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美術館・博物館・デパートでの展覧会を訪ね歩き、近代建築を見て周り、歌舞伎・映画・物語に溺れる日々の『遊びに行った日を記す』場所です。 

麗子登場!―名画100年・美の競演

「麗子登場!!―名画100年・美の競演 神奈川県立近代美術館X兵庫県立美術館」
チラシは鎌倉館の麗子が選ばれている。
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その時代の子供がよく着ていた可愛い着物に、手には黄色い野花が握られている。
「Reiko」と黄色いロゴが横にズザッと走り、Oの中に「近代洋画、メガ盛り」とあるので一瞬「麗子メガ盛り」と読んでしまいそうだが、その麗子はこの一枚しか登場しない。
正確にはもう少しあるが、タブローはこれだけである。
この美術館から数キロ離れた小磯良平記念美術館で現在「劉生展」があるので、関西で麗子を堪能したいなら、そちらに出かけるのをおススメしたい。

これまでにも鎌倉館と兵庫県美の前身・兵庫近美とは仲良くしてきたようで、共同企画もあれば貸し借りもあり、巡回も続くと言ういい関係を保っているように思う。
内側のことは知らないが、お客さんには嬉しい状況だろう。

兵庫県立美術館は夏になると他館と連携して、普段関西では見られない美術品を展示する。
近年では改装工事中の川村記念美術館の所蔵名品展を数ヶ月間に渡って展示し、多くのお客さんを喜ばせた。
今回は鎌倉にある神奈川近代美術館・鎌倉館の所蔵品がやってきて、「近代洋画メガ盛り」というアオリ文句もそのままの状況になっている。

さて兵庫県美の使いにくい建物にやってきました。
いつ見ても危ない階段の横を通りながら、展示室に入る。
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第一章 明治―洋画の黎明から美術の制度が出来るまで
高橋由一の江ノ島図、五姓田義松の横浜風景、安藤仲太郎の浅草寺を描いた日本の寺の内部など、やはり明治初期でないと生まれ得ない「油絵」たちが現われる。
江ノ島も浅草寺も江戸時代からの人気スポットだから描かれる場も人もコナレているが、横浜はやっぱりちょっとビミョ?な感じがある。前輪と後輪の大きさの違う自転車に乗る人などもいるが、侘しい感じがある。

本多錦吉郎の羽衣天女などを見ると、油絵で日本古来の物語を描こうとする努力を感じる。
それは川村清雄や彼の弟子・桜井忠剛にも顕著な特徴としてあらわれる。
川村の『ユリと桃』、桜井の『能楽図』などは欄間に嵌め込まれるような横長作品で、日本画の題材を油彩で描く、と言う趣がある。
実際、尼崎の旧藩主の息子で、初代市長の桜井は市民の求めに応じて日本家屋に合う作品を制作している。そしてそれらは現在も尼崎市内の旧家に保存されていることが多い。
先年、桜井を中心にした明治初期の洋画家の展覧会が尼崎で開催されたとき、その実例を見ている。

しかしいつまでもその傾向が続いたわけではなく、岡田三郎助らの浪漫的な美人画も現われてくる。
岡田三郎助 萩  最初にこの絵を見たとき、本当にドキドキした。小袖蒐集家の岡田が描く着物は、どれも皆なかなか忘れがたい魅力に満ちていて、この絵の小さな女の人が着る着物もとても可憐だった。

金山平三 秋の庭  こちらも『萩』に続いて兵庫所蔵。少しばかり尋常でないような女の人が佇む秋のフィールド。

第二章 大正―日本近代の青春期
梅原龍三郎の椿、小出楢重の椿、どちらも楽しく眺めた。
梅原の椿はちょっとばかり時期が過ぎて落ちかかっている風情がある。
小出の椿はガラス瓶の横にあるレモンの黄色さが全体を明るくし、さらに引き締めてもいるように見えた。かなりいい絵だと思う。
ほぼ同世代の二人のうち、小出の夭折、梅原の長命を思うと、この時代の梅原の椿がまだちょっと中途半端なのは彼にまだまだ生命力があるからではないか、と勝手に想う。

村山槐多 風船をつく女  これは木炭で描かれたデッサンなのだが、完全な完成を見ずとも惹かれる作品だった。なによりまずとても力強い。すっくと立った女がそこにいる。
こちらもぐっとコブシを握りたくなった。

岸田劉生 村娘  於松。わりに於松が好きである。この於松はアタマに大きな作り物の花飾りをつけ、麗子も時々羽織る毛糸のショールを着ている。
なんとなくこの表情が、この顔つきが好きなのだった。

先般「細川家の至宝」でも評判が高かった久米民十郎の絵があった。
駱駝と従者 王妃たち  エジプト壁画を模したような構成で、それが屏風に描かれている。日本画でも荒木寛方がエジプト趣味に走っていたが、久米にもその傾向があったのか。

面白かったのは清水登之のアメリカ時代の『テニスプレーヤー』と念願のフランスにたどり着いてからの『映画館』、その違い。同じようなものかと思うが、清水がどういう気持ちで描いていたのかを量るのも楽しい。

未来派風の作品が多かった。そしてこの時代に在日していた白系ロシア人たちの作品もあり、それらが目を惹いた。
また白土三平の父の岡本唐貴の作品もあるが、23才でこういう絵を描いていたのか・・・と色々考えたりする。

麗子本人の描いた挿絵があった。劉生の著作に使われた絵。
二人麗子。泉屋分館所蔵のドッペルゲンガー風なものではなく、ヒトの麗子がお姉さん気分で、人形の麗子を妹にして、髪を梳いてやる・・・そんな絵だった。

第三章 昭和戦前―パリの思い出と暗い予感
このタイトルが想起させるとおりフジタの裸婦が現れた。
そして児島善三郎の『立てるソニア』見返り裸婦。
小磯の『スペインの女』は黒がとても印象的だった。絵画的な黒色ではなく、実際に黒のレースがそこにある、そんな色合いの黒だった。
そして内田巌の作品があることでまた色々と考えさせられた。
藤田嗣治をレオナール・フジタにしてしまった、ヒト。

そろそろ独立とか二科展とか出てくるなと思った途端、林武の裸婦が現われた。この赤銅色の膚の裸婦にはとても親近感がある。顔立ちも好き。いつの時代にも「いるいる、こんな女のヒト」と感じさせる裸婦。

須田国太郎 工場地帯  広々とした視野。ワイドビューな工場地帯。やっぱりいい。
工場だから決して空気はよくないが、深呼吸してみたくなるほど、広々。

第四章 戦争期―絵画に残る傷あと
松本竣介の『立てる像』は戦争中の作品なのに、どうしてかわたしはいつも敗戦後の日本に立つ青年像、だという気がしてならない。それも学生服を着ているといつもいつも誤解する。実際に絵の前に立つと、彼の着ているものはそんなものではないことを知るのだが、それでもわたしの中での『立てる像』は変わろうとしない。

和田三造 朝鮮総督府壁画画稿  インド風なイメージがそこに広がる。これは以前からとても好きな作品だが、なぜその場所でこの画なのかがよくわからない。わかっても仕方ないのだが。

小磯 斉唱  以前「日曜美術館」でこの作品を取り上げて、色んな話題が出ていた。
それを見ながら、芸術と社会との関わり、時代、ということを考えた。
清楚で凛とした作品が何を意味するか。そのことを改めて考えている。

第五章 昭和戦後―具象絵画の成熟と前衛の復活
申し訳ないくらい関心が薄い。
ただ、1960年の森芳雄『動』を見て!!となった。赤茶色のコンテで描いたような、二人の男の肉のぶつかり合い。これは『フォルテシモ』のミュージックビデオの世界だと思ったのだ。♪愛が全てさ 今こそ歌うよ なのに映像では二人の男が肉をぶつけ合っている。
妙に萌える映像だったが、それの原点をここに見たような気がした。

第六章 日本画の名品から
好きな作品が出ているのがまず嬉しい。
山口蓬春 宴  真っ青な、文字通り快晴の空の下、大喜びする埴輪三体。みんな女性らしい。彼女たちは宴の最中だったのだ。50年前の作品。本当の青空の下で。

三谷十糸子 猫と少女  チャイナ服の少女が猫をエエ加減に抱っこしている。
そして真正面を向く。少女の全体からオーラのような光が漏れている。

どちらの作品も、「日本画名品展」などには出そうにないが、とても好きなのだ。

第七章 彫刻の名品から
これらは一室に閉じ込められているのではなく、ここまでの六つの章ごとに配置よく展示されているのだった。
高村光太郎、戸張孤雁、中原悌二郎、柳原義達・・・・・・・
そんなに大きいものは少なく、いい感じの配置なので、くるくると眺めることが出来た。

この展覧会は7/19まで。二つの美術館のいいものをたくさん楽しむことができる。
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