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美術館・博物館・デパートでの展覧会を訪ね歩き、近代建築を見て周り、歌舞伎・映画・物語に溺れる日々の『遊びに行った日を記す』場所です。 

上田秋成 没後200年記念

京都国立博物館で上田秋成の展覧会が開催されている。
上田秋成といえば「雨月物語」に「春雨物語」がすぐ思い浮かぶ。
ヒトトナリは大阪弁で言う「ヘンコ」=偏屈+αということをよく聞くが、今回は彼の交友関係なども明らかにされていて、大いにイメージが変わった。

天明六年(丙午)の肖像画には慈雲尊者の賛がある。20年後の文化四年は自賛。十徳姿でちょっとぐったりしんどそう。74才やもんなぁ。爪が丸くカットされている。
この絵を基にした模写が数点あり、富岡鉄斎のも見た。

初代道八による秋成像はリアルだと評判だったらしい。顔を見ると徳弘正也のキャラみたいな感じ。シワもリアルに刻まれている。
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雨月物語の初版本があった。「白峯」のページが開かれている。
わたしは雨月がたいへん好きなのだが、「白峯」はやっぱり怖かったなぁ・・・
子供の頃は抄訳を読み、次いで原文のを読んだが、漢文の素養がないとちょっとしんどいやんという感じもした。ありていに言うと中国文学の素養というやつよ。
読んだ頃はたまたま中国古典文学にハマッてたからその流れで喜んで読んでたが、今はもうデキのいい訳文を読むことで済ませている。

ところで秋成は色々ペンネームを持っていたが、カニを意味する「無腸」は有名だが「剪枝」は初めて知った。
枝を剪る、の意なのか「牡丹燈籠」のモトネタの入ってる瞿佑の「剪灯新話」を念頭においていたのか。
秋成の研究者じゃなくてただのファンの私にはわかりませんが。

以下、秋成の著作が並ぶ。
「諸道聴耳世間狙」しょどう・キキミミ・せけんざる。和訳太郎名義の本。ワヤクタロウ=大阪弁で言う「ワヤ」=めちゃくちゃ、もぉアカンくらいの意。フザケたネーミングなのがいい。だって滑稽本ですし。
それでこの一巻目は「狙」の字に「猿」を当てている。
「狙」に「猿」と来れば「猿の狙仙」こと森狙仙を思い出す。同時代のしかも同じ大阪人だしなぁ。

「世間妾形気」せけん・テカケ・かたぎ。浮世草紙。ちょっと読みたいと思った。
「書初機嫌海」かきぞめ・キゲンカイ。機嫌買いというコトバがある。これは気ままの意らしいが、わたしがこの言葉を知ったのは、今の中村勘三郎がお父さんの十七代目勘三郎を追想する中で書いていたから。
気ままで天気屋さんで有名だった勘三郎は俳名だか戯名だかで「キゲンカイ」と自ら名乗っていたそうだ。そういう洒落っ気はかっこいい。
「癇癖談」くせものがたり。秋成本人が自分がクセの強いヘンコだと認識していたようで、そんなタイトルを選んでいる。キゲンカイと名乗った勘三郎と同じ。

「あしのやの記」これは木村蒹葭堂の自伝を秋成が書いたもので、当代随一の木村蒹葭堂との交友の深さがシノバレる。彼の絵・秋成の賛による白梅図もあった。

本式の絵師では呉春と仲良しさんだったようで、彼の絵によく賛を残している。
「七夕図」大きな梶の葉を一枚ドーンと描いただけのもの。梶の葉に願い事を書く風習が活きていた時代ですね。
「蚕図」白いヤツラが桑の葉の上でニョロニョロと・・・

松村景文らとのコラボもある。「やすらい祭」図。高校の頃から「やすらえ、花よ」と言うのを知っていたわりには、実物を見ていない。来春くらい行ってみたい。

秋成は子供の頃にホーソーで片目をやられたが、老境に入り残りの目も病気で失くしかけたところを鍼灸医・谷川家の治療で治ったそうだ。
「神医」と敬い、常に贈り物などをして感謝の意を忘れずにいたらしい。
呉春らの下絵による蒔絵細工の盃なども贈っていて、それが今日まで残っていた。

応挙の弟子で唐美人の名手・山口素絢とは仲良しだったようで、引っ越すからおカネお願いという無心の手紙も展示されていた。
「きうにきうに」急に急に、という書き方がリアルで面白い。
古来から借金申し込みの手紙と言うのは面白いものだが、さすがの秋成も切羽詰っているからかリアルな言葉遣いが面白い。

秋成は大阪から引越して京都で晩年を過ごしたが、それでか多くの京の絵師らとつきあいがあったようで、応挙、蕪村、池大雅、竹田らの絵があった。
tou286.jpg
若冲の絵も一枚あるが、秋成のお墓の台座は若冲ゆかりの石峰寺から持ってきたもので、どうやら若冲が彫ったものらしい。カタチはカニ形。
「無腸」さんらしくお墓もカニのカタチだったのだ。

8/29まで。
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