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美術館・博物館・デパートでの展覧会を訪ね歩き、近代建築を見て周り、歌舞伎・映画・物語に溺れる日々の『遊びに行った日を記す』場所です。 

小出楢重を歩く

小出楢重のいた時代を追う企画があった。
芦屋市立美術博物館で開催中の「小出楢重を歩く −1920年代 大阪・神戸・芦屋−」展。
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今で言う大阪市中央区島之内の薬屋の長男として生まれた小出だが、後は継がず「油絵師」になった。
本人は「洋画家」として生きたが、当初その職業は新聞に「油絵師」と書かれていたことが、彼の随筆に載っている。
タイトルどおり「1920年代の大阪・神戸・芦屋」の写真やスケッチが展示されているが、スケッチは小出自身の手によるものだとはわかっていたが、写真も彼の撮影のものだと、今回初めて知った。
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小出はモダンライフを愛した多趣味な都会人で、煤煙の大阪から逃れて、その当時それこそ浜辺では「テテ噛むイワシいらんかえ?!」な芦屋に転居した。
芦屋が立派な住宅地になるのが丁度小出の移住あたりからだから、やはり小出は最初期の芦屋の「エエ氏」の一人なのだった。

病弱で43歳で急死したものの小出自身はたいへん闊達な性質で、残されている16ミリ動画などを見ると、機嫌よくあちこち出かけては楽しそうに過ごしている。
馬にも乗るし(走らせる映像はない)、ボートも漕ぐ(夫人も漕いでいた)。
子どもらと雪合戦もしているが、20年代のステキな帽子にコートのスタイルでヨロヨロ雪まみれになっている姿は、ちょっとばかり可愛い。
見るからに大阪弁で言うところの「気さんじ」なヒトなのである。
第一室と第二室をつなぐ休憩コーナーには小出の映像が延々と流れ続けている。
それを見ていると、没後80年と言う長い歳月が一挙に消えて、「知り合いの機嫌の良い男が」えらい楽しそうに遊んでいる、そんな風に思えてしまうのだった。
わたしはブリヂストン美術館での「小出楢重の肖像」展から小出楢重のファンになり、京近美での回顧展で沸騰してしまった。
あのときもスクリーンで小出の機嫌の良い様子を見ていたが、久しぶりにこうして眺めると、本当に嬉しいような気持ちになる。

写真ばかりではなく、小出の随筆の生原稿が展示されていた。
小出は絵も面白いがその文筆がまたとにかく面白い。
ここに「下手もの漫談」の自筆原稿があるが、その「下手もの漫談」がまた笑える内容なので、自筆をちらちら見るだけで「あーハイハイ、あれやな?」と楽しくなる。
小出の随筆は一読すると、ひつこく(しつこくの大阪弁形)何度でも読み返したくなる。笑えたなぁ。

特に好きなものが「春の彼岸とたこめがね」だが、その直筆がここにあって、たいへん嬉しい。
以前からこのブログで何度もその「たこめがね」を挙げているが、ふたたびみたび小出の挿し絵を挙げる。
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来月にはそのお彼岸、小出の大好きだった「たこめがね」は見ることはないが、彼が父と共に見た「夕日がキリキリ舞い」する情景は、まだ見れそうである。

「春眠雑談」の原稿を見ると随分たくさん推敲している。洒脱でサラサラ書いているような文なのに、こうして練り上げられている。
随筆の達者と謳われた小出楢重のこの「努力」を忘れてはいけない。
とはいえこの「雑談」は大阪の温気についてのことなので、読んでて笑うに笑えない苦さもあるのだった。

小出の実家は一子相伝(という文字を見るとわたしなどはどうしても「北斗の拳」を思い出すのだが)の秘薬・天水香を売るというお店なのだが、店の看板の巨大な亀の看板について小出は「亀の随筆」という一文を残している。
それによると、出火があってもこの亀が口から大水を吐いて店を守った・・・らしい。
亀は後に大阪市立博物館に寄贈されたそうだが、十年以前に博物館の学芸員さんに尋ねたところ、「みつかりません」そうだ。倉庫で冬眠しているのか、ガメラになって宇宙へ飛んでいったのかもしれない。
その亀の写真があった。これは嬉しかった。
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今までは小出の描いた亀の水吐き図しか見たことがないのだから。
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筆まめな小出はフランス留学中には絵日記を残している。
室内、カフェなどなど。
家への手紙などにもこまごまと話し言葉で書き綴っているから、やはり文章を書くのが好きなのだろう。

小出が随筆だけでなく一種の漫談家であったことはよく知られている。
座談の名手だと谷崎潤一郎もほめている。
これは関西人の特性だと思う。
代々の大阪人には往々にしてそんな者がいる。
そしてその面白さを好まぬヒトもいる。

小出の本職たる洋画も展示されている。
チラシに選ばれた絵は、彼がいた信濃橋洋画研究所の窓から見た、今の相愛学園あたり。
この風景は小出の同僚・国枝金三らも描いている。
その比較展示を以前、西宮大谷美術館で見たとき、不思議な感銘を受けた。
今回も感情は変わらない。

小出は芦屋から大阪の信濃橋まで通勤した。
今でもそんなヒトは少なくないだろう。
わたしは信濃橋を通る度に必ずかつての信濃橋洋画研究所のことを想うのだった。

芦屋風景のスケッチがある。現存する仏教会館がある。
この建物は道路拡張などのために元の場から数メーター移動しているが、今も建物は活きている。

散歩が好きな小出だが、制作は室内で行われた。
小出は闊達な性質だが、身体は屋外制作を許してはくれなかったのだ。
美術館の敷地内に再現されている彼のアトリエから、裸婦や人形などが生まれている。
日本の風土に根付いた女の体を描くことに心を砕いた小出。ここにある裸婦図はどれも、肌の色の濃い、堅太りしたリアルで肉感的なものだった。

小出の油彩には体臭が活きているが、墨絵の挿し絵にはその脂濃さは薄い。ガラス絵にはそれはまだあるが。
しかし彼の日本画には、油彩や墨絵の挿し絵とはまた違う妙な迫力がある。

玩具づくし 姉様人形、鳩笛、でんでん太鼓、犬張り子、キユーピー、ビリケンさん・・・そんなおもちゃたちが所狭シと描かれている。

着物や帯にも小出は筆を進める。小出の油彩はリアルな重厚さを前面に押し出しているが、日本画は南画を戯画にしたような面白さがある。

奈良を散歩する西洋人 西洋人のカップルの後ろからえらそーな鹿がついてくる。こういうのを見るのが楽しくて仕方ない。
小出は若い頃に奈良の老舗旅館・江戸三の離れを借りて絵を描いたりしていたことがある。
そこを出て木辻遊郭のそばに下宿して、とんでもないメに遭ったりした一件をこれまた面白い読み物にしているが、わたしなぞは、何度読んでもあのクダリは爆笑してしまう。

今回初めて小出がデザインしたステンドグラスの下絵を見た。キュビズム風な画面構成で、ダイヤと花に囲まれた巻き毛の裸婦が描かれている。全体にオレンジ色なのが珍しい。もし、これが実現しているのなら見てみたいものだと思う。

小出の随筆の中に、神戸のユーハイムあたりでお茶するエピソードがある。小出はメレンゲのお菓子を好んで食べている。美術館のカフェでは展覧会の会期中、そのお菓子を再現したものを販売しているが、なかなかおいしかった。

今回、高島屋史料館所蔵の「六月の郊外風景」が来ていた。照明が反射して、絵の中に<観るわたし>が映り込んでいた。わたしも小出の描く風景の中に入ったのだった。
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展覧会に図録はないが、「小出楢重を歩く」として大阪市内の地図の上に小出のいた場所を記したものがある。
その裏面には同時代の大阪風景写真(絵はがきと、小出自身によるスナップ)と彼の素描などが載っている。
古写真を愛するわたしには、小出の資料としてだけでない価値がある。
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小出楢重は1931年2月12日に亡くなっている。
もうまもなく小出が亡くなった日が近づこうとしているが、そんなときにこの展覧会を観ることができて、本当に良かった。
展覧会は2/20まで。
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