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美術館・博物館・デパートでの展覧会を訪ね歩き、近代建築を見て周り、歌舞伎・映画・物語に溺れる日々の『遊びに行った日を記す』場所です。 

「画中人 中国の人物画」@大阪市立美術館

大阪市立美術館は中国の書画の名品を多く所蔵している。
明治から昭和戦前まで関西の美術愛好家、美術館は大陸の書画の奥深さに魅せられ、こぞって買い集め大事にした。
7年前には関西のミュージアムが中国書画の展覧会をリレー形式で開催した。全部で17展。
当時わたしはこう記した。
「明治から戦前の関西では中華民国の文人墨客との関わりが深く、心に残る交流も多かったそうだ。それが財産になって、今日こうして素晴らしい企画が立てられたのである。」
今回久しぶりに大阪市立美術館でその頃に集められた中国近代の作品を観た。

樹下美人図軸 孫義鈞 題,費丹旭 画 清・19世紀  天平の昔から樹下美人図は人気があった。源泉はもっと西方なのだろうが東アジアでの樹下美人図は特化したように思われる。
とはいえ今回の「美人」さんは男装の美人。幞頭を被り、旅姿で樹下に佇む。どこかへ行くための男装で、今は一休み中なのか。

木蘭従軍図軸 胡璋(鉄梅) 清・19世紀  こちらも男装、おなじみ木蘭。わたしが最初にこの画題を知ったのは橋本関雪の絵だった。白沙村荘に初めて行ったとき川村記念館のチラシがあり、それが木蘭の絵だった。この木蘭は林で一休み中、空往く雁の姿を目で追っている。十年も男装しながら従軍し、気づかれなかったというのは凄すぎる。

二美人図軸 余集 清・嘉慶16年(1811)  岩に凭れるように二人の美人。仲良しな様子。一人は身を起こしているがもう一人がねっとりと凭れる。百合な風情がある。
この絵は明の絵を倣ったそう。
そしてその元の絵師のことを調べようとして、こういうことが。

この余集という絵師本人は仕女図の多い人のようだ。この絵の50年前にも同題でムードの似た絵を描いている。こちら

前掲のサイトさんを見つけることが出来て良かった。

群蝶図軸 馬守真 明・16-17世紀  群れる蝶たちの中心に婦人が佇んでいる。芦雪、松園さんもよく描いた楚蓮香というわけではなさそうだ。それに婦人より蝶たちを描くのがメインテーマ。
この様々な蝶の姿を見て思い出すのが、今はなき中華グッズショップ大中。わたしはそこで学生の頃に蝶々の図様の便箋を購入したなあ。今も探せば少し出てくるはず。

美人倚董籠図軸 馮箕(棲霞) 清・嘉慶18年(1813)  「董籠」がわからないし調べきれない。
ここでは蝋燭を持った少女の立ち姿が描かれている。

武人の絵が二点。
武人像軸 林道栄題、謝時中 画 清・17世紀  劉邦の騎馬姿を真っ向から。馬がカッコいい。
関羽像軸 釈道一 賛、王瀾画 清・17世紀  関羽・関平・周倉の三人。若い関平には髭はない。布袋戯の人形のよう。

鍾馗嫁妹図軸 許俊 清・康煕34年(1695)或は 乾隆20年(1755)  60年の差異があるのは干支しか書いてないからだが、この絵師の生涯を調べようとすると出てきたのが自分のもう一つのブログだったのには笑ってしまった。そうか、誰も他の人は書いてへんのか。書いてても逆にもっと深く書いてるから出ないのかは知らない。
二年前の展示で見ているようだ。こちら
「獅子舞のような獅子に乗る鍾馗と輿に乗るその妹。兄に似ず細面の美人。装束は清朝のそれ。鬼人たちのパレードでもある。百人以上がこの婚礼の列に参加している。」と記していた。
兄貴の鐘馗は鬼たちを集めて妹の婚礼パレードを盛り立てたわけだ。何しろ楽隊までいる。

寒林鍾馗図軸 李士達 明・万暦39年(1611) 本館蔵(阿部コレクション)  こちらは林を逍遥する鐘馗がふと見上げた先に鬼が一匹そっと細い幹に捉まっていた図。特に捕まえてやろうという気はなさそうで、「なんだそこにいもいるか」程度の認識だと思われる。

蝦蟇仙人図軸 閔貞 清・18世紀  なかなかの悪人面。にやりと笑っている。ガマの方が可愛い。主人を見上げている。真っ向から見る顔がこれなのだ。

観音図軸 銭慧安 清・光緒7年(1881)  片膝立てた観音さんはちょっとあれな感じの様子。手元に本など置いているので観音というより…

ここで少し鏡など見る。
青銅 三角縁四神四獣鏡 三国・3世紀 [伝]鳥取倉吉市古墓出土 本館蔵(田万コレクション)
青銅 三楽図八花鏡 唐・8-9世紀 本館蔵(田万コレクション)
青銅 呉王伍子胥図画像鏡 後漢・2-3世紀 本館蔵(山口コレクション)  伍子胥自ら首をはねようとするところが刻まれている。
 
漢武帝会西王母図頁 『名賢宝絵冊』のうち 無款 南宋・13世紀 本館蔵(阿部コレクション)  ロングで捉える二人の対峙。
思えばこの二人の間には東方朔がいるんだよなあ。

黄鶴楼図軸 趙伯駒 款 清・17-18世紀 京都・芳春院蔵  例の李白の「黄鶴楼にて孟浩然の広陵に之くを送る」の黄鶴楼。
鶴ならぬ雲に乗ってるね。この唐詩はわたしも好き。
故人西辞黄鶴楼 煙花三月下揚州
孤帆遠影碧空尽 唯見長江天際流
これだこれ。
今やライトアップされて金色に輝いてるよ。今のは1985年再建のもの。

送子天王図巻 [伝]呉道子 清・17-18世紀 本館蔵(阿部コレクション)   釈迦誕生の様子らしい。濃いめの美人が多いね。
天竺だからか。

品茶図軸 [伝]銭選 明・15-16世紀 本館蔵(阿部コレクション)   お茶売りの人々が集合。多分何らかの慣習か故事を描いているのだろうが、わたしにはわからない。

吉慶図軸 冷枚 清・18世紀  柳の下に美人。

清朝の絵は劇画に似ているところが好きだな。あとやきものでも線描のいい豆彩が素晴らしい。

月宮図軸 余集 清・嘉慶7年(1802)  ああ、この絵師のか。だから美少女もいるわけだ。月世界の人々。中にはかぐや姫もいるかもしれない。嫦娥だけでなく。

老子出関図軸 馬元欽 清・17世紀  何故か天女のお出迎えのある老子。牛に乗って出てゆくのはデフォだけど天女出現は他では見ていないよ。

杏壇絃歌図軸 誠意 明・16-17世紀  孔子の前で琴の演奏をする二人。林の中で孔子一門。
そういえばチャン・イーモウ監督「HERO」かウォン・カーウァイ監督「楽園の瑕 東邪西毒」かどちらかに琴を弾きながら暗殺を挙行する人間がいたな…

米海嶽拝石図軸 陳洪綬 款  清・18-19世紀  いわゆる米芾。彼は奇岩だけでないか、岩大好きの人だったそうで、喜んでる図。従者もちょっと変。

東坡抱研図軸 王震(一亭) 民国8年(1919) 本館蔵  嬉しそうに大事そうに硯を持つ蘇東坡。
イメージ (2323)

風景の中の人々の姿を描く。
田家秋光図軸 倪田 清・光緒29年(1903) 本館蔵  田舎の父子の姿。

竹林七賢図軸 張沢 民国23年(1934) 本館蔵   たいへん静かな人々。

観蓮図軸 沈焯 清・光緒27年(1901) 本館蔵(阿部コレクション)  蓮を見る人々のはずなのにその池には蓮がないように見える。

次回のコレクション展もたいへん楽しみである。

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「屏風祭」@大阪市立美術館

大阪市立美術館に仏像展を見に行ったが、先にコレクション展の「屏風祭」の感想を挙げる。
雨の平日午後でもけっこう繁盛していた。

大阪市立美術館は衆知のように大大阪の時代を中心に市民からの寄贈品が多くを占めている。
なのでこの屏風祭の出品作も田万コレクションが出ている。他に個人蔵のもいろいろ。

四季山水図屏風 狩野派(伝 周文)6曲1双 紙本墨画淡彩 室町時代・15-16世紀 兵庫・太山寺  描いたのは正信だという話もある。
小さな家にくつろぐ人あり。松に囲まれた家。左には雪山と滝。音のない静かな世界。6扇にも小さな家があり、年老いた高士と少年とがいる。
まあ正直な話、こんな山の中の娯楽も何にもない所で隠棲とかマジ勘弁してくれよ案件なのだが、絵だからこそ憧れるのだろうか。
英訳がある。Landscapes of the Four Seasons By Kano School そうか、こんな風に訳すのか。

四季花鳥図屏風 狩野宗秀(1551-1601) 6曲1双 紙本金地着色 桃山時代・16世紀 (田万コレクション)  永徳の弟。
右隻 桜にナベヅル、牡丹は赤い。左隻 紅葉に孔雀、柳は青い。 

佐野渡・秋野図屏風 (長谷川派か)6曲1双 紙本金地着色 桃山-江戸時代・17世紀  秋、長く伸びたススキ、その中を走る鹿。ススキの伸び方がいい。
佐野渡は雪が柳にも載り、他の枝にもみえる。寒そうな様子の人。定家の「駒とめて袖打ち払ふかけもなし佐野の渡の雪の夕暮」の絵画化。
雪は止んでいる。

日吉山王祭礼図屏風 6曲1双 紙本金地着色 江戸時代・17世紀 京都・金地院 
イメージ (2314)
 とても賑やかな様子。人々も描き分けがはっきりされていて、表情もしっかりしている。犬も走る。
何台も神輿がゆく。鳥居の下で巡行を眺める人のうち、ある若衆が目に付いた。頬杖をしてもう片方で刀の鯉口あたりに触れている。退屈な日常の中、祭りを見に来て若い男。これがなかなかの美男だった。3扇の下方にいる。
今の祭りは春だそうだが、この絵では夏なのかみんな薄着である。旧暦だからそうか。
左隻ではついに琵琶湖に着水、水上へ。5扇の船に乗る鎧直垂姿の少年が凛々しくも愛らしい。6扇ではついに神使いの猿が船にたくさん乗る姿が。

どうでもいいが、船に猿と言えば勿論この「日吉山王祭礼図」のクライマックスシーンなのだが、「アギーレ 神の怒り」がすぐに思い浮かびもする。あれは大きな筏に突然小さな猿が大発生するのだった。あれが「神の怒り」の顕現なのか。たまにそんなことを考える。

平家物語図押絵貼屏風 6曲1隻(1双のうち)紙本着色 江戸時代・17世紀 本館(田万コレクション) 異時同時図的な様相を呈した屏風である。押絵貼りだから一枚ずつ単体のはずがどこかつながっていて、つながっていながらも別な時間の別な出来事を描いている。元から押絵だったのかどうだったのか。
・重衡生捕・敦盛最期・嗣信最期・那須与一・紺掻之沙汰 これらがつながっているようないないような形で続いている。宗盛父子が立ち泳ぎする様子も加わる。
そして一枚だけ完全に独立したのが大原御幸。だが、まだ来訪前。鳥瞰した様子というか、誰に対しても同情心のない描き方。

山水人物花鳥図押絵貼屏風 曽我二直庵 6曲1双 紙本墨画淡彩 江戸時代・17世紀 本館(田万コレクション) ・ロバに乗る高士・鷺・梅と鳩らしき鳥・牛に乗る少年・鯉など。
牛に乗る少年がやはり可愛い。十牛図云々より、単純に可愛い。

秋草下絵扇面等貼交屏風 6曲1双 紙本金銀地着色 桃山-江戸時代・17世紀 本館(田万コレクション)  この英訳は説明的でいい。
Scenes from the Tale of Genji,Chinese Historical Figures and Japanese Poems etc. on Autumn Grasses
扇面や短冊が貼り付けてあり、そこに源氏絵、中国の故事、花の絵、和歌などが。そして下方には秋の草野。よく見るとバッタやカマキリがいる。

扇面貼交屏風 宗達派(伝 俵屋宗達)6曲1隻 紙本着色 江戸時代・17世紀   傍らの侍を見る馬、顔面を覆う布には何やら意味を持つものが描かれているが、これがもう何だったか思い出せない。
方相氏でもないし…しかし何らかの平安時代から続く儀式なり祭事なりに使われる顔布なのは間違いない。あー忘れた。

社頭風俗図屏風(箱根神社か)狩野派 2曲1双 紙本金雲着色 桃山-江戸時代・17世紀  金雲たなびく。櫂がたくさんついた船。芦ノ湖を往く。
靄が流れる。牛の角付き合いもある。走る少年もいる。
先年初めて箱根神社へ行ったが、とてもよかった。芦ノ湖と神社の位置関係も把握できて、絵が面白い。

花卉禽獣図押絵貼屏風  狩野伊織(山益) 6曲1双 紙本着色 江戸時代・17世紀 本館(田万コレクション)  この狩野伊織と言う絵師は狩野派の歴史からけされたひとだったそうだ。というのは山雪の妻の弟で山雪の投獄の原因を作ったヒトだったようだ。そのあたりのことを記した土居という人の資料が出ていた。
何年か前に山雪・山楽の展覧会を見たが、案外この辺りの人間関係を覚えていない。
ちょっとググッても諸説あるので本当の所はやっぱり知らない。不勉強で申し訳ない。
・揚羽と白牡丹に奇岩、その下にリボンを首に巻いたタヌキのような猫。つまり吉祥画なのだが、この猫が寝てるところとタヌキ面なのがご愛嬌。猫と狸について書かれた本があるのを思い出した。
・隣の2扇はまるでその様子を見ているかのような鳩が描かれている。
・水面に顔から突っ込んで固まっている雉とそれにびっくりする雄の雉。なんなんだろう。
・細い鮒たちが泳ぐのを何やら不穏な目つきで、しかもあの大きな口をあけながら見下ろす鯉…
惨劇を期待してはいかん。
・耳の可愛いミミズクの背後に騒ぎ散らす小禽ども。
・短毛の灰色兎が二羽。こいつら小柄で固太り。可愛い。

三十六歌仙色紙貼交屏風 住吉具慶(1631-1705) 6曲1隻(1双のうち) 絹本着色 江戸時代・17世紀  色紙ぺたぺた。こういうのは所蔵していた人、楽しかったと思う。

十二ヶ月図押絵貼屏風 月岡雪鼎(1726?-1786)6曲1双 絹本着色 江戸時代・安永7年(1778)  上品な男女は江戸時代の人ではなくそれより少し前の時代の風俗だったり平安人の様子の人もある。
月次の楽しみ・祭などなどを行う様子を描く。
貴女の旅、藤見、桜花で二人の娘が背を預け合う、禊なのか小さい水車を拵えて遊ぶ女児、稚児輪の青年と籠の鶯、鹿と貴人などなど。たいへん上品。

墨梅図押絵貼屏風 鶴亭(1722-85) 2曲1隻 紙本墨画 江戸時代・18世紀  あのハデハデ色彩の鶴亭の墨絵。たいへん力強く抽象的、一気に描いた、という感じ。

源氏物語図色紙貼交屏風 2曲1双 紙本着色 江戸時代・17-18世紀  小ぢんまりと可愛い。

こういう風に色々と楽しめる展示はいいなあ。好きだ。

11/24まで。

交流の軌跡 初期洋風画から輸出漆器まで その2

続き。

元ネタと、模写というか換骨奪胎というか二次創作なのも含めての作品も並べて展示。
1730年にアムステルダムで刊行された「人間の職業」という本が種本なのだが、これは日本でいえば「職人尽」なわけです。

司馬江漢 皮工図 1785 皮の鞣し中の絵。なめし作業では「せん」があまいと傷みやすいので気を付けよう。
タンニンでやるのが長持ちするそう。
…というようなことを明治末の夕張在住の剥製師Eくんの言葉から知った。

樽造り、櫛造りなどの絵もあるが、いずれも元ネタ+α。

方三寸画帖貼交屏風  天明期に司馬江漢、石川大浪ら洋風画を描く人を中心にした9cm四方のミニ絵画と和歌などを集めて屏風仕立てにしたもの。
一扇につき9点で左右合わせて144点の作品が並ぶ。
隷書体で「浮雲舒巻」とあるのから始まる。しかしこれはわたしの読み違いかもしれない。「巻舒」けんじょ という言葉があるからだ。
きちんと見ておくべきだったと今になって反省。
福寿草、漢詩、墨絵の龍、竹、鷹匠、蘭、円窓美人、萩、王義之と侍童とガチョウ、盆山、蟹、ナス、果物、「鶴」一文字などなど。
こういうのは楽しい。

銃を持つ人物 司馬江漢 1813  提げているわけだ。彼の上に格言が記されている。アルファベットもこうして写す。
ただ、それが何を意味しているのかをどこまで理解していたのだろう。
蘭学者に尋ねたりしたのだろうか。

異国風仏図押絵貼屏風 司馬江漢・貫名海屋賛 1812  面白い絵が六点並ぶのだがこのチョイスは何故に?
・アンボイナ島の鳥…鷺とハシビロコウの間くらいな感じの直立鳥。要するに不機嫌そうな。
・ワニ…大きなガラス瓶の中でつるされてる。
・獅子吼…ぐいっと体を時計回りにねじて吠える。けっこう顔幅が広い。
・ラクダ…目がね、カメラを意識しつつ素知らぬ様子。
・ジャワの船とヤシ
・ちょっと不思議すぎる形のトウモロコシ
図鑑から採ったにせよ、謎なチョイスやなあ。

蘭書模写帖 石川大浪  これまた謎チョイス
・襲撃者が邸内に待機。室内の様子をうかがう。室内の者たちは気づかぬまま宴会ムードで和気藹々。
・宴会するアジアの人々。台に横たえられた裸の男性。…屠るのか。そしてそこには「TAIWAN」「FORMOSA」の文字が。台湾が舞台の何かのワンシーンらしい。
どちらも事件性・ドラマ性が高い。

西方医祖必父像(ヒポクラテス像) 石川大浪 1800(寛政12年) 阪大適塾記念センター  府中市美術館の展示のとは顔の向きが違うような気がするが、どうだったかな。
うまい当て字だわ。こういうのがたまにある。メレル・ヴォーリズが一柳さんところに婿入りして一柳米来留、軽井沢に住まったジャクレーが若礼。
こういう感じかな。

3.輸出漆器の世界
華やかなものばかり集まっている。

花鳥蒔絵螺鈿箪笥 桃山 堺市博物館  今回最初に登場したのがこの箪笥。とても煌びやか。
わたしは螺鈿が好きなのだが、奈良から平安、幕末から明治のものが最愛で、桃山のはあまり縁がないが、綺麗なものはやはり綺麗。

伊勢・源氏物語蒔絵螺鈿合子 江戸時代17c 南蛮文化館  野分などいくつかのシーンと猿や菊が咲く様子がデザイン化されている。
イメージ (2295)

源氏物語蒔絵螺鈿洋櫃 江戸時代17c 南蛮文化館  そうアーチを見せるボックス。若菜上の蹴鞠シーン。女三宮も猫もまだいないところ。花鳥に虎などもデザインされている。

長崎歴史文化博物館から来たものが並ぶコーナーがある。
ドッカ―バンク海戦図を元本にした銅製漆絵(密陀絵)。
原画とその油絵と。1784年の銅版画をその世紀末に極東アジアの片隅で絵にしたのだ。
すごいな、それ。
この蒔絵の版の背後には小さい花の絵柄もある。

フリーメイソン紋章螺鈿蒔絵箱 江戸時代19c 九州国立博物館  おお、綺麗な作り。フリーメーソンの目とか握手の文様がはいるが、それがなかったらもっときれいそう。

西洋港図螺鈿風炉先屏風 江戸時代19c 長崎歴史文化博物館  とても繊細な作り。きれい。

最後に凄いのがきた。
長崎風物図螺鈿箱 江戸から明治 
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これはパネルで事細かに解説してくれているが、写真をモチーフにした画を伏彩色の螺鈿で表現するという、非常に手間のかかる作り。
それが何シーンもある。
波の表現もきらきら。相撲、馬上の人、三味線を持つ人、出島風景などの様子を再現する。
本体の中に6つの小箱があり、その蓋それぞれに表情まで描いた螺鈿。技術もここまでくると怖いな。
この川のきらめきはクリムトの絵にも似ている。
丁度この中之島香雪美術館の近所の国立国際美術館で開催中の「ウィーンモダン」展に出ているこの絵のきらめき、それにとてもよく似ている。
イメージ (2302)

凄いものを見たなあ。
前期は11/10、後期は11/12から12/8まで。



交流の軌跡 初期洋風画から輸出漆器まで その1

中之島香雪美術館でちょっと不思議な展覧会が開催されている。
「交流の軌跡 初期洋風画から輸出漆器まで」
チラシを見たら一目で納得。
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南蛮文化ではないか。
実際、御影の香雪美術館所蔵の「レパント戦闘図・世界地図屏風」を筆頭に、神戸市立博物館の池長孟コレクション、長崎歴史文化博物館、南蛮文化館などから歴史的価値の高い名品が集合している。

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1.西洋との出会い
レパント戦闘図・世界地図屏風 江戸時代初期、17世紀初期  この屏風は御影香雪美術館の所蔵品の内でも目を惹くものの一つだが、歴史を調べると1571年10月の戦闘を描いたものらしい。
つまり実戦から数十年後、まだ実際にこの戦闘を経験した人が生きていた頃に原画が描かれ、それがまわりまわって日本に来て、日本人の絵師によって模写されたのか。
しかしながらこの戦闘にはゾウが描かれている。
ゾウが実際に戦車の役割を果たしたのは、もっとずっと昔の話だ。
なんだろう、これは。
…と思っていると、回答が香雪美術館のサイトにあった。こちら

つまりいくつものお手本を見た絵師が「こうだろう、こうに違いない、これだとかっこいい」というようなことを考えながら拵えた屏風なのだった。
だからゾウさんも登場している。
イメージ (2297)
そしてこの頃はまだ日本にゾウは渡来していないが、仏教画でゾウはおなじみなので、ごく可愛く描いたのに違いない。
他に馬たちの目つきがけっこうその考えていることを表しているようだった。

世界地図の下欄には各国の人々の様子を描いたものがあるが、「トルコ」が「つぅるこ」「ローマ」が「ろうま」表記なのは可愛い。
しかしこの地図もよくよく見るとカニバリズムがあったり色々と…
そうそう、どうでもいいことだが、ヴェルナー・ヘルツォーク「アギーレ 神の怒り」はこの戦闘の11年前1560年の出来事という設定だった。
この画風で「アギーレ」を描いたのを想像して、とてもドキドキする。

泰西王侯図屏風・右隻 桃山から江戸初期 長崎歴史文化博物館  一扇ごとに様々な様子の王侯図。
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3扇の王侯に侍る少年の眼差しが妖しい。
比較的平和な状況の肖像なのだが6扇のみ戦闘へ走りこむ様子が描かれている。刃を抜いて盾を腕につけての様子。
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洋風女性図 桃山から江戸初期 堺市博物館  しぃんと座る西洋婦人。

洋人奏楽図屏風 桃山から江戸初期 MOA美術館  湖か池かよくわからんが、その流れの先の川には赤いバラのような形の蓮らしき花がいくつも咲いている。
まあ蓮なのだと思う。大型のハープを立って弾く女性や座ってリュートを弾く女性もいる。
この時代のリュートによる流行歌に「柳、柳」というものがある。山本鈴美香「七つの黄金郷」に登場していた。
それが気になって数年後、ラヂオで古楽器演奏を聴く機会があり、「ウィラ、ウィラ」と歌う「柳、柳」を録音した。
感動した。だから今でもリュートを見るとあのメロディが脳内再生される。

南蛮船駿河湾来航図屏風 江戸初期 九州国立博物館  実際の駿河湾を知らないのでどんな風景かもわからないが、やたらと松が並び、砂浜に続く。
駿河と言えば家康か。まだ南蛮船が来れた時代。
この絵についての考察などが文化遺産オンラインにある。こちら

少し離れた長椅子に座ってこの屏風をじぃっと見るうちにやっとあの松林が「三保の松原」だと気付く。
そうか、松原の内側を描いているのだ。三保の松原を添え物にする絵はよく見ているが、その中にある人々を見たのはこの絵が初めてだ。
なるほどなあ。それでなんだか心地よいのか。

伊曾保物語 1659 京大付属図書館  実物は後期展示だが、パネル展示があったので見たが、鳥を狙う虎の絵があるのだが、どう見ても虎猫なのが可愛くて可愛くて。
ところでこちらは元ネタのイソップ物語の挿絵版画。鶴と狼。この話を絵画化するの多いな。われらが大丸心斎橋のステンドグラスにもあるよ。
イメージ (2294)
こちらは後期展示。

2.江戸時代の洋風画と舶載蘭書
洋人調馬図 小田野直武  馬をあやすところ。どうどうどう、という声が聞こえてきそう。

二枚の図がある。どちらも19世紀初頭くらい。蘭書にある元本をそれぞれがみて換骨奪胎・咀嚼・勉強したわけだ。
イメージ (2299)
右の「鷹匠図」だから「鷹」だろうけど、ミミズクとかオバケのノブスマぽいなあ。
江戸時代、フクロウの耳の出た方のミミズクはオバケの仲間入りしていたし、ノブスマと言うのは血を吸うとか言われた。
実際はムササビとかモモンガの類らしい。そして江戸ではモモンガもオバケに認定されていた。
なんしか北斎「百物語」には北斎の位牌の戒名に「ももんじい」の字があるがこれは要するにモモンガの爺なわけだものなあ。
元本は後期に出るから確認は出来ないが、絵師たちは描かれた鷹をどう見ていたか、それが気になる。
もしかするとオバケぽい鷹なのか、だから右はそれを拡大解釈したのか、左はそれを避けて勢子と犬にしたのか…
どうもこういう洋風画にはこんな妄想をする余地が無限にあるな。

駿州薩陀山富士遠望図 司馬江漢・奥田尚斎識付 1803  不勉強で申し訳ないが、「識付」とはなんなのか。
司馬江漢の絵に奥田尚斎という漢学者が「識付」とかをしているのだが、それは何か。
ちょっと調べても出てこないが、これは「識」付きということなのか。サイン入りということか。
司馬江漢はこの構図の富士山が好きで、同じタイトルの絵が他にも静岡にある。
つまり左手に富士山、手前に海、そしてそこには船が。
fashionpressに絵の紹介がある。こちら

異国風景図 司馬江漢 1807  摩訶不思議なとしか言いようのない絵。色は洗いざらして褪色したかのような虚しさがあり、そこにシュールな風景が広がる。大岩に座る男が一人、こちらに背を向けて絵の奥を見ている。そのずっと先にはどうやら町があり、消失点に塔が薄く霞んでいる。

とりあえず長くなるのでここまで。続く。

今年は蕪村、呉春展の当たり年なのだ

蕪村、呉春、そして松村景文へと至る道が好きだ。
むろん応挙、芦雪の道も大好きだ。
かれらの作品を観る機会が近年増えているのがとても嬉しい。
18世紀の京都画壇、いい絵師がぞろぞろいる。

終了したが、西宮大谷記念美術館で春に開催された「四条派への道 呉春を中心として」展を始まりとして、2019年は呉春の展示を多く見ることが出来る年だった。
今も開催中の逸翁美術館「ゴシュン 画家「呉春」―池田で復活(リボーン)」展、大倉集古館「桃源郷展 蕪村・呉春が夢見たもの」などと後続の展覧会もいずれも素晴らしい。

各展覧会のそれぞれの感想を挙げるのもいいが、今回はふらふらと好き勝手なことを綴ろうと思う。←いつもそう。

蕪村は毛馬の出で若くして江戸に出てまず俳諧の人になり、芭蕉の足跡を慕って自身も旅に出た。
四十を超えて京に居を定め、そこで家庭を営み俳諧と絵とで暮らした。
心筋梗塞で70前に亡くなったが、弟子たちは呉春を筆頭に出来の良いのが多かった。
蕪村が婚家で虐められていた娘を連れ帰った後、弟子たちが師匠の作品をうまい具合に売りさばいて娘の再婚の婚資にあてた。
それに使われた作品は「嫁入手」と言われ、今日も伝わるものが少なくない。
師匠も弟子もみんないい人揃いだ。

蕪村は「俳画」の創始者で、絵に俳句を添えたのにめちゃくちゃ良いのが多い。
わたしなどは芭蕉より蕪村の句の方が好ましく、蕪村の句のボットをフォローしていもする。
Wikiの蕪村のページに、紫陽花の上をホトトギスがしゅっと飛んで行く絵がある。
    岩くらの狂女恋せよほととぎす 
これなどもたいへん良い作品で、所蔵先の愛知県美術館で絵ハガキを購入し、大事にしている。
岩倉は近世から精神病の療養の地であり、今も立派な病院がある。
静かなところである。

蕪村は中国の文人画の技法で中国風な絵も描いている。描かれているのは大方は杣や百姓などで、その日その日を自然と共に生きる様子をしみじみと描く。
どうぶつの絵もとても良い。朝鮮絵画も学んだそうで、東アジアのいきものを温かく描くところに蕪村の人の良さが出ていて、そこが好ましい。
また独特の書体がいい。丁度いま伊丹の柿衛文庫が「蕪村の手紙」展を開催している。
このチラシのおっちゃん、可愛いなあ。又平である。
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さてその蕪村の中国が舞台の絵と言えば、桃源郷を描いたものが大倉集古館に出ている。
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一点二点ではなく意外に多い。遠山記念館、岡田美術館のものもあるので、やはり多くの人を惹きつける良さがあるわけだ。
桃ツナギで桃園の誓いを描いたのもある。三国志の義兄弟の契りのあれね。
桃のふんわりしたのを描く様子がいい。
桃源郷の話自体は存外せつないというか、先のない話なのだが、絵画化されるのはのほほんとしたところなので、そこまで深く考えなくてもいいのだ。
その意味で、大倉集古館の長期にわたる休館とリニューアルにふさわしいオープニング展覧会の目玉として、蕪村と呉春師弟の心地よさそうな桃源郷を描いた絵が各地から集まるのは、やはりめでたい。

この章の後には「桃」を巡る中国の絵画や工芸品が出ている。
桃は吉祥の象徴。東アジアでの人気の高さを思うと、この花も実も豊かな植物の存在の不可思議性にうたれる。

蕪村の描いた桃源郷の始祖や後裔をたずねる。
谷文晁、山本梅逸、富岡鉄斎に至るまでの人々が物語に忠実に、あるいは逸脱してその理想の村を描いている。
村にいるのは人だけではなく犬やトリもいる。
絵師により表現の違う犬たちを見るのは面白い。
ゆったりした時間の流れを感じる展覧会だった。
なおリニューアルだけに大観の「夜桜」など名画も出ている。

春に終わった西宮大谷での呉春の展示ではこの屏風がひときわ目を惹いた。松鶴図
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もっと鳥をよくみる。
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まるで呉春描く動画のようだ。

大江山の鬼退治屏風もある。
しかし殺戮シーンなどの残虐なのはなく、鬼の首持って凱旋するのもつくりものを籠に乗せてるようだった。

この展覧会では動物の絵が多く出ていた。
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呉春は蕪村の死後に応挙に弟子入りをしたが、これまた人格者の応挙は偉そうにもせず、一緒にやろうと言ってくれた。
呉春という人は愛妻と父とを同時期に亡くすなど悲痛な経験を経たヒトだが、それ以外は人間関係に恵まれている。
当人の資質がよいらしく、あの偏屈の代表・上田秋成とも仲良くしていたそうな。

西宮大谷では呉春の弟子たちや大坂での四条派の広がりも紹介していた。

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四条派の自然描写のよさは座敷に合う。
現代でもちよっといい座敷には温厚で明るい景文の軸が似合う。
四条派は現代の京都画壇にも続き、竹内栖鳳らがその道をつないだ。


最後にさすが東宝!なチラシ。
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呉春は最初は蕪村風な絵を描いていたが家族を亡くした傷心を癒すために蕪村の勧めで池田へ行った。
そこで数年間過ごした。それが展覧会のコピー「池田で復活(リボーン)」になったのだ。
かれは名も改め、画風も変わり、この地で「呉春」となったのだ。

もともと社交的な性格なのもあり、楽しい仲間も生まれ、グルメとしても名高く、よい日々を過ごした。
天明期の作品は特に素晴らしく充実している。
決して堅苦しくない、呉春の作品群をみる観客も居心地の良さを感じるようになる。

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逸翁美術館の展示は若い頃から晩年まで集めるだけでなく、逸翁だけでない他の機関の研究者たちとコラボしたそうで、その五人のコラムなどが紹介されている。
それを読むのも楽しい。こうした協同・協力によって大きな成果が表れるのはけっこうなことだ。

まだ呉春以前の月渓25歳の拾得図がいい。箒と笠とを持った拾得がただ一人どこかをなにかを誰かを思っているような風情を見せて立ち止まっている。
寒山はいない。だからこんな遠い目をしているのか。
日高撲堂という人の賛を写す。
擁箒其何拂 当避雨
昏惑不知猶 為知寒山
乎拾徳(得)

池田に行く前の、父や妻が亡くなる頃のどうぶつを描いた図はどこか寂しい。
秋の山道を往く寂しそうな鹿、リアルな鹿の子文様を背に載せた見返り鹿、木登りする猿との対幅は北村美術館の蕪村のカラスの絵を念頭に置いて描いたらしい。
そうした師匠の作品を意識しつつ別な作品をものすのもいい。

師匠の蕪村に倣って文人画風なのもある。
中国の故事を描いた「龍山落帽・桃李園図屏風」は大阪の広岡家が持っていたそう。
静かなフルカラー作品で、なるほどこうした抑制というものこそが文人画だと思わせてくれる。
とはいえさすがおいしいもの好きな呉春、お皿に載るものの描写が細かい。

さていよいよ池田に移住し名も呉春と名乗りました。
楽しい日々の始まりはじまり。

天明期の作品はやはり画面全体から明るい雰囲気がある。
潯陽売魚図 三幅対  この辺りでは魚関係の仕事で働く人が多く、描かれたのもそんな様子三態。
水滸伝の張順もここで魚問屋をしていた。
琵琶行の妓女と会うのもここ。

平家物語大原小鹿画賛 チラシの鹿登場。「誰か来たかと思ったら鹿でした」ということ。
明るく軽い筆致なので、あとあとの話の重みを忘れる…

今昔物語玄象琵琶画賛  鬼が琵琶を弾く話。べんべんべん。

芭蕉を尊敬していたようで、芭蕉ネタの絵もいくつか。
そして弟子の其角の句の画賛もある。

十二か月京都風物苦図巻 これがとても楽しい。月次絵。
ほのぼのした表現で、けっこうふざけた人々を楽しく描く。

三十六歌仙偃息図巻  えんそくとは寝転んで休むことで、歌仙皆それぞれうだうだと遊んでいる。首っ引きしたり、碁を打ったり、あやとりしたり。こういうの、いいなあ。

十二ヶ月行事句図巻  丁度夏の所が出ていた。
鬼貫 夏はまた冬がましぢゃといはれけり
其角 夕涼み よくぞ男に生まれけり
要するに褌いっちょのおっさんが夕涼みする図が添えられている。

七夕の梶の葉に和歌を書くところをとらえたのもある。これは洗い髪をひとまとめに後ろで括る女。
芭蕉 七夕や 秋をさたむる はしめの夜


すっかり立ち直った呉春、京都へ。
今度は応挙につきましたが、応挙は写生を大切にした人で、おのずと呉春の絵も変わってくる。

桜花游鯉図  水中から桜を見上げるような鯉たち。すっかり雰囲気が変わり、円山派の絵師の一人のよう。
こうしたリアリズムは応挙の影響。

応挙の所へ行く前に描いた蒲公英図などは輪郭線をラフにカクカクとして、中央に色を置いたものだったが、これもやがて変わってゆく。
栗柿図のリアルさ。
呉春の画風の変遷がよく見て取れる。

晩年の絵を見る。
苔清水西行庵画賛  吉野での追憶。「吉野は面白くないが、西行発心の地だから面白からぬこの地に」と言うようなことが記されている。30年前を追想する呉春。

蕪村の句を添えた梅の絵もある。
ごくシンプルな枝がすぅっと伸びたのを切り花にしたもの。

社交的な都会人の呉春。
池田でリボーン後、京へ出て、また新たな道を進み、ついには四条派。
それが長く長く世に続いたのはまことにめでたい。

西宮大谷、大倉集古館、逸翁美術館。
いずれも本当に良い展覧会だった。
今年はまことに蕪村、呉春の当たり年だった。

逸翁は10/20まで前期、10/26から12/8まで後期。
大倉は11/17まで。
ぜひ。

2019.10月の東京ハイカイ(…ともいえないよなあ)録

のっけからなんだが、本当に最近ブログ更新がなかなか出来ない。
こういう思いつきのを書くのは別に手間取らないが、展覧会の感想や建築写真を挙げたりとかが、本当に出来ない。
これはあれだ、「時間がないんだ、青春は」…昭和の角川文庫のキャッチコピーか。
えーとそうじゃなくて、青春やなくてとっくに朱夏もこえて白秋になっただけに親がもう朦朧というか耄碌というかで、色々手がかかる掛かる。。
だからこれよ「時間がないんだ、白秋は」というのが今のわたくしですわな。

三連休は台風のせいで各地に甚大な被害が齎されたが、それもあって12日は完全自宅待機。
13日は午後から新幹線。14日は四時前の新幹線、の予定でした。
それが13日早朝に難儀なうちのバーさんがタバコが切れたせいでキレてわたくしに激しい暴言を浴びせるので、もう本当に厭になっていちいち箇条書きしておいたのだな。

ところが昼前に正気に戻った途端、そんなこと忘れ果ててこっちになんだかんだとしゃべりかけて来るので捨て置くことにしたのだ。こんな狂人の気随なのに合わせてられるか。こっちまでおかしくなるわ。
それでどうなろうと知らんわと家を出たのが正午過ぎ。
しかしあとあとこれが響いた。

東京に着いたのが5時前でそのまま上野に出ると、丁度科学博物館の恐竜博が入れそうだったのでそのままふいっと入館。



とまあこんな感じで楽しく恐竜の骨をみたのだよ。

さーて本日は東京国立博物館・平成館での「正倉院の世界」展の内覧会に行くために都内に来たのだ。
夜間での会なのでおにぎり、サンドイッチなどの軽食がレセプション会場に出たのもいいな。
でも紅茶が最初から作り置きなので味が落ちてた。以前のようにいれてくれたらなあ、と贅沢なことを思う。

正倉院の宝物だけでなく所蔵の法隆寺の宝物も共に並び、それがとても効果的だった。
正倉院の宝物の中でも特に知られているものだけでなく、まさかこれが来るかというものもあり、それが実は非常に印象的だった。それはいくつもの箱だった。

素晴らしい正倉院宝物を堪能した最後に「塵芥」がある。
奈良博の正倉院展では見ない、絵画、布、金属片などの「塵芥」である。
透明ボックスに納められたそれらを見て、天平勝宝の時代から令和の今日まで1260余年よく宝物が守られたことを、改めて奇跡的だと思う。凄い。



開幕したのでタネアカシ。

マジでびっくりしたわ。

ええものをたんとみせてもらい、機嫌よく定宿へ。

そして早朝、地元の交番から母親を保護したとの電話。
わたしがいないのでふらふらと出かけたらしい。
なんっって難儀なヒトなんだ。
わたしに向かって「出て行け、気分悪い」など様々な暴言はきまくってこれかい。
結局引き取りはムリなので隣家のオバに電話。
あああああ。

この日はなーこの日はなー、イベントがあるので出てきたんだぞーーーっ
東京駅からバスに乗ってビッグサイトへ。
ほぼ満足して予定より3時間早い新幹線で帰る。
オバとの電話、オジからのメールで今は母は買い物をして家で大人しくしているという。

夕方、バスで帰宅。疲れた。
それが母親がいない。おいおい。
隣家へ行くとまた妄想に基づく被害妄想を延々と…
お詫びとお礼のお菓子を渡す。

母親には適当な作り話をして納得させる。
鳩サブレを食べさせると大喜び。

しかしここまで。なんと内で長年可愛がっていたグレコさんがいなくなっていた。
近所に人間ではたどりつけない猫の国があるのだが、そこへ行ってしまったのか、わたしと母親がもめるのを見ていやになったか、ふらふらする母親を心配して追いかけたか、姿が見えない。
わたしも交番まで探しに出た。徒歩数分の近所。
が゛っくりした…

帰ってきてほしいが、わが家では出て行った猫は暫く待った後、猫戻しの呪文を唱え、それで帰らなかったら諦めることになっている…

東京にいると楽しいことだけだったが、自宅にいるとつらいことばかり。
現実がつらいので、やはりわたしは好きなことにのみ目を向けて行こうと思う。
なので来月もなんとか東京へ遊びに行く予定。

「長襦袢の魅力」でみた抒情画・口絵

「アンティーク着物万華鏡」展の感想で挙げなかった抒情画・挿絵をまとめる。

弥生美術館の普段は高畠華宵の展示室である三階では「長襦袢の魅力」展が開催されていた。
写真撮影可能と言う嬉しさにパチパチ撮った。

こちらは夢二美術館で展示されていた。
わたしは夜景が好きなのでこの絵もとても好きだ。
これはチケット半券に使われている。
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サクランボ柄の着物に白いフリルエプロン。カフェーの女給さんだろう。
手にマスクを持っているところへ男性が花を持ってきたのだが、中身はなかなか意味深ながらも描かれた美しさに惹かれる。


夢二は童画や抒情画の方が好きだ。
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こちらは華宵の描く和装美人たち。
ちらりとのぞく長襦袢の品の良さ。

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羽織やショールも素敵だ。
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丁度今の時期くらいか。
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江戸時代ではないのは指輪でわかるが、ある意味それ以外は旧幕時代と変わらない。


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お染かしら。「久松留守」と書いた流感よけのおまじないを思い出した。


にゃんこと御嬢さん
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他にも佳い作品がならぶ。
明治の絵師と大正の絵師の違いというのも面白い。

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武内桂舟「金色夜叉」
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鈴木華邨  …かな?
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「冠弥左衛門」 鏡花のメジャーデビュー作  さんざんな言われようの作品だが、挿絵は印象的。
この絵の入った本が国立国会図書館デジタルコレクションにある。
なお国文学研究資料館のデータベースにはカラーで掲載。
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梶田半古 これも鏡花の「湯島詣」 この人形が作品の中で大きな存在を見せる。
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このウサギかネズミかのつくりものが乗っかってるのは短檠(たんけい)、照明器具 現物は日本浮世絵博物館所蔵のだったかで見たことがある。
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井川洗厓「新紅筆物語」 目元に艶があるねえ。
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森田久  
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清水三重三「お艶殺し」 谷崎の作品。とても好きな小説。
舞台にも映画にもなった。
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とても楽しかった。

高畑勲展に行って その4

高畑勲展もついに閉幕した。
わたしの感想も多分これで完結(予定)。


「ホーホケキョ となりの山田くん」
これを映像化すると聞いた時の衝撃は大きかった。

わたしは作者いしいひさいちの四コマファンだが、アニメの「おじゃマンガ山田くん」は見なかった。
舞台を東京に代え、東淀川大学を東江戸川大学にしてはあの世界観が壊れるからだ。
だからそちらの作品は知らない。
しかし「がんばれタブチくん」は大好きだ。よく出来たアニメだった。
やり過ぎな位の演出で抱腹絶倒だった。今もついついいくつかのギャグが脳内再生されるくらいだ。
だからどうしてもそのイメージが強い。
強いからこそ、あのギャグをやるのか、とびっくりしたのだ。

高畑さんでギャグは殆ど知らないが、「じゃりン子チエ」の笑いの<間>の取り方の良さはうまかった。
しかしストーリーものと四コマとのギャグの違いは大きい。
どうやるのだろう…

いしいひさいちの作品集ドーナツボックスの個々のタイトルを、単独作品群のタイトルを思い起こす。
いかにも葡萄、ああ無精、忍者無芸帳、滞納するは我にあり、101匹忍者大行進、椎茸食べた人々、馬力の太鼓…
パロディ精神に富んだタイトルがとても好きだ。
膨大な作品群の中で特に意味もなく好きなのが「ケン一くんシリーズ」。
これはもう本当に暫くするとイラッとくるが、それを越すと次はなんだ次は次は、と楽しみでしょうがなくなる。

そんなことを考えていたが、高畑さんが映像化するのは山田くん一家の話だった。
新聞連載のあの一家、「ののちゃん」ところの家。
そう、大阪弁のばあさんと母親と、あんまり出世と縁のない父親とおとなしめのお兄ちゃんと、ちょっとにくそい目つきの犬とがいる山田家。
わたしは違う新聞の読者だが、定宿ではこのマンガの載る新聞を読む。
その度にニヤリ。
「山田くん」のほのぼのした暮らしぶりもわるくないが、むしろ前述の不条理なギャグを映像化した方が「おもろい」のではないか、と勝手なことをわたしは思った。

しかしながら高畑さんは山田くん一家を映像化することを選んだ。
正直に言うと、一瞬、何かの余興と言うかイベントかとも思った。
正しく言えば一種の道楽かと思ったというべきか。
要するに老境に入りつつある大作家のほっこりした作品かと。
タイプは違うが、鏑木清方が展覧会の仕事の第一線から退いて「卓上芸術」として物語絵や挿絵口絵を楽しく制作するようになった話があるが、あんな感じなのかと思ったのだ。

が、これはそうではなかった。
巨額を投入して実験的な手法で構築される作品なのだ。
むろん商業作品としてメジャーな映画館での上映が目的なのである。

水彩画タッチであの絵柄を映画館上映する…
そんな実験的な手法で映像化する…
それも水彩画風って…
しかも原作は「新聞連載中の」山田一家の日常の話。
特に大事件も起こらないし成長譚でもない、日日譚。
読んでニヤリと笑ったり、「あるあるー」と共感したり、イケズやなーと黙って笑ったり、「またーいしいさーんw」と作者に親しく呼びかけながら読む作品。
それを何故選んだのか。
高畑さんが日常生活を描く名手であることも忘れ、疑問符が湧くばかりだった。

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正直な話、高畑さんの狂気を感じたのはこの「ホーホケキョ となりの山田くん」の仕事からだ。
それまではただ素晴らしい映像作家だとしか思っていなかった。
名作を世に送り出してくれる名監督だと。
それだけにこの作品をこのような形で映像化すると知った時、非常に強い衝撃を受けたのだ。
酔狂、道楽の極みではないか。

しかし、思いがけず突いて出た言葉が「狂気の沙汰ほど面白い」でもあった。
このセリフは福本伸行「アカギ」で盲目の代打ち・市川が口にし、アカギもまた鸚鵡返しに吐いた言葉だ。
わたしは戸惑いながらも一方で「狂気の沙汰ほど面白い」とも思っていたのだった。

ところでここで「となりの山田くん」の基礎データを挙げるサイトを発見したので紹介する。
こちら

前置きが長くなりすぎたが、このことは隠せないことなので挙げる。
そしてそのうえで展示資料を見た時の衝撃がいかに重たいかを言いたい。

省線。
いしいひさいしちの作画は執拗な描き込みを避け、省線でそれでも一目でわかる個性を有するキャラ達を造形する。
「がんばれタブチ君」の昔から似顔絵で造形されたキャラたちは、みんなどこかコッケイで、憎々しい奴でさえもいつの間にやら妙な愛嬌を読者に感じさせるようになっている。
広岡、ナベツネ、中曽根といったキャラたちも大阪弁でいう「にくそい」奴らだが、出てくるとついついニンマリ笑い、親しみを感じたりする。
四コマ漫画は短いコマ数で物語を構築するから、連載の場合、背景の「世界」が最初からある程度明らかにされても揺るがないほど、しっかりしていないといけない。
ここでいう「世界」とは世界観のことであり、歌舞伎や文楽での「世界」と同義語である。
前提としてこのキャラはこういう人だと知っていないと、面白味が失われるときもあると思う。
新聞連載の「ののちゃん」は昔の作品に比べると毒も薄いが、それはやはり新聞ということが作用しているだけで、違う媒体で描けばまた更に鋭い皮肉が加わるのではないかたまに思うこともある。

その線描を水彩画で再現するというのはもう本当に狂気の沙汰ではないか。
シンプルな絵を動かすのに凄まじいばかりの技術が必要だという恐怖。
展示を見るうちに背筋が寒くなった。
前掲の基礎データを記したサイトにもあったが、15万枚以上の作画枚数が110分の映像作品の中で必要とされたのだ。
何故そこまで…
演出家の絶対的な命令のもとで、凄まじい仕事をしたスタッフたちを思い、声も出なくなった。
だが、絶対に必要だったのだ、その仕事は。

そんな凄まじい労苦を全く感じさせぬほんわかムードの作品「ホーホケキョ となりの山田くん」が、例によって予定より遅れてようよう完成した。


1999年に上映されたとき、うちのオジが殆ど何の気負いもなく見に行った。
どうだったかと訊くと、のんびりできる映画やったなあ、と言った。
元々オジもいしいひさいち、植田まさしの四コマまんがが大好きなので、これは高畑作品として見に行ったのではなく、いしい作品ファンとして見に行ったようだ。
後日オバも見に行き、やはり同じく「のんびりした映画で、淡々としててところどころ笑えたわ、なんか色が薄かったわ」と言った。
技術的なことばかりがアタマにあったわたしはそうなのか、とそれらの意見を聞いていた。

残念なことにこの時期のわたしは空前の体調不良が続いており、毎朝「ああ、よかった、まだ生きてる」と思いながら目を覚ますという状況だった。夜は寝る間に死ぬかもと不安に駆られていた。
そんな体調だったので、結局この頃は何もできず、会社に行くだけで精いっぱいだった。
そのとき身体だけではなく心も傷んでいたらしく、その淡々とした日常譚の作品の感想を他者から聞くのを楽しみにしていた。
自分が日常へ戻れない恐れを感じていたからかもしれない。
オジの買ってきた山田くんのマンガを読みながらわたしは静養していた。

基本的に波乱万丈な作品が好きで日常を描いた作品は案外ニガテだ。
子どもの頃から今もそれは変わらない。
もう随分な年齢に来たがそれでもワクワクドキドキがないといてられない。
思えば好きな美術作品にもその傾向が出ているのかもしれない。
静物画や西洋の田園風景を描いたものを見ても殆ど何も感じない。
物語性、文芸性、抒情性の高いものにばかり反応する。

この99年以降わたしはアニメだけでなく映画からも離れた。
芝居を観るのも少なくなった。
なのでこれ以降の作品は本当に殆ど知らない。

「おもひでぽろぽろ」「ぽんぽこ」の資料を見て、スイカがおいしそうだとか、タヌキがやっぱり可哀想だとか、そんなことを思いはするが、あまりに知らなさすぎて何も言えない。


「かぐや姫の物語」に全身がざわめいた。
何という物語だろう。
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描かれたのは平安時代の若い女の生き辛さだった。
月から地上へ流された姫の「罪と罰」を目の当たりにするのかと思ったが、そうではなかった。
非情なまでにはっきりと表現された、女の意思など完全に無視される様子に、見ているわたしも憤った。
かぐや姫が楽しそうにするシーンの素晴らしさと、憤りの激しさの表現。
物凄い作品だと思った。

かぐや姫の憤り、苛立ちの表現が展示されていた。
無論それだけではなく、かのじょの歓喜もまた紹介されている。

姫が歓喜する花見のシーンは本当に綺麗で、姫の喜びが爆発しているのがよく伝わる。
見ているこちらもとても楽しくなる。
この作品では喜びや憤りを身体的な動きが表現するシーンがたいへん印象的だが、観る側がこんなにも共鳴・共感できるということは、そこへ導くために凄まじいワークがあるわけだ。
その一端を資料から読み取ると、正直な話、姫と一緒に喜ぶことはできなくなる。
なんという激務だろうか。
単純に「観て喜ぶ」「観て悲しむ」「観て怒る」といったことをしていてはいけない気がしてくる。
しかしそれは作り手ではなく受け手であるわたしたちが考えてはならないことかもしれない。
映像を見て楽しむなり考え込むなりはこちらの勝手だし、作り手の期待でもあるかもしれないが、作り手の労苦を思い、そこに戦慄するのは傲慢かもしれない。
むしろそのことをスルーするべきかもしれない。
そんな苦労を知ってくれ、とは監督は言っていないのだ。
だが、知らない顔をしながらも、知っておくべきことでもある。

ところでこれはあくまでもわたしの勝手な感想なのだが、姫の歓喜が途切れたとき、ようようたどり着いた義母の媼と女の童にすげなく帰ろう、というかぐや姫に対し、個人的に「ええええ」と思っている。
姫は姫で心を痛めることがあったにせよ、優しい義母と親切な女の童にも少しは楽しみを、と思うのだ。
その点、わたしは姫の感情には寄り添っていない。

赤ん坊の頃の姫のころころ映像、これがやはり素晴らしいと思う。
資料を見ながら思い出したのが、子どもを描く名手中の名手・いわさきちひろだ。
彼女はモデルなしで生後60か月くらいまでの幼児の月齢をきちんと描き分け出来る人だった。
姫の成長の様子を見ると、ちひろの仕事を思い出す。

姫の憤りの動画をみる。凄まじい走力で屋敷を駆け抜け、平安の夜の闇の下を疾駆する。
決してそこには爽快感はなく、激しい憤りの風が吹きすさんでいるだけだ。
この時の姫の表情が激しい。眉に憤りが集中している。
ここで思いおこすのは、姫が都人の一員になるためにと雇われた女官の相模により、自前の眉をぽつぽつと抜かれるシーンだった。
痛さがこちらにもわかるのは、姫の身体が抜かれるたびにぴくっぴくっと動くからだ。
ひとの感情は眉に現れる。
そのことを思い、姫を見る。

憤りのまま疾駆する。
こうしたシーンを他で見たかを思い起こす。マンガでは見ていてもアニメーションではわたしは見ていない。
怒りではなく憤り。着ていたものを脱ぎながら身軽になって山へたどりつく。
木地師は他の山を経巡り中で、ここへはあと十年は戻らないのだ。

終始一貫して感じるのは鬱屈だった。
女性という性であることが、こんなにも制約をかけられることに改めて苛立つ。
言い寄る貴公子たちのくだらなさ。その中でも巧いことを言うやつがいて、一瞬心がゆるみかけるが、それもすぐに終わる。
こうした心の動きを何故この高畑勲という人は「わかる」のか。
そして帝によるセクハラといっていい行為に全身が嫌悪でぞわわっとなる姫。
姫はわたしたちでもある、と実感する。

子どもの頃に共に遊んだ捨丸との再会と、飛行。
このシーンが紹介されている。
あああ、なんという感覚だろう。
改めてこの浮遊感、飛行感覚がリアルに感じられる。
姫はこの男となら自分は幸せになれたかもしれないと思うのだが、実際にはこの男にはもう他に家族がある。
この、共に飛ぶ時しか共有できない感情。
姫は結局誰とも一緒にはいられないのだ。

空を飛ぶ爽快感は「ハイジ」「アン」のオープニングでも感じられた。
ここではそれより時間が長い。
その分体に感じる風は強いだろう。
映像を見ながらわたしは頬にあたる風を感じる。


最後のコーナーにきた。
来迎である。音曲は人の世とは無縁なものだ。
物語の終焉であり、展覧会の果てでもある。

人間の生命には限りがある。
高畑勲という人はこれだけの作品群を遺して遠くへいってしまった。
最後の作品「かぐや姫の物語」で描いたように天空を飛んだのか、都路を駆け抜けて山へ疾駆したのか、それとも満開の桜の花びらに乗って散ったのか、それは誰にもわからない。
ただもう二度と新作はない。帰っても来れない。
残されたわたしたち観客は、古い作品からこの「かぐや姫の物語」までを再生し続け、高畑勲という天才の仕事を追想するしかない。

展覧会は間もなく岡山で始まる。
東京国立近代美術館での展示は終わってしまった。
観ることが出来て本当に良かった。


アンティーク着物万華鏡

こちらは弥生美術館での展示。既に終了。

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実際のコーディネートと抒情画とのコラボが素敵だった。

撮影可能なところもありたいへんなにぎわいだった。
大正から昭和戦前の少女たちから若い娘のおしゃれへの意識の高さがとてもよく伝わってくる。

今回は全館この展覧会である。
写真は撮影可能ゾーンから。




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わたしはこの人がいちばん好きだ。鏡花「風流線」ヒロイン龍子のようだといつも思う。
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挿絵や抒情画のうちから選ばれた素敵な着物、それをベースにしたのか、それとも最初からあるのかよくわからないがほぼ同じ柄の着物が共に展示され、更にそれとは違う取り合わせにしたものも並ぶ。
帯を替えただけで全く違うムードになるのにはびっくりした。

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こういう具合にモデルさんのいる場合もある。


こちらは大正時代の芸者のブロマイド。
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手彩色風のところがまた素敵だ。


長襦袢の特集もあった。
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面白い柄も少なくない。遊び心というやつである。
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長襦袢の着方について、時代の違いも含めての連続シーン
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とても色っぽい…

挿絵類はとてもたくさんあるので、それはまた別項にする。

大大阪時代に咲いたレトロモダンな着物たち 

既に終了した二つの展覧会を追想する。
どちらも表題の通り戦前の素敵な着物たちの展覧会である。
まずはこちらから。

・大大阪時代に咲いたレトロモダンな着物たち @大阪くらしの今昔館
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北前船の船主であり、後に汽船会社を経営された大家家の婦人方に伝わった素敵な着物が一堂に会していた。
最後の日に行ったところ、その大家家の方がおいででお話を伺う機会を得た。
現在その方はテーブルコーディネートをお仕事にされているそうで、展示室に設えられていたテーブルや花などはお手製。
とても優雅な方で、お話も出来たのはまことに嬉しい限りだった。





往時の古写真があった。
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さていよいよ着物。
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やはり大大阪の時代の美意識に添って、華やかで大胆な明るい着物がとても多い。

こちらは大家家のこどものおもちゃなど。
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くるみちゃんぼい。

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中原淳一のカード


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和装小物など
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はめ込み。

こいさん・いとさんが楽しそうに装っていたのがつたわる。
御嬢さんというのを昔の大阪は「とうさん」と言うた。
居間では失われた言葉だからアクセントは説明しづらい。
しかしこの林立する着物の群れをみると、大阪の豪商のとうさんの優雅な日々が蘇ってくるようだ。

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ほんまに派手で華やかでよろしいな。

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九谷焼のよいものが出ていた。そちらが大家家の父祖の地。









什器類も出ていた。






とても心が浮き立った。よいものを楽しませていただいて…ありがとうございました。

高畑勲展に行って その3

「赤毛のアン」の展示へ来た。
この作品のオープニングの素晴らしさは、いくら言うても言い尽くせない。
全てのアニメ作品の中でも特別な高さを持つと思う。
1979年にこのようなハイクォリティの作品があることに、今更ながらに感銘を受ける。
作詞は「ハイジ」の詩人・岸田衿子である。作曲は三善晃。

馬車を御しながらアンが現れる。豪華な音楽が繰り広げられる中、アンは四季を駆け巡り、中空を往く。
映像の紹介はないものの、エンディングもまた素晴らしい。特に間奏のダイナミックさ。
ここまで豪華絢爛な間奏を持ったエンディングは他にない。
個人的にはエンディングの豪華さが、より好ましい。
見事な音楽を楽しませてもらえたことを忘れてはならない。

アンのキャラ造形などの資料を見ると、アンが後に「知的な美人」になることが記されていた。
実際その通りで、夢想家でそれをしゃべり倒していたローティーンのアンから、落ち着いたハイティーンのアンに<成長>したとき、子どもながらもわたしもそれを感じた。
そして「やかましい」と思いつつも楽しんでいた荒唐無稽なおしゃべり、それをしなくなったアンに一抹の寂しさを覚えたのは、マリラだけではない。
あの突拍子もないおしゃべりに辟易していたが、マリラもいつしかあの素っ頓狂さを楽しんでいたのだ。
だが、その夢想を発散するのでなく自分の胸の内だけで大事にするようになったアンに、マリラは黙って対する。

マリラの声を当てた北原文枝の名演は、今も耳に残る。
彼女は放送終了の翌年不慮の事故死を遂げている。アニメの仕事はこれ限りだが、本当に素晴らしい仕事を遺してくれた。

劇場映画「セロ弾きのゴーシュ」の紹介と映像がある。
美術は椋尾篁、わたしが最初に買ったアニメージュの付録に、椋尾さんの描いたゴーシュの背景画ピンナップがついていたのを今も持っている。

どこかの地方の楽団で全然セッションがうまくいかないゴーシュのもとへ毎晩毎晩かわるがわるやってくる森のどうぶつたち。
かれらが来るのは夜間なので、必然的に夜間の田舎の様子が描かれる。
月見草が咲いているのがいい。
この作品はキャラの才田俊次、背景の椋尾篁の二人で原画が構成されているのだ。
そのことを思うと、このハイクォリティに感動すると同時に、その労苦に寒気もする。

映像ではにやにやする猫がやってきて、ゴーシュが腹立ちまぎれに「インドの虎狩り」を弾き出したがために七転八倒するシーンが出ていた。たいへんうまい動きである。
ゴーシュは原作ラストで、もうあれきり来なくなった猫を思い、小さな悔恨の言葉をつぶやく。

この映画の記事が当時の雑誌に載っていたのを覚えているが、その記事を読んだことは後々のわたしにとって、たいへん有意義になった。
宮沢賢治は好きではあるが、その当時は深いところまで読み取れていなかったのだ。
高畑さんのゴーシュ論を読んだことで、後年大学で宮沢賢治を研究した際、かなり深く考察できるようになった。
わたしは展覧会や映画などの「感想」をこうしてブログに挙げているが、そこではあえて考察もしないし、研究することもせず、好きなことを書き散らしている。
それはわたしがあくまでも「一観客」に過ぎないからこその手段であり、論文を書く必要性がないから単純に楽しんでいるのだった。
だが、その一方できちんとした研究または探求の一文を読むことはとても大事であることを知っているし、好ましくも思っている。
これはおそらくこの時の高畑さんの記事を読んだことで、自分の中で成立したのだと思う。

「じゃりン子チエ」はとても好きな作品で、実際今も原作を週に何冊かずつ読み返している。
これは高畑さんの作品を観たからこそ、原作に興味が生まれたのだ。
わたしがみたのはTVの本放送中盤からで、映画はもっと後。あまりに面白すぎて、更に大阪人にしかわからない筈のヤヤコシイ感性が隠されることなく歪められることなく表現されていて、それにもたいへん驚いた。
原作を再現しているだけではこうはいかない。深い深い理解がないとこうは出来まい。

声優の選択も最高だった。特にTV版。あまりに素晴らしい演出作品を観たおかげで、今も原作を読んでいると、キャラたちの声がきちんと声優さんの声で聞こえてくるくらいだ。
チエちゃんはおそらくは西成区萩之茶屋あたりの住人だが、いまだに行ったことがない。
ないが、この「大阪市頓馬区西萩」は行きなれた場所のように感じる。それはやはりアニメのカラー映像でみたからだ。
そこから全てが始まった。

展示の中でチエちゃんが「なんか仕事ないかなあ」と見て回るのが、どれもこれも怪しすぎる宣伝ばかりで、これは後に原作に準拠していることを知ったが、やはり間が良すぎて笑ってしまう。笑うに笑えないが笑う。そういう作品でもある。
この背景は山本二三。よくよくこの界隈を徘徊したのだろうなあ…

ところで高畑さんは時に別名で演出もしたそうだが、その名の一つに「武元哲」というのがあった。
無論これは「竹本テツ」のパロディだ。
そしてTVの何話か、テツが骨折して入院したときの個室の表札で「テツ」が「哲」になっていた。
ちょっとした遊び心だな。


「火垂るの墓」これはもう30年以上前なのだなあ…物語自体も70年以上前なのだが、いつまでもいつまでも上映なり放映なりして、次世代に伝えなければならない作品だと思う。
四歳の節子のキャラ設定表を見る。防空頭巾の厚みのリアルさ、幼女の身体の細さ、何もかもが痛々しく、しかもリアルだ。

舞台の一つに西宮回生病院がある。
近年、とうとう解体された。その時の見学と撮影の内訳がこちら。
西宮回生病院
病院の壁には「火垂るの墓」でのこの病院の描写シーンの画像が貼られていた。
改めて戦前の阪神間の文化度の高さを想う。

三宮の柱の太い筒状のそれをみる。
自分の知る三宮のあの柱を記憶の中から呼び出す。
阪神大震災で被害を受けたように思うが、あの柱は今も太い。
清太はあの柱に凭れていた。
せつない。

ここまで。
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