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美術館・博物館・デパートでの展覧会を訪ね歩き、近代建築を見て周り、歌舞伎・映画・物語に溺れる日々の『遊びに行った日を記す』場所です。 

白樺の時代/白蓮の時代

先日の東京ツアーで二つの文学展に出かけた。
志賀直哉をめぐる人々
柳原白蓮

どちらも明治に生まれ昭和まで生きた人々の実感のこもった展覧会だった。
先日、ニュースで新たに志賀直哉宛書簡集が刊行されたことを知った。
志賀直哉宛書簡集 「白樺」の時代
志賀直哉宛書簡集白樺の時代志賀直哉宛書簡集白樺の時代
(2008/09)
日本近代文学館

岩波書店 2008年9月刊 9,870円(税込)
「直哉令息志賀直吉氏ご寄託の4490通の書簡の中から、有島生馬、木下利玄、里見弴、長与善郎ら17名688通の直哉宛て未発表書簡を収録。「白樺」をめぐる青年たちの「群像による総合的物語」(紅野敏郎氏)。

それは志賀がまだ白樺派以前の学習院での「友達耽溺」中のものから、戦前の小林多喜二からの手紙までだった。
『志賀直哉をめぐる人々』展。
わたしは志賀の小説より随筆や、彼を巡る人々の話の方が好きなので、喜んで駒場の日本近代文学館へ出かけた。
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開館直後だからかそれでなくともか、観客はわたし一人だった。
絵を見るより文を読むことが主体になる展示の性質上、それはありがたかった。

基本的に初期白樺派メンバーというか、学習院の若者たちが、文学したり女義太夫にのめったり、絵を描いたり旅行に出たり・・・そんな風に楽しく過ごしているのがけっこう好きだ。
特にわたしは里見弴ファンで、彼の随筆を熱心に集めて溺れこんだから、なんとなく気分的に「知人のお兄さんたちが遊んではる」という感じで、彼らの状況を眺めている。

今回の手紙ははがきがけっこう多い。里見弴によれば朝に封書が来たと思ったら昼にもついてて、当人に会って帰宅したらまた封書が来てた・・・そうな。
こういう状況は今のメールと同じ感覚なのだと思う。

学習院の若者たちはバーナード・リーチにエッチングの指導を受けたりして、けっこう楽しく綺麗な絵を描いたりしている。
ピンクの薔薇を描いた木下利玄はそこに、自分が好きな女義太夫と自分の架空恋愛実況シナリオを書いたりしている。
これは今思えばオンライン小説でのドリーム小説の部類に入るのかもしれない。

一方若い頃から晩年まで艶福家だった里見弴は、女との関わりでしんどい状況を、意味深なイラストと文で表している。
『若き日の旅』という実録小説というか、志賀と木下と三人で関西ツアーした顛末記をツアーから30年後に里見弴は上梓しているが、それを読むと木下のおっとりした殿様風な性質や、志賀のテキパキしすぎな性分まで見えてきて、面白くて仕方ない。

そのツアーの中でも色々モヤモヤ系な青春リッシンベンな話題が面白かったが、手紙にも割りとはっきりそう言うことを書く連中もいて、なかなか興味深く思えた。
特に長与善郎の手紙を読むとアララと言う感じで、意外とそういう考えがそのまま彼の劇作などに映し出されているような気もした。

また弴の兄で画家の有島生馬と志賀は当初たいへんな仲良しで、ちょっと今で言うとBL風な気分もあったようだが、それが有島生馬の留学からの帰国を境にして、二人の友情は壊れてしまう。
志賀が言うところの「蝕まれた友情」になるのだ。
しかしここにあるはがきは、さすがは洋画の大家となる片鱗をのぞかせた自作の絵や、ルノワールの絵葉書など、明るいものばかりだった。

個人的に面白かったのは、有島生馬がイタリアで知り合った数奇な運命の日本人青年を描いた小説『蝙蝠の如く』の本が展示されていることと、同じ青年のその後を描いた弟の弴の短編小説『T.B.V』のゲラがあったことだ。
わたしはこの『T.B.V』を探して神保町の古書店を駆け巡ったが結局果たされず、図書館でみつけたのを読んだ。
今読んでもかなり面白く、そしてせつない話だった。里見弴の小説は「小説家の小さん』と称されたほどに巧みだが、基本的に文体も表現もどちらかと言えば突き放したもので、だからこそ一層面白いのだった。

それから今や巷でブームの蟹工船の初版本が、著者の献辞を添えて志賀直哉に贈呈されていたようで、その実物があった。思想的には無縁ながら、志賀は多喜二に親愛の情を懐いていたので、彼の拷問による死を憤っていた。

『仲良きことは美しき哉』『君は君、我は我、されど仲良し』などの武者小路実篤と志賀とは生涯モメもせず、仲良く過ごしたが、彼との60年に及ぶ交友を示す二人の2ショット写真が2葉ある。つまり学生時代(1906年)と、最晩年(1966年)の二人。どちらも丙午の年。服装と背筋の張りなどは変わったが、同じ立ち位置での写真を見ると、静かな感動がある。『君は君、我は我、されど仲良し』・・・・・・。
こういうつきあいは素敵だ。

近代文学館ではほかに川端康成のコーナーもあった。これは茨木の川端記念室の内容とさして変わることもない。しかし『狂つた一頁』のスチール写真があり、嬉しい。
わたしは教科書に掲載されている作品と、小磯良平の挿絵の入った『古都』以外、川端文学は読んだことがない。
親に読むなと言われたので読まなかったが、こうしたサイドから眺める分には案外親しい気がする。

展覧会は11/29まで。

一方、日本橋高島屋で柳原白蓮の回顧展が開催されていた。
白蓮と言えば九州の炭鉱王・伊藤伝右衛門に絶縁状を叩き付け、年下の恋人とその後幸せな家庭を築いて、歌人としての生涯を全うしたひと、という知識がある。
あの時代にそんな年上の九州の成り上がりものと一緒にさせられたのは家のため(兄の選挙資金のため)だった、というだけでムカムカする話だが、仕方ない。
しかしそれを仕方ないで終わらせなかったところが素敵だ。
(とはいえ、伝右衛門は彼女のために家を増築したり、彼女の歌集をどんどん刊行する手配をしてくれたが。カネの面ではまったくもってありがたいが、それだけでは「生きている」だけで「活きている」とは言えないものだ。)
白蓮の生涯を追う形での展覧会は、なかなか面白いものだった。

そもそも最初の結婚から大失敗だが、ここで一旦幽閉される、と言うのが今から思えばあほらしいのだが、体面が大事な華族だから仕方ない。
しかしその後女学校へ行かせてもらえるのだから、それだけでもよかった。
しかもそこで村岡花子と友達になり、文学を語り合えることが出来たようで、ひとごとながらめでたく思った。
その頃、九条武子と御揃いで拵えた羽織があり、それが展示されていた。
何故かアケガラスの柄が中側に描かれている。
アケガラスと言えば新内を思い出す。
「ああ・・・二度と惚れまい 他国の人には 末はカラスのなき別れ」
華族の姫君たちもこの俗謡を知っていたのだろうか。

他にも叔母の柳原愛子から贈られた打掛があった。
歌文字散らしの華やかな意匠で、しかしどういう意図でか、裾に二匹の小熊がいる。
実に変わった柄の着物だった。

やがて結婚し、「筑紫の女王」と賞賛されて、次々に歌集を刊行し、九州に文藝サロンを開く。そうした中でそれでも十年暮らした伝右衛門から逃げ出して、凄い絶縁状を公開する。
(朝日新聞)。無論伝右衛門もすぐライバル紙に反論を挙げる。(毎日新聞)。
結果として、白蓮は離縁を勝ち取る。
しかしながら白蓮は例によって例のごとく実家で幽閉されるのだが。

こういう状況を見ていると、わたしなどは成り上がりものの伝右衛門より、白蓮の実家の方に腹が立って仕方がない。
生活様式から世代・思想まで全く異なる二人の結婚は失敗だったが、それでも双方はそれなりの気遣いを相手に見せているのだ。
(伝右衛門は彼女のために惜しむことなく散財し、白蓮も彼の子供たちに教育を与えた)
ところが華族と言うものは本当につまらない。
彼女は恋人・宮崎竜介の子を身ごもっていたが、支援してくれたのは彼の家族だけだったそうだ。
思えば宮崎滔天が白蓮の義父となる、と言うのもひどく面白い状況だと、改めて感心した。

幸せそうな家族写真がある。機嫌のよいニコニコ顔の子供たちと明るい両親。
その写真を見ると、人間やはり幸せを勝ち取るには、いくつもの難儀を克服しなくてはならないのだ、と思う。子供らのこんな笑顔は両親が仲良しさんだからこそだ。
しかしその幸せも長くは続かない。
息子さんの戦死で白蓮は『悲母の会』を結成し、平和運動にも携わる。

色々考えさせられる展覧会だった。
しかしわたしとしては、近年中に行くつもりの伊藤伝右衛門邸の写真はがきを手に入れられて、ホクホクしてもいるのだった。

この展覧会が巡回するかどうかは知らない。

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