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美術館・博物館・デパートでの展覧会を訪ね歩き、近代建築を見て周り、歌舞伎・映画・物語に溺れる日々の『遊びに行った日を記す』場所です。 

心のふるさと 京都市美術館コレクション

京都市美術館の所蔵名品の展覧会『心のふるさと』を見る。
『京の百景』とはまた異なり、画家自らが描きたい場所を描いた作品たちで構成されている。
近畿圏とアジア、ヨーロッパの各地。

(洛北・洛西)
武藤彰『洛北の秋』 IMGP3195.jpg この絵は看板にも使われた。
終戦の年の洛北の秋・・・戦禍から逃れた静かな地で画家はどんな新教でこの山里の秋模様を描いたのだろう。

落合朗風『梅ケ畑の秋』 こちらはまだ平和な昭和二年の秋の絵。脱穀に精を出す女たち。ここらは洛外なのでまさに百姓仕事がたんとある。

(洛東)
近藤浩一路『大原女』 今まさに橋を渡る大原女たち。靄のにじむ林に掛かる橋。働く女たち。墨絵の静けさが画面全体に広がっている。

竹村竜太『風景』 この絵は以前から好きなのだが、実際の場所がどこなのか特定できないでいる。たぶん、と予測をつけているのだが何しろ昭和十年の景色なのだ。いくら古都とは言え七十年も前の市街地はムツカシイ。しかし丘の上から見渡す風景に晴れ晴れとした心持ちになってくる。もしこの絵の風景が、京都でなくフィレンツェであっても構わない。変わりなく心に残る絵。薄茶色い静かな市街地の風景。

池田遙邨『南禅寺』 大正末年の作画。古来からの社寺境内図を踏襲した構図。絵としてよいのかどうかはわからないが、わたしはこんな作品が大好きなのだ。
須田国太郎『八坂の塔』 まったく珍しいことに白いような明るい絵。大正四年だから須田がまだ須田らしくなかった時代の作品。

宇田荻邨『清水寺』 mir569.jpgチラシの絵。雪に覆われた清水寺。
平安時代後期から清水寺ブームが起き、参拝者がグンッとあがった。今も修学旅行生が大勢来る。
清水の舞台から飛び降りる図は、春信まで描いている。

今井健一『通天橋』 紅葉の名所、東福寺の通天橋。この絵を見て思い出すのが、津雲むつみ『花衣 夢衣』でのエピソード。別れた恋人との再会、逢いたい想いを絵に託す画家、そして。・・・実際の秋の最盛期はごった返しで、そんなときめきはどこにもないのだが。

(鴨川)
鹿子木孟郎『出雲路橋付近』 大正から戦前のその風景。本当にかつてはこんなのんびりした風景が開かれていたとは、信じられない。

伊藤快彦『出町柳』 うちの母は今の出町柳をすたれた、と言う。昔の方が賑わいでいたと言う。しかしこの絵で見る限りは全くもって広々と静かで、華やぎもせず廃れもせず、川の流れを眺めることが出来るような場だった。

(洛南)
伊藤快彦(帰属)『風景、京都駅』 大正期の京都駅、京都ステンショ。これが今も残っていたら、さぞや楽しかったろうに。今の京都駅の構造上どう考えてもミスだとしか思えない建物などよりずっっっとすばらしい。ああ・・・絵を見るだけでもよしとするしかないか。

富田渓仙『宇治川之巻 伏見』 渓仙と言えば水車に淀城に鷺というパターンが多いが、ここでも水車がカラカラカラカラと廻っている。水車と言うよりコレは魚を取る罠なのであるが。水の色がとても澄んでいた。

(宇治)
石井弥一郎『黄檗山禅悦堂』 黄檗山萬福寺には巨大な魚鐸がある。それを描いている。打たれて摩滅した腹もまだふくらんでいる。こういう絵を見ると、あの静かな佇まいの中に自分も入り込みたくなるのだった。そして普茶料理をいただき・・・

須田国太郎『村』 日を浴びる集落。この絵は宇治のどこかの村の図だったのか。まだ須田スタイルとは言いがたいものの、既に形態や色調に少しずつその感覚が現れている。

(滋賀)
麻田弁自『唐崎之松』 墨絵の濃淡が松の量感を見せている。ああ、いいものを見た。
実際の唐崎の松よりも画家の眼を通した風景の方が見事、と言う好例だと思う。

(兵庫)
西山英雄『港』 昭和九年の神戸港の様子。働く人々、大きな船、どことなく変な絵にも見える。

(大阪)
池田遙邨『雨の大阪』 中之島の風景を描いている。見るだけで嬉しくなる。大阪が東洋のマンチェスターと呼ばれた栄光の時代の、雨の朝。昭和に入ってからの遙邨の絵は何もかもがすばらしい。

(奈良)
水野深草『遅日』 奈良のどこかのお寺の門前に牛。どうも昨秋以降わたしは奈良――(廃都)――に惹かれていて、どうにもならない。黒い牛の背に当たる日差しが気持ちよさそうな午後。時間の流れが異なるのを感じるような絵。

(和歌山)
麻田鷹司『雲烟那智』 墨が利いている。ああ、水飛沫がくる・・・そんな<実感>さえ湧き出してくるような、那智の滝を、画家は描いている。

小林柯白『那智滝』IMGP3192.jpg

緑の中に瀑布。ご神体だと言うことも忘れ、ただただその美しさに惹かれ、その絵に惹かれ。

(アジア)
秋野不矩『テラコッタ寺院』 インドに行くことは恐らく(絶対)ないのだが、秋野不矩さんのインドの農村を描く作品を見ると、自分も同行している気になるのだった。
「ああこのお寺はテラコッタなのか、日干し煉瓦はユーフラテスの向こうか」そんなことを考えてしまったり。色彩が深く心に刻まれてゆく・・・。

(ヨーロッパ)
明治の昔から大勢の画家がヨーロッパへ出て行った。今では忘れられつつある洋画家たちの残した作品が数多く展示されている。
川端弥之助、都鳥英喜、浅井忠・・・いずれも大正期の作品。
明治の世に油絵を学んだことが実感できる作品たち。
ほかに奥村厚一の素描やスケッチの多くが出ていた。

こうして眺めると、画家各人の心の在りようが、好んだ場所がわかってくるようだ。
わたしは自分の好きな場所を、風景を描くことは出来ない。その技能もなく、そのくせイメージだけは肥大しているので、巨大な溝が生まれるばかりだ。
ここでこうして画家たちの<心のふるさと>を眺めたことで、とりあえずその溝の上に橋を掛けておく。
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