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美術館・博物館・デパートでの展覧会を訪ね歩き、近代建築を見て周り、歌舞伎・映画・物語に溺れる日々の『遊びに行った日を記す』場所です。 

ガランスの悦楽 没後90年 村山槐多展

「ためらふな、恥ぢるな まつすぐにゆけ 汝のガランスのチユーブをとつて 汝のパレツトに直角に突き出し まつすぐにしぼれ」
村山槐多の詩は彼の魂が叫ばせたものだと思う。

没後90年、生誕113年の年に松涛美術館で「村山槐多 ガランスの悦楽」展が開催されている。
ガランスとは茜色のことで、彼の絵画に多く顕われる色彩の一つだった。

槐多を初めて知ったのは、彼の書いた怪奇小説からだった。
悪魔の舌」「殺人行者」などがある。
「悪魔の舌」 タイトルからしてもそそられるような作品で、高校生の私は図書館で口も聞かずに読みふけった。その頃から丁度「新青年」関係の資料や作品を読むようになっていたので、この小説も大好きな大正時代の、大好きな怪奇小説ということで、わたしはためらいもなく読み始めたのだ。
読中の気持ちの悪さ・ラストシーンの皮肉さへの驚愕、それらは長く私に残った。
そして作者・村山槐多は小説家としてより、画家としての名が知られていることを、その本の中で知った。

回顧はもう少し続く。
親戚の一人に、さる町の娘が嫁いできた。その父は町に美術館を建てたが、そこには槐多の作品が集められていた。その頃既に槐多のファンだった私は喜んで「いつか行くわ」と言ったところ、皮肉屋の親戚は「そんなイナカにええ絵が集まるものか」と笑う。
「ムラヤマ・カイタを知らんからそんなことを言うねん」と返すと、彼は更に笑った。
「村の山で誰かが書いた、からムラヤマ・カイタと勝手に名乗ってるだけや」
……20年経ってもなかなか忘れられない会話だが、未だにその村の山の美術館へ行っていないわたしだった。

槐多の作画時期は14、5歳頃から始まっているようで、中学生とは思えぬようなあくどさのある作品がいくつもあった。
既に槐多が夭折していることを知るだけに、早熟の天才の危うさ、と言うものを感じた。
特に中学での回覧雑誌のために描かれた作品群はどれもこれもあくどさ・怪しさが横溢している。明治の末、こんな少年が日本にいたことが面白いような怖いような感じがある。

夭折した人だけに信濃デッサン館の所蔵品が多い。
目を惹いたのは「稲生像」だった。
槐多が恋した美少年の横顔がそこにあった。

丁度明治末から大正初めにはドイツ的な少年愛が広まっていたそうだ。
(それ以前にもいろいろあるが)
許容されていたにしても、当人にその気がなくば拒まれるだろう。
槐多の書いたラブレターも展示されているが、強い執着心をうかがわせた。

後期展に出る「二少年図」という絵は長らく江戸川乱歩鍾愛の作品だった。
乱歩にも美少年への愛情がある。彼はその絵を幸せにみつめていたのだ。

槐多の過剰さ・過激さは筆勢に顕われているように思う。
世話になった小杉未醒の庭園を描いた作品には、ガランスとウルトラマリンが強く塗りつけられている。他者には選べない色を同居させ、それが個性として活きている。

彼の自画像をいくつか見る。いずれも不逞な面構えをしている。
紙風船をかぶれる自画像、そのタイトルどおり空気の入らぬ紙風船をまるでインド人のターバンのようにしてかぶった槐多の顔があるが、可愛げのないツラツキを見せている。
本人もそれは自覚しているようで、文にそのことを残してもいる。

「やっぱり『悪魔の舌』『殺人行者』の作者だけはある」わたしはつぶやいた。
しかしそれだけが槐多全てではないこともわかっている。

カンナと少女  ここにもガランスとウルトラマリンは活きているが、それらは優しさを伴っていた。隣家のマサちゃんという女の子をモデルにしたこの絵は、少女のほっぺたが可愛い茜色を見せ、縦縞の着物に明るい青の線を載せている。はびこる大きな植物も少女を脅かすものではなく、少女と植物の生命力の確かさを描いたものだった。

少女や娘を描いたものには過激さは見出せず、イキイキした力強さが感じられるものが多かった。
「庭園の少女」「裸婦」「薔薇と少女」…

描くものはハッキリした形を見せているが、描いた意図が読み取れぬ作品が多いのも確かだと思う。
「スキと人」…スナフキンかと思った。
「尿する裸僧」…昔、実物を見る前に評論を読んで驚いたが、やっぱりよくわからない。

スケッチブックに描かれた様々な女性像などはシュールさまで見えてくるが、あれは意図せずそうなったものだろう。

会場ではところどころに槐多の詩が大きく張り出されている。
それを読んでから絵を見ると、彼の心に近づけるような錯覚が生まれる。
やがて槐多に早すぎる、しかし当然のような死が訪れる。
彼は遺書を書く。
自分を「引き上げよう引き上げようとして下すつた」未醒や従兄弟でもある山本鼎らへ感謝と共に「私は地獄へ陥るでせう、最低の地獄にまで。さらば」
強い自覚がそこにあった。

しかしながら彼の矯激な魂が去った後の死に顔を写したデスマスクは、穏やかで優しいものに見えた。
死んだ後でやっと不逞さ・機嫌の悪さの消えた顔になったのだ。
そのことを槐多がどう思っているかはわからないが。




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