミュージアムで因幡堂の展覧会が開催されていた。
床下には乞食と犬一家が休んでいる。
鎌倉に入れない一行。足止めを食らい野営する。
三島大社の池に白鳥もいる。別なところには鵜も多い。

これがなかなか凄い。
イメージ (1993)

ところで英訳がわかりやすい。
賦算とは何かというのの説明…Fusan paper Talisman printed with the Nenbutsu

一遍の最期、間近で見るとなるほど下書き線がみえる。
こちらの画像は数年前の新聞記事から。
イメージ (1994)

英訳で気に入ったところがある。
例の後追い自殺のところ。
「往生しようと」を tried to commit suicideではなくtaking their ownlives なのだなあ。
こういうのを知るのも楽しい。

それにしても信仰と言うものはここまでしないとならぬものなのか。

前掲チラシにもある後醍醐天皇像の模本を見る。
どうもこの絵がとても怖い。以前からニガテな絵。
髭が黒々と長いのが怖いのかもしれない。
なんというか、この帝の生涯については太平記などでしか知らないが、この絵を見ると魔界の道真よりもっと生理的に怖い。

洛中洛外図舟木本 岩佐又兵衛  来ていた。嬉しいね。
イメージ (1988)
ここに時宗寺院の御影堂新善光寺が描かれているそうな。

涅槃図 多くの動物も一緒にいる図と、まさかの三人きりのものと二点。
どちらにも阿難陀がいて泣いている。

最後に色絵金字阿弥陀経(蝶鳥経)の綺麗なのをみた。キラキラしていた。見返し紺紙金地で極楽が描かれている。


とても面白く眺めた。
6/9まで。そして形は違うが遊行寺宝物館と神奈川歴博とで展覧会がある。

「知られざる?!大和文華館」

大和文華館のあまり展示されない作品を集めた「知られざる?!大和文華館コレクション」展をみた。
メインビジュアルは全身に針の後のある土偶で、これは秋田から出土したそうだ。
だいぶ前に見た。
なんでもそうだが、解釈はどんどん変わってゆく。
これは完全な形のもの。

割られてから埋められる土偶だが、一部しか伝世しなかったものもある。
首部しかない土偶が二点並ぶ。
きわめて簡素な構成のもの、「ミミズク型」のものなど。
ミミズク型の者は東博にほぼ全体が残るものがあるので形は想像できる
前者はキリコの絵やブランクーシの作品を想わせる。
大体の人間の想像力と言うのはある程度同じ枠の中にある。それを超える人もいれば、少ない人もいる。
なのでこの二つの顔立ちについても想像がつき、認識が共有されて「ああ」となる。
ただ、古代においてそうした人類共有の認識や想像力と言うのはどのようにして出に入れたのだろう、と思うこともある。

体操座りしながら合掌する土偶もある。合掌は後世では神への祈りの動作になる。この土偶のポーズは何に基づくのだろうか。

大きな縄文の壺がある。
丈夫に装飾のある加曾利式、胴にテナガザルが何匹も巻き付くようなものもある。
そしてUFOを思わせる形の土器もあった。
焼成温度は700度前後と低い。

弥生式土器を経て古墳時代には土師器が現れる。
これが今のかわらけにつながるものだという。
かわらけといえば壬生狂言の炮烙割を思い出すが、かわらけは清い存在だと見なされている。
そのことを少しばかり想う。

鷹狩りの埴輪の柔和な顔に嘴は勾玉のようだが可愛いアタマの鳥。
口元を黒く塗って髭を表す埴輪は裾が水玉模様。
地域により色々個性がある。
家型の埴輪も変わったのがあった。
棟上に堅魚木が六本並ぶ。家自体は入母屋造り。網代の線刻も。更に両の妻に棟持柱がある。
神明造を埴輪で表現。この柱があるのは珍しいそうだが、実際他にあったか思い出せない。
やっぱりこれがとても珍しいのだろう。

古墳時代の刀装具もある。柄頭がいい。忍冬透かし、龍文、鬼面透かし、蕨手…
翡翠の勾玉もある。古代の美意識に惹かれる。

大阪や奈良の古刹から出土した三尊塼仏(要するにタイルである。レリーフではなく3D)もある。
大体が倚像
行基開創の太平寺、王仁氏系の西文氏の氏寺・西琳寺、伝・橘寺。
ちなみに西文氏は「かわちのふみうじ」と読む。
朝廷には文筆を専門に仕えたとあるから、書記とかそうした仕事をしていたのか。
東の方は「東漢氏」やまとのあや・うじ。
駒もこの一族か。山岸涼子さんの絵が思い浮かぶわね。

可愛いミミズク尊が一対。前漢。泉屋博古館にもあるが、こちらも可愛い。首が取り外し可能。
胸元に墨描きで羽毛の様子。灰陶なのでシロフクロウ。

漢代には鳩車もあったようで、背中に子鳩をのっけた鳩車の明器(同葬のミニチュア)が可愛い。
そういえばエジプトは1/1スケール、古代中国はミニチュア。色々違いがあるものです。
いや、始皇帝は1/1。兵馬俑。
とりあえずここにあるのはミニチュア、ままごとサイズの可愛い(こわい)鴨と鯉のいる池舎。






唐代とは違う南北朝の馬やラクダの埴輪。
赤く塗られた「誕馬」は装いも美々しい。これは冥府へ先導するための馬らしい。
目つきがカッコいい。
zen116.jpg
これは八年ぶりの再会。
以前の感想はこちら。
大和文華館の中国美術コレクション展

ラクダはラクダで吠えている。魔よけのコワモテの面をつけた袋が下がっている。

唐代の塑像武人俑も顔立ちが違うのが面白い。
カラフルであごの大きい、目鼻のはっきりしたものは胡人かと思われるし、丸顔でおとなしそうなのは漢民族か。
細くて小柄なのはアスターナ出土の大谷探検隊の将来品。
これら塑像はスサ(寸莎)とよぱれるツナギがつかわれているがそれらは藁や麻を細かく刻んだものらしい。
なお調べたところ、他に草冠に切という字もスサ。

イヌの塑像は車内釣りにも登場。あれは洋犬だった。
どういう動機で制作されたのか…

統一新羅時代、最初に開かれた寺・興輪寺や、善徳女王の時代に百年近くかけて建てられた国家的な大寺・芬皇寺などから出土した瓦が出ている。飛天、鳳凰など。
ところでこのお寺のことを調べると面白い記事に行きあたった。こちら

マニ教の六道図だという絵は去年の九月以来。
決めては中心の男性の衣服に「セグメンタム」があることからだそう。
ああ、あれか。改めてそれを見たが、逆にわたしは景教を想った。

大威徳明王図像  かなり大きな下絵で色指定もされている。完成しなかったのか、それとも別な紙で完成させたのか。
色々と色っぽいことを思ってしまい、ちょっと反省。

大津絵の不動、雷などが可愛い。素朴でかわいい。

みっしりな涅槃図。木版に彩色。道益という人の絵。
そして面白いというか珍しい涅槃図を見た。
日蓮聖人涅槃図  集まった人々の名前がわかるように名札つき。
木々の所にもそれがあると千社札にも見えてしまうなw

修験道の聖地・大峰山の全図があった。江戸後期の図。
細い道、地名もあり、寺社もある。行くことは出来ない(今も女人禁制)が、それだからこそときめく。

尾形光琳と関係の深い中村内蔵助の屋敷図があった。写したものだが素晴らしい。
今の下立売室町東あたり。平安女子大の辺りらしい。

ああ、面白い展覧会だった。
実際滅多に観ないものが多くて面白かった。
こういう内容、いいなあ、
7/7まで。

北海道ツアー 旭川篇

いよいよこれで北海道ツアーも終わり。
旭川へ向かう。

旭川と言えば今のわたしにとっては「ゴールデンカムイ」の第七師団の本拠地があったというだけでヒーッなのですよ。
てか、そのあたりも長居は出来ずとも行けると言うので喜んで参加したわけですがね。

道々みえる草ソテツ、蕗、クマザサがいいな。
まずは北海道護国神社。
このお向かいに北鎮記念館のある自衛隊の駐屯地が広がる。
最強…あああ…わたしのアタマの中には初登場時の尾形上等兵の頬のこけた顔が思い浮かぶよ。
はぁはぁ。ああもうほんと、苦しいわ。



宮司さんのご案内でまずは神社を参拝する。
巨木がある。内地では大概樟だがこれは楡。樹齢400年。
北海道は楡、エルムの樹だわな。
そういえば昔よく通ったお店の名前、エルムだったが楡のことだったのか。
楡と言えば水野英子「にれ屋敷」は名作だ。










ときめくよなあ。



ちゃんと陸軍の星がついておる。

そのお向かいにはあれ。


今丁度鶴見中尉の装束を再現しているとかなんとか。ひーーーっ

そしてここのお隣にはスタルヒン球場も。


スタルヒンは戦時中「須田博」として生きざるを得なかったそうだ。
この人の生涯はやはりお気の毒なところが多い。今こうして旭川に彼の名をつけた球場があるのはせめてもの供養になると思う。

ところでわたしは旭川には来たことがないと思い込んでいたが、アイヌの「川村カ子ト記念館」に大学の時に行ったので、一度は来ていたことになる。
あの大学ツアーの時、引率の中村先生と言う憲法の教授は普段は気さくで冗談ばかりの酒飲みの虎党のオヤジさんだったが、ここへ向かうとき真剣な面持ちでアイヌの人々の歴史についてレクチャーなさり、決して決して軽い気持ちで行くなと言われた。
先生はアイヌの人々の人権を尊重されていた。わたしは当時「シュマリ」「コタンの口笛」「森と湖の祭」は読んでいたが、本当の方々に会うのは初めてだったので、強くそのことを意識した。
今以上に当時は無頼で無礼だったわたしだが、丁寧にあいさつし、真面目にお話を伺ったり展示を見たことを覚えている。


バスはやがて中原悌二郎記念旭川市彫刻美術館へ。
そう、こここそが陸軍第七師団偕行社なのだ。


日露戦争直前の1903年に竣工。

あああ、鶴見中尉もここに…!!!←「ゴールデンカムイ」にどこまでのめり込んでいるかよくわかるね。







将に白亜の殿堂。そして内部は黒で統一と言うシックさ。
内部撮影もさせていただいたのだが、挙げていいのかどうかまだ未連絡なのでここには挙げない。






わははははは

なお展覧会も少々愉しむ時間があり、中原の「若きカフカス人」、ロダンや舟越父子の作品なども見れたのは嬉しい。

すばらしい建物だった。またいつか再訪したい。




煉瓦の倉庫、再び。
今度は合同酒精工場






面白いものを見たなあ。

さて今度は元は個人邸宅、今はお蕎麦屋さんであり、地元の冠婚葬祭に使われる名建築へ。








こんなの見たの初めて。













お昼になったのでおそばをいただく。



お庭も素晴らしかった。
普段京都の庭を見慣れているので、こうしたお庭が新鮮だった。

車窓から見える様々な家。








ほぼ廃墟なので非常にもったいなかった。
こんなものまである。






さあここまで。
いよいよ新千歳空港へ。
途中のSAのスタンプ
イメージ (1981)

今回のわたしのいったところ。細い黒線がそれ。
イメージ (1984)


解散後、わたしは日高昆布などを購入。
いいツアーだった。

苦しい日常から離れると気分が明るくなるので、やはりこうしたツアーをこれからも出来るだけしたいと思っている。



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