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美術館・博物館・デパートでの展覧会を訪ね歩き、近代建築を見て周り、歌舞伎・映画・物語に溺れる日々の『遊びに行った日を記す』場所です。 

東山魁夷と昭和の日本画

山種美術館で「東山魁夷と昭和の日本画」を見る。
魁夷は大がかりな展覧会もよいが、山種のような専門美術館で、彼と周囲の人々の作品を集めてしんみり眺めるのもいいものだと思う。

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チラシに選ばれたのは「年暮る」。親交の深い川端康成に失われゆく京都の美を、と示唆を受けてホテルオークラから見えた景色を絵にしたもの。
昭和43年の京都にはまだまだ町家が並び、そこには雪が降り続けていたのだ。
積もるほどの雪はもう何年も見ていない気がする。
しん として静かに美しい景色。
深、清、心・・・どの字でも当てはまるような静かな風景。

魁夷は「未更会」という集まりにも参加していて、そのメンバーの作品も多く並んでいる。実のところこの展覧会では、魁夷より他の画家の作品を楽しく眺めてしまった。

川合玉堂 竹生嶋山  琵琶湖に浮かぶ弁財天の島。鳥居が見える。謡曲を思う人は波ウサギの絵が浮かぶだろう。しかしこれは文字通り竹生島の風景画である。
思えば玉堂には観念的な作品は全くなかった。

松岡映丘は昭和初期に多くの合作を生み出している。
漱石「草枕」絵巻なども名品で、いつか奈良で見たとき感動したが、ここにあるのは「伊勢物語」絵巻。何度か見ているがやはり綺麗。
映丘は「筒井筒」を担当している。子供たちの姿ではなく、大人になった二人の姿を描いている。秋草咲き乱れる庭に佇む男と、彼に気づいていない女。
美しい情景がそこにある。

「東下り」は魁夷の舅の川崎小虎が描いた。
小虎らしい色合いと、可愛らしさが目立つ人物造形。
どことなくファンシィなムードがあり、そこが好きだ。

結城素明の四季を描いた掛け軸は昭和15年の作で、今から見ると、「本当にあった景色なのか」と思う作品。もうどこにもない景色がそこに広がっていた。
70年前の日本にはこんな山紫水明の地があったのだ。

小虎 秋瓷  たいへん現代風な作品で、灰色で統一された画面の中に花が元気よく活けられた花瓶がある。それがなんとも言えずイキイキしている。単にイキイキしているだけではなく、この花は人の思惑などどうでもいいように顔を挙げていた。
昭和36年の作。丁度日本が本格的に元気が出てきた時代らしい。谷崎の「瘋癲老人日記」は同年の作で、作品を読んでいると、そんな実感がある。

皇居新宮殿の絵画にちなんだ作品という章がある。
昭和40年代に皇居新宮殿を彩る作品が生み出されたが、それは無論一般市民の目に触れることはない。そこで同題・同趣の作品を、ということで作られた作品群が集まっていた。

なんと言っても素晴らしくよかったのは山口蓬春「楓」と橋本明治「朝陽桜」だった。
本歌は宮殿の正面の間に対のように設置されているが、展示は並んでいる。
それがどうしようもないほど魅力的。
型押ししたような明治の桜は、永遠に爛漫の時を保ち続ける。
蓬春の楓の鮮やかさは枯れることを知らず、鮮烈な意識を見るものに刻み付ける。
この二枚が並ぶ状況に、自分がいることを、この上なく幸せに感じる。

上村松篁 日本の花・日本の鳥  この扇面図屏風は本当に名品だと思う。
わたしは鳥は好まないが、松篁さんの花鳥図には惹き込まれてしまう。
特に緋桃を描いたものが本当にいい。絵葉書を買っていて、それを時々見返すが、複製品でも楽しいのだから、こうして本物を前にすると、いよいよ明るい心持になるのだった。

大観・玉堂・龍子による松竹梅図が楽しい。(昭和30と32年。各自がそれぞれどれかを描いている)特に良かったのは龍子の「梅・紫昏図」。紫色の夕暮れが拡がる空の下に崩れかけたような茅葺の家がある。傾いた家であろうとも人の気配がある。なんとなく暖かな家。
大観の「梅・暗香浮動」もいい。大観は「夜桜」が名作として高名だが、彼の梅花図は大作・小品どちらも優しいものが多く、こちらの方がわたしは好ましい。
そういえば龍子「竹・物語」はピカーッと光る竹を描いたものだった。まだ竹の外へ出る前の、発見前の情景。

杉山寧 響  この絵を見ると必ず茅場町時代の山種を思い出す。わたしが最初に行った日、階上から階下へ下る階段の壁にこの巨大な滝と裸婦の絵が掛かっていたのだ。
壁そのものが滝に見え、そこに自由な裸婦がいるかのような錯覚が起こり、しばらく立ちつくした。
その衝撃が長く残り、色々な本で杉山のことを調べたりするうちに行き当たったのが、彼が三島由紀夫の舅であり、三島からはあんまり評価されていなかったという話だった。
そしてこの「響」は三島の割腹した年に描かれている。三島が評価しなかった画家は事件のすぐ後に大きな評価を受けている・・・

高山辰雄 坐す人mir296.jpg
これは高山の全作品のうちでも、わたしにとっては別格の作。
それまで高山の絵には関心がなかったが、この「坐す人」を見たときの衝撃は異常に大きかった。それで一気に高山への偏愛が沸騰した。
今でもこの絵の前に立つと、たまらなくなる。

吉岡堅二 龍門幻想  中国・龍門の巨大仏像・・・うす紫地に金色の仏像が描かれている。
それが現実の光景なのかタイトルどおり「幻想」なのかは、ついにわからないままだろう。
今、目の前にあるその絵だけを、信じればいい。

東山魁夷の作が色々出ていたのに、他ばかりを選んでしまった。
ちょっと申し訳なくもある。今月末まで。
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