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美術館・博物館・デパートでの展覧会を訪ね歩き、近代建築を見て周り、歌舞伎・映画・物語に溺れる日々の『遊びに行った日を記す』場所です。 

高畑勲展に行って その2

少し日を置いたが、高畑勲展の感想後編を挙げる。
前回はホルスまでだが、今回はそれ以後。
そしてその前に高畑さんに多大な影響を与えたフランスのアニメーション「やぶにらみの暴君」の展示についても振り返る。

わたしはこの作品は名前のみで見たことがなく、この展示で初めて一部だけでも見たわけだが、動きがとても良かった。
凄い映像だというのは、こうした動きが・演出が作品を構成する一部だからだ。
この数分の描写を観るだけでも全体の素晴らしさを想像させる。
物凄い角度の階段駆け下りシーン、追跡からの逃亡、そしてその追跡者。

「長靴を履いた猫」や「未来少年コナン」を思い出したよ。
そうか、これがその源流なのか。
「やぶにらみの暴君」は紆余曲折の果てに後年「王と鳥」になって完成したそうで、その映像もやはりすごい。

外国のアニメーションと言えば子供の頃はアメリカのハンナ・バーベラの作品群がとにかく好きで、今も大好きで、先般大丸心斎橋北館での「トムとジェリー」でもとても嬉しく眺めた。
ただそれらはいわゆるカツーンで、物語性のあるアニメーションと言えば旧ソ連アニメ「雪の女王」、中国の「シュンマオ物語タオタオ」を見る間では資料でしか他に知ることがなかった。
ユーリ・ノルシュテイン「霧の中のハリネズミ」も「話の話」も中学の時に朝日新聞のCMで見たのが最初で、現物を観るのに随分と時間がかかった。
今の世になってよかったと思うのは、ネットで古い映像作品を観ることが出来るところか。

さて高畑勲演出作品に戻る。
「パンダコパンダ」コーナーである。
これは見たのは随分遅かったが、とても楽しい作品で、しかもラストシーンに本気でほっとした。今もこの感想は変わらない。
展示はパンダがずらーっと30頭という…まあ一種の遊び心か。楽しいわ。
動物園のゾウさんとパパパンダの2ショットなどもいい。そしてドアからのぞくパンダコパンダとミミコちゃんのハリボテ。
ドアからのぞいて可愛いのはこのメンバーだけだ。
家政婦もシャイニングもお断り。

・レイアウトシステムについての解説があり、今に至るまでの様々な技術や技能や思考の変遷を目の当たりにする。
このシステムが作品の背骨になるわけだね。
こうしたやり方を観るのは興味深い。
最初は新しい考えで、それがいつしか当然のこととなり、ついにはそれも新しいものに取って代わられる。
しかしそれでもよいものは長く活きる。

いよいよ「アルプスの少女ハイジ」
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わたしにとってハイジは本当に常に活き続ける名作で、いつでも心にある。

このコーナーではハイジのいたアルプス、デルフリ村からおんじのいるアルムまでのジオラマが展開していた。
とても丁寧な制作で、山羊たちがリアル。撮影可能なのでたくさん撮った。
ハイジ、ペーター、おんじ、クララ、ヨーゼフ、ゆきちゃん、アトリ、他のヤギたち、大ツノの旦那、クララのおばあ様…



小さいときに見た作品の中でいちばん背景の綺麗な作品だ。
井岡雅弘の世界。
自然描写、フランクフルトという大都会の片隅の様子、豪邸のありかた…何もかも素晴らしい。
この作品の為にスイスへスタッフがロケハンに出かけたことも知っているが、その間の様々な事情が40余年後の今、わたしのような観客にも伝えられる。
それぞれの事情もあろうが、それでも敢行する。当時はまだ1ドル360円だったか、そもそも日本人が外国に行くのも少ない時代だった。
「ハイジ」を見てアルプスの大自然の美しさに心打たれた人々は少なくない。

ハイジのOP「おしえて」が流れていた。天空の大ぶらんこ。ハイジが本当にこっちへ来るような映像。これくらいの良質ので見ると、実際に見えるのはこんなにも素晴らしい動きなのか。
わくわくした。


スタッフたちがスイスに行って学んだことの色々がハイジに生かされている。
・チーズ作り…実際TVみていて「いつか自分もやってみたい。しかし大変なんや」と思った・
・ヤギの生態…ハイジが可愛がってたゆきちゃんが処分されそうになり、それをおんじの示唆で乳の出るヤギになるように餌をあげる→ゆきちゃん、生き延びて子供も産む。
などなど。

今回長く勘違いしていたことがわかった。
おんじは父方の祖父なのだ。
わたしはてっきり母方の祖父だと思い込んでいた。つまりデーテはハイジの母方の叔母。なんで原作読んでても勘違いするかなあ、わたし。
これは多分ハイジの母アーデルハイトの夢遊病のことをおんじが言うたからだと思う、それも否定的にではなく、哀れに思いかばおうという気持ちが見える物言いだったからだ。
そしてデーテこそ父方の叔母だと思い込んでいたよ。
今回の展示には出ていないが、以前このドラマでのおんじの背景というか過去についての考察を読んだことがある。
作中で「若い頃に人を殺したそうじゃないか」と噂で語られるおんじ。これはかれがスイス人として他国に傭兵として稼ぎに行ってたことを指すようだ。
戦争経験者である=若い頃に人殺し
苦い設定である。

第一話でのアルムについたハイジが夏だというのにありったけの服を着させられた着ぶくれスタイルで山を往くうち、ついに耐え切れずどんどん脱衣してゆくシーンがある。
これは都会から山の子になる象徴的なシーンだと見なしていたが、そのシーンの連続画が出ていたのも嬉しい。
ハイジは非常に我が強い。自分の考えをしっかり持っていて、それを口にする。ハイジはそして「実行」する。

ハイジの決定版に至るまでの様々な顔立ちや髪形のプロトタイプをみる。
わたしの持つハイジのコップにあるのは茶髪でおさげのハイジ。これも選択肢の一つだったのだ。


「母をたずねて三千里」である。
わたしは都市の光と影を愛する人なので、マルコが故郷ジェノバの町でアルバイトに精出す様子を、子供の頃から好ましく見ていた。
「ハイジ」の時もそうだが、当時の日本人は気軽に海外へは行けず、兼高かおるさんのドキュメンタリー旅番組を見たり、この世界名作劇場で描かれる「海外」を見て「これが外国なんだ」と憧れていたのだ。
特に子供だったわたしは二次元でしか海外を知らず、いつか往ける日が来るとは到底思えなかった。
これは昭和戦後生まれの子供らしい考えだと思う。

マルコがついに船出し、アルゼンチンに到着。白い猿のアメデオも一緒。猿は別に何も話さないが、目の大きなアメデオが一緒にいてくれるだけで安堵感があった。
この作品は「不安」がとても強い。不安という感情が具現化してシュールな夢として表現されもする。
先のわからない不安、母に会うという使命感と希望を強く胸にしたマルコだが、その旅路は常に不安なのである。

アメデオの原画を見る。やはりとても愛らしい。
この名作シリーズでは必ずどうぶつの友だちがいるが、アメデオとラスカルの人気の高さはすごかった。

背景は椋尾篁である。本当に素晴らしい。
イタリアは何となくTVで見知っていたし、うちの母がイタリアに憧れていたので他の国よりたくさん写真を見ていたが、アルゼンチンはこのドラマで知った国だったから、本当に何も知らない。
とにかく貧しい。そして草原と何もないところと果てのない空…
ああ、ロードムービー…
この背景について脚本家の金春智子さんとツイッターで話したのだが、当時のお話を聞けて良かった。
やはり椋尾さんの背景画は素晴らしい。

前述の井岡さん、椋尾さんといった凄い方々の描いた背景がキャラたちと共に常に心に生きている。
それを思うと、本当によいものを子どもの頃に見れたことに感謝する。

椋尾さんの背景画は油彩画風タッチである。後年の「ゴーシュ」などとはまた違う趣がある。
そしてネットでも一時評判になったマルコの見たシュールな悪夢が紹介されていた。
廃屋、寂れた街の様子、荒涼とした大地…

はるか後年、映画「ブエノスアイレス」でクリストファー・ドイルが映しだした街を見るまで、わたしのブエノスアイレスはマルコのいる・マルコの見た風景でしかなかった。

続く。
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2019.9月の東京ハイカイ録

最近は家庭の事情で東京をハイカイするのも一泊二日がせいぜいだ。
それでもまあまだお出かけできるだけましと言うものだ。
来月は東博の正倉院展もあるしフジョシ活動もあるしで、やっぱり二日間都内にいる。

前夜まで意味不明な行動で困っていた母だがわたしが東京へ行く日の朝、わざわざ外まで「いってらっしゃい」とするのでとりあえず心配はやめて新幹線に乗った。
乗ったら寝てしまって、あっという間に東京ではないか。
ちょっと荷物の整理も出来ひんやないの。

いつものロッカーに荷物を放り込んでまずは日本橋で48時間チケット購入。これはEXIC会員特典。
来月からの値上げも今のところは関係なしだが、まあ次期には値上りだろうよ。

日本橋駅の定期券売り場近くの改札から浅草行きのに乗ると、上野でパンダ橋に行くのが楽。
ああ、確か天気予報は25度以下だったのに…

こんな空の下では夏に戻るしかないよなあ。

西洋美術館も科学博物館もヒトでぱんぱんっにふくれてましたわ。
とうとう恐竜博行かれへんかったなあ、残念なり。

というわけで都美。コートールド美術館展、実に98年以来の再会。
あの時は高島屋で見たのよ。当時はこんな展覧会も大丸や高島屋は開催できたんだよなあ。
まぁ今回はなんとか感想も書けそうなのでまた後日にね。

さてわたしはそこから根津へ向かいました。
根津駅の近くで昼ごはん食べてから弥生美術館へアンティーク着物を見に行く。
ここで面白いのは抒情画に描かれたとほぼ同じ着物の現物を、再現+別バージョンで展示と言う。
いい対比やったわ。
おくればせながらアンティーク着物万華鏡と大阪でのレトロモダンな着物の展覧会をまとめて挙げようと思う。

そこから今月5年ぶりにリニューアルオープンした大倉集古館へ。
一階で名品展、二階で蕪村・呉春を中心にした桃源郷展。
それを楽しんで建物もめでる。


裏手に遼三彩みたいなのがあったよ。

六本木一丁目駅改札前で泉ガーデンに入ってる舶来屋さんの安売りがあった。
チョコなんかは賞味期限が近いからやたらと安い。わたしはチョコとリンゴ麦茶、セーロン茶など購入。

さてここで大失敗。溜池山王から赤坂、荻窪経由で吉祥寺に行くはずが間違えて乗って高輪台へ。
こうなるともう仕方ない。庭園美術館に行くしかない。

建物パチパチ撮り倒しましたわ。
最後はこれ。


そこから目黒に出て晩ご飯食べて東京へ向かう。
ちょっと離れたところから見たらあのドーム部分が饕餮に似てるなと。


定宿に入り、ぐったりしつつ「不滅の恋人」見てから寝る。

さて朝になりました。
ホテルの朝食メニューがちょっと変わってた。
長らくキッチンで焼いてたクロワッサンがなくなったね。
当初のが素晴らしく美味しかったけどいつの間にかカサカサになり、そしてついに終わったのか。

昨日と同じロッカーに荷物を放り込んで、千葉へ。
千葉市美術館へは最近本八幡から京成八幡に出て千葉中央から徒歩というのがパターン化している。
これだとわたしでも間違いなく歩けるし、わかりやすい。
折角JR千葉が綺麗になったけど、あっち使うと本当に迷うんよ。
だからこれでいいや。
ところで…やたらと暑い。酷い暑さやな。とうとう暑さに負ける。

で、千葉市美な…いつもそうやとわかってるねんけど、ほんまにいつもいつも…
要するに、凄すぎるねん。
こんな異常に充実した内容の展示、知らんわ。
それも特別展だけと違う、所蔵品展が異常なんや。
これでもかこれでもか、と凄い展示見せて、こっちが大満足どころかキュウキュウになってエネルギー搾り取られて、ようよう所蔵品やラクしたろと思ったら、他のミュージアムでの企画展くらい濃い濃――――い内容が来るねんもん。
もぉ完全にノックアウト。
建物出た後はあれよ、「魂抜けてとぼとぼうかうか」
とんだ治兵衛よ。

さて表に出たら、えらいこと大風でよろめくよろめく。
日傘の傘袋とカチューシャが飛んで行ってしまった。
もったいな…
しかし探しに行くのももう無理。
惜しいことした。

サーモン丼など食べてから都内へ。
寝過ごして気づけば蔵前。浅草で乗り換えれず日本橋で乗り換えて三越前へ。
朝に母親と電話が通じたときに、晩御飯一緒にしようといったので、早く帰ることになったのだ。
だからもう芭蕉もフォルチュニィも諦める。惜しいことした…

三井で高麗茶碗。これだけ並んでるのは壮観。
根津で以前に井戸茶碗ばかりのを見たが、こういう展示は楽しいのよ。
古人と茶碗の逸話を知ったり、自分の好みを探したり。
今回分かったのは、自分は鴻池家伝来のが好きだということ。
「あ、これええな」がみんな鴻池さんとこの旧蔵品だったから。
楽焼見に行って「あ、光ってる」がノンコウばかりなのと同じで、自分の好きなものは一目でわかるのだよ。

ここでタイムアップ。帰ろう。
新幹線、満員御礼。
夕日きれいわ。

なんとか今回は感想を挙げたいと思っている。

神宮徴古館・神宮農業館をみる

今回は建物について。

神宮徴古館は宮殿建築の名手・片山東熊の設計。
徴古館は明治42年に竣工、戦災により昭和28年改修。
外壁に備前焼のタイルなどが使用されている。

リーフレットから
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矢澤弦月、野田九甫の古い日本をモチーフにした絵画などが展示されている。
松村景文もあった。
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神嘗祭での供え物の模型による再現などがとてもリアル。
正殿の鍵も展示されているが、その字が難しい。
鑰(カギ)といった字なのである。
御鑰。

さて外観だけでも挙げて行こう。
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白備前焼のタイル
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二階から見た。


新館への廊下から中庭を見ると萩が咲いていた。

古い写真。
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チケットの半券に設計図の一部が。当初の本館屋根がドームだったことがわかる。
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こちらは農業館

内部の木の組がはっきり見える天井もいい。

美術館には行けなかった。
やはり一泊二日くらいの旅程が必要なのだ。

市川海老蔵展

難波の高島屋で市川海老蔵展が開催されている。
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来年には13代目市川團十郎を襲名する。

お父さんの12代目さんが海老蔵から團十郎に襲名したのが昭和60年だったか、あの頃はまだあまり舞台に行かなかったが、TVで襲名記念ドラマ「花道は炎の如く」が放映されたのを見た。かなり力の入ったドラマだと思った。
12代目さんは初代團十郎を演じたのだが、史実通り弟子に刺殺されてしまうのが可哀想だとも思い、ある種の悲劇性を勝手に感じたりしていた。その犯人を藤間文彦が演じていたのも印象深い。
なにしろこちらはまだ十代だったので、そんな夢想をしていたのだ。
しかし実際に2013年にまだまだ若いのに亡くなった時はショックだった。
役者としてより、その滲み出るお人柄がとても好ましかったのだ。
そしてうちの母はとてもファンだった。
二人揃って本当に気落ちしてしまった。

今の海老蔵を知ったのはいつ頃からかはっきりしない。
わたしが本当に歌舞伎の舞台にのめりこんだのは1990年代からで、それ以前には資料を見たり芸談を読んだりと言う前哨戦の時代だったので、写真は演劇界あたりで見ていたと思う。
TV「花の乱」でも「なるほど隔世遺伝か」と思ったりもした。
その頃からもう「いつかは團十郎、いずれは人間国宝」と思いながら見ていた。
これはそうでなければならないので、当然の感想でもある。

1999年、坂東玉三郎丈と「天守物語」を競演すると知り、機嫌よく見に行って衝撃を受けた。
当時彼は22歳だったか、舞台に登場した途端その圧倒的なオーラに撃たれた。
わたしは玉様を見に行ったのに、気づけば彼を追っていた。
とうとう舞台を楽しむことが出来なくなり、延々とかれを追い続けてしまった。
これまでの人生であんなオーラを放つ人を見たのはたった二人だけ、今は亡き平尾誠二氏とこの海老蔵だけだ。
本当に驚いた。

特別なファンと言うわけではないがそれでも色々と見ていたが、こちらの事情で段々と観劇から遠のいて行った。
どうも松竹座と新しい歌舞伎座とがわたしとあまり相性が合わないらしく、国立劇場と南座での観劇に集約していたのだ。

さて前置きが長くなったが、前述のとおり来年の襲名記念に展覧会が開かれている。
髙島屋のことだから全国展開の巡回があろうが、この前も後もどこで開催されるかは知らない。

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国貞ゑがく7世8世の團十郎の歌舞伎十八番や家系図などの紹介などのあと、撮影可能展示コーナーが始まった。
パネルと装束の並列展示、映像の上映などである。

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素晴らしい男振りの良さ。やはりお父さんではなく祖父にあたる美貌の11世團十郎、いやそれより「昭和の海老様」によく似ている。再来だとオールドファンが歓喜したのもむべなるかな。

「暫」の刀の模造品。担ぎ上げてみる。傍らには俵も。この重さをずっと…役者さんは本当に体力勝負である。
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こちらは「暫」の中啓。妙にやさぐれたドラゴンである。龍と言うよりドラゴン。パフの仲間の奴。
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こちらは歌舞伎以外の舞台写真。
ワイルドな魅力が横溢している。
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海老蔵は高名なブロガーでもある。
コメントからこの活動を始めたそうだ。
えらい。
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最後に「座頭市」の衣裳。実にカッコよくてこの上っ張りが欲しいと思った。
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映像では家族の情景を捉えたものもあった。
奥さんを失くされたがために、こどもたちとの時間をとても大事にしているのがよく伝わる。
こどもたちもこのお父さん一人を頼りに生きているのだ。
まだとても小さいが、いずれはよい役者になってくれるだろうことを想う。

9/23まで。

樹のちから 東洋美術における樹木の表現

大和文華館「樹のちから 東洋美術における樹木の表現」展を見に行った。
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九月の真ん中とはいえ真夏の暑さがぶり返していた日である。
巨大な松はいつものようにあおあおと葉が茂り、茶色い幹もたくましかった。
花は夏の木槿と百日紅がまだハキハキと咲いていた。
秋の花はこちら。


彼岸花の白いのを知ったのは大人になってから。
「真っ赤だな」の歌でも「彼岸花って真っ赤だな」とあったからなあ。
コスモスは最近少しばかり時期のずれも見られる。

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・山水世界の創出
明清、朝鮮王朝、室町から江戸時代に描かれた山水画が集まる。

実は、というか何度かこのブログ上で記してある通り、長らく墨絵がニガテで就中「山水画」がどうも…
大人になってからやっとその良さが少しばかり響くようになった、と言う程度でしか、山水画に対せない。
理由は一つ。
「風景が淋しいから。山の中よりにぎやかな街の中が好きだから」
これに他ならない。

山水画は中国の文人たちの理想郷である。
塵芥夥しい世間を捨てて山中で風雅を友にして生きる、それを理想とした「高士」たちの憧れを具象化したものだ。
俗塵にまみれて生きるを良しとするわたしが楽しめないのはもう仕方ない。

たまに思うのは坂口安吾「桜の森の満開の下」である。
吉野山の深い桜の山に住まう山賊と、町で生きることを楽しむ女の齟齬の大きさに、わたしは黙って笑っている。
まあだが、距離を置いて絵を見ればよいのだ。感情移入しすぎるからそんなことを思うのだ、わたしは。

ずらずらと並ぶ山水画を眺め続けるうちに、例によっておかしな現象が起こり始めた。
つまり山岳風景が人の顔や他の事物に見えてくる、というあれである。

冬景山水図 陸治 明  峻厳な冬山だが、どうしてか下にある大岩が仰向けの人の顔に見えて仕方ない。

山水図冊 方士庶 1728  12図のうちいくつかわたしの目に映ったものを記す。
3…ガメラが倒れたような山 4…崖の上で踊る女のような姿 6…空中に浮かぶ島のようなものはラビュタか
7…雲の隙間に天空の道が開く 11…怪獣のアタマ
どうしてもどうしてもそう見えてしまい、しまいに全体が何を意味してるのか分からなくなってしまった。
どうも脳が疲労しているらしい。
まあ元々壁を見てても何か別なものが見えてくる体質なので、(別にわたしの中では)おかしくもないのだが。

冠岳夕嵐図 鄭 朝鮮後期  漢江の名勝の夕刻を描く。せきらん。夕もやのこと。その靄のせいなのか、薄青い山々、二つの帆を挙げる船たち。そして陸地に小さく描かれた四人。
かれらは作者とその友人ら。画家は粛宗2年から英祖35年の人。そう知ると「トンイ」「イ・サン」を思い出し、胸が熱くなる。
この景色は彼らのいた時代のものなのだと思うからだ。

唐絵手鑑 狩野安信 56図のうちから これは文琳型の模写もので多くの絵師たちのよいのをピックアップ。
狩野派が大和絵ではなく唐絵を描く一派だということを改めて思う。

澗泉松声図 浦上玉堂  例によって烈しい。いや劇しい、というべきか。「擦筆法」で描く風景。さささっと描くその筆の力。
山の裾には小さな家々がある。だが、この絵の枠の外には何もない感じがする。

京畿遊歴画冊  リアルな風景だが、さてどこなのか。

・場面を彩る樹木
物語に登場する木々はその風土によって様相を変える。

明皇幸蜀図 明  安禄山の乱で蜀に逃げた玄宗皇帝御一行の様子をロングで描く。
蜀へ向かったのはよかったが、かれは大切な楊貴妃を喪う。

文姫帰漢図巻 18場面のうち冒頭の6拍まで。
先般の展示でもそうだったので、久しぶりにその後が見たい。
都の邸宅の木々、蒙古の少ない緑…優しくしてくれる左賢王だが、言葉も通じず孤独が身に沁みる…

仕女図巻 伝・仇英 1540  とても好きな一巻。春のブランコ、夏の蓮採り、秋の庭園ティータイム、冬と言うより新春の白梅を眺める様子。蘇鉄のような樹や太湖石などが素敵なインテリアとなり、この大邸宅の四季折々を彩る。

秋渓群馬図 沈銓 1737  林の中での馬たちの様子。馬たちの様子がリアル。木に擦れてみたり色々。仔馬も可愛い。

桐下遊兎図 伝・余崧 清  いつみても可愛い。三羽のウサギが桐の根元で。秋海棠、鳳仙花、などが咲く中でウサギたちが何やらうごめいている。

芸苑合珍書画冊 朝鮮後期  いくつかの絵のうち「商山四皓図」があった。

・人の想いに寄り添う樹
賞楓図 張風 1660  うっすらと楓。それを楽しむ。

聴松図巻 王翬・楊晋合作 1700  320年ほど前だが、人物表現がとてもリアル。
林の中で松籟を楽しむおじさん。
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いきなり人物がリアルな顔つきで出てくる、この違和感が妙に面白い。

高士観瀑図 山本梅逸 1851  今回のチラシ。松の下を逍遥しつつ滝を眺める高士たち。
涼やかな心持にもなろうよ。

秋渓訪友図 岡田半江 1843  ああ…ワニが立ってて両手をぎゅっとしつつ見下ろすような様子に見える。なんだろう、この山は。

晩秋図 菱田春草  秋の暮れなずむ空にカラスらしき鳥たちの群れが。
春草は名に「春」を持つのに、よい絵は「秋」が多い。
この絵を見ると、秋の淋しさに胸が締め付けられる。
季節性鬱傾向の強いわたしは泣きたくなる。

古木図屏風 富岡鉄斎 明治から大正  力強いのだが樹の一部にオバケみたいな顔がみえる。

樹と言うと、何もすべてが優しいものではない。
恐ろしい樹もある。
子どもの頃にメーテルリンク「青い鳥」で見た森の木々はチルチル・ミチル兄妹の父が樵であることを咎めたし、日本昔話のタラの樹の話では木々がそれぞれ人の形を取って祟りを為していたし、美内すずえ「みどりの炎」では沙漠の街を守る木々が実は人の養分を欲し、人を木の仲間に引きこむ力を持っていたりと、存外に怖い存在でもあった。
そんなことを思うから、山水も他の形に見えるのかもしれないが。

9/29まで。

やっぱりこういうのを見つける性質が、山水図をオバケや人の顔に見せるのだろうなあ。
大和文華館の近所のお医者さんの所で見たもの

神宮徴古館・神宮農業館へ

お伊勢さんへ向かった。
タイトル通り神宮徴古館、神宮農業館へ向かうのが主目的である。
そして宇治山田駅の見学もまた。

普通大阪から宇治山田へ向かうには近鉄特急の素敵なのに乗ってゆくべきなのだが、予約がとりにくいと聞いた。
折角特急を予約したとしても万一乗り損ねたら取り返しがつかない。
それに平日の朝ラッシュに慣れていないし、出かける当日がゴミの出す日でもあったので、急行で行くことにした。
今回の電車の乗り方については仲間内のN女が様々なルートを調べてくれて、それにわたしものっかった。
たくさん挙げてくれたうちのどれを選択するかはわたしに委ねられている。
鶴橋から乗り換えなしを選んだのは楽そうだと思ったからだが、それも時間帯によることを後から思い知らされた。

ところで最近行き慣れたところ以外はコースを考えたり最短ルートを選んだりすることが出来なくなっている。
わたしの脳の衰退もあるし、多忙と疲労がものを考えることをやめさせるようだった。

金曜のラッシュタイムに阪急からJR環状線に乗り換えようという無謀なことを選択したのは、そういうわけなのだ。
まぁもう一つ言うと、わたしの通学・通勤はこれまで電車では阪急沿線のみであとはバスか自転車、これだけだった。
阪急から別な乗り物に乗り換えるということをしたことが一度もなかったのだ。

まあなんというか、結果として「こんなに人がいたのか―」ということだ。
そして例によって例の如くJRは沿線の何処かの駅で事故がおこって数分の遅刻、足きり、などなどで乗るべき電車は並んでる間に行ってしまい、本当にぎりぎりにしかつけなくなってしまった。

乗った電車ではなぜか座れたのだが、これで鶴橋に着くのはいつやねんと調べたら、本当にぎりぎりではないか。
目の前が暗くなった来た。
しかしJRもがんばる。鶴橋に着いたのは予定より少しばかり早かった。
これは助かった。
乗り合わせたO女と共に伊勢へ迎えることになった。

ところでお気づきの方もあろうが、わたしはとにかく「山間部にポツンポツン集落」というのに恐怖に近い感情を懐いているくらい、田舎というものがニガテだ。
「八つ墓村」を思い出すのもあるかもしれないが、とにかくニガテ。なので一人でそういうところを行くのはほぼ不可能。
同行のO女は旦那の実家がこの沿線のさる高名な寺の近くで数年間そこに暮らしていたので、この辺りについてはたいへん詳しい。
互いに喋り捲りあいながらの乗車なので、なんとかわたしの神経も保ったのだ。
そうでなければ到底たどり着けそうになかった。

榊原温泉辺りだったか、巨大な仏像とかニケ像が見えてきた。ああ、まだあるのだなあ。
随分前の話だが、美杉の魚九とかいうところに友人と泊まりに行ったが、あまりに何もなさ過ぎてよく朝一番に帰阪してしまった。難波に着いたとき、心の底からほっとした。そして開店直後のカラオケに飛び込み、結局長時間にわたって歌ったということがある。もう本当にビルの立ち並ぶところへ戻ってきたときほど安堵したことはない。
ああ、苦しかった。

ようよう宇治山田に着いたのは10時53分。集合時間は11時なので丁度の時間。
そしてついて知ったことだが、肝心の宇治山田駅はまさかの工事中。

高崎市役所を見学に行った時以来のがちょーーーーんですがな。

ひゃー。それでネットで調べた限りなーーーんにも出てこなかった宇治山田駅だが、駅構内に食べ物屋もあるしすぐ近くにコンビニもあるではないか。ああもう、ひどいなあ。

それで雨も降ってるのであまりあちこち回る気力も失くしてしまった。
ふと窓を見ると…

工事中だからこその景色だな。


因みに中はこんな感じ。


惜しいよなあ。


それで27分のバスがあるということで外へ出たらすぐ近くの町家がなかなか面白い。

真珠の会社らしい。

あとこんな石碑も見た。

まあなあ。
東大阪もかつては布施が県だったそうだし。

ところで27分にバス停に戻ると誰もいてない。
ポケモンバスが来たのでとりあえず乗る。

メールをすると三人から連絡が来た。
24分に徴古館前に着く巡回バスに乗ったらしい。
こらーわたしを置き去りにすんなよー

わたしの乗ったバスは内宮へ向かうもので徴古館前下車したが、そこに倭姫社が。
少しばかり拝む。

皆さんと合流。
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外観のみ撮影可能。
内部はダメ。
外観の細かい撮影と中の展示については別項。

萩も咲きだしていたがミンミンゼミも盛大に鳴く日。
お隣の農業館へも。ここも面白かった。

本当は更に美術館へ行きたかったが諦めてバスに乗って駅へ戻る。
なにしろお昼御飯がまだなのだ。
駅ナカの海老専門店へ入る。

おいしかったわ。久しぶりに巨大エビフライの良さを堪能したよ。

後はお土産を買い、もう主婦は帰る時間だということで京都へ帰る人とは別にわれわれは急行で一路大阪へ戻る。
車内でおねんねしたりしゃべったりしつつ、桜井まで来たとき、心底ほっとした。やっぱりビルはいいなあ。
結局帰宅したのは19時前。遠いわ…

かなり疲れてしまった…
やはりお伊勢さんにはせめて一泊で行きたいな。
またいずれ。

地図
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高畑勲展に行って その1

高畑勲展を見に行ったのは夜間開館日。
そうでないと絶対時間切れになる。
この判断は正しかった。
十分長居出来た、たくさん見た。だがそれでも時間が足りないくらいだった。

はじめに竹林の中に佇むような感覚を味わわせてくれる演出があった。
竹林と言えば最後の監督作品「かぐや姫の物語」である。
全ては竹林から始まったのだ。
そして少しばかり「かぐや姫の物語」の映像がある。

進むと、資料の森になっていた。迷路というか腐海というか、高畑さんのニューロンの一端を見てしまうような情景が広がっている。
もっとはっきりいうと、ヒトの脳髄の切れ端を形象化した展示だと言っていい。
凄まじい資料の大海が広がっているのだ。
複製品ではあるが、なんという凄まじさか。

中でわたしの興味を引いたのがユーリ・ノルシュテインから来たハリネズミのイラスト入りのもの、ナウシカについてのなにか、そしてドラえもんの企画書である。
このドラえもんの企画書は自身の仕事のためのものではなく、同業者からの依頼で、藤子不二雄にドラえもんの再度のアニメ化を許可してもらうための企画書だった。
今のように国民的作品になる以前のドラえもんのアニメをわたしは歌だけ一部覚えている。しかし作品自体は思い出せない。
だがその後のドラえもんは知らぬものとてない作品となった。
少しばかり中身を見たが、それはドラえもんという作品そのものへの深いオマージュであり、その作品の本質を衝いた優れた論文でもあった。
これをおくられた藤子不二雄は感銘を受けたのではなかろうか。
そんな風に思う。
変なたとえかもしれないが、「出師の表」を少しばかり思い出した。

初期の仕事の紹介コーナーへ。
文字資料だけでなく画像などもある。
・1stルパン三世の23話絵コンテ

・高畑さんの道を決めたと言われる「やぶにらみの暴君」の凄い映像  巨大な階段を飛ぶように逃げてゆく若い恋人たち、その階段を物凄い角度で描く。膝が砕けそうな階段。
・やぶにらみの暴君 ポスター

・王と鳥 ラストシーンのスチール 作品の概要などが記されている。「未来少年コナン」を少しばかり想起させる人間関係がある。

・安寿と厨子王 弟厨子王を逃がした後の安寿の入水シーンが幻想的な表現で描かれる。
美しく哀しい情景。水に沈む安寿の後に白鳥が飛び立つ。
白鳥は別にスワンである必要性はなく、鸛でも鶴でもよく、「大きな白い鳥」であることのみが注目される。
ヤマトタケルの昔から死んだ人間の魂が白い鳥となって飛び立つ、という幻影を日本人は見ている。

・ミニこけし イヌ、クマなどのフィギュアでもある。

・かぐや姫の企画ノート 「思考のプロセス」と題された、途轍もなく優秀な知能の人が記したノートである。
ここでは「かぐや姫の不在」も可能だとある。「拒絶と美しさ」という言葉が記されている。
わたしはこの「かぐや姫の不在」を日本古来の「留守文様」と捉えたが、高畑さんの真意までは到底掴めそうにない。

少し戻り年譜やスナップショットなどを改めて眺める。モノクロの写真と作品ポスターなどもある。
優秀かつ狂的な情熱・執意を懐く人間がいかにして作品を生み出してゆくか、その一端を見る。
全容を見ることは許されそうにない。

・わんぱく王子の大蛇退治 埴輪の馬か可愛い。

・狼少年ケン  モノクロ映像が流れる。街頭TVをみるゴリラたち。彼らはどうやら主人公ケンの敵勢らしい。
スラップスティック的な流れ。

そしていよいよ。
太陽の王子ホルスの大冒険
スタッフとの共闘の様子がリアルに感じられる。凄く濃密。
テンションチャート表とかいいな。こんなグラフ拵えてたのだなあ。
物語というものは基本「起承転結」か「序破急」で構成を考えるものだけど、何分目でこの盛り上がりとか静かな状況とか細かく設定する緻密さがいい。
ホルスの声優陣は俳優座の人々の出演が主か。あっ若き津坂匡章の名もある。
わたしの大好きな俳優さん、今の秋野太作。
他にも三島雅夫もいる。これまたアクの強い。
そして悪魔の役は平幹二朗。舞台役者として最高だと今も思う。
ヒルダは市原悦子。まさにこの人こそ千の声を持つ人。
他にも声優として親しみのある堀絢子、小原乃梨子といった人々が出演。
素晴らしいラインナップ。
スタッフも無論一流の面々。大塚さん、宮崎駿といった名を見るだけで胸が高鳴る。
本当に凄い作品だったのだなあ。

絵コンテの素晴らしさ、イメージボードの魅力、そして実際の映像。
ホルスはなかなか武闘派なのだね。斧の使い方が怖い。
「収穫の唄」のシーン、川の恵みに喜ぶ村人の様子とその混声合唱が非常に魅力的。
実にいい合唱。村人のハレの様子を掴んでいる。
スコアもすごいな。
「収穫の唄」の歌詞が少しばかり出ていた。
のぼれのぼれヤーヤーヤー
いそげいそげラーラーラー
当時はもう「歌声喫茶」の終焉期だが、丁度田舎から東京大学へ進学した高畑さんはその始まりの時代にいたわけだし、音楽に一家言持つような人でもあるし、更に労働運動とも密接なかかわりがあることを考えると、やはりこの混声合唱はこの作品に必須だったと思う。
更にこの作品への批判の一つにコミュニズムの影響が強すぎるというものを随分前に読んだことがある。
出典を出せないのは申し訳ないが、80年代にそうした記事を読んだということは、アニメ雑誌か映画雑誌かのどちらかの評論だと思う。
他に「婚礼の唄」もいい。

ヒルダのデザインの変遷、アニメーターたちの様々なヒルダがある。
奥山、小田部、森といった方々のヒルダ。
このあたりは丁度放送中の「なつぞら」にもこれをモチーフにした話があったようだ。
わたしは本当にホルスの大冒険を見ておらず、知ったのは和田慎二のマンガエッセイからだから、わたしの中でヒルダは和田さんの絵で再現されてしまう。

「ヒルダにホルスを溺れさせる」という表記がある。
ヒルダは15歳、ホルスは14歳というキャラ設定を改めて思い出す。
その心象風景、迷いの森の背景は東山魁夷の北欧の絵をモチーフにしたそうだ。納得である。
だが二人は生まれの違う双子のようでもある。

実はこのあたりの資料を見ていて思い出したのは、同じ東映動画で後年制作されたSFアニメ「惑星ロボ ダンガードA」でのあるエピソードである。
もうその頃には高畑さんらは東映動画を去っていたし、「ダンガードA」は芹川有吾と荒木伸吾と姫野美智の仕事だが、「異星人ノエルの微笑み」の話がこのあたりの影響をうけているようにもおもわれる。

善の心で子供を助けるヒルダに襲い掛かる冬の狼たち…
このシーンを和田さんのマンガで見ている。
とても正確な作画だということを知る。

太陽の剣を持ったホルスの凶悪なまでの強い顔がいい。
ここまでの力の発現を見せてくれるのか。
なるほど素晴らしい作品なのを深く納得する。

ああ、森康二さんの描いたヒルダの横顔の絵がとても素敵だ。

ところでこちらはもう終了したが、先日京都で上映されたチラシ。
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行きたかったが、無理だった。残念。


続く。

展覧会の感想を書く前にとりあえずまとめておこう

多くの人が心の中に大好きなアニメ作品を持っていると思う。
別にヲタでなくともマニアでなくとも、好きなアニメ作品に寄せる想いは変わらない。

高畑勲の回顧展が東京国立近代美術館で開催されている。
展覧会にいってみて、自分の幼少期にみた「名作アニメ」の殆どに高畑さんが関わっていることを改めて知った。

近年再びTVアニメを見るようになった。
しかしそれはオリジナル作品でなくマンガを原作にした作品だった。
長くアニメを観なくなった。
理由は色々あるが、大きな理由の一つに「少年少女が主人公の恋愛もの」に全く関心がない、ということがある。
年が離れすぎて学校物に関心を持てなくなったというのもある。
元々学校物はスポーツもの以外きらい、恋愛も…そう、BLは好きだが、少年と少女のラブコメが嫌で仕方ない。
今現在でいうと、マンガでも学校物は「バトルスタディーズ」「少女ファイト」以外読まない。
どちらも青年誌での連載。
特殊な性質なのかもしれないが、小さい頃からそうなので、これはもう矯正しようがない。する気もない。

だが、一方で子供の頃に見たアニメの再放送を喜んで見ている。
サンテレビ、京都テレビなどで放送する昭和のアニメを令和の大人になったわたしが見て、やはりいいなあと思う。
たとえば今は「フランダースの犬」の再放送があり、名作だと思いつつ、70年代に子供であることは名作アニメをよい時間帯に享受できたのだ、と気づく。
そしてそれらの作品群のうち高畑さんの演出した作品がかなりあることに気付く。
他方、高畑さんの劇場用作品は「じゃりン子チエ」を見たのが最初だ。
「太陽の王子ホルスの大冒険」は実はいまだに見たことがない。
残念な話である。それは何故かと言うと -----

…どうも基本的に好きなマンガやアニメの展覧会になると、結局「自分の趣味語り」になるので、話が逸れに逸れる。
なので今回は先にここでうだうだと書いておこうと思う。

高畑さんの作品の一覧はwikiから引用する。
東映動画時代の演出助手作品から挙げてゆく。

1961 安寿と厨子王丸 演出助手  この作品、実はいまだに見ていない。あるのは知っていたが、わたしが子供の頃は何故かTV放映されなかったように思う。
大阪での話。佐久間良子が安寿の扮装をしているのをみた。一旦実際の人間にそのポーズを取らせてからの作画だったのか。
 
1963 わんぱく王子の大蛇退治 演出助手  この作品は実は一度見たくらい。随分前の川崎市民ミュージアムで見た限りかと思う。
馬が埴輪なのが可愛い。その時の図録の表紙になっていたと思う。

1968 太陽の王子 ホルスの大冒険 演出  歴史的には知っているが、実はいまだに見たことがないのだ。
これについては理由も色々あるが、リアルタイムの頃は知らないというのもあるし、春休み・夏休みなどで繰り返されたTV放映でもこの作品は出なかったのだ。
理由は知らない。
わたしがこのホルスを知ったのは和田慎二の作品やエッセイから。
それで他の展覧会でヒルダの唄を聴いたりしたくらいである。市原悦子の巧さはこんな昔から変わらない。
あのヒルダが善の心で子供を救う名シーンも和田さんの描いたものでしか知らなかった。
和田さんは高畑さん・宮崎さんの作品世界の大ファンなのだ。
後年、和田さんは宮崎さんのホームズの犬の工場の食中毒シーンを再現されていて、それにもウケたなあ。

この時代の東映動画の長編ものでおそらく大阪でTV放映されたのは「白蛇伝」「わんわん忠臣蔵」「どうぶつ宝島」「アラビアンナイト・シンドバッドの冒険」「西遊記」「アンデルセン物語」「サイボーグ009」「長靴を履いた猫」「少年猿飛佐助」「ちびっ子レミと名犬カピ」だと思う。少なくとも1970年代末まではそうだった。
毎日放送か朝日放送でのことだ。

「パンダコパンダ」を見たのは1982年頃かと思う。
ただ高校の友人が知っていたので、そこから知ってしばらくしてTVでみた。
パンダが終園(演)後、コートと帽子を身に着けて通勤電車に乗ってミミコちゃんの家に「ただいま」と帰るのにはびっくりしたし、とても嬉しかった。こういうラストは本当に嬉しい。
「こうだったらなあ」という思いを具現化してくれたからだ。

TV作品では「もーれつア太郎」「アパッチ野球軍」「ひみつのアッコちゃん」などに参加されたそうだ。
あまり覚えていないとはいえ、三本とも見ている。
中でも赤塚不二夫の「ア太郎」と「アッコちゃん」はやはり好きだったし、今でもキャラ達のイメージが鮮烈だ。
当時はどちらも原作を読んでいない。いや、いまだにどちらも未読か。
ただ、当時の女児としてわたしはアッコちゃんの魔法の鏡を持っていた。
例の「テクマクマヤコンテクマクマヤコン、〇〇になーれ」「ラミパスラミパス、ルルルルルー」である。
小さかったわたしはこのミラーと仮面ライダーの変身ベルトとリカちゃん人形のシリーズがお宝だった。

「ア太郎」に出てきた「ココロの親分」「デコッ八」などが懐かしい。
実は従妹の一人がたいへんなおでこさんで、今もよく「デコッ八」呼ばわりをしている。
「アパッチ」はなんとなくOPだけ覚えているが、さすがに全容は思い出せない。

ところでわたしはルパン三世は1stルパンを圧倒的に愛している。
大隅監督、途中からの高畑・宮崎作品、どちらも好きだが、あえて言えば実は前半のルパンの冷徹さに惹かれている。
フランスのフィルム・ノワールのような雰囲気が好きだからだ。
とはいえ後半のイタリア喜劇風なのも好きで、どちらも併せてやはり1stルパンが最高だと思っている。

いよいよカルピス名作劇場へ。
「アルプスの少女ハイジ」 これはもう全話全てが好きで、リアルタイムに見ていた時から今に至るまでよくマネをするくらいだ。
つまり小学校で食パンに四角いチーズが出ると「わぁおじいさん、チーズだわ」、牛乳を飲んで一言「山羊のお乳ね!」
更に今もついついやってしまうのは、ベッドのシーツを交換する時、ちょっとだけとんでみて、ハイジの気分を味わっているのだった。
子どもの頃はただただハイジが好きでロッテンマイヤーさんを憎く思っていたが、大人になるにつれ考えが変わってきた。
デーテのやり方は今も許せんが、ロッテンマイヤー女史の教育はいかにもその当時のドイツ的な厳格さがあるが、底意地の悪さはないし、教育を受けないままでいればハイジはもしかすると後に酷い目に遭う可能性もあったと思えた。
つまり無知からの苦境を少なくともハイジは味わわずに済んだのである。
人間やはり『正しい教育」が何より大事だ。無知はいかん。

「母を訪ねて三千里」 これは今もカラオケでOPを歌うと、出てくる映像を見て涙ぐんでしまい、声が出なくなる。
それでこれは@roger_demarcoロヂャーさんと仰る方の挙げたツイートだが、ここで紹介させていただく。

この方は他にも興味深いツイートが多いです。

「赤毛のアン」 素晴らしいOPとEDが今も常に脳内再生され続けている。岸田衿子の作詞に三善晃の荘厳なまでの豪奢なピアノ曲。いつ聴いても深く震える。
山田栄子さんの声が正直ものすごくニガテで、いつもイライラするのだが、このアンの声は最初のイライラから、後の「大人になったアン」の変化の中で効果的に変化し、それがとても素晴らしいと思う。
このアンがあまりに素晴らしすぎて、原作よりもずっと好きになってしまった。

わたしは基本、原作至上主義なのだが、いくつかの映像作品では原作より好きだというものがある。
この「赤毛のアン」、出崎統監督「宝島」、実写では内田吐夢「飢餓海峡」、成瀬巳喜男「浮雲」である。
評価はこの先も変わらないと思う。

「じゃりン子チエ」 よくぞこの作品を作ってくださった。
わたしはTVシリーズをリアルタイムに見始め、あまりに面白いので放送が終わってから原作を買い始め、全巻そろえていった。
今も大体週1,2回はどこかの巻を任意に読んでいる。
原作もアニメも大好きな作品。そして原作を読むときは必ずTVアニメのキャラの声優さんたちの声が脳内に流れる。
同じ大阪府民とはいえ、チエちゃんらのいる辺りはわたしには少し遠い。
だからよけいチエちゃんに惹かれるのだと思う。

「火垂るの墓」 つらすぎて何も言えない。

「となりの山田君」 あれをよくアニメ化しようと思ったな、それもあの表現で、といつも驚くやらなんというか…
もともと大学の頃からいしいひさいちマンガは大好きだが、それがこの実験的な映像美の作品になるとはいまだに「なんでやねん」と思うのだ。

「かぐや姫の物語」 映画を見て、これはわたしのことか、と思った女性はおそらく無限にいる。何故こんなにもナマナマしくリアルにわたしたちの心がわかるのか。
隠したい何かを、知らしめたい何かを、高畑さんは露わにし世におくり出してしまった。
この感情についてはここだけでなく、やはり展覧会の感想本編に記したいと思う。
これはやはり展覧会の感想に描くべきことだと思う。


長々と記したが、そういうキモチですなあ。


山口蓬春展をみる

難波の高島屋に山口蓬春展の巡回展がきた。
待っていたので嬉しい。
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彼の絵は今だと葉山の神奈川近美の向かいの山のところに記念館があるので、そこへ行けば何らかの作品に出会えるようになったが、わたしが最初に蓬春の絵を見始めた頃はあまり機会がなかった。
かれの回顧展を最初に見たのは1992年の大丸心斎橋店での生誕百年記念展だったか。
それ以前には大きな展覧会は見ていない。
かれも参加した金鈴社の回顧展や歌舞伎座、山種美術館などでは見ているが、やはりこれだけのまとまった作品群と一度に会えるのはなかなかないので、嬉しい。

蓬春は小樽生まれで、今の東京藝大に入り、当初は洋画家を目指した。
洋画は新しいものだという意識が強い時代である。
それは北海道という新しい地に育った性質からだと本人は言ったが、その絵の本質を見定めた教授により日本画への転向を勧められた。

数点の洋画作品があるが、白馬会のわりに「小径」以外はなんというか関西の洋画に近い雰囲気があった。
1914年「路面電車」は小出楢重の本町を描いたのにも似ているし、1916年の「ニコライ堂」はシャイム・スーティンぽくもあった。
そのままでいれば後年のモダニスト蓬春は誕生しなかったろう。
わたしは今回の展示で初めてかれの油絵を見て、こんなことを思った。

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早い時期の日本画を見る。
虹 1919-20  縦長の絵で上部に虹がかかる。その真下の橋に二人の白川女がいる。頭上に花を集めた籠を載せ、紺色の着物なので白川女だろう。
彼女らの頭上の虹は向かって右側の寺の本堂と塔の辺りから始まっている。
この寺は山を背景にしている。何寺だろうか。この橋は賀茂大橋かとも思ったが、自信はない。

伊都久嶋 1923-24  厳島神社の回廊を背景に一頭の鹿がいるやまと絵である。回廊には釣り灯篭が並ぶ。
この頃は新興大和絵の松岡映丘に師事していたので優美なやまと絵を描いている。
1930年に新興大和絵から離れるまではその枠から離れることはなかった。

初夏の頃(佐保村の夏) 1924  温室のある庭を逍遥する幼い少女の蕩けそうな眼差しが印象的。
白い温室のそばにはねむの木が豊かに花を咲かせている。
そして鳥かごが吊り下げられ、少女はその籠の小鳥に目を向けているのがわかる。
白い衣服のおかっぱ少女。ちょっと生意気に綺麗なネックレスをつけているが、石が服に引っ掛かっている。
小鳥を見て蕩けそうな眼をしていると思ったが、もしかするとねむの木の甘くてよい匂いに惹かれてるのかもしれない。
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ところで今調べたら「佐保村」はこの描かれた前年に奈良市に入り、村としては廃止されたそうだ。
この年は他に「秋二題」を帝展に出している。そちらは薬師寺周辺の農家の風景である。

新興大和絵会のお題で描いたものもある。
「東都近郊十二景」のうち「木場」を描いている。
木材を保管する町の様子は江戸時代のそれとあまり変わりがない。
その町の一隅で吠える黒犬を描く。
関東大震災の後の絵なので、意図としては在りし日をしのんだか、復興を示したかのどちらかかもしれない。
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武陵桃源 1927  桃は満開ではない。風が吹いているのを感じる。大和絵だが、どこか南画風な味わいもある。

緑庭 1927  大きい絵で、奥の緑の表現が素晴らしい。緑と括ったが、様々な<みどり>で構成されている。
そして手前の御所車。静かな鳥の群れ。
新興大和絵の美。
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那智の滝 1929  荘厳な瀧。上から下への流れに沿って四季が描かれる。異時同時でもある。
この絵は大倉男爵主催の羅馬日本画展に出品されたそうだ。

春秋遊宴 1929  平安貴族の遊びを描く。春は龍頭鷁首、二隻がずれて浮かぶ池の様子を描く。秋は紅葉の賀で舞楽。

扇面流し 1930  奔流を背景に物語絵と植物絵の扇面が流れる。力強さを感じる。
「新興大和絵」の破格の絵だとも思う。

ふと思ったのだが、新興大和絵は結局は平安貴族の優美さをその当時の現代に蘇らせるような画題が主で、表現のみならずそういった形式・構成に蓬春はもともと無縁でもあるだけでなく、無関心だったのではなかろうか。
それでとうとう1930年に耐え切れなくなってやめたのではないのか。
…などと勝手なことを想う。

新しい団体に参加して、異なる表現で描く。
二曲一双の「夏雨秋晴」1935 は右の夏が墨絵で左の秋が着色だが、その墨絵が実によかった。湿気を感じた。

梅を描いた「如月」1937と「夜梅」1938はそれぞれ梅のある空間を描いている。梅の花をメインにしたのではなく、梅のある空間そのものを絵にする。前者は薄闇の中の白梅、後者は黒い梅に金の月、枝は付け立てで表現。

泰山木 1939  縦長の画面に満開の白い大きな花花。戦後の新しい表現を模索していた頃の作品にも通じるような感覚がある。

錦秋 1944  紅葉とセキレイのいる空間。この「間」の絶妙さ。

蓬春は戦時中南方へ行った。伊東深水はシンガポールなどにいったが、かれは台南に行って風俗・風景を描いた。
南嶋薄暮 1940  コブウシと煉瓦を土台にした白壁の民家とその中で編み物をする漢民族のチャイナドレスの若い女と、道を行くパイワン族の若い娘二人。
細部がいい。
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煉瓦を白く塗った壁面、窓の装飾、頭上の壺や瓜を入れた籠、家の庇に唐辛子を入れた皿。
この絵のモデルになった家やパイワン族の娘たちやコブウシのモノクロ写真がある。
貴重な記録写真でもある。

戦後になり、日本画不要論などという廃仏毀釈みたいなのが世に出て、多くの日本画家がその問題に直面した。
自分のスタイルを守る清方もいたが、「新しい日本画」を模索する画家たちも多くいた。
蓬春は新しいスタイル・表現を模索した。

緑陰 1950  歌舞伎座に掛かる名画の一つ。下方に花菖蒲、ノムラモミジ、青楓の空間をすっと飛ぶ青い鳥。
描かれたものたちは戦前の日本画の題材と変わらないが、やはり新しさを感じる表現。
これは松篁さんもそうで、以前からの素材を新しい時代に活かした。

夏の印象 1950  モダンムーブメントの旗手、と言ってもいい。
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朝顔の葉っぱの外線をペン画のように描くのはフランスの絵を参照にしたというが、とても鮮烈だ。
中でも中央の帽子。この構成がとても印象的。
好きな作品の一つ。

1953年にそれまで誰も見たこともない日本画を蓬春は発表する。
望郷
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ホッキョクグマと南極のペンギンの競演。ここにパンダがいればヒガアロハ「シロクマ・カフェ」になるか。
誰もこんな絵をみたこともない。

ところで今回ここに小下絵が二点ある。
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こちらは東山魁夷の旧所蔵品。チラシの絵である。
ペンギン三匹。

そして1955年にまたこの小下絵が描かれる。そちらは熊好きの六世中村歌右衛門に贈られた。
こちらの望郷にはペンギンは不在。

リアリズムを求める蓬春
まり藻と花 1955  ガラスカップの中のまりもが水と光の加減で実際より大きく見える様子を描く。
陰の部分も含めいかにもその時代性を感じさせる。

蓬春は花や植物を素敵なやきものとあわせた静物画も多く描いた。
小倉遊亀もそうだが、かれらの描く器がまたとても見事なのだ。

九谷焼に乗せた「枇杷」1956 この器はあの広田不孤斎からの借り物だという。
遼三彩鉢と果物 1956  これもいい鉢で白に緑に黄土色の遼三彩のよいところへ巨峰がのり、外に洋ナシがころん。
他にも素晴らしい器と果実・植物の取り合わせ絵が並ぶ。
染付、赤絵の描写の魅力。

ばら 1962  青花尊式瓶に白・ピンク・赤の三本をいけるのだが、どこかケルベロスのような…色自体は不透明な釉薬のようでそこが面白い。なにも「透明感」ばかりがよいわけではない。これはいえばバタークリームのようなものだ。
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瓶花 1961 白椿ばかりを集めているが中央の花の左側の花が薄くピンクをみせていて、その右隣の椿はピンクをは白で隠したような花。とてもいい。抑制が効いている。

「瓶花」というタイトルの絵は色々あり、ここに出ていないものだけでも、他にポピーに白の黒搔落、花菖蒲もそう、五色椿に青緑の瓶、桔梗と青花尊式瓶というのがある。探せばもっとあると思う。

陽に展く 1968  ひまわり、ひまわり、ひまわり。
こうした対象物が満員御礼のような絵もいい。

今回完全に初見でいちばん惹かれたのがこの絵。
夏影 1963
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蓬春の紫陽花も花菖蒲もよく見ているのだが、両者がこのように遭遇するのは初めて見た。匍匐前進してきたのがバッタリ遭遇といでもいうような状況で、とてもいい。

蓬春は1960年代以降は花鳥風月を描くようになった。色彩や構図が素晴らしくよく、見ていて飽きない。
やがて1970年には皇居の杉戸のために「楓」を描いた。
無論本ものは皇居に入っているのでここにあるのは下図。
そして同じ絵を記録の為にか記念の為にか残している。
これは以前にも山種美術館でみているが、やはり見事だった。

最後の作品「桃」1971 背景は彩色されているのに皿とその中の桃はそのまま。金泥の背景はグラデーションが素晴らしい。

蓬春へのオマージュとして魁夷と片岡球子の絵も出ていた。二人の蓬春へのリスペクトを記した文と共に。

こちらは画室の再現


最後に高島屋の所蔵する蓬春作品が紹介されていた。
高島屋史料館で見たことのある作品たちである。扇面、うちわの原画など。
いずれも明るい感覚の作品たち。

久しぶりに魅力的な日本画展をみれてよかった。
9/9まで。

神戸の暮らしをデザインする 小磯良平とグラフィックアート

小磯記念美術館で9/1まで小磯良平とグラフィックアートの展覧会が開催されている。
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小磯良平は生涯神戸っ子であることを自認し、神戸と阪神間とを愛した。
かれはモダンな神戸に育ち、神戸の魅力を発信する仕事にも参加した。

東京藝術大学に学び、後に長年教授として若い人たちを導いたが、小磯良平を東京人だと思う人は少ないと思う。
かれはあくまでも神戸のヒトであり、魂をそこにおいて生涯を過ごした。
そして1988年に甲南病院において天寿を全うした。

神戸という町のブランドイメージは「おしゃれ」であり「モダン」であることは、1920年代当時既に定まっていた。
開港された150年以前は平安末期に清盛が福原に都を置いたりしたものの、ほぼ何もない寒村でしかなかった。
それが鎖国していた幕府が開港を求められて大阪の川口を開いたら思いがけず浅すぎ、それで神戸港が開かれることになった。川口が居留地として生きたのは短い期間であったが、今も続く川口基督教会にその名残がある。
以前に教会を訪ねたときの様子はこちら

神戸はその時からオシャレでモダンな街になるべくしてなったのだ。
そしてそこに住まう者たちはそうあろうとし、努力を重ねた。

ところで京阪神と一口に言っても、それぞれ三都の性質は全く似通わない。
更に細分化されると三都どころか京都で洛中洛外丹後山城などに分かれ、大阪も摂河泉と言い条その内実は阪急王国の北摂、水の都と謳われた浪花の大阪市内、河内、泉州と異なる。
そして神戸を前面にした兵庫県はいわゆるヒョーゴスラヴィアとして五国に分かれている。
更に細かく言えば神戸と阪神間とはまた性格が異なるのだ。
これはその地に住まうものにしかわからない感覚なので、ここでは説明しない。
一つ言えることは、互いに深い断絶があり、それは郷土愛に基づくものなので、決して融和しない感情なのだ。

京阪神それぞれ大きな祭がある。
時代順にいうと9世紀からの祇園祭、10世紀からの天神祭、20世紀からの神戸まつりである。
街の歴史の浅い神戸は後発だけにやはりモダンで華やかなフェスティバルを目指した。
元々は1933年の第一回「みなとの祭」から始まっている。
この辺りの経緯についてはこのサイトによい説明があるので一部引用する。
「昭和8年(1933年)に第1回が開催された「みなとの祭」と、昭和42年(1967年)に神戸開港100年祭の一環として開催された「神戸カーニバル」のふたつのルーツを持つ。
ふたつの祭が発展する形で昭和46年(1971年)に市民参加型のまつりとしてスタートした。」

その第一回「みなとの祭り」のポスターを小磯良平が担当したのである。
小磯良平30歳の仕事である。
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祭で女王の役を与えられた女性の傍らに佇むシルクハットの男性、これは詩人・竹中郁だそうだ。
この絵は何度も見ていたが、竹中郁だとは今回まで知らなかった。
かれは小磯の「休息」でもモデルになったが、この時は高価なシルクハットをレンタルしていたので汚さないかとヒヤヒヤしていたそうだ。
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小磯良平は神戸二中で生涯の親友・モダニスト詩人・竹中郁と出会った。
この展覧会では小磯と竹中二人の折々の思い出語りがプレートで紹介されている。
当時の時代の空気がそこに漂い、モダンな時代を生きた若い芸術家たちの横顔がのぞく。

この時代の多くの画家は百貨店の販促ポスターや雑誌の表紙絵などにも麗筆をふるった。
別に本画だけが立派な芸術というのではない。
挿絵や童画の魅力が芸術に興味のない人の胸に長く生き続けることも多い。
今も人気の竹久夢二などはその代表格でもある。
一世風靡した彼の画風を慕う人も多くいた。
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一見したところ夢二の絵のようだが、今竹七郎の仕事である。

商業芸術の魅力というものを軽視してはならない。
商業芸術の使命とは何か。
一言でいえば「一目で心を掴む」ということだ。
多くの人がその絵を見てときめき、ある種の欲望を覚えさせる存在。
その感情を発露させる装置でもある商業芸術。
ポスターも挿絵も表紙絵も一目で心を掴まねばならない。
小磯良平はそうした商業芸術にも積極的に良い仕事を残していった。

こうした人々の興味を引くポスターには様々な情報が盛り込まれている。
第一回めのポスターには花火と港らしく船のシルエットもみえる。
以後のポスターも同じく華やかで、見る人の祭りへの期待を高める効果を含んだ作品だった。
花で飾られた乗り物も実際に祭に登場していたし、祭りの女王も美しい。

こちらは第二回のポスター。祭を楽しむ二人のモダンな女性を描く。
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ポスターと原画とその案とを見比べることも出来る。

1930年代のぎりぎり戦争の影響が出ない時代の娯楽、それは後の時代と完全な断絶を見せる。
「この時まで」は確かに魅力あるじだいだったのが、気づけば失われている。
恐ろしい時代なのだ。
(そして21世紀も20年経とうという今、この時代にとても似てきたという事実がある)

展示にはほかに同時代の神戸の風景写真がたくさん出ていた。
手塚治虫「アドルフに告ぐ」でも背景画の参考に使われた風景でもある。
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阪神大震災の為に随分多くの近代建築が失われたが、この1930年代の建物はどれもこれも魅力が深い。
現在も生き延びた建物を少しばかり紹介する。
神港ビルヂング
またこちらは神戸の古写真を集めたサイトである。
神戸の今と昔「Old KOBE Love」

展示では同時代のポスターや神戸のガイドブックなども紹介されている。
ガイドブックは写真と絵とを併せた楽しいもので、眺めるだけでも出かけたくなる。
そう、今の神戸ではなくこの当時の神戸へと。

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楠公像と博覧会の建物。
たまたまこの年が600年祭の年と言うこともあったが、「時代」の空気がここにある。
段々とのっぴきならない状態へ向かっているのだ。

やがて1940年代に入る。
日本郵船の優美な客船三隻を「三姉妹」として擬人化し、それを小磯は絵画化した。
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新田丸、八幡丸、春日丸である。
華やかな三美人のうち左端の「長女」新田丸の着物は高島屋百選会に千總が出した「流線美式天象」。
小磯はこの着物を当時存在した長堀の高島屋で購入している。

イメージ (2211)

背景もいい。
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ただ、悲しすぎることにこの船たちは戦争に駆り出され、名も勇ましいものに変えられ、やがて撃沈されてしまうのだ…
船たちの墓碑銘は横浜の日本郵船歴史博物館にその沈没場所の地図と共に示されている。


ようやく戦争が終わり、戦後の混乱期も過ぎた。

1950年代のポスター
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戦前とは異なるモダンムーブメントの、絵。

そしてまた神戸の祭が始まる。
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この原画は1987年の梅田近代美術館か1990年の神戸市立博物館かで見ているが、前者は記憶のみ・後者の図録は知人が持って行ってそれっきりなので確認できない。


小磯は1950年代の新しい表現の追求時期をのぞいて、総じて温和で優雅な人物表現を得意とした。
特定個人を描くことにも群像を描くことにもたけていて、静物画も過激な表現のない、多くの人が安らげる絵を描いた。
劇場の為の緞帳原画やホテルの為の装飾絵画も担当している。

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公共性の高い場所で今も見ることが叶うのも嬉しい。
そして迎賓館にも小磯の作品が展示されている。

一方、関西学院グリークラブのためにも絵を提供している。
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群像表現の得意な小磯だが、こうした表現もある。
そしてそれが小粋だった。

クリスチャンの小磯のステンドグラスの原画
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原画も写真で見るステンドグラスの様子も素敵だった。


他の画家の作品も展示されている。
田村孝之介のポスターもある。
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田村の本画もいいが、わたしはこの人の挿絵が特に好きだ。

こちらは版画家・川西英によるミス神戸の発表シーン
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皆の表情が…

他にも多くの絵画やみなとの祭1933年のニュース映像などがあり、とても楽しめる。
こんな最後の日にしかまとめられなかったが、ぜひに行ける人は見に行ってほしい。

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