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美術館・博物館・デパートでの展覧会を訪ね歩き、近代建築を見て周り、歌舞伎・映画・物語に溺れる日々の『遊びに行った日を記す』場所です。 

ボルゲーゼ美術館展

京都国立近代美術館の後、今では東京都美術館で開催されているボルゲーゼ美術館展に行った。大阪人のわたしなら京都で見るべきだが、ありがたくも東京展チケットをいただいたので、京都に眼をつぶって都美で見た。
都美はこの展覧会のあと長く鎖され、改装工事に入るので、それを応援するキモチがあるのもあったが。
既に京都で見終えた友人たちからの感想をじかに聞いてはジクジたる思いも湧いたものの、こうして都美で見ることが出来たから、やっぱり幸せだ。
例によって長々と感想を挙げている。
序章 ボルゲーゼ・コレクションの誕生
ボルゲーゼ卿の肖像や胸像が来ていた。他にその館を描いた版画などがある。
建造物の版画は好きだが、ややこれらは物足りなく感じた。たぶん平面的すぎたからだと思う。

マルチェッロ・プロヴェンツァーレ オルフェウス姿のシピオーネ・ボルゲーゼ c.1618
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神話のオルフェウスは竪琴を弾くがボルゲーゼはその当時流行の弦楽器を弾いている。
周囲にはドラゴン、鷲、獅子のほかにカタツムリ、白鹿、孔雀などがいる。ドラゴンと鷲はボルゲーゼ家の紋章だからともかくとして、ほかの選択がよくわからん。画面右には変な怪獣がいる。火を噴いている。火事の擬人化?なんなんだろう、彼は。

I 15世紀・ルネサンスの輝き

ウンブリアの画家(16世紀)  聖セバスティアヌス 16世紀前半
三島由紀夫ではないが、わたしも聖セバスティアヌスの殉教にトキメキが抑えられない。
樹に縛り付けられ射抜かれる美青年図には深い深い魅力がある。
敬虔さを感じるより、秘められた歓びをその絵に見出してしまうのは罪ではあるまい。
このセバスティアヌスは小首を傾げた、まるで少女のような美貌の青年だった。
矢は一本だけ彼を貫いているが、その矢も彼の信仰を憎む矢ではなく、天使の恋の矢に見えてしまう。

サンドロ・ボッティチェリとその弟子たち  聖母子、洗礼者ヨハネと天使 c. 1488
♪わわわわ?な天使たち。バックコーラス。少年ヨハネが可愛い。毛皮を着ているが露出度も高い。
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ラファエロ・サンツィオ  一角獣を抱く貴婦人 c. 1506
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チラシに選ばれたこの作品は、洗い出されるまでまったく違う作品として世に出ていたそうだ。その変遷についてのパネル解説がたいへん興味深かった。
現在は謎の貴婦人と言うことだが、かつてこの絵は殉教した聖女に描き換えられていた。それが1930年代に洗われて本来の絵柄が現れたそうだ。
何故そんなことが行われたかは知らないが、そうである必要性が400年間あったわけだ。
そのことが面白くもある。
一角獣も塗込められていたと言うが、その一角獣自体も犬を描くか一角獣を描くかで迷った跡が見えるらしい。現在の絵を見ると、鼻面あたり犬でもいいが、羊でもよさそうに見える。そしてこの貴婦人はちょっとトボケたような顔つきなのだった。

リドルフォ・デル・ギルランダイオ  若者の肖像 16世紀初頭
同時代にローマにはチェーザレ・ボルジアがいた。イタリア統一を夢見た高貴な野心家が。
彼の肖像画とこの「若者の肖像」に描かれた男性は似たような髪形をしている。
ボブカットの少し長い髪。その当時の流行だったのかもしれない。

作家不詳(16–17世紀に活動)、ジョルジョーネの模倣者 フルートを持つ歌手 c. 1580
もしくは17世紀
酔っぱらい風。顔つきがそんな感じ。いやな目つき。

マルコ・ドッジョーノ  祝福のキリスト c. 1505
手に地球儀を持つキリスト。アフリカ、アラブ、インド、コンチネンタルが見える。

レオナルド・ダ・ヴィンチ(模写) レダ 16世紀第1四半期
背景の風景にときめく。こういうところに腕を感じたりする。

ここで都美ほまれの空間に出る。
ボルゲーゼと日本:支倉常長と慶長遺欧使節

特別出品 アルキータ・リッチ(かつてはクロード・デリュに帰属) 支倉常長像 1615
個人蔵。白地に鹿柄刺繍の羽織、美麗な衣装。犬と共に画面にとどまる支倉。その背景には帆船と天使たちの絵がかけられている。後年の彼の「受難」を予測させるものはない。
「過去」の苦難はそこに暗示されているが。
NHK大河ドラマ「独眼竜政宗」ではさとう宗幸がその役を演じていたことを思い出した。


II 16世紀・ルネサンスの実り——百花繚乱の時代

ジョヴァンニ・ジローラモ・サヴォルド 若者の肖像 c. 1530
こちらの若者はまた短い髪の好青年といった趣で、なかなか魅力的だった。
横顔かくりくりしている。少しばかり物思いに耽っているように見える。

ジローラモ・ダ・トレヴィーゾ・イル・ジョーヴァネに帰属  眠るヴィーナス c. 1520–23
肉付きがいいヴィーナス。右指はのの字を書くように見える。ずーっと向こうになにやら洗濯する女が見える。
何かの寓意があるのだろうか。鬼の居ぬ間に命の洗濯ということわざが日本にはあるが。

パリス・ボルドン  ヴィーナス、サテュロスとキューピッド c. 1555–60
果実を取るサテュロス。たいへん毛深いがわいせつさより力強さを感じた。このサテュロスの横顔、素敵。ワイルドな風貌でちょっとときめく。しかも荒々しいだけでなくちょっと優しそうなところも感じる。長くはいたくないが少しばかりは。

ヴェロネーゼ  魚に説教する聖アントニオ c. 1580
この構図はなかなか面白い。失礼ながら踊っているのかと思った。尤も仏教には踊念仏もあることですし。波から顔を出す魚たちは小さな水しぶきにしか見えない。
それにしても仏陀は鹿に説教し、聖アントニオは魚を諭す。

アントニオ・パルマ  放蕩息子 c. 1560–70
放蕩息子を出迎える父の後ろにたつ息子になにやら囁く男がいる。まじめに父に仕えていたのに父はそんな自分よりロクデナシの兄に歓迎を示している。そこらを衝かれているのかもしれない・・・・・・

ドッソ・ドッシ  アレクサンドリアの聖カタリナ c. 1540
唇の端にえくぼがある。本を読んでいる。

作者不詳(17世紀前半に活動)、ドッソ・ドッシの追随者  ゴリアテの首を持つダヴィデと従兵 17世紀
従卒がなかなか可愛い顔をしている。ゴリアテはもう背景に溶けすぎている。解説には「この絵は甲冑が主役」というようなことが書かれていたが、確かにピカッと光っている。
それをみて思い出したのがドイツの物語「銀の腕のオットー」。中世の血なまぐさい時代、敵地の伯爵により腕を切り落とされる少年オットーの物語。

ブレシャニーノ  ヴィーナスとふたりのキューピッド c. 1520–25
立ち姿がまるでレンピッカの女のようだった。立体的な影がそう思わせる。背後のちびキューたちは雰囲気的に助さん角さんだった。

シピオーネ・プルツォーネ  聖ヨハネと聖アンナのいる聖家族 c. 1588–90
聖アンナはマリアの御母で、このヨハネは遠縁に当たるそう。
一族のグランマたるアンナはこちらの幼児を支えている、そんな風に見える。
一方幼子イエスはヨハネの首を撫でているのかしめているのか・・・
タラちゃんとイクラちゃん的関係なのかもしれない。

アゴスティーノ・カラッチ  天使の栄光のうちに聖痕を受ける聖フランチェスコ 16世紀末
かなり興味深い構図だったので思わず鉛筆でサラッとリストに落書きしてしまい、後で見て笑ってしまった。申し訳ない、聖フランチェスコ。

ミケーレ・ディ・リドルフォ・デル・ギルランダイオ  レダ c. 1560–70
ミケーレ・ディ・リドルフォ・デル・ギルランダイオ  ルクレツィア c. 1560–70
この二枚の絵は対の作品として生まれてきた。二人の女の視線は絡み合うこともないが、「対照的な存在」ということを示すための作品だというが、共に闇の中にいることが暗示的な気がする。
「レダ」に描かれた白鳥は猛禽の眼をしている。いくらゼウスが変身したものであって、この眼の鋭さは意味深い。

作者不詳(16世紀後半に活動)、ガローファロの追随者  我に触れるな(ノリ・メ・タンゲレ) 16世紀後期
マグダラのマリアはなかなか凝った衣装を身につけている。こうしたところを見るのも楽しい。

ヤコポ・ズッキ  アメリカ大陸発見の寓意(珊瑚採り) c. 1585 油彩、銅版
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日本の「デロリの美」を思った。デロリな人々。銅版に油彩というのも思えばそれ自体がデロリだ。
気持ち悪さが漂うくらいのほうが魅力が深いものだ。

III 17世紀・新たな表現に向けて——カラヴァッジョの時代

作者不詳(17世紀に活動)、カラヴァッジョの追随者 2匹の蜥蜴がいる静物 1602–07
実に多くの野菜や果実がある。トカゲが一体どこにいるのかわからなかった。
探すと、目立つ場所にいた。しかし見つけるまでに時間がかかった。
私の注意力散漫が原因ではなく、そんな描き方をしているのだと思う。

ラヴィニア・フォンターナ 眠れるキリスト 1591 油彩、銅板
世界共通の仕草「シーッ」とするヨハネ。アンナがおばあちゃんらしくヨハネを支えている。なんとなく暖かいものを感じる。

レアンドロ・バッサーノ 聖三位一体 17世紀初頭 油彩、銅板
まるで金唐皮の型押しのような作品だと思った。

カヴァリエール・ダルピーノに帰属 アモールに冠を被せられるヴィーナス 1607年以前
このヴィーナス、白目をむいている。たいへんコワイ目つき。どことなくお女郎風。

カラヴァッジョ 洗礼者ヨハネ 1609–10
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画家がこの絵を描いた背景の事情についてを知る前に、絵を見ていた。
いかにもカラヴァッジョが喜んで描きそうな少年の絵だと思って見ていた。
腰のくねりと皮膚のよじれ、朱く立った胸の先。
膝から脛そして足首への線と足の爪先に至るまでの画家の視線を追いかけた。
この絵でなんとか復帰しようとしていたのだ。

今回、記念映画会として「カラヴァッジョ 天才画家の光と影」という映画が上映されたそうだが、わたしにとって映画のカラヴァッジョは'86年のデレク・ジャーマン「カラヴァッジョ」なのだった。

ジョヴァンニ・バリオーネ この人を見よ(エッケ・ホモ) c. 1610
白目向いてるキリスト。大工道具がある。中村光「聖☆おにいさん」でイエスは履歴書に「一身上の都合でヨセフ建設退職」と書いていた。そういうのをここで思い出すと、どうしても笑ってしまう。

バッティステッロ ゴリアテの首を持つダヴィデ 1612
きっつい顔のダヴィデ。ゴリアテは本当に大きい。その目鼻立ちは少しばかり阿部寛に似ているように思う。

ジョヴァン・フランチェスコ・グエッリエーリに帰属 囚人の夢を解釈するヨセフ 1615–18
囚人、看守、ヨセフという位置。看守は少しばかりイケてる。

グエルチーノ 放蕩息子 c. 1627–28
丸い色ガラスを嵌め殺しにした窓を背に、放蕩息子が立つ。老いた父は家出息子の肩を抱き、飼い犬も慕わしげに襤褸をまとう半裸の青年に飛びついている。
暗い室内にはそれなりに立派なナリをした弟がいる。彼の腕には綺麗な青色の上着がある。兄に着せるための服が。2人の兄弟の顔はとてもよく似ている。
弟の顔には光が差し、兄の顔には影が入り込んでいるが。

ゲラルド・デッレ・ノッティ(ヘリット・ファン・ホントホルスト) スザンナと老人たち 1655
旧約聖書には実に色んな物語がある。大抵がひどい話である。このスザンナの話など腹が立って仕方ない。撲滅してやれ、このジジイ共を。スザンナのビックリした顔がリアルだった。

ジョヴァン・フランチェスコ・ロマネッリ 巫女シビラ 1640–50
綺麗な女だった。ターバンを巻いている。明るい色の眼が印象的。

予想以上にいい展覧会だった。現地へ行きたくなるような内容だった。


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コメント
デレク・ジャーマンなイメージ
デレク・ジャーマンの『カラヴァッチョ』のくだりで
思わず「ぶっは」っとなってしまいました~~。
分かりますよ~、私もそうです。
『聖セバスティアヌス』も、私は三島より
ジャーマンを先に思い出してしまいます。
哲学をやっている人に、よく怒られるんですが
私はヴィドゲンシュタインですら、ジャーマン
の映画のイメージがこびりついて離れません。
良くも悪くも彼から発信されたイメージは
強力ですねぇ^^;
2010/01/30(土) 16:57 | URL | えび #-[ 編集]
Re: デレク・ジャーマンなイメージ
☆えびさん こんにちは
> 『聖セバスティアヌス』も、私は三島よりジャーマンを先に思い出してしまいます。
> ヴィドゲンシュタインですら、ジャーマンの映画のイメージがこびりついて離れません。

同志よ!!わたしもそうです!セバスティアヌスの映画のチラシ、今も手元にあります♪
てか、ジャーマンの描いた歴史上の人物、全て「彼のイメージ」で見てしまうんです。
エドワード二世もそうですよ~

もぉホント、あの呪術的感染力には参りますね~
2010/01/31(日) 11:59 | URL | 遊行七恵 #-[ 編集]
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