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美術館・博物館・デパートでの展覧会を訪ね歩き、近代建築を見て周り、歌舞伎・映画・物語に溺れる日々の『遊びに行った日を記す』場所です。 

京の寺内町

京都の大谷大学博物館で江戸時代の「京の寺内町」展を見た。
東西の本願寺周辺地図や火事による焼亡範囲図、寺内町の住宅地図、洛中洛外図屏風、そして本願寺御用達の商人のことや、出入りの者の自死の始末などなど、たいへん興味深い内容が繰り広げられていた。
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最初に天明年間の大火被害の範囲地図がある。(天明八年一月晦日出火、二月一日暮六つ消火)
碁盤の目の町だから、一見したところ、グラフ用紙に薄い彩色がされているようにも見える。出火元は団栗図子(現在の祇園・団栗橋付近)。随分な被害で、その当時「応仁の乱以来の」と称されていたそうだ。(36797軒焼失。東西の本願寺も丸焼け。)
一つ話として「京都の人の前の戦争=応仁の乱」という言い方をするが、そんな頃から残ってる建物と言えば寺社などばかりで、フツーの民家はない。
蛤御門の変や禁門の変のときの被害が残ってる、という家の方が、実は建物としては古かったりすることが多い。
なにしろこの「応仁の乱以来の」大火で京の町は大方焼け消えて、再建しているのだ。(もちろん場所にもよるが)
京都市内は第二次大戦の被害は殆ど受けなかったが(市役所に砲撃の痕が残っている)、人災などで建物もやっぱり色々と苦労している。
改めてそのことを思いながらこの地図を見ると、色々と見えてくるものがあり、感慨深く眺める。
平安時代には二年連続の「太郎焼亡」「次郎焼亡」と呼ばれる大火が起こり「都を嘗め尽くす」状況になったと言う。
(京都文化博物館常設室設置のVTRに、焼失場所の地図などが現れる一本がある)
詳細な地図には「井伊掃部」「松平丹後」などの名前が見える。
また、洛中だけでなく周辺を描いてもいるが、点描で「大」や舟形、鳥居形などを記しているのも楽しい。

sun158.jpg

洛中洛外図を見る。雲は金型雲で、人物はやや小さい。豊国神社、三十三間堂、大きな耳塚、方広寺大仏殿と例の鐘、清水、南座、山鉾巡行、吉田神社、なぞの金閣までが右隻。
左は妙に白い金閣、北野天満宮、画面下に鞍馬、巨大な桜がある仁和寺(とてもお多福桜には見えない)、天守閣のある二条城、牛車で西陣を行く行列、上賀茂神社、天竜寺、筏師のいる桂川、東寺まで。牛の表情がけっこう面白い、山吹色がよく目立つ屏風だった。

東本願寺の寺地が増えたのは、家光が1641年に元の敷地の東側の土地を加増したかららしいが、その百年後の地図が出ていた。寺内町という名称ではなく、「東本願寺御境内町絵図」として旧来の土地たる「古屋敷」と新しい土地の「新屋敷」の巨大な地図。
間口と住民の数や名前も記されている。新屋敷のほうには枳殻邸(きこく・てい)が、古屋敷には本坊が中心として描かれている。

東本願寺濫觴ならび炎上記  栄枯盛衰というべきか。太鼓の番屋とかなんだかんだ書いてある。折角信者たちの寄付で再建したお堂なども数年で焼失したりしている。
火事は怖い。

お寺の役人の日記が面白かった。今と変わらない。
門番が首つり、それで検視に来た者たちに穏便に済ませてもらえるよう色々苦労する。
最後はナントカ思惑通りに行ったことに安堵し、来てた三人に酒肴の接待をして帰らせる。
他に出入業者の選定などには、出入り頭の本屋と筆屋の承認と推挙が必要とか、そんなことを知った。

なかなか興味深い内容の展覧会だった。こういう内容のものが見たかったので嬉しい。
2/19まで。
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