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美術館・博物館・デパートでの展覧会を訪ね歩き、近代建築を見て周り、歌舞伎・映画・物語に溺れる日々の『遊びに行った日を記す』場所です。 

川本喜八郎 追悼

8月23日にこの世を去った人形作家・川本喜八郎氏への追悼をささげたい。
しかしこれは自分が見てきた川本氏の作品を追想することでもある。

最初に氏の人形を見たのは、NHK人形劇「三国志」からだった。
本放送も再放送もかなり熱心に見ていた。
数年後、その三国志の人形の展覧会が開催されたが、そこで間近に見た人形たちはいずれも存在感があり、大きく感じられた。
しかしそこで何かしら違和感を感じたことは確かだった。

その違和感が何かが、長くわからないまま、時間が流れていった。
わたしは元々「人形」そのものへの偏愛が強く、川本だけでなく、辻村ジュサブロー(現・寿三郎)、ホリ・ヒロシ、四谷シモン、吉田良らの人形に、疼くような愛を懐いている。
その人形たちと、川本の人形との間には何か大きな違いがあるような気がしてならなかった。
それは人形の外観といったことではなく、もっと別ななにか・・・
しかしその答えを、私は長く見出せなかった。

ある年、わたしは女優・岸田今日子が小説を書いていることを知った。
長編小説「もう一人のわたし」を掲載誌で読んでから、何かに撃たれたように、彼女の小説を求め続けた。
やがて「いばら姫またはねむり姫」という見事な作品を知った。
その小説にのめりこんで、その狂熱が静まった頃、今度は川本喜八郎が「いばら姫」を映像化したことを知った。




その映像は「徹子の部屋」で一部分だけTV放映され、わたしは狂喜した。
TVで川本は撮影の苦労話やエピソードなどを淡々と話し、聞き手の徹子さんだけでなく、視聴者の私も深く相槌を打ち、感嘆した。

その映像を見るうちにわたしは、自分が以前展覧会で感じた違和感が何かがはっきりとわかった。

川本喜八郎の人形は、展覧会の場では本当には活きていないのだ。

前述の作家たちの人形は、動かされずにいる展示の間でも、それぞれが知らん顔をして、観客を観察するような趣がある。
しかし川本の人形たちには、それが薄い。
これは作家性の違いと言うものかもしれない。
それではどこで川本の人形は輝くのか。

映像だった。
川本喜八郎の人形たちは映像の中で呼吸し、考え、憤り、静かに微笑んでいた。

後年、人形の実演、ライブを見たとき、いいものを見たと思う反面、川本作品は映像化されたときの方がより深い魅力がある、と確信した。
それは川本喜八郎と言う作家が「人形作家」であると同時に「映像作家」であることから来ているように思う。

「徹子の部屋」の数年後、手塚治虫記念館で待望の「いばら姫またはねむり姫」全編を見ることが出来た。あのときの感動は今も自分の細胞質に記憶され続けている。
もう随分前の話ではあるが。
そして上映会で「火宅」などを見ることが叶った。
そのとき、川本喜八郎の「映像作品」の感嘆し、彼の生み出す人形たちは、映像の中でこそ輝く、映画俳優なのだと自答した。

ライブと映像と、どちらもそれぞれ違う魅力がある。
どちらが上と言うこともない。
しかし川本作品は、映像の魅力が深い。
そう確信したわたしは、彼の新作を待ち望んだ。

どう考えても映像化するのは不可能だと、思う作品がある。
折口信夫「死者の書」と泉鏡花「山海評判記」である。
どちらも難解な筋と、途中で「あのヒトはどこへ?」という疑問がわく小説である。
小説、と言う範疇から外れて、むしろ「物語」と呼ぶべきかもしれない。

そのうちの折口信夫「死者の書」を川本喜八郎が映像化すると知ったとき、ぎょっとした。
ムリだ、と思う一方で「川本なら可能だ」と思いもした。
それは映像作家としての川本喜八郎の才能を信じていたからだが。

ついに映画「死者の書」が完成し、それを東京まで見に行ったときの感動の大きさは、ここで再現できない。
そのときの心はここに記してある。
そしてこのブログを読んでくださった関係者の方のご好意で、わたしのこの記事は川本喜八郎の公式HPの「死者の書」サイト中の「コメント集」に紹介された。

「死者の書」は見事な映像作品だった。
単に小説を映像化した、と言うものではなく、そこに映像作家・川本喜八郎の魂が込められている。
執心を描き、その執心の解脱をも、視る者にはっきりと見せてくれたのだ。
すばらしい作品だった。

「死者の書」の映像を見るために色んなところに出かけるうち、日日が過ぎていった。
あるとき「三国志」の実演チラシが手に入り、それも見たいなと思ううちに、悲報が入ってきた。

辻村寿三郎は小舟に自らが世に出した人形たちを積み込んで、船頭として櫓を取り、隅田川から湾へ出て、彼岸のかなたへ向かう映像を、作っている。
しかし川本喜八郎はそうした映像または遺書を残さなかった。
だが、かれの作品は、映像作品は、生き続けてゆく。
DVDや上映会などで今後も活き続け、新しいファンを得続けてゆくだろう。

ありがとう、川本喜八郎。
今はただあなたの映像作品を胸に抱いている。

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コメント
No title
こんにちは。川本氏の映像作品は初めて見ました。
この作品には「衝撃」がありますね。
TVでシュヴァンクマイエルの作品を見た後に続けてみましたが、
川本作品の方がストーリー、人形の美しさ共に私の好みにぴったりでした。
いいものを見させていただきました。多謝。
2010/09/10(金) 07:21 | URL | みき♂ #-[ 編集]
人形だからこその演技
喜八郎人形は、まさに映像の為の人形でしたね。
私も『三国志』から知った作家さんなので、映像
作品での人形の活き活きした姿を見た時、衝撃
を受けました。様式化された優美な動きで、感情
を現す独特な動画だからこそ『死者の書』のような
作品も映像化を可能にしたのでしょうね。
トゥルンカから教わったというアニメーション
の人形の特徴は「人形はそれ自体すでに神秘的な
要素を備えており、動かない演技、詩的な表現にこそ
向いている。人形に向く演技は、したがってリアリズム
のそれよりは、様式的な演技である」(雑誌『夜想』34号)
というから、喜八郎氏は最後まで師匠の教えを継いで
作品造りをしたのだなぁと、改めて思いました。
2010/09/10(金) 10:24 | URL | えび #-[ 編集]
☆みきさん こんにちは
人形作家としても素晴らしいのですが、わたしはむしろ「映像作家」としての川本喜八郎ファンです。
本当に見事な作品が多いのです。
罪深いもの、不条理なもの、やがて心が開けゆくもの・・・
多様な世界を構築しているのは彼の生み出した人形たちなのですが、その人形たちの細かな心模様を見せてくれたのは、やはり川本の力業だったと思います。


☆えびさん こんにちは
トゥルンカの弟子だと言うことが、やはり川本作品に深度を与えたと思います。
底のない泉の水面に浮かぶ影、それをのぞかせてもらったように思います。
ここに挙げたのは「いばら姫」ですが、「死者の書」にもまたその「様式美」が活きていると思います。
映像作家として、本当に名品を世に残してくれたと思います。
いつ映像を見ても心が動きます。
2010/09/10(金) 12:54 | URL | 遊行 七恵 #-[ 編集]
人形
こんばんわ
わたしも 川本喜八郎さんの事をブログにしました。
単純な内容で 恥ずかしいです。
救いは 映像作品は見たことがない という事です。
な~んとなく知ってましたので、
人形展をみにゆきましたの。
その素晴しさは、衝撃でした。
2010/09/10(金) 20:09 | URL | Baroque #EFXxn43o[ 編集]
三越美術館
☆Baroqueさん こんばんは
あの展覧会は関西でも開催されまして、わたしはBaroqueさんお持ちのメトロカードと同じ図柄の絵はがきを購入しています。
色んな三国志を見てきましたが、川本さんの孔明がやっぱり決定的でした。
もう、こういう作家さんは出ないでしょうね。
2010/09/11(土) 00:14 | URL | 遊行 七恵 #-[ 編集]
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