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美術館・博物館・デパートでの展覧会を訪ね歩き、近代建築を見て周り、歌舞伎・映画・物語に溺れる日々の『遊びに行った日を記す』場所です。 

岡鹿之助展を見る

岡鹿之助の回顧展をブリヂストンで楽しんだ。
回顧展を見るのは京都近代美術館’98年以来。・・・十年って早いな???(汗)
こちらが今回のチラシ。mir719.jpg

岡が雪とパンジーと建物との融合を得た辺りの絵。
こちらは十年前のチラシ、絶筆が使われている。
mir717.jpg

裏をめくるとどちらも華やかで、それだけでも嬉しくなる。

十年前の感想ノートを見ると、こう書いている。
「点描の細かさにびっくりした。『静謐さ』『安らぎ』を感じる。描きこまれた花や建物に比べて、女性像はサラサラッ。山本容子を思い出した」
その感想は今回もあまり変わらなかった。(ただし今回人物画はない)
わたしの感じ方が同じなのか、岡鹿之助が常に静かで豊かだと言う証なのか。

展覧会は9章とプレ展示とで構成されている。
プレと言うのは常設室の『岡鹿之助にちなんで』があるからだ。
こちらには美大の彼の先生・岡田三郎助、友人・フジタ、影響を受けたらしきフランスの画家たちの作品が集められている。
岡鹿之助は演劇評論家・岡鬼太郎の息子として生まれている。
わたしは少し昔の歌舞伎にも関心が深いので、岡の劇評を読んだり同時代人の評伝などを楽しんできたが、息子の絵の温厚さに比べて父親はけっこう辛口なイメージがある。
しかし長年息子をフランスに「与えた」ことを思うと、父は息子に最高の道を開いてあげたのだと実感する。
三郎助の理解、パリでのフジタの世話焼や、バロン薩摩による支援など、岡鹿之助の生涯にかかわった人々のことを思いながら、わたしは作品に対した。

チラシの9枚の絵は、章ごとのいちばん最初の作品。
mir720.jpg

1.海
信号台  チラシにあるが、このフォルムが特にいい。フレアスカートのような裾と黒い小階段。可愛くて、なんとなくこの世の外の建物のようにも思える。

古港  現実にない宝島の、古い港。そんな感じに見える。どこへ出航するのか、どこから帰港するのか。

魚  テーブルの上、お皿に乗せられた魚介類。カレイやグジやサザエなど。お皿も魚によって違うものが選ばれていて、それが面白い。

2.掘割
現実の掘割ではないだろうと思いながら眺めている。水面に映る木々。小さな船。
‘30年代まではやはりルソーの影響が強いようで、見ていてなんとなく照れたりした。

セーヌ河畔  村山コレクションの一枚。働く車がある。ほのぼのしている。平和な時代のパリ。’27年の作。静かなうちに心が豊かになってくる。

河岸  上記作品の数十年後の作品。あの働く車がトリミングされている。家々の窓が可愛い。かまぼこ型である。・・・わたし、ときどきかまぼこ型の目になってる、と指摘されることがある・・・目は心の窓だからな。

3.献花
花の絵がその一室を埋めている。岡鹿之助は一点打つ(描く)のに数時間掛かったと言うが、そうなるとこれらの花は観念の花なのだな、と理解する。
色彩も鮮やかに、溢れてはいても破綻はしていない。言ううちにパンジーが現れた。
実際本物のパンジーを見ても必ずオカシカの絵を思い出すように脳内設定されている。
パンジー=岡鹿之助なのだ。
黄色い壁に花々が群咲いていた。

4.雪
岡の雪は、降り積もった・降り止んだものが多い。降ってる最中と言うのはあまり知らない。あるのかどうか。日本画などでは、浮世絵の昔から降る最中の情景と言うものが多い。しかし洋画ではそれは少ないように思う。降り続く雪の美を断ったのが、洋画なのかもしれない。

積雪  この絵を見て、ブリューゲルの雪山から帰る猟師と犬たちの絵が思い浮かんだ。
彼らの帰った村の何十年後かの姿のように見える。

地蔵尊のある雪の山  正直言うと、岡がお地蔵さん?ウソーという感じがした。
‘43年だから描いたのか。このお地蔵さんは笠を貰って恩返しに来るだろうか。

5.灯台
燈台  この真っ直ぐに門外へ続く階段に惹かれた。本当を言えば門からドアまでが直線なのは、家相上よくないのだが(なんだと?)ときめきがそこにはある。
緑の木々、白い雲、青い空、白い燈台。堅固な建物がいい。

6.発電所
「裸婦と駅(鉄道)」といえばポール・デルヴォー、という定義で言うなら、岡鹿之助といえば「パンジーと発電所」というイメージがある。

発電所  ブリヂストンに最初に来たときに見た絵の一つ。ダムや発電所といった土木施設が好きになったのは、この絵からだと思う。
雪はだいぶ解けたのかどうか、状況はわからない。雑音は全て雪が飲み込んでいる。
それで岡の絵は静かなのだと知る。

山麓  これは京都で見る絵。緑の建物。雪はもう消えかかっている。地味な色調のようだが、この建物の緑色のシンとした美しさには深く惹かれる。美しい抑制というものを考える。

7.群落と廃墟
群落A  人の使用するためのものであるはずの、群落。しかしそこに生命体は存在するのだろうか。この絵はかなり好きなのだが、音声を一切遮断したようなその状況に惹かれているのかもしれない。建物それ自体が勝手に増殖して行くようだ。

8.城館と礼拝堂
水辺の城  桜新町の長谷川町子美術館で、設立前後を描いたリーフレットを貰っている。そこには長谷川姉妹の近代絵画への深い愛着があるのだが、コレクションとして挙げられた画家の中に岡の名もあり、さすがにマンガ家だけあって模写もうまいなと感心したことがある。 
この煉瓦造りの城の存在感を、一本の煙を描くことで、深いものにしていると思う。
美しい城、林、水面の影も含めれば、左右だけでない数のシンメトリーがそこにある。
煙がなければハリボテ風に見えたが、煙がその調和を少し壊すことで、絵はイキイキしている。

9.融合
美術館のコンセプトのよさをシミジミ感じた。
画竜点睛のような感じの『融合』である。

段丘  十年前のチラシではメインとなり、去年の『絶筆展』でも深い印象を残した作品。
この絶筆からも30年が過ぎているのだ。
画業をきちんとまとめた・・・そんなイメージがある絵。中途半端なものではなく、これ以上の手は不要な作品。

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雑音を一切遮断した岡の絵に深い楽しみを覚えた。
絵が良いのもさることながら、コンセプトもとてもよかったと思う。
展覧会は7/6まで。
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コメント
静謐といわれる岡の絵の中に
物狂いのような艶かしさも
感じることができた展覧会でした。
2008/06/29(日) 07:59 | URL | 一村雨 #-[ 編集]
☆一村雨さん こんにちは
>物狂いのような艶かしさも
そもそも作品世界を構築するのが一点一点の小さな色の集合体だと思うと、やはりそこに凄まじいような何かがあるんだな、と思います。
今回人物画がなかったのが少し惜しかったです。
2008/06/29(日) 17:02 | URL | 遊行七恵 #-[ 編集]
こんばんは。
素敵にまとめられた岡鹿之助展の感想、10年前のチラシも素晴しいですね。
ポール・デルヴォーが出てきたのには思わずくすり、最近やりませんね。新宿の伊勢丹でいっぱい見たのはいつのことだったかしら。パンジーと発電所=岡鹿之助。裸婦と駅=ポール・デルヴォー。
2008/06/29(日) 18:09 | URL | すぴか #-[ 編集]
作品が年代順に並んでいないのでわかりにくい、という意見もあるようですが、「融合」でまとめるコンセプトなのだと思うとすごく納得のできる構成ですね。
お父様が演劇評論家とは。遊行さんには教えられてばかりです。
2008/06/29(日) 21:01 | URL | ogawama #-[ 編集]
☆すぴかさん こんばんは
パンジーと発電所の取り合わせってかなりシュールだと思うんですよ。
でも浄水場と桜とか紫陽花なら
「熱エネルギー使って環境考えてます」になりますね(笑)。
晩年の釣りキチじいちゃん写真、いい感じでした。


☆ogawamaさん こんばんは
帰納法と言うんですか、あんな感じでしょうか。部屋の壁の色で章分けしたのかも、なんて思いつつ。

岡鬼太郎は戦前の劇評家で、近代歌舞伎をつぶさに見た人だけに、かなり面白いですよ。
松竹図書館か早稲田演博あたりに本があるはずです~
2008/06/29(日) 21:17 | URL | 遊行七恵 #-[ 編集]
こんばんは。泉屋で見たパンジーが忘られなかったので、今回の回顧展はとても良い機会になりました。しかし花の絵はまだ何となく分かりますが、何故に発電所を追い求めたのでしょうね。他の画家であまりいないだけに気になるところです。
2008/06/30(月) 21:51 | URL | はろるど #GMs.CvUw[ 編集]
☆はろるどさん こんばんは
発電所のどこに画家は惹かれたのでしょうね。
今なら工場萌えというところでしょうか。
建造物としてなら発電所もときめくものが多いのですが。
でももしかすると、ここから電気が外へ行くんだ・・・かっこいい、と言う心理が働いていたのかもしれませんね。

勝手な憶測ですね、しかしこのモティーフは岡の重要なものですし・・・
2008/06/30(月) 23:59 | URL | 遊行七恵 #-[ 編集]
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