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美術館・博物館・デパートでの展覧会を訪ね歩き、近代建築を見て周り、歌舞伎・映画・物語に溺れる日々の『遊びに行った日を記す』場所です。 

五姓田のすべて

神奈川歴史博物館で『五姓田のすべて』展が開催されている。
明治初の油絵の一門。
mir782.jpg
彼らや高橋由一から日本洋画の道が開いてきた。
尤も、最初の道を開いただけに今日の眼で見ればべたな油絵に見える。
世間の受け止め方も絵画としてのそれではなかったようである。
ご維新前の大和絵や浮世絵のような存在ではなく、見世物的な物珍しさで対されていたようでもある。
そのことが資料から読み取れもする。

明治初の油絵は、リアリズムを目指していたのではないかと思った。
並ぶ絵を眺めると、画題はともかくとして描き方は誇張も美化も単純化も排除して、真面目にまっすぐに描いている。
それはやはり彼らの師匠がワーグマンだからだろうか。
最初の洋画の師匠がアカデミズムの画家と言うのは良かったような気がする。
「このアカデミズムが!」とノノシルような個性的な画家では、やっぱり最初は困ると思う。
学びの始めは真っ当な教育がふさわしい。

初代芳柳の作品で明治天皇の画稿が2点あった。直垂姿の若い明治天皇と、軍服姿の肖像画である。
後の軍服姿は後世の人々から「明治大帝」と呼ばれる姿のもので、実はこれらの時間差は一年なのだが、全くの別人のように見える。
明治大帝の姿は他の画家の絵や、写真で見るのと全く違いがないので、これが最初期の作品とするなら、ここからパブリックイメージが固定したのかもしれない。

新潟萬代橋  mir784.jpg
柳都と呼ばれる新潟に掛かる橋のこの優美さは以前から聞いてはいたし資料も見ていたが、それを絵で見ることは案外少なかった。
ただしこれはまだ木造の橋。
警官も立ち、犬も散歩し、人々も行き交う。絵の配色は重く暗い目だが、都市風景の良さが伝わってくる。なんとなく明治村の一部を油絵で描きました、と言う風情がある。

孟母断機図  この画題は小林古径にもあるが、やはり明治までのものだと思う。ちびっこ孟子は激しいお母さんの足下で蹲って泣いている。機織りもほぼ完成なのによくも断つものよ・・・これは教訓絵というより「怖い絵」の範疇に入るような気がする。

ワーグマンゑがくNIPPONの風景画があった。
以前からあちこちで見ていたが、外国人の観察眼というものを感じさせるスケッチだと思う。開国して程ないから、少し地方に出るとまだまだ幕府の瓦解前と同じ人情・風物がそこにある。外国人はその素朴さ・純朴さに興味を惹かれていたのだろう。

嫡子・義松の作品群の中に、一家勢揃い図がある。家族の肖像。美化もせず戯画化もせず、真正面から自分の家族を描いている。
似ているのかそうでないのかもわからないが、皆なかなか意思的なツラツキである。
一族郎党まで油絵修行に邁進するぞ、という気概を感じる絵だった。

藝大で見た西洋婦人像が何点かあるが、わたしは以前彼の裸婦図と、そのモデルと彼とがいる写真とを併せて見たことがある。たぶん藝術新潮誌で。そのときの裸婦図はコラン風だと思ったが、ここにある着衣の婦人たちは、光ではなく仄暗い闇を纏ったままでいた。

多くのスケッチがなかなか面白かった。意外とスケッチ図が面白い人とそうでない人とがいるが、義松は前者。探幽縮図も面白いが、義松スケッチブックも面白かった。森羅万象を描こうとしているらしい。そこが面白かった。

妹・幽香の作品もいくつか見た。
幼児図がいい。mir782-1.jpg
臼と紐で結ばれた幼児はプチプチに肥えていて、元気そうだ。六代目菊五郎か大谷崎のような風貌の赤ん坊だけに、何をやらかすかわからない。赤ん坊のイキイキしたのをよく捉えていると思う。

二世芳柳にも面白い絵がいくつかあった。
羅漢図が二枚ある。明治22年と44年の二枚。虎と一緒の羅漢。先のは虎の毛並みがツルツルしていたが、後のはわりとザワザワしている。そんな違いがあった。

相州江島弁財天洞窟入口  これを見ると、どうも出かけたくなる。わたしは江ノ島に行ったことがないのだ。どなたかご一緒しませんか。しかしこの絵を見て出かけたとすると、中に入れば平成ではなく明治の世の江ノ島に入り込むかもしれない。

山田長政南方進展之図  わたしが山田長政を知ったのは人形劇『真田十勇士』から。それでその翌年くらいに彼を主役にした実写ドラマを見たが、タイトルは確か『南十字星』か何かだった。オセロー風なドラマになっていたなぁ。象とか色々な姿がある。これは一体どんな需要があったのだろう。

聖徳記念絵画館壁画考証図下絵  これはその当時一流の日本画家・洋画家を集って明治大帝一代記を描かせたものだが、その下絵が見れるとは思っていなかったので、嬉しい。わたしはまだ聖徳記念絵画館に行ってないが、大阪の出光美術館(今はない)で展覧会を見ている。なかなか興味深い作品群だったから、いつか見に行こうと思っている。

弟子たち・引き継ぐものたちの絵が並んでいた。
山本芳翠の『浦島図』は9/9-9/28なので残念ながら再会できないが、わたしはこの一枚がとてもとても好きだ。
『猛虎一声』はなかなかいい感じ。大体トラの絵は好きなものが多い。そういえば茨城で明治の洋画展があるが、そこにも彼の猛虎図が出ているらしい。チラシを見て、羨ましく思ったものだ。
神奈川で吠えてから、茨城をうろついている逍遥しているらしい。
こちらは『猛虎逍遥』mir783.jpg
なんとなくアジアぽいなぁ。いやトラの住処はアジアが主ですが。

ゴーティエ『蜻蛉集』の挿絵も山本は描いている。そしてこの本は「アートコレクション」展にも今回出ている。

松原三五郎は大阪に洋画を広めた画家だが、彼もこの一門だったのか。
山内愚遷、満谷国四郎も学んでいたようだ。
満谷の裸婦は日本人画家の中でも殊に柔らかい魅力があり、とても好きだが、ここでの習作は固いものだった。

それからこの一門は明治から大正の小学校の美術教育にも縁が深かったようで、たくさんの教科書があった。
これは素晴らしいことだと思う。
個性を培うには、初歩段階できちんとした教育という土台を与えてから、解き放つべきなのだ。
その意味では彼ら一門の絵画教育は素晴らしいと思った。

展覧会は9月末まで。展示換えもあるので、違う作品も多く楽しめるだろう。
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コメント
西洋絵画事始
彼らのデッサンの素晴らしさは感動的でした。こういう明治初期の画家の努力があったからこそ、現在の洋画があるのでしょう。外光派の踏石となったこれら脂派の画家の歴史的意義に思いをはせました。
2008/08/19(火) 22:07 | URL | とら #8WYMted2[ 編集]
☆とらさん こんにちは
デッサンやスケッチがよかったです。
イキイキしていましたね。
それに一門がまとまっているなと思いました。

明治初の洋画家たち(油絵師とも呼ばれていたそうです)の辛苦と試行錯誤があったからこそ、個性が花開いたんだなーと実感しました。
2008/08/19(火) 22:54 | URL | 遊行七恵 #-[ 編集]
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