FC2ブログ

美術館・博物館・デパートでの展覧会を訪ね歩き、近代建築を見て周り、歌舞伎・映画・物語に溺れる日々の『遊びに行った日を記す』場所です。 

日本美術のヴィーナス

「日本美術のヴィーナス」に会いに出かけた。
tou381.jpg
出光美術館に古今の美人が集結するとあっては、わたしもそのハシクレとして、仲間入りしたいではないか。
(アツカマシサもここに極まる!)
展覧会では4章にわかれてそれぞれの美人が選出されているが、その中でも特にわたしが「すてき」と思った美人たちについて、少しずつ書きたいと思う。

仏画でも美人は美人だと痛感する、鎌倉時代の普賢菩薩騎象図。
むろん「美人」の基準は時代ごとに違うので一概には言えぬものの、時代も状況も何かもかも越えた美と言うものがある。
それをこの絵の「美人」は体現している。
優雅な美貌を横から眺める。

西川祐信の納涼美人図を見ていると、江戸時代の昔から上方は江戸に比べて暑かったのか、と妙に納得する。(実際のところは知らない)
なにしろ涼しげな様子で外におるのだが、家中にいるよりは外で涼む方が気散じにもなる。
(気散じ、という言葉がここではふさわしいように思える)

蹄斎北馬 蛍狩美人図  今ではよほど環境のいい田舎、人為的なビオトープでの飼育、ホテルでの夕べ、などでしか蛍は見ることが出来ない。
江戸時代どころか昭和の半ばまで蛍は夏の宵から夜にかけてふらふらと飛んでいたのだ。
ちょっと大きいのはゲンジボタル、もっと大きいのはヒトダマ、といったところだが、この絵で蛍は美女らに追われてえらいスピードで右往左往しているように見える。
美人たちの細い目にはなにやら欲望もみなぎっているかのようだ。

歌川豊広 真崎稲荷参詣図  画面いっぱいの大きな女が二人。左は絽か紗を着ていて、下の襦袢が透けている。右はちょっとばかりきちんとしている。
そして右の女と左の女の履物も違う。
右の女の履物はコッポリ風に見えた。左はフツーの下駄。
女たちの背後の方に色も殆どない真崎稲荷がある。
描かれた時代から思えば、「剣客商売」の秋山大治郎がこの稲荷を参詣していそうだ。
(そしてまた何らかの事件に巻き込まれるのだ)
こういう構図を見ると、大大阪時代の百貨店のポスターを思う。

色んな誰が袖屏風を見ているが、ここのそれはまた豪華な着物ばかりで。
はこせこやカイ巻きがあるのも雅。
それにしても見れば見るほど豪華で優美なものばかり。
絵師も相当気合を入れていたのだと思う。
衣桁は青竹と蒔絵ものとあるが、こうして見ると青竹というのもいい。
第一その方が着物にも良さそう。←素人考え。
香を焚き染めて、という優雅な行為が絵になるわけだが、ハンガーに服を吊りっ放しでアロマと同時に消臭剤もおいてます、なダレゾの部屋では絵にならぬのである。

菱川師宣 江戸風俗図巻  九曜紋の入った幔幕を張る舟に乗って遊ぶ。
いいなぁ。わたしも舟遊び大好き。こういう絵は浮かれ心を誘うようなものでなくてなんとする、ということで後世のわたしまで「遊びたいわ」と絵を見て思うのだ。
以前に隅田川を屋形船で遊んだが、そんな記憶まで呼び覚まされる。

磯田湖龍斎 石橋図  これはボストン美術館の「石橋図」を思い出した。
赤の毛の感じがそう。
石橋ものは現在でも人気の演目だが、江戸時代もこうして描かれるほど人気があったのだ。

見返り美人図 長陽堂安知  懐月堂風なのでその派なんでしょうが、妙に新しい感じがいい。
表情が意外と今に生きる女のヒトぽいからか。
身体の線、強い線でばしっと描いて、その中に可愛い花柄の着物を埋め込んでいる。
こういうのもいい。

歌麿の「娘と童子図」は以前から好きな一枚だが、この娘の着物の爽やかな緑は、恒富の「戯れ」同様清々しく眼に残る。
実際にこんな染の着物があったのかどうかは知らないし、絵画上の演出なのかも知らないが、綺麗な着物を見るのは、それだけで楽しい。

桜花弾弦図屏風  数ある風俗画の中でも好きな作品。絢爛。顎の長さをみると又兵衛を思ったりもする。きっとその周辺なのだろう。
こうした派手やかな明るさが好き。着物の柄も女たちの髪型もにぎやかでいい。桜も武士的な美ではなく、享楽の花として楽しめばいい。
少女が三味線の箱を開くと、その蓋裏にもなにやら彩色があるのがリアルな感じ。
長キセルも妙にかっこいい。というより、こうした風俗画は「かっこよくなければならない」のだった。
三味線と長キセルがほぼ一直線になって、画面をナナメに走るのがいい。
それと並行する細竹、三味線入れの長い箱も効果をあげているようだった。

そういえば春章の「美人鑑賞図」の背景の庭園が、六義園かも・・・とトークで聞いたが、まだそちらへ行ってないので、春秋どちらかの頃に出かけようと思う。
東京には江戸時代の大名庭園がいくつも残るから、それを楽しむのもいいと思う。
わたしは植治の庭か夢窓の庭が見慣れた「庭」なのだが、違う発想のお庭も見たい。
一枚の絵から色んなことがわかり、色んな楽しみが拡がる。


近代美人画が現われる。
今回、首都圏の方々が京都の契月美人(少女)、大阪の恒富美人に随分とご執心だと聞いて、上方に住まうものとしては、勝手に喜んでおるのでした。

まず、松園さんの「四季美人図」をあげる。
晩年になると、抑制の効いた、まったく隙のない堂々たる婦人像が現われてくるが、明治の頃の多少ロマンティックな作品と言うのも、魅力がある。
tou383.jpg
「夏美人」は図録の表紙となった作品で、いかにも「浮世絵美人の伝統を継いだ」という感が強い。実際に著書などでも、どの絵師が好ましいかと言うようなことを書いてはるので、「ああ、これは」と予測するのも面白い。
「秋」の娘さんは、江戸ではなく明治時代の娘を描いたものだと思う。リボンが可愛い。
またこの髪型は本当は何と言うのか知らないが、少しばかり二百三高地風で、実は今も京都の市井の高齢のご婦人方には、この髪型の方が多いのだった。
そして「冬」の御高祖頭巾の美人は「娘深雪」にも共通する愛らしさがある。
(それは大正期の「艶容」にも同じことが言える)

契月「少女」は数年前の京都市美術館の年間予定の表紙に、「友禅の少女」はえき美術館の回顧展のチケットに選ばれている。
息子の嫁に来た娘に、清楚さを感じたか、名作が生まれている。
わたしは契月の「美人」のうち「敦盛」を第一等に挙げているが、平家の公達にもこの「少女」の清楚さが伝わっているように思う。

タイミングがわるく、今回どうしても後期を見ることが出来ない。
しかし恒富の「いとさん こいさん」「戯れ」は以前から親しく眺めている美人たちなので、ひとさまが彼女たちを見て喜んではるのを、わがことのように嬉しく思っている。

「こいさん」は「小いとさん」がちぢまって「こいさん」になったのだが、だいたいどこの「ええ氏」のお子でも下の娘と言うものはちょっとばかり元気ものである。
ほんまはお姉さんも、そないしたいねんけど、誰が見やはるかわからんし、べらっと座るばかりである。
同じ柄を色違いにしたのを着てるのも、ええ感じである。

清方と北馬の「朝妻舟」が並んでいる。
白拍子のなりをした、ある種の職業婦人だが、多くの絵師が画題にしている。
清方の色彩の美に惹かれた。青色系の水干と緋色の着物とが抗し合うことなく互いを馴染ませあっていて、とても綺麗だった。

先般、鎌倉の清方記念館に出かけたが、そちらでは中国の梅蘭芳、朝鮮の崔承姫といった一流の役者・舞踊家を描いたものに強く惹かれたが、やはり清方は「日本のヴィーナス」を描く絵師なのである。

清方の弟子の深水は傘もち美人を実に多く描いている。
構図が全く同じで配色を変えただけ、という作品も何点か見ている。
ここにある「通り雨」を見て「ああ、深水だ」と安心した。
深水の力業というものを実感するのだ。

小杉放菴の「七夕」を見るといつも思うのは、西遊記の芭蕉扇を打ち振る羅刹女(牛魔王夫人)が、この日だけは針仕事の上達を願って糸を通しているのでは、ということ。
室内より軒に出、外光で糸を通す。
無邪気な嬉しさがそこにある、そんな横顔。
tou382.jpg

湧泉  東大の安田講堂で見学させてもらった壁画もいいが、この大きさの作品は清方の言う「卓上芸術」のように愛でることができる。
放菴の人物画には柔らかな異国趣味があって、そこのところに惹かれるのを感じる。
特別な美貌でなくとも、こうしてにっこり笑う婦人と言うのもいいものだ。
だから「天のうづめの命」も美神でなくとも、明るい元気なところが魅力なのだった。

他に「曽遊江南画冊」はやっぱり好きな作品で、二人の姑娘の立姿がいい。
江南と言えばすぐに項羽が思い浮かぶが、それに関連して杜牧「題烏江亭」という詩もある。
また江南がいかに人気があったかは、山村耕花「江南七趣」の絵を見ると納得もする。
そして「いつ」放菴が(曽て)その地(江南)で(遊んだ)かは知らないが、機嫌よく絵に残すほどの魅力があるのは、この絵を見る限り確かなのだった。

古今の和のヴィーナスを眺めるのはとても楽しかった。
しかし楽しいのは絵だけではない。
絵画から眼を移すときにその存在に気づくものがある。
さりげなく展示されている陶磁器や漆器もまた、ヴィーナスの一人なのだった。

少し濃いめの蓬莱蒔絵、愛らしい草花蒔絵螺鈿手箱、どちらも手元において愛玩したくなる。
色絵紫陽花文共蓋の可愛いアジサイ、蓋のつまみはギボシ風。
また色絵で美人が遊ぶ絵柄のやきものもあり、それも楽しい。

塚本快示の作品が数点現われていた。
初めて展示された美しい作品がある。なめらかな白。
フジタのグラン・ブランは漆喰の白を想うが、塚本の白はミルクの上澄みのように見える。
舐めてみたい欲望に駆られる。
低い温度を感じるだろう、しかし冷たくはないのだ。

塚本で好きなものは青白磁で、ここにあるものは薄い花をみせている。
刻まれたそれは特定の花を表しているのだが、塚本の作品、それ自体が一つの花のように見えるのだ。美しい貫入は花びらの神経細胞のようでもある。

最後になったが、今回の図録はなかなか凝った造りになっている。
ページの余白に楽しみが潜んでいるのだ。素敵な本である。

「日本美術のヴィーナス」、心に残る展覧会は9/12まで続く。

関連記事
スポンサーサイト



コメント
馴染みの美人
親しく眺めていた美人がいるとは、羨ましい。
『いとさん こいさん』を観て、私は「ちょと、
近寄りがたいお嬢様方」という印象だったので
遊行さんの感想を読んで、なるほど、付き合い
があると印象って変わるものだなぁと思いました。
2010/09/06(月) 18:02 | URL | えび #-[ 編集]
実感
☆えびさん こんばんは

> なるほど、付き合いがあると印象って変わるものだなぁと思いました。

あのいとさんの口元のニシャアと笑った感じや手の置き場、妹の下駄の脱ぎ方・・・・
今のうちには床机はないんですが、母の子供の頃の話なんか聞いてると、こういう感じが実感として「わかる」ような感じなんですね。
それで祖母の若い頃の写真を見ても、髪形は違いますが雰囲気が似てる。
結局そこに親しみを覚えてまうのでしょうね。
2010/09/06(月) 21:57 | URL | 遊行 七恵 #-[ 編集]
コメントの投稿
管理者にだけ表示を許可する
最近の記事
月別アーカイブ
カテゴリー
全ての記事を表示する

全ての記事を表示する

フリーエリア