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美術館・博物館・デパートでの展覧会を訪ね歩き、近代建築を見て周り、歌舞伎・映画・物語に溺れる日々の『遊びに行った日を記す』場所です。 

「京都府所蔵名品絵画選」を見る

京都文化博物館で「京都府所蔵名品絵画選」を見る。
近世から現代まで、とあるように西川祐信から三尾公三あたりまでの絵画が出ていた。
特に好きな作品についての感想。大抵は再会という状況の中で。

*吉川観方コレクションから。
西川祐信「衣通姫図」 cam066-1.jpg
そとおり・ひめ。古代における美女の中でも特に悲劇的な最期を遂げているが、ここでは幸せそうな様子を見せている。
廻り廊下を行く姫の前に蜘蛛が伝い降りる構図。
これはめでたい兆候である。
「我が背子が来べき宵なり ささがにの蜘蛛の振る舞ひ かねてしるしも」
この歌の情景を描いている。
彼女は十二単を着ている。江戸時代の絵画では、平安時代以前の人物であっても、衣服は平安時代に成立したもので描かれている。
思えばいつから奈良時代の風俗が世に認識されたのだろう。
案外明治になってからのような気がする。
この絵は’93にここで開催された「京の美人画」展のチケット半券に選ばれていた。

円山応挙「大津絵美人図」 応挙が大津絵の様式で美人を描いているのが、面白い。掛け軸の表装もそれ風でよかった。

祇園井特「島原太夫図」cam066.jpg
 ぎをん・せいとく。この絵師を知ったのも、前述の展覧会から。サインは「せいとく」と仮名だったのがまた面白かった。
島原の太夫という文字を見ると北条秀司「こったいさん」という芝居を思い出す。太夫さんと書いてルビが「こったいさん」だった。実際のところそうとも読むのかどうかは知らない。
せいとく描く女はアクが強すぎるが、この太夫はさすがに島原の太夫だけに(!)そうそうアクが強くもなく描かれていた。

山口素絢「雪見太夫図」 cam066-2.jpg
これは’02「吉川観方と京都文化」展で見たのが記憶に残っている。東山界隈を見下ろす太夫は襦袢の襟を寄せている。頬や指先が朱に薄く染まっているのも、いかにも寒そうな感じがして、いい。しかしこの太夫、内掛けが黒地に金で薄野なので、秋の風情なのである。

幸野楳嶺「妓女図」 cam067.jpg
以前から好きな一枚だが、今回解説文を読んで新発見?した。
この芸妓さんは指輪を嵌めている。(気づかなかった!)←うかつもの。
明治六年、日本で最初の「指輪を嵌めた」女の絵なのだった。
昔のことだからカマボコ型の指輪。
明治になってから指輪が日本の婦人の指にも光るようになった。
黙阿弥の芝居にも指輪がちょっとした小道具として活きるものがある。

*寄付や画家の遺族より寄贈。
今尾景年「四時花木群蟲図」  カブトムシと蝶とが目についた。わたしは蝶が好きなので(絵も工芸も実物も)蝶の絵を見ると嬉しくなる。これは本絵ではなくスケッチ帖の様な感じの横長のもの。
  
原在中「東山三十六峰洛外景観図」 昔々から講談などで「東山三十六峰、草木も眠る丑三つ時・・・」とよく聞くが、実はどれが何という名の山なのか一向に知らない。
知らなくても別にいいと思うが、この在中の景観図を見ていると、一つ一つの山の名を知らぬのが申し訳ないような気がしてくる。

源「双龍図屏風」  唐美人画が多い絵師の、二匹の龍の絵と言うのは、なんとなく面白い。全体に墨が刷かれているその中に、別に噛合うわけでも牽制しあうでもない龍がのんびりポーズを取っているような。

土佐光貞「定家詠十二ヶ月花鳥図屏風」 定家の十二ヶ月花鳥の和歌と言えば、抱一上人の数多いシリーズを思い出す。あんまり多いのでどれがどれかわからなくなったが。
これは土佐派の絵なので、キャラはやや小さい。ほのぼのした風情が良かった。

露木石門「花鳥図屏風」 初見。右隻は牡丹と石楠花の低木、左隻は何の花かよくわからない。判別できないのではなく、わたしがこの花の名を知らぬのだ。
全般的に画面がピンクピンクしている。輪郭線はやや太い。その線の中にピンクが納まりきれずに蠢いている。ちょっと不思議なムードがあった。

*近代から現代の画家たち。
池田遙邨「山の灯」 遙邨の風景は夜も昼も、秋も春も夏も冬も、海でも山でも、どこであろうと愛しい。満月の半分下から地上へ向けての構図。山にも町のように灯りがチカチカ点っている。人の生きる場なのがわかる。なんとなく幸せな気持ちになる。

山口華楊「白鷺」 モスグリーン地に白鷺五羽。どことなくモデルの立ち姿のような美しさがある。動物画の系譜では華楊の師の師は岸竹堂になるはずだが、何十年かたつと、全く別な生物を描いているようにも思えるものだ。

三橋節子「余呉の天女」  mir525.jpg
丁度去年の同じ頃にやはりここでこの絵を見て、感想を綴っている
あれからもう一年がたつのか。出してきた本はしまいもせず、そこにあるままだ・・・
感想は変わらない。せつなさを懐いたまま一年が過ぎていた。

須田国太郎「戸外静物」 バナナ、リンゴ、家々・・・これらが重厚な筆致で描かれていて、それなりの色がつけられている。ところがあまりに重厚な絵なので、バナナやリンゴが静物と言う枠を通り越して、一種シュールな佇まいを見せている。
これは面白い現象だと思う。それが須田の狙いなのかそれとも偶発性のものなのかはわからないのだが。

常設展や所蔵展には、こうした底力のある展示があるから、見落とすことは決して出来ないのだった。

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コメント
私もノリタケ見た後でここを鑑賞しました~♪
衣通姫は、三島由紀夫の「軽王子と衣通姫」を読んで以来、その美しさとはかなさにすごく惹かれるようになりました。(^^)
この絵を見つけたとき「あっ♪衣通姫だっ」と嬉しかったのですが、衣装が平安時代のもので描かれていたため「ちが~う!ちが~う!!」と心の中で叫んでおりました(笑)
三橋さんの絵、何度見ても心にしみてくるというか、いつまでも眺めていたくなるんですよね。。。
とても切ない絵なんですけど、やさしさという気持ちを思い出させてくれますね。

2009/02/14(土) 09:09 | URL | tanuki #s.Y3apRk[ 編集]
☆tanukiさん こんばんは
衣裳史の本を読んで知ったのですが、大体絵画化される衣装は、実際より百年後のスタイルを描いているそうです。
それで平安が長かったからあれなのかどうかは知りませんけどね(笑)。

三橋さんの絵はせつなさとやさしさに満ちていますよね。
わたしは三橋さん、いわさきちひろの絵を前にすると、心が清くなる気がします。
2009/02/15(日) 00:08 | URL | 遊行 七恵 #-[ 編集]
太夫さん
こんにちは。こちらへは先日
「邸内遊楽図」(角屋)について調べていておじゃましました!
この2つの太夫図は大好きです。
凛々しさ貫禄、といったものを感じます。
「こったいさん」↑の書き方でそう読むかはしりませんが
嶋原太夫の通称ですよね・・

太夫さんは現代も存在しています。
それが京都の不思議なところ・・。
2009/11/23(月) 15:32 | URL | さつき。(嶋原応援してます) #WO899MnU[ 編集]
Re: 太夫さん
☆さつきさん こんばんは

> 凛々しさ貫禄、といったものを感じます。
さすがに格が高いところでしたからねぇ。

> 「こったいさん」↑の書き方でそう読むかはしりませんが
> 嶋原太夫の通称ですよね・・
そうです、しかしなんでそない読むのかが、わたしにはわからへんのですけどね。
ちっと勉強せんならんところですが、とりあえずナマケてます。
2009/11/23(月) 23:19 | URL | 遊行七恵 #-[ 編集]
こったいとは
こったいとは「こちの太夫」という意味らしいです。

お公家さん達が「自分たちの(なじみの?)太夫」という
意味で「こちの太夫」と呼び、そしてそれが「こったい」に
なったとか。
また、吉原花魁に対抗して「こっち(京嶋原)の太夫」が
ちぢまって「こったい」になったとか。
猿楽(能楽)に女ながら「こった」ということで「こったい」とか。
いろいろ説があるようです。

さらに 「こち」という言葉には
「店の奥まったところ」という意味もあって、太夫はめったに
姿を見せないものとされ、現代にいる太夫がほとんど知られてないのには、
↑のような理由で長い間その存在をアピールしなかった、ということもあるようです。
2010/04/04(日) 10:01 | URL | さつき。(嶋原応援してます) #WO899MnU[ 編集]
教えてくださりありがとうございます!
☆さつきさん こんばんは
「こち」の用法で「こちの人」というのがありますが、それも「わたしのあなた」くらいの意味合いですし、「店の奥まったところ」という意味があるのにもとても納得ですね。
愛いものは仕舞う、そんな感じです。

政権が向こうへ行ってしもてからのお公家さんらは、お金もあんまりなかったようなイメージがありますが、あそばはる人は遊んではったんですね。
2010/04/04(日) 18:46 | URL | 遊行 七恵 #-[ 編集]
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