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美術館・博物館・デパートでの展覧会を訪ね歩き、近代建築を見て周り、歌舞伎・映画・物語に溺れる日々の『遊びに行った日を記す』場所です。 

小村雪岱とその時代

埼玉近代美術館で小村雪岱の展覧会が開かれている。
雪岱は川越の生まれの人で、その随筆「日本橋檜物町」にも川越から水路で東京へ入ったことが書かれている。
暮らしたのは東京だが、その縁で埼玉には雪岱作品が多く残されている。
近年では2007年と2008年には埼玉近美で、2009年には川越市美術館と、他に彼の勤めた資生堂でそれぞれ展覧会が開催されている。
どの展覧会も、すべてが美しかった。
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現在の展覧会は「小村雪岱とその時代」ということで雪岱を主体に、彼とかかわりのあった芸術家たちの作品が展示されている。
しかしながらやはり目はどうしても雪岱の作品を追ってしまう。
なぜなら雪岱の作品は、あまりに他と異質だから。

「昭和の春信」と謳われた雪岱だが、春信には追随者がいた。
しかし雪岱には彼を模倣するものはいなかった。
唯一の弟子・山本武夫は師の足跡を追ったが(師の情趣は受け継いだが)、「小雪岱」にはならず、彼自身の藝術を全うさせた。
それは目黒区美術館での回顧展を見た人には納得できることだと思う。

その全容は「粋でモダンで繊細で」という副題の通り、粋でありモダンであり、そして何よりも繊細であったが、その繊細さには腺病質の細さはなく、時として意表を衝かれるほどの大胆さがあった。

雪岱の魅力は深い。
その魅力は口絵・装丁、モノクロ挿し絵、舞台装置の設計という大きな柱に分かれると思う。展覧会ではそれらを楽しむことが出来るようになっている。

雪岱の口絵・装丁を一つのくくりにいれた理由は、それらが彩色作品で、動きを止めた美しい画だということが主だった。
永遠に時間は動かず、その空間の中だけに美が生き続ける。
「見立て寒山拾得」などは深く見つめると、ルネサンス以前のフレスコ画を想起させてくれる。これまでそんなことを考えたこともなかったが、今回は絵を前にしてそんな感慨に耽った。

鏡花の本は文章にふさわしい美しい仕立てが求められた。
ただ美しければよいというものではなく、繊細な美が息づいていなくてはならない。
華美なもの派手なものは、度を超せば鏡花の文章を収めた器にふさわしいものではなくなる。雪岱の繊細さはその機微を知り尽くしてい、鏡花の美意識に寄り添って活きている。
名品の中の名品と絶賛される「日本橋」をはじめ、「愛染集」「雨談集」「芍薬の歌」そして鏡花最後の本「薄紅梅」に至るまで、ぶれることなくその美意識を貫いた。
雪岱自身の言をここにあげる。
「・・・その後春陽堂からのものは大抵やらせていただきましたが、なかなかに註文の難しい方で、大体濃い色はお嫌いで、茶とか鼠の色は使えませんでした」(泉鏡花せんせいのこと)

一方雪岱の挿し絵は白と黒の大胆な美を露わにしている。
邦枝完二の小説「お傳地獄」「おせん」の挿し絵はその白と黒の美の極限を世に送り出したものだ。
何度見ても背筋が寒くなるような美に満ちている。
そしてそれは特に「お傳地獄」に顕著な特徴なのだった。

暗い川の流れの中に女の太ももから指先に至るまでの足だけが、逆さに描かれている。
長い連載の中の一枚だけのことかもしれないが、この絵の衝撃はあまりに大きい。
また、(のちに版画作品にもなった)お傳が背に刺青をいれる情景、これなども退廃美の極みと言っていい。

「おせん」は江戸情緒を醸し出す構図を選び抜かれたことで、「お傳」の妖美さは失われているが、しかしながらその分多くのファンを掴んだと言えるのではないか。
お傳は明治の世の話、おせんは江戸に生きた女の話ということで、至る所に江戸の風情が活きている。
展示では「おせん」の物語を追ってくれたので、話の流れがようやく私にも掴めることができ、とてもありがたかった。

今回ここには「江戸役者」「けんか鳶」「忠臣蔵」などが並んでいるが、できれば子母澤寛「突っかけ侍」と鏡花「山海評判記」も見てみたいと思っている。
ただ嬉しいことに、雪岱画帳に切り抜きがあり、その「突っかけ侍」1シーンが出ているのが見えた。
それだけでも嬉しい。

ところでどの展覧会でも画集でもスルーされてしまうが、雪岱最初の挿絵は里見「多情仏心」だった。大正12年に連載があったその当時の現代もので、雪岱はコンテで作品を仕上げたが、失敗作だと看做されている。
しかし挿絵全集で見る限りは、「雪岱だと思わなければ」なかなか面白い作風なのだった。
わたしは鏡花偏愛から周辺に愛が拡がっていったものなので、里見の作品にも手を伸ばし、伸ばした手がそのまま彼の著作を次々に掻き寄せる熊手となってしまった。
ここでこんなことを言ってもどうにもならないが、里見の小説も随筆もメチャクチャ面白いのだ。読み始めて20年、全く飽きることなく再読し続けている。

三つ目の柱として新歌舞伎や舞踊劇のための舞台装置設計がある。
長谷川伸「一本刀土俵入」などは名作中の名作として、現在もほぼ変わることなく使われ続けている。
なんと言っても安孫子屋の店先がいい。秋らしく菊の鉢植えが置かれ、店の二階には日の出の絵の入った雨戸がある。
その二階の手すりにもたれてお蔦が三下どもをからかったり、三味線でおわら節を弾いたり、茂兵衛に「櫛笄簪諸とも」あげたりしたのだ。
十年後に一人前のやくざになった茂兵衛の心に深く刻まれた恩は、決して廃れない。
彼の胸には安孫子屋の二階の手すりにいるお蔦が常に活きている。

この芝居は六代目菊五郎のために作られたが、その初演では他にもエピソードがある。
役者と言うより学者とも言われた八世三津五郎は酌婦の一人として菊の鉢植えの前辺りに立ったが、そのとき襟おしろいをして、きたないような布を巻きつけて出た。
六代目はそんなリアルな工夫が好きだから、まだ若かった彼を褒めたそうだ。

「蝶の道行」なども彼の手によるが、あいにくその展示はなかった。
そして舞台装置について雪岱の言葉を挙げる。
「由来舞台の成功した装置と言うのは、装置が舞台に隠れてしまうのが最上のものかと思います。・・・やっぱりどこまでも舞台装置は、所謂背景とならなくてはいけません。」
本当のプロ意識のある人の言葉だと思う。

展覧会にあわせて「春琴抄」の上映会もあるが、その装置を拵えるときの苦労話が、非常に興味深かった。
つまり雪岱はあくまでも「江戸」あるいは「東京」の人なのである。
上方の建築様式・住まい方が、全く想像もつかなかったのだ。
「大阪の商家」という随筆の中で、そのことを雪岱は詳しく書いている。
船場と靱に残る商家を見学したということだが、今ではもう殆どそれらの建物は残っていない。(コニシボンド)の小西家くらいしか思い浮かばないほどだ。
そしてこの映画では、考証だけでなくメーキャップまで決めたそうだ。

小村雪岱と「その時代」ということで、同時代の絵師たちの作品をも多く見ることが出来、とても楽しめた。特に鰭崎英朋は弥生美術館で現在回顧展が久しぶりに開かれているので、いい前哨戦になったと思う。
清方の「風流線」、五葉の「遊行車」も見れて、わたしとしては大満足だった。

2/14まで埼玉近代美術館で開催中。
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