大阪歴史博物館で「日本建築教会と関西の建築界」が26日まで開催されていた。
先週見てきたが、終わった今になってこんな記事を出そうとしている。
大大阪の時代というものがあった。
関東大震災で壊滅的な大打撃を受けた首府に換わり、「東洋のマンチェスター」と呼ばれた大阪が大躍進した時代である。
その時代を中心に、大阪府下には多くの西洋建築が建てられた。
現代も残るものもあるが、まぁ9割は失われている。
壊された建物の欠片は少しばかり保存され、それはまるで本当の星のカケラのように愛されている。
それらの名残は今見ても、とても魅力的なのだった。

旧近畿建築会館の外観写真とステンドグラス。
このあたりは他にも多くの素敵な建物があったが、今では本当に少なくなった。
「大大阪の時代」が語られる中で必ず現われる「新大阪ホテル」の外観写真が展示されていた。

これは現在の新幹線の駅・新大阪とは無関係なホテルで、大阪の政財界が色んな希望を託して建てたホテルだった。
無論いまは遠い昔の夢の話だが。
その新大阪ホテルのコックの一人だったヒトが後年、中之島の公会堂の地下レストランでおいしいオムライスを拵えていた。
高齢のため退かれたが、現在もそのレシピは受け継がれ、綺麗になった公会堂のレストランで提供されている。
やがて戦後、焼け野原の大阪に新しい建物がニョキニョキ這い出てくる。
数年前まであった心斎橋の喫茶プランタン。これは戦後しばらくの写真。

わたしは前は通っていたが中でくつろがなかった。
ここのフランスパンを買いに入るだけだった。
後悔はいくらでも生まれてくるものだ。
大正11年の箕面桜ヶ丘の住宅博覧会については、その
現在の様子を撮った記事もある。
今回、初めて知ったのだが、近鉄あやめ池、阪和上野芝、伊丹緑ヶ丘もまた住宅博覧会が開催された地で、そこから現在のような様相になっていったようだ。
こうした写真や資料を眺めるのは楽しい反面、深いせつなさを覚えるが、今後も出来る限り見て行きたいと思っている。
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