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美術館・博物館・デパートでの展覧会を訪ね歩き、近代建築を見て周り、歌舞伎・映画・物語に溺れる日々の『遊びに行った日を記す』場所です。 

庭園美術館でイタリアの光をみる

東京都庭園美術館はよく知られているように、旧朝香宮邸をそのまま美術品展示の場に変えた建物である。
アールデコの館と呼ばれ、訪れたものが他の美術館で味わうことの少ない「その場にいること」の喜びを多く享受させてくれる、見事な空間である。
そこでの展示は、絵画であれ工芸品であれ、館にそぐうものでなくては、まず館の位に負け、見劣りし、本来の美を表に出せないまま敗れ果てることになる。

イタリアの印象派 マッキアイオーリ 光を描いた近代画家たち
今、庭園美術館ではこのタイトルの展覧会が開かれている。行くまではその「マッキアイオーリ」というのが個人名なのか集団名なのか地名なのか、全く知らなかった。
それどころか、中に入り、この麗しい館に飾られている作品を少しばかり見て歩いて、それでもまだ「マッキアイオーリ」が何を示すのかをわかっていなかった。

今回、全く事前情報なしで出かけたのだ。既に記事を挙げられているブロガーの皆さんにそむいて、「全くの予備知識なしで」見てみようと思ったのだ。
なにしろ行く気はあっても全く未知のものだから、却って無の状態で出かける方がいいかも、と甘い考えでいたのだ。

日差しを感じた。
イタリア・トスカーナ地方の日差しが、庭園美術館という建物の中にきらめいている。
「光を描いた」イタリアの近代画家たちの集団。
大方の作品には特別好ましい、と感じるものはなかった。しかし素通りは出来ない。
ほぼ全ての作品から明るい日差しがあふれるので、そちらへ向かってしまう。
気持ちのいい日差し。明るい陽光がこちらを照らすので、日焼けしそうな気がした。

シルヴェストロ・レーガ 庭園での散歩
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白い衣服の婦人二人が日傘を差しながら散歩している。日傘はとても小さい可愛らしいもので、たぶん本当には役に立っていない。全くUVカットの出来ていない傘だ。しかし傘の崩れた円形の影は顔から胸元を覆い、そこだけは白色を灰色に変えている。
こんな衣装を見、こんな時代を思うとき、わたしはどうしてもヴィスコンティの映画を思い出す。「ヴェニスに死す」のタッジオの母親を演じたシルヴァーナ・マンガーノが着ていたドレスは、長い裾を引いていた。その頃はアイロンがまだなく、どんな高価な衣装であっても全て皺が生じていたのだ。
この二人の婦人の裾には襞ではないものが見える。それこそが19世紀の衣服の証なのだった。

同じ作家の作に赤シャツ党の「ジュゼッペ・ガリバルディ」を描いたものがある。
ヴィスコンティ「夏の嵐」もまたイタリア独立運動が背景にあった。冒頭にオペラ座で煽動ビラが舞い舞いするシーンがある。あれは上流階級の物語だったが、しかしこの「赤シャツ党」の存在を忘れてはならないのだった。

わたしはあまり田園風景に関心が湧かない。可愛いウシが野道を行く絵があり、草も青々と生え、いい空気を感じたが、それでも田園に関心は湧かない。

突き抜けるような青空の下、イチジクを盗む子供たちの絵があった。
こんな青い空はナポリ以来見たことがない。トスカーナ地方にもこんな青空が広がっていたのだ。

階段のところに魚を釣る人の絵があった。
踊り場ではなく階段のところ。長い空間に長い絵。まるで本当にそこで釣り糸をたらしているかのようだった。
そうした明るいリアリズムがある。
三原順の短編集「ラストショー」の表紙絵がこんな風な感じだった。
階段の踊り場に波を蹴立てて快走するヨットの絵がある。それを皆が見ている構図。手前の少年の腕には海賊に付き物のオウムが止まっていて、わたしは長い間、そこが屋内ではなく船の一室だと思い込んでいた。
今、この絵の前に立って、そこの空間がそのまま水面に面しているような気がしてきた。

庭園美術館は時折このように、予想のつかない展覧会を見せてくれる。
そしていつも気持ちよく館を離れることになる。

3/14まで開催。
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