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美術館・博物館・デパートでの展覧会を訪ね歩き、近代建築を見て周り、歌舞伎・映画・物語に溺れる日々の『遊びに行った日を記す』場所です。 

河野通勢 大正の鬼才

松涛美術館で河野通勢の回顧展が開催されている。
東京ステーションギャラリーで『河野通勢 大正リアリズム』展を’98年末に見ている。
その年の夏には大山崎山荘で白樺派関連の展覧会があり、少しだけ出ているのを見ているから、どちらにしろ十年ぶりの展覧会だと思う。
弥生美術館でも挿絵を見たように思っていたが、勘違いかも知れない。
挿絵の場合、原画でなくとも本などの資料も大事だから、そちらで見たのと錯誤しているかもしれないのだ。
mir710.jpg 『項羽と劉邦』より

今回の展覧会は実に良い内容だった。前回の東京STの展覧会では不足を感じていたが、今回は不足などはない。強いてあげれば挿絵関係の充実を求めたかったが、挿絵愛好家は少ないようなので、仕方ないのかもしれない。

河野の絵の特性は「極端な執拗さ」これに尽きるように思う。
ペン画にしろ洋画にしろ挿絵にしろ、省略と言うことを一切しない。
無論妥協もしない。自らの特性を押し通して描き続けた。
特に群集図と言うものが物凄まじい。
一人ひとりを描き分けるだけでなく、別個の動きまで見せている。
これは河野が敬虔な正教徒であったことが根となり、夥しい素描を描き続けたことが栄養となっての特性かもしれない。
挿絵画家として個性的なペン画を生み出せたのも、その特性があるからではないか。
裾花川という郷里の川を中心にした風景画も重苦しい色調で塗りこめてある。
ところがこの風景画に人物が含まれると、奇妙な世界が生まれてくる。

大きな木を中心にしてクネル道があり、そこに何故か杖を突いて歩く人物がいる。
これは後からの描き込みではなく、下絵の段階からの登場で、彼を巡る図に見えなくもない。
そのくせ誰も彼に視線を向けず、意識も向けない。意図的に忌避されたのではなく、ただ無視されている。
彼がいないと想像する。すると絵は色調は重くても、働く喜びや日常のちょっとした仕種を見せるただの風景画になる。ところがここに(真ん中やや右下寄り)へんな人物がいることで、場が歪みを見せる。
河野にはこうした作品が多いように思う。

『三人の乞食』 手前に三人の若い乞食がいる。風貌は無国籍。三人は寄って座っているが、大きな距離感があるのは誰も視線が交わっていないから。
しかしそのくせある種の親和もある。向こうには青い空と野良。風に吹かれる三人は乞食ではあるが、惨めさはない。
解説プレートには「貧しきものへの河野の温かなまなざし」とあるが、それはしかし大正期の秦テルヲと同じ意味での視線ではない。
むしろキリスト者としての河野の視線がそこにあるように思われる。
つまりこの三人は『東方の三博士』の見立てではないか、とわたしは思うのだ。
河野を尊敬し兄事した関根正三の佳作『三星』は少年三人を描いたものだが、あれもその見立てだと思っている。
つまり家を持たない漂泊流浪の人が三人集まり「東方の三博士」として家々を訪れる。
人々は彼らから祝いの言葉を受け、そのお返しとして何がしかの食べ物などを施す。
それがヨーロッパには汎く存在していたようで、『クラバート』などにもその様子が描かれている。

肖像画を見る。だんだんとコローの影響を脱し、ここでは北方ルネサンスの影響が見え始める。
しかしこの自画像の多さはどうだろう。
全身像のそれはなく、胸から上、特に顔だけの自画像がやたらと多い。背景色は様々に分かれる。そして少しずつ表情が異なっている。なかなかかわいい顔のものもあるが、どことなく自意識過剰なところもみえるような。

『好子像』 義妹好子をルネサンス風の背景において描いているが、描かなくてもいいのでは?と思うような箇所まで描いているので、ちょっと不思議である。

素描で『走る人』というものがあり、衣装の襞がこれでもかと描き込まれている。この絵などを見て、中川一政が「なんでも描ける」と言ったそうだが、確かにそうだと実感がある。すごいものだ。
しかしその執拗さはなかなか怖い。一枚の紙上に延々と目が描かれている。目だけ。本当に目だけ。目玉ではなく瞼も睫毛もあるが、やはり恐ろしい。

『虞美人化粧之図』 長与の挿絵からスピンオフしての洋画作品だろうが、これが今回いちばん惹かれた。黒を底に潜めた青い背景。廻廊の装飾欄間には鶴、その下では楽人の歌舞音曲、唐子たち数人、そして髪を長く梳き伸ばされた虞美人の横顔。手鏡をみつめる視線。十人ほどの腰元たちは寄り集まり一束になり、まるで色鮮やかなエノキダケの群に見える。楽人たちも踊るものは笑ったような面をかぶり、背後に固まるものたちはインドネシアの楽人風の金の被り物をしている。
子供たちの笑顔も嘘くさく、そして牡丹の花々だけは北宋画風の色調で描かれている。
なんとも不可思議な魅力に満ちた絵だった。

聖書を描いた作品群がまたなかなか見ものが多かった。大体は1920年の作が多い。
旧約が凄いのはわかっているが、『ロトの逃走』はペンの威力が目立った。
『モーゼ』は三枚続き。
こういうペン画を見ていると、大正期の流行まで伝わってくる。絵の内容が、ではなくにペン画のスタイルが。
竹中英太郎『孤島の鬼』武井武雄『ラムラム王』などのシャレてて少し不思議な描線。
モダンでオシャレで、そしてちょっとヘン。

『スザンナ』も二枚あったが、長老たちがのぞきに来るシーンのものより、裸のままスザンナが崖から降りる?登ろうとする?小さな一枚が特に良かった。
『テベリア湖の耶蘇』 これは構図がよかった。なんとなく不思議な構図だが、舟がどう動いているかわかるような。考えればイエスは水と深い縁があるのだった。
「ペトロやシモンは漁人(すなどり)だ」という言葉が思い出されもする。

『サロメ』 これは線描だが、女の邪悪な微笑がいい。盤を持って待ち受けていて、早く男の生首を乗せろと強いる。男の生首を得て嬉しそうに笑うサロメや、一瞬驚愕するサロメを見ているが、こんなに凶悪な微笑を浮かべているのは、ビアズリーか河野の絵くらいなものだ。
ヨカナーンも気の毒なものだ。そのヨハネの油彩が今回のチケット及びチラシに使われている。
遠目に見ればどことなくダ・ヴィンチ風でもある。

しかしハリストスの信者だったわりにイコン風な絵は一枚もないのも、不思議かもしれない。見てはいるらしいが。(山下りんなどの作を見ていると記録がある)

関東大震災の直後に各地の被害状況を描いたシリーズがある。
これなどはやっぱり悲惨で、見ていると85年前も現在もあまり状況は変わらないように思えた。
政府は早く動かねばならない。

風俗を描いた絵もいろいろあるが、リボンをつけた少女の絵には久しぶりに会った。
前田寛治風の少女なので、時々カンチガイする。
総じて草土社の頃は劉生ぽいというより、椿貞雄的な色調だと思いもする。
やがて挿絵画家の仕事が多忙になった頃の作品『竹林七妍』などは、これはもう不気味な魅力が溢れていて、先にあげた『虞美人化粧之図』同様、わたしにはとても魅力的な作品なのだった。
日本、中国、インド、ギリシャ・・・などの美女たちが竹林にいる。シュールな作品。
毒と知りつつ飲まずにいられないような、魅力がある。

挿絵や本の装幀が、実はいちばん楽しみでわたしはここへ来たのだ。
20年前から明治大正昭和戦前の挿絵に惹かれているので、わたしは河野が洋画家とは実は十年前まで認識していなかった。
挿絵画家としての河野がいちばん好ましい。

長与善郎『青銅の基督』『項羽と劉邦』、吉川英治『ひよどり草紙』、下母澤寛、邦枝完二らの作品には髷物の絵を描いている。
どれもこれもいい。たいへんいい。
mir710-1.jpg

こちらも『項羽と劉邦』より。これは’92『きらめくモダン 大正ロマンの画家たち』展で手に入れたから、もう16年か・・・。
この辺りをもっともっと見たかったが、仕方ない。

他にも父親の描いた絵や遺品の手裏剣(真っ直ぐな形のもの)などがあった。
父親の絵の中でも猫の絵は良かった。
それにしても写真などを見ると、家族思いのいいお父さんでもあったようだ。
プールを家に造っている・・・(そう言えば奈良の志賀直哉邸にもプールの跡地がある。しかし自邸のプールと言えばアメリカか、戦後の『瘋癲老人日記』でのそれくらいしか・・・)
儲かってたんだなー。
ところで河野の洗礼名はピートルだと言うが、正教会ならピョートルではないのだろうか。
・・・まぁおんなじか。結局はピーターですか。

ここにはないが府中市美術館に『ノアの箱舟』のペン画がある。
動物たちが戯画風に描かれていて、なかなか面白い。
ペン画にはわりと独り言も描き込まれていて、それを読むのも興味深かった。

あと現在MOTで開催中の『屋上庭園』では『叢』の素描が出ているらしい。
どちらも実物は見ていないが、絵はがきと今月の『メトロ沿線だより』で見た。

七月からは後期に変わる。
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コメント
こんばんは。土曜日、Bunkamuraのロシア・アヴァンギャルド展で友人に出会い、一緒にもう一度松涛に行ってきました。
自分の前回の記事が大分いい加減だったので書き直そうかと思っていたのですが、こちらの記事を拝見して、もう自分で書いてしまった気持ちになっています。ありがとうございます。
「鬼才」というのは当たっていますね。お父さんの画は真面目そのものなのに、息子の画からは諧謔性や偏執性も感じられました。
ところであの手裏剣は何でしょうか?友人に聞かれて閉口しました。
2008/06/22(日) 22:47 | URL | とら #8WYMted2[ 編集]
☆とらさん こんばんは
偏執性だけでなく諧謔性がにじむのと、家族や友人らとの楽しそうな写真に、なんだかホッとしたわたしです。

手裏剣・・・わたしもナゾです。
気分転換に放ってたそうですが、なんなんでしょうね。
2008/06/22(日) 23:32 | URL | 遊行七恵 #-[ 編集]
私には、ちょっと「くどい」と、いった感じを受けました。
また、自画像の数が多くて、ビックリでした。
あと、筆のタッチが長い絵が2枚ほどありましたが、これも「くどい」ところがゴッホのようでした。
2008/06/23(月) 00:26 | URL | 鼎 #PgtEBqSc[ 編集]
こんばんは。

濃い展覧会ですよね。
濃密そのもの。
息苦しささえ感じるのに
決して居心地が悪くないのは
さて、どうしてでしょう。

松濤ではまだ見ていないので
近いうちに出かけてみます。
こちらの感想参考にして。
2008/06/23(月) 02:19 | URL | Tak #JalddpaA[ 編集]
はじめまして
つたない記事にコメント頂きありがとうございましたm(__)m
河野通勢の作品を一挙に鑑賞する機会がなかった(特に洋画)ので、とても価値のある展覧会だと思いました。
細かい分析にいちいち納得する部分が多くて、大変参考になりました。風景画の中に混ざる人物にも、言葉にできない違和感と不思議さを感じました。そして、主題も細部も同じ筆致で描かれている点も面白い作風ですね。
ぜひまたお邪魔させてくださいm(__)m
2008/06/23(月) 03:39 | URL | もうやだ #-[ 編集]
☆鼎さん こんばんは
そのくどさが特性ですからねぇ。
でも彼の社交性や対人関係などを見ていると、作品とは別なものを感じて、なんとなく安堵してました。
わんこ抱っこ写真とか・・・
繊細な爆弾のようなゴッホとは、また違うのでしょうね。
とにかく群集図には参りました。


☆Takさん こんばんは
今回の展覧会はTakさんが教えてくださったおかげで行けました。
松涛にきてくれ、ホッとしました。
濃密な空間でしたね、本当に。
色彩感覚も北方ルネサンスの影響を通過したから、と言うだけですませれる状況ではなさそうですし。
ちょっとスーティンまで思い出しました。


☆もうやださん こんばんは
>主題も細部も同じ筆致
それが作品全体に異様さを齎している原因のようにも思いますね。
しかしながら主張しあわないので、破綻していないのも、不思議です。
自宅には飾れないけれど、こっそりどこかで眺めていたいような、そんな気がしました。
日常から逸脱した空間を描いているからでしょうか。

2008/06/23(月) 22:03 | URL | 遊行七恵 #-[ 編集]
この画家の作品、あまり見たいとは思わないのだが、
でも見ずには入られないというアンビバレントな気持ちに
なります。
「毒と知りつつ飲まずにいられないような、魅力がある」。
その通りですね~
2008/06/25(水) 19:19 | URL | 一村雨 #-[ 編集]
☆一村雨さん こんばんは
アクの強い画家ですよね、本当に。
一度見たら忘れられないような。
土俗性とでも言うのか、そんなものまで感じる一方で、アジアでもヨーロッパでもないものなんですよね。

飲んだ毒が身内に回りそうですよ。
2008/06/25(水) 21:25 | URL | 遊行七恵 #-[ 編集]
東京都現代美術館で遊んできました。
「屋上庭園」に河野通勢の作品が7点出ていました。

2008/06/27(金) 21:28 | URL | 鼎 #PgtEBqSc[ 編集]
☆鼎さん こんばんは
一度お蔵の外に出ると、絵も工芸品もイキイキ働き出すのですね。
素描の凄まじさ・・・雑草も恐ろしいほどに伸びそうですね、河野の絵筆に掛かれば。
2008/06/27(金) 21:59 | URL | 遊行七恵 #-[ 編集]
> 『叢』
どんなんだったか忘れてしまいました。
「柏の葉」が3点あったのと、自画像が1点。
「河柳(裾花)」、「風景(裾花)」の、計7点でした。柏の葉」って松濤にも出てましたっけ?他の作品と感じが違いました。線が細かくないと言うか。
屋上庭園、以外に面白かったです。

「大岩オスカール:夢見る世界」も、メモ録ってしまうくらい面白かったですよ。ビデオも面白かった。まるまる見て来ました。
可愛い図録買って来ました。1200円かな。
2008/06/27(金) 22:16 | URL | 鼎 #PgtEBqSc[ 編集]
☆鼎さん こんばんは
線の細くない絵はまだ見てません。
パラノイア的なこだわり細密描写も、「屋上庭園」に置かれると、風に吹かれて線の数が変わったのかもしれませんよ。
わたしはやっぱり挿絵がいいな・・・
2008/06/28(土) 23:10 | URL | 遊行七恵 #-[ 編集]
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