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美術館・博物館・デパートでの展覧会を訪ね歩き、近代建築を見て周り、歌舞伎・映画・物語に溺れる日々の『遊びに行った日を記す』場所です。 

清朝末期の光景

東博の企画展示室で「清朝末期の光景展」が7/4まで特集陳列されている。
タイトルを見ただけで鼓動が高まる、動悸がする。
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「清朝末期の光景」とは、そのリアルタイムに写し撮られた様々な風景・情景・光景が百年後の今に甦るわけか、とわたしは解釈する。
しかし図録見返しにはこれらがその原本ではなく、新たに原本から採られ再現されたものである旨が書かれている。
それでいいと思う。
再現技術が可能な作品は、その特権を享受すべきなのだ。
それで感動が薄れるということはない。
直筆で拵えられたもの以外は(極端なことを言えば)全てその方向へ進むほうが良いのではないかと思っている。
以前、こんな展覧会もあった。
そこで不完全燃焼だった想いもこの展示で昇華されたと言っていい。

それにしても綺麗な作品ばかりだった。
建物そのものはところどころ廃色が濃いものの、それでもこの不可思議な存在感がそれすらも美麗なものに見せる。
小川一眞、早崎梗吉、関野貞が映した「清朝末期の光景」がそこにある。

太和殿宝座、四天柱、宝座の藻井(そうせい。飾り天井のこと)。
いずれも見事な彫刻が施されている。
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西洋でのフレスコ画に埋め尽くされた大聖堂・宮殿も壮麗だが、東洋の彫刻に満ち溢れた空間と言うものは、艶麗である。
描くだけでなくそこに瑕をつけ、彩色を施す。刺青の技能を思いながらこの空間を想う。
そしてそれが銀塩のモノクロで表現されている、そのこと自体に深いときめきが生まれる。
藻井には軒轅鏡(けんえんきょう)と呼ばれる銀色の珠がつるされている。村上もとか「龍 ―RON」ではその珠の裏に秘宝が隠されていた。そのことを思い出す。

金鰲玉蝀橋(きんごうぎょくとうきょう)。
tou240.jpg美しい蓮池。
明代以降から清朝を舞台にした絵画や映像などで「蓮採り舟に美女たち」という情景を見ると、それだけで心がふるえる。
今やそのような歓びを味わうことは不可能なのかもしれない。
蓮池への深い憧れが写真を見ることでいよいよ増幅されてしまう。

岡倉天心と共に龍門石窟へ向かい、その美に衝撃を受けたのは学会だけではなかったろう。
撮影した当の早崎が一番衝撃を受けていたのかもしれない。
そして十年後に同地を再度訪れた早崎のその写真は、不思議な魅力に満ちていた。
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経年による瑕なのか、それとも石窟自体に生じた瑕なのかわからぬ白い光のような斑点たちは、いよいよ石窟内部を煌びやかな空間に見せている。
右上写真の毘盧遮那佛の向かって左に蝶を思わせる剥落がある。仏像の視線はその蝶を追うように見える。なんという美しい画像だろうか。
その隣の写真からは荘厳な音楽が聴こえて来るように思われた。
そしてその下の菩薩はまた違う地のものだが、今でも殆ど知られていない寺院のものだという。
静かに現われる。そんな風情のある菩薩像を今、わたしたちは見ている。

他にも「美しい情景」を三枚。

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上は禹門口。禹王の業績が活きる地。そこで馬が水を飲む。色彩のなさによる美。
下は阿房宮の故蹟に咲く花々。この世の風景とは到底思えない。

龍亭へ向かう人力車、水浸しの道、轍。他に何もない空間。どこかシュールな世界。
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現在でもこんな情景を見ることがかなうのだろうか。

近年、西洋よりも東洋の美に惹かれる自分に気づく。
旅をする先もすべてアジアだった。
欧州を歩く孤独な愉しさもかけがえのないものだが、アジアの片隅で生きる歓びを捨てることは出来ない。
こうした写真展を見ることで、いよいよその歓びが増すことを感じている。

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