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美術館・博物館・デパートでの展覧会を訪ね歩き、近代建築を見て周り、歌舞伎・映画・物語に溺れる日々の『遊びに行った日を記す』場所です。 

村野藤吾・建築とインテリア

二度も村野藤吾展に行ったのに記事にしなかった。出来なかったと言うべきか。
今、恐ろしいほどのスピードで建造物の消失が続いている。
文化財登録されているとは言え、決して安泰ではない建造物とは、一体何なのか。
そんなことを考えても答は出ず、結局それで記事が遅くなったのかもしれない。
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これまで村野藤吾の『作品』を見ようと思えば現地に出かけるのが一番早かった。
心斎橋そごう、新歌舞伎座、心斎橋プランタン、都ホテル京都、目黒区総合庁舎、みずほコーポレート銀行・・・・・・・
しかしこのうちそごうは数年前に解体され、新構築されたときに村野がデザインしたいくつかの欠片が「記念物」として使われただけで、後は全て失われてしまった。
難波の新歌舞伎座・・・桃山風のファサードが重厚な御堂筋の名物も、ついに終焉のときを迎えようとしている。50年で(たった50年!)老朽化が激しいと言われ、取り壊されてしまうのだ。
東京の歌舞伎座は岡田信一郎の名作だが、あちらも既に終焉の日が決められている。
昭和の建造物はそんなにも、命が尽きやすいのか。
また、プランタンも閉店して、今は何になっているのかちょっと思い出せない。
なにしろ心斎橋筋は一ヶ月行かねばガラリと表情を変えている街なのだ。

目黒区総合庁舎については、数年前目黒区立美術館で詳細な展覧会が行われ、実物は見ていないが、パネルなどから概要を知った。階段に村野の特性がよく表れた作品だった。

村野の師匠は渡邊節だから、大阪の綿業会館にも所々(多分)村野が拵えたらしき箇所が見られる。それはやはり階段だったが。
あのうねる階段の様式は村野独自の嗜好らしく、外観のシャープさがアールデコからモダニズムへの移行時期にある様式だとすれば、階段のうねりなどは、その前代のアールヌーヴォー風にも見えるのだ。
そこがなんとなく面白い。

日生劇場には入ったことがない。演目があまり好みではないということもあって、入る機会がない。しかしここに再現された内部装飾などを見ると「やっぱり村野」という感じがする。まるで胎内で鼓動を聞いているような、あの独特の感性がここにも活きている。

村野の設計図も来ていた。
mir915.jpg

村野のインテリアの仕事。
戦前に豪華客船のインテリアを担当している。それについては日本郵船歴史博物館でも資料を見た。
ここでは「あるぜんちな丸」と「ぶら志゛る丸」(共に1938年)の資料が展示されている。
そしてCGによる航海する船の再現映像が流れている。
どちらがどちらか忘れたが、BGMとして選ばれた音曲は「亡き王女のためのパヴァーヌ」とマーラーの「五番」である。後者は「ベニスに死す」に使われた曲として広く知られているが、どちらもここでは豪華客船の鎮魂歌として選ばれている。
以前日本郵船歴史博物館でも感じたどうしようもないせつなさが満ち満ちてくる。
日本郵船の博物館では、豪華客船として建造されながら時局の都合により軍事に従事させられた船たちが、どんどん沈んでゆく、撃沈される、転覆する・・・それらを一つ残らず記録して、在りし日の美しい姿と共に淡々とその「戦死」日を記していた。
そんなものを目の当たりにしては、どうにもならない。
その資料の前に立ったときの辛さは、表現できない。
だから今、これら「幻のインテリア」で飾られた船たちの海上を行きすぎる姿を目の当たりにして、冥福を祈るばかりだった。

数寄屋造りを見る。グランドプリンスホテル新高輪の一隅にあるそうだ。
建造物には、心浮き立つ在り方も必要だが、このように落ち着く空間と言うのも必須のものだ。和やかさと同時に、茶室であると言う特性から、眼に見えない緊張感も同時に存在する空間。だらけるのではなく、落ち着く空間が、数奇屋の特徴なのを、改めて知る。

‘83年の最後の仕事が糸魚川のそばの谷村美術館と言うところ。翡翠と仏像の展示のために作られた美術館で、リーフレットをもらった。肺にまで浸透するような緑苔の空間と、シルクロードの廃墟の塔を思わせる建物と。
それは90歳を越えた老大家の拵えたものというより、70年前若者だった建築家が拵えたものに、見えた。大谷探検隊の活躍を知り、ときめいた若者が何十年後かに拵えた・・・そんな風に感じられた。

宝塚のご自宅の写真を見る。建築家の自邸を見るのは楽しい。実験をしているのかどうかを見たくなるからだ。つまり作家の望む空間がどのような在り様なのかを知ることが出来ると思う。
施主と建築家が同一人物ということで、出来上がる建造物に対し、葛藤はないのか・満足はどの程度あるのか・してみたいことをしているのか・・・それらを見ることが出来るのでは、と期待するのだ。
ここにあるのは、施主であり建築家である村野藤吾のくつろいだ姿である。
彼の実際の姿がなくとも、その写された空間のそこここに村野の影がある。
納得しているように見えた。
施主が納得し、そこを利用する人々が満足するなら、それはそれで幸せな建造物なのだ。

村野の仕事が好きかどうかは一言では言えない。
好きな空間も多い一方、ニガテなものもある。

今ではみずほ銀行となった丸の内の日本興業銀行の建物などは、正直言うときらいだ。
あんまりキライなどと言う表現は普段は避けているが、あえて書く。
理由は一つ。不安だから。
・・・あの建物は構造的に計算されつくしているのだろうが、どうしても不安で、恐い。
日本興業銀行がポシャる前に初めてその前に立ったとき、こらアカンぜ、と思ったことがある。
わたしは建造物が不安や不快を与えたら、その時点でそれは失敗作だと思っている。
先に「施主が納得し、そこを利用する人々が満足するなら、それはそれで幸せな建造物なのだ」と書いたが、これは個人の建物ではなく、公共建築なのだ。
公共性の高い建造物が、一般市民に不安感を抱かせるのは、やはりよくない。

二度ばかり見学したが、いずれも盛況だった。
このミュージアムでは今後もこうした建築やインテリアの展覧会を続けていってほしいと思っている。展覧会は既に10/26で終了。
以下、蛇足。
これは村野のことではないが、どんなものにも無駄はない、と失敗作ですら堂々と押し付けを強いる一部の建築屋もいて、よくもそんなおこがましい事が言えるものだと思っている。
失敗品を何故施主が受け取らねばならぬのだ。
それをまた臆面もなく実験の一過程だなどと言ってのける。
今更そんな輩と論争などしたくないが、この件については永遠に腹立たしい気持ちがある。
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コメント
建物、好きなので
旧千代田生命の時は、
千代田生命に用事がないので
村野藤吾の建築として気になってはいたけれど、
中に入ってあれこれ見ることができず。
それが目黒区総合庁舎になってくれたおかげで、
あちこち見物できるので嬉しいです。
お茶室や和室も見学したことがありますが、
なかなか素敵でした。

>建造物が不安や不快を与えたら、その時点でそれは失敗作だと思っている。
私もそれは同意見。
建物の途中階から突然張り出すT字形建築は
最近しばしばお目にかかるけれども、
こんな不安な建物をよくぞ建てる気になるなと
内心呆れています。そりゃあ構造計算によって
安全性は確認されているのだろうけれど、
重力に逆らったような建物は、ねえ?
2008/11/05(水) 23:40 | URL | 菊花 #-[ 編集]
☆菊花さん こんばんは
全く以って同意見です。
鬼面人を驚かすというか、奇抜なことをして喜んでるのは、造った本人だけですよ。
それをまた巧いこと言いくるめて・・・
裸の王様の話をよく思い浮かべます。

実は追記のようなカタチで白字でそんな不満を記事のラストにノタノタ書いてます。
よろしかったら反転なさってください。

しかしいつからそんなのが増えだしたのか。
大きな顔でまかり通るのが腹立たしいです。
2008/11/05(水) 23:58 | URL | 遊行七恵 #-[ 編集]
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