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美術館・博物館・デパートでの展覧会を訪ね歩き、近代建築を見て周り、歌舞伎・映画・物語に溺れる日々の『遊びに行った日を記す』場所です。 

蔵出し!文京ゆかりの絵画

先月行きそこねた文京ふるさと歴史館へ出かけた。
大体ここの展覧会はハズレがない。
今回は「蔵出し!文京ゆかりの絵画 逸品・珍品、勢揃い」というタイトルからして期待ワクワクな展覧会だった。
わたしがもらったリストに感想文を書き出してたら、係りの人がキャプション書いたリーフレットをくれはったので、嬉しかった。
cam110.jpg

小石川にあった川端画学校の資料が色々出ていた。
お手本とか校舎の写真とか。
文京区には居心地のよさがあるのかもしれない。そんなことを思った。

明治の頃の小石川後楽園を描いた2つの絵巻がある。どちらも木村源太郎の作。
大坂の人で赴任中に描いたらしい。
先に見たほうは部分部分のスケッチ集のようなもので、空間の繋がりがなかった。
もう一本はきちんと出来上がったもの。
プロではなく、素人の人が楽しんで描いた絵巻。
全然関係ないが、この名前は「鬼平犯科帳」に出てきた人と同じである。
壁には古写真も展示されている。太鼓橋など。

解説文から。
「本展では高崎屋資料から、長谷川雪旦・雪堤父子による絵画「昇竜図」「酒造図」など4点、また太田道灌の子孫・太田資宗の屋敷からの眺望を描いた「太田備牧駒籠別荘八景十境詩画巻」のうち画巻を展示します。また無指定ですが、高崎屋資料より酒井抱一画「秋七艸之図」を公開します。」

昇竜図 長谷川雪旦図 文政7年(1824)
ぼんやりと映し出された浅草辺りの町並みの頭上に黒雲が広がり、そこに竜の姿がある。ちょっと杉浦日向子『百日紅』の世界のようである。
化政期の江戸の面白さは、堪えられなかったろう。そんなことを思いながら絵を見た。

喜寿の舞図 長谷川雪堤 
喜寿祝の舞を眺めるのは、浦島太郎、鍾馗、西王母、菊慈童たち七人。
こういう取り合わせも珍しい。菊慈童がなかなか美少年に描かれていた。
わたしは菊慈童、黄初平など中国の神仙少年が大好きなのだ。

秋七艸之図 酒井抱一
本郷の高崎屋がどのような繁栄を誇っていたかは知らないが、この絵が伝わっている、そのこと自体が素敵だ。酒造家の蔵にはどんなお宝が納まっていたのだろう・・・

さて伊藤晴雨。
「伊藤晴雨は、きわどい画風があまりにも有名ですが、地域に根づいた作品も多く残しています。昭和36年(1961)に亡くなるまでの約50年、動坂(現、千駄木5)に住み、地元の人々からの依頼で描いた「浪曲師テーブルかけ」、団子坂やお茶の水など地域の風景を描いた絵画など、地域のゆかりある作品も多くのこしました。」
江戸風俗研究家でもあったので、そうした作品もあるが、やっぱり晴雨はあれでしょうね。
むしろ普通の絵を見る機会の方が少ない。

お七が櫓に駆け上がる姿などに、切羽詰った一途な情念を感じる。たとえそれが本絵ではなくテーブル掛けであったとしても、ときめくような何かがある。

だいぶ前、晴雨の画集を見た。「地獄の女」が納められている本。DAN・ONIROKUも評伝を書いていたが、読物としては福富太郎のエッセーが一番面白い。
これまで繰り返し書いて来たので、もう書かないが。
ところで本郷にあった菊富士ホテルをモデルにした上村一夫の佳品「菊坂ホテル」にも晴雨が現れる。夢二との関係に閉塞したお葉さんが晴雨と機嫌よく駆け出して行き、竹林の家で絵のモデルをしているエピソード。
シリーズのどのエピソードも好きだが、特にこれは好きな話だった。

本郷座の絵看板も手がけたか、辻番付が残っていた。
わたしはこうした辻番付やビラが好きなので、楽しく眺めた。
なにしろお客が来なければショーバイにならないから、チラシや絵看板は、そそらなければならない。
いい観客だなぁ、わたし。百年近い前のものにそそられている。

この本郷座だけでなく、団子坂の菊人形の雑踏を描いたものもある。(チラシ右下)
そして本郷座も団子坂の菊人形も、共にこの文京ふるさと歴史館では、展覧会を行っていた。どちらも楽しい展覧会だったことを覚えている。

名優・花柳章太郎と交友した人々
「新派劇の名優・女形で人間国宝の花柳章太郎は、幼少期から湯島同朋町・天神町(現、湯島3)に住んだ文京ゆかりの人物です。文筆活動、七宝、絵画、染色など幅広い趣味を持ち、絵画は本画家・伊東深水や、洋画家・木村荘八を師と仰ぎ、スケッチ、挿絵、日本画などを残しています。本展では交友した人々の絵画もあわせて展示します。」

‘98年5月に国立劇場の資料展示室で、花柳の絵の展覧会が開催された。
あの頃は今のような展示スペースと違い、本館4階に資料室があった。
花柳の描いた舞台風景などの絵がそこにあり、なかなか楽しめた。
既にその頃、戸板康二の『ぜいたく列伝』などで花柳の趣味の面を読んだりしていたので、実物を見て、ひどく嬉しかったことを思い出す。
今回ここにあるのは、「初期いたずら帖」と呼ばれる「お絵かき日記&メモ&スケッチ&スクラップ帖」である。
色合いも優しく、楽しい絵が続くようで、一枚一枚めくってみたくなった。

木村荘八の戯画もある。それはポストと「のこったのこった」のお相撲さんの絵。
この絵は歴史館からのお誘いハガキに選ばれていた。
木村は手紙マメな人で、里見らのエッセーで知ったことだが、同じ一日の朝・昼・晩に分厚い手紙が届くことが度々あったそうだ。
そこには文だけでなく、こういう洒脱な戯画が添えられていたという。

最後と言うか、入り口入ってすぐに見えたのが、菊人形の生首だった。
ツクリモノのためのリアルな生き人形。キモチわるくて、そして深い魅力のある存在。
「菊人形の舞台裏  ―浅井家資料 菊人形下絵―
 明治時代の団子坂(千駄木)は、秋になると菊人形を興行する小屋が軒を裏ね、東京の行楽地として知られていました。今回展示する菊人形下絵は、その1軒である植木屋・植惣(浅井家)で使用されたものです。」
菊人形の舞台装置と言うか、世界設定のための絵などがあり、大変面白かった。
こういうものは好き嫌いが別れるところだろうが、どれもこれもわたしには面白くて仕方ないものだった。

ああ、本当に楽しい企画だった。これまで文京ふるさと歴史館にはハズレはなかったが、これからもぜひともがんばって欲しい。
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コメント
No title
うちの父親は弥生町生まれの谷中育ちなので
この辺りは、子どもの頃、祖父母に連れられて、
遊園地まで歩いた記憶があります。
坂の上り下りが疲れた思い出が強烈です。
東大紛争が盛んなころで、祖母に大学なんて
行くんじゃないよと言われたことを思い出しました。
2009/03/22(日) 08:41 | URL | 一村雨 #-[ 編集]
☆一村雨さん こんにちは
以前に一村雨さんのお父様が谷中っ子だと聞いて、
「うらやましい~~」と声を挙げるわたしです。
森まゆみさんの著書から谷中、根津、千駄木、
その界隈にひどく憧れがあります。
住めるものなら、谷中か深川に住みたいと、
常々願っております。
>東大紛争
その安田講堂の中の壁画、小杉放菴の。
とても好きです♪
2009/03/22(日) 09:06 | URL | 遊行 七恵 #-[ 編集]
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