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美術館・博物館・デパートでの展覧会を訪ね歩き、近代建築を見て周り、歌舞伎・映画・物語に溺れる日々の『遊びに行った日を記す』場所です。 

前田寛治のパリ

今、『前田寛治のパリ』として大阪市立近代美術館(仮)で8/3まで展覧会が開催されている。
この絵が好き、と言うよりも全般としての前田作品に惹かれているので、出かける。
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前田寛治の描く若い女には、独特の静けさがある。
シックな色彩と静かな眼差しがそう見せている、と言うだけでなく、彼女たちは動きを持たないように見える。
生きている静物画、そんなイメージがある。
つまり西洋における静物画(死せる自然)という意味ではなく、彼女たちは活きている。
活きてはいるが、動くことの予想できない状態でもある。

描かれた女性たちはフランス人もいればポーランド人もいるし、日本人もいる。
肌の微妙な色の違い・質感を前田寛治はここに提示する。
豊かな頬、丸い目、つむった口元。
肌色をベースに、そこに色を足してゆくことで人種が分かれてゆくのを感じる。
裸婦の肌の色合いを見ながらそんなことを考える。
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西洋人と日本人の体型の違い、それを前田寛治はクリアーして行く。
小出楢重が日本人裸婦を描いた頃に前田も日本の女の身体を描いた。
どちらもが臥せた身体の腰骨の出具合、腿の太さ、腰周りの強さを描いている。
現在と違う、昔の日本の女の身体がそこにある。
それを描いたときから新たな平野が開けて来たのに、どちらも1930年前後に死去してしまった。

昨夏、兵庫県立美術館で『絶筆』展が開催された。
前田の絶筆は故郷の海を描いたものだった。
海原ではなく、浜からの海。日本の海の風景。
ここが此岸で海の向こうが、という感じはないにしても、それでもどこかへゆくのかもしれない、そんなことを考えた。

前田は写実を求めたが、彼の作品を眺めると、写実とはなんだろうと考えることがあった。
ウルトラリアリズム絵画を通過した現代の眼で眺めると、写実ということの意味そのものがよくわからないのである。
これはあくまで私の不明に根を発することなのだが、特にそのことが気にならない「自然さ」が前田寛治の絵画には、ある。
それを写実と言うのかどうかはわからない。

前田の描く女たちの眼は音楽記号フェルマータに似ている。特に半円フェルマータが。
それはパリの女もポーランドの少女も日本の娘も変わることがない。
この優しい目がどこをみつめているのかはわからない。
自分を描く画家を見ているのか、いずれ観客となるべき人々をみつめているのか、それともどこともしれぬ先を眺めているのか。
ただ、彼女たちはこよなく優しい目をしている。
ふくよかな頬とその優しい目がそこにあるだけで、静かな喜びが満ち満ちてくる。

しかし一人だけ悲しい目をした女がいた。
『J.C嬢』 彼女だけはなんとなく哀しい眼をしていた。
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彼女だけでなく殆どの女たちに共通して使われる色彩がある。青緑と、濃い青鼠色である。
色の名前をあまり知らぬので、その名を書く言葉を持たないが、海老原ブルーよりもう少し薄い感じの青緑と、今年の服飾の流行色の青・・・それらがひどく美しかった。

キュビズムの洗礼を受けた時代、友人からの思想の影響を受け、プロレタリアへの傾倒を示した時代、前田の絵は暗い色調を帯びていた。
1924年から翌年の作品にはその翳りが大きかった。
同じくキュビズムの影響を受けた黒田重太郎の裸婦などは、その肉感に深い魅力があったが、前田のキュビズム風裸婦は、どうも肉が分割されすぎているように見えた。

労働者を描いた絵の中で胸を衝くものが二点ばかりあった。
大原美術館所蔵の『二人の労働者』(サッコとバンゼッティ)、そして『メーデー』である。
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前者は大原所蔵とは言いながら、わたしはそこで見た記憶がなかった。
しかしこの絵を見た瞬間「サッコとバンゼッティ」を連想していた。
イメージとは怖いものだ。
実はわたしは八歳のときベン・シャーンの『サッコとバンゼッティ』の絵を見ていた。
『おばけを探検する』という本の中にこの冤罪事件のあらましが書かれ、その参考資料としてその絵が載っていたのだ。
高校生の頃には事件を基にした映画『死刑台のメロディ』を知ったが、それらが下地になり、二人の労働者の絵を見ると、咄嗟に「サッコとバンゼッティ」だと連想するようになっていた。
前田による『サッコとバンゼッティ』が描かれたのは1923年、二人が処刑されたのは’27年、前田は完全なる同時代人としてこの絵を描いたのだった。

一方『メーデー』と言うタイトルは前田の決めたものではなく、便宜上そのように呼ばれているそうだが、これは労働者たちの行進を描いたものだから、遠いタイトルではない。キュビズムの影響と言うより、イタリア未来派の影響を受けたような色彩構成だと思った。
暗い行進ではなく明るい力強さ。それを感じた。
前田寛治は一度だけ当局に拘束されたことがあるそうだ。
理由は彼の友人・福田和夫が思想家として活動したのがにらまれたため。
福田の影響を受けて前田はプロレタリアに眼を向けたが、思想家ではなく芸術家だった彼はやがてそこからも離れてリアリズム絵画へ向かった。
そして独自のリアリズム絵画に到達した、らしい。
福田と前田の2ショット写真がある。どちらもとてもよく似ていた。
多分、その頃が一番影響を強く受けていたのだろう。

前田寛治、佐伯祐三、小島善太郎、里見勝蔵、木下孝則ら、いわゆる「パリ豚児の群れ」の楽しそうなスナップ写真が幾枚もあった。
彼らによって結成されたのが1930年協会であった。メンバーを見るだけでときめく。
木下はつい先般、横浜そごうで展覧会もあったようで、巡回があればと思っている。
このメンバーでは前田、佐伯が特にわたしの好きな画家なのだが、彼らの作品と前田が「写実」を学んだクールベの作品も少しばかり展示されていた。
mir748.jpgクールベの裸婦から肌の質感を学んだのだろうか。

mir749-1.jpg小島善太郎『テレサの像』 恋人の横顔。

mir749.jpg佐伯の最初の滞仏時のことを思う。

それにしても鳥取県立博物館はえらい。
ここには菅楯彦のコレクションもある。大阪市が菅の寄贈を管理できないと拒絶したので、鳥取が名乗りを挙げてくれたのだ。
そんな昭和の真ん中頃から文化果つるところ(コンラッドか)になりかかっている大阪も、仮設近美でこの展覧会を開催してくれたのだ。素直にありがとう、と思おう。






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