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美術館・博物館・デパートでの展覧会を訪ね歩き、近代建築を見て周り、歌舞伎・映画・物語に溺れる日々の『遊びに行った日を記す』場所です。 

染模様恩愛御書に溺れる

日生劇場で「染模様恩愛御書」そめもよう・ちゅうぎの・ごしゅいん を観た。
四年前に大阪で初演された芝居。
染五郎と愛之助による深い愛の物語。
わたしは四年前にも溺れるような感想文を描いたが、今回もまた漂うような記事を挙げるつもりである。
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特設サイトはこちら
惑溺する。
美しい二人の恋心に惑溺する。
物語の内容はこちらに書き留めたので、今回は純然たる感情の吐露になる。

冒頭からの大道具の使い方は巧妙だと思う。これは観念的な舞台装置なのである。
階段の変容がある。寺になり屋敷になり、丘になる。
そしてそこを行き交う人々の感情の交差がある。
もつれる視線が観客席に届く。

染五郎は30歳の威丈夫という設定である。対して愛之助は15歳の前髪立ちの小姓。
かれは父を斬り殺され、伯父である浅草の住持の手元で小姓暮らしをする。
肉親の伯父の手元での小姓暮らしと言うことは、彼はまだ誰にも触れられていない、ということを観るものに想定させる。
しかし彼は自分を慕い、付文をよこした男を忘れることはない。
この時点で、少年が心の中では同性を受け入れる下地作りが出来ていることを知る。

美しい菖蒲の園で、美しい腰元が「数馬さま」と少年の名を呼ぶ。
年上の臈たけた美しい腰元に、優しい眼差しを向けられても、少年はなんら心を動かされない。
しかし自分に花を手折り、文をも贈る男の面影を、心に深く秘めている。

封建時代、「お家」ほど大切なものはなかった。
しかしあの美しい小姓・印南数馬に恋した大川友右衛門は主君を捨て、家禄を放擲する。
その結果、唯一の妹の不幸を生み出すことになるのだが、彼は代々の家名を捨ててまでも、恋に殉じようとする。

たおやかな少年は室町時代より続く名家・細川侯に小姓として仕え、主君と奥方にも覚えがめでたい。
奥方は可愛がっている腰元あざみの恋心を知るらしく、いずれは数馬に娶わせようと考えている節がある。
しかし少年は浅草寺で出逢ったあの武士が忘れられずにいる。
少年がその人を思い出すときの眼差し、肩の落ち方、それを客席から観る歓び。
そのまま愛之助のうなじに唇を押し当てたくなるほどに、彼がいとおしい。

だが少年は女からの視線に一切気づくことがない。ゆるやかな、しかし断固とした拒絶とでもいうものがある。
やがて再会のときを迎え、少年は門番にまで身を落とした男に返信を差し出す。
その二人の心模様を拒絶された地から女がみる。
春猿の腰元あざみは、ややはれた瞼が震えるような表情を見せる。
憤りと屈辱と恨みとがそこに集まっている。

やがて少年は訪ねて来た男を受け入れる。
障子の向こう、影絵の二人。
念友の契り。

四年前、大阪で見たときと大きな違いがあることに気づく。
初演の際、染五郎は一旦下帯姿を観客に見せた。しかし今回は帯がはだける様子を見せただけである。
これは再演のために演出を変えた、というよりも関西と関東の客の反応の違いを考慮したものかもしれない。
わたしはそれを観て「ああ、あっさりな」と思ったが、隣席からは「とても濃い」との声がした。
この芝居を見つけ出し企画を立てたのは染五郎であると言う。
演出者が他にいるとしても、彼の才能を強く感じた。
彼は観客がどのような反応を見せるかを知り尽くしているのかもしれない。

主君持ちの者たちが勝手な関係を結ぶことはご法度の時代である。
それらは不義と見做され、罰を与えられる。
主君・細川越中守と奥方の前に引き出される数馬。彼は自分が衆道の人であることを、同性を受け入れたことを暴かれて、白眼視と落胆の冷ややかな空気の中に一人置かれている。
しかし念弟として、更には自分の敵討ちに助太刀をすると誓を立ててくれた兄分のことは、なんとか守り抜かねばならぬと思う一方で、それは許されない状況へと追いやられている。
このときの懊悩の様子はなんとも言えずはかなげで、肩の落ち具合・鬢のほつれ・哀しく下がる眉などに、思わず手を差し伸べてしまいたくなった。

長持ちに隠された男が現われる。いたいけな美少年を弄んだ不埒者として、人々の目は冷たい。二人は互いをかばいあう。
そのかばいあいは周囲のものを不快にさせる。
二人は互いの身を案じ、周囲に意識を向けることなく、二人だけの会話を続ける。
その様子は滑稽なほどである。

腹を立てている奥方は浅ましい、とばかりに顔を背ける。
このことを訴え出た腰元あざみはややあごを上げている。
内心の憤りと嫉妬とどうとでもなれ、という思いがそこに表れている。
彼らを引っ立てた侍たちにも苦々しい感情がある。
もしかすると、中には自身が数馬を秘かに想うていた者もいたかもしれない。
殿様に可愛がられているお小姓が、他の男に身を任せたことを憎む忠義者も、いるのかもしれない。
しかし、ここに一人だけ全く別な眼を持つ人間がいた。
即ち主君・細川侯である。
かれはふたりを「赦す」。
赦すのみならず、士分を捨ててまで恋に殉じた友右衛門に「共感」する。
そしてその友右衛門を家中の武士として召抱える。
衆道の二人を唯一応援するのが主君であるという皮肉が、ひどく興味深い。
(下世話なことを言えば、腐女子的な性質がこの主君にはあるのかもしれない)

門之助がその機嫌のよい、感激家の殿様を演じている。
門之助はおとなしい容貌の、品のいい役者だと常々思っている。
十五年前の彼ならば、この友右衛門の役を演じてもおかしくはないだろう。
そんなイメージがある。
わたしは門之助の演じた役の中で何度でも見ていたいと思うのは、「天下茶屋」のかまぼこ小屋、足萎えになった早瀬伊織なのである。
敵に嬲り殺しにされる、不運な、そしてはかなく美しい、落魄の青年武士。
門之助の端正さにはそんな魅力がある。

殿様がヨシヨシとなった以上は誰も不服を申し立てることは出来なくなる。
腰元あざみの強い落胆と激しいショックがありありと映し出され、そこで幕が降りる。

次の幕では少しの歳月が過ぎている。
数馬に敵討ちの念があることを知った細川侯のはからいで、かれは「兄分」友右衛門から剣を学んでいる。
髪も伸びて、前髪はそのままだが、髷は後ろに垂らされている。
少年の美は前髪にある、とは南條範夫の至言であった。
彼は自作の時代小説の中で多くの美少年を描いたが、いずれもが前髪の美を褒め称えられ、少年がその前髪を失くした時点で、「美少年」と言う特権階級から永遠に転落したと見做す。
その無残な凋落を南條は鋭く描き続けた。

やがて敵の所在が知れる。敵は今回も猿弥が演じている。恰幅がますますよくなり、それが敵の非道なほどの強さを感じさせる。
細川家邸内での闘い。
しかしそこに予想外の因子が加わる。
恋した相手を「男に寝取られた」衝撃と屈辱が、今も滾り続ける腰元あざみが、敵に力を貸し、そのために数馬と友右衛門が見事敵を討ち果たしたものの、邸内に炎が立ってしまう。あざみはついに自害する。

あざみが自害したことにもちょっとおどろいた。初演では彼女は死ななかったのだ。
そのことについてはまた後に記す。

火はいよいよ回りだす。殿様も奥方も避難して来たが、大事な「ご朱印状」が取り残されたままである。あれが失われると、お家は破滅の危機に立つ。
そのとき、友右衛門がそのご朱印状を取りに行くことを皆に告げる。
「ご恩を返すはこの時を措いて他にない」
彼は恋の成就と支援とそして士分の復活をこの細川家でみたのだ。
命を惜しむことは彼にはなかった。

わたしは染五郎がどちらかといえばあまり好きではない。
かれがまだ少年の頃には強くときめいていたが、「前髪を失ってから」の染五郎には関心が持てなくなった。
ただしかれが役の上で、酷い拷問を受けたり、無残な仕打ちを受けているのを見るのは、たまらなく・・・好きだ。
染五郎は愛之助とこの以前にも組んで蔵出しものを演じているが、そこで愛之助によって無残に焼き殺される役を演じていた。
それをみつめながらわたしはもっと強く、もっと深く染五郎が苦しめられ、のたうつ姿をみせてくれないか、と切望していた。
これも一種の愛なのかもしれないが、染五郎にはそんな無残さがよく映える。

炎に包まれる蔵に入り込む。炎風は強く、人の入り込むことを拒絶する。
しかし友右衛門は駆けて行く。
冒頭で物語の発端を語った講談師がここでイキのいい語りを聞かせる。
それにつられてリズムも跳ねる。
やがてついにご朱印状を見つけたが、このままでは炎に包まれるばかりである。
隠せる場所はひとつしかない。
自らの腹を切り裂き、そこへご朱印状を納めたのである。

ここで演出が変わっていることに気づく。
先に関西向け・関東向けのことを記したが、大阪での上演の際、染五郎は肝臓・腎臓・腸のツクリモリを外へ放り出す演出を取っていた。
炎上する中での決死のギャグが出たのである。
なにしろ講談師が「これぞまさしくカン・ジン・チョウ!」とやらかしたので、緊迫シーンであっても場内が明るく爆笑したのだった。
・・・しかしそれはやはり大阪でしか出来ないことだった。
これを東京で演じれば新聞にも叩かれるだろう。
友右衛門は普通に腹を切り、普通に死んでしまった。

消火した後、友右衛門の遺体が皆の前に運ばれる。
「あにうえっ」と数馬が泣きすがる。
そして能「珠の段」と同じく内臓を捨てて空洞になった腹から大事なご朱印状が現われる。
その場にいた者たちの感動。
いい殿様の細川侯は感動と感謝とを形にしようと、友右衛門の念弟たる数馬に「大川家を継げ」と命じる。大川友右衛門に栄誉を与えるために、その「大川家」を存続させようと言うのである。

しかしながら、実はその「栄誉」こそは大迷惑ではなかろうか。
なるほど主持ちの武士の務めとは、主君に仕えお家を守り我が家名を存続させることに尽きるかもしれない。
しかし家を伝えるためには婚姻が必須となる。
念弟として男に愛されてきた数馬が、果たして妻を相手に出来るかどうか。
前述した腰元あざみ、彼女は大阪では「死ななかった」。
つまり彼女は最も数馬の妻になりうる存在なのだった。
が、東京の芝居では彼女は自害している。
数馬の未来がどう開くかは誰にもわからなくなった。

人々のいなくなった場で数馬はかつての日を想う。初めて友右衛門に出会った浅草寺の庭園を。
そこには菖蒲が咲き乱れていた。
幻の男の姿が現われる。微笑む優しい人が。
嘆きは終わることがない。
恋は終わってしまったのだった。もはや永遠に。

カーテンコールがあった。
それを見たときここが「日生劇場」だと改めて実感がわいた。
歌舞伎のコヤではないのだ。
しかし美しいままの愛之助を見ることが出来て嬉しいのは確かだった。

3/26まで。
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コメント
No title
お疲れさま!
おかげで堪能しました~、衆道の物語。
興味津々だったんですけど、このところ来日してたパリ・オペラ座バレエにすっかり気が行ってしまっていて。
愛之助さんて1回しか見たことないのですが、少年役が似合うくらい綺麗なんですね~。
どうも歌舞伎座の空気が苦手で最近行っていないのですが、松嶋屋一門が揃うような舞台があったら、是非と思います。
2010/03/24(水) 22:28 | URL | ogawama #-[ 編集]
☆ogawamaさん こんばんは
> このところ来日してたパリ・オペラ座バレエにすっかり気が行ってしまっていて。

うふふふふ、記事も熱かったですよね♪

> 愛之助さんて1回しか見たことないのですが、少年役が似合うくらい綺麗なんですね~。

ラブリンはやっぱり可愛くて素敵です。かれは悪役もとてもよく似合います。
スケールの大きい役者さんだな~と常々思ってます~

> 松嶋屋一門が揃うような舞台があったら、是非と思います。

なかなか東京ではムツカシイかもしれませんね。
南座ではよくあるのですが・・・
2010/03/24(水) 23:51 | URL | 遊行 七恵 #-[ 編集]
困りましたね・・・
ご無沙汰しております
今 職場の昼休み ぞくぞくしながら読んで 
泣きそうになって読み終えました次第 拙い標題ご容赦

22日だったか 中村勘太郎氏が ラジオに出演していた際
(大沢悠里さんの番組・・・そちらだと 道上さんに相当?)
「3月は休みをもらっており この芝居は観にいくつもり」の旨
話しておりましたが これなら首肯というもの

お そろそろですな それではご自愛ご健筆を
2010/03/25(木) 12:54 | URL | TADDY K. #1xXJNkSU[ 編集]
困らっしゃれ~~
☆TADDY K. さん こんばんは
ふふふふふ。
ラジオで誘惑され、記事でいじめられ・・・
むふふふふふふふふ。
勘太郎丈ももうご覧なったんでしょうかね。
最近わたしお芝居から遠ざかってたのですが、
月初にある雑誌で、春猿丈がこの芝居にかける意気込みを語っているのを見ましてね。
それで急遽席を取ったのでした。
いや~~本当にドキドキするお芝居でした。
2010/03/26(金) 00:39 | URL | 遊行 七恵 #-[ 編集]
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