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美術館・博物館・デパートでの展覧会を訪ね歩き、近代建築を見て周り、歌舞伎・映画・物語に溺れる日々の『遊びに行った日を記す』場所です。 

朱と墨 根来が繋いでくれた縁

東京の大倉集古館で「根来」塗りの展覧会を見た後、泉州の正木美術館で「朱と墨 根来が繋いでくれた縁」を見た。
どちらも根来塗りの赤くて黒いのが出ている。

事実なので書くが、わたしは関西の旧家の子供なので、仏事が多い中で育った。
大掛かりな年忌法事などだと色々什器を触ることになる。寺で法要を行うこともある。
そのときに根来塗りを見る・使う機会が多々あって、そのためでか、どうしても芸術品として<観る>ことが出来ないでいる。
無論、コレクターにより愛蔵される根来などは、わたしが触ったり使ったりしたものよりずっと見事な素晴らしいものなのだろうが、どうもその凄さが実感できない。
しかもわたしはへんなところで派手好きなので根来のシブい味わいがあんまりわからない。
極端なことを言えば、根来塗りの代わりに春慶塗のいいのが欲しいな??と平気で考えている。
仏事に使うものたちを見れば、少し鬱屈を感じもするので、恐る恐る展覧会に出かけたのだった。

大倉の根来展は随分人気で、けっこうなことだと思った。
わたしが大倉に行った日はオバマさんの来日中のこととて、ホテルオークラ周辺は物々しい官憲の姿でいっぱいだった。なんだかああいうのを見ると不思議に怪しい行動をとりたくて仕方なくなるが、そのときは展覧会を見るのが第一義だったので、つつましく歩いた。

色んな作品を見たが、改めて眺めて思いついたことがある。
根来塗りは地に黒があり、上から朱をかぶせる。それが経年により赤が剥落して地の黒が浮かび上がる。その滲み出すような出現の仕方は故意に発生したものではなく、恣意的なものだ。その偶然性と言うことを考えると、これはインスタレーションではあるまいか。
現代芸術がニガテなわたしの言うことだから笑われるかもしれないが、どうも根来はインスタぽい気がしてきた。
そういう風に思えば、なんとなく楽しく感じられた。

さて正木では、正木コレクションVS鎌倉の常盤山文庫という様相を呈していた。
常盤山というのは鎌倉にある非公開の菅原通済コレクションと言うことで、その名の通り菅公の血脈だと自負し、当人は実業家であり、また小津安次郎作品の脇役の一人として活躍されたそうだ。(わたしは小津映画のファンではなく、溝健や成瀬の方が好きなのだ)

展示方法は交互に類似品を並べての比較鑑賞と言うシステムをとり、それがまたなかなか面白かった。なにしろ解説にも意気込みがあふれている。

09120401.jpg
常盤山所蔵の輪花天目盆はチラシに選ばれて、太陽のように笑っている。そんな風に見えた。太陽も赤いといえば赤いが、黒点がある。それがどことなく根来を思い起こさせもする。この盆はその意味では太陽のプロミネンスが表れ出たようなものかもしれない。
元はどうやら西大寺のものらしい。

根来手力盆  岐阜に手力雄神社があるそうで、そこから正木へ。タヂカラオは天岩戸事件で活躍したカミサマ。

根来角型瓶子  室町の頃に生まれたが、朱がキレ???。栓は菊型。それにしても驚くほど綺麗な朱。

杓子もあったが、それはお粥をよそうのに丁度よさげだった。

墨にゆくと、高僧の書とか色々あって、あんまりそっちに関心がないのでダーッと見ただけ。それよりも絵に面白いのがいくつかあった。

龍図 李(火篇に夜) 力みなぎる龍。なにやら血気盛んである。墨絵なのに色を感じる。

蓮図 能阿弥  きれい。幻想的な美。75歳の作品。

二枚の一休像がある。常盤山のは一休一人の斜め顔。正木のは一休と森女の図。
こちらは賛を一休本人が書いている。森女のことを「盲女艶歌」云々と書き、可愛がりようがありありと伝わってくる。この絵の森女は色白で愛らしい面立ちをしている。09120402.jpg

小学生のころアニメ「一休さん」が始まり、人気があった。
当時の担任の先生は、子供の眼から見ても、どことなく求道者ぽいような放浪者ぽいような青年で、彼は九歳の子供らにこう話した。
「先生は、一休が晩年になり、何ものからの束縛も離れて、一人の女の人を愛し続けたことに深い関心がある」
昭和50年代の小学生はマジメに聞いていた。
それが心に残っていたためか、’89年11月の東博特別展「一休」にわざわざ出かけたが、そこで見た一休の少し若い頃の肖像は、当時の長渕剛そっくりだった。

二階では菅原姓だけに天神図が多く集められていた。
室町時代の北野天神縁起絵巻もあり、これが「物語」としてなかなか面白く思えた。
銅細工師の娘二人の苦難と受福や、浄蔵の説話など・・・

渡唐天神図では、正木・常盤山のそれぞれが対と言うか、兄弟のような作品があり、それが見ものだった。

展示を見た後、正木家のお庭を散策した。秋の庭はやはりいい。和の美の極みは秋だと思い知らされる庭だった。
お屋敷のガラスは建てられた当時のままのようで、綺麗な歪みが活きている。こんなガラスはもう手に入らない。
いいものを見て、気持ちよく帰った。
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