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美術館・博物館・デパートでの展覧会を訪ね歩き、近代建築を見て周り、歌舞伎・映画・物語に溺れる日々の『遊びに行った日を記す』場所です。 

朴英淑の白磁―月壺と李禹煥の絵皿

今回初めて菊池寛実記念智美術館に行った。
「朴英淑の白磁―月壺と李禹煥の絵皿」を見たのだが、それを見る前に敷地内の西洋館に惹かれ、外観を色々眺めた。今になってサイトを見ると、限定公開されていて、ケーキセットつきで8000円というから、考えものだ。
見たいがあんまり高価だと、減価償却とか色々考えてしまうのだった。
(この場合の固定資産はわたしの感動や記憶など)
とりあえず見るアテを持たずに遠望しよう。

さて美術館に入ろうにも、どこが入り口かわからない。レストランしかないですやん。
と、思いきやそのレストランは一階の表から見える場所に位置し、展示室は階下にあるのだった。
階下への道は螺旋を描く。黒を効果的に使ったスタイリッシュな建物。
その黒く暗い空間に光が差し込んでいる。
照明によって照らし出された白磁の大きな壷だった。
mir790.jpg

わたしは李朝の白磁が好きだが、現代韓国の陶磁器とは無縁で、その辺りの状況も知らない。だからこのパク・ヨンスクさんという陶芸家も初耳の人だが、名前の字面で女性だろうと勝手に解釈していたが、やっぱりそうだった。
当たっていてどうだ、と言うことは別にないのだが、なんとなく嬉しい。
優しくしっかりしたイメージを抱いていたので、実物を見ると予想が当たったようで、こちらは素直に喜んだ。
展覧会からの紹介文にはこうある。
「はじめは粉青沙器、やがて白磁大壺へと、朝鮮王朝時代の陶磁への思いを現代に生きる作家として追求してきました。理想の白磁を実現させるために10年余をかけ、土を探し、配合を研究し、試行錯誤をかさねた情熱は並大抵ではありません。近年では、韓国で月壺(ゲッコ)と称されている大壺を完成させ、その世界観を深めつつあります。」
それでか、わたしの好む作品が多かった。

月壷という言葉の意味を知らない。どこにもそれは書かれていないので、自分で調べるしかない。何故月壷なのか、それを勝手に予測する。
月は必ずしも黄色くはない。白い月がパブリックイメージの国もあるだろう。三日月を国旗にする国もあるが、満月も愛されている。
白く丸い満月をイメージさせるような壷、そのことを言うのだろうか。
・・・わたしがそんなことを妄想するような、白くたおやかな大壷たちが並んでいた。

一つ一つ微妙な違いがあるが、それは並んでいるからわかることで、一つずつ見たら区別がつかぬ気がする。少なくともわたしには見分けがつかないだろう。
それは職人的技能が活きている証拠でもある。

壊れやすさや脆さは感じない、強靭さを内に秘めたような白い壷たち。
丁度ホワイトチョコレートをコーティングしたかのような愛らしさがある。
李朝の白磁の壷や瓶には、撫でてみたいと思わせるものがいくつかあるが、これらはそんな感興は呼び起こさず、使ってみたいと言う希望が湧いてくる。
実用なのかそうでないのかはこの場合問題ではなく、使いたい気持ちを抱かせるしっかりした、そのくせしなやかな美しさを感じさせる作りだと思う。

また展示の並びもいい。通り過ぎて角を曲がり、ふと気づけば先ほど眺めた壷の側面(あるいは裏面)を眺められもするのだ。
静かに暗い照明がいよよ白磁の美を支える。
一方、小さな実用性の高い食器類があった。
しかしながらこちらにはわたしは惹かれなかった。これはあくまでも趣味の問題なので、作品がどうのということではない。
食器と言うものは使われることを前提とされて生まれてくるので、見る側の意識も「用の美」というものを前面に押し出すと思う。
わたしのそのアンテナがそこに向かなかっただけに過ぎない。

絵付けされた作品がいくつかあった。李禹煥が染めたり描いたりしたものたち。
コラボレートされた作品たちのうち、抽象的な様相を示したものがいちばん綺麗だった。
コバルトの美しさにも惹かれた。
ただしコンポジション風のものはわたしの嗜好に合わぬので、よいのかどうかもわからない。
好ましいものだけを見て、そうでないものへの理解度は低いが、それでも楽しく眺めて歩いた。本当にここへは初めて来たのだが、いいものを見た気持ちで美術館を後にした。
展覧会は9/15まで。
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