バウハウス・デッサウ展に行った。
近代建築史に関心を持つ以上、これは外せない展覧会。
入口で渡されたポスターを開いて、ちょっと感動した。

バウハウスから生み出されたデザインの数々がA2版いっぱいに掲載されているからだ。
機能美の頂点に立ったものなどがいくつも見受けられる。
ありがたいポスターだった。
デッサウ時代の作品がメインの展覧会だが、実際この時期にこそ、今もスタンダードとして活きるデザインが多数生まれている。
クレーやカンディンスキーの影響を受けた学生の作品などを見ると、バウハウスの教育が実践的なものだということを感じたりする。
インダストリアルデザインを学ぶのに、これ以上よい学校はないようにも思う。
また、初代校長グロピウスは「あらゆる造形活動の最終目的は建築である」と述べているが、それはわたしも実感として噛み締める思いでもある。
芸術性と機能美の融合した最終形はどうしてもそこに行き着くのだ。
会場内には学生らしき客が随分多かった。単に観賞するのでなく参考にしているという感じ。専門的な感想を仲間内で話し合う声もする。
彼らも将来なにか新しい有益なデザインを生み出してくれるのだろうか。少し期待した。
展示の最初は学校設立以前の、セゼッションの影響下にある作品などである。
某サナトリウムのサイドチェアなどは背凭れの木彫が優しく、いい感じに見えた。
背凭れの彫刻といえば、堂本印象が作った椅子たちもみな、背凭れ彫刻が優美だった。
祭壇モザイクの図案

1904年らしいデザインだと思う。曲線と鳥が可愛いが、しかし20世紀に入ったことを感じさせる部位もある。
ベーレンスのポスターもある。ドイツ工作連盟のための。
黒馬に乗る男が松明をかざしている。啓蒙的にも見えるが、実のところ中村光『
聖☆おにいさん』のブッダに見えて仕方なかった。
ポスターなどについては、三月に京都で『
ドイツポスター1890?1933』展を見たので、それらとの関連を思い出しながら眺めた。
ドイツは一次大戦で敗戦国になり、経済も何もかもどん底になった。(結局不況脱出がうまくゆかず、凹んでいるところへナチスが台頭したので、皆が期待を寄せたのだ)
1923年のドイツマルク紙幣(チューリンゲン州の緊急紙幣)が出ている。
1000000マルク。凄いインフレ。
デザインがどーのとかいうより、桁数に目がイッた。
1926年に「ヨーゼフ・アルバースの予備課程での演習」として紙細工などがそこに多数展示されていたが、それを見てびっくりした。
小学生のとき、図工の時間に作った作品と同じものがいっぱいあったのだ。
一枚の薄い金属紙に切れ目を入れて山折り・谷折りなどをし、プリーツを何十回も造ったり・・・それらをモビールとして作成したが、わたしは下手で下手で、どうにもならなかったから、却って忘れられない。しかも実物が今もわたしの手元にあるのだから、見間違いようがない。(←物持ちヨスギ)

う??む、バウハウスの教育は50年後、極東の小学生の図工にまで影響を与えていたのか。
飽きることなくそれらを眺めた。
今作れと言われたらどうだろうか。技術的には可能だが実際には造らないだろう。
・・・大人になると言うことは、そうした楽しみを捨てた生物になる、と言うことでもある。
インテリアをみる。
入れ子細工の椅子などは今だと「なんと言うことでしょう、こうしていくつもの椅子が現れるのでした」とナレーターが言いそうな感じだ。
コンポジションを三次元化し、用途が不明な棚もあるが、それらは無機質でありながらも、有機的なコレクション置き場に使える含みがある。
装飾を排除した機能的な外観と構造を持つ机と椅子など、究極の作品をいくつも見た。
中には「装飾こそがゆとりなのだから、これらを集めると気分が圧される」ようなシンプル極まりないファブリックなどもある。
一体どうなんだろうか、これらのインテリアの中で暮らすその心持ちは。
わたしは雑多性に和む体質だが、母は旅館の和室(せいぜい三面鏡があるだけの状況)が好きだと言うから、人それぞれか。
舞台装置などもある。写真と映像など。’20年代モダニズムの最先端。’20年代ベルリンの面白さはちょっと言葉に出来ないほどだったらしい。思うだけでときめくのに、こんな映像を見させられては’20年代に憧れるわたしは、ざわざわするばかりだ。
建築のコーナーで最後になる。
中には入れないが校長室の再現があった。シンプル極まりない良さがある。とは言えわたしにはちょっとしんどい空間のようだ。わたしはあふれるモノの空間(スキマ)に住んでいるので、この一室を空虚だと感じてしまい、なんでもかんでもモノを持ち込みそうだ。
デッサウ校舎の模型やテルテン外廊型集合住宅の設計図、内観写真などを見た。やはりこういうのを見るのはなかなか勉強になる。
わたしは工学系がだめなので理解度が低いのだが。
他に藝大コレクションで特集があった。
『東京美術学校とバウハウス?建築科、図案科卒業制作から?』

これがなかなか見応えがあった。特に気に入ったのは山脇巌『工場地に建つ演劇研究所』。
モダンな造形美に満ちた完成図で、これが構築されて今ももし残っていたら、と考えるだけで嬉しくなる。
橋本貫一『五種の寝室図案』のカラフルさも目を惹いた。寝室がカラフルすぎるのはどうかと言う意見もあるが、近年のリカちゃんハウスのようで、かなりかっこいい。
アールデコの佳さも伺えて、素敵な空間だ。
ところで大阪には
大阪市立工芸高校という学校がある。
建物はワイマール工芸学校をモデルとして1924年に竣工している。
そのワイマール工芸学校の発展解消したのがバウハウスなのだ。
以前撮影したことがあるが、素敵な建物である。
実は我が家ではドイツ製品に対する信奉が大変篤い。
これは戦前ドイツの良品への信頼とドイツ文学の教養主義への偏愛から生まれたもので、我が家では身近な工具類や薬品類は全てドイツ製品を最上としている。
だから趣味の好悪を超えてドイツの製品だというだけでときめくのだった。
展覧会は7/21まで。
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ゴシック(建築)の国、独逸ですなぁ。
でも、中身(展示)より出しゃばる建物(博物館や美術館)が多くては、ちょっと異論ありかな。
三井秀樹著 「美の構成学」中公新書 お勧めです。前半はバウハウスです。
>ゴシック(建築)の国、独逸ですなぁ
納得ですね、でも時々芸術の究極・・・というより、最後にたどり着くのは建築だ、という思いが湧くんですよ。全ての芸術を内含しての「状況」として。
日本のわけのわからんハコモノはわたしも嫌いです。どこぞの権力者のように焚書狙う奴よりマシかもしれませんが。
3階展示室の「紙細工」
やはり反応しますよね~
「これやったことある!」って。
やった!お仲間ですね、極東の小学生はしましたよね~~
図工の時間で初めて物理的なアタマがいるのを知った瞬間でもありました…
結婚したら主人も同じで車もカメラもナイフも
軍服も…
でも、女性のファッションはちょっと?かも。
今日、都内某所でTakさんと初対面致しましたよ!
おお~同志よ!(この呼びかけはソ連的でしたか)
>車もカメラもナイフも軍服も…
そーそー(笑)。
わたしはついでにドイツ語も学びましたよ。身につかなかったけれど。
その某所とはルオー関連の講座では?と想像し、なんだかそれだけで嬉しい気持ちです。