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美術館・博物館・デパートでの展覧会を訪ね歩き、近代建築を見て周り、歌舞伎・映画・物語に溺れる日々の『遊びに行った日を記す』場所です。 

神話-日本美術の想像力-

昨日の続き。
4.「神話」の解体-神話から歴史へ-
神話の人々から、歴史上の人々へ主題が少しずつ変わってゆく。
歴史画にも大きな足跡を残した「院展の三羽烏」の作品が現われる。

梶田半古 比禮婦留山  ヒレ振る山。松浦佐用姫伝説が描かれている。去り行く船に向けて、懸命に身を乗り出し、必死で領巾(ひれ)を振る佐用姫。彼女は嘆きのままに石に化すのだが、ここではまだ人の身を見せてはいるものの、彼女がよりかかる松の生える岩が、その後の彼女の運命を示しているようにも見える。

荒井寛方 美人  天平美人がふっくらした頬を見せながら、竪琴(箜篌 くご、と読む楽器)を演奏している。
同じようにこの楽器を演奏する天平美人を描いた作品は他にもある
ここには出ないが、吉川霊華「箜篌」などは良く似ている。

院展の三羽烏の若き日の歴史画を見る。
安田靫彦 遣唐使、守屋大連、武内宿彌・・・リアルな筆致の歴史画は、考証も確かなのだと思う。みな、目つきに特徴がある。

前田青邨 大久米命、小碓命・・・緊迫感のある画面。オウスは女装のまま物の陰に隠れ、今しも剣を引き抜こうとする姿。

小林古径 大毘古命図、神崎の窟・・・前者は「崇神記」に見えるエピソード。不吉な歌を歌う少女は神の化身と言うことだが、古事記にあるのは「腰裳服せる少女」であるが、この絵はその腰裳すなわちロングスカートをはいてはいるが、胸をあらわにした少女だった。
見ようによってはこの役人、歌の不吉さに足を止めたのではなく、少女の胸に目を留めた・・・ようにも見える。
後者は以前から見たかった一枚。加賀の潜戸に関する物語。神の子である証に矢を射り、光を呼び込む幼児。母が見守るその構図は、なんとなく大昔の森永製菓のイメージぽい。

石井林響 童女の姿となりて  これはオウスノミコトが女装することを指す。美少年のオウスノミコトは叔母上からいただいた衣装に身を包んで熊襲兄弟のもとへゆく。道鏡を手にした少年の足元には一振りの短剣がある。
数年前「ヤマトタケル展」が明治神宮で開催され、そのときに見た作品。

松岡映丘 佐保姫  なんとも美しい姫。天平までの風俗の美にときめく。春の女神。

まつ本一洋 木花開耶姫  まつもとの字は特殊字で登録しているが、いつのまにか消えていた(泣く)。しもぶくれの愛らしい姫がぼんやりと浮かび上がる。背景には彼女の住まうと言う富士山も見える。

菊池契月 浦島  三幅対で竜宮の浦島を描いている。左は海原と松影(地上)。右は海上とヒトのいない小舟。中は藍色の地に描かれた、退嬰的な情景。太郎、飽きたのね、快楽に。竜宮の女たちからはなんとも退廃的な雰囲気が醸し出されている。太郎ももうこれ以上は楽しめない地点まで来ているらしい。極限の快楽の果てには退屈しか残らない。
退屈が望郷の念をよぶ。(違う場所へ行きたい)
魅力的な一枚。
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5.拡がる神話 -天平へ-
神話の幻想性は最早のぞめない。国家の背骨が見えている。そしてその中での楽しむ人々の姿がある。

高村真夫 春日野  実物が見たかった作品。天平の少女たちが野でくつろぐ。月琴が寝かされている。どことなくヨーロッパの野にも似た春日野にいる少女たち。

白滝幾之助 羽衣  羽衣を手に取る男たちと、松の陰で泣く娘と。ああいやねぇ。返してやれ、と絵に向かってつぶやいた。

川崎小虎 歌垣  屏風の連作もの。ふくよかな女たちの歌う姿が一枚ずつ描かれている。
等身大の女たち。

寺崎広業 天平美人  金地。秋の野を行く貴婦人とお供の少女たち。絵の半分以下に秋草を配し、上部は人物だけにしていることが巧い。秋の野を行く。それが確かな実感がある。

大仏開眼  東大寺の大イベント。752年の極東仏教圏での大イベント。聖武太上天皇、光明皇太后、孝謙天皇の親子三人を筆頭に一万人以上の人々が集まった大仏開眼。なんとなくゾクゾクするような感じがある。

岡田三郎助 古き昔を偲びて  これは切手にもなったが、実物を見るのは今回が初めて。黒川古文化研究所の所蔵だが、なかなか遭えなかった。ふくよかな婦人は天平のヒトか。
見ることが出来て、本当に良かった。

まだまだ見たい絵も多いが、いい選択だったと思う。
奈良県立美術館は毎年秋から冬にかけて、本当に素晴らしい展覧会を起こしてくれるのだった。


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